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特ダネ・ニュース 2003年6月の記録..
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  • ツール公式HPにアームストロングの動画とインタビュー ( 6.30.2003 )

    letour.frの公式HPが刷新されたことは述べましたが、もしかして、英語Versionを見ていませんか?フランス語版の方が数段充実していて、例えばImages & Videosというコラムがあります。その中には、フレームをメジャーで測ってバイクの点検するアームストロングの姿をまじえたインタビューなども。コメントはフランス語ですが、アームストロングインタビューはオリジナルの英語のままなので、フランス語を知らなくても英語がわかれば大丈夫。他にもウルリッヒ、ジャジャなどなどのインタビューも。

    アームストロングのインタビュービデオ>
    Video Playerがインストールできない、などの理由で見れない方へ、要約を。

    (レース前、バイクを綿密に点検するアームストロングを映し出し、)アームストロングは1時間ばかりメカニシャンに変身し、細かいところまで寸法などのチェックをする。彼は完ぺき主義者だ。インタビュー:「スタートラインでは5連勝のことは考えない。1勝つことだけを考える。」また、対抗馬のウルリッヒのカムバックに関しては、「ウルリッヒにはツールで走って欲しいと願っていた。僕にとっても、観客にとっても、それが望ましい。僕も100周年のツールに相応しいナイスファイトを見せたい。」

    また、ブッシュ大統領とアームストロングのツーショットが映り、ブッシュ大統領がスピーチ。「癌を克服してTDFで4連勝したことは、スポーツの歴史の中でも偉大なヒューマン・ドラマだ。」と語った。

    一方で、アームストロングはブッシュ大統領について語った。「彼は確かに友人だ。でも、彼や彼の内閣の秘密を僕は知る立場にはない。更に彼の言うこと全てに賛同するわけでもない。僕は戦争のファンでないんだ。」

    今まで家族よりも自分のことを優先してきたアームストロング。家族との別居という試練もあった。「別居は、僕が初めて経験した出来事だった。結婚している人ならわかるだろうが、夫婦というのは少しずつ互いに歩み寄って発展していくものなんだ。今回の件が、自分にとってマイナス効果をもたらさないことを願う。」


  • スペイン選手権 タイムトライアル:号泣のわけは「30歳で初優勝」 ( 6.29.2003 )

    ナショナルチャンピオンシップの結果が続々入ってきている。イタリア選手権TTでは、モンディーニが優勝し、表彰台で胸を張って 誇らしげに微笑む姿がcyclingnewsなどにも掲載されている。が、そんな中、優勝し、感極まって泣き崩れた選手の姿があった。事故、怪我で不遇の選手生活を送り、優勝から見放されてきた選手が、30歳にして初めてあげた金星だった。たったひとつの勝ち星の大きさを しみじみ感じさせる光景だった。

    ツール出場リストのAG2Rの欄に掲載の通り、27日に行われたスペイン選手権 タイムトライアルでAG2Rのチャウレアウが優勝した。(http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-tourkari.html

    スペインTVEのアナ ホセ カンシオが、優勝インタビューを行った時のことだ。TVカメラの前であるにも関わらず、チャウレアウが突然号泣した。その後 暫くインタビューは続くが、彼の涙は止まらない。95年にプロ入り後、8年半の間、数々の事故に見舞われ、30歳になるまで勝ち星も全くなく、不遇の自転車選手生活を送った。それまでの記憶が一度に脳裏に蘇ったのだろう。

    彼はもともと、すばらしく安定感のある走りが売りだった。プロ入り最初の3年間(95、96、97)は意外にも、イタリアのポルティに在籍した。その後98年から2001年、バスク人としては理想的なエウスカルテルで走った。(彼はスペインのサンセバスチャンの出身。)しかし、97年にトラックに轢かれ、2000年にはビシクレタバスカの最中にアラテの下りで落車し、肋骨を5本骨折し、肺にも穴があいた。こうして不本意な日々が続き、2001年にはAG2Rに移籍することに。

    しかし、これが転機となり、入団早々2001年のツールでは総合12位に入った。更に、今年のドーフィネのITTでは、アームストロング、ミラー、マヨについで4位に入っていた。だから、今回のITTでの活躍も、不思議ではないのだが、スペイン選手権での周囲の注目は一気にペチャロマンに向いていたので、チャウレアウは全くのダークホースだった。ちなみに ペチャロマンは5位に終わり、周囲はがっかり。それだけ期待が大きかったということだろう。

    更にチャウレアウの涙を増長させた要因があった。それは、従兄弟のミケル アスタルロサが今回のスペイン選手権で、3位だったこと。チャウレアウ、初めて登った表彰台は、一番高い所で、しかも従兄弟と一緒だったのだ。考えてみれば、従兄弟のミケルとは、(ルックスも含めて)全く正反対だった。ミケレといえば、アマ時代からレースを総なめし、チャウレアウの引きで入ったAG2Rでは、プロ入りたった2年目でダウンアンダーという大きなレースで優勝。
    (レースリザルト1月分参照:http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-200.html
    でも、そんな従兄弟の活躍ぶりが、発奮材料となったのか、今年チャウレアウは好調だ。そして、彼の夢は、ツールで総合10位以内に入ること。

    一方で、ウルリッヒは、ドイツ選手権をパスすることを決めた。赤ちゃんの誕生間近で、フィアンセのガビーとともに、ゆっくり家で過ごしたい、というのが理由だ。レースをパスして家族と過ごす余裕のある選手と、片や、たったひとつの優勝を長年追い求めて必死で頑張った末に、涙に暮れた選手。ここ最近ごたごた続きだったとはいえ、やはりウルリッヒは、才能や環境にも恵まれてきた選手には違いない。彼には、チャウレアウの涙は理解できないかもしれない。


  • letour.fr が、いよいよツール開始の雰囲気になってきた ( 6.28.2003 )

    今日の昼間から、ツールドフランス公式HPの内容が変わりました。(アドレスは一緒。www.letour.fr)昼過ぎだったと思うけど、letourのHPを見ていたら途中でハング。再起動をかけたら、その瞬間、HPは一変していました。今までのツールの案内の内容から、事前情報、結果を入れる準備のページに変身を遂げました。

  • デッケル、ツールには出られないけど ( 6.28.2003 )

    ツール出場暫定リストをUpし、全チームを入れました。
    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-tourkari.html

    その中で、デッケル(RAB)の欠場が目を引き残念ですが、彼は怪我で体調が今ひとつで、ドクター、幹部と相談して結論したそうです。でも、欠場が決まったあと、ベルギーの新聞「Het Laatste Nieuws」に彼の記事が掲載され、息子と走る元気な彼の様子が写っています。新聞の見出しは、「Erik Dekker verlengt contract bij Rabobank en traint met zoontje David」。フラマン語は全くわかりませんが、多分 「デッケルはラボバンクと契約を延長し、息子のデイヴィッドとトレーニング」、といった感じかな。

    そう、彼はこのほど、ラボバンクと2年契約延長をしたのです。また、デイヴィッドは、彼の下の息子。2000年に2歳だったから、今5歳になったのかな?記事の写真では、デイヴィッドはラボバンクのジャージにヘルメット、サングラスで、かなり一人前。隣で走るパパのデッケルも優しい顔で、ほほえましい写真。(デッケルの公式HPに記事が写真入りで掲載されてます。URLは下記。彼のHPかなり充実してます。でも 恨めしいフラマン語。。)


    http://www.erikdekker.nl/pers/dekker_traint_david_verlengt_contract.htm

  • ロイターもぎたてニュース: スキーのチャンピオン ヘルマン マイヤーがツールで第一走者に!! ( 6.27.2003 )

    ロイター通信によると、オーストリアのアルペンスキーの王者(世界チャンピオン、五輪着メダリストなどなど。寒がりでウィンタースポーツ嫌いの私ですら、名前を知っている!)、ヘルマン マイヤーが100周年記念のツールに登場することになったそうだ。記事によると、初日7月5日の6.5キロのプロローグを最初に走るらしい。そして、ツール参加選手の第一走者が、その3分あとにスタートするということだ。

    なんとマイヤーは、サイクリングファンで、ツールを走るのが夢だったそうだ。確かにスキーヤーでサイクリストに転身した選手もいることはいる。確か、ツーレが秀でたスキーヤーだったという話を聞いたことがアル。

    「オーストリア、イタリアで自転車で数千マイル走りこみをし、夏はツール中継を見てすごしてきた。僕はスキーヤーとして、あらゆる栄光に浴したが、2003年のツールで、僕にとっては、新たなクライマックスが開けた。100周年イベントに参加できるのは、栄誉だ。」とマイヤーは語った。

    アルペンで3度の世界選手権を制したものの、2001年バイク事故で右足を失いかけたマイヤー。しかし、翌年、1月、レース復帰から2週間あとに、スーパー大回転で優勝し、奇跡のカムバックを果たした。(ロイターのオリジナル記事を読んでいる方へ:Super-G = Super Giant Slalom= 「大回転」のことです。)ツール副理事のバール氏も、マイヤーは、ツールで水先案内人を務めるに相応しいチャンピオン、と絶賛している。

    サイクル スポーツイベントとはいえ、ジャンルを越えて、スポーツのクロスオーバーを目指すツールドフランスの発想は素晴らしい。でも、これでもう少しフランス偏狭心を捨て、もっとワールドワイドの視野を持って今後のチームセレクションをしてほしいなぁ、そう思ったりもする。


  • チーム ビアンキ ( 6.27.2003 )

    ビアンキのツールメンバーwocyclingnewsで見ていたら、ガルシアカサスの名前が。どうやら直前移籍は決定したようで、ビッグマットからスムーズにビアンキへトランスファーできた模様。ビアンキからツールへ行くメンバーに、エルナンデスはメンバーに入っていないけど、アンヘルカセロは無論 メンバーに入っている。でも、今のところ、彼はめちゃくちゃ調子が悪い。ウルリッヒと2枚看板と言えるほど活躍は望めないかも。

  • ヴエルタのチーム発表 ( 6.27.2003 )

    9月6日にヒホンをスタートするヴエルタの出場チーム18チームが公表された。(発表は先週あったのですが、ニュースに入れそびれていました。)

    出走するチームバラエティーを見てみると、徹底的にイタリア オンパレードだったジロよりは、出場国が多少ばらけている。ジロには出なかったテレコムやUSP、CSCも出場。更に、ジロに出たスペインチームは1チームのみだったが、イタリアからはヴエルタに5チームが出る。もちろん、ツール出場を果たせなかったランプレも。国別チームは下記。

    スペイン>
    エウスカルテル、オンセ、バネスト、ケルメ、パテルニナ コスタデアルメリア、リラックス フエンラブラダ、ラバルカ2カフェバケ(先日プロレースで優勝し、関係者を喜ばせた。)

