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特ダネ・ニュース 2003年4月の記録..
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ニュース(最新版)


  • ジロデイタリア出場チームは結局19チームに ( 4.30.2003 )

    ジロの主催者であるRCSは、このたび新たに参加チームとしてフォルマッジョ ピンツォーロ フィアーヴェを出場チームに加えると発表したそうだ。これで19チーム171人が参戦することとなった。

    フォルマッジョ ピンツォーロ フィアーヴェは、当初ジロに出場できる見込みでいたが、ティレノアドリアティコでのスキャンダル(マッシミリアーノ モーリがチーム関係者と共謀して、ドーピング検査で不正を働いたというもの)のため、チームのジロ出場に待ったが かかっていた。このたびジロにチームを参加させたのは、チームを丸ごと不出場にするのはチームのほかの選手に気の毒であるとしたため。但し、ティレノでスキャンダルに係わった当事者がジロに出場しないことが条件だ。

    ジロのスタートは5月10日。


  • アームストロングの影を払拭したハミルトン その2 ( 4.28.2003 )

    2002年、ヨーロッパチームからオファーをいっぱいもらったハミルトンは、アームストロングとの決別を決意する。移籍した先のCSCでは、ジャジャとリーダーシップを折半しつつも、ハミルトンの責任は以前よりもぐっと増した。CSCのチーム関係者は当時のハミルトンについて、こんな風に語っていた。
    「彼がCSCに移籍したての頃は、真似しても真似できっこないアームストロングのみを お手本にして走っていたよ。更に、思ったとおりにハイレベルまで行けないことで、自分でも悩んでいたようだ。彼が自信を取り戻したのは、ジロ2002でサヴォルデッリについで2位に入ってからだね。」

    ジロ2002では、第5ステージに落車して、その後遺症をひきずりながらのライドだった。肩を骨折しながら走り続けていた。ジャジャが引退して、今年、彼の責任は増した。結果次第では、Div1からの降格だってあり得る。しかし、ハミルトンは、前と違って 恐れず果敢にレース立ち向かう。ハミルトンは言った。「今年僕の目標は、ベルギーのクラシックとTDFなんだ。そのうちひとつを早くも達成できたわけさ。」

    今回L-B-Lのレースを振り返って、彼はこう語った。「スプリントでは 僕はチャンスがないから、なるべく早いうちに仕掛けようと思った。ゴール手前4キロ地点、ひとたびトップに踊り出たら、あとは必死で漕いだ。ランスは優勝したのが僕だったから、きっと満足だろうと思う。この優勝は、アシストのみんな、チームのみんなのものでもあるけど、同時にアームストロングのおかげでもある。4年間、この仕事を僕に教えてくれたのは彼なのだから。」


  • アームストロングの影を払拭したハミルトン ( 4.28.2003 )

    スタート前、アームストロングがかなり真剣に優勝を狙っているということだったが、優勝したのは優勝候補に名前を連ねていた選手ではなく、CSCのハミルトン、2位は期待の若手イバンマヨという結果だった。「アームストロングの影を払拭したハミルトン」というタイトルを掲載したロイター、及びAFPなどの記事からまとめました。

    30歳にしてL-B-Lでの優勝という快挙を成し遂げ、ひとつの転機を迎えたハミルトン。数年前、自分自身の成長を目指してアームストロングと決別したことによって成し遂げられた快挙だった。USPのブルーのジャージに身を包んでいた時代は、常にアームストロングの忠実なアシスト役だった。特にツールでは、自分自身の野心を覆い隠すことを習性として強いられてきた。

    しかし、個人として戦うことができたツールのITTなどでは常に実力を発揮。特に98年コレーズのITTでは2位となった。しかし、あの年はフェスティナスキャンダルの騒動が大きすぎて、彼のこの殊勲は半ば忘れ去られてしまったが。

    記憶に新しいところでは、ハミルトンの2000年ドーフィネのクリテリウムでの優勝があった。この時は、常にアームストロングのシャドーとなってきた彼に対し、アームストロングとチームが彼に花を持たせたレースとして、当時話題になった。(続く)


  • 第89回リエージュ バストーニュ リエージュ(L-B-L)アウトルック ( 4.27.2003 )

    ウルリッヒは、先日ケルンのレースで優勝したあと、約1週間後の27日に行われるL-B-Lに出場する。ドイツ人選手がこのレースで優勝したのは過去2回だけ。1930年にヘルマン ブーゼ、1979年にディートリッヒ トゥラウが優勝して以来、優勝はない。ウルリッヒは、「L-B-Lでは、いい走りを見せたい。」と語り、他に、コーストからは、ベルトラン、カセロ、シュタインハウザー、エーベルゾルトらが出場する。

    先週のフレッシュ ワロヌでウルリッヒは31位だった。今回のL-B-L、チームの目標は、結構控えめだ。「L-B-Lではトップ30を目指す」、とチーム幹部のペフェナフェ氏は語った。「トレーニングでは、プラン通りの走りができた。我々は失うものは何もない」と。成績はともかく、前回 フレッシュ ワロヌでのウルリッヒは、とてもいい表情をしていた。ファンへのサインにおわれつつも、走れる楽しさを噛み締めている、そんな感じ。ビアンキの支援のおかげでコーストのトラブルにも終止符がつき、やっとレースに集中できるのだろう。

    ドイツ人選手として優勝にからめる選手として目されているのは、ウルリッヒではなく、ヤンとは元チームメートだった テレコムのケスレーだ。彼はヴィノクロフが優勝したアムステルゴールドで、ヴィノとともにテレコムのリーダー役を授かり、いい走りを見せて、5位につけた。一時は新聞沙汰になるトラブルを起こして ちょっと冴えない時期もあったが、今年のケスレーは強い。

    今年5番目のワールドカップとなるL-B-L。アウトラインは下記。

    4月27日、9:45 リエージュをスタート。チームは25チーム。
    Alessio、Domina Vacanze、Fassa Bortolo、Lampre、Saeco、Sidermec、AG2R、La Boulangere、Cofidis、Crédit Agricole、fdjeux.com、Landbouwkrediet、Lotto、Palmans、Quick Step、Coast、Gerolsteiner、Telekom、Euskaltel、ibanesto.com、ONCE、CSC、US Postal、Rabobank、Phonak.

    優勝候補:アームストロング、ボーへルト、ディルーカ、チェレスティーノ、ケスレー(TEL)、イヴァノフ(FAS)、ヴィノクロフ、VDB、
    今回不出場となる有力選手:ベティーニ、レベッリン、フリーゴ、カメンツィン
    記録:エディー メルクス(1969−75年までの間に5回優勝。)


  • 自転車選手の中で年収No.サラリーのアームストロングは年に13億円を稼ぐ。2番目は誰でしょう?実は、2番目以降は ずらり日本人選手です。 ( 4.26.2003 )

    アームストロングは年に1000万ユーロを稼ぐ(約13億円)。驚いたことに、年俸でその次に続く名前は、Yamada、Koyima(注:原文をそのまま記入。多分スペルミス?)、Kamiyama、Tsutsumi、Fusimi、Uchibayashi、Mabuchi。。。これらはみんな競輪選手だ。競輪選手は普通に年250万ユーロを稼ぐ。それも国外レースに出ること無しに。出場するレースによっては、この金額は どんと上がる。。。

    こんな書き出しで始まった最近の新聞記事。実はこれ、3日前のスペインのスポーツ新聞アスの自転車スポーツ面のトップ記事だ。スペインの新聞に日本のことが特集で掲載されるなんて珍しい。フシギの国ニッポンに対する驚きのコメントが面白かったので、下記に続きを掲載。

    日本の競輪選手は億万長者だ。でも彼らは、海外でケイリンのレースに出れば、ヨーロッパやオーストラリアの選手らに簡単に負けてしまう。(注:失礼な文章ですが、原文をそのまま掲載してますので ご了承を。)「とっても奇妙だよ。日本人と戦っても、楽勝で勝てるんだけど、ひとたびベロドロームの外に出ると、日本人選手はみんなポルシェやメルセデスに乗り、目が飛び出るようなローレックスの時計をしているんだ。」こう語るのは、昨年コペンハーゲンのトラック競技世界選手権でケイリン部門銀メダルに輝いた ホセ アントニオ ビジャヌエバ(ビリャヌエバ、ビヤヌエバと読んでもOK。)

