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特ダネ・ニュース 2004年2月の記録..
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  • ワールドカップ女子第一戦 :沖美穂選手が3位!! ( 2.29.2004 )

    UCIの公式サイトがリニューアルし、チェックしていたら、本日行われた女子ワールドカップ第一戦のリザルトが出ていた。(場所はオーストラリアのゲーロング。メルボルンから列車で1時間ほどの場所。)そして、沖美穂選手が堂々の3位!更に、UCIの公式サイトのリザルトページの写真に、沖選手の姿も写っている。(下記URL。)

    あー、悔しそうな表情。首位とタイム差なしの同着だもんね。それでも、これってすごいことじゃない?女子のワールドカップカレンダーは、2番目のURLでどうぞ。


    http://www.uci.ch/modello.asp?1stlevelid=AA&level1=1&level2=2&idnews=2424

    http://www.uci.ch/modello.asp?1stLevelID=AA&level1=1&level2=1&idnews=1726

  • ルッカ ツアー: フェレッティ監督のデスクでふんぞり返る(?)マッサーの中野さん + ブラール今季初優勝 ( 2.29.2004 )

    大量のタイムアウトを出し、最後は18人の選手で走ることになったイタリアのジロ デッラ プロヴィンチア ディ ルッカ。実際にタイムアウトの選手が大量に出た時、Delayの時間を広げて救済措置をとることも時たまあるが、このレースでは、そういった救済措置はとられなかった。その辺の背景は、マッサー中野さんの日記に詳しいので、是非ご覧下さい。

    今回大量失格の背景には、第3ステージでレースを引かなかった(実際はそうではないのだが)ファッサのような強いチームにも責任の一端があるといった批判もあるそうだが、これに対し、中野さんの日記では、実際にレースを走ったチーム選手の立場から見解が書かれており、それがとても興味深い。また、フェレッティ監督の留守の間に、監督のデスクでふんぞり返る中野さんの写真つき。。。(下記URL)

    ところで、以前「フロラン ブラールのファンです」、とお便りくださった方がいましたが、このレースの最終ステージで、彼は今季初優勝をあげています。


    http://www.yottan.it/2004/index.html

  • Hel Volk レース中止 ( 2.28.2004 )

    雪のせいで、石畳が滑りやすく危険との判断があり、ベルギーの開幕ワンデイレースは中止となった。ムセーウ、ボルトラーミ、ベッティーニ、ヒンカピー、エキモフ、ヴァンピーテヘムといった強豪が揃ったレースだっただけに残念だ。明日は、Kuurne-Bruxelles-Kuurneが開催される。今日出場予定だったメンバーのうち、こちらのレースに出る選手も結構いるので、明日に賭けることになる。こちらも同じベルギーのレースだが、天気が同様に悪ければ、周回コースに限定して走るといったフレキシブルな措置がとられる予定。

  • 雪のスタート:Het Volk ( 2.28.2004 )

    今日はベルギーのレース開幕を告げるHet Volk開催日。スタート地点のゲントはなんと雪。自転車のサドルにも雪が積もっている。cyclingnewsでライブ中継が開始される。

    http://live.cyclingnews.com/

  • ツールドフランス2004 参加チーム一覧表 ( 2.28.2004 )

    ツールドフランス2004 参加チーム一覧表を作成しました。下記ご覧下さい。ケルメの選手のUCI登録が完了し、規定選手数が満たされればケルメが追加になるだろう。もしだめなら、ソーニエドゥバルあたりが有力か。

    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/tour04/j-000.html

  • チッポリーニはツールを走る。ツール招待チーム21チームが発表 あと残り1チーム、ケルメを入れるかどうか?でも、バルベルデは五輪優先で、どのみちツールには出ない ( 2.28.2004 )

    当初、ツールの最終チームセレクションは3月1日に行われる予定だったのが、27日に早まったのだが、ところが昨日蓋をあけたら、全部のチームの選考は完結しなかった。1チーム少ない21チームの選出となった。ASOはあと残る1チームにはケルメを入れたいとしているが、とりあえず1チームをOpenとして結論を見送った。

    ワイルドカードで選出されたのは、下記。ベロキもハミルトンもセビーヤも出場できる。
    AG2R、ブリオッシュラブーランジェール、CA、ドミナヴァカンツェ、ロット、フォナック、RAGT(元Jドゥラトゥール)

    昨日お伝えしたとおり、驚くのはドミナがDiv2なのに選出されたこと。更にあと残り1枠にやはりDiv2のケルメを入れるためにASOが動いている。この2チームはDiv1の選手層を持ちながら、保証金などの財政的問題でDiv2に降格したわけで、これを考えるとツールに出場する資格は十分あるという結論だ。

    ただ、今回ケルメの選出を最終確認できなかったのは、選手らのうち、何人かがまだUCI登録を済ませていないため。確か聞いたところによると、カセロなどもまだ未公認らしい。これが解決できればケルメが入ることになるが、ベルダ監督は期待のバルベルデを五輪とヴエルタ、世界選手権に出させるため、ツールには出さない方針を打ち出している。

    そうなると、ASOとしては、有力選手を欠くケルメを やはり落とす可能性もある。ケルメが選出されるには、まず選手のUCI登録手続きを完結し、更にASOを説得するに足る ツールでの布陣をアピールできるかどうかにかかっている。(ベルダ監督はツールにカセロを出すといっているが、カセロがケルメに正式登録されていないので、これは今の時点で確約できない。昨日中にASOが全チームを決定できなかった要因となっている。)それにしてもASOはフランスのエスプリがあるというか、フレキシブルだね。


  • ツール出場チーム最終決定は今日ですよ! 。。の続報 ( 2.27.2004 )

    ボストンから帰国後、2発目のニュースをお届けします。
    先ほどケルメ(実際は 今年の名称は バレンシアナ−ケルメ)が ツールに招待される可能性があると述べたが、この点について、更に確認してみた。何故Div2なのにツール出場の可能性があるのか?Div1でも既に候補から外された3チームがある一方で。

    今年ケルメは設立25周年。更に、過去にツールで大活躍してきた選手を輩出している。エスカルティン、エラス、ボテロ、オチョア、セビーヤ。。。この点を重視して、現在ケルメは、ツール主催者ASOのリスト上、<ツール出場の候補>として残っているんですって。その決定は現地時間今日の午後。ケルメが出られるかどうか、ちょっぴりドキドキ。先に述べたフランス3チーム、ロット、そしてフォナックは100%大丈夫でしょう。

    下記の写真はカセロのケルメユニフォーム姿だ。(一番右。)


    http://www.as.com/impresa/media/200402/27/20040227dasdai_18_I_LCO.jpg

  • ツール出場チーム最終決定は今日ですよ! ( 2.27.2004 )

    去年お伝えしたとおり、例年は5月まで待たないとワイルドカードの結果がわからなかったのに、今年はツールの出場チームが決まるのが早い。22チームのリストは本日午後に発表予定だ。既に、14チームは、2003年のUCI実績で決定している。あとはDIV1の中から決定されるが、ソーニエドゥバル、カルディローラ、バンクジロロテリは除外される。既に決まっているのが

    Tモバイル、ゲロルシュタイナー、クイックステップ、エウスカルテル、バレアレス、リバティーセグロス、USPS、コフィディス、FDJ、アレッシオ、ファッサ、サエコ、ラボバンク、CSCの14チームだ。

    あと確実だと個人的に思うのが、ブーランジェール(ベロキがいる)、AG2R(キルシプー、ブロシャールが既に今季大活躍)、CA(モロー)、ロット(マキュエン)、フォナック(ハミルトン、セビーヤ)あたり。

    あとはランプレ、RAGT(旧Jドゥラトゥール)、ショコラートジャック、あたりが残る。また、DIV2ながら、今までの実績ゆえか、ケルメとドミナヴァカンツェは、何故かツールに選出される可能性がゼロではないという。特にケルメは、現在バレンシアツアーで、バルベルデが区間2勝をあげ、更に総合トップに立っている。


  • パンターニ最後の数日間 その8 :<終章 元彼女へのメッセージ> ( 2.27.2004 )

    「君がいなくて、悲しみは大きい。2人の隔たりは 信じられないぐらい途方だ。」残されたメモ書きには、元彼女、クリスティーナに向けられた こんな愛の言葉も見つかっている。

    その他、書き残された自筆のメッセージには、自分が如何に孤独であったかが綴られている。親との距離感も書かれているが、パンターニが亡くなった時、両親はバカンスで家をあけていた。彼らが旅行から戻ってきたのは死後2日目のことだった。親との隔たりを深めた背景には、親が、マルコが自分の財産管理をすることを禁じたためだった。マルコは毎月親から生活費をもらい、クレジットカード1枚を支給されたが、それ以外の管理は、全て親が仕切るようになっていた。

