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特ダネ・ニュース 2003年12月の記録..
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  • 2003年最後のニュースは放火のニュース。2004年は、無病息災を祈って。。。 ( 12.31.2003 )

    2003年、選手の訃報が多く、チームメートや同郷の選手達を中心に自転車界が悲嘆に暮れた。病気で若くして亡くなった選手の他に、キヴィレフがレース中の落車で亡くなり、AG2Rのオス選手はトレーニング中の交通事故で亡くなり、痛ましい事故も依然なくならない。

    そんな中、年末には、AG2Rの本拠地のあるフランスのシャンベリーで火災があり、AG2Rの建物に燃え移るというニュースが入ってきた。情報筋によると、放火が原因という。建物の中でも、被害が一番大きかったのは、機材室。置いてあった70ほどのフレームが焼失した。その中には、1月20日から始まるTDU(ツアーダウンアンダー)で使用予定のフレームも含まれていた。自転車工場は既に新年で閉鎖。レースは1月20日からだが、選手らは、一般市販品のバイクでTDUにのぞむしかないかもしれない。

    年末最後のニュースが火災による損害というのも悲しいが、これで厄払いになってほしい。2004年は、選手やレースの無病息災を祈るばかり。


  • アームストロング、名誉あるAP通信の最優秀男性アスリート賞獲得 ( 12.30.2003 )

    ランス アームストロングが、AP通信の最優秀男性アスリート賞を獲得した。2年連続のことで、2位はまたもやサンフランシスコ ジャイアンツのバリーボンズだった。伝統的スポーツの野球選手を抜いて、アメリカでは比較的マイナーな自転車選手が選ばれるとは 過去だったら信じられないことだ。

    特に今年は、家庭内での問題、下痢、クラッシュなどもあり、決して万全のツールではなかった。そんな中を勝ち取った優勝だっただけに、インパクトも大きかった。今だから告白しているが、やはり離婚への道のりは、彼にとってかなり大きなダメージがったようだ。「でも今では、それはもう過去のこと」、と言い切っている。

    ランスは更に「過去ツール5勝しているメルクス、アンクティル、インドゥライン、イノーたちは、5勝した後、すぐにツールの挑戦を断念したわけではない。彼らは皆、6勝目を狙って、散っていったのだ。6勝目への挑戦にわくわくしているが、もしも負けたら動揺は大きいだろう」と語った。ちなみに、ツールを連勝で5勝しているのはインドゥラインとアームストロングだけ。

    このAP通信の賞は、ライター、TV関係者といったジャーナリストの投票決められた。アームストロングをトップの選手にあげた人は26人、一方ボンズは10人。そしてアームストロングは合計174ポイント、ボンズは59ポイント。アームストロング圧勝だった。ツール2004でも圧勝といくかどうか。


    http://www.newsday.com/sports/nationworld/wire/sns-ap-ap-male-athlete,0,4929461.story?coll=sns-ap-sports-headlines

  • 恒例の自転車レース 例によって賞品は1位 七面鳥、2位 アヒル、3位 若鶏 ( 12.29.2003 )

    新年を目前にスペインのセゴビアで行われる チェーンなしの自転車による伝統的レース(?)が 今年も行われた。1935年に始まり、資金不足で5年間は中止した時期もあったが、地元セゴビアのペドロ デルガドも参加し、毎年盛り上がっている。昨年は途中トラブルに見舞われ デルガドは不本意の8位ぐらいだったと記憶している。確か去年は、現役ばりばりの選手らが多数出場したはず。今年は Div2のプロ選手などが多数参加した。

    セゴビアというと水道橋で有名だが、このレースはセゴビアの中心地を走り、途中4、5%ほどの登りもある。登りでは からだを目一杯使っていかないと、結構きつい。この日優勝したのはアルベルト フェルナンデス、元自転車プロ選手だ。デルガドは残念ながら体調不良で恒例行事を欠席した。賞品は毎年同じ。例によって、1位 七面鳥、2位 アヒル、3位 若鶏が授与(?)された。


  • アテネ五輪が始動 ( 12.28.2003 )

    世界選手権、五輪の時期になると圧倒的な存在感を示すスペインのパコ アンテケラが遂に動き始めた。99年ヴェローナの世界選手権では、周囲の反対を押し切ってフレイレを選考メンバーに入れ、見事優勝させた世界大会選考委員の重鎮だ。ヴェローナでフレイレをメンバーに入れた時は、当時、「99%の監督がフレイレをメンバーには入れなかっただろう」といわれるほどの大英断だった。フレイレは腰の持病で、シーズンほとんどレースに出ていなかったのだからイチかバチかの賭けであったことは確かだ。でも、レース出場していなかったおかげで、脚はフレッシュだった。そして、そんなダークホースだからこそ、ゴールを盗むことができた。

    アンテケラがいなければフレイレは世界選手権をTVで見ていたはずだった、と当時あるメディアは言い切っていた。このアンテケラが、今 アテネ五輪に向けて、メンバーを仮発表した。「もしもハプニングがなければ、五輪には、アスタルロア、バルベルデ、フレイレを連れて行く」と。選考メンバーは5人なので、あと2人、ITTの選手を誰にするかは未定だ。7月までに決めるという。五輪ロードは8月14日、ITTは18日だ。

    スペインの場合、今までだと、ワンデイレースで圧倒的に評価が高かったのは(99年の世界チャンピオン以来)フレイレだったが、最近ではアスタルロア、バルベルデの評価の方が高い。ITTは迷うところだろう。イゴール ガルデアノ、アイトール ゴンザレス、サントス ゴンザレス、らが今までだと妥当な線だった。しかし、今年のヴエルタでノサルという勢いのある選手が登場したことで、やや混戦だ。アイトールは好調不調の波が大きいので 少々リスクがある。ガルデアノ、ノサルらのほうが選考委員のおめがねに叶うかも。

    なにしろこのアンテケラという人、好き嫌いが激しく、カセロと対立している話は有名。カセロがヴエルタで優勝した後の世界選手権でも、世界選手権メンバーからはずしたほどだ。カセロはITTスペシャリストとしてまだ油が乗っていた頃だったのに。


  • 今年のベストフォト ( 12.28.2003 )

    cyclingnewsが読者投票で今年のベストフォトを選んだ。トップはベロキが落車し、それをよける寸前のアームストロングの写真。あれはAFP、すごいスクープ写真だった。その他やはりハミルトンがはだけたジャージから包帯を露出しながら苦しそうにステージ優勝へ向かう写真や、アームストロングのリュザルディダンでの勝利への走りなど、話題性に富む写真が上位を飾った。投票結果と写真は下記URLで見られる。

    http://www.cyclingnews.com/features/2003/awards03/?id=photo

  • ムセーウと ジャン マリー パフの コラボ ( 12.27.2003 )

    大御所ヨハン ムセーウは、来年4月で引退し、バイクを降りることを決意しているというが、その後の計画を既に立てているらしい。2004年9月に900kmのチャリティーレースを開催する意向がある。そして、レースに参加予定をしているのが、引退したベルギー屈指のGK、ジャン マリー パフだ。

    パフはチャリティー基金を設立したりして、こうした慈善活動に積極的にかかわっている。チャリティーレースのスタートはドイツのミュンヘン。ゴールはパフの故郷ベルギーのブラスカート(Brasschaat)の予定。

    ちなみに、パフの情報が見られるURLは下記。その中から引用すると、「ベルギー史上最高のGKと名高い名手ジャン マリー パフ。GKとして完成されており、ハイボールに強く反射神経も抜群。DFへのコーチングも巧く非常に人望の厚いプレーヤーだった。」と。 (ちなみにPfaff=プファフという表記のものを最初に見たので、当初はそう記載しましたが、パフという読みがなの方が一般的なんですね。)


    http://www.geocities.jp/fb_museum/GreatPlayer/Belgium/pfaff.html

    http://www.jmpfaff.be/

  • 2004ロードレースカレンダー その2 ( 12.26.2003 )

    3大ツール>>
    5月8日から5月30日 ジロ ディタリア
    7月3日から7月25日 ツールドフランス
    9月4日から9月26日 ヴエルタ ア エスパーニャ

    オリンピック>>
    8月14日 ロード
    8月18日 ITT

    世界選手権>>
    9月29日 ITT
    10月3日 ロード


  • 2004ロードレースカレンダー その1 ( 12.26.2003 )