    イタリア>
    アレッシオ、ファッサボルトロ、ランプレ、サエコ、ヴィーニカルディローラ

    ドイツ>
    ビアンキ、テレコム

    コフィディス(仏)、CSC(デンマーク)、ラボバンク(オランダ)、USP(米)


  • <ロイター速報> 44歳がフランス チャンピオン! ( 6.26.2003 )

    さきほど終了したフランス チャンピオンシップ、個人タイムトライアル女子の部門で、44歳のジャニーロンゴが再びフランスチャンプになった。

    彼女がこのシリ、ズのITTで優勝したのは、これでなんと6度目。(1995、1999、2000、2001、2002と今年。)更にロードでも期待がかかる。ロードでは圧巻。1979、1980、1981、1982、1983、1984、1985、1986、1987、1988、1989、1992、1995、1998、1999、2000、2001年を制している。1979年からの優勝だ。。。

    彼女の戦歴の数々を述べていたらきりがないので、そのすごさを見てみたいという方へ、79年から2002年までのすごい記録が年別に一覧リストになっている。ちょっと くらくらしそう。。
    (オフィシャルサイトより)


    http://jeannielongo.free.fr/pages/palmaresannees.html

  • ツールドフランスをシャンゼリゼで観戦する人に朗報 ( 6.25.2003 )

    「ツール観戦の手引き」のコーナーで、シャンゼリゼゴール観戦については、私自身未経験なので余りアドバイスできなかったですが、このたび貴重なレポートを頂きました。頂いた方は、シャンゼリゼ観戦5回のつわもの。見通しのいい絶好のポイントで観戦するするための技を伝授してくださいました。今年の百周年記念レースを、是非パリのいい地点で、と思っていらっしゃる方、必見です。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-kansen.html#5

  • ホセバ ベロキ ( 6.25.2003 )

    2000年の初出場以来、3位、3位、2位とツールの表彰台に3連続で登ったベロキ。そのわりに、影が薄いというか、余り騒がれる感じではない。現に、サロンドカフェの人気投票でも、彼を好きな選手にあげた方は、いまだ持ってゼロ。ツール前に、少しは彼の肉声でもお届けしましょう。というわけで、このたびアスに入ったベロキのインタビューからご紹介。

    ― 調子は?
    「例年よりもベターだよ。最大酸素摂取量でも向上しているし、怪我もない。(先日の)バスクルアーでは、アルコベンダスの山岳で優勝した。」

    ― 抱負は?
    「ずばり優勝。そろそろ潮時だ。今まではアームストロングが失敗するのを待っていたけど、これからは失敗を誘うように仕掛けたい。今年は好機だ。」

    ― どうして今年?
    「コースプロファイル的に、USPは山岳で苦しむだろうと思う。アームストロング自身というより、アシストたちが喘ぐだろう。僕は彼に1mだって譲らないよ。なんとか彼に揺さぶりをかけたい。今年は、エウスカルテルのイバンマヨあたりが台風の目になるだろう。」

    ― アームストロングにライバルを聞いたら、ハミルトンとウルリッヒと言っていたよ。がっかりした?
    「そうでもないよ。彼の一挙一動はそれぞれ戦略があってのこと。彼は真意でしゃべるというよりは、思惑があって発言しているんだと思う。」

    ― 将来のことはツールのあとに決める?
    「そうだね。オンセは2004年のあとわからないし(注:最近入ったニュースによると、バネストに続き、オンセも、契約満期がきたら、撤退する可能性がある。2004年まではチームはスポンサー契約をしているが、その後はひょっとしたらチーム消滅もありうる。)、僕は今オファーをいっぱいもらっているんだ。もちろんオンセで走りたいけど、2年以上の確約なくしては、2004年には移籍もありうる。」


  • マイケルロジャースが もう止まらない ( 6.25.2003 )

    マイケルロジャースが もう止まらない。ベルギー、ドイツでステージレースを制したあと、スペインのルータ デル ソルでもITTで優勝。おまけに、同レースで、総合優勝までしてしまった。彼は第3ステージのITTで総合トップにたち、更に最終第4ステージの山岳コースでも、区間優勝のモンクティエから1分15秒の遅れで4位に入り、総合優勝を決めた。

    こちらのツール暫定スタートリストにあるとおり、彼はツールメンバーに選ばれている。現在23歳だから、アンダー25歳(正確には1978年1月1日以降に生まれた選手)に与えられるホワイトジャージの筆頭候補ではないだろうか。24歳のシルヴァンシャヴァヌルも強敵が現れたと、戦々恐々しているかも。

    ちなみに昨年のホワイトジャージはイヴァ ンバッソだった。彼はまだ24歳だけど、1977年11月26日生まれで1978年以前の生まれなので、今年はホワイトジャージの資格はないはず。


  • テレコム:ツールの常連がいない ( 6.24.2003 )

    今しがた、ツール出場メンバー表に、サエコ、バネスト、テレコムを追加しましたが、そのうちテレコムのツールメンバー表を見ると、なんとイタリア人のグエリーニとファンニーニの2人が入っていない。テレコムは、今年 星野阪神よろしく選手補強をせっせとしたから、常連の2人がOutになった模様。でも、ファンニーニがいないとなると、ゴール前でツァベルを引くのは今回ツール初出場のあの人でしょう。

    (ヒント:選手表の中に新顔がひとり。ジュニア時代からテレコムで走っている人です。彼は これまでこちらでは 2回だけニュースに登場。そのうち一回は、ちょっとしたハレンチ行為での掲載でしたが。)


  • マイケルロジャースがすごすぎる ( 6.24.2003 )

    クイックステップのオーストラリア人 マイケルロジャースは、今年ツアーオブベルギーとツツアーオブドイツを制し、更に昨日のルータデルソルのITTでもステージ優勝と、手がつけられない。その彼、もちろんツールメンバーに選出された。ちなみに、クイックステップが発表した暫定ツール出場メンバーは実に国際色豊か!

    ベッティーニとパオリーニがイタリア、ボドロギがハンガリー、カニャダがスペイン、クナーヴンがオランダ、ロジャースがオーストラリア、ヴィランクがフランス、アンドヴァウエルがベルギー、ワデッキがポーランド、まさにマルチナショナルチームだ!


  • パンターニが療養中であることを認めた話 ( 6.24.2003 )

    先週末からガゼッタを皮切りに、パンターニのちょっとした入院のニュースが報道された。入院といっても大怪我などではなく、療養地で私立クリニックで心のケアをしてもらっているという内容だった。チーム監督が「トレーニングをかねて行っているだけ」と否定していたこともあり、こちらでは特に取り上げなかった。しかし、本日ガゼッタをはじめ、数紙に掲載された内容を見ると、この治療の事実をパンターニが今回認めたということだ。「嘘をつきたくない。当地に来ているのは親戚を訪問するためじゃない。親戚が僕の見舞いに訪れている、とう状況なんだ。僕がここにいるのは、自分自身の治療のためだ。(Sono in cura)」と。

    しかし、"Parco dei Tigli"というクリニックで行われている治療内容については、はっきりしていない。本人はその内容については、「医者に聞いてくれ」と。そのために、新聞によっては憶測で過激な内容を書いているところもあるが、不眠症を始めとする心のケア、ということでいいのではないだろうか。チームは必死にパンターニはトレーニングでその地を訪れている、と発表していたが、パンターニ自身が、今回本当のことを言いたい、と治療であることを明かしたようだ。


  • ウルリッヒ「僕は大丈夫」 ( 6.22.2003 )

    ツールドスイスの放送を楽しみにしている人もいるでしょうから、ここでは現在のウルリッヒの成績についてはダイレクトには触れませんが、とにかくウルリッヒ、ここ3日ばかり風邪をひいているとのこと。「ウルリッヒはツールで大丈夫だろうか」、そう心配しているファンのために、自分のHPで、今の状況を公表した模様。今ここで風邪を悪化させて、ツール出場に差し支えてはいけないので、現在レース中、抗生物質を服用しているそうだ。したがって、なかなか力がでないと。行間を読むと、<だから、ツールでは、今よりもっといい走りができるから、期待してね>、そんな気持ちをこめたウルリッヒのメッセージだ。
    (ウルリッヒ公式HP http://www.janullrich.de/ ドイツ語)

    なお、ウルリッヒ、或いはビアンキファンの方で、cyclingnewsの写真&記事をまだ見ていない人は下記をどうぞ。
    http://www.cyclingnews.com/tech/2003/probikes/?id=Bianchi_Ullrich(写真&記事&バイク紹介記事)
    http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=photos/2003/tech/probikes/Bianchi_EV3/EV3-Alum-Dropd(バイクPart写真)
    http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=photos/2003/tech/probikes/Bianchi_EV3/front(バイクPart写真)
    http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=photos/2003/tech/probikes/Bianchi_EV3/rear(バイクPart写真)


  • 山岳TTでエラスを圧勝したあの人、そして、ケルメが緊急にこの選手を加入させて、セビーヤの替わりにしたい、という噂! ( 6.22.2003 )

    スイスツアーと同時に開催中のカタルーニャツアーで、総合トップでその座は不動か、と思われていたエラスが首位から転落した。なんと最後から2番目の第6ステージのITTで、ペチャロマンに52秒も差をつけられて、総合首位の座を受け渡したのだ。ITTなら仕方ない、そう思ってはいけない。この日は13.1キロの山岳ITT。エラスは勝たなくてはいけなかったし、大方の人がエラスに勝機あり、と思っていた。

    山岳ITTでクライマーのエラスにこれほど差をつけたペチャロマンの活躍に、周囲のみならず、本人さえびっくり。「ステージ優勝できるとは思ったけど、まさかここまで差をつけられるとは。。」と。でも、これを予測した人がいた。第5ステージ優勝者のフレイレだ。彼は前日、総合2位につけていたペチャロマンとエラスのどちらが勝つと思う?という問いに、「ペチャロマン」と即答した。理由は、「ベチャロマンはビシクレタバスカでベロキにかなり差をつけて優勝した。ベロキとエラスは似たタイプ。これを考えると、ペチャロマンはエラスにも快勝するだろう」と。大当たりでした、この予測。

    6月4日から8日に行われたビシクレタバスカで、彗星のごとく表れ、連日区間優勝を重ねて総合優勝したパテルニナ コスタアルメリア(元ジャステル)のペチャロマン。この名前、聞いた覚えがあるな、という方は6月11日のトクダネを読まれた方でしょう。そう、彼がすごかったのは、ビシクレタバスカで区間3勝+総合優勝したことだけじゃない。山岳、平地、ITTの全てで、圧倒していたのだ。これほどまでにバランスのいい選手も久しぶり。ステージレース向きの選手だ。

    これで、カタルーニャは残すところ1ステージのみ。このままだとペチャロマンがビシクレタバスカについで総合優勝し、昨年の覇者エラスは2位に甘んじるかもしれない。なにしろ、総合タイムで、現在ペチャロマンはエラスに43秒もの差をつけている。

