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マス・シクリズモ (もっとCiclismo) copyright(c)2004-07 mas ciclismo

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Mas.ciclismoは、2001年12月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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■ 2008.05.11 (Sun)  ツール・ド・熊野 第3ステージ その1(レース前とゴール編)
NIPPOエンデカ「チーム優勝狙い」の走りが成功 & ファンボンが自宅に飼っている鯉の数


JR太地駅からレース会場に向かって歩き出すと、やがて森浦湾の先端が見えてくる。
湿った風に運ばれて潮の香りがぷんと鼻をつく。
先月オランダでも海を見てきたけれど、それとは異質の日本の海水浴場独特のにおいがした。
熊野と聞くと古道や森が浮かぶけれど、この辺りは海もまた美しい。
ところどころ緑色、ところどころ深い青。澄んだ水面に真珠の養殖場を告げるブイが浮かぶ。
波が岩にぶつかり音を立てて砕け散り、真っ白い飛沫が爆発しては消えていく。
ツール・ド・熊野最終日第3ステージは海を眺める太地くじら浜公園の周回コース。


ステージ優勝はナンバーカード1をつけたレオン・ファンボン。日本通で、以前観光で日本を訪れた際は、福島晋一選手の宿舎に居候したとウワサに聞く。

ラボバンク時代フレチャに日本語を教えたという話もあり、それはウソではなかったが、「Yokohamaと教えた記憶はない」という。

日本のことは「Nice Country」。
− 自宅で鯉を飼っているというウワサは本当ですか?
「Yes」と言ってにんまり笑う。
その数を聞いたら「10匹」と。

知っている日本語は「コンニチハだけ」、と出し惜しみしたが、レース後インタビューでは、「コンニチハ、おゲンキですか?」と言ってのけた。

ファンボンとNIPPOエンデカ真鍋和幸選手は序盤から逃げグループに入っていたが、後半ファンボンは真鍋選手を相棒に2人で逃げ続けた。
最終11周目では真鍋選手が前に出て引くが、最後の短い直線に差し掛かるちょっと手前で一気に抜いてゴールした。(下の写真は連続写真のうち8枚。)

勝利者インタビューでは勝機についてこう語る:
「いい逃げ仲間(真鍋選手のこと。Friendといっていた)を得ることができ、最後までそのままイケてよかった。」
「I'm happy to be here!」
「今度ぼくを見かけたら、レオンと呼んでくれ!」
待ち時間の間のインタビューでは、「また熊野のレースを走りたい」とも。

真鍋選手は最終局面でファンボンにさされるまで長い間前を引いていた。これはチーム戦術として個人優勝よりもチーム優勝を狙った結果だと柿木監督が教えてくれた。

チーム優勝をとるためには、とにかく逃げて梅丹がコントロールするプロトンに差をつけたい。2人でお見合いしている時間などない。

昨日はあいにくの雨がたたるなどしてチームとして6回も落車を出してしまったNIPPOエンデカだが、今日はズバリチームの戦略が吉と出た。真鍋選手は区間2位。チームは晴れて総合優勝。

その真鍋選手。「久しぶりの表彰台もいいもんだ」、「チーム優勝は全員が表彰台に立てるからいい」と、満足げに、時に飄々と語った。

一方で、総合優勝を決めたのはこの日3位でゴールインしたイエロージャージ梅丹の清水都貴選手。。。続く

■ 2008.05.10 (Sat)  暴風雨のデジャヴー


ここはツアー・オブ・熊野明日のスタート地点。
風がうなり声をあげ、雨風が傘をめくり上げ、椰子の木がたわわになっている。
なんだかこれってデジャヴー。
あれは今年の2月のこと。まったく同じような光景を目の当たりにした。
アルガルベツアーのアビラステージ。暴風雨で海岸沿いの椰子の木が髪ふり乱していたっけね。

よーく考えてみると、自分自身、史上最強の雨女、というわけではないらしい。
事実アルデンヌクラシックではフレッシュワロン以外天候はまずますだった。
でも、もしかして”降るときは土砂降り女”かも?