    ワールドカップ>>
    3月20日 ミラノ サンレモ
    4月4日 ツール デ フランドル (フランドルは複数形Flandres なので、Tour DEでなくTour DES …となり、ツール ド フランドルでなく、ツール<デ>フランドルと読みます。)
    4月11日 パリ ルーベ
    4月18日 アムステルゴールド
    4月25日 リエージュ バストーニュ リエージュ
    8月1日 HEWクラシック
    8月7日 クラシカ サンセバスチャン
    8月22日 チューリッヒ選手権
    10月10日 パリ ツール
    10月16日 ジロ ディ ロンバルディア


  • アスタルロアとバルベルデが1月第一週、香港のレースに出場するかも ( 12.26.2003 )

    世界選手権のチャンピオンとサブチャンピオンのアスタルロアとバルベルデが、1月4から8日の香港のクリテリウムに出場する予定となっているという。もちろん交通費、宿泊代は全てレース主催者負担で、とにかくびっくりするのがレース賞金。なんと700万円(6万ユーロ)という破格の設定だ。アジアに選手を招致するというのは 時として 大変なことみたいだ。

  • サラベイティア その2 ( 12.25.2003 )

    サラベイティアには思い入れがある。97年ツール、サンテティエンヌのITTで初めて間近で見た。あの時のITTは警備が緩くて、選手がITTのウォームアップをするのに柵がなく、ファンがそばまで行くことができた。そんな中、ハンサムな選手を見つけてシャッターを押したのがサラベイティア。スタート前の緊張の時なので、近づいたらいけないと遠慮していたら、メカニックが写真を一緒に撮ってあげる、と言ってくれた。ウォームアップの最中なのに、寛大なこと。で、サラベイティアも足を止めて写真に収まってくれた。

    写真を撮ってくれたメカニックにお礼も言えずに もどかしい思いがした。これが私がスペイン語を始めるきっかけになった。98年初め、サラがヴエルタにしか出ないと聞いて、ツールをやめてヴエルタ観戦にした。スペイン語で「サインください」というのは言えるようにした。そして、コルドバの第1ステージ、サラを目の前にして、「サインください」と言った。サインをゲットした。

    97年に間近で見るまで、サラのことはよく知らなかった。帰国後に猛然と調べた。94年ヴエルタで2位だったこと、その後 自分が運転する車で事故ったこと。事故を機にバネストと折り合いが悪くなったが、サイス監督のオンセが救ってくれた。VELO誌のインタビューに答えたジャジャによると、サラは納得がいかないと、猛然と食って掛かるといったファイトを見せることがしばしばあったという。同じ部屋になると大変だったと。しっちゃかめっちゃか散らかすタイプで、軍隊の部屋のように整理整頓されたツーレと好対照だったと。

    ヴエルタの最中スポークに指を挟まれて 切断したのは2000年のこと。でも、その直前にビュストが失明寸前の落車をし、それ以前にムセーウがハーレーダヴィッドソンの事故で大怪我をしていたので、自分の怪我はたいしたことはない、と平然と言っていたのが印象的だった。

    更に 97年11月頃、バイクラのレンズトークに砂田さんがサラの写真を載せた。「鮮血は復活の証」といった標題で、落車で血を流しながら山を登るサラだった。いい写真だった。ベロキがStayer入りしていれば、サラも一緒に移籍するはずだった。しかし、ベロキとStayerとの交渉が決裂し、チーム成立に至らなかったため、サラの移籍も流れた。サイス監督のリバティーからは声がかからず、一説によるとSaunierからはオファーがあったという話もあるが、いずれにしても納得行く状況ではなく、さらに怪我のこともあり、引退を決意したという。


    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-018.html#s4

  • ぐっばい サラベイティア ( 12.24.2003 )

    オンセで長年走ってきたサラことサラベイティアが今季限りで引退することになった。彼は91-93 アマヤ、94-95年バネストで走り、94年ヴエルタでは スペインヒーロー不在の中、ロミンゲルについで2位になり、一気に注目を集めた。しかし、その後 交通事故で深刻な怪我をおった。確か自分で運転していた車がガードレールに激突し、以来 腰の持病が消えなかったはずだ。

    その後96年から2003年までサイス監督のもとオンセで走った。引退理由はオファーがなかったとか、あったけど納得いかなかったとか、怪我が回復せずに医師の薦めに従ったなど、どの報道もまちまちだが、ただ、エウスカルテル ビシクレタから声がかかっており、今後もバスク地方を中心としたレース主催には携わっていくことを検討中であることは間違いない。


  • USPS、UCIのDiv1審査に不合格 ( 12.23.2003 )

    ケルメが保証金の問題などでDiv1残留がクエスチョンマークと言われたが、やっぱり蓋を開けたら、全ての問題がクリアできずに、UCIの先の審査でDiv1として認められず。書類再提出となった。まあケルメはともかく、なんとUSPSまでもが、Div1の審査をパスできなかった。理由は書類不備のためだ。他にファッサボルトロ、ドミナヴァカンツェ、ミラネサなども不合格。1月8日まで書類提出期限を延長し、ここできちんと書類がそろえられれば 彼らのDiv1入りが決定する。逆に、この期限が守られなければDiv1から降格もあり得る。

    思い出す。1年前の今頃、チームコーストが書類をそろえられずに、1月8日に書類再提出になった。それでも ぎりぎりまで すったもんだあって、結局シーズン半ばでコーストは空中分解。シーズン滑り出しにつまずいたまま、給与未払いなど、それが後まで尾を引いてしまった形だった。


  • Cyclingnewsに 投稿が掲載されました。ヒメネス追悼レターです。 ( 12.22.2003 )

    Cyclingnewsに読者からのヒメネス追悼レターが掲載されているというのを聞いて、読んでいたら、いてもたってもいられなくなり、自分もレターを書いてCyclingnewsに投稿したところ、つい先日、追悼レターNo.2が掲載になり、その中に私が投書したレターが掲載されました。Cyclingnewsのトップ頁から 右上のFeaturesのRecent Featuresにあるmore Jose Maria Jimenez tributesのところを押すと、Cherry blossomというタイトルのレターにジャンプし、それが私のレターです。内容はざっとこんな感じ。

    「チャバ(ヒメネスの愛称)は桜のような人だった。エレガントで、束の間で。桜は散る時、決して枯れない。突然の一陣の風に吹かれ 運ばれて、そのまま消えていく。枯れて醜い姿を見せつつ人生にしがみつくことよりも、突然の死を選ぶのだ。チャバ、知ってる?桜は私達の国の国花だってこと。

    (以下 要約) Webサイトで"CHAVA JIMENEZ FALLECE"の文字を見つけた時、電流に打たれたようなショックを受けた。Fallecerという単語は「死ぬ」という意味なのだが、自分の勘違いであってほしいと、思わず辞書を引ったくって調べた。でも悲しいことに、私の理解は間違っていなかった。私がチャバを最初に見たのは98年ヴエルタ。彼はその時イエロージャージを着ていた(リーダージャージが黄金ジャーに変わったのはその後のこと。)

    彼はイエロージャージを周囲にひけらかしていた。バレンシアのステージでは、マヨルカ島へ移動するために選手が分乗する大型バスに自分のファンを乗せたりして 周囲から顰蹙を買っていた。でも彼はそんなことお構いなし。だって、とにかく強かったのだから。果たして彼はそのヴエルタの山岳4ステージで優勝したのだった。その次に彼を見かけたのはクールシュベルの登りだった。パンターニとともに登っていた。アームストロングは後方だった。

    (以下は、先日お知らせしたエピソードを入れました。本棚を片付けていたら、ファイルされないWeb記事が棚に乗ったままになっていて、それがヒメネスのインタビュー記事だったこと。その記事で、彼はファンのために絶対にまた復帰したい、ファンからの激励の手紙に何度泣いたことか、などとインタビューで語っていたことなど。)それは 涙なしには読めないものだった。」といった具合です。


  • アームストロングは球技が全く苦手 ( 12.22.2003 )

    先日、アームストロングは記者会見で、ちょっとほほえましいエピソードを公開した。2004、2005年とツールに出場したいという意向を示した上で、2006年については全く白紙の状態であることを述べた。先の将来については、自転車に関係あることを継続していきたいとは述べたものの、責任やストレスがどっさりとかかることをやるつもりはないとしている。<今言えることは、子供のTボール遊びのコーチを全面的に引き受けることだけだ>と。どうやらランスは 現在 自分の子供ルークにTボールを教えている、或いは教えるつもりらしい。(投げたボールが打てない子供用に、スタンドの上に置かれたボールを打つ野球の遊び。)

    そして、同時に こんなエピソードも紹介した。「ルークは僕に似ている。野球やサッカーといった球技を伴うスポーツがダメなんだ。今年サッカーを教えたんだけど、僕みたい(に下手)でね。」離婚後、子供達は、元の奥さんが引き取っているはずだが、長男のルークとは、今でも接点があることが伺われる。そういえば、今年ツールで出会ったアームストロングのボディーガードも、ルークはどんどんかわいらしくなって、ランスもとても可愛がっていると言っていたっけ。

    ともかく、どうやらアームストロングにも弱点はあった。球技が苦手ならしい。となると、ルークもまた球技が苦手となると、父親同様、サイクリストになるという期待が持てる?


