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今月のNews:チェチュ・ルビエラ、オスカル・フレイレ、マイケル・ロジャース、パリ〜ルーベ、トム・ボーネン
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■ 2005.04.01 (Fri)  チェチュが語ったケルメとディスカバリーの違い + チェチュの奥さんを激写(?!)
chechu2.jpg 352×398 28Kディスカバリーのチェチュことホセ・ルイス・ルビエラが、先日インタビューでケルメとディスカバリーの違いについて、こんな風に語っていた。

「ケルメは予算規模も小さかった。トレーニングの際に、この違いは大きいね。ケルメでは、こういうものは支給されなかったんだ(と言ってナイキのスウェットを指差した)。

それから例えば、ディスカバリーではトレーニングキャンプにもかなり贅沢をしている。(この時彼は北米でキャンプをしていた。)ケルメじゃ無理だった。

ケルメではいつもスペイン国内でのキャンプに限られていた。ホテルだってこんなに良くなかったし、期間も短くてね。ほかのチームだって、ここまで贅沢なキャンプはなかなかできない。予算でまかなわないといけないから。

ディスカバリーでは、いつも準備万端で、とくにツールでの手際のよさはピカイチさ。食事も含めて、全てお膳立てされ尽くしている。だから病気にかかったり、といったことも未然に防ぐことができたりする。

このチームは全てに配慮が行き届いていて、それにはお金がかかる。小さいチームでは、これは無理だ。」


USPの手際のよさ証言:03年、USP&ケルメと宿が一緒だった時、ホテルの庭で選手が帰ってくるのを待っていたことがある。大渋滞のはずなのに、USPはレース終了後1時間経たないでゴール地点から100km以上離れた宿に戻ってきた。

ケルメが戻ってきたのはそれから更に1時間後だった。ランスはもちろんひとり別にヘリコプターで、あっという間に戻ってきた。2つのチームの手際の違いにびっくりしたものだ。

ところで、ツールの最終日は、普通奥さんや彼女が選手に合流する。しかし、チェチュの場合は、奥さんが同行したのは去年が初めてだったそうだ。いつも誰か親族はくるが、妹だったり、両親だったり。珍しい。

写真は04ツールの最終日。チェチュと奥さん。奥さんの顔は、彼の手が邪魔して写っていないけど、それは想像で補うことに。

■ 2005.04.02 (Sat)  ダニロ・ホンドがムルシアツアーの検査で陽性というニュース
hondo.jpg 519×628 46KAFPのニュースによると、ゲロルシュタイナーのホンドがドーピングテストで陽性だったという一報。

陽性となったのは、ムルシアツアーで行われた2度の尿検査。彼は合計3回テストを受け、うち2回で陽性となった。(第2、第3ステージのもの。)

通常1度陽性になると再検査が行われるが、今回の場合は2度陽性となったことで、再検査の前にチームからは出場停止処分となった。今後の再検査の結果次第では、引退だろう、と囁かれている。

見つかった薬物について詳報は出ていないが、興奮剤の一種とのこと。

ホンドのコメント
「頭をぶんなぐられたような気分だが、とにかく分析結果について、出たものは出たものとして受け止めたい。科学的にこれが起こってしまった原因を説明する方法を数日のうちに探っていくつもりだ。とにかく、公式発表の前には自分からはなんら正式なコメントができない点は理解していただきたい。」

一方、ホンドがもともと所属していたTモバイルのルドヴィッヒ氏のコメント

「ダニロがもし薬物摂取をしていたとしたら、今まで我々が支持してきたドイツ自転車界にとって相当大きなダメージになる。そういう意味で、この問題は敵・味方という問題でなく(敵のチームだからいいという問題ではなく)、我々にとっても衝撃だ。」

でも、もしホンドが薬物を摂取していたために最近強かったとしたら、ある意味ツァベルが若かった時ほど勝てなくなったのは全く自然の摂理にかなったことと言える。そういう意味では、ツァベルが勝てないことに どこかほっとしたりする。

(写真は去年のツールのホンド。ラルプの山岳TTにいざ出陣。)

■ 2005.04.03 (Sun)  一難去ってまた一難:フレイレ 突然の発熱でフランドルをドタキャン
抱えていた靭帯の問題はなんとかクリアできそうということで、金曜日にフランドル(RVV)出場を表明したオスカル・フレイレだったが(Ref:昨日の小ネタ通信)、今度は突然、38度程度の発熱に見舞われた。ということで、すったもんだした挙句、直前でフレイレのフランドル出場はなくなった。

ラボバンクは急きょマシュー・ヘイマンを送り込むことを決定。

スペインの報道はいっせいにこのニュースを取り上げているが、面白いことに、「フレイレの不出場により、トム・ボーネンが一気にレース優勝有力候補にのし上がった」と書いてある。いつもどおり、スペイン選手があたかも勝つかのようなスペインの報道。

一方で、北米での人気投票では、驚くことにディスカバリーのスタイン・デヴォルデルが優勝予想トップにのし上がっている。まあ北米のチームだから、という要因もあるだろう。

ただ、彼は去年来の報道を見ると、かなり巷では期待が高い選手のようだ。実際最近CNに出た彼のインタビュー(JUMP)では、「ステージがハードなほど、僕にとっては好ましい。harder the stage, the better it is for me.」と言っている。頼もしい。

また デヴォルデルは、チーム内でメジャークラシック全てを走ることが確約されているそうだ。その後、ぼちぼちステージレースをこなしていく予定。

■ 2005.04.04 (Mon)  今年一番イケていたエイプリル・フール・サイクル・ニュース
こんなお便りいただきました。

今年のエイプリル・フール・ニュース。Dairy Pelotonに面白いのが出たんですが、私的にヒットだったのは「CSCは殴り合いでエースを決める」というヘッドライン。

バッソの証言によると、クリティリウム・インターナショナルの前に、ジュリックが目に青あざをつくり、フォイクトが唇を切っていたとか。(勝ったのはフォイクトだったらしい)ちなみに[武闘派]リース監督のコメントは「エースの座は戦って奪い取れ!」(^_^;)

……軍事キャンプでオフトレするCSCのイメージを上手く使ってて笑いましたが、ここでもバッソは傍観者扱いになっているのが何とも……(笑)

他に、「ツアー・オブ・アリゾナ」が企画されており、見どころはグランド・キャニオンでのダウンヒルレース……って、これは死人が出そうです(^_^;)

「ツァベルは今年、ツールに出ないことにした」っていう「笑えないじゃん、これ!」なニュースもありましたケド(笑)

昨年は、T-Mobileのサイトでもエイプリル・フール・ニュースをやっていて、「来年からドイツ・ポストがUSポスタルに代わって スポンサー になることが決まった。これでランスは1年中「黄色」を着ることが出来る」というナイスなネタを展開! 』

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去年TモバイルのHPにもそんなのあったんですね。これ最高じゃないですか?確かにドイツポストのトレードカラーって、黄色!
ドイツポストSite

■ 2005.04.04 (Mon)  最新UCIランキング
フランドルを受けて、プロツアーランキングが発表になった。ボーネンは4位に浮上。1位ペタッキ、2位フレイレ変わらず。3位のホンドはどうなる?JUMP

■ 2005.04.04 (Mon)  My お気に入り?エイプリールフール ネタ
pelli.jpg 487×389 36K■ 選手の長髪はエアロダイナミックに貢献しているとして、ペッリゾッティ、ブロシャール、カルペツが槍玉に。更に最悪のヘアスタイル軍団ゲロルシュタイナーには角刈り命令

で、私も遅ればせながら、紹介してもらったDailypelotonのエイプリールフール ネタを見に行ってきました。JUMP

私のお気に入りは こちら。

<<ペッリゾッティのブロンドの長髪が、エアロダイナミックに貢献しているとして嫌疑をかけられたが、彼のITTの結果を見たところでは その限りではなさそうだ。と言うか、現状証拠不十分という扱いになっている。

UCIは、このほか(長髪の)ブロシャール、カルペツについてもここ数年来 業を煮やしており、来週会合を持って、彼らについても同様の嫌疑をかける予定だ。

一方ヘアスタイルのネタつながりで、ゲロルシュタイナーの監督ホルツァー氏が、このほどチームのヘアスタイルポリシーを打ち出した。

「最悪ヘアスタイル・コンテストの話を聞くのはもうまっぴら!選手たちはトレーニングよりもヘアスタイルのケアに時間をかけるようになってしまった。許せないことだ。レベッリンまでもが髪をトサカにしたんだ。あのレベッリンがだよ!」

(この話は、1/21の小ネタ(JUMP)を参照下さい。
「あのう、、、ここのチーム(ゲロルシュタイナー)って、ヘアスタイルが変わっていることが入団条件なのかしら?」とコメントしたあの記事です。)
該当の小ネタ通信へJUMP

ホルツァーは、ただちに選手たちに角刈り(クルーカット)を命じた。「僕だって、角刈りをしている。これは便利だよ。手入れはいらない。夏は涼しい。」

そして、同氏は、”選手たちの格好いいヘアスタイルに嫉妬しているのではないか”、という噂を退けた。>>

( 写真は03ツール。左から長髪のペッリゾッティ、バルベーロ、ノエ、デュフォー(以上当時アレッシオ)、ナルデッロ(Tモバイル)。隣のホテルに泊まっていた彼らだが、9時にゼッケンが配布された後、ホテルの前の湖に散歩に来た。

レース中の選手たち、大体夜9時〜10時頃に暇になって、ちょっと一服するらしい。同じ時間、FDJ、USPの選手たちも一斉に庭でたむろを始めた。)


■ 2005.04.05 (Tue)  IN アンド OUT
■ IN :ウルリッヒお待たせ
ツール・ド・ムルシアは風邪で出場中止となり、今年一切のレースにまだ出場していないヤン・ウルリッヒ。漸くシーズンデビューを果たす。本日5日開幕のシルクイ・ド・ラ・サルト - ペイ・ド・ラ・ロワールだ。(5日〜8日まで。)

とはいえ、ここでいい成績を出すつもりはない。(まだ勝ちたくない、と本人の弁。)感触を掴みたい、という感じだ。


■ IN : ミカエル・ピションやっと復帰

去年ドーフィネ・リベレの落車で谷底まで落ちたピション。先日ブリヂストンアンカーも出場したGBド・レンヌで復帰を果たした。

ブイグテレコム関係者は、「彼が自転車レースに復帰できるのは、朗報だ。ただ、今彼に成績は期待していない。GBドレンヌでは最初の100km走ればいいと思う。それで十分だ。」と述べていた。その言葉どおりというか?ピションは、レース途中リタイヤがついていた。

ブリヂストンアンカーは、田代選手がこのレースで34位に入っている。GPド・レンヌ公式サイトはこちら:公式サイトへ


OUT : カルロス・サストレが骨折
バスク一周第1ステージ最後の上り手前で落車したCSCのサストレ。右ひじ骨折で全治2週間。複雑骨折ではないので、それほど長引くケガではなさそう。一緒に落車したバッソは、切り傷で済んだ。