    マルコ パンターニはもういない。彼の本当の心の内はもう知るよしもない。しかし、今までジロで数々のドラマを繰り広げてきたテルミニッロの山頂が、「シーマ パンターニ」として残されることをリエーティの市庁が決定した。パンターニの名前は、これからもずっと山の名前として、その活躍ひとつひとつの思い出と共にファンの心に刻まれる。


  • パンターニ最後の数日間 その7 :<発見現場> ( 2.26.2004 )

    そして運命の土曜日の21:30。「レローザ」のフロントは、5-D の部屋にコンシェルジェを送り込んだ。朝から5-D の部屋の宿泊客パンターニを目撃した者はいなかった。電話をした形跡もない。マスターキーを使って部屋に入ろうとする従業員。しかし、ドアは数センチ以上開かなかった。ドアはブロックされていた。しかし、ドアのほんの少しの隙間から、彼は部屋で起こった悲劇を目撃した。

    上半身裸のパンターニは、床に横たわっていた。頬には打撲の後があった。おそらく倒れる時にできたのだろう。家具は壊され、床には抗うつ剤などの薬品の箱がころがっていた。ホテルの便箋に自分で書いたメモ書きなどが残されていた。「全ての人々が、自転車競技の実態を知りながら、僕だけを悪者にしようとした。」彼は見えない宛先に向けて、こんな風に綴った。


  • 自転車が1台もいないボストン近郊から ( 2.24.2004 )

    到着して以来、自転車なるものをまだ1度も見たことがない。当地はボストンから車を飛ばして30分かかる郊外だ。はっきり言って、車でなければ、向かいのレストランにも行けない。だって、歩道だの横断歩道というものがないのだ。多分ボストン市内は学生の町なので、自転車が使われているのだろうが、当地にいる限りは、道には歩行者と自転車は一切見当たらない。完全に車社会と化していて、自転車は交通手段にはなりえない。だから、おのずと自転車への関心が薄いわけだ。ハミルトンのことを知っている人は今のところ一人もいない。レストランのTVは時期的にバスケットボールとゴルフばかり。

    更に、せめてUSPSの看板でも見てやろうと息巻いていたのに、USPSのロゴひとつ見当たらない。郊外だからか。Tモバイルの看板だけは何故かある。ド田舎に来てしまった。


  • パンターニ最後の数日間 その6 :<最後の言葉は「放って置いてくれ」> ( 2.25.2004 )

    しかし翌日、そのオムレツは、無残にも地面に投げ捨てられて発見されることになる。他に2つの椅子も倒され、家具の一部は破壊されていた。ナイトテーブルの上に僅かに残された粉は、現在分析にかけられている。

    それは土曜日のことだった。メードが部屋を掃除しようとしたが、再び入れなくなった。ドアにバリケードが仕掛けてあったのだ。メードに「寄り付くな」と言い放ち、更に彼はフロントに電話をする。「放って置いておいてくれ」。これが彼の最後の言葉になった。ホテルでパンターニがしたこと、それは瞑想し、便箋に想いを書き連ね、そしてTVを見る、それだけだった。


  • パンターニ最後の数日間 その5 <チーズオムレツを注文した最後の夜> ( 2.24.2004 )

    パンターニは亡くなる前日の金曜日、フロントに電話をして、夕食を頼んだ。内容はチーズとマッシュルームのオムレツで、ホテルはそばのレストラン「リミーニ ケイ」にそれを注文した。レストランのオーナーは、注文の主がパンターニであることを知り、他の従業員でなく、自ら食事を運ぶことにした。オーナーにとって、パンターニは長年のヒーローだった。そのヒーローに、自ら食事を届けるなんて、光栄なことだ。

    しかし、オーナーが目にしたパンターニは、ファンとしては見たくないものだった。
    「顔つきが悪かった。泣いたような後があり、疲れ、茫然自失の表情だった。」彼は死の直前のパンターニを見た目撃者のひとりとなった。


  • ボストンの自転車事情? ( 2.23.2004 )

    そう、今出張でボストンきています。昨夜22時に到着し、3日間打ち合わせで缶詰で、全く面白みのない出張ですが、ころんでもただでは起きないぞ、と飛行場、飛行機で知り合った人と、片っ端から自転車の話をしています。今のところ、
    ボストンでもタイラーハミルトンのことを知っている人はいない。
    アームストロングは知っているけど、大体、そのあとに「でも自転車競技はフォローしてないから。。」という返事。

    また、知り合ったコロンビア人のおばちゃんとおしゃっべりしたけど、ペーニャやボテロのことは知らず。自転車選手が自国にいることも知らなかった。まあ、仕方ないか。また、諦めずに、この調査?続けてみます。報告終了。


  • パンターニ最後の数日間 その4 : <5日間、寝ずにTVを見ていた> ( 2.23.2004 )

    月曜にチェックインしたあと、金曜日の朝になって、やっとラリッサ(ホテルのメード)は、掃除のために、その部屋に入ることができた。その部屋の住人は、世界でも屈指の有名自転車選手で、ホテルで、もやは一番エキセントリックな人、パンターニだった。メードが仕事を始めると、パンターニはにらみつけるように彼女のことを目で追った。そして彼女が掃除をしている最中、いきなり、「俺が怖いのか?俺は突拍子もない顔つきか?」と聞いたという。

    その後、パンターニはしびれを切らせて、「そんなに入念に掃除をするな。急いでくれ。」と頼む。「風呂場だけでいいよ、部屋は掃除不要。」彼女が掃除をする間、パンターニはソファの上に座ったり横になったりしながら、ずっとTVを見ていた。そして、「俺は、月曜から金曜まで、全然寝ていないのさ。TVが好きでね。夜もこうして見ているんだ。」と言ったという。ホテルの狭い一室が、パンターニにとっては、唯一の宇宙空間となっていた。


  • グラハムワトソン作製 パンターニのWallpaper ( 2.22.2004 )

    写真家ワトソンが、パンターニのWallpaperを無料で提供している。

    http://www.grahamwatson.com/wallpapers/assortedwall/assortedwall.html

  • ベロキ、機材が変わって膝を故障 ( 2.22.2004 )

    昨年のツールドフランスで、ひどい落車に見舞われたホセバ ベロキ。手首、肘、大腿骨一コツを複雑骨折したものの、そちらの怪我はすっかり完治した。オンセが消滅したあと、チームもフランスのラ ブーランジェールに移籍し、心機一転、2月3日のルーヴェルチュール ラ マルセイエ−ズに出場する予定だった。ところが、再び<新たな故障>でレースを断念。スケジュールがどんどん遅れている。本日のトロフェオ ルイスプイグのレースも、その後の24−28日のバレンシアツアーも、結局キャンセルになってしまった。

    新たな故障とは、ひざの腱炎。「レースに出場するのは、もう少し待った方がいいという結論に至った。体調は万全だけど、膝の筋肉組織がまだ完治はしていないから、まだレースには早い状態だ。」とベロキ。
    この膝の故障の原因だが、どうやら新チームで機材が変わって、右ひざが腱炎になったらしい。

    この様子だと、2月29日のクラシカアルメリアあたりが彼のツール03以来の初レースになりそう。ウルリッヒ、マヨ、スベルディアが出場する可能性があるレースだ。


  • 今年はツールドフランスにパリ ルーベの石畳が登場するので。。 ( 2.21.2004 )

    既に昨年コース発表の際にお知らせした通り、今年のツール第3ステージに、パリ ルーベの石畳が登場する。パリ ルーベの石畳をツールのプロトンが走ったのは80年代以来のことだ。今年4月11日のパリ ルーベでは、ツールのことを念頭に入れて走る選手もいる。

    ツールのステージに入ってくる石畳は、Hornaing-Wandignies-Hamageの区間で全長3.7キロ。これが7月6日のツール第3ステージ(ウォータールー −ワスケアル)に登場する。

    今年のパリ ルーベ、スタートはフランスのコンピエーニュで、走行距離は261キロ。去年はヴァンピーテヘムが優勝、2位ピエーリ、3位エキモフだった。参加チームは下記。
    AG2R, Alessio, Bankgiroloterij, Brioches la Boulangère, Chocolat Jacques, Cofidis, Crédit Agricole, CSC, Domina Vacanze, Fassa-Bortolo, fdjeux.com, Gerolsteiner, Illes Balears-Banesto, Lampre, Landbouwkrediet, Liberty Seguros, Lotto, Phonak, Quick Step, MrBookmaker-Palmans, Rabobank, RAGT-Semences, Saeco, T-Mobile, US Postal-Berry Floor.