    ところで気になる噂がひとつ。このペチャロマンをケルメがツールの前に、緊急確保したがっているという噂がある。これについて、新聞マルカが確認したところ、本人は否定した。「どこからそんな噂が出ているかわからないけど、僕はパテルニナで今年いっぱいは走ることが決められている。自分自身、そのつもりでいる。ただ、もし万が一、僕が移籍することが決められて、ツールで走れ、という命令が下るなら、早めに知らせて欲しい。1年間のプランに基づいて走っているのだから、それが変わるのであれば、前もってそういう覚悟でのぞまないと。」


  • ツールドフランスレトロ(その4)1929年:表彰台に乗り切れない。。 ( 6.22.2003 )

    1929年7月6日。同じ日に、6人ものイエロージャージを輩出する(つまり同タイムトップが6人)という異例の事態が起きた。今のように、同タイムでも、ゴール順でトップの何人かにポイントを与えるシステムではなかったせいだろうが、詳細は手元に残っていない。しかし幸いにも、このあと山岳ステージでタイム差がつき、最後にはベルギー人のモーリス ドワールが総合優勝を飾った。
    Un siecle de cyclisme, Calmann-Levy 2002より


  • お久しぶりね、フレイレ + フレイレと松井の共通点 ( 6.21.2003 )

    RABのフレイレがカタルーニャツアーで区間1勝をあげた。終わった後余裕で「思ったよりも簡単だった」とコメントしたフレイレ。以下、マルカの記事からの抜粋及び 当方コメントなど。

    カタルーニャの第5ステージスプリントを制したフレイレ。「ツァベルに何が起こったのかわからないけど(実はこのツァベル、たびたびパンクの犠牲になっていたのだった)、早めに動いて、最後ビシオソとハーゼルバッハーを追い越すのはたやすいことだった。」と語った。

    「今まで勝利が枯渇する日々が続いたけど(sequia de triunfos)やっとそれに終りを告げた感じ。3月のティレノの第2ステージ以来、勝ち星がなかったからね。もっとも、それ以来、クラシックにしか出ておらず、余り走っていないことも事実だけど。ツールに向けて、これで景気づいた。もっとも、ツールでは、今日みたいに簡単には勝たせてもらえないけど。」

    フレイレ ヒストリー:1976年2月15日生まれ。98年ビタリシオでプロデビュー。99年ヴェローナの世界選手権で優勝し、一躍オファーが殺到。翌年2000年にマペイへ移籍し、2001年にはリスボンの世界選手権でも優勝。今年からラボバンク。この日の勝利で25勝目。(以上マルカ)

    フレイレは現在スイス在住。学生の彼女ラウラが卒業したあと、今年の10月ごろ挙式予定。ビタリシオ時代から、原因不明の持病の腰痛に苦しみ、針治療も含め、あらゆる手段を試みる。有名なサッカーチームのドクター、フィンランドの女性整体師なども試した。でも、完治はせず。よって、年間レース数は、他の選手に比べていつも少ない。

    現在、スペインでは、花形選手だったホセマリア ヒメネスが心の病気で自然引退になっていて、その分フレイレに記者の注目が集中している。ヒメネスといえば、メッツの新庄同様、マスコミ受けが非常によく、ネタを振りまいてくれた。しかし、ヒメネスのあと、非常にのんびり屋で、おっとりしたフレイレが格好の的になっている。記者とも、とても きさくに接し、彼にはインタビューをしやすいのだ。(ベルトランいわく、フレイレはテンポがのんびりしていて、いつも彼が発言する時には 既にその会話は終わっている、と。)

    その他、アイトール ゴンザレス(FAS)も、スペインで今一番ポテンシャルある選手のひとりとして、なにかというとスペインの新聞社からインタビューが相次ぐ。ジロのときは、体調不良なのに追い回されて、ちょっと気の毒だった。松井も つくづく偉いよね、毎日真摯にインタビューを受けて。ご苦労様。


  • ビアンキ ベルトランの替わりを補強、でも残念ながら替わりの人員はパンターニではない。。。+ ウルリッヒはヴエルタにも出るつもり ( 6.20.2003 )

    ビッグマットのガルシアカサス。シーズン途中でCSC入りすると言われていたが、交渉が遅遅として進まず。その間に、彼はビアンキに加入する方向で、調整に入った。彼のチーム入りは、ツール出場を視野に入れた交渉となり、まだ最終決定ではない。

    カサス本人は、新聞マルカに語った。「ビアンキと前向きな交渉があったことは否定しない。でも、まだCSCとの交渉も終わってはいないよ。」

    マドリッドっ子のカサスは若く見えるけど、34歳。プロ入り11年目のベテランだ。かつてカセロ、エルナンデス、プラサらと共にフェスティナに所属していたので、ビアンキには知り合いも多い。ビッグマットに入ったものの、なかなかビッグレースにチームが出場できずに不満を抱いていた。去年のヴエルタでは、ビッグマットは一旦出場チームからは落ちたものの、チームが3大ツール全てに出られないのを気の毒と、主催者側が最後の最後で出場を認めたほどだ。

    少し前、パンターニがツール出場のためにビアンキ入りを希望したものの、OKは出ず。しかし、カサスにはOKが出る可能性ありということらしい。やはりチームは、ドイツとスペイン色が濃いせいなのか。また、ウルリッヒは、ツールのあと、ヴエルタにも出場する方向で、チームは動いているそうだ。カサスの2001年ツールの時の様子は下記にて。


    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf01/j-tdf08.html

  • ツールドフランスレトロ(その3)1924年:戦前のチポリーニ ( 6.20.2003 )

    今日も再び Un siecle de cyclisme, Calmann-Levy 2002から。
    1903年にツールが開始して初めて、グラビア アイドル的スター選手が出現した。フランス人のアンリ ペリシエだ。クラシックよし、ステージレースよしで、ツールでも優勝し、一躍人気の的に。そんな彼とチッポリーニは、酷似している。ちょっとエゴイスティック(記事を転記しているのでご容赦を)で、ファッション重視。ペリシエの場合、パフォーマンス自体よりも、バイクの上での見栄えを追及した。

    そんな2人に、更にもうひとつ、因縁めいた共通点がある。それは、チッポリーニ同様、ペリシエも、ツール主催者と確執があったこと。チポリーニは、JMルブランとツール出場に関して口論のバトルを展開したし、また、違反ジャージで罰金も重ねた。ぺリシエもしかり。当時のボスであるデグランジュ氏と、ジャージをめぐってスペクタルなバトルを展開。

    語り継がれるようなバトルに発展したのは1924年のこと。スタート前、ペリシエはジャージを2枚重ね着するのが常だった。ウォームアップ後、体温が上がると1枚を脱ぎ、ぽんと放り投げる。ところがなぜか、そのジャージが2枚ともツールのルールで禁止されたジャージだった。そして、デグランジュ氏は、ペリシエがスタートラインに立ったとき、関係者にペリシエの身体チェックをさせた。更に禁止ジャージを下に重ね着していないか、確認するためだ。スタート前に公衆の面前で身体検査。誇り高きペリシエは耐えられなかった。こうして前年ツール優勝者のペリシエは、棄権を決意。ツールから去っていったのだった。


  • サイクルスポーツ 7月号は超お買い得 ( 7.19.2003 )

    サイクルスポーツ 7月号。明日20日から順次各書店にお目見えすることでしょう。普段買っている人はもちろんですが、普段買わない人も、ボリュームたっぷりで断然お得の7月号。いつも綴じ込みで付いていたツール観戦ハンドブックが、なんと今回は別冊豪華版。更にジロの全ても別冊になっています。ツール百周年でサイスポの八重洲出版さんが、赤字覚悟で(?)頑張ったそうです。ツール百周年を機に、ツールに興味が薄かった方も、この別冊でスペシャリストになるというのはいかが?別冊ツール観戦の記事には、スタート&ゴール都市ガイドもあるので、観戦に行く方は是非1冊どうぞ。(ついでに、記事には、脚質別 有力選手ファイルというコラムもあります。。。?!)

  • ツールドフランス レトロ(その2) 1927年:ツールドフランス殺人事件 ( 6.19.2003 )

    今年百周年を迎えるツールドフランスを前に、100年間の間に起こった様々なエピソードをご紹介。前回第一回目は、アームストロングが観客としてツールを訪れた時のことを書きましたが、今回はちょっとショッキングなニュースを。(今回はUn siecle de cyclisme, Calmann-Levy 2002から)

    1924年、イタリア人として始めてツールで優勝した選手がいた。オッタヴィオ ボッテッキア。彼は1925年にもツールで優勝し、26年は途中棄権したものの、1927年ツールでは、優勝候補の筆頭としてツールに戻ってきた。いや、正確には戻ってくる予定だった。しかし、彼がツール1927に出場することはなかった。レースの数週間前、道端で血を流して倒れているのが発見されたのだった。彼が亡くなったのは、それから数時間後のことだった。

    噂は駆け巡った。ムッソリーニ系暴力団にやられたのだと。ボッテッキアは、政治的影響力をもち、アンチファシストだった。。ところが、その後数年経ってから、地元の農夫が死の床で、「自分がやった」と告白した。農夫は、自分の畑でブドウを盗んでいたボッテキアを発見。追い払うために石を投げつけ、誤ってこのツール優勝選手を死なせてしまったのだと。


  • ジャッキー デュランのツール出場はビミョウ ( 6.19.2003 )

    ドーフィネの第5ステージで痛そうな落車をして、ツール出場が危ぶまれているデュラン。腰を強打したために、未だに歩くこともできないらしい。これから精密検査だが、骨にひびが入っている可能性もあるという。その場合、1ヶ月半は休養が必要となり、ツール出場は絶望的になる。100周年記念だけに、出たいのは山々だろうが。(Sport24より)

  • <速報> USPのツールメンバー8人が決定 ( 6.18.2003 )

    USPのツールメンバーとしては14人がノミネートされていたが、このたびブリュイネール監督が8人を決定したということだ。その8人とは、アームストロング以外は、エラス、ベルトラン、ルビエラ、エキモフ、ペーニャ、パドルノス、ヒンカピー。あとはヨアキム、ランディス、ミカイロフあたりが残りの1枠を争うことになる。

    ところで、今回残念ながらツールメンバーに入らなかったが、先日USPのファンヘースウィックのインタビューをどこかのサイトで聞いた。(どこだったか失念!)その中で、以前のチームドモのボス、ヨハン ムセウと、今回のチームのボス、アームストロングの違いを聞かれて、彼はこんな風に答えていた。「ボス(リーダー)というのは皆強い意志をもっているという共通点があり、ムセウとアームストロングは似ている。」


  • UCI最新ランキングを読む ( 6.18.2003 )

    6月16日、最新UCIランキングが公表された。ツァベルの1位は不動だが、私が注目したのはこの事実。ツァベルの次にランクインしたドイツ人選手は何位で誰かと言うと。。。。なんと49位のミヒャエル リッヒ(ゲロルシュタイナー)にまで下らないといけない。ドイツ選手は今、ツァベルの活躍に依存している。ウルリッヒの名前がないのが寂しい。

