...オペラシオン・プエルトの年表と最新情報
2006年、スペイン社会労働党の肝いりで、スペイン自転車界の薬物問題にメスが入った。スペイン警察当局の本件に関する捜査コードネームは「オペラシオン・プエルト」ことOP。(ネーミングの理由は本ページ最後に。)キーマンはエウフェミアノ・フエンテス。
彼はカナリア諸島出身の医師で、80年代からスポーツ選手たちに違法薬物を与えた疑惑がもたれていた。何度も取調べを受けるものの、スペインではアンチドーピング法が成立していなかたっため、その都度不起訴処分になってきた。今回もOP勃発時点で同法律は成立しておらず、法の不遡及により、フエンテスが起訴されることはないと見られる。
【オペラシオン・プエルト状況】
【 年表 】
| 1987年 | . |
| . | スペイン陸上連盟の認定医エウフェミアノ・フエンテスの妻でアスリートのクリスティナ・ペレスが陸上競技で陽性反応 |
| . | 証拠不十分でペレスに処分はくだらなかったが、フエンテスは陸連から除籍。 |
| 1988年 | . |
| 9月 | ソウル五輪400mハードルでペレスはスペイン新記録を樹立。今だに記録は破られず。 |
| . | 一方陸連を追われたフエンテスは、徐々に自転車界との接点を深めていく。 |
| 2000〜2003年 | . |
| . | フエンテスは、ケルメのチームドクターに。オンセチームとも一時期協力体制を築く。 |
| 2004年 | . |
| 3月 | ケルメを解雇されたヘスス・マンサノがスペインのドーピング実態を暴露 |
| 3月 | マンサノの告白でケルメの元医師エウフェミアノ・フエンテスの名前が浮上。マンサノの近隣の男性が、フエンテスのところにマンサノを連れて行き、マンサノが血液操作をさせられていた場面を目撃した、という証言も飛び出した。 |
| 4月 | スペイン政権交代。ホセ・マリア・アスナール首相から、社会労働党のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相へ。スポーツ大臣にハイメ・リサベツキー。ドーピング取締強化宣言 |
| 4月 | マンサノの告白の真偽調査開始。フエンテス証人喚問 |
| 2005年 | . |
| 2月 | 下級審において、フエンテスの関与は具体的証拠がないとして、マンサノの供述は証拠不十分で棄却。 |
| 2月 | リサベツキー、アンチ・ドーピング法の制定に向けて準備開始 |
| 11月 | ブエルタ勝者ロベルト・エラスのEPO陽性確定。フエンテスの名前が再び浮上 |
| 2006年 | . |
| 2月 | スペイン警察当局が極秘にドーピング組織実態調査開始。きっかけは、フエンテスの元クライアントだったスペイン選手からの警察への密告。 |
| 5月23日 | 警察によりフエンテス、マノロ・サイス元リバティ・セグロス監督、 ホセ・イグナシオ・ラバルタ元コムニダ・バレンシアナ助監督らの身柄が拘束された。 |
| 5月25日 | リバティセグロスがチームスポンサー撤退決定 |
| 6月2日 | リバティの後任スポンサーとしてカザフのアスタナが決定 |
| 6月13日 | バレンシアナの助監督ホセ・イグナシオ・ラバルタの関与で、バレンシアナチームのツール出場取消し決定 |
| 6月22日 | アスタナのUCIプロツアーチームライセンスが承認。しかしツール主催者(ASO)側はアスタナのツール出場に難色 |
| 6月25日 | 新聞エル・パイスが関与選手リストを一部暴露。選手側抗議でスペイン選手権中止 |
| 6月27日 | フランススポーツ大臣がスペインスポーツ大臣のリサベツキーに調査報告書の開示を求める |
| 6月29日 | スポーツ調停所がアスタナのツール出場にGoサイン。ASOはこれに遺憾を表明 |
| 6月29日 | スペインでアンチドーピング法が下院通過 |
| 6月29〜30日 | ヤン・ウルリッヒ、イヴァン・バッソ、フランシスコ・マンセボ、オスカル・セビーヤ、ヨセバ・ベロキらの名前が関与者として公表 |
| 6月30日朝 | 関与が公表された選手全員のツール出場禁止決定。アスタナチームは4人に |
| 6月30日夜 | アスタナがツールから撤退決定 |
| 7月1日 | ツール開始 |
| 7月21日 | ウルリッヒ、セビーヤがTモバイルチームにより解雇処分。 |
