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特ダネ・ニュース 2003年3月の記録..
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ニュース(最新版)


  • ツーレ、ペレスについで、グイディもコーストとの契約解消の動き / チームコーストからカセロへ警告が出た:「チームの状況をマスコミにしゃべったら一ヶ月給与停止処分にする」 ( 3.31.2003 )

    コーストが分裂状態になっている。レースリザルトにも掲載したとおり、セトゥマナ カタラナでコーストは惨敗。選手らがセトゥマナを走っている間に、ツーレとペレスがフォナック移籍を決め、強烈にチームから出たいと思っているエルナンデスは、早々にセトゥマナ カタラナをリタイヤした。セトゥマナ カタラナ最終日は、冷たい雨が降ったこともあり、選手らのモラルは最低。カセロはなんとかリーダーの意地で最後まで完走したが、結果はレースリザルトに記載の通りだ。

    そして、新たに今度はイタリアのスプリンター、ファブリツィオ グイディも現在チームとの契約解除に向けて折衝を行っているという。そんな中、3月29日、今まで沈黙を守ってきたカセロがスペインのマルカ新聞の取材に応えた。いや、正確には、選手らは今までマルカの取材にある程度は応えていたらしいが、全て「オフレコ」との約束だったため、記事として掲載ができなかったようだ。しかし木曜以来、ツーレの移籍を引き金に、才能あるライダーがチームから流出し始め、歯止めがきかなくなりつつあることに、懸念を抱いたカセロが、今回リーダーとして「スポーツの見地からのコメントのみ」を掲載することで承諾した。

    「とにかく、チームの状況については一切ノーコメントだからね。先日(コースト幹部から)ファックスが届いて、一切しゃべることは禁止する、もしもしゃべったら給与一か月分停止処分にする、という命令を受けたんだから。」カセロはこう前置きをした。だから、自分自身の身の振り方についてどう考えているかについては、全く本音をしゃべることはできなかったようだが、少なくとも、チームが現在 危機的状況であることだけは認めた。

    「現在、全員が喧喧諤諤している状態だ。不満があるから、みんな機会さえあれば、、、と出口を模索している。本質的に、チームは末期的状況なのは認めるよ。でも、なんとか僕としては、問題解決を望んでいる。やる気がなければ、この仕事はできないし、困難を乗り越える気合がなければ、どこに行っても通用はしない。」

    ツール出場については、「誰がツール出場メンバーになるのかは不明だが、ツールに行くからには やる気がなければだめだ。肉体面、精神的にも100%のコンディションでなければ、ツールに行っても何もできないだろう。」そう語り、7月までにはなんとかチームも落ち着いて、ツールに集中できる環境を作りたいというニュアンスで語った。

    チームにとって、ツーレが去ったのは成績面でも打撃だった。リーダーとしての自覚を ますます感じつつ、カセロはレースを続行し、次のヴエルタアアラゴンには出場する。平常心で走れる環境ではないのだが、「とにかく状況改善を待つ、それしかない。」


  • ツーレ、超スピードで、さっそくフォナックでデビュー戦 ( 3.30.2003 )

    木曜日にフォナックとサインしたばかりのツーレが、今週末、土日のクリテリウムインターナショナルに出場するという。これは、28日金曜日にチームが発表したところによる。UCIはツーレが新しいチームメンバーとしてスタートできるように、既に取り計い済みだそうだ。この即効の対応の背景には、マネージャーのロミンゲルらの事前の用意周到な手続きがあったからかもしれない。1月にコーストと契約したものの、UCIのライセンス未取得でやや出遅れているウルリッヒに比べると、ツーレの迅速さにはびっくりする。

    フォナックの幹部によると、ツーレはパリ ニース出場を禁じられたため(コーストの例の問題で)、この1ヶ月レースから遠ざかっている。それでも、トレーニングをきっちりこなし続けてきたので、問題なかろう、とチームも信頼している。チームのツールドフランス出場をかけて、きっと頑張ってくれるだろう。フォナックからは、JCドミンゲス、Mマルティネスらがクリテリウムインターナショナルに出場する。

    レースの方は、土曜日に187.5キロをシャルルヴィルからメズィエールまで走る。どちらかというとフラットのコースなので、ボーナスタイムなどが勝敗を決めるだろう。日曜午前のの第2ステージ(a)は中程度以上のクライマー向きの仕様で、午後の(b)は8.3キロのITTだ。つまり、スプリンター、クライマー、TTライダー全てにチャンスがある。昨年の例でいうと、最後のITTで勝負が決まった。(エウスカルテルのAマルティネスが1秒以下の差でアームストロングを打倒して、総合優勝した。)タイム差のつきやすいITTが、今年もレースの行方の鍵になるだろう。

    それから、ライセンスが無事に取得できればウルリッヒのデビュー戦となるサルテのレースだが、スタートリストには、ウルリッヒ、アームストロングらの名前がある。ウルリッヒと共にコーストから出場するのは1人スイス人を除いて全員ドイツ人。やはり、ウルリッヒのアシストにはドイツ人選手、というセオリーか。


  • ムセーウは大丈夫 ( 3.29.2003 )

    先日落車と怪我のニュースが伝えられたムセーウだが 水曜日のGPE3には出場予定だという。よかった。

  • ツール100周年、ジャジャもサポート ( 3.29.2003 )

    ツールドフランス2003は百周年記念として、世界中で心臓病に苦しんでいる子供達を救う協会のサポートをすることを明らかにした。心臓(ハート)は生命、努力、楽しみを享受しあうことのシンボル。そしてそれは、ツールドフランスが100年間大事にしてきたコンセプトでもある、ということで、この企画が生まれた。そして、ツールがこうした奉仕活動に関わるのに際し、フランスNo.1の人気者、引退したLジャラベールも一役買うことになった。具体的に彼がこの活動にどういう形で関わるのかは公開されていないが、彼自身、去年生まれた末っ子を含めて4人の子供のパパ。適任者だろう。

    ジャラベールといえば、先日パリニースでもレポーター役を務めており、レース中とは違った彼の新たな魅力が発見できました。(98年ヴエルタで初めてジャジャを目の前で見たのですが、ものすごくナーバスで、今のアームストロングみたいでした。最後までチームカーの中にいて、ファンとの接触を避けていて、初日スタート前から眉間u・がずっと寄っていて。さすがにボディーガードはいなかったけれど。)

    パリ ニースで彼がレポーターとして見せたあの柔和な表情に、それまでのレースの厳しさが窺えるといった感想を持った人の声も聞きました。(元テニスプレーヤーの伊達公子も 引退後、表情が変わりましたよね。)ジャジャは引退後も、新しい活動の場を得て、ますます活躍してくれそうです。

    さて、ツールドフランス主催で、今年もサイクルファンのためのランドネが行われます。これは、ツール最終日に、パリの街を選手たちが走る前に、サイクルファンのためにコースが開放されるという催しです。1万人以上のバイク ファンが終結する予定で、日本からもバイク持参で参加する人がいることでしょう。関連ページは下記。右にあるユニオンジャックをクリックすると、英語版でも見られるはず。
    http://www.letour.fr/2003/presentationfr/rando.html


  • ツーレは昨日フォナックとの契約を完了 / ルイスペレスもコーストを去ってしまった。/ ウルリッヒのライセンス未取得問題は ( 3.28.2003 )

    昨日報道したツーレとフォナックの契約が本決まりになった。ドイツの各紙が伝えたところによると、コーストと2003年度の契約延長をしたツーレが、チームとの契約を打ち切り、今年いっぱいフォナックで走ることになった。2004年については延長の可能性もあり、という裕度を含めた契約だ。交渉のテーブルでは、双方の意見を忌憚なく話し合い、チームコーストからのリリースが、ほぼ決定した。「ほぼ」、というのは フォナックとツーレとの契約合意とは別に、コースト側の判断(今回の件で彼の処遇をどうするかといった細部を含め)については、3月31日に記者会見で最終決定される方針だ。

    一方で、これとは別の動きとして、新たに 昨夜 突然 飛び込んできたニュースとしてコーストのルイス ペレスも、「自分の意思で」チームを去ったという。現在、プラサ、エルナンデスも引退、移籍の可能性を含めてチームとヒアリングを行う予定で、今後、ツーレの脱退の影響が懸念される。ツーレの方は、チームからは去ったものの、昨年度給与がまだ全額支払われておらず(所得税の二重課税による問題が未解決)、今も不満は残っている。

    一方で、コーストの幹部である元フェスティナの選手マルセル ビュストは以下のように語った。
    「ツーレのおかげでチームはワールドランキングでも浮上できた、それだけに残念だ。しかし、これでチーム力が衰えるわけではない。彼のフォナックでの活躍を祈るよ。」
    ツーレは、オンセ、バネスト、フェスティナ、コーストと、スペイン、フランス、ドイツのチームを渡り歩いた後、初めてこれでスイスのチームで走ることとなった。

    一方で、気になるウルリッヒのUCIライセンスだが、コーストによると、4月1日を目処に(エイプリールフールにならないよう幹部は祈っている)取得できるよう目指すとして、4月8日開幕のサルテのレースへの出場には支障ない、としている。これは最近チームによって明らかにされたことなのだが、ウルリッヒがスイスに移住したことに伴い、彼のUCIライセンス許可がまだ下りていないのだ。これがなければ、レース出場は果たせない。スイスでは、手続きが煩雑で書類許可が遅延している模様。手続きが完結すれば、ライセンスは直ちに発行されるので、周囲は楽観視している模様。


  • サヴォルデッリがジロ2003に出場しない!? ( 3.28.2003 )

    ロイターが伝えたところによると、5月10日スタートのジロディタリアにサヴォルデッリが出場するのは相当難しい、とのことだ。原因はもちろん、2月のトレーニング中の怪我による。重傷とは聞いていたが、治療が予想以上に長引いており、5月10日までに完治するかどうか、きわどいらしい。

    サヴォルデッリの怪我は、トレーニング中の落車による脊椎2箇所の骨折だ。集中治療を行ったが、未だに首の痛みが取れない。サヴォルデッリは現在毎日自転車には乗っているものの、それはトレーニングと呼べるものではない。あと数週間しないと、彼が、いつ頃復帰できるのか はっきりした目処がたたないので、最終結論は、その時になるようだが、チームのスポークスマンによると、サヴォルデッリのジロ出場見込みは、結構厳しいという。


  • Radsports.comの緊急ニュース:ツーレがコーストとの契約解消の交渉に乗り出した。 ( 3.27.2003 )

    ツーレのマネージャーとなっているトニーロミンゲルがRadsports.comの取材に答えたところによると、コーストの選手、アレックス ツーレが、コーストから脱退すべく、契約を解消する交渉に入ったという。先日のパリ ニースでは、せっかく闘志を燃やしていたのにUCIからチームは出場停止を食らった。チームコーストの過去のいざこざを考えると、こういった問題はこれで終わりとは思えない。こうした今までの不満を理由にアレックスは、チームを去りたがっている、とロミンゲルが明かした。

    チームの反応は、アレックスの今回の行動にはがっかりした。今までめんどうを見てきた恩義を、仇で返された、と語った。チーム幹部はチームコーストをなんとかDiv1にするべく人員補強をして頑張り、ツーレに対しては特に目をかけてきた、というのである。しかし、チームを去りたがっているのはツーレだけではない。現在他の選手にも、その可能性を模索している者もおり、ツーレの契約解消が成立するかどうか、推移に注目している。

    ロミンゲルは、もしもコーストとの契約解消が成立すれば、フォナック入りするのが目標である、とも明かした。フォナックは今の時点では ツールドフランスの参加権を得ていないが、ピッコリ、マルチネスを抱え、更にツーレが加入すれば、出場切符も夢でなくなるかもしれない。そして、誕生日に行われるプロローグでマイヨージョーヌを着る夢も再浮上する。


