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マス・シクリズモ (もっとCiclismo) copyright(c)2004-05 mas ciclismo


今月のNews:パリ〜ニース、ティレノ〜アドリアティコ、タイラー・ハミルトンなど
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■ 2005.03.01 (Tue)  いよいよプロツアー第一回戦のパリ〜ニースは次の日曜日! その2
jaksche.jpg 318×379 29K昨年の覇者ヤクシェは一体どっち派?

昨年パリ〜ニースの覇者ヤクシェは今年ディフェンディングチャンピオンとして燃えている。但しチームは違う。去年CSC、今年リバティー。

「僕がCSCに移籍したのはリースに惹かれてのこと。オンセではマノロともうまく行っていた。でも、やぱりスペインのチームだからスペイン選手とドイツ選手の間の選択になれば、スペイン選手が選ばれる。レースもスペインでのレース主体だし。

マノロからはいろいろ学び、彼は僕の競技人生にいろいろなものをもたらしてくれた。でも、ビャルヌは、選手の可能性を広げることができる監督だし、僕にとってそれは大事なことだと思う。」

ヤクシェは、ほんの半年前にこんな風に語っていた。しかし、今年、なんとサイス監督のいるリバティーに舞い戻ることになった。

リース監督を崇拝しているようだったので、彼のリバティーへの復帰は不思議だった。彼が問題視していた「スペイン中心のレース」が解決されたからか?とりあえずプロツアー制導入で、スペインチームといえども、まんべんなくレース出場が確約された。

しかし理由は違うところにあった。金銭問題だった。そういえば、一時CSCは存続困難の噂が蔓延した。サブスポンサーが見つからなかったからだ(日本の企業が支援するなんていう噂まで飛び交った。)

ヤクシェがサイス監督のもとに戻ったのは丁度その時だった。

ヤクシェ談話:「ズバリ問題はスポンサーの問題。リースと話し合ったんだ。僕一人がチームから離れれば、複数の選手を雇うことができる。だから、そういう形(リバティーに移籍すること)で監督を助けたいってね。」

つまりヤクシェは監督を救うために移籍したのか?真偽のほどはわからないが、どうやらサイス監督もリース監督も、彼は尊敬しているという感じだ。

ちなみに、タイラー・ハミルトンもCSCで走った時の経験をこう述べた。「リースからはリーダーとしてどう走るべきを学んだ」。

またCAからCSCに移籍したボビー・ジューリックも「98年ツールで総合3位になって以来、自信を亡くしていた。CSCにきて自信を回復し、僕は救われた。」

(ヤクシェのカメラ目線。写真は01ツール。アヌシーのステージ終了直後、ホテルに向かうところ。この時彼は新人賞のマイヨ・ブラン(白ジャージ)を着ていた。)

■ 2005.03.01 (Tue)  今年のシーズンオフは例年より平和だね
2000年以来CNに掲載されている話題を中心にニュースを入れ続けているが、今年のシーズンオフ(からシーズン始めにかけて)のCNの記事は何故かぱっとしたニュースが少ない、と思っていた。でも別にCNのニュース収集力が落ちたわけでなく、これはよく考えれば、いいことなのだ。

今まで、シーズンオフ〜シーズン始めの時期、事件が多すぎた。

去年の2月はパンターニ逝去のニュースで持ちきり。03年は年初にファッサのザネッテが亡くなった。3月にはコフィディスのキヴィレフの訃報。さらにコーストがチーム解散の危機で、チュレがすぐにフォナックに移籍し、続いてベルトランがUSPに移籍したりした。03年12月にはヒメネスの訃報もあった。

また、シーズンオフではないものの、03年6月にはBLBのサランソン、7月にはAG2Rのオス(選手たちは訃報をツールの最中に知らされた JUMP )が亡くなった。03年はお別れ選手が実に多かった。

02年はケルメの給与未払い騒動が発生。01年1月には婦女暴行事件を起こした選手の話題、2月にはリカルドとハビエル・オチョアが事故に遭遇し、連日その続報でもちきりだった。

こう考えると、今年のシーズンオフは例年に比べて、忌々しき事件が少ない。いつになくちょっぴり平和、という印象だ。

■ 2005.03.02 (Wed)  Morning News
ハミルトンに対する決定は来週末

月曜からデンバーのアンチドーピング機構で始まったハミルトンに対するヒアリングは3日間行われ、来週末には結論が出る見込みとなっている。

長くて2年間の出場停止(或いは 機構には、期間縮小という選択肢もある)だが、新規導入されたばかりの検査手法の不確実性が認められて疑惑が晴れれば、ただちに復帰できる。フォナックに復帰し、ツール出場というのが彼にとって最善のシナリオ。

ハミルトンの血液検査の結果は、五輪の時摂取されたサンプルAが陽性、Bは凍結保存されて検出不能。ヴエルタの時のサンプルAとBが陽性。しかし両者の検査では、新しい検査手法がとられたため、手法が確立されていないとしてハミルトン側は反論している。

一方、ヴエルタのあと10月の抜き打ち検査で陽性となったS・ペレス。2年間の出場停止処分とされているが、まだこれから調停所に調停依頼する可能性もある。

I・バッソが母に捧げる初優勝

日曜日にフランスで行われたクリテリウム、ロンド・ダクサン プロヴァンスで、フリーゴとモローを破ってI・バッソが優勝。

母親の訃報があった直後でも、こうして走らなくてはいけない。しかし、悲しみを乗り越えて、という感じ。母に捧げる優勝になった。

本日開幕ヴエルタ・ア・ムルシアはまた雪の様相?

今日スタートのヴエルタ・ア・ムルシア。バレンシアツアーで大雪に見舞われたスペイン、天候はまだ回復していない。土曜のステージの勝負どころコヤド・ベルメホも雪に覆われている。先日は道路封鎖もあった。レース開始まであとわずか。バレンシアでは低体温症状の選手がでたほど。天候が気になるところ。

6日開幕パリ〜ニース、フォナックはスター勢ぞろい!

フォナックのパリ〜ニースの布陣。豪華絢爛。ボテロがいれば、更に天下一品の知名度選手布陣という感じ。

Rハンター、Nジャラベール、Fランディス、Aモース、VHペーニャ、Mアンヘル・ペルディゲロ、Oペレイロ、Tヴァリャヴェチ

■ 2005.03.02 (Wed)  Evening News
CICLISTI (チクリスティ)3/4発売

3月4日、砂田弓弦カメラマンの「チクリスティ」が明日発売になります。表紙はびっくり、なんとあの人が、こんな姿で。。。!(お断り:3/3になって、発売日が急遽3/3から3/4に変更になった旨、連絡いただきました。)

今回、この雑誌の中央カラーページ66〜74頁のランスのインタビューの翻訳を行いましたので、よかったら見てみてください。アメリカンカルチャーがビシバシ出てくるので、日本人にはなじみのないものも多く、最後に脚注を入れています。

先日News Briefingに、「ランスがプロツアー入りしたオランダのTTTに出場するかもしれない」、という記事を書きました。その中で、ランスはTTTが大好き、と書いていますが、これはこの雑誌のP.71からの部分に登場します。いかにもプロトンのドンという感じ。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20050301

このインタビュー記事の中で、TTTの最中ランスがペーニャにゲキを飛ばした(いわゆる人参ぶらさげたゲキの飛ばし方)、、というくだりは、各選手のツボを抑えて、ランスがそれぞれの選手の個性を考え、それぞれに合ったゲキの飛ばし方をしている様が浮き彫りになる。

114ページ以降 去年のレースを写真入りでまとめたコーナーがある。去年どんな人がどんなレースで活躍したんだっけ、というのが一目でわかるので便利だし、なつかしい。

ところでこの雑誌の中で、トム・ボーネンが日本語が実にうまく書けているとびっくり(例によって、いろいろな選手がサインをカタカナでしているのです。)バッソのサインは豪快で、そういう性格の人なのか?ベッティーニのサインは彼らしい気がした。

124、132、140ページに、Lens Talk復活!といった風のギャラリー写真あり。
飛鳥新社 から2000円(税込み) / ISBN4-87031-668-4

プロツアー第二弾は3月9〜15日 : ティレノ〜アドリアティコ

プロツアー第二弾のティレノ〜アドリアティコのコース、やっと見つけました。下記サイトにルートがMap付きで出ています。文中一部2004年。。という箇所もありますが、これは、れっきとした2005年のルートです。

http://www.cycling4all.com/index.php?content=r05rtiad.php

新球団ソフトバンクホークスのファンクラブに加入すると。。。

新球団ソフトバンクホークスのファンクラブに加入するとイエローバンドがもれなく もらえると聞いう噂で、さっそくチェックしたところ、なんとイエローバンドはイエローバンドだけど、、、レボリューションイエローリストバンドなる、似て非なるもの!いわゆるパクリというやつでしょうか。。。
http://www.softbankhawks.co.jp/fun/

■ 2005.03.03 (Thu)  「居眠り病」のフランク・ブイエが 遂に調停所へ
居眠り病を患っているブイグテレコムのブイエ。ついにスポーツ調停所に対し、居眠り病の治療薬摂取を認定してもらうよう要請する。(Ref: 2/17付けNews Briefing:http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20050217

ブイエは昨年5月末からレースに出ていない。居眠り病にかかっていて、その治療薬を摂取している限り、レースに出させてもらえないのだ。

居眠り病は別名ナルコレプシーといい、1880年にフランスの神経科医ジェリノーにより発見された。フランスではジェリノー病とも呼ばれている。昼間でもずっと寝続けたり、突如眠ったりしていしまう病気だ。

News Briefingでお伝えしたとおり、ブイエは、この治療薬が禁止薬物に該当するという指摘を突如UCIから受けた。治療薬の成分の一部モンダフィニルがアンチ・ドーピング規定の薬物リストに入っているのだ。

彼はチームメンバーでいながら、治療薬を摂取する限り、レースに出られない状況になっている。でも、治療薬を飲まないと、自転車に乗っている最中に居眠りをしてしまう。

このたびスポーツ調停所に訴えることを決めたブイエ。嘆願書には、複数の医師から聴取した証拠などが入っている模様。フォナックのプロチーム入りを決定した調停所。判決が待たれる。

居眠り病(ナルコプシー)解説:
日本で発症率の正確な数値は得られていないが、恐らく0.16〜0.18%と推定されている。原因は不明だが、脳細胞の一部分の欠如とか、視床下部から分泌される神経伝達物質オレキシンが関与してている、といった説を聞く。

強い眠気が長く続いたり、不眠症になったり、日常生活に支障が生じることもあり、根気よく薬物療法を続けたり、心療内科へ通院するなどの対処が効果的と言われている。Wikipediaの解説へJUMP

■ 2005.03.03 (Thu)  Evening News
パオロ・サヴォルデッリやっと復帰

Tモバイル時代ケガの連続でツキがなかったサヴォルデッリ。ディスカバリーにきたら呪縛から解かれるかと思いきや1月のトーレーニング中に骨折。 (Ref: 2005.01.16 (Sun)  速報: サヴォルデッリ、ディスカバリーに入団早々鎖骨骨折 JUMP)

このほどやっとサヴォルデッリが復帰することに。日曜日のパリ〜ニースで元気な様子を見せる予定。ランスとサヴォルデッリ以外のディスカバリーの出場メンバーは:

