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今月のNews:別府史之選手,ゲロルシュタイナー、カルロス・サストレ、ビヤンヌ・リース、イバン・マヨ

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■ 2005.02.01 (Tue)  元ドモのニコ・ルイロフトからのEmail
再びニコからメールがきた。00ジャパンカップで来日したものの、日本の写真・思い出が全くないので、来日中の自分の写真が手に入りませんか?とコンタクトしてきた選手だ。(Ref:トクダネ11/1/04 チョット質問:ジャパンカップで来日したベルギー選手からメールがきて、、、 )

彼は南米でレースオーガナイズなどしているが、今年のツールの追っかけをするツアーを企画したそうだ。その案内状がきた。観戦ツアー期間は7月11〜23日。
内容はちょっとヨーロッパの人向きだが、カラー刷りのパンフレットを送ってくれた。ほんの少し野暮ったいパンフレット。引退した元選手が、自転車とかかわりながら第二の人生を歩んでいこうと頑張っている姿を感じた。

■ 2005.02.01 (Tue)  Evening News
別府史之選手のルームメート、マイケル・バリーの別府選手評

thepaceline.comの会員専用ページに、現在ランカウィを走っているバリーの手記が出ていた。現在別府選手のルームメートのようだ。

「フミーはレースのっけから ひどいクラッシュに見舞われたが、上手く跳ね返した。昨日彼はライブ中継中のTVクルーたちやプロトンの大半の連中を驚かせた。TTで華々しく10位に入ったのだ。

監督(本レースにおける監督)のロレンツォは彼に言った。「50kmhを維持していけ」と。でもその時、ちょっとした意志の疎通ミスがあったらしい。フミーはゴールラインを割ってから、ロレンツォに誤った。「60kmhを維持することはちょっとできなかった」と!そして、彼の脚は、頑張りすぎて筋肉痛を起こしていた。

でも、60kmhを目標にして行ったというのは、アイディアとして結果的には悪くなかった。事実彼はトップ10でフィニッシュしたのだ。しかも、区間優勝者でTTスペシャリストのネーザン・オニールのタイムとは50秒差という僅差で。」

バリーが語る「真理選手のバイク蒸発事件」

"川の中に落ちたバイクの名前が「アンカー(碇)」だったんだぜ!"と最高にうけているバリー: (内容はこちら 2/1 Race News)

都内以外編: ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その13, 14& 15

千葉県編「マツモトキヨシに年末置いてありました。迷わず買いました。1Lのビンですが・・。場所は千葉県の田舎。」(マツキヨ!)

横浜編:「横浜市泉区にある、相鉄ローゼン山手台店でも売ってますよ。330mlのビンで、値段は236円です。近所のスーパーで売っていたのでどこでも売ってるのかと思ってました。」(それはラッキーというものデス。)

どこでも編:「 サッポロビールを取り扱っているお店なら、ケース買いすればどこでも取り寄せてくれるそうです。」(これなら。。)

■ 2005.02.02 (Wed)  ビッグニュース! : フォナックはプロツアー入り!
スポーツ仲裁所がフォナックの訴えを認めて、今年と来年、2年間のプロツアーライセンス取得を認める裁定を下した。これを受け、UCIは、フォナックのプロツアーチーム入りを近日中にも発表すると見られる。

1/31に決める予定だったツールのワイルドカードがなかなか発表にならないと思ったら、このせいだった。UCIによるフォナックへのプロツアーライセンス供与が秒読みになった。ローザンヌによるスポーツ仲裁所が、フォナックはUCIプロツアー入りすべきである、という裁定を下したのだ。

裁定側から出たコメントは:「UCIの(フォナックをUCIプロツアーから外すという)意図は尊重する。しかし一方で、スポーツ仲裁所としては、2人の選手のドーピング疑惑のみを理由としてフォナックをプロツアーからはずすということは、はあってはならないことだと考える。これら選手の最終的な懲戒手続は決定していない現段階にあっては。」

<注:CNの1/29のニュースはペレスに最高で2年の出場停止処分、という可能性を示しているだけで、決定ではない。記事では、とりあえず国内の連盟に対する彼の"権利侵害の訴え"が退けられたというもの。>

--- ことの経緯 ----

これまでフォナックの出資元は、フォナックのプロツアーはずし(UCIプロチーム入りを却下しプロコンチネンタルチームとしていた)を不服として、スポーツ仲裁所に訴えを起こしていた。

訴訟人:フォナックをスポンサーするARサイクリング AG。
回答者(Respondent:刑事法廷ではないので、被告とは訳さず):UCI

訴訟までの過程:

2004年11月22日:UCIはフォナックのプロツアー入りを拒否。理由はUCI規則が定めるスポーツ倫理規約の観点を照らし合わせた結果である、と公表。(具体的には、疑惑が持たれた2人の選手をチームが解雇しなかったから、といった理由も述べられている。)

これに対し、フォナック側は、対応の遅れについて理由を述べた。

11月30日:フォナックは、(プロツアーチームからは除外されるという)最終的な回答を受理。12月3日、これを受けフォナック側は、UCIに対し、プロツアーライセンス授与判定基準要領を送付するように依頼。

12月15日:ARサイクリングが調停所に提訴。

訴訟内容

フォナック側の主張:
選手の薬物疑惑を、そのままチームの組織的関与に結びつけることについて反論。
また、UCIはライセンスの審議過程において、フォナックがプロツアーチーム入りするための条件提示を一切せず、突然チームの排除を発表した。

2005年1月10日:それを受けてUCI側は回答書を出した。

1月18日:ローザンヌのスポーツ調停所HQにて意見聴取が行われた。

2月1日、仲裁所は、UCIの本来のライセンス供与基準、フォナック側の倫理感、疑惑視されている選手に対する審議などを行い下記の裁定を下した。

裁定内容

1.12/15に訴訟人が起こした訴訟内容を調停所として支持する。
2.11/22のUCIの決定を破棄するものとする。
3.プロツアーライセンス取得に対する訴訟人の訴えは認められ、フォナックは2005、2006年の2年間のライセンスを取得するものとする。
4.本件に関するいかなる異論・訴えは認めないものとする。

(以上、スポーツ仲裁所の法廷記録書類より要約を抜粋。)
原文はこちら(PDFです):仲裁所の法廷記録ファイルへJUMP

■ 2005.02.02 (Wed)  Evening News
ビッグニュース! : フォナックはプロツアー入り! その2

フォナックの公式サイトは、喜び一色。チームオーナーは「信じられないぐらいハッピー」とコメント。新マネージャーのジョン・ルランゲは、カタールツアー第2ステージの最中にチームオーナーから一報を聞いたそうだ。

「ポジティブなニュースにびっくりした。選手たちは喜びでバイクから飛び出しそうなぐらいだったよ。選手、スタッフ、チーム周辺、みんなすごくハッピーだ。今日はフォナックファミリー全員にとって、素晴らしい日だ。」

「まずは暫定レースカレンダーを変更しないといけないね。プランを調整し、優先順位の格付けだ。(やるべきことは沢山あるが、)やる気満々だ。」

「変更点というと、選手の数。プロチームは25人(以上)の選手を雇用しなくてはいけないという規定がある。現在の所帯は24人。1人追加は間違いないが、でも急ぐつもりはない。チームにとても見合った選手であることが第一だ。」

* 現在カタールを走っているオーレリアン・クレルクの談話:

「プロツアー入りできてすごく嬉しい。UCIの(プロツアー入り排除の)決定に対しては、自分としては既に心の中で折り合いをつけていただけに、なおさら嬉しいよ。最終的にやったね。世界の中でもベストのチームの仲間入りしているところを見せ付けるために、僕らは全力投球するよ。」

クレルクはスイス人。ポストスイス、マペイ、クイックステップを経てフォナックへ。以前原稿を書くために彼に関する細かい情報が必要で、HP経由で彼に質問をしたことがある。スイス人らしく、生真面目にきっちり返事をくれた。

フォナックHP(現在嬉しいことに英語になっています)

海外編: ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その16

「ゲロルシュタイナーの水はアメリカでもほとんど見かけません。もっともヨーロッパ産のミネラルウォーター自体少なく、やはり大半の製品はアメリカ産です。ごく一部の高級食料品店やオーガニックストアーでゲロルシュタイナーを買うことができますが、やはりビン入りのみで売れ行きも芳しくないようです。ちなみにドイツ人の友人はゲロルシュタイナーを買いだめしていました。」

シアトルから。ドイツ人はゲロルを買いだめ!やはり愛着があるのでしょうか。

栃木県宇都宮市編: ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その17

「ふるさとの栃木県宇都宮市でも売ってます!「たいらや」というスーパーで、宇都宮市内に何店舗かあります。年末年始に1Lのビンを購入しました。でも悲しいかな風邪をひいてしまって まだ飲んでいません。

スーパーの客層が地元のおばちゃん、おばあちゃん達なので「こんなところにあっても売れるのだろうか・・・?」と売行きについてはかなり疑問です。

ずいぶん前から置いているのは確認していて、いつ撤去の憂き目にあうかヒヤヒヤしながら見ているのですが、どっこいかなり大きなスペースを取って売られていますよ。今度3月に帰省予定ですが、まだ売られているかハラハラドキドキです。」

決まりました。ジャパンカップ次回応援の時はゲロルシュタイナーのウォーター持参で森林公園へレッツゴー。

ランスの寿司食いねー

1/30にスタートしたランスのラジオDJ番組。thepacelineの「Sirius Recap: Jan 30」のところに、ほんの少しだけフィードバックが出ています。

そこの写真を見ると、なんとDJをやりながら、お寿司をぱくついているランス。カリフォルニア巻きとかじゃなく、ちゃんとした握りのお寿司です。醤油の入れ物がプラスチックの惣菜入れというのが風流さを欠いているけれど。

で、番組では、ランスのトレーニングの最新状況、新しい機材、「オプラ」とうTVショーに出演するママのことなどを話したとか。衛星ラジオらしいので、アメリカでも実際にこの番組を余り聴いた人はいない模様。

ちなみに、ラジオ放送中かかった選曲の中に、シェリルの歌はなかった模様。
(「オプラ」というのはアメリカの人気TVショー番組らしく、2/11にランス、シェリル、ママの3人がゲスト出演するらしい。)

TV番組オプラの日本語版解説はこちら:JUMP 。人気司会者と観客への豪華なプレゼントが目玉らしい。観客ひとり一台ずつ新車をプレゼントしたこともあるそうだ。ランス一家がゲストの日は一体どんなプレゼントが渡されるのか。

■ 2005.02.03 (Thu)  裁判記録全文を読んで
hamilton.jpg 427×425 39K昨日の朝は出勤前でとにかく時間がなかった。やっと昨夜フォナックとUCIの係争に関する訴訟記録(PDFファイル)を一通り読んだ。記録内容自体は、長くてWeb向きのニュースでないが、ひとつだけ どうしても記したいことがある。

それは、UCIもフォナックも、そしてこの件に関わった全ての人たちが、全員誠意と多大な努力をもって本件にのぞんだということだ。

UCIの結論が覆ったからUCIが怠慢で正しくなかった、ということは断じてない。また、フォナックも、選手の弁護だけしていたわけでもない。みんな必死に頑張っていた。

確かにその過程において、法律文章の解釈や、書類の受け渡しの問題などで多少のズレ・行き違いはあった。しかし、みんなが自分のミッションを必死でこなしてきたことだけは確かだ。

この記録には、去年初めのプロツアー企画の初期段階から、2/1の結論に至るまで仔細な経緯と膨大な記録が書かれている。

それを読むと、全ての人たちが必死にアンチドーピング、プロライセンス供与、ライセンス剥奪に対する反論、医学的立場に立った分析、法律文章の解釈など、それぞれの課題に取り組んできた姿が浮き彫りになる。

その熱意と情熱の大きさはに圧倒される。それぞれ立場は違っても、皆目指すものは一緒だ。自転車競技をなんとか良くしていきたい、誰もがそういう同じ思いでやっている。

証人の中にはT・ハミルトンの姿もあった。アーンスト&ヤング監査法人の元監査官、UCIの医師なども証言した。今回のフォナックプロチーム入りの結論に至るまでには、こうしたあらゆる人々の協力と綿密な書類の照査が行われた。

自転車に付きまとうのは、常にいい話題ばかりとはいえない。でも、これだけの人々が真摯な態度でなんとか必死に良いものを目指そうとする姿には心打たれる。

自転車レース改革の未来は平坦ではないかもしれないが、明るい光を見た気がする。

そして、こうした日々の努力はなにも今回のUCIとフォナック関係者だけに限られた話ではあるまい。例えば、今ランカウィで頑張っているブリヂストンアンカー。チームの活躍の裏には、ここに行き着くまでの長い試行錯誤や並々ならぬ決意があったと思う。