    マドリッド育ちのビジャヌエバは日本で国際ケイリンのレースに2年連続で出場している。彼にしてみれば、ケイリンの賞金は相当魅力的。1回のレースで たらふく稼げる。ケイリンは、相撲、サッカーと並ぶ日本の国技だ。「日本には、とにかくベロドロームがめちゃくちゃいっぱいある。それも、1万5千人から2万人ものお客さんが収容できるんだ。あんなにたくさんの人が見守る中を走れるなんて、感動的だよ。」とビジャヌエバ。競輪は、スペインのサッカーくじみたいなイメージで運営されている。だから競輪選手のサラリーはよく、ビジャヌエバは日本人が羨ましくて仕方ない。

    外国のケイリン選手が初めに戸惑うのは、日本選手のアグレッシブな走り方。「彼には気をつけなくちゃいけない。きたない手を使うからね。どうやってやるのかさっぱりわからないんだけど、こっそりと気づかれずに頭突きをしたりするんだよ。」こういう手にひっかかって、英国人のマクレーン(注:以前マクレーンのお父さん兼コーチからメールが来たのをご紹介しました。覚えてる?)が鎖骨骨折したんだよ。」だから、選手たちは、アメフトもどきの防具をして走るのだ。

    特筆すべきは中野浩一。日本を代表する選手であるのみならず、1977年から86年にかけ、世界選手権十連勝の偉業を成し遂げた。彼は日本の神話そのものであり、レース主催、レース解説、ケイリン主体のケーブル チャンネル スピードの所有者でもある。ビジャヌエバは語った。「ナカノは超有名で感じのいい人さ。僕に助言もしてくれた。<頭脳プレーができるから、優勝を積み重ねることができるだろうが、もっと冷静に走らなくちゃいけない>、ってね。」


  • ちょっぴり いい話 ( 4.25.2003 )

    約70年の歴史を持つベルギーのワンデイクラシック、フレッシュ ワロヌ。フランドルとは随分趣を異にし、どちらかというとL-B-Lに似ている。狭い道に転々と坂が散在するものの、石畳ではなく道はアスファルト。1983年以来、レースの鍵は、厳しいHuyのミュールというのがお決まりだ。これを料理して、その後にゴールが続く。

    スペインではワンデイ クラシックは重要視されていないものの、いつかはこのHuyのミュールをトップで駆け抜けるスペイン選手が登場するだろう、と期待された。それを成し遂げたのはイゴール アスタルロア。スペインのエルムア出身の彼は、1999年、契約してくれるスペイン チームが無く、仕方なくイタリアに渡ってアマチュアのチームで走った。これを足がかりに、彼は2000年メルカトーネ ウノと契約する。

    ルーべやフランドルは不得手だが、彼はその他の重要なクラシックレースには理想的な選手だ。頭の切れとスピードの切れがある。集団スプリントでは、フレイレほどの速さは無い。しかし、フレイレよりも山は格段にこなせる。例え一つ目の登りで最大限の力を発揮しても、次の登りに到達した時点で、体力が回復しているというエネルギーを持ち合わせている。

    プロ入り2年目の4月、最初の勝利をあげるものの、その翌週、大誤算が彼を襲った。GPミゲル インドゥラインで優勝を目前にしながら、下水道の溝にはまって、その間にビシオソに勝利をさらわれた。ビシオソもアスタルロアと同じようなタイプのライダーだった。2001年、チームをサエコに移した。これから思う存分クラシックに挑戦、というところでまずいことになる。2002年、ダニロ ディルーカがチームにやってきた。アスタルロアと似たタイプの選手であり、同じチームにいながら、いわゆるライバルとなり得る相手だ。

    しかし、レースカレンダーはふんだんだ。アスタルロアにだってチャンスはいつかは回ってくる。2002年はHewクラシック(場所はハンブルグ)、クラシカ サンセバスチャンで2位に甘んじたものの、ワールドカップ総合4位となった。2位を4回経験して、悔しい思いをしたが、それらはいずれも 思い切って賭けに出て、賭けを全うすることができずに破れた2位だった。しかし、2003年4月23日、彼の賭けは大成功を収める。エスケープのグループは15人。中にいるスペイン人はアイトール オサ、2002年に2位に入っているウナイ エチェバリア、アンヘル カストレサナ。ラスト12キロ、この日2番目に高い地点、Ahinに着いた。アスタルロアの戦闘準備は完了だ。

    Ahinでアスタルロアが飛び出していく。どうにかついていけたのは、同じバスクの選手アイトール オサだけだ。それぞれが 逃げを打とうとするが、すぐに2人は平走し始める。イゴールはバスクのビスカヤ地方、アイトールはギプスコア地方に住んでいるが、2人は両地域の境界線近くに住んでいるため、2人の家は20キロしか離れていない。いわゆる「知った顔」同士だ。Huyに到着した2人は、次に続くグループを完全に引き離した。

    Huyでいよいよ本当の勝負が始まる。2人の「パセ」が始まった。(パセとは闘牛用語で、牛の突きをかわすこと。スペイン語では、闘牛にまつわる語彙がよく登場する。)まるでトレーニングのように平行して走る2人。2人の頭には、勝利の2文字がよぎる。いずれにしても、このどちらかが優勝だ。しかし、表情、動きから見て、アスタルロアのほうに余裕があった。後ろを振り返るアスタルロア。ゴールが視界に入ってきた。ラスト200m。オサに最後の一瞥を投げたアスタルロア。まるで、「ゴールで待っているよ」と優しくアイトールに別れを告げたような感じだった。そして、アスタルロアはオサを置いてゴールめざして駆け抜けていった。

    フレッシュワロヌでスペイン人がワンツー フィニッシュという快挙。ベルギーのワンデイでスペイン人はいまだかつて優勝したことがなく、いつかはやってくれるとは思っていた。でも、それが遂に実現された。一番優勝に近いといわれた男、イゴールアスタルロアがやってくれた。彼の夢はワールドカップでの優勝。この夢だって、きっとそんなに待つことなく、実現してくれる、そう信じている。

    (上記は、ユーロスポーツから掲載。さて、4月27日はワールドカップ、L-B-Lの日。このHPの「ワールド カップレース分析」の頁はご覧になったでしょうか?そちらでは、アスタルロアのワールドカップ各レースに関するコメントを掲載していますが、その中で、彼は「L-B-Lは僕の夢」、と書いています。きっと優勝を視野に据えて27日は頑張るはず。)


  • アスタルロア インタビュー (その2) ( 4.24.2003 )

    ― アイトール オサがずっとついてきたことに、不安はなかった?彼のほうがよりクライマーだよね。
    「アイトールは強いから、多少危機感はあったけど、でも登っているうちに、クライマーであることはさほど重要ではないと感じた。問題は馬力だろうと。だから最後は勝てると確信したよ。」

    ― スペインチームでなくイタリアに行ったことで何がよかった?
    「全てさ。アマチュア最後の年にイタリアに行って、すごく勉強になった。イタリアではクラシックを重視するから、精神面でも変わったよ。」

    ― スペイン選手はクラシックに徐々にでも目が向きつつあるのかな?
    「ちょっとずつね。フレイレが世界選手権への道を切り開き、僕がフレッシュワロヌをやっつけた。最近のレースで僕らはいい結果を収めてきていると思う。でもまだ課題はあるけれど。」

    ― 日曜はL-B-Lだね。
    「さてどうなるか。調子もいいから勝ちたいけど、クラシックっていうのは水ものだから。。」
    (スペインのアス新聞から)


  • アスタルロア インタビュー ( 4.24.2003 )

    昨日フレッシュワロヌで優勝したアスタルロアのインタビューをさっそくどうぞ。
    ― 遂にやったね。
    うん、フレッシュワロヌはワールドカップではないけど、でも同様に重要なレースだ。(ちなみに、96年に本優勝したアームストロングも、MSR、フランドル、ロンバルディア、パリルーベと並んで重要なレースだ、と以前言っている。)去年、サンセバスチャンとハンブルグで2位だったけど、なかなかクラシックで勝てなかった。