■ 2005.04.05 (Tue)  今はクラシックシーズン
■ 北のクラシック第二弾: 6日 ヘント〜ウェヴェルヘム

フレイレは今だに体調不良でフランドルに続き、次の ヘント〜ウェヴェルヘムもパス。

また、昨年フランドルの覇者シュテッフェン・ヴェーゼマンは、パリ〜ルーベに集中するため ヘント〜ウェヴェルヘムをパス。


2006年のパリ〜ルーベにアレンベルフの森の石畳復活論

今年のパリ〜ルーベでは、悪名高く 選手泣かせのアレンベルフの森の石畳セクションが廃止になったが、来年06年には、再び復活するという話が持ち上がっている。この部分の石畳はとりわけ状態が悪く、危険ということで廃止になったが、道の修復作業を行った上で再び復活となる可能性。

自治体の手続き上の問題などはあるものの、当局としては、この部分の石畳を責任をもって修復するつもりだ。工事費の見積り費用は22万ユーロ程度。(現在1ユーロは140円ぐらい。円はユーロ・ポンドに対して最近弱含みだ。)修復さえ叶えば、ASOとしても、パリ〜ルーベに、このセクションを再び盛り込みたいとしている。

今年のパリ〜ルーベは4/10。

■ 2005.04.06 (Wed)  ご存知でした? ランスがもし今年ツールで優勝すれば、戦後最高齢のツール優勝者となるって・・・
今の所、過去ツール・ド・フランス最高年齢優勝者はファーミン・“ラッキー”・ランボ。彼は1922年、36歳4ヶ月で優勝している。

しかし、戦後の記録は目下ヨープ・ズートメルク。彼は1980年、33歳7ヶ月でツール優勝を果たした。

もしアームストロングが今年優勝すれば、33歳と約10ヶ月での優勝となり、戦後最高齢のツール優勝者となる!
その事実を知ったランス、「急にがくっと老けた気がする!」と苦笑い。

■ 2005.04.06 (Wed)  オサがジャージを捧げたのは、自動車事故で助手席に乗っていて亡くなった選手
osa.jpg 329×466 20Kアイトール・オサは、バスク一周のリーダージャージを、去年亡くなったJ・オルマエチェア(パテルニナ)の両親にプレゼントした。オルマエチェアは、バスクの中でもオサと同じバスク地方の出身(ギプスコア地方)だったので、オサ兄弟とはトレーニング仲間だった。

オルマエチェアの事故は、トクダネ“2004.10.25 (Mon)  プロ1年目の選手が自動車事故で死亡”に掲載している。([JUMP])

亡くなった原因が、自動車事故で(彼は助手席に乗っていた)、更に運転していたのがエウスカルテルの選手で、さらにヒルクライムレースからの帰りだったことで、衝撃が走った。

「本当は今日勝って、天にいるオルマエチェアに捧げたかったんだ。」とアイトール。彼は2日目はモンクティエに敗れて2位だった。

(写真は’04ツールシャンゼリゼのパレードが終わった後。間違って「ウナイ(オサ)」と声をかけてしまい、「違うよ、アイトールだよ」と言われてしまったあの時のもの。アイトールの方が兄にあたるが、2人は似ていてよく間違える。弟の方が、やや更に甘いマスク、かな?)

■ 2005.04.07 (Thu)  ディスカバリーのG〜W と UCIプロツアーランキング
hammond.jpg 394×325 19K昨日のG〜Wで、ディスカバリーはアントニオ・クルーズが16位に入ったものの、R・ハモンドが落車のケガでDNF。その他ヒンカピー、ファンヘースウェイク、R・ヘシェダル、L・ホスト、S・デヴォルデル、B・ヨアキムら全員がDNFとなった。

とくにクラシック要員として今年ディスカバリーに入団したハモンドは、ケガで10日のパリ〜ルーベは無理かもしれない。(写真は去年、MR.Bookmaker時代のハモンド。去年、TOBをお伝えした時の一こま。JUMP。

ヒンカピーはメカトラ。ホストがホイールをヒンカピーに供与したものの、遅れは致命的となりDNF。ディスカバリーにとっては厳しいレースだったようだ。

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ところで、第6戦終わって下記の通り(但し第5戦は現在行われているステージレースのバスク一周なので、第5戦後のランキングの方が後に出ることになる。)

3/30付けのトクダネでお伝えしたとおり、このレースの優勝ポイントは50でなく40ポイントなので、G〜W優勝者のマッタンには40ポイントがついた。 (G〜Wは、「上記以外のプロツアー ワンデイレース」のカテゴリーに入る)。

なんとなく今の時点では、プロツアーランキングは群雄割拠の様相を呈している。

1. A・ペタッキ ― 93ポイント
2. O・フレイレ ― 70ポイント
3. D・ホンド ― 70ポイント
4. T・ボーネン ― 62ポイント
5. B・ジューリック ― 50ポイント
6. T・ヒュースホーウト ― 50ポイント
7. A・クリア ― 41ポイント
8. A・バルベルデ ― 41ポイント
9. N・マッタン ― 40ポイント
10. P・ヴァンペーテヘム ― 35ポイント

■ 2005.04.07 (Thu)  誰かランスに教えてあげないと!。。と思ったら、既に教えてあげた人がいたらしい
先日、ランスが今年勝てば戦後最高年齢のツール優勝者となる、と書いた。これは先日のCNのアームストロングのインタビューをもとにしたもの。

....引用:これまでの戦後のツールの最高年齢優勝記録は、ヨープ・ズートメルクが所持しており、彼は1980年、33歳7ヶ月でツール優勝を果たした。サイクリングニュースは、このことをランスに説明した。ところ、ランスは、「そうか、僕は最も年を食った選手の仲間入りをしているわけか。」と述べた。..... 引用終わり

ところが、今回、これは違っている、というお便りが!

「トクダネに出ている最高齢ツール優勝者の話ですが、戦後の最高齢は正確にはズーテメルクではなく48年のバルタリです。彼は翌49年のツールの期間中に35歳の誕生日を迎え、コッピに誕生日プレゼントとしてステージ優勝を譲ってもらうという逸話があります。

だから優勝した前年は34歳になりたてだったはずです。数ヶ月の差でしょうけど。だからアームストロングが今年勝ってもまだ最高齢ではないと思いますよ。」

さっそく調べました。するとジーノ・バルタリは1914年7月18日生まれ。1948年のツールで優勝。48年のツールの最終日は7月25日。つまり、彼は確かに34歳になりたて。

ランスは、間違った記録をインプットされてしまったようだ!「戦後生まれた選手の中で。。。」にすればOKだけど、戦後のツールで、というのは間違いだ。このままランスは、この間違ったデータを信じてしまうのだろうか。。。

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面白い展開:

間違った内容のインタビューを掲載していたCNにとりあえず教えようと、今例のインタビューを再び開いたところ、なんと上記の部分がごっそり削除されていた。しかし、小見出しの部分だけは削除するのを忘れたらしく、掲載はそのままだったけど。

"I had a feeling I was one of the older ones. That would be a cool stat to have" - Lance Armstrong on the prospect of becoming the oldest post-WW2 Tour winner.

でも、上記の小見出し以外はインタビュー部分が全て消されていた。つまり、ランスの誤解は解けたらしい。今回勝っても戦後最高年齢のツール優勝者とはなりえないわけだ。

■ 2005.04.08 (Fri)  TTスペシャリストのマイケル・ロジャースは目標をシフト。ツール総合優勝を目指す
rogers.jpg 369×459 38K最近のCNのマイケル・ロジャースのインタビューから。JUMP

弱冠25歳で、ミックことマイケル・ロジャースは世界選手権2冠を果たしている。03年はロードTTで銀メダル。しかしデイヴィッド・ミラーのメダルがその後剥奪されたため、繰上げで金メダルとなった。続く04年は、堂々の優勝。

そんなTTスペシャリストの彼が、今、目標をツールにシフトしている。通常、xxのレースで勝つ、と堂々と言うことをためらう選手が多い。

彼いわく、堂々と「xxのレースに照準を合わせて勝ちに行く」と宣言してきたのは、ムセウ、ヴァンピーテヘム、さらにアームストロング、ジャジャぐらい。宣言した後 うまくいかなかった場合のリスクを考えて、多くの選手は、こうしたことを堂々と言うことはないと。

しかし彼は躊躇なく堂々と言う。「ツールに照準を合わせて狙っていく」と。

彼の中で何が変わったのか?昨年チームにはヴィランクがいた。しかし彼が去って、プレッシャーは彼の肩にかかってきた。ツールの総合順位は彼にかかっている。昨年は総合22位でフィニッシュしたが、もっと上を目指していく。

去年はヴィランクとベッティーニを柱に構成されたクイックステップのツール戦略も、今年はボーネンがステージ優勝を狙い、総合上位のためにロジャースにアシストがつくことになる。

TTスペシャリストがツール総合を狙うとなると、もちろん山岳での力を向上させる必要がある。インドゥラインのように、TTで一気にタイムを稼いで山で耐えるレースができれば表彰台も遠くはない。

最後に彼が一番悔しかったのは昨年のアテネ。表彰台に是非上りたかった。しかし結果は惜しくも4位。ハミルトン、エキモフ、ジューリックが表彰台を奪った。

ハミルトンの検査結果問題が浮上した時、ロシアの自転車連盟はハミルトンのメダル剥奪を要請した。エキモフが金メダルに輝くからだ。さらに、オーストラリアの連盟も同様の要請をした。ロジャースが銅メダルに昇格するからだった。しかし、それらは認められていない。

* 写真は昨年ツールのITTのロジャース。(距離は55km。)しかしこの時彼は50位。得意のTTで力が発揮できなかった。その理由について、彼はこう言っている。(雑誌RIDEで。)

「3週間のツール。最後の週には、疲れで僕の脚はスポンジのようになって、力が出なかった。ツールを戦うということは、普通のトレーニングでは難しい。」

■ 2005.04.09 (Sat)  脳に70のホチキス縫合と2つのチタンプレートをはめたまま優勝したアルベルト・コンタドール
grp0409084657.jpg 326×424 14K■ 闘病時代、アームストロングの前例が僕を支えてくれた。

偶然、アルベルト・コンタドールの記事を昨夜用意していたら、バスク一周の最終ステージITTで優勝してしまった。最終総合順位も3位に。

前日木曜までは総合14位だったのだが、午前中のショートステージで5位、午後のTTで1位になり、一気に表彰台。これにはチーム関係者も喜んだことだろう。

バスク一周での抱負を聞かれて、コンタドールは木曜日 第4ステージの日に、こう語っていた。

「明日の最終日(午前中のショートステージと午後のTT)が一番きつい。なんとか前に前に出たいと思う。カギは、最後のTTをやっつけることだ。」

全くその言葉通り、TTでトップタイムを叩いて逆転で表彰台を射止めた。
以下、昨夜用意していた記事。内容は闘病時代にランスの本に励まされたというもの。

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今年TDUで区間優勝し、セトマナ・カタラナ総合優勝した若手のコンタドール(リバティ)。(追記:さらに昨日のバスク一周でも最後のTTで優勝。)

去年の5/12、アストゥリアス一周の最中に脳海綿状血管腫を起こして落車。病院で重態が続いた。

その彼が、最近スペインの新聞でのインタビューで、「アームストロングの病気からの復帰が僕の大きな力になった」と語った。

コンタドールの話は今まで散々お伝えしたものの、今回のインタビューは興味深かったので、一部抜粋。

― 去年 病気になった時のことを詳しく教えて。

「症状は、アルコベンダスのレースで始まったんだ。(注:2日間で3ステージ走るレース。最終日は目玉のアルコベンダスの山岳TTがある。最近では、オラーノ、モンクティエ、ベロキ、マヨが歴代優勝者。)

もっとも数日前からひどい頭痛は感じていた。でも、僕はツールに向けて必死でトレーニング中だったから出場することにした。でも、レース中に力が出なくて、サイス監督に「調子が悪い」と言ってリタイヤしたんだ。

― でも、その後、アストゥリアス一周に出たんだね。

「その直前にナランコのヒルクライムに出て、調子が上がっていたからね。でも、アストゥリアスの第1ステージで頭痛がまた始まった。そして、40km地点で、それが完全にはじけた感じだった。周囲の同僚の声が聞こえなくなって、そのまま倒れて痙攣が始まった。」

― 診断は?