去年のダンケルク4日間レースでは滞在した3日間、大雨だった。前日、初日はコース上のバリアが倒れるほどの暴風雨。
なに?今年のダンケルク4日間レースは、晴天?暑いぐらいだって?
去年暴風雨のダンケルクに居たこの私、今年は暴風雨の熊野にいるってわけですか?
なんだかやるせないな〜・・・

などと弱音を吐いている時間はない。観光だ!観光!
と、いうわけで、ただいま週末を利用して、ツアー・オブ・熊野ならぬ、個人旅行ツアー・オブ・熊野を実施中。
街中をレースのステッカーを貼った車が行き去ったり、温泉の駐車場に自転車を積んだ車が止まっていたり、ツール・ド・熊野第2ステージがここからさほど遠くないところで行われているのを感じつつ、ひたすら暴風雨の中観光・観光。

夜7時にレンタカーを返却するまで時間があったので、ついでに明日のツール・ド・熊野スタート地点に車を走らせた。

そこで見たのがこの椰子の木たわわのデジャヴーな光景。
明日は晴れることを祈っています。
みなさん頑張ってください。

p.s. 第2ステージは新城選手が勝ったらしい。

■ 2008.05.09 (Fri)  本職は警官/警護のSP・今は休職してプロとして走るフランス人 ・・・ の続き
■ 「パリ出身者がプロに少ないのはトレーニング環境に適していないからさ」
■ 数少ないパリ出身選手の「フィニヨンとはスーパーのモノプリで時々すれ違うヨ!」
■ 印象に残った選手は・・・ミヤザワ


デナンのひなびた駅でコンチネンタルチームブルターニュのステファン・ボンセルジョン選手の話に耳を傾ける。昨日の続き:

ステファンがパリまでTGVで戻ると言ったとき、パリっ子の選手なんだ、珍しいな、と思った。パリ出身の選手は、ローラン・フィニヨンしか知らない。フランス選手の多くは、聞いたこともない小さい町出身が多い。

SB:「パリ出身者は少ないさ。だってトレーニングには向いていないからね。フィニヨンはボクと同じ区域に越してきたみたいで、モノプリで時々すれ違うよ」

住んでいるのは、パリのヴァンセンヌ方面(記憶がやや怪しいが、確か森のある地域だった、多分ヴァンセンヌ)とのことだ。

ブルターニュチームは、去年ダンケルク4日間レースで見かけた。今年も出るのか?

SB:「残念ながら、ダンケルクは金欠で、チーム数を減らしたんだ。おかげで今年僕らのチームは招待されなかったんだ。せっかく過去2年連続出場できたのにな。」

そして彼は突如こう言った:
SB:「そうそう、日本人選手っていうと、兄弟選手がいたよね?」−フクシマでしょう。
SB:「そうだフクシマ。それからひとり印象に残る選手がいるんだ。ミヤザワ(ちゃんと正しい発音で言っていた)さ!知ってる?レースで一緒に走ったことがある。印象的な選手だった。」

この話を聞いたあと、つい先日トロフェデグランパーのレース(Ref,レースNews)に、偶然梅丹とブルターニュが出場していたのを知った。このステファンも出場し、結果はトップと同タイムの17位。彼もなかなか頑張っている。そしてステファンが目を引いたと言っていた宮澤選手を始めとする梅丹の選手たちも:

CNリザルト

以下文章と写真はフランスでトロフェデグランパーを観戦したブルターニュ氏から(上述のレースNewsのコメントの続き):
******
正直、トロフェデグランパーのキツイコースであの展開だったから、幸也さん、メチャ目立ってました。順位だけで言えば、結果論だけど最後まで集団に潜んでラスト勝負だったら、間違いなく一桁に入賞出来たと思う(脚つらなければ、崇史さんも良いとこつけてたのに…)。

でも、それでは絶対勝てないし、敢えて自分が一番得意な展開で勝負したんだと思います。日本チャンプらしい戦いだったですよね!
あのタイミングで飛び出した中では一人だけ抜け出して、先頭捕まえてたから実況も凄かったですよ。帰りにフランス人に、『日本のチームは、皆遅れると思ったけど、凄いな!』って声かけられましたよ


■ 2008.05.08 (Thu)  本職は警官/警護のSP・今は休職してプロとして走るフランス人。彼が注目する日本人選手 その1
完走96人中16位以下全員がタイムオーバーとなったGPドナン。逃げグループ以外はサイクリングモードでだらりーんとしまりのないレースだった。観戦を途中で切り上げ”こんな消化レースも実際あるんだなー”、などと思いつつとぼとぼ駅に到着した。