  • パンターニが戻ってきた :イラク戦争は大反対、でもアームストロングへの戦争は仕掛けるよ。 ( 3.27.2003 )

    マルコ パンターニが10ヶ月ぶりに戻ってきた。最後に彼がレースに身をおいたのは2002年5月29日。ジロの第16ステージ、ヘップナーからマリアローザを奪ったカデルエヴァンスが表彰台に立ったあの日、気管支炎とそれにともなう抗生物質で体力が弱り、パンターニは途中でバイクを降りた。

    振り返ればモンテカティーニの保養地にあるフランチア キリナーレホテルの401号室で、インシュリン入りの注射器が発見されてから、彼のレース人生は波乱に満ちていた。イタリアの自転車連盟が、昨年6月17日に 彼に対し8ヶ月の出場停止を求めるも、約1ヵ月後の7月13日になって、その判定が取り下げられた。注射器がパンターニのものであるという証拠がないという理由だった。

    その後、UCIが再審議を求めたことから事態は長期化し、結局今月13日になって、やっと事態収拾となり、昨日スタートしたコッピ バルタリのレースに、彼が出場する運びとなったのだ。初日は、プロトンの中に身を置き、調子は良さそうだったという。初日は2シリーズレースを行い74キロのコースをランプレのスヴォラダが制し、その後の8.2キロのチームTTでランプレがトップタイムを叩き、スヴォラダが万全のリーダーとなった。パンターニの写真は下記でたっぷり見れる。
    http://www.cyclingnews.com/road/?id=2003/mar03/coppibartali03/coppibartali031a

    また、このほどインタビューで、パンターニはこんなことを語った。
    「戦争には反対だ。猛反対だ。イタリア市民のほとんどが同じ気持ちだと思う。アームストロングに対する戦争なら、進んで参戦するけどね。もちろん、自転車の上でのことだけど。」


  • アームストロングがTVカメラの前で語った癌の化学療法の辛さ ( 3.26.2003 )

    現在行われているセトゥマナカタラナに出場しているアームストロングは、カタルーニャのTVスタジオで行われたインタビュー番組に出演した。チャンネルTV3のアントニ バサス氏とのやり取りの中で、改めてアームストロングの力強さは、病気との壮絶な戦いに裏打ちされているのだということを感じさせられた。

    「大半の人は、僕と同じような病に直面した時、生き延びたい、、と本能的に願うのじゃないかと思う。生きるか死ぬか、2つしかない選択で、僕は1年でも多く生き延びてやる、そう思っていた。化学療法の1シリーズ目は結構簡単に思われた。2回目に入って、きつくなり、3回目はひどく辛かった。4回目に入ったときは、化学療法で僕は殺されてしまうのではないか、そこまで思った。化学療法は獣のように激しい。惨めで突き刺さる苦痛、余力はゼロになり、吐き続け、むかむかし続ける。ベッドから起き上がる気力はゼロになる。」

    「精神的に、癌は僕を助けたよ。レース再開を果たして、明らかにメンタリティーが変わったのがわかった。とにかく自分を鍛え続けて、苦しみたいという気持ちで満たされた。」「自転車レースから引退した後のことは考えられない。病気の前は、先のことをいろいろ考えたものだった。でも、病気に犯されてから、もしも病を克服したら、今後は 今という時に集中しよう、そう決意したんだ。今僕にとって 確かなことはひとつだけ。明日も、もう一度バイクに乗るんだ、ということだけさ。」

    このように病気のことを語った後、現実的な彼の素顔がのぞいた。「僕は宗教心もなければ、祈ることもしない。病気の時でさえ、祈らなかったし、ツールで6連勝できますように、なんて祈る気もしない。ツールで勝つためには、祈るのではなく、鍛錬し続けるだけさ。」「僕は自転車競技を心から愛していて、負けるのが怖い。勝つことは生きることで、負けることは死を意味するんだ。」

    そして、ツール5連覇を果たしたインドゥラインについては、以下のように語った。
    「ミゲル(インドゥライン)は特別製だったよ。物静かで、義務感に満ちていた。彼が周囲に威圧感を与えたのは、何よりも彼のあの控えめな態度だった。そして、周囲をへとへとにさせながら、彼は勝ち続けたのさ。タイムトライアルで僕らを苦しめ、その後、山岳で優位を保持し続けた。」

    一方で、現在のイラク攻撃やブッシュ大統領への意見に質問が及ぶと、回避的なコメントに終始した。「彼(大統領)は、個人的に大好きな人だ。」戦争については、「わかってほしい。フランスにいる時は 僕は戦争に否定的でも肯定的でもない。僕はアスリートとしての立場を貫くだけだ。」アメリカでは、戦争反対のコメントも聞かれたが、ひとたびヨーロッパにわたったら、自転車マンとして、周囲の喧騒に巻き込まれたくない、そんな気持ちが窺われる。

    インタビューの内容は、TV番組だけあって、雑誌のインタビューに比べて、より彼の個性が全面に出ていた感じがした。病気に対するコメント部分は、アームストロングの自叙伝の内容ともだぶっていたが、インタビューとして彼の口から聞くと、本で読むよりも力強く心に響くものだ。(ちなみに、スペイン語では彼の自叙伝は「生への帰還」といったタイトルで訳されたようだ。もちろん原題は「It's not about the bike」)私はどちらかというと とても強い選手は通常応援しないのだが、(私なんかが応援しなくても頑張るに違いないからという理由で、、)今回のインタビューでは 彼のタフガイぶりが随所にうかがわれて、アームストロングはとても格好いい、そう思った。


  • イゴール ゴンザレスデガルデアノ(ONC)が、暫く フランスのレース出場 締め出しの可能性 ( 3.25.2003 )

    フランスの領土を走るレースに関してのみ効力を持つドーピング防止と撲滅組織、CPLDが、イゴール ガルデアノのフランスで開催されるレース出場を3ヶ月間停止することを検討中。これが決定すれば、彼は100周年記念のツールドフランスには出場できなくなる。しかし、やや大げさに騒いでいるのはスペイン関連のマスコミで、フランスのレキップ紙の報道では、出場停止処分は半月程度で済むかもしれないとのこと。いずれにしても、現在審議中で、結論は近日中に出るそうだ。

    ことの発端は2002年のミディリーブル最終ステージ。イゴールの血液中のサルブタモルが規定値の1000ナノグラムを超えたということ。その後のツールドフランスでも、1369ナノグラム検出されており、検出値が余りに高かったために、CPLDで問題となっている。しかし、これは治療目的に使用された薬品から検出される可能性もあるため、UCIの規定では、これはドーピングとは見なされず、UCI規定による出場停止処分には該当しなかった。今回、フランス国内のレースにのみ影響力を持つCPLDで 改めて 検出結果が討議の対象となった模様。


  • お待たせしました!ついにウルリッヒのレース出場停止処分期間が終了!デビュー戦は、山岳が少ないレースということでサルテに仮決定。 ( 3.25.2003 )

    昨日やっとウルリッヒのレース出場停止処分(期間は6ヶ月間だった)が終了した。膝の故障、手術、レース出場停止が立て続けに発生したため、ウルリッヒの休止期間は、なんと1年以上にも及んだ。本人のHPから、元気な肉声をお届けするとともに、彼がドイツのTV局に語った内容と、今までの経緯を紹介します。

    ウルリッヒ公式HPより>>
    「ハロー、ファンのみんな、
    コーストがレースで走ることを再び許可されて、僕は嬉しいよ。長かった休止期間は、とりわけ選手たちにとっては耐えがたいものだった。でも、チームメートらは、少なくとも土曜日の最重要の春のクラシックミラノサンレモには出場できるんだ。チームメートの幸運を祈るよ(この記事はミラノサンレモの前に投稿されている。)君たちは、僕の今の様子を知りたいって?手短に、簡潔に言おうか。とってもいいよ!

    トスカーナでの2度目のトレーニングキャンプを終えて、自宅に戻るところだ。僕は、月曜日(24日)には、再びレースの場に身を置くことを許されるんだ。全てうまく行けば、4月8日から11日のフランスのサルテツアーを僕のシーズンデビュー戦にするつもりさ。みんなが想像するとおり、僕はデビューレースが待ちきれない気持ちでいっぱいだよ。」

    ドイツのTVインタビューから>>
    「まず、とにかく最初の目標は控えめに持ちたい。もちろん、初めてのレースをとても心待ちにはしているけれど。当面サルテのレースを今年のデビュー戦に据えているのは、あのレース自体が余り難しくないこと。山岳らしい山岳は出てこないのでね。僕の調子はレース本番が始まってから、どんなものかわかるだろう。」

    「僕の目標はツールドフランス。アームストロングと対等になんとか渡り合えるだろう。でも、調子がトップコンディションになるのは、カナダの世界選手権になるだろう。」

    昨年のウルリッヒ問題を振り返る>>
    ウルリッヒは、昨年1月に膝を故障し、2度の手術を受けた。その後、車を運転中に器物破損をした上に、現場から逃げ去ったことで、「王者らしからぬ態度」、と非難されたこともあった。さらに、6月にはドーピング検査で彼は陽性になった。レースから遠ざかっていた日々、ディスコに通い、フラストレーションからアンフェタミンの錠剤を渡されて摂取したと本人が認めた。

    6ヶ月の出場停止を言い渡され、3月23日までレースには出られないことが決定した。一方で、ウルリッヒは膝の様子を見ながら昨年11月にトレーニングを再開した。長年走ってきたテレコムと決別して、新しい環境に身を置きたいとしたウルリッヒは、リース監督のもとCSCで走ることをめざしたが、サブスポンサーが見つからず断念。結局コースト入りを決定。コーストの財政状況はいわくつきで、昨年選手に対する給与問題でもめ、つい最近も、1月、2月分の選手への給与未払い問題のために、UCIにより一時的にコーストはレースから締め出された。

    コースト問題は、今はなんとかもとのサヤに収まり、現在ウルリッヒは日に4から6時間のトレーニングをしている。サルテのレースに出場するのをわくわくと待っているウルリッヒの声がHPから聞こえてきたけど、彼だけでなく、ファンのみんなも、きっとわくわくしていることだろう。予定通りにサルテのレースに出場してもらいたい。


  • ミラノ サンレモ収支表 ( 3.24.2003 )

    22日にワールドカップの先陣を切って行われたミラノ サンレモの開催初年度は、1907年に遡る。意外にも、1907年の第1回大会の優勝者はフランス人だった。彼の名前はルシアン マゾン、通称ルシアン プティ ブルトン=小柄なブルターニュ人だ。このレースの特色は、なんといっても300キロ近い長い距離だろう。(今年は294キロ)。今年ベッティーニが勝利を収め、これでミラノ サンレモにおけるイタリア選手の勝利数がまたひとつ増えた。以下、国別の過去の優勝回数リストです。

    イタリア:47勝(2003年を含む。過去20年間での優勝回数はこれで9回。)
    ベルギー:20勝(しかし、うち7回がエディ メルクスによるもので、過去20年間での優勝回数は1回だけ。メルクスは大会の最多優勝記録保持者で、1966, 67, 69, 71, 72, 75, 76に優勝している。)
    フランス:12勝(過去20年間での優勝回数は3回。複数回優勝しているのはフランスでは、フィニヨンのみで、彼は2度優勝している。)

    ドイツ:5勝(うち4回がツァベルの優勝による!)
    オランダ:3勝(最後に優勝したのは1985年。)
    スペイン:2勝(最後に優勝したのは なんと1959年。スペインでは、フレイレやアスタルロアなどのクラシックライダーが登場したのは久しぶりなのだ。それだけに、今回スペイン国民の期待が増したのも無理は無い)
    アイルランド:2勝(全てシーン ケリーによる。)
    スイスと英国が1勝ずつ。

