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特ダネ・ニュース 2003年8月の記録..
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  • ドミナヴァカンツェのヴエルタ出場は ハテナ ( 8.31.2003 )

    現在ドミナヴァカンツェはヴエルタの出場チームとしてゼッケン60番台をつける予定だが、主催者のUnipublicは、ドミナの出場に難色を示し始めた。というのも、暫定的に出場すると見られていたチッポリーニが、ヴエルタ出場にNoという態度を示したからだ。チッポリーニの出場を前提にドミナを招待していたため、主催者側は、チッポリーニが出ないなら代わりに他のチームを招待する可能性をちらつかせている。

  • 蜂谷秀人さんの写真展 ( 8.31.2003 )

    写真家蜂谷秀人さんの写真展「銀輪の国から」が8月29日から9月9日までの間開催されています。近年のツールドフランスの写真展です。場所は新宿コニカミノルタプラザギャラリーA。(新宿高野ビルの4Fです。)年中無休で10:30から19:00まで。入場無料です。私は今日、科学技術館で開催されていたツールドフランス展(本日が最終日)と一緒に見に行ってきました。写真日記に触り部分を入れましたので、ご参考まで。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-tabi.html

  • 自転車選手の女房たち ( 8.30.2003 )

    エルムンド マガジンがサイクリストの奥さん特集を掲載している。おもしろかったので、選手の紹介をまじえてご紹介。

    <サイクリストの女房ということについて>:ダニエル クラベロ(メルカトーネウノ)の奥さん、アナ コントス(スペインでは、夫婦別姓)の場合

    <夫に起こるかもしれない事故の恐怖をどう克服するか>:「自転車選手には事故はつきもので、最悪の場合死亡事故も身近にあることは隠しようのない事実。だから、感情に流されず 平常心で対処しているの。例えば、ダニ(クラベロ)のトレーニングからの帰りが1時間遅かったとするでしょ。そうしたら、私は<きっとパンクしたんだわ>って考えるようにしてるのよ。一喜一憂して心が乱れるのは良くないからね。

    それから、レース中の事故についてだけど、時々クラッシュした選手の見るに耐えない映像があるでしょ。余りにもひどいシーンを画像にするのは節操がないと思う。」

    <離れ離れの時間が多いけど>:「離れ離れの時間が多いから、私達は普通のカップルよりも、お互いが自立、独立していると思う。でも、お互い違う人間であることがまず基本にあるから苦痛ではないし、だからこそ、一緒に居る時は楽しいし、相手に対してよりいっそう優しくなれる。」

    <自転車選手ってどんな人々?>:「一般的に内に秘めた底力がすごいと思う。苦しさに耐える能力も抜群だし、体系的に物事を見れる人が多い。傍から見ていて、ちょっと信じられないぐらい彼らは精神的に強い。」

    <夫について>:「彼はよく本を読むわよ。エドゥアルド メンドサが好きでね。だって、ジロデイタリアのツアー中に、ニーチェの哲学書を持っていくわけにはいかないでしょ?」

    (スペインの作家エドゥアルド メンドサの主な作品についてはこちら。
    http://www.pandoras-box.jp/html/europe/supein/eduardo%20mendoza/001.htm

    実はアナは心理学者で、今もその筋の仕事を続けている。ニーチェを引き合いに出したのは、彼女の愛読書がニーチェだからかもしれない。彼女の場合は職業婦人ということで、かなり自立したコメントが聞かれたが、どちらかというと彼女の場合は例外的。専業主婦の方が多い。後日 別の奥さんにもスポットを当ててみます。

    ダニエル クラベロ選手については、別途ご紹介することにします。なかなか味のあるおもしろい選手で、内容が長くなりそうなので。


  • ヴエルタ ニュース ( 8.30.2003 )

    ケルメは相変わらず台所事情が厳しい。セビーヤが戦線離脱していたせいもあるが、ジロでは9人選手が揃わず8人でスタートしたり、ポルトガルのレースでは、食中毒などで、全員リタイヤという波乱もあった。そして6日開幕のヴエルタ。セビーヤはぎりぎり間に合ったものの、本人ですら不安を隠しきれない。

    「3月に手術をして、5ヶ月間トレーニングをしていない。今年の走行距離合計はたったの4000キロ。この間、他の選手たちは3万キロぐらいはカバーしている。特にTTのためのトレーニングが全くできていないから、ヴエルタではどの程度やれるか、自分自身でも全然わからない。」

    練習不足が凶と出るか、あるいは筋肉疲労がないから思いがけずいい走りができるか。ふたをあけてみなければ、本人すらわからない。思うような走りができない場合は、区間優勝に目標をセットしなおす予定だ。


  • テレコム刷新 ( 8.29.2003 )

    来年からT-モバイルとして生まれ変わるが(といっても現在の女子チームT-モバイルのジャージはテレコムとほとんど同じなので、ジャージのデザインはマイナーチェンジで終わる可能性もあるけど)、それと同時にチームメンバーの刷新も図られるようだ。まず放出組の筆頭がボビージューリック。今年はツールにも出場できなかった。98年で表彰台に上ったあとは、平凡な記録が続き、ツールでは2000年から2002年までの3年間、総合48位、18位、37位に終わった。現在他チームからのオファーはない。

    一方で去年のドイツチャンプのダニロ ホンドはさっさとゲロルシュタイナーと契約し、さっさとテレコムを離れて、9月のヴエルタから新チームで走る。他の放出組はファンニーニ、フンデルトマルク、コップ、ライヒェル、シューマッハー。逆に新加入組は、チェコのコネクニー、オランダのブラームス シュミッツ、ロシアのセルゲイ イワノフだ。今年はイタリア人のサヴォルデッリ、ナルデッロ、ベルギーのアールツ、コロンビアのボテロを加入させ、来季は東ヨーロッパから補充し、ドイツチームのイメージがあったテレコムも、刷新の時期のようだ。


  • スベルディアは6千万円強で妥結。 ( 8.28.2003 )

    新聞アスの報道によると、エウスカルテルのスベルディアがチームと契約を更新したとのこと。契約期間は3年。サエコのオファーは2年契約だったため、1年多い3年のエウスカルテルの方を最終的に選んだ。年収は48万ユーロ。ジャスト本日の為替レート(TTS)で計算すると、61,992,000円となる。更にこれに、賞金などが上乗せとなる。(本日の為替はTTS129.15円。つい先日引き落とされたツール滞在中の私のVISAカードの引き落とし換算レートは1ユーロ=140円だった。いくら円安にしたって、ちょっとぼられた感じ。)

    ちなみに、サムエル サンチェスがエウスカルテルと契約した額は年俸24万ユーロで、アスタルロアがコフィディスと決めた年俸は36万ユーロ近辺だ。アスタルロアがインタビューで実際に明らかにしたところによると、彼は一旦サエコと7月に延長の方向で合意したらしい。ところが、最近 実際に契約する段階になって、サエコが合意金額を値切ってきたという。そこで、アスタルロアは他のチームとの契約を模索し、利害が一致したコフィディスに決めたということだ。


  • アスタルロアがサエコからコフィディスへ移籍 ( 8.27.2003 )

    スペインではステージレースが重視されるので、クラシックの得意なライダーはどうしてもスペイン以外のチームに行くケースが多い。フレイレしかり、そしてイゴール アスタルロアしかり。アスタルロアは2000、2001年とメルカトーネに在籍し、2002、2003年にはサエコで走った。昨年ジャパンカップで2位になったので、みなさんよくご存知でしょう。

    その彼は、9月のヴエルタに出場予定だが、来年は、コフィディスに移籍するという。今年 フレッシュワロヌで念願の優勝を果たしたアスタルロア。コフィディスのクラシック選手補強作戦では 強力な助っ人になるはず。(お断り:移籍のニュースは得てして後から情報が変わることもあるので、ご注意を。)


  • イバンマヨ、3年間エウスカルテルに残留する可能性が濃厚に ( 8.27.2003 )

    注目のエウスカルテルのマヨ残留交渉が月曜日に行われた。将来有望なイバン マヨはチーム側が必死の引き止めで、3年間の契約をオファーを受領。また、金額面だけでなく、チームは戦力強化面でも力を入れることを約束。特にマヨの代理人であるマネージャーのアンゴイティア氏によると、マヨはツールでの総合成績アップに必要な幾つかの具体策を要求。一例として、チームTT対策を強化するようにチームに申し入れている。(こういう要求ができること自体、若いながらチームのエース格だ。)なにしろ、チームTTでエウスカルテルはUSPより痛恨の3分22秒もロスをしている。あれさえなければ、という思いが強いのだろう。こうした彼の主張をチームは認める方向で、マヨのエウスカルテル残留が可能性が高まった。しかしスベルディアはいったん契約したと言われていたが、サインはしておらず、一方でサミュエル サンチェスは契約更新した。

