mas ciclismo News
mas ciclismo
マス・シクリズモ (もっとCiclismo)
copyright(c)2004- (duration unlimited) mas ciclismo

今月のサイクルNews マイケル・ロジャース、ダミアーノ・クネゴ、アレハンドロ・バルベルデ な

 2003:ログ
  01 , 02 , 03 , 04 , 05 , 06
  07 , 08 , 09 , 10 , 11 , 12
 2004:ログ
  01 , 02 , 03 , 04 , 05 , 06
  07 , 08
ニュース最新版へ

2004年09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 

■ 2004.10.01 (Fri)  世界選ITT優勝マイケル・ロジャースインタビュー
ヴェローナのコースはアップダウンがあったので、普段ITTやピストで活躍してきた選手らが優勝候補から消えて行った。(ペタッキも、世界選には出ないよ。あのコースは僕にはタフだから。と以前言っていた。)

そんな中優勝を制したのはオーストラリアの若手ホープ、Mロジャース。彼の談話:
「ここのタフなコースが好き。僕は平坦コースではドイツ選手のような力を持ち合わせていない。でも、コースに登りが多少入れば、話は違ってくる。」

■ 2004.10.01 (Fri)  99年フレイレが世界選で優勝できたわけ?
99年、フレイレがヴェローナの世界選で優勝したが、あの時彼はヴェローナで、ある願掛けをした。ヴェローナにあるジュリエットの銅像の胸に触って優勝祈願したのだ。こうすると願いが叶うという言い伝えがあるらしい。そして今年もジュリエットの胸を触りに来たスペイン選手たち。なんとも嬉しそうな表情が思わず笑いを誘う。

写真は左からオリヨ、フレイレ、バルベルデ、JIグティエレス、ルビエラ。さて、このジュリエットマジックは、効果ありますかどうか?ロードは3日日曜日!

http://www.as.com/recorte.php?id=LCO&xref=20041001dasdaimas_4&type=Ies

ご存知のように、ヴェローナはシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台となった場所でゆかりの地。ロミオが愛を語ったバルコニーがあり、そこの下にジュリエットの銅像がある。バルコニーはとても小さくて、あれ?こんなん?とびっくりした記憶がある。ムードは満点だが。一説には、ジュリエット像の右胸を触った男性、右腕を触った女性に恋愛運がつくとかなんとか。レース運も上がるのか?

ただし、フレイレの場合はこの効果は抜群だった。まず最初にジュリエットの胸を触って願掛けをして、見事世界選優勝。1ヵ月後に恋人のラウラと再びここを訪れて2人の名前を書いた紙をキャピュレット家の壁に貼った。すると2人は結ばれるとかなんとかいう言い伝え(初耳だが)があるということで、言い伝えどおり、見事2人はその後結婚した。

ところで、ウルリッヒの体調不調、結局回復せず、RRも出場しないことが決定。

■ 2004.10.01 (Fri)  ジャパンカップの海外チーム・選手最終リスト
今日付けでリストが更新された模様。
http://www.japancup.gr.jp/02_news/news.html

あれ、ランプレのバルベーロ来ないんだ。ディフェンディングチャンピオン、残念。
でも久々にマルコ・ピノッティが来る。
あと、誰かさんのお友達、常連ベルタニョッリも。

■ 2004.10.01 (Fri)  もうひとつの世界選は、ほぼダントツで決まりか
世界選といえば、同時並行で開催中のミスコン「ミス世界選」の投票状況も気になる(??)。。というか、某マスコミ関係の某氏がしきりに注目しているようなので、現在の状況をお知らせします。目下18歳のエリーザ・プランドさんが全体の56.21%にあたる総数400,859票を獲得して目下ダントツのトップ。

セクシーショットで迫るバッソの妹は17.83%の得票で目下2位。これで選ばれたミス世界選優勝者は3日のRRのレース後の18:00から行われるレインボー・パーティーで表彰される。多分レインボージャージに輝いた選手とのツーショットとかが実現するのだろう。

http://www.mondiali2004.com/public/_cfm/page/page_580.cfm

■ 2004.10.01 (Fri)  レベッリン世界選出場ならず
結局アルゼンチンパスポート取得が間に合わず。ダヴィデ・レベッリンの世界選出場は無理らしい。一方でバッレリーニ監督は、「(もしイタリアとして出場するつもりだったら)レベッリンを今回の世界選出場メンバーに入れるつもりだったのに」とコメントしている。

■ 2004.10.02 (Sat)  ランプレとサエコが合併
プロツアー最後の1枠にはランプレとサエコの合併チームが入りそうだ。この合併のニュースは両チーム関係者のトップの間で既に合意された。チーム・ロースター(登録選手)は、両方のチームの上位選手がミックスすることになる。ダミアーノ・クーネゴ、ジルベルト・シモーニ、イゴール・アスタルロア。。。アスタルロアはサエコを出てコフィディスに行き、ランプレに行ってサエコがらみのチームに戻る感じ。チームの名前は未定。

■ 2004.10.02 (Sat)  ヴィノクロフ肩の骨折から見事復活
6月TDSのクラッシュで、今シーズン復帰は無理と思われたヴィノクロフ。しかし、チームの密接な連携プレイの甲斐あって五輪ITTで6位、世界選ITTでは表彰台をものにした。以下Tモバイル公式HPから前半を全文訳。

* 遡ること今年の6月、アレクサンダー・ヴィノクロフは2004年シーズンを棒に振った。ツール・ド・スイスでクラッシュし肩を骨折。彼は意気消沈した。「ツール・ド・フランスも、オリンピックももうだめだ、そう思った」とヴィノクロフは振り返る。

しかし、実際は少々異なる計画が練られた。チームドクターのC・テメ氏はすぐさまヴィノを手術台へ。クラッシュから2週間後、ヴィノクロフは既にジムに復帰していた。そして、カザフスタンのチームドクター、L・ハインリッヒ氏と密に連携し、基本的な健康レベル増強を図った。「五輪で6位というのはすごいことだ。嬉しい驚きだった。」とTモバイルのヴィノクロフはアテネでこう熱心に語った(*1)。

(*1:"enthused the magenta-rider in Athens." 部分の訳です。magenta-rider=赤紫の選手。つまり、別に赤ら顔の選手とかいう意味ではなく、濃い紫系ピンクの(Tモバイルジャージを着た)選手=ここではTモバイルの選手ヴィノ。)

人好きのするカザフスタンのライダーヴィノにとってアテネの順位が驚きだったのであれば、世界選TTでのメダルというのはもっと驚きだったことだろう。「当時もし誰かが僕に、<君は世界選手権で表彰台が飾れるよ>、と言ったとしたら、<きっと僕のことをからかっているな>、と思っただろう。」

しかし、日曜のRRのメダルの可能性については限度があると思っている。「イタリア、スペイン、オランダ、ドイツといったトップチームはランキングの関係で12人もの選手を送り込んでいる。カザフのランキングでは5人しか選手を送り込めない。だから僕らのメダルのチャンスは低くならざるをえない。でも、このレースでは全力を尽くすよ。」

http://www.t-mobile-team.com/cms/tmoteam/en/templateId=renderInternalPage/contentID=40284/id=9158.html 記事原文

なお、下記はヴェローナで家族とスリーショット、ベッティーニ。
http://www.gazzetta.it/Foto%20Hermes/2004/09-Settembre/30/LA_FOTO_ciclo.jpg

■ 2004.10.02 (Sat)  プロツアーはまだ喧々諤々:チーム数20に増やす?増やさない?
予定では18チームでスタートするはずだったプロツアー。そうなれば、残りは1枠の予定だった。しかし最近になって、2枠増やして20にする案が浮上。本来は、05年に18チームで開始し、06年に20チームという構想だったのだが。その代わりに1チームの定員数下限を引き下げる可能性も。

もし残り3枠ということになれば、1枠はおそらく例のサエコとランプレの合併チームだろう。更に、ブーランジェールの後釜ブイグテレコム、そしてAG2Rの線が有力。

■ 2004.10.03 (Sun)  ツァベル&アルダグの災難。ヴェローナ行きのフライトがキャンセル。急遽レンタカーで460km。自分達で運転して到着は夜中の3:00。ツァベル、コンディショニングは大丈夫?
今日はいよいよ世界選手権ロードの開催日。ツァベル、大事なレース前に苦労したようだ。

* それは実にきっちり計画されていた。Tモバイルのエリック・ツァベルとロルフ・アルダグはミュンヘン経由ドルムントから世界選手権会場のヴェローナに飛ぶ予定だった。しかし、2人にとって最初の不都合はドルムントで既に始まった。

「ミュンヘンからヴェローナ行きのフライトは満員です。あなた方は、次のフライトに予約が入っています。」ツァベルとアルダグはそう告げられた。ミュンヘン空港で2人はチームメートのステファン・シュレックとクリスティアン・ヴェルナーと合流。彼らもヴェローナ行きは同じフライトだった。