この裁判記録を読んで、<物事の結果だけを見ても、決してバランスの取れた記事は書けない>と痛感した。事象が起きた過程に目をむけることによって、初めて偏見・色眼鏡なく公正に物事が見えるものだ、そう思う。

(写真は03年、鎖骨骨折をしながらツールを走るハミルトン。今回彼は疑惑の渦中にありながらも、証人として発言した。既にフォナックの選手ではないが、チームがプロチーム入りしたことに安堵しているかもしれない。)

■ 2005.02.03 (Thu)  Evening News
ヴエルタはフォナックを歓迎せず。

UCIからプロチーム19+2チーム招待(ワイルドカード)ということで合意していたヴエルタ。どのみちフォナックを招待する予定だった(はずの)ツールと違い、ヴエルタはその枠をバレンシアナ、レラックス、カイクのうち2つの地元チームに当てるつもりだった。

だからヴエルタは今頃フォナック追加といわれても嬉しくない。地元チームが1つ減る。

プロチームは自動的にプロツアーを戦えるのが基本原則。ヴエルタも一応プロツアー入りしたはずだが、今後の成り行き次第では、フォナックがジロ、ヴエルタに出れるのかどうかは交渉を経てから決定となる。

もっともチームマネージャー、フランゲ氏はヴエルタに出なくても問題ない、としている。

ちなみに、例の牛乳屋さんの新チーム・カイクは最近チームプレゼンを行った。Tモバイルよりも可愛いショッキングピンクのジャージ。(多分、ちょっとやりすぎ。。。)カイク 可愛い(過ぎる!)ピンクジャージ

[オプラ]

昨日のEvening Newsで触れた米TV番組オプラ。全米では人気番組で、司会者のオプラは人気好感度No.1だったりすると聞いた。面白い番組なのかな?と思いきや、ワシントンよりこんなお便り:

「オプラは、東海岸では平日夕方4時から1時間放送しています。妻がこの番組が好きでよく見ています。昨年、自動車会社と結託して観客に車をプレゼントし、話題となりました。

が、こういうプレゼントは稀です。普通はありません。あの時も「車が本当に必要な人たち」を厳選したらしいです。(収録のチケット入手はどの回も相当難しいようです。)また、このトークショーの良いところは様々な人を招くことでしょうか。

ハリウッド俳優、スポーツ選手などだけでなく、一般人もよく出ます。「なぜ一般人が?」という感じかもしれませんが、時の人という奴です。例えば、最近では津波から生還した人が出ていましたし、刑期を終えて出所した人(過去に相当話題となった事件の当事者)も出ます。

中々よい番組だと思いますよ。ランスが出る回は忘れずに録画しないと!」

海外編(ワシントン): ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その18

「職場の近くのスーパーに売っているのを見たことがあります。瓶のミネラルウォー ターでした。買って飾っておこうか、と一瞬思いましたが、まぁいいかと買っていません。

この話題が出て以来、気をつけて見ていますが、他のスーパーでもペットボトルがあ りましたね。」

* 上記オプラの情報を下さった方です。アメリカは広から地域によって随分違うでしょうね。

麻布界隈編 : ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その19

「ゲロルシュタイナーですが、本日 麻布の日新ワールドデリカテッセンで購入しました。330mlの瓶で1本250円ぐらいでした。http://www.nissinham.co.jp/nwd/

また、六本木周辺で販売しているところをサッポロに問い合わせしたのですが、下記の回答でした。ご参考までに:

“メールをお送り下さいましてありがとうございました。平素よりサッポロ飲料製品をご愛飲賜り厚く御礼申し上げます。お問い合わせ頂きました弊社「ゲロルシュタイナー」販売店の件下記の通りご案内申し上げます。

(330ml瓶)
・タマガワヤ  
住所:東京都港区虎ノ門5丁目2−6 電話:03-3431-3629 

・三河屋鈴木勘十商店  
住所:東京都港区赤坂2丁目10−14 電話:03-3586-2875 

(1L瓶)
・愛宕小西
住所:東京都港区愛宕1丁目6−8 電話:03-3436-3555 

もしくはケース単位(330ml瓶×24、1L瓶×12)でもよろしければ、下記のサイトにて通信販売されています。”

・ケンコーコム ケンコーコムHPへ

* これで麻布〜六本木〜神谷町〜虎ノ門界隈は ほぼ制圧ですかね。それにしても、サッポロの問合せ係りの人、最近のゲロルの不穏な動きを不思議に思っているかも。

横浜編:ゲロルシュタイナーのミネラルウォーターを探せ その20

「横浜市都筑区在住なのですが何故か近所で二軒も売っている店があります。オリンピック港北店と神奈川にチェーン店のあるドラッグ系スーパーの「クリエイト」荏田南店です。

ちなみにうちの近所の東急系スーパーでは見かけない気がします。」
* 東急系のスーパーって、思ったよりあちこちにあるんですねぇ。

■ 2005.02.04 (Fri)  Morning News
mayo.jpg 231×242 13Kエウスカルテルは、マヨをツール直前まで隠す。名づけて「プロジェクト・バッソ」

「エウスカルテルは、マヨをツール直前まで隠す」。スペインの新聞マルカWebにこんな見出しが出ていた。ツールまで完全に彼を出し惜しみするというわけではないようだが、今年はツールにピークを持っていくため、前半自重すると断言している。

ツールに照準を合わせ、前半隠れるようにひっそりと調整レースをこなす このプログラム、名づけて「プロジェクト・バッソ」だそうだ。イヴァン・バッソが去年前半じっとおとなしくしていて、ツールで彗星のごとく表彰台に輝いたのを真似するんだとか。

バッソはツールの前は、ジロで区間優勝したり、ステージレースで2位に入ったりしているので、それほど”ひっそり”していたとも思えないが。。。

むしろ「プロジェクト・クレーデン」の方がまだ ぴったりくる。クレーデンはツール前、ドイツチャンプになったが、やはりツール表彰台の意外性ではバッソより上だろう。

ただ、マヨもバッソもファーストネームはイバン(Ivanバッソ、Ibanマヨ)なので、その辺を意識したのかな?

去年マヨはアルコベンダスとナランコといったクライマーの勲章レースで優勝。ナランコでは、S・ブランコが叩いた上り時間最短記録を更に短縮した。アストゥリアス一周、ドーフィネ優勝など、ツール前には大活躍だった。

しかし、去年ツールの前に爆発したあとは、ツール中盤から単球増加症で精彩を欠いた。

ツールでは結局途中でリタイヤ。評判どおり、彼は顔に感情を余り出さない。心の中では相当悔しかったと思うが、例のポーカーフェースで淡々として、ツールを去っていった。

今年彼はツールの前に、バレンシア一周、カタルーニャ一周、パイス・バスコなど得意のステージレース中心に出場する予定。過去のツールでは、スベルディアとともにツートップ扱いだったが、今年は唯一のリーダーとなる予定。

ツール前に爆発した去年を教訓に、今年は前半は目立たず地道にやって、ツールで華麗に表彰台まっしぐら。「プロジェクト・バッソ」は果たして成功するか?

(写真は02年ツールのマヨ。TTが終わると、選手たちは少年達にキャップをあげる。「頂戴!」と言えばほとんどの選手が子供に手渡しするのだが、マヨだけは例外。

子供が「キャップ、キャップ」とせがんで脇を走っているのに、マヨは一緒に「キャップ、キャップ」と鼻歌を歌って、子供をおちょくって、そのまま行ってしまった。お茶目なマヨなのだ!)


ゲロルシュタイナーお買い上げ御礼

先日名古屋のFEELでゲロルの販売を担当されている、と声を寄せて下さった方からフィードバック頂きました。(Ref: 2005.01.31 (Mon) 「びっくり。。ゲロルシュタイナー飲料水販売担当の方から生Voice到着」)

「本日早速オーダーが入りましたのでご報告申し上げます。本日FEELの とある店舗よりゲロルシュタイナー1Lが1ケース客注で入りました。なんと、そのお客様は<インターネットにFEELで取り寄せができるって書いてあった>と言われていたそうです!

そのお客様には明日の夕方以降にお渡しできます。きっと楽しみにして頂いてると思いますよ。本当にありがとうございました。」

p.s…来週9日に名古屋城の近くの志賀公園にオープンする新店にゲロルの330lm瓶が定番に導入されましたよ!アシストをいただいたのでここはアタックを決めるしかないでしょう!レベリンのように!」

* ゲロルシュタイナーの水に興味を持っていた人が想像以上に多くて、少々びっくりな今日この頃。

■ 2005.02.04 (Fri)  Evening News
バレアレスに入団した20勝投手(去年バレアレスの優勝回数は17回、バルベルデが去年1人であげた優勝は15回。)

酔っ払っているので今夜は手短に。2/6からスタートするマヨルカ・チャレンジ。地元バレアレスの活躍が期待される。リーダーはバルベルデの予定。バルベルデが移籍して、マンセボは、ご機嫌斜めだったが(チーム唯一のリーダーでなくなることに不満だった)、今では機嫌も直った様子。

ー バルベルデの入団はチームに何をもたらしますか?との質問に、
「彼が入ったので、チームの勝利大量生産が可能になるだろう。」と語った。

バルベルデは去年かなり勝っていたのは知っていたが、なんと一人で15勝していた。一方、バレアレスの全選手の去年の合計勝利数は17勝。ひとりでチームの勝利数約半分を稼げる助っ人。野球でいうと、20勝投手を獲得したような心強さだ。

さて、マヨルカチャレンジはヨーロッパのレースシーン到来を告げるレース。ツァベル、ベッティーニ、フレイレなどが出場予定。

■ 2005.02.05 (Sat)  98年からWeb Diaryを公開していた「レース中Blogのさきがけ:マルセル・ビュスト」
マルセル・ビュストに出した質問状に本人が答えたぞ。

ドイツ人スプリンターとして、90年代後半〜2000年にかけて活躍したマルセル・ビュスト。ツール、ヴエルタ、ジロなどグランツールであげた勝利数は合計14。プロとしてあげた優勝数は100余り。彼は語学の天才で、フランス、スペインなど、ドイツ以外のチームで活躍した。

フェスティナのライダーとして参戦していた2000年8/11、フレンチ・クリテリウムでバリアにクラッシュ。右目の視力をほとんど失って引退した。引退後フェスティナ、コーストの幹部をしたが、両チームとも相次いで解散。今彼はTVレポーターなどの仕事をやっている。

ビュストは98年ヴエルタなどで宿にPCを持ち込んで、レース中 Web Diaryをつけていた。今でこそWeb Diaryを書く選手は多いが、その頃は、ほとんどいなかった。その内容がとても面白かったので、2000年ツールの時は、彼のツール日記を本HPでも訳してお伝えしている。そんなこともあって、彼には結構関心があった。

このたび、ビュストに対するインタビューが行われ、彼への質問が公募された。私も彼に質問状を出した。

ビュストにこちらから出した質問内容は以下。質問&回答詳細は後日掲載予定。

■ Which jersey did you enjoy most, le maillot a pois (the best climber’s jersey) you obtained during the Tour 2000, or el maillot oro of the '99 Vuelta?

(質問の背景:彼はスプリンターなので、'00ツールの山岳ジャージを着たのは奇跡に近かった。実は、初日16.5kmのTTにたまたまスケールの小さい上りが入っていて、その山岳ポイントを偶然獲ったため、彼に山岳ジャージが舞い込んだのだった。ちなみに、その日プロローグを制したのはD・ミラーだった。)

■ Which race was your obsession for the victory, eg. World Championship, or a WC or the Vuelta stage victory which you repeated and repeated?

■ What is the most important thing for a sprinter: agility, muscle in the legs, brain or...?

■ If your son Alexander says he wants to be a professional cyclist, would you oppose the idea, saying it is dangerous, or would you support him?

■ I really enjoyed and loved your race diary during the Vuelta 98/99 and during the Tour 2000. I miss it very much. Is there any web site where we can see and read your recent diary or personal thoughts?