  • スポーツ番組の視聴率No.2は自転車競技(スペイン) ( 12.21.2003 )

    自転車競技はスペインでは、サッカーに次いで幅広くTV視聴者を稼いでいる。サッカー中継を除いた今年のスポーツ番組ベスト30を見てみると、その中に自転車競技が16も入っていた。

    トップ30にランキングされたのは、ヴエルタ中継12ステージ、モトグランプリ 6レース、ツール 4ステージ、F1が3レース、バスケットが2試合、ローランギャロス(全仏テニス)の決勝戦、世界陸上1500mが1回ずつなどで、ヴエルタとツールを合計すると16中継が上位30位以内に入った。これらの視聴率の数字は38.8%から16.5%だ。ただ、残念ながら、ヴエルタの視聴率は、バスケット中継やツールのリュザルディダンのステージ(ランスが優勝したあのステージ)には及ばなかった。更に昨年度視聴率を やや下回った。

    理由としては、リーダーがノサルだったからだろう、というコメントが載っていた。ちょっと酷だけど、地味だったか、知名度が低かったか。最後の最後にエラスがガンガン アタックをかけてから、盛り上がったものの、視聴率的には遅きに失した。

    また、ローランギャロスが視聴率で上位に食い込んだのは、もちろん男子シングルで スペインのフアン カルロス フェレロが優勝したせいだろう。また、パリの世界陸上1500mも視聴率が高かったというが、決勝戦に3人のスペイン人が入ったせいかもしれない。(表彰台は逃したが。)こういう風に スペインのヒーローが現れて突然 視聴率が上がるスポーツ中継を除くと、やはりヴエルタやツールなどの自転車競技は、コンスタントな視聴者を がっちり確保しており、ダントツのサッカー中継に続いて、根強い人気を誇っていることは確かだ。


  • ケルメぎりぎりで保証金を提出 ( 12.20.2003 )

    昨日の保証金の提出期限に間に合わなければ、Div1から降格とUCIから迫られていたケルメだが、ぎりぎりに保証金の40万ユーロを提出したとスペインの新聞アスが伝えた。これでひとまずDiv1残留がOKという。ところで、晴れてケルメ入りが決まったカセロだが、先日バルベルデ、ベルダ監督らとともにマスコミの前に現れた。カセロはからし色のジャケット、ストライプのシャツ、ブラウンのスラックスというしゃれたいでたちだった。

  • エラスにリバティーセグロ入りを薦めたのはアームストロング ( 12.20.2003 )

    ワシントンDCで行われたアームストロングの記者会見の記事、既にご覧になった方も多いと思いますが、(来年、再来年と、あと2年ツールで走りたいと述べたのが、あちこちで大きな見出しになってます。)私が注目したのは、アームストロングのエラスに対するコメント。まず、エラスのリバティーセグロ入りについては、何ら 恨みがましい気持ちはないと。むしろ、折角のいいチャンスなので、アームストロング自ら背中を押したぐらいだ、と。

    そして、エラスはいい友人であり、いい選手と評価する一方で、USPに来てから走った3年間のツールでは、いつもエラスは不調で、ツールでの走りだけを取れば 精彩を欠いたと述べている。つまり、エラスが抜けたからといって 苦境に立たされるチーム状況ではない点を明白にした。AFP通信のインタビュー抜粋では、エラスの替わりにチーム入りしたポルトガルのアセベドに、エラスと同様のレベルのアシストが期待できる、とも言っていた。

    アームストロングはこの9月に32歳になった。(1971年9月18日生まれ)。来年のツールで32歳、再来年は33歳だ。cyclingnewsの記事によると、33歳以上でツールで優勝したのは、戦後2人だけ。バルタリが34歳(1948)、ズートメルクが33歳(1980)。ちなみにインドゥラインは最後に優勝した95年31歳だった。来年32歳でアームストロングが優勝すれば、少なくともインドゥラインの記録は抜く。ちなみに戦前の1922年には、36歳で優勝したベルギーのランボという選手がいるらしい。


  • 壮観!フォナックの室内トレーニングの様子はスペクタキュラー ( 12.19.2003 )

    フォナックのHPでセビーヤが厨房の中でコックさん姿になっているのを見つけた人がいらして、私もさっそく遊びに行ってきました。フォトコーナーの写真の中で、とりわけ目を引いたのが、選手たちの室内トレーニング風景。スイスの保養地ルガノにあるプラネット フィットネスクラブで、選手たちが扇状になって、固定式エアロバイクを漕いでいます。なんか壮観!

    うちのジムでも、インストラクターと対面式で、バイクのエアロバイクでのレッスンがあるけど、プロの選手たちも、こんな感じでトレーニングするのかぁ、と いささか感慨深かったりしたわけです。この写真は下記URLの2番目の方で、すぐにジャンプして見られます。

    同時に、チームコスチュームのファッションチェックの続報として、フォナックの移動の際のウエアもHPで公開されているという情報を頂きました。レース用ウエア提供はNaliniで、オフのウエアはJako。移動の際のウエアは、ジーンズ、シャツ、そしてSpenglerのレザージャケット。Spenglerというのは、スイスの服飾メーカーで、HPに行ってみたところ、ジャケット1万円程度で販売していて、割と安価な服飾メーカーのようだ。ラインアップ的には住商オットーが扱っているようなタイプの服を出している。

    上段のURLは、フォナックの公式サイト。


    http://www.phonak-cycling.ch/site/lang.php?flash=no

    http://www.phonak-cycling.ch/imgdyn/9365794803fc7675dc1624.jpg

  • ケルメ、Div1に残留できるかどうか瀬戸際 ( 12.19.2003 )

    バルベルデという期待の星を抱え、カセロもこのたび正式に調印したケルメだが、(1年契約で合意)、今日中にケルメ側が金銭的担保を提示できなければ Div1残留が極めて難しくなる。

    UCIのDiv1入りするには、来年度チームの選手のUCIポイントなどが決め手になるが、それ以外に、最近では、チームの給与支払能力が問われるようになった。アレクシア、コーストなどの例を見ても分かるとおり、経済的裏打ちなくチームを抱えるスポンサーが出てきており、それに対応するための措置だ。

    ケルメはそもそも、ここ2ヶ月の給与が支払われておらず、Div1登録のためには、すぐに給与を支払う必要がある。また、UCIに対して年間支援金の1/4の額を担保として保証し、提示しなくてはならない。この2点をクリアしないと、ケルメは折角いい選手をそろえても、経済的理由により降格になってしまう。

    ケルメ側は、今日中に対応の必要があるが、余り慌てていない、というか、UCIのこの態度(期限を設定して、担保なければ降格するという通告に対し)に憤慨している。「我々は24年間もプロ自転車競技界に貢献してきた。なのに、我々を全く信用していないというのは、忌々しきことだ。」と。来年は25年目の節目。Div1として迎えられるかどうか。


  • 初めてピレネー抜きのヴエルタ ( 12.18.2003 )

    今回発表になったヴエルタで 注目すべきは 既に予告済みの29キロの山岳TTだけでなく、もうひとつ、ピレネーが全く入らないこと。スペイン北部のピレネー、カンタブリア、カタルーニャを全く通らないヴエルタは、1935年にヴエルタが開始してから初のことだ。

    また、昨日のヴエルタのアナウンスでは、ヴエルタの山岳ステージで活躍したヒメネス追悼の儀式も盛り込まれた。出席したベロキ、セビーヤ、マンセボらはスーツ姿だったが、マヨだけは、ちょっといかした軽装で登場。例によって 少々 異色な雰囲気をかもし出していた。


  • カセロはケルメ入りで近々合意か ( 12.17.2003 )

