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今月のサイクルNews: シリル・デッセル、ヤオスラフ・ポポヴィッチ、イゴール・アスタルロアなど

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2004年09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 

■ 2004.12.01 (Wed)  続報> フォナックはプロチーム入りできず。チームの対応の仕方に問題ありと判断。
いろいろ読んでみると、UCIの今回の決断の背景には、先に起こったO・カメンツィンのEPO摂取も影響しているようだ。フォナックは今回ハミルトンとS・ペレスが血液検査で血液ドーピングの疑いをかけられただけでなく、夏にカメンツィンが検査でEPO反応が出た。彼は使用を認め、2年間の出場停止処分。8月にそのまま引退を決意した。

そして今回の疑惑。カメンツィンの薬物摂取の後に、更に時を置いてこうした疑惑が浮上したことで、チーム内の自浄努力・自浄体制が全く取られていないと見られたようだ。更に、今回スペイン人のチームドクターが「疑惑の目に耐えられない」と言ってすぐに辞職してしまった。今後のチーム検査体制強化を進める代わりにさっさと辞めたという風にもとられた。

また、今回の疑惑浮上の際、ピノ監督らは選手擁護の発言が目立ち、「チームとして今後こうした対策を取っていきます」という前向きな改善策を最初に打ち出せなかった。「過去のカメンツィンの一件の反省にたち、チームはこういうことをしました。」「更に今回の件を受けて、我々は今後強くこういう対処・対応をしていきます。」。。。。こうした声が間髪をいれずに発せられ、UCIに届いていれば心証は大きく変わっただろう。

ハミルトンとフォナックは先日協議し、両者はハミルトンとの契約を打ち切ることでしかフォナックのプロツアー入りはできないと判断。ハミルトンもチームのために、契約打ち切りを承諾した。しかし、それは11/25。UCIのヒアリングの締め切りは11/22。逆に対応のまずさを印象づけてしまった。

UCIドーピングを根絶しようと必死だ。それに協調していく姿勢がフォナックチームとしてアピールが足りなかったとみられる。UCIがフォナックを締め出した際に、UCIから聞かれたコメントは下記:(AFP、ロイター)

「今回の一件の事実発覚に対し、チーム幹部の姿勢には疑問を抱かざるを得ない」
「チーム内に実際にドーピングがあった、または、あったと疑われる、と判断したのは、チーム幹部の姿勢に要因がある。」

"l'attitude de la direction de cette équipe à la suite des révélations (...) pose de graves questions".
"L'attitude des dirigeants de cette équipe est en cause davantage que les cas de dopage avérés ou suspectés",

F・ランディスはフォナックがUCIプロチーム入りできなければ、フリーになるという条件で契約しているので、これからすぐにチーム交渉に入るだろう。しかし、今の時点での交渉は難しいと本人もコメントしている。既にCSCなどとはコンタクトを取っている。

■ 2004.12.01 (Wed)  ハミルトンからのメッセージ
11/30付けでハミルトンがステートメントを出した。25日にチームと契約を断ったが、それは極秘にして、30日に自分のHPで明きらかにした。

「フォナックのチーム幹部には、本当にお礼を言っても言い尽くせない。最後ぎりぎりまで僕の味方に立ってくれた。彼らのサポートは例をみないほどだった。今までの僕への取り計らいについて、非常に感謝の念を感じている。」

本当は、このステートメントとフォナックのプロツアー入りを一緒にニュースとして流したかったに違いない。
http://www.tylerhamilton.com

■ 2004.12.02 (Thu)  補聴器をつけたプロ選手シリル・デッセル(フォナック)+ フォナックはスポンサー続行
99年カジノで見習い入りし、2000年からJドゥラトゥール、03年からフォナックで走っていたフランス人のシリル・デッセルは、補聴器をつけたライダーだ。補聴器の会社であるフォナック・ヒアリングシステムから支給されている補聴器はPerseo 11 CICというシリーズ。レース中も、自宅でも装着している。

フォナックの補聴器をつけるようになってから、奥さんは、彼に言葉を伝える時に普通にしゃべることができるようになり、楽になった。更に映画や音楽を普通に楽しめるようになった。今年フランス選手権2位に入ったデッセル。フォナックとしては、聴力を失ったスポーツ選手のサポートを目指し、この点で、C・デッセルはチーム内で象徴的な選手だ。

今回UCIプロチームになれなかったことで、彼やその他の選手・スタッフの運命が気になるが、フォナックはとりあえず2006年までスポンサーを続けると表明しているらしい。ハミルトンとペレスを除き、ボテロ、ペルディゲロ、ペーニャ、ランディスらのメンバーでやると言っているが、ランディスらがコンチネンタルプロチームで満足するとも思えない。暫くは状況の推移を見守る必要があるだろう。

■ 2004.12.02 (Thu)  05ヴエルタ のスタートは。。
12月15日に発表となる05ヴエルタのコース。初日スタート場所は既に決まっている。グラナダだ。更に06年のスタートも決まっている。場所はトレント(バレンシア地方)。

ちなみに、ヴエルタのスポンサーであるユニパブリックは、「プロツアー入りを正式に承諾したわけではない。解決策をファーしたまでだ」と発言。ジロも同様のことを言っている。どうやら、ヴエルタなどグランツールからは、UCIに対して書面で様々な要望が出された模様。

■ 2004.12.02 (Thu)  ディスカバリーのチームプレゼンテーションは1/10
ディスカバリーのチームプレゼンテーションは1/10。場所はマリーランドのシルバー・スプリング。ディスカバリーのHQがあるところ。その後カリフォルニアで10日間のトレーニング。その後チームはランカウィとカタールツアーを走る。

更にディスカバリーは現在一部のメンバーでキャンプを張っている。場所はテキサス。キャンプに加わったのはポポヴィッチ、元Tモバイルのサヴォルデッリ、元Mr.Bookmakerの英国人ロジャー・ハモンド、元ファッサのT・ダニエルソンら。みんな旧チームのジャージで登場だ。ディスカバリーの新ジャージはそろそろ出来上がる頃。チームプレゼンテーションで披露される。

ところで、チーム幹部が最近になってこんなことを言っていた。「ディスカバリーには現在9人新加入選手がいるが、もしかしたら10人になるかも。」巷では、まさかランディスが舞い戻ってくるのでは?という憶測も出たりしたが、まさかそれはないだろう、というのが現在の結論。

■ 2004.12.03 (Fri)  バルセロナFCアマチームからバレアレス入りを決めた選手 その1
アテネ五輪。男子4000m個人追い抜きの結果を覚えていますか?金メダルはブラッドリー・ウィギンス(英)、銀がブラッドリー・マギー(オーストラリア)、銅はスペインのセルヒオ・エスコバル。五輪の最中はマギーvsウィギンスをお伝えしたものの、今日はバルセロナFC所属のエスコバルのお話。なんと彼、バルサのアマチームから大昇進。バレアレス入りを果たした。

エスコバルはアテネ五輪で2つの銅メダルを手にしている。男子4000m個人に加え、チーム追い抜きでも。オーストラリアチームが優勝し、マギーが初めて五輪で金メダルを手にしたこのレース。エスコバルもスペインチームの一員として出場し、見事銅メダル。

実はスペインでは同一五輪で2個のメダルを獲得した選手は結構少ない。まず一人はカヌー競技500mで銀、1000mで銅メダルのHメネンデス(80年モスクワ大会)。その他は、テニスのダブルで銀、個人で銅メダルのアランチャ・サンチェス(92年バルセロナ大会。ちなみに彼女はバルセロナ出身)。

エスコバルも、彼らに続いてダブル・メダルの勲章に輝いた。エスコバルがバイクを始めたきっかけは偶然だった。もともとオードバイを買おうとしてバイトを始めた。しかし高くて買えず。父がオートバイは危ないから辞めろ、と説得。諦めてMTBにした。これが彼の自転車界入りのきっかけだった。

で、このニュースを投稿しようとした矢先、エスコバルの友達という人からメールが届いた!!(続く)

■ 2004.12.03 (Fri)  ペタッキが05世界選コース下見!
バッレリーニと共に、ペタッキが本格的に05世界選コースの下見をしたそうだ。伝えたのはガゼッタではなくスペインの新聞。というのも来年の世界選手権の場所はマドリッドだから。このニュースまた機会があったら少し詳しくお伝えします。

■ 2004.12.03 (Fri)  バルセロナFCアマチームからバレアレス入りを決めた選手 その2
バレアレスに来年移籍を決めたバルセロナFCアマチームのセルヒオ・エスコバル。実は彼の親友という日本人がいた。スペインアマチームVIVEROS ALCANARで走っている菅洋介選手(先日ご紹介済み)。

エスコバルのバレアレス入りを知った彼からメールをもらった。「彼の年齢(30歳)でバレアス プロフェショナルチームに上がれたというのはものすごい勇気を与えられる出来事です。」
菅選手は24歳だから、まだまだチャンスはいっぱいある。

「エスコバルは俺が彼のことに気付かなくても、自分から俺に近寄って話し掛けてくれるとても良いやつで、大好物はマクドナルドとパンにぬるチョコレート!! 試合前に一緒にマクドナルドでビックマックを食べたこともありました。以前日本の我が家に招いた時は、レンコンのあんかけを大皿一杯食べていた。(スペインにはない)ワインも1人で一本飲んで、俺が心配した程だ。異常にラジコン狂なのも彼の特徴。日本の田宮製のラジコンには特に目がない。」

ちなみに、バレアレスチームの予定では、エスコバルはピストとロードを半々でこなす計画。ピストの世界選手兼にも出場予定だ。ピストとロードを両立しているマギーや元テレコムのバルトコのようなタイプを目指す。