    上記を見てもわかるとおり、ミラノ サンレモはヨーロッパの選手しか勝ったことがない。しかも、西欧の選手のみということで、東欧の優勝者輩出はゼロなのだ。


  • ミラノ サンレモ(294キロ)はベッティーニが積年の思いを晴らす ( 3.23.2003 )

    今までMSRで自分の走りができずに終わっていたベッティーニが長年のフラストレーションを払拭した。22日に行われたミラノ サンレモ(MSR)は、ラルカンシェルのベッティーニが優勝。チッポリーニの36歳のバースデー ウィンを阻止した。(MSRの日はチッポリーニの誕生日だった。)

    勝負所はやはり、予想通りチプレッサとポッジョの上りだった。スタートして272キロの地点で登場するチプレッサで最初にアクセルをかけたのはチェレスティーノ(SAE)だった。それを追撃するベッティーニ。更にフレイレ、レベッリン、ヴィノクロフ。しかし、ラスト10キロ地点で 彼らは後続に捕まった。吸収された時点で、ベッティーニは、今年も優勝は無理かと気落ちする。

    しかし、そこでベッティーニを励ましたのが、アシストのパオリーニだった。「他の選手はみんな疲れている。もう一度アタックをかければうまく行く。」そう言ったパオリーニは、ベッティーニを集団前方に戻し、そこから一気にポッジョの頂上めざして2人がアクセルをかけた。それにチェレスティーノが加わり、先行していたディルーカを捕らえた。ディルーカは足を使いきっており後退していく。しかし、トップの3人(ベッティーニ、パオリーニ、チェレスティーノ)も、後続集団との差が徐々に縮まっていった。

    危うくベッティーニは、再度 後続に捕まるかと思われたが、アシストのパオリーニが必死に持ちこたえ、引っ張った。ベッティーニも「パオリーニは最後の数キロ、目を見張る活躍をしてくれた。」と賞賛した。最後はベッティーニとチェレスティーノの一騎打ちのスプリントになり、ベッティーニが、ゴールとなったヴィアローマの道をトップで駆け抜けた。

    「今までMSRでは、自分は他の選手のために走ることが多かった。丁度、今日パオリーニが僕のために走ってくれたようにね。でも、やっと自分自身が輝くことができた。アシストとして精一杯やってくれたパオリーニも、きっと今日の僕のように、いつか大きなレースで優勝することができる、そう確信している。」とベッティーニは語った。

    レースはイタリア勢が上位を独占し、2位以下はチェレスティーノ、パオリーニと続き、4位はチッポリーニ、5位ピエーリ(SAE)、6位 ツァベル、7位 フレイレ、8位 スヴォラダ、9位イワノフ(FAS)、10位 トレンティ(FAS)となった。次回ワールドカップは、4月6日のツール デ フランドルとなる。

    またレース中、ドミナヴァカンツェのデルグランク(Derganc)が落車で頭を打って一時意識不明となりすぐさま救急医療が施され、病院に搬送された。パリニースでの出来事があった後だけに、周囲はひやりとしたが、今は容態は落ち着いているという。


  • 反戦の騎士 フレイレ:「平和を唱えるためにMSRで勝ちたい」「チッポリーニの体調不良は。。」(MSR直前インタビュー) ( 3.22.2003 )

    ティレノ アドリアティコで区間優勝した際、オスカル フレイレは平和を唱えたプラカードを携えて壇上に上った。これについて、フレイレは次のように語った。「壇上に登る時、誰かがあれを手渡してくれたんだ。でも僕もイラク攻撃には反対だから、喜んでそれを受け取った。スペインでは100人中99人が戦争に反対なのさ。たったひとり、アスナール首相だけが賛成してるだけだ。国中で誰も指示しないのに、大多数の意見を無視して戦争に加担する態度は信じられない。」そして、彼はイタリアの家々のバルコニーに掲げられたPace(Peace平和)の旗をバックに、取材写真用のポーズをとった。

    とはいえ、スペインでスポーツ選手が声高々に反戦を唱える動きはまだ少ない。「本当は、一番影響力のあるサッカーの選手らが、反戦を大々的に提唱していくべきなのに、残念だ。でも、彼らが反旗を翻さないのなら、僕はひとりでも、反戦を言い続けるよ。ミラノ サンレモ(MSR)でも、平和のためのプラカードを掲げたいね。でもまあ、それには優勝して、表彰台に立たなくてはいけないけど。」

    チッポリーニは胃腸の調子を崩して、ぎりぎりまでMSR出場が危ぶまれていた。このたび、直前で出場意思を確認したが、この点についてフレイレは、次のように語った。
    「うーん、昨年チッポリーニは引退声明した直後に世界選手権で優勝したし、病気という噂も油断させるためと言えなくはないんじゃないかな。もっとも、彼が病気だったというなら、病気だったのだろう。でも、だからといって、彼が優勝戦線から離脱したというわけではないよ。」

    「スペインの歴史で、初めてワールドカップで勝てそうな選手が出てきた。君とアスタルロアだ。どう思う?」という質問に対して、フレイレはこう答えた。「スペイン人が、クラシックでも力を発揮し始めたという点で嬉しい。ただ、そのために、僕らのようなクラシック向きの選手が、スペインチームでなく、国外のチームで走らざるを得ないのは残念だ。スペインチームでは、TV中継されるアンダルシアやムルシアツアーの1ステージで勝つことのほうが大事なんだよ。必然的に、クラシック選手らは、国外チームで走らざるを得ない。」現にフレイレはラボバンク、アスタルロアはサエコで走っている。

    さてさて、MSRは本日行われる。過去優勝者は2002年チッポリーニ、2001、2000年はツァベル、98年はチミル、97年はツァベル、96年コロンボ、95年ジャジャ、94年フルラン、93年フォンドリエスト、92年シーン ケリー、91年 キアプッチ、90年ブーニョ、89、88年フィニヨンとなっている。2003年、この偉大な優勝リストに名前を追加するのは一体誰だろう?


  • ウルリッヒは4月にデビュー ( 3.22.2003 )

    コーストの出場停止が解けたニュースは、その後 他のcyclingnewsなどでも確認された。そして、ウルリッヒのデビュー戦は3月末のカタルーニャには間に合わなかったものの、今のところ4月8-11日のフランスで行われるツール ド ラ サルトになった模様だ。マネージャーのペフェナフェ氏によると、ヤンの膝の問題は解消され、レースには、もはや問題はないとのこと。

    もっとも、ウルリッヒやツーレの移籍の噂は、まだくすぶったままだ。ウルリッヒはクイックステップ、フォナックなどへ移籍するのではないかという観測もあるが、フォナックはツールへの切符をまだ手にしていないので、個人的には可能性は薄いとみているのだがどうだろう。

    また、チーム幹部のマルセル ヴュストは、今回のUCIの出場停止命令でチームのイメージは著しく傷つけられ、イメージの修復は難しいと見ており、現在弁護士を通じて、UCIへの何らかの損害賠償請求の可能性を検討中だ。しかし、UCIは、これからもコーストがDiv1にふさわしいかどうかは常に監視体制を続ける見込みだ。


  • ミラノサンレモは3月22日:フレイレいわく、「ツァベルはやっぱり資質あるスプリンター」、ディルーカは「戦争を気にしつつも。。」、スペインはクラシックでは子供、大人になれるか ( 3.21.2003 )

    英語で、That's Greek to me.という言い回しがある。「これは僕にとってギリシャ語だ」、つまり、「(ギリシャ語のように)ちんぷんかんぷんだ」、という意味。スペイン語でも、似たような表現があるのだが、ギリシャ語の代わりに中国語という言い方を使う。だから、Eso es chino (中国語)para mi. と言ったら、「それはちんぷんかんぷんだ」、という意味になる。何故こんなことを言い始めたかというと、先日スペインの新聞で、Las clasicas suenan a chino.(=The classics sounds like Chinese.)という表現を見つけたからだ。つまり、「自転車のクラシックレースは、スペイン人にとっては、(中国語みたいに)わけわからないレースという感じがする」という内容だ。

    そう、ステージレースにしか興味がないスペインにとっては、クラシックレースという響きは中国語同様 ぴんとこないレースなのだ。更に記事はだじゃれで、「クラシックは中国語に近い、いや、というより、ベルギー、イタリア、オランダというイメージかな。」といって、クラシックはベルギー、イタリア、オランダのもの、と完全に敗北を認めている。でも、記事はここで終わらない。今まではそうだった、でもこれからは違うんだぜ、そういう内容のだ。

    サエコのアスタルロアがワールドカップシリーズで総合4位になり、フレイレが2度のラルカンシェルに輝いた。「スペインはステージレースだけ」、そういうイメージを払拭する時がきた、というのだ。とはいっても、今のところワールドカップ総合成績や世界選手権はともかく、スペインは個々のワールドカップシリーズのレースでは、実はまだ結果を残していないのだ。アスタルロアもハンブルグとサンセバスチャンで2位、フレイレも2001年のパリツールで2位、2000年のミラノ サンレモ(以下MSRと称する)で3位だけ。クラシックの実績という意味では、まだまだベルギー、イタリアなどには及ばない。

    今年のフレイレについて言えば、現在出場したレース日数は18日と、例年よりも多い(マヨルカ4日、アンダルシア5日、ベルギーとティレノで2日ずつ。例年だと腰の持病で年間レース日数はかなり少ないのが普通だった)。18日のうち3回優勝しており立派な成績だと思われるが、本人はパンク、落車など不運が重なって、自分の好調ぶりにしては勝ち数が少ないと不満げだ。今度のMSRあたりで 真価を発揮できれば本物だろう。

    一方で気になるのがツァベル。未だに今季 勝ち星がないツァベルだが、フレイレいわく、ツァベルの力はまだまだ落ちていないと分析する。
    ツァベルについて、今までのような圧倒的なスプリント力に翳りがでたと思う?
    ― いや、そんなことはない。チッポリーニのような一丸となるトレインがチームで形成されていないだけで、ティレノでも、いい調子だった。何よりも、彼は常にコンスタントで、それが強みだよね。

    ところで、MSRに燃えるイタリア選手のディルーカは、アドリアティコでポイントの点数で大逆転負けしてしまったが、トラウマはない。単にがっかりしているのは事実だけれど。ボーナスポイントであんな大事なレースの勝敗が決まってしまうというのはレースの構造に疑問がある、としつつも、好調ぶりが確認できたのは収穫だと思っている。イラク攻撃について聞かれたディルーカは、「朝食中にTVをつけて、いきなり現実に引き戻された。無力感を感じざるを得ないが、僕は自分がやるべきことをやっていくしかない。MSRでは勝ちに行く。」と語った。


  • フレイレはやっぱり好調だった:世界チャンピオンのチッポリーニを打倒 & コースト最新情報 ( 3.20.2003 )

    ティレノアドリアティコの第6ステージで、好調なのに落車で泣いたフレイレの話をしたら、翌日さっそく好調さをデモンストレーションしてくれた。最終日の第7ステージ、チッポリーニが区間優勝を確信して勝利宣言をしたその瞬間、ラスト1mでフレイレがチッポリーニを抜き去った。2度ラルカンシェルジャージを着たことがあるフレイレだが、昨年の世界選手権ではメカトラに泣いた。今回の優勝は、フレイレが、今年のラルカンシェル(チッポリーニ)を意地で抑えた一戦だった。

    一方で総合優勝の方だが、FASのポザットが僅差でディルーカを抑えて総合優勝に輝いた。前日までディルーイカについで1秒差の2位になっていたポザットだが、この日19位で終わり、ディルーカは36位。2人の間にタイム差はなかったものの、ポザットがスプリントポイントを獲得したため、順位が逆転したのだった。21歳のポザット、今年の活躍には目を見張るものがあり、今後が楽しみだ。