空港バスが飛行機に横づけされ、彼らのヴェローナ行きは間近と思われた。ところが、悪いニュース。メカ故障で搭乗とならない。「飛行機は30分後に搭乗となります。」と最初のアナウンス。しかし4時間後になっても搭乗は始まらない。23:00になっていた。

もっと悪いニュースが入る。ヴェローナ行きのフライトはキャンセルになったというアナウンス。ベテランのスプリンターのE・ツァベルにとって、プランBを選択する時が来た。「レンタカーを借りよう。」C・ヴェルナーとS・シュレックは後部座席へ。ツァベルとアルダグが交代で運転した。「こういう仕事はベテランの仕事。エリックが300km運転、僕が160km。」とロルフ・アルダグが説明した。

4人がヴェローナのホテルにやっとたどり着いたのは夜中の3時。9:30までには、彼らは起床してバイクに乗っていた。150kmのトレーニングがプログラムに組まれていたのだ。3時のおやつをお腹に押し込んでいる最中、アルダグたちは目が閉じそうになるのを必死でこらえていたのも無理はない。(以上 9/30 テレコムHP下記記事全文)
http://www.t-mobile-team.com/cms/tmoteam/en/templateId=renderInternalPage/contentID=40238/id=9158.html

■ 2004.10.03 (Sun)  本日のニュース・ブリーフィング
ウルリッヒが五輪の敗因を語った。:「調整のために走ったHEWクラシックと。。。」 / ゲロルシュタイナーがウィリエールと決別。2005年のバイクは。。。 / プロツアーのレースカレンダーが。。
(ニュースを詳しく読む :http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20041003

■ 2004.10.04 (Mon)  フレイレ、3度目の世界選手権優勝:バルベルデの強力なアシストのおかげ + 最高に嬉しい訳4つ
レース後フレイレのコメント:「バルベルデは偉大な選手であり、素晴らしい仲間だ。あの状況で、彼自身スプリントで勝てる可能性があった。でも彼にとって自分自身の優勝は念頭になく、僕がスプリントできるようにお膳立てをしてくれた。そしてそれは完璧だった。この優勝は本当に彼のおかげだ。」

「最初の世界選手権では期待しない勝利だったので、一番嬉しかった。一方で、今回の勝利は2度目のリスボンでの優勝より嬉しい。というのも、この思い出の地ヴェローナで勝てたから。そして、これで僕にとり3度目の優勝だから。そして、この世界選手権3勝を遂げた選手は僕の前には3人しかいないのだから。そして、五輪で不運な目にあった後だから。」

彼が言う3人とは、アルフレド・ビンダ(27-30-32)、リック・ファンステーンベルヘン(1949-56-57)、エディー・メルクス(1967-71-74)。そして、フレイレも歴史上4人目の選手として、3勝記録達成者となった。

■ 2004.10.04 (Mon)  日本の会社がCSCのスポンサーをするってホント?
CSCの監督リースが、第二のスポンサーを探しているのは周知の事実。ところが最近になって、彼が交渉しているスポンサーの候補会社が日本の企業らしいというのだ。今デンマークでは、こんな噂が広まっている。更に、英国のProcyling誌にも、既にそういった主旨の記事が出ている。

??一体どこの企業?もしも読者の方の中に自分の企業じゃないかと心当たりがある人、或いは社長室に近い部署にいてこの交渉のいきさつを知っている人がいたらメール下さい(って冗談ですが。)

現在、海外プロ自転車チームのスポンサーをしている日本企業がないわけではない。(ランドバウクレジット)
http://www.landbouwkrediet-colnago.be/teamlc.php?page=home&id_news=416

でも、CSCへの出資で、更に第二スポンサーとなると、規模も結構なものになるはず。プロツアーになったら、出費額もそれなりだろう。

一部北米のサイクルファンの間では、トヨタが有力視されている。スバルがランスと提携しているから、車会社の線ってあり得るじゃない?というのだ。でも、トヨタはF1と柔道で十分 なのでは?
日本企業とリースの交渉が順調である旨報じているProcyclingのサイトは下記。

http://www.procycling.com/news.aspx?ID=578
「After months of searching Bjarne Riis finally seems to have found a co-sponsor for his CSC team. According to procycling sources, a Japanese company is ready to step in and ease the financial problems.」

■ 2004.10.04 (Mon)  本日のニュース・ブリーフィング
* ベッティーニは世界選手権最中チームカーに膝をぶつけて、結局リタイヤ../ *バルベルデ / * Tモバイル MTBチームは .. / * 世界選手権05年は..
(ニュースを詳しく読む: http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20041004

■ 2004.10.05 (Tue)  ランス・アームストロングが最新映画に出演していた話。共演者談話:「演技では、ランスにイエロージャージをあげるわけにはいかないな。」
今年ヴエルタ観戦に行った人が、帰りの機内でランス出演の映画を見たそうです。ヴエルタ+ランスの映画、二度おいしい観戦旅行だった?映画を見た時は、ランスに似た人が出ているな?と思ったそうですが、実は本人だったと。

映画のタイトルは「ドッジボール:Dodgeball: A True Underdog Story」(2004)
http://www.imdb.com/title/tt0364725/quotes

映画の中で、ランスはランス・アームストロング本人役で出演。台詞内容からして、今年のツール以前にシューティングがあった模様。ランスの台詞はこんな感じ:

主人公のピーターがチームを辞めることを決意した時に、ランスはこう言った。
「チームを辞めるのか?僕も脳・肺・こう丸に同時に癌ができていると診断された時は、やめることを考えたよ。でも友人や家族の愛と支えで僕はまたバイクに戻り、そしてTDFで5連勝することができたんだ。」
http://www.imdb.com/title/tt0364725/fullcredits

更に、主演のベン・スティラーはランスの演技について、こう評価した。「演技に関しては、まだまだ今の時点で彼にイエロージャージをあげるわけにはいかないね。」

■ 2004.10.05 (Tue)  30歳でプロ入りしたあの人
TモバイルのHPの魅力のひとつはスポークスマンを務めているオラフ・ルドヴィッヒのコラム。チームスタッフである彼がファンに向けて丁寧なコメントを書いていて、ファン思いのサイトである印象を深める。彼は東独出身の元自転車選手。90年ツールでグリーンジャージを取った。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-tour-history.html#1

90年にプロ入りして96年までに50勝。90年にはツールでグリーンジャージ。アマ時代の88年には五輪RR金メダル。最初パナソニック入りし、93年にテレコムに来た。ランスが優勝したオスロの世界選手権では銅メダル。

とはいえ彼のプロ生活は6年間だけ。なにしろデビューが30歳の時だった。ベルリンの壁が崩れたのが彼が29歳の時。その後やっとプロ入り。現在Tモバイルのスポークスマンになって4年目。彼の電話は朝7時に鳴り始める。ジャーナリストからのリクエストなどだ。レースがあれば補給地点で選手を待つ。レースが終わればジャーナリストの相手。

そんな彼が昨日もコラムを書いている。もちろんツァベルの世界選手権2位のことについて。印象的だった部分を抽出:

「ヴェローナの地にドイツの選手の力が結集した。金メダル2つ、銀メダル3つ、銅メダル1つというのがそれを物語っている。(金:女子RR、男子JR TT、銀:男子RRとTT、女子TT、銅:男子JR TT)。

ドイツは男子RRでチーム力を見せた。ホンドが引き、ツァベルがスプリントを放った。しかし、奇妙な運命のいたずら。フレイレが最後に彼を打ち負かす。ツァベルはまたしても2位。今年3月のミラノ〜サンレモに始まった2位のオンパレード。あれ以来、ツァベルはMr.安定感ぶりを誇示し、絶対にあきらめない人ということを実証している。サイクルファンはみんなこの点で、彼を尊敬するだろう!」

2位を積み重ねても表彰台でふてくされずに、にこにこ笑顔を浮かべるツァベル。こうした前向きの姿勢が共感を呼び、更にチームスタッフのこうした信頼感にもつながっているのかもしれない。

■ 2004.10.06 (Wed)  ヴィランクの引退レース生ビデオ発見。お別れレースに駆けつけたのはなんとアラン・プロスト。 + そして、オチョア五輪生ビデオも。画像はすごく綺麗です。
ちょっとしたスクープです。フランス2でヴィランク引退レースの模様を放送したという話を聞いて、公式サイトに飛んできました。遂に見つけました。Webで見られる引退レースのビデオ。ヴィランクファンには、きっとたまらない すがすがしいビデオです。更に彼のラスト・レースはアラン・プロストが駆けつけ、プロストのインタビューまで登場。

それだけでなく、フランス2の別のビデオにはなんとハビエル・オチョアのオタカム、02年の初レースの模様、五輪のレース、表彰台が綺麗な画像で見られるではありませんか。また、ジェローム・ピノーのビデオには、モンカッサンが登場。

