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今月のNews:ディスカバリーチャンネル・チーム、アレサンドロ・ペタッキ、ロビー・マキュエンなど

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■ 2005.01.01 (Sat)  自転車選手がダカールラリーに出るということ
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

さて、ダカールラリーは1月1日開幕。片山右京も再び出場する。
http://www.nikkansports.com/ns/sports/motor/2005/dakar2005/dakar-top.html

既に何度か記事にした通り、01年、02年、このラリーの2輪部門に引退した元クレディアグリコルのフレデリック・モンカッサンが出場した。ツールではイエロージャージも着たし、なにより華のあるスプリンターだった。

02年ツールで見かけた時、ダカールラリーの感想を聞いたが、お金がかかって、なかなか大変そうだった。今年も素敵な笑顔を振りまいていた。相変わらずCA広報担当で、ツールの最中はヴィラージュなどで姿を見ることができる。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/tour04/photo/Rimg0346.jpg

ツールを走っていたモンカッサンは、一体どうやってダカールラリーを目指すようになったのだろう?(以下公式HPなどから抜粋)

質問: ツールを走る選手からダカールへ転向しましたが、経緯を教えてください。

「至って単純なことなんだ。自転車をオートバイに持ち替えただけ。(笑い)10年間のプロ生活は十分楽しんだ。何か別のことに挑戦したいと思った。

オートバイはもともと大好きだったし。自転車も大好きだったけど、やがてそれはシゴトになった。しまいには、もうそれは楽しみではなくなった。だから僕は自転車選手生活を止めた。今僕はオートバイが楽しくて仕方ないよ。

ダカールは自転車プロ選手時代から見ていたけど、でも他のファン同様、遠くから眺めるだけだった。やがて自分の力を試してみたくなった。僕のクレディアグリコルでの契約では、こうしたエンデューロレースに出ることを禁止する条項はなかった。でも、実際は現役時代、チームは僕がこうしたレースに出ることを嫌った。

でも、もう現役を離れて誰にも許可を得る必要はなくなった。2001年11月始めにダカールラリーを走るフランソワ・フリックから電話をもらって、出場を誘われたんだ。拒否する理由はなかった。ライディングの技術は大丈夫だと思ったけど、ナビゲーションについては自信がなかった。

準備期間は短かったけど、体力には自信があった。MTB、シクロクロスをやっていたし、連盟のトレーナーの資格を取るために自転車には常に乗っていたからね。自転車レースでは100%出し切ることが必要だったけど、ダカールラリーはそうまでする必要はない。もっと冷静でいられるし、なによりこれは大好きなこと。そして結果を出せ、とプレッシャーをかけられることもない。」

■ 2005.01.02 (Sun)  コージ選手のハーモニカ演奏が収録されているCD
「Ciclismo Sound for Roadracer」というCDをご存知だろうか。収録されている曲は、「Grand Departグラン・デパール」、「Prologueプロローグ」、「Downhillダウンヒル」、「Les caravaneキャラバン」といった感じで、ツールに からめたタイトルで、軽いノリのBGM風の楽曲が並ぶ。最初の曲「Grand Depart」はフランス語のナレーションと、「ラララ。。。」という口ずさみ。

フランス人のナレーターがアップビートの曲に乗ってこんな風に言っている。「これは、自転車が好きな人と、それほど好きじゃない人のための(CD)です。これを聞いて興味を持ってもらえれば。」

そして、自転車選手の名前を次々に曲に乗せて運んでいく。フランス語訛りだから、マイケル・ロジャースはミカエル・ロジェーになったり。曲に乗っている選手名は以下の通り:

♪ ランス・アームストロング、ヤン・ウルリッヒ、ローラン・ジャラベール、ジルベルト・シモーニ、エリック・ツァベル、ヨセバ・ベロキ、マリオ・チッポリーニ、オスカル・フレイレ、ジャッキー・デュラン、マイケル・ボーヘルト、シルヴァン・シャヴァネル、デイヴィッド・ミラー、イバン・マヨ、ヨハン・ミュセウ、マルコ・パンターニ♪

13番目の曲、「オーシャンゼリゼ」は、福島康司選手のハーモニカ独奏。(今年の自転車展でも生演奏を披露してました。)で、途中フランス語で「僕は日本人。自転車プロ選手」とコージ選手の流暢な語りが入っている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J56M6/249-9368634-4117911

■ 2005.01.02 (Sun)  ジミ婚だけどペタッキ
PB201735.jpg 296×280 8Kペタッキがアンナ・キアーラさんとゴールイン。婚姻の日付は12月30日説と1月1日説の2つがあるけれど、とにかく市庁舎のような場所で婚姻届をひっそり出したということらしい。盛大な披露宴もなく、ミケーレ・バルトリらごく少数の友人だけが出席。もっとも、後日チャペルでのちゃんとした結婚式は別途行うそうだ。日程は内緒らしい。

■ 2005.01.03 (Mon)  選手近況
1. フランチェスコ・カサグランデ + サントーニ監督率いる新チーム
昨年からチームを点々としているフランチェスコ・カサグランデ。シーズン途中、ランプレからヴィーニへ移籍。今年は一旦バーロワールドに移籍が決定していた。ところが、その契約を止め、12/30付けのNews Briefing http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/でお知らせした通り、新チーム、ナトゥリーノ-サポーレ・ディ・マーレに急きょ加入することになった。

このチームは 元ドミナのヴィチェンツォ・サントーニ監督率いる新チーム。UCIプロチームではないので、カサグランデの露出度は、今まで以上に減るかもしれない。

サントーニ監督の名前は時々ニュースにも登場する。例えば2003年ヴエルタで騒動を起こして処分騒動になった件。ドミナは03ヴエルタ出場から外されたのだが、その時サントーニ監督が「チッポリーニを出場させるから」といって、ドミナのヴエルタ出場が直前で決定した。ところが肝心のチッポリーニは第1ステージを走っただけで、翌日リタイヤ。

ヴエルタを馬鹿にしていると、実行委員はおかんむり。監督はこれで翌年4月から5月まで一ヶ月間謹慎処分+罰金となった。
このニュースは2003年9/3、9/4のトクダネでも報道しました:
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0309.html

更に、2002年末、アイトール・ゴンサレスがファッサに移籍決定した際もサントーニ氏が登場。ゴンサレスは一旦ドミナと契約しており、監督は、「その契約が有効で、ファッサとの契約は無効である」、と主張して、マスコミにしばし登場。アイトールのファッサ正式移籍は、シーズンが開始した翌年03年1月までずれこみ、揉めに揉めたのだった。

このサントーニ氏率いる05年新チームには、その他元ドミナのフィリッポ・シメオーニも加入するとの情報。アームストロングが薬物使用していると法廷で証言している選手だ。更にランスが、「シメオーニの言っていることは嘘だ」と言ったことが、自分に対する侮辱に当たるという理由で、名誉毀損でランスを訴えている。

2. エウスカルテル
暮れにエウスカルテルの選手・スタッフは入院中の子供たちを激励。チームは、毎年チャリティー活動の一環としてこうした病院訪問などを行っている。

3.カルロス・サストレ(CSC)
サストレにとって、昨年は辛い年だった。義理の兄にあたる、チャバことホセマリア・ヒメネスが03年12月に心不全で急死し、更にヒメネスの父で、自分の義父にあたる人も後を追うように亡くなった。チャバがうつ病になった時には、時に彼のスポークスマンになって病状の一進一退をマスコミに語ってきた。うつ病が快方に向かいつつある矢先の急死だった。

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0312.html (2003年12月7日以降のトクダネに掲載)

更に、サストレは、チャバの父である義父のことは実の父のように慕っていた。2004年は、「こうした個人的な辛い出来事で、思い通り自転車に打ち込むことができなかった」。しかし実際は、そんな逆境の中でも、サストレは04年、ツール総合8位、ヴエルタ総合6位になっている。05年、彼はツールでバッソを、今まで以上に協力にアシストし、バッソが不振になった場合の二番手として登場する、と語った。

一方、バッソは既にご紹介の通り、ジロとツールの両方に出る予定。「両方でトップを目指すのは厳しいが、不可能なことではない」と。

■ 2005.01.04 (Tue)  ジャッキー・デュラン引退特集で動画が見られる:デュランの栄光の日々+ 車に轢かれかけるシーンも
フランスTVのサイトでジャッキー・デュランの引退特集が見られる。(例によって、時が経つと消えます。)

92年、まだ無名時代にソロでフランドルで優勝したシーン。93年フランス選手権でゴール手前で果敢に飛び出してプロトンを置き去りにするシーン、などが次々に出てくる。更に95年、ツールのプロローグを制した時の様子も。ナレーターが、「優勝候補ボードマンが落車し、その他の選手も慎重に行く中、デュランがイエロー・ジャージに輝いた」と言っている。

この時はひどい雨で路面が濡れていて、Mr.プロローグのボードマンは僅か3km地点で落車し、リタイヤとなった。更に、M・インドゥラインはこの時TTバイクの使用をやめて、普通のバイクで走った。選手らがスリップして落車する中、用心して走ったと証言している。そこを突いて、果敢に攻めたデュランがプロローグを制覇。

一方インドゥラインの方は、デュランから31秒遅れの35位。しかし当のインドュラインは、「こんな差はたいしたことはない」と言いのけて、見事最終的には総合優勝した。

更にこの動画では、デュランが98年ツールで停車中の車と衝突して落車するシーンが出てくる。地面に横たわっている彼の後から、フランスTVの車が飛び出してくる。彼の足の上に車が乗り上げかける。。といった際どいシーンが一部始終映っていて、ひやりとする。

98年にはツール区間とパリ〜ツールも制覇。彼のアタック魂が凝縮されたビデオだ。URLは下記:

http://toutlesport.france3.fr/

■ 2005.01.04 (Tue)  フォナックは監督&マネージャーを辞任させて、来年こそ絶対にプロチーム入りする。
フォナックのトップの交代劇は、突然だった。選手たちは戸惑っている。特に人望の厚いピノ監督が何の前触れもなく監督を降りることになったことにショックを覚えている選手も多い。先日ペチャロマンもインタビューで<憧れの監督は?>という質問に、自分のチーム監督ルフェーブルを挙げずに、ピノ監督の名前を挙げていた。

両者合意の上でチーム監督の契約を無効としたので、厳密には解雇ではないが、プロチーム入りできなかったことに対し、こういう形で責任を取ることになった。監督はチームと2年契約を締結した矢先であったことから、合意の上での契約無効措置とはいえ、フォナック側に対し、何らかの賠償請求をする可能性もある。

カメンツィンはEPO使用を認めて引退。ハミルトン、サンティアゴ・ペレスが疑惑の渦中へ。その流れから、倫理観を全面に打ち出したプロツアー制度から拒否され、チームは優秀な選手を抱えながらもプロチーム入りできなかった。その他、同様の引責辞任となったのはマネージャーのウルス・フロイラー氏。

フロイラー元マネージャーの名前は、今年のヴエルタの最中にスペイン人の間で知れ渡った。オスカル・セビーヤに対し、侮辱的な対応をしたことが新聞に暴露されていた。フォナックで走ることを決めていたセビーヤは、彼から屈辱を受けて、T-モバイル移籍を決めた。この辺の経緯はまた明日のニュースにて。

新しいマネージャーはベルギー人のヨハン・ルランゲ氏。彼は自転車選手出身ではないものの、ベルギー五輪委員を経て、ASOにおけるツールドフランスの豊富な経験を買われた。もともと彼はASOでプレス担当をしていたが、最近ではルブランの右腕だった。また語学にも非常に堪能で、サイクリング・コーチの資格も有している。

昨年ツール・ド・カタールでJMルブランの下でASO副監督をしたのも彼。更に同じカタールでASOのNo.1ドライバーを勤めたのは、彼の父であるロベール。つまり、親子でASOに関わっていた。
http://www.letour.fr/stf/quatar/2004/us/organisation.html

ジョンの父ロベールは1960年から69年まで自転車選手だった。引退後19年間ASOのトップ幹部の車のドライバーをしている。

フォナックとしては、上層部を入れ替えることで、チームとして自浄努力をしたことをアピール。2006年こそ、プロチーム入りを狙う。とりあえずは実績作りの上でも、ツールのワイルドカードをゲットすることに全力を注ぐ。そのために、ジョンはロビー活動をこまめに行う予定。新監督の方は、来週のマヨルカ島キャンプまでに公表される予定。

