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ヴィアチェスラフ・(ビアチェスラフ)・エキモフ (Ekimov Vyacheslav Vladimirovich)のすべて

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2006年、長年自転車ロードレース界に貢献していたヴィアチェスラフ・エキモフが40歳にして引退を決意した。熱い男の素顔に迫る。

エキモフ * パーソナル・データ *
名前:EKIMOV Vyacheslav / Viacheslav / Vjatcelav / Viatcheslav / Viatcheslav ... ローマ字綴りの場合、何ケースか綴りが散見される。

生まれ:1966年2月4日
出身地:ロシアのヴィボルグ(現在はスペインのカタルーニャ地方にあるトルトサ在住)
身長・体重:176cm、72キロ

エキモフの所属チーム

1990-92年 パナソニック
1993年 Histor
1994年 ワードパーフェクト
1995年 ノヴェル
1996年 ラボバンク
1997-1998年 USポスタルサービス
1999年 アミカ・チップス
2000年− USポスタルサービス 〜 ディスカバリーチャンネル

エキモフはツールドフランス初出場の90年から2002年まで、99年以外毎年出場し、かつて一度もリタイヤがない。しかも順位も安定している。ツールを15回全て完走している。

エキモフのツールドフランス全総合成績
1990年 − 55位
1991年 − 42位(第20ステージ エクスレバン − マコンのステージで優勝)
1992年 − 65位
1993年 − 35位
1994年 − 36位
1995年 − 18位
1996年 − 21位
1997年 − 44位
1998年 − 38位
1999年 不出場
2000年 − 55位
2001年 − 82位
2002年 − 58位
2003年 − 76位
2004年 − 80位
2005年 ケガで不出場
2006年 − 84位

エキモフは、2002年に一旦 自転車選手を引退し、ロシアチームのIteraで指導にあたることになった。しかし、2002年中盤からUSP選手としてカムバックした。アマチュア時代の成績は下記。99年以前の記録はここ。

エキモフのアマチュア時代の殊勲の数々(ロード)

1987年. ツアーオブベルギー、ツアーオブノルマンディー(区間でも1勝)、
1988年. レジオツアー(区間でも1勝)、ツアーオブタチラ
1989年. フランコーベルギーツアー(区間でも1勝)、ツアーオブノルマンディー(区間でも1勝)、シルクイドラサルテ(2位)、スウェーデンツアー(2位)、ツアーオブトランプ(区間1勝)


エキモフのアマチュア時代の殊勲の数々(トラック)

1984年. ジュニア・ポイント世界選手権優勝、個人追い抜き世界選手権2位
1985年. 個人追い抜き世界選手権優勝、ロシア 個人追い抜き選手権優勝、団体追い抜き世界選手権3位
1986年. 個人追い抜き世界選手権優勝、世界アマチュア・アワーレコード、世界アマチュア20キロレコード、ロシア 個人追い抜き選手権優勝、カレッジ・個人追い抜き世界選手権優勝、グッドウィルゲームス・個人追い抜き選手権優勝、グッドウィルゲームス団体追い抜き選手権優勝
1987年.個人追い抜き世界選手権2位、世界アマチュア4キロレコード、世界アマチュア5キロレコード、団体追い抜き世界選手権優勝、ロシア 団体追い抜き選手権優勝
1988年. ソウル・オリンピック 団体追い抜き金メダル、ロシア ポイント選手権優勝
1989年. 個人追い抜き世界選手権優勝、世界アマチュア10キロレコード、団体追い抜き世界選手権2位



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左の写真から2002年グルノーブルでのITTウォーミングアップ、2000年ベルフォールのステージでのスタート直前、2002年ストラスブールスタート直前、2003年クルーズのステージでのスタート直前。