    ちなみに、ツール2003での総合タイム差は2位のウルリッヒが優勝のアームストロングに1分1秒差、3位のヴィノクロフが4分14秒差、4位のハミルトンが6分17秒差、5位スベルディアが6分51秒差、6位マヨが7分6秒差だった。こうなるとITTでの数分が大きくものを言う。最後のTTでハミルトンに順位をひっくり返されたエウスカルテル。TT強化は必須だ。(そういえば、マヨは、2度のITTの前に「ITTが憂鬱」と漏らしていた。)


  • タイラーハミルトンからのお願い ( 8.26.2003 )

    ツールのあと、アメリカに凱旋帰国してシーサイドパークでファンを前にセレモニーを行ったタイラーハミルトン。あんな風に世界的チャンピオンに間近で触れられるなんて、羨ましい限り。ところで、この時彼はBAのフライトでバルセロナからロンドン経由ニューヨークJFK空港まで行ったのだが、なんとバッグパックが「ロストバゲージ」になってしまった。本当は機内持ち込みしたかったのだが、重すぎて拒否され仕方なく預けることにした。中には奥さんのヘイヴンが集めたツールの新聞、雑誌記事や、ハミルトンのレースギアなどが入っていた。結局20日後にバッグパックは戻ってきたのだが、中身はぐしゃぐしゃにされ、更に、ステージ優勝した時のCSCのジャージが盗まれていた。

    ハミルトンは移動が多いせいもあり、年に10回は持ち物を無くしたりするらしいが、今回はとても痛かった。記念深いステージ優勝の時のジャージが盗まれたのだから。そこで、ハミルトンから読者にお願いメッセージがある。「CSCのジャージの背中に71番のゼッケンがついているものを町で見かけたら、http://www.tylerhamilton.comのWebマスターにコンタクトしてほしい」と。それは明らかに盗品である可能性が強いからだ。彼はあと1枚、71番のついたままのジャージを友人に渡しているが、そのジャージは、友人が大事にしまって外に着ていく可能性はないという。

    ところで、オランダツアー第2ステージでクラッシュアウトしたハミルトン。指に大怪我したらしいが、15針も縫ったという。骨と腱が見えるほど深かったらしい。更に一部屈筋まで痛めているらしく、トレーニングもままならないらしい。しかし、CSCのように小ぶりのチームでは、選手がフル回転しないといけないらしく、のんきに休むこともままならないようだ。とにかくチーム順位が10位以内であれば、レース出場権が自動的に得られることも多く、現在6位のCSCは、なんとか年内好位置をキープしたい。いずれにしても、彼はカナダのハミルトンで行われる世界選手権への出場は無理のようだ。目一杯やりすぎて、もう世界選手権をクリアする余力は残っていない。(以上ハミルトンの8月26日の日記から。)一方で、来年のツールへの調整が、そのうち既に始まることだろう。


  • AG2Rの故オス選手を偲ぶ ( 8.26.2003 )

    24日に行われたGPプルエでAG2Rのアンディ フリッカンジェがゴール直前でニコラ ジャラベールを抜き差って優勝した。フランスのプルエといえば、世界選手権でもツールでも登場し、自転車サーキットコースとしては馴染みのある場所。実は、ラヴヌ監督率いるAG2Rがプルエのコースを走るのは12回目。しかし優勝したのは今回が初めてだ。99年にオス選手がプルエで3位に入ったのがこれまでの最高だった。オス選手といえば、ツールの最中にトレーニング中の事故で亡くなって大きな衝撃を与えた。ラヴヌ監督は急遽ツールの途中で葬儀に出席したりした。それが今回、同じAG2Rのフリッカンジェがプルエの地で優勝ということで、天国に召されたオス選手にいい報告ができた。

    そのほか自転車レースサムアップ:
    1. オランダツアーでエキモフが総合優勝。
    2. アームストロングが率いるツアーオブホープの人選が決定。これはアームストロングが中心となって、癌の研究を促進しようというキャンペーンで、アメリカを横断するレースだ。参加者として選ばれたのは、いずれも癌に関係する人々ばかり。腫瘍学の看護婦、子供を癌で無くした父親、癌から生還した人々、癌研究者などなど応募の100人近い人の中から26人が選ばれた。10月11日カリフォルニアをスタートし、1週間でメリーランドまで到達する。アームストロング自身はレースの前後に参加者とジョインする。


  • ヴエルタは9月6日開幕:セビーヤはゼッケン91番 その2 ( 8.25.2003 )

    セビーヤインタビュー続き
    ― 万全なコンディションまで到達しないのではないか、という不安はない?
    「確かにある。疲労していないから体調もいいんだけど、コンスタントに走ることがままならないようで、不安。コンスタントに走る、というのはとても大事だからね。プロになってこんなに長い間休んだのは初めて。とにかくトレーニングを再開したのが最近なので、この部分が未知数なんだ。もしもこの点で思うようにならなければ、区間優勝を狙うよ。」

    ― ヴエルタで最大のライバルは?
    「アイトール ゴンザレス、カセロ、エラスかな。でも一番の危険人物はイゴール ガルデアノかもね。彼も怪我をわずらっていたけど、僕ほど長期間トレーニングを休止していたわけじゃないし。外国人はよくわからない。カデル エヴァンス、ライプハイマーあたりかな。」

    ― オンセやバネストが消滅してしまうことについては?
    「忌々しきことだね。スペインの自転車選手のレベルは高いのにスポンサーが現れない。なにかしなくちゃいけないけど、僕らにできることといえばペダルをこぎ続けることだけなんだ。でも、それだけじゃ不十分と言われたら、これ以外に僕らを信頼してもらうために、何が必要なのかよくわからない。ドーピングが問題と言われるけど、自転車はその辺のコントロールが一番厳しいスポーツなんだよ。だから、どちらかというと、企業の文化、スポーツ活動援助に関する制度の整備化が急がれると思う。」


  • ヴエルタ ( 8.23.2003 )

    9月6日開幕のヴエルタアエスパーニャの各ステージごとのコース概要をUpしました。そのうちcyclingnewsでもコース概要が出るかもしれませんが、それまでの間、ご参照ください。本格的は山岳ステージは第7ステージから。チームTTで始まる点は去年同様だが、去年マドリッド近郊で最終日第21ステージにITTが行われたのと違い、今年のヴエルタの最終日は単なるパレード的レースになる。そして、ITTは前日の第20ステージに来ている。しかし、このITTは山岳ITTとなるので、それまでのタイム差次第ではどんでん返しも期待できる。

  • ターミネーター:アイトール ゴンザレス ( 8.23.2003 )

    ファッサのアイトール ゴンザレスの愛称(ごく一部で言われている愛称だけど)知っていますか?「ターミネーター」だそうです。昨年のヴエルタで、最後の最後にとどめを刺して優勝したのと、彼のアイトール(Aitor)に引っ掛けて作られた愛称です。そう、スペルは、TerminAitor Gonzalezと書きます。ね?ターミネイター ゴンザレスと読めちゃいますよね。

  • すごい、すごすぎる、ヴエルタの個人山岳TTのプロファイル ( 8.23.2003 )

    ヴエルタのコース サマリを作っていてびっくりした。最終日の前日に行われる12キロの山岳TT(逆転勝負があるのかどうかハラハラだが)のコース プロファイル。とにかくひたすら上っていく個人タイムトライアル。これが最終日の1日前にあるなんて。ゴール地点は1650mのあの、アルトデアバントスだ。優勝候補選手にとっては最後の勝負どころ。

    http://www.lavuelta.com/03/espanol/recorrido/etp20.html

  • ヴエルタ全出場選手暫定リストをやっとゲット ( 8.22.2003 )

    スポンサーのウニプブリクがヴエルタの全出場選手とゼッケンを公表したと聞き、必死で情報の載っているサイトを探したら、ありました、ありました。ウニプブリク専属の自転車サイト「トドエルシクリズモ」に。

    No.1はディフェンディングチャンピオン、ファッサのアイトール ゴンザレス、USPはエラスがリーダーNo.11。ランディス、ヒンカピー、ベルトラン、ルビエラなど、ツールのメンバーが顔をそろえる。オンセのリーダーはイゴール ゴンザレス。ベロキはもちろん出られない。下記で詳細をどうぞ。


    http://www.todociclismo.com/venoticia.asp?id=12247

  • ヴエルタは9月6日開幕:セビーヤはゼッケン91番 その1 ( 8.22.2003 )