このフランス2のサイトのビデオは、どんどん新しくなって古いものから順に消えていくので、数日中のうちに見ないと消えてしまいます。見るなら皆さんお早めに!ブロードバンドでないためビデオが見られない人のために、ちょっぴり抜粋。

ヴィランク最後のレースのWeb動画
クイックのデュフォーらの選手と、水玉ジャージに身を包んだ一般市民がレースに押し寄せた。「リシャールは偉大なチャンピオンだ。この場に立ち会えて嬉しいよ。」とおじさんが感嘆すれば、水玉のおばちゃんは、「彼は夏の匂い。斬新的だった。」

別のおじさんが言う。「彼は逆境でも勇気を持てることを示した模範生。僕は彼のしてきたことが好き。彼の性格が好きさ。」

おっと、これはただのおじさんではない。かの元F1ドライバー、アラン・プロストではないか。彼の自転車好きは知られているが、ヴィランクが好きで彼の引退レースに駆けつけていた。

これはのんびりしたシクロ・トゥーリズムのレース。レースの途中で食べ物やドリンクの乗った棚の前で立ち止まるヴィランク。こうして、立ち止まったり、待ったり、また出発したり。一味違うレースを堪能している様を語る。

最後にヴィランク。「激励ありがとう。次は外の道で走っているかもしれない。また会おう。」と爽やかに。これだけ偉大な選手が、世界選を棄権して、こうしたファンに囲まれた庶民的な市民レースで最後を迎えたことにびっくり。派手さは一切ない。でも、こんなささやかなレースで最後を迎えたなんて、とても素敵だ。

フランス2の生ビデオが見られるのはこちらのURL。
http://toutlesport.france3.fr/

■ 2004.10.07 (Thu)  ツァベル、梯子から落ちて。。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20041007

■ 2004.10.07 (Thu)  ヴィランクファンとパンターニファンの人へ
昨日、お知らせしたヴィランクとファンとの心温まるお別れレースにほのぼのしたが、彼は一時フェスティナスキャンダルの時、相当苦しんだ。あの事件の結審がついて、ヴィランクが公の場に初めて姿を現した時の新聞記事の訳を、このたびニュース・スクラップのページに復刻しました。

ヴィランクの奥さんは、「彼は自殺してもおかしくないぐらい追い詰められていた」と語り、ヴィランクも、苦しかった時を振り返ってコメントしている。更に、自分の父が、退職まであと3年あったのに会社から解雇されたのは、自分のせいだっただろう、とも語っていて、辛かっただろう時期がしのばれる。あの時の苦しいインタビューを改めて読んでみて、あそこからよく這い上がれたなと思う。彼は選手生命の終わりを、とてもいい形で終えられた。彼も時々語っていたように、あれがあったからこそ今の彼があるというのも事実だろう。

それからパンターニの記事。01年にル・フィガロ紙に掲載されたもの。彼がもちろん亡くなる前だ。ツールに出場できなかったパンターニを、サラリーマンであるフィガロ紙の筆者が嘆いている記事。内容は:

僕らは毎日アスファルトに囲まれて、無味乾燥な日々を送っている。ユーロディズニーに行くのに、コツコツ生活を切り詰めるような毎日さ。マルコはそんな僕らに、力をくれるんだ。人は重力にさからってコバルトブルーの空にはばたけるってことを、君は教えてくれたんだ。帰っておいでよパンターニ。君のいないツールなんて。。。

詳細は下記:
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-scrap.html

■ 2004.10.07 (Thu)  オチョアの動画
昨日ご紹介したハビエル・オチョアのビデオ、見れない人のために少々内容を。これは、彼が初めて五輪でメダルを取ったピストの時のもの。ケニー・ダーレンに次いで2位でゴールしたシーンが写る。

そしてオタカムのガッツポーズの後、救急車。ナレーションが事故の様子を簡単に語る。リカルドがケルメ移籍前、オンセにいた時の写真が映し出される。オンセのジャージのリカルドとケルメのジャージのハビエルが並んでいる。次はリハビリの最中。車椅子で彼女ベリとのツーショット。

そして、02年11月、プロサイクリストのレースでゆっくりと走るオチョアの姿。バレンシアのレースで、控え室にはカセロとオラーノが激励に姿を見せている。そしてオチョアの今のビデオが写る。しっかりした口調だ。「リカルドが天から僕らのことを見ていると思うんだ。そして、お前の目標はもっと上達することだぞ、と僕に語りかけている。お前ならきっともっと上達できるって。」

そして、五輪の表彰台。オチョアの首に銀メダルが掛けられた。

■ 2004.10.07 (Thu)  ツァベルの2位 とクレーデンの辛らつコメント
ツァベルは2位を相当積み重ねているけど、よく考えれば、特に印象的な2回のケースについては、両方ともフレイレに負けているんだった。今年のミラノ〜サンレモでも、今年の世界選手権でも。もっとも、今回の敗因はガッツポーズが早すぎたわけじゃないけど。

ところで、クレーデンが先日ドイツのTVで、「ツァベルは来年のツールのメンバーには入らないだろう」と、結構横柄な態度でしゃべったという噂。この発言の裏には、勝てないツァベルのアシストに人を取られるのはもう嫌。その分、総合優勝できる選手にアシストをまわせ、という意味が込められていたらしい。

もちろんツァベルはこれを聞いて いい気分はしない。「クレーデンはツールで2位になって(あれ?このチーム、2位に縁がある。。)急に偉くなったのだろう」とコメントした。

もちろんチームマネージャーのオラフ・ルードヴィッヒも、クレーデンのコメントにはいい気持ちがしていない。傷口がこれ以上広がる前に、両者を徹底的に話し合わせるつもりだ。

■ 2004.10.08 (Fri)  ツールのルート発表は!!
ツール・ド・フランス2005のルート発表は10月28日(木)、パリにて行われます。

■ 2004.10.08 (Fri)  ツール・ド・フランスでタバコをくわえながら走った選手
tour.jpg 476×305 28Kすごい写真を見つけた。ツール・ド・フランス100年史の図鑑の中に、タバコを吸いながらツールを走った選手がいた。1927年のこと。ベルギーのグスタフ・ファン・スレンブルックという選手。写真は第20ステージ、ストラスブールまでの区間。結果は最後にチームメート2人に抜かれて3位だったらしい。タバコのせいで息が続かなかった?写真を見てみると、当時はボトルケージがハンドルのところにあったらしい。

今参照しているのは、Marguerite Lazell社から出ているTour de Franceという本。写真は全てレキップのコピーライトだから見ごたえあり。30x23cmの大きめのハードカバーの本で、「ツール百話」をより写真集的にした感じ。

今年5月にオックスフォードのウェストゲート・ショッピング・センター内の安売り本屋で発見。とても重い本だし、既に「ツール百話」を持っているから買うつもりはなかったのだが、本屋に入った途端、まるで「買って」と哀願しているかのように目に飛び込んできた。しかも20ポンドがディスカウントで14ポンド。(イギリスはこのままずっとユーロ通貨に加入しないつもりか?)思わず購入。出張にはスーツケースは持たず、キャスター付キャリアバッグのみだったので、仕事の資料は全部郵送に回して、この本を持ち帰った。

Wastegate Shopping Centre内の本屋はとにかく本が安い。http://www.oxfordcity.co.uk/shops/westgate/

■ 2004.10.09 (Sat)  プロツアー05の新ルールは10月中に公布...予定...
UCIのプロツアーが迷走している。チームは暫定決定分も含め20チームということで決まったが、それ以上のアナウンスはできない状態。新ルールの決定も「10月中」ということで、日にち公表はできず。反発の声が高まっているが、とにかくUCIは絶対に改革を推し進めるつもりだ。

最近追加となったブイグテレコム、デナルディ+ドミナ、ランプレ+サエコの3チームは今後 銀行保証・選手の契約書・監査法人アーンスト アンド ヤングの認定書が揃った段階で、正式加入となる。(蛇足ながら、プロツアーの認定はアーンスト アンド ヤングが一手に引き受けているらしい。)

ボーダーラインで落ちたAG2Rのラヴニュ監督は怒りを抑えきれない。政治的な<見えない手>の圧力(実際には「鉄の手:une main de fer」と言っていた。)により、プロツアー入りを阻止されたと。チーム設立13年。7年間で275勝。トレーニングセンターを所有し、フランスに国税も払っている。

気になるのは、彼らがツールに出られるかどうか。3大ツールはプロツアーに加盟しないと発表しているが、スペインの新聞ASは、ツールの参加チームはいずれにしてもプロツアーの20チーム+2チームのワイルドカードになるだろうと論説で述べている。ツールの最大選手参加数は200人。9人x22チームがMaxだ。ASの論説委員グティエレス氏は、プロツアーが18チームから20チームになったため、ワイルドカードも4チームから2チームになるとコメントしている。