  • まだ気が早いけど ツール2008 デンマークがグランデパールに? ( 2.20.2004 )

    ツールドフランス2008は、今フランス以外にカナダ、スイス、ドイツ、デンマークのどこかで開催することを検討している。そして、先日ルブラン氏がデンマークを訪れ、CSCのリース監督はいい感触を得たという。移動の問題がややあるものの、ダブリンで開催されたこともあり、この辺はクリアしそうだ。少々五輪誘致に似た感じだが、デンマークの自転車関係者は、なんとか自国で開催してほしいと願っている。また、ルブラン氏も、ツールにおけるデンマークの人たちの熱い応援には感銘を受けている様子。インフラの点でも、市内のサポート体制も一応今のところデンマークは合格点だ。

  • パンターニ : パスポートに書かれた遺書はキューバで書かれていた ( 2.20.2004 )

    先日ご紹介したパスポートに書かれていた絶望的な手記は、先月1月キューバへ旅行中に書かれたものだったことがわかった。また、死因は脳に浮腫があり、更に肺にうっ血があったと。

    「僕のプライベートそしてスポーツ人生が著しく犯された時、僕は過ちを犯したことを知った。僕は多くを失った。裁判という暴力に対し、僕は悲しみと怒りに満ちている。。。僕の足跡が、他のスポーツでも役立つことを祈っている。」

    最近、チッポリーニがこんなことを言っている。「僕はまだもっともっと いっぱい勝ってやりたい。勝利する時、僕は自分が勝っただけでなく、マルコが勝ったという気がするだろう。勝つたびに、彼の一部が僕と一緒に勝つ、そんな気がするだろう。」

    また、既に様々な報道で語られているが、警察がパンターニに麻薬を渡していた人物を捜査している。彼はクラック(コカインと重曹の科学的反応によって得られる)を使用していたと見るむきがあるらしい。

    下記写真は、インドゥラインとともに表彰台。若かりし頃のパンターニ。(94年ツール。)まだ髪の毛がある。


    http://www.lequipe.fr//Xml/Cyclisme/Dossiers/Media/pantani_1994_600.jpg

  • パンターニの自宅の様子 ( 2.20.2004 )

    堂々たる門構えのパンターニの自宅には様々なお供え物が飾られ、悲しみの中にも華やかさすら感じるほど。(cyclingnewsの上の写真はnext / previousで、葬儀の様子のフォトショーになります。
    下のURLは葬儀に集まった人々の群れ。(TVをご覧になれなかったというお便りありましたが、そう、TVに写っていたシーンはこんな感じでした。それはもう、ものすごい人の数で。)


    http://www.cyclingnews.com/news.php?id=photos/2004/news/feb04/funeral/4

    http://www.as.com/diarioas/media/200402/19/masdeporte/20040219dasdasmas_1_I_LCO.jpg

  • パンターニ最後の数日間 その3 <部屋にバリケード> ( 2.19.2004 )

    チェックインのあと、パンターニは部屋で薬に囲まれて過ごしていた。10箱ほどの様々な薬には、異なる4つのメーカーの抗不安薬の薬品が含まれていた。町へ出ることは一切拒否。ホテルのレストランで朝食をとったり、バーに行ったり、夕食を食べたりする以外は部屋に閉じこもっていた。

    チェックインした月曜日以降金曜日まで、彼のことを目撃した者はほとんどいない。ホテルのウクライナ人のメード(名前はラリッサ ボイコ)が掃除のために何度か部屋に入ろうとしたが、できなかった。パンターニはテレビをドアの前に置き、バリケード代わりにして、外部から中への立ち入りを禁止したのだった。


  • フィリップ ゴーモン、コフィディスから解雇で引退 ( 2.19.2004 )

    やはり、先日ドーピングを認めていたので、ゴーモンは解雇になった。31歳という年齢を考えても、これを機に引退することを表明した。以下彼のコメント:
    「この決定は揺るがない。停止処分が開ける頃にはどうせ引退しているだろうから。でも僕にとって、これからが新しい人生さ。」

    さばさばしているコメントとも取れるが、それでもコフィディスが彼を解雇する際の処遇などについて、法廷で争う構えも見せている。もともとピストに強く、2000年にはパーシュートのフランスチャンプになり、五輪のパーシュートで5位になっていた。

    下記の写真はゴーモンとヴィランク。ヴエルタ98の時のもの。


    http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/photo/0026.jpg

  • パンターニ13歳 初優勝の時の写真 ( 2.19.2004 )

    パンターニ13歳 初優勝の時の写真が掲載されていた(AFP)。まだなんの苦労もないような無邪気な笑顔。かなり切ない。

    http://eur.news1.yimg.com/eur.yimg.com/xp/afpji/20040219/040219064223.sgm1r9wh2b.jpg

  • 再放送は。。 ( 2.19.2004 )

    先のNHK衛星のフランス2のニュースの件ですが、13:00よりの「ワールドニュースアワー」再放送を行っていたそうです。また、16:00にも再放送るはずとのこと。すみません、この情報、14時前には頂いていたのに、(その時間は仕事をしていたもので。。)タイムリーにお伝えできませんでした。

  • 葬儀で読み上げられたパンターニのメッセージ ( 2.19.2004 )

    プロの自転車選手、市井の人々、老いも若きも数千人が集まったパンターニの葬儀。先にご紹介したTVニュースでも映像に写っていたけど、棺にはメルカトーネ時代の黄色いジャージをまとった笑顔のパンターニの写真が貼り付けられていた。メルカトーネの選手は全員集まった。バッレリーニ、チッポリーニ、映像にも出てきたスキーのトンバ(現役時代よりさらに素敵な感じだ。)、サッカーのマラドーナらの顔も。

    パンターニは、自分のパスポートやホテルの便箋の上にあるメッセージを残しており、これが葬儀の間に読み上げられた。「4年間の間、僕はあらゆる機会に法廷に出廷してきた。もはや、他のスポーツマンのように歩んでいく気力を失った。」「TVカメラはホテルの部屋にまで入りこみ、(自分だけでなく)僕の同僚たちの家族をもばらばらにしてしまうほど、彼らに対しても容赦ない仕打ちをした。こんなことがあった後、平然としていられるわけがない。」「ひとりの男の夢は薬によって破られた。僕が望むこと、それはこうした規則が、すべての人々にとって平等であるべきだ、ということだ。」内容はフラストレーションと怒りに満ちていた。

    パンターニがその最期に糾弾したジャーナリストたちの多くは葬儀の参列者の中には入らず、遠くから様子を見守っていた。パパラッチたちが彼の死の責任の一端を担うとまで言えるかどうかは不明だが、少なくとも彼を精神的に追い詰めた原因にはなったことが自身のメモからうかがわれる。葬儀の様子を伝える写真も、通常よりも少ない印象を受けるのはそのせいだろう。


    http://www.as.com/diarioas/media/200402/18/masdeporte/20040218dasdasmas_3_I_LCO.jpg

  • 緊急 今、TVでパンターニの葬儀をやっています その2 ( 2.19.2004 )

    さきほどのニュース映像の最後に、アームストロングの黙祷姿の映像も写りました。昨日はポルトガルのアルガルベツアー初日。アームストロングが急遽新しいフォームでITTを試す例のレースです。パンターニの葬儀の日に重なったこの日のレースで、スタート前、全員による黙祷が行われたようです。TVニュースで、アームストロングの姿も映りました。静かに目を閉じた姿です。

    なお、アルガルベ初日は、アンタルテロタのスペイン選手ボニトが区間優勝。アームストロングは無難にプロトンで同着ゴール。手ごたえはいいとのコメント。注目のITTは現地時間土曜日の21日。ランス、シアトルの風洞で試した新型フォームの成果はどうでしょうか。


  • 緊急 今、TVでパンターニの葬儀をやっています ( 2.19.2004 07:13 )

    NHK衛星が見られる方、今衛星1のフランス2のニュースでパンターニの葬儀をやっています。すごい人。スキーのトンバの姿。橋も道も人で埋め尽くされて。幼馴染が、「彼とは小さい頃一緒に自転車ででかけた」としゃべっています。教会から棺が出てきた時、みんな拍手でとても暖かく迎えている。。。

  • 棺のそばには元メルカトーネのアスタルロアの姿も。パンターニ葬儀は本日に。遺体にはバンダナが。 ( 2.18.2004 )

    昨日17日の14:30、パンターニの遺体はリミーニの病院の霊安室から運び出され、16:25、故郷チェゼナーティコに到着した。囲んだ数百人の人々の間からは、拍手が出た。葬儀の予定が確定し、本日18日の14:30から、海へと続く運河に面したサン ジャコモ アポストーリ教会で行われる。中に入れるのは、親族と親しい関係者のみ。地元が配布した葬儀の予告通知には、VictoryのVの文字が刻まれ、「チェゼナーティコ:永遠のチャンピオンに捧げる」と書かれた。