アセベド、ベルトラン、ダニエルソン、エキモフ、ポポヴィッチ、ルビエラ。

パリ〜ニースの公式HPはこちら。ASOの主催なのでletour.comだ。 JUMP

クラシックレースのワイルドカード

ジロ同様、3/19のミラノ〜サンレモのワイルドカードも出ている。20のプロチームに加え、あと5チームが参戦:

アクア&サポーネ、チェラミケ・マナリア、ナトゥリノ、バーロワールド、チームLPR

4/3のフランドルツアーでは5つのワイルドカードのうち4枠が決定。チョコラーデジャック、ランドバウクレジット、Mr.ブックメーカー、AG2R。あと残り1枠はミラノ〜サンレモのあとに決定。

クーネゴ始動
ダミアーノ・クーネゴは現在ムルシアツアー参戦中。雪でコース変更にならなければコヤド・ベルメホの山岳で勇姿を見せてくれることだろう。

彼のレース予定は、このあとバスクツアー、GPプリマベーラ、ベルギーでのクラシック、ジロ、ツールなど。冬の間は6000キロを走りこみ、体重は昨年よりマイナス3kgの60kgだ。

リストバンドの衝撃

昨日お伝えした新球団ソフトバンクホークスのリストバンドのニュースには、結構ショックを受けているという声を続々頂きました。発案した人は、単にファッションとしてアメリカなどで流行っているという認識しかなかったかもしれませんね。

ちなみに、これに関連して、下記はシアトル発のニュースです。
「先日こちらでのBIKE EXPOというイベントに行ってきました。BIKE EXPOとは各メーカーやイベント案内のブース、ジャージなどの販売などラスベガスのサイクルショーを1/50にしたようなものです。

そこで見ましたいろいろなリストバンド。もう、赤青緑ピンク白・・・もうなんでもありでした。ほとんどがドネーション目的なんですが、何のための基金なのかは聞きませんでした。二番煎じが好きなのは万国共通のようです。」

2/17のトクダネ「氾濫するリヴストロング・バンドもどき」でもいくつか紹介しましたが、海外では結構募金活動にあのバンドの形を利用しているようですが(色はいろいろで)、日本では、ファッションとして使用されているようで、やはりあれの本当の意味(癌基金募金用)が日本では広くは伝わっていない印象。

■ 2005.03.04 (Fri)  ツールは2012夏季五輪のパリ招致を支援する。結果はツール第5ステージの日にわかる。
実は1997年のこと。ツールドフランスを観戦に行き 沿道で応援していたら、白い旗を持たされた。そこには「2004年夏季五輪がリールの町で開催されることを支援します!」と書かれていた。

そう、北部の工業地Lilleリールは、去年の夏季五輪開催地候補だったのだ。アテネに破れ、フランス国民はがっかりしたが。

こうして ツールは時々五輪の開催地候補を支援する、という表明を過去のレース中に行っている。沿道でそうした旗を持った人がレースを応援し、それが海外のTVを通じて放送される、これが一種のアピールになる。TV画面に旗が見えなくとも、そうした応援をしている、という事実だけでも十分なのだ。

そして、今年もAMOとして、同様のアピールをすることをAMOのJMルブランが表明した。

2012年パリが夏季五輪の候補地に立候補している。ツールとして、パリが選ばれることを支援する、とアナウンスしたのだ。
そこでとりあえず、次の日曜のパリ〜ニース(AMOが主催)では、五輪招致支援の旗やのぼりがコース上に立つことになった。

2012五輪の開催地は、7月6日にシンガポールで開かれる第117回IOC総会で決定する。7月6日といえばツール第5ステージの日だ。

目下開催地候補はロンドン、マドリード、モスクワ、パリ。ハバナ、ライプチヒ(ドイツ)は既に消えた。

ASOが主催するレースは、ほかにクリテリウムインターナショナル(3/26,27)、パリ〜ルーベ(4/10)、フレッシュ・ワロン(4/20)、L〜B〜L(4/24)、ツール・ド・ピカルディー(5/13-15)、ツール・ドラヴニール(9/1-10)など。

■ 2005.03.04 (Fri)  グレッグ・レモン来日 + ランスと小林幸子の共通点?!
去年のツール、ランスに暗殺予告

news briefingに詳細は書きましたが、この内容の一部は 最新号「チクリスティ」のランスのインタビューでも触れられています。

ツールド草津にグレッグ・レモンがやってくる(予定)!

今朝 情報を頂き、さっそく草津温泉のHPへ直行。ありました!

4/17のツールド草津にグレッグ・レモンがやってくる(予定)。「男子Cクラス」に参加予定で、表彰式のプレゼンターもつとめるそうだ。

HPに書かれた「(グレッグ・レモンが)不幸にも引退してから10年余り。。」の部分もほほえましい。来日予定中止の場合の免責も書かれています。
サイトはこちら:http://www.kusatsu-onsen.ne.jp/txt/index_event9.html

草津温泉は、先日も荻原兄弟がノルディックスキーフェスティバルをプロデュース。さらにザスパ草津はJ2参入。(1:元ベルマーレのGK小島、白髪で頑張る姿かっこいい、2:ザ・スパ=温泉ってネーミングいいよね。)こう考えると、草津温泉、町おこしイケイケですね

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リヴストロングバイクは紅白の小林幸子の衣装と一緒

CNにリヴストロングのバイクの記事。去年シャンゼリゼで彼が乗った黄金のリヴストロングバイク(フレームはMadone SL)が600台作製されたそうだ。

値段は100万円近く。($9,499.99 =500ドルのLA基金への寄付金を含む)。連番が入っており、1つ1つにランスのサイン入り。JUMP

トレックでは、ここ3年、ランスがパリで乗るバイクを特別デザインするチームを作っている。責任者のC・ベイリーいわく、毎年違う特別仕様でデザインしており、ランスの人気上昇につれ、この最終日バイクも注目度を増しているそうだ。

1日のためだけに、周囲のスタッフが全力でデザインする、小林幸子の紅白の衣装みたいだ(新潟の震災のせいもあって、昨年はその小林幸子も特別Projectはやらなかったけど。)

■ 2005.03.05 (Sat)  ■ 西フランドル3日間のレースは大雪。74km走ってキャンセル
金曜日から3日間で行われる予定だった西フランドル3日間のレース。午後から大雪になり、74km地点でキャンセルとなった。

気温は走っている最中0度。雪のため、中止になったあとホテルに戻るのも大変だった。天候は回復する気配もなし。土・日曜のレースが開催されるかどうか、まだわからない。(3/6 : 結局全レースキャンセルとなりました。)

■ 2005.03.05 (Sat)  山奥に住んでいて道が寸断。レース出場できなくなったブルセギンに贈るエール
buruse.jpg 357×404 36K中野さんのHP(JUMP)に書かれていたマルツィオ・ブルセギンの話題(「山間部―カッぺーラ マッジョーレに住むブルセギンは雪の為道が寸断されミラノまで移動できず明日は不出走・。。」)に関して少々補足。

ブルセギンは、都会より自然が大好き。イタリア人選手の中でもとりわけ山奥に住んでいる。家の庭にはラバをたくさん飼っていて、将来は農場経営をしたいと思っている。

ファッサボルトロの個性的な選手たちの中にあって、いつも穏やか。彼が かっとなって怒るのをメカニックの永井さんは、見たことがないという。とてもハートフルな選手なのだ。

去年のツールでも、ファッサと同宿だった際、他の選手に比べて物静かなのが印象的だった。余りあれやこれや口で言わなさそう。言われたことを淡々と受け止めていく感じ。

天才肌だけどほんのちょっぴり反逆児の片鱗を垣間見せるポッツァートや、”何を考えているかよくわからない”(本人が自分のことをこう言っていた)アイトール・ゴンサレスとは明らかに趣を異にしている。

思わず声をかけた。「髪型変えた?」("You changed your hairstyle, right?”)と話しかけたら、笑って頷いた。だってバネスト時代はスキンヘッドだったのだから。

そばにいた中野さんが、「ファッサに移籍して、心機一転髪型を変えたみたい。」と教えてくれた。「私、今のその髪型の方が好きだな」と言ったら満面の微笑みを浮かべた。

その後、永井さんのショップ「POSITIVO」に行ったら、ファッサの選手全員のポストカードが飾られていた。各々のポストカードには各選手がサインとコメントを永井さん宛てに寄せている。

その中にブルセギンのものを見つけた。「あ、ブルセギン。この人いいですよね」と言ったら、永井さんが、上記のラバの話と 人柄の話を教えてくれた。ブルセギンの永井さん宛て一言コメントは、とりわけ暖かい感じがした(内容忘れてしまったけど。)

今回山間部に住んでいて悪天候で道路が寸断、という話を聞いて、山奥にラバと住んでいるという物静かな彼のことを思い出した。次回もしもまた会う機会があったら、なぜ馬やロバじゃなくてラバなのか、聞いてみたいな。

(写真は去年のツール休養日。「私、今のその髪型の方が好きだな」と言った直後にツーショットを撮らせてもらった。このスマイル。)

■ 2005.03.06 (Sun)  ムルシアツアーはパンターニの魂を乗せて
昨日のムルシアツアーは、一番の見所ベルメホの山頂ゴール。ここは、去年パンターニが亡くなった直後に「シマ・パンターニ」(シマ=イタリア語のチーマCimaと同様で山頂の意味)と名づけられた。経緯は下記:

<昨年の経緯:> 2004年、ブエルタ・ア・ムルシアの最大のハイライトである山頂ゴールのエル・コヤド・ベルメホは、過去この山岳で大活躍したイタリア人故マルコ・パンターニを称えるため、名前を変えることになった。

パンターニはベルメホの山頂ゴールで98年と99年優勝。99年には総合優勝も果たした。

ムルシアツアー実行委員のカルメン・グスマンは、04レースのコース紹介の際にベルメホの山岳を「シマ・パンターニ」と名づけることを決定し、更にこう述べた。

“今年から、もうパンターニはいません。残念でなりません。実はパンターニは昨年03年、このレースに非常に出場したがっていました。そこで、我々は、最後の最後まで、彼の名前を出場リストに載せていました

しかしUCIは、彼の出場停止処分期間軽減措置はせず、彼はレース出場を果たせませんでした。マルコがかつてこの山で大活躍したことをどうか心にとどめて欲しいと思います。そして、彼はムルシアツアーでは決して薬物検査で陽性になったことはない、ということも、どうか覚えておいてください。“<昨年の経緯引用おしまい>

さて、今年のムルシアツアーは、いよいよこのパンターニの山頂ゴール。プロチームの選手が大勢今日のパリ〜ニースに行くため、クーネゴはムルシアの第4ステージ、勝機十分。そして結果は、 (JUMP)


■ 2005.03.06 (Sun)  M・ビュストが「ウルリッヒは過去から学んでいない」という苦言
ウルリッヒは、近著の中で「僕は過去の失敗から学んだ」と書いていたが、例のM・ビュストは自分のサイトの中でこんなことを書いている。

「毎年同じ紋切り型の話が繰り返される。ヤン・ウルリッヒが病気のためにレースを1ヶ月遅らせるというあの話。ランスはツール7連覇を目指すと宣言したものの、我々の挑戦者ウルリッヒは再びアップダウンの繰り返し。

まずは体重オーバー。次に病気。ほかの自転車ファンはどう考えているかわからないけど、僕は、もうこの話は聞きたくないな。

もし僕がウルリッヒの監督だったらどんなアドバイスをするか?という質問を受けたことがある。僕はこう答えた。そういう散発的にしかプロとして走れない選手は僕のチームには欲しくないね、と。