    チームが未だに決まらず、ケルメとの交渉が長引いていたアンヘル カセロだが、ケルメとの最終交渉に入り、口頭での合意に至った模様。

  • ヴエルタ速報第二弾 ( 12.17.2003 )

    たった今、ヴエルタの公式HPが立ち上がりましたね。

    http://www.lavuelta.com/04/espanol/recorrido/listado.asp

  • 日本で一番早いヴエルタ2004 コース速報 ( 12.17.2003 )

    日本で一番早い、、といっても、余り注目している人がいないからなわけだけど、とにかくヴエルタ2004のコース、ひょんなことから入手しました。まだ正式版ではないので、距離などは不明ですが、とりあえずスペインのサイトにもまだほとんど出ていない来年のヴエルタのコースが今ベールを脱ぎます。(本日正式発表なので、これから距離など正式なアナウンスがあるはず。)ついでに2005年のヴエルタはアルハンブラ宮殿のあるグラナダが初日のスタートです。

    それから、エラスの故郷ベハールがスタートのステージがある。盛り上がりそう。更にその日のゴールは、故人となったヒメネスの故郷アビラのゴールだ。更に最終日がマドリッドのITTというのが 最後までサスペンスを持たせるヴエルタ風。コースは下記URLにアップしました。


    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-vuelta04.html

  • バレアレスチームのジャージがお目見え! ( 12.17.2003 )

    バネストを引き継いだバレアレス諸島のチーム、イェス バレアレス バネストチームのキックオフが行われ、ジャージが披露された。バネストも、1年間は<引継ぎ>のために引き続きスポンサーを行うので、ジャージにはバネストの見慣れたロゴも下の方についている。胸には風光明媚なバレアレス諸島(イビサ、カブレラ、フォルメンテーラ、マヨルカ、メノルカ島)を型どったようなカラフルな模様がついている。チームの監督はウンスエ監督、リーダーはマンセボと、従来のバネストの体制をそのまま引き継ぐ。


    http://www.cyclingnews.com/photos.php?id=photos/2003/news/dec03/illesbalearsjersey

  • タイラーハミルトンは高地トレーングのためにコロラドに一時的に移住 ( 12.16.2003 )

    故郷ボストンに居を構えるハミルトンだが、ヨーロッパの山岳に地形が似ている地でトレーニングをする必要があると考え、この冬、コロラドにも居を構えた。標高2300フィートに家があり、家に帰るのも一苦労。標高が高いせいで、いつもはテニスボール取りを永遠に続ける愛犬タグボートですら、2、3回もやると息があがってしまうという。

    ここでハミルトンはロードバイク、固定ギアバイク、シクロクロスバイク、MTB、スピンバイクと、バイクをいろいろ変えながら身体を作っている。しかし、ボストン地域の大雪を考えると、トレーニングには、コロラドを選んで正解だった。今頃ボストンに帰れば、2フィートの雪で埋もれた家に帰ることになる。

    ハミルトンの所属するフォナックのキックオフトレーニングは1月スペインの予定だ。また、彼は硬化症に苦しむ人々に自転車の楽しみをわかってもらおうと、タイラーハミルトン財団を設立した。忙しい合間を縫って、社会に貢献することにも積極的。そして、相変わらず、ファンに向けた日記は丁寧につづられている。(上記内容も、最近12日のハミルトンの日記より抜粋。)


    http://www.tylerhamilton.com/

  • ヴエルタ女性版来年から開始予定、でも。。 ( 12.16.2003 )

    ヴエルタ女性版が来年から開始予定だ。日程は4月29日から5月9日まで。と、日にちまで決まっているのだが、開催はまだ100%確定ではない。スポンサーの問題とTV放映次第で 開催されるかどうか不明なのだ。スペインの国営放送TVEが放送を決定すれば 見込みは濃厚になるのだが。

    これとは別に、既にレース内容は着々と決まっている。出場するのは15チーム。各チーム8人ずつが出場。総勢120人だ。スタートはサンタスサナ。途中サステヨン、バレンシア、ムルシアなどを通ってマラガのゴールに到着する。総予算額は、約8千6百万円程度。


  • 選手のファッションチェック追加<目撃情報!> ( 12.15.2003 )

    昨日 ファッション チェックのページを入れましたところ、選手の私服姿などの生々しい目撃情報?を頂きました。ツール最終日、レセプションに出席する選手たちを次々に目撃したそうです。下記URLに内容追加しました。

    http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/j-fashion.html

  • クリテリウム マヌエル ベルトラン 速報: 優勝は脂が乗っているバルベルデ ( 12.15.2003 )

    多分 日本でこのレースのことをお伝えするのは私だけだと思うけど(メジャーなレースではないので)、先日予告した通り、クリテリウム マヌエル ベルトランがベルトランの地元ハエンで開催された。アンダルシアのハエンで開催されるクリテリウムなので、地元出身のメジャー選手ベルトランの名前をかぶせたということらしい。参加したのは国内外のチームから25名の選手たち。

    エリミネーション、ポイントレースなど全てを走って、バルベルデが平均的に上位の成績を収めて総合優勝。さすが、ヴエルタでレグラリダ(オールラウンダー)賞を取っただけのことはある。彼は個々の成績では、TTTとエリミネーションでは2位、ポイントレースでは3位だった。一方総合2位はセビーヤで、エリミネーションで5位、ポイントレースで優勝、TTTは2位だった。地元ハエンのベルトランはというと、総合3位に収まった。TTTでファイナリスト、ポイントレース2位、エリミネーション4位だった。

    エリミネーションで優勝したのはアイトール ゴンザレス。2位バルベルデ、3位ペディゲロという順位。ポイントは前述の通りセビーヤが優勝。チームTTは通常の所属チームとは別に、任意に混成チームが組まれた。TTT優勝は、ルイスペレス(COF)、イニゴクエスタ(COF)、フランシスコ ラーラ(ビアンキ:先日来日したあの選手。来年からチームは消滅することが決定したが)、マヌエル オルテガ(セマール)のチームだった。


  • 選手のレース以外の時のファッション ( 12.14.2003 )

    選手のレース以外の時のファッションは?というお問合せについて、下記URLを作りましたのでご参照下さい。身につけるコロンは何を使っているかまでは不明ですが、確かに今年のジャパンカップ、ブラマーティはプンプン匂っていましたね。2002年のコーストのベルトランたちは、匂った感じはしなかったけど。

    下記URLに載せたのは レースの合間に選手達が着ているウエアばかりで、完全にオフのウエアというわけではないですが。従って、完全な私服姿は余り登場しませんが。

    ちなみに下段のURLは、テレコムのボテロ、サヴォルデッリ、グエリーニ、ナルデッロが最近ライン川下りをした時の私服の様子。テレコムのHPから。


    http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/j-fashion.html

    http://www.team-telekom.de/foto/2003/11_teamtreffen/11.jpg

  • 日経新聞に掲載されたPBPの記事 ( 12.14.2003 )

    今年8月中旬に開催されたPBP(パリ−ブレスト−パリ)は、距離1225 km、制限時間 90時間。日本からも多数の人が参加したようだ。

    で、今頃何故この話題かというと、12日の日経新聞朝刊 文化面に、PBPを走った英国在住のアマチュア サイクリスト関戸芳二氏の記事が載っていたとのこと。「英でゆったり銀輪ライフ」というタイトルだそうで、まだお手元にある方は見てみてください。わたしは。。。といえば、折角すぐに情報を頂いたのに、その日の日経新聞は連れが会社で捨ててきてしまって、手元には朝日新聞しかないという状況で。。。Webで日経のDBを見てみたら、データは出てきましたが、著作権の関係か、記事は載っていませんでした。

    でも、今年のPBPに参加した方の感想を載せたサイトがあるのでURL掲載します。(関戸さんのコメントも掲載されています。)また、PBPに関する情報サイトも念のため。


    http://www.bike-joy.com/er030830-2.htm

    http://www.mtber.com/~ysaito/CycleTour/Brevet/Yonemitsu/NY99-1.html

  • ヴエルタ2004 :シエラネバダの山岳ITTは全長35キロ!? ( 12.13.2003 )

    スペインのグラナダ市長が、来年のヴエルタの2ステージでグラナダ地方が登場することを明らかにした。ヴエルタの発表は、予定に変更がなけれが今月17日の予定だ。そうなると9月18日はマラガからスタートしてグラナダでゴールし、翌日はシエラネバダの山岳TTではないかという憶測が立っている。その翌日は、多分コルドバで休息日になるだろう。