    遺体と対面したイタリアのニュースエージェントANSAによると、パンターニはブルーの衣服に身を包み、トレードマークのバンダナをしていたという。棺は教会チャペルの祭壇のそばに置かれ、黄色と白の花で編んだ冠が飾られた。棺の上のパンターニの写真は微笑んでいる。

    TVクルーが教会に入いると、パンターニの母トニアが彼らを追い払った。彼女はここ数日間 悲しみに暮れ、ジャーナリストたちが息子を殺したと思っている。「私達をそっとして、静かに泣かせて」、と叫んだ。まず最初に親族や近親者が棺と対面し、その後、棺のそばに記帳の場所が作られ、一般の人々が記帳に集まった。ほとんどの人々が涙している。元同僚のイゴル アスタルロア、マルコ ベーロの顔もある。ジモンディも駆けつけていた。

    今までいろいろな人々がパンターニの思い出を語ってきたが、特に幼馴染、アルナルドの言葉が心に残る。「ツールで、そしてジロで山岳を走る時、彼ほど観客を沸かせた男はいなかった。」「自転車界におけるドーピングの問題で、彼は一人スケープゴートになった。そして、一人、彼は命という代償を強いられたんだ。」「残念なことに、彼は自分から周囲の人々を遠ざけてきた。そして、生きるページを開くことを拒否した。僕らはなんとか救いの手を差し伸べようとしたが、ことごとくそれらは拒絶された。もう、今となっては全てが手遅れだ。」

    ところで、非合法な薬品はなかった、という今までの報道が一変し、ナイトテーブルにコカインらしき粉の残りが見つかったという報道も昨日出た。ただ、ほんの僅かな粉の跡があっただけなので、正体をすぐに特定することはできない。検死の際、パンターニの歯茎と鼻を調べたのは、このためだと思われる。暫くは、この手の憶測的な報道が出るだろう。でも、パンターニをこういう状況に追いやった原因をみんなが必死で知ろうとしている、その表れだと言うこともできる。


  • パンターニ葬儀は明日水曜日か木曜日 ( 2.17.2004 )

    パンターニの葬儀はチェゼナーティコの埋葬許可(nulla osta)が明日おりるか、あさってになるか不明なので、まだ正式決定していない。アドリア海沿岸のチェゼナーティコは、パンターニが住んでいた場所であり、彼が悲しい姿で発見されたリミーニの町から20キロぐらいしか離れていない場所だ。葬儀の日程が決まり次第、教会のチャペルにおける葬儀の手配をする。場所はジャコモ アポストーリ教会。多くの会葬者が見込まれるため、24時間中扉を開ける予定でいる。

    教会の席は200名しか座れない。親族、近親者にあてがわれる。しかし、出席見込みは3万人とも伝えられ、スピーカーで、葬儀の様子を知らせることになっている。彼に最後の別れを告げる人が各地から訪れるに違いない。彼はどんな表情で眠っているのか。昨年11月23日にパンターニと会った幼馴なじみのマリオは、「マルコは20キロ太っていて、顔が牛のように膨らんでいた。」と語っていた。


  • パンターニ最後の数日間 その2 ( 2.17.2004 )

    レセプションでチェックインをしたあと、人々はパンターニに気付き、今まで何度となく繰り返された来たように、彼に声援を送った。ただ、彼だけが、今までと違っていた。5階の部屋に閉じこもり、出てこなかった。部屋に入るなり、彼は立て続けに4回電話をかけた。自分の携帯は使わず、ホテルの電話からだった。彼は4つの異なる電話番号に電話をしていた。相手先は全て携帯の電話番号だった。しかし、この電話はいずれも不発に終わったようだ。というのも、全て25サンチーム(1/4ユーロ)以上の課金がされていなかった。警察当局は、既にこの電話の相手先4人の身元を割り出している。

  • パンターニ最後の数日間 その1 ( 2.17.2004 )

    先週月曜日、一台のタクシーがイタリアリミーニにある滞在型ホテルLe Roseの前で止まった。Le Roseのパンフレットには、「自由に過ごすバカンスをここで」と書かれていた。きわめて質素なホテルだ。タクシーから降りてきたのは、打ちひしがれた様子のマルコ パンターニだった。かつての華々しいクライマーは、犠牲者の様相で、ホテルにチェックインした。彼が最後の日々を過ごすことになったのは、28平方メートルの5−D 号室。緑色の家具が置かれていた。豪華という言葉からはかけ離れた部屋だった。かつての栄光を考えると、少し寂しい場所だった。彼はその日、ミラノから電車でこの地に足を踏み入れた。

  • パンターニ、それでもやはり謎の死とホテルにあった走り書き ( 2.17.2004 )

    解剖は予定通り行われた。そして死因はわかった。脳と肺に出来た浮腫による心臓停止が原因で、外的要因によるものではないと。ただ、その引き金になった原因がまだわからない。引き続き究明が行われるが、数週間かかりそうだ。

    そして、先にお伝えしたとおり、部屋には遺書めいたものはなかったものの、彼が自分の想いを綴ったメモがベッドのそばに残されたいた。ホテルの便箋3枚に書かれたそのメモの内容は次のようなものだったという。

    「誰も僕のことを理解しなかった。僕の家族でさえ。」「僕は孤独だ。」そして、「彼らは僕だけを処罰しようとしている」と、ドーピングにまつわる裁判のことに関する内容が書かれていた。周囲の人みんなから裏切られた、そんな思いがにじんでいたという。(Corriere della Sera)


  • ウルリッヒ声明文 ( 2.16.2004 )

    今度はウルリッヒの声明文。「こんにちは。マルコ・パンターニの死には、大きなショックを受けた。いつでも人の死は心をかき乱される。マルコは自転車ライダーとして一時代を築いた。彼が人気者だったのには、それなりの理由がある。もうこれ以上かけないし、書きたくない。(彼の死に関して)多くの情報を持ち合わせていないから。」

  • アームストロングの声明文 ( 2.16.2004 )

    昨日からアームストロングのサイトをチェックしていた。コメントを出すだろうと。今日になってステートメントが出ていたのでご紹介。
    「悲惨でショッキングなニュースだ。彼の家族、友人、ファンへ、深い哀悼の意を表します。レース中もオフレースの時も、我々は戦うことがあったが、マルコに対しては深い尊敬の念を持っていた。自転車競技は、大変偉大なるチャンピオンとパーソナリティーを失ってしまった。」


  • パンターニの勇姿 ( 2.16.2004 )

    TモバイルのHPのフォトショー(Fotoshow)で、26枚にわたりパンターニの勇姿が見られる。画像も相変わらず綺麗だ。私も 故人を偲んで今訪問してきたところ。

    http://www.t-mobile-team.com/1000/startseite.htm

  • パンターニ死去 続報その10 ( 2.16.2004 )

    パンターニが処方箋を服用した形跡があり、服用による心臓発作か 自殺かは月曜の解剖の結果に委ねられることに。

    ホテルのレセプション、及び警察の話によると、パンターニの部屋のベッドの上と、床には、<処方された>鎮静剤や抗不安剤、抗うつ剤などの箱が10箱以上あったようだという。箱の一部は空だったと。しかし、現在当局は自殺という断定は一切していない。逆に、薬が引き金となって、心筋梗塞を起こした可能性もある。自殺か、薬によるショック状態かどうかは、解剖診断の結果次第となった。つまり、体内からそれらの薬が大量に発見されれば故意に服用した自殺とみなされ、逆に服用量が規定の量程度であれが、自然死という推察ができる。いずれにしても、月曜の解剖結果を待つことになる。

    亡くなったときのパンターニ、上半身に着衣はなく、ジーンズ姿だったという。最後にパンターニを目撃したのは、同じホテルにチェックインしていた地元のバスケットチームの選手らだった。また、ガゼッタのジャーナリストや選手の一部からは、こんな声も多数出ている。「誰もマルコを助けようとしなかったというのは嘘だ。我々は、彼になんとか立ち直ってもらおうと頑張った。しかし、彼は我々を拒絶する傾向があった。」「この夏に、彼を助けようとしたが、それを彼はしりぞけた。誰も寄せ付けず、ひとり孤独な状態で、そして、彼は逝ってしまった。」


  • パンターニ死去 続報その9 ( 2.15.2004 )

    インドゥライン談話:「パンターニの資質は、スポーツ面だけではなかった。彼は人をひきつけてやまない資質も持ち合わせていた。彼ほど大衆とのコミュニケーションを大事にした人はいなかった。僕が最も気に入っていたのは、彼の山での猛烈なアタックだった。それはとても過激でありながら、そのくせ、常に同じリズムをキープしていたんだ。彼のスタイル、キャラクターは、他の選手たちとは一線を画していた。」