彼はもっとプロとしての姿勢を身につけなきゃだめだ。冬季のライフスタイルも変えないと。

クオ・ヴァディス(Quo Vadis, Domini =主よ、いずこへ行き給ふか)とウルリッヒに尋ねたい。僕には、彼が過去の経験から学んでいないように思えるのだ。」

ビュストの場合、口にきぬをきせないのが彼流。彼はドイツ選手の中でも異端児的な道を歩んだ人だ。上記の発言もかなり辛口。

でも、毎年ウルリッヒの復活を切実に祈ってはツールで優勝が遠のき、毎年同じ体重増加と風邪のニュース。その間にランスは6連覇。ヤンに心から頑張って欲しい、なのに歯がゆい、そういう気持ちがにじみ出ている発言だろう。

最近、Tモバイルのトップが「ウルリッヒに対しチームとしてはコントロールをきかせることはできず、やりたいように自主トレさせるしかないんだ」、と発言している。CSCのリース監督だったら、こんな状況は打開できるだろうに、そんな話がちょこちょこ聞かれる。

■ 2005.03.07 (Mon)  オランダ便り
シマノ・メモリーコープの選手たち。ヨーロッパで本場のレースHet Volkなどに出場しながら徐々にペースをつかんでいる模様。先日は狩野選手、阿部選手がサイトでヘット・フォルクのレースレポートを書いていた。JUMP

阿部選手が、「本場との差は詰まりつつあるのではないかと感じた」と書いているが、これは走っている日本選手だけが感じいていることではない。現地オランダの関係者から直接聞いた話によると、彼らの周囲の人たちも、身をもって、それをひしひしと感じているという。

日本人選手らがオランダに到着した時は、チームのオランダ選手らののレベルの方が高く、結構苦労したようだった。しかし、今やヨーロッパの自転車レース環境にも慣れ、レベルは急激に上がってきているという。

既に狩野選手などは、ほかのヨーロッパ選手とほぼ同じ水準で走れているという感触を 周囲は受けている。本場のレースで揉まれつつ、確実に進化している日本人選手たち。いい方向に向いている手ごたえを掴んでいるのは選手のみならず、周囲のオランダ人選手・スタッフ達も同様。これからが楽しみだ。

(パリ〜ニースはレースNEWSにて)

■ 2005.03.07 (Mon)  自転車界のエフゲニー・プルシェンコ
cance.jpg 459×353 24Kパリ〜ニースで、現在新人賞トップのファッサのカンチェッラーラ。初めてカンチェッラーラのことを知ったのは、2000年のこと。2000年世界選手権U-23のITTで銅メダルだった。

左は2000年12月号のCycle Sport誌のグラビアをデジカメで撮ったもの。初めてこの写真を見た時、カンチェッラーラ(写真左)って、ロシアのフィギアスケーター、エフゲニー・プルシェンコに似ている、と思った。(髪型はちょっと違うけど。)

2000年というと、プルシェンコが丁度NHK杯で活躍している時期だったせいもある。プルシェンコはこの人。(TOP Pageはこちら。プルシェンコファンサイトへJUMP

2000年の世界選U-23は、ペトロフ、ロジャース、カンチェッラーラが表彰台だった。もっとも今のカンチェッラーラは雰囲気が変わって、もはやプルシェンコではない。

■ 2005.03.08 (Tue)  ジロ・ディ・ルッカでシポッリーニがペタッキを破ったぞ
3/7に行われたジロ・ディ・ルッカ。この日のスプリントをチポッリーニが制した。1位チポッリーニ、2位TDUで活躍していたPグリッロ(チェレミカ)、ペタッキの順。

チポッリーニは今回の勝因をこう語る:
「リクイガスに移籍し、平常心で走れるようになったおかげだ。僕にプレッシャーをかけることなく走らせてくれる。肉体的・技術的条件も整えた上で。」

リクイガスにはガルゼッリ、ディルーカ、チオーニ、バックステットら強豪がおり、ここはチッポリーニだけのためのチームではない。それが1人の肩にかかるプレッシャーをはねのけさせ、いい結果を生んでいるようだ。

この日、戦術的にはバックステットがチポッリーニをリードアウトマンになるはずだった。しかしパンクに見舞われる。そこで急きょ予定変更。ファッサをマークして競りあがることに。

ラスト1km、ペタッキをマーク。ヴェーロとペタッキがラスト500mのコーナーへ差し掛かった時、早めにしかけたチポッリーニ。ペタッキとはバイク2つ分の差をつけてゴールした。写真。


■ 2005.03.08 (Tue)  クーネゴとの対談でシモーニのことは聞いちゃダメ、緘口令(かんこうれい)?
cunego.jpg 371×346 20K3/9 朝追加記事:昨夜の下記の記事に関係して、<シモーニとクーネゴはうまくやってます>写真、こんなのも! (2人仲良くジャグジーに入る図)
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クーネゴのインタビューを見ていると、インタビューアーが苦労する場面をよく見かける。

チクリスティでも、インタビュー前に砂田さんは「シモーニのことで火をつけることだけはやめてくれ」と釘を刺されたり。
でも本人より、周囲の方がピリピリしているのかもしれない。例えば下記のインタビュー:

― UCIランキングが03年227位から去年一気にトップに。人生変わった?

クーネゴ 「全てが違うよ。でもそれを楽しんでいる。前よりプレッシャーが多いけど、それは仕事の一部。ただトレーニングに必死で打ち込む姿勢は変わらない。こういうスポーツでトップになりたかったら、早く寝て必死でトレーニングする、これが全ての基本だね。」

― ITTのトレーニングはうまくいってる?
クーネゴ 「TT用バイクを試しているところ。ポジションの改善をしたいんだ。前のポジションは悪すぎた。」

― ジロ以外のレースは?
クーネゴ :「フレッシュワロン、LBLには出たいね。オランダのアムステルゴールドもいいレースだけど、どっちかというとベルギーのクラシックに出て勝ちたいね。」

― 僕が君にシモーニのことで質問してないことにほっとしてる?
クーネゴ 「聞くつもり?」

― いやいや聞かないから安心して。
クーネゴ 「いや、別に構わないよ。シモーニと僕はうまくやってる。ほかの選手やチームにとっては、これって忌々しきことだろうけどね。」www.cyclingpost より

(写真:まだジロで優勝する前の03ジャパンカップ。イタリアのヴェローナ宛てにポストカードを12枚書いていた。ほとんどが簡単な1行コメント。でも彼女宛のだけは、隠すようにして書き、なんかいろいろ書いてあった。)

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もっともランプレのHPでは、それをなんとか払拭しようとシモーニとクーネゴが並んで走る姿。JUMP ただ、ここまで必死で2人の仲をアピールしようとするところに、チームの苦慮ぶりが逆に浮き彫りになるような。

■ 2005.03.09 (Wed)  ニコラ・ロッシュ
先日の ニコラ・ロッシュのニュースの続報(詳細版)です。

87年ツール優勝経験者でアイルランド人のステファン・ロッシュ。息子ニコラは今年コフィディス入りし、プロ1年目。昨年はアイルランド選手権ロードで3位だった。

ステファンの妻リディアはフランス人。そのためニコラはアイルランドとフランスの二重国籍だった。しかし昨年秋、フランス当局から二重国籍はこれ以上無理だと言われた。アイルランドでは許されるが、フランスでは20歳の時にどちらかを選択しなくてはいけない。

なによりも困ったのは、二重国籍だと、レース出場は一切できなくなる、と言われたこと。泣く泣くアイルランド国籍をギブアップした。

彼はフランスで生まれ 両親同様フランスに住み、今後フランスで暮らすことを決めている。フランスのパスポートがなくては不便。

「アイルランドのパスポートを諦めるのは悲しい。でもそれしか選択がなかった。もし、アイルランド人選手でフランスで走っている状況であれば、いつでもアイルランドに帰ることもできる。でも僕は家族もこの地に永住を決めていて、自転車選手として自立できなかったらフランスで働くことになっている。フランス国籍がないと、この地で仕事を得るのは大変だ。」

ニコラをコーチしてきたアイルランド人のコーチ、キャンベル氏も、優秀なアイルランド人選手を失うのは残念、と語った。ニコラも相当悩んだようだが。

以前マックス・シャンドリがイタリア人でありながら生まれたイギリス国籍で走っていた。イタリア人だと国別対抗の世界選手権出場が難しく、英国の方が出場しやすいからだ。記憶の新しいところではレベッリンがわざわざアイルランド国籍を取ろうとしたことも。

しかしニコラの場合は逆。アイルランド代表なら出やすい世界選手権や五輪も、フランスとなると激戦区となる。誰しもがあこがれる五輪出場、フランス国籍になったら出場はかなり困難。少なくとも奇跡が起きなければ 4年後の五輪出場は無理だろう、と思っている。

「国籍はフランスになっても、心の中では自分はアイルランド人だと思っている。教育的も思考的にも自分はアイルランドに近いと思っている。紙の上ではフランス人でも、バイクの上ではアイルランド人で居続ける。もう緑のジャージ(アイルランドナショナルチームのジャージ)を着ることはないけれど。」

(上記はアイルランドのサイクリングサイトから http://www.irishcycling.com/2004/news/art_911.shtml

■ 2005.03.10 (Thu)  ランス・アームストロングはパリ〜ニース アウト
現在総合62位のランスは、本日の第4ステージ出走しないことを表明した。時差ぼけによる疲れ、寒さ、雪混じりの悪天候など重なって体調を崩した。第3ステージの朝、喉の痛みを訴え、レースの最中悪化。ホテルに帰って発熱の兆候が出た。

スペインのジローナに戻りトレーニングを再開する。シーズン最初にこうした調整不足が露呈したことで、ランス側は、今後のプログラムの見直しなど早期対応を行う。

■ 2005.03.10 (Thu)  スプリンターを知ろう
90年前半に初めてトレインを始めたのはチポッリーニ。牽引役はなんとムセウだった。

チポッリーニの右腕として長い間ゴールスプリントのリードアウトマンを務めたマリオ・シレーア。彼によると、ゴールスプリントのトレイン形成は92〜93年のことだという。

「トレイン形成が始まったのは、92〜93年のこと。チポッリーニは当時GB-MGで走っていたんだ。93年には当時同じくGB-MGに所属していたムセウらもトレインに加わっていた。自分が勝てそうもないときに、チポッリーニのアシストをしたのさ。」

チポッリーニがメルカトーネに移籍してから、イタリアではすっかりトレイン定着。しかしまだトレインの人数は2,3人だった。

当初は引く距離も今よりずっと長く、km単位で引いたが、今は高速化しているせいもあり、せいぜい5〜600mだという。

トレイン誕生以前は、ひとりでゴール2km手前からスプリントを仕掛けようとする無謀な選手が数人いたという。


ペタッキはトレインがなくても強い訳

去年ペタッキのチームメートだったグイード・トレンティの証言:

「アレッサンドロ・ペタッキは、ファッサのトレインがチポッリーニのトレインに人数で負けていても、勝つ術を覚えた。なにしろチポッリーニトレインは5〜6人もの数を送り込むからね。数ではいつも不利さ。そのうちアレッサンドロは、チポッリーニの後に上手くつく技を覚えたんだ。

僕がチッポリーニのトレイン役だった時は、チポッリーニを300m手前まで引く役だった。でも、アレッサンドロのアシストで僕の役目は、アレッサンドロを上手くチポッリーニの後に回りこませることだった。これはちょっと屈辱的な役目ともいえるけど。」


