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今月のサイクルNews :ツール・ド・北海道、福島晋一・康司選手、世界選手権、マリア・ローザ、サウニエルデュバル

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■ 2004.09.01 (Wed)  ご挨拶&序章
Rimg0674.jpg 478×425 37K紙面一新でお伝えするトクダネニュースです。どうぞよろしく。

新しいニュース画面は写真が入るみたいなので、試験がてら画像記事をお伝えします。
サイスポ9月号の別冊ツール特集。91〜92ページの岩佐さんの記事、よかったですね。独自の取材をしながら、かつ現地のデータを的確に押えるのって かなり重労働のはず。それにしても、ノバルがアストゥリアスの旗のマークをシューズにつけていたなんて!鮮烈な驚き。(91頁写真11)。

ところで91頁の写真番号7に写っているアストゥリアスの旗、実は私も今回はせっせと写真を撮りました。

アストゥリアスといったらスペインでも秘境。ヒホン、オビエドといった都市はあるものの、自然公園など、かなりワイルドな自然の残る地域。スペインの中で、日本人観光客が一番少ない地域でもあります。ここの代表選手といったらもちろんホセ・ルイス(愛称チェチュ)ルビエラ。

ツールでは、このアストゥリアスの旗を持った人に、片っ端から話しかけました。出国前に、「チェチュの愛称の由来を聞いてきて下さい」、というリクエストを複数の人から頂いたためです。

アストゥリアスの人に随分聞いたのに、結局、誰も彼のあだ名の正確な由来を知っている人はおらず。なんと帰国してから判明しました。チェチュというあだ名をつけたのは、実は彼のお母さんだった。彼女は、ある時ラジオを聴いていて、チェチュというあだ名があるのを知って、すごく気に入った。そして、息子が幼少の時にこのあだ名で呼び始めたとのこと。

この写真に写っているアストゥリアス出身の人たち、チェチュ目当てでUSPのホテルにやって来たそうです。(この日は休養日。)そしてトレーニングから帰ってきたチェチュを捕まえて、さっそくアストゥリアス談義に花を咲かせていた次第。(その模様はビデオに撮ったので、いつか機会があったらアップします。)

彼らいわく、チェチュはアストゥリアスのシンボル的存在。今年は加えてノバルもツールに出たし、F1では油の乗ったアロンソが去年優勝も果たし(彼はオビエド出身)、大いに自慢していました。(他にもアストゥリアスのスポーツ選手の名前を幾つかあげていたのですが、残念ながら知らない人ばかりでした。)

■ 2004.09.01 (Wed)  ヴエルタ優勝予想
スペインの新聞でヴエルタの優勝予想がちらほら出ている。それを読むと、今季既に14勝しているバルベルデに注目が集まっている。彼はまだ24歳だが、アマ時代から天才肌で知られていた。ケルメがマンサノ事件で揺れたときも、財政難で給与支払が遅れた時も、マイペースで勝ちを積み重ねた。

更にレース内容もいい。山岳でもスプリントでも優勝し、ITTも強い。安定感があり、オールラウンダー賞の常連だ。昨年の世界選手権ではアスタルロアに次いで2位。今年の五輪では振るわなかったので、ヴエルタでの爆発をみんな期待している。

国外勢ではヴィノクロフとハミルトンに勝機あり、と見るむきが多い。またエラスやメンショフはツールを途中棄権していて疲労回復が十分で いい線行くだろう、という見方も。

一方でサウニエルに移籍したベロキはだめだろう、とばっさり。これはあちこちで一致した意見だ。去年ツールで落車、故障、チーム脱退、チーム探しなど、まともにレースが走れていない。

■ 2004.09.01 (Wed)  NIKEのCM 追加情報
アームストロングが出ているNIKEのCM <ピアニスト中国編>に関する追加情報頂きました。毎週木曜日 TBS系列の「うたばん」(19時55分〜20時54分放映)で流しているそうです。

■ 2004.09.01.(Wed)  NIKEのCM 追加情報 その2
追加情報第二弾です。ランスのCM、Web上で見られました。URLは:
http://www.nike.com/speed/index.jsp?l=fr_fr&ls=0

右下の白抜きのrevenir sur Nike Speed.com → 02ressorce-toi(TV画面のようなものが3つ出てきますがそのうちの1つをクリック) → 右下のclips → Select TV spot → piano 30sec(30秒)か 60secを選ぶ。 → 画像度を選らぶ。高画質なら haute resolution、低画質ならbasse resolution

初めてみました!寝坊するピアニストが突然ランスになって白いボディースーツ姿で狭い中国の市場を駆け抜ける。そのままピアノの前に腰掛けて、、なんかだんだん凝ってきましたね。

■ 2004.09.01.(Wed)  ヴエルタのジャージについて
ツールのイエロージャージ、グリーンジャージ、水玉ジャージ、ホワイトジャージに対応するヴエルタのジャージの呼称についての疑問にお答します。

ヴエルタのリーダージャージはマイヨ・オロ(黄金ジャージ)。では、その他のポイント賞、山岳賞、オールラウンダーである証のコンビナダ賞に与えられるジャージの呼称はというと、ヴエルタの場合、リーダージャージ以外のジャージをとりたてて色で呼ぶことはない。山岳賞ジャージをマイヨ・ナランハ(オレンジ色のジャージ)というのを聞いたこともあるが、エウスカルテルのジャージのこともこう呼ぶ。

ツールではグリーンジャージ=ポイントジャージで、一般的な呼称としてグリーンジャージ=クレディ・アグリコルのジャージのことを意味することはないが、ヴエルタでは何の賞を取ったかが重要であり、何色のジャージを獲得したかということに意識は行かないようだ。

だから、報道を見ていると、La combinada para Valverde といった風に、コンビナダ賞はバルベルデへという言い方で、バルベルデがコンビナダのジャージを獲得したというより、彼はコンビナダの賞を獲得した、という言い方のほうがはるかに自然。ジャージの呼称を強いて用いるとすると下記の通り。

ポイント賞ジャージ:マイヨ・デ・ロス・プントス、或いはマイヨ・ポル・プントス(実際の色は白地に赤い水玉。)
山岳賞ジャージ:マイヨ・デ・ラ・モンターニャ(実際の色はオレンジ色)
コンビナダ賞ジャージ:マイヨ・デ・ラ・コンビナダ、マイヨ・デ・リダー・デ・ラ・コンビナダ、マイヨ・デ・ラ・クラシフィカシオン・デ・ラ・コンビナダ(この賞の場合は 言い方すら かなりまちまち。実際の色はブルー)

つまり、ジャージの意味するところを単純に呼ぶだけということになり、賞を優先した呼称となる。

■ 2004.09.01.(Wed)  ツールド北海道
今年のツールド北海道、札幌市の中心街の大通り公園をスタートして’すすきの’を通り抜けるコースと聞き、さっそく公式HPhttp://www.tour-de-hokkaido.or.jp/tourde2004/2004.htmへ行ってきました。

第1ステージのスタートは確かに札幌市大通西6丁目。札幌は個人的に大好きな場所のひとつ。大通り公園、時計台、クラーク先生の銅像などなど、観光で何度も足を運んだものです。素敵な環境の中、しかも町のメインストリートを走り抜けるレースは、さぞかし気分もいいことでしょう。

■ 2004.09.01.(Wed)  タイラー・ハミルトンの日記が更新されました
先にお伝えした通り、五輪憲章に抵触しないようにJournalを更新しなかったハミルトン。五輪終了を待って、30日、さっそく日記が更新された。http://www.tylerhamilton.com

例によって生真面目で長い文章。そして、奥さんが日記のあちこちに登場する愛妻家ぶりも相変わらず。長いので、一部分だけ取り出します。日記の最後の部分、ちょっとはっとする内容でした。やはり彼も少し先に、引退の文字があることを意識しているのだな、という印象。

「僕達はレース終了後、数日間アテネに滞在。リラックスしてギリシャのステイを楽しむことができた。僕も妻も、ギリシャは初めてだった。でも、その後まもなく家に帰った。ヴエルタに備えるためだ。ヴエルタ出場は当初の今季レース予定にはなかった追加の部分だ。まあ、どんな風に運ぶかやってみよう。

自分はあと、現役としていくつのグランツールに出場できるかわからない。だから、今回レースを1つ押し込むのは いい機会だったように思う。」

■ 2004.09.02.(Thu)  フリーゴがヴエルタに出ないのは絶好調だったから!
ファッサのヴエルタスタートメンバーからフリーゴがはずれ、アイトール・ゴンサレスが入ったが、意外な理由だった。中野さんのHP http://www.yottan.it/2004/index.html
によると、フリーゴは絶好調なので、ヴエルタ以外の重要なレースに出場させることになったらしい。やはりイタリアでは3大ツールのうちヴエルタの比重は低いようだ。スペインチームも、国内TV放送がないから、という理由で去年オンセとバネストが相次いでジロ出場をキャンセルしたのが記憶に新しい。

中野さんが日記で触れているアイトールのことだけど、なんとなくよくわかる。彼の新聞のインタビュー記事を、ケルメ時代から時々目にしたが、よく自分のことを「気まぐれ男」と称していた。となれば、他の人が彼の心理状態を把握することは難しいだろう。「自分自身、明日、いや次の瞬間どういう行動をするかわからない、気の向いた時に気の向くままに行動するんだ」というようなことをよく口にしていた。彼はファッサとの契約も今年で終わるはず。ヴエルタは、彼にとって来年の活躍の場を決定する重要なレースとなるだろう。

■ 2004.09.02.(Thu)  グッバイ、アレックス・ツーレ
スイスで行われたギッピンゲンのレースを最後に、アレックス・ツーレが競技生活に別れを告げた。36歳。最後に所属したのはスイスのフォナック。8月22日付けの最新UCIランキングは534番だった。彼の最後の勇姿はこちら:
http://www.cyclingnews.com/photos.php?id=photos/2004/aug04/gippingen/IMG_1956