■ And...tell me your No. 1 “pestoso” of the year!!! (I was a big fan of your “pestoso of the day.” )

■ 2005.02.05 (Sat)  スポーツ選手の顔面タトゥー、 認めるべきか否か
grp0205192706.jpg 86×199 4K顔面にマオリ族のタトゥーをして、レース謹慎中の元USP選手

北米のプロチームWebcorのキャンプで、選手たちは度肝を抜かれた。チームメンバーのデイヴィッド・クリンジャーが、顔にマオリ族のタトゥーをして目の前に登場したのだ。’02年には、UCPに所属していたあのクリンジャーだ。

北米人気選手クリス・ホーナーがサウニエルに移籍した後、彼はWebcorを背負ってたつはずだった。

(写真はマオリ族の顔のタトゥーの例。クリンジャー本人のものではありません。スポンサーのダメージを避けるため、チームは、タトゥー入りのクリンジャーの写真撮影を禁止した。左はNZのマオリ族を描いた映画Once Were Warriors の映画ポスターの一部。)=>映画関連のHPへ

このタトゥーはただちにチーム内で論議をかもしだした。チームの結論は:
「このタトゥー自体は装飾的なもの。ただちに不快感を与えるものとはいえないし、個人の自由を尊重したいとは思う。ただ一方で、堅実なチームカラーにそぐわず、スポンサーのイメージを尊重すべきだ。」

よって、この状況が修復されるまで、Webcorのジャージでレースに出場してはならない、という結論に達した。修復とはつまり、タトゥーの除去だ。

彼は現在高価で痛みの伴うレーザーによるタトゥー除去を行っている。しかし、完全にそれが消えるには3ヶ月かかる。5月までレースには出られない。

クリンジャーのコメント:
「僕は彼女の故郷、アルゼンチンで12時間かけてタトゥーを入れた。顔面タトゥーは、ポリネシアのフィス・マスクなんだ。

まあ論議をかもし出すとは思ったけど、ずっとやりたかったんだ。ポリネシアのライフスタイルに敬意を持っている。マオリ族の戦士の精神は、自転車レース選手の闘争心と相容れるものだと思っていた。」

現在顔の下半分のタトゥーを取っているところ。でも、レーザー手術なので、顔の腫れを見ながら徐々にしか取れない。上の方はサングラスやキャップで隠れるから、とりあえず、下だけでも完全除去するつもり。

除去の命令が下ったことについては、特にチームを訴えることはしないつもりだ。

バイクのスポンサーをしているスペシャライズドのマーケティングマネージャーなどは、この件について、比較的リベラルな意見を持っている。

「選手に対しどういう判断を下すのかはチームの裁量。自分たちがコメントすることではない。ただ、タトゥーは個人表現手段としては面白い。このせいで彼が全くレースに出場できないというのは残念だ。」

個人の意志を尊重するアメリカだけあって、チーム幹部からも、クリンジャーの決断を尊重したいという声もなくはなかった。最終的には、やはりスポンサーへの配慮が勝った。

肝心のWebcorの会長は、いみじくもこう語った:

「クリンジャーはスポーツ選手としては素晴らしい。彼が個人主義者として振舞うこと自体悪くない。ただ、プロ選手はそのスポーツの顔だ。そして選手はスポンサー企業によって給与支払を受けている。そうした枠組みの範囲で行動すべきだし、プロとしての自覚を持つべきだろう。限度なく、何をやっても何を言ってもいいというわけではなかろう。」

--------- * ---------

ちなみに、アメリカのコンチネンタルチームWebcor。日本では馴染みは薄いが、北米では知る人ぞ知るチーム。なにせ、あのクリス・ホーナーが去年まで在籍していたチームなのだ。

ホーナーといえば、特にアンチ・ランスの自転車ファンを中心に現地では人気のベテラン選手。理由は簡単。ランスとは対照的に、アンチ・ヒーロー(英雄的というより凡人型)的な親しみやすい選手なのだ。(ホーナーの詳細は本日のNews Briefing JUMP)


■ 2005.02.06 (Sun)  まだ2月初旬。ロットは既に11勝目、でもUCIチームランキング1位というわけではない。
steels.jpg 450×298 21K今年ランドバウクレジットからロット・ダヴィタモンに移籍したトム・ステルス。フランスのレース、エトワール・ド・ベセージュで第2ステージに続き第4ステージもゲット。2003、2004年も彼はベセージュで1勝ずつしており、相性のいいレースのようだ。

過去、マペイ時代はゴールスプリントで血気盛んなところをよく見せていた。ゴール前で他の選手にボトルを投げつけて、失格となったことも。

今や33歳ベテラン スプリンター。チポッリーニといいステルスといい、ベテランが年初から活躍し、頼もしい。(写真は2002年ツアー・オブ・ベルギー出走前のステルス)

ロットはこれでチーム11勝目。マキュエンが9勝(GCNYDクリテリウム+JGベイクラシック3勝+オーストラリア選手権+TDU3勝+カタール1勝)、ステルスが2勝。

もっともこれでチームがUCIチームランキング1位になるかというと必ずしもそうはならない。プロツアー登録レースしかポイント加算されないのだ。プロチームとその選手のランキングが出るのは3/6のパリ〜ニースが開始されてからということになる。

■ 2005.02.06 (Sun)  <特集> タイラー・ハミルトン近況
hamilton2.jpg 319×296 26Kフォナックがプロチーム入りしたので、ハミルトンの日記を見に行った。やっぱり久しぶりに更新されていた。

■ 今まで暫くなかった喜び

2月1日朝6:30、ハミルトン家の電話が鳴った。妻のヘイヴンが電話を取った。受話器にむかって喋る彼女の声。ここ暫く聞いたことがなかった喜びと興奮で弾んでいたという。

そう、フォナックのプロチーム入りが告げられたのだった。チームや選手を想い、喜ぶハミルトン。ハンターもドーハで優勝し、素晴らしいスタートとなった、と。やはり安堵の気持ちでいっぱいだったようだ(full of relief)

■ フォナック恐喝男のその後

(Ref.1月16日付け ハミルトン朗報 + フォナックの一件は推理小説のような展開に)
その男の展開については新しいニュースはない。

ただ、フォナックは、事件に使用されたSIMカードを証拠として提出する意向だ。(SIMカード=GSM 方式携帯電話に差し込んで使用するIC チップ。SIMカードの差し替えをするだけで、違う端末でも同じ電話番号で使用できる。)

しかし状況は複雑だという。全く摩訶不思議な事件だと。

■ サンチ・ペレスの報道の嘘

メディアでは、ペレスが2年の出場停止をすぐにでも言い渡されそうなことが書かれていたが、これは嘘。スペイン自転車連盟は5月か6月まで動かない。つまり、ペレスはそれまでの間、レースに出ることができるのだ、とハミルトンはコメントしている。

(注:ペレスは、<彼に対するクロが確定しない限り>という条件で、レラックスと今季契約している。)

■ ハミルトンが燃えている。レッドソックスの次は明日のスーパーボール!

今回の日記、最後の締めくくりは、「Thanks for reading. And GO PATRIOTS!!!」となっていた。Goペイトリオッツ!とは、もちろん地元のアメフトのチームへの応援だ。

明日2月7日は、アメフトのスーパーボール頂点決戦。ハミルトンの地元ニューイングランド・ペイトリオッツがイーグルスと戦う。ペイトリオッツが勝てば、これでメジャーリーグのレッドソックスに続きボストンは2つのメジャースポーツで頂点に立つ。

これでケリー候補が勝っていれば3つ目の勝ち星だったはずだが。(ケリー候補はボストンのあるマサチューセッツ育ち。敗北宣言はボストンで行われた。)

■ スキーで慈善活動

多発性硬化症患者を支援する「タイラー・ハミルトン基金」のキックオフは係争中のため、暫く延期となるが、募金活動は続けられている。また、それとは別に、彼はヒューガ・センターの支援活動を手伝うため、2月12日コロラドにスキーをしに行く。

(ヒューガ・センター:多発性硬化症患者をスポーツを通じて支援する非営利団体。

1964年インスブルック五輪の回転競技で銅メダル・クロスカントリーで銀メダルを獲ったジミー・ヒューガが設立した。1970年、突如多発性硬化症にかかった彼は、医師の忠告を無視して、スキーを続けた。

そして、スポーツが患者の助けになることを自ら説いた。84年には非営利団体ヒューガ・センターを設立。多発性硬化症の人々への医学的、啓蒙的支援に乗り出した。活動の一部として、患者にスキーを教えたりしているようだ。元スキー選手のハミルトンも今回一役買うことになった。

ちなみにヒューガは02年ソルトレイク五輪で車椅子で聖火リレーに加わった。)


■ ヨーロッパで待ち受けていた災難

スペインジローナの自宅に戻ったら、いつもどおり車のバッテリーが終わっていた。仕方ないのでレンタで車を借りた。その車を仮駐車して、とりあえず自宅に戻る。ハザードランプをつけて、後で車を動かそうと思った。ところがそのまま寝てしまった。

翌日起きて慌てて車を見に行ったらレンタカーのバッテリーまで終わっていた。レンタカーの人を呼んで、チャージしてもらう。ついでに自分の車まで面倒をみてもらい、災い転じて、見事自家用車は動くようになった。暫く乗ってみてOK。ところが翌日やっぱり動かなくなった。車に振り回され続けた。

■ スポーツ調停所のこと

その間、彼はスイスにも行って調停所の証言台に立った。(Ref: 2/3トクダネ)。彼はスポーツ調停所(CAS)の存在を、昨年9月まで知らなかったようだ。CASは、スポーツの最高裁判所のようなもの、とコメントしている。

■ トレーニングは快調

彼はイタリアに信頼できるコーチがいた。チェッコという名の彼は、ハミルトンが公私にわたり最大限に信頼を寄せる人物。彼のもと、フィットネステストをしたり、トレーニングプログラムを立てたり。愛犬タグボートが亡くなった時の心のサポートも。

ちなみに、タグボートの息子ジブは、タイラーの父親が飼っているそうだ。こうして彼は短期間でヨーロッパ6カ国を駆け巡った。

(写真は2000年クールシュベルの山岳ステージ。ランスのアシストをした後、力尽きてドロップしていくタイラー。その前にいるメルカトーネの選手はパンターニにちょっと似ているけど違います。後はグエリーニ。)

■ 2005.02.07 (Mon)  クリストフ・モローはポスト・ジャジャ、ヴィランクになれるかどうか + 知られざるチームCA
moreau.jpg 256×395 17Kモローとツール

先日News Briefingでお伝えした通り、ジャジャ、ヴィランク引退の後、フランスのベテラン選手としてモロー(現在33歳)に一花咲かせてくれることを期待する向きも多い。

しかし、つい先だって行われたGPラ・マルセイエーズとベセージュ第2ステージで相次いでリタイヤ。シーズンはまだこれからだが、今年モローはツールで活躍が期待できるかどうか、といった議論が一部ファンの中で始まっている。

2000年に、フェスティナのチームメート ベロキとツールの表彰台を争い惜しくも総合4位。その後は2年連続でリタイヤが続き、その後盛り返して2003年には総合8位、04年は12位と健闘している。

しかし、03年はハミルトンの鎖骨骨折総合4位が話題になって、彼の総合8位はややかすんでしまった。04年の12位もフランス人としては最高位だったが、ヴィランクの山岳賞7度目という新記録の方が大きく取りざたされた感がある。

若手のヴォクレー、ピノー、シャヴァネルなど、世代交代はまずまずといったフランスだが、やはりベテランで締めてくれる選手の存在も欲しい。モローになんとか頑張ってもらいたい、そう願うファンは多い。

CAはフランスチームで一番陰気。人柄で採用を決める

更に先日ちょっと触れた通り、モローがCA(クレディ・アグリコル)に入団した時、彼の派手さがチームカラーに合わないのではないか、と心配した選手もいた。そう、CAは、内部の選手からも、「うちはフランスで一番陰気なチーム」との声がでるほど、地味なチーム。

かつてCAのメンバーだったF・ベッシー談話。

「CAはすごく閉鎖的で、とっつきにくい。蚕(カイコ)みたいに殻に閉じこもってる集団だ。でも運営は極めて組織的。選手の人選は人柄重視。ここには反抗的な人間はいない。さらに、R・ルジェ監督は選手時代から今に至るまで、レースでは毎年同じ宿に宿泊すという律儀さを貫いている。」

特にルジェ監督はプジョーで選手として走っていた’79年当時からオヴァールツアーの時は同じ宿オテルドフランスに宿泊し続けている。かれこれ25年同じ宿を使用しているのだ。パリ〜ルーベでは、パリ郊外のコンピエーニュの森にあるイビスホテルに宿泊すると決めている。それを決して変えない。

遊び心が得意なフランス人にあって、規則重視のクレディアグリコル。他に惑わされることなく、律儀に伝統を守っている。ちょっと頑固なまでに。

フォクトが語る「CAでは飲酒・就寝時間についてもとやかく言われた。CSCは。。」

CAからCSCに去年移籍し、今年ベセージュ第3ステージで早々と優勝したイェンス・フォイクトもCAのコンサバぶりを証言する。

フォイクト:「僕がCAを後にしたのは、マンネリ化を防ぐため。01年にピークでイエロージャージも着たけど、その後低迷した。CAで毎年全く繰り返し同じことをしてきたので、この辺で変化しなければいけないと思った。

