Mas Ciclismo News
mas ciclismo
マス・シクリズモ (もっとCiclismo) copyright(c)2004-05 mas ciclismo


今月のサイクルNews :別府史之選手、イヴァン・バッソ、オスカル・フレイレ
 2003:ログ
  01 , 02 , 03 , 04 , 05 , 06
  07 , 08 , 09 , 10 , 11 , 12
 2004:ログ
  01 , 02 , 03 , 04 , 05 , 06
  07 , 08
ニュース最新版へ

2004年09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2006年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 

■ 2004.11.01 (Mon)  ツアー・オブ・チャイナ 続報
30日の夕方のフジテレビのニュースで第1ステージの様子を流していたそうです。個人TTのスタート台が写って、フジテレビがスポンサーになっていたようだという情報。その放送内では別途総集編がある等々の情報出なかったようですが、今日夜の「すぽると」あたりを要チェックではないか、という情報頂きました。最後のステージ、福島兄弟の手つなぎゴールも見られるでしょうか?

■ 2004.11.01 (Mon)  世界選手権 NHK衛星放送にて 11月7日
解説 砂田さんと今中さんのコンビで世界選手権のTV放送があるそうです。

「11月7日、14時10分から15時にNHK BS-1で放送される世界選手権ロードレースの解説を担当します。」(砂田さんのサイトのInformationより)
http://www.yuzurusunada.com/public_html/information/contents.html

■ 2004.11.01 (Mon)  チョット質問:ジャパンカップで来日したベルギー選手からメールがきて、、、
土曜日、ベルギーから1通のメール。内容は、

「僕は2000年、ファルム・フリッツに所属して、選手としてジャパンカップに来日したんだ。あの日はとても寒かったのを覚えている。でも、あの時の写真とかが1枚もなくて、日本での思い出といったら寒かった思い出ぐらい。2000年ジャパンカップの写真など手元に何かありませんか?」

彼の名前はNico Ruyloft(ニコ・ルイロフト)。調べたら、2000年ジャパンカップで25番をつけて走っていました。私は写真を全部チェックしたものの、彼らしき人が写っているのは1枚だけ。あとはNo.21の人の写真ぐらい。それでも、とりあえずファルム・フリッツの選手が写っている写真をネット上にUpして送ってあげることにした。

彼はもうプロでは走っていないようで、現在カリブの方のレースによく出場しているらしい。(トリニダッド・トバコの人をお嫁さんにもらったという情報も。)最近、本HPの外国語版の方に、04年ジャパンカップの写真をざっとアップしたので、多分それを見てジャパンカップがなつかしくなり、彼はコンタクトしてきたのだろう。

そこで、皆さんにちょっと質問。2000年のジャパンカップで来日したファルム・フリッツの選手の写真を自分のHP上などにアップしている人いらっしゃいます?もしいらしたら、URLを教えて頂けますか?(URL伝達方法は、このHPのトップページのコンタクトMailのところにメールを頂ければ。)レース写真などにNo.25の彼が写っていなくても、ファルム・フリッツの誰か(或いは切れ端でも)が写っていれば彼にとっても懐かしいのではないかと思います。或いはその時のレース風景とか。本人にそうしたURLを連絡し、それらのWeb上の写真を見せてあげたいと思います。(日本語は読めなくても写真は万国共通ですし。)

もしもご協力頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

■ 2004.11.01 (Mon)  雑誌のジャパンカップ特集はズバリこちら
Jcup公式HPによるとJ-Cupやクーネゴの記事は、下記の雑誌で読めるそうだ。
うーん、先日の汐留のクーネゴ写真が掲載されるのは 私が予想したように「ターザン」となるかどうか。

●VS.(バーサス=光文社)12月号 11月15日発売 680円
 コラム「クネゴは自転車界のシャラポワ」
●サイクルスポーツ(八重洲出版)12月号 500円
 表紙+カラー10ページで詳細レポート・主力選手インタビュー
●バイシクルクラブ(エイ出版社)12月号 700円
 カラー2ページでレースレポート
●ファンライド(ランナーズ)12月号 11月20日発売
 /1月号 12月20日発売 付録DVD収録
●ニューサイクリング(エヌシー企画)
 http://www.new-cycling.co.jp/ で紹介
●ターザン(マガジンハウス)434号 12月22日発売 500円
 カラー4ページで「ダミアノ・クネゴ」インタビュー

http://www.japancup.gr.jp/02_news/news.html

■ 2004.11.02 (Tue)  F1とロードレースのコラボは まだまだ続く。。。
オーストラリア人F1ドライバーのマーク・ウェバーと、ランス・アームストロングが、ランスの地元テキサスで一緒にトレーニングを行うそうだ。しかもランスの自宅で。情報ソースはこちら:
http://www1.wisnet.ne.jp/~matunaga/ (10月31日付け「ウェバーのトレーニング相手」にて掲載)

で、情報の信憑性についてこちらでも独自調査。まず、ウェバーの趣味をひもといてみたら、ロードレース、MTBとあった。(更にテニス、フィットネストレーニングにプレステ2!)更に、オーストラリアのサイトで下記情報をキャッチ。

「ウェバーは速いマシンも好きだけど、遅いマシンも大好き:それはバイク!最近になって、バイクのようなローインパクトのスポーツがいかに体中の筋肉を使うのに向いているかを彼は発見した。そこで英国で行われた24時間山岳ロードレースにも挑戦。

彼は2004年シーズンをジャガーのドライバーとして終えたが、05年を新チームウィリアムス-BMWで迎える予定。今からテキサスに飛んで、一生に一度あるかないかのチャンスにトライする。それはTdFの覇者ランス・アームストロングとの3日間トレーニングだ。ランスはウェバーのヒーローだ。ランスが今まで辿った軌跡に畏敬の念を感じている。」

2002年、ウェバーはレースの合間にTdFの数ステージを見に行ったこともあるそうだ。どんなにタフなレースなのかを実際に見てみたいと。彼にとってランスはあこがれの人。専用ジムにはランスの写真を飾ってある。
http://www.tsp21.com/sports/f1/driver/webber.html マーク・ウェバー成績リスト

■ 2004.11.03 (Wed)  毎秒が生きるチャンス!
「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」の続編「Every second counts」が翻訳出版されたそうだ。本屋さんでさっそく見たという情報。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4054024963/249-2563445-5168365

原題Every Second Counts は「毎秒が生きるチャンス!」というタイトルになった。和訳される前は「1秒1秒が大事」といった呼び方で呼ばれていたが、本として出版されるとなるともう少しぱっとした訳に変身。

6月のトクダネでランスの最初の本、「It's Not About the Bike: My Journey Back to Life」が各国語でどんなタイトルがついているかを検証したが、この2冊目「Every second counts」は、以前確認したところ、ほぼ同じ内容のタイトルが各国でついていた。

Chaque seconde compte フランス語 = Every second counts
Vivir Cada Segundo スペイン語 = Living each second
Jede Sekunde zahlt ドイツ語 = Every second counts

■ 2004.11.04 (Thu)  バイクショー、ヴァインスタインス 
1.バイクショー
日本でもバイクショーがもうすぐ始まるが(11月19日から21日)、先に行われたラスベガスでのインターバイクショー。相変わらずなかなか派手に行われたようだ。

http://www.cyclingnews.com/tech/2004/shows/?id=interbike/road1

ちなみに、来年のバイクショーの暫定予定もすでにわかっている。来年は11月3日からの予定らしい。
http://www31.ocn.ne.jp/~joto1/nittei.htm

2.ヴァインスタインス
2000年には世界選手権を制したこともあるランプレのヴァインスタインスが、来年チームとの契約が決まらず引退することを決定した。お別れレースは来年の8月。地元ラトビアで行う予定。ヴァインスタインスは31歳。ここ3年間は、1回しか勝利をあげていなかった。

ちなみに今日は出張先の名古屋から。ホテルの部屋でネット無料というのを聞いてせっかくPC持参できたのに、モジュラーがあわずにアウト。ランカードを使用すればつながるのだが、私の携帯PCではソフトをインストールするCDが入らないため断念。今ホテルのロビーの無料インターネットでニュースインプットをしているところ。立ったままの操作なので疲れた。というわけで、今日は小ネタのみということで。

■ 2004.11.05 (Fri)  シンケヴィッツ:「僕の仕事はゴール手前30kmでコカコーラを取ってくるtこと。」
PA220453.JPG 640×480 220K昨年のことだけど、シンケヴィッツはドイツのTV番組で、こんな風に語っていた。

「僕のチームでの主な仕事は、フィニッシュの30km手前でチームカーに行って、パオロ・ベッティーニのために冷たいコークの缶をもらってくることだった。」

写真はジャパンカップレース前々日のシンケヴィッツ。ロビーのスタンドに寝そべるように腰掛けてJCupのビデオを見ていた。超リラックスムード。かたやクーネゴはこの日も引っ張りだこで、過密スケジュールをこなしていた。

拡大写真の右手に見えるのはベルタニョッリ。彼はロビーに置かれた「持ち出し禁止」の「チクリスティ」を読んでいた。どのページを読んでいるのだろう?と覗いてみたらパンターニの特集ページ。パンターニ生前の写真を食い入るように眺めていた。

■ 2004.11.05 (Fri)  ツール05コースの反応
イヴァン・バッソ:「次回のツールはいつもながら難しい。もっとも、僕の来年の目標はジロだけど。ツールは2番目。僕はTTでタイムロスをするだろう。それを山岳で取り返すのは難しい。」
「僕にとってグランツール2つを走るのは重要なこと。まだこれから成長し続けなくてはいけない。ここ数年、自分の競技人生にとっては節目の時だ。」