    のう胞で2度手術を受け、今シーズン未知数のセビーヤがヴエルタに戻ってくる。ケルメチームは今年好調のバンデベルデのほか、グティエレス、サバヤ、カベヨ、カルロス ガルシア ケサダらがヴエルタに出場予定だ。特にバンデベルデはシーズン前半に飛ばした後、ヴエルタにそなえるため、中盤のレースを全部パスして調整してきた。セビーヤいわく、トレーニングもできない日が続いたため、夏に再開した時は、ゼロからの出発だったと。今までの貯金は全部ご破算になり、最初から鍛錬する必要があったとのことだ。

  • ツールで見て、聞いて ( 8.22.2003 )

    ツール観戦も今回で7回目ということで、観戦にも前より余裕が少し出てきた気がする。初めの頃は、写真を撮って、雰囲気を味わうので精一杯だったけど、徐々に自分の周囲を見たり、聞いたりする余裕ができたような。

    <聞いた>
    このほど、癌治療のR&D関連のHPを見ていたら、アームストロングのことが載っていた。彼は癌患者を救う会で積極的に活動しているが、それだけでなく、バックエンドともいえるR&Dを支援する活動もしているらしい。ここでボディーガードをしていたアーウィンの言葉を思い出した。彼はアームストロングをとても尊敬していて、「ランスは癌患者に関する支援などを積極的にしているが、表に出ないところで相当な活動をしている。でもそういうことを、自分のPRに利用しないところが好きだ」と。

    確かに、最近一生懸命 レキップ紙の記事など読んでいるが、そうした記事は皆無だ。夫婦仲に関してあちことでゴシップ記事が出て、更に数年前にUSPが薬物をドイツ国境で捨てた可能性があるなんていう噂の時は、あんなにこぞって記事にしたてたのに比べ(これに辟易して、ランスは南仏を捨ててスペインに移住した)、癌患者や研究に関する支援の記事なんて、レキップ紙なんかでは全然目にしない。本人が あえてしゃべらないせいかもしれないが。ああ、アーウィンが言っていたのは、こういうことなんだな、と今になって つくづく思った。

    <見た>
    先日cyclingnewsのランディス(USP)の日記に、ツールの最中ルームメートだったヒンカピーのランディス評が載っていた。「ランディスは10:30になると目が閉じて、耳栓をして、さっさと寝てしまう。寝る時間が僕とは全く相容れなかったね。」と。で、思い出した。USP選手と夜、ホテルの庭で遭遇したときの事。ランス以外の8人の中で、そういえばランディスが一番最初に自室に引き上げていった。たまたま、彼が引き上げていくところを私のデジカメが捉えていて(?)、その時間をチェックしたら、9:20pmだった。私がエキモフとおしゃべりし、スペイン選手たちがまだまだおしゃべりの佳境に入っている頃、ランディスは、さっさと部屋に戻っていった。これから部屋に帰って寝る準備などして、10:30に就寝というわけか。手元のカメラが、ヒンカピーのコメントをしっかり裏付けていた。というわけで、私達の鉄則は、現地入りしたらデジカメの時間は、必ずすぐに現地時間になおす、ということ。これって後で記録として便利です。


  • オランダツアー : エキモフがTTで優勝し、総合トップに ( 8.22.2003 )

    8月19日から23日にかけて行われているオランダツアー。第1、2ステージをペタッキが連取した後の第3ステージ、ツァベルがリベンジしてやっと区間優勝を遂げた。この日、ペタッキは18位だった。更に第4ステージの23キロのITTでは、エキモフが優勝し、総合リーダーを取得した。総合2位は、ITTで2位だった同じUSPのペーニャ。この2人は、ツールの最終ITTでも上位に入っている。37歳エキモフ、まだまだ行ける。

  • 火事でほとんど全焼 レヴェイユマタン ( 8.21.2003 )

    今年ツールの第1ステージは、モンジェロのレヴェイユマタンというカフェの前がスタート地点だった。1903年のスタートを再現したものだったが、なんとこのカフェ、レヴェイユマタンが焼失してしまったというニュースが入った。ひどいことに、最初の現場検分では、故意に放火された疑いがあるということだ。実はこのニュース、ニュース配信を依頼している自転車サイトiveloから入いってきた。しかし、これ以上詳しいニュースは入っていない。

  • オランダツアー:ハミルトン落車でアウト、ペタッキまたまた区間優勝 ( 8.21.2003 )

    誰かペタッキを止められないのか?現在行われているオランダツアーの第1、第2ステージで、ペタッキが連続優勝。ジロ以来もう無敵。ツァベルは2日連続2位に甘んじている。ペタッキがもしヴエルタに出場すれば、同年のジロ、ツール、ヴエルタ3大グランツール全てのステージで優勝するという偉業を成し遂げる可能性が高い。これまでにこれを達成したのはたった2人。56年にミゲル ポブレがこれを成し遂げ(合計8勝)、更にアドリアーノ バフィの父、ピエリーノ バフィ(6勝)が58年に達成している。ペタッキがヴエルタでも優勝すれば3人の仲間入りするだけでなく、優勝回数でもトップに踊り出ることになる。

    それからハミルトンは鎖骨がやっと治癒しかけたと思ったら、再びひどい落車に巻き込まれた。骨折などはないらしいが、指をひどく切ったそうだ。


  • ウルリッヒ ( 8.21.2003 )

    昨日 総集編No.5にウルリッヒが優勝したステージを追加しました。彼のマネージャーであるペフェナヘ氏というのは相当やり手のようだ。チームビアンキができたのも、彼がいたからこそ。そういう意味では、彼がいなかったらウルリッヒのツール出場もなかった。ただ、時には冷徹に徹したやりかたもあったようだ。やっぱり義理人情の世界では時には通用しないということか。詳細は、下記。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/j-tdf14.html

  • 31歳ソマリバ、アテネで引退? + ツールについてはハミルトンと同じコメント ( 8.20.2003 )

    2000、2001、2003年とツールドフランス(女性版のツール 「グランブクルフェミニン」)を制したソマリバが、2004年アテネ五輪で有終の美を飾って引退するシナリオであることを明らかにした。

    JS「自分ではアテネ五輪を引き際と考えているの。でも、夫のラモン(ゴンザレス)は、次のマドリッドまで頑張れよ、と言っているんだけど。」

    ― マドリッドって、2012年のオリンピックのこと?(注:2012年のオリンピック開催にマドリッドが候補として名乗りをあげている。他にマドリッド以外には、フランスのパリ、ドイツのライプツィヒ、アメリカのニューヨークなどの都市が群がっている。)

    JS「違うわよー!2005年の世界選手権のことよ。まさか、ジャニー ロンゴじゃあるまいし!」(注:ロンゴはアワーレコード45.094km(2000年)を始め、数々のタイトルを有するフランス女性ベテランライダー。10月で45歳。現役。)

    ― 引退時期は最終的にどうやって決めるの?
    「もうアテネ引退というのは決めたことなの。ただ、この後何があるかわからないから、100%ではないかもしれない。もし五輪か世界選手権で金メダルがとれたら、考え直すかも。今はまだわからない。ただ、不動の決断が1つあるの。グランツールは今年のツールドフランスが最後よ。」

    ―えーどうして?来年出場して勝ったら、ロンゴやルペリーニのツール3勝の記録を破って、4勝を成し遂げられるのに。
    「ツールというのは全力を全て注いで調整しないと勝てないレースなのよ。(ハミルトンと同じことを言っている。。)だから同じ年に五輪も走るなんて無理。それに日程がきつくて、移動距離も長ければ、ホテルも食事もよくないし。(と不満顔。)。それからもう31歳。子供も欲しいし。丁度今が転換期だと思う。」
    (スペインの新聞アスより)

    ソマリバは、ゾルダーの世界選手権で銅メダルを獲っており、この年スペインはイゴールゴンザレスとソマリバのダブル銅メダルとなった。ちなみに、グランブクルフェミニンのメインスポンサーを8年続けたスーパーのモノプリがスポンサー降りるという話で、来年から予算は大幅カットされるかもしれない。


  • オンセ解散でベロキの決断 と、あの有名デパート登場か?の話 ( 8.20.2003 )

    オンセが解散することになり、ベロキはフォナックのピノ監督から「引き」がきているが、この話は一旦保留することにした。そして、現在オンセのサイス監督やチーム幹部と、新スポンサー登場の可能性に賭けることにした。

    で、スポンサーとして名乗りをあげるべくサイス監督らが現在交渉している相手は、スペインの銀行と、そしてあの「エル コルテ イングレス」と言われている。エル コルテ イングレスは、スペインに行ったことがある人なら絶対に知っているスペインで主流のデパートだ。そうそう、直接このデパートに行ったことのない私でも、あのデパートのビニール袋(緑x黒の袋)は、ヨーロッパ滞在中に何度も見かけた。(今ピンと来ない人でもあの袋を見れば、ああ あれね、と思うかも。)