CAのキーワードは<伝統>だった。10年間全く同じことを続けてきた。しかしCSCのビャンヌは<他のチームのやり方は気にしない。過去どういう流儀で行われてきたかも気にしない。とにかく進歩したい。世界一のチームにしたい。そのためには他と違うことをやらなきゃだめなんだ。>って言っている。

CSCの流儀は最初は異色に映ったけど、だんだん他のチームも真似をするようになってきた。僕らは常に1歩先を行っているんだ。

CAでは、10:30pmに寝ろとかいったことまで指示された。僕は32歳。子供も3人いる大人なんだぜ。夜の馬鹿騒ぎもすごく嫌われた。ビール2杯も飲んで笑い転げていると、上から白い目で見られるのがわかった。

でもCSCは違う。キャンプではほとんどバイクに乗らない。楽しむのがメインな目的なんだ。」

(写真はモロー04年ツールが終わった直後。クレディアグリコルのマスコットガールの奥さんとしっかり手をつないで。ただし彼女はポディウムガールではない。彼女の担当は、VIP接待役。)

■ 2005.02.08 (Tue)  引退した元USP選手が企画するツールのサイクリング・ツアー
ニコ・ルイロフトに続き、元USPのマーティー・ジェミソンのところからもメールでツール・ド・フランスのツアー案内がきた。何故当方宛てにメールがきたのか不明だが、多分様々な国の自転車情報系Webにメールを出しているのだろう。

引退した選手が自分の経験を生かしてグランツールにあわせたサイクリングツアーを企画する流れが続いているようだ。

ジェミソンは95年から2000年USPに在籍。96、97年はツールにも出場。99年USチャンピオン。http://www.martyjemison.com/

■ 2005.02.08 (Tue)  これじゃ薬物コントロールじゃなく、人生のコントロールだ!
freire2.jpg 397×423 38K薬物抜き打ち検査を可能にするため、トップ50以内の選手(及び疑惑の選手)は、当面先の3ヶ月間の自分達の所在地を申告することになった。選手はもちろん猛反対。フレイレが立ち上がった。

マヨルカで2連勝中のフレイレ。インタビューがあったので、優勝に関するものかと思いきや、話題は終始薬物コントロールのこと。新しい規範のもと、3ヶ月間の居場所を事前に申告するよう突如通知がきたらしい。

これに猛反対中なのが選手たち。中でもフレイレはアルコ・イリス(アルカンシェル)のジャージを着ているプロトンのリーダー。スポークスマンとしてエル・パイスなどの新聞で発言するはめになった。

― 最近、エル・パイス(新聞)で、アンチドーピングの規範に対し不満のコメントを載せていましたね。

フレイレ:「反乱を起こすつもりはなかった。でも僕が世界チャンピオンジャージを着ているからには、選手を代表して声を上げて欲しいとみんなから言われたんだ。だから別に僕が首謀者なわけじゃない。とにかく、3ヶ月間自分達の所在地を公表しなくちゃいけないなんていうのは納得行かない。

不公平だと思うのは、これがトップ50以内の選手と疑惑の目を向けられている選手のみに適用されるということ。」

― 手元に来た質問用紙兼通知の内容は?

フレイレ:「全ての期間(3ヶ月)において居場所を克明に申告しなくてはいけない。或いは、自分の居場所を知っている人物の連絡先を申告する。2つのうち1つ。ドーピングをなくす意図はわかるが、こんな風に扱われるのはまっぴらだ。」

― この質問用紙は返送しますか?

フレイレ:「だってフランス語と英語でしか書かれていなくてよくわからない。捨てるよ。こうした質問状を送ってきた意図をちゃんと説明すれば別だけどね。でもこんな風なやり方で送られくるなんて。しかも、3ヶ月間どこにいるかなんて克明にわかるわけない。これは人生のコントロールだよ。」

スペインの新聞アーエスより
(写真は03ツールのフレイレ。スペインのカメラマンの前で笑顔でポーズをとる。後の笑顔の選手はチェチュ。2人とも素晴らしい笑顔だ。)

ランスが再び風洞実験・アワーレコードへ準備着々

http://www.cyclingnews.com/tech.php?id=tech/2005/features/lance_tunnel

■ 2005.02.09 (Wed)  サストレ、サストレ パパ、CSC、リース監督
sastrepapa.jpg 333×447 29KCSCのカルロス・サストレの本名はCSCだった

本日のCN。サストレのインタビュー記事を読んで新発見。サストレのフルネームはカルロス・サストレ・カンディル(Carlos Sastre Candil)で、CSCだった。

サストレ パパの正体

同じくCNに、サストレの父親ビクトルについて「サストレのスポーツ人生において非常に影響力があった人物」とか、カルロスは父親から多大に学んだ、といったコメントが出てくる。肝心の父親のバックグラウンドが書いていないが、彼は地元アビラ県のエル・バラコの自転車界にあって重要人物。

ビクトルは、地元エル・バラコで自転車学校を経営している。地元のヒーロー、アンヘル・アロヨ選手(’83 ツールでフィニヨンについで総合2位になったこともある)を称えるかたちで設立された学校だ。

機会あるごとに各方面で発言をするなど、自転車選手の育成に情熱を注いでいる。

ホセ・マリア・ヒメネスを見出したのもビクトルだった。当時ヒメネスは体重100kg。しかしレースで勝利していくうちに、味をしめ、体重も70kgまで落ち、またたく間にクライマーとしての頭角を現した。ヒメネスにとって、ビクトルは第二の父だった。

サストレがヒメネスの女兄弟ピエダと結婚したのも、両家の強い関係を物語る。

(写真は雑誌の記事。トップの写真は記者会見をするサストレの父ビクトル。下の写真は、左からエラス、ヒメネス、ひとり置いてビクトル。Procycling Jan 2005)

CSC、サストレのチーム内 公用語は英語

サストレが03年ツールでおしゃぶり区間優勝をした時、TV中継アナウンサーがフランス語で質問しようとした。サストレはパニくって、英語でお願いします、と頼んでいた。そう、彼は英語OK。

リースはフランス語はできるがスペイン語はだめらしい。だからチーム内での会話はサストレの場合は英語。以前リース監督、バッソの英語力についてこぼしていたことがある。リーダーたる者、もう少し語学を上達してほしいと。チームの国籍が変わると、そういう問題も出てくる。

或いはベルトランのように、絶対スペイン語で通す、と決めてかかると、周囲が折れる場合も。03年ヒンカピーと喋った時に彼はこんなことを言っていた。「自分はスペイン語など語学を学ぶのが好き。だから自分から語学の勉強がてら、ベルトランにはスペイン語で話しかけるんだ。なにせ彼はからっきし(外国語が)だめだから。」

リース監督という人

更にリース監督について、サストレは:
「しっかりしたアイディアを持つ一方で、決定をする前に選手の意見を聞いたり、耳を傾けたりするんだ。」と語っている。

これは、1月21日のトクダネでヤクシェが語っていたのと同一だ。

「ビャルヌもアイディアは持っているけれど、選手にも意見を求めるんだ。彼は頭で考えることができる選手に、意見を確認する。僕らの間には常にコミュニケーションがあるんだ。」

(Ref: 2005.01.21 (Fri) トップダウン式のリバティー vs ボトムアップ式のCSC)

CSCというチーム

ヤクシェは更に 以前こんなことも言っていた。「特筆すべきことは、CSCの選手はみんな正直だということ。調子が悪いのに好調なフリをして、チームにダメージを与えるような人はいない。

普通、主力選手というものは、プライドが邪魔をする。不調でも明日には良くなるさと自分に言い聞かせて、監督にそれを正直に話さない人が多いんだよ。

でもCSCの場合、調子が悪い選手が出れば、すぐにそれは監督に伝わる。そして、フレキシブルに好調な選手をリーダーにできる体制がここにはある。ビャルヌが、レースでリーダーを敢えて選ばないわけもそこにある。」

■ 2005.02.10 (Thu)  MTB vs ロードレース
cioni.jpg 333×403 34KMTB出身選手の活躍が目立つ今日この頃。

去年ドーフィネ区間優勝しているCSCのミカエル・ラスムセン、ブリュイネール監督の期待を背負うディスカバリーのトム・ダニエルソン、ファッサからリクイガスに移籍して、今年のジロをガルゼッリとダブルリーダーでのぞむダリオ・チョーニ、去年オーストリアツアーで優勝し、今年ロットのジャージを来たカデル・エヴァンス。みんな元MTB選手。

更に、一時ミゲル・マルティネスもマペイでツールを始めロードレースに出場した。こうしたMTBの選手がロードに転向する理由は何なのか?チョーニの場合は、こんな具合だった。

■ チョーニがMTBからロードに転向した訳はオリンピックの選考が原因だった

チョーニは92〜2000年MTBのプロ選手だった。しかし、96年、2000年と五輪出場メンバーに選出されず。除外された理由が納得行かなかった。そこで2000年、ロードのチームを探し始めた。

MTB時代、マペイで走っていたことがあり、自然の流れでマペイに入団。MTBで自分の実力は分かっていた。あとは、ロードでどこまでいけるか挑戦したかった。

■MTBは家族的、ロードは会社員的

MTBとロードを比較してチョーニの感想は、「MTBの方が面白い」。もちろん、ロードレースの勝負どころの山岳ステージでは、沿道からの応援が相当熱く、選手冥利に尽きる。MTBでは得られない快感だ。

しかし、ロードはその分ストレスも多い。チョーニいわく、MTBで走る時は家族の中にいるような心地よさがあるが、ロードで走る時は企業で働いているようなイメージだと。

(写真は03ツールのチョーニ。この時既にファッサはリタイヤ続きで3人だけだった。しかし去年のヴエルタ、AG2Rはサバイバルが一人きり、という記録がある。あの時最後まで走ったのはチャウレアウ。残ったスタッフの数はその何倍。)

■ 2005.02.10 (Thu)  康司選手 リーダージャージ&記念品 公開
grp0210233532.jpg 492×588 38K2/10、原宿で行われた「2005新体制 チームブリヂストンアンカー交流会」での一こま。

康司選手選手がランカウィで着たリーダージャージを公開。左のたてはクアラルンプール市長からのもので、「With compliment from major of Kuala Lumpur(クアラルンプール市長より贈呈)」と書かれている。右はアジアチャンピオンの記念品。Asian Championの文字に、周りには自転車の彫刻。

もう1枚のリーダージャージは、康司選手の手から浅田監督にプレゼントされた。みんなのサインを施して。

晋一選手のアジアン・リーダーチャンピオンジャージも見てみたかったけど、この会場には持参していなくて残念。「康司が主役だから、そこまで(アジア・チャンピオンジャージを持参することまで)思い浮かばなかった」と。

2月25日に公表される次回アジアン・チャンピオンは、グレーム・ブラウンになりそう。ブラウンはチーム的にはオセアニアの所属だけど、アジアのレース(ランカウィ)でポイントを稼ぎまくった。チームが所属する大陸に関係なく、アジアのレースでポイントを一番獲った選手が、アジア・チャンピオン・ジャージを着るわけだ。

4/12のキングドム・オブ・バーレーン・インターナショナル・ツアーまで、アジア・ツアーはない。つまり、2/25から少なくとも4/24まで、アジアチャンピオンジャージはブラウンのものとなる模様。彼の手に渡る前に、一度アジアリーダージャージの現物、見てみたかったなぁ、と一同。

■ 2005.02.11 (Fri)  チームブリヂストンアンカー交流会 その2
miyazawa.jpg 699×787 66Kランカウィ第2ステージでアナウンサーをして、「すごくいい走りをしていた。(Extremely well)」と言わしめた宮沢崇史選手(写真)。

ファンからの質問:レース中していたのはバンダナ?

宮沢選手:あれはサコッシュの紐部分を切って、はさみを入れて広げて頭にかぶったもの。首の後ろが熱かったからやったけど、結果的に脳天が蒸れたよ!

ファンからの質問:第2ステージ逃げた時ってどんなでした?

宮沢選手:前にこういう風に逃げた経験もあったから落ち着いていた。でもプロトンに吸収された途端、脚中がつってきつかった。徐々に取れていったけど。

ファン一同:よく飛び出した選手が途中で吸収されて、その後一気に脱落してプロトンと5分以上遅れてゴールとかあるけど、なるほど吸収された後、がくっと脚にきたりすることがあるんだね。いくらプロトンの中で走ってもスピードは上がってるわけだしね。

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別に会場ではネタ探ししながら話をしているわけではないので、写真を見ながら思い出してこれを書いているわけですが、今回1つだけHPのネタとして入れようと意識して投じた質問があります(笑)(といっても、ごくごく他愛無い内容ですけどね。)

マッサー穴田悠吾さんへ質問:自分が肩凝りしたらどうするんですか?