■ 2004.11.06 (Sat)  腎臓移植を受けたNBAの選手。ランスに力をもらって遂にカムバック。
ランスの癌からの復帰は、多くの人々を励ました。それは市井(しせい)の人々から、各界で活躍するビッグネームまで。NBAのアロンゾ・モーニングも励まされた一人。彼は肝臓病を患い、遂に2003年11月には引退も宣言していた。その後腎臓移植を行ったのだが、なんと今年の10月末、NBAでプレー復帰したのだ。

モーニングの腎臓病が表面化し、病気と闘い始めた頃、当時彼が所属していたサウスイーストディビジョンのマイアミヒートチームは彼のために1冊の本を贈った。「イッツ ナット アバウト ザ バイク:僕の生へのカムバック」。そうランスの「ただマイヨジョーヌのためでなく」だ。特に腎臓病のもととなる巣状糸球体硬化症と戦っていた最中、彼はこの本を読んでずっと励まされてきたという。

ところがモーニングの病状はその後悪化し、2003年11月24日、遂に引退を宣言した。翌12月には腎臓移植を行った。腎臓移植当時の彼の目標の中には復帰は含まれていなかった。とにかく生き延びて、家族と普通に暮らすこと、それだけを願っていた。その間ランスは彼にビデオレターを送って励ました。

そして移植後、そんなモーニングに復帰の文字が徐々に浮かび始めた。10月28日、彼は前シーズン契約していたアトランティックディビジョンのニュージャージー・ネッツで復帰戦を飾った。NBA史上2人目となる腎臓移植の選手のプレーだった。元スパーズのショーン・エリオットに次ぐ2人目だ。

モーニング談話:。「身体的困難を乗り越えたランスは、僕に勇気をくれた」。

■ 2004.11.07 (Sun)  スコット・サンダーランドが引退
P7253576.JPG 640×480 221Kオーストラリアのプロ選手、スコット・サンダーランドが今季限りで引退を決意した。CNでは長年Diaryの常連で、今でこそ盛んなWeb Diaryのさきがけだった。来季のオファーも多少あり、彼自身38歳(66年11月28日生まれなのでもうすぐ38歳)という年齢にも関わらず自分に興味を持ってくれるチームがいることを嬉しく思ったという。しかし、今後はレース・遠征にだけ追われる日々から解放され、今までに得た知識や経験を、後身のために役立てていきたいと思っている。

サンダーランドは今年自身2度目となるツールに出場。1998年以降ツールと縁のないチーム PalmansやFaktaに在籍していたため、日本での知名度はやや薄いかもしれない。身長178cm、体重66kg。ツールの最中には64kgまで落ちる。

今年アレッシオとは宿が2箇所・3泊同じで、何度か話をしたが、ベテランの味をにじませていた。レースを楽しんで走っている様子がありありだ。休養日には宿で行われた血液採取の直後、脱脂綿で注射針の跡を抑えながらカメラにポーズを取ってくれた。(下記URL)
http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/tour04/photo/P7196550.jpg

肩の力が抜けていて、宿やレース前後にはジャーナリストのインタビューに四六時中応じていた。今年のツールで、立ち話でのインタビューを一番多く受けていた選手であることは間違いない。雨の日も、みんながチームバスにこもっている最中、レース前にはスタート直前ギリギリまで雨宿りしながら笑顔でインタビュー。

左の写真はシャンゼリゼのゴール後。相棒が「サンダーランド!」と声をかけたら宿で追っかけをしていたヘンな日本人のことを覚えてくれていて、この笑顔。ねぎらいの挨拶をかわした。新天地での活躍と成功を祈りたい。

90〜94年:TVM / 95〜96年:LOTTO / 97年:GAN / 98〜2000年:Palmans / 2001〜2003年:Team fakta / 2004年:アレッシオ

■ 2004.11.08 (Mon)  ホテル経営で成功している元選手
10/19付けトクダネニュース(http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/news200410.html )や、先日のサイスポのヴエルタ特集にちょこっと書きましたが、今年ヴエルタで優勝したエラスは同郷のプロサイクリスト、ラウデリノ・クビノ選手に憧れ、彼の引きでケルメ入りを果たした。2人の故郷はサラマンカ地方の山間の町、ベハール。小さい町ながらかつてバネストで活躍したサンティアゴ・ブランコもここの出身。自転車選手の名産地ってあるものらしい。

他にもスペインバスクのアバディーニョは小さい村なのだが、サラベイティアやエチェバリア、オリヨといったビッグネームを輩出している。日本では自転車選手の産地ってあるのかな?

クビノは1963年5月31日生まれ。アマヤに所属した後、94〜96年までケルメで活躍。86年にZorでプロ入りした後、96年に引退するまで、ツール、ヴエルタ、ジロ全てで区間優勝を果たしている。

引退後、彼は夢を追うことにした。ベハールにホテルを建設。その名もクビノ・ホテル。ベハールの山麓にあるこのホテルは自然に囲まれている。場所柄シクロツーリズム・MTBにも向いており、ここのホテルに宿泊しながらバイクを楽しんでください、というのがホテルのコンセプト。ちなみに今年のヴエルタ第18ステージは この ベハール からアビラまでの196kmの山岳ステージだった。

クビノのHP(スペイン語):
http://www.cubinohotel.com クビノホテルのHP
http://www.amigosdelciclismo.com/lalecubino/クビノ選手のHP

■ 2004.11.08 (Mon)  オスカル・フレイレ、身の危険を感じながら優勝。(さすがスプリンター、馬に勝った!)
毎年恒例のバレンシアクリテの”選手vs馬のレース”。過去、馬の勝ちに終わっていたが、今年はフレイレが遂に馬に勝った。馬はトロッター(斜対速歩馬)で、今年も馬主フェリペ・エルナンデス氏によって会場入り。この馬は、前年、前々年とこのレースに出場。2連勝していた。

コースはサーキットを2周。

馬に勝ったフレイレ談話:「とても難しいレースだった。もしコーナーのところで馬に先行していたら、後から踏みつけられてしまいそうだった。だから、最後のコーナーを回ってから、直線コースで一気にスプリントをしかけて馬を追い抜いた。」

馬レースも命がけ。。。

このレース、バレンシアのクリテリウムの前座レースで、本ちゃんのクリテリウムでもフレイレが優勝した。このクリテリウムはポイントレースとエリミネーションの合計点を競った。ポイントレースではフレイレはCSCのバッソについで2位。3位はペルディゲロ。更にエリミネーションではフレイレが優勝。ペルディゲロが2位、アスタルロアが3位。
総合でフレイレが優勝となった。まさに実力発揮というところ。

フレイレが馬と競り合っている貴重な写真は下記:
http://www.as.com/recorte.php?id=LCO&xref=20041108dasdaimas_1&type=Ies

■ 2004.11.08 (Mon)  CSCサブスポンサーが見つかった?
明日火曜日にCSCが緊急記者会見を開くらしい。資金繰りに苦労していたチームだが、サブスポンサーガ見つかったのでは?という憶測。更に、これまた噂ながら、先日引退ニュースを伝えたばかりのスコット・サンダーランドがCSCの幹部になるという話も。。。要フォロー。

■ 2004.11.08 (Mon)  ブリュイネール監督、別府史之選手を語る
ランスのインタビューなどでいつもお馴染みのティム・マロニーが、ブリュイネール監督にインタビューした。その際、別府選手についても質問が及び、監督はこんな風に答えた。

TM:「別府史之選手をチームに加えましたが、経緯は?」
監督:「ディスカバリーはアジアのマーケットに非常に興味があって、アジアの選手を見つけてくれと我々に頼んできた。調査を行い、2年契約で別府と合意した。彼はベストの選択だった。実力ある若い選手で、ヨーロッパでの経験も持ち合わせている。」

それから監督秘話として、監督がチポッリーニ獲得を考えていたことも明かされた。チポッリーニとのジョイントチーム構想があり、ビッグネームを欲していたためだ。しかし、彼ほどの選手だと給与面で失礼にならないオファーを出す必要があり、それには資金面で十分とはいえず、契約には至らなかったと。

■ 2004.11.09 (Tue)  続報&お礼: ジャパンカップで来日したベルギー選手からメールがきて、、、
11月1日に本トクダネでお願いした件、ご協力してくださった方々、どうもありがとうございました。2000年にジャパンカップで来日したファルム・フリッツのニコ・ルイロフトから再びメールが来ました。

最初のメールは、<ジャパンカップで来日したものの、あの時の写真が1枚もなくて日本の思い出がひとつもない。あの時の写真をお持ちじゃありませんか?>という内容だった。そして、皆さんのご協力もあり、彼がばっちり写った写真などなど送ることができました。偶然私もレースを走る彼が写っている写真を持っていることを発見。それらをまとめて送りました。

「写真どうもありがとう。すごく感謝してるよ。ジャパンカップに出場した時の写真が一枚もなかったけど、やっとこれで写真をゲットすることができました。写真はどれも素晴らしかった。これからプリントすることにするよ。本当にどうもありがとう」と。
ニコ、これで日本のこと、たまには思い出したりしてね!

hello Nana,
Thanks alot for the pictures. I really appreciate it. Since I participated in the Japan Cup, I didn't have one picture so now I am happy to finally have one.
The pictures are great, I am going to print them out.
Again Thanks alot.
Nico Ruyloft

■ 2004.11.10 (Wed)  CSC記者会見内容
CSCのリース監督の記者会見が行われた。サブスポンサーの1つアルム・ブランドがあと4年サポートすることを決定したため、あと1人か2人の選手を雇用する余裕が出来たそうだ。その他:

― スコット・サンダーランドが幹部としてCSCにジョインしたのは、元プロ選手で人望の厚いショーン・イエーツがCSC幹部の座を去ったため、その後任となる。(イエーツはディスカバリーの幹部になった。)最初サンダーランドは選手としてCSCからオファーを受けたが、ファクタ時代同僚だったアンデルセンが、彼を幹部に入れてはどうかとリースに示唆した。そこでリースはサンダーランドに選手兼助監督のオファーをしたが(その後フルタイムで幹部になるというシナリオ)、サンダーランドはどちらかに専念したいと申し出た。最終的に、彼は選手を引退し幹部業に徹することが決定。

― 先日のCNのブリュイネール監督のコメントと相反するのだが(ブリュイネース氏は、バッソへのオファーはなかったと発言していた)、リースいわく、ディスカバリーがバッソにオファーをした噂は本当だという。しかしバッソはCSCでリーダーをすることを選んだ。(どっちの監督の言っていることが本当?)