    当のベロキは現在3つのチームからのオファー、打診などがあったが、古巣のエウスカルテルからもアプローチがあった。しかし、オファーではなく、今のところ、まだ打診程度なのだ。というのも、チームの有望株であるイバンマヨがまだチームに残留するかどうか 態度を保留にしており、マヨがいなくなったらベロキに声がかかるということになる。若手のマヨと同格視されるのは本人は不満だろうが。。。ちなみに今年活躍が目立ったスベルディアは、結局エウスカルテルと契約更新した。


  • ツール女性版で優勝したソマリバの夫は元プロ選手 ( 8.19.2003 )

    ツールのフェミニン版で優勝したホアネ(ヨアネ) ソマリバ。スペインのサイトでは、最近ソマリバの話題一色だ。なぜ彼女が優勝してパンダと一緒に写真に納まっていたかというと、彼女のチームはビスカイア パンダ スピウク サベコというチーム名だから。彼女はロンゴ、ルペリーニに並んでツール3勝目を果たした女性だが、実は彼女の夫はラモン ゴンザレス アリエタだ。

    ツールでは、始終夫のアドバイスがあったという。夫のラモンは90−93年フェスティナ、94−97年バネスト、98年から引退までエウスカルテルに所属していた。私が98年ヴエルタに行ったとき、彼はエウスカルテルからヴエルタに出場していた。少なくとも99年までは走っていたと記憶している。ソマリバの自転車人生もなかなかおもしろいので、いずれ機会があったらご紹介します。


  • ハミルトンがフォナック行きという噂は、、 ( 8.19.2003 )

    「ハミルトンがフォナックに移籍するのでは、、」、という噂はツールの最中から新聞などに出ていて騒がれていた。ただ、その時ハミルトンはインタビューで、「リースと自分は、ツールの最中はレースのみに専念し、今後の契約の話は一切しないと決めている」と語り、ツールの最中に自分のチームとも他チームとも交渉はしていない、と発言していた。先週はスペインのマルカに「ベロキがフォナック入りの可能性がある」、という報道も。フォナックは元ケルメの名匠アルバロピノ監督が仕切っているチームなので、ベロキの方の噂はピノ監督の引きがあったという報道だった。今の段階で、両者とも正式契約はまだしていないらしいが、ただフォナックが戦力補強したがっているということは揺ぎない事実のようだ。なかなか遠いツール出場への道、来年こそは、、というところだろう。

  • ハミルトン ( 8.19.2003 )

    総集編No.5にハミルトンを追加。骨折しながら走ったとき、沿道からどんな声援を受けましたか?の質問に、みんなに「クレージーだ」と声をかけられた、というくだりには思わず苦笑。

  • 長いステージレースで生き延びるコツ とランスのバイクが事前に壊されていた? ( 8.18.2003 )

    フロイド ランディス(USP)の日記を今頃読んでいたら、ツールの最中、バイクに乗っている時以外は、とにかく足を使わないことを徹底しているそうだ。だから、極力歩かない、極力立ったままの姿勢はしない。理想的には横になるのだが、そうでなければ座るようにしているらしい。なにしろ、いかに体力を回復させるかに神経を使うと。そういえば、ホテルの外でおしゃべりしたときも、みんな選手は座っていたっけ。立っているのは監督やスタッフばかりだった。

    それから、ランスの不調の原因について本人は絶対に口を開かないが、マスコミでは、幾つか要因があげられている。まず、食あたりで直前までツールのためのフランス入りができるかどうかわからなかった。また、脱水症状で5キロ体重が減ったなど。更に今回ランディスがツール後の日記で、こんなことを書いている。ランスのバイクがレース前に故意に細工をされていたかもしれないと。まあこれは、ややパラノイア的発言で、本人も事実と確認されたわけでないと説明しているが、彼の説明を聞こう。

    それは第8ステージラルプデュエズでのこと。エラスがクラッシュして、ランスが溝にはまったできごとがあった。しかし、レース後に、レアブレーキに不自然な故障があり、ステージの最中 いつ大クラッシュしていてもおかしくない状況だったという。これで即バイクが事前に細工されていたと考えるのは、ちょっと論理の飛躍だが、ランディスいわく、レース中にUSPへ投げかけられる激励の言葉の中に、ひどい罵倒、中傷もあるそうだ。そういう声の中を走っていると、そのぐらいのことをする人がいてもおかしくない、そう思えてしまうそうだ。いずれにしても、アームストロングはプロローグで7位、過去5年間で初めての落車など、見えざる手が彼の5連覇を阻止しているかのようにチームメートは感じていたらしい。


  • ヴィランクはクイックステップと契約更新 ( 8.18.2003 )

    ツール2003の山岳王リシャール ヴィランクがクイックステップと1年契約を延長した。以下、チームの共同コミュニケの内容から。

    ヴィランク談話:「このチームで もう1年走れて嬉しい。このチームは、ここ数ヶ月の間、すばらしい成功を収めており、特にツールでは僕をサポートするために、素晴らしい総力を発揮してくれた。2004年でキャリアを終えるかどうかはまだ決めていないが、もしも気力が続き、いい成績が収められれば、その後も続けたい。来年はツールで完璧なコンディション作りをしたいし、過去2回出場したオリンピックにも、機会があれば出たいと思う。」


  • アームストロング ( 8.17.2003 )

    新聞レキップをもとに、アームストロングが優勝した第15ステージを総集編No.5に追加しました。アームストロングは不調でチームメートたちに申し訳なく思い、夕食のテーブルで彼らの顔を直視できなかった、と語ったくだりに、悩めるヒーローの様子がうかがわれます。

  • クナーヴン ( 8.16.2003 )

    TdF2003、第17ステージで優勝したクナーヴン(クイックステップ)をツール総集編No.5(完結編)にアップしました。この日、180キロを逃げ切ったクナーヴン。163キロ地点でグループから離れて単独でアタックしたときにも、頭の中で計算しながら走ったという。やはり、パリ ルーベでの優勝が彼に自信を与えたのだろう。

    ちなみに、今アームストロングが優勝したリュズアルディダンのステージの新聞を読んでいますが、知らなかった話がいっぱいあって、みなさんと是非情報を共有したいと、こちらの記事も、これから作成する予定。


  • ツールドフランスで「総合優勝7回」経験しているフランス人がいた ( 8.15.2003 )

    ツールドフランスで総合優勝7回経験しているフランス人がいる。うそー、ツールの記録は5勝じゃないの?いやいや、7勝という記録があるのですねぇ。といっても、監督として総合優勝7回ということですって。その人の名はシリル ギマール。偶然だが、自転車選手としても現役時代ステージ優勝を7回経験している。

    監督として彼のチーム選手が総合優勝したのは下記の通り。
    1976年:ジタン カンパニョーロでヴァンインプが優勝。
    78、79、81、82年:ルノー時代にイノーが4勝。
    83、84年:引き続きルノーでフィニヨンが優勝。

    その後も彼は監督を続け、86−89年:システムU、90−95年はカストラマ、97年コフィディスとわたり歩き、現在もコンサルタントとしてEurope1で活躍中。(以上レキップ紙7.26より。)

    そして、上記の記事をダブルチェックしようと英国の雑誌「Cycle Sport」2000年2月号の記事を読み返していたら、シリルギマール監督を褒め称える こんな引用が出ていたのでご紹介。
    「シリルギマール監督は監督の中のリーダー的存在だ。偉大な選手を見出す目がある。彼はイノーを見つけた。また彼はフィニヨンを発掘した。そして彼は僕を見出したのだ。」
    (グレッグレモン)


  • アームストロングのヘリコプター移動 ( 8.15.2003 )

    アームストロングは、やはりツールの最中、ホテルまでの移動はヘリコプターでしたね。USPと同じホテルだった時、彼がゴール地点からホテルに戻るのが余りに早くて首を傾げていた。17時、レースが終わってホテルの部屋のTVでアームストロングのインタビューを見ていた。ゴールしてもインタビューのために拘束されるとなると、ホテルに戻るのは2時間後ぐらいだろうと思っていた。ところが彼がホテルにきたのはその約30分後。ゴール地点のバイヨンヌからホテルのある場所まではかなり距離がある。高速をすっ飛ばして1時間がぎりぎりだろう。しかも、キャラバンも一斉に同じ場所に移動するから、道路は大渋滞のはず。ところが、アームストロングは、チームメートよりもとっくに先にホテルに帰っていた。

    更にUSPのチームメートにしても、ホテルにきたのがジャスト18時。驚異的な早さだ。その証拠にケルメが到着したのは19時。コフィディスは一部の選手がインタビューを受けたこともあるが、ホテルがわからず、かなり遅い時間まで、近所をうろうろしていた。ビアンキのウルリッヒも、一度大渋滞でホテルに夜中の12時に戻ったことがあった。USPがいかに組織だって行動し、手際がいいかがわかる。そして、肝心のランスだが、いつもヘリコプター移動していたそうだ。今、フランスの新聞を読み返して判明した。但し、リュズダルディダンのステージは、霧でヘリコプターが飛ばず、車での移動になったらしい。