    ― ベルギーのクラシックで優勝した最初のスペイン人ということで、どんな意味合いがある?
    「僕がフレッシュワロヌで勝った初めてのスペイン人というのは知っていたけど、でもベルギーのクラシックでスペイン人は一度も勝っていないの?これは歴史だね。」(続く)


  • アムステルを終えたアームストロング、 L-B-Lにのぞむ ( 3.23.2003 )

    ― L-B-Lでは新しい装備で のぞむと聞きましたが。。
    「アムステルと同様10スピードデュラエースに加え、トレックの新しいフレームだよ。(詳細は、じきにlancearmstrong.comに掲載予定)。」

    ― L-B-Lでは過去94、96年に2位になっていて、今回も相当意欲的だそうですが、このレースはが あなたにとって特別なわけは?
    「理由は2つ。信じられないくらいハードなレースであるということ。2つめは、MSR、フランドル、パリルーベ、ロンバルディアと並んで、このレースは一種 金字塔的な意味合いをもつレースなんだよ。是非いいレースをして、勝ちたいと思う。」

    ― ヒンカピー、フロイドらのアシスト選手に体調面での不安材料もありますが、チームのツールへの準備面に関する状況を聞かせてください。
    「ヒンカピー、フロイドだけでなく、全員が7月に向けて準備を着々と整えなくてはいけない。2人については、ツールには間に合うだろうと確信しているよ。更に言えば、春に、まったりしていても夏に爆発することもよくある。逆に彼らが、今の時期に鞭打ってハードに活動せずに、控えめにやっていることは、僕にとっては朗報だよ。今は十分休養をとって、準備に備え、ファイトを燃やしてくれるだろう。」
    (lancearmstrong.comより)


  • ウルリッヒ初優勝 その3 ( 4.23.2003 )

    これでウルリッヒはプロ43勝目をあげた。最後に優勝したのは、2001年10月11日、リスボンの世界選手権ITTだった。あの時は1位ウルリッヒ、2位ミラー、3位ボテロ、4位ライプハイマー、5位ボドロギでした。

    2002年1月はツールドカタールに出場するも、膝の故障で手術を2回経験。5月には飲酒運転+器物破損で免停。6月12日にはディスコで手に入れたアンフェタミンで陽性になり、出場停止処分。今年1月にはコーストに移籍するしないで もめ、つい先日のサルテのレースでも、直前まで転居先のスイスからライセンスがおりずにレース復帰が不透明だった。しかし、レース復帰して、3つ目のレースで優勝。彼自身、もう過去は振り返りたくない、とRadsportsnews.comのインタビューで語った。


  • ウルリッヒ初優勝 その2 ( 4.23.2003 )

    復帰後の初勝利がドイツであげられるとは。このレースはワールドカップでもツールでもないけれど、「信じられないくらい嬉しい」と語ったウルリッヒ。彼にとっては長いトンネルを抜けた象徴ともいえる優勝なのだ。

    ウルリッヒは、21日のルント ウム ケルンでラスト53キロにアタック。ラスト47キロ地点で41秒の差をつけた。その後トップグループとの差を2分近く広げてゴール。50キロを一人旅してのゴールだった。スタート地点はレーフェルクーセン、ゴールはケルン。202.3キロの道のりだった。

    実はその前に出場したアラゴンツアーでは、ウルリッヒは最終日にDNS(Did Not Start)となっている。これはこのケルンのレースに備えるために棄権したそうだ。
    (続く)


  • ウルリッヒが2001年ぶりに優勝したよ! ( 4.22.2003 )

    ドイツのケルンで月曜に行われたルント ウム ケルンでウルリッヒが優勝した。ドイツやスペインの各紙、今日はこのニュースでもちきり。詳細は後ほど。

  • 日本では四十九日というけれど、ロシアでは四十日目に死者と最後の別れを告げる。キヴィレフの死後、丁度四十日目に優勝したヴィノクロフ。「僕は再び彼に優勝を捧げられて誇りに思うよ。」 ( 4.22.2003 )

    20日に行われたアムステルゴールドで優勝したヴィノクロフ。「この優勝を先日亡くなったアンドレイ キヴィレフに捧げたい。実はまさに今日この日、彼のことを特別な気持ちで想っていたんだ。ロシア、そしてカザフスタンでは、人の死後40日に、亡くなった人に、その人を想い、最後の別れを告げるという伝統があるんだ。20日は、キヴィレフが亡くなって、丁度40日目だったんだ。」

    思い起こせば3月9-16日に行われたパリ ニース。キヴィレフの事故は第2ステージで起きたから3月10日のことだった。そして、彼の訃報が伝えられたのは11日の未明。4月20日マイナス3月11日は、なんと丁度40日で、アムステルゴールドは、キヴィレフの死後丁度40日目に行われたレースだった。日本の四十九日というのは、死と未来生との間の期間を言うらしい。ロシアの四十日の風習と全く同じ概念という訳ではないかもしれないが、なんとなく最後のお別れ、という意味ではこの両国の風習には合い通じるものがあるような気がする。

    ヴィノクロフは続けて言った。「4月20日の復活祭の日曜日、優勝して表彰台に立って、アンドレイのことを偲んだよ。そして、僕はちょっぴり自分を誇らしく思った。四十日のお別れの日、最後にもう一度、アンドレイに優勝という栄誉を捧げることができたんだからね。」
    キヴィレフが亡くなって、もう40日も経つんですね。つい先日のことのように思えるのですが。それにしても、ヴィノクロフ、パリニースでの優勝に続き、キヴィレフの死後40日目の優勝とは、ちょっと神がかっている。。。

    ところでアムステルゴールドの事前のレース予想ではヴィノクロフは優勝候補ではなかった。彼はステージレースを得意とするというイメージがあり、ワンデイでの実績はなかったので無理も無い。オッズでは、本命と見られたボーヘルトは5倍、続いてバルトリが6.5倍、ヴァンペーテルヘムとフレイレが7倍、アームストロングが8倍という中、ヴィノクロフは38倍だったそうだ。

    レースを振り返ってヴィノクロフ:「行程は気が狂いそうなくらいきつかった。アップダウンに加え、右へ左へ振られて、集中力が切れないように必死だった。でないと自転車から放り出されてしまいそうだった。レース中はスピーカーから金切り声が聞こえて、何度も何度も僕の名前を叫んでいるのがわかった。でも僕には力が全く残っていなかったから、ゴールで歓呼に応えることができなかったよ。」

    (上記コメント部分以外のヴィノクロフのインタビューについては、全てテレコムのHPからの掲載です。)


  • Dミラー復帰目処 ( 4.21.2003 )

    クリテリウムインターナショナルでオートバイと衝突して7月のツールへの出場が心配されたミラー(COF)。このたび腰の手術を無事に終え、退院した。ツールのために必死にトレーニングを積んできただけに、事故の時は全てを呪ったと語ったが、ツールまでにはベストコンディションに持っていくよう、急ぎすぎない程度に復帰トレーニングを積んでいくという。

  • ヴィノクロフ勝利インタビュー ( 4.21.2003 )

    アムステルゴールドで優勝したヴィノクロフのコメントを、Radsportsnews.comから拾いました。
    「僕はスプリントでは勝ち目がないと思ったので、先にアタックをしかけた。僕はワールドカップで優勝したのは初めてだ。世界選手権でも上位を狙えるのではないか、そんな自信がついた。でも、ワールドカップの総合を狙うつもりは今のところはない。とりあえず、4月27日のL-B−Lが目標だ。コースは自分に向いていると思う。」と。ヴィノクロフはラスト5キロ地点でアタックをしかけそのまま逃げ切った。2位はスプリントをボーヘルトが制し、3位はディルーカ。

    一方で、チーム関係者は、「我々は、ラストでケスレーとヴィノクロフの2人をトップグループに残すことができ、チーム戦略がうまくいったと思う。」


  • セビーヤ復帰はまだ見通したたず & アラゴンのヒーロー、バルベルデ:これからはヴエルタの準備に入いるよ ( 4.19.2003 )