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今回拡大写真なし。
1)2002年マコンのITTを走るエキ。
2) マコンITTを走り終え、ゴールを割った直後の写真。ITTで彼はグリースでかためたオールバックで登場した。
3)2001年ツール、グルノーブルのITT。ウォーミングアップ前に入念にバイクを調整するエキモフ。
4)2001年ツール、グルノーブルのITT。彼の横にいるのはUSPで最初のITT走者であるハミルトン。選手は出走順にウォームアップをするので、アームストロング登場はこの3時間後。

1)2002年ドゥーザルプのスタート前のサイニング / 2)2002年 クルーズのスタート直前。もう戦う顔になっている。 / 3) 2002年ドゥーザルプにて。再びオールバックで登場! / 4)2001年ペルピニヤンのスタート前。

エキモフの生まれたヴィボルグは、フィンランド国境付近の街で、ロシアからフィンランドへの玄関口となっている。かつては、フィンランドの領土でもあった。サント・ペテルスブルクからも程近いが、ヘルシンキにも近い。ヴィボルグの街を知るのに面白いサイトがある。街の中心地にカメラを設置して、年中無休で街の様子を画面上に伝えているサイト。5分ごとに画面は今の街の様子を映し出す。http://www.vbg.ru/index.htmlへJUMP

彼は、2001年1月、20世紀のロシア・サイクリスト賞(ロシアン・サイクリスト・オブ・ザ・センチュリー賞)を受けている。また、サンクト・ペテルスブルクからマスター・オブ・スポーツを受賞。また、2001年のcyclingnewsのライダー・オブ・ザ・イヤーでジャジャ、アームストロング、ムセーウ、チミルに次いで5位に入った。(ツァベルは7位、チッポリーニ8位、ウルリッヒは10位。)理由は、「エキはプロ中のプロ」などなど。

*2002年エキモフ引退・復帰の謎

エキモフは、2002年引退して、すぐ数ヵ月後にUSPに復帰した。引退する時は、「一旦決めたことが重要であり、その過程は他人に話すようなことではない」、ときっぱりと言い切った。そして、引退の裏にあった意外な事情は、復帰後に初めて彼の口から明かされた。しかし、彼は再び言った。「(引退の際に黙っていたのは当然。)こういうことは絶対に第三者には口にしない、それが鉄則さ。」余計なことは言わない一徹な姿。

* <引退の謎を解く鍵> エキモフがいったん現役を引退した時のインタビュー(cyclingnewsから抜粋。-- インタビューアーはユーロスポーツロシアのクルドゥコフ氏。)

エキモフ:「(引退の理由を聞かれ)USPとの契約が今年切れ、単にそれが更新されなかったということさ。これ以上突っ込んだことを聞きたがる人結構いるが、それを語って何になる?結果以外に重要なことはないんだよ。それ以外のことというのは、選手とチームの胸のうちに秘められるべきことさ。オリンピックのあと、レースにおいて、目標を見失いかけたことも多少はある。プロで長年走り続けた経験を通し、もやはお金を稼ぐためだけに走ることはゴールじゃないんだ。」

エキモフ:「(引退してもったいないとetc.いうコメントに対し)実際、レースなしで、自分はどうやっていくんだろう、とちょっと自分でも想像がつかないんだ。確かなことは、レースなしで過ごすというのは、僕にとってたやすいことではないだろう。これからも2,3時間のトレーニングを毎日するだろう。ジムでランニングをしたりして、オフ・シーズンと同じようなメニューをこなすつもりだ。」

エキモフ:「(引退には早すぎるのでは?という声に対し)まだ僕には力も残っているし、健康だというのは事実だ。プロ人生で、シリアスな怪我もなくずっと走り続けられたというのは、本当に自分はついていると思う。僕らのスポーツでは、こういうのは珍しいことだろう。」