― ロンバルディがチームにジョイン。来年世界選の後に引退というシナリオで、ヴエルタにも出場する予定。
― ドイツのヤクシェがサイス監督の元に戻った点については(彼はもともとオンセにいた)、高額のオファーができなかったためで、チームと確執があったわけではない。

■ 2004.11.10 (Wed)  大変!!ペタッキのバイク(サイクルショー展示用)が盗難!!でも本人は来日するよ。
さすがイタリア。これぞ本当の自転車泥棒。。
11月19日から21日まで東京で開催されるサイクルショーの出展バイクが盗まれた。盗まれたのはペタッキの実車(ピナレッロ・ドグマFP)。サイクルショーに向けてイタリアから輸送される途中、バイクを積んでいたカートンがこじあけられていたのが見つかった。

どこで被害にあったのかは不明だが、イタリアの空港で出発時にやられたという見方もある。。。ということで、サイクルショーのために、ペタッキの2台目となるバイクが現在再び空路輸送される予定。今度はどうか厳重に。。。

■ 2004.11.11 (Thu)  ハビエル・オチョア再び優勝。レースの前にはハビママが苦悩の日々と綴った手記を朗読。
先日のバレンシアでのクリテリウム(前座の牛レースでフレイレが勝ったあのレース)。ポイントと追い抜きで争われる本戦とは別に、ハンディキャップ部門のレース(カレラ・ソリダリダ=団結レース)も同時開催された。出場選手は3人。優勝はもちろんハビエル・オチョア。五輪金・銀メダリストの貫禄を見せつけた。

レース前にはハビエルのママであるマリア・パラシオスが手記を朗読。ハビエルが事故にあってから徐々に苦難を乗り越えていくまでの手記だ。これを一緒に朗読したのは、女優のピラール・アンドレス。地元新聞の記事には「女優」と書いてあるのだが、そういう女優さんは見つからなかった。

更に根気よく調べたら、地元バレンシアの女性で、ダウン症の女性を主人公にしたTV映画に主演した人だった。映画の中同様 自らダウン症で、<家族とともに苦難を乗り越えていく女性>を熱演していた。その彼女、ハビママと一緒に手記を読み上げ、さらに最後にはみんなで亡くなったリカルドの冥福を祈った。

■ 2004.11.11 (Thu)  バッソ来日キャンセルの件と気になるお母さんの容態
バッソのサイクルショー来日がキャンセルになったけど、お母さんの容態が急変したのだろうか。彼のお母さんは膵臓癌を患っていて、そのせいでバッソはランスが推進しているガン撲滅運動にいたく同調していると聞いている。

今年のツールでは、バッソはランスの主要ライバルでありながら、友人でもあった。その証拠にバッソはリヴストロング・バンドをしていた。彼は膵臓癌を患っている母親のことで、ランスにいろいろと相談をしていた。どうやって<母親の癌との戦い>をサポートできるかということについて。ツール入りする前も、ランスとバッソはよく話し合った。レースのことなどほとんど話さず、母親の病気のことばかり。

だからツール第12ステージでバッソが区間優勝し、ランスが2位に甘んじた際も、バッソなら勝たせてもいい、という気持ちがランスの中にあったという(でも、その後の第15ステージでは、総合でバッソがランスについで2位に浮上していたので、バッソを勝たせることは絶対に許さなかった。その時はスプリントでバッソをくだし、ランスが優勝。)
とにかく、上記の心配が杞憂であればいいけど。

■ 2004.11.12 (Fri)  NYシティーマラソンの結果見ました?ラドクリフの結果しか見てない?ランスの元妻が完走しました
ランスの元妻クリスティン・アームストロングが先日のNYシティーマラソン(NYCM)を自己ベストで完走した。しかも一般ランナーとしては、すごくいいタイムだ。3時間45分35秒。まだマラソン経験は2度目だというのに。。順位は3万人以上が出場して総合で4717位。女子の部門で729位。年齢別(彼女は33歳)では305位。

参考までに、NYCMで今回優勝したラドクリフのタイムは2時間23分10秒。今回、20分は切らなかったとはいえ、アテネから短期間でここまで持ってくるのはやはり圧巻だ。

脱線ついでに、東京国際女子マラソンに出場するための標準タイムは3時間15分。モデルさんの長谷川理恵は去年、15分を切れずに、東京国際女子マラソン出場権を僅かの差で逃して惜しかった。出場していたら観客動員数が増えただろう。(近年毎年観戦している東京国際女子マラソン。今年は千葉真子や、招待で谷川真理が出る予定。)長谷川理恵の自己ベストは3時間15分36秒(ハワイホノルルマラソン03)だとか。いずれにしてもすごく早い。

話をクリスティンに戻そう。彼女は2003年9月にランスと別れてから、マラソンに打ち込んできた。ダラスのホワイト・ロックマラソンに挑戦し、3時間48秒台を出し、次に今回のNYCマラソンを走った。以下、彼女の談話:

「最初のマラソンでは、ランスみたいになることを目指していた。彼はアスリートとして速く走ることで、自身の感情を無にすることができる。でも、私は絶望や惨めな気持ちから逃げる必要はないと気がついた。自分は、こうした苦しいという感情と向き合うことができるんだって。だから今自分が走っているのは、感情から逃げるためじゃない。私とランスは、こういうところも違っていたんだな、と今になって気付いたわ。」

「今私は自分の悲しみや痛みと向き合うことができる。ランスは好きな人生を行った。彼は彼なんだと思う。今の自分の人生は自分が思い描いていたものとは違ったけど、でも現状幸せ。子供たちのためにも、幸せにならなくちゃ。」

シェリル・クロウとランスが付き合っていることについては:
もし、ランスが私みたいな一般人と付き合っていたら、すごく辛かったと思う。でも、彼の新しい人生は社交界の華やかな有名人に囲まれた生活。これは私とは相容れない世界で、私との共通点は全くない。」

今年彼女はツールを一切見なかった。過去何度も足を運んだツールだが。人からランス優勝を聞いた時、「ほんと?すごいわね」と思ったと。

「私には双子の娘もいる。彼女たちは私のことをすごく観察しているからお手本になるように自分の行動に気をつけている。彼女たちからは尊敬される人となりたい。私たちのママは、苦しみを乗り越えてすごく頑張った偉大な人だった、そういう風に後で振り返って言ってもらえるようになりたい。」
思わずエールを送りたくなるようなインタビューでした。

■ 2004.11.12 (Fri)  Wilier コフィディスを制覇、でもゲロルシュタイナー向けはスペシャライズドに負けた。
先日Newsブリーフィングでお伝えしたコフィディスのWilierのバイク。CNにスケッチと写真が掲載された。これがコフィディスの05−06年バイク。07−08年のオプション付契約なので、Wilierは現在の契約のもとでは最大4年間チームにバイクを供給することになる。

メインで乗るのはスカンジウム−アルミのフレーム。ゲロルシュタイナーに03−04年支給したバイクに近い。更に先日お伝えしたル・ロワのバイクの方はトップパフォーマンスを示すEFBe-Standard 1300の証明を獲得したそうだ。会社でみんな必死になってISOを取得しようとするのと同じだ。

会社と同じといえば、こうしたバイクの支給も入札システムだということ。Wilierは04年はゲロルシュタイナーとランプレにバイクを供給したものの、05年用バイクのゲロルシュタイナーの入札ではスペシャライズドに負けたという噂。またランプレはサエコと合併したためWilierからの供給はなしになった。今年はレベッリン(ゲロルシュタイナー)やアスタルロア(ランプレ)がWilierに乗り、Wilierにとってもいい宣伝材料となった。
http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=photos/2004/tech/news/nov09/bici_cofidis

■ 2004.11.13 (Sat)  2007ツール グランデパールはロンドンが最有力候補
2007年のツールドフランススタート地点(グランデパール)最有力候補地は、ロンドンだという報道が幾つかのサイトで見受けられる。プロローグにはトラファルガースクエア、国会議事堂、ウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、ハイドパークなどを盛り込む案も浮上し、まさに観光バスコース。

更に第1ステージ案はビッグ・ベン、ロンドン・アイ(例のミレニアム記念の大観覧車)、セントポール寺院(81年、ダイアナ妃とチャールズ皇太子が結婚式をあげた寺院)、ロンドン塔、タワーブリッジ。。。これなら観光&ツール観戦ばっちり二度美味しいのだが、今まだ誘致の最中。

94年にツール開幕2ステージを経験しているイギリス。(ドーヴァー、ブライトン、プリマス)。今回は新市長のケン・リヴィングストン氏がアピールをかねて誘致に熱心だそうだ。とはいえ、グランデパールの正式発表は来年夏以降。先は長い。

■ 2004.11.14 (Sun)  フォナックのプロツアー入りは一旦拒絶
昨日スペインのトドエルシクリズモで暴露された記事は、本当だった。金曜日にローザンヌでプロツアーチームのライセンスを正式承認する会議が開かれた。土曜日の午後に、そのチーム名が一斉に発表されることになっていたが、発表の前に、「フォナックのライセンスは承認されない」という記事が出ていた。