    ケルメの若手がアラゴンツアーの第3ステージで優勝。しかし肝心のオスカー セビーヤは、アラゴンツアーにも出場できなかった。今季、レースには まだ全く登場していない。手術後、未だに復帰できる状態まで回復していないのだ。状態の詳細については、スペインのマルカなどで、2ヶ月ぐらい前に部位や患部について相当詳しいレポートが載っていたが、デリケートな話なのでここでは割愛。ざっとした話は、確か2月頃だったと思うが、サドルがあたる部分に違和感を覚えて、セビーヤは病院で精密検査を受けた。一向に痛みがとれないので できものの切除の手術を受けたが、思ったよりも回復が長引いているとのことだ。

    ところで、先に述べたエウスカルテルの若手以外に、今年注目を集めているのがバルベルデ。今年最初のスペインでの注目レース、チャレンジマヨルカで優勝したのでインパクトがあったが、彼は今行われているアラゴンツアー第3ステージでも区間優勝を遂げた。特筆すべきは、最後ゴールでの競り合いで、ミラネサのベテラン、アンヘル エドに貫録勝ちしたことだ。エドといえば、数年前、一番年間優勝回数の多いスペイン選手だったこともある。

    バルベルデ自身は、今シーズンは、余り調子がよくないと思っていただけに、今年のできばえは大満足だ。経験不足で ゴールでのかけひきに失敗し、ケルメの区間表彰台を逃して監督に怒られたこともあったが、上出来だろう。その彼、前半飛ばしすぎたので、疲れたと語り、暫く休んで、今後はヴエルタに備えるとのことだ。年間通して走り続け、更に勝ちを挙げ続けるというのは、大変なことだろう。ちなみにウルリッヒは、第3ステージ終わって総合30位。


  • エウスカルテルのヘッドハントは大成功!マヨが一気に30位に浮上。 ( 4.19.2003 )

    先日パイス バスコで優勝したイバン マヨが、最新のUCIランキングで100位以上から一気に30位に躍進した。2000年、エウスカルテルはアマチュア5人(アリサバラガ、マヨ、セリオ、サンチェス、シヨニス)をチームに迎え入れた。この時の若手が、今パワーアップしてプロでも大活躍の予感だが、特に中でも筆頭株なのがイバン マヨとサミュエルサンチェスだ。

    イバン マヨといったらアマチュアのバケチーム時代、「最高のU-23」といわれ、99年に彼はひとりでチームの優勝数に貢献した。99年の実績を見てみると、ステージレースでは、アリカンテ、サモラ、アラゴネサの3つのツアーを制覇。ステージ優勝回数は4回。(アリカンテツアー、ビドソアのツアーで1回ずつ。ビラツアーで2回。)その他ワンデイでもいくつも優勝している。そのため、彼のプロ入りに際しては、随分とあちこちでかけひきがあったが、最終的には(バスクの選手なので)順当にエウスカルテルに入った。

    そして、もうひとり今年のパイス バスコで総合3位に入ったサミュエル サンチェスもマヨ同様、2000年エウスカルテル新入生組のひとり。彼はアリサバラガとともに、アマのオララ エルコレカチームから移籍してきた。アリサバラガがステージレースで数々優勝したのに対し、サンチェスはアマ時代、99年のワンデイレースで10勝し、重要なレースでの優勝回数は合計40勝以上にものぼる。

    実は、イバンマヨは、アマチュア時代の活躍がすごかったので、プロ入りしてから、相当プレッシャーがあったようだ。でも今回地元のステージツアーを制したことで、これで彼も吹っ切れて、本来の彼の実力を思う存分発揮してくれるだろう、と周囲は期待している。


  • アームストロング アムステルゴールドに燃える ( 4.18.2003 )

    アムステルゴールドはアームストロングにとって大好きなレースのひとつ。過去2位が2回、4位が1回と相性もいい。但し、レース展開的にゴールスプリントとなるこのレースでは、なかなか簡単に優勝はさせてもらえない。しかし4月20日に行われる今年のレースでは、優勝も視野に据えて燃えている。フィニッシュが上りのロケーションに設定されているので、ラスト10キロののぼりで、他の選手をぬきんでる計算だ。もちろん、好調のヴァンペーテルヘム、ムセーウ、ボーヘルトらもあなどれないが。

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  • UCI トラックワールドカップ ( 4.18.2003 )

    NHK衛星第1でメキシコで行われたUCI トラックワールドカップを放映していた。ケイリン、追い抜き、スプリント、どれもどこが違うのかよくわからない。人数の差だけなのか?ちょっと勉強しなくては。それにしても日、見ているこちらも思わず力が入った。ケイリンの選手は全然知らないけど、とにかく日本人が勝つのを見るのは嬉しい。それにしても、ロードと違って、筋肉むきむきの選手が目立つ。

  • 「ヘルメットの着用義務化は反対だったけど、目の前でキヴィレフの転倒場面を見て以来、意見が変わった。。 」:シリーズ(5) ( 4.17.2003 )

    つい先日、フォナックのカメンツィンが、人づてにチームメートのツーレに、あるメッセージを送った。「ヘルメットをしていなかったら、今ごろもっとひどい目に遭っていたよ。」と。ツール デ フランドルの補給地点。誰かがレインコートを取り出した。そして、それが前輪にからまって、カメンツィンは転倒した。そのまま椎骨の損傷で、プライベート飛行機ですぐにスイスに移送されたのだった。幸いヘルメットをしていたカメンツィンは、これでも軽傷だったと胸をなでおろした。

    フォナックのアルバロ ピノ監督は語った。「僕は、もともとはヘルメット着用義務化には反対のクチだったんだ。でも、フランドルのカメンツィンのケースや、最近のほかのケースを見ると、そろそろ何かしなくちゃだめだな、そう痛感せずにはいられなくなったよ。特にね、僕はキヴィレフが地面に叩きつけられるのを目の前で目撃したんだ。彼が落ちた瞬間、これは相当深刻な事態になるな、そう思ったよ。」


  • アームストロング、離婚の危機は一応乗り越えた ( 4.17.2003 )

    週刊誌系ネタです。5月13日号の雑誌「アウトサイド」で、アームストロングの妻クリスティンが語ったところによると、別居して冷え切っていた2人の仲が改善の方向に向かいつつあるとのこと。2人は今年3月末にフランスのニースなどで一緒に過ごし、修復のきっかけを得たようだ。結婚して4年半。その間、6回の転居、英語のほかにフランス語、(現在スペインに住んでいるので)スペイン語の3つを操る必要に迫られ、2国間を行ったり来たりして、更に癌の回復期、3人の子供、ツール4連勝、栄光への道まっしぐら。。盆、暮れ、正月が一斉に来たような混乱の中、それらと折り合いをつけるのが大変だったとクリスティンは語った。

    これからは、スペインで一緒に暮らし、7月までヨーロッパに滞在すると決めた彼女。8月に2人で旅行に行くのを楽しみにしつつ、なんとかツール前のナーバスな時期を乗り越える決心をした。


  • フランスのスポーツ省が ツールドフランスにおけるヘルメット義務化を支持 ( 4.16.2003 )

    現在7月のツールドフランスでヘルメットを義務化するかどうかという討議が行われているが、この討議にフランスのスポーツ省が加わった。そして、ヘルメット義務化を支持。会社の上司が社員の安全を確保するべく手配するのと同様、フランスの役所としても、ツールでの安全性を確保する必要があると。「現在、選手たちはみな義務化に賛成しているわけではないが、例外なくツールの最中は着用義務化をすることも視野に入れている」という。スペインのマルカなどが伝えたところによると、極端な場合、タイムトライアルの時のエアロダイナミックのヘルメットが認可されず、通常のヘルメットのみとなる可能性もあるという。まあ、最終的にここまで強硬な意見が通るかどうかは?だけど。

    特に山岳ステージでは、嫌がる選手も多いだろう。2001年のラルプデュエズの時は、ヘルメット着用選手は10人にも満たなかったと思う。あの日は、山頂で、気温20度そこそこだった。2002年のドゥーザルプにいたっては、ざっと見た限りでは多分ゼロだった。その日はとにかく暑くて、山頂でも40度近い猛暑になったので、あんな時にかぶる選手はいまい。ヘルメットをほとんどかぶるので有名なマルセリーノ ガルシアですら、2001年のラルプデュエズではちゃんとかぶっていたけど、暑かった2002年のドゥーザルプでは かぶっていなかった。一律義務化になって、山岳で40度とかいう気温になったら どうするの?