ツーレは42位でフィニッシュ。優勝はM・トザットだった。

彼が輝いたのは、やはりスペイン時代。92年、オンセでデビュー。その間、ヴエルタで96、97年2度の優勝。98年にフェスティナに移籍した途端、フェスティナスキャンダルに巻き込まれた。ドーピングの事実を最後まで否定し続けたフランス選手に対し、ツーレ、デュフォー、マイヤーのスイス・トリオはすぐに事実を認め、反省の言葉を口にした。

心機一転99、00年は愛着のあるスペインに戻りバネストのメンバーとなったが、01年にコーストへ移籍。02年には引退の噂もあり、ジャパンカップで来日した同僚のスペイン選手3人(カセロ、ベルトラン、エルナンデス)ですら、「ツーレは辞めるだろう」、と噂していた。本人も、随分引退を考えたようで、雑誌のインタビューでも「気持ちが揺れた」と語っていた。しかしそのまま走り続けることを選び、03年途中からフォナックで走った。

今年は、自転車レース会場に選手としてではなく、主催者側として登場するツーレの姿もあった。既に引退の後のことを視野に入れていたようだ。

■ 2004.09.03.(Fri)  カサグランデ健康診断でアウト
ランプレのフランチェスコ・カサグランデ。ヴエルタ直前の健康診断の結果、レース出場に相応しくないと判定され、15日間レース出場停止となった。ヘマトクリットが規定値を越えたのだ。ランプレのリーダーは、あえなくイタリアに帰った。

ヴエルタの健康診断でレース出場が出来なくなったのは、このほか1人。パテルニナのゴルバノだ。今後2人は再検査を受けることになる。今年から新検査方法が導入され、血液検査の精度が上がった。

■ 2004.09.03.(Fri)  ヴエルタ直前ニュース:マンセボ、手首骨折でヴエルタを走る。
手首を骨折しているマンセボ。数日前からヴエルタ絶望という記事が出回っていたが、本人のコメントが正式に出るのを待つことにした。そして、昨日の午後、彼は決断を下した。ヴエルタに出場する、と。同時に、手首に添木を当ててにこにこしたマンセボの写真がWebに出た。
http://www.as.com/recorte.php?id=LCO&xref=20040903dasdaimas_4&type=Ies 昨日の写真だ。

マンセボは8月4日、ヴエルタ・ア・ブルゴスの第3ステージで手首を骨折し、リタイヤした。怪我は今も完治していない。それでも出場を決めた理由を彼はこんな風に語った。

「何故怪我でヴエルタを諦めなくちゃいけないんだ?と自問した。8月中、ずっと手首骨折のまま、練習を積んできたじゃないか。練習しなかったのは1日だけ。パンプローナの病院に検査のために行って、時間がつかなかった1日以外はずっとトレーニングを欠かさなかった。これだけトレーニングを積んで出場を見送るなんて、ばかばかしい、そう思ったんだ。」

痛みは我慢できる程度だという。ヴエルタに出場予定だった同僚のトニ・タウレルは急遽6日スタートのポーランドツアーに出ることになり、大至急 飛行機でポーランド入りした。バレアレスのウンスエ監督は、「パコ(マンセボのこと)なしでは、うちのチームはがたがただ」と悲観していた。リーダーの出場が決まり、ほっとした反面、怪我の様子に一喜一憂する日が続くことだろう。

■ 2004.09.04.(Sat)  スクープ:サヴォルデッリがディスカバリーチャネルに移籍
昨夜Tモバイルのドイツ語版に出た記事で、今日英語版にも記事が出たので、100%間違いないだろう。Tモバイルのサヴォルデッリがディスカバリーと2年契約を締結した。
http://www.t-mobile-team.com/cms/tmoteam/en/templateId=renderInternalPage/contentID=37698/id=9158.html

ディスカバリーは、ポポヴィッチに続きサヴォルデッリを獲得。来年のプロ・ツアーを前に、ジロを走る選手を増強したという観測が広がっている。TモバイルのHPはご丁寧にも、「とてもハッピーだ。アームストロングと一緒のチームで走れるのを楽しみにしている」なんていうサヴォルデッリのコメントまで載せている。このサイト、TモバイルのHPというより、一般の自転車レース関連情報サイトとしてかなり中立派を目指しているらしい。

Tモバイルの2年間、サヴォルデッリは怪我に泣かされ、ついていなかった。Tモバイルは、代わりに獲得選手と目下交渉中。

ただ、Tモバイルのいいところは、外からヘッドハントするばかりでなく、若手をしっかり育てている点。ケスラー、シュレック、ヒークマン。見込みのある若手を獲得し、チームにじっくり置いて力をつけさせている。

若手をちゃんと育成しているチームという点では、他にエスポワール・チームを有する(チーム本体と別に、Div3のチームを運営し、そこで選手育成を図っているチーム)ラボバンク、クレディ・アグリコルなどがある。クイックステップもエスポワールを持っていたが、確か今年から廃止した記憶がある。F・カンチェッラーラは一時ファッサに来る前にクイックステップ・エスポワールに所属していたことがある。

■ 2004.09.05.(Sun)  ヴエルタ生中継動画が始まりました。
日付が変わる0:00丁度、公式HPでヴエルタの生中継動画配信が開始となりました。下記サイトから
http://www.lavuelta.com/04/espanol/webimagenes/imagenes1.asp?e=p#
sigue el finale de la etapa en directoを押します。私のPCは音声が入らないので、音声はラジオで聴きながら画像を見ています。

■ 2004.09.05.(Sun)  福島晋一・康司選手のHPリニューアル
福島晋一・康司選手のHPがリニューアル。二ヶ国語対応で、タイトルも、「Bonne Chance」(グッド・ラック)。インターナショナルになりました。
http://shinichikoji.com/index.html

p.s. 晋一選手の特技:寄り道 忘れ物 遅刻 人の名前を忘れる(英語版の方でGetting sidetracked on the way home, losing/forgetting things, Being late, Forgetting peoples' names)って、知りませんでした。

■ 2004.09.05.(Sun)  オメガファルマ・ロットは来年からダヴィタモン・ロットに。Aメルクスだけはチームバイクに乗らない
ロットがオメガファルマ・ロットになるという予告があったが、これにさらにスポンサーがついて、ダヴィタモン・ロットとして来年登場することになった。(ダヴィタモンはクイックステップとの共同スポンサーは中止。)

チームメンバーは元ロットとボディソルのメンバーが中心となり、マキュエン、ヴァンピーテヘム、A・メルクスといった顔がそろう。また、Tモバイルから移籍するエヴァンスも。

チームバイクはRIDLEY。但し、アクセル・メルクスだけは父のマシンを使用。

http://www.ridley-bikes.com/en/index.php?p=graphics RIDLEYサイト
http://www.ridley-bikes.com/en/index.php?pagina=../dealers&land=japan
日本取扱店

■ 2004.09.06.(Mon)  ロシアの犠牲者へ黙祷
ロシア南部のベスランで起こった学校占拠事件。ヴエルタ第2ステージ、キャラバン隊は犠牲となった子供たち、父兄、教職員たちへ1分間の黙祷を捧げた。

■ 2004.09.06.(Mon)  ボテロ、ペーニャがフォナック移籍ってホント?
スイスのチーム フォナックがF・ランディスに続き(上記ログの8/7のトクダネ参照)、TモバイルのS・ボテロ、USPのペーニャを獲得することになったとスペインのアスが報じている。ただ、まだこの情報は1紙でしか確認できておらず、目下他紙は このニュースに追随していない。でももしCNが報じたら、一気に真実味が増すだろう。

ボテロといえば、元ケルメ。フォナックのアルバロ・ピノ監督がケルメの監督だった時代に育てた選手だ。

■ 2004.09.06.(Mon)  バルベルデ獲得に約10チームが動く。。
来年 プロツアー参加チームは18から20チームに増えるかもしれない。この中にケルメが入れば、バルベルデはケルメ残留となる可能性が強くなるが(彼はケルメと2007年まで契約をしている)、もしケルメがプロツアー入りを果たせなければ、チームは彼を手放すと言っている。そうなると、こぞって各チームがバルベルデ獲得に乗り出すだろう。

ケルメはプロツアーチームとして承認されるよう申請を出しているが、今もって給与未払いを懲りずに続けているので、プロツアーの厳しい審査を通過する見込みは薄いのでは?という観測が広がっている。また、マンサノ事件の後遺症も否めない。(蛇足ながら、予算的に、エウスカルテルがプロツアー入りできないかもしれない、という噂もある。)

現在 バルベルデ獲得に興味を示していると伝えられているのはバレアレス、リバティーを筆頭に、サウニエル、ラボバンク、クイックステップ、CSC、ファッサ、サエコ、ランプレ。

エウスカルテルは仮にプロツアー入りできてもバルベルデ獲得には動かない。彼はムルシア出身の選手だから。但し、バスクではないアストゥリアス出身なのにエウスカルテルで走っているサムエル・サンチェスだけは、何故特例が認められたのか、いまだに謎だが。

ところで、「ヴエルタの結果は放送が始まるまで絶対に目にしない!」、と決めている貴方はご存知ないでしょうが、今回のヴエルタでケルメは全く新しいデザインのジャージで走っています。せめてジャージだけでも見てみませんか?胸のところのCVの文字はコムニダ・バレンシアナのイニシャルです。(写真右がバルベルデ、左はフリア。)
http://www.as.com/recorte.php?id=LCO&xref=20040906dasdaimas_8&type=Ies

■ 2004.09.06.(Mon)  ボテロ、ペーニャはやはりフォナック
CNに今しがたニュースが出た。先ほどのニュース、ボテロ、ぺーニャのフォナック入りはやはり本当らしい。同時に、ミゲル・アンヘル・マルティン・ペディゲロ(クラシカサンセバスチャンで優勝したサウニエルの選手。今の所JCPに来日予定)もフォナックに加わると。