■ 2004.12.04 (Sat)  南アフリカのチーム「コニカ・ミノルタチーム」
南アフリカといえばTT3にHSBCというチームがあった。HSBCは「ホンシャンバンク」こと香港上海銀行。銀行のスポンサーチームだ。HSBCはHong Kong & Shanghai Banking Corporationの略。最も今ではHSBCというと銀行部門のみならず、投資やアセットなどの部門の総称となっているけど。HSBCのチームサイトは : http://www.hsbc.co.za/

5年間続いたこのチームはスポンサーが、今年限りでストップする。入れ替わりに、南アフリカに新しいコンチネンタルチーム(=TT3相当のチーム)が登場する予定だ。その名も「コニカ・ミノルタチーム」。HSBCの後任チームではないので、メンバーは今の所だぶっていない。

マネージャーはジョン・ロバート。監督はオリヴィエ・オンダービーク。今の所、南アの選手が7人。その他スロヴァキアとオランダから2人ずつ。ベルギーとスウェーデンから1人ずつの合計13人。南アのジャームズ・ペリーは元バーロワールドの選手。

このニュース、CNで当初10月にこのニュースが掲載された際、このチームがRSA(南ア)の選手主体であるのに、「イタリアをベースとしたコンチネンタルチームとなる」と報じられた。しかし実際 登録は南アフリカチームとしての登録だ。

■ 2004.12.05 (Sun)  アンドレイ・チミルが監督就任
現在TT3のベルギーのチームJartazi。来年からはコンチネンタルチームとなる予定で、新しい監督に、元ロットのアンドレイ・チミルが就任する見込みとなった。04年のチームメンバーは23人。ノルウェー2人、コロンビア1人以外は全員ベルギー人だった。1980年生まれ、つまり24歳以下が圧倒的に多く、10代の選手も6人いるという若いチーム。

なお、チームには25歳のシクロクロスのフランスチャンピオン、ジョン・ガドレがショコラーデジャックから移籍することが決まっている。

■ 2004.12.06 (Mon)  お久しぶりのケヴィン・リヴィングストン
元USP&テレコムの選手ケヴィン・リヴィングストンが子供のためのチャリティー「キッズ・バイク」に姿を見せた。このイベントはオースチン、テキサスで8年前から続いているもの。恵まれない子供を中心に、自転車をプレゼントする企画だ。

元ラジオのDJのサンディーらが中心になって、今年はTREKに150台を追加注文するなど、合計で850台のどのバイクを子供たちへのプレゼント用に確保できたようだ。8年前の開始当初集めたバイクの数は94台。この催しも、随分大規模になった。

そして、このイベントに招かれたのがリヴィングストン。もともと今年の「ライド・フォー・ザ・ローズィズRFR」レース前に、リヴィングストンがサンディーに対し3週間バイク特訓をしたのが縁だった。RFRは、テキサスでアームストロングが始めたチャリティーレース。ランスの自伝にも、ガン生還直後の彼がこのレースを開始したことが書かれている。

蛇足ながら、今年で2年目を迎えた「ツアー・オブ・ホープTOH」もランスたちが中心に始めたチャリティーレースだが、RFRがテキサスのレースなのに対し、TOHは全国規模になっている。

そしてキッズバイクでは、ランスもリヴィングストンに合流した。ランスは超多忙なため顔を見せられないと関係者は思っていたが、8時過ぎ、1時間だけテキサスでのキャンプインする前に立ち寄ったのだった。ケヴィンとランスは2人でせっせとサインをして、イベントに参加した人たちにサービスをした。

ということは、ケヴィンとランスは仲直りしたのだろうか。ケヴィンはもともと、ランスの自伝にも<可愛い弟分>として何度も登場している。それほど、2人は仲が良かった。ランスはガンを克服しレースへ復帰した後、ヨーロッパのレースに嫌気がさして引退を考えた時期があった。北米へ帰るために南仏の家を引き払った時、家具や電化製品を全部あげた相手がケヴィンだった。しかし、ケヴィンがUSPを辞めて、よりによってウルリッヒのアシストになった時点で、ランスは怒り心頭のコメントを数々していた。時が2人の関係を柔らかくしたのだろうか。

■ 2004.12.06 (Mon)  ジロ、リーク情報 = 最終日はカザルテッリの故郷で彼の死を悼む
05年ジロの発表はズレこんで来年1月の予定。とはいっても、既にあちこちでリーク情報は盛んに出ている。

第20ステージ最終日はアルベーゼ・コン・カッサーノという場所からミラノに向けて走る(という噂)。アルベーゼ・コン・カッサーノは95年ツールの最中亡くなったファビオ・カザルテッリの故郷。亡くなって10年の節目となる来年、彼の死を再び弔うようだ。

ちなみに亡くなった現場のポルテダスペ(フランス)には、彼の碑が立っている。ランスの自伝を読んだら、この碑はモトローラが自費で製作したと書いてあった。チーム監督のジム・オショヴィッツがコモ湖からわざわざ彫刻家を呼んで、大理石で作らせたそうだ。

ランスの自叙伝「It's Not About the Bike」からカザルデッリの碑が建てられたシーンを抜粋。(私が買ったのは初版本ではなく、加筆された第二版。)

「(碑の落成式の日)チームの選手たちは世界中から飛んできた。僕らは碑の設置と落成式のため、山のてっぺんに集まった。碑には日時計がついていて、太陽が、3つの日付と時刻を映し出すようになっていた。彼の誕生日、五輪で金メダルを獲った日、そして彼が亡くなった日。」
そして、この直後に、ランスの自叙伝のタイトルとなった名文句が登場する。
「I had learned what it menas to ride the Tour de Frace. It's not about the bike..」

カザルテッリの死に直面して、ランスはツールの本質を学んだという。ツール イコール バイク(レース)ではないと気付く。この箇所はランスファンでなくとも、ツールのことが好きな人なら感動する場面でしょう。この話はまた後日。

ところで、カザルテッリの碑についている日時計の詳しい拡大写真見つけました。
http://www.geocities.com/bikepyrenees/hi/randonnees/sundial.htm

日時計の説明:
http://www.jhatime.co.jp/clock2.html

■ 2004.12.07 (Tue)  昨日のジロのニュース補足
そうそう、ジム・オショヴィッツで思い出した。彼は橋川健選手がスタジエールとしてモトローラに在籍していた時の監督だ。橋川選手はアームストロングとチームメートだった日本人選手第一号というわけ。ツール・ド・ラヴニールではランスらと一緒にTTTを走ったことがあるというからビックリ。
http://d.hatena.ne.jp/hashikawa/20040708

ちなみにジロだけど、初日スタートはレッジーナの本拠地カラブリア、というのは既にお知らせ済み。(以前、レッジーナの中村俊輔選手とジロを一緒にまとめて見に行くのもオツかもしれない、、と書きました。)それから、バルタリ追悼のトスカーナでのTTとかいうのもある(らしい)。

■ 2004.12.07 (Tue)  ケヴィン・リヴィングストンの続報
ケヴィンがライバルのテレコムに移籍した時、ランスが相当怒っていた話を書きました。そして、今回チャリティーでツーショット。やはり仲直りした模様。

と言っても、やはり最初はお互い無視だったようだ。でも共通の知人を通じて酒を飲み交わすようになって仲直り。ランスは「ケヴィンの将来を決めることはケビン自身が決めることであって、自分がとやかく介入できることではない」、と悟ったという。

これ、ランスの自叙伝続編(every second counts)の中でランスが述懐していたらしい。ケヴィンは1作目に続いて、2作目にも登場するのか。2作目はまだ読んでいない。ちなみに、ガンの時にランスを信じ、支え続けた多くの人たちは、今でもランスと深い友情関係にある。

■ 2004.12.08 (Wed)  「ツールとは、ただのバイクレースじゃない。それは人生そのもの。」
モトローラのチームメートだったカザルテッリが亡くなって、ランスがツールの意味を考えるシーンが彼の自伝に出てくる。ここの部分はアンチ・ランスの人であっても、ツール好きな人であれば、しびれる部分ではないでしょうか。本のタイトルである「It’s not about the Bike」という名セリフが出てくるのもこの部分。

「ツールを走るということがどういうことなのか、僕は学んだ。それは自転車競技にとどまらない。それは人生の投影なのだ。ツールは世界一長い自転車レース、というだけではない。それはものすごく高揚したものであり、胸が張り裂けそうなものでもあり、また悲劇的なものともなり得る。

選手は考えうる全ての要素を体験し、そして更にそれだけにとどまらない。寒さ、暑さ、山、平原、わだち、パンク、強風、最悪のツキ、信じられない美しさ、けだるい感覚の麻痺、そして何よりも強い自問。人生においても、僕らは様々な多くの難問にぶちあたる。後退し、失敗と正面切って戦うこともある。雨に打たれて頭(こうべ)を垂れ、なんとか直立しようともがき、僅かな希望を持つ。

ツールはバイクレースだけじゃない。全然そうじゃない。これは試練だ。肉体的、精神的、そして道徳的にも試されていく。

僕は今やっとわかった。近道なんてない、ということを。心と体と性格をレースのために築き上げるには、長年レースを続けていく必要がある。何百ものレースをこなし、何千マイルも走りこむのだ。僕の脚、肺、頭、そして心が鉄になりきるまで、僕はツールで勝つことはできないだろう。僕が男になるまでは。ファビオ(カザルテッリ)は男だった。僕はそこに辿り着こうと、まだもがいている。」

(「It’s Not About the Bike : My Journey Back to Life」by Lance Armstrong with Sally Jenkins ― 出版社 Berkley。)

ちなみに私が買ったのは、ハードカバーの後に出た紙の質が悪い方。2001年版。13ドルの本が紀伊国屋で2,470円。アマゾンで注文すれば、確か30%オフでハードカバーの本が買えて、送料込みで、この質の悪い本とトントンぐらいの値段だったはず。でも、衝動買いで、目の前の棚に乗っている本を購入することに。聞くところによると、初版本とその後の版では、かなり小刻みに書き足し・差し替えなどがある模様。日本語の翻訳は初年度の2000年版をもとにしているようだ。多分言うまでもないけれど、「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」というタイトルで講談社から。