待合室で列車待ちをしていると、「18時で駅舎は閉鎖だから」と追い出された。仕方なくホームで待つことに。野っ原の真っ只中にひとりぽつん。人間の姿は全く見えない。

列車がくるのは1時間後。空っ風が吹きすさぶ。再び去来する例のキモチ:「こなとこで一体何してるんだろ>ワタシ?」

人の気配を求めて駅周辺をうろつくこと20分ほど。やがてフランスのコンチネンタルチーム「ブルターニュ・アルモル・リュクス」の車が来て、一人の選手を降ろしていった。

やった、仲間が来た!しかも今GPドナンを走り終えたばかりの自転車選手。

相手はすぐにアルミホイルにくるまれたサンドイッチを食べたり携帯をいじったりし始めたが、おかまいなく話相手求めて近づいていく。

名前を聞いたらよく聞き取れない。聞き返すと、バッグを指差した。名前入りだ。ステファン・ボンセルジョンと書かれていた。

「ブルターニュ・アルモル・リュクス」という小粒のプロコンチームの場合、みなフルタイムのプロ選手なんだろうか?それとも本業と兼業で走る人もいるのだろうか?

SB:「ボクの本業は警察官なんだ。今は休職させてもらってフルタイムでプロとして走ってる。今年で3年目。でも数年後にはいずれ復職するんだ」

話を聞くと、警察官といってもどちらかというと民間の警備員に近い感じのようだった。

彼の名前Bonsergentは「優れた軍曹」っていう意味。名は体を表している。
専門は?交通整理とか、刑事モノとか?

SB:「専門はセキュリティー。プロサッカー選手の警護など護衛の仕事とかを経験してきたよ。パリのカタコンブ(地下墓所)の警備。あそこは暗くてキケンだから、警備員が必要なんだ。」

SB:「それにしても駅舎が18時で閉まるなんて信じられないよ。人は全然いないし、一体どうなってるんだ?」

よかった、寂しい駅に辟易している同胞がここにいた。やはりこんな侘しい駅はいくらフランスでもスタンダードではないってことだ。

とそこへ逆方面の電車が到着。
「こんなさびれた国鉄じゃなく、市電で乗換駅に出た方が早いよ」、と降りてきた人が教えてくれた。ステファンに市電の駅に行くか?と聞いたら

SB:「でもボクは国鉄列車を待つよ。パリ行きのTGVが丁度接続しているから、そんなに早く乗換駅に到着しても仕方ないんだ。」

既に30分以上駅で待ったから、今更ひとりぼっちで市電に向かう気はない。チケットも購入済みだし、この侘しい駅で待つことにする。

さらに話していると、日本人選手と一緒にレースに出たことがあるという。
つづく・・

■ 2008.05.07 (Wed)  パリ〜ダカールのMTB版ニッサン・タイタンで、ロベルト・エラスが優勝
引退したロード選手がズラリ。優勝エラス、5位マウリ、6位キアプッチ、13位ファビアン・イエーカー、15位 Lジャラベール・・の顔ぶれ

豪華な元選手の顔ぶれが並んだ。やっぱり昔取った杵柄(きねづか)か。鍛えられた精神力は尋常じゃない。引退した今でも皆一様に過酷なレースで強さを発揮した。

とはいえたやすい挑戦ではなかったようだ。トライアスロンも、フルマラソンもお手の物、そんなローラン・ジャラベールですら、このレースはこたえたようだ。

過酷なモロッコの砂漠をMTB走る真剣勝負。その名も日産タイタンデザート2008。パリ~ダカールのMTB版だ。

フランス2の番組で映し出されたジャジャは、うなだれ、暑さに辟易しながら、バイクを持ってとぼとぼ広大な砂漠の上を歩き出す。元ブエルタ勝者のメンチョール・マウリの姿も。

そんな中”暑い”闘いを制したのは元リバティのロベルト・エラス。相変わらず華奢な身体ながら、しぶとい粘りで初日の首位をキープ。第5ステージまでのステージレースを走りきり、見事優勝だ。