    引退したエスカルティンは、今年 自転車レースに出られに引退をほのめかしていたパンターニについて、レースから去ることの難しさを知る者としてなかなか深いコメントした。:

    「辛いことだ。まず すぐにチャバ(12月に病気で亡くなったヒメネスの愛称)のことが頭に浮かんだ。というのも、チャバもパンターニも状況が似ていた。両者とも自転車レースに出られずに引退に近い状態で、急激な生活の変化を強いられていた。そして、2人とも素晴らしいクライマーだった。自転車レースを去る時、それは人生の過激な転換を意味する。今まで応援していてくれたファンが突然ぱったりと途絶えることも甘受しなくてはいけないんだ。自転車競技はとても苦しい。長い間家を離れ、孤独で。でも、ひとたび引退すると、それが急激な変化を遂げることになる。だから、そういう局面にあって、人は精神的にかなりタフでないといけないんだ。」

    アルペンスキーヤーのアルベルト トンバの談話:「声も出ない。信じられないことだし、本当に悲劇だ。パンターニのことはよく知っていて、彼が落車で入院した時も見舞いに行った。もっと心の支えがなくてはいけない時期に逝ってしまったのではないか。」

    ウルリッヒコメント:「彼とはもう3年ほど、音信不通だった。彼が死に至った原因が早く突き止められることを祈る。」


  • パンターニ死去 続報その8 ( 2.15.2004 )

    悲しいことだが、ホテルから運び出されるパンターニの棺の写真が公開された。(下記URL)。また、当初、ただただ言葉を失っていたステファノ ガルゼッリの とても しみじみした談話 が入ってきた。(イタリアのANSAより。棺の写真も同サイトから。)ガルゼッリといえば、2000年ジロで優勝した時、パンターニが支えになった。

    「パンターニは、相当なプレッシャーの中を生きてきた。ここまでのプレッシャーは、たとえ誰であっても、耐え難いものだったろう。ここ最近、彼は孤独だった。彼の近況を聞いた者も最近は全くいない。

    彼はコッピと似ているかもしれない。大成功の後、悲劇の死を遂げたという点で(コッピはアフリカでマラリアにかかって1960年、40歳で亡くなったといわれる)。ここ数年優勝からは遠ざかっていたものの、マルコはコッピよりも人気があったぐらいだ。コッピが亡くなって40年間、人々はコッピのことを語り続けた。そして、これから40年間、きっと僕らはマルコのことを語り続けるだろう。」

    コッピもパンターニ同様、49年と52年にジロとツールで、同年優勝するというすごい成績を達成している。


    http://www.ansa.it/fdgimages03/1076844183_h_ho_CICL_20040215.jpg

  • パンターニ死去 続報その7 ( 2.15.2004 )

    現地時間日曜日の午前1:25、パンターニの棺が、予め用意されたバンに乗って、レジデンスホテル「Le Rose」から運び出された。駆けつけた200人ほどの人たちがバンが立ち去るのを見守り、イタリアのアドリア海に面した小都市リミーニは悲しみに包まれた。

    部屋からは際立った違法薬物のようなものは見つからなかったものの、抗不安薬は見つかったという。しかし、この薬の服用が引き金になったという発表はない。また、部屋には、ホテルの便箋にちょっとした走り書きはあったが、遺書のようなものではなかったという。目下のところ、背後に犯罪性はないと見られ、解剖結果は早ければ月曜日にもわかる見込みだ。


  • パンターニ死去 続報その6 ( 2.15.2004 )

    最初の所見によると、パンターニの死亡推定時刻は土曜日の現地時間17時ぐらい。彼がレジデンス式のホテルにチェックインしたのは13日の金曜日。その際に一回電話をかけた形跡があるが、後は外部との接触は確認されず。また、当日のランチは部屋でとっていたと。

  • パンターニ死去 続報その5 ( 2.15.2004 )

    様々な人たちの反応 その2。

    ガルゼッリ:「言葉もない。。」
    チッポリーニ コメントNo.2:「とにかくなんといっていいかわからない。全ての人にとって相当大きな衝撃であり、ひいては自転車レース界自体を揺るがす出来事だ。」
    アルベルト ザッケローニ(サッカー インテル監督):「マルコが問題を抱えているということはみんな知っていた。でもその問題が、ここまで大きかったとは」
    ウンベルト ボッシ(政治家、北部同盟党首):「安らかな死を。パンターニは肉体的に強いライダーだったが、精神的には強くはなかった。」


  • パンターニ死去 続報その4 -- 09:30 ( 2.15.2004 )

    まだ、警察の第一所見として、室内には処方箋のようなものがあったというコメントが出ました。ただ、これと彼の死因の因果関係については全く言及されていません。

    14日、地中海ツアーでステージ優勝したマリオ チッポリーニ談話:「動揺している。これは悲劇だ。」
    ジモンディ談話:「彼は高い代償を払うことになった。世界でNo.1にのし上がってから、多くの雑音にさらされて、彼は孤独の身になった。か弱い人だった。」
    バッレリーニ談話:「余りに衝撃が大きすぎて信じられない。」
    シレーア(ドミナ)談話:「これは、全く予想もしなかったニュースだ。。」


  • パンターニ死去 続報その3 ( 2.15.2004 )

    第一報が出た後、多少 事実確認の続報が出た。
    まず、パンターニが発見されたのは当初単に滞在先のアパートとなっていたが、「Le rose」という滞在型アパート レジデンスで、彼はここに数日前から一人でチェックインしていたという。場所はアドリア海の海辺のリゾート地、リミーニ。最後にパンターニが目撃されたのは14日の午後。夜になってパンターニが出てこないのを不審に思ったスタッフがノックをしたが、反応はなし。これが現地時間21:30のこと。しかし、内側から鍵がかかっていたため、すぐには開けられず、スタッフがなんとか室内に入った時には、パンターニは仰向けになって、既に事切れていたという。

    死因は現在もまだ特定されておらず、パンターニのマネージャーともまだコンタクトが取れていない。イタリアのTVは番組を途中で切り替えて、パンターニ死去の悲報を伝えている。

    パンターニ略歴>
    1998年パンターニはジロとツールで優勝。最後にレースを戦ったのは昨年6月のジロで、総合14位に終わっている。その後 短い間入院した(余り具体的に書くと、この入院と今回の死因に因果関係があるかのようなニュアンスになる可能性もあるので、この辺は省略)。

    今年1月、トクダネでパンターニの父親のコメントを掲載した通り、「パンターニがレースを走る姿を見ることはないかもしれない、トレーニングもしていない」、と話していた。そして、彼は非常に傷つきやすい繊細な人間だ、と語り、99年のジロ失格に始まり、2001年自室でインシュリンの入った注射器が見つかったことなどを受け、法廷への出廷やマスコミ取材が後を絶たず、様々な環境の変化でレースへの気力を失っていることを示唆した。また、昨年から、パンターニは体型も太めになったということだった。

    1月13日に34歳になったパンターニ。プロでの優勝回数は36回。うち16回がジロとツールでの優勝だった。当初彼のあだ名は「エレファンティーノ」。耳が大きいため、像になぞらえられた。しかし、その後剃った頭にバンダナ、ピアスといういでたちで、「イル ピラータ」と呼ばれるように。最初に特に注目されたのは、92年、ジロアマチュア版での優勝だった。

    1995年、彼はミラノ トリノの最中に車にはねられ、左足を複雑骨折した。その後97年ツールでは2度のステージ優勝を飾る。そして翌98年には、65年ジモンディ以来というツールでのイタリア人優勝をもたらしたのだった。彼の優勝レースの数々は下記のURLにて。その下のURLはパンターニ近影など。


    http://www.dewielersite.net/coureurs/pantani_m.htm

    http://www.gazzetta.it/gazzetta/common/area_gazzetta/gallerie/galleria.html?ciclismo/2004/febbraio/pantani&1

  • パンターニ 死去 その2 ( 2.15.2004 08:20 )

    パンターニ死去のニュースが伝えられたのは 本日、日本時間で08:00ちょっと前のことのようだ。(ガゼッタの掲示板に死を悼む書き込みが寄せられ始めた時間を見ると。)ただ、AFPが一番最初に日本時間07:00過ぎにこの報道を出した模様。ニュースは現在第一報が届いたばかりで、まだ詳細は入っていない。スペインでヒメネス死去のニュースが12月に報道された時にスペインファンが味わった大きな衝撃が、今イタリアに走っているに違いない。黙祷。

  • パンターニ34歳で死去 ( 2.15.2004 08:00 )