「アストゥリアスの病院では、血の塊が見つかった。但し、これが落車によるものなのかどうかが分からなかったんだ。で、とりあえず僕は10日で退院した。」

― で、また症状が始まったんだね。

「家に戻って15日目に、また痙攣が始まったんだ。ラモン・イ・カハル病院に運ばれて、検査をしたんだ。そして手術さ。頭頂部を切って、70箇所ホチキス縫合した。チタンのプレートを2箇所に入れたよ。でも回復は順調さ。」

― 自転車に再び乗るのが怖くなかった?

「いいや。先生達が大丈夫だ、って言ってくれたから。車に乗るのと同じように自転車に復帰できた。」

― でもって、ランスの著書「ラ・ブエルタ・ア・ラ・ビダ(It’s not about the bikeのスペイン語タイトル)が支えてくれたんだって?

「本は、病気の前に読んではいたんだ。でもその時は、本の中に登場するツールのこととかにばかり関心が行っていた。でも病気の後に病院で再度読んでみて、彼の回復への意欲に吸い寄せられた。そして、彼の前例に力をもらったんだ。」

― ランスとは言葉をかわした?

「パリ〜ニースで見かけたけど、彼はかなりナーバスだったから話す機会はなかったんだ。でも、彼とは話してみたい。だって僕のアイドルだから。」

― その他支えになったのは?

「家族と友人は、いつも勇気づけてくれた。そしてチーム。普通プロのチームといったら、契約金額だけでの繋がりが常なのに、こうしたハートのあるスタッフたちにめぐり合えたことは、信じられないぐらいだ。」

― 病気が教えてくれたことは?

「自分自身成長したと思う。全てのことがらの価値が、今までに比べて増したと思う。入院中、例えば単に公園を散歩することができるだけのことでもすごく大きなことだった。これからは人生100%めいっぱい生きていきたい。」

(写真は上記インタビューとは別。昨年コンタドールが回復した時の雑誌Ciclismo A Fondoの記事。)

■ 2005.04.09 (Sat)  遂に 日経新聞にランス (今日の朝刊です)
grp0409105411.jpg 208×583 25Kうちは朝日を配達してもらい、日経は毎日売店で買うもんだから、まだ今朝の日経は読んでいませんでした。そこへ、「日経に出てましたよ」、という情報を記事のスキャン付きで頂いて。

内容は、先日小ネタで紹介したあの内容です。ガゼッタに「ランス、あと4ヶ月」という報道が出て、ランスはツールの後に引退かと憶測を呼んでいる、というあの内容。JUMP

こちらで参照・引用したのもAPの外電だったけれど、日経も同じものを参照しているらしい。

記事には、更に、「今年7月のツールで7連覇に向けて、今月末のレースで調整する」と書かれている。これはもちろん、4/19-24日のツール・ド・ジョージアのことだ。(拡大版の方で記事が読めるようになっています。)

こうしたメジャーなメディア媒体に出るのは、競技普及のためには大きいこと。自転車を知らない上司からも、結構「癌を克服したランスは知ってるよ」とか声をかけられたりする。いくら強くてもバッソやペタッキのことは知らないんだろうなぁ。話題性というやつだろうか。

■ 2005.04.09 (Sat)  朝日新聞にも
今日は自転車報道の日らしく、日経だけでなく、朝日の朝刊にも2つの記事。例のランス引退示唆の記事に加え、NIPPOの大門監督を中心に展開しているAXIS プロジェクトの紹介記事。(スイスで強化合宿中の日本選手の写真入り)。

見出しは「目指せ最速ロードチーム:自転車日本代表プロジェクト始動」。記事は21面。

■ 2005.04.10 (Sun)  パリ〜ルーベ下馬評と、1000万円超馬券と、天気予報
海外の幾つかのサイトを見た限りでは、今日のパリ〜ルーベ、優勝者の下馬評は、またボーネンに集まっている様子。次はヴァンピーテヘム、昨年の覇者バックステットあたり。そのほかは、パリ〜ルーベを走るのは最後だからターフィに勝たせてやりたい、といったもの。

まあ、いくら本命はボーネンでも、あくまでも見込み・確率論。波乱がないとは限らない。昨日の福島競馬場ぐらいの大波乱があったら面白いだろう。

昨日、大穴が出て、競馬、競輪、競艇などを含めた国内の公営競技史上最高となる1000万円を肥える最高配当が出たそうだ。これまでの記録は975万円ちょっと。14頭が走って、1着は12番人気、2着は10番人気、3着は9番人気だったというから。これを当てた人がいること自体、奇跡に思える。

P-Rでも、出走200人近くのうち、表彰台を180番人気、170番人気、160番人気あたりがズラリと独占すれば面白い。 もっとも、マグレがそうそう通用するレースではないから、これはあり得ないだろうけど。

ちなみにパリの天気予報は曇りで最低・最高気温は4度/12度。ルーベは午後雨の予想で最高気温は10度。朝の時点で、パリ郊外のコンピエーニュ(スタート地点)は日が差しているという情報。

■ 2005.04.10 (Sun)  P-R : ボーネンは3位以上ならUCIランキングトップに
もし今日トム・ボーネンがパリ〜ルーベで表彰台に上れれば、そして、ヒュースホーウトが優勝しなければ、彼はUCIランキングトップとなる。彼はバスク一周が終わった段階で、現在ランキング5位。トップのペタッキ以下、フレイレ、ジューリック、ホンド全員 P-Rには出ない。

ペタッキとボーネンの得点差は、31ポイント(ペタッキ 93pts vs ボーネン 62pts)。P-Rはトップクラスのクラシックカテゴリーなので、優勝すると50ptsつく。2位は40、3位は35。(3/30付けトクダネにレースの得点配分掲載中。)

3位だったとしても ボーネンは97ptsとなり、ペタッキを逆転する。

CAのヒュースホーウトは、現在50ポイントでランキング7位。彼が優勝するとポイントは100。ボーネンが2位なら102でボーネンがトップだが、ボーネンが3位なら97で首位にはならない。

■ 2005.04.11 (Mon)  パリ〜ルーベにマグレなし、ボーネンプロツアーランキング首位に
boonen2.jpg 640×480 57Kボーネン、ヒンカピー、フレチャが表彰台に並んだパリ〜ルーベ。2つ前の記事に書いた通り、このレースはマグレで勝てるレースではない・やはり強いものが勝つ、ということを再確認した次第。

2002年、ボーネンはパリ〜ルーベで3位に入っている。1位がムセウ、2位ヴェーゼマン。3位ボーネン。3年前に表彰台に入り、このレースを料理できる自信がつき、更に今最も脂が乗っているとなれば、ボーネンの優勝は妥当といえば余りに妥当。

ちなみに、ボーネンは、この時USPに所属していた。ボーネンが02年USPのジャージでP-Rの表彰台に立っているビデオがフランスTVの例のビデオで見られます。その他、ターフィ、Vピーテヘムのビデオもあり。JUMP/

そしてお約束どおり、これでボーネンはプロツアーランキング首位に上った。

1位ボーネンで112pts、以下2位 ペタッキ、3位フレイレ、4位はジューリックとヒンカピー、6位ホンド。ヒンカピーが合計75ポイントとなり ジューリックと並んだ。

■ 2005.04.12 (Tue)  ヴィランクがコメンテーターに
vir.jpg 326×347 27K選手を辞めてコメンテーターになる人は何人かいる。現在ジャジャことローラン・ジャラベールがフランスTVのコメンテーターをやっており、ジャッキー・デュランがEurosportのクラシックレースのコメンテーターをしている。

そして遂にリシャール・ヴィランクもその仲間入りを果たした。Eurosportのジロとツール・ド・フランスのコメンテーターをするそうだ。

WebのEurosportの音声中継がたまにあるが、それでもヴィランクの生声が聞けるのだろうか?ジロが始まったら、ちょっと試してみたいものだ。

(写真は03年ツール。出走サインの際、病気の子供を元気づけるヴィランク。)

■ 2005.04.13 (Wed)  フレチャにスポットライト
flecha.jpg 216×238 10Kスペイン人としてパリ〜ルーベの表彰台に上ったのはポブレトについで2人目のアントニオ・フレチャ。ヘント〜ウェヴェルヘムでも地元ニコ・マッタンの疑惑のドラフティングがなければ優勝していたはずだ。

クラシックレースを重視しないスペインにあって、クラシックが大好きで、ファッサに移籍した経緯がある。

― スペインの自転車界の歴史を塗り替えた気分じゃない?

「ある意味そうだね。メディアへの影響とか、過去のデータを見ると、そんな気がしている。ゴールでは、ジョン・マリー・ルブラン(ASO会長)に、こう言われたんだ。“スペイン人がルーベの表彰台に上るなんて素晴らしい!”」ってね。

― ルーベのベロドロームにトップグループで入った時、どんなキモチだった?

「感激は押しやっている状態だった。とにかくゴールスプリントのことに集中していたから。表彰台に上るまでは、実感が湧かなかったね。」

― パリ〜ルーベで一番印象に残っている場面は?

「カギになったラルブルの交差点などいくつかあるけど、やっぱり表彰台かな。大勢の人がいて、ボーネンとヒンカピーと一緒に表彰台に上れた。彼らのことはライバルとは思っていない。厳しい戦いを共にした戦友みたいな気持ちさ。」

― ラルブルではすごかったね。去年優勝したバックステットもあそこで飛び出した。

「確かにあの場面はいい思い出だ。戦略的にトップグループの前に出た。アタックをするというよりは、とにかく前に前にという思いだった。アタックしてエネルギーを枯渇させたくはなかった。でもあれで、脱落者が出るとは思わなかった。

ただ果敢に攻めるのが、一番のディフェンスだ、と考えていたわけさ。でもあれでレースがあそこまで動いたというのには気付かなかった。観客の叫び声もすごくて状況把握を冷静にする状況ではなかったし。」

― 肉体的にハードだった?