■ 2004.09.07.(Tue)  エディー・メルクス別人のよう。。
レースNEWSでちょっと触れましたが、http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html、 ツアー・オブ・ブリテンに登場したエディー・メルクス。一体何キロ痩せたのだろう?とCNにも書いてあったが、10kgじゃきかないだろう。痩せて、すっかり人相も変わった。最初のリアクションは、「これホントにメルクス?」でも、今のほうが昔の面影があるともいえるか。

http://www.cyclingnews.com/photos/2004/sep04/tourofbritain/index.php?id=stage5/4
http://www.cyclingnews.com/photos/2004/sep04/tourofbritain/index.php?id=stage5/2
http://www.cyclingnews.com/photos/2004/sep04/tourofbritain/index.php?id=stage5/2004-09-05_039

■ 2004.09.07.(Tue)  移籍ニュース おまけ
30歳のUSAモンタナ出身のリーヴァイ・ライプハイマー。ゲロルシュタイナー入りが正式にアナウンスされた。
フォナックに続々移籍する選手の報をお伝えしましたが、更にクイックから25歳のスイスのスプリンター、オーレリアン・クレルクもフォナックへ。以前エスポワールからクイックに入った際に、Eメールをくれた選手だ。また、セビーヤもフォナックと再契約寸前だという。

■ 2004.09.07.(Tue)  金メダル獲得のタイラー・ハミルトンのビデオ
金メダルを胸にぶら下げて相当長いインタビューに答えるハミルトンのビデオが下記のユーロスポーツのサイトで見られる。画像は相変わらず すごく鮮明。最初のビデオだけでも26分。その他短編にまとめたものも4、5本ある。とりあえず短編の方だけをざっと見てみました。

「今ここで競技生活を終えても、僕はハッピー・マンだ」、と語るほど喜びに満ちているハミルトン。「7歳からスキーを始め、その時の経験が今につながっている。1つのスポーツに打ち込むこと(focusしてdedicateすること)が要求される点で、スキーも自転車も一緒だ。今も毎冬コロラドでスキーをしている」と。

「99年にランスがツールで初優勝してからUSAでは自転車がどんどんメジャーになりつつある。とはいっても、まだアメフト、バスケ、野球には及ばず、今後引退したら、USAの自転車競技発展に貢献したい。自転車がトップ5のスポーツに入るように。」
「愛犬のタグボートとは9年間ともに過ごした。息子みたいだったしベストフレンドでもあった。いい思い出がたくさんある。」
「このメダルで、今年のツールの悪夢を忘れることができるよ。」

http://www.eurosport.com/home/pages/V4/L0/S18/sport_Lng0_Spo18.shtml

■ 2004.09.08.(Wed)  ファッサボルトロ移籍の噂
「Aゴンサレスは、今までにもっと目立った活躍をすべきだった」、と語るのはフェレッティ監督。「彼がうちのチームで来年も走ることはないだろう。」とばっさり。
一方でもう一人のスペイン人フレチャについては「彼は戦士として特色を出しており、満足している」と。
スイス人のカンチェッラーラはフォナックなど移籍の噂が絶えないが、一応ファッサ残留に興味を示しているとのこと。契約更新はまだらしい。

■ 2004.09.08.(Wed)  マイケル・ロジャース世界選手権チャンピオンに認定される
去年世界選(カナダのハミルトン)でITTチャンピオンとなったDミラーだが、ドーピングで現在出場停止。そして世界選チャンプのタイトル剥奪というUCIの決定に対し提訴しなかったため、これでロジャースが繰り上げで世界選チャンプと認定されることが正式に決まった。

金メダルとラルカンシェルがロジャースには授与されるのだが、10月には次のヴェローナの世界選がスタートしてしまう。それぞれ繰り上げで、銀メダルはUペシェル、銅メダルはMリッヒへ。

■ 2004.09.09.(Thu)  よかった、エウスカルテル!プロツアーの暫定切符をゲット。ツールコース発表の日までに書類をそろえられればOK!
エウスカルテルがこの水曜日UCIからプロツアーに参戦するための暫定的なライセンスを与えられた。これがないと、ジロ、ツール、世界選などに出場できない。あとは10月25日までにUCIが要求する銀行保証、担保、選手リストなど厳格な必要書類を提出しなくてはならないが。

10月25日は偶然にもツール05の日程発表の日。二重の意味で、彼らにとっては重要な日だ。スペインチームでは、既にリバティー、バレアレス、サウニエルはライセンスを正式に取得している。今回暫定ライセンスが与えられたのは他にロットとファッサ。この2つのチームの名前がやっと加わってほっとした人も多いだろう。

そして!あと残るはたった1チーム。(現在18チームが予定されているため。今後20チームに拡大される可能性はゼロではない。)ケルメがライセンスを取れるかどうか、バルベルデの身の振り方も、それにかかっている。

■ 2004.09.09.(Thu)  ヴエルタ・ニュースをアップ
ヴエルタのニュースを下にアップしました。あのチームに一体何が起こったか。
http://www.geocities.jp/nacobikejp/j-news.html

■ 2004.09.09.(Thu)  Nikeのシューズ開発にジョインするランスのビデオ
NIKEはしゃれたビデオをWeb上に公開していますね。シューズ開発編のビデオです。教えていただきました。但し、下記の通りに操作しないと、うまくたどり着けないかも。(ちと難しい。気の短い人向きではないかも?)

http://www.nike.com/speed/index.jsp?l=en_us&ls=0
ページ画面左、「Welcome to NikeSpeed.com」の7行下「Genealogy」をクリック

http://www.nike.com/speed/genealogy/home.html?l=en_us&pid=&ref=http://www.nikespeed.com/
この画面で暫く待つ。(このURLにそのまま飛ぶと、画面調整がうまくいきません。あくまでも最初のURLから入らないと。)

=> ページ画面左、「GenealogyofSpeed search▼」の▼をクリック
=>「sport: Browse By Sport▼」の▼をクリックし「Cycling」を選択。

赤い四角がサイクルギア関連。下から二番目の赤い四角をクリックすると「2004 Lance」シューズ開発ストーリーのムービーが視聴できる。

2000年の一番右、「Nike Swift Suit」をクリックすると、サイクルスーツの開発も含んだムービーが視聴できる。風洞実験をしているランスも。

■ 2004.09.10.(Fri)  サエコはどうなる?
プロツアーのチームがほぼ出揃った。残り1枠は10月8日にアナウンスされる。ケルメはこの最後の枠に期待しているが、ちょっと厳しい。サエコもまだプロツアー認定されていないのだ。シモーニ、クーネゴ、ディルーカらといった有名選手を抱えながらサエコがライセンス取得していないのは意外かもしれないが、彼らはプロツアー募集の初期段階で名前が全く出てこなかった。

実は、サエコは花形選手をたくさん抱えながらも、実質的に選手に支払われている給与は、世間が思っているほど高くないらしい。つまりチームは財政的には結して楽ではないと言われている。

更に、これは余り知られていないが、サエコはイタリアチームであってイタリアチームではない。例えばUSPはTailwind Sports Corporationによって運営されている。CSCはリース(Riis)サイクリングAS。サエコの場合はJuvenes Limitedにより運営されており、この会社の登記上の国籍は英国なのだ。だから、こういったUCI登録関係の話となると途端に、母体は英国として扱われる。

英国だと何故不利か?実はUCIは、国ごとにプロツアー入りするチームを計算しており、当初予定では、イタリアから4チーム、フランスとスペインから3チーム、ベルギー・ドイツから2チーム、US・デンマーク・スイス・オランダから1チームともくろんでいた。つまり英国は入っていない。

もっともこの国別の組成はあくまで予定で、実際には既にこの予定からはずれている。例えばスイス。予定では1チームのはずが、既にフォナックとサウニエルがライセンス取得している。(サウニエルはチームとしてはスペインチームとして登録されているが、母体の会社の国籍はスイスなのだ。)http://www.uci.ch/modello2.asp?1stlevelid=C&level1=1&level2=6&idnews=2378

蛇足ながら、以前、フェスティナもフランスチームでありながら、会社の国籍としてはスペインだった。フェスティナは1902年スイスで設立された会社だが、すぐに本拠地をバルセロナに移したのだ。

サエコが最後の枠を取得できるかどうかは、今後彼らが財政的な保証を示す書類を的確に出せるかどうかにかかっている。ちなみにクーネゴはチームと複数年契約をジロの前に結んでいる。バルベルデ同様、チームがプロツアー入りできるのかどうか、気になるところだ。

■ 2004.09.10.(Fri)  プロツアー、認定されたチームは一体どことどこ?
先にプロツアーの話を書いたので、ここで、現在ライセンスが認定された17チームを一挙に公開します。
http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-protour.html

現在プロツアーライセンスは18チームの予定なので、残りは1枠。あのチームがいない?とあせっている人もいるかもしれません。
ケルメ、サエコ、アレッシオ、ランプレ、ヴィーニ、ドミナ、アクア、AG2R、ブイグ・テレコム(ブーランジェールの後のスポンサー)が入っていないのです。
噂では、残り一枠はサエコが濃厚、あるいは僅かにケルメの可能性。(ケルメはサッカーのエルチェがサポートに乗り出している。)

プロツアー入りできなければ、チームを出たい、そう思っている選手はもちろん多い。ヤン・キルシプーは12年間ヴァンソン・ラヴヌー監督のもと走ってきたが(カジノ、AG2R)、このほどCAと2年契約をかわした。AG2Rのプロツアー入りは絶望的だからだ。また、アレッシオのカウッキョーリもCAへ。カウッキョーリはこれから少しばかりフランス語を勉強しなくては。今年レストランで夜一緒になった際、彼はフランス語より英語の方がまだできるから、と英語のメニューを頼んでいた。

■ 2004.09.11.(Sat)  ハビエル・オチョア、アテネに旅立つ前に
2001年、ヴエルタ・シクリスタ・ア・アンダルシアを目前に、双子の兄弟リカルドとトレーニング中に大交通事故にあったオチョア。後遺症は残ったが、自転車に再び乗ろうという気力は回復し、近年パラリンピック自転車競技で素晴らしい成績を残している。

アテネパラリンピックにももちろん出場。アテネに旅立つ前に、先日バレンシア癌研を訪れ、病気の人たちを激励した。アテネパラリンピックでは、彼は5つの種目に出場する。メダルが期待されている。