    ところで、UCIのコーストに対する制裁だが、今回の書類審査はなんとかクリアした模様だ。よってチームは再びレースに復帰できる見込みになったとスペインの新聞が伝えた。しかし、今後もUCIはコーストの毎月の給与振込みには目を光らせ、再びなんらかの不備が生じれば同様の制裁も辞さないとしている。但し、選手に対する1、2月の給与が払われたという確認はないため、このUCIが制裁を解除したという情報は、まだ続報を待つ必要があると思われれる。


  • フレイレは再び落車 ( 3.20.2003 )

    ティレノアドリアティコの第6ステージでフレイレがゴール手前600m地点で再び落車した。世界選手権からゴール手前ゴールスプリントの最中での落車が続いている。でも本人は至って前向き。調子はとてもいいらしく、ただツキがないだけ、と言い、この土曜日のミラノサンレモで頑張るぞ、と意欲を燃やしている。今度こそ、好調さをツキに替えてほしいものだ。

    落車が起こったのはパオリーニの後ろを走っていたときのこと。パオリーニがディルーカを追撃中、軽い車輪同士の接触があり、パオリーニが地に足を着いた。後続のフレイレが落車し、その後ろからきたベッティーニも急停車したが、彼は足をついただけで済んだ。落車したのはフレイレだけだった。しかし、一番のダメージは転倒しなかったベッティーニだろう。結果として総合首位から転落してしまった。そして、パオリーニとほんの少し接触しつつもそのまま駆け抜けたディルーカが区間優勝し、総合首位に立ったのだ。


  • お久しぶりですインドゥライン ( 3.19.2003 )

    インドゥラインが今年11月に行われるセビリヤのスポーツ シネマフェスティバルに招待されることが決まり、公の場に姿を現した。以下その時のインタビューから。

    ― ヴエルタで一度も勝てなかったことが、心残りではありませんか?
    「心残りという風に意識したことはないけど、理由はよくわからないんだけど、何故かヴエルタは相性が悪かったね。ヴエルタだけでなく、実は僕は世界チャンピオンは実現できずに終わっているんだ。」


  • 最新UCIランキング ( 3.19.2003 )

    1位:Eツァベル 2252 pts、2位:Lアームストロング 2110、3位:Pベッティーニ 2061、4位:Dフリーゴ 1768、5位:Dレベッリン1729、6位:Mチッポリーニ1698、7位:Aゴンザレス 1616、8位:Rマキュアン 1545、9位:Rエラス1455、10位 Fカサグランデ 1447

    ツァベルはいまだに首位をキープしているが、貯金がどんどん目減りしているので、そろそろ優勝がほしいところだ。先日パリニースで表彰台にのぼったサラベイティアが19位というのが目を引いた。


  • ロードレーサー「チームR」の映画 ( 3.18.2003 )

    3月15日の日経新聞朝刊(「シネマと経済」)から。

    「高校生が家族を守るために殺人を犯し、追い詰められていく姿を描く「青の炎」。主人公はロード競技用自転車を通学に使っている。フレームには「koga」の文字。自転車の老舗、宮田工業とオランダのコガが販売提携したブランド「コガ ミヤタ」のロードレーサー「チームR」の特別仕様車だ。

    コガミヤタは、今はコガ製だが、以前は宮田工業が製造しており、日本車で初めてツールドフランスに出場したことでも知られる。ロードレーサーは空気抵抗が少なく軽量なので加速しやすく、最近は自転車使用の需要が高まっている。

    社団法人自転車協会によると、2002年の自転車の生産と輸入の合計は10,402,000台。このうち輸入が初めて7割を超え、日本製は前年比26.5%減の3,076,000台に落ち込んだ。台数が多い買い物用自転車は一万円前後の安価な中国製が主流。高額な競技用自転車は海外ブランド勢が強く、日本製は苦戦を強いられている。

    明るい材料は健康志向で自転車通勤者が増えていること。自転車で通うのは高校生という印象が強いが、潜在的な市場は広いのかもしれない。」


  • ティレノ アドリアティコ 第4ステージキャンセル ( 3.17.2003 )

    ティレノ アドリアティコは第1、第3ステージでチッポリーニ、第2ステージでFASのポザットが優勝し、現在総合首位はベッティーニとなっている。しかし、日曜日の第4ステージは、強風と雪、路面凍結でキャンセルとなった。チームカーが雪の中を走る写真も届いている。以下詳細。

    日曜日の第4ステージは、フォリーニョから山岳ゴールのオルテッツァーノまでの154キロの予定でいたが、天候不良のためステージはキャンセルとなった。寒さに加え、強風と地域によっては雪に覆われ、また路面も一部凍結している。主催者は、早朝に、コース変更を決め、50キロ程度に縮小してレースを続行することにしたが、朝にかけて天候は悪化し、この1日、レース断念せざるを得なくなった。山岳ステージだっただけに、意気込んでいたクライマーにとっては残念な結果となったが、月曜のレースは予定通り行われることになっている。


  • ジャジャ登場 とパリニース第6ST、クライマーがゴールスプリントを制したという話 ( 3.17.2003 )

    先日お伝えしたとおりLOOKとの契約以外に、マスコミでも活躍の場を得たローラン ジャラベールが、パリ ニースのインタビューアーとして登場した。インタビューの相手はヴィノクロフ。ジャジャは国民の高感度No.1。これからもフランスのレースで、彼のインタビューアー姿がたくさん見られるに違いない。

    ところで、第6ステージで区間優勝したスペインのホアキン ロドリゲス(ONC)だが、余り知られていない選手だと思う。ゴールシーンもあのとおり、あのややぎこちないようなバンザイ姿。彼はまだ23歳。なかなか凛々しい選手だ。

    実は彼、今回 ブロシャール、ラタサ、シャヴァネルらとのスプリントゴールを制して優勝したのだが、これは驚きだった。というのも、彼は本来クライマーなのだ。2001年秋の名物レースモンジュイックのエスカラダ(ヒルクライムレース)で優勝したのが記憶に新しい。モンジュイックのエスカラダといえば、クライマーなら誰しもやる気満々のレースだ。しかし昨年は、2回の落車で全くブランクの1年を送った。オンセではプリトという愛称で知られる彼は、実は70年代に活躍した選手マヌエル ロドリゲス(現在はコルチョンCRのディレクターとして活躍)の息子なのだ。


  • ヴィノクロフの仇討ち:去年、ヴィノクロフは1位、キヴィレフは3位だった因縁のパリ ニース、モンファロンのステージで。 ( 3.16.2003 )

    ヴィノクロフが涙にむせんだパリ ニースの第5ステージ(「レース便り」)は、去年のパリ ニースの第4ステージなくしては語れない。思い起こせば去年のパリ ニース第4ステージ。この時も今年の第5ステージと同じモンファロンの山で戦った。ヴィノクロフはその時もモンファロンのステージで優勝し、この際 3位に入ったのがキヴィレフだった。

    2002年のcyclingnews.comのパリ ニースの第4ステージレースレポートを見ると、ヴィノクロフがキヴィレフを後方に、リードしている写真がある。こんな因縁の対決が昨年繰り広げられていたことを考えると、今回のヴィノのステージ優勝は、2人分の優勝、そんな感じがする。

    結局、昨年2002年のパリ ニースで総合優勝して、表彰台のてっぺんに立ったのは、ヴィノクロフ。キヴィレフはその時 総合4位に終わった。今一歩表彰台に届かなかった状況を考えると、ヴィノクロフが言うようにキヴィレフは、「今度こそ優勝してみせる」、という意気込みが強かっただろう。第5ステージ終了後、ヴィノクロフはこう語っていた。「今日区間優勝できても、ちっとも僕は嬉しく無いんだ。でも、この優勝はキヴィレフのもの、そう思うと、僕はとてつもなくハッピーな気持ちになる。」と。


  • キヴィレフ最終章:ヴィノクロフとともに公営アパートで共同生活をした下積み時代 & 1990年代前半、ヘルメット着用の義務化に抗議した選手たち。 ( 3.14.2003 )

    カザフスタン出身のヴィノクロフが同国選手のキヴィレフと初めて一緒にレースに出たのは86年。96年にはアトランタ五輪のナショナルチームメンバーとして一緒にトレーニングに励んだ。その後フェスティナでプロ入りした話は既にお知らせしましたが、フェスティナ時代から彼を良く知るトレーナーが語ったところによると、ヴィノクロフとキヴィレフは、ともにフランスのサンテティエンヌ郊外の高速道路入り口にある3部屋付の公営住宅で、それぞれの彼女も一緒に共同生活をし、トレーニングに精を出す日々だったという。

    「ナショナルチーム所属当時、キヴィレフはがむしゃらにトレーニングを積んでいた。ウエアを自分で洗濯しながら、カザフスタンの山岳、南アフリカ、キューバを転戦した。さながら東から来た戦士だったよ。」ヴィノクロフは下積み時代をともにした同胞の侍 キヴィレフの今回の訃報に、「パリ ニース レースを戦線離脱しようかと思った。」という。しかし、キヴィレフが優勝に燃えたこのレースで、自分が頑張ることが キヴィレフへの弔いになると、今まで以上に闘志を燃やし、レース続行を決めた。

    事故当日の映像などを、各社分析して事故の状況を語っているが、事故の詳しい状況の報道内容は微妙に内容が異なっていたりする。しかし、事故当時の大雑把な状況は、ゲロルシュタイナーのドイツ人オルドゥスキがバイクのメカトラで急ブレーキをかけ、背後にいたキヴィレフとチームメートのルトキエウィクスがそれにぶつかったらしい。キヴィレフは丁度水分補給をしているところで、ヘルメットをとりだす直前だったということだ。不意をつかれたキヴィレフは頭からアスファルトに転倒し、一方で、他の選手らの怪我は軽傷で済んだ。キヴィレフはというと、脳の水腫を引き起こし、翌日の夜中の3時に脳圧を下げるための手術を行ったが、甲斐なく亡くなった。

    関係者の話によると、キヴィレフは、集団ゴールになるときだけヘルメットをかぶるのが通例だったという。ちなみに、レース中の事故で選手が亡くなった例(リカルド オチョアのように、トレーニング中の事故は除く)は、最近では2000年2月のアルゼンチンツアーの第7ステージで、サウル モラレスがトラックに轢かれて亡くなっている。

    コフィディスのスペイン人選手、クエスタは「今回のことで、僕はボロボロになった。彼は僕にとって親密な親友だった。彼はスペイン語を話せたから、僕がコフィディスに来たとき、随分助けてくれた。冗談をよく言い合ったりして、すごく仲良しだったんだ。」と悲痛な面持ちで語った。

    今回のできごとで、ヘルメットの着用について、改めて考えさせられることになった。特に、コフィディスのドクターいわく、今回キヴィレフが致命傷を負った頭の部位が、ヘルメットをかぶっていれば、ヘルメットによりカバーされている部位に相当しており、ヘルメットをしていればここまでの結果は免れただろうというニュアンスの発言をしている。

    ツールの主催者JMルブラン氏が語ったところによると、かつてヘルメット着用を義務付けようとしたこともあるという。「1990年代前半、UCIはヘルメット着用を義務付けようとしたが、1991年ツールのポーのスタート地点で、それに抗議する選手らがストを行った。結局、UCIは今ではヘルメット着用を奨励するにとどまっている。確かにツールでは7月の真っ只中に200キロもの距離を走るわけで、全行程 ルメットをかぶって走れ、というのは酷な話だ。」と語った。しかし、レースの危険性が増し、選手たちも今回のことで、ヘルメットを見直す動きになってきているという。


  • 自分の写った写真が気になるチッポリーニ ( 3.14.2003 )

    ティレノアドリアティコで初日いきなり優勝したチッポリーニだが、彼のコメントがなかなか彼らしいという感じ。
    「ラルカンシェルを着てゴールを割った僕の写真が。どんな感じで新聞に掲載されるのか、待ち遠しい。」