■ 2004.12.08 (Wed)  三船雅彦選手「報道ステーション」の密着取材中
三船雅彦選手は現在「報道ステーション」の密着取材中を受けているところ。放送予定日は、下記のサイトで公開予定。

http://www.masahikomifune.com/

上記サイトのDiaryに、取材の模様が出ている。食卓での団欒風景も出てくるらしい。(いや、収録された、と言う方が正確か。)更に、サイトの更新している最中もカメラが回っているらしい。これはプレッシャー。タイプミスが出るの、よくわかる。

それにしても、メジャーな番組で日本のロード選手が取り上げられるのは嬉しいもの。

■ 2004.12.09 (Thu)  「アリヴェデルチ ヴェローナ、オーラ マドリ」:’05世界選は既に始まっている
04年ヴェローナで行われた世界選ロード。来年はマドリッドだ。既にペタッキがコースの下見に来た話をお伝えしたとおり、熱い戦いは既に始まっている。

世界選日程は9月20〜25日。しかし、このほどドイツの世界選 人選担当のブレーメン氏が、人選担当者としては初めてマドリッドのコースを下見に来た。自転車連盟の補佐官も同行。ドイツは、既にシーズン前から、どの選手に向いたコースかを研究し始めるようだ。ツァベル(或いはホンド)のスプリント勝利のシナリオも、しっかり描いていくことだろう。

世界選手権日程は下記:
9月20日(火曜):開会式
9月21日(水曜):女子ITT 22km、U-23 ITT 32.4km
9月22日(木曜):男子ITT 44km
9月23日(金曜):休養日
9月24日(土曜):女子ロード 127.8km、U-23ロード 170.4km
9月25日(日曜):男子ロード 276.9km

スペインはフレイレの4勝目を狙っていくだろう。アスタルロアのチームがまだ決まらずちょっと心配。いずれにしても今後句スペインの開催とあって、力が入るはず。ちなみに、来年はイタリアの世界選のように大規模な美女コンテストを世界選の目玉にする予定はなさそう。

■ 2004.12.09 (Thu)  ニュースの顔 : シマノ −− UCIのスポンサー契約延長
「UCIはシマノとの契約を2008年まで延長した。サイクル・コンポーネントで世界のリーダーとなるシマノは、99年以来、UCIのパートナーだ。契約書の締結は北京にて。会長の島野喜三氏とUCI会長のハイン・フェアブルッフェン氏の間で調印された。シマノはアテネに続き、‘08年北京五輪のテクニカルサポートも行うことになる。

また世界選などUCIのロード・MTB・トラック競技・シクロクロスの方面で主要なレースのテクニカルサービス&メカニカルサービスも引き続き行う。」

シマノは世界中に現地法人をどんどん作って、更に吸収合併して連結決算して。。アグレッシブな展開には目を見張るばかり。NYの現地法人ができたのが1965年というから世界観は抜群なはずだ。

さて、11/27にお伝えしたヨーロッパコンチネンタルプロチーム・シマノのニュースに関し、今しがた入ったニュース。もともとBankgiroloterijとシマノの選手が中心のチームとお伝えしましたが、Bankgiroloterijで04年にプロデビューしたオランダのローレンス・テンダム選手の加入が確認された。

■ 2004.12.09 (Thu)  ウルリッヒの本の中味 : 続報
先日お伝えしたウルリッヒの自伝本(今年の夏に出版された):「Ganz oder gar nicht, Meine Geschicte」。意味はAll or Nothing, My Story。内容の一部が更に明らかになった。

― 「98年初頭、僕は自己記録を更新した。今までにないほど体重が増えていた。」

― (99年春)「もううんざりだ。またしても冬の調整に失敗した。1年前よりも、もっと太っていた。新記録。悲しい、絶望的。」

― (99年ツールに出なかったことについて)「僕は自転車に興味を失っていた。自転車にまつわる全てが暗くて沈うつなものとなっていた。」

― (2002年)「今季は今までの人生で最悪だった。得体の知れない膝の痛み。その痛みと狂おしいほど格闘し、僕は負けた。最悪なミスを犯した。家族や友人を失望させ、僕はキャリアを失う瀬戸際に追い込まれた。」

人間臭くて、なんとも正直な彼のコメント。かっこいい、という言葉からは遠いけれど、ヒーローがここまで赤裸々に弱さを吐露することに共感する読者は多いはず。もちろん、ウルリッヒはこれだけでは終わらない。自分の弱さや過ちをつまびらかにしながらも、なんとか彼が上を目指していく姿が浮き彫りになる。

■ 2004.12.10 (Fri)  Tモバイル新シームジャージはコレ!
Tモバイルの来シーズンのジャージ。テーマはレトロ!だそうだ。Tモバイルがよく使う言葉 magenda=赤紫色が強調されたデザイン。胸と袖に白いラインが入り、これがレトロをかもし出しているという。確かにこれがウールの素材だったら、レトロと言えるだろう。

先日News Briefingでお伝えしたリクイガス・ビアンキのジャージは地味だった。このTモバイルのジャージと一緒に走ると、お互いに対極的に目立ちそうだ。

チームのベテラン、ロルフ・アルダグは「このジャージを気に入っている。プロトンの中で目立つから、監督らも僕らを見失うことはないだろう。来年は、このジャージが表彰台の常連になることを期待している。」と。

http://www.t-mobile-team.com/cms/tmoteam/en/archive/pictures/property=blobBigBinary/id=43242.jpg
(写真は左からヴェセマン、ララ、セビーヤ、シュレック)

■ 2004.12.11 (Sat)  UCIプロツアー カレンダーがやっと決定!3大ツール主催の8レースも正式に登録
12/1にUCIは3大ツールがプロツアー入りすることを発表した。しかし、その後あちこちから反発の声。まだ正式合意ではなく、3大ツールが掲げた提案をUCIが検討することで合意しただけだった。なのに、UCIは提案を検討する前に、先走ってアナウンスしてしまった。

そのため、UCIは3大ツールがプロツアー入りする、といったものの、プロツアーカレンダーを公表することができず。実はグランツールがカレンダーに入ると入らないでは大違い。それらが登録されなければ、ツールのASOやジロの主催者RCSが主催する8つのレースも登録されないのだ。

つまり、今まで3大ツールが登録されなかったため、下記のレースも登録されていなかった。

ASO主催のレース: パリ〜ニース、パリ〜ルーベ、パリ〜ツール、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、フレッシュ・ワロンヌ
RCS主催のレース:ティレーノ〜アドリアティコ、ミラノ〜サンレモ、ジロ・デ・ロンバルディア  

12/11、漸く3大ツールのプロツアー入りが<正式に>確認され、めでたく上記8レースもプロツアー入りが認められた次第。これで11月の時点で既に登録されていた他の16レースとともに、全27レースが決定。UCIプロチームはこれら全てに出場しなければならない。

http://www.uciprotour.com/home.asp?1stLevelID=za&level1=3&level2=0&idnews=3014

■ 2004.12.12 (Sun)  Newジャージ情報
ロット・ダヴィタモンのジャージがイラストで公開された。赤・紺・白で、今年のジャージのイメージだが、クイックステップのスポンサーだったDavitamonのロゴが胸についている。

ロット・ダヴィタモンの新しいジャージイラスト:
http://www.cycling4fans.de/typo3temp/bb3d05b54e.jpg

ロット・ダヴィタモンの新しいチームバイク写真(ボディソルから移籍のバート・ドクス選手のバイク):
http://www.bartdockx.be/images/nieuwe_fiets.jpg

■ 2004.12.12 (Sun)  来年のヴエルタは「ドンキホーテ」を祝う!プロローグはアルハンブラ宮殿に向かうあの激坂!
12/3付けのDiaryで既に少し暴露を匂わせましたが、もう12/15の正式発表まで待ちきれないから言っちゃいます!来年のヴエルタのキーワードは「ドンキホーテ」です。

2005年はセルバンテスの「ドンキホーテ デ ラマンチャ」<初版本>が出てから400年目にあたる。この400年記念をヴエルタのテーマに取り入れているのだ。ちなみに<初版本>と限定しているのは、実際セルバンテスは1605〜1615年にかけて「ドンキホーテ」を発表しているため。

ヴエルタでドンキホーテを祝うということは、つまり彼の足跡を辿るヴエルタになるということ。物語の舞台であるラ・マンチャ(カスティーリャ・ラマンチャ自治州)を思う存分カバーするコースになる。第3、4、5、6、20ステージを通して、自治州にある5つの県全てを走破する。

12/3に出たこのリーク情報の発信元は、カスティーリャ・ラマンチャ自治州のスポーツ副大臣ハビエル・マルティンデルブルゴ氏。自分の州がヴエルタの栄誉に浴したもんだから、思わず言わずにはおれなかったらしい。

ラマンチャ地方がすごくよくわかる図があるので、お知らせします。(下記URL)
http://www.hotelsearch.com/imagesv01/maps/castillalamancha_com.gif

ご覧のように、カスティーリャ・ラマンチャ自治州は、アルバセテ県・グアダラハラ県・クエンカ県 シウダ・レアル県・トレド県の5つから構成される。

今の所リーク情報によると、第3ステージゴールと第4ステージがシウダレアル県。第5ステージはシウダレアル県をスタートし、トレド県とアルバセテ県を通ってクエンカ県に入る予定。アルバセテ県ではオッサ・デ・モンティエルを通過する予定で、ここがオスカル・セビーヤの故郷にあたる。童顔の彼は、よく「ラマンチャの男」をもじって「ラマンチャの子供」とか「ラマンチャの少年」とか言われたりする。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-scrap.html (レキップ紙の見出しにも使われた)