この報道は、正しかったようで、フォナックは今回ライセンス取得が認められなかった。その他18チームは正式に取得が決定。通常ライセンス期間は4年だが、ファッサ、サエコ・ランプレ、バレアレスのようにそれより短い期間のライセンスのみ、というチームもある。(全18チームとライセンス期間については、下記URL参照。)

http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-protour.html

他にTモバイルも2年間ライセンスのみ。Tモバイルの場合は理由があって、マネージメントを現在の幹部ホデフロートからオラフ・ルドフィッヒに委譲することが決定している。よって、ライセンス有効期間は、両者の引継ぎがなされる2年間のモラトリウム期間のみに限定した模様。

また、この18チームに追加して、ドミナヴァカンツェ+デナルディのライセンスもほぼ承認される見込み。ドミナは04年6月以降、選手への給与支払が滞っており裁判沙汰になっているため、ライセンスの承認手続きがやや遅れている。

フォナックはカメンツィンが薬物使用を認めて引退。続いてハミルトンとSペレスが今年の夏から開始された新技術による血液ドーピング検査で引っかかった。クリーンな自転車競技を目指すUCIとしては、同じチームからこういった一連の問題が出たことを重視した。

では、ミラー、ルトキエヴィッチ、クランといった選手の薬物使用が取りざたされたコフィディスは何故プロチーム入りOKが出たのか?彼らは今シーズン前半に騒動が起こったことで救われた感がある。つまり、春のうちに膿を出し、すぐに使用を認めた選手を解雇。更にチームは自主的にレース出場を一定期間取り止めた。チームの浄化政策をただちに打ち出したのがよかった。
(そのためチームは春のクラシック後半を逃し、ワールドカップを狙っていたアスタルロアにとっては悲劇だったが。)

フォナックの場合はタイミングも悪かった。カメンツィンはそのまま引退したものの、あとの2人の件について、まだ状況確認している最中。実質的にはチームとして具体的な対応策は打ち出していない。フォナックはこれから何らかのアピール&改善策をUCIに対して11月22日までに行う必要がある。その後、12月2日には、最終決定が出る。つまり、彼らのプロツアー入りの夢が絶たれたわけではない。
(とはいえ、フォナックにもしライセンスが与えられても、1年間の期限付きである可能性もある。)

ただ、ハミルトンの場合はやや状況が不利。ペレスは自己輸血の疑惑だが、ハミルトンの場合は異種血の血液ドーピングの疑いが持たれている。つまり、彼の場合、ヴエルタの血液サンプルA・B両方で、2つの異なる血球が検出されている。これをどう説明するか。WADA(世界アンチドーピング機構)のディック・パウンド会長は、これを非常に重く受け止めている。フォナックは新導入された血液検査技術の欠陥を徹底的に証明する必要があるだろう。或いは、検査に関し何らかの不利な結論が出た際 選手たちの制裁をどうするかを明確に示す必要がある。猶予は余りない。

■ 2004.11.15 (Mon)  中日スポーツ ランスの記事
grp1115082622.jpg 600×357 24KランスがF1に興味を示しているという報道は、先日来あちこちのサイトに出ていたが、遂に日本の新聞にも登場したそうだ。(写真は読者の方からの提供。)先日お伝えした通り、F1ドライバーのMウェーバーがランスのテキサスの自宅で一緒にトレーニングをした。そして、この後ウェーバーはインタビューで、「ランスはF1マシンをドライブしてみたいと言っていた」、と発言したのだ。もっとも、印象としては、気軽なトークとしてしゃべったという感じ。

ちなみに、ウェーバーにランスとのトレーニングの様子を聞いたところ、「楽しかったが短かった。Mシューマッハーとランスはたくさん共通点がある」と。ウェーバーは大のランスファンで、ランスが癌治療を受けたインディアナポリスの病院に、ランスの治療をしてくれた御礼にまで行ったそうだ。

■ 2004.11.16 (Tue)  ヴエルタのプレゼンテーションは12月15日
来年のヴエルタのコースは12月15日水曜日に公開となる。例によって場所はマドリッド。レースはプロツアーカレンダーの関係で例年より早く、8月27日から9月18日の日程で行われる。夏真っ盛りで、もしレース前半に南部のコスタデルソルあたりが入ってしまったら、連日40度を越えることになるだろう。ヴエルタは来年60回目となる。

■ 2004.11.16 (Tue)  Tモバイルはオールカーボンで地球を1周する : その1
Tモバイルの選手たちは、毎年40,000kmもの距離をバイクで走行する。つまりこれは丁度地球1周分に相当する。その間、バイクはフランドルの石畳を越えたり、ツールのアルプスの上りに耐えたり、ゴールスプリントの激しいダッシュに耐えなくてはいけない。バイクにかかる負荷たるや相当なもの。

自然の流れとして、選手たちの要求は「より頑丈に」、「より軽く」、「ショックアブソーブを万全に」、「1日6時間走っても快適なサドルを」、、、などなど。そこで、来年Tモバイルが下した選択は、ジャイアントのオールカーボン。最新鋭のハイテクを駆使したフレームだ。

UCI規定重量制限の6.8kgに対し、バイク重量は6.9kg。ツァベルは、「スプリントで猛チャージをかける際、かなりの割合の力はハンドルバーとペダルにかかってくる。」と言っている。加速性を増し、更にペダルを必死で漕いだ時のぶれを最小限にするため、ジャイアントはコンパクトな設計を進めてきた。高い剛性を確保するためにスローピングを採用。これで、アルミに拘ったツァベルもカーボンへ移行することをOKした。また、重心が下方へ移動するため、コーナリングの安定感も増す。

「フレームをオールカーボンにしたことで、メリットは2つ。まず、より軽く、より頑丈に、というのが実現した。更に、腿からペダルに力を伝えていく際に、途中で力のロスがなく、じかにペダルに力を送ることができる。」とウルリッヒの弁。

■ 2004.11.16 (Tue)  Tモバイルはオールカーボンで地球を1周する : その2 -- 2005 Tモバイルのジャイアント
Tモバイルの選手たちはシマノのデュラエースがスムーズで使いやすくて気に入っている。インテグレート ブレーキ・シフトレバーはスムーズで、下りや厳しいコーナリングの際も、シフトレバー操作が効率よく行える。

「先ずは慣れることから始めた。でも一旦慣れてしまえば、あとは第二のからだみたいだ。」とウルリッヒも、シマノのインテグレート ブレーキ・シフトレバーには満足している様子。

ホイールに関しては、ロードコンディション次第で変えていく。春のクラシックのような悪路ではコンヴェンショナルなアルミホイール。そうでなければカーボンファイバーホイールを用いる。その場合、リム・スポーク・ハブも軽量のカーボンコンポジットとなる。

ハンドルバーとステムはイタリアのメーカー、Deda製。ツァベルとヴェセマンは軽量のカーボンモデルがお気に入りで、既にテストマシンで試してみた。このTモバイルのバイクは完成車で88万円程度(ユーロ=135円で換算)。技術革新の費用・カーボンの費用など含め、お値段はアップ。(続く)

■ 2004.11.17 (Wed)  ランスの記事web版
「アームストロング「F1乗りたい!!」:テスト参加に意欲」という先日の中日新聞の記事、Web版は下記です:

http://tochu.tokyo-np.co.jp/00/mot/20041114/ftu_____mot_____000.shtml

■ 2004.11.17 (Wed)  別府史之選手の2005カレンダー
ブリュイネール監督がチーム会報で述べた内容:
「別府について知っていることは、彼がここ3年か4年世界でずっと走ってきて、毎年実力を上げているということ。そして今シーズンいい成績を残している」。

別府選手の2005年レースカレンダーは、チームの若手、及びネオプロの選手(マッカーティー、ステイン・ドゥヴォルデー、ユルヘン・ヴァンデンブルックといった選手)と同じようなものになるだろうと。つまり、小規模のステージレースと時折ワンデイを走る予定。「そしてもちろん、アジアでレースがある際は、彼は真っ先にエントリーされるよ」と監督。

更に、「ディスカバリーの目標は世界的なチーム。チームにとっても、スポンサーにとってもそうあるべきだ。別府のような選手が加入したことで、ディスカバリーは世界中の市場をカバーすることができる。更に、彼の成績を見るところ、ポテンシャルある面白い若手だと思う。」

■ 2004.11.18 (Thu)  ウルリッヒが出版した本のご紹介
2003年10月、ランスは2冊目の自伝、「Every second counts毎秒が生きるチャンス」をリリースし、このほど日本でも漸く翻訳が出た。一方、ウルリッヒも、この夏、ファン待望の自伝「Ganz oder gar nicht : Meine Geschichte = all or nothing at all : my story」を出版した。本の内容は一言で言うと、ウルリッヒのアップ&ダウン、つまり波乱に満ちた今までの軌跡を振り返っているそうだ。

この本は、ツールの直前に出版されたのだが、なかなか内容に関する情報が取れなかった。既に本国などでは書店に並び、漸く内容の一部がベールを脱いだ。

本の中で、ウルリッヒは今まで余り語られることのなかった本心を吐露している。例えば、疎遠になった父の事。父はアルコール依存症で、彼が子供の頃、父の存在は家族を恐怖に陥れていたと語る。父が家族を去って以来、ヤンは父とは一度も会っていない。また、2002年、検査で陽性となりレース出場停止処分となった時のことも勇気を持って書いている。

今年のツールの前に書かれているので、ツールへの意欲もなみなみと書かれている。「今年のツールでは、僕が才能あるライダーか、或いは単に才能を開花することのできない凡人なのかが問われるだろう」。

「あと僕に残されたツールのチャンスは2回か3回。僕は過去間違いを犯したことで成長した。弱点を克服するのは決してやさしいことではない。でも、壁にぶち当たってこそ、僕は真のファイターとなれる。」

「誰かがランスに、君よりもっと上を行く選手がいるんだ、ということを見せ付けなくてはいけない。 」

本の表紙はウルリッヒのアップ写真:
http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3430192315/qid=1100684899/sr=1-3/ref=sr_1_11_3/302-0667671-3781651

このほど、ウルリッヒはドイツでサイン会を行う。
11月22日(月)ベルリン ポッツダマー広場で18:30から
11月23日(火)フライブルクにて13:00から

■ 2004.11.18 (Thu)  クーネゴが訪れたレストラン
grp1118232531.JPG 640×480 202Kクーネゴが来日中に東京と宇都宮を往復して取材で訪れたレストランはここ。東京 汐留の「ビーチェ」。イタリアンレストランだ。

http://www.kateigaho.com/html/sp02/pickup02/0306_pickup_2_02.html

左の写真のように景色は抜群。なにせ47F。レストランのイタリア人スタッフは自転車好きで、クーネゴからサインをもらって喜んでいたとか。夜は結構なお値段だけど、ランチならなんとか、、、行けるかな?