■ 2004.09.12.(Sun)  フロイド・ランディスは自動車も自転車も禁止の厳しいアーミッシュの出身だった
フロイド・ランディスの出身地は、もともとペンシルベニアのランカスター。ランカスターといえばアーミッシュの集落があることで知られる。彼はこの地で生まれ育った。アーミッシュはプロテスタントのメノー派から分離してできた宗派。もともとドイツ系の宗派だが、ほぼ2世紀前、宗教弾圧を逃れてアメリカにやってきた。

アーミッシュについては時々マスコミでその神秘性が描かれることがあるが、外部の影響を一切排除し、厳格な規律のもと生活している。基本的に電気、電話、ガス、水道は禁止。衣服にも規律がある。アーミッシュ同士の婚姻しか認めない。従わなければ破門だ。交通手段は馬車。車に乗ってはいけない。実に、自転車も禁止。

アーミッシュの様子を撮影した写真ギャラリーがある。美しい写真だが、中に写っている人たちは、時計が止まったままのような姿。別に映画のセットではない。彼らの生活ぶりは質素と謙虚そのもの。
http://home.att.ne.jp/aqua/isoji/gallery/Gallery_2002/2002_11_amish_01.html
http://home.att.ne.jp/aqua/isoji/gallery/Gallery_2002/2002_11_amish_02.html#top
* 音楽が鳴るので、会社で見る方は、ボリュームゼロにしてからどうぞ。

自転車に乗りたくて、フロイド・ランディスは17歳の時、生まれ育ったプロテスタント系メノー派の集落から逃げ出した。
アーミッシュの村を後にしたランディスは、ロックに没頭し、MTBのレースに出た。やがてロードで頭角を現し、USPへ。去年おととしは怪我で泣いたが、今年の活躍はご存知の通り。

しかし、彼はアーミッシュ出身の面影を多少とどめている。夜間遅い時間の外出は1年に1回程度。平素夜更かし・夜遊びはしない。とにかくぐっすりよく寝ることを尊んでいる。去年ツールの最中会った時は、夜は22:30には必ず就寝しており、同僚たちがおしゃべりの真っ最中でも、気にも留めずにさっさと22時には部屋に戻っていた。

ツール中継を見るために、彼の母親は戒律を破ってTVを買って息子の活躍ぶりを見たという。そして、その両親は今年、再び規則を破った。飛行機に乗って、息子が走るフランスへ馳せ参じたのだった。

■ 2004.09.12.(Sun)  カセロ、元気です。
ケルメへの正式登録が認定されず、元ヴエルタ優勝者であるにも拘らずレース出場を果たせなかったアンヘル・カセロ。しかし、先日のヴエルタバレンシアゴールの際に、元気な姿を見せていた。そう、バレンシアは彼の地元だ。ジャパンカップで一緒に来日した奥さんとともに、2人とも元気そう。
(ジャパンカップ02: http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-japancup02-2.html#4

たまたまマルカのヴエルタ写真を見ていてこれを見つけた。カセロにインタビューしている写真もあったが、残念ながらインタビュー記事はなし。目下弟のラファエルはサウニエルからヴエルタに出場しており、現在119位。(photo copyright: MARCA)
05.jpg 320×240 11K

■ 2004.09.13.(Mon)  アレッシオのムラーがクライマーだったという証拠
moller.jpg 269×271 12K今年アレッシオのクラウス・ムラーと話した際(写真)「貴方はカテゴリー的には何に当たるの?クライマーとかスピードマンとか?」と聞いたらこんな答えが返ってきた。「難しいなぁ。過去のことを言えば、僕はかつて実はクライマーだったんだ。でもクライマーであることをキープするのはすごく大変。食事方法からトレーニング方法まで。」

そんなところへ、数日前、ヴエルタの公式HPにムラーの記事が掲載された。「2001年ヴエルタのアイタナの厳しい山岳ステージを飾ったのは、現在アレッシオのムラーだった」と。

2001年アイタナでの成績。1位 ムラー、2位 15秒遅れでシモーニ、3位と4位は 同タイムでサストレとエラス。5位 22秒遅れでルビエラ、6位 34秒遅れでカセロ、7位50秒遅れでマンセボ、8位 同タイムでセビーヤ。(この時の結果と最後のTTが功を奏して、カセロが最後にセビーヤを負かしたのだった。)

記事は続けて、「彼は当時ミラネサで走り、優勝を飾った。今年はアレッシオでヴエルタに出場しているが、彼はもうそこまでの体調は維持しておらず、今回アイタナのステージにおいて、優勝候補とはいえない」と。ムラー自身も認めていた通り、彼はもうクライマーではないのだ。

驚くのは2001年当時、ムラーがシモーニを破るほどまでのクライマーぶりを発揮していたということ。そういえば、あの頃彼の名前をよく聞いた覚えはあるのだが、当時ミラネサに所属していたので、印象が薄かった。今年になって、アレッシオに移籍した彼は1968年生まれ。もうすぐ36歳になる。そして、今年のアイタナのステージを飾ったのはあの人でした。(第9ステージ)。

■ 2004.09.14.(Tue)  トラブル・メーカーのVDBは8つ目のチーム「Mr.ブック・メーカー」へ
bm-b.jpg 195×258 11Kファッサから放出されたVDB、ことフランク・ヴァンデンブルック。レキップ紙によると、今週月曜日にMr.ブック・メーカーと契約したとか。(来週の月曜日にサインすると報じているものも。)Mr.ブック・メーカーは、元ベルギーのパルマンス。但し、契約といっても、とりあえず今季後半から今年いっぱいの短期契約だ。

「もし全てうまく行けば、9月19日のレースから新しいジャージで走れるだろう。」とレースに意欲を示すVDB。

彼は29歳。過去5年間でこれで6つ目のチームとなる。00年コフィディス、01年ランプレ、02年ドモ、03年クイックステップ、04年ファッサ、そして04年後期ブックメーカー。コフィディスの前はマペイとロットで走っていた。

01年ランプレの印象が薄いのは、すぐに解雇されたからだ。トレーニングキャンプに現われず、チームに一切居場所を知らせず、ファックス・電話に一切応答せず。02年もドモを途中で解雇された。警察の家宅捜査でEPOなど薬物押収されたため。もうすぐこちらの法廷での審理が行われるはず。

彼は99年にL-B-Lで優勝し、その年7勝ほどあげたが、99年9月にヴエルタ19ステージで優勝したのを最後に一切優勝していない。

ごく最近では7月に痴話げんかで発砲したと報じられた。彼がファッサを放出された直接の原因がこれかどうかはわからない。(写真はMrBookmaker.comのジャージ。ツアー・オブ・ブリテン、マンチェスターステージの写真。Shingoさん提供)

■ 2004.09.15.(Wed)  MBT世界選手権(フランス)末政美緒選手の銀メダルの記事
先週末までフランスで行われたMTB世界選手権。ダウンヒルで末政選手が銀メダルを取った。日経新聞にも記事が掲載されていたそうだ。今年のツールより大きな扱いだったとか。CNにも写真が掲載されている。
http://www.cyclingnews.com/photos/2004/MTBworlds04/?id=MTBworlds046/DSC_0258

記事には、「予選2位通過のニュージーランドのバネッサ・クインが元ジュニア世界チャンピオンの末政から勝利をもぎとった。」と書かれている。
http://www.cyclingnews.com/mtb/2004//MTBworlds04/?id=results/MTBworlds046

末政選手のHP記事はこちら。既にレースの後、モンブラン観光を満喫したそうだ。
http://www.mioproject.com/blog/mt/

■ 2004.09.15.(Wed)  ヴェローナの世界選手権は9月27日から その1
以前サイクルスポーツ誌にも記事として掲載しましたが、今年のヴェローナの世界選手権、企画の一部として、ミス世界選手権コンテストというのをやっている。イタリアらしい、と某編集長。このミスコンには、イヴァン・バッソの妹がファイナリストとして残っています。グランプリ候補者の豪華な(?)写真は下記の通り。
http://www.mondiali2004.com/public/_cfm/page/page_506.cfm

あのー、これがバッソの妹なんですが、ちょっと「週刊なんたら」のグラビアもどき。某カメラマンが言っていたのを思い出した。「彼女って、やたら露出したがるんだよね。」
http://www.mondiali2004.com/public/_img/miss/miss_1.jpg

■ 2004.09.15.(Wed)  ヴェローナ世界選 その2
今年は世界選手権の日程が早くて9月27日にスタートする。ヴエルタが終わった翌日だ。そのため、アスタルロア、フレイレはヴエルタをそのうち途中でやめて世界選手権の方に集中すると(クーネゴもそうするとASは報じている。)

アスタルロアにとってヴエルタは世界選手権の調整レース。「調子はいい。去年よりも。もし世界選手権でスプリントになれば、フレイレを勝たせる。僕とバルベルデは最後の周回で飛び出すだろう。スペインの勝ちパターンはいくつか用意してある。」

五輪については、「あれは苦い経験だった。もっとも落車はしたものの、翌週にはまたレースに復帰できた。それに、僕らは4年に一度しか出番がないアスリートではないのが幸いだ。」

フレイレはヴエルタを最後まで走るつもりはないが、「チームにとって都合がいいと思われる間はヴエルタを続ける。」と。99年ヴェローナで世界選初優勝し、この地は思い出の地だ。2001年世界選も制し、3度目の優勝を狙っている。

世界選日程は下記:
9月28日:女子エリートITT
9月29日:男子エリートITT
10月2日:女子エリートロード
10月3日:男子エリートロード

■ 2004.09.16.(Thu)  9月15-20日 ツールド北海道
grp0916192930.jpg 400×300 32K公式HPが華やかになりましたね。第1ステージの優勝は、TOJで来日したワ・カンポ。写真は2002年来日時のもの。HKでは有名選手。