最後に残るグアダラハラ県を通過するのは少し置いた第20ステージのITT。このTTスタート地点がグアダラハラ県の予定。これで5つの県全てを通過することになる。

更にこのトクダネの読者なら既にご存知のとおり、ヴエルタのスタートはグラナダ。(12/2トクダネに掲載)。アルハンブラ宮殿につながるあの坂道を登るらしい。つまりプロローグはフラットではないということ。プロローグスペシャリストも難儀するだろう。

■ 2004.12.13 (Mon)  ヤン・ウルリッヒのドイツ語講座
先日ウルリッヒから届いたEメールは手短かで、たった数行だったけど、ネイティブならではという表現がふんだんに入っていた。ドイツ語初級レベルの人のみならず、既に勉強している中級レベルの人にもためになる。

もしいざドイツ語を書こうとすると、こんな短い文章でも、ここまでドイツ語っぽいこなれた文はなかな書かけないものだ。例えば文中の「Es kamen..」。普通「Emailが沢山来た」、という時、Esという形式上の主語を使うという発想が日本人にはなかなか沸かない。

そこで、今回、先日ウルリッヒから来たメール原文を、文法談義を交えて丹念に見てみることにしました。ドイツ語・ウルリッヒに興味のある方は、こちらをどうぞ:
http://fuunaa.hp.infoseek.co.jp/j-jan2.html

■ 2004.12.14 (Tue)  FJDのニース・コネクション:いい成績はニースが生んだ
ブラッドリー・マギー、バーデン・クック、マーク・レンショー、マット・ウィルソンのFDJのオーストラリア人4人衆はニースに住んで一緒にトレーニングを積んでいる。そんな彼らの日常に関する記事を読んだ。なかなか面白い。イタリアのベルガモが選手の溜まり場だとすると、フランスではニースが今や溜まり場となりつつあるという。

もともとチームの監督マーク・マディオは、彼らをフランスのブルターニュ地方に住まわせたかった。監督自身がその地に住んでいるので、監視の目を光らせたかったのだ。マギーは99年には監督のそばのアンジェに住んだが、トレーニング環境のそろったニースに移住したいと言い張った。そしてクックらとともにニースで半共同生活に突入。やがてウィルソンやレンショーも一緒にニースに引っ張った。

ニースは夜の遊び場などが充実している。でも、そのためにレースの成績が落ちたと言われるのは悔しい。彼らは、ニースという誘惑の多い土地に移住したからには、監督に文句を言われないように、頑張った。いい結果を出すよう、一緒にトレーニングに精を出した。結果、成績も上昇。

ニースには、他にもプロ選手が多い。例えばヴィノクロフ。彼自身はモナコ在住だが、カザフスタンの友人がニースに多いため、しょっちゅうニースで姿を見かけるという。またボビー・ジューリックもよくニースでトレーニングをしている。デイヴィッド・ミラーは、かつてニースでジューリックと共同生活をしていたが、その後フランスの太平洋側のビアリッツに移った。その他クレディアグリコルの選手たちもニースでトレーニングしている姿が見られる。もちろん、モナコ在住のA・メルクスも。

クックが肩のところにしているタトゥーは、マオリ族のもの。クルマが大好きで、愛称はクッキー或いは、クッキーモンスター。マギーの愛称はマッカ。人の服を真似して同じものを購入する癖があると、チームメイトからからわかれる。時々他の選手の洋服が紛失するとマッカの家に行く。するとなくなった服が見つかる。マッカの信条は、他人のものは自分のもの。共同生活仲良くやろう。服も共有しよう。

■ 2004.12.14 (Tue)  これがCSCの地獄の軍隊トレーニングだ!
12/8、小ネタ特集のNews Briefingでお伝えしたCSCのミリタリー・キャンプ。全貌が明らかになった。迷彩色の軍服に包まれた選手・スタッフは、軍隊で用いるトレーニング手法でばっちりシゴかれた。インストラクターは元北大西洋条約機構NATOの軍人だったクリスティアンセン氏。

その時の様子がばっちり写真アルバムで公開されている。
http://www.picturesport.com/ を開く。ごくたまに開かないこともあるが、1度目で開かなかったとしても、2度目にはちゃんと開く。
右上の旗をクリックして英語モードに。更に下方にあるEventのところのCSC Challenge, Teambuilding (90 photos)をクリック。

いきなり、軍服に疲れた顔のJ・ピールの写真が登場。次頁には、重い迷彩色の巨大なリュックをしょったバッソ登場。リース監督ももちろん一緒。サストレの笑顔もちょっとヨレヨレ。戦車のような車に乗ったり、川を下ったり。

CSCがこの軍隊キャンプトレーニングを取り入れたのは初めてではない。キャンプでは橋を作ったり、ゴムボートを漕いだり、人質訓練をしたり、待ち伏せを避ける術を学んだり、ストレスのかかる状況、例えばテロ攻撃の際の対応策の講義を受けたり。チームスピリットを学ばせることで、ツールのような極限状態に対応するようにするのが目的。

リース監督はこの手法を気に入っている。シーズン中、チームの選手が自分の思うように動かないことがある。それは、コミュニケーション力の欠落によるものだと気付いた。英語を主体とするチームにあって、英語を理解しない選手が多くいる。特にI・バッソなどはチームの要(かなめ)でいながら、言葉の壁があるのは否めない。過酷な状況を通じて、選手間の意思の疎通をよりスムーズにしていきたいとしている。

チームワークを学ぶためのテストも行われた。携帯電話や時計は没収。夜も闇の中をフル装備して行進させられ、寝る暇もない。ここはどこか、今何時か、感覚がなくなっていく。実際の軍隊のメンバーが追っ手役を演じ、闇の中、逃げ惑うシーンも作られた。

参加したのはCSC丸ごと全員52人。選手・幹部・マッサー・メカニック・女性秘書も含めた管理部門のスタッフも。12/6、突然軍服とバックパックを渡され、デンマークの軍のベースキャンプに連れて行かれた。スコット・サンダーランドももちろん、この過酷なトレーニングに参加した。彼は元アレッシオの選手で、新しくCSCの幹部入りをした。つまり、軍隊キャンプは今回が初体験。彼のコメントは下記のページに出ている:

http://www.cyclingnews.com/features.php?id=features/2004/csc_boot_camp

■ 2004.12.15 (Wed)  ラボバンクのオレンジは今までにも増して華やか系
賛否両論ラボバンクのNewジャージ。
こういうアーチ型の幾何学模様デザインは珍しくてお洒落かも?でも男性陣からは余り評判よろしくないようで。
http://www.cycling4fans.com/uploads/pics/Rabobank2005.jpg

一方こちらはランドバウクレジットの2005ジャージ。ランドバウクレジット(Landbouwkrediet - Credit Agricole)は農家・園芸家に資金を貸し出したりするのが業務らしい。トレードマークは麦穂。これがジャージの真中にでーんとついている。
http://www.landbouwkrediet-colnago.be/imggallery/photo_news_425.jpg

■ 2004.12.15 (Wed)  速報:ヴエルタが遂に発表になった 更に2006情報も
先日お伝えしたリーク情報は、結構な正解率の情報だった。News Briefingでお知らせした通り、FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウでのITTもやはり第9ステージに入っていた。

出場チーム数は21チームに決定。プロチームが19チームだからワイルドカードは2枠。フォナック、ケルメ、レラックスあたりが有力。

http://www.lavuelta.com/05/ingles/recorrido/mapa.asp?e=1

更に2006年のヴエルタのスタートはマラガに決定したようだ。本日現地時間午後に行われているヴエルタ05発表会会場の写真がちらほら出始めた。バルベルデ、セビーヤ、マンセボらがネクタイに背広姿で談笑している。明日のCNやスペインの新聞サイトなどにもう少し写真類が公表されるだろう。

■ 2004.12.16 (Thu)  速報:ジャッキー・デュランが引退
フランスの新聞ドーフィネリベレの報道によると、2度のフランスチャンピオンに輝いたJ・デュラン(37歳)が引退を表明。ツール区間優勝は3度。イエロージャージを着た経験を持つ。90年にプロ入り。92年はフランドル優勝、98年パリ〜ツール優勝。

■ 2004.12.16 (Thu)  ヴエルタ : ベロキは、エラスのアシスト!?
ヴエルタ追加情報:事前情報でお知らせした「ドンキホーテコースをたどる」、8月27日開始、FCバルセロナの本拠スタジアムカンプ・ノウでのITTという以外に、こんな概要:
距離は去年より200kmほど長い。第13、14、15ステージに山頂ゴールがかたまっており、きつい部分が集中している(これは選手・監督からもコメントあり)。ここは勝負どころだろう。初日ITTは9km。詳しくは昨日お伝えしたURL(公式サイト)をどうぞ。

J・ベロキのコメント:
「ヴエルタの信条は、きつく、難しく、ということ。でも今年は山頂ゴールが余りない。2度のITTが長いから、重要だ。そしてロスラゴスのステージ(コバドゥンガの第14ステージのこと)も鍵だ。

僕自身、去年は難儀した。今年、僕のチームでの役割は、エラスを助けることだ。彼は優勝候補No.1。それに、僕はヴエルタを走るかどうかすらまだわからない。」

ベロキ、今の所余り自信がないようなコメント。今季不調だったので、まだ闘志がわくところまではいっていない。

先日お伝えしたとおり、Jベロキは今年ブーランジェールをやめてサウニエルに移籍した後、最近になって恩師サイス監督がいるリバティーに突如移籍したのだ。つまりエラスとベロキはチームメート。ベロキがツールでエース、エラスがヴエルタでエース、という憶測もあったが、エラスは「ツールも狙う」と発言している。ベロキは復活するのだろうか。

■ 2004.12.16 (Thu)  速報: ディスカバリーチーム、TDランカウィとTDカタール出場リスト、別府選手はランカウィに出場
既にお伝え済みの通り、ディスカバリーはTDランカウィとカタールの両方に出場。2つのレースは時期が完全に重なっている。ブリヂストンはランカウィに出場する予定。

ディスカバリーのツールドランカウィ出場選手は下記:1月28日から2月6日
Jアセベド、Mクリード、Aクルーズ、Tダニエルソン(元FAS)、別府史之、Pマッカーティー、Hロールストン

ツールドカタール出場選手は下記:期間は1月31日から2月4日
Sデヴォルデー、Rハモンド、Rヘシェダル、Lホステ、Bヨアキム、Gミカイロフ、Mファンヘースウェイク

■ 2004.12.17 (Fri)  ランスのFAQ!!
そういえば、今まで余りなかったかも。アームストロングが「よくある質問」に自らの言葉で答えている。しかも質問はテクニカルでないものばかり。中でも余り自転車に関係ないものを列記:

質問:好きな色は? => これは簡単。黄色だよ!