    最新リストは、さほど変動はないものの、上昇したのは、ベロキ。前回10位から8位に上げた。ビシクレタバスカで総合2位というのが効いたのだろう。それからドーフィネの暴れん坊イバン マヨが11位に浮上。また、6月7日のクラシックデザルプで優勝したマンセボも15位に浮上。一方で、13位から23位に後退したのがボテロ。今年まだ目立った活躍を見せられていない。7月ツールのあとに、このリストが大きく変動するはず。一体どんな感じに変動するか楽しみだ。

    最新UCIランキング(エリートMen)
    1. ツァベル、2. シモーニ、3. ベッティーニ、4.レベッリン、5. フリーゴ、6. アームストロング、7. マキュアン、8. ベロキ、9. エラス、10. ペタッキ、11. マヨ、12. カサグランデ、13. ディルーカ、14. アイトール ゴンザレス、15.マンセボ、16. ボーヘルト、17.ブロシャール、18. ハミルトン、19. キルシプー、20.チッポリーニ


  • ルムシャスに関する585ページにも及ぶ専門家レポートの中身と、同僚の発言 ( 6.18.2003 )

    6月16日付けのフランスの大衆紙「ルモンド」に、昨年ツールの後にルムシャスの妻が検察の取調べを受けた際の 報告書の概要が出た。ルムシャスの妻エディータは7月28日にシャモニーで、車のトランクにホルモン剤などを数々所持していたために捕まったが、以来10月11日に釈放されるまでの報告書を、ペパン医師がまとめたもの。585ページにも及ぶ報告書には、エディータの妻が所持していた薬物には、密輸された違法薬物、Doping剤などが含まれていたことが記されている。更に、押収された合計37種類の薬物の1つずつの量からいって、大量の薬物取引をしていたとか、大勢の人のために用意された、というよりも、1人の個人使用のために用意された可能性が高い、といった内容も含まれている。

    今年のジロの第6ステージの薬物検査でグレーとなっているルムシャスだが、今の時点でこういった本人に不利な内容が公表されたのは何故だろう?当時エディータは、薬物は義母のため、と主張していた。その主張を覆すことができなかったことを歯がゆく思っているフランス当局が、今回ジロの結果を受けて、本件の解明を進めたいと思っているのか?エディータの主張によると、薬は貧血、婦人科の病気、緊張をほぐすたちのもの、と言っていたが、そういった徴候に効く薬は、押収薬物からは見つからなかった。

    但し、いくら主張が曖昧とはいえ、いずれにしても忘れてはいけない。ライモンダス ルムシャス自身は、昨年ツールの検査で、一度もひっかかっていないのだ。また、これで影響を受けたのがチームランプレ。チームぐるみではないかという疑いも一時かけられてしまい、2002年10月6日のパリ ツールのあと、3人の選手と6人のスタッフも当局からの取調べに加わった。その際、ランプレの選手たちの語った内容は。。

    Rベルトリアーティ:「ツールが始まるや否やルムシャスは、好位置につけていた。もちろん、同僚の活躍にとても嬉しかった。でも一方で、心の奥で、初めてのツールでここまで躍進する選手の存在に、少々面食らっていた。」

    Mセルペッリーニ:「我々のチームランプレでは、チームドクターの知らない間に個人的に ある選手が薬物を摂取することは可能だと思う。」

    現在、ルムシャスの弁護人はジロの検査の結果を受けて、再検査を要求しており、また、ルムシャスは、ジロ第6ステージの検査結果は、「チームが自分をおとしめようとした罠だ」といったようなコメントをしている。


  • USP :ドーフィネとカタルーニャはツール前哨戦 ( 6.17.2003 )

    6月16日から大きなレースが2つ同時開催された。ツールドスイスとボルタアカタルーニャだ。後者の方はツールドスイスに隠れがちだが、過去の優勝者は豪華。2002年の優勝者であるエラス以降、1991年までの優勝者を並べると、ベロキ、JMヒメネス、ベルトラン!、ブエナオラ(コロンビア)、エスカルティン、ツーレ(スイス)、ジャジャ(仏)、キアプッチ(伊)、メヒア、インドゥライン、インドゥライン、とスペイン選手を中心に、つわものが揃う。

    カタルーニャツアーの特色として、いつも最終日近くに設定されている「山岳ITT」があげられる。この山岳TTで優勝して総合優勝、というパターンが多い。2000年のレースではヒメネス、1999年のレースではベルトランが、それぞれ山岳TTで優勝して、総合優勝になった。ちなみに、印象に残っている99年の同レースステージ優勝は、プロローグがカセロ、第1、第2ステージがチッポリーニ、第4、第5ステージがツァベル、第6ステージがエラス、第7ステージがベルトランとスター揃いだった。もちろん今年も最後から2番目のステージで山岳TTが登場する。

    そして、今年目を引いたのがUSPの参戦。直前に終わったドーフィネと、今回のカタルーニャツアーのUSPの出場選手をあわせると、ツールの出場候補選手となる。USPはどうやら、ドーフィネとカタルーニャにツール候補選手を出して、様子を見て、ツールの最終布陣を引くようだ。つまり、ツール参戦の切符という意味で、USPの選手たちにとって、この2つのレースが鍵となる。

    ドーフィネにはアームストロング、ベルトラン、エキモフ、ランディス、ミカイロフ、パトルノス、ペーニャ、ルビエラが出て、カタルーニャではホワイト、ヴァンデヴェルド、バリー、ヒンカピー、エラス、ヨアキム、ヒアールゴールドが出ている。ホワイトとバリー以外は、全員ツールの出場候補として、USPの暫定出場選手リストに載っている。今のところ、出場候補者リストに載っているのは上記13人+ファンヘースウィックの14人。実際にツールに出場できるのは9人だ。


  • アームストロングのスバルの車のCM ( 6.17.2003 )

    アメリカ在住の方に教えていただいたのですが、先日お話したアームストロングのスバル(アメリカ)の車のCM、現地では盛んに流れているそうです。で、BAJA(バハ)というモデルのCMでは、「Driven By What's Inside?」という疑問形のキメ台詞に、アームストロングが「Me!」と無邪気に答える、そんな仕上がりだそうです。What's Inside=車の内蔵物=つまりエンジン。「一体どんなエンジンで駆動するの?」とったような問いに、「僕(というエンジン)」さ、と。今年もアームストロングという馬力、ツールでも疾走していくことでしょう。

  • あの人、あの時、あの言葉 ( 6.16.2003 )

    過去、本欄に、様々な選手たちのコメントを載せてきましたが、最近ツールを前に、新しいご来場者の方が 次々こちらにお見えになっているようですので、今までで、私が個人的に印象に残った言葉を、アーカイブから拾って再掲します。

    インドゥライン:「自分の子供は絶対に自転車選手にはしたくない。危険すぎる。」
    (スペインの新聞各紙が伝えたインタビューから。リカルドとハビエルの双子のオチョア兄弟がマラガでトレーニング中に事故にあったときの言葉。リカルドは亡くなり、ハビエルは回復率の低い昏睡状態から、60日以上経って奇跡的に意識を回復した。現在はリハビリ中。)

    同じくインドゥライン:「このチーム(バネスト)は、いいところも、悪いところも全部ひっくるめて、僕にとってはファミリーだ。」(英国の雑誌Cyclesport 2.2000より)

    フィル アンダーソン:「このチーム(7イレブン)に加入することをいつも夢見ていた。英語圏のチームというのは、僕にとって特別なんだ。」(Cyclesport 2.2000より)

    ヨハンムセーウ:「ツールドフランス?あれは若者のレースだよ。この僕の年では、10日も走ったらガス欠になってしまう。3週間は休暇をとらせてもらうよ。」(Procycling 6.2002より)

    オンセのサイス監督:「このチーム(オンセ)は他のチームと違う。魂のあるチームなんだ。」(Cyclesport 2.2000より)

    ロマンス ヴァインスタインス:「早くシベリアに帰りたくて仕方ない」(Procycling 12.2000より。世界選手権ロードで優勝し、すぐにホームシックになったヴァイン スタインスのコメント)

    トンコフの妻ダリア:「夫がトレーニング中、外で救急車の音がすると、ドキっとするの。いつも事故に遭いません様に、と祈っているわ。」(オチョア兄弟の事故を受けてコメント。スペインの新聞ASより。ちなみにダリアは、スペイン人で、元ヴエルタのコンパニオンガール。)


  • ドーフィネ: アームストロングの落車の後遺症 + バンマヨが大爆発 + ベルトランのUSP初仕事 ( 6.16.2003 )

    ドーフィネは、アームストロングが2連勝して幕を閉じた。しかし、不安な材料が。ロイター電によると、途中で落車した時の後遺症が残っているというのだ。

    アームストロング:「今回の怪我の回復を早急に行わないといけない。この落車以来、調子を落としている。バイクに乗っていても違和感があり、痛みがあちこちにある。感染を防止するために抗生物質を飲んでいる。こういう状況になったのは初めてのことで、ツールへの準備がかなり変わってきてしまう。とはいえ、体力は充実しており、これを機に、家族との時間を大切にするよ。」

    (USPチームの状態をどう評価するか聞かれて)
    「ヒンカピーは出場しなかったけど、調子は万全のはずだ。ランディスが1月に腰を骨折したまま不調だが、徐々に回復している。ルビエラ、エキモフ、パルドノス、ベルトランは力強かった。はっきりいって、僕だったら、こんなチームを相手に戦うのは嫌だろう。」
    レースのあと、家族の待つスペインに向かった。

    ところでこのインタビューで注目したいのが、彼の次の発言。
    「(ツールのライバルを聞かれ)、いつもと同じ顔ぶれさ。但し、イバンマヨといった若手も加えないといけない。彼はとても強かった。山岳では危険人物だね。」
    アームストロングに名前を指名されたマヨ。確かに今年初めからの躍進ぶりと今回のドーフィネの活躍には目覚しいものがあった。アームストロングを唯一今回脅かした選手だろう。

    実は、ツールのワイルドカード選出前、選出されるチームを私なりに予想していた。フランスでは活躍していたAG2Rとシャヴァヌルのいるブリオッシュは落ちるわけがない。また、事前の口約束があったからチッポリーニのドミナもくるだろう。更に、前半戦の活躍から言ってエウスカルテルは来るだろう。ただ不安材料は、エウスカルテルはスペインバスクの選手しか加入させないこと(例外なしではないが、その場合は、こじつけてスペインバスク人にして加入させる。)まあ、蓋をあければエウスカルテルは順当に入ったものの、ドミナが、まさかの落選。実はとある原稿を、既にAG2R、ブリオッシュ、ドミナ、エウスカルテルが選ばれたと仮定して作成していた。慌ててJドゥラトゥールを追加した次第。その「とある原稿」は、そのうち皆さんの目に触れることもあるかと思いますが。。