第1ステージフォト・レポート
http://tour-de-hokkaido.g.hatena.ne.jp/jkondo/
第1ステージ 速報版
http://tour-de-hokkaido.g.hatena.ne.jp/reikon/
プロローグ・リザルト
http://www.tour-de-hokkaido.or.jp/tourde2004/result/result.htm

TOJ2002 大阪ステージ(出張で東京ステージに行けず、代わりに大阪まで行って見た時のもの。)
http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/toj/j-toj02.html

■ 2004.09.16.(Thu)  ツールド北海道 その2 :ラバネロの掲示板に笑った。。
sign.jpg 245×228 7K左の写真はTDH第1ステージで優勝したワン・カンポのサイン。2002年TOJの時にもらった。カンポの「ポ」の字は「宝」みたい。あとの文字はわからん。「カン」の字は「釜」に似ているなぁ。
丁度02年当時、HP英語版にHKの人が遊びに来てくれて、その時にワン・カンポのすごさをしこたま聞かされた。「TOJ02で彼は注目なので、要Watch」と。そこでカンポに会った時、サインを2つもらって、1つはそのHKの人に送ってあげた。

ところであのぅ、仕事をしてるフリ・勉強しているフリをしてこっそりPCでTDHの速報版にかじりついていた貴方達、くれぐれも上司や担当教官に見つかってやばいことにならないように。。下記はそんな人たちが集ったラバネロの掲示板。
http://www.ravanello.com/team/ravabbs.cgi
また、HEADLINEにはレポート・写真・レース直前ビデオも。
http://www.ravanello.com/team/2004/index.shtml

キナンの橋川選手の「真面目な」レース・レポートを期待して見に行ったら、何故か浴衣姿でビール。どひゃぁ。橋川家の枝豆、一体 実は成ったのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/hashikawa/20040916#p1

■ 2004.09.16.(Thu)  D・レベッリン、世界選手権出場決定。アルゼンチン選手として。
例のニュースが再確認された。レベッリンの世界選04出場は決定だと。そして、もちろんイタリア選手としてでなく、アルゼンチン選手として出場する。このたび、アルゼンチンのスポーツ省が確認したので信頼おけるニュースだ。UCIもレベッリンの二重国籍を認めた。(別にアルゼンチンで生まれたわけではないが。彼はイタリア、ヴェローナ地方で生まれたようだ。)レベッリン、イタリアチームは駒が多すぎて世界選に出られそうもなく、アルゼンチン選手として出るという奇策に出た。

■ 2004.09.17.(Fri)  パラリンピックは明日開催
アテネのパラリンピック。自転車的には、ハビエル・オチョアが出場するので楽しみだ。公式サイトは下記:
http://www.athens2004.com/
自転車の日程は下記:
http://www.athens2004.com/en/ParalympicResults/paralympics/results

読売新聞にはオチョアの記事があったそうです。
<17日の社会面にアテネ・パラリンピックに出場するオチョア選手の記事が載っていました。写真入りです。見出しは「ツール・ド・フランスの雄 交通事故から生還」「人生のレース 僕は勝った」というものです。>

記事によると彼が出場する自転車レースは25日に行われるとのこと。ただ、複数種目に出場と聞いているので(いつか優勝しているTTにも出るのでは?)、それ以外の24、27日あたりもとりあえず要Watch。

■ 2004.09.17.(Fri)  すみません、お釜じゃなかった
昨日、ワン・カンポのサインを見て、真ん中の字は「釜」の字に似ているなんて言いましたが、「金」だそうです。しかもフルに漢字で書くと、「黄金宝」だとか。すごいリッチな名前!ラバネロ関係者の方、ありがとうございました。お礼に(?)今日もレースレポート紹介させていただきます。それにしても、即日レポートご苦労様です。でもこれって選手の人が書いているんですか。大変。。

ワン・カンポ三賞ジャージに輝いたそうで、いい調子。風もあったようで結構寒そうで、逃げは難しい状況だったと見られ最後はゴールスプリント。
http://www.ravanello.com/team/2004/

http://d.hatena.ne.jp/hashikawa/20040917
http://tour-de-hokkaido.g.hatena.ne.jp/jkondo/

■ 2004.09.18.(Sat)  すごいサイト発見。オチョアの記事写真入り。しかも日本語
すごいサイト(読売新聞オンライン版)を発見。昨日お伝えしたオチョア選手の新聞記事そのものがWeb上に出ていた。情報提供に深謝。
http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/para/news/20040916ie34.htm

ここでは記事の内容は転記できないので、上記を見ていただくとして、記事を書いた人、付け焼刃じゃなく、自転車の知識の土壌があった人、自転車のことに詳しい人という感じ。レースの用語など不自然なところが一切ない。相手はジャーナリズムのプロとはいえ、突然こんな詳しい記事が出現するのは嬉しい驚き。

彼の事故の経緯にも詳しい。脳のダメージでバランス感覚を失ったことにも触れていた。そう、今はどうかわからないが、リハビリが順調に進んでいた時点でも、外出時は両親のどちらかに支えられて歩行していた。

また、彼が優勝したツールのこと、更にケルメがその年ツールのチーム優勝を取ったことまでしっかり押えている。いやはや、自転車の情報が少ない日本の一般紙ではまれに見る大ヒット!読売さん、できれば五輪オチョアのレースもフォローして!!(これ、このHPに寄せられている多くの意見です。)

■ 2004.09.18.(Sat)  ジロディタリア 2005 のマリア・ローザはこれ
maglia.jpg 310×210 14Kgazetta.itに出ていた通り、来年第88回のジロ・デ・イタリアのマリア・ローザデザインが決まった。胸にゼッケン88をつけたライダーが薄く描かれている。ジロ主催者はマリア・ローザを毎年変えている。有名なアーティストにデザインさせ、同じピンクでも色合いも微妙に違う。

去年クーネゴが来たマリア・ローザは薄いピンクと濃いピンクのまだらだった。今年はやや濃いピンクに色の濃淡で選手が描かれている。今年のジャージのタイトルは、「ジロの炎」。

マリア・ローザをデザインしたアーティストは、2001年はEタディーニ、02年はC・ポッツァーティ、03年U・ネスポーリ、そして今年はM・ロダーラ。

彼は1955年生まれのアーティストで80年前半頃から新未来運動とうい運動を他の芸術家達と一緒に起こしている。コカコーラ、スォッチ、フェラーリ、ハーレイ・ダヴィッドソン、コーヒーのイリーなどの産業デザインも手がけている。下記は、ロダーラが手がけたイリーのデミタスシリーズ。彼のダンスの絵のモチーフなどは、他の作品にも登場している。
http://home.wxs.nl/~rataplan/lodola99pyr.jpg

ガゼッタの記事によるとジロでマリア・ローザが最初に導入されたのは1931年のことらしい。
http://www.gazzetta.it/Speciali/Giroditalia/2004/ita/presentazione_maglia/091704.shtml
photocopyright : http://www.gazzetta.it

■ 2004.09.19.(Sun)  セビーヤはフォナックからTモバイルへ
フォナックと残留交渉決裂したセビーヤ。Tモバイル移籍が決定。フォナックにいた2年間は、病気と膝などの手術で力が十分発揮できなかった。彼はラマンチャ地方の小さな村の出身。限りなく平坦な砂漠のようなところらしく、よくクライマーがそこから育った、とみんなびっくりするそうだ。

■ 2004.09.20.(Mon)  ハビエル・オチョア パラリンピック追い抜き予選で世界新記録!
ハビエル・オチョアが3kmピストの追い抜きで世界新記録を樹立した。17日付けのトクダネでお知らせした五輪の競技開催予定サイトを見てみると、ロードは確かに24日スタートだが、トラックは既に18日から始まっている。オチョア、今回事前に、多彩な競技に出ると言われていたがまさにそうだった。

オチョアの3kmの予選タイムは3分57秒480。それまでの記録は2002年8月6日にUSAのダニエル・ニコルソンがドイツ、アウグスブルクの大会で出した4分13秒220だった。オチョアはそれを一気に25秒以上更新し、4分を切るタイムを出した。

世界新記録(WR)・パラリンピック新記録(PR)は、アテネ五輪公式サイトのRecord brokenのページに出ており、オチョアの名前ももちろんしっかり入っている。

そして20日の決勝戦で、英国のダーレン・ケリーに勝てば金メダルという状況だ。負けても銀メダルが確定。20日の決勝戦は現地時間14:10に行われる。今日の夜にはオチョアのメダルの色がわかるだろう。

http://www.athens2004.com/GamesResults/ParalympicFragments/CT/CT0000000_C81_9_0_20040919_162207000.pdf Record Broken
http://www.athens2004.com/GamesResults/ParalympicFragments/CT/CTM026900_C73A1_2_0_20040919_115828000.pdf 予選の記録表
http://www.athens2004.com/GamesResults/ParalympicFragments/CT/CTM026100_C51A_1_0_20040919_112728000.pdf 決勝戦の組み合わせ。
http://www.as.com/foto.html?xref=20040919dasdasmas_2&fref=20040919dasdasmas_5.Ies&type=Tes&anchor=dasmasA00&d_date=20040919 オチョア五輪での姿

■ 2004.09.20.(Mon)  ハビエル・オチョアが事故で昏睡状態になってからパラリンピック出場を遂げるまで
朝の記事(オチョアがピスト個人追い抜き3km予選で世界新記録樹立)を受けて、今夜の決勝戦を前に彼を応援する上で、急遽こんな企画を実現。

ハビエル・オチョアが事故で昏睡状態になってからパラリンピック出場を遂げるまで、トクダネに掲載した全部の記事をアーカイブから掘り起こして、ページを作成しました。記事の総数50以上。事故翌日の2002年2月15日には立て続けに7本のニュースを入れてありました。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news01ocho.html

この時の記事を久しぶりに見て、こんなこともあったなぁ、としばし物思いにふけってしまった。例えば、「事故の後兄弟のからだはぐしゃぐしゃで、更に双子であるため判別がつかず、胸のほくろのあるなしで(ハビエルにだけ胸にほくろがある)、リカルドの彼女が判別した」といった記事など。