「フィニッシュしたばかりのときはそうでもなかった。でも、その後マラソンを終えたときのような感じになった。筋肉が破壊されたような感じだね。」

■ 2005.04.13 (Wed)  疑惑のヘント〜ウェヴェルヘムはドライバー解雇で落ち着くらしい
mattan.jpg 354×457 26Kニコ・マッタンが優勝したヘント〜ウェヴェルヘム。地元パワーの後押しを利用して勝ったという話がまだくすぶっているが、今回この件で初めて制裁処置が取られることになった。制裁の相手はマッタンではなく、ニュートラルカーのドライバー。

シマノのニュートラルカーのベルギー人ドライバーは、マッタンのドラフティングに加担したとされ、シマノから解雇となった。マッタンは、オートバイと、このシマノのニュートラルカーをうまく利用して、ラスト1km、5秒あったフレチャとの差を逆転した。

レース後、各車、オートバイの挙動が討議され、今回シマノのドライバーは明らかに違反行為があったと認められた。

ニュートラルというのは中立の意味。その車がある一定選手を後押しするのは許されていい訳はない。もっとも、マッタンの優勝は確定で、これがひっくり返ることはない。

(Photo : 02ツール最終日。列車でスタート地点まで移動したら、選手らの列車とほぼ同じ時刻に到着し、プラットフォームで鉢合わせになった。マッタン、これからバスに乗り、レース会場へ向かう。)

■ 2005.04.14 (Thu)  3大ツールはプロツアーに今だ反発
昨日一部の報道で、ジロの組織母体であるRCSが プロツアーとの折り合いがついていないという記事が出ていたが、今日はCNにも。さらに、それはジロだけに止まらず、3大グランツール(略してGT)全てが歩調をあわせているという。

というのも、昨年12/1に関係者間で合意した内容から離反する条件をプロツアー側が主張し始めたのだ。内容は明らかにされていないが、GT側は、ある条件をもってプロチーム20チームが全てGTに参加することを承服した。ところが、この条件が破られる事態が発生。

これは一部の噂なのだが、ジロでは、イタリアのチームをあと2つ招待したがっているという。でも、レースの最大参加人数は200人となっており、そうなるとプロチーム2つをはずしたいはずだ。だから、もしプロツアー側が条件を本当に破棄すれば、ジロはプロチームはずしをする方向に動く可能性がある。

現在のプロツアールールではプロツアーになっているレースには20チームのプロチーム全部を出場させないといけない。しかし、GTがプロツアーからはずれれば、GT側は、好きなようにチームが選べる。ツールだって、(例えばの話、)サウニエルをはずしてRAGTを選ぶことだって可能になるわけだ。

■ 2005.04.14 (Thu)  Evening News
■ 4月26日〜5月1日 ツール・ド・ロマンディ

スプリングクラシックが続いた後、26日からはスイスでプロツアーが開催される。まだ2週間以上間があるので、暫定情報ながら、目下ジロに備える選手などを中心に、有力選手の出場が見込まれている。

訳あって個人的にこのレースにはかなり注目していることもあり、結構情報を入手した。

まず、出場選手数は、ほかのメジャーなステージレースより少ない。プロツアー20チームx8人の合計160名。ワイルドカードなし。余り規模を大きくしたくない模様。

出場予定は、ペタッキ、フリーゴ、カンチェッラーラ、クーネゴ、ブロシャール、モンクティエ、レベッリン、サヴォルデッリ、ポポヴィッチ、アイトール・ゴンサレス、J・ベロキ、そして地元スイスのベルトリアーティ、ザンピエーリ、イェーカーなどなど。

Tモバイルはヴィノクロフが出るかと思ったが、出ない模様。一体彼はどうしたんだろう?

今回、JCロバンがFDJの監督を務める。その他、ゲロルはウド・ベルツ。このように、このレースでは、第二監督が仕切るパターンも結構見られる。

ディスカバリーはブリュイネールではなく、シーン・イエーツが監督となる。思った通りだ。ブリュイネールは、24日まで行われるツール・ド・ジョージアに出るはずだから。ランスの出るレースには、彼は欠かせない。

ジュネーブでプロローグをした後、スイスのロマンディ地方をめぐりながら、第2,3,4ステージが山岳ステージとなっている。


■ ニコ・マッタンがフレチャに追いつくシーン(動画)


G-W関連の多くの記事では、マッタンが、「車とオートバイを使いながらジグザグに走行して、フレチャに追いついた」と書かれている。このほど、読者情報でマッタンがフレチャに追いつく動画サイトを教えていただきました。(ありがとうございます。)

http://www.raisport.rai.it/pub/static/70800/060405Ciclismo_1.ram

見たところ、少なくとも、あっという間にスイスイ追いついている感じはしますが、みなさんは、どんな印象をお持ちになったでしょうか。

■ 2005.04.14 (Thu)  ホンドは解雇
予告どおり ダニロ・ホンドのサンプルBの結果が出た。結果、サンプルA同様、陽性だった。ダニロ・ホンドはゲロルシュタイナーから即刻解雇処分となった。

ホンドは、ムルシアツアーの3度の検査のうち2回でサンプルAが陽性となっていた。

■ 2005.04.15 (Fri)  シンケヴィッツが強盗犯に間違えられた話
schinke.jpg 307×363 27Kクイックステップのパトリック・シンケヴィッツ。17日のアムステル・ゴールドに出場できないのではないか、と冷や冷やした。

今週水曜日、ドイツの洋服店で強盗があった。現場に到着した3人の警官らは、現場付近にいたシンケヴィッツを怪しいとにらみ、尾行し始めた。

そして、突然シンケヴッツのジャケットを乱暴にひっぱって、呼び止め、職務尋問。シンケヴィッツはたまたま散髪に行く途中だっただけなのに。。。そして荒々しく、彼の身体検査を始めた。

そのときシンケヴィッツが思ったこと:「もし拘置所入りしたら、ボスになんて言おう!!」

幸い15分後に、人違いが判明し、彼は解放された。アムステル・ゴールドも、26日からのロマンディも大丈夫だろう。(CNより)

(Photo: 昨年のJ Cup。授賞式の後)

■ 2005.04.15 (Fri)  4/18 ランスの会見をシミュレーションしてみました
grp0415153203.jpg 321×270 16KTDジョージアの前日4/18に特別な記者会見を召集しているランス・アームストロング。一体その発表とは?みんながやきもきしている。
下記は、記者会見の模擬想定です。(巷のジョーク・噂・自作などなど。)

候補その1 :
「引退したあと、シェリルと僕はデュエットアルバムを出すことを決めたんだ。その後ワールドツアーで公演を展開していくつもり。観客のみんな、イエローバンドをお忘れなく!」

候補その2:
「僕のツールへの挑戦は今年が最後さ。これからはハワイのアイアンマンだけに絞って出場するつもり。」

候補その3:
「引退して、自転車のWebサイトを運営するつもり。スローガンは、”打倒 mas ciclismo!?”」

■ 2005.04.16 (Sat)  ブリュイネール監督は「すごくフレンドリーな選手だった」
triki.jpg 585×466 40K珍しく、トリキことマヌエル・ベルトランのインタビューがDailypeloton(DP)に掲載されていた。

トリキは、スペインチームにいたブリュイネールのことを選手時代から知っていた。

ブリュイネール監督の選手時代といえば、96年ツールで崖から転落したものの必死に上ってレース復帰したのが記憶に残っているが、それ以外、選手時代の彼のことは余り知らない。トリキの話を聞くと、人なつこい選手だったようだ。

― ヨハン・ブリュイネールについて。

「彼に会ったのは、95年、彼がまだオンセで走っていた時に会ったのが最初だった。あの時のことを覚えているのは、彼がフレンドリーだったから。いい顔をしていて、雰囲気もよく、親しみやすい感じだった。」

また、03年、コーストからUSPに急きょ移籍した時のことについては:

「03年、突然ウルリッヒがチームに加入して、僕はナーバスだった。ウルリッヒは、僕が山岳ステージで彼のアシストをすることを期待していたから、プレッシャーがかかったんだ。だから、そのために、集中トレーニングも行った。

でも、急にチームは解散となって、(自分はUSPへ移籍し)ウルリッヒのために走る予定だったのが、そのままランスのために走ることになったんだ。彼はツールで優勝。努力は報われた。」

-----*------
ちなみに、DPの記事では、USPに移籍した理由については、単にブリュイネールからオファーの電話をもらった、としか書いていなかったが、03年にトリキ本人からもう少し詳しい理由を聞いたことがある。

トリキの話によると、03年のムルシアツアーの際に、トリキの方からランスにじき談判し、USPでポストがないか、聞いたそうだ。

コーストがその年の初めから給与未払いになっていて、トリキは相当心配し、コーストにそのままいるのは得策ではない、とあせっていたという。

ランスはスペイン在住なので、片言のスペイン語がわかるとのこと。その時には特に彼から返事はなかったが、後でブリュイネール監督から電話でオファーがきた。

世の中ただ待っていても打開されないこともある。自分からアピールすることも大事。自転車の世界だけでなく、物事全般確かにそうだよな。(ちょっと最近それを実感するようなできごとがあったので、しみじみそう思ったりする。)

■ 2005.04.17 (Sun)  4/17 ツール・ド・草津 その1
kusatsu.jpg 525×476 69Kグレッグ・レモンも出場した今年のツール・ド・草津。風が強くて上の方はかなり寒かったものの、天気は晴天。

10時に天狗山から温泉街へ抜けてパレード、その後レースが開始となった。パレードでは、温泉宿のスタッフの人たちが熱い声援。

腰の曲がったおばあちゃんが、宿の前でみんなに「頑張ってねぇ」という暖かい言葉をかけていく。「ありがてぇなぁ」と言いながら通り過ぎるライダーも。

草津は日本でも有数の温泉街だけど、それにあぐらをかくことなく、レースへの熱い支援や、スキー、サッカーへの支援など、町を盛り上げようという機運がひしひしと伝わってくる。

本当はグレッグ・レモン見たさで出かけたものの、宿も食事も もちろん温泉も大満足で、草津を丸ごと堪能した。

■ 2005.04.17 (Sun)  4/17 ツール・ド・草津 その2
wanda.jpg 436×323 24K本日も登場、犬のワンダ君。去年のジャパンカップではマリアローザを着て登場。クーネゴに、しっかりサインをもらった。

そして今年のツール・ド・草津。グレッグレモンがかつて所属していたチームZのジャージで登場し、二匹目のどじょうを虎視眈々と狙う。

そして、結果は。。。今回もしっかりサインをゲット。周囲は、「私も犬になりたい。。」と羨ましさいっぱいで取り巻きながら見物していたのでした。

写真:グレッグ・レモンからしっかりサインをもらうワンダ君。

■ 2005.04.17 (Sun)  4/17 ツール・ド・草津 その3
yumomi.jpg 393×582 40Kレース後、表彰式で優勝カップ授与をしていたグレッグ・レモン。79歳の最高齢賞受賞のおじいちゃんの登場には満面の笑顔。(それにしてもスゴイ!)