ところで、ピノ監督の突然の辞任を受けて、サウニエル・ドュバルから今年フォナックに移籍したペルディゲロは、驚きを隠せない。

「ピノが交代させられるなんて、思ってもいなかった。正直全く驚いているし、ヘンな感じがする。12月一週目のチームキャンプは、チームがプロチーム入りできなかったという事実にも関わらず、いい感じで行っていたのに。

1月のマヨルカ島キャンプでは、チームにはしっかりと説明してほしい。何が起きたのか知らされていないので、意見をこの場で言うこともできない。1つ言えることは、今年フォナックで走れることになったのは、ピノ監督のおかげだったということ。」

■ 2005.01.05 (Wed)  オスカル・セビーヤ:T-モバイル移籍の訳は、マネージャーから受けた屈辱
昨日、<ピノ監督 電撃交代劇ニュース>で触れた通り、セビーヤ移籍の経緯です。

04ヴエルタの最中にT-モバイルへ電撃移籍を発表したセビーヤ。T-モバイルにとっては、初のスペイン選手となった。(その後、パテルニナのラーラが第2のスペイン選手として加入。)彼へオファーを出す前に、まずT-モバイル幹部はウルリッヒに打診。ウルリッヒは、セビーヤがツールの山岳ステージでアシストしてくれることを期待し、それを了承。正式にオファーを出すことが決定。

ところで、ヴエルタが始まった時、セビーヤの心は決まっていた。05年もフォナックで走ると。しかし、フォナックのマネージャー、ウルス・フロイラーの仕打ちに激怒。フォナックから離脱することを決意し、T-モバイルのオファーを受けることになった。以下セビーヤのコメント:

「マネージャーのウルス・フロイラーの行いは間違っている。ヴエルタ初日、年俸減額の条件を提示され、僕は受けた。04年、期待通りの走りができなかったから、減俸に異存はなかった。その後 フロイラーから契約書がくるのを待っていたのだが、音沙汰なし。僕から電話した。

すると、彼はこんなことを言った。<あの後、考え直した。オファーを変更する。もっと大幅減額にする。>と。僕は激怒し、チーム離脱を決意した。

でも、フォナックの雰囲気は最高だったので、辛い選択だった。チームメート、スタッフ、ピノ監督ともすごくうまくやっていた。でも、これほどフロイラーに辱められるのは耐えがたかった。彼を除けば、チームは僕にとってすごくよかったんだけど。」

フロイラーの第二番目のオファー額は、セビーヤが屈辱的と感じるほど低かったという。

「ツール前半、僕はハミルトンから感謝された。彼にトラブルがあった時、いつも彼を待ち、前線に押し上げるよう全力を尽くした。ヴエルタではSペレスを全力でアシストした。シーズン通して、自分自身の走りはできなくとも、スタッフや監督からは、こうした僕の走りに対し評価を受けているはずだった。

チームの人たちは僕が去ることで失望しているけど、でも、僕に失望しているのではない。僕を追い出したフロイラーに対して失望している。彼らも何故フロイラーが僕に対しあんな行為をしたのか、理解できずにいる。

T-モバイルは、僕が在籍したケルメやフォナックみたいに自由な雰囲気ではないかもしれない。でも、プロフェショナルに徹した、真面目なチームのように思われる。

もっとも、たとえ雰囲気の違うチームだとしても、僕はオープンな人間。言葉の問題はあるにせよ、問題なく溶け込めるだろう。人生で怖いものはないんだ。ツールでは精一杯ウルリッヒをアシストしたい。」

04ヴエルタでフォナックと決裂したセビーヤだったが、チームのエースとなったS・ペレスを必死にアシストし、決して途中で仕事を投げ出すようなことはなかった。(サイスポ11月号P.29 のエピソードにも書いた通り、山岳TTでペレスが優勝したのは、セビーヤのおかげだったという。)

■ 2005.01.05 (Wed)  ミヤタスバル 西村拓也様、水尾和孝様 ?!
1/4付けNews Briefing http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20050104 で書いたとおり、Cyclingnews.comに掲載されていたミヤタの選手リストに誤りがあった。水尾選手のふりがなが「ミゾウ」、西村選手の名前が「ニシムル」に。CNに訂正をお願いした。

Kazutaka Mizou --> Kazutaka Mizuo
Takuya Nishimur --> Takuya Nishimura

今朝CNより確認がきた。訂正作業終了だそうです。
Thanks Naco, and best wishes to you too for 2005! I've corrected those mistakes.

■ 2005.01.05 (Wed)  速報:リーク情報
昨日お伝えしたフォナックのトップ交代人事。マネージャーがルランゲになったのは決定したが、監督は来週のキャンプまでに発表ということだった。そんな中今しがた速報が入り、あのフアン・フェルナンデスが監督につく可能性が濃厚らしい。

全くの偶然なのだが、実は今日、通勤列車の中で丁度フアン・フェルナンデスの過去データを調べていたところだった。(次のサイスポのネタの関係で。)何故彼のデータをチェックしていたかというと、彼はヴエルタである記録保持者だった。記録とは、ヴエルタで監督最多勝記録。92、93年クラスの監督として、ロミンゲルが優勝。94年マペイ・クラスの監督としてロミンゲルが再び優勝。更に01年フェスティナの監督としてカセロが優勝。

しかし、04年ヴエルタで、この記録が破られた。。。この続きは3月号のサイスポにとっておくとして。。というわけで、フェルナンデス監督の監督最多優勝記録のデータをチマチマ帰りの電車でチェックしていたところだった。

彼がフォナックの監督に本当に就くかどうかはまだ確定でないが、少なくとも可能性はある。98年フェスティナ・スキャンダルでチーム幹部が退任した後、監督に抜擢されたのがフェルナンデス氏。つまり、彼は薬物騒動を起こした後のチームを指揮した経験がある。それを買われたのではないか?更に、彼はコーストで監督を務めたがチーム解散の後、現在フリーのはず。

ちなみにこちらのHPでは、2000年HP開始早々、このフェルナンデス氏のことに触れています。アーカイブから掘り起こしましたので、下記をどうぞ。

「ケルメのフェルナンド・エスカルティンのヴエルタでの成績は下記の通り。
10位-1993年、 9位-1994年、10位-1996年、2位-1997年、 2位-1998年、 落車でリタイヤ-1999年

95年以外は全部出場。その問題の95年。実はヴエルタ出場予定だったのに、監督の逆鱗(げきりん)に触れて、出場を阻止されたのだった。ヴエルタの直前、エスカルティンは当時在籍していたマペイからケルメ移籍を決意。

これにへそを曲げた当時マペイのフアン・フェルナンデス監督。エスカルティンをヴエルタのメンバーから直前で突如外した。報復措置だった。スペインファンからは相当非難を浴びたが、彼は意思を曲げなかった。結果は、ライバルであるオンセのジャラベールに4分以上の差をつけられて敗北。リーダーのオラーノはエスカルティンのアシストなくしてオンセに太刀打ちすることができなかったのだ。」

ちなみに95年ヴエルタ、優勝はジャラベール、2位オラーノ、そして3位は元ディスカバリー監督のブリュイネール氏でした。

■ 2005.01.06 (Thu)  フアン・フェルナンデス監督
今朝、CNに記事が出ましたね。フォナックの監督に、スペイン人のフアン・フェルナンデスが就任することはどうやら確定のようです。

それから、CNのサイトでその上に書かれていたのは、サンティアゴ・ペレスがレラックスチームから勧誘されているというニュース。昨日スペインのサイトでもその記事を読んだ。どうやら、同郷(スペインのアストゥリアス地方)のチェチュ・ルビエラ(ディスカバリー)やF1のフェルナンド・アロンソらがペレスを支援しているらしい。

スペイン人が好きな言葉「団結」(ソリダリダ)というやつだ。地方意識が強いので、こういう時、支援しあう。もっともまだ合意したわけでなく、ペレスの疑惑の行方によるところも大きく、また、年俸が低く押えられることは覚悟の上で、ということになる。

■ 2005.01.06 (Thu)  ウルグアイに負けるな
ツールには今中さんが、ジロには市川さんや野寺さんが出場しているが、ヴエルタにはまだ日本人選手は出たことがない。

ヴエルタに今まで出場した国の数は44カ国。過去出場したスペイン選手は述べ3000人程度。一方で、今まで一国で一人だけヴエルタ出場を果たしたことがある、という国が1つある。ウルグアイ。79年にミルトン・ウィナツがウルグアイ初の出場選手となった。もともとピストの名手だ。私は個人的に、日本もウルグアイに追いつけ追い越せ、、なんて密かに思っている。もちろん、多くの日本選手にとってツールが目標だろうが。。

アストゥリアス地方にある あの激坂のエル・アングリルを日本人選手が上る日はいつか来るだろうか。といって、そのアングリル、平均斜度は10.5%。上りの距離は12km。最大斜度23.6%!聞いただけでもぞっとするが、実際はプッシュを受けて上る選手も多く、不評を買って今年も登場しない。

ヴエルタ出場国を地図に入れていくと、アジアだけがすっぽり抜けている。グルジア共和国、ウズベキスタン、カザフスタンはあるが、それより東側は真っ白。ヴエルタ出場を果たせれば、これで日本は3大ツール出場達成となる。

■ 2005.01.07 (Fri)  パリダカことダカールラリーを主催しているのもASOです
パリダカは現在 第7ステージ。第16ステージまである。現在増岡は2位。片山右京も40位ちょっとで頑張っている。http://www.dakar.com/

このレースの主催はツールドフランス、パリ〜ニース、レタップ・デュ・ツールなどの主催で知られるASOことアモリー・スポー・オルガニザシオン。下記サイトに、ダカールラリー主催者としてのASOの詳細が書かれている。
http://www.paridaka-info.com/organisation.htm

今年は4/10に開催されるパリマラソンも、ゴルフのフランスオープンも、乗馬大会もASOが主催。各サイトの下に@A.S.O.と書かれている。
http://www.parismarathon.com/ パリマラソン
http://www.opendefrance.fr/ フランスオープン
http://www.aso-equitation.com/ 乗馬大会

またASOはフランスだけでなく、ツール・ブルキナファソやツール・ド・カタールなど、アフリカや中近東でも自転車レースを展開している。ブルキナファソについては、02年ツール生中継でほんの少し触れたことがあります。アーカイブから拾った記事を、ご参考までに この次のニュースとして入れます。

■ 2005.01.07 (Fri)  夢が叶った!ツール・ド・ブルキナファソから念願のツール・ド・フランスへ!
tour.jpg 486×448 42K下のニュースにて予告通り、過去のアーカイブから。

「02ツール。現地に着いて気付いたことがひとつ。レース中、トップの選手とプロトンの差などを伝えるために、専用のスレート係り(スレートに時間差を書いていく人=アルドワジエ)がいる。クレディ・リヨネのロゴの着いた黄色いつなぎを着て、石版を持ってバイクにまたがりレースを追いかける。

ところが今回、そのスレート係りに異変が起きている。アフリカから来た人のようなのだが、とにかくこれがすごい人気者なのだ。

レース前、彼が通りかかると観客が、次々握手を求める。TVカメラまで彼を追いかけている。貴方は有名人?直後に彼に関する記事を偶然目にした。そういうことだったのか。。。

“ミシェル・バティオノ。39歳。遂に夢が叶う日が来た。その夢とは:ツールに出ること!といっても選手としてではない。スレート係りのアルドワジエとしてバイクの上でツールに参加するのだ。

9年間、彼はツール・ブルキナファソでアルドワジエを勤めてきた。ブルキナファソのワガドゥグ在住。なだらかな高原地形なので、ツールに登場するような山岳ルートは初体験だ。

それは01年のツール・ブルキナファソがきっかけだった。レース中、ミシェルはローカルラジオのインタビューで夢を語った。「いつかツール・ド・フランスでアルドワジエの大役を勤めてみたい」と。その言葉がASOの責任者の耳に届いた。

02年7月ツール。ワガドゥグの人たちはソワソワしている。ミシェルがLジャラベールやLアームストロングのそばをバイクで通過する。そんなわくわくする映像が、もうすぐTVで見られるのだ。そして、それを一番楽しみにしているのは8歳になる娘アニックかもしれない。“