この時は読者の人からいろいろ反応があった。例えば、「ハビのグラスゴー・コーマ(昏睡)・スケールは5だった」という事故翌日の記事。これについては、アーカイブで詳しく触れているが、意識レベルを表すこのスケールは15満点で点数が低いものほど、意識障害が重いことを示し、最低点は3点。一般に8点以下が重症にあたる。その時 読者であり、ライダーであり、医師である人からこんなメールをもらった。

「グラスゴー・コーマ・スケールが5というのはかなり厳しいですね。万が一助かっても重度の後遺症の問題もあり、これは悲観的な数値ですが、ただ、いくら5とはいえ、人間何が起こるかわかりません。医師としていろいろなケースを見てきて思うのは、時たま本当の奇跡を起こす人というのはあるんですよね。」と。

その通り奇跡は起こった。医師によると、ハビエルの自転車選手としての強靭な肉体が、この奇跡を呼び起こしたという。このオチョア・アーカイブは、オチョアファン、パラリンピックの熱心な視聴者、2001年当時このサイトの読者でなかった方々には是非全部読んでもらいたいところですが、まあかなり長いので、注目記事として、下記の記事をあげます。

2001年2月16日の一連の記事(事故概要)
2001年3月22日:2月15日に事故に遇った後、ハビの彼女が彼を生還させるために工夫した記事。
2001年4月21日:ハビエル奇跡の生還
2001年9月2日:後遺症と精神的ショックで、自転車復帰は無理か?とさえ思われた。
2001年12月20日:ハビエルが自転車に初めて乗った。走行距離20m。km単位で走れる日は来るのか?
2002年1月17日:事故の加害者に判決。罰金たったの4万円と免停だけ!
2002年1月26日:ハビ、国王の激励を受ける。「君が走っている姿は、何度も見たよ。早く良くなってほしい」
2002年2月15日: ハビがインタビューに答えた。オタカムの時のことは全て覚えていた。監督の指示も。ランスが後で激励してくれたことも。「この日の展開が違っていたとしても、オタカムの王者はいずれにしても君だったよ」、と。
2002年2月15日:マラガの病院で、医師が「無駄な延命行為はやめて、葬儀の準備をしろ」と両親に人工呼吸器の取り外しをせまったことが明かされた。

その他の記事としては、オチョア兄弟の親友が彼らと直前まで一緒に走っていたものの、オチョア兄弟だけが、あと1周することにしたため、事故に遇ったことが判明。ケルメ時代の無二の親友JP ロドリゲスが彼らの事故現場を通ったアンダルシアのレースで優勝したこと。ケルメがオチョア支援に乗り出したこと。去年夏にはアテネのパラリンピックに向かう姿などなど。

■ 2004.09.20.(Mon)21:01  速報 : オチョア銀メダル (3000m 個人追い抜き)
やはり英国のケニー・ダーレンが強かった。オチョアが予選で塗り替えた世界新記録を、ダーレンが決勝戦で更に塗り替えた。タイムは3分46秒260。オチョアの世界新記録は1日だけだったが、それでもピストは彼の得意ではない。よくやった。

ちなみに、彼のレース前インタビューをじっくり読んだ。(いつか掲載します。)ロードがやはり得意なので、24日のレースを見て欲しい、と。ただ、今回ロードはITTとの抱き合わせになっており、自分にはやや不利だろうと。

■ 2004.09.21.(Tue)  速報: タイラー・ハミルトン、五輪とヴエルタで陽性反応
タイラー・ハミルトンが最近の血液検査で2回、陽性だったことが明らかになった。1度目はアテネ五輪の時のもの、2度目はヴエルタ。血液には赤血球が輸血された痕跡があり、いわゆる薬物ドーピングではなく、血液ドーピングの疑い。

今晩フォナックは記者会見を行う。目下ハミルトンは血液ドーピングを否定している。ピノ監督は、「彼は潔白だと言っている。こうした言いがかりに対抗するべく、チームの判断とは別に自分は自己防衛を貫くと言っている。」と語った。

ハミルトンの陽性反応を明らかにしたのはUCI側で、このたびヴエルタの担当医師、イニャキ・アラティベル氏に正式に伝えられた。現在、カウンター検査を待っているところだ。(2つ目のサンプルについてもう1度検査。)ヴエルタのサンプルが取られたのは、例のフォードの工場でのITTの後。

赤血球は酸素を運ぶ役割をするため、これを増加することで持久力アップが図れる。そのため、自分の血液を一旦採取して別に凍結保存しておき、あとで自分の血液に戻すという血液ドーピングが自転車では古くから行われている手法らしい。一方で、造血剤の投与という形での血液ドーピングもある。

■ 2004.09.21.(Tue)  リシャール・ヴィランクが金曜日に引退会見予定
grp0921204705.jpg 480×360 32K今週金曜日11:00からR・ヴィランクが記者会見を行う。彼は来季のチーム契約も行っておらず、去就が注目されていたが、どうやらその席で引退会見をする見込だ。

なお、きしくも無二の親友でフェスティナ時代に共に辛酸をなめたL・デュフォーもこのほど今季限りで引退を表明していた。

<写真は去年のツールで撮影>

■ 2004.09.21.(Tue)  クレーデン Tモバイル残留確定
今日はビッグニュースが目白押し。うかうかしていると、ニュースから取り残されます。Tモバイルのアンドレアス・クレーデンがTモバイル残留を決定。2年間、契約を更新した。ツールで総合2位となってから、移籍話が絶えなかったが、私はそれでも主張し続けた。「クレーデンは移籍しない」と。クレーデンは2000年にパリ〜ニースで優勝した後、天才ライダーと騒がれたが、怪我などでそのあとぱっとせず。

しかし今年カムバック。ツール前にドイツチャンプになったとき、涙を見せながら、「苦しい時、辛い時、支えてくれて、僕を信頼してくれたチームに感謝したい」と言っていた。あのときの彼の言葉をまずは信じたかった。

■ 2004.09.21.(Tue)  ハミルトン 続報
五輪とヴエルタの血液検査で血液ドーピングの疑いがでたハミルトンの続報。今年、五輪、ヴエルタで初めて最新型のドーピング検査機器が導入されたそうだ。今までの検査では引っかからなかった血液ドーピングと、ある種のホルモン剤の検出が新型機器導入で可能となった。

ハミルトンの場合は、赤血球が混合された状態と判定された。血液ドーピングの場合、一般的には自分の血液を戻す自己輸血が多いが、彼の場合、他人の血液を混ぜた痕跡があると伝えられている。

現在サンプルBの結果を待っている。その間ハミルトンは名誉毀損として、法的措置も辞さない構えだ。五輪の際に陽性であれば、普通はすぐに当事者に連絡が行くはずなのに、それが今まで行われなかったことにチーム関係者は首をかしげている。いずれにしても、チーム記者会見は今夜。

ハミルトンは先日のヴエルタ第8ステージITTで走った際、五輪マークを肩につけていた。この五輪マークを死守するために、彼は戦っている。

■ 2004.09.22.(Wed)  T・ハミルトン 記者会見
サンプルBの結果は2日以内にわかるが(目下2つのサンプルAが陽性)、その間、昨夜急遽スイスチューリッヒそばのローゲンスドルフで行われた記者会見でハミルトンは無実を唱えた。

「これはまさに寝耳に水だ。僕の家族・友人・チームメートは打ちのめされている。でも僕は100%潔白だ。僕が血液ドーピングで、僕は自分や妻の人生を台無しにするなんていうことはあり得ない。これには何か間違いがある。ドーピングをするぐらいなら引退しているよ。」

チームも彼を信じるというコメント。特に血液ドーピングを同定することができる検出器の導入は今回の五輪とヴエルタが初めてなので、結果の信憑性を疑っている。

今回ハミルトンが提出した血液サンプルには、他人の赤血球が混じっていることが検知されたという発表。そこで今の所血液ドーピングと言われている。ただ、これが自己輸血型のドーピングであれば検出ができなかったことになり、何故彼が自己輸血でなく、他人の血液を輸血したのか、と首を傾げる人も。

今までのドーピング検査では血液ドーピングは同定できなかった。五輪でこの検査機器を使用するのは初めて。

フォナックでは今年カメンツィンが陽性になり、サンプルBのテストを行う前にドーピングを認めて引退している。

■ 2004.09.22.(Wed)  WADAのアンチ・ドーピング取組み
世界反ドーピング機関(WADA)のディック・パウンド会長が、ハミルトンのサンプルAの結果を受けてコメント:
「もしも彼の陽性が確定したら、これが血液ドーピングの検出第一号になる。」と。来年度も予算を7%以上アップして、検出器関連につき新型機種の導入に積極的に取り組む予定。

■ 2004.09.22.(Wed)  世界選手権ニュース
そろそろ各国出場選手の名前がノミネートされつつある。ドイツからはウルリッヒ出場がほぼ確定。フランスはというと、クリストフ・モローの名前がまだ入いっていない。トマ・ヴォクレー、モンクティエ、シルヴァン・シャヴァネルらはほぼ確定だが。

イタリアはベッティーニ、バッソらに混じってクーネゴが確定と言われている。一方で、シモーニは入っておらず。「ジロに続き、シモーニはクーネゴに上を行かれた」、と書き立てるサイトもある。シモーニ本人が世界選を目指していたかどうかはわからないが。ペタッキは先日本人がヴエルタのインタビューで言っていた通り欠場だ。「ヴェローナのコースは難しいので自分向きではなく、出場はないだろう」。

■ 2004.09.23.(Thu)  ハミルトン、チームから一時出場停止処分 + オンライン版 読売新聞にも
フォナックチームは、「100%彼がクロでない限りハミルトンを信じる」と言いつつ、彼の無実が証明されるまで、彼のレース出場停止処分を決めた。

なお、五輪委員からコメントが出た。ハミルトンの検査結果が出るのがとても遅れた。普通メダルを授与し、五輪自体が終了してこんな後にサンプルAの結果が公表されるのは異常。その理由がわかった。血液ドーピングの検査機器導入は初めてのことであり、関係者は結果の信頼性を100%とできないとして、専門委員を設置したらしい。そこで十分討議をした結果、結果に疑わしい点はなく、確かに陽性であると結論付けた。その上で公表したと。