    前半戦、そのエウスカルテルの活躍を演出していたのは、一番にイバン マヨだ。パイスバスコで総合優勝+5-1と5-2のステージを連覇。L-B-Lではハミルトンについで2位に入った。セトマナカタラナでは5位だったが、山岳ステージで目立っていた。他にもエレロがヴエルタアリオハで優勝した。しかし、エウスカルテルの活躍は、ツール選出後に更に拍車がかかった。エウスカルビシクレタでDエチェバリアが優勝すると、マヨがドーフィネのプロローグと第4ステージを奪取。ドーフィネのITTでは3位に入ったものの、アームストロングとの差が1分26秒で、これがなければ、総合首位も夢ではなかったろう。

    ドーフィネ第6ステージの山岳でも、アームストロングに相当詰められたものの、最終的にはマヨはアームストロングよりも3秒早くゴールインした。マヨの目標はツールドフランス。尻上がりの好調ぶりをツールで発揮できるか。

    ところで、先日ドーフィネのスタートリストにベルトランの名前がなくてがっかりした話を書いた。ベルトランがツールを視野にUSPアシストデビューするのはドーフィネと聞いていたので、ドーフィネに出ないとなると、この時点で、彼のツール出場はなしかと。でも、レースが始まった直後にスタートリストがどのチームも大幅に入れ替わった。USPはヒンカピーとヴァンデヴェルドが、ベルトランとミカイロフに替わった。それにしても、ドーフィネの公式HPは、この古いスターとリストをそのまま置いて、目立たないコラムで最後のリスト変更ニュースを入れているだけ。紛らわしい。

    そのベルトラン、山岳の第6ステージでは USPとしてはアームストロングの次に12位でゴール。最終的に総合11位入っている。これで彼のツール出場は当確か?ツールに出れば、山岳でのアシストとしてTV登場のチャンスも増える。今までになく、TVデビューのチャンスだベルトラン。ただ、今回エキモフが33.4 kmのITTでは46位と振るわず、ちょっとがっかり。相変わらず、好きな選手の好調、不調に一喜一憂する私。


  • 今季限りのバネストの次期スポンサー探し ( 6.15.2003 )

    1980年から81年にかけてチーム レイノルズとして設立された今のバネスト。1990年(正確には89年途中)にはスペインの銀行バネストがメインスポンサーを引き継ぎ、合計24年もの長きにわたり、自転車界を引っ張ってきた。スター選手デルガド、インドゥラインを輩出し、オラーノ、ヒメネス、ツーレ、らも籍を置いた。

    ツールドフランスでは、1988年デルガド、1991-95年インドゥラインが総合優勝し、ツール6勝という輝かしい成績をチームに与えた。他にもジロでは92、93年(2つともインドゥライン)、ヴエルタでも89年、98年に、それぞれ、デルガド、オラーノが総合優勝している。また、個人優勝とは別に、チーム優勝もツールで2回(91、99年)、ヴエルタで2回(94、98年)あげている。そんな輝かしいバネストも、今年いっぱいでスポンサーに終止符を打つことを去年発表している。このたびチームマネージャーのエチャバリ氏が、バネストに後継のスポンサーが現れる目途について、スペインの新聞マルカに語った。

    ― 状況としては我々は売りに出されている状態だが、最後は複数の買い手がついて、入札方式で次のチームスポンサーに引き渡せることを期待している。ただ、ツール終了後までは、特に大きな動きはないはずだ。大きな企業で、スポンサーを検討しているところもあるようだ。

    今がチームにとって一番大変な時かと聞かれれば、89年も(レイノルズが突然チームをバネストに引き渡した年)別の意味で波乱の年だった。89年のツールドフランスの前、我々はツールドスイスを走っていた。誰もその時は、すぐに自分たちのジャージが変わることなんて知らなかった。ところがルクセンブルグのツアーが始まる時、レイノルズとバネストのパトロン同士が突然スポンサー移転を決定した。

    今のところ、ツール終了時までは、スタッフも選手とも、次期の見の振り方について交渉は予定していない。とにかくツールに集中するつもりだ。(インドゥライン、ペリコ(デルガド)のあと、もっといい成績が出せないか苦労したのでは?と聞かれて)みんなは、フェルナンドアロンソ(F1)やウフアン カルロス フェレロ(テニスの全仏オープン2003優勝者)、レアル ソシエダ(サッカーチーム)の到来を期待しているようだが、それは不可能だよ。そんなにすぐに優秀な人材が現れるわけはなく、育てる準備期間が必要だ。

    残念なことにツールドフランスでは表彰台のトップに立つ選手を輩出しないとマスコミも評価してくれない。2位ではだめだ、優勝しかないのだ。我々が優勝して初めてスペインの新聞の発行部数は増え、スポンサーの銀行の信用度も増す。でも、2位以下なら、マスコミも、スポンサーも恩恵を被れない図式になっているんだ。


  • アームストロングのクラッシュと、アームストロングからアマチュアライダーと批判を浴びたアルガン ( 6.14.2003 )

    ドーフィネの第5ステージで珍しくアームストロングがクラッシュした。排水溝の蓋の上を走った際に、タイヤがすべり、バイクコントロールを失って落車。レースのリーダーがクラッシュした時は、普通アタックはご法度だ。TOJでザネッティがクラッシュした時も、集団のスピードがぐっと落ちた。ところが、ここでこの暗黙の了解に違反者が出た。DEL(Jドゥラトゥール)のパトリス アルガンだ。

    彼はアームストロングがクラッシュした直後にアタック。しかしこれを、モローが叫んで制した。「おい止まれ!アームストロングがクラッシュしたぞ」と。ところが、アームストロングが集団に戻ったと同時に、アルガンは2度目のアタック。これに対し、レース後にアームストロングは痛烈に批判した。

    「ああいう場面では、アタックしないのが不文律だ。でもアルガンはやった、しかも2度も。こんなのはアマチュアのメンタリティしかない奴がやることだ。DELがツールに出ることになって、みんなが驚いているのには やっぱりそれなりの理由があるんだよ。」

    レース後に、アルガンは、自分なりの説明をしようとUSPのバスに駆け寄ったが、アームストロングから門前払いを食った。アルガンが来た時 アームストロングは「(バスの方に)来るな、このむかつく野郎。こんなxxxxingな奴の説明なんて聞きたくない」とアルガンを相手にせず。(xxxxは想像ください。)

    折角この日はDELのルフェーブルが区間優勝したにもかかわらず、その優勝にやや水を差された感じだ。DELは「お情けツール出場」と後ろ指さされて、必死にいいところを見せたいと思っているのだろう。気持ちはわかるけど、よりによってツールの王者に、こんな振る舞いをしたのはまずかった。勝つ気はいいけど、TPOをわきまえないと あとが恐いぞ。


  • ピンクレディー報道の謎に迫る ( 6.14.2003 )

    6月11日のcyclingnews (First Edition News) をご覧になりましたか?「Chris Witty becomes a pink lady」というタイトルの記事がありました。「クリス ウィティがピンクレディーになる」だなんて、一体どういう内容の記事?と不思議に思った方へ、ここで謎解きをしてみましょう。まず、記事の内容はざっとこんなものでした。

    (ソルトレークシティー冬季)オリンピック、スピードスケート1000mの金メダリストとして知られているクリス ウィッティ(米国女子)は、来年、夏季アテネオリンピックに向けて、(自転車チームの)Tモバイルと契約した。

    彼女は、2000年、シドニー夏季五輪で自転車の500mタイムトライアルに出場し、冬季、夏季両方の五輪出場を果たしている。(注:彼女はリレハンメル五輪では23位、98年長野五輪 銀メダルで、スピードスケート種目で冬季五輪に2回出たあと、自転車で2000年シドニー五輪に出場した。)冬季、夏季制覇した選手としては、米国で9人目だ。(アメリカでも9人しか出ていないなんて、橋本聖子もたいしたもんだ。いや、聖子「先生」と言わないといけないか。)

    彼女は白血球の数に異常が生じる「単球増加症」からカムバックし、ソルトレーク五輪ではスピードスケート1000mで世界記録を樹立した。今週コロラドで五輪のトレーニングを開始する彼女が語った。
    「Tモバイルに入れて、嬉しい。これで、アテネに向けて、フルタイムでトレーニングを積める。初めての経験だけど、今年の冬は、スケート ワールドカップや世界選手権を全てスキップするわ。そして、ひたすら自転車に集中するつもり。」

    記事は以上で終り。じゃあ一体「ピンクレディー」って何?実はヒントは、彼女が契約したチーム、Tモバイルにありました。勘のいい人はもうわかりましたね。そう、Tモバイルとは、ドイツテレコム傘下の会社なんです。だから、自転車チームのジャージは、当然ドイツテレコム同様、あの濃いピンク色。つまり、「クリス ウィティ、ピンクレディーになる」という見出しの真相は、「彼女がピンク色のジャージのTモバイルと契約した」、という意味でした。


  • <速報>セビーヤ ツールドフランス出場断念 ( 6.13.2003 )

    ケルメは大変なことになった。アイトール ゴンザレスもサンチャゴ ボテロもチームから去り、唯一期待のセビーヤが今年初めから続く故障のせいで結局今年のツール出場は断念することになった。(関連ニュースは5月27日のトクダネ参照)。

    スペイン現地時間12日夕方に、チームがリリースした発表によると、12日にケルメの本部に、会長、監督、チームドクター、マネージャー、そしてセビーヤ本人をまじえて話しあい、今回の結論を出したという。「(今年初めに患部の切除手術した時の)傷跡が完治せず、ツール出場を断念した方がいいという結論に達した」と。彼の場合患部がサドルに当たる部分なので、乗っては傷口がまた悪化する、という状態が続いていた。


  • チーム ランプレを想う ( 6.13.2003 )

    今年のジロの最中行われた薬物検査で、ルムシャスが非陰性になった。私は真っ先にチームランプレのことを想った。その後cyclingnewsでもランプレの幹部が、今回のことを「とても遺憾である」といったようなコメントをしていたが、この言葉以上に、彼らの失望感は大きいだろう。思い返してみよう。昨年のツールで彼に薬物疑惑が起こったとき、ランプレは一旦ルムシャスを解雇する発表をした。しかし、それをチームのパトロンが覆した。選手や関係者など、多くの大反対を押し切って。その時チームのスポークスマンはこう言った。「ルムシャスには3人の小さい子供がおり、完全にクロという判定がされなかったにも関らず、彼を解雇するわけにはいかない。彼の3人の子供達が路頭に迷ってしまうのを見るのは忍びない」と。

    昨年ツールの後、TVニュースで、ルムシャスの3人の子供の映像を見た。妻エディータがフランス当局に拘束されている中、ルムシャスがイタリアの自宅の庭で、インタビューに応じていた。傍らには、何も知らずに庭で子供用自転車で無邪気に遊ぶ3人の子供達の姿があった。ランプレの上の人たちは、やはりこの映像を見たかもしれない。子供達には何の罪も無い。チームは敢えて批判を浴びつつも、ルムシャスを雇用する決意をした。