マッサー穴田悠吾さん:お金出してマッサージに行きます。

質問:タイ滞在中タイ式マッサージ行きました?

マッサー穴田悠吾さん:行きましたよ。特色はストレッチを多用してるとこかな。
(ありがとうございました?!)

■ 2005.02.11 (Fri)  Evening News : フォナック人数不足解消?、モロー&チェチュ、etc
koji2.jpg 244×207 11Kフォナックめでたく、、でも人数が足りない。グイーディがフォナックへ移籍か?

2/9、UCIのチーム登録リストが更新され、ついにフォナックがプロチームのリストに載った。JUMP

しかし、よく見ると選手数は24人。プロチームの規定では人数は25〜28人でないといけない。少なくともあと1人、誰を雇用するのか注目の的だが、フォナックは、どうやらCSCからの引き抜きを虎視眈々と狙っている模様。

CSCの選手雇用契約(少なくとも何人かの選手については)には、<現契約よりもいいオファーを受領した場合、移籍が許される>という条項があるそうだ。先日カタールで総合優勝したミカエルソンにオファーを出したが、フォナックは振られた。

そして、現在スプリンターのF・グイーディがCSCからフォナックへ移籍を決めたという噂がある。

ともかくこれで、プロツアー20チームがはっきりした。ツールのワイルドカードはそろそろアナウンスがあるだろうか。

モロー&チェチュの動画をアップ

モローとチェチュファンの人が結構いるようなので、ビデオ・ライブラリーに2人の動画をアップしました。チェチュの動画は既に入れていたものとは別のもので、これで2つ目。

容量が大きいので、ご注意を。RealOnePlayerです。なお、ビデオは互換性の問題などもあり開かない場合、下記の措置で開く場合があります。

右クリックで「対象をファイルに保存」(画像保存ではなくて対象の保存) =>
(保存をする) => (そのままの画面で)「ファイルを開く」

ビデオ・ライブラリーの頁へJUMP

モローの動画はラルプの山岳TT前の様子。かなりリラックスした感じで友人とおしゃべりをしていた。

一方 チェチュの今季デビュー戦は2月16日〜20日のポルトガルのレース、ボルタ・アオ・アルバルベの予定。去年ランスが出場し、ランディスが総合優勝したレースだ。

康司選手選手の新聞記事

康司選手選手のランカウィでの活躍が日本の新聞に記事が出ていなかった、、という声がありましたので、一応念のため。朝日新聞夕刊に写真なしの記事が出てました。第3ステージ区間優勝の記事だったと思いますが。asahi.comには下記2件がエントリーされています。

記事No.1 / 記事No.2

(写真は地元の新聞。コージがリーダージャージを死守した、という内容。)

■ 2005.02.12 (Sat)  Morning News : パンターニとオチョアの悲劇は1日違い、フォナック定員25人ゲット
ochoa5.jpg 640×466 42Kパンターニの悲劇から1年、リカルド・オチョアの悲劇から4年。オチョア裁判結審間近。

パンターニが亡くなったのは2004年2月14日。オチョア兄弟が交通事故に遇ったのは2001年2月15日。リカルドはほぼ即死、ハビエルは今も後遺症が残る。

オチョア兄弟を轢いたのは、マラガスポーツ大学副学長(当時)のセバスティアン・フェルナンデス・ロペス。彼の業務上過失致死を問う裁判が3月18日にも結審することが判明した。4年経った今でもまだ決着はついていなかったのか、という感じだが。

公判でフェルナンデスは、時速は40〜50kmしか出しておらず、兄弟が車道にはみだしていたと反論したが、調書は、彼は当時70〜90km出しており(一応制限速度内)、選手2人は一度も車道に飛び出していなかったことを確認している。

また、2人を轢く前にブレーキ跡はなく、事故後に初めてブレーキ痕が認められている。この状況から、フェルナンデスの脇見運転が指摘されている。

事故の衝撃で、オチョア兄弟は50m以上も飛ばされた。当初フェルナンデスは自分の不注意運転を認めていたが、公判が進むに連れ一転、自分に非はないことを主張し続けている。

(写真は00年ツール。TTのウォームアップをするハビエル・オチョア)
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フォナック、F・グイーディの獲得決定 & グイーディはこれでプロ入り後、9つ目のチーム

昨夜のニュース続報。昨夜の噂、正式にアナウンスとなった。プロツアー入りする選手数が足りずにいたフォナック。CSCから正式にファブリツィオ・グイーディ(32歳)を獲得した。前述の通り、CSCとの契約条項により、グイーディ、CSCとの間には特に問題なし。

レキップのサイトによると、正式加入は3月1日から。グイーディは95年プロ入り。今までにいろいろな ジャージを着てたなぁ、と思いきや、やはりこれで8つ目のチームとなるそうだ。(ビアンキとコーストを別チームとして考慮すると9つ目!)

グイーディの過去のチーム遍歴:95年 Navigare、96-97年 スクリーニョ、98-99年ポルティ、00年FDJ、01年マーキュリー、02年 コースト、03年(コーストが解散後)ビアンキ、04年CSC、05年3月からフォナック。

■ 2005.02.12 (Sat)  Evening News : 話題の「オプラ」
lance.jpg 321×270 16KTV番組「オプラ」のフィードバック

2/2、2/3のトクダネで予告したTV番組「オプラ」。予定通り金曜日に放映ありました。見た方から、当日の放送内容のフィードバックを頂きました。

「ランスがカジュアルなスーツ姿で単独で登場。客席には母親がいます。幼少時代からの写真とビデオで振り返ります。ランスとのトークは主に癌克服について。

折に触れて母親もコメント。ランスが癌になった時一瞬たりともランスの生存を疑わなかった。また、17歳からシングルマザーでランスを育ててきて癌の診断を受けてからも傍で支え続けた母親についてランスはとても誇りに思っている、とコメント。

オプラの自宅近くで、オプラとランスが自転車でレース。ランスが片足で漕ぐというハンデつきながら、「このトレーニングはいつもしているから」とランス。

ランスは癌になったことは今までの人生で最も良かった出来事の一つだという。スポーツついて、人生について違う見方が出来るようになり癌になる前とは違う気持ちで自転車に取り組み、レースに出られるようになった。

癌になっていなかったら、多分ツール優勝は出来なかっただろう、と。

ついでシェリル登場。2人同時のインタビューはこれが初めて。シェリルの発言に度々顔が赤くなるランス。こういう側面を見るのは初めてなのですこし意外な感じ。

二人の年齢差(ランス:33、シェリル:42)について聞かれるとランスは「二人の間 をとって二人とも37歳だよ」と。シェリルは「私は未熟だから(年下の彼と)とっても上手く いくの」。

出会う前はお互いにファンだったかという質問に、ランスは「自分はシェリルのファンだったけどシェリルにはどうかな。聞いたことないし」シェリルは、「私もそうよ。彼のすごいストーリーは知っていたし、それに…彼ってとってもキュートだと思わない?」。

シェリルによるとランスはとてもロマンチック。去年のクリスマスにはシェリルがずっと欲しがっていた車をプレゼントされた。自転車も数台買ってもらったとか。

子供の話になった時は「子供は好きだし、これから数年は時間もあるのであと何人か欲しいな」と。

プライベートビデオ風に2人のスペインの別荘?も紹介。

乳がんと闘病中の一般人が登場し、彼女にとってのヒーロー、ランスと対面。すごく感激している彼女。プレゼントの自転車にランスがサイン。

最後にシェリルがランスの刺激を受けて初めて作ったというラブソング「I Know Why」(今春発売予定)を披露。
オプラのHP (このページにも大体のあらすじが載っています)」

以上。
意外にラブラブな内容だったみたいで 少々びっくり。上記URLの動画は言葉もかなりクリアで画像が高品質です。とても印象的なシーンもあり、その話はまた後日。

(写真は昨年ツール。ラルプ山岳TTの当日。2人のキスシーンは惜しくも写真を撮りそこなったが、その後2人は笑顔で見詰め合っていた。)

■ 2005.02.12 (Sat)  Night News : シマノの次のレース
ポルトガルのボルタ・アオ・アルガルベにシマノ(正式にはシマノ・メモリーコープ)が出場する旨、アナウンスがあった。

このレース名、聞き覚えがあるはず。昨日チェチュの今季デビューレースとしてお伝えしたもの。(2/11「 ■ モロー&チェチュの動画をアップ」のところで)
期間は2月16〜20日。去年はランディスが優勝。

明日から「ルータデルソル」開幕!

ヴエルタ・ア・アンダルシアことルータ・デル・ソル(太陽のルート)が2/13に開幕。マキュエンvsフレイレが見られるぞ。

ディスカバリーからは地元のベルトラン、エキモフ、ヒンカピー、ファンヘースウェイクらが出場。

■ 2005.02.13 (Sun)  Evening News:明日はパンターニ一周忌
positivo.jpg 514×415 41Kパンターニ一周忌とパンターニに捧げる「バンダナ」の歌

明日はパンターニが亡くなって一周忌。サン・ピエトロ・ペスカトーレ・デ・チェゼーナティコの教会では彼を偲ぶミサが予定されている。その後、ファンは彼が眠る墓碑まで行進していく。

既に多くの人々がパンターニの故郷に集まっているそうだ。

更に、歌手のジャンニ・スクリバーノがパンターニに捧げる歌「ラ・バンダナ」を歌う予定。

亡くなった原因はコカインの過量摂取といわれるが、パンターニとコカイン取引をしたとして、 5人が告発されている。中には彼の友人とされる人物も含まれている。

昨年2月中旬、パンターニの死の直後からニュースをインプットしましたが、入れたニュースは28回。休日だったのも手伝って、刻々と入ってくるニュースを入れ続けました。今となっては一部情報の内容が変わっているものもありますが。

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/log/news0402.html

ポジティーボで見かけた。。

永井さんのお店「ポジティーボ」にもありました。黄色いバンド。Positivo紹介サイトへ。

ちなみにランスとシェリルは今晩、グラミー賞のプレゼンテーターもやるらしい。

役者揃いのルータ・デル・ソル

昨夜ご紹介したルータデルソル。公式HP(スペイン語)を見つけた。フレイレ、マキュエン、ツァベル以外にペタッキも出場。更にボーネンも。役者揃いのレースとなった。

ただ、初日をはじめ、山頂ゴールが2ステージあり、スピードマンたちが競うのは最後の2ステージとなる見込み。

初日はスペインのコスタデルソルあたり、マラガ周辺を走る。第3、4ステージはベルトランの故郷、オリーブの里ハエンが舞台。第4ステージゴールはコルドバ。公式HPへ

■ 2005.02.14 (Mon)  カセロ遂に復帰
casero.jpg 330×355 19Kカセロ:レースに出られず、復帰の目途もなかった11ヶ月。毎日トレーニングに出ては、「俺は何をやっているんだろう」とつぶやいた日々

チームと契約したのに走れない。32歳という年齢を考えると、このまま終わるかもしれない。でも走れる日を信じて、とにかくトレーニングだけは毎日やろうと心に誓ったカセロ。現実にはそれがどんなに辛いことだったことか。

しかし、苦悩の日々は終わった。遂にカセロが、先日2/6〜10に行われたマヨルカ・チャレンジで11ヶ月ぶりにレース復帰を果たした。

出走人数が各チームによってまちまちだったマヨルカ・チャレンジ。イリェス・バレアレスチームからの出場選手は15人、ラボバンクはなんと16人。スペイントラックチームからも11人が参加。

バレンシアナ(旧ケルメ)は12人をレースに送り込んだ。その中には、アンヘル・カセロの顔もあった。 (CNの写真へJUMP)

カセロは去年ケルメと契約はしたものの、チーム事情によりUCIからライセンスがおりずにレースに出られないままだった。それでも、給与は払われていた。

「最初の2ヶ月間は、精神的にとてもきつかった。考える時間が多すぎたのもよくなかった。」

「自分は32歳。復帰せずに終わるのかと思ったこともある。1シーズン試合なしに過ごすのは、この年ではなおさらきついことだった。最悪だったのは、状況が不確実だったこと。チームが05年存続するかどうかすらわからなかった。」

「毎日6時間トレーニングしていた。家に帰ってドアを閉める時、<俺は何をやっているんだろう。馬鹿みたいだ。>と思ったものだ。走るアテもないのに、なんでこんなことをやっているんだろう、と。」

しかし、ケルメはバレンシアの援助を得て、05年も続行することが決定した。規定により、カセロ同様ケルメと契約しながらライセンスが取得できなかった5,6人の選手については、自動的にバレンシアナに雇用された。

2月6日、カセロはマヨルカ・チャレンジで11ヶ月ぶりにレースに復帰した。

「これからはレースで苦しむ番だ。ジム通いもしていたし、このままバレンシアツアー、セトマナ・カタルーニャで徐々にレベルを上げていきたい。レースに戻れるのは感慨深い。」