  • ツールドフランス 最終日シャンゼリゼで優勝したフランス人は何人いるでしょう? ( 8.14.2003 )

    最終日シャンゼリゼで優勝したフランス人は、今までに5人だけだ。78年にムズレ、79、82年にイノー、そして95年にセニエ、そして今年ジャンパトリックナゾンが優勝しただけ。もっとも、シャンゼリゼが最終日のゴールになったのは1975年からなので歴史は比較的浅い。最初の年75年にシャンゼリゼのゴールで優勝したのは現テレコム幹部のホデフロート氏(ベルギー)だった。90年にはムセーウも最終日で優勝を飾っており、ベルギー人の優勝回数が一番多く、8人となっている。

  • デイヴィッドミラー ( 8.14.2003 )

    各ステージの優勝の裏側にあったストーリーを追いかけるツールドフランスNo.5完結編に、ミラーを追加しました。プロローグではチェーンがはずれ、最初のITTでは走行中に気管支炎の発作、最後のITTでも落車、と不運が重なったが、それでも見事に最後のITTで優勝。レキップ紙を読んで、彼がいかに苦しんだかがうかがわれた。

  • ジャンドゥラトゥールはスポンサー打ち切り のみでなく ツールの慰労会すら開催せず。。 ( 8.13.2003 )

    7月27日付けの仏スポーツ新聞「レキップ紙」に、ジャンパトリックナゾンが頭を抱える写真が掲載され、彼のインタビューが1面をさいて掲載された。彼がシャンゼリゼで優勝したのは27日のことなので、このインタビューはその優勝の前日の26日に行われたもの。「明日はシャンゼリゼで3週間の苦労が報われる」、という日に、なぜ彼は うなだれていたのか?

    7月18日に、ジャンドゥラトゥールが、コースポンサーが見つからなかった場合、今期いっぱいでスポンサーから降りることを表明した。ツールの最中で、選手の間にも動揺が走った。しかし、何故26日になって、このナゾンのうなだれた表情なのか?記事を読んでみると、彼は3週間戦って、ある種むなしさを感じていた。例えば、チームは、最終日、レースが終わったあと慰労会を兼ねた打ち上げパーティーを開催しないと発表した。彼はかなりショックを受けたという。スポンサー契約の推移は別にしても、せめて3週間チームのために戦った選手たちに、慰労を労う機会も持たないのか。ナゾンがイエロージャージを着たりして、選手はそれなりに頑張ってきたというのに。これは選手らに対するチームの気持ちの問題だ、とナゾンはショックを隠せない。せめて選手仲間のみででも、打ち上げをしたい、と語った。

    レキップの同じ紙面のその下の記事には、各チームの26日夜の様子が日記風に書かれていた。USPの前夜の様子:ランスが優勝を決め、エキモフ、ヒンカピー、ペーニャもナントのITTで10位以内に入り、チームは歓喜の様子。「夕食では、選手たちに特製のパテとコニャックが振舞われた」、と書かれていた。ジャンドゥラトゥールとの差に、愕然とする。

    ジャンドゥラトゥールの選手たちは、既に別チームとの折衝を始めた。ルフェーヴルは、既にラブランジェールと契約済み。他にもドゥムランはAG2Rと交渉中。以下、フィノはFDJ、ジョリはCA、クリストフはAG2R、アルガンがフォナック、エダレンがコフィディスと交渉中だ。JPナゾンも下記の通り既にチームが決まった。こうなると、選手はばらばら。ジャンドゥラトゥール消滅の可能性はますます濃厚になる。


  • ナゾン兄弟は、そろってチーム替え ( 8.12.2003 )

    ツールでイエロージャージを着て、更に最終日で優勝と強烈にアピールしたジャンパトリック ナゾンが来期から2年間AG2Rで走ることになった。去年はツールにも出させてもらえないばかりか、年末にはFDJから放出され、浪人の危機でやっとJドゥラトゥールに拾ってもらった彼だが、ツールで一気に株は急上昇。

    又一方で兄のダミアンの方だが、ブリオッシュからクレディアグリコルに移籍することになった。ナゾン兄弟は、最初にFDJで同じチームに在籍したものの2000年以来別々のチームで走っている。96年にFDJでプロ入りした兄のダミアンは、2000年にボンジュールに移籍(その後2003年にボンジュールはブリオッシュに以降)。ジャンパトリックは97−2002までFDJ、2003年Jドゥラトゥール。2004年、2人はともに移籍することにはなったが、再びCAとAG2Rという別々のチームで走ることになった。今後も同じスプリンターとして、互いに刺激しあうことだろう。

    そうそう、それから、パナリアコスタアルメリアで大暴れしたペチャロマンがクイックステップに移籍する可能性が強まったとか。まあ、移籍は必至と見られていたけど。それから、バネストのメルカドもクイックステップと交渉中。


  • 更新記録 ( 8.11.2003 )

    レキップ紙で今年のツールのおさらいをしている。滞在中はつまみ読みしかしなかったが、じっくり読むとレキップ紙は、本当に読み応えがある。ラストラス優勝の時の記事が面白かったので、真っ先に読んで、真っ先にツールNo.5完結編を作成した。これから徐々に他のステージと選手の情報も追加しますが、まずはラストラスの記事をどうぞ。あんなに怪我に泣かされて、よく3大ツール(彼いわく4大ツール)を制覇できたものだと感心する。

  • チームTTのスタート順は。。 ( 8.10.2003 )

    先日あるメディアで、「チームTTのスタート順は、プロローグの時のチーム順位の逆の順序から」と述べていたけど、これちょっと違う。正確には、前日の第3ステージ終了後のチーム順位の逆からだ(2003年ツール ルールブック第24条)。ただ、今年、プロローグのあと第3ステージまでほとんどの選手が同タイムで入ったので、プロローグの時のチーム順位とタイムが、そのまま第3ステージまで変わらなかっただけ。でもこれで、TTTの前までにチーム順位の変動があった場合は、別にプロローグのチーム順位には関係なく、前日のステージのチーム順位で決まることになる。

    TTTは、選手が揃っていないと不利なので、なるべくステージ前半に行われる。ラボバンクは、まさか第4ステージで有力選手を含め2人を欠くとは予想外だったろう。今回よく考えてみると、チームトライアルの時のUSPとビアンキのタイム差は43秒。それを考えるとこのTTTが如何に後々重要になっていたかがわかる。だって一時はウルリッヒとアームストロングの総合タイム差はたった15秒だったこともある。TTTでUSPとビアンキが逆だったら、この時点でウルリッヒがイエロージャージを着ていたことになり、弾みがついて、ウルリッヒはイエローマジックで、そのまま突っ走っていた可能性だってある。

    シモーニだってあのTTTで優勝候補の一角から脱落したようなものだった。来年TTTがあるかどうかわからないが、もしあったら、今後 各チームとも、もっとTTT対策に力を入れるようになるかもしれない。でもTTTといえば、伝統的に力を入れていたオンセが今年いっぱいで消滅。選手の後ろの監督車から聞こえるサイス監督のあのうるさい「ベンガ、ベンガ」という声が聞けなくなってしまうのだろうか。


  • 「矢」を4ヶ国語でいうと:サン「フレッチェ」も矢だったの覚えてますか? ( 8.10.2003 )

    先日スペイン語のフレチャ(Flecha)が「矢」の意味である話が ある所で話題になっていたけど、もしかして、ツールでフレチャが区間優勝したとき、日本では、この話題で盛り上がっていなかったのかな?とちょっとびっくり。ちょうど私はフレチャが優勝したときにフランスに移動していたので、この時のステージだけはレポートしなかったけど、機内の新聞で、フレチャの弓引きゴールのことが盛んに書かれていた。自分の苗字「Flecha」が矢の意味だから、矢を引くポーズでゴールしたのだ。更に次に同じスペイン人のサストレが区間優勝しておしゃぶりでゴールしたときは、「矢の次は おしゃぶり!」とレキップ紙の見出しになっていた。

    既に日本でも、この矢のゴールはすっかり有名だろうとは思いつつ、現在作成しているツール総集編の記事には、フレチャの優勝も盛り込もうと丁度用意しているところだった。現地では当たり前のようになっているニュースでも、案外こちらでは視点が違ったりしているかもしれない。

    ついでに、「広島サンフレッチェ」が、「3つの矢」という意味であることは有名。サン=3(日本語)、フレッチェ(Frecce=矢)はイタリア語のFrecciaの複数形。フランス語でも、矢はFleche(フレッシュ)。(イタリア語の場合はFの次がLでなくRなのが不思議だけど。)Fleche Wallonneという自転車レースも「ワロヌ地方の矢」という意味。