Eurosportのハミルトン記者会見ビデオは下記URL。まず元気のない様子のハミルトン。「まず、最初になんて言っていいのか。」と言った後、あちこちのサイトで引用されている通りのことを語った。「周囲は全員打ちのめされている」、「僕は100%潔白」、「子供の頃から嘘をつくな、と言われてきた」と。http://www.eurosport.com

このニュース、読売新聞のサイトにも掲載されているとのこと。オチョアのケースといい、読売は自転車ニュースに比較的強い?
http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20040921ie34.htm

■ 2004.09.23.(Thu)  世界選手権出場選手ほぼ確定:スペイン
まだ正式発表でないものの、スペインのナショナルチーム監督パコ・アンテケヤ氏が現在のリストを漏らした。何も支障がなければ、下記のロースター(登録メンバー)で行くと。

ロード:I・アスタルロア(バスク地方出身、ランプレ)、JA・フレチャ(カタルーニャ地方出身、ファッサ)、O・フレイレ(カンタブリア出身、RAB)、JI・グティエレス(カンタブリア出身、IBB)、P・オリヨ(バスク出身、クイック)、E・ヒメネス(カスティーヤ・イ・レオン出身、KEL)、F・マンセボ(カスティーヤ・イ・レオン出身、IBB)、I・ノサル(カンタブリア出身、LST)、L・ペレス(カスティーヤ・イ・レオン出身、COF)、S・ペレス(アストゥリア出身、PHO)、JL・ルビエラ(アストゥリア出身、USP)、M・セラノ(ガリシア出身、LST)、A・バルベルデ(ムルシア出身、KEL)

ロードITT:JI・グティエレス、I・ノサル

■ 2004.09.23.(Thu)  Jオチョアの写真
Jオチョア、先日のアテネパラリンピックの銀メダル表彰の際の写真、別のパラリンピックの大会での自転車に乗る姿など、教えていただいたサイトの写真も含めて。
http://www.elsesports.net/tvcmult/159917702.jpg
http://www.todociclismo.com/imgnoticias/Otxoaplata200904.jpg
http://servicios.diariovasco.com/pg040123/deportes/ciclismo/media/200401/23/054GENE23FOT1.jpg

■ 2004.09.23 (Thu)  ヴィランクはクイックステップの広報担当として働く?
ルモンド紙のスクープ記事から。
「2005年1月からR・ヴィランクはクイックステップの広報担当として働く予定。」と。今週金曜の記者会見はその発表だというのだ。ヴィランク引退説は今年の夏から浮上。というのも、クイックステップ、ロット、AG2R、ブイグ・テレコム(ブーランジェールの後釜)からオファーがあったのに、一切受けなかった。

「どういう風に人生の転換期を迎えるか考えないといけない。やりたいことがあるんだけど、着手すべきか悩んでいる。ただ、年齢的に、今が考え時だと思う。年を取ると決断しにくくなる。」ツールの後にヴィランクが語っていた言葉。

■ 2004.09.24.(Fri)  ハミルトン、サンプルBの結果は陰性と陽性。五輪の金メダルはOK
サンプルBの結果が出た。ヴエルタのサンプルBが陽性、五輪は陰性。五輪のサンプルBについては確固たる痕跡を示すには証拠不十分であり、陽性と断定するには至らなかった(non-conclusive)、との旨ICOが発表した。これで五輪のサンプルBは陰性となり、ICOの調査委員は解散する。

その後ICOから出たコメントによると、サンプルBは保存状況が悪く、細胞が既に一部破壊または劣化していたため、実質的に分析不能だった。

一方でフォナックは、見識家で構成されたチームを発足し、新検査方法の信頼性を独自で調査することを希望している。方式そのものを改めて見直し、検査結果の信頼性を調査したいとしているが、これにはUCIの了解が必要だ。これはハミルトンの潔白を示したいという意向だけでなく、新しい検査方法の今後の確立に資することを目的としている。

フォナックの声明によると、これらのことが全面解明される間、ハミルトンはチームからレース出場は当面禁止措置となるが、フォナックのチームメンバーとして在籍する。

■ 2004.09.24.(Fri)  ヴィランクの引退声明会見。選んだ場所は、シャンソンの殿堂オランピア劇場!
ジャラベールはツールドフランス02の真っ最中、自転車競技からの引退を公表した。そして、リシャール・ヴィランクが引退の花道に選んだ場所は、フランスのシャンソンの殿堂オランピア劇場(ロランピア)だった。(引退会見が入ってきたら、また続報をお伝えします。)下記はオランピア劇場が出ていたサイト。
http://www.vole.tv/dialy-paris2-2.htm

■ 2004.09.24.(Fri)  2005 移籍情報 一気に公開
最近ニュースが多くて、移籍情報を入れているとニュース記事が多くなりすぎるという問題があった。そこで、移籍ニュースだけを別ページにまとめて公開することに。下記のサイトで移籍関連のニュースに的を絞った内容のニュースが見られるようにしました。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/

今回移籍情報用に使用したのは、はてなダイヤリー形式。ここだとリンク網が発達していて、追加情報がリンクをたどって拾いやすいので。更に、infoseekが夜の時間帯は混雑してOpenしにくいので、ダウンした時などには、ニュースをこちらに移行する可能性も検討中。

ちなみに夜など混雑の時間帯に、トクダネやトップページで「サイトが見つかりませんでした」、というアラームが出た場合、更新ボタンを押していただくと簡単にOpenしたりするようですが。とりあえず、Infoseekでは容量増量を検討してくれているそうです。

■ 2004.09.24.(Fri)  速報:ヴィランク記者会見:いい時に幕を引く、これが僕の夢
シャンソンの殿堂オランピア劇場で行われたヴィランクの引退記者会見の様子速報。現地時間14:30、日本時間21:30。ソースAFPニュース。

ヴィランクの最後のレースは10月3日のシクロ・レース(シクロ・スポーティボの日)が最後のレースとなるという。そう、彼がヴェローナの世界選を辞退したわけがわかった。10月3日は世界選ロードの開催日。このシクロレースは自分の出身地ヴァール県でのレースだ。

「余分にまた一年続けるのが怖かった。いい時に幕を引く、これが僕の夢だった。」12回目のツールを走り終え、丁度いい時期だと思った。今年7月、ツールで7度目の山岳賞に輝き、バアモンテスとヴァンインプの記録を破った。7月14日パリ祭の国民の祝日には区間優勝した。これ以上最高の引き際はないだろう。

彼の両側には妻とクイックの監督ルフェーブル氏。まだ本当のお別れの日ではないが、ヴィランクは多くの人々に感謝の辞を告げた。ブレヨン氏、チームRMOの理事。91年彼がプロ入りしたときの恩師だ。そしてルフェーブル監督。フェスティナスキャンダルで出場停止になった後、01年にチームに招き入れてくれた。

プロ入り14年目。「フェスティナ・スキャンダルは僕に這い上がることの意味を教えてくれた。チャレンジはきつかった。でも、今日僕は這い上がってきたことを誇りに思う。新しい人生がこれから始まる。家族は僕と一緒にいる機会が増えるだろう。」

■ 2004.09.25.(Sat)  ハビエル・オチョア 金メダルに向け、まずは初日ロードで首位に
先日オチョアのインタビューでお伝えした通り、今年のパラインピックロードはロードレースとロードITTの組み合わせでメダルが決まる。オチョアは、ITTの方との組み合わせは自分にとって不利だと言っていたが、まずはとりあえず24日のロードでトップに立った。ライバルはピストで敗れた英国のダーレン・ケニー。35秒差で迫っている。

24日、男子個人ロードレース(カテゴリー:脳性麻痺CP3)に出場したJ・オチョア。行程36km。彼は何度も何度もアタックを仕掛けた。20日のトラック追い抜きで惜しくもケニーに破れ、金メダルを取れなかったリベンジだ。しかし、ケニーはオチョアを徹底的にマーク

そして、チャンスは最後の区間で訪れた。アタック成功。他のライバルをみんな置き去りにして単独でゴール。1時間1分1秒のタイムで優勝した。2位〜4位までは同タイムで、1時間1分36秒だった。最終的なメダルの色は月曜日のITT(10km)で決定する。

ちなみに彼の人生が映画化されたが(タイトルは「ファイナル・スプリント」)、この映画には彼がツール2000のオタカムステージで155kmを逃げ切って優勝してから、翌年の事故で苦しむまでが描かれているそうだ。

*ニュースソース:Marca、Yahooその他総合、パラリンピックロードの結果は下記。

http://www.athens2004.com/GamesResults/ParalympicFragments/CR/CRM135201_C73R_2_0_20040924_163025000.pdf

■ 2004.09.25 (Sat)  ついに朝日新聞にも。オチョアの記事
午前中電車の中で新聞を読んでいたら、なんとオチョアの記事。ついに朝日新聞にも大きいカラー写真入りで登場した。asahi.comに掲載されている。(asahi.comのほうはオチョワになっているが => 翌日見たら修正されていた。。)記事の内容は今朝お知らせしたような内容。「復活オチョア首位」。27日の結果に期待しよう。

http://www2.asahi.com/2004paralympics/others/TKY200409250181.html

■ 2004.09.25 (Sat)  ハミルトンの日記、今回は奥さんが投稿
9月24日付けのhttp://www.tylerhamilton.comを読んだ。タイラー・ハミルトンも整然とした文章を書く人だけど、奥さんのヘイヴンもそう。「タイラーの人生で、自分は今までいつも3番手だった。1番が自転車、2番が犬、そして3番目が私」。いかに彼の人生が自転車に捧げてきた人生だったかを中心に手記は展開する。そして最後まで戦うと。例によって長いので以下要点のみ。

(* プロとして成功する人はほんの一握り)
「今まで才能あるサイクリスト達と出会ったけれど、Div1までいけずに終わった人をたくさん見てきた。怪我に泣いたり、支援不足だったり、最適なチームでなかったり。上までのし上がるには、相当な情熱、自己犠牲、ツキ、弾みがないと難しい。」