過去5年、カセロは天国と地獄を経験した。01年にヴエルタ総合優勝した後、03年所属していたコーストが解散。以来チーム探しの日々が続いた。昨年はケルメのチーム幹部の話も持ち上がったが、現役に拘った。

カセロは90年代後半、ビタリシオ時代にステージレースでリーダーとして活躍。01ヴエルタでは総合優勝を果たした。しかし、実際の勝利数は10程度で、優勝量産型ではない。優勝したヴエルタでも、最終日TTでセビーヤを逆転してリーダージャージを獲得し、着用は1日だけだった。

しかし、チームのまとめ役として彼の存在は見逃せない。新生バレンシアナの牽引役という新たなチーム内での役割を肩に感じながら、ベテランとして頑張っていって欲しい。(本日のNews Briefingに関連記事。)

(写真は03ツール。7月を目前にコーストが解散し、ウルリッヒをツールに出場させるために急きょ立ち上がったビアンキのジャージでカセロはツールに出場した。しかし翌年、彼をレースで見る機会はなくなった。)

■ 2005.02.14 (Mon)  グラミー賞のニュースです。
昨日お伝えしたグラミー賞のニュース。(シェリル&ランスのグラミー賞プレゼンターをする云々。)WOWOWでグラミー賞のライブを見ていた方からの情報です。

速報 No.1:「(12:30)WOWOWで朝からグラミー賞を見ています。ランスとシェリルがプレゼンターとなる予定のようですが、まだ客席にいます。

70歳のロレッタリン(すごい!!)が最優秀カントリーアルバム賞を取ったときに、初めてドレスアップした二人が画面に映りました。あ、今、U2がベストグループ賞に。とりあえず実況中継でした。」

速報No.2:「(14:10)今、グラミー賞のライブが終わりました。年間ベスト曲プレゼンターにシェリル&ランス。シェリルのドレスはランスのマイヨー・ジョーヌにちなんだ黄色。大胆なスリット入りの黄色のイヴニングです。もちろんリヴストロングのアームバンドも右手にしています。

そして、年間ベスト曲賞はジョージアゆかりの去年亡くなったレイチャールズに決定。これを紹介するランスは緊張気味?に見えました。」

■ 2005.02.15 (Tue)  Evening Newsは。。。
関西方面に出張中で、ニュースチェックなかなか思うようにできません。ビジネスセンターは30分で500円。仕事でネットを使用し、あと5分しか残り時間がなくて。とりあえず、5分でどこまでニュースチェックしてここに打ち込めるかな。

うーん、目だった面白いニュースがあまり見当たらない。しいて言えば、ちょっと目を引いたのはこの記事。フォナックのフェルナンデス監督が、語ったところによると、今年のツールはランディスとボテロのダブルリーダーでいくらしい。特にチームTTは優勝を狙うと。

02年ツールで総合4位になって以来、精彩を欠くボテロだが、今年復活を賭けている。02年年末にはUCIランキング15位だったボテロ、2004年末には1177位まで落ちたそうだ。同じコロンビアのペーニャという優秀なアシストの力を得て、ボテロが再び輝けるか。

あ、本当にもう時間がない、ではまた明日夜、帰京した時に。

■ 2005.02.16 (Wed)  速報 : ランスはツール出場を正式表明
lance2.jpg 458×393 33K19:30、名古屋出張を終えて帰宅。CNには、相変わらず少々退屈気味な普通のニュースのみ。しかしその次にthepacelineを開いたら、びっくりこのニュース。thepacelineのサイトは、通常それほど頻繁にチェックしないのに、今日はちょっといい勘してたかな。

2/12付けNews Briefingでお伝えしたとおり、やはりランスは予定より早くツール出場表明を行った。(最初は、春、或いは5月ごろに正式発表と言われていた。)本日付けで正式に2005年ツールに出場することを決定・表明したのだ。

先日News briefingでお伝えした内容は、クリス・カーマイケルが「ランスのツール出場表明は近い」と話したものだった。噂の出所が信頼おけるソース(ランスのコーチ)だったので、信憑性は高いだろう、とは思っていた。もっとも、このニュースに驚いている人は少ないだろう。「やっぱりね」という感想の方が多いに違いない。

ランス、最初のプロツアーデビューは、3月のパリ〜ニース。その後フランドルにも出場。例年に比べ、今年はクラシックにも焦点を当て、いよいよ7連覇という更なる記録めざしてツールに乗り込む予定。

(写真は04ツール。アヌマスのスタート直後。スタート前に小雨がぱらついた。スタート地点のように混雑する場所では、このように少し高い所に上って写真を撮ったりしている。)

■ 2005.02.17 (Thu)  A・ターフィがホテルをオープン
tafi.jpg 466×420 47K今年のパリ〜ルーベで引退することを決めているA・ターフィ。引退後のプランは既に固まっているらしい。トスカーナ地方のヴィンチという町のそばにシクロ・ツーリスト用のホテルをオープンするという。

建物は既にある粉引き専用の建て屋。これを改築してホテルにする。パートメントスタイルで8部屋ほど確保できる。何らかの形でサイクリストたちとのコンタクトをキープしたいというターフィの想いからこの構想となった。

場所は、彼の自宅から1kmのところ。オープン時期は5月の予定。しかしその前に大仕事がある。最後の自転車レース。

「自分は自転車レースからは引退しようとしている。でも、素晴らしい成績をあげることができたと満足している。去年頃から引退を考え始めたものの、体調が思わしくなくクラシックでは振るわなかった。いいコンディションで引退したいと思う。」

「パリ〜ルーベは特別。他のレースとは違う。大好きなモゼールが勝ったとき僕は10歳だった。僕の最初のレースは1990年。なんて解放感を感じたことか。でも翌日にはその感覚もすっ飛んだ。手も肩も、もう体中が痛くてね。」

パリ〜ルーベは4月10日開幕だ。
(写真は02ツール休養日。これからトレーニングにいくところ。)

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ちなみに引退後ホテル経営をしている選手として有名なのは、元ケルメのラウデリノ・クビノ。彼もシクロツーリスト用に、故郷ベハールの山間にホテルを構えた。(Ref: トクダネ:「2004.11.08 (Mon)  ホテル経営で成功している元選手」
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/news/news200411.html

こちらはなかなか広々したホテル。http://www.cubinohotel.com/

クビノは3大ツールで区間優勝をした強豪選手。ケルメにエラスを引いた選手としても有名。

■ 2005.02.17 (Thu)  Evening News
エウスカルテル、ジロ初体験

プロツアー制になって、プロチーム20チームはジロを走らなくてはならない。エウスカルテルにとっては初の経験だ。リーダーはサムエル・サンチェスとアイマール・スベルディア。その他U・エチェバリア、ゴルカ・ゴンサレス、R・ライセカ、Aロペス・デ・ムナイン、G・ベルドゥゴ、アイマールの弟ヨセバも出場予定。

マヨは今年もツール一筋でヴエルタには出ないと思われる。でも今年はファッサから移籍したアイトール・ゴンサレスがいるので、彼にヴエルタリーダーを託すシナリオだろう。

氾濫するリヴストロング・バンド「もどき」

1. 乳がん基金のピンクのブレスレット

昔から特別な患者を病院が判別するためにゴムバンドをさせていたアメリカの病院が、リヴストロングバンドの着用禁止をしたニュースを以前掲載した。リヴストロングの黄色いバンドで、スタッフが混乱するのを防ぐため。

でも今回は乳がん基金がピンクのバンドを考案し、販売しているというニュース。値段の方は4.95ドルと本家(?)より高い。乳がん基金ピンクのブレスレットHP へJUMP

聞いた話では、他にも津波被害者救済基金は青、イラク駐留の兵士基金はオリーブグリーン、そんなゴムバンドも販売されているとか。

こういった基金を集めるのに安く作れるゴムバンドが一気に流行の兆し。リヴストロング旋風といった感じ。

2.遂に日本にも「もどき」が登場。

左記URL 2005年02月17日付けのエントリー。http://don-house.com/mt-diary/archives/2005/02/uxgo_livestrong.html

バンドの販売元のうたい文句は、「ツール・ド・フランス。。だけでなく多くのスポーツ選手が使用していることで話題となりアメリカでは社会現象とまでなっている。。。流行中のリストバンドです!」
。。。「って、もどき」なのにここまで言っていいものか?

■ 2005.02.18 (Fri)  英国特集 その1 : ミラー来年のツールはOKに
デイヴィッド・ミラー、提訴が認められ、06年ツール開始前に処分が解けることに

スコットランド出身のデイヴィッド・ミラー。去年夏、EPO摂取を認め、出場停止処分を受けていた。しかし下記2点について、スポーツ調停所(CAS)に訴えていた。

処分の開始日は、逮捕された6月24日であるべきなのに、開始日設定が遅れ、8月6日とされた。これにより、自分の復帰は必要以上に遅くなってしまった。(来年のツールに出られるように、)処分をカウントする日付を前倒しして事件発覚の時期とほしい。

処分の2年は重すぎる。1年にしてほしい。

1月24日にヒアリングがあり、処分期間の2年については適切であったとして、期間短縮は退けられた。

しかし、ミラーが訴えるとおり、処分開始時期は問題が発覚してから1ヶ月半ほど遅い日にちに設定されていたことを認めた。処分開始が遅ければ、当然処分終了日も遅くなり、彼の復帰が遅くなる。

調停所は、「ミラーは逮捕当日に、競技出場が実質できなくなっており、更に五輪のメンバーを自発的に辞退した。つまり、処分開始日は6月24日からとなるのが適切だった。」と認め、処分開始日・終了日を前倒しとすることを決断した。

これにより、ミラーの処分は06年6月24日に終わる。彼が希望したとおり、これで事実上は06年ツールに出場できる。もしCAS(Court of Arbitration for Sport)に提訴していなかったら、処分は8月6日に終了で、06ツールまでミスすることになっていた。

06ツールに出場する可能性ができたことで、ミラーのモチベーションは上がり、謹慎処分中、いい調整ができるかもしれない。彼の来年のツール出場に期待したい。

それにしても、フォナックのプロチーム入りの際にも公平な判断をしたCAS。再び注目の存在だ。

■ 2005.02.18 (Fri)  英国特集 その2 : ロンドンに自転車総合施設が建設予定
ロンドンが自転車のメッカになる

今朝のミラーのニュースとは英国つながり。

ご存知の通り、ロンドンは2012年夏季五輪を誘致しようとしている。目下その他の候補はマドリード、パリ、モスクワ、ニューヨークと大都市がズラリと並ぶ。激戦が予想される。

ロンドンはIOCにアピールするために、このほど東部のローアー・リー・ヴァリーに自転車総合施設を建設することを発表。誘致が成功しても、失敗しても、この施設の建設は進められる。

ケン・リヴィングストン市長の発表によると、施設概要はざっと以下の通り。

* 施設面積は34ヘクタール
* 1500席を収容するヴェロドローム(もしも五輪誘致が決定したら、座席数は6000に引き上げられる予定。)
* 国際標準のBMX(Bicycle Motocrossモトクロス)トラック
* 屋外サイクルスピードウェーサーキット
* 1.6kmロードレースサーキット
* クロスカントリーMTBコース
* 完成は2008年の予定

資金提供はロンドン交通局、ロンドン開発公社、地元当局など。

市長は「新しい施設は、新たなイギリスのスター自転車選手を生むことだろう。五輪誘致が成功しようがしまいが、ヴェロパークは建設する。この計画は、ローアー・リー・ヴァリーの再生にも資すると確信している。」

これで、ロンドンは自転車のメッカとなること間違いなし。しかし引き換えにロンドン南部のヘルン・ヒルヴェロドロームは老朽化も進み衰退が進むだろう。(BBSニュースより)

■ 2005.02.19 (Sat)  ■ CSC、35億円規模の契約をゲット とCSCの日本語HP
サラリーマンの悲しいサガだろうか。各チームのニュースを見る時、スポンサーの経営状況までチェックしたりする。以前のように、テレコムが業績下方修正と聞けば、チームへの資本参加に影響がないかと心配したりするわけだ。

特に心配したのは数年前、スポーツ用品を取り扱うケルメがロシアビジネスで大赤字を出したニュース。案の定、選手への給与支払がストップした。

そんな中、今回見つけたのは久しぶりに明るいニュース。2月8日、 IT サービス事業会社のCSCが、アメリカ内国歳入庁から35億円規模の大型受注をしたそうだ。ちなみにCSCというのはNY 証券取引所の上場名で、実際のフルネームはコンピュータ・サイエンスィズ・コーポレーションComputer Sciences Corporationらしい。