チポッリーニ vs ペタッキ大比較

チポッリーニとペタッキ両方のアシスト経験者 グイード・トレンティの証言:

「2人は正反対だね。マリオはカリスマ性があって、チーム全体に影響力を与える。信頼する選手がいると、自分から指導もする。周囲の選手を自分に引きつける力はすごいし、注文も徹底している。

ペタッキは、マリオと違って声を荒げることは決してない。でもそれが、彼の強味でもあり弱点でもある。よくいえば 許容力のかたまり。いつでもOKサインを出すんだ。マリオとは逆で、ほかの選手を近づけるというより距離を置く感じだね。」

--------*-----
注) ご注意!プロチームには、現在グイード・トレンティンと、グイード・トレンティの2人がいます

前者は2001年からコフィディスに在籍しているイタリア人。

後者は母親がボストン出身で米国籍だけど 実は英語を話さない 実質的イタリア人。カンティーナロットに在籍し、02年にアクア、03、04年にファッサ、今年クイックにいる選手。

上のニュースで述べているのはグイード・トレンティの方、つまり後者の方です。

■ 2005.03.11 (Fri)  ブラッドリー・マギーのところにきた500通のEmail。「貴方と一緒に住みたい!」
grp0311080038.jpg 404×411 35K覚えているだろうか?世界アンチドーピング協会のパウンド氏が、去年、<選手はみなドーピングをしている>、といったような発言をして、頭にきたマギー。自分のサイトで怒りをぶちまけ、 それをこちらのHPで訳した。

(Ref. ( 3.5.2004 )トクダネ:マギー「僕がチームとの契約交渉で高い契約金を要求できる理由は、<生涯絶対にドーピングスキャンダルには巻き込まれない>とチームに確約できるからなんだ。」 )

その怒りのメッセージの中で、マギーはこう言っていた。「僕の家に来て、一緒に住み込んでみればいい。」そうすれば、自分がいかに潔白かわかるだろう。。。

ところがこれを書いたところ、彼のところには、<それだったら是非一緒に住みたい>、と世界中からメッセージがきたそうだ。その数なんと500通!

「自分の書くことには、気をつけたほうがいいよ」、というアドバイスまでもらったそうだ。(Be careful what you write!)

マギー:「500人もの人から折角オファーもらったんだけど、ごめん。僕は君たちを裏切らざるを得ない。自分であんなこと書いて、こんなこと言うのはなんだけど、一緒に住むのは勘弁して!」

■ 2005.03.11 (Fri)  Evening News
suga.jpg 284×276 19Kハミルトンはまだ結論出ず

先日お伝えしたとおり(Ref:3/1 News Briefing)、ハミルトンのヒアリングは3/1に開始した。

当初の報道では、今週末には結論が出る、という報道だった。しかし、果たして本当に今週末に出るかわからなかったので、その辺には触れなかった。案の定いまだに結論は出ていない。

今日たまたまProcycling'04年6月号のハミルトンインタビュー記事を通勤列車の中で読んでいた。タグボートが亡くなる前のもので、タイラーはいかにタグボートに愛情を注いでいるかなど、盛んにしゃべっていた。

タグボートはもともとタイラーの愛犬で、9年間飼っていた。奥さんのヘイヴンとは結婚して5年。タグボートとは長いつきあいだった。

菅洋介選手アリカンテ・ツアー出場中!

todociclismoにアリカンテ・ツアーの総合成績表が載っていたので、菅選手の名前を探してみた。二転三転あったけど、チームのビベロス・アルカナルは、どうにかアリカンテ・ツアー出場を果たしたはずだ。

ありました。第2ステージ終わって、現在総合81位。SUGA, Yusuke JPN VIVEROS ALCANAR JUMP

彼のHPのBlog(こちらのHPのリンク頁から菅選手のHPへリンクしています。)に、そういえばラバネロの米山一輝選手と菅選手のツーショット写真が出ていた。米山選手、力をつけている、と脱帽していた様子だった。

(去年のJCで知らない人から声をかけられた。菅選手だった。メールでは何度かやり取りしていた。メールでバルベルデの大食いの話などのネタをくれたりしたのだ。左の写真で彼が着ているのがチームジャージ。これで今彼はアリカンテを疾走中。)

■ 2005.03.12 (Sat)  シルヴァン・シャヴァネル:’01パリ〜ニースで落車。意識が回復して、トレーニング中だったと勘違いした話
shavanel.jpg 469×441 31KCNにシルヴァン・シャヴァネルのインタビューが出ていた。プロトンに友人はいる?との問いに:

「いない。競争は競争。普通の生活では自分はとっつきやすい人間でも、バイクに乗ると 人と話す気もしない。自分は人から見るとむかつく奴に変身する」などと言っていた。

ちなみに、このインタビューの冒頭で、初出場のパリ〜ニースでひどい落車をした話がちょっぴり出てくる。実はこの話、01年のVelo7月号に詳しく出ていた。

‘01パリ〜ニースで落車して、意識を失って病院に運ばれたが、彼は無理やり病院を出た。インタビューアーが、「あの後、病院から脱走したんだって?」と質問したところ:

<<「病院は嫌いなんだよ!でもあれは脱走じゃない。ちょっと病院のスタッフを騙しただけさ。20分間意識を失ったけど、もう僕は全然平気だよ、って嘘ついたんだ。

あれは3日目のサンテティエンヌのステージだった。ヴィノクロフが勝ったんだけど、その前に逃げグループが形成されて、僕もそこにいた。

その時だった、落車したのは。地面にしたたか頭を打つつけて、小石がヘルメットと頭の中にはいって、挟まれた。

意識が戻った時、僕はトレーニング中に落車したんだ、瞬間的に思った。いや、自分に言い聞かせようとしていた。
でも、周囲の人が僕に言ったんだ。「違うよ シルヴァン。君はパリ〜ニースを走っている最中だったんだよ。」突然僕は大泣きした。>>

(写真は02年ツール最終日から2日目のTTを終えたシャヴァネル。日焼けで腕がチョコレートとホワイトチョコレート状態になっている − 半袖シャツではありません。彼はランニングシャツ姿です。)

■ 2005.03.13 (Sun)  ブイグテレコム、パワーアップ
buigues.jpg 481×418 34K去年ジャパンカップで来日していたクリスティアン・ギベルトー。彼はブーランジェールの助監督で、現ブイグテレコムでも助監督を引き続きやっている人。

去年ブイグテレコム結成の際に、ブイグは iモードサービスを提供している会社であることをお知らせしたが、(2004年8月13日付けトクダネ)、ギベルトーにジャパンカップで会った際にこんなことを聞いてみた。

「新チームのスポンサー、ブイグテレコムって日本のiモードと提携してるんですよね?iモードのロゴがチームのウエアなんかに登場する可能性はあるんですか?」

ギベルトー:「今現在決まっているジャージの案にはロゴはついてはいないんだ。でも実は現在 iモードのロゴをジャージに入れることも検討中。

まだ今はハッキリしたことは言えないけど、もしかしたらそのうちロゴ入りのバージョンが登場するかもしれないよ。」

というわけで、個人的にiモードのロゴがジャージに登場するかどうか、注目していたが、先日News Briefingで紹介したフランスTVのビデオなどで、しっかりロゴを確認。胸のところに黄色く大きいロゴが目立っている。

更にチームバスにもでかでかとペイントされているiモードのロゴ。

ブイグテレコムのHPには、「iモードでチームのHPにアクセスしよう」、と大きな宣伝が掲載されている。(ブイグのジャージをまだはっきり確認していない方はこちらで確認できます。)

流石にテレコミュニケーションの会社だけあって、パリ〜ニース、ティレノ〜アドリアティコなどの生中継(文字表記)もやっており、今までよりもHPはかなり充実。サイトはこちら。JUMP

チームはトマ・ヴォクレー、ジェローム・ピノーを中心に、今年楽しみだ。

(写真:クリスティアン・ギベルトー。場所は宇都宮のパルコ1F。)

■ 2005.03.14 (Mon)  ハミルトン:自分の口から語りたい。ヒアリングの様子。
hamilton3.jpg 242×291 21Kタイラー・ハミルトンのJournalが更新された。相変わらず生真面目・丁寧な内容。以下要点:

「例のヒアリングが終わった。1日程度で済むのが通例だが、自分の場合、2月27日〜3月2日までの長丁場だった。場所はデンバーの繁華街にある法律事務所。早朝から夜5時か6時までだった。

(mc注:現在 彼の審理が行われているのはUCIのスポーツ調停所ではなく、北米アンチドーピング調停なので、ヒアリングはスイスでなく北米で行われている。)

調停審議と調停者への配慮から、内容については差し控えたいと思う。でも、一連の審議を通した所感について、みんなに話したいと思う。

僕の妻は毎日同行してくれた。それがどんなに力になったことか。両親もマサチューセッツから駆けつけてくれた。

今回のケースは複雑で、通常と違い、ヒアリングが終わっても審議は終結していない。待つのは辛いが、それだけ慎重に審議してくれているとういのは有難い。

9時間もオフィスに閉じ込められたことは未経験だったので、働く戦士への尊敬の念を新たにした。1日の終わりには僕は青ざめて、むくんでいた。

妻が僕に、「運動した方がいいわよ」と言ったが、こういうことを言われるのは初めてのことだった。運動不足で僕のからだはショック状態だったようだ。

ことが終わって開放感に浸ったものの、不思議なことにそれまでヒアリングの際にサポートしてくれた人たちが、それぞれの場所に戻っていくのに、不覚にも悲しさを覚えた。

今回のできごとを通して気付いたことは、アスリートがこういう状況に置かれると、頼れる人はほとんどいないのだ、ということ。全てが新しい経験だった。

サンティ・ペレスの方は審議が早まって2月にクロという結論になった。それは、僕のヒアリングが始まった日だった。彼はスポーツ調停所に提訴するつもりらしい。

僕の申し立てに関するニュースは、逐次報告するつもり。全てが決着ついた段階で、もっと詳細を書く予定だよ。読んでくれてありがとう。」http://www.tylerhamilton.com/

(写真は03年。鎖骨骨折後の第12ステージのITT。ウルリッヒ、アームストロング、ヴィノクロフ、スベルディアについで5位に入った。)

■ 2005.03.14 (Mon)  Evening News
knaven.jpg 268×370 23Kミラノ〜サンレモちょっぴり波乱:3/19のミラノ〜サンレモに関するニュース。

ダミアーノ・クーネゴ:レース出場取り止め。まだ、この手のレースに出場するには準備不足と。

マイケル・ボーヘルト:出場しない予定だったボーヘルトが、出場を希望している。なんと、フレイレのアシストを買って出ている、という噂!