    調子が今ひとつということで、地中海ツアーをキャンセルし、その後に出場した今季最初のルイスプイグやバレンシアでもまだ本調子ではなかったものの、流石、ミラノサンレモも近づいて、コンディションも上向きのようだ。実際、「今回の優勝で、トレーニング成果が現れてきた」と。

    一方で、オスカルフレイレのほうは、スペインの期待を背負って走ったものの、またもパンクに見舞われた。「ゴール300m手前でスプリント準備に入ったところで、フェンスの足が外側にせり出していて、ぶつかってしまった。おかげでタイヤはバンク。(未だにフェンスの足が外側にでっぱったコース作りをしていることに)ひどく腹を立てたけど、まあ、調子がいいので、これから挽回さ。


  • チームコースト本日に最後通牒の可能性 ( 3.14.2003 )

    パリ ニース以降のレース出場停止となったチームコースト。UCIは、チームの今後の扱いを決める方針だが、一応のターゲットは本日金曜日。本日中になんらかの結論を下したい意向だ。ウルリッヒは、既にチーム探しも開始しており、CSC以外にもイタリアチームから打診が来ている。更にフォナックのピノ監督とも先日会ったらしい。(しかし、ピノ監督は、ウルリッヒが来るのは拒まない、と言っているが、本人の状況については余りよく知らない。「彼の膝の調子は完治したのか?」などと記者に質問する一幕も。)

    現在ツーレなどの一部のコーストの選手については、元選手のロミンゲルが代理人を行っている。そして、ロミンゲルが明かしたところによると、ツーレは本日のUCIの決定次第では、コーストが完全に解散の危機に追いやられることもあることから、ツーレのチーム探しに入っている。実際、チーム入りの打診も取り付けている。候補の1つと考えられるのがCSCで、リースもツーレには興味を示している。

    ただし、どこも問題はお金。CSCのリースも、ツーレとは協議の余地あり、としながらもロミンゲルに対しては、チームには現状お金がない点は明確にしている。その上で、どこからかお金をひねりだせれば、とサブスポンサーの可能性も含めて模索中だ。


  • 続報 翌日編 その2>> キヴィレフを悼んで ( 3.13.2003 )

    法律を学び、カザフスタンの軍隊に入り隊長にまで上り詰めたキヴィレフ。一方で スポーツにも才能を発揮し、柔道で肘を骨折したのを機に、16歳で自転車を始めた。そして、ヴィノクロフ(現テレコム)同様、ナショナルチームに所属した。

    彼に転機が訪れたのは1996年の時。マレーシアのツアーでフランスのプティ カジノチーム関係者に見出された。そして、キヴィレフとヴィノクロフの2人はフランス行きを説得される。そして98年、2人は別々の道を歩み、「キヴィ」はフェスティナへ、「ヴィノ」はカジノでプロとして走るようになった。

    キヴィレフは、才能はありながら、膝の軟骨に問題を抱えていたため、なかなか勝ち星には恵まれなかったが、91年、ドーフィネのクリテリウムで1勝した。その後、ルータデルソルで総合優勝し、2001年ツールでの活躍は周知の通りだ。特に目を引いたのが、その時の7月15日。ポンタルリエのステージで雨の中プロトンに18分ほどの差をつけがむしゃらにエスケープした。

    それが、今回のパリニースで突然降って沸いた相当シリアスな落車の情報、容態悪化、そして訃報。キヴィレフの訃報を受けて、コフィディス チームはパリニース第3ステージのスタート前に話し合いを持った。そして、プロローグで優勝したニコマッタンが代表で、レース主催のJMルブラン氏(このレース主催はフィニヨンからソシエテの手に移っている)にチームとしての真意を伝えた。そして、この日は全員で自転車に乗ってこの日のコースをカバーしたい、と伝えた。

    アームストロングのコメントが異例の形で彼のHPに掲載されているが、彼はキヴィレフに大して、相当な思い入れがあったことがわかった。以下、http://www.lancearmstrong.com より。

    「(キヴィレフは頭がよく、英語を信じられないくらい流暢に操る。彼のことは数年来よく知っていて、彼や彼のスタイルを尊敬していた、といった賞賛の言葉のあと。。)僕ら(ブリュイネール監督とアームストロング)は数年前、キヴィレフがフェスティナにいたとき、彼をチームに勧誘しようと躍起になった。でも、AG2Rと競合することになり、彼はAG2Rの方を選んだんだ。今でも彼のことをチーム内で話して、チームへの勧誘は諦めていなかった。成績にムラがなく、タフで一所懸命やっていて、とってもいかした奴だった。アンドレイ、僕は本当に悲しいよ。これからも、タフな上りではきっと君の姿を探してしまうだろう。そしてそこに、今まで通り、タフな山をやっつける君の姿があればどんなにいいことだろう。どうぞやすらかに。」

    また、トレーニングを一緒にしてきたVDBは、「僕らはコートダジュールで冬中一緒に走った。僕の住んでいるサンラファエルと彼の住んでいる場所は近かったから、互いの家をよく訪れたものだ。近しい友人だったよ彼は。クラッシュの時、僕はすぐそばにいた。コフィディスの選手2人が倒れたのを見たけど、そのうちひとりがキヴィレフとは気づかなかった。カザルデッリの時のように恐ろしいことが起きてしまった。家族、チーム、彼の友人たちのことを想う。」

    そして、コフィディスの指揮のもと、スピードが下がりすぎないように、全員が先頭交代をしてコースを進んだ。沿道には暖かい声援を送る人々。そして、最後の数キロで、プロトンはコフィディスを先頭にまとまった。そして、最後には、モンクティエ、ベッシ、クレン、グーモン、マッタン、ヴァサー、ルトキエヴィクス全員が静かにゴールラインを割った。ゴール数分後に、ルブラン氏はサンテティエンヌに戻り、キヴィレフの遺体と家族に対面した。

    フランスの記者がこんなことを書いていた。「歴史には、タラレバの話は無意味なことだ。それでも、もしもあのときキヴィレフがヘルメットをかぶっていたら、違う結果になっていなかったか、そう思わずにいられない。事故は、彼が丁度ヘルメットをかぶろうとしていた時に起こったことだけになおさらその感を強く持つ。こういう悲劇が過去に何度繰り返されてきたことだろう。ヘルメットをかぶっていなかったことによる、こうした悲劇。同僚の死にあれほどまでにうちひしがれた選手たちを見るのは辛い。こうした悲劇はもう二度と見たくない。」


  • 続報 翌日編>> ゴールで待っていた妻に会うことができずに去っていったキヴィレフ ( 3.13.2003 )

    昨年9月12日にパパになったばかりのキヴィレフ。サンテティエンヌのゴールで妻ナタリーと生まれたばかりのレオナルド、そして友人らがが 彼のゴールを心待ちにして待っていた。しかし、彼は落車の事故に遭い、みんなが待つゴールにたどり着くことはできなかった。

    皮肉なことは、これだけではなかった。彼は落車で舗装道路にまともに頭をぶつけたのだが、実は、彼は丁度ヘルメットを取り出そうとしていたところだったそうだ。落車のあと、彼は意識不明のまま、翌朝未明には脳死状態になり、その後死亡と診断された。最悪のニュースにチームは朝、鎮痛な面持ちでミーティングを持った。

    キヴィレフの訃報の直後に行われたパリニースの第3ステージの方は、正式記録はつかず、ルピュイからポンデュガールまで、コフィディスを先頭に走った。コフィディスの選手らがゴールを割った時、観客はスタンディングオベーションで迎えた。そして、ゴールに着くや否や、ヴィランクとキヴィレフのトレーニング仲間だったヴァンデンブルックがコフィディスのチームカーに涙を浮かべながら駆け寄った。
    一方、アームストロングもキヴィレフに対して尊敬するライダーだったといい、数年来よく知った仲だったとして、メッセージをHPの中で発表した。各選手らから、いろいろな追悼の言葉が出ているので、またそれらは後ほど。

    とにかく今日は、どこもかしこも、落車の末に亡くなったキヴィレフの話ばかり。彼の死を悼む人々のコメントを読んでいるだけでも泣けてきそう。第3ステージのスタート前、同僚のコフィディスのヴァサーがチームのパトロンの肩に顔をうずめている写真を見ても涙が出てくる。本人のことをよく知る人たちの悲しみはいかばかりなものか。


  • キヴィレフ逝去の続報 ( 3.12.2003 )

    今から15分ほど前、フランス時間12日10:16に、ロイター、AFPの速報でカザフスタンの選手、キヴィレフ(COF)の逝去のニュースが入ってきた。今から小1時間ほど前に、容態が悪いようだとAFPからの外電が入ってきたばかりのできごとだった。享年29歳。これはチームがプレスに明らかにしたことで、サンティエンヌの病院で現地時間の12日朝、息を引き取ったという。最初の検査を受けた病院からサンティエンヌの病院に移送された時点で、容態はかなり悪かったらしい。(原因はパリ ニースの落車によるが、その辺の経緯は本日前半のニュースを参照ください。)

    キヴィレフは、98年にフェスティナでプロ入りし、2000年AG2R、2001年からコフィディスで走っていた。「(キヴィレフが)ヘルメット着用していなかったのが悔やまれる」、という監督の言葉が思い出される。


  • キヴィレフ死去 ( 3.2.2003 )

    悲しい続報になってしまった。コフィディスのキヴィレフが亡くなった。。。たった今入ってきたニュースなので、後でまとめてお伝えします。

  • キヴィレフ容態速報 ( 3.12.2003 )

    パリニースの落車で重症を負ったキヴィレフの最新情報。火曜の夜から水曜の未明にかけて容態が悪化し、脳圧を下げる措置がほどこされた。今日のパリ ニースのスタート前には、チームから容態について、正式な発表がある予定だ。60日以上意識不明が続いたハビエル オチョアも今では元気になった。あの時のように、徐々に回復していく姿を伝えられることを願っている。

  • キヴィレフ意識不明 報道の詳細 ( 3.12.2003 )

    現在行われているパリ ニースで昨日落車したコフィディスのアンドレイ キヴィレフ(カザフスタン)が重症を負ったという気がかりなニュースが出ている。一番詳しいロイター通信の報道を中心に下記の通り経過をまとめました。

    パリ ニースの第2ステージ。落車は、ラスト40キロ程度の地点、ショーボレ ドゥ ラクロワ十下の上りにさしかかったプロトンの前方で起こった。コフィディスのアシストのポーランド人Marek Rutkiewicz、そして、ゲロルシュタイナーのVolker Ordowskiらも落車の巻き添えになったが、特にキヴィレフは頭からそのまま落ちてしまった。他の選手の怪我の状態は軽かったものの、キヴィレフは意識不明で、自力では起き上がれなかった。

    キヴィレフは、ただちにサンシャモン病院に運ばれ、脳のスキャンとX-線診断を受けた。コフィディスのチームドクター、ジャンジャック ムネ氏がロイターに伝えたところによると、キヴィレフは顔面骨折(肋骨を2本折ったという報道もある)、脳内水腫があり、他にも副鼻腔、鼻腔などに血塊などが見られるという。火曜の夜にサンテティエンヌの神経外科に移送されたキヴィレフは、現在 蘇生室(日本でいえばICU)におり、そのうち正式な医師による診断が出る予定だ。火曜の夜中の時点で、彼の意識はまだ回復していない。

    ツール2001では最後まで表彰台を争い、最終的に総合4位となったキヴィレフ。今回彼は、脳に怪我を負ったところから、ヘルメットはしていなかったのだろうか?そういう疑問が湧いたが、回答が監督の談話の中にあった。

    チームの監督談話:「今回の出来事に一同びっくりしている。このスポーツの危険性を改めて痛感した次第だ。アンドレイが落車当時、ヘルメットをしていなかったのが悔やまれる。」


  • ツールドフランス 出場チーム 残り4枠を占う ( 3.12.2003 )