    でも、英語では矢はArrow。英語には、このFlecheの語源の言葉はないのかというと、フランス語のflechette(フレシェット弾=矢弾)という言葉が英語として定着している。英語のArrowの方はOld Englishから派生しているので、他の言葉と趣を異にしている。ドイツ語で矢はPfeil。もともとルーツはラテン語で、英語のpileやpillarと同じ語源らしい。言語って、もとを辿ると複雑に絡み合っていて、だから病み付きになる。


  • サイス監督がレアル マドリに転身? ( 8.9.2003 )

    サイス監督は、自転車でなくサッカーから身を引いて、サッカーかバスケットボールの道で食べていこうという動向がある、という噂。レアルマドリの会長フロレンティノペレス氏にアプローチしているらしいのだ。自転車チームのほうはなかなかスポンサーが見つからず、転身も視野に入れているというのは本当かもしれない。彼はトレーナーの資格も持っており、才覚を他の分野で発揮できる可能性は大だ。

    噂を本人が確認している。マルカ紙に本人が自身で話した内容は下記の通り。
    「フォロレンティノの秘書に電話したのは事実さ。僕はマノロサイスと申します。ペレス氏とお話したいのですが、ってね。秘書いわく、いま取り込み中なので折り返します、と。で、その通り折り返し電話をくれて、話した声の感じだと、興味をもって聞いてくれたようだった。」

    また、今まで15年の歴史の中で、最高だったことを聞かれ、「学ぶ機会を得られたこと。この世界のこと、他のカルチャー、不公平、なんでも見てきた。全てのことが今では肥やしになっている。多くの人々との出会いがあった。」と。


  • ツールドフランスはとっくに終わったけれど。。。 ( 8.9.2003 )

    ツールドフランスはとっくに終わったけれど、記録を残しておきたいので、未だにページをアップしています。今回新設は、観光編。休息日に赤ん坊を(きわめてぎこちない手で)あやすアームストロング、ボテロひとりぼっちの食卓、日通ご一行様、日本語のイレズミをした選手、私と連れの山岳観戦風景などなど。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/j-tdf13.html

    最後に、レースの総集編を考えているものの、レキップ紙に面白い情報が山のようにあって、選ぶのが大変。知っているとツールドフランスがより一層おもしろくなるような話を掲載するつもり。


    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/j-tdf13.html

  • クラシカサンセバスチャン出場選手AG2Rのステファン ベルジュのちょっと面白い話 ( 8.8.2003 )

    明日のクラシカサンセバスチャン。AG2Rは、ひとりを除いて全てツールメンバー。キルシプーとフリカンジェのかわりにステファン ベルジュが入っているだけ。(1チーム9人のツールに対し、サンセバスチャンは1チーム8人。)でも、このベルジュ、実はツールの最中に私はホテルで目撃している。

    彼は多分ポーの近くに住んでいるらしく、ツールメンバーでないのに、ポーの休息日にうちのホテルにジャージと自転車姿で現れ、他の選手と一緒にトレーニングに出発したのだ。ジャージを着ているから、最初、ツール出場選手だと思ったが、それにしては、見覚えがない。更に次々現れたAG2Rの選手たちと握手をかわしていた。あれ?と思って彼のバイクを間近でチェックしたら、Bergeと書かれていた。そうか、彼はツールメンバーでないけど、近所なので一緒にトレーニングするために来たらしい。(去年は確かツールに出ていて、マコンのITTで間近で見かけた時、なんかロンブーの片一方に似ているな、と思ったのを思い出した。)

    ベルジュといえば、7/29にワロンヌのレースで区間優勝したばかり。もともとはビッグマットにいた選手で、2001年からAG2R。彼の妹(或いは姉)はフランス国鉄SNCFの職員。両親はシャンティーのリセで教員をしている。彼の趣味はオートバイとプレーステーション。


  • クラシカ サンセバスチャン ( 8.8.2003 )

    明日はスペインで行われるワールドカップ、クラシカ サンセバスチャン。USPのメンバー表を見てびっくり。今現在、スペイン選手の名前がひとりもいない。ヒンカピー、エキモフ、パドルノス、ペーニャ、バリー、ヨアキム、ミハイロフといったメンバー。ヨアキム、ミハイロフなどは、ツールの選出の際に名前が載っていた選手だ。

  • トレックのグレージャージ ( 8.8.2003 )

    自転車販売店関係の方から:「USPSのグレージャージ、やはりトレックジャパンから限定発売のFAXニュースが!先週末に予約いれたら、すでに完売でした!やられた!」との情報。やっぱりみんなレア物に目がないようで。。

  • タイラー ハミルトン骨折直後のメッセージ全訳 ( 8.7.2003 )

    7月6日に落車して、3日後の9日に自身のサイトでメッセージを発信したハミルトン。オリジナルの文を読まれた方もいるでしょうが、とても長いので挫折した方もいるでしょう。下記URLに和訳とオリジナルの文を掲載しましたので、是非どうぞ。「骨折の状況を自分の口から説明したい」、と最初に語った彼。骨折しながら、あれだけの文章をレースの期間中に書いたなんて、離れ業だと思う。余りに感服したので、訳さずにはいられなかった。

    また、彼は、骨折した夜、メカニックが遅くまでバイクの整備に追われていることにまで目を向けていた。自分が大変な時に、メカニックたちの頑張りにまで目を向けられる、この優しさは、一体何なんだろう。また、怪我の直後のライプハイマーの様子にもびっくりだし、チームTTでなんとかサストレを助けたい、と願った一途な気持ちも胸を打つ。この時点で、まさかあとで区間優勝し、総合4位で終わるとは、全く思っていない当時のハミルトン。怪我の翌日、自分が一体1キロ走れるのか、10キロ走れるのかわからずに出走したと書かれている。最近、ネットや雑誌に記事を書く自転車選手は増えている。でも、誠実な人柄が全面に表れて、この人ほど文章のうまい選手を私は知らない。
    (ハミルトンのメッセージ)


    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-th.html

  • ツールドフランスEX (Express)発売 ( 8.7.2003 )

    明日8日、日本で唯一のツール速報誌、「ツールドフランスEX」が発売されます。5年連続アームストロングが優勝で、表紙はどう出るのかな、と思いきや、こうきましたか。今年の表紙は今までと違う構図で いいですね。中身の写真も、アームストロングに偏るわけでなく、彼を取り巻く選手たちの写真を網羅。一方で、AFPのスクープ写真であるベロキの落車や、アームストロングの落車シーンといった有名な写真も掲載されています。

    そうそう、レタップにインドゥラインが来ていたことは聞いていたけど、佐藤琢磨選手とツーショットとはね。佐藤選手のレタップのレポートは、なかなかお目にかかれなかったけど、やっとこちらで読むことができます。もちろん、その他にも現地取材の記事が数々。

    写真で印象的だったのは、ウルリッヒの鬼気迫る顔。アームストロングとのバトルの激しさが窺われる。また、最後の日のスプリント賞争いの様子が、たった3枚の写真で克明に描かれているのが印象的。スタート前、アームストロングの笑顔と対照的に、ポイント賞がかかって強張った顔の、グリーンジャージを着たマキュエン。次の写真は、石畳の上のFDJ vs LOT。そして、ゴールクックがマキュエンに横から体当たりする様が真正面からぴったりと写っている写真。それを尻目にひたひたとゴールだけを見据える一番左のJPナゾン。いいねぇ。写真を見るだけで、ストーリーに仕上がっている。

    それから、Mini100話というコラムが読みやすくて、好き。(実は私、新聞でも雑誌でも、こういうミニコラムをシャカリキになって呼んでしまうタチ。)ミニ写真つきでオリジナル。ちょっとオタクっぽいけど、個人的に、シモーニのバイクにつけられた分銅には笑った。これでは軽量化の意味ないようだけど、アピールが肝心なわけね。

    と、突然ボテロのところで目が止まった。そこには、<某ウエブサイトで「コロラドから出てきたロックンローラー」と評されたボテロ。。。>と書かれているではないか。これって、私の7月22日のウエブでのコメントみたい。(http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/j-tdf04.html)ということは、著者の人も、多少この意見に賛同してくれたということかも。そう、ボテロは今や見かけロックンローラーみたいだけど、(田舎の)コロラドというところが味噌なんです。

    (ついでにボテロニュース。ツールでは最後のTTにリタイヤしたが、現在消化器系の感染症に苦しんでいるらしく、今年のヴエルタにも欠場が決まり、彼のシーズンはほぼ終わった形となった。)「ツールドフランスEX」は、お値段 税込み600円。株式会社山海堂から。