写真は、草津名物湯揉みの時に使用する板。それにサインをするグレッグ・レモン。表彰式での一こま。地元にとっては、とてもいい記念になった。

閉会の挨拶では、「食事はおいしいし、人々の歓待ぶりが最高だった。また来日したい。レースのほうは正直きつかった。なにしコレだから」、、と言ってポンポンとでっぱっているお腹を叩いた。

レースに出ていた人の話:「グレッグ・レモンを追い越しちゃって、あれまずい、と思った」
「すごく太っていた。マラドーナみたいだった、、、っていうのは冗談だけど。」
など、選手時代の体型とは随分違っていた彼に驚きの声も。

引退して、体型が変わる元選手は多い。かつて選手だったブリィネール監督も毎年見るたびに太めになっている。

デルガドやインドゥラインなどは、体型を保っている方だろう。今中さんなどは、逆に選手時代よりスマートになった感じがするけれど。

■ 2005.04.18 (Mon)  アムステル・ゴールド終わって最新プロツアーランキング:
ディルーカが3位に浮上。ボーネンのトップは変わらず。112ポイント。2位は93ポイントのペタッキ。3位はディルーカで91ポイント。以下:

4位:オスカル・フレイレ ・・・・・・ 79pts
5位:ジョージ・ヒンカピー ・・・・・ 75pts
6位:ボビー・ジューリック ・・・・・ 75pts
7位:ダニロ・ホンド ・・・・・・・・・・ 70pts
8位:ホセアントニオ・フレチャ ・・・ 65pts
9位:ダヴィデ・レベッリン ・・・・・・ 61pts
10位:トール・ヒュースホーウト ・・・55pts
11位:ボーヘルト ・・・・・ ・・・・・・ 45pts

■ 2005.04.18 (Mon)  ジロが規約違反。各プロチームに一律6万ユーロ払うことを拒否
プロツアーの規定では、各プロチームはプロツアーに出場するたびに一定の金額の供与を受けることになっている。出場するための補償金のようなものだ。

例えば、ジロの場合、ジロ主催者であるRCSは 全てのプロチームに対し、一律6万ユーロ支払わねばならない。ところが、RCSは、この規定に違反しようとしている。

現在 RCSは6万ユーロを全てのプロチームに均等に支払うことを拒否! 大きなチームには多額の金額、弱小チームには少ない金額で妥協しようという案を持ち出した。

20チームで更生されるプロチームの会長であるパトリック・ルフェーヴル(クイックステップの監督)は、48時間以内にジロ主催者であるRCSがプロチーム全てに対して6万ユーロ支払わなければジロへの出場は確約しない、と脅している。

チームの規模によって、金額を差別するのは許されない。ジロは規定どおり一律6万ユーロを全てのチームに対し支払うべきだ」とルフェーヴル。

しかしこの問題に対する足並みは揃っていない。ラボバンクなどは、今になってジロ出場を見送るわけにはいかない。ジロには出る代わりにジロ出場に対する補償金の引き上げを主張している。

ファッサ、ランプレなども同様だが、ジロに出場することでこれらのチームは既に年間プランを立てている。今更ジロ出場を取り止めるわけにはいかない。代わりに昨年より10%水増し金額をRCSに対して要求したいとしているのだ。

ジロは5月8日スタート。落としどころは果たして?

■ 2005.04.18 (Mon)  ハミルトン、ものすごいウルトラCが出る?
ハミルトンの判決は、今日にでも出ると噂されているが、まだ米国では昼間の時間帯ではないので、事実はまだすぐにはわからない。しかし、リーク情報はばっちり出ている。

もしこれが本当なら、LAタイムズのスクープだ。ちょっとびっくりして、興奮気味なのだが、ハミルトンの血液中に、2種類の異なる赤血球が入っていたロジックとして、こんな説明がされたとLAタイムズは述べている。

そのロジックとは:ハミルトンは母親の胎内で胎児だった際に、実は双子だったが、片方の退治は流れてしまった。。。

これはマサチューセッツ工科大学の遺伝学専門の教授の説で、生まれなかった双子の細胞は、生まれた方の胎児の細胞に組み込まれる、という説。これを今回ハミルトンのディフェンスに適用しようという動きがある、とLAタイムズは述べている。

ただ、これですぐにハミルトンが潔白となり、レース復帰ができるのかどうかは不明。赤血球の成長を考慮に入れたSI値で、彼は過去上限ぎりぎりの数値を出している。フォナックは去年のツール・ド・ロマンディでチーム別の血液検査の値がダントツにほかのチームより高かった理由もここにある。これで、チームもハミルトンもかつて警告を受けている。

もし、このLAタイムズのリーク情報が正しければ、土俵際の大逆転となる可能性もある。

■ 2005.04.19 (Tue)  ランスの噂はやっぱり。ツールのあとで引退。
アームストロングは、引退後ディスカバリーチャンネルのTV関連の仕事とディスカバリーチームの仕事の双方を引き受ける

ランスの18日の会見は、やはり事前引退説明会見だった。

引退レースはもちろんツールドフランス。今年の7月24日、シャンゼリゼが彼の最後のレースとなり、14年間のプロサイクリスト人生の幕を閉じる。

同時に、ツール7勝目への新たなる闘志を表明した。

ツールの後の引退シナリオは、ごく自然な成り行き。なんでこのニュースがビッグニュースなのか、と疑問に思っている人が一部いるようだ。(海外の掲示板を見ていると)

今日から始まるツアー・オブ・ジョージアの宣伝じゃないか、という説(当方もそう思ったものの)もいまだにくすぶっている。ただ、スポンサー向けにきっちり発表する必要はあっただろう。

実はランスはディスカバリーと2年契約をしていた。

2年間のうち、1度ツールに出て引退、ということで合意していたという。というのも、今年ツールをスキップして、来年挑戦というシナリオも可能性として残っていたせいだ。

だから、スポンサーに対してもきっちりと今後の見の振り方を説明する必要があった。

ランスの談話:
「ツールを走ると決めた後、様々なことを考えた。テキサスに残した子供たちと1ヶ月間離れ離れ。それが徐々に自分には辛くなってきている。

特に今年は、今までになく(離れ離れでいることが)きつい。というのも、子供たちは丁度どんどん成長して、毎日、いや毎時間 どんどん変わっていく年齢に差し掛かっているんだ。だから子供たちと3ヶ月も会えないのは、もう拷問のようなもの。

子供たちにとって人生で大事なこの時期を、僕は逃すべきじゃないんだ。」

さらに、癌撲滅活動も続けていく。もちろん、上記のコメントをそのまま信じている人ばかりでない。シェリル・クロウと一緒にいたいからではないか?と上記のコメントの「子供」を「シェリル」に置き換えて考える人もいるだろう。

そもそも、メディアを見る限りでは、彼は子供と一緒にいる時間よりもシェリルといる時間の方が多いいようなので。

引退したアメリカ人ライダー、グレッグ・レモンは来日した。ランスがツール・ド・草津に出場する日がくればいいなぁ、そう話している自転車ファンの人もいる。

■ 2005.04.19 (Tue)  タイラー・ハミルトンは2年間の出場停止処分
やっぱりハミルトンの弁護には、「胎児の時双子だったから異種細胞が混在していたという理論」が使われていた。 (昨夜のトクダネ参照)

ランスの引退会見のあと、ハミルトンの件も決着がついた。がっかりしたファンも相当多い。

北米アンチドーピング機構の正式発表は以下のとおり。

「北米スポーツ調停所は、タイラー・ハミルトンがドーピング規定違反をし、他人の血液を輸血したことを認めた。これをもって、ハミルトンはドーピング違反で2年間の出場停止処分を受けた。」

「ハミルトンとチームに対しては、2004年春と夏の時点で、血液輸血の疑いがある、と警告していた。そのため、UCIは(任意の検査ではなく、)ターゲット検査をハミルトンに行うことを決め、その後の血液検査で陽性が出た。」

しかし、決定文を読むと、最終的な決断は投票で行われたようで、ハミルトンを支持した人もいるようだ。

出場停止処分は昨日4/18からとなる模様:

「ハミルトンはヴエルタの最中9月11日の検査で陽性となった。以降の成績は無効となる。ハミルトンの2年間の停止処分は2007年4月17日に終わる。」

判決が出るまでに長い間かかったわけは下記に書かれている。

「なお、調停所は、ヒアリングを行ったあと、ハミルトンに対して特別措置として証拠を収集するための期間として、1ヶ月延長を認めた。」

昨日付けで、ハミルトンのDiaryもアップデートされている。今までになく長い文章だ。JUMP

------*-----
ハミルトン側の抗弁と「双子説」が排除されたわけ

ハミルトン側の主張(調停所の判決文から):

1.テストは不十分
2.質量検査がなされていない。
3.混合赤血球が見つかった=ドーピングではない。
4.混合赤血球が発見された理由には以下の原因も考えられる。

==> * 疾患、* 骨髄移植、* 胎児の時に子宮内で双子同士の細胞交換があった、* キメラ現象(異種細胞が同時に存在しうる突然変異)

これに対して、調停所側は、科学的な分析も含め、相当慎重に分析を行ったようだ。ハミルトン側があげた疑問についても、真摯に答えている。

例えば、今まで20,000以上のサンプルの血液検査を行ってきた血液検査のベテラン、ブラウン博士によると、過去に1例だけ、異種細胞混合ケース(キメラ現象)が所見されたという。

ところが、この1例の場合、この人物は異種細胞を20年にわたって保持し続けたという。しかしハミルトンの場合は、ある時は異種細胞が見つかり、ある時は同一細胞のみという結果だった。

異種細胞を保持するのであれば、それはある一定期間は存続するはずであり、それが検査ごとに異種だったり同一だったりする現象は、今の所血液輸血以外には考えられない、というのが今回の結論のひとつだった。

もっとも、異種骨髄移植などの場合、逆に恒久的キメリズム(異種細胞の混合)を維持することはないというデータもある。つまり、ハミルトンのケースのように、キメリズムが一時的に表われることも、いつの日か 科学的に説明がつく日くる可能性はゼロではない。

今後 科学の解明が今まで以上に進み、今回のような事象の説明がつくことはないとは言い切れないが、残念ながら ハミルトン側も、この現象に対する十分な証拠や説明には至らなかった。

■ 2005.04.20 (Wed)  4/17 ツール・ド・草津 その4
champ.jpg 638×409 41K■ ツール・ド・草津 参戦フィードバック その1

出場したレモン・ファンの方からフィードバックです。Zのウエアでばっちり決めて走った方です。

「自転車とウェアを揃えて行って正解でした。そっくりさんも、少なくなっているだろうから、いいかな?と思ったのですが、特に(レモンの)自転車は、レース中にとても喜んでくれました。

さすがに、時代の流れでしょうね。昔はゴロゴロいた偽レモンも、私の他に人間一人、わんちゃん一匹でしたものね。偽ランスは、いっぱいいましたけれど(笑)。ジャージは消耗品なので、着られるコンディションで持っているのが難しいのも、昔のジャージが減った原因の一つでしょうね。

いつも思うのですが、スポーツの成功者はファンサービスと笑顔が素敵ですね。サービス・トークも(笑)。」

この方(KazGさん)、実は当方も会場で目撃しました。全身Zのジャージに身を包んでいて、完全にレモンの格好をシミュレートしていたので、本人から、「君こそチャンピオンだ」と言われていました。

この方の草津レポートはこちらです:JUMP ... (メイン頁はこちらのリンクの頁Cyclinksからも入れます。)

(Photo:各カテゴリー優勝者によるシャンペンファイト。)

■ 2005.04.20 (Wed)  ハミルトンのケースはまだ完全に終わったわけではない。上告の可能性もまだあり
お便りから。

「僕のもっとも好きなライダーはハミルトンです。2003のツールで、骨折しながら走ったり、走り方や、彼のHPのコメント…、なにか、真摯に取り組む人だなぁと、僕にとってはすごく人柄から好きになったライダーのひとりです。(中略)彼の性格とか、これまでのやり方をみてると、彼を信じたい気持が強いです。」