    このランプレの決断には、もともとかなりのリスクがあった。昨年再三お伝えした通り、エディータが50種類近くの薬物や 薬物入りの注射針を車のトランクに積んでいたことは事実だったし、その後の説明もうやむやのままだった。彼女が68日間の拘束のあと、フランス当局に保釈金240万円ほどを支払って釈放されたとき、フランス2のニュースにその時の映像がでたけれど、私はどこか釈然としない思いにかられた。Vサインで、してやったり、という笑顔で大使館の車に乗り込んだエディータは「無実の罪で不当に拘束された悲劇のヒロイン」の顔からは ほど遠かった。

    疑惑が完全には晴れないまま ルムシャスを再雇用するのは、チームとしても苦渋の選択だったろう。子供達のために、というヒューマニズムの見地でルムシャスに望みを託したチームは、今、とても複雑な心境だろう。今回の第一検査の結果が間違いであってほしい、そうでなければ、ひどく裏切られた思いがするに違いない。もしもルムシャスが次回2度目の薬物検査でも同じ結果になった場合、違法性という見地からのみならず、人道的な立場からいっても、彼の犯したことの責任はとても重いと思う。


  • アームストロング、イエロージャージに袖を通す ( 6.12.2003 )

    現在行われているドーフィネの第3ステージ。33.4キロのITTでアームストロングがトップにたち、リーダージャージであるイエロージャージ(ドーフィネの場合は、正式にはマイヨージョーヌ エ ブルというので、黄色と青ジャージになるけど、まあ見たところイエローです)に再び袖を通した。再びというのは、彼は昨年のこのレース覇者なのだ。

    アームストロングはプロローグでは3位だったので、周囲は既に「ツールは大丈夫か」なんて、てんやわんや言っていたけど、ご心配なく。ITTではミラーを破って貫録勝ちした。ちなみにリーダージャージであるイエロージャージの上方には、リーダージャージを提供しているクレディアグリコル(CA)のロゴが入っている。スポンサーマークだ。アームストロングがこのジャージを着ているのを見て、CAに移籍したの?と慌てないでね。

    ドーフィネ第3ステージ後、区間優勝の表彰台で、故キヴィレフの赤ちゃん、レオナルドを抱くアームストロングの表情がとても素敵じゃありませんか?Previous Photoには、キヴィレフの妻ナタリア、レオナルドの3ショットも。ちなみにキヴィレフと同郷のヴィノクロフは、キヴィレフ基金を設立して、故郷カザフスタンの自転車界活性化に一役買いたいと言っているそうです。
    http://www.cyclingnews.com/photos/2003/jun03/dauphine/?id=stage3/023lancebaby

    リザルト

    http://www.cyclingnews.com/road/2003/jun03/DauphineLibere03/?id=results/stage3

  • アシスト選手のプロ人生を描いた映画 ( 6.12.2003 )

    スペインで、「ギラン ランベールの自転車(Le Velo de Ghislain Lambert)」という映画の劇場公開が始まった。この映画はフランス、ベルギー合作で、2001年10月にフランスなどで公開されている。映画評をあちこちのサイトで読んでいて感激した。さすが自転車大国フランス!こんな自転車づくしの映画(もう最初から最後まで自転車選手、レースで埋め尽くされた コメディータッチのお話。)が作られているんだ!日本で公開予定が今のところなさそうなので、このたび 幾つかの映画評の中から拾った内容をご紹介。

    70年代ベルギー。この時代といったら、「エディーメルクス」と、「その他大勢の自転車選手たち」、と大別された時代。なにしろメルクスがダントツに輝いていた。そんな中、ベルギー人のギラン ランベール(架空の人物です)も、「その他大勢の選手のひとり」だった。彼はちょっと冴えないアシスト役。毎日水入りボトルをリーダーたちに配給している。でも夢は大きい。偉大なチャンピオンになること。彼には自転車しかない。ランベールは、きしくもメルクスと同じ日に生まれていた。彼が生まれたのは、メルクスとは僅か8時間の差。でも、2人の人生には莫大な差が生じていた。

    出身地の村のクラブチームで、ひたすらペダルを漕いだ後、なんとか大きいプロチーム入りを果たしたランベールだが、プロの世界の厳しさをひしひしと実感する。落車もあれば、プロトンの中でもがく日々。それでも夢をかなえるために、あらゆる手段を尽くす。兄の力を借り、遂には他の選手を真似て、違法行為にも手を出す。お陰で脚光は浴びるものの、彼は結局、彼はメルクスにはなれなかった。。。

    ほろ苦い思いも漂わせながら、それでいて笑いが支配するこの映画では、根底にあるのはヒューマニズムだ。人間臭さを自転車という手段を通して、おもしろおかしく浮き彫りにしている。スペインでは絶賛され、サンセバスチャンの映画祭では脚本賞も受賞しているこの映画。自転車の盛んな国では概して評判も芳しい。下記のサイトに映画のポスターが出ているので、雰囲気だけでもどうぞ。主人公を演じるのは「ありふれた事件」「24時間4万回の奇跡」などに出演しているブノワ・ポールヴールド。監督はフィリップアレル。(「闘争領域の拡大」で監督主演。)

    http://www.ifrance.com/CINEMAETCIE/LE%20VELO%20DE%20GHISLAIN%20LAMBERT.htm

    ちなみに ロシアでも既に公開されたのか、ロシアのサイトにも映画の宣伝がたくさん載っていた。また、島根大学発信の交換留学生日記サイトに、フランスで見たというこの映画の紹介も登場する。「自転車を取ったら何も残らないようなさえない男の話ですが、最後まで笑いの絶えないコメディーでした。」ということでした。更に詳しくは、下記。


    http://www.ipc.shimane-u.ac.jp/~euro/french/lyon02.html

  • ベロキ、カサグランデ、ルムシャスを破って優勝したあの選手は誰? ( 6.11.2003 )

    8日に終了したビシクレタ バスカ(注:cyclingnewsでリザルトチェックをする際は、バスク語のレース名「Euskal Bizikleta」になっています)で、パテルニナ コスタ デ アルメリア(元ジャステル)のホセアントニオ ペチャロマンが優勝した。彼は身長180cm、体重68.5キロの25歳。スペインでは若い頃から注目されつつも、プロ入り後は怪我に泣いて、なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかった。スペインで自転車選手を一般の人がランキングする公開サイトでは、最高の5つ星もとったりしているが、弱点は「怪我」と書かれたりもした。

    しかし、今回のビシクレタ バスカで、ペチャロマンは大爆発した。総合2位はベロキ、3位はカサグランデで、大物をなぎ倒したのだ。なにしろ彼は、第1ステージ以外は全てトップから5位以内でフィニッシュした。そして、TTステージも含め、区間優勝を3つもとった。フラット、山岳、TT全てで大活躍。このペチャロマンに、先日スポーツ紙のアスがインタビューしているので、下記に掲載します。

    「最初は、いい走りができれば、と思ってのぞんだレースだったけど、気づいたら、すごい選手を尻目に、自分が最高位に登っていたんだ。ベロキ、カサグランデ、ダビド エチェバリア、ライセカ、ルムシャス。。」

    「いつかは自分が活躍する時が来るだろう、そう信じてたけど、それでも1ステージ勝てれば、と思っていた。まさか3区間優勝+総合優勝だなんて。。過去2年、落車と怪我の繰り返しだった。ジュニア、アマ時代はいろいろなレースに勝って、アマチュアチームからのオファーをいっぱいもらった。でも、僕はプロに拘ったんだ。できれば僕を信頼してくれた(元ビタリシオ監督の)ハビエル ミンゲス監督のもとで走りたかった。でもビタリシオが解散したのは残念だった。」

    「今回爆発できたのは、トレーニングがよかったからだと思う。いつもより長めに、リズムは抑え目に走るようにした。それから、トレーニングとダイエットで2キロ減量した。今回、この2キロという体重差を、山岳でひしひしと感じたなぁ。今までは、ジャージのポケットに満タンのボトルを4つ分余計に入れて走っていたんだなぁ、と実感した。」

    「よく言われるのが、最初の勝利をあげるのが、氷を割るように難しいということ。でも今回優勝できて、自尊心もやっと芽生えた。これからも地道に行きたい。」


  • ゴンザレスに続いてペタッキもツール出場 ( 6.10.2003 )

    ジロのスプリントで大暴れしたFASのペタッキがツールドフランス(7月5日開幕)出場の可能性が濃厚になった。これはフランスの新聞レキップ紙が報じたもの。これでマキュアンもツァベルもうかうかできなくなる。

  • 好物はカルボナーラのあの人 ( 6.10.2003 )

    Audi A6に乗り、ワインが好き。ミュージシャンではクイーン、俳優はメルギブソン。イタリア料理が好きで、中でもスパゲティーカルボナーラが大好物。あこがれの選手はミゲルインドゥライン。。。今日は、随分前にこんなプロフィールを紹介したあの大物選手の話題。

    そう、上記はウルリッヒの横顔。ドイツランドツアーを5位で終えたウルリッヒ。優勝したロジャースから2分1秒遅れだったが、本人は大満足だ。そして、長い休止の後、自分で思っていたよりもいい走りが出来た、と語った。まだ100%の出来ではないものの、今年アームストロングとデッドヒートを展開する選手として、周囲も期待している。そのウルリッヒは、97年にツールで優勝したものの、それ以外は4回も、総合2位に甘んじている。そのうち2回は(2000年2001年)、アームストロングに次ぐ2位だ。後の2回は96年にリースに次いで総合2位、98年パンターニに次いで総合2位。ちなみに99年はヴエルタに出場し、総合優勝だった。以下ロイター電と本人HPからウルリッヒ最新情報。

    ドイツツアーの最後から2番目のステージのITTでロジャースに負けて2位のタイムでゴールしたウルリッヒ。レース後、こんな風に語った。「ツールでは、もっといい走りをしなくてはいけない。でも、暑さを考慮して、最初のラップでは、自分の限界の走りはしなかった。」そして、走り全体については、「ただ、やはりツールまでには、もっと調子を上向きにする必要があるね。」

    「このままどこまで行けるかは、わからない。長い休止期間のあと、僕には本場のレース経験が欠けている。大崩することなくツールで持ちこたえることができるかは判らない。3週間には、思わぬ落とし穴があることもある。だから総合優勝について、今どうこう言えないけど、山岳ステージでステージ優勝したいと思う。今僕は新人みたいな気分でいる。一から始めようという気持ちになっている。膝の怪我で学んだことは、全てのことが、いかにあっという間に消え去ってしまうか、ということだ。今ではもう痛みも無く、こうして自転車に再び乗ることが出来て、とても嬉しい。」


  • ウルリッヒとアームストロングをTTで破った若手2人 ( 6.9.2003 )