ピーテル・ヴァンピーテヘム:ティレノ第1ステージの時、ミラノ〜サンレモ出場中止を決定。理由は「まだ本調子じゃないし、どうせスプリンターズレースになるのが見えてるから。」

ベロキの完走できない日々
ティレノ・アドリアティコ第4ステージDNS(Did Not Start)だったヨセバ・ベロキ。理由は風邪らしい。ツール・ド・カンカウィだけはなんとか総合77位でフィニッシュしたものの、それ以外ほとんど完走できていない。

‘03年ツールで落車する前と後で、成績が明暗くっきり。チームにはロベルト・エラスもいる。ベロキがエースとして華々しく走る姿を思い描くのは難しい。

スマイリー、クナーヴン
笑顔を絶やさないセルヴァイス・クナーヴンが第5ステージ優勝。いつか、チームバスの中で見かけたとき、小さい赤ん坊を連れていた。彼の下の子供Senneだった。

彼のサイトを見てみたら、奥さんのナターシャも元自転車選手らしい。
http://www.servaisknaven.nl/index.htm

写真は02ツール。最後のTTのあと。シャンゼリゼを翌日に控え、ゴールはもうすぐ、、と またまた笑顔がこぼれる。

ジロはプロツアーが嫌い、、らしい
ジロの責任者が、「UCIプロツアーはライセンス取得のハードルが高く、率直に言ってプロツアーなんていらない。プロツアーの将来はないだろう」と発言。船出早々不満噴出。

■ 2005.03.15 (Tue)  ■ 栗村監督が在籍したムロズはお肉屋さんだった、、という話
mroz.jpg 448×363 31K今朝のNews Briefingに関連して。ランプレにお肉屋さんのサブスポンサーがついた話をしましたが、メインスポンサーの肉屋というのは、こちら:

ムロズは95年設立、96年UCI登録、98年には現ミヤタ・スバル栗村監督が在籍していたポーランドのチーム。

2003からAction-nVidia-Mrozとなり、04年アクションATIに。現在インテル・アクションとなりプロコン(プロコンチネンタル)チームに登録されている。

こうしてムロズの名前はチームから消えたが、ポーランドの自転車界を引っ張ってきたムロズの情熱はそのまま引き継がれている。

ムロズというのは、食肉処理からスーパーへの卸までを一手に引き受けている会社。会社オーナーのムロズ氏は自転車レースに情熱を傾けていた。

彼のことを、マペイのかつてのオーナー、スクインズィ氏に例える人もいる。2人とも、自転車への情熱から自転車チームを作り、なんとかトップチームにしたいと願った。

ライモンダス・ルムシャスもかつてこのチームに在籍していた。ビッグになると、選手らは西欧のチームに巣立っていった。でも、カスマラ監督は、「それは仕方ないこと。一生懸命育てて、あとは彼らの幸運を祈るだけ。」

しかし今年、古巣インテル・アクションにはドモ、クイックステップで走ったピョートル・ワデツキやUSP、バネスト経験者のトマス・ブロンジナ、スバル、モトローラ、ケルメ経験者のベテランC・ザマナといった優良選手が次々戻ってきた。

今年からプロツアーになったポーランド・ツアーには、インテル・アクションが招待チームとして参加するだろう。地元のレースで、こうした地元の選手中心に構成されたチームが頑張る姿を 人々は熱く応援するに違いない。

ところで、ムロズはお肉屋さんのチームだったものの、チーム内では肉だけしか食べてはいけない、といった話は聞いたことがない。(もしそんな事実があれば、解説の時に栗村監督が、そんなエピソードを既に語っているはず。)

ところが、スポンサーが健康食品販売だったため、選手が肉を食べることを一切禁止していたチームがある。菜食主義を貫いたこのチーム、ご存知ですか?。このチームは98年にできて99、00年トレードチームでした。(長くなるのでその話は後日。)

(追記:菜食主義のチーム、すでにわかった人いるようですね。ハイ、当たりです。)

http://www.mavisports.com/ok/ccysp.html (栗村現監督がムロズに旅立った時の記事)

(写真は'01 TOJにて)

■ 2005.03.16 (Wed)  速報:シマノメモリーコープ アムステル・ゴールドに出場
速報 3/16 0:35: シマノメモリーコープ 、プロツアーのアムステルゴールド出場決定!

今月発売になるサイスポにも、「そうなるはず、、、(シマノはアムステルゴールド出場するかも。。)」とは書いたのですが、シマノメモリーコープがプロツアーのアムステル・ゴールドに出場することが正式に決定。プロチームが出場するプロツアーなので、彼らはワイルドカードでの出場ということになる。

レースは4/17開催。リーダーはドイツ人のベテラン、シューマッハー。日本人選手も出場する可能性濃厚。出場すれば、初の世界の大舞台プロツアー参戦となる。

オランダで開催されるプロツアーはアムステルゴールドを含め計3つ。あとの2つはアイントホーフェンのITT 6/19とベネルクスツアー 8/1-10だ。

オランダ登録のプロコンチームはシマノメモリーコープだけなので、彼らがこれら残り2つのレースにもワイルドカードで出場できる可能性も濃厚だ。

■ 2005.03.16 (Wed)  フレイレはとにかく安全第一の人だった!
freire3.jpg 640×480 48K最新のUCIプロツアーランキング。
パリ〜ニース、ティレノと第2戦まで終わって、現在のポイントは下記:

1. フレイレ ------------ 53pts
2. ジューリック --------- 50pts
3. ペタッキ ------------ 43pts
4. バルベルデ --------- 41pts
5. グイーディとサバヤ ---- 35pts
6. フォイクト ------------ 31pts

解説すると、
1.フレイレの53ptsはティレノで区間3勝=3pts + 総合優勝 50pts =53pts。
2.ジューリックはパリ〜ニースで総合優勝50pts。
3.ペタッキはティレノで区間3勝=3pts + 総合2位40pts =43pts
4.バルベルデはパリ〜ニース区間1勝=1pt + 総合2位40pts=41pts
5.グイーディはパリ〜ニース、サバヤはパリ〜ニースで総合3位=35pts。
7. フォイクトはパリ〜ニース区間1勝+総合4位=31pts。

なお、次のミラノ〜サンレモの配点は下記:

優勝50pts、以下 40、35、30、25、20、15、10、5、1

-----------------*----------------

フレイレは「ラルカンシェルのほうがプロツアーリーダージャージよりいいよ」 + 「ティレノの最終日はスプリントに加わらなかった。だって危ないんだもん!」

ティレノ総合優勝の後のフレイレ。次回ミラノ〜サンレモではUCIプロツアーのリーダージャージを着る事になったが、ラルカンシェルとプロツアーリーダージャージ、どっちのジャージが好きか聞かれて:

フレイレ:「ラルカンシェルのほうがいいよ。だってプロツアーリーダージャージって、知名度全然ないじゃない!

--- 質問:ティレノの最終日ペタッキが勝ったが、フレイレは、最初から全く勝ちにいかなかった。理由は?

フレイレ:「もう3勝もしていて十分。最終日リスクを犯して、次のミラノ〜サンレモに支障があったらよくないからね。最終日は骨休めの日にしたよ。もしも僕が最終日に落車してたら、僕たちこんな風に会話できてなかったわけだしね。」

----*--
なんと、フレイレらしいコメント!今日、イタリアにいる砂田さんと、フレイレの慎重・安全策ぶりを丁度メールでおしゃべりしていたところだった。

『フレイレって、自転車ではスプリンターだけど、自動車は絶対スピード出さないそうですよ。スピード出しても、なんの得にもならないからって。』と私が言えば、

砂田さん:『バルトリがフェラーリに乗っていて、3000Kmごとにタイヤ交換するというのを聞いて驚いたフレイレ。<おれのオペルコルサ(オペルでいちばん安いクルマ)なんか買ってから数万キロ走ったけど一度も交換していない>と言ったそうです。

安全運転というより、速く走るクルマを持っていないのかも!(冗談)でも彼は練習でもヘルメットをつける数少ない選手の一人だし、けっこう安全第一なのでしょうね。』

やっぱりフレイレは安全第一の人らしい。

■ 2005.03.17 (Thu)  肉は一切禁止。菜食主義のチーム
kevin.jpg 315×363 13K先日トクダネで触れた菜食主義のチーム。正解者がいましたが、リンダマッカートニー・チームです。マックス・シャンドリらが登録選手で、元オンセのニール・スティーブンスが幹部をしていたチーム。

ポールマッカートニーと98年に亡くなった奥さんのリンダは菜食主義で知られる。リンダマッカートニーというブランドの自然食品販売会社があり、そこがチームのスポンサーをしていた。

チームはリンダマッカートニー ブランドの菜食主義路線食品のプロモートを趣旨にしていた。当然選手たちは菜食主義になるというのが基本。肉はとりあえず禁止されていた。

チームのオープニングにはポールが音楽を披露したりして、船出は華やかだった。しかし、長くは続かなかった。

チームには01年、USPからケヴィン・リヴィングストンがリーダーとして加入。ランスのアシストから脱却する予定だった。ところが01年3月、チームはUCIからライセンスを取り上げられた。銀行保証が提出されず、資金繰りに問題があった。

チームは新シーズンに入ったばかりの3月に突如解散。

リヴィングストンは突如チームを失う。それを救ったのがテレコムだった。ランスは怒り心頭。自分を捨てて、よりによってケヴィンがライバル ウルリッヒのアシストになったのだ。もはや、ハミルトンがUSPを去った時のように友好的な去り方ではなかった。

ケヴィンはランスが癌になった時、おろおろして心から心配した。ランスが癌から生還したあと、かんしゃくを起こして一旦拠点のフランスから米国に帰国した時も、家具をいっさいがっさい引き取った相手がフランスに住んでいたケヴィンだった。

信頼関係にあった2人。こんな形で決裂するとは誰も想像しなかった

しかし、時が2人を和解させた。今ではケヴィンは奥さんの故郷テキサスに住み、時々ランスの米国でのチャリティーレースなどに参加している。

<<写真は02ツール最終日スタート地点。ケヴィンは後ろ向き。写真がなかなか撮れずに、諦めかけていた。すると、それを見ていたアメリカからきたファンが、「ケヴィンを振り向かせてあげるよ。」と言って、「ケヴィン!」と声をかけてくれた。

おかげで振り向いたところをパチリ。身代わりで声をかけてくれたその男性にお礼を言う。周囲からも、彼のほほえましい行動に対し、歓声が沸いた。ケヴィンも事情がわかって、微笑んだ。ファン同士、ちょっとしたところで助け合う(?)そんなところもツールの魅力。>>


■ 2005.03.18 (Fri)  少なくとも3月中は、プロツアーリーダージャージよりラルカンシェルのほうが優先となる!
お詫びです。3/7にプロツアー新ルールが発表になっていました。そのオフィシャルルールによると:

プロツアージャージはプロツアーごとに入れ替え性になるとのこと。(つまり、コンチネンタルサーキットのように毎月25日に決定というわけでない。)

つまり、各プロツアー開催直前時点でUCIランキングがトップの選手が、プロツアーリーダージャージを着るそうです。なので、19日のミラノ〜サンレモでは、フレイレがリーダージャージを着ることに。

で、レインボージャージを着ている選手がプロツアーリーダーとなった場合、今ののルールではプロツアーリーダージャージを着ないといけないとのこと。

しかし、1月に行われたシクロクロス世界選手権で、世界チャンピオンのジャージの方が優先されるという逆の前例ができたため、ロードの方でも、レインボージャージよりプロツアージャージを優先するように変更となる可能性が濃厚。

ただし、ミラノ〜サンレモの前には規則改正は行われないので、フレイレは、やはり今回はレインボージャージでなく、白いプロツアーリーダージャージを着ざるを得ない。

■ 2005.03.18 (Fri)  福島ママ、遂にオーストラリアのサイトCN(Cyclingnews)デビュー!
福島選手のお母さんの写真がCNに出ていたの、ご覧になりました?
向日葵みたいな笑顔!ランカウィに康司選手の応援に行った時の写真が、昨日公開されました。JUMP

上記写真は、3/17付け特集記事、ランカウィのレースディレクター氏のインタビューに伴う写真です。これで親子ともども世界デビューですね!