なるほど。記事を読んで初めてわかった。ツールの観客はみんなミシェルがそういう経緯でツール・ド・フランスのアルドワジエになったことを知っているのだ。ブルキナファソでスレート係りをやっていて、夢が大舞台で叶った人。

ファンは、出場する選手を応援するだけではない。そうした脇役の人たちのこともしっかり認識して、声援を送っている。

ツール・ド・フランスの懐(ふところ)の深さを垣間見た気がした。」

■ 2005.01.07 (Fri)  ジロ・デ・イタリアが東京ドームにやってくる その2
12月25日にトクダネでお知らせしたジロ・デ・イタリアの展示「2005年1月9日〜22日 イタリア・フェスティバルin東京ドーム」がいよいよ今週末始まる。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/news200412.html

で、この展示のHPがあるらしい。後援している読売新聞のサイトの中。(無料チケットをゲットするために読売新聞に変えようかと思ったけど、結局 めんどくさいのでやめました。)去年のジロのトロフィーを私も是非見に行きたいと思います。
http://italia.yomiuri.co.jp/contents02.htm#03 (ジロのちょっとした紹介が出ているページ)

もっともスポーツだけでなく、ファッション、グルメ、観光などいろいろな展示があるようなので、入場料は1500円でちょっと高いけど(?)イタリア通の人にはお勧めでしょう。
http://italia.yomiuri.co.jp/contents.htm

■ 2005.01.07 (Fri)  三船雅彦選手の特集は延期です
「1月7日の報道ステーションですが、緊急の企画が入ったため延期となりました。放送日が決まりましたらホームページでお知らせいたします。」とのこと。ビデオをセットした方ごめんなさい。http://www.masahikomifune.com/

■ 2005.01.07 (Fri)  津波の被害に自転車界が動いた!!
津波被害の義捐金を募るため、自転車選手たちも立ち上がった。

1.CSCが津波の犠牲者支援
CSCはジャージやバイクを寄付。これをもとに、義捐金を募ることにした。

リースと27人の選手のサイン入りジャージ(2004ジャージ)
ジャージの写真はこちら。1つのジャージにいっぱいサインがある。
http://images.aucland.com/ImgUsers/0/15/1566/156675/15667569_Big.jpg

こちらはオークションサイト:http://my.qxl.dk/accdb/viewItem.asp?IDI=15667569
Team CSC autograf-troje と書かれているのでサイン入りジャージらしいことがかすかに分かるが、あとはちんぷんかんぷん。

アルベセンのCERVELOのバイク(サイズ54)ペダルなし。
http://www.lauritz.com/s_j/4.asp?itemid=407327&lang=1

期限は現地時間1月7日。Web経由でオークションに応募ができるが、言語はデンマーク語で、通貨はデンマーククローネだ。

2.ベルギーにスター選手も結集
1月8日、ベルギーのDiksmuideの町にサイリストが集結する。津波被害義捐金収集活動の一環だ。リクレーション・レースなのに、ビックな選手がいっぱい。

MTBのフィリップ・メイルハーグに加え、Pヴァンピーテヘム、Jムセウ、Lディールクセンス、Lホステ、Sデヴォルデー、Cヴァサー、Nニュイエンス、Dブリュイダント、Sバグエなどなどに加え、ジンバブエのシクロクロスのチームも参加。

3.その他のスポーツ選手・スポーツ界は。。
シューマッハーの10億円寄付以外にも、米プロバスケットボールNBAのブライアント、マグレディら7人も、試合で1点挙げるごとに1000ドル(約10万4000円)を被災者に寄付するらしい。

テニスのシャラポワも100万円寄付。(津波の時、親善試合でタイのバンコックにいたそうだ。その際、首相にお金を手渡ししたらしい。)

以下CNNニュースより:
* 国際オリンピック委員会(IOC)が100万ドル

* イングランド、オーストラリア、南アフリカ各国のクリケット代表チームも義援金を提供

* サッカー ドイツ代表チームは1月25日、ドイツ1部リーグ(ブンデスリーガ)の外国人選手オールスターチームとチャリティー試合を行い、寄付金を募る。

* ブンデスリーガのバイエルン・ミュンエンはすでに30万ユーロ(約4200万円)を提供。ドイツサッカー協会(DFB)とブンデスリーガ事務局(DFL)も、150万ユーロ(約2億円)の提供を表明。

* イングランドのプレミアリーグも、100万ポンド(約2億円)の提供する方針で、マンチェスターユナイテッド、アーセナル、チェルシーがそれぞれ5万ポンド(約1000万円)以上、提供する計画。

* スペイン1部のバレンシアは、自分たちの本拠地で他の1部チームとチャリティー試合を行うことを提案している。

* イタリア1部(セリエA)のインテルミランは、親善試合で寄付金2万7000ユーロ(約380万円)を集め、今後は選手のジャージをオークションにかける計画。

* テニスのニコラス・キーファー(ドイツ)が、被災地プーケットでタイのパラドルン選手と親善試合を計画しているほか、自分が参加する3大会でサービスエースをとるたびに、100ドルを寄付すると発表。

* 男子プロテニス選手協会(ATP)も、インドの被災地チェンナイで3日から始まったチェンナイ・オープンの大会参加料を寄付すると表明。

* 米国ではプロフットボール協会(NFL)とプロバスケットボール協会(NBA)は、各地の試合会場で寄付を募っており、国際ラグビーボード(IRB)も国連の世界食糧計画に寄付金を提供している。
http://www.cnn.co.jp/sports/CNN200501050001.html

■ 2005.01.07 (Fri)  ペタッキ結婚指輪交換写真 + ジロルート発表再び延期で1/22に
ペタッキがアンナキアーラさんと婚姻届を出した時の写真を発見。結婚指輪交換しているところ。彼女うつむいているけど、純白姿がとても美しい。。
http://www.gazzetta.it/Foto%20Hermes/2004/12-Dicembre/30/LA_FOTO_ciclismo2.jpg

一方、ジロのルート発表は延期に延期が重なり、1/20の予定が1/22になった。

■ 2005.01.08 (Sat)  英国王室イエローバンド + ブイグ・テレコム チームプレゼンテーション + ランダウト事件
1.国王室に普及したランスのイエローバンド:TV画像編
先日Webの画像でしっかり確認できたが、今回はTV画像編。ウィリアム王子とハリー王子が津波の救援物資援助の手伝いをしている画像がNHKニュースで流れた。してる、してる、例のランスのイエローバンド。ニュースに2人が出たら、腕に注目してみてください。

2.ブイグ・テレコム チームプレゼンテーション
想像したとおり、電話会社っぽいお堅い感じのジャージ。。

下記でご紹介の写真中央にいるのはフランスチャンプのトマ・ヴォクレー。向かって左隣がディディエ・ルース、ヴォクレーの右隣は来日したジェローム・ピノー、その隣がローラン・ブロシャール(AG2Rより移籍)、その隣が来日したフランク・ルニエ。中段の列左から2人目が来日したワルテル・ベネトー。平均年齢は25.5才。ジャージの写っている写真へJUMP

彼らの夢は2000年以来毎年出場しているツールで初区間勝利を挙げること。その他レキップ紙に出ていた詳細は、小ネタ特集のNews Briefingにて。=> ブイグテレコムチームプレゼンテーション詳細ニュースへJUMP

3.ランダウト事件の進展 : ムセウにEPO摂取ありという判断
今日、ベルギーのTV、新聞が騒がしい。獣医のJ・ランダウト氏(スペルはLanduyt)が選手に違法薬物を渡していたとされる事件で、フランドル当局の検察官は、現役時代J・ムセウにEPO摂取の事実があったと結論づけた。

これは、ランダウトとムセウの携帯メール、ファックスなどのやりとりを調べた上での結論だという。ムセウと弁護士はこの判断の無効性を主張するとともに、通信内容への介入が無実の人間への人権侵害にあたると反論している。

■ 2005.01.09 (Sun)  ランプレ・カッフィータ: 2005年初優勝 + ジャージニュース + ダウンアンダーにシモーニ出場
ランプレ・カッフィータのジャージが公表されたそうです。(下記URL。)
写真はネオプロのエンリコ・フランツォイ。1月8日のイタリアン・シクロクロス選手権で優勝した時のもの。彼は新しいチームに初優勝をプレゼントした。おめでとう。

ジャージの写真へJUMP / イタリアン・シクロクロス選手権リザルト一覧ヘJUMP

ジャージについては、「サエコの面影なし。赤色好きの私にとっては痛恨の極みです。」というコメントも手元に届いていますが、確かにこれは完全にランプレのジャージ。ちなみにこのチームのUCI正式短縮形は以前のランプレ同様「LAM」です。

でも、1つだけ朗報。キャノンデールのバイクだけは、赤のままのようです。(上記写真を見ると今までとはデザインは違うけど、確かに色は赤い!)

1月18〜23日のオーストラリアのツーアー・ダウンアンダー。LAMの出場選手&ゼッケンは下記:

-41 ジルベルト・シモーニ  (Ita) / -42 ダニエーレ・リギ(Ita) / -43 ジョスエ・ボノーミ(Ita) / -44 パオロ・フォルナチャーリ (Ita) / -45 フアン・フエンテス (Esp) / -46 ダビッド・ロースリ(Sui) / -47 サムエーレ・マルツォーリ(Ita) / -48 ダリオ・ピエーリ(Ita)

■ 2005.01.09 (Sun)  津波の被害に自転車界が動いた!! その2
1月7日付け、トクダネニュースの「津波の被害に自転車界が動いた!!」の第二弾。他にも津波の支援に乗り出した選手・チームが現われた。クイックステップとラボバンクのミカエル・ラスムッセン。

1.クイックステップの目玉は、23日のレース中、サポートカーに試乗できる権利のオークション!

1月5日、クイックステップは、12/26の津波の被災者援助に乗り出すことを決めた。オークション対象物は下記:

1.ヴィランクが04ツールで乗ったバイク
2.チーム選手全員のサイン入りチームウエア(2005年版)
3.1月23日の「フランドル横断レース」で、クイックステップの監督サポートカーに試乗する権利

上記3の監督車に乗車させてもらえるというのは、今回のオークションの目玉だろう。

ヴィランクのバイクオークション状況はこちら
(1000ユーロでスタートして現在2500ユーロ=約34万円)

ウエア・オークション状況はこちら
(スタート価格100ユーロで、現在502ユーロ=約67,000円)

監督車乗車権利オークション状況はこちら
(250ユーロでスタートして、現在1250ユーロ=約17万円!)
期限は1/13まで。

2.ラスムッセンは自分のHPで津波の被害者支援に乗り出した

MTB出身者のラスムッセンは下記を販売して利益を津波の被災者に寄付する。

1.ツールで着たジャージ2枚。ジャージには04ツール出場選手全員のサインがある。2.Tシャツ10枚。ラスムッセンのサイン入り。

価格はジャージが2000デンマーククローネ(約267ユーロ=3万6千円)。シャツが500DKK(約67ユーロ=9千円)

Eメールで購入を依頼するという簡単なもの。今日CNに掲載されたので、もう売り切れだろうが 詳細は下記:
http://feltet.dk/michaelrasmussen/news.php?extend.27

■ 2005.01.10 (Mon)  ウルリッヒのHPリニューアル
ウルリッヒのHPがリニューアルした。http://www.janullrich.de/

「今年は東南アジアからの痛ましいニュースで始まった。みんなが被災地のために自分にできることをやらなくてはいけない。。。」1月6日の日記はこんな文で始まる。

また、南アフリカでのキャンプに続き、ツールのトレーニング第二弾として、マジョルカ島で持久力をつけるために長距離を走りこんでいくという。

ページデザインは変わったが、内容は変わらない。VITAのところに書かれている内容も同じ。ザラマリアちゃんが「子供」の欄に加わっているが、彼女のガビーとは相変わらず婚姻届を出しておらず、「未婚」と書かれている。そして、「彼女」の欄に「ガビー」と書かれている。先日インタビューでは、機が熟したら結婚する、と語っていた。

車はAudi A6、好きな食べ物はイタリア料理全般(特にスパゲティーカルボナーラ)、好きな男優はメル・ギブソン、歌手はクイーン、好きなスポーツは陸上、F1、モータースポーツ、そして、憧れの人はミゲル・インドゥライン。