ちなみにこの時の取材の記事は、ガゼッタの別冊特集で取り上げたられたしい。そうか、財力的に納得。でも、一方で、例の雑誌にも やはりクーネゴの特集が出るようだ。シモーニと同じようにホテル前で撮影した写真館写真がついていると思われる。

■ 2004.11.18 (Thu)  ウルリッヒの記事を投稿したその日に、ウルリッヒから再びEmailがきた話。
今、帰宅したらヤン・ウルリッヒからメールが届いていた。完全に失念していた。8月26日に、私の方から彼にメールを出していた。というのも、ツールの最中仲良くなったドイツ人の青年たちが、ウルリッヒを真剣に応援していた姿に打たれて、思わずヤンにそれを教えたくなったから。

そして、彼らの写真をヤンに送った。現地から入れたツール追っかけ日記のうち、7月17日の写真5)と6)だ。(ウルリッヒの文字をTシャツに書いて人文字を作っていた人たちの写真)
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tour04/j-diary.html

彼らはすごくいい人たちで、会話が弾んだ。特に「ヤンが調子悪くて、とてもやきもきしている。僕らもヤン同様東ドイツから来たんだ。ヤンがどうして今ひとつ体調不良なのか、理由がわからずすごく不安。現地にいると、こうした原因とか詳細なニュースが聞こえてこなくて心配がますます募る。」と言っていたのが印象的だった。

彼らはウルリッヒを心から応援していて、彼がこの時点でトップ争いから後退しつつあるのをすごく心配し、ものすごく熱い応援をしていた。これをヤンに伝えたかった。

ウルリッヒのメールはこれからちゃんと読んで、改めて訳してお届けします。(といって手短なメールではありますが。)とにかく最後には、「返事が遅くなってごめん。すごくたくさんのEmailをもらうもんだから。」と書かれていた。でも、あのウルリッヒがすごい数のメールにもかかわらず返事をくれるなんて。。再び感激してしまった。下記は最初にもらったEmail。

http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/j-jan.html

感激したのにはもうひとつ訳がある。今日、ウルリッヒの話題を久々にインプットしたら、その日に彼からメールが来たから。実は11/14にウルリッヒファンの方からメールを頂いて、最初にウルリッヒから当方がメールをもらった時に、こちらのHPに遊びにきてくれて、以来HPを訪れてきてくれているという。そうしたことから、今日は久々にウルリッヒのニュースにしよう、と決めた。まるで、インスピレーションが通じ合ったような。。。

■ 2004.11.19 (Fri)  サイクルショー: ファッサのフェレッティ監督を発見
feretti.jpg 327×286 16K本日から始まったサイクルショーの会場で、ファッサのフェレッティ監督を発見。全くの偶然ながら、当方はフェレッティ監督と今年のツールで写した写真を会場に持参していた。もちろん、監督が来るなんて全く知らなかった。ただ、ペタッキが来日してピナレロのブースが賑わうだろうと、念のため話のタネに持参していた。まさか写真(プリンターで打ち出したもの)の上に本人からサインがもらえるとは。

この写真を監督に見せたら、「あー」といって微笑んで、ほっぺたにビーズ(チュッというやつ)を頂き、更にサインを頂いた。永井さん経由、来日目的を聞いたら:

監督:コーキや中野に会うため。更にピナレロの人たちへの表敬訪問(と、イタリア語の混じったフランス語で教えてくれた。)
監督: ツールには毎年行っているのか?
当方:96年からほぼ毎年。
監督:隣にいるのは旦那か?
当方:いえ、ただの友達です。

いつかもジャパンカップのとき、ロットのドゥティルーが彼を指差して「あれがお前の旦那か?」と聞かれたけど、彼はミーハー仲間の九州からきたお友達です。

あ、もちろんペタッキも彼女のアンナキアーラとともに来てました。友人がポスターにサインをもらってそれを譲り受けたので、サインの長蛇には並ばずにすみました。あとアテネ五輪MTBXC金メダリストのGダールも金メダルをつけて登場。

来週休日出勤になったので、今日は休日振替のつもりだったが、結局出社。サイクルショーはちょこっと見ただけだったが、とりあえず助走として面白かった。今年はスペシャライズド、ビアンキなどが見当たらなかった。2000年は会場のデコレーションもかなり派手で、スペシャライズドあたりはフレームの天井吊りが美しかったっけ。ド派手なラスベガスやミラノのバイクショーを見慣れているペタッキの目にはどう映っただろう。

■ 2004.11.20 (Sat)  去年の世界チャンピオン、アスタルロアはCSC入りを希望
ランプレ・カッフィータの最新チーム登録選手リストを見て、あれ?と思った方もいるだろう。(本日のCN「Lampre-Caffita meets 」の記事)
http://www.cyclingnews.com/news.php?id=news/2004/nov04/nov20news

そう、イゴール・アスタルロアの名前がないのだ。このチームは基本的にランプレとサエコの合併チームで、アスタルロアも流れとしてはこのチームで走ることになっていた。何故彼の名前がないのか調べたところ、ランプレとの契約を破棄してCSC入りを希望しているとのこと。

現在彼はCSCと交渉している。他にCSCとネゴ中なのは、フォナックのフロイド・ランディス、一旦引退と思われたヴァインスタインス。ランディスは12/2のUCIプロツアーライセンス最終決定時に万が一フォナックがライセンス取得できなかった場合を想定し、CSCに接近しているという。

しかしながら、CSCはサブスポンサーを得たとはいえ、出資スケールが小さく、大型選手を雇う力がない。現在「アスタルロア、ランディスを雇うお金はない」、というCSC側のコメントが出ている。

■ 2004.11.20 (Sat)  コルナゴがクローバーのマークを選んだわけ
colnago.jpg 508×398 29Kバイクショーにエルネスト・コルナゴ氏が来るというので事前にコルナゴのサイト
http://www.colnago.co.jp/index_sp.htmlhttp://www.colnagonews.com/
でColnago Historyを簡単にチェックした。

後者のサイトにコルナゴ氏8歳の時の写真が出ていた。なかなか可愛い。念のため印刷して昨日から持ち歩いていた。今日突如思い立ってこれにコルナゴ氏のサインを頂くことに。嫌がられるかと思いきや、コルナゴ氏は、会場に来ていた甥のアレックスに、「おい、これ見ろよ」てな感じで、この自分の幼少時代の写真を見せていた。サインにクローバーマーク・Tokio 2004の文字が添えられていた。

ところで、このサイトに、1970年に「有名なクローバーのマークを初めて使用」と書かれていた。なんでクローバーマークなのか、アレックスに聞いてみた。

アレックスの話によると:
1970年、ミケーレ・ダンチェッリがミラノ〜サンレモで優勝した。ミラノ〜サンレモといえばイタリアでは栄誉あるレース。ところが1953年に優勝して以来、イタリア人は優勝から見放されていた。しかし17年ぶりにイタリア選手が優勝したのだ。しかも、コルナゴのカスタムメードのバイクで。

これは歴史的な出来事だった。そこで、当時世界的に有名だったジャーナリストがコルナゴに、この記念に新しいトレードマークを考えてはどうか、と進言した。

考えた末、サンレモにちなんだ名前をつけることを思いついた。サンレモといえば「花の町」。そして浮かんだのがクローバーだった。クローバーはイタリア語でl'asso di fiori(Ace of flowers=花の中のエース)という。つまり花の中の最高峰を意味する。こうして、花が溢れるサンレモの街を象徴し、且つ、最高峰を象徴する歴史的なコルナゴのクローバーマークが誕生した。

Takuro Uesaka's Homepage & Colnagoのサイトをリンクに追加

■ 2004.11.20 (Sat)  バイクショーの専用ページ
04年 バイクショーの専用ページ作りました。まだ途中ですが。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-bs04.html

■ 2004.11.21 (Sun)  ヨセバ・ベロキも
ランプレとの契約を反故にしてCSCに移籍希望表明しているアスタルロアに続き、ヨセバ・ベロキも同じ状況に。ブーランジェールから今年シーズン半ばでサウニエルに移籍したものの、サイス監督のいるリバティーに戻りたいとして交渉中。彼がサイス監督との縁を切ってブーランジェールに移籍したのは去年の今頃。誰しもが彼はサイス監督のチームで走ると思っていたので、かなり唐突な心境の変化だった。

しかしその後彼は故障が続き、そういう状況下では、やはり長年信頼関係を築いた監督のもとで走らない限り、チームと良好な関係を保つのは難しかった。それにしても気になるのは弟ゴルカ。兄の移籍に振り回され、来季やっとブーランジェールからサウニエルに移籍できることが決まったばかりなのだが。。。