エキモフ:「(Iteraチームでコーチングの一翼を担うことになった経緯について)ここのチームのヘッド・コーチは僕がアマ時代初期から指導してくれたアレクサンダー・クズネチョフという人物なんだ。(過去、オリンピックチャンピオン6人、世界選手権チャンピオン37人を育て上げたことで知られる名匠。)しかも、このチームは、僕が長年所属したSt.ペテルスブルグのロコモティヴ・サイクリングチームから派生しているんだ。だから、すぐさまIteraでも居心地のよさを感じたのさ。現役と引退のはざまでジレンマに陥るなんていうことは、このIteraの話をもらうまでなかったことなんだ。」

* <エキモフ復帰。引退の理由は健康上のものだったことを明かした> エキモフが再度 現役復帰した時のインタビュー(cyclingnewsから抜粋。2002年4月2日。インタビューアーはユーロスポーツロシアのクルドゥコフ氏。)

エキモフ:「(復帰の理由について) 自分には休息が必要だった。実は、健康診断で、内臓関係にも支障をきたしていたことがわかった。でも、こんなことは絶対口にはしない。それが世の中の鉄則だろう。ITERAチームでコーチをすると決めた一方で、実は、次のシーズンには、また復帰するつもりでいた。コーチをしながら、選手として走るというオプションもありだろうと考えていたんだ。ただ、僕もボスのクズネチョフも、このコーチ+選手兼任構想 は、とりあえず公にはしない方針をとった。でも、公にしなくて正解だった。コーチ業と選手、二束のわらじはちょっと僕にはToo Muchだったね。一方で、シーズンオフにリフレッシュしたら、すぐにも走りたくてうずうずしてしまった。」

インタビューアーのクルドゥコフ氏:「貴方は 2002年3月初旬、モスクワのクリラツコイェのヴェロドロームにやってきて、トラック用のバイクに乗っていましたよね?でも、その時の速さが、6 Dayレースを走る調子のいいレーサーそのものだった。周囲はみんなで顔を見合わせて、「レクリエーションのトラック・ライドにしては、ちょいと速過ぎないかい?」て噂してたんですよ。」

エキモフ:「あの時点で既に復帰を織り込み済みだったからね。でも、どんな風にしてプロのプロトンに復帰するかはまだ不確定だった。あの時点では、失うものが大きすぎはしないか、ちょっと躊躇している部分があった。」

エキモフ:「USPでレース復帰をして、もしも、いい感触が掴めれば、もうあと2年チームで走ることにしている。USPが僕に再度チャンスをくれたことにとても感謝しているよ。」

* エキモフが2002年前半に指導にあたったチームのスポンサー、イテラ(Itera)について。

エキモフが2002年前半に指導にあたったチームのスポンサー、イテラ(Itera)について貴重な情報を頂きましたので、掲載します。「Itera社ですが、天然ガス開発を中心に、金属加工、プラスチック加工なども手がける大企業ですが、社長はオリンピックの自転車選手だったマカロフと言いまして、会社幹部に自転車競技のOBを集めているという不思議な会社です。」

会社案内を見てみると、1992年に設立されたIteraは、ガス田の開発などに積極的投資を行い、急成長を遂げた。買収・株式の買取・JV設立など企業はその後も活発な投資行為を行い、活動の拠点はロシア各地にとどまらず、国外との連携も深めている。

上記は全てサインをするエキモフ。2001年ストラスブールと2002年クルーズにて。エキモフは、レース前見かけるといつも、淡々とサインをしていた。

2000年シドニーオリンピックのITTで金メダルを取ったエキモフ。その時のインタビュー和訳(原典:AFP)

エキモフ:「今朝、トップファイブに入りたい、そう思っていた。掲示板の時計を見て、メダルが取れるかもしれない、、そう思った。でも(金メダルなんて)信じられない。」

アームストロングはこう語った。「言い訳はなしさ。僕の前2人が強く、速かったんだから。エキは最高の友人だけでなく、チャンピオンにふさわしい人物だ。自転車界では神話だよ。僕らみんなの成績を合わせても、彼のトラックとロードでの殊勲の数々にはかなわない。」

photo copyright : mas.ciclismo (2002 - ) perpetual unless otherwise mentioned.

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