■ 2005.03.18 (Fri)  速報>> ヴエルタ出場チーム決定
ヴエルタのワイルドカード
ヴエルタのワイルドカードが発表となった。プロコンのカイクは落選。コムニダバレンシアナ(旧ケルメ)とレラックスの2チームがワイルドカードに決定。プロチーム20と合わせて22チームの出場となる予定。

フランドルのワイルドカード
一方で、4/3のフランドルツアーでは、ワイルドカード5チームが決定。(グランツール以外のレースでは、各チーム出場選手数は原則8人。特別な申請があれば7人。)

ヴィーゼンホフ(ドイツ)、ショコラーデジャック、ランドバウクレジット、Mr.ブックメーカー(以上ベルギー)、AG2R(フランス)

上記+20のプロチーム=25チームx8人=200人の予定

ジロ??
一方で、http://www.cycling4all.com/のニュースに、ジロは先にアナウンスされた22チーム+更にもう2チーム(アクアとシメオーニがいるナトゥリノ)が出場することになったと(つまりワイルドカードが4枠となったと)書いてあるが、眉ツバでは?

というのも、最新のUCIの規則では、レース出場チームはMax200人となっている。更にグランツールの場合、出場選手数は各チーム9人という規定。24チーム出ると出場総数は216人となり規則違反となるんだけど。

■ 2005.03.19 (Sat)  ■ 「居眠り病」のフランク・ブイエ、治療薬摂取は却下
bouyer.jpg 344×425 35K先日来お伝えしている居眠り病のブイエのニュース。スポーツ調停所の判断により彼の申請は却下された。

彼の居眠り病の治療薬のためには、モンダフィニルの摂取が必要となるが、これがアンチ・ドーピング規定の薬物リストに入っている。ブイエは、治療のためという目的で、特別にこの薬の摂取の許可を求めていた。

(Ref :■ 2005.03.03 (Thu) 「居眠り病」のフランク・ブイエが 遂に調停所へ JUMP / 更にNews Briefing その1 JUMP / その2 JUMP

彼は2004年5月から、一切の公式レースに出場していない。今回モンダフィニル摂取が許可されて、レースに出場することを切望していた。

しかし、調停所の審判では、ブイエの聴取内容や提出した証拠では、説得力に欠けるという判断だった。

モンダフィニルを摂取したことにより、単に普通の生活を営むことが可能になるのであれば、摂取は許可される。しかし、それにより、更に付加価値として増強剤的な要素が追加されてしまうと判断した場合には、却下となる。

今回の判断では、薬を摂取することが、単なる治療以上に、スポーツ選手としてのパフォーマンス向上につながるとしている。
(写真は'01ツール)

■ 2005.03.20 (Sun)  チーム紹介追記 その1 : チームNIPPO
今月発売のサイスポ4月特大号には2005年自転車イベントブックがついていますが、P.8-9 ブエルタ、P.10-11 UCIプロツアー&世界選、P.78 国内アジアツアーレースを書かせて頂きました。

P.78の紹介文には日本のコンチネンタルチームについて紹介文も含めよ、ということだったため、関係者の方たちにいろいろお話を聞かせて頂きました。その節は本当にお世話になりました。

情報を頂いておきながら、紙面の都合で書ききれなかった部分をここで紹介させていただきます。

チームNIPPO

NIPPOなどが中心になって展開しているAxis Japanという活動があります。世界で戦える選手を育成するためのプロジェクトのことです。

できればAxis Japanの活動をあの中で紹介したかったのですが、最終的に、具体的にAxis Japanの内容を書くのは控えることになりました。少し前の号で大門監督が既にこの話を書いていらっしゃったので、それと「かぶる」という判断が入ったためです。

代わりに、この場をもって、コーディネーターの絹代さんから頂いたAxis Japanの紹介を掲載させていただきます。(2/20付けメールで頂いた内容です)。

「Axis Japanのメインの活動は、ジャパンナショナルチーム計画です。

プロジェクトの目標自体は広くかかげており、自転車の革命的な意識改革、普及、地位向上環境、美容、健康面でのPRなどもこのナショナルチームをスポンサーさんをつけて活動させることをひとつの契機に、やりたいです。

世間の今、自転車に興味のない人たちをどう取り込むか?が課題ですね。

競技に関しては強い日本を作ること。有望な若手の育成有能な子供たちを呼び込めるスポーツに仕立てることレースのエンターティメント性を高めることなどが目標として掲げられます。」

オールジャパンとして世界を舞台に活動していくこのAxis JapanのHPはこちらです。

http://www.axis-japan.org/

(その他、NIPPOの関係者の方にも、書くためのバックグラウンド情報をたくさん頂き、ありがとうございました。)

■ 2005.03.21 (Mon)  エディー・メルクス:「思い出の1969年」― ツール初優勝の瞬間は月面着陸の日だった。
grp0321192537.jpg 248×306 12KE・メルクス:「ツールで僕が初優勝した1969年は特別な年だった。

シャンゼリゼで優勝パレードをしている時、アメリカ人の宇宙飛行士ニール・アームストロングが人類初の月面着陸した。<1人の人間にとっては小さい一歩でも、人類にとっては大きな飛躍である>というあの名台詞とともにね。

僕もあの時同時に、宇宙のかなたへと飛躍していったんだよ。

その他1969年の思い出といったら、ビートルズが次々にヒットを飛ばし、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」がヒットして。

それからベトナム戦争の展開。そうそう、ビアフラ共和国の飢饉。(ビアフラ:ナイジェリアの一部と思われる。)

あとはミック・ジャガーが薬の飲みすぎで意識不明になったり。(メルクスがツールを走っていた最中の’69年7月8日、ジャガーは、時差ぼけを修正するため、ココアとともに、大量のツイナールという錠剤を摂取して意識不明になったとのこと。)

24歳だった僕は、それ以外には’69年当時の映画や文学の思い出はないんだ。とにかく自転車に打ち込む日々だったから。」(ツールオフィシャルプログラムより)

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左の写真は1997年、ランスとEメルクス。ランス化学療法中の写真。(自伝の中の綴じ込み写真。)(copyright@Linda Armstrong)わざわざエディー・メルクスが、入院している病院を訪ねてランスを激励したそうだ。

ランスは、手術前、クラシックや世界選手権、ツール区間などの優勝経験はあったものの、まだツールでの総合成績はぱっとしなかった。93年DNF、94年DNF、95年総合36位、96年DNF。

なのに、メルクスほどの偉大な選手が友人としてランスの見舞いに駆けつけた。まるでその後ランスがツールで活躍することを予期していたかのように。

彼ほどの人が、1若手選手の見舞いにわざわざ訪れるとは驚きだが、メルクスは、既に当時からランスを素質ある選手として認めていたということなのか?

僕は化学療法のせいで気分も悪く、痩せていた。でも、友人のエディー・メルクスに会えて嬉しかった。ツール5勝のベルギーチャンピオンだ。彼は僕を励ますために、オースティンまでやってきてくれた。」(自伝の写真に添えられたコメント。)

これと対照的なのが、当時ランスと雇用契約していたコフィディスのボンデュ監督。ランスに会うため病院に訪れたが、見舞いが目的でなかった。彼の病状を確認しにきたのだった。そして、選手生命は終わったと判断。ランスが化学療法で戦っているその最中に、雇用契約見直しを迫った。

その後ランスの代理人はUSPとの契約にこぎ着け、ランスは翌98年パリ〜ニースに出場。しかし、悪天候でうんざり。さっさとレースをリタイヤし、チームに連絡もせずにアメリカに戻ってしまった。(今年の悪天候ほどではなかったようだが。)

もう自転車選手は辞めようと思った。そしてゴルフ三昧の日々。キークや仲間がいなかったら、そのまま彼は引退していただろう。


■ 2005.03.22 (Tue)  ドイツテレコムの日本支社オフィスにあったウルリッヒの実車
grp0322074402.jpg 480×640 52Kメッセンジャーの方からの情報です。ドイツテレコムの日本のオフィスには、ウルリッヒの実車が置いてあるそうです。(一説にはツールで優勝した時の実車という噂も。)

場所は、上の階。1Fの警備員室を通ってエレベーターで上の階に上がり、エレベーターを降りたすぐ横にウルリッヒの写真とともに置いてあったとのこと。

置いてある場所が、残念ながら1Fロビーではないので、関係者・訪問者以外はここから先には行けないため、これはメッセンジャーの方の役得?これからもドイツテレコムの日本支社オフィスへのデリバリーがドシドシあるといいですね。

ちなみに当方3連休中に散歩がてらテレコムのオフィスをチェックしに行ってきました。(もちろん外から眺めただけですが。)すぐにわかります。なにしろ一番町にある英国大使館のすぐ裏ですから。
http://www.telekom.co.jp/

■ 2005.03.22 (Tue)  Evening News
シマノメモリーコープ のアムステルゴールドメンバー

17日のアムステルゴールド、以下の顔ぶれが出場予定だそうだ:狩野智也、土井雪広、+ リザーブ 山本雅道


ロビー・マキュエンは春のクラシックはもうギブアップ

ここ2ヶ月間で2度風邪を患ったマキュエン。

「とにかく体調を戻すことが今の最重要課題。自転車に乗ることはその次だ。そんなわけで、春のクラシックはもう止めにして、ジロに集中する。がっかりだけど、こんな体調じゃ、春のクラシックを第一の目標で頑張っている選手たちに かないっこないからね。」

上記は、ベルギーの新聞で彼が語った談話。ちなみに、彼はフラマン語がペラペラだそうだ。確か奥さんはベルギー人の眼科医だったと記憶している。その奥さんと子供も、目下風邪に罹患中。


康司選手が安否を問い合わせていたピションが遂に復帰 + ショレで、晋一選手が21位でフィニッシュ

去年のジャパンカップ(JC)レポート続報。

去年のJC。康司選手が宿にいたブーランジェール(現ブイグテレコム)の幹部と話し込んでいた。6月のドーフィネ・リベレ第3ステージの峠の下りで谷底に落ちたミカエル・ピションの安否を気遣っていたのだ。

ピションは脳に外傷を負い、更に顎・肩の骨折など重傷だった。以来レースから遠ざかっていたピションだが、やっと復帰の目途がついた。今シーズンデビュー戦は4月3日のレンヌGPだ。

さらにブイグ・テレコムにとっては嬉しいニュース。P・フェドリゴがGPド・ショレ(3/20 ショレ・ペイ・ド・ロワール)で今季チームに初優勝をもたらした。ちなみに、このレースにはBSも出場し、晋一選手が21位でフィニッシュ

アンカーレポート / CNのショレ・リザルト

■ 2005.03.23 (Wed)  去年ダヴィデ・レベッリンが奇跡を起こした季節がやってきた
昨年アムステル・ゴールド(4/18)、フレッシュ・ワロン(4/21)、L-B-L(4/25)とビッグタイトルを3連取したダヴィデ・レベッリン。

今年はその奇跡のリピートはないだろう、と本人も言っているが、代わりに勝ちを固め取りするのでなく、1年を通じて平均的に勝てる選手になりたい、と言っている。

昨年、一番悔しかったことはやはり五輪と世界選手権出場選手に選ばれなかったこと。とりわけ、世界選メンバーに選ばれなかったのは、今だに理由が納得できない、と首を傾げる。去年前半にはワールドカップのトップに立った選手を、何故除外したのか?と。

思い返せば、メンバーになれなかったレベッリンが、出場しやすいアルゼンチンの国籍を取得しようとする動きもあった。彼にアルゼンチンの自転車連盟の役員を知っており、知人がいなくても、国籍が取れるかもしれない、とアドバイスされたのだった。