ワイルドカード方式がこのまま存続すれば、AG2Rはツールがプロツアー入りしようがしまいが、ツールに出場できるだろう。では何が違うか。ツールがプロツアー扱いされれば、ツールでどんなに頑張っても、ワイルドカードで出場した非プロツアーチームはポイントが取れない。しかし、ツールがプロツアーからはずれればそこで稼いだポイントはUCIポイントとして加算される公算が強く、モチベーションに影響が及ぶ。

もっともラヴニュ監督にとっては、ツールだけが問題なのではない。プロツアー入りできなければ、他のメジャーレースに出る可能性がぐっと削られる。プロツアーのメジャーレースにたまに出られたとしても、招待チーム扱いだ。

いずれにしても、10月のルール公布まではなにかと流動的。唯一見えてきたのは、チームは20チームで、上掲の3チームの他に下記が内定しているということ。

ラボバンク、リバティー、バレアレス、フォナック、USP、クイックステップ、コフィディス、FDJ、CA、Tモバイル、ゲロルシュタイナー、CSC、サウニエル、ダビタモン・ロット、エウスカルテル、リクイガス、ファッサ(認定順)

■ 2004.10.10 (Sun)  去年来日したあの人がTモバイルに移籍
PA260968.jpg 309×276 24K去年ビアンキチームでプラサらとともにJCUPのため来日したスペイン人のフランシスコ・ホセ・ララ(27歳)。来年からTモバイルに移籍が決定。今年はアルメリア・パテルニナで走りヴエルタでも活躍。

Tモバイルは2年前にいちどきに入れた国外選手(オーストラリアのエヴァンス、コロンビアのボテロ、イタリアのサヴォルデッリ、ベルギーのアールツ)を来年は一気に放出。代わりに現フォナックのオスカル・セビーヤと契約したばかり。ララはTMOBで2人目のスペイン人となる。

ボテロは来年からフォナックへ。同郷のペーニャもジョインするからハッピーだろう。監督はケルメ時代のピノ監督だし。彼はTモバイルには馴染んでいなかった感じだ。アールツとエヴァンスはダビタモン・ロット、サヴォルデッリはディスカバリーへ。

■ 2004.10.11 (Mon)  最近のニュース・ブリーフィングから + パリ〜ツール
10/8,9 シメオーニvs ランスの報道って一体どういうこと?
10/10 バレアレス、バルベルデ獲得交渉決裂の場合は、なんと契約解除の違約金一億円を払ってあの人を獲得する!
10/11 エウスカルテルが、アスレティック・ビルバオに援助依頼。といっても資金援助でなく、インドゥラインを育てたトレーナーにトレーニング・メソッドを。。

http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/

そして注目のワールドカップシリーズ パリ〜ツール。すごいハラハラのレースだったものの、優勝したデッケルには、それなりに確信と鋭い読みがあった。多分この分だと、来年も同じ読みで同じ戦略を取る選手が増えそう。再び、こんな面白い展開が期待できるかも。(詳細はRace Newsにて)

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html

■ 2004.10.11 (Mon)  ツアー・オブ・ホープがゴール!
9月1日、ロサンジェルスを出発したツアー・オブ・ホープが9日ワシントンDCに到着。これをもってレースが終了した。今年ランスのサイトなどあちこちで参加者募集が呼びかけられたこのレース。最終的に癌治療従事者など20人が選ばれてアメリカを10日間かけて横断。最終日にDCに駆けつけた人からの報告によると、ゴール地点はDCのホワイトハウスの南にある広場だったそうです。ルートは下記。10日間のレースレポートもある。
http://www.tourofhope.org/ride/2004_national_route/index.htm

アームストロングが関わっているこのレースであげられた収益金は、アームストロング基金を通じて今後癌研究など、癌撲滅研究の発展に資する目的で使われる。また医療関係の会社ブリストル・マイヤーズ スクイブがレースのサポートをしている。レースの途中で癌センターに行き、患者を励ましたりもしている。

上掲の人の話によると、最終日の事前レースではUSPの選手らと共に約30マイル走る企画もあったそうだ。しかし参加費最低額は500ドル(6万円弱!)だったとか。(とはいえランスだけは最初の10マイルしか走らなかったということです。)

ちなみに、慈善レースとは別に、アメリカ横断するために選ばれた20人の人たちは、いずれもずぶの素人。写真の中にアジア系と見られる男性がいて調べたら、テキサス出身の放射線腫瘍の専門医、テッド・ヤンさん。12歳の時に祖父が癌で亡くなった。「癌治療に貢献するような人になってくれたらとてもお前のことを誇りに思うよ」という祖父の生前の言葉に触発されて、癌治療専門医となる意志を貫いたという。

ヤンさんは、より多くの人に癌のことを知ってもらいたいと思って参加した。この20人の人たちは、選出された後、クリス・カーマイケルにより走るためのトレーニングを受けたという。

■ 2004.10.12 (Tue)  スポーツマンのカラダ
ヴエルタ終了後、優勝者エラスのデータを新聞記事の中に発見。ランスのデータをあちこちの資料で調べて2人を比較してみた。やはりこういう一流レースで優勝するような人は もともとの出来が違う。


ランス・アームストロング
...
ロベルト・エラス

<注 記>
最大心拍数
201 bpm
...
202 bpm
ランスの安静時心拍数は32-34 bpm
VO2-max(最大酸素摂取量)
83.8ml
...
82ml
G・レモンは92mlだったとか!
無酸素性閾値
178 bpm

182 bpm
血中乳酸が急増し始めるポイント
* ちなみに、ランスの体脂肪は3〜4%。更に1時間のTTで心拍数 175 bpmを維持できる。

■ 2004.10.12 (Tue)  世界選直後に書かれたベッティーニのDiary:「リタイヤ直前の3周は片足で漕いだ」「僕の怪我に乗じてアタックする選手がいなかったのが満足」
CNに日記を寄稿しているベッティーニ。(本人のWebサイトの日記の中から時折CNに掲載されているようだが。)今回世界選でリタイヤするとは、夢にも思っていなかったと告白している。10月4日の日記から。

「世界選翌日の月曜日。何か書くつもりではいたものの、まさかドロップアウトした様子を書く事になろうとは。多分優勝報告とか、タフな戦いだったこととか、或いは表彰台に上れたことなんかを書くんじゃないかと思ってた。でも、リタイヤを余儀なくされたことを書くことになるとは思ってもみなかった。

僕は自転車レースを熟知していると思っているし、今までの自転車人生の中でギブアップしたことは滅多になかった。でも今回は、別の展開に持ち込むことはどう転んでもできなかった。僕の膝は相当痛んだ。ペダルを漕ぐたび、右足に稲妻が走るようだった。実質3周ぐらいはヴェローナの町を片足だけでこいで周る結果になった。

それでもどうにか食らいついていこうとしたんだ。自分自身に言い聞かせた。あと数ラップもすれば痛みはなくなるさって。でも、無駄だった。だからチームテントのところで立ち止まった。いいかい、僕は怒りで煮えくり返る思いだったんだ。これ(膝の問題)以外は、すごくいい調子だったのに。表彰台に上がった選手たちみ水を差すつもりはないけど、でも僕にとって黄金のチャンスが煙の如く消え去った、そんな気分だった。」

そしてファンへのお礼と、団結していたプロトンへのお礼の言葉。彼のこんな状況に乗じてアタックする選手はいなかった、それが自分にとって嬉しかったと。また、多くの選手が、自分の状況を気にして駆け寄ってきてくれたと。
http://www.cyclingnews.com/riders/2004/diaries/paolo/?id=paolo0419

■ 2004.10.14 (Thu)  血を流して床の上に倒れるベロキを展示する美術館
出張中なので、今朝はとりあえず短くて軽いニュースを。

スペインの雑誌に、血を流しながら床の上に倒れるベロキの写真があって、びっくり。よく見たら、ここは美術館。そして、どうやらベロキの蝋人形のようだ。ツール03で落車して大怪我したヨセバ・ベロキをそのまま蝋人形にしたらしい。部屋の中央に、とても痛そうなベロキが横たわっている。両膝からは血がなれ、顔をしかめている。ウエアはオンセのウエア、ヘルメット、グローブ、バイクシューズにいたるまで、実物通り。場所はシドニーのコンテンポラリーアート美術館。もしかしたら期間限定の特別展かもしれないが、シドニーに行く機会があったら要チェックかも。

■ 2004.10.14 (Thu)  Tモバイル幹部人事
先日記事の中で触れたオラフ・ルードヴィッヒ。元選手で現Tモバイルのスポークスマンだが、彼が来年度はチームマネージャーとして幹部入りすることが決定した。現マネージャーのW・ホデフロート氏は、本人の希望により2005年末に幹部の職を退く。来年1年で、ルードヴィッヒに引き継ぎを行っていくのだろうか。

また、目を引くのがR・ペフェナヘ氏の復帰。彼はヤン・ウルリッヒがコーストに移籍する時に、突然テレコムからコーストに移り、テレコム幹部を唖然とさせた。ウルリッヒがテレコムに復帰してからは、パーソナルトレーナーとしてヤンと関わりながら、チームともコラボレートしてきた。このほど正式にチーム入りするか、或いはチームから半分公認として認められることになりそうだ。