先ほど入ったニュースでは、サウニエルとの契約破棄はほぼ承認される見込みで、サイス監督もベロキのリバティー入りに肯定的な姿勢であるとのこと。

■ 2004.11.22 (Mon)  FCバルセロナがコンチネンタルチーム設立の可能性:続報
先日News Briefingでちょっとお知らせしたFCバルセロナの自転車チーム設立の続報です。来年度から、FCバルセロナはコンチネンタルチームを設立する計画がある。コンチネンタルチームというのは、新制度のコンチネンタルサーキットというレース出場権利を有するカテゴリーのチーム。

今までプロツアーの話をしてきましたが、来年からはプロツアーと別に、5大陸で開催されるコンチネンタルツアーというのが設けられる。出場できるのは基本的にプロチーム(プロツアーライセンスを有するトップチームの次に位置するチーム)、コンチネンタルチーム、ナショナルチーム、リージョナル・クラブチーム。(但しレースカテゴリーによってその都度出場できるチームレベルは異なる。)

FCバルセロナは既に現在U23、アマチュア部門の自転車部門FC Barcelona-Excelentを設立しており、クラブニュースには自転車部門のニュースも掲載されているようです。(下記URL)

http://www.fcbarcelona.com/esp/noticias/noticias/n04090202.shtml

アテネオリンピックのスペインのトラックメダリストのセルヒ・エスコバールはバルサの自転車部門に在籍し、世界選手権でも優勝している有力選手。バルサのユニフォームの色は、サッカー・自転車チームとも同じユニフォーム、つまりブラウグラーナ(ブルーと赤紫が)。自転車クラブの方は自転車、ヘルメット等々全てブラウグラーナで統一。来年から、コンチネンタルチームとなればこのウエアを目にする機会が少しできるかもしれない。

ただ、目下クラブがコンチネンタルチーム設立に至るかどうか問題が1つある。それは人気選手エスコバールとチーム随一のスプリンターであるハビエル・ベニテスが、他のチームから魅力的なオファーをもらっていること。他チームに彼らが流れてしまえば、幹部はFCバルセロナのコンチネンタルチーム入りを断念するそうだ。

■ 2004.11.23 (Tue)  Tモバイルはアムステルダムで合宿
来シーズンに向けて、Tモバイルが最初の顔見せを行った。19日から22日まで、場所はアムステルダム。来季のプランを確認し、新しい選手紹介、健康診断、新しいウエアの支給などなど。セビーヤなど、新しい選手がチームに溶け込めるようにセミナーも開催。

バイクのジェオメトリーテスト、新しいウエアでのチームの写真撮影のほか、観光、パーティーもあり。月曜日にはTモバイルのオランダ本部で記者会見。

その中でウルリッヒはきっぱり述べた:
「ツールで勝ちたい。我々はヴィノとクレーデンを擁する、強いアタックのチーム。セビーヤも加わってますます山岳でチームの力を増強することができた。ツールでいいパフォーマンスができると確信している。また、ランス・アームストロングもツールに出場することを希望している。とにかくツールに最高のコンディションでのぞむよう、トレーニングに集中していくつもりだ。」

■ 2004.11.23 (Tue)  プロツアー最後の枠を3チームが争う
プロツアー最新情報。先日19チームがプロツアー入りを決めたが、既にお伝えのとおり、フォナックの「UCIプロチーム」(ライセンスを有するチームの呼称)入りは見送られた。11月22日までにヒアリングを行い、彼らのプロチーム入りが最終審議されるのだが、20チームの枠の最後の1枠を狙ったヒアリングを行ったのはフォナックだけではなかった。

AG2RとベルギーのMr.Bookmaker.com・パルマンスも同時にUCIにプロチームのアピールを行った。UCIの従来規定では、この3チームの中ではフォナックのプロチーム入りが圧倒的に濃厚だった。

なにしろハミルトン、Sペレスだけでなく、05年からチームに加わる予定でいるのは、ランディス、ペーニャ、ボテロ、ペルディゲロなどの有力選手。この3チームの中では選手層はダントツだ。

従来規定は選手のUCIポイント重視なので、過去の規定でいけば、フォナックのプロチーム入りは確約されたも同然。しかし、新たなプロツアーの審査基準には、経済・法的審議に加え、こんな2条項が明記されている:

ー 自転車競技のイメージを傷つける要素がないこと
ー ドーピング関連の問題などを含め、倫理規範を遵守すること。

前回フォナックのプロチーム入りが保留されたのは、この2条項に引っかかったためだ。今回のヒアリングでフォナックは、いかに今後チームとしての倫理観をUCIに対して明確に示せたかどうか。彼らのプロチーム認定は、まさにこの点に絞られる。一方で、AG2R、ブックメーカーにとっては、資金的な要素を中心にUCIに十分アピールできたかどうかが焦点になる。

結論は、早ければ11月30日頃には出る見込み。

■ 2004.11.24 (Wed)  リヴストロングバンドが皇室入り
英国王室のウィリアム王子がリヴストロングバンドをしているらしい。彼がビリヤードをしている映像で黄色いバンドを確認した人もいる。確かにスコットランド地方のニュース記事にその旨 出ていた。最近いろいろなスポーツ選手らがバンドをしているので、少々のことでは驚かなくなったものの、流石にイギリス王室の王子さまがしているというのはニュースだ。

更にこのスコットランドの記事に、民主党のジョン・ケリー候補もしていたと書いてあった。これもびっくり。そもそもアームストロングはテキサス出身のブッシュ大統領と懇意にしており、内閣で癌撲滅委員のボードメンバーに入っていたほど。敵陣営に近い人の出しているバンドをしているというのは意外だったが、もっともあのバンドは癌研究資金集め。そういう趣旨でケリー候補はバンドをしていたのだろう。(或いは敵陣営寄りの人とはいえ、社会的貢献をしている人については寛容な態度を示す点をアピールしたかったか。)

■ 2004.11.24 (Wed)  FCバルセロナ続き(ちょいオタク系)
先に投稿したニュースの続編。バルサのアマチュア自転車チーム、強豪らしいです。更に、監督はオンセ在籍時代、’91ヴエルタを制したあのM・マウリらしい。

「今年のカタルーニャ地方のアマチュアレースはもうバルサの独壇場。数々のアマチュアヴエルタで最初のタイムトライアルをセルジエスコバルが勝利していて、やはりFCバルセロナの注目度はスペインでも高いですね。監督にメルコール・マウリ元選手を迎えているところが、強い選手同士でありながら結束がとれている理由だと思います。

一方バレンシア地方は激戦区で、CV Kelmeのアマチームの他、多くの強いチームがひしめいている感じです。」
スペインで走っている人からの情報なので、流石に詳しいです。あのマウリが監督とは知らなかった。そういえば彼はカタルーニャ出身だ。

ちなみに、サウニエルもアマチームがあって強いみたい。あと、去年までWurth-ONCEだったチームはWurth-Libertyになって、オンセはアマチームまで撤退したらしい。スペインのCiclismo a Fondoという雑誌は、アマのリザルトや写真も載っているので、たまに見ると面白いです。99年のこの雑誌で、イバン・マヨ(当時はアマチュアのバケチーム所属。最優秀U-23だった。)と初めて出会ってファンになった次第。

■ 2004.11.25 (Thu)  バルトリ引退
34歳のミケーレ・バルトリがミラノで水曜日に引退を表明。12年の競技生活を閉じることにした。フランドル、フレッシュワロンヌ、ヘットヴォルク、チューリッヒ選手権、アムステルゴールド優勝。更にL-B-Lとロンバルディアは2勝しており、文字通りクラシックハンターだった。

「難しい決断だった。シーズン中はずっと故障を抱え、思ったような結果を出すことができなかった。続けたい気持ちはあったが、それがいい選択かどうか自信がなかった。結論は自分ひとりで出した。チームCSCは僕を信頼し、多大な支持をしてくれたから、大きな勝利をもたらしてから辞めたかった。

でも、来季も再び怪我で精彩を欠き、結果が出ないというリスクを犯すことはできなかった。これが今回の結論の引き金だった。もし自転車競技に戻るなら、ビヤンヌ(リース監督)と共に働きたい。彼のチームにいられたことで鼓舞された。いつも互いによく理解しあえた。」

■ 2004.11.25 (Thu)  ベロキのリバティー入りは決定。。。でなく暫定らしい。
下記ニュースのあと、サイス監督のコメントが取れて、ベロキの加入はまだ最終決定ではないと。「まだ解決すべき問題も残っているので、今週を目処に片をつけたい。」とはいえ、サウニエルからは既に脱退したので、ここで加入がひっくり返るとベロキも困るだろう。あとは細かい契約条項のすり合わせか。

記)
リバティーセグロスはヨセバ・ベロキと契約したことを確認した。ベロキは先日サウニエルとの契約を反故にしたところ。この1年ベロキにとってめまぐるしかった。去年の今頃サイス監督と突如決別し、ブリオッシュへ移籍。周囲は、彼は当然リバティーに入ると思っていただけに唖然とした。

しかしツール直前にブリオッシュとも決裂。最初に報じられた理由は、チームが解散することを幹部から聞かされていなかったから、という理由。ブリオッシュはチームスポンサーを04年限りで打ち切ることを決めていたが、べロキはチームからその話を聞いておらず、マスコミを通じて知って、不信感が募ったと。

しかし、その後、実際の理由は、チームドクターへの不満だったと報じられた。喘息薬を処方してほしい(及び喘息なので喘息薬摂取可能の証明書を出してほしい)というベロキの依頼をドクターが、「彼は喘息ではない」として断ったことが直接の原因だった、という内容だ。ドクターとしては、軽々しく証明書は出せない。喘息薬にはUCI禁止薬物にあたる成分が入っているからだ。

結局チームも決まらぬままベロキはブリオッシュを飛び出し、その後漸くサウニエルへ移籍。ヴエルタは途中棄権し、今シーズンは結果が出せず不本意な1年だった。今回、やはり旧知の中であるサイス監督のもとで、1からのスタートとなった。