    シエラネバダの山岳ITTだが、全長35キロとなる可能性がある。今までの山岳ITTの最長は1981年の31キロ。その時は、イタリアのバッタリンが優勝した。どこのコースを取るのか不明だが、いずれにしても相当きついだろう。もしそうなると、2002年の優勝を再現したいアイトールゴンザレスにはやや不利になるかもしれない。


  • 1年後に出てきたヒメネスのインタビュー記事 ( 12.11.2003 )

    またまた霊感なのか?昨夜、大掃除の一環で、本棚を整理していた。棚には今まで自転車ニュースのソースに使ったWebニュースの記事コピーがファイルでどっさりと束ねてある。ところが、ボックスの上にファイルされていないプリントアウトがたった1つだけ残っているを見つけた。そこには記事原文のコピーと自分で訳したタイプの文があった。そして、こんな文章が目に飛び込んできた。「病気は来る時にくる。避けられないんだ。。。」ちょっと動揺した。これって、ヒメネスのインタビュー記事だ。。。

    過去のニュース記事は、全て束ねてファイルしてある。なのに、この記事だけがファイル綴じされずに、ファイルボックスの上に置かれたままになっていた。ファイルの量は膨大なので、この中からヒメネスの記事を探そうとしても、すぐに探すことは不可能だ。でも、この記事は、まるで私に存在をアピールするかのように、向うからヒラリとやってきた。

    そう、昨年12月27日、ヒメネスの独占インタビューがスペインの新聞のサイトに掲載された。その一部のみを昨年トクダネニュースとして訳したのだった。この際 本人を偲びながら、最後まで訳してみたいと思います。

    (記事には髪を短く刈ったヒメネスの写真もついていた)。
    <ホセマリアヒメネスは今、カナリア諸島で毎日3,4時間トレーニングをしている。クリスマスの日もロードとジムで汗を流した。>

    ― 2002年も終わり。2003年はどんな年にしたい?
    「2002年のようにならないことさ。なにはともあれ まず健康ありきだね。」

    ― 2002年が君に教えたことって何?
    「人生の辛さだね。病気というのは避けられない。病気は、来る時に来るんだ。でもその戦いは、ものすごく苦しい。」

    ― 薬はまだ服用しているの?
    「用心のためにね。ほとんどの薬とは、おさらばしたけど。僕の精神科主治医のシェルツマン氏には、ほんとうによくしてもらった。」

    ― なぜ、復帰に拘るの?
    「僕にとっては、スポーツ界にいる、と自分で感じることが大事なんだ。そして、何よりもファンのために。いつも、メッセージや電話をくれた、そうしたファンがいる限り、走り続けたい。ファンからの手紙を読んで、何度泣いた事か。みんな、僕に戻ってきて欲しい、そう言ってくれている。」

    ― 2003年が近づいているけど、レースをしている君の姿を見ることはできるかな?
    「そう願っているよ。辛い年が1年続いたかから、今度はいい年が来るはずさ。今、トレーニングも順調さ。12月にしてはいい出来だよ。でも、バイクでの感触を掴むことが一番重要だね。」

    ― 復帰を握る鍵は何?
    「バネストは僕のために門戸を開放しているとはいいつつも、暫く おとなしくしていろ、急がずゆっくり治せと言っている。医者が僕はもう走れるとお墨付きをくれればいいんだけど。だってもう問題はないんだよ。ウンスエ監督も、僕のトレーニング姿を見て欲しい。」

    ― いつからトレーニングしているの?
    「(2002年の)ヴエルタが終わった頃からさ。シーズンが終わったら、プレッシャーから解放されたようだ。」

    ― 一番支えてくれたのは?
    「家族と、そして(当時恋人で、今年結婚した)アスセナだね。彼女は僕よりもずっと真が強い。」

    ― 君のご両親は苦しんでいるみたいだね。
    「知っているよ。僕の家族は店(バール)を経営しているからいろんな人がきては、馬鹿なことを言って行く。心配を募らせているようだ。」

    ― もしも復帰できなかったら?
    「それは考えていない。これから再び走ることなく引退はしない。もちろん僕の家、バネストで走る。」

    ― アームストロングのように ひどい病気を克服したスポーツ選手の例は 励みになる?
    「もちろんさ。こうした人の例は、回復を手助けしてくれている。世界には、苦しみつつ克服しようと戦っている人がたくさんいるんだ。」

    (しかし、結局ヒメネスは継続的にバイクに乗ることができず、バネストは彼と契約することなく、自然と引退という形になり、今月6日夜、亡くなった。)


  • ある報道 ( 12.11.2003 )

    マルカにヒメネスの死とコカインを結びつける報道が出た。内容を読んでみたけど、解剖結果を受けたものではないことが判明。今の時点では報道しているのはマルカの記事だけなので、信憑性もクエスチョン。ただ、マルカはアスに比べると慎重な方なのに、今回これをすっぱ抜いたのは、元もとの情報のソースがエルムンドという一般紙の記者だったからのようだ。でも内容は、単に彼の病室から白い粉が見つかったという目撃証言がある、というだけ。コカインというのは憶測に過ぎない。

    ヒメネスの死去後、彼がいた病院の部屋から警察が5mg程度の白い粉を袋に詰めて出てきた、という目撃証言をエルムンドの記者がすっぱ抜いた。もともとは彼の死後、病院側が白い粉の入った容器を見つけ、怪しかったために警察に通報したという。

    ヒメネスは、亡くなる4時間半ほど前の午後6時頃、母親と話した時に、ひどく頭痛と歯痛がする、と訴えた。同室の人にTVを消して欲しい、と頼んだほどだ。その時母親は、アスピリンを飲みなさい、と言ったという。頭痛がして、その白い粉を服用したのか、白い粉のせいで頭痛がしたのか、或いは、白い粉というのは事実無根なのか、まだ今の段階ではなんともいえない。ただ、亡くなる際、微笑むようにして亡くなったと。


  • 速報:エラス、USPを脱退。来季からリバティーセグロスへ ( 12.11.2003 )

    12月初旬、エラスは2005年以降USPとの契約を延長しない意向であるというニュースをお伝えしましたが、すぐその後、実はUSPとの契約を断って 来季からチームのエースになる方向を模索しているというニュースが流れた。契約関係の話などが確認できなかったので、こちらでは暫く推移を見ていたが、遂に このたび 彼はリバティーと契約締結に至った。

    アームストロングは、エラスの決断には別に驚いていない、と。エラスは、スペインのチームで再び走れ、更に遂にエースの座をしとめることができ、ハッピー、ハッピー。


  • シェリル クロウ ( 12.10.2003 )

    重いニュースが続いたので、この辺で、軽い週刊誌ネタです。情報頂きまして、先日アームストロングとラブロマンスが伝えられた歌手のシェリル クロウのインタビューがBBCラジオで聴けるとのこと。でもって、最後にアームストロングのことにも触れている(というか無理やり言わされている)と。URLは下記です。但しPCによっては聴けないPCもあると思いますが。

    まあ、20分もあるインタビューなので、全部を聴かなくても、最後の1分を聞けば、OKです。1分ごとにフォワードできます。(私は全部聞いたものの、本当に一番最後にアームストロングの話題でした。)インタビュー、聞くのが かったるい人のために簡約をどうぞ。

    司会者:もしも答えたくなかったら、<他人のことに首を突っ込むな>と突っぱねてもいいんだけど、多くの人がツールドフランスのことを聞きたがっているよ。
    クロウ:あら不思議だわ。何故かしら。
    司会者:ランス アームストロングとは、ロマンティックなつながり?