145人の完走者中、エラスが優勝、5位マウリ、6位キアプッチ、13位ファビアン・イエーカー、15位 Lジャラベールと、元トップロード選手がズラリと並んだ。

エラスの元気な様子を久々に見た。引退してもチャレンジする対象物を追い求めるその姿勢。アスリート魂は健在のようだ。

(ちなみに4位に名前をつらねるミゲル・アンヘル・エラスはエラスの実の兄弟だ)
順位表・写真入 @Esciclismo
公式サイト順位表
Photocopyright@www.esciclismo.com

■ 2008.05.06 (Tue)  ジロのスタートリスト発表 : アスタナとハイロード出走の煽りでNGC-OTCは出場取り消し、と現地ネタその5
これで結局最終的にジロに出場しないプロツールは(もともとジロに意欲を見せていなかった)クレディアグリコルとブイグテレコムのみということが判明した。ハイロードもアスタナも出場だ。煽りで直前に出場が取り消しになったNGC Medical、本人もさることながら、家族がガッカリしているのではないかな。


今朝見たらガゼッタにスタートリストが載っていました。==>gazzetta.itのスタートリストへ

アスタナとハイロードを入れる為にNGC Medical - OTC Indutria Porteが追いやられた形になりました。

カヴェンディッシュやコンタドールの活躍が見れるのは楽しみですが、NGC-OTCのチーム運営側としては損害賠償を求めたい所でしょうね。でも、今後ジロに出たいのなら主催者の機嫌を損ねてはいけないので、今回は我慢するのが賢明でしょう。
(クランク山さんより)



ランプレはジロにクーネゴ出さないんですね。いくらツールを狙っているとはいえジロに出ないなんて。まあ出れば調整レースとか言ってられないでしょうが。

メンバーはFabio Baldato, Paolo Bossoni, Marzio Bruseghin, Francesco Gavazzi, David Loosli, Mirco Lorenzetto, Mauro Santambrogio, Simon Spilak and Sylwester Szmyd.

エースは誰でしょうか?(Zonaすぎやまさんより)


現地ネタ その5 : シュレックファミリーアルデンヌで炸裂




手前右で旗を抱えているのはシュレック兄弟の母。兄スティーブの姿も奥に見える。フレッシュワロンの一こま。場所はプロトンがくる前のウイの坂脇にあるスクリーン設置場所。シュレック家族とファンクラブの面々は、朝早くからこうしてスクリーンが見える絶好の観戦場所を陣取る。沿道の一箇所で通り過ぎるのを観戦するのでなく、スクリーンでレースをあまねくウォッチするのだ。

なんとなく春の上野公園を彷彿とさせる光景。花見客が敷物を持って場所取りするかのごとく、アルデンヌ3連戦ではシュレック応援隊が朝早くから場所取りにいそしむ。

■ 2008.05.05 (Mon)  アスタナのジロ出場決定 & アスタナのジロメンバー + ハイロードのジロ出場は噂で終わった? + ブエルタ出場チームリスト + 現地ネタその4 :ナイススポット目指してガッツリいく観戦者達
昨日現地時間19:50、アスタナチームから正式にコミュニケがきた。ジロ出場確定だ。
これで最終的に出られないグランツールはツールのみとなった。

ちなみにハイロードがジロに出る?という噂がここへきて再浮上したので、情報源を聞いたところ、公式サイトではなく、ジロ出場予定チームリスト@cyclingstartlists.comの中にハイロードの名前が入っているようだ。

その場合「23チーム×9人=207人になって、参加人数200人以下というUCI規定(だったと思う)を超えてしまいますね。(クランク山さんより)」。

ただしハイロードが出る出ないの噂は、確かCNのみでしか見てないような気もする。正式発表ってやつはなかったような。
それに、実質ロジスティック運営の面で人数が多すぎるのは問題もあり、200人越えというのは普通は避けたいのではないのかな?