また、Tモバイルのサイトのウルリッヒへのインタビュー。いきなり体重の話が出ている。

― トレーニングで晩御飯を丁度終えたところみたいだけど、おなか一杯?
ウルリッヒ:(笑い)「何が言いたいのかわかってるよ。実際余り食べなかった。でも満足して食事をした。量より質だよ。」

― 今の体重は?
ウルリッヒ:「わからない。体重計は持ってきていないからね。ここ数週間体重は量っていない。食べるものについて、あれこれ考えるのに無駄な時間を費やしてはないんだ。トレーニングに取り組んで、そして食事をちゃんと摂る、この2つを同時進行させているだけ。」

― ツールでアームストロングを一度も負かしたことのない選手というレッテルを恐れますか?
ウルリッヒ:「後年それに悩むなんていうことはないだろうが、今はその他の多くの選手と同じことを考えている。彼を(表彰台の一番上から)ひきずり降ろしたい!と。」

■ 2005.01.10 (Mon)  パリ〜ニース、最後の1枠はAG2Rに。フォナック出場できず。
3月6〜13日のパリ〜ニース。プロツアー最初の大事なレースだが、プロチーム19チーム+ワイルドカード1チームが出場する。最後の1枠に選ばれたのはフォナックではなく、AG2Rだった。選手の合計UCIランキングポイントでは圧倒的にフォナックが上なのだが。

最も、選抜をしたのはレース主催者のASO。ツール同様、ワイルドカードにはフランスチームが選ばれたというわけか。

今日からフォナックはマヨルカ島チームキャンプ。フェルナンデス新監督は、「ツールに絶対に招待されるように頑張る。ツールに招待されればヴエルタ出場権も確実になるだろう」と語っている。

また、フェスティナ事件の直後に監督に就き、今回はフォナックの騒動のあとに監督についたフェルナンデス氏は、2つのチームを比較してこう語った。

フェスティナチームの問題は、今回のフォナックの騒動より、はるかに複雑だった。(以前は、全てを断ち切る必要があったが)、今回はピノ監督のやってきたことを踏襲するだけだ。」

あくまでも、カメンツィンのEPO使用告白などは、個人的な問題であり、チームぐるみでやったことではない点を強調した。

■ 2005.01.11 (Tue)  ディスカバリーのサイトができました!+ フォトギャラリー続々アップ
追加ニュース その2:
別府選手の本家本元(!)Cyclingtimeにもついに出ましたね。
Cyclingtime記事にJUMP / フォトギャラリーにJUMP

写真には別府選手のアップ写真もありました。おっと!ベルトランと別府選手とファンフェースウェイク(左)のスリーショット!ベルちゃん、鼻が日焼けしている。JUMP
ayanoというクレジットが入っているので、綾野さんが現地に行っているらしい。昼間にアップされたCNのティム・マローニーの写真よりこっちの方が雰囲気出ているかも。綾野さん、ベルちゃんによろしくね。

追加ニュース:
先ほどCNでも、チームプレゼンテーションの写真がアップされた。
写真ギャラリーへJUMP

オリジナルニュース:
ディスカバリーのサイトができた。選手紹介はMeet the teamから入ります。各選手の紹介あり。但しついている写真は今の所去年のもの。じきに今年のものと差し替わるかもしれない。

1.ディスカバリーチームサイト:http://www.teamdiscoverychannel.com/

2.ディスカバリー2005バイク写真+説明(CN)
http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=tech/2005/features/discovery_bike

3.1/10のディスカバリーのチームプレゼンテーションの画像。但し、会員登録が必要。
http://www.thepaceline.com/

また、クイックステップのチームプレゼンテーションも行われた。FASからポッツァートがジョインしている。下記写真左のボーネン、若いながら存在感が抜群。
http://www.cyclingnews.com/news.php?id=photos/2005/news/jan05/quickstep/SPTDW005b

■ 2005.01.11 (Tue)  康司選手が案じていた“ 15m下の谷底に落ちた選手”が遂に復帰
去年のジャパンカップにブリオッシュチームが来日した時の出来事。宿の食堂で朝食をとっていた彼らに、福島康司選手がしきりに何やら話しかけていた。後で康司選手に、「何を話していたんですか?」と聞いたら、チームのミカエル・ピションの容態を確認していたそうだ。

昨年6月9日ドーフィネ・リベレ第3ステージ。15m下の谷底に転落した選手がいた。ブリオッシュのミカエル・ピション(31歳)。メズィアック峠の下りでの出来事。これを目撃したのは同レースを走っていたD・ミラー(出場停止処分になる直前)。谷底に彼がいるのを確認し、すぐさま通報。ヘリコプターの緊急要請をした。

レースドクターが到着した時、彼は意識がなかった。しかし、ヘリコプターで搬送される際、意識を取り戻した。グルノーブルの救急室にすぐさま運び込まれる。スキャンの所見では、脳の水腫、右脚骨折、肩・顎・鎖骨骨折、眼球孔損傷が認められた。幸い命に別状はなかった。

彼の落下は、ビルの3Fから落下したのと同じ衝撃。ヘルメットをしていたのが致命傷を防いだ。谷底に落ちた後も、ヘルメットはしっかり装着されていたという。

このひどい事故に遇ったピションのその後の経過を心配していたコージ選手は、ジャパンカップの際、ブリオッシュの人たちに容態を聞いていたというわけだ。コージ選手に彼らが話した内容によると、トレーニングを開始し、今年初めにはレース復帰ができるだろう、ということだった。

先日のCNによると、今年4月には復帰できる目途がついたという。いずれにしても復帰には10ヶ月もかかることとなり、いかに大怪我だったかが偲ばれる。グルノーブルの病院で入院していた期間は3ヶ月。その間 整形外科手術、顔面の手術も施された。とはいえ、既に彼はチームメートとトレーニングも開始し、事故後、3000kmを走破している。

ちなみに、コージ選手はブリオッシュの選手・幹部らと話した後、宿の食堂のおばちゃんたちに“自発的に”サインのサービスをしていた。
おばちゃんたちはコージ選手にこんなことを言っていた。「あたし、あんたのこと去年も見た気がするわ。いつもしっかり挨拶してくれるから、覚えてる!」

こうしてコージ選手は一躍、宿の食堂のおばちゃんたちのアイドルになった。

■ 2005.01.11 (Tue)  ジロルート発表が11月から1月22日に延期になったわけはクーネゴの活躍だった
1/7にペタッキの指輪交換の記事と一緒に掲載したジロルート発表延期のニュース続報。

ジロのルート発表は元来11月だった。しかし今年はいつになっても発表日が決まらず、噂が噂を読んでいた。やっと12月に入って、発表日は1月20日と決定し、ほっとした矢先。再び延期で1/22になった。これはジロの放映権の入札・契約がてこずったせい。

ジロの放映権は国営放送RAIが持っていたが、契約が2004年で切れた。04年のジロはクーネゴという新しいスターが彗星の如く出現して優勝をさらったため、ジロの注目度は一気に過熱。TV局各社は、ジロの放映権の入札にこぞって応札した。

そして、RAI、メディアセット、スカイ、セブンの4社の競争入札に。こうして新規契約締結遅延が、ジロのルート発表遅延につながった。

もっとも下馬評では、RAIが再び放映権を得るという観測が広がっていた。というのも、イタリア政府の法規は、<国際的・国家的一大イベント>の放映権利を民営チャンネルに売買することを規制しているからだ。

ジロがこの<国際的・国家的一大イベント>というカテゴリーに入るとみなされれば、RAIはめでたく放映権を維持できる。そして、蓋を開ければ やはりRAIだった。イタリアでは、ジロの視聴者数、およそ3千万人。イタリアの人口は約5千700万人。人口の半分以上が見ている。

ジロのリーク情報まとめ:*スタートはレッジョ・カラブリアのプロローグ、ステージ1はそこからトロペオへ。第2ステージのスタートはカタンツァーロ、TTはランポレッキオ。また、フィレンツェではバルタリを称えるイベントがある。アルプスのセストリエールとドロミテのフォルチェッラ・スタウランツァの山頂ゴールが登場するという噂。

■ 2005.01.12 (Wed)  アテネ五輪金メダル選手のパパから Emailがきた話
craig_maclean_nationals.jpg 407×160 14Kcyclingnews.com 1/7付けニュースに、トラックのワールドカップ#3戦に関する情報が出ていた。<期待は1kmタイムトライアルに出場するスコットランド人、クリス・ホイである>とのこと。彼はアテネ五輪の同種目で大会新を出して金メダルを獲っている。

そして、ワールドカップ初日の1kmタイムトライアル。期待通りホイは優勝した。更に3日目。クレイグ・マクレーン、ジェイソン・クエアリーと一緒に走ったチームスプリントでホイはまたしても優勝。

実はクリス・ホイの父親から、このサイト宛てにEmailをもらったことがある。

2000年暮れ、cyclingnews.comに依頼されて記事を書いたことがある。それを読んだホイの父親デイヴィッドが、そのページからハイパーリンクされていた英語版の方のHPに遊びにきて、ついでにメールをくれた。

HPを楽しんだといったコメントと、更に彼が代理人をしている2人の自転車選手の紹介が書かれていた。スコットランドのクリス・ホイとスコットランド北部のグランタウン出身のクレイグ・マクレーン。2人は有望なトラック選手で、シドニー五輪チームプリントで銀メダルを獲得したと誇らしげに。

「特にマクレーンは01年ケイリンに招待され、もうすぐ日本に旅立つ。すごく強くてアグレッシブな選手だよ。2人の過去の成績は:

Olympic Silver Medal / World Championships Silver and Bronze Medals / World Cup Gold, Silver + Bronze / European Champions / World No 1 Team / Multi British Champions」と。

「クレイグはスプリンターとしてハードなトレーニングをこなしている。コンスタントに200mを10.4で行ける。この5年ほどは、英国スプリント・ケイリンチャンピオンさ。

クレイグは日本で走りたがっていたから、今年(2001年)ケイリンで日本での大会に選抜されたのはまたとないチャンス。とても喜んでいる。」

2度目にホイ(父)から届いたメールには、クリスとクレイグの写真が添えられていた。左の写真はそのうちの一枚。前を行くのがクリス。後がクレイグ。その後ホイの活躍は目覚しく、アテネ五輪1kmTTで金メダルをもぎとるという快挙を達成した。

当時はマクレーンの方が売り出し中だったが、今やホイは、世界でもホットな選手にのし上がった。(写真Copyright@デイヴィッド・ホイ)

クリス・ホイ戦歴
五輪:金(2004)+銀(2000)、2004年五輪1kmITTで五輪新、世界選手権3勝、世界選手権銀メダル2回、銅2回、ワールドカップ金メダル11回、銀7回、銅2回、ヨーロッパチャンピオン、その他
http://www.chrishoy.com/

■ 2005.01.12 (Wed)  ツール レトロ:レース中サポートカーからの飲料水補給は禁止。でも煙草補給はOKだった時代
grp0112204700.jpg 283×261 15K10/8/04のトクダネで、煙草をくわえながらツールを走っている選手の写真を掲載した。(1927年のレース。)ところが、それに関連して、過去のツールのとんでもない規則を発見。

以前、ツールを走るアシスト選手はサポートカーから飲料水を補給することは禁止されていた。しかし、プレスの車から煙草を“補給”するのはOKだったそうなのだ。

写真は1955年ツール。確かに、アルシオンチームのフランス人、レイモン・オールベックがプレスのオートバイから煙草を受け取っている。(source : ride April 04 issue p.12)

また、10/8の記事を読んだ方から、こんなお便りも。

<昔々の欧州自転車界のある時期では「タバコを吸うと筋肉に乳酸がたまりにくくなってレースで勝てる」というような知識が流行った頃があったそうです。スタートラインに並んだ選手が一本のタバコを廻し吸いしている写真なんかも見たことがあります。保守的な欧州自転車界で、ましてや何十年も昔、科学的には何の根拠も無いこんなデマが信じられた時期があったのですね。>

タバコが健康にいいといった風説があったのであれば、確かに上述のツールの規則にも多少納得がいく。時代は変わった。

ツールの規則は現に100年経った今でも微調整されている。2004年の例でいうと、2つの規則が変わった。
まず、TTTの各チームのタイム差の上限が設定された。TTTで差が開きすぎて、レース前半に有力候補が脱落するのを防ぐためだ。