    今年の5月19日に、ツールドフランスの全出場チームが出揃う。既に出場決定しているのは18チーム。残り7チームが最後の4枠をかけて争うことになる。これがいわゆるワイルドカード選出だ。現在ツール出場をかけて必死に戦っているのは、ブリオッシュ ラ ブーランジェール(旧ボンジュール)、AG2R、ドミナ ヴァカンツェ(旧アックア)、ジャン ドゥラトゥール、エウスカルテル、フォナック、ランプレだ。

    フランスのレキップ紙がこのたびスタートしたワイルドカード予想大企画では、今季の成績を全く考慮に入れなければ、ワイルドカードで出場できる見込みが高いチームはブリオッシュ、AG2R、ドミナ、フォナックの4チームと観測している。上位2つのフランスチームの出場は、よほどのことがなければ多分確定だろう。既に勝ち星を複数あげて、存在感を十分アピールしている。ドミナについても、ツール主催者とチッポリーニの間で、無言の了解ができているような雰囲気で、今のまま行けばこれも当確に近い。問題は残る1枠だ。レキップとしては、元世界チャンピオンのカメンツィンとフランスの人気者ミゲルマルティネス(今年の地中海ツアーで山岳王になった)がいるのでフォナックを選びたい模様だ。

    ツールドフランスにスイスチームが最後に出場したのは1992年まで遡る。92年にヘルヴェティア ラスイスが出場して以来、スイスチームのツール参戦はない。だから、フォナックが出れば、11年ぶりのスイスチームとなる。ジャン ドゥラトゥールもフランスチームなので出場させたいところだが、ブロシャールがAG2Rに行ってしまい、ツールで山岳ジャージを着たことのあるパトリス アルガンくらいしか知名度のある選手がいない。昨年も、サエコの代わりにやっとツール出場を果たした経緯がある。だから、フランスチームの中では、比較的落としやすいチームという位置付けなのだ。前半戦、相当頑張らないと選出は難しいだろう。

    エウスカルテルに至っては、スペインバスクの純血チームとあって、フランス選手もひとりもいないから、落としやすい。そして、レキップ紙がランプレにつけた評価は目思いっきり辛口だ。「ランプレには気の毒だが、ランプレにはルムシャスという厄介者がいる。だからノーコメントだ。」と述べて、最悪のマイナスポイントをつけている。でも、このレキップ紙の態度は、ツール主催者のソシエテにも共通した見方かもしれない。昨年のサエコ降ろし(シモーニの麻薬摂取疑惑がきっかけ)を見ても判るとおり、ツールはスキャンダル嫌いだ。ランプレがルムシャスを再雇用したことにより、少なくともツールに関して言えば、チームには相当マイナスになったことは否めない。ベッリ、カサグランデ、ベルトリアーティ、スヴォラダといったスター選手が揃っているのに、残念だ。

    上記は、成績を全く考慮しない場合(つまり人気度といった主観だけを考慮した場合)の選出予想だが、一方で、3月9日までの各チームの成績を考慮して、レキップ紙がつけた、最新の4枠争いは下記のとおり。

    レキップ紙による3月9日時点のチーム順位>>
    1.ブリオッシュ、2.AG2R、3.ドミナ、4.Jドゥラトゥール、5.エウスカルテル、6.フォナック、7.ランプレ

    上記は、今までの成績を加味してレキップがつけた順位だ。エウスカルテルは今季まだ勝ち星がなく、低迷中だが、先日のムルシアツアーでスベルディアが総合3位になったため、先週勝ち点5ポイント(レキップ紙独自のポイント)をゲットした。また、ドミナはペディゲロの活躍で上位をがっちりキープしている。フォナックは勝ち星が欲しいところ。ランプレは未だにマイナス60ポイントの最下位。スヴォラダがムルシアツアーで区間優勝しているのに、人気度のマイナスポイントがずっしりのしかかっている。

    ちなみに、ペディゲロの話が出たところで、彼についてひとこと。彼はスペイン選手の中でも、トップクラスの泣き言男と言われる。レース中も泣き言ばかり言いながら走る。でも、スペインで最大級の泣き言男はオスカル フレイレだそうだ。いつも愚痴っぽく泣き言をたれるそうなのだが、そういう時に限っていい成績を残すらしい。

    ちなみに、このレキップ紙の紙上ワイルドカード占いは5月19日の選出日まで続き、毎週、前週の成績を加味しながら刻々と変わっていくらしい。予測の材料は成績だけでなく、人気度や態度も加味される。つまり、客観的な成績という材料に加え、極めて主観的な視点(人気度)も入るわけで、いかにもフランス流なのだが、これがソシエテのフランス偏重主義とマッチしているから、もしかしたら、このレキップ紙の予想はいい精度で当たるかもしれない。

    そして、やはり今の時点で気になるのはコースト。もしもこのままチームがDiv1から降格するようなことがあると、ツール出場は取り消されてしまう。そして、もしもその代わりにJドゥラトゥールがツール出場できるようになったとしたら、2年連続で、彼らは代理出場と揶揄されるかもしれない。(もっとも、そう揶揄されたから、それが起爆剤になって昨年のツールではグベールを初め チームは奮闘していた。)


  • ムルシアツアー:アームストロングをITTで破った男 ( 3.11.2003 )

    スペインのシーズンスタートのレースはマヨルカ、アンダルシア、バレンシア、ムルシアツアーと続いたが、その4つのレースのうち、3つでケルメが総合優勝した。(マヨルカでバルベルデ、アンダルシアとムルシアでヨレンテが優勝。バレンシアはFASのフリーゴが優勝。)ここ数年でエスカルティン、エラス、ボテロ、Aゴンザレスが去り、そのたびに、ケルメは地盤沈下と囁かれ続けた。ところがそのたびに新しいヒーローが誕生し、チームは現在最古参チームとして激動の波に揉まれながらもよくやっている。

    先週日曜日に幕を閉じたムルシアツアーは、アームストロングの今季デビュー戦として注目を集めた。以前、インドゥラインの場合、シーズンデビューは遅く、5月あたりにやっと姿を見かけるのが通例だったが、アームストロングは3月にやってきた。そして、特に最終日12.9キロのITTで2位に入り、彼の仕上がりが順調であることを強く印象付けた。総合順位では32位だったが(ちなみにルムシャスが31位だった)、データに基づき力加減をコントロールした上での32位であり、コース上でもその存在感は光った。また今回、チームのリーダーであるペーニャが、いい走りを見せてUSPにとっては嬉しい区間優勝(第4ステージ)をあげた。

    そして、何よりも最終日のほぼフラットな短距離ITTでアームストロングを2秒差で唯一破ったハビエル パスカル ヨレンテに注目したい。彼は若く見えるが、今月末で32歳になるベテランだ。そして、昨年単球症で1年を棒に降ったことで前回こちらの欄でも登場した。病気の後の快進撃というと、ジャジャとアームストロングが浮かぶ。アームストロングについては周知のとおり、癌を克服して、研ぎ澄まされてカムバックしたし、ジャジャは1994年ツールの激しい落車の後、95年のヴエルタで優勝している。

    ヨレンテもしかり。病気あがりの今年の冬、引退を囁く周囲の声には「ノー」と回答し、必死でトレーニングを積んだ。1万キロを走り、筋肉改造した。前よりももっと足も強くなり、瞬発力をつけて復帰した。その後の成績がすばらしい。上述のアンダルシア、ムルシアの総合優勝、ムルシアの2つの山岳ゴール(アラセリとガヨ)、そして、最終日ITTで優勝を累積した。つまり今季、既にひとりで5勝をあげているのだ。彼がプロになって7年間であげたのが5勝だったから、7年分の勝利数と同じ数の勝利をこの約2ヶ月の間で稼いでしまったことになる。

    ITTではアームストロングに勝ち、それをとても誇りに思っているヨレンテ。トップでゴールを切る時、ガッツポーズをしないね、と言われて、「レースがいつもきつくて祝う余裕がないだけじゃないかな。レース中は、いつも他のアタックをかわしたりするのに精一杯で、目一杯で走っているからね。」と。

    病気のおかげで強くなったのか?という問いには、「病気のせいで、選手生活が続けられるかどうか、本当のところは不安だった。だからこそ、以前と同じレベルまでいけるようにと厳しい練習を積んだんだ。おかげで以前よりも筋肉質になったよ。」力を増したヨレンテは、ここ最近のレースで、山岳、フラット、そしてITTでも強いことを証明した。

    彼はシーズン早々、目一杯走り続けてきたので、これからは暫く体を休める予定だ。そして休みのあとは、ツールでセビーヤのアシストをするためにトレーニングを積んでいくつもり。もともと瞬発力のある選手なので、グランツールのような長丁場のステージレースで総合優勝することは、彼の念頭にはないという。


  • ウルリッヒも「事態の早期解決を望む。」 ( 3.10.2003 )

    ウルリッヒだって、今回のコーストの問題については、黙って静観しているわけにはいかない。ウルリッヒのHPにも、チーム状況に対するコメントが巻頭に載っていた。

    「毎月の給与の払込を前提として付与されたコーストのライセンスが、再び揺らぎ始めた。給与の振込み遅延が発生したのだ。スポンサーのギュンターダームス氏によると、カーニバルのせいで速やかな銀行振込が妨げられたということなのだが。これでチームのイメージが損なわれたのはもちろんだが、これがシーズン最初の正念場とも言うべきタイミングに起こったため、選手たちにとっては非常に忌まわしい事態となった。

    とりわけアレックス ツーレとダビッド プラサは、パリ ニースのために、ここ数週間 集中して取り組んできていた。ところが、この日曜日、彼らはスタートできずチャンスはついえた。チームサイドは、速やかにUCIの規定に則ってあらゆる方策を講じるべきであり、このような問題が、二度と発生しないように確約すべきである。僕としては、これ以上のイメージダウンが生じないことを祈る。」


  • チーム コーストの裏事情 ( 3.10.2003 )

    チームコーストはトラブル続きだが、実はチーム発足当時から余りいい噂はなかったそうだ。事情をよく知る方に聞いたところでは、企業コーストのパトロンはロシアマフィアということで、その辺の裏事情を知っている人はチーム入りを敬遠してきたらしい。そういえば、チームを構成するのはドイツ人以外の選手が多い。そういった人々が 親会社の裏の実情をどこまで知っていたのだろうか? UCIがチーム運営に相当目を光らせたいたわけも、その辺にあるのだろうか?それにしても、やはり選手らの行方が気になるところだ。

  • チームコースト活動停止危機 関連ニュース 続々報 ( 3.8.2003 )

    降って湧いたUCIによるコーストに対するレース活動停止命令。もともとは選手のためを思ってのUCIの介入なのかもしれないが、カセロの前述のインタビューを聞いても、やはりこのUCIのやり方は選手泣かせだ。チームコーストのDIV1入りを前提条件付きで認めて、シーズンに入ってから条件が満たされなければ、DIV1の承認を取り消す。これは最善の方法なのだろうか?シーズンに入ってからの選手のチーム探しは困難を極めるのは明白だ。選手らのことを考えれば、一旦トレードチームとして認めた後は、シーズン中は、せめてUCIはチーム解散というやり方ではなく、他の方法で介入できなかったものか。「給与の支払いが遅れたこと」も問題だろうが、「走らせてもらえない」ことはストレスにつながらないのか。

    今回のUCIのアナウンスの後、コーストのフェルナンデス監督は、いつも通り務めて明るく振舞っていた。「辛い時こそ元気な顔で、いつも前向きに」と語り、オーナー側とは話合いを持ち、見通しがつきつつある、と述べた。でも、今まで裏切り続けられてきた選手たちは納得してはいない。

    ドイツ人以外のスタッフ、選手の給与一部未払い問題は昨年から未だに解決していない。つまり、11、12月の給与が支払われていない選手がまだいるのだ。これは25%の所得税と16%のVATを2ヶ月間の給与として徴収してゼロになった結果だ、というチームは言うが、これでは本国とドイツに二重に税金を払うことになり、これはどう考えてもおかしい。弁護士をたててUCIを巻き込んで給与問題の解決を図っているが目途は立っていない。

    この給与騒動の背景には、ドイツ語で書かれた雇用契約書が一因になっているようだ。契約書はドイツ語が正で、スペイン選手らはかなり大雑把な訳を見せられただけだった。実際の内容は、かなり選手側に不利な条件も入っていたといい、条項にはあやふやな点も多々あったが、訳文では、それらが曖昧だった。あれは全く言いなりの契約だったという見方もある。しかも、初めて契約条件を目にして2時間後にはサインしなくてはならなかった選手もおり、条項の訳の信憑性を確認する暇も与えられなかった。

    そして、UCIとしては、こうしたコーストの昨年の給与問題の「前科」に加え、今回の2月分給与の未払いが重なり、過激な命令、即ちチームの活動停止を言い渡した模様だ。こんなずさんな財政管理状況で、チームはよくもウルリッヒの加入を決意したものだ、とあきれるのだが、ウルリッヒ側は、早くも鞍替えを考えている。一説ではサエコもウルリッヒ獲得に多少の色気を見せているという。彼の3月末の復帰レース予定は一体どうなるのか?