しかし、実際はパスポート取得には時間がかかった。というか、いまだに到着していないらしい。唯一国籍IDカードというのを入手したが、それだけではアルゼンチン代表としてレースに出場することはできなかったのだ。

しかし、諦めるつもりはない。パスポートさえ入手できれば、アルゼンチンから出場という選択を今も視野に入れている。

とはいえ世界選メンバーを逃したのは、それはバッレリーニ監督の選択。自分自身にはどうすることもできない。でも、ワールドカップの総合優勝を逃したのは自分のせい。だからそれは、もっと悔しい。(最終的にベッティーニが総合優勝。)

総合首位を狙った後半のワールドカップで、彼はちょっとした問題があって、集中力を切らしていたそうだ。勝てる試合を落とした、と大変悔しがっている。

今年もスプリングクラシックの最盛期がやってきた:

フランドル4/3、ジェント・ウェヴェルヘムが4/6、パリ〜ルーベが4/10、アムステル・ゴールド 4/17、ラ・フレッシュ・ワロン 4/20、L-B-Lが4/24.もちろん全てプロツアーだ。

一人勝ちする選手が出るのか、或いは群雄割拠となるのか。。。

■ 2005.03.23 (Wed)  チーム紹介 追記 その2
サイスポ別冊のP.78 に国内アジアツアーレース(日本で行われる4大レースと国内コンチネンタルチーム紹介)というコーナーを書かせて頂きましたが、再びその時の記事に書ききれなかったチーム紹介です。

スミタラバネロ編:
メインは国内のレースになるが、アジアサーキットのレースからも現在話がきていて出場する予定。今年はおそらくその1レースとなると思れる。

飯島選手については、ここ数年はポイントレース(トラック競技)に重点を置いていたものの、アテネ五輪で本人としては一区切りと考えている模様。飯島選手本人は、ロードレースの方が好きなようです。

「チーム全体としては、残念ながら世界を狙える状況にないのが現状ですが」(関係者の弁)、今年、新しくロードナショナルチームのプロジェクトが立ち上がり(先日お伝えしたAxis Project)、飯島選手はその一員として世界を目指していく。

チームとしては、この合同プロジェクトをバックアップし、また飯島選手に続く人材を育成していくことに力を入れたい。

「基本的にアマチュアチームですので、不確定要素が多く、あまりはっきりとは言えませんが、国内主要レース(UCIレース、全日本選手権、実業団大会)での優勝・入賞が目標です。」とのこと。

抱負は:「クラブチームとしての足場固めを改めてしっかり行い、十年、二十年後も同じような場所に立っていられるチームにするための、確固たる基盤作りに力を入れたいと思います。」

PR : 一般のショップベースのクラブチームであるということです。飯島選手は専業プロですが、その他の選手は基本的にフルタイムで仕事を持つ普通の人、あるいは現役大学生/大学院生などです。

現在の立ち位置としては、「一般のサイクリストが、時にはシマノやアンカーな
どのプロチームをやっつけてしまうのが痛快」といったところでしょうか。

現時点では飯島選手が突出して扱われるのは、やや仕方ない面もありますが、「飯島誠のワンマンチーム」を脱する何か一つブレイクスルーを今年に作れたらと、個人的には考えています。

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ありがとうございました。大拍手ですね。

それから同じくP78に書いた今年の日本でのレース。注目はTOJの富士山山岳TTですね。あとは そこにも書きましたが、ジャパンカップは今年、アジアのチームがかなり注目しているそうです。

■ 2005.03.24 (Thu)  マヨが上れないわけ
mayo2.jpg 253×428 26Kひざの腱炎でレースから遠ざかっていたイバン・マヨ。セトマナ・カタラナではトップのコンタドールから19分49秒遅れた。カンチェッラーラのようなTTスペシャリストと同着だ。

クライマーとして頑張るべき一番の勝負所の山岳ステージで、上れなかった。理由は太ってしまったこと。通常より6〜7キロも体重オーバーしているのだ。

去年はツール前に調子がよすぎてツール以降体調を崩した。そのため今年はスロー・スタートでツールに照準を持っていくのがチームの戦略ではあるのだが、ちょっと行き過ぎ、と不安の声も。

(写真は03年ツール。出走サインをするところ。)

■ 2005.03.24 (Thu)  山形 vs 岐阜 自転車レース記事対決?!
yamagata-np2.jpg 952×583 171K3/23の 山形新聞にパリ〜ニースの記事!

山形県在住の方から情報と写真を送って頂きました。

「田舎新聞(山形新聞)の夕刊(勇敢?)に、添付の記事を発見!
眠気が吹っ飛びました。田舎新聞ではじめて読む自転車ロードレースの記事にうれしくなり、お知らせします。」

これって山形新聞オリジナルの記事では?少なくとも朝日や日経には出ていなかったと思います。

拡大版で記事が読めます。内容はパリ〜ニースで苦節数年のボビー・ジューリックが優勝したことなどが中心。

UCIプロツアー初戦ということで取り上げられたのか?

レースが終わって暫く経った今頃 何故この記事が出たのか不思議。更に、今やゴルフの藍ちゃん、イチロー・松井、相撲など、スポーツニュースは数々あれど、それらを押しのけてこの堂々ぶりとは!

いずれにしても見出しの「自分は年代物のワイン」というジューリックのコメントがいいですね!

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今度は岐阜から!

上記のニュースを入れた途端、今度は岐阜から情報頂きました。

「地方新聞はたまにびっくりする記事を載せますね。
わたしの地元地方紙「岐阜新聞」にシクロクロス世界選手権の記事が山形新聞と同じ位のスペースを使って写真入りで載りました。(残念ながらその新聞はもう手元にありませんが)

隣の長野県や滋賀県ではシクロクロスが開催されていますが岐阜県では開催されたことはありません。なぜ記事にしたのか不思議です。ツールだってスポーツ欄にまともに載せないのに。」とのことです。

岐阜ではシクロクロス世界選手権の記事!!!これもびっくり。
宇都宮方面の新聞にはジャパンカップが写真入りだし。東京新聞は出遅れている印象。。。?

そうそう、TOJの時期は朝日新聞がちょっと頑張るけれど。(TOJ主催朝日新聞。)

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2006年ジロ

まだ今年のジロも終わっていないのに、、というところだが、来年のジロのスタートはベルギーワロン州、スイス、アムステルダムが現在候補だそうだ。

結論は4月20日、フレッシュ・ワロンの際に出る予定。

■ 2005.03.25 (Fri)  シマノメモリーコープはオランダで開催される2つ目のプロツアーのワイルドカードをゲットしそう
正式なアナウンスではないが、シマノメモリーコープは、アムステル・ゴールドに続き、6/19のオランダ アイントホーフェンのTTTにもワイルドカードで出場することになりそう。

この他ワイルドカードで選ばれそうなのはヴィーゼンホフ、Mr.ブックメーカーとあと2枠。ショコラーデジャックとランドバウクレジットの可能性が濃厚。

シマノメモリーコープの幹部に直接聞いたところ、彼らはオランダ開催のプロツアー3つ全てのワイルドカードをゲットすることを目指す。オランダのプロコンチームはシマノメモリーコープだけなので、可能性はかなり高いと思われる。

オランダ主催のプロツアー、残すは8月3から10日のエネコ・ツアー・オブ・ベネルクス。これがオランダ主催のプロツアーの最終戦となる。シマノメモリーコープは、このレースにも出場を目指している。

■ 2005.03.25 (Fri)  プロトンの中の詩人
grp0325211658.jpg 325×457 36KProcycling誌に長年連載執筆を続けているフランク・ホイはプロトンの中の詩人だ。

出身地デンマークのTVチャンネルDRに出演し、去年の五輪出場の体験を 詩にして朗読した。

トレーニング中思いついたことをあとで詩にまとめたりしているらしい。自分の詩集がいつか書店に並ぶ日もあるかもしれない、そんな風に彼は語っている。

彼が見た五輪はこんな具合だった:

ー 中国の女子体操選手!小さくて12歳ぐらいにしか見えない!
ー その傍らには、ロシアの女子バスケットチームの選手たち。巨大にそびえていた!

今年CSCからゲロルシュタイナーに移籍することになり、彼は冬の間地元のバイクショップに出かけていった。そして、新しくチームバイクとして乗ることになるスペシャライズドのバイクカタログを眺めに行ったそうだ。

カタログを見ていたら、スペシャライズドには「ルーベ(Roubaix)」というシリーズがあるのを発見。わくわくした、と語っている。

(写真は2000年ツール最終日。パリのスタート地点。彼このように、ビデオカメラを携えながら走った。)

■ 2005.03.25 (Fri)  コンチネンタルサーキット 毎月恒例 UCIランキング発表
コンチネンタルサーキットUCIの最新ランキングが発表になった。

アジアツアーは2、3月レースがお休みなので、相変わらず先月リーダーになったG・ブラウンがそのままリーダー。

ヨーロッパの方はレースが立込んでいたので、順位が一気に動いた。

チームランキングはコムニダ・バレンシアナがダントツトップ。これはわかる。しかし、個人のトップは、驚いたことにプロフェショナルコンチネンタルチームではなく、旧TT3に該当するコンチネンタルチームの選手がとった。しかも聞きなれない選手だ。

チームSPIUKの(ヘルメットなどを作っている会社のSPIUKだろうが)アイトール・ペレスという選手。SPIUKのヘルメットは下記。バレアレス、カイクのヘルメットを手がける。ヘルメット一例

ヨーロッパのコンチネンタルサーキットの最新ランキング一覧はこちら:ランキングを見る(晋一選手の名前も登場)

これを見ると、福島晋一選手が、ヨーロッパサーキットで10ポイント獲得し、135位に入っている!

■ 2005.03.26 (Sat)  世界選に出場していた岐阜県のヒロイン田近郁美選手
news.jpg 451×317 25K先日の岐阜新聞関連のニュースに関して、こんな情報頂きました。

「岐阜の新聞にシクロクロス世界選手権が掲載されたということですが、おそらく女子代表が岐阜県人だったからではないでしょうか。

彼女はMTBのJシリーズで、プライベイターながらも上位に食い込む実力者です。昨年はMTB、シクロクロスの全日本選手権、共に2位でした。

ついでに8月末に開催される乗鞍ヒルクライムでは、MTBにスリックタイヤ履かせて、ロードバイクよりも早く上ってしまうという”つわもの”です。」

今チェックしたところ、1/30ドイツで開催されたシクロクロス世界選手権の代表メンバーに田近郁美選手の名前。そして確かに、彼女は岐阜県出身!なるほど。

結果は残念ながらDNFだったものの、これからも岐阜新聞は、彼女が牽引役となってシクロクロスやMTBの記事をフォローするかもしれませんね。

CNに出ていた世界選手権の田近選手の写真はこちら。JUMP

リザルト:JUMP


■ ドイツのProcycling誌のグラビアに写っていた唐見実世子選手

女子選手の話が出たところで。去年ドイツの自転車雑誌をお土産に頂き、その際に「中に日本人選手(唐見選手)が写っていますよ」と教えて頂いた。

ドイツでは、英国のProcycling 誌をドイツ語にしたものが売られている。英国版よりも内容がプラスアルファになっていて、頁数がずっしり多い。綴じ込みのポストカードなんていうオリジナルのオマケまで。

このドイツ語版のスナップショットのコーナーに、アテネ五輪の時の唐見実世子選手(後姿だけだが)が写っている。(同じ号の英語版にはなく、ドイツ語版だけのオリジナル写真。)