| 8月17日 | フエンテスがコロンビア人ネルソン・ヒラルドに送ったとされるファックスコピーが流出。ヒラルドは、元ケルメのアシスタント。ファックスには、ヤン・ウルリッヒ、イヴァン・バッソをはじめ、今年のジロ・デ・イタリアに出場した7人の氏名が書かれていた。 |
| 8月17日 | オペラシオン・プエルトをきっかけに、フエンテスと長年関連があるドイツの医師マルクス・ホイナの家宅捜査がドイツ検察庁と連邦刑事局により行われた。(目下ドイツ以外に、フランスにもフエンテスに薬物を供給していた協力者がいると見られている。) |
| 8月20日 | タイラー・ハミルトンがCSCに在籍していた2003年、レース日数200日中114日EPO、成長ホルモン、テストステロン、インシュリンなどを積極的に摂取していた、という記事がデンマークの新聞に掲載。 |
| 8月22日 | スペインのMTB選手でアテネ五輪銀メダリストのホセ・アントニオ・エルミダがオペラシオン・プエルトに関与していたとして公表。ニュージーランドの世界選手権出場を取りやめ、急遽帰国。 |
| 8月24日 | 分子生物学者でドーピング撲滅運動家のヴェルナー・フランケがウルリッヒを告発。ウルリッヒは宣誓供述書の中で、フエンテス医師とは無関係で、フランケが申し立てている内容は一切関知していないと述べたが、これがオペラシオン・プエルトの書類内容と矛盾する、というのがフランケの主張。中国の銀行のチューリッヒ支店経由でフエンテスはクライエントから金銭を受領していた、とフランケは述べている。 |
| 8月25日 | チポリーニの名前がイタリアのレプッブリカ紙に掲載される。(詳細へJUMP) |
| 8月27日 | UCI会長マックエイドが発言。「スペイン当局から新たな名前明かされた。ただ、裏づけはこれからなので、今すぐ公表するつもりはない。ウルリッヒについては、終身処分の可能性もある」。 |
| 8月30日 | イタリア オリンピック委員会によるイヴァン・バッソのオペラシオン・プエルト関連ヒアリングが開催。当事者たちは、バッソを含め、事態が前進したことに安堵の意見。9月12日には結論が出ると見られる。 |
| 9月2日 | フエンテス逮捕後もドイツで血液ドーピングをしていた選手がいたことが発覚。詳細へJUMP |
| 9月7日 | ドイツ当局が、スペイン警察と接触。今後ドイツ当局がスペインのマドリッドに赴き、押収された血液バッグのうち、ウルリッヒとセビーヤのものとされている分につき、提供してもらえるかどうか、問い合わせを行った。 一方で、名前が公表された選手のうち、少なくとも7人が、氏名を伏せる条件で、フエンテスの手口を証言ことを承諾。これらの選手は事件には比較的関与が薄いとされている選手たちであろう、と推測されている。 当局は、名前が公表された全員の選手に対し、証言やDNA検査をを行い当局に協力するよう呼びかけている。 |
| 9月9日 |
オペラシオン・プエルトを調査中のドイツ検察局(ヘッドはセバスティアン・トラウトマン)が、正式にスペイン検察に捜査協力要請レターを出状。その中には、ドイツ検察のウルリッヒに対する見解につき、下記内容が含まれている。
● 検察側は、ウルリッヒがマネージャーのペフェナヘを仲介者として増強剤を2003年から入手・摂取していた、と見ている。 |
| 10月8日 | スペインの裁判所は、自転車連盟が本件の結論を下すことに待ったをかけた。警察・司法主導の捜査であることを明確化した。 |
| 10月29日 |
現政権サパテロ首相率いる社労党が一大決意をしてのぞんだオペラシオン・プエルトだが、腰砕けの様相。次期政権を狙う民衆党が、「これは選手の人権侵害の可能性もある」として、オペラシオン・プエルトの不当性について反撃中。政治がからんでキナ臭くなってきた。
これを受け、スペイン自転車連盟は、オペラシオン・プエルトでミソがついた選手たちについて、一旦全員の名を晴らすことを決定。ただし、捜査の進展に伴いなんらかのさらなる証拠が出て、司法が動いた場合はその限りではないが、当面はレース復帰、チーム雇用契約も(理論的に)自由にできることになった。 |