次に、ステージ最後の山がカテゴリー2級以上の場合は、山岳ポイントが倍になることになった。山岳ステージで最初にアタックしてポイントを稼ぐより、最後の山まで上位の通過タイムで生き残ることを重視する点数配分にして、真のクライマーがポイントを獲得できるようにした。

■ 2005.01.13 (Thu)  パンターニとヒメネスが一緒のチームで走ろうと誓った日と、ヒメネスがパンターニのアシストをした日
jime.jpg 640×480 60Kメルカトーネでパンターニを育てた監督のジュゼッペ・マルティネッリが、最近驚きの事実を明かした。2人は互いの死の直前「一緒のチームで走ろうと語り合っていた」というのだ。

更に、「パンターニとヒメネスは、お互い気が合って、よくステージレース前半100kmぐらいはプロトン後方で、一緒に楽しげに喋っていた。2人はじゃれあう子供のようだった。」とも。

ヒメネスは実際、「パンターニと一緒に走りたいからメルカトーネで雇ってくれ」とマルティネッリに言ったそうだ。しかしスペインのヒーローをイタリアに連れてくるのは難しいとマルティネッリは考えていた。

また、よくレース前にマルティネッリのチームカーのところにきて、「山岳でパンターニのアシストが必要になったら、とにかく僕に声をかけてくれ」と言った。実際98年ジロでは、パンクしたパンターニを押し上げたのはヒメネスだった。

98年フェスティナ騒動でスペインチームが引き上げる直前、マルティネッリは決心した。今こそヒメネスの力を借りようと。「ドゥーザルプとガビリエ峠でパンターニをアシストしてほしい」とヒメネスに言った。グルノーブルの第15ステージ。ヒメネスはアタックを仕掛けた。パンターニを従えて。見事パンターニは区間優勝を遂げた。

既にヒメネスにうつ病の兆候が現われてからも、パンターニはなんとか2人同じチームで走れるようにと画策をしていた。02年冬は、一緒にマヨルカ島でキャンプをした。(かつてトクダネでも記事にしました。)

ヒメネスはとにかくファンを喜ばすことが好きだった。たとえ翌日惨敗しようとも、今日派手に勝つことに専念した。チマチマ総合優勝を狙うなんてもっての他。彼はサイクルコンピュータをつけなかった。動物的感だけで走った。ラスト25キロで、さあ出番だ、というあのスリル感がたまらなかった。

ヒメネスは、治療のために入院していたクリニックで患者たちに自分のレース写真を誇らしげに見せていた。頭痛と歯痛があって、ちょっと調子が悪かった。家族にそれを訴えたが、たいしたことはない、と言っていた。その直後のことだった。心臓発作で帰らぬ人となった。

パンターニはヒメネスの訃報に悲しみ、そしてパニックになったという。その2ヵ月後、今度はパンターニが運命の日を迎える。友情で結ばれた2人は、最後まで同じ道を辿ることになった。

ヒメネスのうつ病は、インドゥライン引退後、オラーノが後継者となった時点で始まった、とデルガドは分析する。スペインを背負うリーダーになれなかった代わりに、派手な勝ち方のみを追求し、時に極端な形でそれが現われた。ステージレース後半に破滅的な結末になろうとも、とにかく一発目勝てばよかった。

チームはこんなやり方を容認してはいけなかった。しかし、ファンがヒーローを求め、ヒーローを演じていたヒメネスを止める者はいなかった。この破滅的な走りが、彼の心を徐々に蝕み始める。ファンの期待が膨らみ、プレッシャーに押しつぶされていく。

ジロを優勝目前で追放されるという屈辱を味わったパンターニと、出発点は異なるが、2人の歯車は、似たような形で徐々に軋み始めた。そして、一緒のチームで走ろうという約束は果たされることなく終わった。

自転車は2人に自尊心と成功をもたらした。自転車に救済を求めていった末、やがてそれは2人を苦しめ、破壊へと導く道具になってしまった。(Procycling Jan2005)

写真は00年クールシュベルのステージ。目の前を2人がトップで駆け上って行った。結果はパンターニ区間優勝。ヒメネス2位。今から思うと、この時2人は敵対心より、むしろ仲間意識を感じながら走っていたのかもしれない。

■ 2005.01.13 (Thu)  フェレッティ監督の辛口コメント
最近のフェレッティ監督語録を見てみると、他の監督のコメントに比べて辛口。大きなチームの指揮を執る監督なら、誰しもが鉄のようなマインドを持っているものなのかもしれないが。

ファッサでメカニックを経験した永井さん、マッサーとして今も活躍中の中野さん。シビアなフェレッティ監督のもとできっちり仕事をしてきた2人なら、どこへ行ってもやっていけるだろうな、、、そんな印象を深めたフェレッティ監督の言葉の数々を拾ってみた。

「メジャーツールで5位だとか6位にしかなれないような選手に、莫大なサラリーをやるつもりはない。そんなことは私には無駄にしか思えない。」

「今年移籍して出て行った8人の選手のうち、チョーニ以外は、全員私たちが放出を決めた。」

「(放出したうちの一人)トム・ダニエルソンに関して言えば、問題は言葉の壁だった。最後には少しイタリア語を解したが、十分ではなかった。チームメート、メカニック、ドクターなどのスタッフたちともコミュニケーションを十分とることはできなかった。私がUSAに行ったら、誰もイタリア語を話すとは期待しないだろう。同様にイタリアにきたのなら、イタリア語を学ぶ必要があるんだ。我々は彼を残留させる気はなかった。」

「ペタッキは04年19勝し、うち9つのレースがイタリアで生中継された。これほど(スポンサーにとって一番致命的である)露出度が高いチームは我々を置いて他にないだろう。」

■ 2005.01.13 (Thu)  Tモバイル、ユニークな津波基金開始 + ウルリッヒも個人的に献金「シューマッハーのような資金力はないけど。。」
Tモバイルがユニークな津波基金を開始した。今マヨルカ島でキャンプインしているチームメンバーひとり当たりトレーニングで1km走るごとに、スポンサーである携帯電話会社のTモバイルが50セントユーロを津波の被災地に献金する。(50セントユーロは1/2ユーロ=約70円)。

今回23日までのキャンプでは、全員が1500kmほど走る予定。そうなると、1500km x 0.5ユーロ x 27人=20,250ユーロ で約300万円弱が集まるという次第!集まった基金の額の正式発表は、24日にボンで開かれるチームプレゼンテーションにて。

また、マヨルカ島に集まったジャーナリストたちにも、基金参加を求めていく。
「我々はキャンプ中に 毎日走ったkmを合計し、プレゼンテーションまでに額を計算する。スポンサーがその額を献金することになる。」マネージャーのオラフ・ルートヴィッヒの弁。また、ウルリッヒも、個人的に別途献金を行った。

ウルリッヒは、先日10億円寄付が伝えられたミヒャエル・シューマッハーを引き合いにだして;
「僕も個人的に献金を行った。もっとも僕はシューマッハーみたいな資金力はないけどね。」と言って笑った。
News sourceへjump

■ 2005.01.14 (Fri)  ディスカバリートレーニング写真と バレアレスのジャージ公開!
1.ディスカバリー トレーニング開始
プレゼンテーションに続き、トレーニングキャンプの写真が入っている。
http://www.cyclingnews.com/photos/#Dis

2.バレアレスに新加入のバルベルデはヴエルタは欠場予定
バレアレスのジャージがカラフルになった。今まで胸は白地にバレアレス諸島の模様があったが、これが袖は白で、旨はオレンジと黄緑色の地に。マンセボとケルメから新加入のバルベルデのツートップがジャージを着ている写真は下記。あれ?2バージョンあるのかな?2人のジャージの地の色が違う。そうか、マンセボのはスペインチャンピオンジャージか。

更に、バネストは今年から完全にスポンサーを撤退。去年まではバネストのロゴも袖の所に入っていたが、完全消滅した。ちょっと寂しい。明日になればどこかのサイトでいい写真が出るかもしれない。とりあえずやや小さいが、マンセボ&バルベルデ2人のジャージ姿は下記:

http://www.todociclismo.com/imgnoticias/Illes%20Balears.jpg

ツールはマンセボとバルベルデのツートップで走る予定。マンセボはツール&ヴエルタに出場。一方でバルベルデはツールには出るが、ヴエルタは現在彼のレースカレンダーに入っていない。

ジロはオサ兄弟の弟ウナイ・オサがリーダーになることになっている。アイトール・オサはグランツールよりもルータデルソル、パリ〜ニース、パイスバスコなど中規模レースを狙う。

■ 2005.01.15 (Sat)  ベロキ、ツール・ド・ランカウィに出場、ダウンアンダー出場チームリスト、おまけにベルトラン
■ 1/28スタート、ツール・ド・ランカウィ(TDL)にベロキ出場

ベロキがTDLに出場するというアナウンスがあった。ランカウィの公式HPはせっせと更新されており、国内の津波被害の悲しいニュースを吹き飛ばすかのように力強く頑張っている。

ベロキ談話:「僕の目標は、かつての走りを取り戻すこと。自分の未来への不確実さに不安が募る日々だったが、やっと今ぐっすり眠れるようになった。」

ちなみにTDLは、アジアのコンチネンタルツアーとして一番ランクが上のHC(Hors Category 超級)として位置づけられている。どのカテゴリーのチームがどのカテゴリーのレースに出場できるかという情報は下記をどうぞ:
=>コンチネンタルツアー出場チームルールへJUMP

ツールドランカウィの公式HPは下記:
http://www.tdl.com.my/

■ 1/18開幕ダウンアンダー(TDU) 出場リスト公開中

出場チーム暫定リストが掲載されている。ジャージのイラスト入り。クイックステップのジャージは青から紺に近くなった。
http://www.tourdownunder.com.au/index.php?id=teams05

各賞のジャージは下記の通りとなる。
http://www.tourdownunder.com.au/index.php?id=jerseys

■ おまけでベルトラン
「昨日ディスカバリーのキャンプは。。」という見出しでNews Briefingに入れていたコメント。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20050114

CNにメールを送った。「彼の写真のキャプションにだけ選手名が入っていなくて寂しいよ」と。修正してくれた。
Hi Naco, I've added his name in to please his fans ;-) cheers, Jeff

前の写真キャプション:Ready to rock'n'roll,boys => 現在:Ready to rock'n'roll, boys. Manuel Beltran gets into gear.

■ 2005.01.15 (Sat)  速報: ロビー・マキュエンがオーストラリア選手権で優勝
robbie.jpg 449×387 42Kアデレード近郊で行われているオーストラリア選手権。ダヴィタモン・ロットのロビー・マキュエンが制した。今年1年、彼が 緑&黄色のオーストラリアチャンピオンジャージを着ることになる。チャンピオンジャージお披露目のレースは18日開幕のツアー・ダウン・アンダーだ。

FDJのB・マギーはフランス入りしていて、レースは走っていない。また同僚のB・クック、M・ウィルソンもDNS=Did Not Startでレースに出場せず。よって、事前の読みは、マキュエンかオグレイディだろうと思われていた。オグレイディは7位に終わった。

マキュエン談話「02年同様、チャンピオンジャージを着てシーズンを迎えられるなんて最高。このオーストラリアカラーに自分のバイクの色も塗り替えるよ。」

02年マキュエンは確かにオーストラリアチャンピオンジャージを着ていたのだが、我々がツール観戦でフランスに到着した時には 既にグリーンジャージを着ていたので、彼のチャンピオンジャージ姿は結局生で見られなかった。(写真は02年ドゥーザアルプにて。)

オーストラリア選手権リザルトへJUMP
マキュエン喜びのガッツポーズ

■ 2005.01.16 (Sun)  ハミルトン朗報 + フォナックの一件は推理小説のような展開に
ハミルトン一家にちょっぴり明るいニュース。愛犬タグボートが亡くなって悲しみに暮れていたタイラーとヘイヴンだったが、このたび新しいわんちゃんが2匹来た。アンカーとタンカー。相変わらず彼らしい犬の命名。

更に、彼は毎日欠かさずトレーニングしているそうだ。MTBのスパイクタイヤをそろえて、雪の日でもトレーニングできるようにした。冬の初めは天気が良かったので出番がなかったらしく、逆に早くそれを試してみたいと言っている。

ところで、久しぶりにハミルトンのHPをチェックして、仰天した。事実は小説より奇なり、とはまさにこのこと。今回の一連の出来事の発端は、なんとも不可思議だった。ハミルトン夫妻も戸惑っている。自分達が、今や空港でフラっと買うペーパーバックのストーリーを地でいっているようだと。

ちょっと以前の記事だけど、以下 推理小説のような展開:

2004年8月25日、フォナックの元マネージャーフロイラーがメッセージを受け取った。「ハミルトンは陽性だ」と。ハミルトンの五輪での陽性報道がある以前のことだ。

送り主に心当たりもなく、信憑性がなかったので彼はこれを無視した。ところがその後、アテネ五輪のテストで彼が陽性となったことが判明。メッセージがまたきた。「だから言っただろ」という内容だった。

ヴエルタが終わった10月初旬、「ペレスは陽性になるだろう」というメッセージを再び受領。これも、陽性報道がなされる前のことだった。そしてその通り、ヴエルタが終了して9日後に行われた検査で、彼は実際陽性とされた。

脅迫メールの主が あてずっぽうでこんなことを言ったとは思えない。というのも、ペレスはヴエルタのレース中の血液検査を全てクリアしていた。それがヴエルタの9日後の検査で陽性になるなんて普通は思いもしないはずだ。この予言は一体どういうことか?