質問:好きな食べ物は? => テキサス在住だからメキシカンが大好きさ。

質問:ヒーローは? => これも簡単。母さんだよ。(my mom!)

質問:今まで優勝したレース数は? => いい質問だ。予想もつかない。

質問:子供・青年たちへのアドバイスは? => タバコを吸うな。外国語を学べ。毎日運動しろ。ママの言うことを聞いて、そしてボランティアをしなさい!

■ 2004.12.17 (Fri)  ジャッキー・デュラン引退の <<続報>>
昨日速報でお伝えした引退ニュース。レキップに本人のコメントが載っていた。

「誰にも辞めなければいけない時期がある。」
「当初僕は10年ほど走って、時たま勝てればいいな、と思っていた。それが、15年も続けることになった。そして、素晴らしい優勝を 幾つかあげることもできた。」

あだ名は”デュデュ”。フランスでは最も人気ある選手のひとり。ツールデフランドルで優勝した最後のフランス人だ。1992年のこと。あの時彼は217kmの長い逃げを決めた。あれ以来、闘志溢れる彼の逃げにみんなが魅せられた。

プロ入りは90年。今年はランドバウクレジットで走った。この先、自転車に携わる仕事をしたいと思っている。

■ 2004.12.17 (Fri)  ポポヴィッチ近況:ランスと一緒のトレーニングの感想は。。。
― USAでの先日のキャンプはどうだった?(12/2付けトクダネ参照)
「とてもよかった。訓練タイプのもっと厳しい雰囲気を予想していた。でもハートのある雰囲気で全く問題なかった。バイクでずっと一緒にトレーニングしたよ。」

― アームストロングとはしゃべる機会はあった?感想は?
「あんまりなかった。トレーニング前後には時間が余りなくて。彼が僕らと一緒にいるのは、トレーニング以外ではせいぜい10分。たまに一緒に夕食をとったけど、彼は英語をしゃべる人たちと常に一緒だったし。」

― 宿泊は?
「ランスの自宅から車で10分ほどの場所にあるホテルだよ。」

― 監督とはどんな話をしたの?
「05年プログラムを一緒に設定した。」

― その話聞きたいね。ジロは走るの?
「いいや、ジロは僕のプログラムにはないんだ。3大ツールでは、ツールだけに専念するよ。(2/14付け News Briefing参照:http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20041214

― ランスがツールに出るかどうかまだ5月までわからないよね。そうなると、君がツールのリーダーになる可能性もあるかな?
「何もまだ実際にはわからないよ。唯一言えるのは、自信はあるということ。今までとは違ったプログラムになる。あとはどうなるか。」

■ 2004.12.17 (Fri)  三船雅彦選手のTV出演日決定
例の密着取材を終えた三船選手。出演するテレビ朝日「報道ステーション」の放送予定日は、1月7日となった。タイトルは未定だが、男臭い感じのタイトルになる予感。タイトルチェックは下記の公式サイトでどうぞ。

http://www.masahikomifune.com/

■ 2004.12.18 (Sat)  コンチネンタルサーキット新規則決定 : サーキットリーダーは1ヶ月ごと
来年から5大陸で開始となるコンチネンタルサーキット。概要が決定した。それによると、毎月25日に各大陸ごとにランキングが決定する。例えばUCIアジアツアーでポイントが一番高かった選手は次のランキング発表時まで、1ヶ月間 UCIアジアツアー・リーダージャージを着ることができる。

しかし、このジャージは、その選手がUCIアメリカツアーに出場した時は着てはいけない。つまり、1つの大陸で勝ち取ったリーダージャージは、その大陸のレースでしか着用できない。

アメリカのチームでも、レースカテゴリーの資格さえ満たしていれば アジアのコンチネンタルサーキットに出場することができるわけで、1人の選手が、複数の大陸のポイントを獲得することもできる。ポイントは取得した時から1年間有効となる。

しかし、プロツアーの規則はまだ未定。いずれにしても、UCIプロチームに所属する選手は、コンチネンタルサーキットのポイントはつかない。

例えばアジアツアーに出場した選手のうち、1,2,4位の選手がコンチネンタルプロチーム所属で、3位の選手がプロチームだったとしよう。プロチームの選手には3位のポイントはつかない。その次の4位の選手は、繰り上がりで3位のポイントが取れるわけではなく、4位のポイントがつくだけとなる。

コンチネンタルサーキットのリーダージャージのデザインも決定(下記):
http://www.uciafricatour.com/imgArchive/UCIProtour/Oceania/UCI%20Continental%20Circuit.jpg

ちなみにプロツアーのリーダージャージのデザインは下記:
http://www.uci.ch/imgArchive/UCIProtour/UCI%20ProTour%20jersey.jpg

なんか、2つともよく似ている。。。

■ 2004.12.19 (Sun)  O・セビーヤはヴエルタでTモバイルのリーダーに
News Briefingでお伝えしたとおり、昨日のクリテリウム・マヌエルベルトランのポイントレースの方で優勝したセビーヤ。レース後にTモバイルでの豊富を語った。

「ヴエルタでは僕がリーダーになる予定だと告げられた。監督からも、トップコンディションでヴエルタに臨んで欲しいと言われた。ヤン(ウルリッヒ)はインターナショナルなレベルのプロトンの中でも最重要選手のひとり。05年はもちベーションも上がっていて、ツールでの優勝に賭けている。」

■ 2004.12.19 (Sun)  サイスポ1月号はペタッキのインタビュー
サイスポの1月号。出ましたペタッキのインタビュー。(74-75ページ。)インタビューというと、普通クエスチョン&アンサーを想定するのだが、これは独白式にまとめられていた。2ページ全部ペタッキの言葉なので、読み応えがある。

かつてファッサのスタッフの人たちが、「ペタッキは勝ちまくっている時でも、何故かいつも後ろ向き思考だ」、と言っていたが、ペタッキのコメントを聞いていて なるほどこういうことか、と思った。また、あっという間のスプリントの時、彼がどういうことを計算しているのか、といった点も面白い。勝利を大量生産するきっかけになった時の話なども。

Text by 小林徹夫さん。その前のページには別府史之選手のインタビューも。

■ 2004.12.20 (Mon)  アメリカの病院で、リヴストロングバンド着用禁止。理由は。。
リヴストロングバンドが北米のベイ・ケア・ヘルス病院で着用禁止になった。理由は、この病院では患者が腕にする「蘇生処置拒否」のベルトがやはり黄色で、問題が起こる可能性があるため。このベルトをしていると、心臓一時停止になった際など、「私には蘇生措置をしないで下さい」と患者が意思表明していることになる。

単にリヴストロングバンドをしている患者と、蘇生措置拒否患者を間違えると大変、ということで、リスク回避のためにリヴストロングバンド着用を禁止にした。

この病院では、腕にバンドをすることで医師・看護婦に特殊な指示を伝達する仕組みになっている。例えば赤のバンドは「アレルギー持ち」といった具合。

■ 2004.12.20 (Mon)  ガルゼッリ、パンターニに捧げるページと来季の予定
12月5日に来年のレースカレンダーを組み立てたステファノ・ガルゼッリ。シーズン最初はスペインで行われるバレンシア一周(2/22-26)、セトマナカタルナ(3/21-25)、バスク一周(4/5-9)に出場。その後はロマンディ(4/26)とジロ(5/7-29)という予定。ジロを終えた時点で後半戦の予定を確定するが、ヴエルタ出場が濃厚だという。ツールは今の時点では彼の予定にない。

そのガルゼッリ、来年はリクイガスで走る。ファッサから移籍したチョーニや、チッポリーニも一緒だ。
「今年はジロでシモーニとクーネゴが同じチーム内でリーダー争いをしたと伝えられるが、貴方とチョーニの間でそれは起きませんか?」という質問については、こんな風に答えた。

「クーネゴとシモーニの間にはもともと問題があった。加えてあの時クーネゴはシモーニより調子がよかった。でも僕とダリオ(チョーニ)はいい信頼関係を築いている。マペイで数年前一緒に走ってもいた。ジロでは僕がリーダーだが、僕の調子が悪ければ。チョーニが総合を狙う。その時は、僕は喜んでアシストするよ。最も、そうなった場合、もちろん僕はがっかりはするだろうが。ジロは僕の目標だから。」

更に、ガルゼッリのサイトには故マルコ・パンターニに捧げるページがある。<素晴らしい思い出をこれからも心にとどめておきたい。マルコは一番愛された選手だった。コッピが40年経った今でも人々から思い出されるように、マルコは40年経っても人々の話題になっているだろう>、と。(下記サイトのl'amico Marco)

http://www.garzelli.com/

■ 2004.12.20 (Mon)  速報:裁判情報2件
1.ハミルトンのサンプルB測定不能の一件で、ギリシャの法廷がIOCを告訴した。思い返せばアテネ五輪の血液検査。ハミルトンのサンプルAの血液が陽性と判定され、続けてサンプルBを測定。しかしBの方は劣化していたため検出不能だった。これでハミルトンの金メダルは確定。