    クロウ:うわぁ、なんて言ったらいいのかしら。彼は信じられないぐらいすごい人よ。来年もツールで勝つと思うわ。私が今言えることはそれだけ。
    司会者:サイクリストとしてもすごいよね。
    クロウ:もちろん サイクリストとしてもすごい人よ。

    司会者:ツールは見に行ったことあるの?
    クロウ:ないのよ。
    司会者:多分来年行くね。
    クロウ:Maybe来年ね。

    で、印象としては、ランスのことを語るクロウは ややそっけない感じ。だからなおさら怪しい。だって、マイケルジャクソンのことを話す時なんかは、とても熱っぽく、私は彼を信じてる、みたいなことを言っていて、更に他の男性の友達のことは、彼はとーってもいい人、とか言っているのに比べ、かなり押えて発言している。それに否定は全くしていない。うん、2人はやっぱり怪しい。。。


    http://www.bbc.co.uk/radio/aod/fivelive_aod.shtml?5L_sherylcrow#

  • 「あっという間に逃げを決めてしまった。二度と戻らない逃げを。」 ( 12.9.2003 )

    更新情報:ヒメネス追悼記事をUp。下記URLにて。

    ところで、ヒメネスは、土曜の22時頃 亡くなったとされているが、直前の20:30に兄弟であるフアンカルロスもヒメネスと会話をしていたことがわかった。その前に話した母親と妻には、歯が痛いと言っていたが、フアンカルロスにヒメネスは、頭ががんがんと痛い、と訴えていたという。

    一方、ヒメネスの葬儀の模様が、地元アビラの新聞に詳しく掲載されていた。見出しには、「あっという間に逃げを決めてしまった。二度と戻らない逃げを。」と書かれている。霊安室で遺体と対面したビクトル サストレの憔悴ぶりは際立っていたという。彼はヒメネスをサイクリストとして発掘した人で、彼の息子のカルロス(サストレ)もご存知の通りサイクリストだ。

    エチャバリマネージャー、ウンスエ監督を先頭に、マンセボ、ラストラス、ガルシアアコスタ、メルカド、フレチャ、エラウディオ ヒメネスらバネストの面々が葬儀に参列した。その他、サイス監督、フレイレ、ガルシアカサス、セレソ、ドミンゲス、セビーヤ、オラーノ、ライセカ、その他引退した著名なライダーたちの姿もあった。元同僚だったマンセボは、「ずたずたに引き裂かれる思いだ。彼がこんなひどい亡くなり方をするなんて、不公平だ。」と述べた。

    人口2050人のエルバラコの町で、3000人が葬儀に参列したと言われる。


    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-jimenez.html

  • ヒメネス 輝かしい戦歴 ( 12.9.2003 )

    2000年にこのサイトを立ち上げた時、スペインのニュースを日々チェックする中、ニュースがダントツに多かったのがチャバの愛称で親しまれたJMヒメネスだった。オフの時も記者を同行させてトレーニングをかねて狩りに行った。また、町の闘牛場で、小さい牛を相手にマタドール役を引き受け、牛を相手に勇敢な素顔を除かせた。冬のトレーニングでは、途中実家のバールでランチを取り、リラックスした中でのインタビューも。走っていない時でも、こんなに人々の話題になった選手も珍しい。2002年 年初に心の病気になるまでは、こうしたマスコミにもてはやされた様子を今まで、ずいぶんトクダネニュースに私自身入れてきた。つい昨日のことのようだ。

    エルアングリル、モンヴァントゥー、名だたる山々のステージを含め優勝28回、山岳を制したのが、うち21回。クライマー ヒメネスの戦歴です。

    ホセ マリア ヒメネス
    1971年2月6日 アビラ県エルバラコ出身
    チーム:1992年から2002年:バネスト

    1994年:ヴエルタアリオハ総合優勝、ウルキオラのヒルクライム優勝
    1995年:コロラドクラシック総合優勝、ボルタアカタルーニャステージ優勝
    1996年:ウルキオラのヒルクライム優勝
    1997年:スペインチャンピオン、ヴエルタアリオハ総合優勝、ヴエルタアエスパーニャ ステージ優勝+山岳賞
    1998年:ヴエルタ総合3位、ヴエルタアエスパーニャ ステージ優勝4回+山岳賞、ドーフィネで山岳賞+1ステージ優勝(モンヴァントゥー)
    1999年:ヴエルタ装具お4位+山岳賞+1ステージ優勝(アングリルのステージ)
    2000年:クラシックデザルプ優勝、ボルタアカタルーニャ総合優勝
    2001年:ヴエルタ17位+山岳賞+ステージ優勝3回


  • オラーノ、カセロらが参列 ( 12.9.2003 )

    昨日 チャバことホセマリア ヒメネスの葬儀がしめやかに行われた。義兄弟のカルロス サストレ、オラーノ、カセロ、ラストラス、マンセボ、フアン カルロスドミンゲス、ウンスエ監督ら、バネストゆかりの人々が参列した。93年にプロ入りして、2001年まで、ずっとバネストで走ってきたヒメネスは、チームの花形選手だった。山岳での走りは目を見張るものがあり、プロで上げた28勝のうち21勝が山岳での優勝だった。

    一方でベルトランも語っていたように、好不調の波が大きく、あっという間に山岳で20分以上トップから遅れるといったこともあり、アップダウンも大きかった。弔問客の中には、<アップダウンの大きい人生だった>と語った人もいた。

    スペインの自転車界にあっては、とにかく一番かっこよくファンを魅了した選手だったが、あっという間に駆け抜けて行ってしまった。どうぞ安らかに。


  • 続報 ヒメネス:ヴエルタの最中は憂鬱だった ( 12.8.2003 )

    依然 解剖結果は出ていないが、依然 心筋梗塞の線が濃厚だ。というのも、死の直前、ヒメネスは母親に、「歯が痛い」と漏らしていたという。心筋梗塞の患者の中には、発作前の症状として歯痛を訴えるケースがあるという。しかし、彼の場合よくある胸の痛みというのはなかったらしい。

    ヒメネスと直前に電話で会話したのは母親と妻の2人。亡くなったのは土曜の夜だったが、午後6時半に2人とも電話で話した。「息子は生きているかのように亡くなりました。彼が電話で言っていたのは、<歯が痛い>、それぐらいでした。」と。また、この5月に結婚したばかりの妻のアスセナは、「全く予期しない事態でした。健康診断の結果は完璧で、走っている時同様に回復していました。今年は概してとても調子がよかったけど、ただ、いつも自分が出場していたヴエルタの時期になったら、またうつ病が出て、3週間クリニックで療養しました。」と。

    今回亡くなった際に入院していたのも、やはり心療内科専門のクリニックだった。発作が起きた際、蘇生術を行ったがその甲斐なく亡くなった、という情報もある。


  • 続報3:遺体は故郷へ到着し、埋葬は現地時間の本日11時。ヒメネス急逝に接しベルトランも弔辞 ( 12.8.2003 )

    昨日からお伝えしているヒメネス急死のニュースだが、解剖の結果はまだ出ておらず、死因について言及しているものはない。しかし、彼はマドリッドにある心療内科専門病院で2年ほど前から訴えていたうつ病の治療を続けており、かなり快方に向かっている中での突然の死だった。

    その間、選手、監督のみならず、政界や自転車連盟幹部なども次々弔意を伝えている。「カリスマ性のある選手だった」「アイドルだった」「メディアチックな人だった」「エポックメーカーだった」などの言葉が続き、華やかだった選手だけに、余りに突然の早い死に、信じられないという思いばかりだ。

    元同僚のベルトランも驚きを隠せない。1997年から99年までバネストでチームメートだった彼は、「一緒だった3年間、彼は類まれな選手であることを印象付けた。山岳ステージでは、いとも簡単にぺダリングしていた。自転車界にとっては天才を失った。」来週日曜日には、ベルトランの地元ハエンでクリテリウム マヌエル ベルトランが開催される。その時に、ヒメネスを称える行事を追加する予定だ。

    また、バネストの幹部エチャバリ氏のコメントも、やや遅れて入ってきた。ヒメネスは一連の療養中に結婚したのだが、エチャバリ氏は、その結婚式で彼に会っている。周囲の人同様、彼もヒメネスが心療内科の治療の方が、随分快方に向かっていると聞いていたので、突然の悲報に愕然としている。「スペイン自転車界の一時代を築いた選手だった」と。

    ヒメネスの遺体は、昨夜 故郷エルバラコに到着し、親近者も含め500人が町の中心に集まった。葬儀は本日朝行われ、埋葬は現地時間の本日11時だ。


  • 続報2 :ヒメネスの死の衝撃 ( 12.7.2003 )

    ヒメネスの死は 自転車界に相当大きな衝撃は与えており、スペインのYahooは、ここ10分の間にも、次々新情報や 著名人からのお悔やみのことがが寄せられ、この2時間のうちに既に記事が20近く掲載されている。

    インドゥラインも衝撃と悲しみを隠さず、「彼はシャープで、一味違ったライダーだった。」と述べ、一緒に過ごした日々をなつかしんだ。また、同郷でバネスト出身のマンセボも、「家族を励ましたい。自転車界にとって大きな損失だ」と。