| 07年1月9日 | Tモバイルがケスデパーニュのバルベルデ獲得に動いたという話が大きくなって、移籍報道になってしまったが、その直後に今度は: ● バルベルデの名前がフエンテスの所持品として押収されたホテルカードにメモされていた、● コードネーム18番Valv(Piti)のうちPitiとはバルベルデの愛犬の名前だ(再びこの話が蒸し返される)、● 11月に18番の血液バッグを検査したところEPOは高い値を示していた、といったニュースを9日ユーロプレスが報じた。 真実はわからないが、ひとつ事実があるとすると、”バルベルデのOP疑惑の火種は今だにくすぶっている”ということ。そしてこの時期にこの話が蒸し返されたのは、「今後ドーピングを根絶する」と断言したTモバイルが、まだOPの疑いから完全に開放されていないバルベルデ獲得に乗り出したことを揶揄する目的があったかのように映る。 |
| 07年5月7日 | これまでオペラシオン・プエルト関与を否定していたイヴァン・バッソが告白し、ツール06の前にドーピングを企てたと告白した。詳細を語ると約束したが、周囲の圧力により、口を閉ざしてしまったため、酌量はなく、2年間の資格停止処分。 |
| 08年10月26日 | リクイガスに入団したバッソ、ジャパンカップで復帰第一線を飾る。 |
【解説】
その1:スペイン当局による関係者逮捕劇
オペラシオン・プエルトが表ざたになったのは、2006年5月23日。スペイン当局が、フエンテス、サイス、ラバルタ他の身柄拘束に踏み切った。
拘束当時、サイスとフエンテスはマドリッドで面会している最中だった。そのほかの関係者はサラゴサなど別の場所で一斉に拘束された。
・マノロ・サイス(元オンセ、リバティセグロス監督) − マドリッドで拘束
【マノロ・サイス略歴】
1959年10月16日生まれ。
自身は自転車選手の経験はない。
マドリッド国立体育大学でフィジカルトレーナーになるための勉強をした。スペイン選手権(ジュニアやアマ)の監督となり、89からオンセの監督を務め、その後チームを引き継いだリバティ・セグロス監督となる。革新的な手法で、斬新なチームを行い、プロツアー制度設立にも貢献した。
・エウフェミアノ・フエンテス(かつてケルメ、オンセでドクターを務めた) − マドリッドで拘束
・ホセ・ルイス・メリノ(マドリッド・クリニックの分析担当)− マドリッドで拘束
・アルベルト・レオン(MTBの選手)ー エル・エスコリアルで拘束
・ホセ・イグナシオ・ラバルタ(コムニダ・バレンシアナの助監督) − サラゴサで拘束
直後に、フエンテスのアジト2箇所に捜査が入り、押収物の中には、100人〜200人分の血液保存バッグがあったといわれている。 これらは、彼が血液ドーピングのほう助をしていたことを物語る。そのほか、1000にも及ぶおびただしい数のステロイド、ホルモン剤、血液操作の道具、凝固剤、輸血道具なども押収された。
スペインの新聞エル・パイスが報道には力を入れ、極秘書類コピーを入手。関与者の氏名を公表した。ツール出場予定だったヤン・ウルリッヒ、イヴァン・バッソ、フランシスコ・マンセボ、ヨセバ・ベロキ、オスカル・セビーヤ、アルベルト・コンタドール、セルヒオ・パウリーニョ、イシドロ・ノサル、アラン・デイヴィスらのツール出場が土壇場で取り消しとなった。
オペラシオン・プエルトでは、自転車選手以外にも、トップアスリートの関与があったとされているが、それについては一切公表されていない。
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その2:関与者としてマスコミに名前が公表された選手たち
チームAG2R
フランシスコ・マンセボ(1人)
アスタナ・ヴュルト
セルヒオ・パウリーニョ(後に根拠なし、としてレース出場OKに)、アルベルト・コンタドール(後に根拠なし、としてレース出場OKに)、ヨセバ・ベロキ、イシドロ・ノサル、アラン・デイヴィス、ダビ・エチェバリア、ウナイ・オサ、マイケル・スカルポーニ、マルコス・セラノ、アンヘル・ビシオソ以上11人(あとで9人に)
ケスデパーニュ
コンスタンティノ・サバヤ(05年までサウニエル所属)(1人)
コムニダ・バレンシアナ
ビセンテ・バイェステル、ダビ・ベルナベウ、ダビ・ブランコ、ホセ・ボニヤ、フアン・ゴミス、エラディオ・ヒメネス、ダビ・ラタサ、ハビエル・パスクワル・ロドリゲス、ルーベン・プラサ
CSC
イヴァン・バッソ
フォナック
ホセ・エンリケ・グティエレス、ホセ・イグナシオ・グティエレス
サウニエル・デュバル
カルロス・サラテ
Tモバイル
オスカル・セビーヤ、ヤン・ウルリッヒ
Unibet
カルロス・ガルシア・ケサダ