しかし、今頃になって、サンプルBの劣化を「故意」とみなすのか、或いは「過失」とみなすのか、徹底的に煮詰めようという目的で、ギリシャの裁判所がIOCを告訴したらしい。

これに関しては、オーストラリアの五輪委員会も動きを見せていた。金メダル ハミルトン、銀 エキモフ、銅ジューリック、4位がロジャースだったので、ロジャースが銅メダルになる可能性もあるため、ハミルトンの血液検査に疑義を投げかけるべく、スポーツ仲裁法廷に彼の失格を求める動きもあった。

もっとも、金メダル剥奪はなし、と一旦決まったので、滅多にその判断が覆ることはないだろう。

2.アンヘル・カセロ勝訴
チームコーストの給与未払いの一件に関し、訴訟を起こしていたカセロ(ケルメ)は勝訴が決定。3か月分の未払い分にいて、UCIに託されている保証金から支払われることになった。しかし残りの未払い分については、ドイツで訴訟を起こす必要がある。

■ 2004.12.20 (Mon)  速報:えっ?イゴール・アスタルロアは、プロチーム入りならず?
ランプレとの契約でつまずいたアスタルロア。一旦ランプレと契約したのに、チームがサエコと合併で再契約となったが、新しい条件に不服。契約を保留してCSCなどへの加入を模索していたが、プロチームは既に次々登録を締め切っていた。

結局04年のヴィーニ+バーロワールド合併チームとして05年から結成されるバーロワールドに移籍する可能性が目下濃厚となった。現在契約は最終段階。このチームは、コンチネンタルプロチームで、プロチームではない。本当にこのチームに入るのだろうか?なお、前回お伝えしたランプレ・カッフィータへの訴訟は相変わらず継続中。

■ 2004.12.21 (Tue)  5大陸で展開するコンチネンタル・サーキットをマスターしよう
来年からUCIのレースが様変わりする。レースはプロツアーというUCIプロチームがメインで出場するレースと、5大陸で展開するコンチネンタル・サーキットの2つに分かれる。まずはコンチネンタル・サーキットを整理しよう。

* レース名:各5大陸ごとに下記の名称となる
UCIアフリカ・ツアー、UCIアメリカ・ツアー、UCIアジア・ツアー、UCIヨーロッパ・ツアー、UCIオセアニア・ツアー

* カテゴリー
HC、クラス1、クラス2

* ランキング
1.全般:ポイントは12ヶ月間有効。05年5月のポイントは06年6月には消える。
(注:但し、プロツアーの場合は、ポイントは年末までしか有効でない。1シーズンごとで帳消しとなり、翌年1月からポイントは全員ゼロからのスタート)。

最新ランキングは毎月25日に発表になる。25日が休日の場合は翌日。

プロチームに加入している選手は、コンチネンタルサーキットに出場して上位に入っても、ポイントはつかない。

2.個人ランキング
各大陸ごとにランキングが集計される。アジア・ツアーで得たポイントごとのランキング、ヨーロッパ・ツアーで得たポイントごとのランキングという具合。ひとりで複数の大陸のレースに出れば、それぞれの大陸におけるポイントを取得することになる。

ポイントランキングはU-23もエリートも一緒に混ざって表示されるが、その中でU-23の選手にはマーキングが施される。

25日に公表されたランキングで各大陸ごとに首位だった選手にリーダージャージが渡される。つまり5人がリーダージャージを着る。しかし、このジャージは、自分が首位になった大陸のレースでのみ着用が許される。

で、サイスポ最新号にプロツアーの記事を書きましたので(ペタッキインタビューの次のページ)、そちらをお手持ちの方は、P.76の表にご注目。5大陸のうち、UCIヨーロッパ・ツアーのみ、出場規則が他と異なります。

表からおわかりのように、ヨーロッパ・ツアーのHCカテゴリーレースの場合は、出場できるのはプロフェッショナルコンチネンタル・チーム+開催国のコンチネンタルチームのみ。つまり、ヨーロッパ以外のコンチネンタルチームは、HCのヨーロッパ・ツアーに出る権利がない。その他クラス2のレースについても、ヨーロッパ・ツアーのみ、コンチネンタル・プロチームの出場制限があります。

注:チームはプロチーム、プロフェッショナルコンチネンタルチーム、コンチネンタルチーム、ナショナルチーム、リージョナル/クラブチームに分かれる。ブジヂストン・アンカーは来年コンチネンタルチームとして登録されるとのこと。P.78 の記事によると、栗村監督・大門監督も、ミヤタスバル・NIPPOともにコンチネンタルチームに登録する方向であると。

ところで、プロツアーに3大ツールが入る入らないで、かなりすったもんだした。UCIは12/1に3大ツールが入ったと表明し、12/10にプロツアーカレンダーを公表したが、肝心のASOなどはまだ一切カレンダーや、声明を公表していない。ASOが正式にコメントを出すのはいつのことやら。

■ 2004.12.22 (Wed)  世界で一番高い橋を渡って欲しい、ツールドフランス
hashi.jpg 600×450 29K今月14日、フランス南部ミヨーに世界で一番高い橋が完成した。橋脚含めて高さは343m。320mあたりと言われるエッフェル塔より高い。雲を下に見るその姿は壮観そのもの。ツールでプロトンがこの雲の上の橋を渡ったら、素晴らしいスペクタクルになりそうだ。

写真はhttp://www.structurae.net から。

■ 2004.12.22 (Wed)  クーネゴのインタビュー出たよ
やっと出た!「Tarzan」のクーネゴのインタビュー。宇都宮の路上で赤い毛氈を引いてとった写真あり。見たことないぐらい満面の笑顔。今日発売です。最新号の紹介は下記。Jungle Talk: ダミアノ・クネゴ(自転車ロード選手) という小見出しが書かれている。

http://www.magazine.co.jp/regulars/magamix/contents.jsp?shiCd=TA

クーネゴの写真撮影風景を撮影した人がいるので、下記ご参考まで。(多分、正面のアングルから撮影するのはNGでしょうが、撮影風景的に斜めから撮っているので問題ないという認識のもと、ご紹介。)
http://www.geocities.jp/freestyle_gallery/bikegalleryjapancup.htm

■ 2004.12.22 (Wed)  やっと決まった!ジロのルート発表日
やっと決定した。ジロのルート発表日は1/20になった。20日18時、場所はミラノ市内のマツダパレス。

■ 2004.12.23 (Thu)  エミコさん、ガンで中断していた自転車世界一周を再開
エミコ・シールさんが今日の朝日新聞、「ひと」に登場した。彼女のことは、八重洲出版のサイクルスポーツの連載でご存知の方は多いでしょう。自転車で世界を周っているときは、「宿泊はテントが中心で費用は1日10ドル以下。雑誌に原稿を書いて旅費をつないだ(朝日新聞引用)」そうだ。

パキスタンの首都イスラマバードでガンと診断されて帰国・手術。転移もあり、抗がん剤と放射線治療も行ったという。これから毎年4ヶ月ずつ走って3年半後にゴールする予定。前回病に倒れたパキスタンから再出発する。

http://www.yaesu-net.co.jp/cs/

上記サイスポのサイト右下で見つけたエミコさんの本。
<引用>
本誌連載でもおなじみのエミコ・シールさんが、自転車世界一周旅行記を出版しました。現在闘病中のエミコさんを応援してあげてください。「ガンを越え、めざせ地平線!!」定価:1200円 鹿砦(ろくさい)社

■ 2004.12.24 (Fri)  死闘!ライバル同士、名前を呼ばずに、相手のことを「it」で呼んでいた。
今月号のサイスポに、カメラマンの砂田さんが「過去の歴史も含めたヨーロッパの自転車文化を理解せずして、このスポーツわかったフリをしてはいけない」といった内容のコメントを寄せている。

なるほど、と思いつつも、我々のように最近サイクルファンになった人には、昔の情報ってなかなか伝わらない。ネット情報も最近のものが多い。そんな中、今回偶然 往年のイタリア選手の戦いの特集記事を発見。例えば目を見張るようなモゼールvsサロンニの死闘。時代は70〜80年代。

”何故か偉大な自転車選手というのは対でやってくることが多いイタリアの自転車界。20年代、コンスタンテ・ジャランデンゴvsアルブレド・ビンダ。互いにジロの勝利を争った。

20年後、ファウスト・コッピvsジーノ・バルタリ。2人の一騎打ちにより、イタリアのロードレースは一気に開花する。その後、60年代後半から70年代前半、フェリーチェ・ジモンディvsジャンニ・モッタの戦いはファンを真っ二つに分けた。

そして、70年代後半から80年代前半、フランチェスコ・モゼールvs ジュゼッペ・サロンニで、ライバル同士の戦いはヒートアップした。既に引退している2人だが、いまだに敵対心が残るという。2人はタイプの違う選手で、真っ向から相容れなかった。

モゼールはサロンニを痛烈に批判している。「レース中のサロンニにはどうしても耐えられなかった。いつも選手たちの後ろについて、スプリント直前になって勝利をかっさらう。よくもあんなことができると神経を疑う。逃げを成功させて長い間先頭を引っ張って、それで最後に、あんな姑息(こそく)なやり方で負けなんて耐え難い。」

2人の戦いが始まったのは77年。モゼールはワンデイで既に名前を確立しており、サロンニはデビュー1年目。しかしスプリントではモゼールより少し速かった。モゼールは常にアタックを仕掛け、サロンニはよくモゼールの後について、スプリントで追い越して勝利するパターンだった。

2人の戦いが絶頂だった時、2人は互いの名前を決して口にしなかった。モゼールはサロンニのことを、「あそこにいるあの彼」と呼び、サロンニはモゼールのことを、「it」と物質の代名詞で呼んでいたからスゴイ。”(以上英国のCyclesport 6月号 特集記事5ページのかいつまみ情報。)