    しかし、選手たちにとっては、全く走れないというのも辛い状況だ。給与問題を気にかけながらも、せめてレースには出たい、そういう意識もある。移籍するにしても、今季始まったばかりで、全く成績を残していないコーストの選手にとっては、行く先の目途は立ちにくいだろう。今この時期に活動停止というのは痛手だ。

    思い起こせば昨年ケルメだって給与未払いですったもんだだった。数ヶ月にわたり給与未払いで、選手側からツール前までに給与を支払って欲しいと陳情が出たりした。でも、今ではあんな騒動が嘘みたいに落ち着いた。ケルメは今年、ヨレンテやバルベルデが大活躍で既に3勝している。それを考えると、今回のUCIの結論は、性急ではなかったか?

    確かにケルメの時とコーストの場合では、財政状況に差はある。ケルメの場合はロシアビジネスの失敗という一時的痛手が原因だったので、それが挽回できれば財政回復に至ることができた。コーストは、本来のポテンシャルそのものに「?」がつくし、スポンサー側のAttitudeも、長年の信頼ができあがっているケルメとはわけが違う。コーストがウルリッヒを抱えつつ生き延びるには、実際はサブスポンサーを探すしかないないのだ。


  • FASのメカニック永井さんのDiaryが始動 ( 3.8.2003 )

    FASのメカニック永井さんのDiaryが始動しましたね。URLは下記です。チッポリーニのハリウッドスターもどきのカリスマはすごいですね。

    http://homepage1.nifty.com/koki2000/2003/diari/index.html
    Diario

    http://homepage1.nifty.com/koki2000/2003/obi/index.htm
    L'obiettivo


  • コースト、チーム活動停止の続報 ( 3.7.2003 )

    昨日午後のUCIの決定に驚いたのは、私達だけではない。なによりも、チームコーストの選手、監督も「寝耳に水」のできごとだった。1月にチームとしての書類審査を通過し、チームは安泰と思われてきたからだ。ところが、この時チームがDiv1チームとして認定されたのは条件付だった。即ち毎月きちんと選手や監督らの給与が振り込まれているという証拠を提出する前提だった。ところが、このたびコーストが提出した確証と銀行側の書類などを確認したところ、UCIが設定した条件をクリアしていないことが 水曜日になって判明したのだという。

    今のところ、おおかたの報道ではこれでチームの行方は全くわからなくなったという報道だが、一部の報道では、UCIがコーストに対し、給与支払いの確証を求める代わりに、UCIのスイスの銀行口座に直接チームから給与を保証金といった形で払い込ませ、選手たちの給与の支払いを直接確認するという義務を課したという。この猶予期間は9日。それ以内に問題が解決しなければチームは解散するのだという。(但し、本件突然降って沸いたことなので、多少メディアによって報道内容にはばらつきがある点、ご了承ください。この内容は、一番記述内容が深いマルカなどいくつかのスペインのサイトを総合した内容を採用しています。)

    一方、この衣料関連チームコーストのオーナーであるギュンター ダームス氏は次のように語っている。「これは全く誤解だ。選手やスタッフたちへのサラリーの支払いは済ませ、銀行の振込み明細も送付している。ただ、UCIがこれを認識してないだけだ。確かに我々がUCIに出すべき書類を提出するのは1日遅れたことは確かだ。これは、会社の本部があるラインラントの地域がカーニバルで、銀行送金が1日遅れたせいなんだよ。誤解が解ければ問題はなくなるはずだ。」

    一説によると、ウルリッヒの年棒は2億円以上、カセロは9千万強で、月割りにしても、2月分給与としてコーストが支払うべき金額は、ばかにならない金額だ。果たして、チームが、現時点でこれだけの金額を保証できているのかどうかが焦点だ。

    UCIの今回の告知の内容はこういった内容だ。:UCIはチームコーストに対し、チーム活動の停止を告知する。よって、チームは今日付け(木曜日)でいかなるレースに出場することもできない。毎月の選手、スタッフへの給与支払いに関して保証を求めるといった条件付で、チームはトレードチーム1としてチームが登録されたものの、条件を満たさない限り、チームの活動は停止されるものとする。但し、チーム選手は、現在出場しているムルシアツアーについては、レースを終えることが許される。

    フアン フェルナンデス監督:
    「このようなことは今まで知らなかった。僕はチームをスポーツの見地から指導していく立場ではあるが、財政面の管理については一切タッチしていない。選手がどうなるのかわからない。唯一わかっていることは、ムルシアツアーだけは終えられるということだ。」

    アンヘル カセロ:
    「僕らはみんなびっくりしている。ムルシアにくるまで、こんなことは一切知らなかった。UCIは何故ここまでことを統制しようとするのだろう。僕らはスポンサーに対する義務を果たし、許される限り走るしかない。明日(今日のこと)はスタートするよ。この一件の背景はよく知らないが、支払いさえ行われれば、問題は解決するんだろ?」

    一方で、現在コーストがだめならCSCに加入という噂もあるウルリッヒのマネージャー、ルディ ペフェナヘ氏は、「希望をもってトレーニングしつづけるだけだ。ただ、今のところ、チームへの信頼感は喪失している。ヤンの今後については語れない。」と述べた。


  • チーム消滅の執行猶予は9日間:ツアーオブムルシアどころじゃないチームコースト ( 3.7.2003 )

    ヨーロッパ時間木曜午後、いきなり度肝を抜くニュースが入ってきた。コーストが9日間の執行猶予期間中に問題解決できなければ、チーム解散となると。そして、ツアーオブムルシアを走っているコーストのメンバーがホテルでの夕食時、フェルナンデス監督から、チームの深刻な状況を聞かされている写真も入ってきた。監督の横にはベルトランのうつむき加減の顔も見える。UCIの決定により、現在走っているムルシアツアーだけは完走していいということになったが、週末開始のパリ ニースは出場できないことになった。UCIから執行猶予として告げられた最後通牒の期間は9日間。それまでに、UCIのスイスの銀行口座に所定の保証金が詰めない場合、チームコーストは解散となる。詳しいニュースはまたあとで。

  • Heroes : ジャジャは引退後ひっぱりだこ、ウルリッヒ 復帰できるかどうか微妙、アームストロング離婚報道は? ( 3.6.2003 )

    1.ジャラベール 現在は。。。
    今年35歳のLジャラベール。サラリーマンでいったら まだまだ働き盛りの時期に引退したわけだが、引退後も人気は衰えない。現在 長年にわたり使用してきた自転車LOOKの会社関係の仕事をしているが、新たにロイターの報道によると、フランスTVのコンサルタント契約を受諾したそうだ。TVでジャジャに会う日をファンは楽しみにしている。

    2.ウルリッヒ コーストのメンバーとして正式に認可おりず
    ウルリッヒにとっては嬉しいはずの3月がきた。長い出場停止期間がとけるのももうすぐだ。ところが 3月24日からのセトゥマナ カタラナでデビューするというシナリオが危機に直面している。サラリー未払い騒動が多発したせいもあり、UCIは選手登録につき、厳密にチェックを行うようになった。サラリーの補償がなければUCIから選手登録が認められないという建前により、ウルリッヒのコーストとの契約は、条件つきになったままなのだ。即ち、コーストがサブスポンサーを見つけなければチームメンバーとして認可されない。実際、コーストもサブスポンサーがなければ、コーストだけでは彼の多額の給与は払いきれない。

    コーストのHPには既にずっと前からウルリッヒもしっかり登場している。でも、海岸で撮影した写真、みんなが笑顔を輝かせているのに、彼の沈んだ表情がずっと気になっていた。すっきりした笑顔を見せられる状況に早くなればいいのだが。折角待ち望んだ出場停止解禁を目前に、時間が刻々と過ぎていく。セトゥマナ カタラナまで、あと17日しかない。

    3.アームストロング やっぱり気になるのはイラク戦争
    ムルシアツアーで今季のデビューを飾るアームストロングだが、やはりイラクへの武力行使のことが心配らしくレース前のインタビューで、この話題が出た。「アメリカ人は、世論の支持を得られないだろう。もしもツールの時に戦争中だったり、或いは戦争へ突入する状況であれば、自分がレースを走るのは非常に難しくなる。自転車レースというのは、無防備そのものだ。囲いも防護もない。でも、戦争も僕を止めることはできない。」

    一方で、今回のムルシアツアーでは、アームストロングは護衛対策を主催者側には要求していない、という報道が入っている。そのアームストロング、ツールドフランスにおけるインドゥラインの5連勝という記録を今年は相当意識しているという。今までは、「レースの記録云々よりも、癌を克服して優勝した初めての選手として記憶されればいい」と語っていたアームストロングだが、今回は、「今はツールのことしか考えていない。全てはツールへ通じる道。ツール前に出場するレースは、全てツールへの過程にしか過ぎない。」と言い切った。

    最後に、今回アームストロングの離婚報道の記事が出た発端は、スペインのジローナのマンションに先日妻と子供(ルーク、イザベルローズ、グレースエリザベス)抜きで戻ってきたことによる。欧米では、日本のようにそう簡単に単身赴任なんて考えられないからすぐに離婚か、という報道になるのだろう。この報道に対し、今回ムルシアツアー前のスペインの報道では、「離婚ということは2人の間では話されていないようだ。ただ、暫くの間 別居という形をとって、暫くお互いに考える時間が必要なのだ。」なんて さも もっともらしい書き方をしているのが 笑える。


  • 本日開幕ムルシアツアー。地元選手はいまだ優勝なし + アームストロングのデビュー戦 ( 3.5.2003 )

    本日開幕ムルシアツアーは、プロのレースカテゴリーにはいってから18年たつが、実はムルシア出身者の優勝は今まで一度もない。そこで、マヨルカで優勝した今一番注目株のスペイン人バルベルデ(22歳)に期待が集まっている。そう、彼はムルシア地方出身なのだ。

    ― マヨルカツアーで優勝したとき、自分が勝ちたいレースはムルシアツアーだ、って言っていたよね?
    「うん。今季最大の目標といってもいいくらいなんだ。ムルシアの地で優勝したムルシア人はかつてまだいない。だから初めての地元優勝者になりたいんだ。ここ2ヶ月ずっとコースを研究し、かなり僕にはきついことがわかった。でも、僕は上りも徐々にイケるようになってきているから、勝つ可能性もあるんじゃないかと思っているんだ。」