この人物は続けて金を要求してきた。「支払いがなければ、他の選手も再び陽性になるだろう」、と脅迫してきたのだ。フロイラーは、この人物と接触した。空港で男と会った。男は元選手で、娘は元美人コンテスト優勝者。ヨーロッパのレース会場でポディウムガールをしていた。

フロイラーは男に要求額を支払った。しかし男は、「フォナックがトラブルから脱出するには9日間かかる」、と言った。

付け髭で変装していた男は車で立ち去った。しかし、フロイラーは、事前に警官に通報。恐喝犯を尾行させていた。彼は逮捕され、こう語った。「単なるジョークだった。陽性の件は単なる勘が当たっただけ。あとで<これはみんな冗談さ>、と言って、金は返すつもりだった」と。

彼は収賄のかどで、最高で3年の禁固刑になる可能性がある。

その後、奇しくも男が言った通りになった。男が逮捕された9日後、結論が出た。フォナックはプロチーム入りできないことが決定した。。。。以上 http://www.tylerhamilton.com より。

これだけ聞くと、チームは陰謀に嵌められたような印象を受ける。真実はまだ闇の中だ。

中立的立場の医師の話によると、五輪以来導入されている血液検査装置で判定された結果を、科学的に覆すのは難しいという。となると、ハミルトンが無実を証明するには、検査された血液が自分のものではなかった、ということが証明される必要がある。よって争点は、血液が本人のものだったかどうか、という点に絞られつつある。

■ 2005.01.16 (Sun)  速報: サヴォルデッリ、ディスカバリーに入団早々骨折
02ジロで優勝し、腕を買われてテレコムに入団。しかし2年間怪我の連続だったサヴォルデッリ。ディスカバリー入団早々ついていない。長いトレーニング・ライドの最中クラッシュ。最初の所見では、鎖骨3箇所骨折している模様。

クラッシュの発端は岩。サヴォルデッリのバイクの前輪が岩に乗り上げ破裂。その衝撃で彼は放り出された。チームドクターの診断を経て、カリフォルニア、サンタ・バーバラの病院に入院。手術も執刀された模様。

サヴォルデッリは怪我の連続で気の毒だ、というのがチームの主席スポークスマン、ダン・オシポーのコメント。せめてもの救いはまだ1月だったので、本格的なレースシーズンを前に、傷が治るのにまだ時間はあるということ。

サヴォルデッリは03年トレーニング中の怪我で脊椎2本骨折。その後胃腸系の問題で03年を棒に振った。

04年は暴走オートバイにぶつかったり、ケルン一周で落車。路上で点滴を受ける姿が痛々しかった。ツアー・オブ・ブリテンの区間3位・5位と総合6位が、04年の一番いい成績だった。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0404.html (4/13のレース中に点滴の記事)

■ 2005.01.16 (Sun)  クイックステップ津波義捐金決算報告
「2005.01.09 (Sun)  津波の被害に自転車界が動いた!! その2」でお伝えしたクイックステップのオークションの結果報告です。

1.ヴィランクが04ツールで乗ったバイク= 3,060ユーロ(約41万3千円)
2.チーム選手全員のサイン入りチームウエア(2005年版)=605ユーロ(約8万2千円)
3.1月23日の「フランドル横断レース」で、クイックステップの監督サポートカーに試乗する権利=1,510ユーロ(約20万3千円)

しめて、5,175ユーロ(約70万円)となった。

■ 2005.01.17 (Mon)  オグレイディの叔父さんは東京オリンピックに出場していた
スチュアート・オグレイディのお父さんは、自転車ロード・ピストの南オーストラリア代表選手としてレース出場してことがある。そして、彼の叔父さんは、’64年の東京五輪にオーストラリア代表として自転車競技に出場していたそうだ。兄弟も自転車をやっていて、彼にとって自転車競技をすることは、ごく自然なことだった。

このオグレイディ、1月18日スタートのツアー・ダウン・アンダー(TDU)の地元であるアデレード出身。過去、99年、01年に優勝しているものの、04年にはレースに出場できなかった。移籍先のコフィディスのレースカレンダーにTDUが入っていなかったのだ。

しかし、今年はコフィディスはレース出場を決めており、オグレイディの奮闘ぶりが見られることになった。

おじさんが東京五輪に出場した記事はこちらでお知らせしたHPに掲載されていました。JUMP
過去5年の優勝者リストへJUMP

■ 2005.01.17 (Mon)  UCI公式サイトでも、日本人の名前はやっぱり鬼門らしい。。。
UCIの公式HPに日本の4チームが、正式にコンチネンタル・チームとして登録されていましたね。おめでとうございます。
http://www.uciasiatour.com/home.asp?1stLevelID=zb&level1=3&level2=4&idnews=3215

KIN KINAN CCD / MYT MIYATA-SUBARU / RVN SUMITA RAVANELLO PEARL IZUMI / BGT TEAM BRIDGESTONE ANCHOR

ビッグマットの略称みたいなBGTのブリヂストン。鈴木真理選手の名前がShinjiになってしまっているようで。http://www.uci.ch/teams/team.asp?t=BGT&l=ENG

念のため、UCIに訂正依頼しておきます。(ミヤタの訂正をしてブリヂストンをしないのは不公平というもの。)でもUCIは、いつもアクション遅いので、すぐに訂正されるのは期待できませんが。

■ 2005.01.17 (Mon)  サラブレッド
miguel.jpg 480×425 49K1月16日、フランスで行われたシクロクロス ワールドカップ第9戦。ジュニア部門でヤニック・マルティネスが優勝した。そう、シドニー五輪XC金メダリストで、かつてマペイでツールにも出場したミゲル・マルティネスの弟だ。
http://www.cyclingnews.com/cross/2004/worldcup0405/?id=worldcup9_05

彼らの父マリオ・マルティネスは元ロード選手で、78年ツールで山岳賞を受賞した人。ヤニックは、いわば自転車界のサラブレッド。将来が楽しみだ。

ところで兄ミゲルの方は去年 苗場MTBフェスタで来日していたらしい。サイスポ11月号で姿を見てびっくりした。(51、94、95ページ)。51ページに、好きな食べ物はタルトタタン(しっとりした林檎がこれでもかぁ、というぐらい敷き詰められているタルト)とある。彼はケーキに目がないそうだ。下記、彼の履歴書から拾ってみた。

好きなもの:ケーキ、禅、妻と息子レニー、スイスの山、神、MTB
嫌いなもの:公害、急いでいる人、盗人、自然を破壊する人、息子が泣いている時
好きなスポーツ選手:カール・ルイス

写真は02年ツールのミゲル・マルティネス。最終日シャンゼリゼのパレードで、無邪気におどけていた。なんというか、、雰囲気すごく”若かった”。

■ 2005.01.18 (Tue)  ディスカバリーのチェチュが再び「走る大学生」に
chechu.jpg 454×428 46K久々にチェチュの話題。チェチュことディスカバリーのホセ・ルイス・ルビエラはプロで走りながら大学に通っていたことはお伝え済み。10年かかって、ケルメ時代にオビエド大学を卒業し、めでたくエンジニアリングの学位を取った。

ところが、彼はこの冬から、再び大学に戻った!目的は、さらに今より上の学位を目指すため。卒業まで最短で2年かかる。ディスカバリーという一流チームで走りながら大学生!今年の冬休みは、勉強に追われたそうだ。

その他、彼の近況をまとめてBriefing:
1.脳に重病を患い、スペイン ナヴァラ州で手術が必要なアンドレア少年を救うため、慈善寄付活動が行われ、地元のサンティアゴ・ペレス、サムエル・サンチェス、チェチュら自転車選手が募金活動に参加した。

2.今年のヴエルタはコヴァドンガなど地元アストゥリアスが2ステージ登場する。去年チェチュはヴエルタをスキップしたが、今年は燃えている。一方で、本人いわく、ツールに出るかはまだ不明。しかし、チェチュはランスにとっては欠かせないアシスト。ベルトランよりチェチュの方が出場の可能性は濃いと思われる。

過去のチェチュ関連ニュース:
1.彼の走る学生生活について触れました。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0405.html
ルビエラが超困惑した質問:<貴方は ナチに加担したことはありませんか?> ( 5.11.2004 )

2.チェチュというあだ名の由来について触れました。
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/news200409.html
2004.09.01.(Wed) ご挨拶&序章

こちらのHPにも、勉強と仕事の二束のわらじを履いている人、勉強している元ライダーの人などいらっしゃるようですが、チェチュも同志です。頑張ってください。

■ 2005.01.18 (Tue)  イヴニング・ニュース
■ UCIルール変更
今までラスト1km過ぎでの落車やパンクが起こった場合、アクシデント直前に一緒に走っていた集団でゴールしたとみなされるルールがある。どうやら今年からは、新ルールが適用となり、ラスト1kmの代わりにラスト3kmとなるらしい。(UCIルールリストとしてはまだ未確認ですが。)もっともこれは、以前から検討が続いていたこと。但し、ラスト1kmに設置されているフラムルージュのゲートはそのまま残る。

■ ツール、ワイルドカード発表は1/31
今まで5月連休前に発表だったツール出場チームのワイルドカード。今年は以前から言われたように、1/31に発表となる。プロチーム19チーム+2チーム招待で、合計21チームの線が濃厚。ラスト2枠は、下馬評通りAG2Rとフォナックになるか。

■ ダリオ・チオーニ、ファッサを辞めたわけ
1/13付けのフェレッティ監督語録の中に、「チオーニだけは引き止めたかった」といった意味のコメントがあった。チオーニは、チッポリーニ、ガルゼッリ、ペッリゾッティらのいるリクイガスへ移籍。先日彼は、移籍の理由をこんな風に明かしていた。

「2年契約を希望したが、ファッサのオファーは1年だった。」からだと。

しかしこれはもっともだろう。ファッサはとりあえず、当面1年のプロツアーライセンスを取得したので、それ以上の確約をすることはできないはず。現在Maxの4年ライセンスを取らず、それより短期のライセンスを選んだチームは4つ。(下記にリスト出ています。)ゲロルシュタイナーが4年なのに、Tモバイルは2年。ちょっと意外だった。

http://www.h7.dion.ne.jp/~naco/j-protour.html#3

また、チオーニが移籍を決断した時期は早かった。6月のツールドスイスと7月のツールの間に決めたそうだ。もっとも、彼は移籍の決断をシーズン早めにする方らしい。マペイからファッサに来た時も、ファッサとの契約はツールの最中だったとか。

■ 2005.01.19 (Wed)  パオロ・ベッティーニ:目標は初年度プロツアーランキングNo.1 + 津波の犠牲者を想う
bettini.jpg 640×480 75K「ガゼッタ紙、2005年も再び僕にとって成功の年になるだろう、と書いていたけど、これが間違ってなければいいね。今年も2004年みたいな年になれば、最高。

ここ4年、毎年どんどん上のレベルのレースで勝っている。今シーズン、更に上を目指せればと思う。ということは、今年プロツアーランキングでNo.1にならなくてはいけないということだろう。

でも、今の時点でこのことは考えたくない。東南アジアで津波の恐ろしい悲劇が怒っている最中に、こんなことを考えるのは時期尚早だ。

泣いている子供たち、水に漂う様子を見るのは恐ろしい。すぐに自分の娘のことや、罪もない犠牲者たちの家族の苦しみを想った。人生何があるかわからない。自分自身、何も出来ない。ただ、それなりの機関を通じて、我々みんなこうした人たちを助ける努力を、行うよう努力しなければならない。

前回のコラムで書いたこと覚えてる?ミラノのヨーロッパ腫瘍学協会の基金のために、バイクを寄付したこと。20万ユーロ(約270万円)も協会に寄付することができたんだ。これがチャリティーがなし得る技なんだ。だからみんなも、できれば 君たちほどいい暮らしができない人たちを助けるようにしよう。

チャオ、よいお年を
パオロ
http://www.paolobettini.com

(写真は01ツール。ツール休養日。郊外でのトレーニングを終えてペルピニャンの街中に戻ってきたベッティーニ。町の中心地でレッグウォーマーを やおら脱ぎだした。何してるんだろ、この人?と訝しげに眺める通行人。01年、既に彼の名前は有名だったが、それでも今ほどではなかった。今、彼がこんな繁華街に登場したら、黒山の人だかり?)