現在モゼールは国際選手協会会長。先日UCIがプロツアーに関する議論を行った時、話し合いのテーブルに 彼や選手の代理人らは参加できなかった。これに対し、モゼールは先日UCIに書面で抗議している。サロンニはランプレのマネージャー。来季はランプレ・カッフィータのGMとなる。

■ 2004.12.24 (Fri)  パウリーニョを覚えていますか?:ツアー・ダウンアンダー 出走リスト
毎年第3火曜日に開幕する、話題一番乗りののレース、ツアーダウンアンダー(=TDU,オーストラリア)。来年は1月18日から23日まで。なお、現在、五輪ロードでベッティーニについで2位となりリバティーに移籍したポルトガルのパウリーニョが、TDUを走る予定になっている。

FDJとランプレ・カッフィータの出走リストは下記:

FDJ:B・クック、M・ドゥラージュ、M・ウィルソン、F・フィノ、M・レンショー、I・マクロード、C・モヌレ

ランプレ・カッフィータ:G・シモーニ、D・ベンナーティ、G・ボノーミ、P・フォルナチャーリ、J・フエンテス、D・ロースリ、S・マルツォーニ、D・ピエーリ

■ 2004.12.25 (Sat)  ジロ・デ・イタリアが東京ドームにやってくる
プランタン銀座から口座引落し通知書がきた。その中に1枚のチラシが同封されているのを発見。「2005年1月9日〜22日 イタリア・フェスティバルin東京ドーム」。ファッション、旅、デザイン、アート、食などイタリアを紹介するフェスティバル。ああ、これか、サイスポ1月号191ページに書かれていたのは。

チラシには細かい説明記事はなかったが、サイスポの記事によると、スポーツコーナーで、F1、サッカーと並んでジロ・デ・イタリアのコーナーがあるという。

レース写真パネル、イタリアの英雄の自転車展示、今年のジロのトロフィー展示!、今年のジロのリーダージャージ4種、00から04年のポスター、ガゼッタの紙面の展示があるらしい。入場料は1500円。前売りは1300円。主催は読売新聞社なので、読売新聞をとっている人は集金のおじさんにおねだりできるかな?うちは読売じゃないからダメだ。

■ 2004.12.25 (Sat)  来年のシマノレーシングチーム=>「Team Shimano-VanKeulen-ImaboVanBuren」、メンバーリストがわかったぞ
シマノがメインスポンサーをつとめる「Team Shimano-VanKeulen-ImaboVanBuren」。先日お伝えした通り めでたくコンチネンタルプロチーム登録され、メンバー構成は日本人9名とオランダ人7名という発表だった。このたび選手の顔ぶれがわかった。元ミャタの品川真寛選手はここにいた。鈴木真理選手は、やはり「あのチーム」に移籍した模様。

シマノの2005年コンチネンタルプロチーム メンバーリスト>>
日本選手:阿部良之、土井雪広、野寺秀徳、山本雅道、大内薫、狩野智也、廣瀬佳正、品川真寛、 辻貴光

オランダ選手:Marco Bos , Eelke van der Wal , Alain van Katwijk , Rik Reinerink , Rudi Kemna , Julien Smink , Laurens Ten Dam ,
ドイツ選手:Stefan Schumacher
(UCI公式発表)

■ 2004.12.26 (Sun)  コンチネンタル プロフェショナル チーム登録状況
下記のチームが正式にコンチネンタル プロフェショナルチーム(現在でいうところのTT2のような感じ)に登録決定。

ランドバウクレジット、 ショコラーデジャック(以上ベルギー)、Miche(ブルガリア)、コロンビア・セッレイタリア(コロンビア)、eDシステム(チェコ)、AG2R(フランス)、アグリテュベル(フランス)、バーロワールド(英国)、ヴィーゼンホフ(ドイツ)、シマノ (オランダ)、フォナック(スイス)、ナヴィゲーション インシュアランス(USA)
(その他イタリアのフォルマッジョも認定されたとする資料もあり。)
(また、ショコラーデジャックは認定となっているものの、チーム解散説が出ているので、要注意。)

更に1月17日までに書類が揃えば、下記のチームも認定される。

ミスターブックメーカー.com(ベルギー)、コムニダバレンシアナ(元ケルメ)、カイク、レラックス(以上スペイン)、RAGT(仏)、ウィズミラク(インドネシア)、テナックス(アイルランド)、チェラミケ、アクア(以上イタリア)、アクション(ポーランド)、LAアルミニオス・リバティーセグロス(ポルトガル)、エリトロン、チームLPR(以上スイス)

上記スペインのカイクは、11月10日付けNews Briefingでお知らせした乳製品会社がスポンサーの新チーム。一方で、パナリア、カフェバケはチーム解散が濃厚となった。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20041110

■ 2004.12.27 (Mon)  ロックンロールのバンドを結成しているプランカールト一家、息子のフランチェスコはMr.ブックメーカーへ。レースにはギター持参で行くよ。
ベルギーのプランカールト家は、自転車界のサラブレッドとよく言われる。先代のウィリー、ワルター、エディーの3兄弟は3人ともレースで大活躍した。

長男のウィリーはツール2区間優勝(時期は60年代後半から70年代後半)。次男ワルターはアムステルゴールド、フランドル優勝などなど(70〜80年代前半)。でも一番活躍したのは3男のエディー。ツール2区間、ヴエルタ10区間、ジロ1区間優勝。フランドル、パリ〜ルーベなどなど(80年代)。

この伝説のライダー、エディーの息子フランチェスコが、このほど漸くミスターブックメーカー.comに移籍決定した。フランチェスコは昨シーズンはショコラーデジャックでネオプロとして走ったが、チーム解散などの話が浮上しているため、移籍先を模索していた。

エディー・プランカールト一家は現在ロックンロールのバンドを結成している。昨年はライブコンサートを40回行った。リーダーはエディー。妻と3人の子供がバンドのメンバーだ。妻のクリスティナはバンドのダンスメンバー。自転車選手のフランチェスコは歌を創作し、ボーカル&ギタリスト。長女ステファニーはバックシンガー、次男ジュニアはドラマーといった具合。

フランチェスコは本格的にプロ自転車選手活動をするため、このバンド活動の方は今までのようには続けられないだろう。でも、「レースにはギター持参で行くよ。もしチームメートが勝てば、お祝いにギターの生演奏で演奏をするつもり。まだ僕自身、チームに余り貢献できないから、せめてこういうことでチームに参画したいんだ。」と言っている。

ちなみに、コフィディスにいたヨー・プランカールトは先代プランカールト一家の長男のウィリーの息子。今年薬物疑惑でコフィディスを退団している。

■ 2004.12.27 (Mon)  津波で気になるランカウィの状況
この世のものとは思えないような大きな津波。被害者の安否が気になる。ところで、津波の被害に遇って今日帰国した邦人のインタビューを見ていたら、マレーシアのランカウィから帰ってきたという人がいた。あちらの方面でも津波の被害があったらしい。Yahooのマレーシア版ニュースにも、ランカウィで被害があった旨記事が出ていた。
http://asia.news.yahoo.com/041227/afp/041227085026top.html

ツール・ド・ランカウィは1ヶ月後の1月28日スタートだが、現地の被害状況が気になる。

■ 2004.12.28 (Tue)  ペチャロマ〜ンを覚えていますか?
03年パテルニナ在籍時代 選手たちの間でも大いに噂になったスペインのホセ・アントニオ・ペチャロマン。’03カタルーニャツアーとエウスカルテル・ビシクレタで立て続けに 合計区間優勝4回とそれぞれ総合優勝をあげ、突如彗星のごとく現われた。

当時、ファッサボルトロ内では、ペチャロマンの成功にあやかって、素晴らしいものを何でもかんでも「ペチャロマーン」と呼んでいたほど、他のチームでも大きな話題を呼んだという。

しかし04年、クイックステップに移籍してからは、膝の怪我とアンダルシアの落車による手の骨折で、精彩を欠いた。来年は是非スランプ脱出したいところ。特に来年のヴエルタでは彼の住むラマンチャ地方が舞台となるので、士気も上がっている。フロックと言われないためにも、今年は正念場だ。で、彼のインタビューが面白かったのでご紹介。

ペチャロマン一問一答:
― 憧れの選手 --- ミケーレ・バルトリ
― 他のスポーツで憧れの選手 --- マイケル・ジョルダン
― 憧れの監督 --- アルバロ・ピノ(元ケルメ監督、元フォナック監督)
― 朝一番ですることは? --- 風呂場に行って体重を量る。
― 早起き派?寝坊派? --- 寝坊派
― 癖 --- 地面に足をつく時、必ず右足からつく。

― 好きなこと --- 食べること。時々たまらなくなって、「トニー・ローマ」(Tony Roma's =世界展開するバーベキューリブレストラン)に駆け込む。

― もしも自転車選手でなかったら? --- 教職よりももっと難しい学科を選考していた。(彼は物理、或いは保健体育物理の教職を勉強した。ちなみに父は教師。)

― UCIプロツアーについて --- 今のままの方がいい。莫大な予算はチームにとって負担が大きすぎる。僕の元いたチームパテルニナみたいに小規模チームは消滅してしまう。

関連記事:「ベロキ、カサグランデ、ルムシャスを破って優勝したあの選手は誰?」 (6.11.2003 )
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0306.html

■ 2004.12.28 (Tue)  ランス今月号の英語学習雑誌に登場
English Zoneという雑誌をご存知でしょうか?当方は、今回初めて知ったのですが、アルクのEnglish Journalみたいな英語学習雑誌です。その最新号English Zone #13にアームストロング登場と聞き、チェックしてみました。

表紙にランスが載っていました。Livestrongの黄色xブラックのジャージを着て登場。残念ながら付録には彼のインタビューは入っていないそうですが、4ページほど、彼の紹介記事が出ています。CN、Sports Illustratedなどのインタビューから拾い読みする形で記事は構成。