ともかく出場チーム発表日がちゃんと事前に定まって、それどおりのチームが出場したのは、90年代の話になってしまった。純粋にスポーツ精神のみで物事が動くのは難しい時代なのか。

■ アスタナのジロメンバー:

バザイエフ、コロム、コンタドール、グーゼフ、イグリンスキー、クレーデン、ライプハイマー、ミズロフ、ムラヴィエフ
出られるレースに実力者を注ぎ込む。エース級総動員だ。

一方ブエルタは:
一方ブエルタ出場チームも既に発表され、ハイロードがはずされた。地元スペインのプロコンが出ることは納得できるものの、ティンコフが出場できてハイロードがNG。ねじれ現象再びといった感じだ。

ハイロードのアイゼルは、コースが自分向きでないので世界選出場を辞退すると表明しており、世界選の代わりにブエルタに出場意欲を見せていたから、当然出られると思っていたはずだ。

■ Unipublicが発表した<<08年ブエルタ出場チームリスト>>:

フランス : AG2R, ブイグテレコム, コフィディス, CA, FDJ
スペイン : アンダルシアカハスール*, エウスカルテル, カルピンガリシア*, ケスデパーニュ, サウニエル
イタリア : ランプレ, リクイガス, ティンコフ*
ドイツ : ゲロルシュタイナー, ミルラム
ベルギー : クイックステップ, サイレンスロット
デンマーク : CSC
ルクセンブルク : アスタナ
オランダ : ラボバンク 以上20チーム(*はプロコン。スリップストリームは入っていない)


現地ネタその4:ナイススポット目指してガッツリいく観戦者たち



LBLにて。この3人が達成感の笑みを浮かべているのにはワケがある。彼らは、少しでも高いところに立って、プロトンをあまねく見渡したい、と考え、有刺鉄線を乗り越えて草地に入っていった。

有刺鉄線は上下30cmほどずつの間隔ではりめぐらされており、草地に入るのはかなりの至難の業だった。ひとりずつほかの2人の助けを受けながら、洋服をあちこちに引っ掛けつつ、有刺鉄線と大格闘した末に観戦スポットをゲット。プロトンを見る前に、既に達成感を感じている様子。

■ 2008.05.04 (Sun)  ジロ News
アスタナのジロ出場にどうやら青信号・正式発表は日曜夜

アスタナの広報がこのほど明らかにしたところによると、一旦出場が叶わなかったジロに、出場できることになりそうだという。正式発表はまだだが、内示を受けているのか、すでにトラック、バス、バイクなどの手配を急ピッチで進めている。

目下ラインアップを確定中だが、ライプハイマー、コンタドールらを出場選手として送り込む予定だ。

突然の変更について主催者ゾーメニャンは、こう語った:
「1ヶ月ほど前にアスタナから再度ジロ出場依頼を受け取った。選手の質をアピールする内容で、これまでとは違うアプローチだった」
これが今回の決定変更につながった、というニュアンスだ。

主催者RCSによると、正式発表は現地時間今晩の予定。
ジロ開始は5月10日。

■ ペタッキはジロ不出場

ペタッキはミラノ〜サンレモ以来の体調不良に加え、2勝したトルコ一周で気管支炎が悪化、ジロ出場断念だという。

■ 2008.05.03 (Sat)  バイオロジカルパスポートシステム途中経過報告:「ブラックリストは23人」
今年から始まったバイオロジカルパスポートシステム。例年にも増して一段と薬物検査回数が増えた。薬物検出の有無というストレートな手法に加え、生化学検査で異常値や変動を見ることにより、間接的に薬物摂取を確認するメソッドが盛り込まれ、手法確立が試みられている。

本制度に加入該当となるのは当初プロツールチームとされ、その後メジャーなプロコンチームも加入に動いていたが、ジロ出場を果たすことになったLPR及びNGCメディカルもバイオロジカルパスポート制度に登録した。

このほどUCIのパット・マックエイド会長及びアンチドーピング担当官アン・グリッパー女史が経過を報告。結果、23人に許容範囲外と見られる値が所見され、うち5人については要注意マークが入っている、とのこと。ただし、マックエイド会長は、ただちに気に病む結果という訳ではないとも述べている。

増加する薬物検査回数で選手たちへの負荷は大きくなっている。
クイックステップのケヴィン・ヴァンインプのケースはひどかった。
生後6時間で亡くなった息子の葬儀の手配中に検査官が有無を言わさず検査を行った。