    パンターニがイタリアのホテルの一室で亡くなっているのが発見された。通報したのは宿泊先ホテルの関係者。死因は特定できていないが、室内には激しく争った形跡はないという。死体解剖の結果を待つことになる。

    http://www.gazzetta.it/Ciclismo/

  • カセロやっと。。 ( 2.14.2004 )

    バレンシア ケルメとの口約束はしていたものの、契約がなかなか進まなかったアンヘル カセロが、晴れてやっとチームと調印した。現在まだUCIに登録されていないため、正式にチームメンバーとしては走れないが、登録されればすぐにもメンバーとして活動を開始する。TT2なので、ツール出場はできないが、ヴエルタには出場できるだろう。

  • エリック デッケル ファミリーを公開 ( 2.14.2004 )

    2000年にツールドフランスのドイツ フライブルグ ステージが終わったあと、ラボバンクのデッケルが息子達を本当にいとおしそうに可愛がっている様子がとても印象的だった。かなり子煩悩らしい。目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようだ。次男は乳母車に乗せられて、長男は水玉ジャージを着ていた。しかも彼のジャージの背中には43番の赤ゼッケン(当時デッケルがつけていた敢闘賞の赤ゼッケン)までついていた。

    そして、その脇に乳母車を押す肝っ玉母さん風の女性がいたのだが、この人がデッケルの奥さんかどうか不明だった。今日偶然、以前お知らせしたデッケルのHPを覗いていて、デッケルの結婚式の時の写真を発見。やはり見るからにこの頼りがいのありそうなこの女性は、彼の奥さんだったことが判明。その時の写真をUpしましたのでご興味ある方はどうぞ。左の縞模様のラフなシャツ姿が奥さん。しゃがんでいるのがデッケル。次男だけは陰に隠れている。


    http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/photo/dekker.jpg

  • リバティーセグロス キャンプイン ( 2.13.2004 )

    リバティーセグロスが今日から20日まで、スペインのカンタブリアでキャンプインした。カンタブリアは確か、マノロ サイス監督の故郷。チームのオフィシャルHPには、びっくりしたことに、キャンプ地のホテルの場所などの情報が詳細に出ている。ファンだったら、絶対にチームの応援に駆けつけることだろう。

    チームはTDUでアラン デイヴィスが活躍し、既にリバティーとしてのチーム初勝利を上げている。このチームはスポンサーがしっかりしているとみえて、公式HPにはリバティーセグロスの会社のCMもちゃっかりビデオで入っている。会社のロゴに自由の女神が使用されているので、濃淡のブルーを基調としたジャージの旨にも白抜きの自由の女神が。エラスやガルデアノの活躍が楽しみ。


    http://www.libertysegurosteam.com/

  • これが風洞施設を使った自転車のエアロダイナミック実験だ! ( 2.12.2004 )

    アームストロングがわざわざシアトルの風洞施設まで行ってエアロダイナミックの試験をしたということは、シアトルには相当な風洞施設があるに違いない。シアトルといえばボーイングか。航空宇宙分野の風洞施設ならすごそうだ。そこでシアトルにある風洞施設をチェックしてみた。ボーイング関連で、様々な風洞施設があったけど、そのうちズバリこれというものを見つけた。(最初のURL)

    シアトルの風洞施設ではないけれど、MIT(マサチューセッツ工科大学)のサイトに、自転車のエアロダイナミックを実際に実験しているそのものの写真があった。全部で3頁にわたる実験の様子で、MITサイクリングチームの選手がモデルで実験を行っている。また、2番目のURLは、イアン ソープの風洞実験の様子。

    風洞の説明:「風洞は、風を人工的に起こす装置です。風洞の中で自動車、高速列車、航空機、構造物などの空力特性を計測することにより、製品開発・設計のためのデータを得ることができます。」(大気社のHPより)


    http://blackisle.lcs.mit.edu/arielh/2003_windtunnel/index.html

    http://www.sanspo.com/morespo/top/more200301/more2003013110.html

  • ボルトラーミが車と衝突 ( 2.11.2004 )

    今年ヴィーニからランプレへ移籍したボルトラーミが火曜日に交通事故を起こした。イタリア北部のマッジョーレ湖 湖畔のアローナエリアにあるマッシーノの丘をマッシモ アポッローニオとアンドレア ノエらとトレーニングしている最中、女性の運転するルノーと接触。彼は自転車から投げ出された。

    ノエとアポッローニオがすぐさま彼を助け出し、彼はボルゴマネーロの病院に移送された。病院でスキャンを受け、頭部に8針縫ったほか、擦過傷を受けたが、幸い骨折などはなかったが、もちろん来週のジロ デッラ リグリアには出場できなくなった。ランプレはこのほか、出場予定だったカサグランデもアキレス腱の炎症で同レースはパスすることになった。

    レースにはヴァインスタインス、ボッソーニ、他にJCでおなじみのガラテ、ビラ、リギらが出場予定。ヴァインスタインス、ボッソーニの2人も今年ヴィーニからランプレに移籍してきた組で、このほかハウプトマンを入れると全部で4人がヴィーニ −> ランプレと移動してきた。


  • ウルリッヒ スケジュール ( 2.10.2004 )

    ウルリッヒスケジュールは、2月4から25日までイタリアのトスカーナ地方でトレーニング。昨年同様、農場の家を借りてガビーや娘のサラ マリアと一緒に生活している。そして、トレーニングメートというとこの人、トビー シュタインハウザー。彼は必ずウルリッヒのトレーニングに同行し、チームもコースト、ビアンキ、Tモバイルとウルリッヒと一緒に移動している。ウルリッヒのシーズン最初のレースは3月3日ー7日のムルシアツアーだ。

  • TDLツールドランカウィ 日本人選手の様子 ( 2.10.2004 )

    TDLの日本人選手の様子を少しだけですが、レース便りにUpしました。福島晋一選手がcyclingnewsのレポートに登場したので、簡単な訳もつけてあります。

    http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html

  • 自転車関連の広告特集 ( 2.10.2004 )

    海外の雑誌には、様々なスター選手を起用した自転車関連の広告が載っており、中には結構クールな広告も目につきます。普段自転車雑誌を定期購読していないと、なかなかそんな広告は目にする機会もないので、そうした広告の数々をスペイン、フランス、イタリア、オーストラリアの雑誌から拾ってみました。(但し、英国のProcyclingやCyclesportの広告は今ひとつ華があるものがなかったのでパス。)

    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-ad.html

  • マリオ アールツ:「Tモバイルは自転車界のレアル マドリです。」 + アールツは自転車界の松井秀喜です? ( 2.9.2004 )

    Tモバイルのベルギー人、アールツが最近ベルギーの新聞DHのインタビューに答えた。「Tモバイルでは目立たないとだめ。チーム内で競争が激しくて、さしずめTモバイルは自転車界のレアルマドリ(マドリッド)といったところ。なにしろ多くのスター選手がいて、各人がポスト争いをチーム内ですることになる。例えばツールでは16人の候補の中から9人しか出場できない。自分の昨年の成績を考えると2004年ツールに出場するのはかなり難しいだろう。でも昨年、自分の役割はきっちりこなしたつもりではある。」

    彼はこの冬2週間のマヨルカトレーニングを含み、6500キロを走りこんだ。調子も万全だ。そして、DHのインタビューアーによると、アールツは根っから礼儀正しい人で、ジャーナリストたちを見つけると、必ず一声かけたり、手を振ったり、目で合図したりして挨拶をしてくると。たとえそれが厳しい山岳ゴールの後であっても、彼の礼儀正さは変わらないと。どんな選手でもこうした態度が取れるわけではない、と記者は絶賛している。文章の途中では、「温和なアールツ」と呼んだりしたり。

    その証拠写真(?)を公開します。ツール03第16ステージ後、隣のホテルからひょっこり出てきたアールツとグエリーニに遭遇。不躾にも突然カメラを向けたにも拘らず、この2人の温和な表情。上掲の記者のコメントが頷ける。


    http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/P7234152.jpg

  • 本日の <選りすぐり! Quote−Un-quote>(あの選手、あの言葉)第2弾 ( 2.8.2004 )

    第二弾です。すべて個人的に とても印象に残った言葉から。

    「プロのオーストラリア選手たちが世界のベスト選手らと肩を並べているのを見るのはすごいことだし、刺激される。でも、僕だって、いつかきっと同じことをやっているはず。」
    ― マイケル ロジャース
    (1997年にオーストラリア ジュニアサイクリスト賞を受賞した時の言葉。)
    -------------*------------

    「これ(メダル)を1000個に細かく切りきざんで、みんなに配って共有したい、そんな気持ちさ。」
    ― マイケル ロジャース
    (そして97年のコメントの6年後、今度は2003年オーストラリア最優秀サイクリスト賞を受賞し、見事に自分が予言した通りのベストライダーになった時のロジャースのコメント。受賞後、すぐに 今まで支えてくれた多くの人と このメダルを分かち合いたい、そういった感想を、面白い言葉で表現した。)

    こちらもすべて、オーストラリアの雑誌Ride4月号からの引用です。原文をご参考まで。
    1. ”It’s awesome watchin’ those guys matchin’ it with the best riders in the world. It’s an inspiration… But I’ll be doing the same thing one day.”
    2. “I wish I could chop it up into a thousand pieces and share it around.”