    ― レースの鍵は?
    「第2、4ステージで勝負が見えて、最後のTTで決定するだろう。

    バルベルデは、上昇気流にのってイケイケでレースで活躍できるかもしれないが、ルイスプイグ、アンダルシアでは経験不足が露呈して、監督から小言をもらっている。

    レースには 去年のディフェンディングチャンピオン、ペーニャ(USP)も出場するが、何気にアームストロングも出場する模様だ。彼にとっては、今季のデビュー戦となる。調整レースという位置付けだろうが、楽しみだ。


  • 福島康司選手のランカウィ レポート ( 2.4.2003 )

    現在 仏アマ トップ12チームで編成されるDN1名門チームベロ クラブ ルーアンで走る福島康司選手のランカウィ レポートがアップされました。福島康司選手は、2003年ランカウィ山岳賞の総合第2位を獲得。レース場面の記述以外にも、例えば初日の日記の下記部分など、リアルな雰囲気あり、或いはクスっと笑わせるようなユーモアがあったり。

    ― 普段の半分の量のご飯軽く一杯と一つの玉子焼きだが 緊張からかうまく消化されない。
    ― 一番きつくなる終盤、オリンピックであえぎながらゴール後倒れこんだスピードスケートの橋本聖子さんをイメージした。
    ― 「去年活躍したハーモニカのコージ選手。コース間違えで、今日は最終走者になるでしょう。」高らかにアナウンスが流れた。

    今 レースレポートはアマ、プロ含め多くの方々が書いていますが、福島康司選手のレポートは、周囲を取り巻く様々な人がいっぱい登場するのが特色ですね。それは、単にチームメートだけではなく、お母さん、お兄さんを始め、スタッフや、沿道の子供達だったり、今までに知り合った人々だったり。様々な人々と交流しながら、時に支えられてレースを走っている、そういう感覚が感じられます。レースという ややもすると無機質にもなり得るものの中に暖かいものを感じさせる点で、福島康司選手のレポートは際立ってますね。

    福島康司選手のHPのタイトルは、ケーキ屋さんみたいなネーミングの「こーじ こーなー」。サブタイトルにも「甘辛タイ日記 」などユニークな名前が並んでいます。アドレスは下記。

    http://www.geocities.jp/jysuk00/ (兄弟のHP入り口)


  • ツーレ引退のシナリオ:誕生日の日に行われるツールドフランスプロローグで優勝してマイヨージョーヌを着る。それが僕の花道。 ( 3.4.2003 )

    今度の7月5日はアレックス ツーレの35回目の誕生日。そして、ツールドフランス初日のプロローグの日でもある。先日バレンシアツアーの直前に、今季限りの引退をほのめかしたツーレは、引退する前にもう一度ツール ド フランスでリーダージャージを着たい、そう思っている。そして、それが実現する可能性が一番濃厚なのは、得意のプロローグだ。誕生日にイエロージャージを着ることができれば、もう思い残すことはない。

    実は、彼は11年前の誕生日に、ツールドフランスで輝いたことがある。1992年、ツール初出場を果たした彼は、7月4日のプロローグでインドゥラインについで2位に入った。そして翌日の5日、誕生日の日、総合トップに踊り出て、初出場のツール2日目で初めてマイヨージョーヌに袖を通したのだ。もっとも、マイヨージョーヌを着ていられたのは1日だけで、翌日そのマイヨージョーヌはヴィランクの手にわたった。そして、11日目に 彼は<サイス監督の指示により>ツールを途中リタイヤしたが、1995年にはツールで総合2位に入り、1996年のツールのプロローグでは優勝を果たした。

    12年間サドルの上で戦い続けてきた末に、去年引退するかどうか悩んだが、もう1年続けてみよう、そう思った。去年地元スイスツアーで優勝でき、これでいいか、とも思ったけれど、あと1年頑張って、最後のイエロージャージを目指してみよう、そう思っている。

    ルガノで行われた世界選手権のTTチャンピオン、ヴエルタ2度の優勝。そしてプロ入り91年以来在籍したオンセを離れた途端の98年にはスキャンダルにもまきこまれ、アップアンドダウンを経験した。スキャンダルの際は、叩きのめされ、引退すると口にしていたが、フェスティナを去ったあと、99年2000年バネストで走り、更に2001年コーストに入団。コーストはツールドフランスに出られなかったが、今年初めて出場権を得ることができた。やっぱり最後はツール有終の美で終わりたい、そう願っている。

    今年、ツーレは、どんな思い出ツールドフランスを走るのだろうか。98年のツールドフランス締め出しや、その直後に拘束された辛い思い出か、或いは、96年の輝かしい区間優勝の思い出のシーンか。96年ラプラーニュのステージでは、約100キロのエスケープを決めて、インドゥラインに2分近くもの差をつけてゴールした。ゴールの後、この優勝の喜びに、震えが止まらなかった。この年は総合2位、そして2ヵ月後のヴエルタで優勝と、ツーレが一番輝いた年だったかも知れない。

    (ツールとヴエルタの話が出たついでに、インフォメーションです。ヴエルタでは、今後、その年の成績などに関わらず、主だったスペインチームを無条件で出場させる制度を導入することを検討している。これは、ツールドフランスが、いつもワイルドカードでフランスチームを優遇してきた対抗措置とも見られ、今後 ますますグランツールの主催国特権主義が際立つことになるかもしれない。)


  • 石畳の感想は? ( 3.3.2003 )

    3月1日に行われたHet Volkのレース。こちらでは、「レース便り」の記事には登場しなかった人に焦点をあてたいと思います。スポットライトを当てる対象は、オスカル フレイレ。そう、「ステージレースよりクラシックが好き」、と自認しつつも、「石畳レースは嫌」、と言っていた彼が、5年ぶりに石畳レースに還ってきたのだ。ラボバンクに入ったからには、もう石畳うんぬん言ってはいられない。(以前「パリルーベは一番危ないから出ない」、と言っていたから、今年もパリルーベには出ないと思われるが。)

    成績は、ムセーウから遅れること3分36秒だったが、それでも本人は、今回の経験を「前向きな一歩」としてポジティブに自己評価している。「石畳でも、なかなか順調に行けた。平坦地点よりも、上りの方がいい感触だった。学んだ教訓は、こういった石畳では、より先頭で行くことが重要性だということだ。実際、レース中盤で挟まった状態で、先頭から簡単にカットされてしまった。」

    上記フレイレのコメントを聞いて、思わずおっとりしたコメントだなぁ、と思ってしまった。コース幅が狭い春のクラシックレースでは、この程度のこと(前に出ていないと勝てない)は、解説のアナウンサーも、しきりに口にするようなことだし、レース中継を見ていれば 判りそうなことなんだけど、、、と。でもきっと、そういったことを頭ではわかっていても、実際にレースに出てみて、肌で実感したということなのだろう。


  • ファッサボルトロはニュース花盛り:アイトール ゴンザレス、ペタッキ、フリーゴ ( 3.2.2003 )

    ドミナヴァカンツェとアイトール ゴンザレスとの間で揉めていた契約破棄問題は、ゴンザレス側の主張が認められ、ゴンザレスは、晴れてファッサボルトロ(FAS)のメンバーとして、3月8日からジロ デ レッジョカラブリアに出場できることになった。しかし、問題はこれで終わりではなく、ゴンザレスの2人の弁護士は、スペインとイタリアで、ドミナのマネージャー、サントーニ氏に対して、名誉毀損と公文書偽造のかどで訴えを起こすことを、UCIに提議しているという。

    一方、FASにとっては、更に嬉しいことがあった。ペタッキがバレンシアでも、最終日にスプリント勝利を収め、総合でフリーゴが優勝したのだ。フリーゴは、スペインの新聞にこう語った。「ジロ2001でのドーピングスキャンダルには打ちのめされた。一時は自転車を止めようとも思った。総合順位で上位に入っていながら、レース終了前に突然放り出される、これほど辛いことはないからね。」

    「僕は、今FASに復帰して、すべてのレースで勝つ気でいく。でも、中でもとりわけ リジベンジとして、ジロが一番の目標となるだろう。」又、フリーゴは、ゴンザレスが晴れてUCIから承認されたことについて、「チーム全員にとって朗報だ。ゴンザレスはヴエルタでのチャンピオンであり、グランツール、クラシックなどレース形態によって、各人の長所を生かしながらリーダーシップを分散することは、いいことだ。」と述べ、チームに複数のリーダーが存在することについては、全く問題ない、としている。


  • ランプレ監督:ルムシャスを残留させたのは、<彼の3人の子供が路頭に迷ったら可哀想だから>、それだけだ。 ( 3.1.2003 )

    ルムシャスの妻がツールドフランス2002の際に 様々な薬物を所持していたためフランス当局に拘留されたのは昨年夏のこと。その後ランプレは、ルムシャスを解雇すると、表明していたものの、最終的に彼をそのまま残留させた。この どんでん返しの背景については、今まで余り報道されてこなかったが、このたびフランスのVelo誌が、ルムシャスと、周囲の人々に関する記事を掲載した。

    インタビューでルムシャスは、「JMルブラン(ツール主催者)は、チーム ランプレをツールに招待しないだろうと思う」と語った。一方でランプレの監督ピエトロ アルジェーリ氏は、ルムシャスがチームに残留することには反対だったことが鮮明になってきた。

    アルジェーリ監督:「僕はルムシャスの話している内容(疑惑否定の内容)は信じていない。若いモンたちが(チームの若手を指す。具体的にはベルトリアーティ、ロッド、パリアリーニ、クインツァートらのこと)、この件で巻き添えを食って、白い目で見られたりするのが嫌なんだ。彼らや僕のイメージまでが汚れていくのは耐えられない。

    もちろん、ルムシャスが完全にクロだった、という証拠は掴んではいない。でも、僕は率直に、彼に対し疑惑を持っていることを、本人に告げたよ。これは残酷なことではあるけど、本人のためだからね。

    今回 ルムシャス残留を決定したのは、チームのオーナーなんだ。ガルブセーラ氏は、ルムシャスの家族のことを第一に考えた。もしも僕らが彼を解雇したら、彼の選手生命は終りだろう。そうしたら、彼の人生だけでなく、子供達の人生も台無しになってしまう、そう考えたんだ。」

    疑惑を完全否定しているルムシャスは、フランスでのレースに出場することは全く問題無しとしている。しかし、今のところ彼のスケジュールにフランスのレースは入っていない。予定に入っているのは、ティレノアドリアティコ、ミラノサンレモ、バスクツアー、アムステルゴールド、フレッシュ ワロヌ、LBLと、全てフランス国外のレースばかりだ。

    レース復帰とチーム復帰を果たしはしたものの、ルムシャスの給与額は、ツールの表彰台にのぼった選手の額には、当然見合わない。むろん、本人はランプレとの金額面での妥結については「一切話したくない。」として口をつぐんでいるが、サラリーダウンも止む無しということでランプレのオファーを受けたと言われる。

    しかし祖国リトアニアでは彼は英雄であることに変わりない。彼は国から、最も栄誉あるスポーツ賞を受賞されている。そして、本人は、「僕は陽性にはなっていないから、なんら恥じるべきことはない。ツールの3位は、人生最高の思い出であることにも変わりはない。」と述べた。



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こちらのニュースソースについて:ページ最下段にも掲載していますが、2000年にcyclingnewsと念書(Letter of Intent)をかわし、記事の翻訳につき正式に同意を入手しています。従って、特に記載のないものはソースはcyclingnewsです。

The copyright of the information here belongs to Knapp Communications Pty Limited (the owner of cyclingnews.com), 642-644 Bourke Street, Surry Hills NSW 2010 Australia unless otherwise specified. However, the company shall be exempted from the responsibility for any flaw of information or typographical errors that may have been caused in the course of translation. Such a responsibility shall be taken by the owner of this web site.
このたび、オーストラリアのKnapp Communications Pty Limited(cyclingnews.com運営)と趣意書をかわし、同社よりサイトのニュースの翻訳権を入手しました。(effective as of 19/Nov./00) Jump


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