これは、多くの人が感じていることでしょう。彼のDiaryから感じられるのは、「真摯」とか「誠実」とか。とりあえず客観的な状況は今のところ下記の通りです。

* 彼自身は自分がドーピングをやったとは認めていない。

* 更に昨日のニュースを注意してご覧頂くとわかるのですが、今回のヒアリングは北米調停所が行い、北米アンチ・ドーピング機構が出した結論です。彼がヒアリングのために、北米内を移動していた過程からもわかるとおり、ローザンヌに本部のある調停所で審議を行ったわけではありません。
最後の手段は、ローザンヌに本部のあるスポーツ調停所に上告することです。彼は現在弁護士とともにこの可能性を検討しています


ただ、彼のヴエルタのみならず それ以前の血液検査の結果も加味した結論なので逆転には相当な証拠が必要となるかもしれない。

昨年の春以来、ハミルトン、カメンツィン、S・ペレスの血液検査の結果が上限値に限りなく近く、結果としてフォナックは、ほかのチームの平均値よりもかなり高い結果が出ていた。

むしろ、仮にハミルトンが今回クロになったとしても、半年ぐらいでレース復帰できればよかったのに、そう個人的には思います。

頂いた言葉の中で、下記に思わずうなずきました。
「高圧的な方法で才能ある選手を排除してしまう、このやり方は、どうも馴染めませんね。」

もしハミルトンの停止処分が即時半年であれば、もう今頃はレース復帰できていたわけです。延々と出口の見えない調停を続けるよりも、初めてのケースであれば、半年ぐらいの停止処分にして、その代わり復帰後に定期的に頻繁なスクリーニング検査を受けるようなシステムではだめなのかな、と。

ミラーの場合もそうですが、才能ある選手にとって2年は長い。もちろん、UCIがアンチ・ドーピングに対して断固たる態度でのぞむ気持ちはわかるけれど。

■ 2005.04.21 (Thu)  4/17 ツール・ド・草津 その5
lemon.jpg 449×409 53Kツール・ド・草津 参戦フィードバック その2

● 「ツール・ド・草津、僕ももちろん参戦してきました!今年で10回目!そしてあこがれのレモンに会うために!結果はスタート前に握手。レース中に追い付いてしばし並走。ゴール地点でサインをげっと!幸せです!!!

レモン。太ってましたねえ。ビックさいず!とかいってお腹を指差すと、1ベイビー♪なんて笑ってました(^o^)いい人だ♪

中学時代の憧れたレモンと並走なんて夢のようでした!20年越しの夢でしたね。でも、レモン氏、僕には「イージー♪」なんて笑顔でしたよ。

山頂ではサインももらえたし。最高のイベントとなりました!このバイクに乗る写真は、確かにちょっとヘビー級だった。草津の商品は毎年凄いです。(↑10年出て抽選に当たった事は無いのが哀しい。。。)

この方のサイトはこちら。4/18のエントリー(タイトル:レモン捕獲!)にレース中のレモンのすごく素敵な笑顔の写真。バックには、名残雪が写っています。JUMP


● こちらは、実際にレースには出ていなかったものの、来日するレモンに注目していたおひとり。レモンの様子を見て一言:

「グレッグ・レモンは太目の体型になられていたようで・・・。ウルリッヒは引退後、
どうなってしまうのだろうと、つい心配になってしまいました。(^_^;)

グレッグ・レモンは、体の中にはまだ、事故のときの散弾が残っているのですよね。それを思いますと、あんな風に元気な姿を見ることができて、とてもうれしいです。」


●「アメリカの友人の話によれば、レモンは一昨年より細くなったそうです(笑)。」

(Photo: 草津の温泉街をパレードする、ちょっと太めのグレッグ・レモン)

■ 2005.04.21 (Thu)  タイラー・ハミルトン上告決定!
grp0421151314.jpg 381×316 50K昨日お伝えした通り、やはりハミルトンはスイスのローザンヌにあるTAS(arbitral du sport)と呼ばれるスポーツ調停所に上告することを決定した。

「潔白な選手がこんなかたちでレースから締め出されるなんて、今回の決定にはびっくりした」として、あくまでも戦う意思を表明。

ハミルトンのコメント要約は下記(ハミルトンのDiaryから):

「月曜に決定が出て以来、多くの支援をありがとう。もちろんがっかりしたけど、僕の戦いは続く。これは名前を晴らすためだけの戦いじゃない。スポーツ選手が嫌疑をかけられた際、彼らが受ける扱いを、今後改善していくためのミッションのようなものでもあるんだ。

陪審員の意見の中に、僕らを勇気付ける内容のものがあったんだ。」

(注:4・19のトクダネをご覧ください = しかし、決定文を読むと、最終的な決断は投票で行われたようで、ハミルトンを支持した人もいるようだ。)

ハミルトンを支持しているキャンベル氏は、ハミルトンのケースをひっくり返す科学的証拠を提示したわけではないが、検査結果の中には、間違った結果が混在していると主張し、今後更なる手法の確立を求めている。

そして、ハミルトンは彼に対しDiaryの中で心からお礼を述べている。こうした追い風を受けて、ハミルトンは再度戦うことを誓った。

(Photo: 03Tour ITT)

■ 2005.04.22 (Fri)  リエージュから
hotel.jpg 320×240 24Kリエージュの宿からの写真です。現在、まだ金曜朝10時。宿に到着したてで、これから街に出ますが、とりあえず、機内でもらった新聞と、ベルギーの列車で配布された新聞の中から記事をピックアップ。

機内にて
行きの飛行機はエアフランスだった関係で、レキップ紙をもらった。ハミルトンやアームストロングの記事が出ていた。アームストロングの関係では、ローラン・フィニヨンのコメントが彼らしい気がした。

「もちアームストロングの当初の目標が歴代のツール5勝を破ることだったとすると、さらにその次の7勝まで目指すのは、難しいだろう。精神的にモチベーションを保っていくのは、かなり苦痛なのではないだろうか」と。

ハミルトンのニュースでは、胎児の時に双子だったというロジックでは、次の上告を勝つのは難しく、他の証拠提出が必要だろうといった内容。そうやらハミルトンは、審議中の今年の2月にも血液検査を行ったそうだ。そして、その際には異種の赤血球の所見はなかったという。

また、去年春から彼がグレーとして扱われていたという報道は既に聞いていたが、実質的に彼はその時点でブラックリストNo.1だったことがわかった。最初に口頭での警告を受け、次には書面での警告も実は受けていたらしい。

異種細胞が混じっていた件と、春の時点での血液のいくるか値レベルの高さについて、可能性を述べるだけでなく、証拠の提示も必要になりそうだ。

列車にて
Diaryで写真を公開中の生ハム入り豪華朝食付きの1等列車は新聞も配布していた。Le Soirという現地の新聞にはL-B-L 直前のアクセル・メルクスの記事。

「先日バスク一周ではチームメートのベテラン、バゲが出場しておらず、ふと気がついたら、食卓を囲むメンバーの中で僕が一番年寄りだった。」という談話。アクセルも32歳だって。新聞の見出しも、「僕は、、、最古参者になりつつある」というもの。

■ 2005.04.22 (Fri)  ディスカバリーはリーダー探し開始
アームストロングが去ることになり、ディスカバリーの幹部デモル氏は、緊急にリーダー探しを開始するようだ。といってももちろん、誰でもいいというわけにはいかない。とりあえずポポヴィッチを獲得したので、彼に期待する。同時にポスト・ランスを探すことになる。ディスカバリー、チームはスタートしたばかり。強いチームにすることが急務だ。

■ 2005.04.23 (Sat)  助走
ということで、作家ジョルジュ・シムノンゆかりの地を尋ねる観光とマーストリヒト観光なぞしたもので、事前レースの場所は選手がくる前にちょっと行っただけ。

それにしてもこちらの新聞・TVはアクセル・メルクスのことばかり。いかに父親の存在が大きいかを痛感。これではプレッシャーは想像以上に厳しいだろう。

選手たちが泊まっている宿に行って気づいたことがひとつ。それは、今年からチームバスの胴体部分にプロツアーマークが入ったこと。

エウスカルテルはちょっとどこにはいっているのかわからなかったが、サウニエル、CA、リバティーなど、全く思い思いの場所にあのロゴが入っていた。UCIからの強制なのか、プロチームであることへの誇りの表れか。。

■ 2005.04.23 (Sat)  サイス監督、どこが違う?キーワードは“アクティブ・レスト”
オンセ時代・リバティーセグロスと、スペイン自転車界の実力派監督マノロ・サイス。03年ヴエルタで取材の車と揉め事を起こしたり、いつもむすっとした表情だったり、ネガティブな印象を持っている人も多いだろう。しかし、「サイス監督のもとで走りたい」、という声を時々聞く。一体彼はどこが違うのだろう?

オラーノ、ジャラベール、チュレ(ツーレ)らを輩出したオンセ。インドゥライン、オラーノ、ヒメネスらが走ったバネストとよく比較されるが、決定的に違う。サイス監督のチームは、最も民主化が進んだチームといわれる。

バネストはリーダーをひとり決めて、どんなに調子が悪くともそれに固執するタイプだった。(最近は過去の反省から戦術を変えているが。)対照的に、サイス監督は常に選手のコンディションを見ながらフレキシブルにリーダーを変えていった。その辺の判断は、とにかく早かった。

そのため、レース途中で突然リーダーに指名された選手が、状況次第で次の日にはアシストになるよう言い渡されることもあった。これはリバティーになってからも変わらない。

彼の民主化は徹底している。選手の格の違いで機材を不公平にするといったことは絶対に許さなかった。どの選手をも公平に扱い、更にレース中、ひとりひとりの選手の話をじっくりと延々聞くのが常だ。また、スペイン以外のレースに積極的に出るようになったのにも、彼のチームが先陣を切った。

彼が対等を強調するのは、何も選手やレースとの関係だけでない。取引先に対してもそうだった。以前LOOKからジャイアントに転向した時も、転向の理由は、ジャイアントの提示したオファーの方がよりフェアーだったからだった。過去の馴れ合いだけで物事を決めない。

また、自ら技術的な点にも深く関わった。新しいペダルは、メーカーに任せず、自分達で開発した時期もあった。マドリッドの学生を雇ってより革新的な技術を目指してR&D(研究開発)をさせた。

「アクティブ・レスト」(積極的休養)を最初に取り入れたのも彼だ。ツールを走る選手には、アムステルゴールド終了後、最高で5週間積極的にからだを休める試みなどもした。フィジカル、メンタル両方において、常に革新を求め続けているのがサイス監督。

「うちのチームは他とは違う。魂がある。」サイス監督の口癖だ。これを聞くとコンタドールとの人間味溢れる逸話も(1/20のトクダネ)頷ける。

■ 2005.04.23 (Sat)  4/23 L-B-L追っかけ日記

今日は午前中選手の宿に行ってきた。事前に選手がどこに泊まっているか、というのは情報はなし。昨日、私がここの宿(ホリデイイン)が臭い、と思ったわけは2つ。

1.規模が大きいし、格が最高ではないが、悪くはない。
2.街の中心から少しはずれている。中心地にあるメルキュールは車でいくと混雑しそうな場所なので、メルキュールは違う、と睨んだ。

ここにいるチームは:FDJ、CA、エウスカルテル、リバティー、コフィディス

選手らは大体10時から11時までの間に支度をして練習に行く。FDJが一番早くて10時。コフィディスが一番遅くて11時に集合。

ツールと違って、レース前日なのに、みんなリラックスムード。ボトルやキャップは練習から帰った選手に「頂戴」といえばもらい放題のようだった。仲良しになったベルギーのカップルは、ほとんどのチームからもらっていた。

当方は鞄が小さいため、もらうつもりはなかったものの、その場の雰囲気で選手の方からくれたりしたものもある。

コフィディスのビンゲン・フェルナンデス(ビンヘンでなくビンゲンだそうだ)からキャップ、FDJのフィリップ・ジルベールは飲み干したてのボトル。リバティの選手からボトル。スタッフらからポスター、ミュゼットなど。

CAのカシェチキンからもキャップをもらったのだが、この場合、実は他のファンの人が、「東京からきたんだから彼女にキャップあげてよ」と言ってくれた!