  • リバティーはBHのバイクが間に合わず、ジャイアントの上にBHのペイントをしてマヨルカを走っていた! ( 2.7.2004 )

    オンセを引きついだリバティーセグロスだが、バイクはジャイアントからBHに変わった。しかし、BHのバイク供給が間に合わず、急遽オンセ時代のジャイアントのバイクを黒くペイントして、BHのバイクのようにカモフラージュしてマヨルカレースに出ていた!

    (2番目のURLにリバティーのデイヴィスが優勝した時の写真があります。バイクははっきりとはわからないけど。)BHはサイス監督の注文通りのバイクを製作中だが、どうも3月ぐらいまでかかりそうで、そうなるとリバティーはこのまま暫くは、ジャイアント製BHに乗り続けることになりそう。(BHのHPは下記URL)

    また、今年からトップ スポンサーがコムニダ バレンシアナに変わったケルメだが、ジャージが間に合わず。結局昨年のケルメのジャージでマヨルカを走った。最もケルメは引き続きスポンサーをやっているし、バレンシアも昨年からスポンサーをやっていたわけで、まあいいかという感じ。

    また、コロムが総合優勝したバレアレスチームもマッサージャーなどのスタッフなしでマヨルカに出場した。バネスト時代の給料の支払が完結しておらず、もめているのだ。そう、こんなエピソード満載で、今年のチャレンジマヨルカは行われていた。シーズン最初のレースに相応しい混乱ぶり(?)だったのだ。


    http://www.bhbikes.com/en/bicicletas.asp?Tipo=1&Anio=2004

    http://www.cyclingnews.com/photos.php?id=photos/2004/feb04/balears/stage4/MALLORCA54

  • 本日の <選りすぐり! Quote−Un-quote>(あの選手、あの言葉) ( 2.7.2004 )

    久々ですが、選手、関係者の言葉を引用する本日のQuote−Un-quoteです。

    「誰だって、ロベルト(エラス)のような素晴らしいライダーを失いたくはない。でも、チームに残りたいと思う選手にこそ、チームにいて欲しいと思っている。去りたいという選手をどうやって引き止めるというんだ?」
    エラス退団を受け、ダン オシポウ(USPSのマネージャー)の言葉。
    -------------*------------

    「僕はチームのフィロソフィーに惹かれた。ブリオッシュラブーランジェールはひとつにまとまっている。チームを支配する友情の精神は僕にとって非常に重要なんだ。」
    ブリオッシュに移籍したベロキのコメント。

    オーストラリアの雑誌Ride4月号より。


  • ジョージ ヒンカピーファンの貴方へ:ヒンカピーのBlogお教えします! ( 2.3.2004 )

    USPSのジョージ ヒンカピーがBlogをつけているのをご存知でしょうか。Blogというのはウェブ日記のこと。Weblogの略です。ヒンカピーに興味がある方がいらっしゃるようなので、お知らせしておきます。ヒンカピーの公式HP http://www.hincapie.com/ に入って、右のThe Blog (enter The bolog)をクリックします。すると、彼の最近の日記が出てきます。もちろん、新しいガールフレンド、メラニー(特に赤いドレスを着た金髪の姿が美しい)とのツーショットもありますよ。

    メラニーはフランスのディジョン出身のフランス人ですが、英語もしゃべります。PezCyclingNews.comのインタビュー(ヒンカピーの公式HPからジャンプできます。こちらにもメラニーの可愛い写真が掲載中。)に詳しく載っていますが、彼女はもちろんツールのPodium Girl(いわゆるコンパニオン)だったのをジョージが目ざとくみつけて、猛烈アタック。ツールのコンパニオンはレース中に選手と いい仲になるのは禁止されているので、電話番号を聞くのにすごく苦労したと。でも後日パリのパーティーに誘ったら彼女が来てくれて、そこから2人の仲は進展。キャンプ中は彼女もフランスからアメリカに来ている模様。(これら全てヒンカピーが対談でしゃべった内容。)

    ところでヒンカピーの公式HP、最近模様替えをしたが、以前は、トップ頁にヒンカピーのモデル張りの写真が何通りかが使用されていた。今でもその写真はヒンカピーのHPの写真ギャラリーで見られる。下記の2枚がそれ。すかしたモデル張りの写真でしょ?ツールで会った時、「僕がUSPS一番のハンサムボーイ ヒンカピーだよ」と自己紹介してたけど、自分でもルックスに自信ありの様子。ちなみに、私はランディスの方が庶民的で好みかな。

    それから、彼は以前 自分のブランドのコーヒーの販売をしていたけど、今はヒンカピーブランドのウエアの販売を行っている。そちらのHPへもPezCyclingNews.comからジャンプできる。下記URLは、例のヒンカピーのモデル張りの写真。(以前HPのトップ写真に使われていたもの)。


    http://www.hincapie.com/images/photos/gh_dogs.jpg

    http://www.hincapie.com/images/photos/gh_bw2.jpg

  • USPSアリゾナキャンプ + グラハムワトソンの写真教室 ( 2.6.2004 )

    USPSアリゾナキャンプの様子がアームストロングの公式サイトに出ています。今日はこのあとヒンカピー特集をお伝えする予定。

    それから、あの有名な写真家グラハム ワトソンの写真教室が開催予定。実際にフランドルやGWGのレースをワトソンと一緒に回りながら、レース写真のTipsを本人が直接指導するというユニークな企画。こちらも、情報はアームストロングの公式HPで見られる。


    http://www.lancearmstrong.com/lance/OnLine2.nsf/Docs/D8A1627D9F7FC39386256E300068AEA1

  • Stayer −> Minardi −> Carrera Jeans ( 2.5.2004 )

    さきほどのF1の記事の関係で載せた写真(Stayerの上にNon-paidと書かれている写真)、確かによく見ると「Carrera」の文字もありますね。キアプッチがかつて所属していたあのカレラ ジーンズですね。ミナルディのHPに行ってみたら、スポンサー紹介のところにカレラ ジーンズとちゃんと載っていました。流石にStayerはスポンサー紹介にはもう入っていないけど、でもページに使われている写真に バッチリStayerがそのまま残ってしまっている。もちろんここには「Non-paid」とは書かれていない。

    http://www.minardi.it/ita/partners/tecnici.asp

  • レースシーズンなので。。 ( 2.5.2004 )

    ぼちぼちレースシーズンも始まったので、例によって、ロードレースのリザルト、速報はレース便りにてお伝えします。

  • F1 −> スポンサーの未払い −> Stayer −> ベロキ!! ( 2.5.2004 )

    F1の話題を書きましたが、再び自転車界とF1の微妙な結びつきをご指摘いただきました。

    「F1のフェルナンド アロンソがデビューシーズンに乗っていたのはミナルディというチームだったんですが、そのミナルディ、今年最終戦日本グラプリでちょっと話題になっていました。あるスポンサーがついに最終戦までスポンサーフィーを未払いだったようで業を煮やしたチームは。。。」

    といって、下記の写真URLを教えて頂きました。そう、マシンに書かれたスポンサーの名前の上に「未払い」という文字が後から書かれているではありませんか。そして、その未払いを起こした不誠実なスポンサーこそが、実はあの「Stayer」だったのです。Stayer覚えていますか?ベロキが直前までチーム立ち上げを交渉していたあのStayerです。結局直前で、ベロキとStayerとの交渉は決裂し、ベロキはブリオッシュに移籍しましたが、このF1における未払い騒動を考えると、ベロキがStayerとチームを立ち上げなかったのは 確かに正解だったかも。

    以下、F1ミナルディとStayerのトラブルについて、http://f1.racing-live.com/から。

    インタビューアー:ミナルディのバージ ボードのスポンサー名「Stayer」の上に"not payed"(未払い)と書かれていますが、どういうことなのか聞かせてもらえますか?