記事の内容は、自転車競技は1つの試合にどっさり多くの数の選手がそろうのに、アテネ五輪で用意されたのは、トイレがたった3つと更衣室テントが1つだけ。これでは全然足りない、といったものらしい。

写真脇についているコメントはざっとこんな感じ。

“スタート前に最後のエチケット。もう一度素早くトイレへ?しかしアテネではこの贅沢を多くの選手が諦めたのだった。プロトンの選手全員のために用意されたのは3つの化学トイレと更衣室テントが1つだけ。普段は非常に手際よく組織されるこの競技も、思わぬ形で弱点を露呈した。”

(写真はProcycling ドイツ語版 Oktober 2004のp.14―15ページを撮影したもの。)

■ 2005.03.27 (Sun)  イサーク・ガルベスという選手
レースNewsに関連して、ガルベスのご紹介。

このガルベス、実は99年トラックの世界選手権、マジソン競技のチャンピオンだ。あのままトラックを続けていたら、かなり数々のタイトルを獲得したと予想される。しかし、連盟と仲たがいし、ロードに転向。

当初はケルメで走ったが、バレアレスからヘッドハントされた。

スペインはスプリンターが比較的少なく、フレイレばかりが目立っている状況だが、それ以外に頭角を現しつつあるのがこのガルベスなのだ。

■ 2005.03.29 (Tue)  福島兄弟、世界で輝く
frankie.jpg 326×380 34Kフランキー・アンドルーがプロトンについていろいろ話すラジオ番組「Inside the peloton」というのがある。Daily Peloton経由この番組がダウンロードできる。(URLは:http://www.spokeradio.com/ ただ、サイズが大きくて45MB 。ダウンロードには少々時間がかかる。)

この番組の中で、TDLを走った日本人選手について語っている部分があり、アンドルーは福島康司選手について、「飛ぶように走る選手」と語っている。康司選手がアンドルーの目にも留まったという事実に、おおっと思ってしまった。

ちなみに、フランキー・アンドルーは、元USPの選手で、引退した現在でも大人気。ツールの最中にインタビューをしたり、プロトンに近いところで働いている。

(写真は03ツール。見栄えのするアンドルーとヒンカピー。)

また、CNでもノルマンディー最終日に、こんな写真が。

写真1 「for Koji and Shinichi Fukushima 」福島兄弟、お疲れ様、という感じの写真

写真2:「Koji Fukushima (Brigestone) is the most aggressive and popular rider in this Tour de Normandie」ツール・ド・ノルマンディーでも康司選手は、最もアグレッシブで人気の選手だったとCNが堂々と書いている。

ノルマンディーは、康司選手70位、晋一選手77位でフィニッシュ。

■ 2005.03.30 (Wed)  3大ツール以外のプロツアーのステージレース。総合優勝は50ポイント。区間優勝はたった1ポイント
先日プロツアー第2戦のティレノ〜アドリアティコで総合優勝したフレイレのポイントを見てあれ?と思った人も多いだろう。彼は区間優勝3回+総合優勝で 獲得したポイントは53pts。

プロツアー第1戦のパリ〜ニースで優勝したジューリックは、区間優勝ゼロで、ポイントは50ptsだった。

そう、プロツアーのステージレースで総合優勝すると50ポイントがつくが、区間優勝は たった1ポイントしかつかないのだ。(但し3大ツールの区間優勝は3ポイント。総合優勝はツールが100ポイント、それ以外は85ポイント。下記参照)

これは少々不公平では?と思っていたら、ファッサのフレチャも同様のことを述べていた。特に彼のように総合より区間を狙うタイプの選手の場合は、ポイントを稼ぎにくくなる。

区間優勝を49回した選手より、総合優勝を1回した選手の方がプロツアーランキングは上というわけだ。

フレチャは言う。「区間優勝ってそんなに価値がないものなのか?」

もっとも、もし区間優勝者にポイントを多く与えすぎると、ステージレース総合で優勝できる芯の実力者と、一発屋の選手のポイントが接近する可能性も出てくるため、実力とポイントのバランスが悪くなる。

ステージレースで総合を狙えない選手は、とにかくプロツアーのワンデイクラシックで必死に優勝を狙うことになる。ワンデイの優勝は40〜50なので、それで、全体的にはバランスがとれたポイントになるわけだ。

しかし、それでも区間優勝1ポイントというのはちょっと少ないような。。。

ちなみに、プロツアーのポイント制度は、今年から下記の通りとなっています。

総合順位>>
ツール:総合優勝100pts、以下 75, 70, 65, 60, 55… 15, 12, 9, 7, 5, 4, 3 ,2, 1 (総合20位は1pt)

ジロ&ヴエルタ:総合優勝85 pts, 以下 65, 50, 45, 40, 35, 30, 26, 22, 19, 16, 13, 11, 9, 7, 5, 4, 3 ,2, 1 (総合20位は1pt)

プロツアーのトップクラスのワンデイレースとプロツアーのステージレース: 総合優勝 50pts, 以下 40, 35, 30, 25, 20, 15, 10, 5, 1

上記以外のプロツアー ワンデイレース:総合優勝 40pts, 以下 30, 25, 20, 15, 11, 7, 5, 3, 1

世界選手権:優勝: 50pts、2位: 40pts、3位: 35pts


区間順位>>

3大ツール:区間優勝:3pts、区間2位:2pts、区間3位:1pt

それ以外のレース:すべて区間優勝者のみに1ポイントがつくだけ!!


■ 2005.03.30 (Wed)  速報 : 4/18に何が起きる??
その2
下記のニュースの続報。

ランスが記者会見を発表した時の談話が入ってきた。彼はこう述べたそうだ。

「もし自分がジャーナリストだったら、ツール・ド・ジョージアに脚を運ぶだろう。実は僕はレース前の記者会見でしゃべりたいことがあるんだ。大事なことを話したい。」

更に、「今年のツールは、事故でもない限り100%出場する。でも、それが最後のツールとなるかもしれない」とも語った。

どうやら、この記者会見で、今年のツールが最後になるのか、それとも続行するのか、といった辺を話すのでは?という見方が広まっている。

しかし、まだ今年のシーズンが始まったばかり。まだ結論を急ぐ時期でもなさそうだし、今の時期にここまで仰々しくするアナウンスでもなさそうな、、とも思う。ツール・ド・ジョージアに人を呼び込むための作戦では?なんて思ってしまうのは私だけ?

-----------*
その1
4/19〜24日に開催されるツール・ド・ジョージア(北米)に出場するランス・アームストロング。前日の4/18に”大事な記者会見”を行うという。

大事な記者会見とは何だ?と早くも憶測が流れ、一説には、今年のツールを最後に引退を表明するのでは?という噂。さて、4/18、一体どんな内容の記者会見となるのか?
(レキップ紙より)

■ 2005.03.31 (Thu)  ランスの謎の記者会見 続報
昨日のニュースの続き。一夜明けて、ランスが引退したがっていることを示す発言があちこちに出ている。

「ヨーロッパにいて一番辛いことは、テキサスにいる子供たちと離れ離れだということだ。家を離れることが度重なり、隔てられる距離がつのっていく。そういう瞬間、僕はもう辞めたい、家族のそばに戻りたい、と思うんだ。」(フィガロ)

子供たちをシェリル・クロウに置き換えてもいいのかもしれないが、とにかくアウェーで走り続けることは、癌を克服したタフな彼にとっても辛いことのようだ。

こうした発言も重なって、4/18の記者会見は、早期引退会見になるのでは?という見方が広がっている。(ただし、先に述べたとおり、彼は今年のツールにはアクシデントがない限り出場する。引退するとしてもその後。)

■ 2005.03.31 (Thu)  Tモバイル幹部が「Tモバイルの呪い」(テレコムから放出された選手が今大活躍)について語った
Tモバイルオフィシャルサイトで、幹部が今季の不調に関して語っている。その中で、いわゆる「Tモバイルの呪い」?についても触れている。即ち、Tモバイル(旧テレコム)を離れると活躍するという最近のジンクス。

例えばケルン一周で優勝したダヴィッド・コップや、2位だったシュテファン・シューマッハ。2人とも2003年テレコムに在籍しながら、2004年ウルリッヒの再加入のあおりで放出された選手。テレコム時代はチャンスを与えられず、今それぞれヴィーゼンホフとシマノメモリーコープで頭角を現している。

それからダニロ・ホンド(彼の場合はテレコムからら放出というより、自発的なチョイスだったけれど)やボビー・ジューリックもテレコムを出た今 開花している。

「テレコムの呪い」に反論するTモバイル幹部クンマー氏:

我々は若い才能を伸ばすべく、集中的に努力をしている。シュレック、ケスラー、クレーデンらは、若い頃から育成してトップに仕上げた選手らだ。ツァベルだって最初うちのチームにきた時は若かった。

今年は育成要員としてM・ブルガート、B・ジリング、B・コールらと契約した。彼らはシーズンが始まった数週間で 既に我々にとっては楽しみな選手になっている。

(放出した)コップとシューマッハについては、我々が彼らを雇ったのが早過ぎたと思っている。もっと最初は小さいチームから育てた方が良かったんだろう。我々のチームで若手としてスタートしたものの、彼らはこれといった成功も経験も積めず、選手としての地位を確立することはできなかった。」

(私見だが、これで今年フォナックへ移籍したサンティアゴ・ボテロが大爆発したら、この「テレコムの呪い」はますます本物かもしれない。。。。)

そして、今季不調なことについては、ルドヴィッヒ氏がこう語った。
「この状況は好ましくないが、時間が薬だろう。E3PHではクリアがトム・ボーネンについで2位に入ったのが、明るい材料だ。やっていることは間違っていない。パニックになる必要はない。」

■ 2005.03.31 (Thu)  2006ツールのルートが一部正式発表。
3/26付けの「小ネタ通信」で予告した通り、本日木曜日に、2006ツールの最初の数ステージ概要がストラスブールで発表された。グランデパールは、3/26に述べた通りストラスブール。この街がグランデパールとなるのは実に53年ぶり、つまり1953年以来だ。

以下今回発表になった概要:

06年ツール・ド・フランス ルート(正式発表)

1日目: プロローグ7.5km(7月1日)場所:ストラスブール
2日目:第1ステージ 約180kmの予定(7月2日) スタート・ゴールともにストラスブール(ドイツにも途中入る)
3日目:第2ステージ(7月3日)スタート:ストラスブール

あとは、、、10月28日の正式発表のお楽しみ、、だそうだ。この後ベルギー、オランダを通過するという説はなしなのか?ミステリーは続く。

ストラスブールがグランデパールとなるのは1953年1度だけだが、途中ステージも含めれば既に22回目。01年にはストラスブールでは、キルシプーが区間優勝している。丁度我々が01ツールを見に行った初日がストラスブールのステージだった。

06ツール:ワールドカップを避けるための措置

2006年はサッカー ドイツW杯本大会が開催される。通常ツールの選手プレゼン(お披露目会)は前日の金曜日(6/30)となるが、6/30はW杯準々決勝の日。それを避けるために、W杯試合の予定のない6/29にスライドとなる。

サッカーワールドカップとツールのダブル観戦も可能

アルザス地方のストラスブールはドイツのお隣だ。ツールとW杯のダブル観戦も夢じゃない。W杯決勝戦はツールがスタートして1週間目の2006年07月09日(日)。場所はベルリン。

W杯全試合日程はこちらですJUMP

2004年09月 10月 11月 12月 
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