ただし、ファンの間には鉄則があり、トレーニングから帰った選手にだけしかせびってはいけない。行く前に言うのはNG。ま、当たり前だけど、全員がちゃんとそれはわきまえていた。

おしゃべりした選手:
その1:B・フェルナンデス(COF)

去年ツールで会ったEUSのメカニックの人が当方を覚えてくれていて、チームバスの中に入れてくれた。中にいったら、コフィディスのフェルナンデスが座っていた。

ー あなたコフィディスなのになんでここにいるの?
「僕はエウスカルテルでもともと走っていたんだ。ここには知り合いがいっぱいいる。マッサーのチェマには随分もんでもらったよ。僕も彼にお返しでマッサージしてあげたけどね。」

ー サイトDaily Pelotonに何度か英語で投稿してたの見たよ。
「ああ、ありがとう。僕は英語のほかにイタリア語、フランス語もしゃべるんだ。今はフランスのチームだからね。ところでこのチームバスのことはどう思う?」

ー なんか地味でびっくりしたわ。
「地味?もっと違うのを想像してたの?」

ー うん。例えば選手のポスターとか貼ってあるとか。なんいもないし。
「でも、これがごくごくスタンダードさ。」

ちなみにエウスカルテルのバスの中は、トイレ、シャワーがあり。コーヒーマシンはしゃれたものはなく、よくオフィスにあるようなコーヒー入れタイプで、ファッサのようなエスプレッソマシンはなし。前方は台所、中央部にトイレとシャワー、後ろがサロンになっていた。

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その2:カシェチキン(CA)
ベルギーのファンが、「彼女は東京からきたんだから」とカシェチキンに話した時に、「そうなんだ?僕、日本に行ったことあるんだよ。」

ー え?レースで?
「うん、大阪ステージとかあるやつ。」

ー あ、ツアーオブジャパン?
「そう、(とちょっと曖昧に言ったので、レースの名前は覚えていない模様。)チームはカザフスタンチームとして出てたんだ。だから日本語も知ってる。アリガトウって、イまでも覚えてるよ。」

そこで写真を撮らせてもらい、「スパシーバ」(ロシア語でありがとう)と言ったら大笑い。お互い、ありがとう、という言葉だけは外国語でも知っているんだよね。


その他、ニコラ・ヴォゴンディに、「FDJからCAに移ったけど、どこか違う?」と聞いたら、「ジャージが変わった」と一言言って大笑い。うまくかわされた。でも、ものすごくご機嫌で感じがよかった。

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再会シリーズ:
1.レオナルド・ネルタニョッリ
ー 元気?ジャパンカップで何度も見かけたよ。
「今年は宇都宮には行けないよ。ここのチームではジャパンカップはプログラムに入っていないから。」(ただし当方イタリア語ができないので、この会話は、手振り身振りで言葉を補完。)


2.EUSのメカニック、トマス。「トマス」と声をかけたらびっくりしたが、「もしかして去年のツールでホテルが一緒だった人?」と思い出したようだった。ゴディバのチョコレートをもらったり、エウスカルテルグッズをもらったり、バスに入れてくれたり歓待された。

もうひとりのメカニック、ホセ・ナサバルは以前カースで走っていたスプリンターだという。結構有名な選手だったと。しかし、本人は恥ずかしがって、「その話はよせよ」と逃げまくっていた。実直でシャイなものすごくいい人だ。


3.2003年宿が一緒だったAG2Rのメカニックをみつけた。ただしFDJにいた。

ー あなた、もしかして以前 AG2Rにいなかった?
「あ、もしかしてツールのポーのステージで一緒の宿だったよね。ツーショット写真撮ったの覚えてるよ。」(まさか覚えているとは思わなかったのでびっくりしたが、お互い様だったようだ。)

ー 今FDJに移ったんだ。FDJはプロチームだから大きいレースに出られてよかったね。
「そう、でもチームが違っても、やることは一緒。チームが変わったことは意識はしてないよ。」

4.サウニエルのメカニック
ー あなた、クイックステップのメカニックじゃなかった?
「あれ、もしかして宇都宮(02ジャパンカップ。)で会ったよね?」

ー 仕事探ししてたけど、見つかったんだ。
「おかげさまでね。失職せずにすんだよ」

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コフィディスの監督はこの日はフランシス・ヴァン・ロンデルセルだった。彼自身元選手で日本のレースで優勝したことがある、と言っていたが、本当かどうかわからない。彼からは相当おちょくられたので。

ちなみにファンから聞いたボトルをもらうコツ。5歳までの小さい子供かおばあさんを差し金にだす。実際10歳ぐらいの子供の母親(かなり見かけ年配風)は、子供のかわりにボトルをもらいまくっていた。

理由を聞いたら、子供ももっと小さいともらいやすいが、10歳ぐらいになると、おばあちゃん風の人のほうがもらえる確率がいいんだそうだ!日本の場合は、犬が一番確率がいいんだよ、と言ったらびっくりしていた。

宿に来ていたファンは私を含めても20組程度。少ない。私はここに9:30から13:30まで滞在したのだが、ファンの人とつるんで、ずっとおしゃべりしていて、全く退屈せず。

ファン同士の情報交換で、ディスカバリー、Tモバイルがどこの宿にいるか聞き出したが、かなり遠くのホテルであることが判明。行ける距離ではない。他にフォナックだけが、そばの宿にいると教えてもらったが、もうここだけで十分だったので行かず。

撮影した写真は350枚。でも、ネット環境が最悪で写真アップはやめておく。(回線はスンナリつながるのに、PCの方がガタがきていて、昨日はあれっぽっちの作業に5時間かかった。インターネット画面を出すのに5分以上、立ち上げに10分、すぐにダウンを繰り返す果てしない作業。)

■ 2005.04.25 (Mon)  L-B-Lはスタートを観戦

L-B-Lの日。天気予報は見事にはずれた。少なくともスタート地点は快晴。ディルーカが白いプロツアーリーダージャージで登場。フレイレはアルカンシェル。サインをした後、多くのジャーナリストたちに取り囲まれていた。ディルーカの方は、ジャーナリストを警戒している風。

レベッリン、バルベルデ、ヴィノクロフもいる。でも、いつかジャーナリストの人が言っていたとおり、ヘルメット義務化のせいで選手の表情が余りわからない。残念だ。バルベルデは、ヘルメットからトレードマークの巻き毛がのぞいていた。サングラスがなければいいのに。

残念ながら出走サインの時のバルベルデの写真は撮り損ねる。なにしろ(まあ訳あって。。)20枚しか写真が撮れない状況だったので、あせってしまった。一緒にスタート地点にいた他の日本人のファンの人2人に聞いたけど、2人とも撮り損ねたとか。サインは あっという間だったので。

バルベルデは、思っていたより体格がよかった。もう少し華奢なイメージがあった。ヤクシェもそうだ。過去、バイクに乗っている姿を遠めには随分見たのだが、前日宿の庭で僅か30cmの距離で見ると、改めて体格がいいのに驚いた。

L-B-Lのスタート地点で仲良しになったイタリア人でベルギー在住のおじさんは、ミラノ〜サンレモ、パリ〜ルーベ、L-B-Lが最高だという。L-B-Lはサン・ニコラの登りなど、パヴェとはまた一味違った面白さがあると。

とはいえスタート地点は、結構な石畳。街の景観をよくするためのものだそうだが、パヴェといえばパヴェに違いない。

スタート地点で会った砂田さんをそのイタリア人のおじさんに紹介した。「ムッシュー砂田はイタリアに家があってイタリア語ができるんだよ」、といったら、嬉しそうにイタリア語で話し掛けていた。

砂田さんは、余り彼に捕まりたくなかったようだが、自分が住んでいた故郷の話をしたりしていた。ベルギーには中学生の時に移ったそうだが、やっぱりイタリア語が恋しいんだなぁ、という感じだった。おじさんがイタリア語を話しながら嬉しそうな顔をするのを見て、思わず”望郷”という言葉を思い出した。

今日のベルギーの新聞も、再びアクセル・メルクスの写真が一番大きかった。ディルーカよりも写真がでかくて笑っちゃう。地元の人達に聞くと、彼は非常に親しみやすくて、ファンサービスがいいんだそうだ。だから人気も高い。

フランスでかつてヴィランクが愛想の良さで、人気があったのと似ている、とのこと。父親のエディ・メルクスは内臓の手術をしたので痩せたと、ファンの人から聞いた。単にダイエットした、とかいう理由ではないとか。

現在これはL-B-Lのスタートを見たあと、パリに向かう列車の中で打っている。列車に電源があるのが嬉しい。おんぼろPCなので、充電池がイカれていて、電源なしでは動かないのだ。このおんぼろPCとはこれからの道中、仲良くしていかなきゃいけないらしい。

おっと、食事サービスがきた。ベルギー〜パリ間の列車は食事付きだ。午後の列車なので、軽食だけだけど、ジュース2種類、コーヒー、フルーツ、チキンサンド、ツナサンド、アプリコットケーキ。

その後、列車の遅れなど悲惨なできごと(?)が次々に起きて、とにかく予約していたローザンヌの宿にチェックインできず。当日4時までにキャンセルしないとキャンセル代2万円がかかる。見事にやられた。

ま、とにかくL-B-Lの方は、翌日の朝4時にTVのダイジェストで見た。ラスト52km地点でヴィノクロフとフォイクトが飛び出し、最後様子窺いのゴールスプリントをヴィノが制したシーン。サン・ニコラの20kmの登りが勝敗を分けた、と言っていた。

■ 2005.04.25 (Mon)  無線LANテストを兼ねて エウスカルテルのバスの中公開
bingen.jpg 558×477 51KL-B-Lの前日に乗せてもらったエウスカルテルのバス。COFのビンゲン・フェルナンデスがマッサーのチェマとおしゃべりしているところ。後ろ奥がサロン、中央部分にトイレ、台所があるが、茶色い木目色で、落ち着いた車内。

■ 2005.04.26 (Tue)  L-B-Lのページ
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/catalog.html

LBLのページは、上記に別途作成しました。

■ 2005.04.27 (Wed)  4月26日 ツール・ド・ロマンディ
feruto.jpg 320×240 18K■ プロローグ (ジュネーヴ)フォナックの選手が初の表彰台