    ポール ストッダート(ミナルディ):それはね、涙なしには語れないよ。知っての通り、私たちはシーズンの始めにメイン スポンサーとのトラブルがあり、私たちには非のないところで資金の40%を失ってしまった。それ以外にも2件ほどスポンサーとのトラブルがあったんだ。今回の件では、度重なる警告と小切手の不渡り、他にも様々な要因が重なった結果、やむを得ず、「未払い」マークを貼り付けることを決めたんだ。契約を履行する気がないのなら、サインをするべきではないというメッセージを込めてね。


    http://www.minardi.it/foto/2003/m/ZWBWRXTNLL.jpg

  • 2005年からプロロードレースが構造的に大改革するのでご注意を。今までのレースカレンダーは、根本的に変わる。 ( 2.4.2004 )

    去年の10月頃から盛んに話題に上っている通り、現在のUCIのチーム、カレンダー、ポイント制が2005年から大幅に変わる。今までグランツール+クラシック+ワールドカップ+メジャーレースなどといったカテゴリーが様々あったが、UCIが認める主なトップレベルのレースは全てProTourプロツアーとして一本化される。

    そしてプロツアー以下のレースについても従来の様々なカテゴリーを単純化し、超クラス、クラス1、クラス2の3つだけに振り分けられる。つまり、レースのカテゴリーバリエーションが極めて縮小される。

    チームもトップ20がトッププロチームとして認定され、保証金などの厳格な規定をクリアすれば、最大4年間の<トッププロチーム>のライセンスが与えられる。このトップ20チームの下のカテゴリーは<プロチーム>となり、これについては毎年更新される。

    最終的なUCIによるアナウンスはまだだが、もしもこの変革で大きな影響を受ける選手がいるとしたらアームストロングかもしれない。(2005年もツールを目指していると仮定すると。)というのも、年間の最低出場レース日数がUCIから指定される可能性があるのだ。選手に対し、60から70日は最低限レースに出場する義務が課せられる可能性があり、そうなると、ツールにだけ集中する、といったわけには行かなくなるかもしれない。


  • F1ネタ Part3 ( 2.3.2004 )

    図に乗って、フェルナンド アロンソ(好きなスポーツマンはアームストロングというスペインのF1ドライバー)の特集ページも作ってしまった。。。

    http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-alonso.html

  • F1ネタ Part2 ( 2.3.2004 )

    アームストロング ファンのF1ライダーは、アロンソだけではなかった。<F1チーム「BAR」の佐藤琢磨の同僚の「ジョンソン・バトン」も「尊敬する人」の欄に、ランスの名前を挙げていました。(父とアームストロングと。)過酷なスポーツをしている者同士、共感出来る部分があるんでしょうね?>というコメントを頂きました。

    更に探したら、インディージャパンのサイトにも、ドライバー紹介のところで、やはり好きなスポーツ選手にアームストロングと書いているドライバーがいた。(グレッグ・レイ)。レイの場合は、テキサス州出身というせいもあるだろう。2人のプロファイルは下記URLにて。特にバトンのプロファイルは、おたくっぽくて面白い!


    http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/7026/profile.htm

    http://www.indyjapan.com/indyracing/team/ray.html

  • USPSのジャージついにベールを脱ぐ : ジャージのロゴにSUBARUが登場 ( 2.3.2004 )

    USPSのプレゼンテーションがないという話を書いたけど、今のところ、結局ないまま終わりそうだという話になっている。しかし遂にモデルチェンジしたUSPSのジャージが公に登場した。1番上のURLはアームストロングのアップ。2番目はチーム全員のショット。ランスのアップの写真、やや老けて写っているのが気になる。。。でもジャージは ばっちり写っている。

    アメリカのサイクルファンの間では、ちょっとレトロなジャージになった、オーストリアやデンマークのナショナルジャージみたい(赤と白の縞が入っているため)、といった声も聞かれる。私が注目したのはSUBARU!今までYahooのロゴが入っていたウエア前のロゴがSUBARUになっている!目立つ部分だから、結構お高いのでは??


    http://www.lancearmstrong.com/lance/online2.nsf/html/lance04kit

    http://www.lancearmstrong.com/lance/online2.nsf/html/2004teampic

  • USPSのチームプレゼンテーションだけがない。。 + コニシェフの続報 ( 2.2.2004 )

    USPSのチームプレゼンテーションはまだ?と、気にしていたのは私だけではなかったようだ。Dailypelotonの掲示板で、この話題が上っていた。どこもかしこもチームプレゼンテーションを済ませているのに、USPSは今年のジャージもバイクもまだお目見えしていない。あげくのはてに、今年のUSPSのジャージはひどいデザインらしい、という噂まで飛び交ったけど、フロイド ランディスですら実際ジャージはまだ見たことないというのだから、ガセネタだろう。

    チームプレゼンテーションといえば、予定通りチームLPRの発表があった。リーダーは去年来日したロペボセッリ。もちろん、先日警察に連行されたコニシェフら4人の姿はそこにはなし。 つまり、9人の選手だけでのプレゼンとなった。捕まった4人のうち主犯格の2人はチームから除籍される可能性が濃厚だ。コニシェフとカルパチェフの2人は、傍観者だったという説もあるので、チームへ復帰の可能性はある。不名誉なことではあるけど。コニシェフの場合、もうすぐ38歳ということもあり、引退を勧告する動きも一部にある。

    TT2登録は、選手数が12人以上でないと認められないので、現在9人のチームとなったLPRはこれから選手を追加することになるだろう。もっとも、不景気でチームなしの選手がいっぱいいるから、雇う人材には事欠かないと思われる。

    で、話をUSPSのプレゼンに戻すと、どうやら先日行われた略式記者会見がチームお披露目の一端を担っていたという説もある。といってもジャージもなにもなく、選手がカメラの前でぐじゃぐじゃに並んだだけだったけど。Tモバイルなんて、みんなウエア姿で壇上に立ち、スライド上映まであって、相当お金をかけて見事だった。USPSはそれに比べるとOrganizedされていない。ワシントンで改めて式があるという噂もあるが、選手に聞いても、プレゼンがいつあるのかわからない、と言っている。まあ、儀式よりトレーニングという実を取ったアメリカ的合理主義の表れなのか。。?


  • Tモバイル トラブル続きの3人衆は。。 ( 2.1.2004 )

    Diaryでお伝えした通り、新聞「DIE WELT」の記事から。

    Tモバイル監督の談話:「不運続きだった3人の選手、ボテロ、サヴォルデッリ、エヴァンスは、やっとどうにか苦境から脱したように思われる。3人とも、精神的、肉体的にいいコンディションになってきた。(オーストラリア人の)エヴァンスも(コロンビア人の)ボテロも今はヨーロッパ在住で、一緒にトレーニングできる環境だ。

    サンティァゴ(ボテロ)の場合、先シーズンは5月までヨーロッパに戻ってこないという事態が発生した。(注:ボテロはコロンビアの山にとじこもって5月まで自主トレーニングをするのが自分流、と主張し、チームの反対を押し切ってそれを実行したものの、結局コンディション作りに失敗した。)しかし、今年はそんな事態は二度と招かないように我々が管理する。

    エヴァンスは落車で鎖骨を3本折ったが、トレーニングしながら徐々に完治していくだろう。パオロ(サヴォルデッリ)は暴走するオートバイとぶつかってひどいクラッシュに見舞われたが、もう怪我は克服できたと思う。」

    ちなみに新聞記事の見出しは、「ウルリッヒ、スムーズな滑り出し」。やはり監督の談話として、ウルリッヒはマヨルカキャンプで、チームにもトレーニングにも溶け込んでうまくやっていると書かれている。


  • 2月1日、ヨーロッパのレースカレンダーがスタート ( 2.1.2004 )

    いよいよ今日からヨーロッパのレースが本格的に始動する。まずはチャレンジマヨルカ(これは俗称で、公称はチャレンジ イイェス バレアレスとかブエルタア マヨルカ)。バレアレス諸島のマヨルカ島で行われるレースなので、今年バレアレスがスポンサーになることが決定したチームバレアレス バネストはモチベーションも高いだろう。

    レースは1日から5日までの5つのステージで行われる予定で、去年の覇者はもちろんバルベルデ(KEL)。92年にレースが開始して以来、ジャジャ、ツーレ(チューレ)、カベヨらが優勝している。(ちなみにジャジャは2勝、カベヨは3勝している。)

    スペインチーム以外にも、Tモバイル、クイックステップ、フォナック、ラボバンク、ゲロルシュタイナー、CSCが出場。出場チームは下記URL(公式HP)。出場選手は下記URLのDorsalesをクリックするとPDFファイルが出てくる。しかし、日本時間1日朝現在、まだゼッケンや最終的なスターターは確定していない模様。TT2になったコムニダバレンシア ケルメ(バレンシア政府が援助金を出しているので、正式チーム名はこうなる)も出場だ。


    http://www.vueltamallorca.com/ch04/equipos.html

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