  • コーストはコーストビアンキで蘇る? ( 4.16.2003 )

    コースト問題で、UCIがアラゴンツアーにウルリッヒを出場させることを渋っていた件、なんとか目処がついたようだ。ドイツのRadsportが伝えたところによると、彼がアラゴンツアーで走ることはOKになり、更に、コーストはビアンキをスポンサーにつけ、将来的にチーム名はコースト ビアンキとなる可能性も示唆した。これでビアンキの投資によりチーム全体の金銭問題が片付けば、一応コースト問題は一段落となるはずだが。。

  • ベロキは大反対:ヘルメット着用義務化議論 シリーズ(4) ( 4.16.2003 )

    エウスカルテルの選手、サムエル サンチェスは、「ヘルメット着用は賛成、でも強制義務化には反対だけどね。そもそも命は大切にしたいからなるべく自主的には着用している。これって、選手の9割の意見じゃない?」

    その1割にあたるのがベロキだ。ツールで表彰台を何度も経験している彼は次のように語った。「ツールでは山岳とか、鍵になる場面では、とにかくヘルメットに限らず、あらゆるものが お荷物に感じられるんだよ。」


  • ご意見番のご意見は?:ヘルメット着用義務化議論 シリーズ(3) ( 4.15.2003 )

    スペイン自転車界のご意見番といったらこの人。オンセのサイス監督登場だ。彼もどちらかというと義務化には賛成だ。「でも、UCIのやり方は、いただけない。ただ流されているだけの決断に見える。それよりも、まず選手を教育することの方が先決だろう。それをすっ飛ばして、先に義務化をしちゃだめだよ。そもそも義務化しているベルギーの選手自身、ヘルメットをしていないじゃないか。ただ義務化だけしたって、選手はついてこないよ。」とても彼らしい発言と思いました。

  • エウスカルテルで、絶対にヘルメットをしない選手は この人です。:ヘルメット着用義務化議論 シリーズ(2) ( 4.14.2003 )

    ヘルメット着用の義務化が議論される中、今までヘルメットほとんど着用したことがない選手がいる。エウスカルテルのクライマー、ライセカだ。パンターニも余り被らない方で、バンダナなどをしたりすることが多いが、ライセカの方がアンチ ヘルメット派としては強固な存在だ。他にゲロルシュタイナーのラステッリも、この世界ではヘルメットをしないので有名。

    エウスカルテルのマネージャーミゲル マダリアガ氏はこう語った。「うちのチームのゴルカ アリサバラガの命を4月初めに救ったのはヘルメットだった。もしも ヘルメットをしていなかったら、彼は第二のキヴィレフになっていたはずさ。」というわけで、マダリアガ氏も、義務化の是非については詳しくは言及しなかったものの、ヘルメット着用大賛成だ。


  • パリ ルーベ Pre-news ( 4.13.2003   )

    13日付けcyclingnewsのタフィのインタビューをちらっと読んだ。マペイ時代は、リーダーがいっぱいいたので、やっぱりいろいろと大変だったのだな、というのが伝わった。パリ ルーベでタフィが優勝した「1999年、マペイ内には緊張があったし、事情は今よりも複雑だった」とタフィは語っている。つまり、マペイではリーダーが複数存在していたので、チーム内におけるレース方針統一の面では、なにがしかの軋轢があったことを暗示している。チームスポーツであり個人競技でもあるこうしたレースにはつきものの問題だけど、リーダーが多い所帯だと特に大変だ。フレイレも、マペイ時代自分のアシストをしてくれたのは、オリヨとブラマーティだけだったといつか言っていたが、チーム内に派閥なんていうのがあってもしかるべきだろう。

    しかし、今のCSCチームでは、みんなが自分のために走ってくれる、とタフィは喜んでいる。彼は最近チームメートをイタリア料理でもてなし、チームメートの一体感を深めたらしい。おいしい食事を振舞って、チームメートのモチベーションを高めたという。パリ ルーベはいよいよ今日。ムセーウはフランドルよりは調子を上げているといい、優勝好捕の筆頭だ。cyclingnewsによると、今回ムセーウが優勝すれば、彼にとって100勝目になるという。但し、どの時点から優勝回数を数えるのかによって、彼の優勝回数にはいくつか説があるようだが。少なくとも、今度彼がパリ ルーベで優勝すれば、50人目のベルギー人の優勝となるそうだ。


  • ヘルメットの着用義務化について :シリーズ(1) ( 4.12.2003 )

    先週、スペインのAS新聞の中で、ヘルメットの着用義務化の問題が討論されていましたので、暫くシリーズでこの問題に関する選手、監督らの声を同新聞から拾っていきたいと思います。まず最初は、昨年CSCで来日したマルセリノ ガルシア。彼はオンセ、CSCと渡り歩いたあと、チーム探しに難航したが、やっと今はミンゲス監督のもとラバルカに腰をすえた。そして、彼はヘルメット着用支持派だ。

    「このテーマは確かにデリケートだけど、僕自身は義務化しても全く不便は感じない。実際僕は常に着用しているクチだからね。ヘルメットは僕にとって、常に命綱と考えているんだ。これはやっぱり義務化が必要だと思う。みんながこの命綱をきっちりと使うためには、規制化なくしては無理だと思う。91年にの時みたいに、みんなが猛反対するなんてことは、今だったら、起こらないんじゃないかな。」


  • サルテのレースを走った感想は。。 ( 4.11.2003 )

    「ナントのスタート地点に朝立ったとき、長い間レースから遠ざかっていたという感じがしなかった。むしろ、毎年恒例の冬季休暇を終えただけ、そんな感じだった。」と語ったのは、14ヶ月ぶりにレース復帰したウルリッヒ。そして、このコメントは、彼のHPにさっそく掲載されたもの。レース中にも関わらず、感想をHPに入れずにはいられないほど、彼は復帰の喜びに満ちていた。

    更にファンを安心させたのが、彼のこの言葉。「みんなが僕に挨拶をいっぱいかわしてくれて、ランス アームストロングは 僕に、元気な子供が生まれてくることを祈っているよ、と言ってくれた上で、子供は素晴らしいもんだよ、と言ってくれた。彼の言うとおりだと思う。」そのアームストロングは第2ステージで体調不良でリタイヤしてしまったが、チャンピオン同士、手厳しい批判をすることもあれば、互いの健闘を称えあうこともある。

    第1ステージを走り終えて、ちょっと疲れて、足にきたと言っていたウルリッヒ。でも、ここ1年悩まされてきた膝の問題はなく、第1ステージ最後まで、膝は持ちこたえたと語る。冬の間のトレーニングが実を結んだと実感しているようだ。

    ウルリッヒは、もしも好調が続けば、この後、次は16−20日のアラゴンツアーなどに出て、1週間休んだ後、L-B-Lに出たいと語った。彼がワールドカップ シリーズに出場するのは、勝つためではない、と言い切る。来年に向けて感触を掴むためであり、彼の目は今年のツールドフランスと、来年の完全復活に向いている。


  • カルロス ダ クルスって誰? ( 4.10.2003 )

    サルテの第1ステージで優勝したFDJのカルロス ダ クルス。聞きなれない名前だが、彼はピストのスペシャリストだ。97年世界選手権追い抜きで3位にも入っている。ロードでは、1999年にはロンバルディー週間で1勝をあげた。しかしその後、2000年、2001年と手術に次ぐ手術(左の鎖骨を2回、腸骨動脈のバイパス手術など)を経験。今回は、怪我を乗り越えて、嬉しいロードで2度目の優勝だ。

    今回サルテの第1ステージでは、元ピスト選手という経歴を生かし、ゴールのかなり手前からスプリントを仕掛けたクルス。続くウルリッヒ、アームストロングらを含むグループとの差は5分52秒。一気に大差を稼いだ。ビッグマット、フェスティナを経て2002年からFDJに在籍する28歳だ。


  • 抜きつ抜かれつ UCIランキング ( 4.10.2003 )