すでに引退、或いは目下チーム所属なし
アンヘル・カセロ、タイラー・ハミルトン、ロベルト・エラス、サンティアゴ・ペレス、ほか計50人+α
上記のとおり氏名が公表された選手に関しては、各チームの方針により扱いが分かれ、ケサダのように、既にレースに出場している選手もいる。
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その3:ドイツに波及
一方でドイツでは大掛かりな連邦刑事局(Bundeskriminalamt ブンデスクリミナルアムト=BKA)と検察庁の合同捜査に発展。フエンテスの家宅捜査で見つかった薬物には、ドイツ製のものが見つかっている。スペインのみならず、ドイツにも薬物供給をしていた医師がいるとして捜査中。
家宅捜査を受けた下ザクセン在住のマルクス・ホイナ医師は麻酔科が専門。80年代から、フエンテスの妻でトップアスリートのペレスに増強剤を渡していた疑惑がもたれている。
さらにオペラシオン・プエルトの通信傍受により、フエンテスとホイナの電話の会話が記録されている。
マルクス・ホイナ医師とフエンテスの通信傍受内容(ジロの最中に薬物を調達・購入している内容):
フエンテス:「小包を5月10日に送付してくれましたかね?」
電話の相手:「はい」
フエンテス:「普通便?それとも速達で?」
電話の相手:「速達、速達ですよ」
フエンテス:「今日は5月14日。明日15日には到着するでしょうかね?」
電話の相手:「たぶん明日には。内容はアクトヴェゲン10箱、シナクテン5〜6箱です。」
フエンテス:「了解。では、16日には銀行送金しておきます。」
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その4:CSCに波及
年表の8/20にあるとおり、ハミルトンがCSCに在籍していた03年当時の薬物摂取記録が出てきたという内容を新聞「politiken」がすっぱ抜いた。この記録は、オペラシオン・プエルトの証拠書類として、出てきたという。記事には、ハミルトンは200日のレースカレンダー中、114日間、EPO、成長ホルモン、テストステロン、インシュリンなどを積極的に摂取していたと書かれている。
チームの関与なしにこれほどまでの薬物を摂取するのは無理ではないか?という声が上がり、CSCのコメントを取ろうとマスコミが質問に殺到している。
リース監督談話: 「我々はレース中、牢屋に入っているわけでなく、ホテルに滞在しているのだ。その間、選手が一体何をしているのかは、一切我々は関知していない」
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その5:チポッリーニの名前
フエンテスのクライアントリストに「パヴァロッティ」というイタリアっぽい名前のコードネームがあった。これがマリオ・チポッリーニに該当する、とイタリアの新聞レプッブリカが書き立てている。
クライアントとして名を連ねたのは主に2002年らしく、この年彼は14勝をあげ、ゾルダーの世界選手権も制している。ほかにミラノ〜サンレモ、ヘント・ウェヴェルヘム、ジロとヴエルタで9勝ほど。
チポッリーニはこの話を否定している。「パヴァロッティ」がチポッリーニであったとしてもなかったとしても、今回の報道で1つ明らかになったことは、血液が押収された該当者以外にも、過去、フエンテスと関わりをもったアスリートはかなりおり、全貌解明にはほど遠いということだ。
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その6:フエンテス逮捕後もドイツで血液ドーピングをしていた選手がいた話
ベルリンの国営放送RBBのプレスリリースによると、フエンテスが5月23日に拘束された後も、フエンテスは国外の協力者に指示を下して血液ドーピングを続行していたとのこと。ドイツで処置していたのは、8月17日にドイツ版FBIから家宅捜索を受けた麻酔科の医師マルクス・ホイナ夫妻。
公表内容によると、フエンテスが逮捕された後の5月末から6月末にかけて、夫妻はハンブルクのホテルで自転車選手たちへの血液ドーピングを続行していたとのこと。
スペインでは、警察当局の捜査にはコードネームがつけられ、例えば児童ポルノ防止条例違反の捜査には、”オペラシオン・アサハール”(オレンジの花大作戦)という名前がつけられたこともある。