今までも、ツール・ド・フランス以外は、全てのウルリッヒのタイムトライアルにおいて、チームカーからサポートしてきたペフェナヘ氏。今後は公の場に出ることも増えそうだ。テレコムを突然辞任した時は周囲から随分反感を買ったものの、ウルリッヒの希望で、彼の地位が少し安定したものになる見込みだ。ウルリッヒにとっては相性のいいアドバイザーということらしい。

■ 2004.10.14 (Thu)  ウルリッヒのTモバイルの携帯電話回線が使用不能に。理由は料金未払い。
通信会社Tモバイルの携帯を使っているウルリッヒ。彼の携帯が、ある日突然使用不可になった。彼の携帯に電話をかけても、「この番号は現在使われておりません」という女性の声。理由は電話代が未払いになっていたため。Tモバイル、自分の会社の自転車チームに所属する選手の電話代すら大目に見ない。相手がかのウルリッヒであろうと関係ない。未払いは未払い、誰の電話であろうと払われないものは止めるのだ。これぞゲルマン魂。

しかしウルリッヒには気の毒な話。というのも、彼やチームメートののTモバイルの携帯電話料金は、Tモバイルによって一括払われることになっていた。しかし、ウルリッヒの請求書だけが何故か紛失し、未払いに。結果として、、、料金未払いのため、Tモバイルは、ウルリッヒの携帯電話の回線を使用不可にしたというわけ。規則を曲げないドイツっぽいニュース。

(ニュース:ビルト紙より http://www.bild.t-online.de/BTO/index.html

■ 2004.10.15 (Fri)  10月23、24日 パリ〜ロンドン レースのご案内
ツールを主催するASOが粋なレースを開催する。パリ〜ロンドンレース。仏・英親和100年となる今年、それを記念した行事らしい。コミュニケには「100年記念」とありながら、仏・英親和の年度が1804年となっている。でもこれ1904年の間違いだろう。1904年4月8日、植民地を巡って対立し続けてきたフランスと英国が英仏協商を締結した。それから今年は丁度100年にあたる。

日程は第1ステージが10月23日、第2ステージが23日。エッフェル塔を出発し(といってもリアル・スタートのポイントはそこから70km行った所になる)、カレー港を目指す。翌24日はフェリーでドーバー海峡を渡る。そこからロンドンを目指し、ゴールはロンドン塔。エッフェル塔で始まりロンドン塔で終わる、洒落たレースだ。

参加するサイクリストは300人。フランス人150人、英国人150人。走行距離は、フランス側で148km、英国側で148mジャスト。英仏協商の調印日が4月8日なので、148kmなのだろう。両国の親和100年記念とはいえ、本レースの究極的な目的は癌撲滅運動となる予定。この辺もランスの影響か。両国大使や外務省も巻き込んでのレースとなる。

レース時刻表は下記。こちらに遊びに来てくれているロンドン在住の人、ツアー・オブ・ブリテンに続き、市内での路上観戦が再び楽しめそう。コミュニケは下記:
http://www.letour.fr/2004/docs/cp_04_10_05_fr.doc

■ 2004.10.15 (Fri)  リーク情報?
来年のツールのコースがぼちぼち噂される頃。TモバイルHPによると、ドイツのカールスルーエとプフォルツハイムがコースに入るというリーク情報があるらしい。カールスルーエは実はわけあってずっと行ってみたいと思っていた場所。一方のプフォルツハイムという街は今まで知らなかった。フライブルグとシュツッツガルトは落選らしい。

いずれにしても10月28日まで待てばコース全容がわかるわけだが、毎年恒例リーク情報が出て、80%ぐらいは結構当たっていたりする。ドイツでの観戦は過去1度だけだが、フライブルクで観戦したとき(00年)は、町中がピンク一色で圧倒された。街ではテレコムがチームカタログとポスター・キャップをあちこちで無料で配っていてテレコムファンにはたまらない状態だった。この時ゲットしたポスターは我が家のトイレに貼ってある。テレコムの計らいでファンは町のあちこちでインターネットに無料でアクセスでき、テレコムの資金の潤沢さを痛感した次第。

■ 2004.10.16 (Sat)  初公開 ベロキの蝋人形 + 実際の落車との徹底比較が。。。
beloki2.jpg 801×647 95K大反響につき(?)、先日お話したヨセバ・ベロキの蝋人形を大公開します。(シドニーの美術館に展示されていたもの。)掲載されていたのはCiclismo a fondo Num239(p.5)。もとの写真が小さいので、余り綺麗に出ていないけど、実物(の蝋人形)は、すごーく痛そう。

そして、あちこち随分探した結果、ベロキの蝋人形と実際の落車の写真を2枚比べているすごいサイトを遂に発見した。そのサイトを作った人、すごい根性だ。下記URLの上が蝋人形、下が実際落車直後のベロキ。

http://www.aftenposten.no/nyheter/sport/article869274.ece?service=print

■ 2004.10.17 (Sun)  ベッティーニInformation:
ワールドカップ総合優勝おめでとう、、、というわけで。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html

パオロ・ベッティーニ体重測定:
身長169cm、体重58kg
無酸素性閾値 --- 175bpm (ランスは178bpm、R・エラスは182 bpm)
最大心拍数 --- 188bpm(ランスは201bpm)
安静時脈拍 --- 32(ランスも大体そのぐらい)
パワー --- 375Watt(ちなみにR・エラスは420Watt
体脂肪 --- 6%(ランスは3〜4%)

■ 2004.10.17 (Sun)  タイラー・ハミルトン近況
ヴエルタのマドリッドステージで選手らを激励した後、アメリカのインターバイクショーにも登場。忙しい毎日を送るハミルトン。今は激動の時だが、なるべく普段どおりに過ごそうと思っている。10月17日と23日には、自ら主催する基金の活動イベントに参加。メールでもらったファンからの激励文には目を通しているという。

彼は日記の最後に、大好きなボストン レッド・ソックスについて触れている。「この話題なくしてはこのDiaryを終えることはできない」、とまで言っているほど熱心な応援者だ。エンジェルスを下してプレイオフでいよいよヤンキースと戦うことになった。1918年以来、レッドソックスはワールドシリーズで勝っていないから、今年こそ勝つ年だ!と意気込んでいる。

実は去年も彼は同じことを言っていた。「今年こそ勝つ年だ」と。だから去年ヤンキースに接戦で負けた時には、彼は相当へこんでいた。自分が惨敗した気分だと言っていた。でも今年、マツイの活躍もありヤンキースは3連勝中。つまりレッドソックスは目下3連敗中。悪いけど、今年も「バンビーノの呪い」は終わらないのでは?マツイの活躍は絶対ハミルトンの目にも映っているはず。

http://www.tylerhamilton.com

■ 2004.10.18 (Mon)  サンティアゴ・ペレス:自転車が買えなくてニベアの懸賞でMTBをゲット。
ヴエルタで大爆発のSペレス。彼のこれまでの軌跡がAS Diarioに載っていた。栄光をつかむまでに苦労した人っているけど、彼もそんな中のひとり。

「彼はもともとアイスホッケーに夢中になっていた。でも、スケート靴をどこから工面したのかは覚えていない。自転車に乗ってでかけるようになったのは17歳の時。友人のMロドリゲスの誘いだった。そのロドリゲスは、今やペレスのファンクラブ会長だ。

でも、ペレスには当時 自転車を買うお金がなかった。懸賞でMBTが当たるというので、ニベアの蓋を2つ送ってMTBに応募した。見事MTBゲット。その後アマとして頭角を現したものの、オファーするプロチームはなし。そこでインターネットで履歴書を送り、どうにかポルトガルのDiv3のチームBarbotからオファーをもらった。2001年6月のこと。

2ヵ月後、彼はポルトガルツアーの山岳ステージで優勝。メルカドやルムシャスを負かしての勝ち星だった。こうしてケルメに入団する道が開かれた。2002年、ジロでも大活躍。区間1勝し(注:第5ステージのこと。彼は実際は2位だったのだが、1位のガルゼッリがその後処分を受けたため、彼が繰り上がり1位になった。)、落車でリタイヤするまでは総合2位だった。それまでトントン拍子だったのに、この時の落車を機に彼の悲劇が始まる。

2002年ツール。再び落車。傷口から感染し、傷が癒えるのに時間がかかった。その年の12月、恋人のバネサが交通事故で亡くなった。人生始まって以来の苦悩を味わう。その後 膝の手術で03年ツールには出場できず。今年のツールでは扁桃腺炎で力が出なかった。なんとか総合49位でフィニッシュはするが、その直後 結局入院した。」