  • ツール薬物検査で陽性だった選手が判明 ( 8.7.2003 )

    今回のツールでひとりだけコントロールに引っかかった選手がいると終了時に報道された。有力選手ではない、ということしか判っていなかったが、このたびケルメの選手であることが判明。一部報道では、名前未確認となっているものの、スペインの報道では、ハビエル パスカル ヨレンテという名前が出ている。彼は98年に来日もしている。今年になって、アンダルシアツアー(俗にルータデルソル)とムルシアツアーで優勝し、単球増加症からカムバックした涙の感動のシーンをお伝えしたばかり。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-200.html (リザルト参照)

    特にムルシアツアーでは、最終日のITTでステージ優勝もしている。それも、アームストロングよりもいいタイムで。(アームストロングは2位だった。)しかし、今回の一件で、それらの成績も、全て疑惑の目で見られることになるかもしれない。彼のツールの検査分析結果は既に2回出ており、カウンターアナリシスを含め、2つの結果で陽性となったので、ある程度の処分は覚悟する必要があるだろう。

    今年のツールでケルメの選手全員と会った時、ヨレンテとは、直接話はしなかった。紹介されて挨拶しただけではあったけど、それでもやはり残念だなぁ。本人は、下記の写真の右にいるグレーのウエアの選手。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/photo/78-b.jpg
    (左からルビエラ、JEグティエレス、ヨレンテ、ベルトラン)
    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tdf03/photo/66-b.jpg
    (左からウサノ、パラ、ムニョス(以上ケルメ)、ルビエラ(USP)、JEグティエレス、Pヨレンテ(2人ともケルメ)


  • USPSのグレージャージは既に完売だとか ( 8.6.2003 )

    そうですかぁ。やはり、USPのグレージャージはトレックジャパンから限定発売されたそうですが、即日完売だったそうです。貴重なジャージだし、それになかなか、シックで素敵ですしね。地味だけどグレーの方が、個人的には好みかも。USPの選手たち、最終日には、このジャージで一段と かっこよく見えましたもん。

    USPジャージは完売、パオパオジャージも既に売り切れの店があるということで、ジャージコレクターの人の熱意を感じる今日この頃。奥さんの目を盗みながら頑張っている人も多いことでしょう。まあ、私もエアロビの際のレオタードに一時凝った時期があったから、気持ちはわかる。。。スタイルって大事。。


  • バッソとウルリッヒに説教するハミルトン。。 ( 8.5.2003 )

    今年のツール、意外にもつれて楽しませてくれた。現地で新聞を毎日調達して、今じっくり読み返しているところですが、とにかくレキップ紙の情報量のすごさに圧倒されてばかり。アームストロングがリュズ アルディダンのステージで落車した時の記事も読み応えがある。その中で、いい写真があった。

    アームストロングが落車の後、ビンディングがはずれ、滑りそうになって ひやりとする場面があった。その時、ハミルトンは、他の選手を制して、「ランスを待て。今 飛び出すな」、と指示していたけど、その場面がばっちり写真になっていた。相手はバッソとウルリッヒ。ハミルトンがこの2人に、もっとゆっくり進め、とカツを入れている場面。アームストロングというかつてのボスを守ろうとするハミルトンの気概が感じられる一枚だ。こうした記事を読み返しながら、ツールをたどってみようと総集編を企画している。レキップの記事には面白い情報がざくざくあって、情報整理に少々時間がかかりそうだけど。。なお、「ボテロひとりぼっちの食卓(?)」の写真ももちろん総集編に公開予定です。最後のITTの日にあっさりリタイヤしてしまった彼を、暗示しているかのような写真です。

    まずは総集編の前に、USP特集を先に片付けました。こちらは写真ばかりで記事は余りありませんが、今が旬のUSPをまとめて整理したという感じです。No.2にUSPお抱えシェフのウィリーが登場。また、同じくNo.2に、ペーニャとコロンビアファン大集合写真を掲載してますが、なんとこのコロンビアコネクションの面々の中に、うちの連れがチャッカリ混じって、写真に収まっていました。(写真を撮った時は私も知らなかった。)後で写真を現像したコロンビアの人たち、なんかヘンな日本人が写っているな、とびっくりしているかも。


  • ツールに来ていたこんな人たち + USPの1日限りのグレーのジャージはやめてほしい訳 ( 8.5.2003 )

    最終日、スタート地点のヴィラージュに日本人の実業家らしき人を2組ほど見かけた。ソシエテから特別招待されているらしい人のうち、一人はツールにオートバイを提供しているKAWASAKIのオーナーか関係者だろう。というのも、ヴィラージュに到着するなり、オートバイと一緒に写真を撮っていたから。ツールの最中、場内アナウンスでも、100周年にあたり、KAWASAKIを始めとするスポンサー各社に対する賛辞を随分聞いた。ソシエテが、こうしたスポンサーに恩義を感じているさまが伝わる。

    それからもう一組。多分こちらはシマノの島野氏だろうか。というのも、最終日のスタート前、アームストロングに近づいて 肩を叩いていたから。シマノといえば、アームストロングのHPにも島野氏とのインタビューが出ているほど近しい仲。ツール百周年の特別招待を受けても何ら不思議でない。アームストロングに近づけるとは、その線じゃないだろうか。

    最終日は、流石に特別招待客が目白押しだった。例えば、54、58、59、62、63、64年に山岳王となり、ヴィランクをして大尊敬する先輩と言わしめたフェデリコ バハモンテス。白いスラックスをはいて、かくしゃくとした 穏やかな紳士。スタッフが薦める椅子にも座らずに、ずっと立ちっぱなしで、ヴェルサイユ近郊の沿道で、スタート風景を見守っていた。シャンゼリゼの百周年パレードでは、衣装替えをしていて、お洒落らしい。びっくりだ。

    インドゥラインの話は20ステージのレポートに書いたとおり。白いパンツスーツの金髪の奥さんらしき人と腕を組んで、ファンの掛け声には一切応じず。目の前のファンが「ミゲル!」と叫んだので その時初めて彼がいることに初めて気づいた。でも、ミゲルは、ファンの声は聞こえなかったかのよう。以後、私の前を数回通ったのだが、やはりファンには目もくれず。ピンクのシャツで派手に手を振っていたデルガドとは対照的。インドゥラインは、最近翳りがある、と話す関係者もいる。

    それから、ご存知のように、アーノルドシュワルツネッガー。こちらは途中のツールーズのステージでターミネーター3のプロモを兼ねて来ていた。私はTVで見ただけだけど、ツールーズは、シュワちゃん目当ての人ですごい混雑振りだった。で、このつながりで、何故かツールのキャラバングッズに、ターミネーター3のボールペンがばら撒かれていた。(ただ、ターミネーター3と書かれたグレーのどおってことない代物だけど。)ほかに、ブルース ウィリス。余り大きなニュースにはなっていなかったけど、TVでチラとだけやっていた。Kokiさんは、USPのチームカーに乗っていたのを目撃したと。

    それにしても、既にコメントしたように、百周年記念パレードにパンターニとレモンがいなかったのは、残念だった。それから、USPの最終日だけのグレーのウエア。あれは、個人的には余り歓迎しない。というのも、シャンゼリゼを走っている時、USPの選手がとても探しにくいのだ。いつものブルーのウエアだと目立つけど、あのグレーのジャージだと、プロトンに入ると目立たない。USPを狙って見ている当方としては、デザイン的には好きではあるけど、以後、あのグレーのジャージはやめて欲しい。そうそう、レア物好きの日本のジャージコレクターの中には、あのグレーのUSPジャージを既に入手しようとしている人いるかも。


  • 15年続いたオンセ、終焉の時 ( 8.4.2003 )

    たった今入ってきたニュース。本日、オンセ(ONCE)が正式に、2003年限りでプロ自転車チームの運営から手を引くことを表明した。これは予想されていたものの、正式声明がこんなに早く出るとは、関係者に動揺が走っている。これは、スペイン各紙が本日付の新聞で伝えたところによる。今まで15年の間、スペイン自転車界を引っ張ってきたオンセ。バネストとともに2チームがスポンサー契約をやめるということは、スペイン選手やファンらにとって大きな痛手だ。

    ところで、ONCEというのは何の略かご存知ですか?La Organizacion Nacional de Ciegos Espanolesの略で、杖をつく人のロゴマークからお分かりの通り、スペイン国立盲人協会。スポンサーを降りるとはいえ、今季いっぱいの活動は支障なく行う。もちろん、ヴエルタも。怪我をしていたイゴール ガルデアノもヴエルタに向け、仕上がりはばっちりらしい。

    それにしても惜しいチームが消滅する。これまでにあげた優勝の数は実に400勝以上。今後も、オンセ自体は、スポーツへの支援は継続し、2004年のパラリンピックに協賛する。