ここまでくると人権蹂躙である、とフィリップ・ジルベールらが先頭に立って抗議行動を展開したのが記憶に新しい。

このバイオロジカルパスポート制度。抜き打ち検査の回数が増えることで不正抑止効果がある一方、ときに人権問題に発展するような危うい面も併せ持つ。

行き過ぎることのないバランスの取れた管理・運営方法が望まれる。

■ 2008.05.03 (Sat)  北京五輪 自転車競技スケジュール
厳戒態勢の聖火リレーだとか、カルフールボイコット運動だとかいろいろあったけれど:
北京五輪 自転車競技スケジュール@cyclingweekly

ここにもある通り、今年からBMXが新種目として加わった。
以前チクリッシモでロビー・マキュウェン(ロード転向前は元BMXチャンピオン)にインタビューした際、BMXの五輪入りについて彼に聞いてみた。

BMXのような新しい競技が加わることで形骸化した五輪に新しい風が吹き込まれるから大歓迎、ということで、観客として是非見に行きたいなー、と言っていた。しかし今スケジュールを見たら、ロードのあとBMX開催は1週間空いてしまう。観戦は難しいかも。

■ 2008.05.02 (Fri)  今年のTOJ

もうジロにTOJですねー。今年はレオン・ファンボンがTOJに来るそうな。

「アジアの選手のために」、遙々極東までやってきた親日家の彼。
確か自宅で錦鯉を飼ってるとか聞いた気もいたします。
「ロードレースはヨーロッパのもの」と断言する選手もいまだに多い昨今、なおさら彼の存在に励まされる思いです。

ざっと来日予定選手を見てみても、昨年までプロツールで走っていた選手もいたりして。 改めて、この業界の紆余曲折を見るようです。(生田さんより)


下記写真は2004年サンカンタン・オクトス監督として来日したジャンフィリップ・ドゥラカ(左)とレオン・ファンボンx2@TDF03

1)今年のTOJ、第一回大会覇者のジャンフィリップ・ドゥラカがキプロスチームのAスタイルソムンの監督として来日するという。彼は2004年大会ではサンカンタン・オクトスの監督として来日していたっけね。

キプロスと聞くと、つい親しみを感じる。入社して最初の仕事がキプロス向けの仕事だった。がしかし、来日選手リストを見ると、キプロス人はいないようだ。

2)ラボバンク、ロットなど一流チームで長年走ってきたレオン・ファンボンが親日派とはびっくり。
このファンボン、確か一度引退宣言出していたように記憶している。マルコポーロに移籍したのか。アジアにおいて後身育成を目指しているようだが、やはりアジア贔屓なのか。
ディスカバリーチャンネルにいたリ・フユーも本チームで来日だ。

3)ところで、土井選手は、かつてフレチャに「ヨコハマー」と呼びかけられたという。なぜかと思ったら、ファンボンから教わった日本語だったらしい。

ファンボンが何故ヨコハマといったかは不明なるも、多分来日経験があるなら、横浜にでも遊びに行ったのだろう。中華街か、それともランドマークタワーやみなとみらいか、或いは大桟橋あたりか。

ヨコハマで思い出したが、ミツビシジャルタジチームのバスは三菱ふそうで、車体にヨコハマタイヤのロゴがついていた。(でもミシュランのロゴもなぜか一緒についている)

ファンボンがフレチャに教えたヨコハマという単語、まさかタイヤの方ではあるまい。

関連)
1)cyclestyle.netTOJ出走リスト、2)Honk de Bonk、3)土井選手のブログ

■ 2008.05.01 (Thu)  現地ネタその3 :半端じゃなかった補給地点@アムステルゴールド
ジャパンカップやGPドナンで補給地点に張り付いて観戦したことがある。だが、アムステルゴールドで見た補給地点は、それとは全く別物だった。
そこはもう修羅場。罵声が飛び交い、怒った顔が行き交う。

補給地点の場所は、カウベルフの上りを上りきったところで、これから下りで加速する、という地点。だからなおさら殺気だっていたのかもしれない。
でもやはり、ビッグレースの補給は一味違うように思う。

補給地点を前にして、みな一様に真剣な眼差し。
狙い定めて目をむいて「えいや」、と取る。受け取って、一安心、膨らんだ鼻から荒い息をふーと吐いたドイツチャンピオンジャージ姿のヴェークマン。

各選手、すごい気迫でサコッシュに突進する。緊張した空気、現場の掛け声、怒鳴り声、サコッシュが空(くう)を切る音、そういうものが渾然一体となって、なんだかとにかく迫力のある現場になっている。