今回CSCは、同庁のビジネスシステム近代化プログラムを一手に引き受ける模様。業務内容には、レガシーコードの整理といったデータベース整備なども含まれる。

ところでCSCの日本語HPがあるというのを最近になって初めて知った。=つまり、CSCが日本にオフィスを構えているということだ。日本語版は単に企業体のHPではあるが、気が利いていることに、最近CSCチームの英語サイトへのリンクが貼られた。(letourのマークをクリック)CSC日本法人HP

■ 2005.02.20 (Sun)  一番の感動はTV収録が終わってからだった
TV番組「オプラ」舞台裏:ランスが癌病棟の看護婦と感動の再会。

今から8年程前。ランスは化学療法真っ只中。相当調子が悪い。親しくしていた化学療法専門のナースが彼にこう言った:

「ランス、貴方が病気で私を必要としている時、もちろん私は救いの手を差し伸べます。でも、それが終わったら私は消える。貴方が完治したら、私は貴方のことをTVや新聞で見るだけでいい。やがていつか私は貴方にとって想像上の存在でしかなかった、そうなることが理想です。(I hope someday to be just a figment of your imagination.)」

(「It’s not about the bike 」13ドルのペーパーバック版でいうと、p.149)

伝記「It’s not about..」でこの下りを読んで感動した。癌の化学療法の看護婦としては、癌患者は通院・入院が一旦終わったら、自分のところに再び舞い戻らないことが、看護婦として一番幸せなことなのだ、ということ。

ところが、先日放送されたTV番組「オプラ」(詳しくは2/2と2/3のトクダネに掲載済み)の番組収録後に、このナースが登場し、ランスと劇的対面を果たした。

この様子は下記URLの「Watch Now」で見られる。番組収録後に司会者のオプラがランスとトークをしていたら、突然その看護婦が登場。ランスもびっくり。見ているこちらも、伝記を読んで彼女のことは知っていた人たちはなおのこと感激したはず。

http://www2.oprah.com/tows/after/200502/tows_after_20050211.jhtml

以下再現(看護婦登場を悟られないよう、オプラの話の導入の仕方がうまい。):

-------*------

オプラ:「ねえランス、番組では言い忘れちゃったけど、あなたは今までで一番多くの薬物テストを強いられてきた選手よね。特にフランス人は、貴方のことを怪しいとか言っている。それについてどう思う?」

ランス:「傷ついていないといったら嘘になる。でも、テストで身の潔白を示すしかない。」

オプラ:「どうやって無作為にに薬物テストをするの?いきなり誰かが家にきたりするわけ?」

ランス:「常に自分の居場所を明らかにしておくのさ。他のスポーツに比べて随分厳しいよ。自分は化学療法で薬を嫌と言うほど飲まされたから、もう後の人生薬物なんて一切口にしたくないね。」

オプラ:「その化学療法だけど、(自伝に出ていた)病棟のナースについて話してくれる?」

ランス:「入院していると、毎日見る病棟のナースが唯一の友人になるんだよ。ラトリースという化学療法専門ナースがいてね。彼女が正しい薬をちゃんと運んでくるか、僕はいつも見張っていた(会場内から笑い。)

彼女はきれいで、頭がよくて、自信に満ちていてフレンドリーだった。僕らにとってはエンジェルだった。」

オプラ:「自伝の中で彼女は「私は貴方にとって過去の記憶でとどまりたい」といったことを言ったそうね?そして、「私はもうここで貴方に会うのではなく、TVの中で貴方を見るだけにしたい」と言ったでしょ?今ここに彼女がまさにTVで貴方を見るために来ているのよ。」

(会場内大歓声。大いに盛り上がる。以下、ラトリースが述べたランスの印象など)

ラトリース:「治療中の彼として覚えていることは、とにかく彼は決意に満ちた人だったということ。今もバイクの上で、まさに決意に満ちているけど。

ある日、彼はとても疲れていた。癌は治っているけど化学療法の副作用の方がひどかった。歩いて処置室から出て行くのは無理だろうと私は思った。彼は手すりにつかまって小さい歩幅で少しずつしか歩けなかったから。でも、僕はOKって繰り返して車椅子は使わなかった。

私が彼にあの言葉を言ったのは、確か治療が始まった時。以前より腫瘍マーカーやCTもよくなっているのに、彼は「気分悪い」、「もう僕はだめだ」、とか言っていたから、大丈夫よ、と励ましたの。

それまでは、自転車のことなんてなんにも知らなかったわ。(オプラが、ランスは貴方にバイクのことを長々と説明したんでしょ?と聞くと)そうそう、そうなのよ。」

ここでランスが口を挟む。「そんな、年がら年中バイクの話ばっかり彼女にしてた訳じゃないぜ」(会場内また笑い)

■ 2005.02.21 (Mon)  アルベルト・コンタドール(リバティー・セグロス)両親からの手紙全文
saiz.jpg 516×480 34K先月のTDUの時にコンタドールの話を随分取り上げた。去年レース中に脳障害を起こし意識を失って落車。
即座に病院に運ばれ、サイス監督はレースを置いてコンタドールに付き添った。

コンタドールは無事に回復し、彼の両親がスペインの雑誌に投稿してチームや監督に感謝の気持ちを述べた。(Ref:2005.01.20、2005.01.22 トクダネ) この内容の一部は2月号のサイスポ海外Expressにも入れたが、サイスポ次の号が発売になったこともあり、ここで全文ご紹介。

監督やチームドクターがいかに必死で家族を励まし、わが事のように悲しんだかがよくわかる内容だ。

「支えてくださった全ての人たちにお礼が言いたくて筆をとりました。
テラドス先生(*)アストゥリアスの中央病院で何時間も何時間も、ずっと息子のそばに付き添ってくださって、ありがとうございました。

(* 注釈:テラドス先生=リバティーのチームドクター。元オンセ。未知谷の「ツールドフランス物語」p.241 <ドクターは語る − ニコラス・テラドス>の主人公となった人)

回復期、及び転院した際はルイス・マンサノ先生にも大変お世話になりました。
世間のみなさんには余り知られていないことですが、何よりもマノロ・サイス、貴方には本当に本当にお世話になりました。

監督、貴方は息子に付き添って、救急車に乗り込みました。
レースの途中だというのに。夜間、鳴り止まない携帯電話にも、全て応対していました。
嵐の日も、私たちの傍に付き添うために駆けつけてくれた。

貴方は、私たちに付き添うために、自分のご家族と一緒にいる時間を奪われてしまった。
それにもかかわらず、貴方はずっと息子の傍にいてくれた。
そして、私たちと一緒に泣いてくれましたね


最悪だった時期もずっと一緒にいてくれました。
私たちの悲しみは貴方の悲しみでもあったのです。
最高の医療を受けられたのも貴方のおかげ。息子のことをこんなにも大事に思ってくださってありがとう。
こんなに素晴らしい人物でいてくれてありがとう。こんなに暖かい人間味を示してくれてありがとう。」
---*----

いつもしかめ面ばかりしていることが多いリバティーのサイス監督。
時々切れるし、結構激情型だし。
でも、こんなヒューマニティー溢れた側面がある人だった。

(写真は03ツール。向かって左がサイス監督。右はチーム関係者。最終日のスタート前。オンセはこの年、ヤクシェの総合17位が最高だった。ものすごく誇れる成績ではなかったが、それでもやはりほっとした表情が伺われる。いつもより表情が(これでも)緩んでいる。もっとも、右にいる関係者の方が、嬉しそうな表情。始終ずっとサイス監督に弾丸のように話しかけていた。)

■ 2005.02.21 (Mon)  「ウルリッヒ病」という名の筋ジストロフィーと、ウルリッヒが支援する筋ジストロフィーチャリティー活動
jan2.jpg 440×438 43K寄付金授与式は5/14、ブンデスリーガのマインツ05 対 1.FCカイザースラウテルンのハーフタイム

ウルリッヒ病(Ullrich Disease)という病気をご存知だろうか?病気を最初に報告したのがドイツのUllrichなる人物だったために命名された。1930年のことだ。

日本の医学会では慣用的にウールリッヒ病、或いは、ウールリッヒ型先天性筋ジストロフィーと呼ばれている。コラーゲン6の異常が引き起こす先天性筋ジストロフィー症のことだ。

同じ名前というご縁もあったのか、ヤン・ウルリッヒがこのほど筋ジストロフィーの子供を救う基金「aktion benni & co」を支援する。詳細を以下の通りまとめました:
--- * ---

上述のウルリッヒ病と呼ばれる先天性筋ジストロフィーに対し、3500人に一人の割合で発症する伴性劣性遺伝式 筋ジストロフィーのことをデュンシェ型筋ジストロフィーという。Duchenne muscular dystrophy=以下DMD。

DMDは、ドイツでは2500人ほどの患者がいる。新生児の時には症状は顕著ではなく、3〜4歳頃に筋力低下が認めら始める。残念ながら有効な治療手立てはまだ発見されておらず、不治の病となっている。

「aktion benni & co」というのは、96年6月、ドイツに設立されたDMD基金。DMDを患った息子ベニをなんとか助けたい一心でコニーとクラウス夫妻が始めた。基金の収益金でDMDの研究を促進する。

そして、このほどヤン・ウルリッヒが「aktion benni & co」の支援に乗り出すことを決めた。実はきっかけは、名前つながりではなく、ジャイアントつながりだった。

ジャイアントは昨年チャリティー用バイクを集め、65万円ほどの寄付を行っている。

Tモバイルにバイクを支給するジャイアントが、この「aktion benni & co」の支援を去年から開始。ヤンも子供たちのヒーローとして、この活動を助けたいと今回の決断をした。

ウルリッヒの他にも下記サッカースターらがこの基金の支援を決定:

ジョバンニ(またはジオバネ)・エウベル(リヨン)、フレディ・ボビッチ(ヘルタ・ベルリン)、ベンヤミンことベニー・ラウト(ハンブルガー)。引退しているが90年イタリアワールドカップ優勝経験者元DF、MFのアンドレアス・ブレーメ。他にボクシングチャンピオン、女優のジェシカ・シュヴァルツetc。

基金への寄付授与は、ちょっと趣向を凝らして、5月14日、ブンデスリーガのマインツ05 対 1.FCカイザースラウテルンのハーフタイムの時に行われる。

ニュースのソースはウルリッヒの日記。「Jan hilft "Aktion Benni & Co."」というタイトルで2月18日にエントリーされている。JUMP

病気については 右のサイトを中心に参照しました。 No.1 / No.2

ついでにいうと、伴性劣性遺伝筋ジストロフィーにはデュシェンヌ型以外にベッカー型というのがあり、後者はジストロフィン蛋白が完全には欠損していないタイプを指すらしい。

(写真は01ツール。ランスが仮病をした例のステージ。突如ラルプデュエズの麓で仮病の仮面を脱ぎ去り、ランスは山頂ゴール目指して一直線。一泡吹かされた選手たちは大慌て。ウルリッヒも遅れた。必死のこの形相。)

■ 2005.02.22 (Tue)  プロトンの一の大ベテランは?
■ 最年長選手続報

下記の最年長選手の話題の追加情報:現役でBR-1を走っている選手まで範囲を広げると、TOJ出場経験をもつチェブロ・アートネイチャーの鉄沢孝一選手がNo.1かもしれない。1960年12月22日生まれ。今年45歳になります。

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■ プロトンの最年長選手探し

一旦引退が伝えられたものの今年夏までは少なくとも夏まではランドバウクレジットプロとして走ることを決めたルド・ディールクセンス。 (Ref. 1/19付けNews Briefing) 彼は は10/14で41歳になる。

エキモフはロシア人最高年齢。2/4に39歳になった。ドイツのヘップナー(ヴィーゼンホフ)は12/23に40歳になった。

フランス人の最高年齢はローラン・ブロシャールの36歳。3/26に27歳になる。

しかし、上には上。44歳でプロとして走っている選手がいる。Monoxのイタリア人ガッジョーリ、マルコポーロのアメリカ人カーター、そして!!1/9に44歳になったばかりのキナンCCDの三浦恭資選手だ。

■ 2005.02.22 (Tue)  イゴール・アスタルロアの執刀医はスペイン一の凄腕。ツールで怪我したベロキの執刀医
beloki.jpg 300×210 11K今朝 News Briefingでお伝えしたアスタルロア骨折+執刀医ミケル・サンチェス氏に関する更なる情報。

ミケル・サンチェスはスペインのスポーツ選手にとっては超有名な存在。03ツールで大怪我を追ったヨセバ・ベロキの執刀医でもある。

有名な理由は、他の医師の手術に比べ、術後の回復期を相当短縮できる、という触れ込み。スペイン人だが、フランスのボルドー大学医学部卒業。

専門は整形外科と外傷学。特に関節鏡と、濃縮したグロースファクター(増殖因子)血漿による最先端の独自の再生治療法。(後述)