いろいろ苦難を乗り越えてここまできたが、不運の後、ここで一気に開花した感じだ。そもそもDiv1のケルメに入った2002年以来、彼は4勝をあげただけ。でもその4勝全てがグランツールでの勝ち星なのだ。ジロ1勝、ヴエルタ3勝。このまま上昇気流に乗れれば、もっともっと活躍が期待できる。

■ 2004.10.19 (Tue)  ロベルト・エラス : 全てはテニスの試合から始まった。
エラスが自転車を始めたのはテニスの試合が始まりだった。家族でバカンスに出かけたメキシコでのこと。テニスの試合で父親に勝ったら、自転車を買ってもらえることになっていた。そして見事に彼は父親を負かした。

父親はお金をはたいて自転車を購入。当時のお金にして、15000ペセタだった(12,000円ぐらい)。

14歳の時、自転車でメキメキ頭角を現したエラス。彼の父はバスク地方で電気工事をしていた関係で、エラスもバスクで下宿生活を始める。

95年アマチュア スペインチャンピオンで3位になる。1位は今は亡きリカルド・オチョア、2位はミゲル・モラスだった。バスク人ではないがその地に定住し始めていたため、彼はエウスカルテルでプロ入りすることもできた。しかし故郷の大先輩クビノのおかげで、ピノ監督率いるケルメに95年8月に入団したのだった。

その後の彼の華麗なヴエルタでの成績は今月号のサイスポ・ヴエルタ特集にちょろっと書きました。
(P.23デス。ちなみにp.28には今年のヴエルタコースの特色、p.29には本HPに書ききれなかったヴエルタでのエピソードも書いてマス。このエピソードの中では、私的にはS・ペレスとO・セビーヤの心温まるエピソードと、3つ目のケルメの選手育成関連記事がお気に入りです。これは、たまたま区間優勝したスペイン選手の顔ぶれをチェックしていたら、偶然気付いたオリジナルのネタです。)

■ 2004.10.20 (Wed)  クーネゴ パーソナルデータ
来日目前、UCIランキングNO.1になったダミアーノ・クーネゴのパーソナルデータ:

生年月日:1981年9月19日
住居:チェッロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ近郊標高1000m)
スポーツ:自転車を始める前はホッケーをしていた。
14歳の時夏期休暇中にパン屋でバイト。そのお金で初めてレース用バイクを購入。
1997年15歳の時、地元のアマチーム、ガイガ・ゴレテックスで走り1年目にして12勝。山岳TTをも制している。

身長・体重:171cm、58kg
安静時脈拍:44
体脂肪:5%
パワー:420Watt(エラスと同じ)

クーネゴのトリビア情報:彼には14歳年下の弟がいる。現在10歳。今はどうかわからないが、少なくとも2年前までの情報では、クーネゴは両親と一緒に暮らし、当時8歳の弟と一緒の部屋だった。

■ 2004.10.20 (Wed)  リバティー・セグロスのマッサージ事情
ヴエルタ・ア・エスパーニャを走ったリバティー・セグロス。マッサージは通常ステージ終了後から夕食の時間にわたり、それぞれ順番に行っていく。時間は夜6:30か7時から9時まで。

チームマッサーは通常のレースだと2人か3人連れて行くが、ツール、ヴエルタのような重要なレースの場合は4人の専門家がジョインする。(彼らは最近ジロには出ていない。)そうすることにより、ひとりあたりのマッサージタイムが45分から1時間へ、といった風に長くなるのだ。また、後半ステージになるほどマッサージ時間はやや長くなる。脚に疲れがたまるせいだ。

今年連れて行ったマッサーは4人。サイス監督の下で働いてきた一番のベテランのV・ドロンソロ。D・ヴァルガスは9年目。整骨もやる。Jゴンサレスはアマで数年走った後、マッサーに転向して7年目になる。そして、G・エレニョサガは、各筋肉のうち、どこが疲れているかを的確に把握することができる。それもそのはず、彼はプロの自転車選手として5年間走った経験があるのだ。

■ 2004.10.21 (Thu)  マルコ・パンターニの本
「逃避の男:マルコ・パンターニ真実の物語」みたいな題名(現代は"Un uomo in fuga. La vera storia di Marco Pantani" )の本が水曜日に出版されたらしい。著者はイタリアのジャーナリストとマヌエーラ・ロンキ(パンターニの元マネージャーだとか)によって書かれた。パンターニが最後の数ヶ月に綴ったメモ書きから本がおこされたようだ。

なお、版権はコロラド・フィルムが買ったので、将来的に映画化される可能性もある。

■ 2004.10.21 (Thu)  ヴエルタ データ:今年の平均速度は。。
sora.jpg 454×344 8K今年のヴエルタ、最初からスローペースで、終了予定時刻をいつも上回っていた記憶がある。実際数値で見るとその通り。平均時速は40km/hに満たなかった。もっともシエラネバダの山岳TTが多少は数字に影響しているかもしれないが。

年度
走行距離 km 平均時速 km/h
2004
3033.9 39.046
2003
2958.3 42.546
2002
3128.7 41.588
2001
3012.2 42.534
2000
2894 41.08
1999
3548.7 39.488
1998
3753.3 40.471
1997
3759 41.344
1996
3947 40.469
1995
3636.6 38.074


ところで今年ヴエルタに行った人からナマ情報。
ヴエルタ、第20ステージで山頂にはためく超巨大な旗の正体はこれ。正解はヘリコプターでつっているのでありました。ちょうど山頂と重なりあたかも巨大な旗が立てられているように見えたのでした。

もうひとつゴール付近で振られていた大きな日本国旗、あれは日本人ではありません。目の前をスペイン人?(欧米人)が旗をもって歩いて行ったのではっきり覚えています。

■ 2004.10.21 (Thu)  バルベルデのバレアレス移籍は政治介入もあり。。
News Briefingのほうでお伝えしてきたバルベルデのバレアレス入りは、いよいよ大詰め。なんと最後は政治的に友好解決されたようだ。というのも、ケルメとバレアレスの両チームは州政府が関与している。

ケルメはバレンシア州政府、バレアレスはバレアレス諸島の政府。両者がケルメの複数年契約破棄に際して最終調整をし、友好的に移籍が最終決定する見込みだ。これでバレアレスは、マンセボとバルベルデのツートップ体制となり、ラボバンクへ移籍するメンショフの穴を埋めるには十分。でもこの2人がトップ争いをすることになると少々困惑するが。

■ 2004.10.22 (Fri)  ヴエルタでは、優勝者と2位の選手の最小タイム差はツールより小さくて、6秒
年度
優勝者 総合2位 タイム差(秒) フィニヨンvsレモンは’89ツールで熱戦を繰り広げた。最後の24kmのTT。フィニヨンとレモンのタイム差はそれまで50秒。フィニヨン優勝ムードが高まった。

ところがTTでレモンがフィニヨンを58秒もの差をつけた。結局レモンが総合でフィニヨンに8秒差をつけ優勝。この8秒差というのがツールにおける優勝者と2位の最小タイム差だ。

ところがヴエルタはというともっとすごい。僅か6秒差という記録がある。そして、優勝者と2位のタイム差が1分以内という記録は15回もある。

というわけで、今回エラスvsペレスの30秒差というのは歴代8番目の記録となり、実際は昨年の方が僅差だった。昨年エラスとノサルの28秒差は6番目の記録だった。

1984
カルトゥー アルベルト・フデス 6
1974
フエンテ アゴスティーニョ 11
1956
コテルノ ロロニョ 13
1975
タマメス プルレナ 14
1982
レハレタ ポレンティエル 18
2003
エラス ノサル 28
1993
ロミンゲル ツーレ 29
2004
エラス Sペレス 30
1964
プリドール オタニョ 33
1989
デルガド パラ 35
1985
デルガド ミラー 36
1966
ガビカ ベレス 39
2001
カセロ セビーヤ 47
1961
ソレール マヘ 51
1971
ブラッケ Wダヴィド 59


■ 2004.10.24 (Sun)  ジャパンカップ
終わりました。これから新しいページに情報などをぼちぼちと。優勝はクイックのシンケビッツ、2位サエコのクーネゴ。2人のスプリントでしたが、先に出たシンケビッツがそのままゴール。3位はランプレのクインツァート。

■ 2004.10.25 (Mon)  プロ1年目の選手が自動車事故で死亡
パテルニナのホアキン・オルマエチェアが日曜日6:40、自動車事故で亡くなった。プロデビューして1年目の24歳だった。彼はアウディーA3の助手席に乗っていた。運転していたのはヨセバ・アルビス(エウスカルテルの選手。彼の方が選手としては有名)。彼の方は骨折でサンセバスチャンの病院のICUで手当てを受けている。彼の病状は生死にかかわる状態ではないという。

2人はチチャロで行われるヒルクライムとダウンヒルのレースに出場したあと、帰宅する途中だった。このレースは多くのバスクの選手にとって、今季最後のレースだった。

2人が事故に遇ったのは国道N-634。何故かわからないが車は堤防に衝突し、横転した。オルマエチェアは病院に搬送される前に亡くなった。ホアキンはとても心根の優しい人で、思いやりのある人だったと。