■ 2004.11.25 (Thu)  ハミルトンが沈黙を破った:「分析では陰性だったのに委員会の審査で陽性にされた」
会社から帰宅したらCNに長〜いハミルトンの独白記事。11/23、遂にハミルトンが沈黙を破ってDiaryを更新したようだ。仕事で細かい書類に目を通し、くたびれて帰ってきて、こんなに長い英語を読まなくちゃいけないなんて、「誰かこれ訳してよぉ、、、」と思っているサラリーマン(特に団塊の世代あたりの方たち?)の人もいることでしょう。当方もそんな一人なのですが、かいつまんで訳すことにしました。ハミルトンの苦悩が表れている。

一連の戦いの前哨戦で僕は敗北した。愚かにも、もし誠意を持って「僕は何もやましいことはしていません」と言って審判を待てば、無罪放免になると僕は思っていた。また愚かにも、アンチドーピング担当の当局は、審議が終わるまで僕に対して公に批判をすることはないと思っていた。でも僕は間違っていた。このまま手をこまねいていては、僕の評判は傷ついてしまう。だからここで、今までのメディア報道の不適切を払拭したい。

1.争点になっている五輪のサンプルAは、報道で伝えられているのとは異なり、実は陽性ではなかった。だからサンプルBで再検査される理由がわからなかった。しかしながら、これら陰性のサンプルが、見識者の委員会により、陽性とみなされたんだ。僕はIOCから正式に「貴方のサンプルAは陽性でした」と書かれた書類は今日に至るまで一切受領していない。

血液検査はプロ選手にとって致命的だから、信頼おける確立されたものでなくてはいけない。僕の場合、今まで一度も血液検査で疑義が生じたことはない。初めてのことで狼狽している。でも、「間違った陽性結果」は正される日がくるはずだ。

2.報道の間違いはもうひとつ。五輪のサンプルBは誤って冷凍保存されたのではない。(注:通常サンプルは<冷蔵>保存されるべきところ、誤って<冷凍>保存されたために彼のサンプルBは分析できなかったと報道されていた。)なんで関係者がこんな嘘をつくのか。

規則では、サンプルAが陰性ならばサンプルBは<冷凍>する、となっている。僕のサンプルは陰性だったから、当たり前に<冷凍>されたまでで、ラボのミスじゃない。

更に、アテネの結果とヴエルタの検査結果に非常な食い違いがあった。ということは、1)検査には有意性がない(有意=意味のあるデータではなかった)、2)検査方法の手順が規定通りでなかった、3)サンプルのどちらかは僕の血液ではなかった。僕はサンプル血液のDNA鑑定を何度も求めたが、却下された。また独立した科学者による再チェックも許されなかった。また、生データチェックも、検査手順確認も阻止された。おかしくないかい?

僕自身、スポーツ選手が不正を働いたという報道を聞くと、今まで結論は白か黒しかあり得ないと思っていた。でも、今回薬物検査がいかに複雑かを思い知らされ、ミスも起こりうることに気がついた。

スポーツはクリーンであるべきで、検査は必要だし、規定は遵守すべきだ。だからこそ、全ての結果が出揃うまで判定を下すのを控えるべきだし、試験は絶対的に正確であるべきだ。確立されていない検査方法・手順で生涯トレーニングに励んできた選手を検査するのは公正ではない。それによって選手生命は絶たれるのだから。

最後に、僕は弁護士ではない。科学者でも国際法学者でもない。だから僕がこのレースで勝てるとしたら、道はひとつしかない。真実を持って言う: 僕は自転車に乗って戦うのが好きで、10年間規則を曲げたりするようなことは一度もしていない。
タイラー・ハミルトン
(いつも必ず文末についていた、Thanks for readingの文がない。次回、彼の嫌疑が晴れれば、また再び日記の末尾にThanks for readingの文字を書いてくれる日が来るだろう。)

■ 2004.11.26 (Fri)  ウィリアム王子のリヴストロングバンド生写真
皇室入りしたリヴストロングバンド。ウィリアム王子がイエローのブレスレットをしている写真が見つかりました。王子様がリヴストロングバンドをしている姿(図書館でお勉強をしている姿)を写真で改めて見るのは、結構感動モノ。

http://img.dailymail.co.uk/img/galleries/williamuni/5studyingPA_350x250.jpg

■ 2004.11.26 (Fri)  再びスペイン生情報(再びややオタク系):スペインアマチーム事情
スペインで走っている人からの情報:
「サヌエルドウバルのアマチームは2チームあって、1チームは全くプロと同じジャージ。自転車も少しグレードの低いもの。もう1チームはこの予備軍のようなチームになっています。もちろんLIBATY SEGUROもKELMEもRELAXも同じジャージをきるアマチームがあって、自転車はプロのお下がりだったりします

去年はCOSTA ALMERIAもアマチームがあったのですが、資金難かなにかで解散しました。とにかく、スペインのプロチームは資金難でして、アマチュア選手がお金を払ってプロになることも少なくありません。BANESTO やKELMEなどのように、バレアス諸島やバレンシアといった州がチームを支えるようになったのも資金難が原因だそうです。

自分の友達のスペイン人たちは、ポルトガルのプロでデビューするのが、一つのルートになっていました。なぜならスペインにはないDIV 3のプロチームが多く存在するからです。多くのスペイン人がポルトガルに流れているのもここに答えがあるのです。」

。。。ということです。確かにポルトガルってTT1以下のチーム数が多いなと思っていたところ。来年はミラネサ、LAペコルを始め10チーム以上がコンチネンタルチームになるそうだ。で、ポルトガルのBarbot-Pascoal(現在のBarbot-Torrie)には、来年クラウス・ムラーが加入し、リーダーになることが決定。ムラーは今年アレッシオで走った。本HPのビデオで生映像が出ているあの人。「昔はクライマーだったけど、クライマーでい続けるのは大変なよ。もう僕はクライマーじゃない」と言っていたあの人。

ところで、上記のネタの配信元はスペインのアマチームVIVEROS ALCANARで走っている菅洋介選手。今年の夏にバルベルデの情報を現地から流してくれた人。(バルベルデの大物ぶりの原点は大食いぶりにある、というあのニュース)。菅さんはカタルーニャ・バレンシアを中心に走っているので、ムルシア地方出身のバルベルデのネタもたまに耳に入ってくる模様。

彼のサイトは下記:
http://home.d03.itscom.net/suga/

また、自転車&リーガ・エスパニョーラのファンという人も多いようですね。バルサの自転車チームのジャージがほしいという人のために、ジャージがどこかで手に入らないか探しましたが、バルセロナFCのオンラインショップはサッカーウエアのみでサイクル用は販売していませんでした。このオンラインショップが、バルサの唯一の公式ネットショップらしいんですが。バルサのバイク用ジャージは結構レア物なのでしょうかね。また情報入りましたらお知らせします。(下記はバルサのオンラインショップ英語版。但しサッカーウエア。)

http://shop.fcbarcelona.com/stores/barcelona/products/product_browse.aspx?cid=1357&brf=bcher
http://shop.fcbarcelona.com/stores/barcelona/products/product_browse.aspx?cid=1352&brf=bcrep

■ 2004.11.26 (Fri)  05年レースカレンダー
CNに既にレースカレンダーが掲載された。でも、プロツアー入りしているレースはまだ全部発表になっていないので カテゴリーなどは暫定版のはずだ。文中PTがプロツアーを指す。

http://www.cyclingnews.com/road/?id=cal05

TOJは5月15-22日、ジャパンカップは10月23-25日(と、書いてあるけど別にステージレースになったわけではあるまい。。)

■ 2004.11.26 (Fri)  アンドレア・タフィー現役続行。パリ〜ルーベで引退
タフィーがサウニエルと契約したそうだ。05年フランドルとパリ〜ルーベを走って、それで引退するシナリオらしい。

■ 2004.11.27 (Sat)  コルナゴの例の「秘密の話」の正体が判明:チームシマノがヨーロッパツアーのコンチネンタルプロチームに
05年、「Team Shimano-Van Keulen-Imabo Van Buren」というコンチネンタルプロチームが誕生する。現在スプリンターのブレイレーフェンスが所属するBankGiroLoterijがスポンサー離れで04年いっぱいで解散し、代わりに現BankGiroLoterijのマネージャーを頭に据えた新しいチームができる。このチームにシマノがメインスポンサーとして参画する。シマノの坂東監督も何らかのかたちでチーム入り。

目標は08年北京五輪。チーム構成は現在のBankGiroLoterijの選手と8人の日本人選手

補足すると、コンチネンタルツアー及びチームは5大陸ごとに登録されており、このシマノは、アジアのチームでなく、ヨーロッパツアーのチームとしての登録になる。

バイクはコルナゴ。パーツは当たり前のことながらシマノ。

ここで、やっと謎が解けた。先日サイクルショーで、コルナゴ氏の甥のアレックスが言っていた「秘密」の話の正体はこれだった。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-bs04.html

あの時アレックスは、「来年ラボバンクとドミナヴァカンツェ(デナルディとの合併チーム)の2つのトップチームにバイクを供給。他にもランドバウ、パナリア、ナヴィゲーター(USA)、アクション(ポーランド)とも契約済み。あともう1チーム、まだ秘密 」と言っていたが、バイク供給先、残りもう1チームはこのシマノのコンチネンタルチームだったということだ。

■ 2004.11.28 (Sun)  ウルリッヒ、ドイツの人気投票で7位
ドイツのテレビ局ZDFが行ったテレビ視聴者による投票で、20世紀で最も偉大なドイツ人スポーツ選手のNo1に、F1ドライバーのミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が選ばれた。そして、その同じ投票で、ヤン・ウルリッヒが7位になったそうだ。