    追悼の言葉の中で、最も目を引いたのが、ケルメのベルダ監督のコメント。彼は、今年のヴエルタの最中、ヒメネスに会っていた。それだけに、信じられない様子で、衝撃が大きいと語った。

    「ヒメネスは、ヴエルタでの輝かしい戦歴のみならず、パーソナリティー的にも ジャーナリズムを沸かせてきた。自身が調子の悪い時でも、マスコミにフランクに接する様子が印象的だった。どんな人の死でも悲しいものだが、自転車界の大きな歴史の1ページを飾ったサイクリストだけに、彼の死というのは更に悲しみも大きい。」


  • ホセマリアヒメネス急死の続報 ( 12.7.2003 )

    今年、ただでさえザネッテ、キヴィレフ、サランソン、オスと現役選手が亡くなってショックを受けてきたが、現役から退いていたとはいえ花形スター選手の死は、スペイン選手、監督にもショックで、インドゥライン始め、次々と哀悼の言葉が寄せられている。

    32歳の若さでヒメネスが亡くなったのは、マドリッドのサンミゲル病院。遺体は マドリッドの死体解剖センターで解剖のあと、故郷 アビラ県のエルバラコに搬送される予定だ。月曜の葬儀については、時間はまだ確認されていない。解剖は現在始まったところだ。死因の第一報は、心不全と入ってきたが、誰も本当のところはまだわかっていない。解剖結果を待つ必要がある。

    ヒメネスは、今まで頻繁にお伝えしたように、突然2001年末ごろから うつ病でレースに出られなくなり、昨年は年初から自宅に引きこもっていた。途中、カナリア諸島で自主トレーニングをしたりしたが、バネストに復帰する見込みもないまま、自然に引退のかたちになっていた。ここ最近はマドリッドの病院に入院し、治療を受けており、回復状態もよく、退院も間近と思われた。そんな 矢先の悲報だった。

    クライマーとして鳴らしたヒメネスは1971年、2月6日生まれ。プロ入りは92年(一説に93年)で、98年にはヴエルタで4ステージ優勝し、総合3位になった。丁度ブエルタを観戦していた私は、ヒメネスの人気ぶりに圧倒された。この時総合優勝したオラーノよりも はるかに花があり、ファンからもマスコミからも注目を受けていた。生涯にあげたプロレース優勝回数は28勝。どれもが、華々しい勝ち方だった、とジャーナリストも振り返る。そんな彼が突然うつ病になって、マスコミも、プレッシャーが人知れずあったのか?と一様に驚いたのだった。しかし、その後、こんな悲しい結末が更に待っていたとは。


  • 重大ニュース :超速報!!ホセマリア ヒメネス死去!! ( 12.7.2003 )

    たった今緊急ニュースが入ってきた。チャバの渾名でスペイン国民から親しまれたホセマリアヒメネスが、マドリッドの病院で、今朝亡くなった。享年32歳。cyclingnewsは、最近ニュースが入るのが遅いので、あのサイトには まだ掲載されていないが、スペインのマスコミはパニック状態。ヒメネス急死の報道は、今現在スペイン中をかけまわっている。2年前までスペインの国民的アイドルで、ファンから親しまれたあのクライマーのヒメネスが急死したというニュースには、この私でさえショックが大きい。死因はまだ特定されておらず、葬儀は月曜日の予定だ。

  • トンコフはまだ現役で頑張る ( 12.7.2003 )

    トンコフのイタリアのヴィーニカルディローラ入りが決定。また、チームビアンキは、やはりウルリッヒがいなくなったこともあり、チームは来年度存続しないことが決定。

  • 五輪情報 ( 12.5.2003 )

    来年のアテネオリンピックの自転車レース予定をお知らせします。
    自転車競技初日に、いきなりMen’sロードです!

    8月14日 12:45から Men’s ロード
    8月15日 15:00から Women’s ロード
    8月18日
    13:00から Women’s ITT
    15:00から Men’s ITT
    そして、20日からトラック競技で、パーシュート、スプリント、ケイリン、XCと28日まで目白押し。


  • TOJ続報 ( 12.5.2003 )

    情報ありがとうございます。昨日TOJ2004が開催される旨 ニュースに入れましたが、その丁度前日にTOJの公式ページにも正式に開催が決定した旨、日本の事務局の方からアナウンスが出ていました。コースの詳細も出ています。それにしても、なんというグッド タイミング。またまた、シンクロしてしまいましたね。

    http://www.toj.co.jp/news/news.cgi?log=log1

  • TDF04 ( 12.4.2003 )

    ツールドフランス2004のコース情報を追加しました。

    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/tour04/j-000.html

  • ツアー オブ ジャパン2004は開催予定 ( 12.4.2003 )

    来年のジャパンカップ開催の件ですが、今のところ来年5月23日から30日の予定でツアー オブ ジャパンは開催予定のようです。年間のレーススケジュールに ちゃんと登録されていました。

    http://www.cyclingnews.com/road/?id=cal04#may

  • 続報&速報:ブリュイネール監督も認めた。「エラスは2005年以降USPとの契約を延長しない意向である。」と。 ( 12.3.2003 )

    本日朝のニュースの続報。本日3日付けのエルパイス紙が伝えてところによると、同紙はブリュイネール監督とコンタクトすることに成功した。そして、先のニュース(エラスが2005年以降USPと契約延長する意思がないとしていること)を監督自ら肯定したそうだ。ブリュイネール監督のところには、エラスの代理人からその旨連絡があり、監督自身はまだそれに対して 何とも回答はしていないそうだ。

    アームストロングは2004年にツール6連覇を達成したら、その後は引退することを表明している。その後はUSPのエースとして、やっとエラス自身が輝ける時がくると、とファンは思っていた。しかし、今までのUSPでの彼の処遇を考えると、真のリーダーになるためには、やはりスペインのチームで走った方が得策かもしれない。リーダー不在のサイス監督の新チームリバティーセグロの思惑と、エラスのスペインチーム回帰の思いが合致して、今回エラスとサイス監督の接近ということになったようだ。ちょっと皮肉なことに、エラスは以前 サイス監督のオンセからのオファーを蹴ってUSPに移籍した経緯がある。理由は契約金額で、USPの方が上回ったからだという。

    また、バルベルデのケルメ残留について、バルベルデは98%25はケルメに決めたといい、未だにケルメに対し、100%25決定という回答は保留しているらしい。今年 最も活躍した若手選手に贈られる賞を獲得しただけに、バルベルで側は、目下ケルメにいろいろ条件をつけているところ。


  • フラッシュバック: パンターニの療養の記事 ( 12.3.2003 )

    ビアンキパンタさんからのお問合せへの回答です。パンターニが療養した時のニュースは今年6月24日に投稿しましたので、その時の記事を再掲しますね。このパンターニの療養の際の話は今年6月に、海外のサイトで かなり頻繁に目にしましたが、私が記事にしたのは一度だけです。日本にはパンターニファンも多いこともあり、ネガティブなニュースは、できるだけ裏をいくつか取ってから 慎重に書かないとまずいという思いがあったので、海外の記事のような煽り立てる記事にはせず、控えめな記事にしたつもりです。

    また、具体的な病名の表記は避け、記事には、単に「心のケア」と言うに留めておきました。私の記憶だと、私が読んだ記事では、病名はアル中と断定しているものは少なく、どちらかというと鬱病みたいな内容が多かったようだった気がします。ちなみに、最近の彼はかなり太ってしまったという話を聞きました。

    なお、ビアンキパンタさんが教えてくださった「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトには、パンターニのチャーミングなイラストも入ってますし、イタリア人ジャーナリストが、本当にパンターニのことを想って「がんばれ、マルコ!!Forza Marco!!」といった心から彼を支援するメッセージが書かれていますので、パンターニファンの方は是非遊びにいってみてください。URLは下記です。

    <アーカイブ>
    パンターニが療養中であることを認めた話 ( 6.24.2003 )
    先週末からガゼッタを皮切りに、パンターニのちょっとした入院のニュースが報道された。入院といっても大怪我などではなく、療養地の私立クリニックで、心のケアをしてもらっているという内容だった。チーム監督が「トレーニングを兼ねて行っているだけ」と否定していたこともあり、こちらのサイトでは特に取り上げなかった。しかし、本日ガゼッタを始め、数紙に掲載された内容を見ると、この治療の事実をパンターニが今回 マスコミに対して認めたらしい。「嘘をつきたくないから言う。当地に来ているのは親戚を訪問するためじゃない。実はその逆で、親戚が<僕の見舞い>に訪れている、という状況なんだ。僕がここにいるのは、自分自身の治療のためだ。(Sono in cura)」と。