    ツァベルが再びベッティーニを抜きさって5ポイント差でUCIランキング世界No.1に返り咲いた。先日のセトマナカタラナでの2区間優勝ポイントがきいたのかもしれない。最新のUCIランキング トップ10は下記。

    1. Erik Zabel - 2217 points
    2. Paolo Bettini - 2212
    3. Lance Armstrong - 1978
    4. Dario Frigo - 1956
    5. Davide Rebellin - 1721
    6. Robbie McEwen - 1625
    7. Mario Cipollini - 1608
    8. Aitor Gonzalez - 1512
    9. Roberto Heras - 1455
    10. Francesco Casagrande - 1432


  • しつこいけど、再び ウルリッヒ:「自転車界から去ろうと思ったことも」 ( 4.9.2003 )

    14ヶ月ぶりに復帰したウルリッヒは、フランスの新聞レキップの取材に答え、辛かった思いを今になって吐露した。「出場停止処分を知ったとき、もうこれで終わりだ、自転車界から去ろう、そう思った。でも、この思いは長くは続かなかった。ただ、目標もなく走ることはできない、そう思った。」

    久しぶりのレースについては、「(故障していた)膝は もちこたえた。トップから5分52秒のトップ集団でゴールできてよかった。レース最後は足にきたけど、これはよくあること。早くゴールしたい一心だった。スタートラインでは、みんな暖かかった。僕を見にみんなやってきていたんだ。ランスとは僕の生まれてくる子供の話をしたよ。」

    しかしアームストロングとのなごやかそうな雰囲気も、別の記者とのインタビューでは一変し、リングの外で火花もちらつかせた。アームストロングがウルリッヒのコースト入りの決断を、「CSCなどがオファーしていたスポーツ的な価値よりも、お金を優先してコーストに決めたことは残念だ」と言ったことについて反論したのだ。

    「これは、プレスに対してではなく、僕自身に直接言って欲しかった。そうすれば、アームストロングに僕の口から理由を説明できただろに。もっとも、これは僕のパーソナルな問題だから、人にとやかく言われる筋合いはない。テレコムを去った理由、リースのもとに行かなかった理由だって、彼は本当のことは何一つ知らないのだ。」

    一方でコーストの問題に関係して、ツーレのフォナック移籍については、クールに答えた。「こういったことは、テレコム時代にも時々あった。さした心配事ではない。」と。


  • サルテのレース ( 4.9.2003 )

    http://www.lequipe.fr/Cyclisme/CyclismeResultat977_2000000000006573_ETAPE.html

    ウルリッヒは22位で第1ステージを終えた。ちなみに、サルテレースのスタートはできたものの、彼のライセンスは暫定的なものだったことが判明。コーストの財政状況が未だに不明確なためだ。なんとかこのレースだけは終える了解をとりつけたとか。なんとも綱渡り状態だが、とりあえず本人は復帰できてよかった。ちなみにウルリッヒのコメント速報。

    「余りいい状態とはいえなかった。フロントグループにとどまるのが結構ハードだった。今こうして、長い休みがやっと明けたんだ、と喜びを実感しているよ。」


  • ウルリッヒのカムバックは大ニュース ( 4.9.2003 )

    もうドイツのサイトはウルリッヒ一色。余りに記事が多すぎて、どこから手をつけていいのやら。とりあえず、彼の一番かっこいい写真(もちろん走っている姿です)が写っているサイトをご紹介。
    http://radsport-news.com/news/sarthe20031.shtml


  • ウルリッヒ最新ニュース! ( 4.8.2003 )

    UCIのOKが出たのを受け、ついにウルリッヒがサルテのレースでスタートしたことが確認された。これはドイツの新聞が速報で伝えたもの。UCIは、口頭でのライセンス確認だけでなく、書面でも確認書を出す予定。しかし、コーストの財政状況は結局うやむやのままのGoサインなので、今後もコーストに関しては 波乱なしとは言い切れない。ウルリッヒのクイックステップとの駆け引きも、まだ続く。

    Cyclingnewsにはまだレースの詳細がないので、公式HPの出走リストをご紹介。チーム名をクリックすると選手が出てくる。USPは、アームストロングに加え、アシスト陣は、全員ツールドフランスでかつてアームストロングをアシストしたことのある面々だ。他にヴィランク、ブロシャール、ベロキなど。
    http://www.sarthe.com/TourCycleSarthe/site/Peloton/equipes.asp?seg=300&rub=310


  • ウルリッヒ サルテのレース出場再確認 ( 4.8.2003 )

    サルテのレースのスタートまであと1時間半。サルテの公式HPが、ウルリッヒの出場を再度確認し、「UCIはウルリッヒのライセンス問題に、青信号(Goサイン)を出した、と発表した。これでアームストロングとの一騎打ちが楽しみになった。

  • キヴィレフの 後釜 ( 4.8.2003 )

    先日ツーレと同時期にコーストを自ら去り、フォナック入りと言われていたスペイン人のルイス ペレス、実はそのまま移籍するチームなしで浪人になってしまった。しかし、このたび、キヴィレフのいなくなったコフィディス入りの話が急浮上。コフィディスとしては、UCIランキングトップ10にとどまりたいという強い意向があり、亡くなったキヴィレフの穴を埋めようとしており、両者の思惑が一致したかたちで、後は契約条項で折り合いがつけば決定だ。ペレスは28歳で、スぺシャリティは山岳。昨年ヴエルタで区間2位を2回記録している。

  • ウルリッヒがナントにやってきた ( 4.8.2003 )

    ウルリッヒがサルテレース参戦のためにナント入りした。まあ、彼の行くところすごい人だかり。報道陣がマイク片手に彼を追いかける。で、マネージャーのペフェナフェ氏が昨日太鼓判を押していたとおり、ウルリッヒのUCIライセンスは、どうやらぎりぎりで間に合い、レースには出場できそうだ。昨日夜、UCIからアンオフィシャルのOKが出た。しかし、UCIからの正式判断は、なんとレース当日の10時(スタートの1時間半前)にならないと出ないそうだ。

    一時は、サルテに出場したとしてもウルリッヒは、(かねてから交渉を続けていた)クイックステップの選手として走るのではないか、という噂もあった。しかし、どうやらこのところは、コーストのジャージで登場することになりそうだ。ウルリッヒ自身は、本人が語ったように、去年の今ごろよりは痩せて、すっきりした顔をしている。


  • ウルリッヒがパパになるぞ。 ( 4.7.2003 )

    更新されたウルリッヒのHPからです。ウルリッヒ一家が待望のベイビーを授かったとのこと。男の子か女の子はまだわからないけど、でもどっちでもいいと。とにかく健康であれば。夏の終わり頃には誕生するそうだ。もう嬉しくて、嬉しくて、という感じが伝わってくる。

    彼はHPで、月曜にはサルテツアーのためにトスカーナからフランスのナントに移動すると書いてある。自分が一体今 プロトンの中でどのくらいのレベルにあるのかわからないけど、久々のレースにとてもわくわくしているとも。あれ?いつライセンス取得できたの?と思いきや、これがまだ。6日時点でドイツの各紙が伝えたところによると、月曜、つまり今日中に綱渡り的にライセンスを取得する予定でいると。しかし、月曜に取得できなければレース出場は無理になる。とにかく明日になれば、ライセンスの顛末がわかるはず。明日8日のニュースにウォッチしてみたい。


  • ペーテル ファン ペーテルヘム ( 4.7.2003 )

    1970年1月18日ベルギー生まれ
    身長 177cm、体重72キロ
    1992年よりプロ
    チーム:PDM (1992), Lotto (1993), Trident (1994), TVM (1995-1999), ファームフリッツ (2000), マーキュリー(2001前半), コスストロップ (マーキュリーのごたごたで2001秋に移籍), Lotto (2002から)
    ツールデフランドル:1999年、2003年優勝、ヘットヴォルク: 1997、1998 、2002優勝、ルイスプイグ:1996年優勝、デパンの3日レース:1999、2002年優勝、などクラシックでの殊勲数々。


  • ヘルメット着用が必須に ( 4.7.2003 )