特に記憶に残るのが、サコッシュを受け取り損ねて目を吊り上げる選手たち。

クレディアグリコルのサイモン・ゲランスは、取り損なって一瞬呆然とした顔を見せた。反射的にその先のリクイガスのサコッシュに手を伸ばして、思わず受け取りそうになる。喉から手がでるほど欲しいサコッシュ・・・まさにそんな様相だ。ふと我に帰り、悔しさを滲ませた。


リクイガスのロベルトがサコッシュを渡す。この補給地点ではスタッフたちの後ろに車が止めてあり、そのさらに後ろは草むらになっている。私はその草むらに陣取った。コースまでは3mほど離れているのだが、それでも選手たちの迫力・気迫に思わずたじろいだ。選手を選別して、近寄ってサコッシュを渡すスタッフたちはすごい。

サコッシュを受け取れなかった選手がいるのだろうか。プロトンが通り過ぎてから、ロベルトがチームカーに売れ残りサコッシュを渡していた。修羅場が終わった。あー、緊張した!


写真1・2)マッサーのピッチおじさんは私の顔を見ると、「イマナカ!」と叫ぶ。マッサー歴はかなりの長きにわたるという。ポルティ時代の今中さんを知っている。しかしイタリアの英雄パンターニと関わる機会はなかったそうだ。彼もまた、売れ残ったサコッシュをチームカーに積んでいた。

写真3)ピッチおじさんが、「こいつもイマナカのトモダチさ!」と紹介してくれたニッコリ笑顔のスタッフがいた。今中選手が現役時代下宿していた宿のオーナー家族のひとり、トゥーリオ・ペッリチョーリ。ミルラムのメカニックだと言っていた。助監督オスカル・ペッリチョーリの弟だ。オスカルは今中さん同様ポルティに所属していたことがある。

■ 2008.04.30 (Wed)  現地ネタその2 : シェフ3人張り付きの食堂車=レストラン専用バスを導入したブイグテレコム 前編 (内部突入前)
駐車場に止まっているブイグテレコムのバスを見て、おや?と思った(写真1)。後部に「フルリー・ミション・栄養パートナー」と書かれている。心なしかいい匂いがぷ〜ん。これはなんか臭うぞ。ブイグテレコム、何か新しいことをやらかしたに違いない。

バスを観察してみる。向かって左側の扉が開いていて、いきなりキッチンが現れた。フライパンで白い装束のシェフがなにやらフランベしているではないか(写真2)。
テレコムやディスカバリーチャンネルやら、お抱えシェフ同伴のケースは見聞きしてきた。彼らはホテルのキッチンを使用して専用メニューを作っていた。

しかし、バスの中で料理をしている光景は初めてだ。やがてキッチンから別のコックさんが姿を現す。シェフは複数いるようだ。 (写真3)


左側のキッチンから出てきたグレーの服装のコックさんは、その後中央のドアから中に入っていった。中央部ドアをのぞいてみると、白いクロスのはられたテーブルが置いてあった。なんとこちらは自動ドア。(写真4)

どうやらこのバス、向かって左が調理場で、右が食事をするテーブルの部屋という風に分かれている。純然たる食堂専用バスらしい。

スタッフに話を聞いてみた(写真5・手前は引退したディディエ・ルース。話を聞いた相手は奥にいる方のスタッフ)。ブイグテレコムは、食堂車を導入したんですか?

「そう、今年からね。シェフは全員で3人いるよ。選手たちは朝・昼・晩とここで食事を摂るんだ。スタッフはここでは食事できないから、いつもホテルだよ。

選手たちは、ここで寝泊りするんだ。-- <えっ?寝るのはいくらなんでもホテルでしょう> -- いや、選手によっては女性連れで、ここで寝泊りってケースもあるわけさ、はっはっは(冗談)」

なんでも聞くところによると、ブイグテレコムに この加工肉プロデューサーのフルリー・ミションをスポンサーにつけ、食事の提供を受けているというのだ。選手以外にも、たまに招待客も中で食事を摂るそうだ。それにしてもシェフ3人とは。

そばにベルノドー監督がいたので、ジャパンカップの話をしていたら、突然監督が、「我チームの食堂車は既にもう見た?」と聞くので、首を振ったら、中に入っていいよ、と言う。