(* 生活全てにおいて自転車優先にしなければトップレベルにはならない)
「食べるものも、食べ方も、住む場所も、休養の取り方も、外出ひとつにしても、友人との集まりにも、全てに気遣い、タイラーのトレーニングを優先された。プロ入りして、体重オーバーだ、トレーニング不足だ、食事が間違っている、真剣味が足りないなど、鍛錬を重ねたスキー選手時代に比べ、もっと厳しいことを言われ続けびっくりしたが、それに耐え抜いた。」

(* ハミルトンが今年のツールをリタイヤしたわけ)
「去年鎖骨骨折をしながら完走し、からだに無理強いをしたため、その年の夏と秋、その状態から回復するのが随分長引いた。だから今年はその教訓をもとに、自分のからだに過度の無理強いをしなかった。」

(* 愛犬の輸血で懲りているのに、こんなことをするわけがない)
「他人からの輸血は危険を伴う。今年飼い犬のタグボートが内出血をして血液を半分失った時に輸血すべきか相当悩んだ。感染の危険があるからだ。生命の危険にまで発展して、初めて輸血を決断した。2度目の輸血の影響ででタグボートは顔半分麻痺し二度と回復しなかった。こんなに輸血の危険の記憶が新しい今、タイラーがそんなばからしいことを考えるわけがない。」

(* 最後に)
「タイラーは今まで自転車に捧げた人生を送ってきた。それだけにこうした疑惑には、今背中を突き刺されるような思いでいる。銀行口座のお金が底をつくことになっても、我々はやるべきことをやる。説明すべきことは説明する。これから山あり谷ありだろう。でも、タイラーの名誉を晴らすために、私たちは決してくじけない。読んでくれてありがとう。」

■ 2004.09.26 (Sun)  CSCのバイク(サーベロP3)がパラリンピックで優勝
アテネパラリンピック自転車競技に出場した唯一のデンマークの選手が、CSCのバイクで金メダルを獲得した。カレン・ヤコブセン選手はアテネパラリンピック女子TTの種目で優勝。この時彼女が使用したバイクはCSCから借りたもの。A・ピズィクスが昨シーズン使用したTTバイク、サーベロ P3だったそうだ。

■ 2004.09.27 (Mon)  ヴエルタ終わったら世界選
ヴエルタが終わったと思ったら、もう今週から世界選開始。ロードITTは水曜日だ。(スケジュール:http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-calendar.html

ところで、昨今イタリアは世界選人選がらみでもめているらしい。レベッリンもシモーニもはずされて、2人がいろいろ発言している。中でもナショナルチーム監督のバッレリーニに対して、矛先が向いているようで、CNにも砂田さんの日記にも、お家騒動ぶりが書かれている。

要はバッレリーニが勝たせる選手をしっかり決めていて、それ以外のイタリア選手がフリーでいける余地がないようだ。事前に排除して人選しないか、或いはそれ以外の選手が実際レースの場で飛び出せば、それがイタリア選手といえども、他のイタリア選手を使ってつぶしにかかると。

イタリアの報道内容、多少の誇張報道はあるかもしれないが、いずれにしても、イタリアは、1国1選手主義が強いことは確かだ。例えばスペインの場合はナショナルチームの監督アンテケヤ氏はフレイレ、アスタルロア、バルベルデの誰かで勝とうという構想だ。

■ 2004.09.27 (Mon)  速報:ウルリッヒ世界選ITTレース断念
ヤン・ウルリッヒが胃腸のトラブルで、急遽水曜日にひかえた世界選出場を断念することになった。フライブルクの病院でこれから診察を受け、ロード出場が可能かどうかを確認する。

■ 2004.09.27 (Mon)  速報 ハビエル・オチョア金メダル!
先日行われたロードで首位にたち、メダルを射程圏内に収めたJオチョア。今日のITTでは やはり強豪英国のダーレン・ケニーに及ばなかったが、TTとロードの総合タイムでオチョアがケニーを上回った。僅か5秒の差で金メダルを手にした。オチョア、先日のロードで最後の最後に思い切りのいいアタックを成功させた。これが金メダルにつながった。諦めない気持ちの勝利だ。(アテネパラリンピックの公式HPのリザルトで知りました。)
http://www.athens2004.com/en/ParalympicResults/paralympics/results?rsc=CRM135M00&report=1&day=10

■ 2004.09.27 (Mon)  サンティアゴ・ペレスが世界選断念
「あの」サンティアゴ・ペレスが世界選ロード欠場を決めた。彼もまた胃腸のトラブルだ。彼の代理には、「あの」C・サバヤ。「あの」の意味は、詳しくは言いませんが。実は世界選の補欠No.1はロベルト・エラスだった。しかし諸々の事情を考慮し、ナショナルチーム監督のアンテケヤ氏はサバヤ出場を決定。

これでスペインのフルメンバーは、アスタルロア、フレイレ、グティエレス、マンセボ、オリヨ、バルベルデ、Eヒメネス、セラノ、ノサル、Lペレス、ルビエラ、サバヤで決定。

■ 2004.09.28 (Tue)  3大ツールはプロツアーを拒否
ジロ、ツール、ヴエルタの3大ツールがプロツアーのレースカレンダーに入ることを拒否している。数日前から噂はあったが、一部新聞で今日は断定的に書かれている。プロツアーは検討期間も少なく、実現に向けて急ぎすぎている感がある点などを指摘。3大ツールがプロツアーと別立てでレース開催となると、プロツアーライセンスのないランプレ、AG2R、ブイグテレコム(旧ブーランジェール)などもグランツールへの参加資格が出てくる。また、ケルメ、サエコもまだプロツアーライセンスが取れていないが、最悪取れない場合でも、自国のグランツール参加は確保できるだろう。

■ 2004.09.28 (Tue)  オチョアついに朝日新聞社説に登場
朝の通勤列車の中で発見。ハビエル・オチョアが社説に登場。記事内容には目新しいものはないものの、「障害を通して、生きることの意味を考え抜いた人のドラマは随所にあった」という文の次に彼のエピソードが登場する。

■ 2004.09.28 (Tue)  2005年と2007年世界選手権はスペイン
2007年のピストの世界選手権の場所が決定。マヨルカ島のパルマで行われるそうだ。(移動が大変そう。98年のヴエルタも中盤マヨルカ島で行われたが、移動の手配がめんどうで、前半ステージを見に行くことにしたのだった。)ご存知の通り、2005年のロード世界選手権はマドリッド開催だ。

■ 2004.09.29 (Wed)  世界選手権 ロードITT
本日のITTはウルリッヒが感染性の胃腸病で出場を断念し、ハミルトンが例の問題が片付くまでレースには出られないため、優勝候補2人を欠くレースとなった。距離は46.750km。この距離だとブラッドリー・マギーには不利。彼が表彰台に立つには距離が長すぎるだろう。今回エキモフが出場していない。

一方でカンチェッラーラ、ヴィノクロフ、リッヒ、ペシェルらが出場。ラストはマイケル・ロジャース。去年金メダルだったミラーがメダル剥奪でロジャースは繰り上がりで金メダルとなった。そのロジャース、今度は棚ボタでなく、本当の金メダルを取りたい、と語っている。

スペインのホセ・イヴァン・グティエレス:「もしメダルが取れなかったらがっかりするだろう。」五輪ITTでは直前にアテネで怪我をし、包帯が痛々しかった。怪我で走れる状態ではなかったが、完走した。

イシドロ・ノサル:「表彰台を狙っていく。もし狙えれば、優勝も。」
本日のスタートリストはこちら。
http://www.cyclingnews.com/road/2004/worlds04/?id=startlists/worlds045

■ 2004.09.29 (Wed)  世界選 ロードITT結果がでました。
http://www.geocities.jp/nacobikejp/world04

http://www.cyclingnews.com/road/2004//worlds04/?id=results/worlds045

■ 2004.09.30 (Thu)  ジロ・デ・イタリア2005は、なんとレッジーナの本拠地で開幕!
来年2005年のジロデイタリアは、イタリア半島南部のレッジョ・カラブリアで開幕するそうだ。そう、レッジョ・カラブリアは中村俊輔がプレーするレッジーナの本拠地。サッカーが好きな人には一石二鳥だろう。一応俊輔は2005年6月末までの3年契約で移籍しているので、この時期にはまだプレーしているはずだが。彼も沿道に応援に来るかも??

ジロのスタートは来年5月7日土曜日。来年はやや早いスタートなので、ゴールデンウィークの最後が辛うじて引っかかる。今のところ7日は、レッジョ・カラブリアがスタートとゴールのTT(或いはプロローグ)の予定。また、美味しいことに 翌日のステージのスタート地点もレッジョ・カラブリアの予定だ。

人様のHPを見てみると、なんでもレッジョ・カラブリアは俊輔だらけ!だそうだ。
http://members.at.infoseek.co.jp/taquai/s-gakkai/reggio/reggio.html

レッジョ・カラブリアまでのアクセスは下記に出ている。ローマからユーロスターで6時間半だとか。飛行機の便も4便あるらしい。
http://www.japanitalytravel.com/stadio/reggio/reggio.html

レッジーナのおかげで、レッジョ・カラブリア関連のニュースはかなりある。

■ 2004.09.30 (Thu)  アレハンドロ・バルベルデがサウニエルと契約間近という報道
リバティー、バレアレスが獲得を狙っていたバルベルデ。なんと最近になってバルベルデはサウニエルに急接近。契約間近と言われている。もし実現すれば、ヨセバ・ベロキとツートップでいくか、或いはベロキの調子が戻らなければチームのエースとなるだろう。

先日手にしたスペインの雑誌では、バルベルデとサウニエル関連の記事が断然目立っていた。バルベルデとサウニエルチーム(ペルディゲロやホアキン・R、ドミンゲス、ピエーポリなどなど)の国内での活躍ぶりを今更ながら感じた次第。両者が接近するのも頷ける。

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