    しかし、"Parco dei Tigli"というクリニックで行われている<治療内容>については、はっきりしていない。本人はその内容については、「医者に聞いてくれ」と。そのために、新聞によっては<憶測で>過激な内容を書いているところもあるが、不眠症を始めとする心のケア、ということでいいのではないだろうか。チームは必死に「パンターニはトレーニングでその地を訪れている」、と発表していたが、パンターニ自身が、今回本当のことを言いたいと、治療であることを明かしたようだ。


    http://www.1101.com/francorossi/2003-06-30.html

  • TOJ開催の件 ( 12.3.2003 )

    お問合せのあったTOJの来年の開催の件、これから調べまてみます。先日聞いたところでは、今年SARSの影響で開催中止になり、来年からの開催が曖昧だったTOJ、来年度以降も続行することになった、という話を耳にしました。でも 記憶が曖昧で、情報のソースも忘れてしまったので、ちょっと確認してみます。

  • ロベルト エラスはUSPとの契約が来季終了したら リバティーセグロへ行きたい ( 12.3.2003 )

    先日サイスポの記事にも書きましたが、エラスとUSPとの契約は2004いっぱい。そして、彼は今、2005年以降USPとの契約を<しない>方向でブリュイネール監督と交渉しているという記事が、直近のマルカの記事に掲載された。

    リバティーセグロはオンセを引き継いでいるとはいえ、ベロキが加入せず、強力なリーダーが不在だ。ツールに出場するために、強い選手が欲しいと必死に補強を考えている。バルベルデ獲得に食指を動かしたものの、彼はケルメ入りを複数年契約で最終決定してしまった。来季がだめでもその次に大型補強を、と狙うサイス監督の次のターゲットはヴエルタ優勝者のエラス。こうしたチームの意向を背景に、監督がエラスと接触を図った可能性もある。


  • ファブリス サランソン選手、心臓疾患兆候所見があったという事実 ( 12.2.2003 )

    11月28日、「ベルトラン近況報告」の中で、今年6月のブリオッシュの若手ファブリス サランソン選手の突然死の件に触れたところ、偶然その翌日の29日、サランソン選手の死亡原因に関するレポートが突然出された。何故この時機なのかよくわからないが、新事実として、彼は健診で心臓疾患が認められたにも関わらず、チームは処置、対応をしなかったといった筋のことが書かれている。

    以前もお伝えしたように、サランソン選手はその日、ドイツのドレスデンのホテルにいた。ドイツツアーに出場するためだ。しかし6月3日の朝、彼はベッドの上で亡くなって発見された。確か第一発見者は、ルームメートのセバスティアン シャヴァネル(シルヴァンの弟)だったと記憶している。解剖の結果、死因は薬物などによるものではなく、心臓病による自然死だった。ところがここへきて、その前の5月12日の健診で取った心電図で、サランソン選手に心臓疾患が認められた事実が明らかになった。

    2月6日にエトワールドベセージュで落車し、肩甲骨骨折をした後、4月1日に病院で健診を受けた時には、異常は見つからなかった。しかし、5月12日、詳しい心電図をとった際、今までにない異常が見つかった。更に、時速49キロ以上で走る際に、心臓に異常が表われることがわかった。しかし、その後彼は何の処置をすることもなくヴエルタア アストゥリアスやモービアンのレースに出場。その数日後に亡くなった。これらのレースにより、彼の心臓に負荷がかかり、それによって死がもたらされたのではないか?

    彼の両親は弁護士を雇い、詳しい情報の入手をすることにした。亡くなるわずか22日前に健診で疾患が見つかっていながら、なぜチームはそれを放置したのか、両親は真実を知りたいとしている。


  • 速報: 栄誉あるVELO誌の年間ベストサイクリストはアームストロングに ( 12.1.2003 )

    フランスの自転車雑誌「VELO」が92年以来の恒例として、今年もベストサイクリスト(金賞)を選出した。(<ヴェロドール>という名称で、カンヌ映画祭で例えると パルムドールみたいなもの。)ジャーナリストが選出するサイクリストへの賞としては、最も栄誉ある賞のひとつとされている。そしてアームストロングが69ポイントvs 56ポイントで、ベッティーニを抑えて金賞を受賞した。16カ国のジャーナリストの投票により選ばれ、彼は99年(ツール初優勝の年)、2001年に続いて3度目の受賞だ。

    ランスは今年のツールで、最後までウルリッヒとバトルを展開し、ベロキを轢きそうになりながらダイバート(Divert)して逃れたり、観客のサコッシュの紐がハンドルにからまって転倒したりといった波乱を乗り越えての優勝、いつになく印象的だった。ちなみに、昨年の金賞はチッポリーニだった。

    アームストロング、ベッティーニに続いて37ポイントで3位になったのはヴィノクロフ、4位は34ポイントのペタッキ、5位は14ポイントのウルリッヒ、以下ハミルトン、ヴァンペテヘム、アスタルロア、ミラーと続いた。ヴィノクロフとウルリッヒをベスト5に入れることができ、Tモバイルは喜んでいる。

    また、別途設けられているフランス選手の金賞はケイリンのローラン ガネが獲得。ロードから出ないところが寂しいが。。。2位は67ポイントのヴィランク、3位が40ポイントのJPナゾン、4位が28点でシルヴァン シャヴァネルとセドリック ヴァサーとなった。未だにヴィランク頼りのフランスロード界、ちょっと寂しくない?

    もちろん、最新号のVELO誌の表紙は、金賞トロフィーを抱えるアームストロングの写真。テキサスっぽい革ジャンで、リラックスした表情が印象的。下記URLで見られるよ。


    http://www.velomagazine.com/

  • バレアレス−バネスト チーム誕生。2004年の1年間は、バネストの精神を受け渡し、<ソフトランディング>させるために、バネストが支援をすることを決定。トレーニングはもちろんバレアレス諸島で行う! ( 12.1.2003 )

    チームバネストはバレアレス諸島政府に身を引き渡したが、バネストは完全にチーム運営から手を引いたわけではなく、1年間のみ、移行のモラトリアムとしてチーム運営に関わっていくことがわかった。更に、契約の際に、来年はジロは捨て、ツールとヴエルタに出場することが合意事項に既に含まれていた。

    去年今年と、バネストは ジロに出る 出ないでごたごたし、選手らのトレーニングメニューに混乱をきたしてきたので、シーズン前にきっちりとしておくべきと考えたためかもしれない。(ジロの放映権が高くて、レースがスペイン国内の地上波で放映されないため、ジロ直前で、オンセやバネストが出場をキャンセルしたりする事態が続いた。)しかし、ステージレースのみに集中するのではなく、ワールドカップシリーズにも積極的に出場するとしている。

    バネストはスポンサーを降りたとはいえ、こうしてバネストの精神を次のチームに引き継ぐべく、1年間はしっかりとチームを見守っていくという。これはバネスト銀行側の強い意志によるもので、「チームに混乱をきたすことなく、<ソフトランディング>させたい」と述べている。これには少しほっとした。さすがバネストは、今までの自転車界における責任を最後まで果たそうとしてくれている。

    バレアレス−バネストの調印選手は20名ほど。で、面白いことに、1月初旬のトレーニングは バレアレス諸島にある4つの島で行われるという。(マヨルカ、メノルカ、イビサ、フォルメンテラ)。バレアレスの支援金は600万ユーロ。


  • メモリア イサベル クラベロ:アスタルロアが優勝! ( 12.1..2003 )

    先日お伝えしたメモリア イサベル クラベロ(ダニとアルフレドクラベロが亡くなった妹のために11月末に開催しているレース)で、アスタルロアが優勝し、レースを盛り上げた。レースはクラベロの故郷マドリッド近郊のラスロサスで開催。過去2勝しているフレイレに加え、オリヨ、ラストラス、ペルディ、ナバス、ルイスペレス、プラサら数々のプロ、アマが出場した。また、マドリッド在住のトンコフも、レースのホスト役として登場した。

    また、やはり指にまだギブスをはめているルビエラは無念の欠場となった。(11月27日ニュース)レースは1キロのサーキットコースを30週し、アスタルロアがゴールスプリントを制した。


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