    ドイツツアーとドーフィネリベレ。現在行われている2つのレースには、それぞれウルリッヒとアームストロングが出場している。日曜日のドイツツアー第6ステージでは40.7 kmのITTが行われ、ドーフィネの初日はプロローグとなる5.1 kmのITTが行われた。そして、ドイツツアーではウルリヒは2位、ドーフィネでアームストロングは3位に入った。彼らを上回ってトップのタイムでゴールしたのは、マイケルロジャースとイバンマヨの若手2人だった。

    ロジャースは、今年ツアーオブベルギーでベテランのフォスカンプの2連続優勝を阻止して、表彰台の一番高い所にたった。まだ若干23歳の若手が、ウルリッヒを40.7キロのTTで1分10秒80も上回ったのだ。もちろんこれで、彼は総合首位にたち、9日の最終日を待つだけとなった。また、ウルリッヒもこれで総合14位から5位に一気に浮上し、本人が言うように、ツールに向けて上向きになってきた。あとは山岳で、どのくらい踏ん張れるかが鍵だろう。

    ドイツツアーの40.7キロのTTで気になったのがボテロとカセロの2人。2人ともTTスペシャリストのはずなのに、ボテロが78位、カセロが80位という成績に終わった。ツールまであと1ヶ月を切った。(7月5日開幕)。調整、急がなくちゃ。

    一方25歳のマヨは、ドーフィネの初日で、2位のミラーに04.62秒差、3位のアームストロングに10.16差をつけて初日首位にたった。ツールドフランスに今年もマヨが出場するとなると、楽しみになる。ツール初日には8キロのプロローグがある。100周年記念のツール初日にマイヨージョーヌを着る栄光を誰もが狙ってくるだろう。こうした力の入るレースでは、順当にミラー、アームストロング、ウルリッヒらのTTスペシャリストやベテラン勢がトップに入ってくるだろうが、マヨやロジャースといった若手がかきまわしてくれるのを楽しみにしたい。


  • 破竹の勢いオンセ + ウルリッヒ山岳ステージ18位をどう見るか ( 6.8.2003 )

    ドイツランドツアー5日目。1位オンセ、2位 オンセ、3位オンセ、4位オンセ、5位クイックステップ、6位オンセ、、というリザルトを見ると、あれ?今日はチームTTの日だったけ?と思ってしまいそうになる。しかし、そうではなく、191キロのれっきとした山岳ステージだった。区間優勝したのはオンセのポルトガル人アセベド。続いて折り重なるように同着で着いたのが昨年のドイツランドツアーの覇者、イゴール ゴンザレス デガルデアノ。3位ノサル、4位ヤクシェとオンセが続き、クイックのマイケルロジャース(それにしても活躍が目を引く)を挟んで6位がオンセのコンタドールだった。

    一方で期待のウルリッヒは1分22秒遅れの18位。オンセの前に歯がたたなかった。長い間レースから遠ざかっていたウルリッヒの山岳での力の限界を、さっそく指摘する声もある。しかし、ウルリッヒ本人はそこそこ結果に満足しているようだ。
    「18位とはいえ大満足さ。レース前は(優勝も視野に入れて)自分に期待していたが、現実はそうはいかなかった。まだ力が完全に出せず、なめらかな走りができなかった。でもツールに向けて上り調子だと思う。」とレース後にウルリッヒは語った。

    一方、監督のペフェナーフ氏も(注:元コーストの監督フェルナンデス氏は、新チームビアンキでは監督ではない。ウルリッヒのマネージャーとしてテレコムから移籍したベルギー人のペフェナーフ氏が、現在ビアンキの監督を務める。)この結果には満足しているという。「ヤンは長い間、こんなきつい山岳ステージはこなす機会がなかった。今は、彼の実力がどの程度の位置につけているかを探るのが重要。今後やるべきことがいっぱいある。」

    ウルリッヒは別にしても、カセロはトップから10分以上遅れ、今季はまだ全くいいところがない。最も彼の場合、シーズン前半は往々にしてこういう状態で、ヴエルタなどのグランツールで急浮上するタイプではあるけれど。ともかくチームビアンキ全体としてみると、この日活躍したオンセの選手などに比べて随分駒数が劣るので、ウルリッヒがツールで十分なアシストを得られるか、ちょっと不安材料があるように思える。

    この日のステージで総合リーダーとなったのは、アセベド。リーダージャージであるホワイトジャージを身に付けた。(厳密には白+青のジャージ。)試合は9日月曜日が最終日となる。なお、ドイツのレースなので、レース写真はドイツのサイトにいい写真がある。大活躍のオンセ、ビアンキトレイン、レース中と後のウルリッヒなどの写真があり、写真の質がいいわりにはページはさほど重くない。


    http://www.radsport-news.com/news/dt20035.shtml

  • ドーフィネリベレ今日開幕 + アームストロングがスバルアメリカのCMに登場 ( 6.8.2003 )

    アームストロングがディフェンディングチャンピオンとしてゼッケンNo.1をつけて出場するドーフィネが本日開幕する。USPのメンバーを見ると、もう完全にツールムードだ。エキモフ、ヒンカピー、パドルノス、ランディス、ペーニャ、ルビエラ、ヴァンデヴェルド。エラスがいれば、ツールの布陣ができがる感じ。もっとも現在USPは、14人の選手をツールメンバー候補にしており、今回のメンバーが全員ツールに行くとは限らない。

    (個人的に)心配なのはベルトラン。USPデビューはドーフィネのはずだったのだが、今回メンバーに入っていない。そうなると、6月16日からスタートのボルタ ア カタルーニャにベルトランがでてくれないといけない。でないと、ほとんどレースに出ないまま、ツール出場メンバーに選ばれる、なんてことは考えにくい。ベルトランはカタルーニャでは過去に優勝もしているし、出場してくれることを祈りたいところ。

    それから、ついでにアームストロングがスバルアメリカのCMに登場している。Safe and you can attack any roadと、自転車レースにひっかけた宣伝文句となっている。


    http://www.lancearmstrong.com/lance/online2.nsf/html/SUBARUAD

  • サランソン その2 ( 6.7.2003 )

    サランソンの病理結果報告はまだ公開されていないが、心臓病で急死した可能性が高いという医師のコメントが出た。(AP電)それによると、サランソンには心臓肥大が認められ、冠状血管の血流が悪くなりそれが直接死因に結びついたと考えられるとのこと。(これは まだ公式見解ではないですが。)

  • 死因が特定できぬままサランソンの葬儀 ( 6.7.2003 )

    先日急死したサランソンは、司法解剖でも、更にその後の薬物検査でも死因が特定できていない。金曜日には、念のためにEPOの摂取の有無を確認するテストも行われたが、これでもシロ。現在ドイツ検察側は、最終的な病理報告書が提出されるのを待っている。その間、彼の葬儀がフランスで土曜日に行われるのを受けて、彼の遺体が本国フランスに運ばれることになった。それにしても、彼の死は残念だ。若手の活躍が光るブリオッシュチームにあって、彼の将来も有望視されていた。2002年にミディリーブル(今年は財政難で開催打ち切り。現在スポンサーを待っている)でステージ優勝したとき、「彼がツールドフランスで活躍する日も間近だろう」そんな記事が掲載された。

  • パンターニは ツールに出るのか? ( 6.6.2003 )

    メルカトーネのマルコ パンターニは、コーストからは色よい返事がもらえなかったが(チームに既に2人のリーダーがいて、更に増えるのは好ましくないと)、やはりツール出場への執着はまだあるようだ。今度はヴィーニ カルディローラへ移籍するかも、という話が浮上している。UCIとしてはパンターニがヴィーニに移籍すること自体、何ら問題はないとしている。但し、ヴィーニやパンターニ本人の談話が入っていないので、実現するかどうかは、暫く要Watchだ。

  • ランカウェイが自転車レースに向いているわけ ( 6.5.2003 )

    ツールドランカウェイは、今年1月31日から2月9日にかけてとっくに行われてしまったけど、今日はそのランカウェイに関するお話。先日友人が、マレーシアのランカウェイ島にバカンスに出かけた。一家でレンタカーで島中をまわったらしいのだが、彼女がびっくりしたことがある、といって聞かせてくれた話がある。「車でずんずん山奥に行ったんだけど、行けども行けども、どんなに山奥でも、道が綺麗に舗装されているのよ。人が行かないような、すっごい山奥でも道路が全て舗装なのよ!」と。

    全部舗装道路、だから自転車レースに向いているわけね、と納得。以前、2002年のフランス日記に福島晋一選手も書いていた通り、このランカウェイという地は、マハティール首相の出身地。だから、島中が綺麗に舗装されているらしい。まあ、自分の出身地の開発に力を入れるというのは、どこの国でもありがちなことだけど。。想像するに、このランカウェイツアー(TDL)自体、マハティール首相が故郷起こし事業として推進しているふしがある。それが証拠に、首相自らランカウェイツアーの表彰式に出席しているわ、TDLの公式サイトのニュースコーナーには、Dr. Mahathir(マハティール首相)が閉幕式のスピーチでこう言った、ああ言った、などとニュース記事も出ている。TDLの公式サイトもやけにきちんと出来ていると感心していたけど、こちらにもやはり潤沢な資金が首相周辺あたりから出ているに違いない。

    ちなみにこのTDL2003のサイトは、今でもオープンしていて、トップページには、ベストアジアンライダーに輝いた狩野選手の写真が誇らしげに出てくる。(Blue Jersey Overall)


    http://www.tdl.com.my/

  • サランソン 再度続報 ( 6.5.2003 )

    火曜日の朝、ドレスデンのホリデイインで亡くなっていたのが発見されたブリオッシュのサランソン。解剖は済んだものの、また、大方の見方では自然死という見方がされているものの、死因はまだ特定できていない。ホテルの部屋にあった彼の所持品からは、多少の錠剤などの薬品が見つかったものの、UCI規定に反するような違法薬物の類ではなかった。また、現在行われている薬物関連の検査でも、彼の体内から興奮剤や増強剤の類も検出されておらず、対外から何らかの異物が摂取された痕跡も見当たっていない。とりあえず検査データはまだ暫定的なもので、最終的に全てのデータが出揃うのは金曜日になるだろうが。

    サランソンの大の親友であったシルバン シャヴァヌル(サランソンが亡くなっていることを発見したセバスチャンの兄)は、相当なショックを受けており、まだ彼の死が自分の中で消化できていないという。


  • 続報 >>また現役選手の死。これで今年3人目。 ( 6.4.2003 )

    サランソンが突然レースの日の朝、ホテルの自室で亡くなったことを受け、ブリオッシュのメンバーは、全員ドイツランドツアーを直前でキャンセルし、レースのスタート地点であるドレスデンから、フランスに帰っていった。彼の死因はまだ特定できておらず、ドレスデンの病院での司法解剖を待つことになる。