下記の日本語MSNニュースから引用すると、各々順位は下記の通り。2位にカヌー競技の選手とは。

「2位にはオリンピック・カヌー競技のゴールドメダリスト、ビルジッド・フィシャー、3位にはテニスの4大大会を制し、186週連続世界ランキングトップ、通算では377週世界ランキングトップのテニスの女王、シュテフィ・グラフ、4位には1974年のワールドカップ西ドイツ大会で、代表チームのキャプテンとしてチームを優勝に導いた皇帝フランツ・ベッケンバウワー、5位にはテニスのウィンブルドンを3度制したボリス・ベッカー。

その他、ボクシングのマックス・シュメーリングが6位、ツール・ド・フランスの1997年大会優勝者、ヤン・ウルリッヒが7位、水泳のフランチスカ-ヴァン・アルムシックが8位、1974年のワールドカップ西ドイツ大会で得点王に輝き“爆撃機”の異名をとるゲルド・ミューラー、10位には日韓共同開催となった2002年のワールドカップにおいてMVPに輝いたオリバー・カーン。」

http://sports.msn.co.jp/sportsarticle.armx?id=542300

■ 2004.11.29 (Mon)  ツール・ド・フランスが出てくる映画:ベルヴィルランデブー
PB141459.JPG 640×480 223K先日発売サイスポ最新号の102ページご覧頂けました?(。。。って、別に脅しているわけじゃないですが。)ツール・ド・フランスが登場するフランス映画「ベルヴィルランデブー」の記事です。映画の紹介文を書く前提で、試写会を見る機会を頂きました。

前半は主人公シャンピオンの幼少時代。その後ツールのシーンが出てきます。文中にも書いた通り、突如登場した「大腿骨峠(試合のシーンで登場する山頂付近に大きく、Col du Femurというのが登場する)」には笑える。太腿の発達した選手がそこを通過していくのだ。

また、ツールのキャラバン隊にアコーデオンの女性が出てくるシーンに、レトロっぽくていいなぁ、としみじみ。設定がマルセイユのゴールだったのは、ショーメ監督が、ちゃんと過去のツール記録を調べた上でのことなのかどうか。(詳しくは本文で。)

ただ、視聴したのは一回だけだし、画面の切り替わりが早いので、例えば路上の白ペンキに書かれていた文字までチェックする暇はなし。そこで、帰ってWebに載っていた路上のペイントの1コマを見てみることに。見たらKikiとかRiriとか書いてありました。つまり、実在の自転車選手の応援ではなく、関係ない文字が何気に路面に書かれているらしい。Kikiってフジタとかがモデルに好んで使ったモンパルナスの女王のキキだろうか?年代的には可能性はなくはないけれど。

もっともツールが出てくるシーンは物語の一部。更に主人公のサイクリストシャンピオンは思い切りデフォルメされているので、主人公に思い入れをするタイプの映画ではない。更に原題はそもそも「ベルヴィルの3姉妹」というタイトルなわけで、シャンピオンが主人公というわけでもない。でもこれ、フランスでは大ヒットした映画。専門家を始め、かなり評価は高い。映画に出てくるパロディーや監督の視点・思い入れを探すのがとにかく楽しい。

ベルヴィルの街はアメリカを揶揄っていて、そこまでやらなくても、、という感じ。特に老婆がハンバーガーを注文して、結局食べなかったシーンは、印象に残った。老婆がアメリカ的なものを却下したシーンだ。ハンバーガーといえば、フランスが常にアメリカ的なものへの嫌悪感として使う小道具。フランスの活動家で元農民連合のジョゼ・ボヴェがアメリカ的な営利先行農業政策に反対して、フランスで建設中だったマクドナルドを解体した話は有名。彼はフランスでは一躍ヒーローになった。ショーメ監督のアメリカに対する皮肉っぽい視線が痛快だ。

その他、画面のあちこちに、監督の敬愛する人ゆかりの小道具が出てくる。私が試写会中に気付いたのは、居間にある「ぼくの伯父さんの休暇」のポスターだけだったが、その他にもかなり画面の背景にいろいろ隠されているらしいので、力試しにどうぞ。

(ちなみに左の写真は11月中旬、都内地下鉄駅に登場した、ベルヴィルランデブーの看板。)

■ 2004.11.30 (Tue)  UCI直送 プロツアー最新情報
訳あってプロツアーの詳細情報が欲しくてUCIに連絡を取りました。当初のプロツアー構想で必須条件となっていた内容の一部が、UCIの最新情報では条件として明記されていなかった。それらの条件がどうなったか確認した次第。

疑問1.最初の構想では、各UCIプロチームはトップ選手上位5人のうち2人を必ずプロツアーレースに出場させること、という条項がありましたが、それは今ではどうなったのでしょう?

UCIからの回答:
当初はチームに上位選手を出すよう強制するつもりでしたが、規則としてそれを定めるのは不可能となりました。よって、各チームの自主性に任せます。
(どうやらUCIは規則として当初定めたかったようですが、断念したのですね。それは無理でしょう。トップ選手のうち数人が故障したら、怪我していないトップ選手は出ずっぱりになってしまう。)

It was foreseen to "oblige" the teams to come to the UCI ProTour races with some of their best riders. In fact, it would be impossible to set such a rule, ans so we have to hope that all the teams decide to do it by their self.
----*---

疑問2.UCIプロツアーには、招待ベースでコンチネンタルプロチームが出場できる規則になっていますが(こまではHPに明記あり)、招待で出場した場合はUCIポイントはつかないという情報が以前ありました。この点の確認をお願いします。

UCIからの回答:
プロチーム以外のチームがUCIプロツアーに招待で出場することは可能となるでしょう。ただこの場合、プロツアーのポイントはプロツアーのチームのみにしか与えられません。逆にプロツアーチームがコンチネンタルサーキットに出場してもポイントはつきません。

(やはりそのようです。つまりポイントがつくのは、コンチネンタルサーキットならコンチネンタルチームのみ、プロツアーチームならプロツアーのみ。招待ではポイントはつかない。そうなると、ツールがプロツアーに入ったとして、AG2Rが招待で出場できてもポイントはつかないんですね。ちょっと戦意に影響が出ないだろうか。3大ツールはプロツアー入りしない方がチーム間の公平感はあるかもしれない。)

Concerning the possibility to invite (wild card) others teams to UCI ProTour races, it will be possible (19 or 20 UCI ProTour teams + some invited teams at the start). ProTour poits will be attributed only to ProTour teams, and viceversa for the ProTour teams partecipating to the different continental circuits.
(上記回答はイタリア系のUCI広報トップが英語で回答をくれたもの。)

■ 2004.11.30 (Tue)  いよいよ今日は運命の日 + 3大ツールはプロツアー入りしたぞ
いよいよ今日行われるUCI会議でフォナックがUCIプロチームになれるかどうか決定する(予定)。

ちなみに補足。以前プロツアーに参加できるチームの名称は仮称で「トップチーム」ということだったけど、正式名称は「UCIプロチーム」になったようだ。

また、最近CNなどで報道されているコンチネンタルチームは、コンチネンタルプロチーム(TT2相当)とコンチネンタルチーム(TT3相当)をごっちゃにしているようで、両方ともコンチネンタルチームと呼んでいるケースが多い。厳密にはそれぞれ、「コンチネンタルプロチーム」と「コンチネンタルチーム」をきちんと分ける必要がある。

それからサエコとランプレ合併チーム。あちこちのサイトでLampre−Caffitta(カッフィッタ)とかLampre−Cafitta(カフィッタ)となっているケースが圧倒的に多いけれど、ガゼッタでは、Lampre−Caffita (カッフィータ=最初のfは2つ。最後のtは1つ)で統一しつつあるようです。

そして今日は遂に3大ツールがプロツアー入りを承諾したというニュース。これに伴い、ツール主催者であるASO主催のパリ〜ニースもプロツアー入りする模様。UCIはほっとしたことだろう。3大ツールが参加しなければ骨抜きになる所だった。相当根回ししたのだろう。

■ 2004.11.30 (Tue)  20:20 速報 :フォナックUCIプロチーム入りならず
大変なことになった。フォナックのUCIプロチーム入りが却下された。UCIから相当プレッシャーを受けて、フォナックはハミルトンの解雇を決定(2005年12月まで契約があったものを今年11/25に破棄)。更にS・ペレスの契約更新をせず。しかし、それでもプロチームに選ばれず。同時に申請していたAG2rのプロチーム入りも却下された。当初予定より1チーム少ない19チームでの船出となった。

コフィディスに至ってはミラーがEPO使用を認めて2年間の出場停止となったのにUCIプロチーム入りできた。問題発生が春で、すぐにチームはレース出場停止など自主的に浄化作業をしたのがアピールしたようだ。フォナックの場合 、騒動がプロチーム決定の直前だったのが痛かった。

今回プロツアーが掲げた8原則の中にこんな明文がある。
Respect for sports ethics, including issues related to doping and health.
ドーピング問題、健康面に関する倫理観の尊重を掲げているからには、UCIはその基本原則遵守をアピールする必要がある。今回タイミング悪く起こってしまったこの問題。UCIとしては、厳しい態度を見せないと示しがつかなかったということか。

それにしてもフォナックのような一流チームがこういうことになると、選手の運命が気になる。ハミルトン・ペレスだけではない。全員の選手がプロツアーを走ることを期待していただろう。ボテロは、ペーニャは、ランディスは?彼らはフォナックに来年から入団する予定だった。

そんな中、いつもいい場所にいるのがO・セビーヤ。ケルメが再度の給与問題を出したり、二軍落ちする前にフォナックに移籍。更に、今回のことがある前にT-モバイルに移籍。臭覚が効くというか なんというか。。

2004年09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2006年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 

Go Back to mas ciclismo
copyright(c)2004- (duration unlimited) mas ciclismo,
All Rights Reserved (unless otherwise indicated herein). / 旧Naco's Bike Page