    スポーツ紙各紙が土曜日に一斉に伝えたところによると、プロの自転車レースでヘルメット着用が必須となる方向で検討が進められている。今までUCIはプロのレースではヘルメットの使用を奨励してきたものの、義務付けることなはかった。試みはあったものの、選手たちからストライキを起こされ、抵抗にあったこともある。今回のUCIのこうした動きの背景にあるのは、むろん最近のキヴィレフの事故だ。彼の場合、ヘルメットによって守らる頭の部分のダメージにより致命傷となったことから、ヘルメットを着用していたら、最悪の結果は免れただろう、という医師の発言もあった。

    完全にこれが義務化となるタイミングについては、諸説あるが、実際の適用時期と にらまれているのは、ジロスタートの5月10日だ。ヘルメットの強制使用が実現すれば、従わなかった選手にはペナルティーなどの措置が加えられる見込み。


  • パンターニ インタビュー <その3> アームストロングは最高のクライマーじゃない。 ( 4.5.2003 )

    ― ツールドフランスの話を続けるけど、アームストロングを打倒できるのは誰だと思う?
    パンターニ:「パンターニだけさ。アームストロングは山岳で差をつけるけど、それは誰もシリアスにアタックをかけないからさ。もしも山岳で彼を追い詰めれば、彼は危機に陥るはずさ。」

    ― アームストロングを打倒するには、ラストでアタックしてもだめだと言っていましたが。
    「これは勝つための公式だよ。まず誰か耐久性ある選手が最初にアタックをかける。そうすれば、アームストロングの後半のペダリングに影響を及ぼすことができるだろう。彼はナーバスになって、打倒は可能になるよ。彼は世界最高のクライマーではないと思っているからね。」

    ― じゃあ、アームストロングの独壇場の終焉はいつ?
    「今年勝てば十分だろう。今年に関しては、彼に勝てそうなライバルはいないからな。最も自転車競技は算数のように、簡単に答えが出ることはない(から、まだ何があるかわからない)けどさ。」

    ― イラク戦争反対を掲げているけど、平和のためにスポーツマンとして何ができるでしょう?
    「戦争に反対なのは、これが経済紛争だからなのさ。解決は難しいよ。でも外交努力で解決ができるんじゃないかね。スポーツマンとしてできること、それは考えを述べること。でもアクションを起こすことは無理だよ。僕らは主体的に動ける身ではないんだ。」

    ― 自転車に対する愛着は戻りました?
    「今の自転車界を取り巻く雰囲気は気に入らない。でも自転車競技自体には愛着を覚えている。精神的にも、肉体的にも成長させてくれる最も素晴らしい競技のひとつだよ。」

    ― 今の自転車界の雰囲気は気に入らないとおっしゃいましたが、どうやってこれはどうやって改革できるでしょう?
    「不可能じゃないけど、難しいだろうね。さっき言った通り、こういうことに対し、僕らは主体的に動ける身ではないし、影響力はないんだよ。」


  • パンターニ インタビュー <その2> ― 今季限りで引退することについて ( 4.4.2003 )

    ― 長いブランクにも関らず、随分高いレベルでの走り(コッピバルタリレースでの走りを指す)でしたが。
    パンターニ:「日に日に良い走りをすることをめざしたけど、でももっと強い選手がいたね。とにかく、今の僕はベストコンディションから、そう遠くないレベルまでには到達したと実感したよ。ジロまでまだ時間はある。ジロば僕の最大の目標だ。」

    ― ジロの前になにか勝つ気でいるレースはありますか?
    「来週月曜からパイスバスコで走る。このレースで多少勝ちにいくよう頑張る。総合優勝は狙わず、上りで他のライバルに比べて自分がどの程度の走りをするかを見定めたい。」

    ― ジロでの走りはどうなりますかね?
    「総合優勝を狙うよ。勝つために行く。」

    ― (このインタビューの最中、パンターニは、今年で選手生活は最後、と述べたのを受けて、)ジロで勝てば、今季限りに引退するという意思も変わり得る?
    「わからない。刺激次第だろうね。この引退決定は、直感的なものだから。」

    ― ツールは貴方を出場招待させるつもりはないと言っていましたが、ショックですか?
    「全くその逆だね。これで闘志に火がついたよ。ジロで勝っていい成績を残せば、ツールに出場できる他のチームでツール参戦することもやぶさかではない。例え、チームとの規約違反でライセンスをその後1ヶ月取り上げられたとしても。」(続く)


  • パンターニ インタビュー ( 4.4.2003 )

    マルコパンターニは、今週月曜日から現在マドリッドにいる。チームメートのクラベロ選手の住むラスロサスの自宅に宿まっているのだ。コッピバルタリで大活躍のあと、スペイン入りした。その機をとらえてスペインのメディア アスが彼にインタビューをしたので、下記の通りお届けします。

    ― 今回の好調ぶりの原因は?
    「2年間ごたごた続きだったから、今年は自転車に対する姿勢を変えたんだ。トレーニングも随分積んだけど、前みたいにアグレッシブなやり方はやめて、体調を見極めながらやっていった。そして、自分の自転車人生も終わりが近いから、とにかくいい成績を収めようと集中したね。レース開始時は、自分自身への期待も大きかったが、33歳という年齢を考えると力は以前とは違うことも気づかせられたのは事実だ。」

    ― アグレッシブさが影をひそめたということ?
    「まさか。これはトレーニング中だけの話さ。レース中はアグレッシブにならない、なんてことはあり得ない。これはもって生まれた性質だからね。」

    ― プレッシャーは?
    「あるよ。2年間裁判所通いだったんだからね。遂にドーピングの陽性という判定は でてこなかったから、全てのケースで勝訴したんだ。今まで被ったことに対して裏恨めしい気持ちがないといったら嘘になる。おかげでレースで勝利する機会を奪われたんだから。ただ、教訓は学んだよ。今後は、僕が学んだことを周囲にも伝えていきたい。今僕は静かな気持ちで、前進したいと思っている。」


  • ウルリッヒ サルテのレースは8日なのに、まだライセンス未取得 ( 4.4.2003 )

    ウルリッヒのUCIライセンスは、今だに取得できていない。8日から始まるフランスのサルテのレース実行委員は、ウルリッヒにレースへの招待状を送ることができず、保留としている。ライセンスがすんなり取れないのはは、彼がスイスに引っ越したために新たに保証などを取り付ける必要があるためなのだが、それだけでなく、チームコーストのオフィシャルステータス自体がUCIから現在「やや難あり」と見なされている事実による。つまり、チームの全面的協力なしでは、彼のライセンス取得は難しい。ウルリッヒがサルテに出場できるかどうか、サスペンスはまだ続く。

  • ジョージ ヒンカピー前半のクラシック戦は絶望 ( 4.3.2003 )

    ビールス性の不可解な病気でなかなか力がでないままトレーニングを続けてきたヒンカピーが、監督命令により、トレーニングを一切中止し、ツールに向けて完全休養を取ることになった。これで、少なくとも5月までは彼の春のクラシック出場の可能性は なくなった。

    ヒンカピーといえば、クラシックが大好きで、ゲント ヴェヴェルゲム2001で初めて優勝したアメリカ人だ。パリ ルーベでは、過去4年間トップ6に連続で入るという快挙を遂げている。それだけに、本人は年初から体調不良のまま無理矢理練習を続けてきたが、遂にブリュイネール監督が判断を下すことになったもの。


  • ジロディタリア:フォナック一瞬びっくり ( 4.3.2003 )

    昨日ジロ出場18チームが発表になったが、その中にフォナックが含まれていた。その発表を聞いたフォナックのピノ監督が、困惑の表情で、「ジロに参戦するつもりでいなかった。この話は聞いていない」と語っていたが、その通り、フォナックのジロ参戦アナウンスは誤ったものだったらしい。逆にデンマークのチームFaktaが、「うちがジロに出場できると当局者から聞いていたのに、名前が入っていない」と名乗り出た。というわけで、フォナックと公表された前回のアナウンスは訂正され、ファクタが入った模様。もっとも、先にお伝えした通り、まだあと2枠程度はジロ出場枠が残っているので、今回のチーム発表は、まだFinal Versionではない。

  • テレコムのカラー チーム カタログが無料でゲットできるぞ(全60頁以上) / ヴィノクロフはいきなり3児の父で。。 ( 4.2.2003 )