    サランソンは23歳。2000年にボンジュールに入団し、そのままチームが2003年ブリオッシュとなり、2003年はブリオッシュ ラ ブーランジェールに所属していた。プロ初勝利は2000年のツールド ラヴニール。その後2002年にミディリーブルでも、ゴール手前5キロでソロの逃げを決め、ステージ優勝している。

    一方ドイツツアーは、サランソンに黙祷を捧げたあと、通常通りスタートし、ツァベルがスプリント優勝した。先にジャージを公開したウルリッヒやカセロもスタート地点についた。ウルリッヒはトップと同タイムの23位。カセロは18秒遅れの80位だった。


  • 緊急速報 >>また現役選手の死。これで今年3人目。 ( 6.3.2003 )

    今日は、下記ウルリッヒの記事でニュースインプットはおしまい、と決めていたのに、ほんの数分前に訃報が飛び込んできた。ブリオッシュ ラ ブーランジェール(昨年までボンジュール)のファブリス サランソン(1979年生まれでプロ入り4年目)が突然死した。発見者はチームメートでルームメートだったセバスチャン シャヴァヌル(シルバンの弟。一説には、シルバン シャバヌルが発見したという説もあり、情報が錯綜している)。朝8:30頃、彼がベッドに片足を乗せた状態で死んでいるのを発見したという。この件で緊急記者会見が開かれたが、死因はまだ特定されていない。サランソンは、病気の徴候はなく、前日までとても元気だったという。ドイツツアーのスタート直前のことで、チームに動揺が走っている。現役選手の死亡はこれで今年3人目で、FASのザネッテ、COFのキヴィレフにつぐ。

    上記の記事は、cyclingnewsの速報で見られる。このページ下段には、USP、ロットのツール暫定出場メンバーも書かれている。(暫定メンバーといっても、補欠がふんだんにはいっているけれど。)


    http://www.cyclingnews.com/news/?id=2003/jun03/jun03news2

  • 新着!ウルリッヒのチェレステブルーのジャージ初公開! ( 6.3.2003 )

    新着です!チームビアンキが遂にお披露目になりました。機材もウエアも間に合うかどうか、ちょっと心配したけど手配はすぐにつきましたね。ジャージはとってもあっさりしていて、これでウールだったら、完全にレトロだね、っていう感じ!

    http://www.radsport-news.com/news/bianchi20036.shtml

    チーム集合お披露目写真です!(このページの下段に、最終的なチームビアンキの布陣が書かれており、カセロ、エルナンデスらは入っています。UCIのリストに名前が掲載されるのも、もうすぐでしょう。)

    http://www.radsport-news.com/news/ullrich2003zb.shtml

    先日のレースの時のウルリッヒの模様。既にビアンキのジャージで走っているぞ!先日お伝えしたとおり、順位は16位でフィニッシュ。

    で、ビアンキが何故チェレステブルーになったのか、チェレステブルーにまつわるロマンティックなストーリーは、なんといっても下記のサイトでしょう。ビアンキが好きだけど、このストーリーをまだ知らない方、この緑がかったブルーが大好きという人、下記のサイトでお楽しみください。じゅんさんのサイトから。


    http://www16.big.or.jp/~tojo/celeste.html

  • <速報>:TDF出場チーム最終決定 − チッポリーニはアウト! ( 6.3.2003 )

    まだ今現在でletourの公式HPは更新されていないものの、日本時間の昨夜 夜中にツールドフランスの最終出場チームが ソシエテを傘下に置くASOから発表された。それによると、チッポリーニのドミナ ヴァカンツェ(DVE)は完全に出場の可能性を奪われた。一方で、ウルリッヒのいるビアンキは、正式に出場が認められた。コーストはツール出場権利があっても、ビアンキとしては、昨年のUCIのレース実績がないため、これまで、自動的にコーストの代わりにビアンキを選ぶことは出来ない、というコメントも聞かれていた。しかしながら、やはりアームストロングのライバルとしてウルリッヒの存在は不可欠で、ウルリッヒという要素により、すんなりと今回の結論に至ったようだ。最終チームは下記のとおり。
    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-tour03.html

    ちなみに、UCIのWeb上の最新リストによると、カセロ、エルナンデスらはビアンキのメンバーとして、名前が載っていない。選手らに対する契約金が少ないことが、先日ビュストによって指摘されていたが、やはりそのせいか?ただ、契約金は少ないながらも彼らは既にチームと契約している、という噂があるので、UCIリストに登録されるのは間近だとは思うが。とりあえずUCIのビアンキの選手リストでは、彼らの他 2名を除いた16人だけの登録になっている。


  • ウルリッヒ、ビアンキでレースデビュー + パンターニのビアンキ入りは無理らしい + 「ビアンキの選手はサラリーが低すぎて、食べるものに困るだろう」の発言 ( 6.2.2003 )

    この土曜日、ウルリッヒがレースに戻ってきた。ドイツのエアルフトの街を走る188.7キロのコースだ。出走したのは150人、20チーム。優勝したのはヴィーゼンホフチームのポイトシュケ。ゼッケンNo.11をつけて登場したウルリッヒは、5月1日以来レースには出ていない。5月9日に、チームが2度目となる給与未払いでレース出場停止処分をUCIから受けたせいだ。約一ヶ月ぶりにレース復帰したウルリッヒは、数日間腹痛を訴えていたものの、体調はまあまあだったといい、16位でレースを終えた。彼は、6月3-9日のドイツツアーにも出場予定だ。ちなみに、レースには、21番のツァベル、25番のホンド、28番のヴィノクロフらも出場した。ゼッケンNo.1は昨年の覇者、スロベニアのSスヴィーベンだった。

    一方、ツールドフランスに出場するために、メルカトーネからビアンキに移籍する意思を示していたパンターニだが、この話は難しい雲行きだ。ビアンキには既に2人のリーダー、ウルリッヒとカセロがいる。ツールで3人もリーダーが登場したら、チーム内での軋轢は必至となるからだ。

    ところで、Radsports.comが伝えたところによると、チーム ビアンキには、22人の選手のうち、直前に移籍したベルトラン、シュヴェーダとチームと契約が成立しなかったベキム以外の19人が契約したが、スタッフの一部はチームと契約していない。マルセル ビュストもそのひとり。ビアンキの契約条件が、どうしても納得できないからだという。「スペインのリーダー格の選手でさえ(カセロのこととしか思えない)、相当低いサラリーを受け入れざるを得なかった。これは、毎月冷蔵庫の中を満たすのにも苦労するぐらいの(..dass er davon gerade mal monatlich seinen Kuhlschrank hatte fullen konnen.)低い額だ。」とビュストはショッキングな発言をした。ビアンキという救世主が現れて、やれやれと思っていたが、こういう状況下で、選手らの中には、不利な条件を飲むしかなかった人も多くいるという。


  • ツールドフランス レトロ 1997年:(癌の療養中、観客としてツールを訪れたアームストロング)「もちろん、選手としてここに来たかったけど、でも観客として訪れたことに、さほど苦痛は覚えていないんだ。だって、今の自分では、ツールで優勝は狙えっこないからね。」 ( 6.1.2003 )

    6月の声を聞いたら、ツールドフランスがすぐそこにせまった感じがする。アームストロングが5連勝するかどうか、気になるところだけど、アームストロングのことを、連勝し始めてから知った人は、彼にもこんな時があったのか、と改めて驚くような場面があった。1997年ツールでの出来事だ。

    7月15日、プロトンはプルテ ダスペの峠で、5分間レースを中断した。95年ツールの最中、ここでなくなったファビオ カザルテッリに黙祷を捧げるためだ。カザルテッリのお母さんと抱き合うファンニーニや、記念碑に手を触れるグエリーニらに混じって、私服のアームストロングの姿がそこにあった。化学療法で失った髪の毛は既に短いながら黒々と生え、頬はこけているものの、笑顔を絶やさない。

    アームストロングが、観客としてこの峠に姿を現したのは、もちろん友人カザルテッリの供養のためだ。カザルテッリとは、モトローラ時代のチームメートで、事故のあと、アームストロングが供養の区間優勝をあげたことが思い出される。しかし、その後アームストロングは病に冒され、レースでカザルテッリを供養することはできなかった。そこで、キャラバンカーに同乗して、峠でプロトンと合流した。アームストロングの突然の出現に、皆周囲はびっくりした。癌を克服した選手(いや、元選手、と考えていた人々も多かった)を前にたじろぐ人々もいたものの、アメリカ的な陽気さで、彼はすぐにプロトンの雰囲気と同化していった。

    その時アームストロングを見た人々は、アームストロングが、プロのトップライダーとして復帰できることに、漠然と疑問を感じていた。まさか、その2年後に4連勝の口火を切るとは、想像だにしなかった。以下、97年7月16日付けの「フランス ソワール(以下FS)」紙からアームストロングのインタビュー。今のアームストロングとは隔世の感がある。

    FS:「調子はどお?」
    LA:「まあ、様子見っていうところかな。今も回復後の様子見というところだけど、気分は1年ぶりに、随分良くなった。また、このレースの雰囲気の中に身を置けて嬉しいよ。」

    FS:「ツールに戻ってきて嬉しい?」
    LA:「幸福感を感じているよ。もちろん自分が走っていないのがちょっと不思議な感じだけど、正直、観客としてきていることに、苦痛は感じていないんだ。もちろん、自転車選手として来たかったけど、でも今の自分じゃ、ツールで優勝を狙えっこないからね。」

    FS:「今回は、カザルテッリのためにツールに来たんだね。」
    LA:「この場所に戻ったのは、事故以来初めてなんだ。彼は友人だったから、どうしても来たかった。彼は僕の心に、いつまでも生き続けている。」

    FS:「あなたの将来計画は?」
    LA:「ロードレースに復帰することが、とにかく一番の優先事項だ。もっと休んで、徐々に始めれば、という人もいるけどね。自転車には乗っているけど、まだ余り長くは乗れない。ゴルフもトレーニングの一貫で始めたけど、でも余りうまくはないね。とにかく唯一言えることは、僕は自分がまだ自転車選手だと思っている、ということだ。」

    FS:「貴方の目から見て、今回のツールはどんな展開になると思う?」
    LA:「僕はあまりレース予想が苦手な方だけど、でも、テレコムはダントツに強いだろう。確かに、2人のリーダーがいて(ウルリッヒとリース。この年はウルリッヒが優勝した)、チームとしてはやりにくい面もあるだろうが。ドイツのチームにデンマーク人がいて、チーム内で摩擦はあるだろうね。僕がもしウルリッヒだったら、まず自分からアタックするよ。」



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こちらのニュースソースについて:ページ最下段にも掲載していますが、2000年にcyclingnewsと念書(Letter of Intent)をかわし、記事の翻訳につき正式に同意を入手しています。従って、特に記載のないものはソースはcyclingnewsです。

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このたび、オーストラリアのKnapp Communications Pty Limited(cyclingnews.com運営)と趣意書をかわし、同社よりサイトのニュースの翻訳権を入手しました。(effective as of 19/Nov./00) Jump


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