最終走者はオスカル・ペレイロ。スペイン人だが地元スイスのチームフォナックなので大歓声だ。丁度最後だけゴール直後に陣取ったら、場内アナウンスが興奮ぎみ。なんと最終走者が最速で優勝。もう大歓声の渦。

場内アナウンスによると過去、フォナックはエルミゲルが本レースで2位になったことはあるものの、表彰台は初らしい。サヴォルデッリが暫くずっと最速で首位につけていた。

本日撮った写真は400枚ちょっと。プロツアーなのに、レースが始まってもラスト100mにはひとりもいない始末。夕方になって、サラリーマンらが見に来ていたが、それでも街中の応援は閑散たるもの。ファンたちは、クーネゴ、ベロキ、エラス、別府選手、デッケル、ペタッキら有力選手が見放題だった。

クーネゴ、エラスがすごくリラックスしていたのが印象的。クーネゴは1つTVのインタビューがあったが、彼を遠めで見る以外に、特に追いかける人はいない。

別府選手とは少しおしゃべり。レース1時間前にはウォームアップに入り、表情も変わったが、それ以前は笑顔でリラックス。


■ チームカーに同乗。ヘアピンカーブの連続

レースでは、こんな人達と挨拶。まず、サエコのメカニック(よくジャパンカップにきている)。同じくJCで来日したコフィディスのメカと副監督。そして元ポルティの際に来日し、現在ドミナの監督としてレース入りしているヴィットリオ・アルジェーリ。

「ポルティ時代、イマナカさんと一緒にJCで来日したのを覚えていますよ」と声をかけたら、チームカーにのせてくれた。(ドミナの走者の中で、最後から2番目と最後の選手の時に同乗。)

助手席には元選手で今中さんのお友達のオスカル・ペッリチョーリ。「イマナカは5月にジロでイタリアにくるよ。TVの仕事なんだ」とのこと。

プロローグはヘアピンカーブだらけ。カーブのたびに右に左に車内はキーキーかしげる。ドミナの最終選手はクワランタ。アルジェーリがマイクごしに、「行け行け」とか、「いいぞいいぞ」とあおる。

時折前を走る選手との距離が急に狭まる場面があって、轢いたりしないかハラハラした。

後部座席(つまり隣)にはベルギー人のメカニック。タイヤをかかえて乗りこんでいる。LBLにもきていたらしい。自宅がリエージュから40分ほどのところだと言っていた。

とにかくロマンディは、小粒でやさしいレース。ツールのようにピリピリ感がない。これが初日の第一印象。

p.s.私がキャンセルした宿が、ランプレ、ゲロル、ブイグの最終日の宿だと知って大ショック。

(Photo:ドミナの最後から2番目の選手フォルトナーニをチームカーで追う。ヘアピンカーブは写真なぞ撮れない。沿道に人がいないのがわかるはず。ただ、横断歩道橋に人が群がっているのが見える。)

■ 2005.04.27 (Wed)  チポッリーニ引退とツール・ド・ロマンディ初日写真レポ
チポッリーニ引退のニュースはTVで見ました。ユーロスポーツのみならず、スイス地元の国営TVでもやっていました。本当はロマンディに出るはずだったのに最終リストに名前がなく、どうしたんだろう、と思っていた矢先のこと。残念。

ところで、前日にインプットした下記のニュースにくわえ、クーネゴ、ベロキ、エラス、ペタッキ、メンショフ、クワランタ、優勝したペレイロなどノ様子を下記のページにアップしました。

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-romandie.html

■ 2005.04.28 (Thu)  4月27日:ツール・ド・ロマンディ
zulle.jpg 640×480 73K第1ステージ:アヴォンシュ〜アヴォンシュ 166.9km:ツーレがきていた

本日は起伏はあるが、スプリンターのステージ。ゴールそばが緩やかなのぼりになっているが、これぐらいならペタッキのコースだろう、と噂された。

結果はやはりペタッキ。やはり今回も2位のステルスに比べ余裕があった。ゴール前に宿に戻り、最後はTVで見た。バルダートが後ろからつきあげられる格好で落車したのは気の毒だった。とにかくあの辺は、相当高速だったので、あっという間のできごとだった。

ペタッキの区間優勝は驚きもしないが、ペレイロが上位に食い込んでいたのが、スイスチームの意地を感じた。総合はペレイロが守った。

今日もドミナの車に同乗しないか?と言われ、コースの1/3ほどを車で追った。実はその前にCSCからも、「チームカーに同乗しないか?」とメカニックから言われたのだが、アラン・ギャロパン監督が、「今日はだめ」ということで、OKが出なかったようだった。

車の方は、昨日と大違いのスロー・スピード。途中止まる場面もあり、かなりプロトンはスローペース。突如スピードついたと思ったら、直後に下りが始まる、という次第。

無線の内容は、思っていたものと違っていた。選手名などはどうでもいい。どのチームカーが前にでるべきかを指示するため、無線の情報はチーム名を連呼していた。例えば、「xxのチーム(の選手)がボトルをほしがっている」といった感じだ。

運転手は昨日のオスカル。「フクシマのことは知っている。強い選手だ。でも、(別府選手は別にしても)日本はロードの強い選手が少ないね」と。フクシマ選手のことは、みんな口にしていた。マレーシア人のメカニックもTVでランカウッィを見て知っていた。こちらでは、「フクシマ」の知名度は抜群だ。

この日は、あの引退したアレックス・ツーレが来ていたので少しおしゃべりした。レポートの続きは、こちら:
http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-romandie.html

■ 2005.04.29 (Fri)  ツール・ド・ロマンディ
grp0506084357.jpg 480×640 62K4月28日:第2ステージ フロリエ〜フロリエ 171.9km

フクシマはやっぱり有名だ、ウルリッヒの弟、、、

本日はスタート地点とゴールが一緒。さらにこの地点を途中2度通るおいしいコース。ラスト9kmまでランダルセ(EUS)がひとりで逃げていた。一時10分の差をつけたりもしたが、解説者は、いつか吸収されるだろう、という雰囲気。

しかし、実際は思ったようにはなかなか吸収されず。フォナックが最後の方ですごい勢いで追っていた。ファッサもペタッキを勝たせるために、必死で追う。

最後は何がなんだかわからないが、とにかく見事にペタッキがトップでゴールしたのが見え、夢中でシャッターを押す。あのゴールスプリントのスピードはとにかく速いね。

今回の旅で、初めて空腹感を覚えたので、食事をとることにした。そのため、ゴールのすぐそばに移動したのはプロトン到着予定時刻の30分弱前。それでも、ゴールそばが陣取れた。

スプリントゴールの興奮はそれでもツールと同じだ。観客が、ドンドンドン、、、と道の両脇の板をたたく。プロトンがきたのが大型スクリーンでもわかる。姿がチラっと見えたと思ったら、もう、いきなり次の瞬間、大きな塊で、うじゃっと選手がこちらめがけてやってくる。

その興奮とスピードたるや、すさまじい迫力だ。ファッサのジャージが前に出るのが見えたが、あとは夢中でシャッターを押す。

ゴール付近で、見覚えのある人を発見。98年ヴエルタに行った時に会っておしゃべりをしたCAのマッサーのフランシスだ。選手がゴールする前、ずっとおしゃべりしていた。彼は離婚して、今はボルドーからアルカションに転居したらしい。

突然、「ランカウィでフクシマ(コージ)を見かけたけど、いつも笑顔でフランス語もできるし、非常に感じのいい選手だね」、と言われた。これで、フクシマ選手(兄弟だったり康司選手のことだったり)の話をしてきたのは何人目だろうか。

日本人の私を見ると、フクシマを思い浮かべるという人が多い証拠だ。メカニック、マッサー、監督など、いろんな人が、今、日本の選手に少しずつ注目しているのを肌で感じる。

それから、今日はウルリッヒの弟を発見。(というか教えてもらった。)続きはレポートで。(無線がつながらないので、後日になりそう。)

■ 2005.04.29 (Fri)  ロマンディ
magi.jpg 640×480 67K前日の出来事があったので(一緒にスタート地点でつるんでいたおじさんがマギーを見て、「彼女、君のために日本からきたんだよ」とマギーに声をかけたら、マギーが笑って言葉を返してきた一件)、翌日、マギーに2度ほどすれ違う機会があり、そのたびに挨拶をしてくれた。

そのぐらい、このレースの人口は少ない。選手数も最低限の8人x20チーム。観客も、ジャーナリストも。一度会った人たちは、ジャーナリストも、レースのメディカルスタッフも、チームのスタッフも、(一部の)選手すらも、みんな挨拶してくれる。

それにしても、マギーにこの大きな笑顔で目の前を駆けぬけられて、ちょっと腰が抜けそうになる。(よろしければ拡大版でどうぞ)

■ 2005.04.30 (Sat)  ツール・ド・ロマンディ
peta2.jpg 351×445 49K4月29日:第3ステージ エーグル〜アンゼール 146.5km

■ 優勝したクーネゴがパパに!

ゴールまであと2km。クーネゴ、メンショフ、ボテロ、アティエンサ、ベルトランの5人がトップ。その直後、クーネゴとメンショフの2人が飛び出す。ベルトランは優勝争いは完全に諦めた様子。トップの2人を比べると、クーネゴが余裕があるように見える。

やはり、クーネゴが先にゴールラインを割った。確かめるように後ろを振り返る。続いて同タイムでメンショフ、4秒差でボテロ、9秒差でアエィエンサとベルトラン。

僅差で総合はボテロ。2秒差。山岳はサウニエルのロバト。スプリントはデッケル。ポイントジャージはペタッキだが、ゴールが遅れたので、なかなかジャージ授与が始まらない。

クーネゴはすごい。ゴール数分後にインタビューがあったのだが、息が全然切れていない。あの程度の山(1級もあるのに)はどおってことないのか?心肺機能すごい。「ジロが目標だが、プロツアーは全て勝つのが難しいので大事にしていきたい」、と言っていた。

その後、スタジオにクーネゴが呼ばれて、再びインタビュー。写真の整理をしながら聞き流していたら、突如「彼女が妊娠中で、クーネゴはパパになるんだよね」と、アナウンサーが言い出した。

「嬉しい」と一言コメントしたクーネゴ。なんと、聞き間違いではなかった。彼女は今妊娠中で、彼はパパになるそうだ。

今日は、エリゼ宮(シラク大統領が執務しているところ)から政府高官がFDJの招きできていた。おしゃべり好きなおじさんだった。シラク大統領とは懇意で、彼が相撲好きなことなどで盛り上がる。

彼の招待で、FDJのコーヒーもご馳走になった。まあ、味はどこのコーヒーも一緒。割と濃い目。

FDJの今回の監督は、引退したてのJCロバン。高官の人がロバンを紹介してくれる。その後プロトンがスタートする時、ロバンが車の中から声をかけてくれた。「ボン・ジョルネ(Have a nice day)。感じのいい人だ。

ウルリッヒの弟には今日も会った。挨拶をかわす。無骨な感じだが、実直そう。

今日はその他、スタート時点でフェレッティ監督に再会し、チームバスに招待され、コーヒーをごちそうに。目の前のソファにはトザットと、リーダージャージのペタッキ。。。続きは、こちら。本日のレースと昨日の選手の様子をアップしました:

http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/j-romandie.html

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