ジャパンカップでは来日していないのに、ちゃんと記憶に刻んでいたベルノドー監督の話

食堂車のこの日のメニューと内部写真は次回の機会に回すとして、話をしていてベルノドー監督の記憶力に驚いた。

あなたのチームはジャパンカップで来日しましたよね、と言うと、「ああ、でも もうずーっと昔の話だろ。4年前だよ。しかもブイグになる前、ブーランジェールの時代だ」。

4年前だっけ?とこっちが考える番だった。そういえばブーランジェールの紺色ジャージだった記憶は蘇る。そうだ、翌年からブイグテレコムにスポンサー交代というニュースが出た後だった。調べたら確かに丁度4年前。2004年のことだった。

監督の息子ジョヴァンニは来日メンバーだったけれど、ベルノドー監督自身は来日していない。それでも、しっかりスラスラと東の果ての国における昔の遠征記録を頭に刻んでいる。さすがだな。

■ 2008.04.29 (Tue)  現地ネタ その1
■ バッソは何故プロツールチームで復帰できるのか?

写真1は,シュレック母と元スプリンターのジョヴァンニ・ロンバルディ。LBLゴール地点で発見。

ロンバルディは引退後、各方面で活躍しており、バッソやシュレック兄弟など名選手の代理人もしている。ここ最近では、イヴァン・バッソを(プロコンではなく)プロツールで復帰させるというウルトラCを出して、話題を振りまいたばかり。(Ref: 4/25小ネタ)


それにしても、なぜバッソが謹慎処分明けにいきなりプロツールチームで走れるのか、大きな疑問だった。処分明け早々の2年間はプロコン以下のチームでしか走れないという規則がある。

デイヴィッド・ミラーは、この規則が適用となるギリギリ前に復帰したのでサウニエルで復帰できたが、それ以降の選手は、例えばダニロ・ホンドやタイラー・ハミルトンなど、プロツールチームでの復帰は無理とされていた。

この疑問を解くべく、ニュースがリリースされた翌日、物知り顔のジャーナリストたちに背景を聞いてみた。声を拾ってみると:

● 別にバッソに特例が適用されたわけではない;
● ガゼッタがスッパ抜くまでライバル社のジャーナリストたちも知らなかった;
● これは一種の謀反;
● プロツールの規則を無視して成立した契約であり、プロツール体制の崩壊の前兆か、と危惧する声も;
● バッソの復帰は10月だが、その後ASOはツールにバッソだけを出さない決断をする可能性あり;

● もしバッソがツールに出場し、万が一優勝した場合は、ディルーカのように青天の霹靂のような形で出場停止処分が出たり、あるいはコンタドールのように翌年のレースから排除されたり、とにかく一斉に叩かれることは必至。ASOが出場許可したとしても、出場すれば逆に自分の首を締めることになるのではないか?という声も。



LBLのゴール地点では、ロンバルディがにこにこしてフランクの帰りを待っていた。代理人をしている選手の活躍というのは嬉しいものなのだろう。

やがて私服になったフランクが現れ、3位という成績に大喜びの彼女。ほっそり・スラリとして、脚が長くてお似合いの彼女だった。

(Special Thanks:ちなみにこの日途中でカメラ電池切れを起こしたため、ロンバルディの写真はSasoさんに撮影をお願いしたもので、フランクの写真は別の友人がカメラを貸してくれて撮ったもの。)

■ 2008.04.28 (Mon)  目撃情報 : 今年からすごいものを導入したチーム
意外なチームが画期的なものを導入した。中に入れてもらい話をいろいろ聞いてきた。
近いうちに紹介したい。

写真は昨日LBLの一こま。ティンコフのブルットを含む小グループが前半逃げてレースを味付けしていた。

それにしてもベルギーは26日から突如晴天に恵まれ、日中の気温も上昇。

LBL前日、インタビューのために待機していた我々の前にハイロードのマイケル・バリーが現れ、通り過ぎる際、「LBL当日は25度まで気温が上昇するらしいよ」と声をかけてきた。ちょっと暑すぎるな、といったニュアンスを感じた。

レース当日、朝は風も強く18度程度だったが、どんどん気温が上昇。15時過ぎてから気温は上昇を続け、レース終盤には本当に温度計は25度になっていた。==>昨日のレポ

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