■ 2004.10.25 (Mon)  ジャパンカップ小ネタ
ランプレのマルコ・ピノッティ(来年からサウニエル)。挙式間近という情報をキャッチしたので、さっそく宇都宮で見かけたときに彼の彼女の名前である「ミケーラ」と声をかけてみた。びっくりして振り向いたスキに、「結婚おめでとう。挙式はいつ?」とたたみかけて聞いてみる。今年の11月だそうだ。4年前に無事建築工学の論文を終えたので、将来はそちらの方面の仕事にもつきたいと。

さて、ジャパンカップレポート レース編No.1〜4が完成(このあとまだ懲りずに暫くしたら、宇都宮観光編も作るつもりでいる。)

例えば No.2レポート:http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/japan/jc04-02.html
生ネタ:元木工細工職人は誰?監督の息子がプロ入り前に来日。白板に描かれたイラストなどなど。

■ 2004.10.26 (Tue)  ジャパンカップ 小ネタ その2
PA230574.JPG 640×480 210K来日中の選手のうちイタリア選手などの一部はマクドナルドに行ってハンバーガーを堪能していた。別に本国で食べれないわけではないものの、シーズンも終わりでやっと食べたいものが食べられると羽を伸ばす食事をしたいという願望の結果がマックだったとか。ちなみにクイックのソワニエであるヨアンに聞いたら、「味は(本国と)同じだった」と。ブーランジェールは行っていないだろうな。農民連盟のジョゼ・ボヴェがマックを解体したようなお国柄だもんね。

ちなみに、ブーランジェールは来年ブイグテレコムになるが、もともとこのチームはボンジュールが前身。つまり、
Bonjour、Brioche la Boulangere、Bouygues Telecom S.A、、

といつもBで始まるスポンサーだった。監督として来日中のクリスティアン・ギベルトー(写真)に、「Bで始まるスポンサーをいつも探しているの?」と冗談で言ったら、それまでいつもBで始まるスポンサーだったという事実に自分は今まで気付かなかったと言っていた。彼はボンジュール以来同じ仕事に携わり、来年もブイグテレコムで働くそうだ。

■ 2004.10.26 (Tue)  ガゼッタに載った汐留のクーネゴ
cunegokari.jpg 587×405 138Kジャパンカップ前日、ホテルのロビーにガゼッタ紙のコピーが貼り出された。今回クーネゴに同行したガゼッタの記者が書いた記事が速報で届いていた。記事に出ていた写真は宇都宮ではなかった。明らかに東京の高層ビル街を見下ろすクーネゴ。

クーネゴは成田から宇都宮に直行したはずなのに何故東京に?。。。とミステリーだったのだが、なんと日帰りで宇都宮からの旅だった。そして、ジャパンカップレポートNo.3に書いたとおりhttp://masciclismo.web.infoseek.co.jp/japan/jc04-03.html、場所は汐留。店の名前は忘れたけど、カレッタのビーチェだったかな?うちの上司がグラスワインを飲んで5000円取られたと怒っていた店か?

汐留の取材のスポンサーがどこだったのか知らないが、いずれにしても雑誌の取材を兼ねた招待だろう。となると純粋な自転車雑誌の取材でないはず。自転車雑誌ならレース記事とせいぜい宇都宮のホテルでの記事で十分。東京、しかも汐留の最高級イタリアレストランまで行って派手な取材を希望するとなると、また「ターザン」かな?

チポッリーニやシモーニの時もターザンだった。チポッリーニはイタリアの自宅まで取材費を出し、シモーニの時もホテルの外に特設スタジオを設け、専属カメラマンをつけていた。マガジンハウスの財力なら可能だろう。

イタリア語は全然だめだが、このガゼッタの中で唯一記事として多少わかったのが、右端のミニコラム。「ランプレ・サエコの合併は今週」という見出しだけは読めた。プロツアーをにらんで合併報道が出ていたが、実際の所はまだ正式な合併には至っていなかったことがわかる。

プロツアーといえば、CSCが危ないかもしれない。サブスポンサーがまだ見つからず、リース監督は青くなっているらしい。このままだとプロツアー入りするに足りる資金力が確保できないらしく、各チームとも暫定登録したものの、これから帳尻を合わせるところもあるようだ。

写真はガゼッタ記事:「小さい王子(星の王子様)日本でスターとして迎えられる」 / 「TVや雑誌の取材は予約の列(Waiting List)」

■ 2004.10.26 (Tue)  チポッリーニ緊急記者会見
読者情報です。
チポッリーニのHPにこんな記事が掲載されていたようです。該当のページはニュースのところ。1年10ヶ月ぶりに更新されたと思ったら こんなアナウンス。引退か?とか、来年のチームが決まってないとか、フランスチームがオファーするかも、とかいろいろ噂はあるけれど、さてどうでしょうかね。

「プレス・コンフェレンス:10月29日金曜日。僕の将来を話すために記者会見をする。時間は11時。ミラノのグランド・ホテルにて。」
ちなみに前日の木曜はツールのコース発表です。

http://www.mariocipollini.net/default.asp

■ 2004.10.26 (Tue)  ツール05リーク情報:カザルテッリが亡くなって10年目の節目に。。。
恒例の次年度ツールのリーク情報。初日は19kmのITTという情報。最初の数日間の場所については既に公式HPに出ている。以前のリーク情報でドイツを通ることをお伝えしましたが、カールスルーエとシュツッツガルトが入る可能性はやはり濃厚の模様。カールスルーエでは最初の長めのITTがあるかも。

また、新しいところではピレネーステージでアンドラが登場しそう。(まるでヴエルタだね。)また、カザルテッリが亡くなったアスペ峠を通過するらしい。アスペ峠の下りで彼が亡くなって、あれから10年の月日が経った。あれは私がツールに行くきっかけとなった事故だった。
(上記は全てリーク情報で、精度は保証付とはいきませんが。)

■ 2004.10.27 (Wed)  クーネゴと一緒にガゼッタ紙に掲載された日本のワンチャン+幸運な飼い主の女性
wanchan4.jpg 315×241 65K今年、ワンチャン連れでジャパンカップレース見物する人が目立った。そんな中、ガゼッタに掲載されたワンチャンがいるらしい。砂田さんが撮影したジャパンカップのクーネゴ+ワンチャン+飼い主の女性の写真が同紙に掲載された。

やっぱりワンチャンにマリアローザを着せたアイディアは光ってましたよね。

当方もジャパンカップの最中に撮影したワンチャンが3匹ほどいるけど、ガゼッタのワンチャンはもしかしてこの写真のワンチャンかな?ガゼッタのワンチャン記事が載ったBlogは下記URL。
http://blog.livedoor.jp/wonda33/archives/8492420.html

■ 2004.10.27 (Wed)  有名選手に接近する技 その2
lance.jpg 640×480 140K下の記事の通り、愛犬にマリアローザを着せたアイディアは素敵。おかげでクーネゴとお近づきになれたわけで。ちなみに、ツールでは子供をダシにして自分から選手に接近する光景も時々見かける。

例えば去年。ツカツカとランスに近づいてきて、突然自分の0歳児と見られる子供をランスに差し出した女性がいた。その人、ランスの知り合いでもなんでもないらしく、彼もちょっとびっくり。面くらいながらも、ややぎこちない手つきでダッコした。後ろではボディーガードもニコニコして見守っている。(左の写真)

ちなみにこの写真のアングルがやや変なのは、ランスを取り巻く人垣がすごかったせい。相棒がしゃがんで人の脚の間から撮影に成功。

■ 2004.10.28 (Thu)  先日来日したジョヴァンニのお父さん
PA230633.jpg 331×401 22K先日ブーランジェールで来日したジョヴァンニ・ベルノドー(左)のお父さん(現ブーランジェール監督)が今日のCNトップ記事に写真付きで出ていましたね。これは、プロ自転車チーム国際協会(AIGCP)の会合に関する記事。AIGCPの会長を務めるのはリバティーのサイス監督。

この会合で話された議題の1つは、ツールの出場選手を現在の9人から縮小しようというもの。1チームあたりの参加人数が例えば8人になれば、その分多くのチームを招待できる。グランツール参加人数Max選手200人という規定があるので、8人ずつにすれば、最大25チームが出場でき、AG2Rなどをワイルドカードで招待することが可能になるのだ。

ところで、ボンジュールの選手たちは、ホテルでもジャージ姿ではなかった。宿ではチームジャージを着ている選手が多い中、ブーランジェールはみんな私服で、ピノーなども切り替えのあるおしゃれなGパン姿だった。フランスっぽいという印象。

■ 2004.10.28 (Thu)  ツールのコースがベールを脱いだ!
http://www.letour.fr/2005/presentationfr/parcours.html