彼はベロキの故郷バスク地方ビトリアにあるUSP クリニカ・ラ・エスペランサ(USポスタルとはなんら関係ない)の整形外科・外傷学の部長を務める。

(左はサンチェス医師が勤める病院のHPに手術例として掲載されている手術室のベロキの写真。TVカメラを携えた人たちが大挙してその様子を撮影している。それだけでもびっくりなのに、さらにその模様が病院のHPに出ているとは。。。)photocopyright@http://www.usplaesperanza.com

ベロキの手術は下記の順番で行われた:
1. 骨折・脱臼した右の腰の手術。5つのスクリューがついたプレートを腰に挿入した。
2. 肘の骨折の治療。複雑骨折だったが手術は成功。
3. 右手首の手術。上記の2つに比べ軽度で、スムーズに運んだ。

所要時間は4時間だった。

アスタルロア、ベロキ以外にも、イゴール・ゴンサレス・デ・ガルデアノや女子のソマリバ選手などバスクの有名選手は軒並みサンチェスの患者になっている。

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ところで本日の勉強内容は、サンチェス医師が推進しているPRGF (Plasma Rich in Growth Factors) と呼ばれる濃縮血漿を使用した独自の再生医療。これは主に歯の治療に適用されている。

日本では、口腔外科などで、多血小板血漿(PRP) Platelet Rich Plasmaと呼ばれる再生医療はよく耳にする。
患者の血液を遠心分離器にかけ濃縮する。この濃縮血漿を患部に入れることで、骨の増大や歯肉の治癒を促す。

これに対し、サンチェス医師らのグループが技術会社と提携して独自に開発したのがPRGFと呼ばれる血漿。グロースファクターと呼ばれる増殖因子に富む血漿のこと。原理はPRPと同様で、特殊な遠心分離機を使用する。

グロースファクターは細胞を刺激し、増殖・成長を促すのに欠かせない因子。主なグロースファクターを下記に挙げる。

bFGF (Fibroblast Growth Factor) 塩基性線維芽細胞増殖因子
EGF (Epidermal Growth Factor)上皮細胞増殖因子
TGF (Transformable Growth Factor)形質転換増殖因子
VEGF (Vascular Endothelial Growth Factor)血管内皮細胞増殖因子
HGF (Hepatocytic Growth)肝細胞増殖因子頭文字をとっハッピー・グロースファクター(幸福増殖因子)と呼ばれることもある。

クリニカ・エスペランサはこうした斬新な手法を積極的に取り入れ、スペインでも有数な外科病院となっている。とりわけ勤務医のサンチェス医師は論文が賞を受賞するなど、知名度抜群。

■ 2005.02.23 (Wed)  ドイツランドツアーはTモバイルのHQがフィニッシュ + ロット大躍進の秘策
今年のドイツランド・ツアー。2684mの山岳登場とTモバイルHQがフィニッシュ

今年のドイツランド・ツアーは8月15〜23日の開催。例年5月〜6月だったが、プロツアー入りしてカレンダーが変更になった。

8月、まだ先のレースだというのに、ドイツ人らしく既にHPはきちんと立ち上がっている。これによると今年は2684mの山岳ゴールが設定されるらしい。
http://www.deutschland-tour.de/

このドイツランド・ツアー、1911年に開始となり、ドイツ人が中心に活躍してきた。去年はあの(ジャパンカップ04優勝者の)P・シケヴィッツが優勝。スペイン人ではイゴール・ガルデアノ(0’2)やDプラサ(’00)らが優勝し、オーストラリア人としてはM・ロジャースが優勝(’03)。しかし、フランス人の優勝はまだない。

また、今までの歴史の中で同じ選手が優勝を繰り返したことは一度もない不思議なレース。もっとも開始は1911年でも、83年から98年まではレースは中断されていた。

2/24 追加ニュース(TモバイルのHQで見つけた記事をここで追加):8月23日の最終日フィニッシュはボンにあるTモバイルのHQだそうだ。Tモバイルはこのレースのメインスポンサーなので納得。

ロットは2月末で既に昨年1年間の勝利数に迫っている。新規導入ボーナス制度の賜物?

2/6のトクダネでこんなニュースをお伝えした。

「まだ2月初旬。ロットは既に11勝目:ロットはこれでチーム11勝目。マキュエンが9勝(GCNYDクリテリウム+JGベイクラシック3勝+オーストラリア選手権+TDU3勝+カタール1勝)、ステルスが2勝。(後記:エトワール・ド・ベセージュで2勝。)」

あれから2週間が経ち、更に4勝を獲得。10日ロドリゲスがGPインターナショナル第1ステージ、S・バツエがルータデルソルで2勝、トム・ステルスがアルガルベで区間優勝。

つまり今季既に合計15勝。昨年チームの合計勝利数は聞く所によると16勝(これが正確な数字化どうかは未確認。)1年分既に稼いだ格好になる。

とにかく2月末で15勝はすごい。マキュエンがこれからもツール中心に勝つことを予想すると(ツールにペタッキは出場しないので、マキュエンかなり有力だろう)、これから勝利数はもっと増えるはず。

この大躍進の理由は?実はロット、今年からボーナス制度をとり入れた。で、実際、これは確かに効を奏しているらしい。

マネージャーのマルク・セルジャン氏によると、「クライマーの選手ですら、なんとか勝ちに行こうとスプリントするようになったからね。」と。

アスタルロア続報
アスタルロア手術成功。ただし、例のサンチェス医師によると、2.5ヶ月〜3ヶ月はレースに出場できないという。

■ 2005.02.24 (Thu)  Morning News
再び金メダリスト、クリス・ホイのお父さんからのメールと、ホイが来日する話

1月、マンチェスターのトラックWC、1kmTTで五輪に続いて金メダルをとったクリス・ホイ。(1/12付けトクダネ)。彼のお父さんと今もメール交換中。WC TT優勝のおめでとうメールを打った直後も 返事が来た。: Hi, Great to hear from you again and season’s greetings to you and your family.。。。

3月末のロサンジェルスのトラックWC後に、ホイが来日するらしい。国際ケイリンに出場する。レース前にはケイリン学校にも出席。

お父さんの話だと、五輪で金メダルなんかを獲ると、一気にCM契約の話が舞い込んでくるそうだ。スポンサー活動が後を絶たず、クリスは、12月末まで練習がほとんどできなかったとか。それでも1月中旬のマンチェスターWC 1kmTT優勝の日は、今まであげたタイムの中で、6番目となる好成績だったとのこと。

今後もマイクロチップスの会社ウルフソンhttp://www.wolfson.co.uk/?flash=trueと契約したり、2日中も広告キャンペーンを展開するらしい。

ウルフソンはソニーのプレステ、I-POD、ノキアの携帯、パナソニックの製品に使用されているマイクロチップスを設計している地元スコットランドの会社だそうだ。


イェンス・ヘップナー引退決意

先日トクダネの年長選手特集で書いた40歳のヘップナー。CNに引退を決意したというニュースが載っていた。引退の花道レースは、今年8月23でフィニッシュするドイツランドツアー。昨夜触れたレースだ。8月で自転車選手人生に幕を引くということになる。

■ 2005.02.24 (Thu)  Evening News
シマノメモリーコープ チームプレゼン写真

News Briefingでも先日ご紹介したシマノのプレゼン。狩野選手をはじめ日本人選手も揃って、オランダで行われた。そのうち綾野さんからもっといい写真が届くだろう。それまでの間こちらに写真が出ています: 写真サイトへJUMP

バッソのお母さん逝去

9ヶ月間 胃がんと戦ってきたイバン・バッソのお母さんが49歳の若さで亡くなった。バッソはツールの前にお母さんの癌を知り、ランス・アームストロングに 母親のことでいろいろ相談していた。

ランスは親身に相談にのったといい、バッソとランスはツールで熱い戦いを繰り広げながらも、バッソの腕にはしっかり黄色いバンド。バッソはランスが展開する癌基金にも共鳴していた。

Eurosportのサイトに康司選手のハーモニカを吹く動画登場

Eurosportのサイトの1月のザッピングに「オーシャンゼリゼ」をハーモニカで吹く康司選手の動画がチラッと出てくる。

場所はeurosport.comのビデオ特集のWattsのザッピングコーナー : ここの頁
(但し頁は順送りに動いていくが)の犬がサングラスをかけている画像をクリック。(「The more far-fetched moments of this week's sport events with WATTS ZAP...」と書かれているビデオ)

この動画はその週・月のスポーツミニシーンを集めたもの。康司選手の登場は中盤以降。「オーシャンゼリゼ」をほんのチラッと吹いている姿。

今買いたい本: -- 「USPチームバスの中」 著者:マイケル・バリー

「Inside the Postal Bus: My Ride with Lance Armstrong and the U.S. Postal Cycling Team」という本が発売になる。タイトル通り、USPのチームバスの中で起こっていること=チームのかなり内輪なこぼれ話。作者はチームのマイケル・バリー選手。

販売は4月10日。現在アマゾンなどで先行発注受付中。(但し発送は4/10以降。)出版社はヴェロプレス(VeloPress) 本の紹介はこちら

ちょっと内容を見てみると。。

「ヴィクトル(ペーニャ)は、アンダーウエアとサメの絵のタトゥーを覆うようにチームのスウェットを着はじめた。彼のニックネームはティブロン(サメ)らしい。自転車選手になる前、プールでかなりの腕前を披露したところからついたあだ名らしい。。。。」

そしてその後、夕食でランスに初めて会ったときのことなどが書かれている。「ハイ、マイケル。僕はランス。」と挨拶したとか。

(注:ペーニャは水泳の名手でいろいろな大会で優勝していた。ツールでもホテルにプールがあると泳ぐと聞いていたので、03ツールでペーニャとしゃべる機会があった際、2度ほど、「今夜は泳ぐの?」などと聞いたりした。)

■ 2005.02.24 (Thu)  Night News : ハビエル・オチョアの映画、本日21時公開予定(但しスペインで)
バレンシア工科大学で、本日21時、ハビエル・オチョアのTV映画(タイトルは「スペシャル・スプリント」)が特別上映される。バレンシアツアーに出場した選手たちも見に来る予定。その後TVではチャンネル カナル9で2/27 21:45から、そのあとTV3で放映となる。

元ケルメのハビエル・オチョアの実話をもとに俳優達が、それぞれオチョア兄弟や両親を演じた。ハビを演じたのはイスマル・マルティネス。今まで、「カルメン」、「4月と7月の間に(原題)」などに出演。

このTV映画は2001年2月15日、兄弟が交通事故に遭遇し、リカルドが死亡するところから始まる。その後ハビエルの60日以上の昏睡状態、奇跡の回復を経て、ハビの次の戦いは自転車に乗ることへと移っていく。

再び自転車に乗ってパラリンピックなどのレースに出場するまでの心の葛藤と肉体の鍛錬を描きつつ、戦いがハビエルひとりのものでなく、家族みんなの戦いであったことを描いている。

■ 2005.02.25 (Fri)  都内自転車観光スポット (?!) 第一弾
先日のCSCの日本オフィスの話題に関連して。<自転車通勤の行き帰りに都心を走っていて、「CSCのオフィス」的なスポット2つ知っていますので紹介します。。。>ということで下記情報頂きました。

1) ドイツテレコム 東京オフィス (http://www.telekom.co.jp/)
英国大使館裏、村上開新堂から坂を少し下ったところのビルにピンク色のテレコム旗がドンとぶら下がっています。テレコムファンは絶対に記念写真を撮りたくなるはず。

2) クレディアグリコル インドスエズ銀行 (千代田区神田神保町3丁目29-1帝国書院ビル)
毎日新聞社のある竹橋交差点から水道橋方面に向かい、共立女子大学の校舎が点在する交差点の左前方、ビルの1階にCAマークの看板あり。(以前合併してCAインドスエズ銀行となっている。モローのファンは口座を作りたいだろうな(でも個人向けの銀行ではないよう)。

■ 2005.02.25 (Fri)  UCIアジアツアーランキング発表。首位は2/10に予告したとおり
今日は25日。朝一番でUCIのHPをのぞいたが、まだ更新されておらず。今飲み会から帰ってさっそく見てみた。出ていました。

「2005.02.10 (Thu)  康司選手 リーダージャージ&記念品 公開 」のトクダネで「2月25日に公表される次回アジアン・チャンピオンは、グレーム・ブラウンになりそう。」とお伝えしたとおり、やはりグレーム・ブラウンが総合リーダーに。

2位はライアン・コックスで、2人ともランカウィで活躍して獲ったポイントがそのまま順位に反映した。同点4位はやはりランカウィの立役者康司選手とボンジョルノ、晋一選手は7位。UCIアジアツアーランキングへJUMP