    今、テレコムのHPから60頁以上にも及ぶカラーのスタイリッシュなチームテレコムのカタログがゲットできるのをご存知ですか?私はその中から好きな頁(つまりヴィノクロフの頁)だけカラー印刷しましたが、印刷しなくても、パソコン画面上で見るだけでも見ごたえがある内容。名前順に、選手の超アップ写真がひとり1頁掲載されている。次頁に選手の解説付き。テレコムは毎年 厚い上質の紙でチームカタログを作成しているが、それが そのままパソコンから取り出し可能になった。

    ご参考までに、ドイツではヴィノクロフの名前はVで始まらず、アルファベットの選手順ではWesemann(ヴェセマン)選手の次にくるのでご注意を。名前の読みが優先されるので、彼の名前のつづりは「Winokurow」となる。このヴィノの写真はイケている。内容を読んでいたら、いろいろ発見があった。びっくりしたのが、ヴィノクロフの家族構成。いきなりDrei Kinder(子供3人)とある!!近年結婚して、子供がひとりできたものの、一体いつの間に3人も?と驚いたが、解説を読んで納得。

    どうやら2人目が双子で、イリーナの下に ニコラとキリルが一度に誕生して、一気に5人家族になったという。また、かつてニースに住んでいたヴィノは、今はモナコのモンテカルロ在住だ。税金対策だろう。彼のグランツール出場回数を見てみると、ツールは3回、ヴエルタ2回、ジロ0回。ジロにはそういえば出ていない。ツール出場3回というのも、えっ?たったそれだけ?と思ってしまったが、よく考えれば、彼は99年カジノの時に初出場だったっけ。2000、01年と出場し、去年は怪我で出場できなかった。今年の目標はグランツールの表彰台だ。


  • ウルリッヒ最新ニュース:クイックステップ入りについて ( 4.2.2003 )

    cyclingnewsがウルリッヒはやっとUCIライセンス取得できたらしい、と昨日 フライング気味に報じていたが、残念ながら、昨日の時点で、ライセンス許可は下りなかった。当初、今週火曜には取得の目処、という発言があったため、見切り発車報道で報道した可らしいが、いずれにしてもcyclingnewsの報道の後に ドイツ各紙が報じたところによると、1日中の発行は無理だったとのこと。サルテのサーキットレースまであと1週間を切った。レースは8日スタートだ。ファンにとってはやきもきだ。当のウルリッヒの方は至って調子がよいということで、1年前よりも体重を7キロ減量した。

    一方で、彼の気になる移籍問題だが、クイックステップが、5月1日までウルリッヒの回答を待つ、とうことでクイックステップ入りは保留になった。現状を考えるとウルリッヒはクイックステップのオファーに即答すればいいのに、と思っているファンもいるかもしれないけど、ネックはサラリーだ。ウルリッヒの要求額は、現在クイックステップが支払えるとしている額の2.5倍らしい。

    また、コースト問題の次の山は4月7日あたりになるかもしれない。この日までに、チームは例によって選手への給与支払いを済ませなければならない。前回、滞納があり、チームはパリニース出場を取り消されツーレがチームを去ったという苦い経験がある。果たして支払いは大丈夫?UCIは、選手への給与支払いに難あり、と指定したケルメとコーストについては、毎月モニターを行い、銀行口座への給与支払いを厳しくチェックする。ケルメについては、昨年前半に数ヶ月支払いストップの実績があるためで、コーストについては、昨年から税金の二重課税などで、選手からクレームが絶えないせいだ。ツーレは、チームを去った今でも、昨年の給与について、クレームが解消されていないと不服を申し立てている状況。


  • 。。。というわけで、ジロ出場18チームは下記の通り。 ( 4.2.2003 )

    アレッシオ、セラミケ パナリア、コルパック、ドミナヴァカンツェ、ファッサボルトロ、ランプレ、サエコ、メルカトーネ、テナックス、ヴィーニカルディローラ(以上イタリア)、CCCポルサト(ポーランド)、セッレイタリア(コロンビア)、FDJ(仏)、ゲロルシュタイナー(独)、ケルメ(スペイン)、Lコルナゴ、ロット(2チームともベルギー)、フォナック(スイス)

  • 5月10日スタートのジロは今年もスペインチームからは敬遠気味 ( 4.2.2003 )

    高騰するイタリアのTV放映権の問題で、スペイン国内では地上波によるジロのTV放送が今年も危ない。昨年同様、オンセとバネストは、これを理由にジロ不出場を表明した。これは、昨日 当局者が発表して明らかになったのだが、現在出場チームは18チーム。しかし、更にチームを追加し、20チーム程度にしたいとジロ側は考えている。しかし、バネストは完全にジロ出場に拒否を示し、オンセはまだ交渉の余地あり、としている。

    交渉の余地ありというのは、スペイン国内でのTV放映次第で、という条件付きで、放送がなければ出場しない、とサイス監督は明言した。もしもオンセが出場するとなると、リーダーはイゴール ガルデアノになる。昨年はオラーノとガルデアノが、ジロに向けて調整していたのに、直前でジロ出場をチームが取りやめにしたため、ツールでのコンディション作りに難儀したのが思い出される。それを踏まえて、今年はなるべく早めにチームのジロに対する方針を決定をしたいと監督は考えているようだ。

    現在出場がグレーなのは、他にチーム フォルマッジ(伊)だ。先日モーリと監督によるトラブルがあり(ティレノの尿検査の際に、モーリの採取分として提出された尿サンプルが、監督のものだった、とかなんとか)、ジロへの出場がまだ決定していない。また、ジロ出場で動揺しているチームもある。スイスのフォナックだ。ピノ監督:「びっくりした。ジロ出場のつもりでやってきていないよ。」また、ケルメのリーダーはスプリンターのガルベスと総合を狙うケサダになる。


  • パンターニ 出来すぎ!& ウルリッヒもパンターニのように、最初のレースで存在感をアピールできるか注目集中。 ( 4.1.2003 )

    パンターニが戻ってきた。とはいっても、単にイタリアのレース、コッピバルタリ週間に戻ってきたことを言っているのではない。その話は既にしたので、そうではなく、完全に復調をアピールしてカムバックを遂げたのである。レースでは常に存在感をアピールし、特に最終日は寸でのところで区間優勝。惜しくも2位になり、「もう少しで優勝できたのに。ちょっとスパートが早すぎたんだ」と語った。総合成績も10位だった。

    「僕はまだトップコンディションではないが、それでも精神的に十分張り合える強さがある。今年最初のレースに満足だし、最終日の2位という結果にもとても満足してるよ。チームメートはよくやってくれたし、僕を信じてくれて感謝している。時期的にもまだ完全な調子ではなかったけど、これからは万事うまくいくだろう。」

    最近のイタリアの新聞紙面上で、アームストロングに挑戦状をたたき付けたパンターニだが、彼らがレースで対面するのはいつのことかわからない。ソシエテが確認したとおり、Div2のメルカトーネはツール出場権がなく、パンターニの目下の目標はジロなのだ。「ジロでは優勝候補としてスタート地点に立ちたい」とパンターニ。ともかく、彼のシーズン出だしの結果は上々。とてもいい形でファンに期待をもたせてくれた。

    一方で、これで注目はウルリッヒに集まることに。彼の14ヶ月ぶりのレースはどんなものか、みんなが注目している。パンターニのように、ファンの期待にこたえてくれるのか?ここで、彼のHPから、彼がサルテのレースを心待ちにしている様子をどうぞ。

    「14ヶ月の休止のあと、最初のレースまで、もう1週間となった。まずはともかく、ベルンにあるスイスサイクリングから自転車プロとしての許可書をもらわないことには。僕は今スイスに住んでいるので、スイスのライセンスで走ることになるからなんだ。

    コーストは、数日以内にUCIからの正式な許可発行を取り計らうことになっている。ことはうまく運ぶだろう。土曜日には、最後の試しでエルゴメーターをつけて走った。満足行く結果だった。サルテに向けていい手ごたえをつかめたよ。

    月曜には、最後のトスカーナキャンプに向かう。前回2回と同様、友人のトビアス シュタインハウザーも同行する。いよいよ始まるか、そう思うととても嬉しいよ。ヤン」
    サルテはいよいよ4月8日スタートだ!



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