それにしても、こうした教材に登場したりしてランスも、自転車ファンの間のみならず、全国区的に知名度が上がっているのを感じます。ツール・ド・フランスや自転車競技に対する一般の人の感心が向上するのは嬉しいかも。

この雑誌のURLはこちら。昨日丁度アップデートされたところで、最新号の表紙も掲載されたようです。右上にLivestrongジャージ姿のランスの写真。http://www.englishzone.jp/engzone/index.html

■ 2004.12.29 (Wed)  ブリュイネール監督は7月にヘッドハントしていた。トム・ダニエルソン:「ただ、ファッサが嫌で去るという報道は間違いだ」
来シーズン、ファッサからディスカバリーへ移籍するダニエルソン。ランス、ヴォータース、リヴィングストン、ハミルトンといった実力派北米プロサイクリストに続け、と今注目されている選手だ。コロラド州のデュランゴに居を構えており、中野さんが彼がアメリカに戻る際、ボローニャ空港まで送って行った話がDiaryに掲載されている。
http://www.yottan.it/2004/index.html

ところで、C・ブルアーによるダニエルソンの最新インタビュー(多分そのうちCNにも掲載されると思われます)によると、ブリュイネール監督からコンタクトがあったのは今年の7月末。しかし、ダニエルソンはファッサと2年契約していた。04年にサターンからファッサに移籍にしたばかりなので、2005年いっぱいファッサで走る契約になっていた。しかし、ブリュイネールの構想を聞いて、彼の心は決まった。電話を切った時、どうにかしてディスカバリーに移籍しようと。

その後、とにかく正式にディスカバリーと契約になるまで、練習を一生懸命やって、必死に取り組んだ。更に彼は当時のUSPのチーム状況も分析した。そして、プロチームの中で、最高のチームだという結論も得た。ブリュイネール、ディーク・デモルといった最高のスタッフから直接学ぶのが一番の選択だ、と。

ただ、彼はファッサ・ボルトロが嫌で去ったのではない。ファッサではハッピーだった。もし、ディスカバリー以外のチームからのオファーであれば、間違いなくファッサを去ることはなかっただろう、と言っている。

■ 2004.12.29 (Wed)  ランカウィは大丈夫。。みたいな様子
マレーシアのランカウィの方でも津波の被害があったようだが、ツール・ド・ランカウィの公式HPを見る限りでは、やる気まんまんのようだ。実際、本日29日、ニュースが更新されていた。

http://www.tdl.com.my/news/details.aspx?cid=2&page=1&NID=45

記事は、CA、ディスカバリー、リバティーの出場が改めて確認されたといった内容。参加選手としては、Jディーン、Tヒュースホーウト、Cルムヴェル、FDJからCAへ移籍した元フランスチャンプのNヴォゴンディなど。

■ 2004.12.30 (Thu)  ディスカバリー28番目の選手
先日ブリュイネール監督の談話を聞いていたところ、28番目の選手を獲得することをほのめかしていた。今日それが誰なのかが判明。今年ヴェローナでU23ロード世界選手権ITTチャンピオンに輝いたスロヴェニアのジャネス・ブラユコヴィッチだ。プロチームの定員数上限は28人。27人程度で様子を見るチームが多い中、ディスカバリーは枠いっぱいに選手を獲得。

彼はいったん1月11日のディスカバリーのチームキャンプにジョイン。その後、現在のチームであるクルカ・ノヴォ・メストでシーズン前半を走り、その後7月31日に正式にディスカバリーのプロ選手として登録されるという。

ブリュイネール監督は若手選手を探していた。そして、今年の世界選手権TTで、オランダの優勝候補トーマス・デッケルを破って金メダルを取ったブラユコヴィッチに注目した。

一方、トーマス・デッケルの方はこの時 ブラユコヴィッチについで銀メダル。しかし、過去の戦歴・実力でいうと優勝候補No.1だった。今年ラボバンクのエスポワール(TT3)にいたが、シーズン途中の9月中旬にラボバンクTT1に移籍。途中で昇格するほど彼の実力はすごかった。アルガルヴェ、ノルマンディー、ラヴニールを始めステージレースで総合優勝やITTステージ制覇を次々に実現。TT1昇格後も中規模ステージレースで区間優勝している。

ブラユコヴィッチはそのデッケルを破ったわけで、一気に脚光を浴びた。ブリュイネール監督はその後、彼の調査を開始。他の人からの証言やテストの成績を見て、将来有望と判断。自分達でもテストを行い、結果にぶれはなかった。2004年はGPテルで総合2位+区間優勝。トロフェオ・バンカ・ポポラーレ・ピーヴァで優勝。U23欧州TTで2位、そして世界選U23TTで金メダル。ディスカバリーは、またひとり有望株を獲得した。

■ 2004.12.31 (Fri)  アスタルロアのコメント
今朝方、News Briefingでお伝えしたイゴール・アスタルロアの移籍の件。本人コメントがでた。ポジティブな内容だ。

「まだ、ランプレとの契約破棄を正式に手続きしていないが、いずれ来週にでも行うつもり。でも、内々に合意はできている。新しいチームでは、新しい経験となり、自分にとってはベターな選択だったと思う。チームのプロジェクト内容も気に入っている。ただ、メジャーなクラシックレースへは、招待ベースでしか出場できないけれど」

■ 2004.12.31 (Fri)  今年の締めくくりは自転車競技プラスアルファで、自転車にまつわるウクライナの大統領選の話。
今年も様々なニュースをお伝えしてきました。ニュースをお伝えする際、ほんのちょとだけ少し意識していることがありまして。それは、機会があれば、自転車レース・選手だけでなく、それに関連する他の世界のことにもちょこっと触れて生きたいな、ということ。

こうして娯楽としての自転車競技を追いかける中、世の中では実に様々な出来事が起こっています。災害、テロ、事故。。。。身の回りのその他のことに目を向けずに自転車だけを語るのは、浮世離れしているようで、どこか後ろめたい。世の中自転車だけじゃない。たとえ自転車を通してでも、なるべく広く世の中を見なくては、そんな思いがあったりします。

だからたまに、自転車というキーワードを通じて見える世界・事件・文化・他のスポーツにも触れたいな、と。

フランスに完成した世界一高い橋の話;ランカウィと地震・津波の影響に思いを馳せたり;ランスのイエローバンドが、「蘇生処置拒絶」の黄色いバンドと似ているために着用を禁じた病院の話。。。遡っては、01年911同時多発テロの時はヴエルタの最中で、「自国に戻りたい」「いてもたってもいられない」といったUSPのアメリカ選手の声を集めたり。

F1やサッカーなど、他のスポーツと自転車との接点も少し掲載しました。アームストロングとF1ドライバーの合同キャンプ、USPのチェチュ・ルビエラとアロンソの同郷コンビの話、バルサの自転車チームの話などは特に反響があり、自転車+F1 /サッカーも好きという人も結構多いのがわかりました。01年、02年、元スプリンターのフレデリック・モンカッサンがダカールラリーに出た時の様子をお伝えしましたが、多分これが、自転車と関連づけのある他のスポーツの話題の第一号だと思います。

そんなわけで、この1年の締めくくりのニュースは、この2つにしました。

1. F1+自転車

先日デルガドのコメント記事を読んでいて見つけた内容 :「今年のヴエルタで印象的だったことの1つは、スペインアストゥリアス地方のファンの盛り上がり。もともとあの地方の人たちはヴエルタの熱心なサポーター。でも、特に最後の週にアストゥリアス出身のS・ペレスが大活躍で地元の人はフィーバーした。応援用に使う州の旗が底を突いて、普段F1ドライバーのフェルナンド・アロンソの応援用に使っている州の旗を、あちこちからかき集めてきたらしいよ。」

アストゥリアスの旗は9月1日のトクダネで紹介した通り。ブルー+黄色い十字が目印です。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/2004/Rimg0674.jpg

2. ウクライナ大統領選決選投票で勝利したユシチェンコ氏+自転車

ダイオキシンを盛られたユシチェンコ氏(或いはユーチェンコという表記も。スペルはYushchenko)に関連して、28日の朝日新聞に、こんな記事が載っていた。少年の時、自転車を買うつもりで貯金していた小遣いを、母が彼の学校の制服を買うのに使った。泣いてなじる息子に、母が励ました。「学問を身につけ、立派な自転車を買いなさい」と。

自転車を買いたくて、買えなくて、一生懸命勉強した貧しい農家の息子。西部テルノポリの経済大学に進学し、地方銀行での実直ぶりが評価され、国立中央銀行総裁で通過制度改革に手腕を振るったという。そして、たたき上げでここまでのし上がった。彼はその後、自転車を買っただろうか?記事は触れていない。ちょっぴり気になる。

ウクライナ出身のプロ自転車選手はランドバウクレジットに多い。04年は6人もいた。今年デナルディで走ったTTが得意なセルゲイ・ゴンチャールもウクライナ。中野さんのDiaryによく出てくるグストフも。でも来年一番注目を浴びるのは、ディスカバリーと07年まで契約したヤロスラフ・ポポヴィッチだろう。彼らの目に、今回の大統領選はどう映っているのだろう?

ユシチェンコ氏のサイトには「私はウクライナに関して客観的になることはできない。なぜならとてもこの国を愛しているから。私はウクライナを信じている」と書かれている。I can’t be objective regarding Ukraine, because I love her too much! I trust in Ukrine! V. Yushchenko.

(ウクライナをitでなくherで受けているところを見ると、「ウクライナ」はロシア語で女性名詞なのだろう。Aで終わる単語だからきっとそのはず。ロシア語だとYkpaNHaに似た綴りになるんだろう。そういえばフランス語でもウクライナは「Ukraine」で女性名詞だっけ。)

彼のサイトのトップの写真は、ダイオキシン事件が起こる前のもの。事件の恐ろしさを改めて想う。
http://www.yuschenko.com.ua/eng/

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