■ 2005.01.19 (Wed)  ブリュイネール監督:バイクに乗っている最中に亡くなった父に捧げる
johan.jpg 480×640 63Kディスカバリーの監督ブリュイネール氏のインタビューが最近よくあちこちに出ている。量が多くて読みきれないが、その中でひとつ、感動的なエピソードがあった。’93ツールの直前、父親がバイクに乗っている最中亡くなったそうだ。そして彼は、ツールで区間優勝しようと決意した。。。

ブリュイネール監督:「僕は93年と95年にツールで区間優勝している。でも、1993年のツール区間優勝が一番思い出深い。それは単にツール初優勝だったからだけでなく、個人的に とても特別なものだった。ツールが始まる3週間前に、僕の父は突然亡くなった。まだ若くて53歳だったんだ。彼は自転車に乗っていて、亡くなった時はバイクの上だった。僕はツールにはもちろん行きたくなかった。

でも、ツールの10日前、出場を決め、ステージ優勝を父に捧げる、と心に誓った。

僕はその日(93ツール第6ステージ)ソロで逃げていた。プロトンに30秒ぐらい差をつけていたと思う。ソロで逃げたラストの20キロ、あの時のことを僕は忘れない。口では言い表せない思いがこみあげていた。僕はあの日のことを、一生忘れることはないだろう。」

更に彼はこんな偶然を明かした。ブリュイネール監督がツールで優勝したのは、93年(6thステージ)と95年(7thステージ)。そして、ランスも全く同じ。初優勝が93年(8thステージ)、その次は95年(18thステージ)。

ランスの初優勝は、ブリュイネールが初優勝した第6ステージの2つあとの第8ステージ。2人の優勝した日が近かったこともあり、監督は、ランスの優勝も記憶にとどめているという。

(写真は03ツール、レース前。ランスのNo.1のバイクの前で、各種メディアの質問に答える監督。この時はフランス語で話していた。)

■ 2005.01.20 (Thu)  チームによって危篤状態から救われたあの選手がTDUで奇跡の復活
昨年暮れ、リバティー・セグロスのTDU(ツアー・ダウン・アンダー)出場暫定メンバーが発表された。その中の1つの名前に引き寄せられた。アルベルト・コンタドール。脳疾患で、一時危篤説が伝えられた選手だ。遂にTDUでカムバックすることが決定。嬉しい知らせだった。

昨年5月12日、ヴエルタ・ア・アストゥリアス第1ステージ開始20km地点で彼は落車した。脳から出血していて途中で気を失ったらしい。スペインの新聞は容赦ない。事故直後の写真を掲載した。悲惨な光景。視線は空に浮いていた。だめかと思った。

サイス監督はレースを放り出して救急車に同乗した。チームドクターのテラドス氏も、これは単なる外傷だけではない、一刻も予断できない状況だ、そう判断した。病院に着いて、即座に手術執刀を指示。脳から出血しており、脳圧が高かった。
執刀医は後で語った。「この素早い決断がなければ、彼の命はなかっただろう」。彼はその1ヵ月後にも、再び複雑な手術を受けたそうだ。

コンタドールがまだ重体状態だった時、サイス監督は家族と一緒に泣いた。サイスは自分の家族より、重傷の選手のそばを選んだ。そして、コンタドールの両親を昼夜励まし続けた。リバティーにとってチームというのは、単にビジネスでつながっている団体ではない。それは実の家族なのだ。今回の出来事でそれを強く感じた。

それから暫く経って、スペインの雑誌「Ciclismo」をぺらぺら読んでいた私。ふと、読者の投稿ページに目が留まった。1つの投稿の送り主名に、「アルベルト・コンタドールの両親より」と書かれていた。息子の生命の危機にあって、我が事のように支えてくれた監督・チームスタッフに、両親は雑誌を通じてお礼が言いたかったという。

(コンタドールの両親が雑誌に投書した内容は、ごく簡単に今月発売2月号のサイクルスポーツ197ページ、海外Expressの小ネタ欄一番最後に書きました。原文は結構長いので、いつか別途機会がありましたら。)

そして今、コンタドールは元気にTDUを走っている。偶然だが、彼は初日も2日目も、ともに40位でゴール。目下総合36位。

第1、第2ステージをマキュエンが制したTDUは 地元オーストラリア選手のスプリント合戦中心に展開するだろう。コンタドールが華々しく大活躍する場は期待できないと思う。それでもきっと、悪夢から抜けて明るい太陽の下でぺダリングできることに、大きな喜びを感じているに違いない。

■ 2005.01.20 (Thu)  イヴニング・ニュース
■ ツアー・ダウン・アンダーTDU 第3ステージ勝者の偶然
TDU第3ステージは、今朝のトクダネニュースとぴったりシンクロした話題になった。昨年のアストゥリアス一周 第1ステージで大怪我・リタイヤしたコンタドール。彼のために絶対優勝しようと頑張ったのは同僚のサンチェスだった。彼はその通り、その日、見事優勝し、病院にいたコンタドールに優勝を捧げた。

そして、今日のTDU第3ステージを制したのも、まさにこのサンチェスだった。しかも、そこにはサイス監督の独特の采配があった。詳細は下記:
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/race/race.html

クーネゴじゃなくて、シモーニがジロのリーダー?
ランプレ・カッフィータ。クーネゴはジロに出るが、ジロのリーダーはシモーニで、クーネゴはツールのリーダーになるという噂が広まっている。本当かなぁ?今のところは、まだちょっと信憑性は??のニュース。

ペタッキはツールに出ない
TDUでマキュエンが奮闘し、ツールでvsペタッキ楽しみ、なんて勝手に思っていたら、ペタッキは9/15〜マドリッドの世界選手権に備えるため、ツールをスキップだそうだ。でも、世界選手権直前のヴエルタには出場するって。8月末からスペイン入りして、世界選直前調整としてヴエルタに出るという話。(以上レキップ紙情報)

http://www.lequipe.com/Cyclisme/20050120_103232Dev.html

がくっ。もっとも、マドリッドのコースは自分に向いている、と前から言っていた。昨年にはあのコースの下見も済ませているぐらい。彼は世界選手権に燃えている。。。

リシャール・ヴィランクがツールに戻ってくるかも
。。といっても、もちろん選手としてではない。現在彼はフランスTVとの契約交渉をしており、ツールの最中彼が取材などをすることになりそうだ。どういう形で登場するのかはまだ契約締結後に煮詰めることになるだろう。ただ、日々のコメンテーターにはローラン・ジャラベールが起用される見込みが高い。

■ 予言どおり!
1/17付けのNews Briefingで予言した通り、クリスティアン・プルドムの名前をいよいよ要チェックすべき時が来た。(「ASO人事情報 。。ちょいオタク系自転車ファン的情報。」)
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20050117

ツールのボス、ジョンマリ・ルブランが2006年で今度こそASO退任すると言っており(彼はいったん退任予定をキャンセルしている)、どんどん仕事を1/17に紹介したプルドム氏に以降しつつあるそうだ。次回のパリ〜ニースはルブランは直接指揮はとらない。プルドム氏に一任する。

ルブランのストレスは、どうやら並々ならぬものがあったようだ。

本来自分の仕事は競技を組織すること。しかし98年(フェスティナ事件)以来、ドーピングとの戦いやプレッシャーなどが相次ぎ、プロツアーに以降してからも、薬物との戦いは続くだろう。僕は疲れた、などと本音を漏らしている。

■ 2005.01.21 (Fri)  トップダウン式のリバティー vs ボトムアップ式のCSC
■戦術の違い:サイス監督vsリース監督

97、98年ポルティ、99、00年テレコム、01〜03年オンセ、04年CSC、今年はリバティーといろいろな国のチームを経験してきたイェルク・ヤクシェ。CSCのリース監督とリバティーのサイス監督を比較して、こう述べた。

ヤクシェ:「マノロ(サイス)もビャルヌ(リース)も、監督としてはリーダー的存在だが、マノロの方がしっかりと戦術を立てる。ビャルヌもアイディアは持っているけれど、選手にも意見を求めるんだ。彼は頭で考えることができる選手に、意見を確認する。

選手の間から「ビャルヌ、僕らはこれじゃあうまく行かないと思うよ」、なんていう率直な意見が出ることもしばしばある。僕らの間には常にコミュニケーションがあるんだ。

反対に、マノロは、僕らにとっては保護者的存在だった。彼はレースがどういう展開をするかを予測し、選手はその通りに動く。」

それぞれ、監督の特色を選手の口から聞く時、結構発見があったりする。それにしても、このヤクシェ、今年リースからサイス監督のもとに戻っていった。彼には、サイス監督のやり方が最終的には合っていたのだろうか。

クレーデンも先日サイス監督のチームで走りたかった、と言っていた。サイス監督、どこがすごいのだろう。いつもしかめつらで、報道陣と小競り合いを起こすけれど、昨日お伝えした彼の人間味溢れる点以外にも 実はすごいところがある。後日、サイス監督の傑出した部分について述べる予定です。

■ 2005.01.21 (Fri)  速報 :Tモバイル チームプレゼンテーションはWebでライブ中継
TモバイルHPの情報 によると、http://www.t-mobile-team.com/cms/tmoteam/en/で、1/24月曜日、Tモバイルのチームプレゼンテーションビデオが公開される。

プレゼンは現地時間11時からで、チャットルームは12:30から開設。時差は多分8時間のはずなので、その頃からちょこちょこHPを覗いていれば、なにか起こっているかもしれない。但し、過去ツールの中継の際、技術的な問題で、動画企画がうまく機能しなかったこともあるので要注意。。。(で、1月24日追記:プレゼンのビデオの代わりに、選手のプロモーションビデオに差し替え。)

ちなみに、Tモバイルのファンサービスは、それは素晴らしく、ツールのドイツステージ(00年フライブルグ)では分厚いチームカタログとポスターは無料で配布。Tオンラインの宣伝を兼ねて、インターネットは町の特設会場でで使い放題だった。今年もカールスルーエなどドイツステージがあるから行く人は町をウロウロチェックしてみてはどうだろう。

00年の時は、ドイツ中から観戦地点に集まったものすごい数のファンの様子から(全員もれなくテレコムキャップをかぶっていた)、チームはドイツ人ファンの心をワシ掴みにしているのがよくわかった。ファンへの手厚さは、他の追随を許さないぐらいに思える。

■ 2005.01.21 (Fri)  イヴニングニュース
■ 朝日新聞朝刊に出た「アームストロング ドーピング疑惑」の記事について
なんと今日の朝日新聞朝刊に出てしまった。(16面)個人的にそれほど大きくなると思っていないけれど、ここまで出るのなら、触れないわけにはいかない。

新聞の内容は、「アヌシーの大審裁判所検事は20日、アームストロングに対するドーピング疑惑の予備捜査を開始した」、という内容。

具体的にいうと、CNにも出ていた通り、例の暴露本「LAコンフィデンシャル」の内容に関連して、ランスの薬物疑惑予備調査が始まった。だからといって、ただちに大事に発展することはないだろうが、ただ、成り行き次第では彼のツール出場に少し水が差される可能性はある。