  • レースサマリ: 8月3日 ヒュー クラシックス(ワールドカップシリーズ) ( 8.4.2003 )

    QSDのベッティーニがスプリント勝負を制し、優勝。(2位はレベッリン、3位ウルリッヒ、4位アスタルロア、5位チェレスティーノまで同タイム。)

    これでベッティーニはワールドカップポイントを200に伸ばし、トップのヴァンピーテヘムの203ポイントに迫る勢いとなった。ポイントを取りにいきたいボーヘルトは優勝を狙ったが、残念ながら66位に沈み、ポイントは140ポイントのままで、現在ワールドカップポイントでは、3位につけている。

    CSCのハミルトンは現在南フランス在住だが、このたびUSAに里帰り。さっそく3日の NYCサイクリングチャンピオンシップで、スタートの号砲を鳴らした。しかし、もちろん、レースには出場せず。そのあと、故郷マサチューセッツで、彼の大歓迎式典が予定されている。


  • ベロキ:「これはツールでの落車よりも最悪の事態だ。」 ( 8.3.2003 )

    ベロキがショックを受けている。自分自身のツールでの落車、リタイヤよりも、もっとショックだと。

    7月31日、ベロキにとっては忘れ難い日となった。この日の明け方、第一子が誕生した。名前はアインツァネとすぐに命名。大喜びも束の間、父親からオンセのスポンサー継続打ち切りのニュースを知らされた。ベロキは、チーム内で、なにかただならぬことが起きているのではないかと、うすうす気づいてはいたというが、それでもショックを隠しきれない。

    彼は、丁度娘が誕生したので、サイス監督と話し合いを持つことはまだできていないが、現在監督は、(ビルバオ近郊の)ゲチョでチームメートと話し合っている。ベロキとしても、オンセというチームにとても満足しているので、このチームで走り続けたいと思っていた。しかし、今回のオンセの決断で、今後の予定も全て狂ってしまう、と嘆いている。ベロキ自身は、他のチームからのオファーがあることは必至で、その点は心配していないものの、ツールで自分を勝たせてくれるチームとしてはオンセが最適だっただけに残念がっている。他のチームでは、なかなかそうはいかない。それだけに、今回のニュースは、自分自身の先の落車よりもひどいできごとだ、と述べた。

    ベロキは、ツールで優勝することが目標のNo.1なので、強くて、年俸もいいチームでないと満足できないと述べ、選択肢いかんではスペイン以外の国のチームで走ることも考えなくてはいけない。むろん、スペインのチームに固執する気持ちは強いが。そうなると、候補No.1はエウスカルテル。彼はバスク出身で、もともとフェスティナの前はエウスカルテルにいたわけで、可能性はある。そして、自分だけをツールのリーダーとして抱えられなければ、ダブルリーダーでツールを走ることも許容せざるを得ない。

    怪我でベロキのヴエルタ出場は無理だが、目標は秋のクラシカ サンセバスチャン。現在、サンセバスチャンには強豪選手が参加予定でおり、楽しみだ。怪我の状態は、依然 肘と腰のリハビリ中で、車椅子の生活を送っている。生まれた子が幸運を持たらしてくれるかどうか、ベロキの心は、おめでたいニュースとBad ニュースの間で揺れている。


  • シャンゼリゼでフランス人が優勝したのは94年以来。さてその時の勝者は誰? ( 8.2.2003 )

    ツールの最終日、シャンゼリゼの沿道で観戦する際、場内アナウンスの聞こえる場所に陣取った。ジャンパトリック ナゾンが優勝と決まった時、高らかに「これは1994年以来のフランス人の優勝!」とアナウンサーが叫んだ。94年って誰が勝ったのだろう?そう思ったが、94年の優勝者の名前の紹介はなかった。そこで今調べてみたら、意外にも(?)現在Jドゥラトゥールにいる エディ セニエーだった。その頃はまだツールには興味がなかったので初めて知った次第。

  • 鎖骨骨折で、ハミルトンの愛犬ゴールデンリトリバーも、ハミルトンに会いに駆けつけた ( 8.1.2003 )

    以前お知らせしたハミルトンのHP。相変わらず、いつものように、彼のメッセージは長くて丁寧で、誠実で、最後に必ずThanks for readingとかかれている。その彼は、鎖骨骨折の3日後にも、勇気をもって、HPにメッセージを寄せている。(7月9日分の日記を参照。)「この3日間は、ジェットコースターのようだった」と。長目のメッセージですが、特に受験生のみなさんは原文で読みましょう。途中で疲れた人のために、あとで要旨訳でもこちらの頁で掲載することにします。

    http://www.tylerhamilton.com/

  • ツール回想 コースト編 ( 8.1.2003 )

    コーストが給与未払い問題などでたびたび問題を起こした騒動は、いろいろな報道記事を読んでこちらでもかなりフォローしてきた。でも、今回ツールの時にベルトランからそのときの話を聞いて、ちょっと驚いたことがある。

    そもそも昨年から、コーストの会計処理は怪しかったものの、実際にことが大きくなったのは、今年の3月3日あたり。2月分の給与が選手、スタッフらに支払われるはずが、振込みがなかった。しかし、こういう給与未払いはこの世界では結構あることと聞いていたので、スペイン選手らは比較的どっしり構えていたのかと思った。少なくとも、ツーレがフォナックに移籍するまでは、スペイン選手は実際に動いていないのだろう、と思っていたし、各種報道でも、その辺のコメントは出てこなかった。

    でも、ベルトランがこれに業を煮やしてアクションを起こしたのが、既に3月5から9日に行われたブエルタ ア ムルシアだったと聞いて、そんなに早くに動いていたのか、と驚いた。更に、ベルトランの移籍は、ブリュイネール監督からの一本の電話で決まったと聞いていたが、実はそのずっと前にベルトランがアームストロングに直訴していたという事実も、今回初耳だった。確かに3月5日開幕のムルシアツアーでは、USPからアームストロング、コーストからベルトランが出場していた。このときベルトランは、レースの日程中に、アームストロングに「USPに入れさせて欲しい」と直訴した、というのだ。

    彼は英語が全くだめ。それでもアームストロングに掛け合ったということは、よっぽど切羽詰まっていたらしい。なんとかアームストロングの片言のスペイン語で話しをしたという。ベルトランは、「ムルシアツアーの時点で、給与は支払われず、もうチームはその前から財政面でひどい状態で、これはどうにかしなければ、かなりやばいと思った」と言っていた。確かに昨年から、お金の面でチームは揉めていたので(後述)、3月の給与未払いで、決定的になったのだろう。つまり去年の問題というのが、知られていた以上に相当深刻で、選手らにダメージを与えていたことがわかる。

    しかし、最初のアームストロングからの返事はとりあえず「ノー」。チームは人員が足りているとの回答。しかし、その2ヶ月半程後に、受け入れるという返事がきたそうだ。ツールでアームストロングをアシストする常連ヒンカピーが体調不良、ランディスが骨折でトレーニングをやっと開始できたばかり、エラスも体調不良といった台所事情がUSPの決断を変えたのかもしれない。いずれにしても、ベルトランが自ら3月の時点で掛け合っていたことが 彼の移籍につながった。

    ベルトランは、それまでの雑談では非常に陽気だったけど、コーストの問題に話が及ぶと、眉をひそめながら話していた。更に今回ツールでも頑張っているのは、「首がかかっているから」と言い、切迫している表情も見せた。でも、「USPはいいチームで、今までと違って待遇面でもいいでしょ」と聞いたら、顔がぱっと明るくなった。そして、「すっごくいい」と言ってにこにこした。待遇が良さそうなのは、ツールを観戦していてもわかる。

    でも思うに、ベルトランだからアームストロングに掛け合えた。これがカセロだったら無理だ。彼はアームストロングのアシストにはなりえない。今まで山岳でオラーノたちのアシストをしてきたベルトランだから、最終的に交渉成立した。エース格の人よりも、アシストの選手の方が、いい道を選択できることがある。こんなちょっぴり皮肉なこともある。

    (注 :去年のコースト問題
    もともと問題は、今年3月にコーストから選手、スタッフらに対し、2月の給与分が支払われないことにより問題が表面化したものの、問題の根は前年からあった。ドイツ人以外の選手の税金が二重課税されたまま、返還措置が取られず。つまり、実際の年俸よりも数10パーセント給与が少なくしかもらえず。これにドイツ人以外の選手らが代理人を立ててチームに抗議した。しかし、業を煮やしたホイのようにチームを去っていった者もいる。また、ジャネッティ、エスカルティンなど引退した選手は係争に持ち込んだ。しかし、現役選手は、コメントを控え、どうにか解決の道を探ろうとした。)


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