やはりリーク情報は結構合っていた。初日19kmのITT。あとは55kmの個人TTと66kmのチームTTがあるだけ。個人TTの数が少ない。そしてこれまた事前情報通り、山岳ゴールが3回と少ない。ドイツの情報は一部違っていたが、カールスルーエはしっかりコースに入っている。

ドイツ・カールスルーエのステージでは、2000年フライブルクステージ同様、Tモバイルのピンク一色になるのだろう。ツールはフランス中でやるのでファンもある程度は分散するが、ドイツでの開催は滅多ない。ドイツ中から応援団がやってくる。00年ウルリッヒの応援団はすごかった。

来年はアルプスが先。ピレネーが後。ざっと見たところ、列車で行くなら前半ステージの方がアクセスがよさそう。

マドレーヌ峠がまた入っている。そして、カザルテッリ没後10年目に、彼がなくなったアスペ峠(ドル・デュ・ポルテダスペ)も通過。プロトンは来年も再び記念碑の前で立ち止まるかもしれない。

カザルテッリの事故の後に行われたツールでは、アスペ峠の記念碑前でプロトンが立ち止まったことがあった。彼の家族と抱き合うイタリア選手に混じってランスの姿もあった。あの時ランスは病み上がりで、レースに出るどころではなかった。でも、手術が成功し 車でアスペ峠まできてプロトンと合流したのだった。あの時の青白く痩せた顔にサングラス姿の病後のランスの様子を今でも覚えている。その彼も、今では6連覇チャンピオン。月日は流れた。

ツールのコース発表を受け、ブリュイネール監督は「ランスがツールに出る可能性は50%。コースの難易度に関わらず、彼のモチベーションいかんによる。彼には6年間相当なプレッシャーがあったから」と。
これは牽制だろうか?ランスは来年もツールに出ると思っていたが。

また、今年はツールの二代目のディレクターで、レキップ紙の創始者であるジャック・ゴデ氏の生誕100年。(1905〜2005年)。洒落たツールのことだ。なんらかの式典が催されることだろう。ゴデ氏の胸像がツールマレ峠にあり、その写真が下記サイトに出ている。
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/report/rep01_8.html

■ 2004.10.29 (Fri)  チポッリーニの記者会見、引退会見ではなかった。
覚えていますか?今日はチポッリーニの記者会見の日でした。さっそく一報が入ってきて、38歳チポッリーニ、引退どころか来年はリクイガス・ビアンキで走るとアナウンス。来年はガルゼッリ、チョーニもリクイガス。

チポッリーニに関しては引退の噂もあったが、彼自身、まだ走りたいという気持ちが強かったという。

1992〜3年、彼はGB-MGに所属し、ビアンキに乗っていた。その間ヘント〜ウェヴェルヘム2連勝、ジロ、ツールステージ優勝、パリ〜ニース区間優勝と、がんがん上り調子になっていった。そういう意味で、またビアンキで、再び復活ののろしをあげてくれる期待がかかる。

■ 2004.10.30 (Sat)  ジャパンカップの子供たち
saeco.jpg 491×463 63KCNに綾野さんの写真がずらりと出ていました。特に、日本のサイクルファンを激写した一連の写真、すごくアピールするいい写真でしたね。日本にも、こんなに熱心なファンがいるんだぞって。選手たちを応援する熱心な日本のファンの姿が世界中に伝わったのでは。
http://www.cyclingnews.com/road.php?id=road/2004/oct04/japancup04

これでFUGパパは息子に負けじと世界デビューを果たし、
http://www.cyclingnews.com/photos.php?id=photos/2004/oct04/japan/345U6948

更にサエコのジャージを着たちびっこの姿も。
http://www.cyclingnews.com/photos.php?id=photos/2004/oct04/japan/345U6947

綾野さんの写真に写っていたサエコジャージの子供たち、カメラマンにはすごくいい被写体だったみたいで、写真左でもおわかりのとおり、砂田さんも被写体に選んでいたようです。

■ 2004.10.30 (Sat)  あらかわ自転車の祭典 .. 残念ながら中止
arakawa.jpg 480×640 67K残念ながら、下記は雨天中止となったそうです。

ジャパンカップの際、宇都宮のホテルにもポスターが貼ってありましたが(左)、10月31日あらかわ自転車の祭典があります。

<午前中は「一流選手が走る荒川の街」で、ラバネロ・ミヤタ・ブリジストン・NIPPOの選手たちのご協力で、あらかわの街を(交通ルールを守って)走行していただくことになってます。また、「三輪車100分耐久レース」にエントリーした某カメラマンさんもいるそうで。>

URLは下記:
http://sangyo.city.arakawa.tokyo.jp/tourism/bike/2004/index.html

■ 2004.10.31 (Sun)  別府史之選手がディスカバリーへ!!!!
別府史之選手が来年からランス・アームストロングのいるディスカバリーで走ることになった。本日CNのトップニュース!

「ブリュイネール監督は、TDFコース発表式の際にCNにこう語った:<26番目の選手をチーム選手リストに加えたところだ。才能ある日本のU-23ライダー、別府史之だ。ディスカバリーは日本市場に非常に興味がある。そこで調査をした結果、別府が今の所、獲得し得る中でベストの選手と判断した。>

別府はここ2年シーズンVCラ・ポム・マルセイユで走った。このU23チームはマーク・スキャンロンや、今年別府のチームメートだったニコラス・ロウチもプロへの通過点として所属したチームだ。
(mc註:ロウチは地元アイルランドでの読み方。フランス語読みでニコラ・ロッシュ。ご存知 スティーブン・ロウチ=ステファン・ロッシュの息子。来年からロウチはコフィディスでスタジエールとなる。)

別府は広島で行われた03年全日本選手権U-23 ロードチャンピオン。2位の選手(mc註:土井雪広選手)に4分以上もつけての優勝だった。更に別府は元アジア ジュニア チャンピオン。今年は、ユーロU-23ランクでも輝いた。ジロ・デッラ・ヴァッレ・ダオスタではクールマユールのステージで 写真判定の末区間優勝。第5ステージには4位となり、ポイント争いでは総合3位に入った。

スピードマン別府はその他イタリアのアマチュアクラシックGPチッタ・ディ・フェリーノでも3位。また、4月のフラットで高速なツール・ド・ロワール・エ・シェールでは総合3位に入っている。」
以上CNより
http://www.cyclingnews.com/news.php?id=news/2004/oct04/oct31news

アオスタのレースで別府選手が区間優勝した時の記事はこちら:
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race200409.html

■ 2004.10.31 (Sun)  サンティアゴ・ペレスサンプルBでも陽性
ヴエルタ総合2位のサンティことサンティアゴ・ペレス。血液検査でサンプルA・Bともに陽性反応が出た。内容は、自己輸血を行ったという判定。スイスのローザンヌで10月5日に行われた第一次検査で陽性で、更に27日第二次検査でも同じ結果が出たので、処分は免れない。これで2年間の出場停止の可能性もある。

但し、保存された血液を使って行うサンプルBの検査には、本人か代理人が立ち会うべきなのに、それが実行されなかった。この点について、わだかまりが残る可能性がある。この論点をもとに、検査無効を主張することも可能性としてありうる。

また、彼は胃腸病を理由にヴェローナの世界選を欠場したが、それとこの件が関係あると見られる、と報道している新聞もある。今年フォナックと契約延長するのに手こずったのも、これと何らかの関係があるという見方も。(なかなかフォナックと契約延長しなかったため、ディスカバリーへ行く、などという噂も出たぐらい。)

彼は同僚のハミルトンが現在論議をあかもしだしているのと同様の最新型血液検査で引っかかった。ペレスは自己輸血は否定しており、マネージャーのトニー・ロミンゲルと今後の対応を考える。

■ 2004.10.31 (Sun)  ツアー オブ チャイナは明日放送予定?
先ほどレースのところに投稿した通り、福島兄弟がワンツーフィニッシュで幕を閉じたツアー・オブ・チャイナ。明日フジTVで放送があるという情報なのですが、どなたか番組名をご存知の方いらっしゃいますか?夜のスポーツ番組でしょうかねぇ?

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html

■ 2004.10.31 (Sun)  バルベルデ結婚おめでとう
ケルメからバレアレスへ移籍したアレハンドロ・バルベルデ。この土曜日に彼女のアンヘラとムルシアのサントゥアリオ・デラ・フエンサンタで挙式を挙げた。

バルベルデ:「今週は人生の中で最重要な契約を2つ締結した。1つはバレアレスとのチーム契約。そしてもうひとつは結婚という契約。」

結婚式には地元ムルシアのライダー、フラン・ペレス、JMクエンカ、ホセ・カイェンタノのほか、O・セビーヤ、ケルメのサバヤ、カベヨ、サントス・ゴンサレス自転車選手が多数出席した。バルベルデはムルシアのラス・ルンブレラス出身の25歳。

2004年09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 

Go Back to mas ciclismo
copyright(c)2004- (duration unlimited) mas ciclismo,
All Rights Reserved (unless otherwise indicated herein). / 旧Naco's Bike Page