今回フランス当局が行った予備捜査は、英国の女性マッサージャー、エマ・オレイリーらに対する聞き取り調査。彼女は96年〜00年、ランスのマッサージャーとして働いた。

98年オランダツアーの際、彼女はランスが使用した注射針を破棄するよう頼まれたと「LAコンフィデンシャル」の中で述べている。更に99年、ランスの住むスペインのジローナに行って、薬物の運び屋をしたと。

これらの真偽について、今回予備捜査が行われた。他にも昨年暮れ、ランスの関係者に聞き取り調査が行われている。ただ、ランスは、自分は財力にあかして、世界一の弁護士を雇うことができる、と以前から時々言っている。今回の件については、「(フランス当局の予備捜査は)遺憾だ」とコメントしている。

フランスのマスコミは一貫してアンチ・ランスを貫いている。フランスのパリジャンやオージュデュイといった雑誌が、今回この予備捜査の記事をこぞって書いているが、ランスのツール出場を阻止する意図も多少見え隠れする。

(ちなみに、先日英国の大衆紙が「LAコンフィデンシャル」の内容は真実であると書きたてた件においては、ランスは勝訴している。LAコンフィデンシャルなどに関する詳細はこちらへ。) JUMP

おっと橋川家もTV登場
でも主人公はどうやら、橋川選手自身ではないようです。
http://d.hatena.ne.jp/hashikawa/20050120

TDU第4ステージ
勝とうと思えば勝てたのに、ライバル選手を勝たせたマキュエン。既に2勝しているので、がむしゃらに1勝取るより、別の利を選んだ。詳細はこちら。JUMP

ランスがF1マーク・ウェバーを恐怖のデッド・マンズ・ホールに連れて行った話

現在発売中のF1 Racing(海外誌の日本語版)に、マーク・ウェバーの記事があり、そこでランスと一緒の例のトレーニングのフィードバックが載っていることを知り、さっそくチェック。

記事にはランスとウェーバーのツーショット写真。面白いことにウェーバーは、ランスの大ファンだったが彼に会いたくなかったそうだ。実際遇ったらガラガラとランスのイメージが崩れるのが怖かったという。

ところが、ランスの方から遇いたいと言ってきた。ウェバーのチャリティー活動に感銘したそうだ。以前お伝えしたとおり、2人のテキサスでのキャンプの様子が書かれている。そして、ランスは想像以上にきさくだったと。

ランスのEvery Second Countsという2作目の本に出てくるデッド・マンズ・ホールにも行ったそうだ。(デッド・マンズ・ホール=40フィート以上もある滝。ランスは時々ここに飛び込む。自分が生きている、と実感できるから。)マックスはかなり怖かった模様。

雑誌のオリジナルHPはこちら: http://www.f1racing.co.uk

ちなみに、体重増加でファンを心配させているのはウルリッヒだけでなく、モントーヤも同様のようです。

■ 2005.01.21 (Fri)  イヴニング・ニュース その2
朝日新聞朝刊に出た「アームストロング ドーピング疑惑」の記事について その2

何故?この件、一般読者は冷静なのに、なんかマスコミ関係者から問合せが続出している。「一体あれはどうなっているの?」と。朝日新聞の「アームストロング ドーピング疑惑予備捜査を開始」なんていう大げさなタイトルのせいだろうか。一部日本のマスコミ関係者の間で、必要以上に噂が雪だるまのようになっている気がする。少しきちんと説明したいと思う。

実際のところは、昨年6月、暴露本「LAコンフィデンシャル」が出た時のほうが騒動だったので、個人的には、今回の新聞記事には全くびっくりしていない。ただ、この本のことをしっかり認識していないと、今回の報道を大げさに捕らえてしまう危険性がある。

まず、今回のランスの予備捜査は、先に述べたようにフランスで出た彼の暴露本が発端。この内容抜粋は昨年6月にあちこちのサイトに出ていた際、ざっと読みましたが、ランスの周辺の人の「証言」なるものが中心。この件の最新状況について簡単にこちらで触れています。 JUMP

本は2人のジャーナリスト、アイルランド人のデイヴィッド・ウォルシュとフランスのピエール・バルステルの共著。この2人、及び英国のサンデータイムズはランスに名誉毀損で訴えられている。サンデータイムズは先に敗訴した。

■「LAコンフィデンシャル」の中で現在問題となっている部分

USP時代ランスのマッサージャー(98年から3年半の間)だった英国人女性エマ・オレイリーが、本の中でランスの薬物疑惑を述べている。彼のEPO使用を示唆する内容だ。

1.98オランダツアーでランスが使用した注射針を捨てるよう言われた
2.99年5月、ランスのスペインの自宅に行って薬物を取りに行き、ピレネーでトレーニング中だったランスに、手渡しした。(駐車場で彼と待ち合わせして渡した、などと細かい内容)。

また、彼女の証言は本だけでなく、昨年夏にフランス3のTVでも報道され、彼女が自分の日記から、関係ある記述を拾う場面が映像で公開された。そして、日記から、99年ランスと話した内容を読み上げた。

彼のヘマトクリットのレベルは41で余り高くないため、少し引き上げるために「他の人がやっているのと同じことをやる」とランスが言っていた、と。

彼女自身、突然このような暴露話を始めたわけについてこう述べている。
「私は今ここ(イギリス)で静かに暮らしています。これが出れば かなり騒動になるだろうというのは承知の上。でも、スポーツがこういう状態まで来てしまった以上、正々堂々言う時期がきたと思いました。」

今回は、この本の内容をめぐり、エマ・オレイリーに関する予備調査が行われたということだ。ただ、2000年のアクトヴェジン事件の方が、スキャンダル規模としてはもっと大きな騒動だった。あの時は、証言だけでなく、物的証拠とやらも飛び出したのだから。

今回の騒動が大きくなるとすれば、それはこうした報道に嫌気がさしたランスがツール出場を取り止める事態に発展した場合だろう。

(00年のアクトヴェジン事件:ツールの最中USPチームがドイツ国境に捨てたバッグの中に、子牛の血のエキスから作った薬物アクトヴェジンが入っていたという暴露報道。これはツール終了後に、フランスのマスコミが明かし、大騒動に発展した。

アクトヴェジンは血中酸素を増やすといわれている。00年12月にIOCはこれを禁止薬物に指定した。

この時、報道内容よりもっとスキャンダラスだったのが執拗なフランスのマスコミに対するランス攻撃。USPチームが泊まったホテル周辺のゴミ箱まであさって、揚げ足を取ろうと必死になった。以来ランスはニースにあった自宅をスペインに移し、フランスマスコミに対して、距離を置くようになった。

このアクトヴェジン事件は2年後に、証拠なし、という判断がフランス当局によって下された。)


以下アクトヴェジン事件に関する当時の海外の関連記事:
http://www.polkonline.com/stories/090302/spo_armstrong.shtml
http://www.cyclingnews.com/results/2000/dec00/dec14news.shtml

■ 2005.01.22 (Sat)  速報!おっと初復帰レースでコンタドールが優勝したらしい!
grp0122201946.jpg 326×424 14K1/20のトクダネでお伝えしたコンタドールが優勝しました!:「チームによって危篤状態から救われたあの選手がTDUで奇跡の復活」

嬉しい誤算だ。まさか彼が復帰最初のレースで優勝するとは。マドリッドの両親も、喜んでいるだろう。先日20日にトクダネでお伝えしたアルベルト・コンタドールがなんとTDU第5ステージで優勝した。去年アストゥリアス一周の最中に脳から出血。気を失って落車にあい、その後奇跡のカムバックを果たしたあの選手だ。

5月に入院し、2ヵ月後に歩行練習を始めた。6ヶ月間療養し、彼が入院以来初めてバイクに乗ったのは11月17日。当然ながら、まだスタミナも全然なかった。それからまだ2ヶ月しか経っていない。若さゆえだろうか。

彼は退院後、こんなことを言っている。「今シーズン優勝して、ものすごくよくしてもらったチームと、支えてくれた家族に優勝を捧げるのが夢だ。」そしていきなり、復活最初のレースでそれが達成できた。

<コンタドールが華々しく大活躍する場は期待できないと思う。>などという予測は大ハズレ。しかも今日のレースではリバティーが1位から4位を独占。まるでTTTのリザルトのようだ。

現在総合トップのサンチェス、もう一人の優勝候補デイヴィスらチームメートは、絶対コンタドールを勝たせるために頑張ったと思う。先日レース便り TDU 第3ステージお伝えしたとおり、現在総合首位のサンチェスは、ケガでコンタドールが病院に搬送された日、コンタドールのためにがむしゃらに優勝をもぎ取った選手だ。

今日のレースは、サイス監督のいう民主主義のチームというのが、本当によく表われていたレースだった。(その話はまた後日。原稿はできてます。)

アルベルト・コンタドール
1982年12月6日生まれ
独身、彼女の名前はマカレナ
好きな食べ物:家で食べるじゃがいものオムレツ
好きな飲み物:アクエリアス
好きな映画:ライフ・イズ・ビューティフル
読書:スポーツ紙と動物の雑誌。特に鳥が載っている本。
好きな歴史上の人物:ナポレオン

(右の写真はスペインの雑誌Ciclismo 2004 10月号。記事のインタビューで、「5月のレースで落車した時のことは覚えていない」と語っている。「ただ、スタート時雨が降ってすごく寒かったのを覚えている。」また、既にからだの方は良好で、2005年シーズン最初からレース復帰できる、と書かれている。)

(彼の両親が投稿して、息子を救ってくれたチームスタッフにお礼を述べたのは、同じ雑誌の1つ前のNo.9号の読者欄。)

■ 2005.01.23 (Sun)  ■ ちょっとしつこいけど、「LAコンフィデンシャル」の作者が、未知谷「ツール・ド・フランス物語」の作者なので
先日来のランスに対する疑惑予備捜査の話に関連して、今回は「LAコンフィデンシャル」という本そのものに触れてみたいと思います。

みなさん、未知谷「ツール・ド・フランス物語」お手元にありますか?表紙を見て頂くと、そこにはデイヴィッド・ウォルシュ(David Walsh)の名前。そう、この人、先日から散々出ている「LAコンフィデンシャル」の作者のうちの一人なのだ。(もう一人の著者はフランス人のピエール・バルステル。)

なんという皮肉。「ツール・ド・フランス物語」の最初の章は、ランス・アームストロングの特集だ。(「新人は語る」という章題。)その筆者が、何故今どきこんな本を書いたのか?

CNNなどのインタビューによると、彼は'01年にもランスのことを書く機会があり、その際、フェラーリ医師とランスとの関わりなども含め、フツフツとランスに対する疑問が沸いてきたという。

未知谷の本の後書きによると、ウォルシュは「スポーツ・ジャーナリスト・オヴ・ジ・イヤーに三度輝いている」らしい。つまりこの暴露本、スキャンダルを狙っただけの、いい加減なしろものとは一線を画するのでは?という危惧の声がなくもないようだ。

よって、この本を一方的に偽物と断定する記事を書くのは バランスが欠けているかもしれない。少しだけ双方の視点から内容を見てみよう。

本の信憑性を支持する声: 作者がウォルシュであること以外に、1)元マッサージャーのエマが、今回この本に協力したのは、パンターニの死が原因だったという。パンターニが薬物で亡くなった時、自分もランスの薬物摂取に加担した過去がある、と恐ろしくなった。今自ら知っている範囲で告白したい、と。

2)エマは、知る人ぞ知るほど、正直で全く嘘のつけない人物である(但しこれはウォルシュ側の証言。)

信憑性を疑問視する声:1)実際に読んだフランス人の書評を読んでみると、この本 アンチ・ランスの人の間でも、きわめて不評。全然大した証拠が上がっていない、状況のほのめかしに過ぎず それも膨大な量のほんの一部。後は、薬物摂取の歴史などの話に飛んだりして、内容が薄い。構成が悪くて要点がクリアでない、など。

2)また、この本が出たのは昨年6月15日。ツールの直前にセンセーショナルに本を売るためとしか思えない。

いずれにしても、センセーションの割りに、中味は??のような印象もある。Briefingの方で以前お伝えしたとおり、現在英訳の話も進行中。現在はフランス語版のみ。

■ 2005.01.23 (Sun)  ジロ (5/7〜29)のルート発表
giro2.jpg 640×480 38K昨日行われたジロのルート発表。(関連記事:1月7日付けトクダネ「ジロルート発表再び延期で1/22に」。)CNとガゼッタで公開された。

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ざっと見たところ、先日のリーク情報はさすがに精度が高かった