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今月のNews:ランス・アームストロング、エリック・デッケル、ジルベルト・シモーニ、イヴァン・バッソなど

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■ 2005.06.01 (Wed)  Evening News
■ 2006年度プロチームライセンス申込みは締め切り

2006年プロチームライセンスの申込みは5月31日いっぱいで締め切りとなった。今回追加募集は1チームのみ。ファッサボルトロが2005ライセンスしか取得していないため、その分の穴埋め募集となる。

現在申請書類をUCIに提出したチームは明らかにされていないが、AG2Rが申請をしたことだけは判明している。また、“有力なプロコンチネンタルチーム”も申請しているとのこと。

ファッサボルトロが、再度新規にプロチームライセンスの申込みをしているのかどうかは不明。

ランス・アームストロングのことを書いた本が出版された

本の紹介サイトへJUMP。題名は「ランス・アームストロングのWar(戦争)」。著者はハーパー・コリンズ。

レビューによると、本には好敵手ウルリッヒのことにも好意的に触れている。こんなエピソードが紹介されている。

”2003年、優勝がほぼ決まり、ランスはウルリッヒに対して握手を求めに行った。ウルリッヒはその差し出された手をじっと見つめて、突然ランスに大きなハグ(肩を抱き合うポーズ)をしてきた。ランスはこれに、少し驚いた”。

同じくレビューには、フロイド・ランディスがフォナックに移籍した経緯について:

”ランディスは、チーム内にひずみが生じると、歯にキヌをきせずにはっきりものを言うタイプ。ランスとの確執がこういうところから生じた。”

また、著者インタビューで、本の作者はこんな風に語っている。

”僕がランディスから聞いたところによると、「ランスのことは誰もが恐れていた。恐れていない選手がいるとしたら、余り彼に注意を払っていない選手だけだ。」とのことだった。”

著者インタビューを見る限りでは、作者はどちらかというと社会学的に選手らを見つめるのが好きなようで、選手たちの家族背景などから選手を分析する傾向が見られる。本の内容に、そういう視点がどの程度反映されているかはわからないが。

さらに著者いわく、”シェリル・クロウとランスはお似合いだ、と。スポーツ好きの歌手と、歌好きのスポーツマンの取り合わせはいいというコメント。ただ、内向的なシェリルと外交的なランスで、多少性格は反対だが、2人は一緒に暮らしており、うまくいっている”、と。

■ 2005.06.01 (Wed)  シモーニ: ランプレとの契約は今年いっぱいでストップ
simoni2.jpg 212×287 20Kレキップ紙の記事から(今の時点ではまだ噂の域を超えないと思われるが):

ジルベルト・シモーニは、今年ランプレカッフィータとの契約が切れるが、そのあと、チームは契約延長を望んでいないとのこと。

一方で、クーネゴは3年契約なので、2007年までは少なくともランプレの一員として走る予定。先ほど小ネタにシモーニのコメントを掲載したが、(ツールを走りたいと希望しているというコメント)、チームは、その要望を聞くつもりはない、とも伝えられている。理由は、ツールにおいてクーネゴとシモーニとの間で、新たな確執が生じるのを避けるため。

(photo: 01 Japan Cup)

■ 2005.06.02 (Thu)  ウルリッヒ、ロマンスの噂を否定
ull.jpg 423×319 35Kお便りから:

”最近ウルリッヒのwebsiteに行きました?ドイツでロマンスの噂があったようです。(26日付けのダイアリー)JUMP
噂になったのはBirgit Krohmeさん。多分コーストの時代から一緒の理学療法士の方だと思うのですが。普段温厚なウルちゃんがなにやら怒っていますよ。”

日記を見てみると。。。新聞に女性理学療法士のBirgit Krohmeさんとの噂が書かれたらしく、「彼女のために、ここではっきり言う。彼女は僕の新恋人ではない」、と自ら断言した。

ランス、チポッリーニ、ウルリッヒ、、最近海外自転車ニュースは、どことなく少々女性週刊誌ニュースの様相を呈してきた。。。(photo: 04 Tour)

■ 2005.06.02 (Thu)  Evening News
vici.jpg 363×420 37K■ アンヘル・ビシオソ、アスタルロアをスプリントで破る

昨日から始まったビシクレタ・バスカ。逃げグループにはバーロワールドのアスタルロアもいて、スプリントでは分があった。しかし、早めにスプリントを仕掛ける格好になってしまい、失敗。彼の後ろから勝機を狙っていったビシオソが優勝。

ビシオソは、03年ケルメからオンセに移籍し、ツールのアシストとして常連。数ヶ月前に祖父と祖母を亡くし、2人のために勝つ機会をうかがっていたという。(Photo: Romandie 05)

■ ヴエルタのオーガナイザー交代

Unipublicがヴエルタのスポンサーを降りる話は、去年から話題になっていたが、新しいオーガナイザーは、あのIFEMAだそうだ。

IFEMA(フェリア・デ・マドリ)は、去年ヴエルタの紹介記事で書いた通り、”マドリッド国際見本市”。スペイン同時列車爆破事故の際、亡くなった方たちが搬送されて、凄惨をきわめた場所。

去年のヴエルタのルート発表は、このIFEMAのオーディトリアムで行われた。その頃からIFEMAとヴエルタの蜜月は始まっていたということになる。

■ 2005.06.03 (Fri)  Morning News
dekker.jpg 349×228 17K■ ドーフィネ・リベレ

先日触れた6/5スタート(12日まで)のドーフィネ・リベレ。ツールの前哨戦として大事なレースだが、Tモバイルの出場メンバーが決定した。

ヒークマン、クレーデン、コール、ララ、セビーヤ、ヴェルナー、ヤコヴレフ、ヴィノクロフ。
ウルリッヒ、ツァベルの名前はない。

出場チームはプロチーム+AG2R=21チームと、ツールと同じ。さらに、あのモン ヴァントゥーが登場し、選手の山岳での仕上がりぶりがわかるだろう。過去の優勝者は、

04:マヨ、03&02:アームストロング、01: モロー、99;ヴィノクロフ

■ エリック・デッケルが06年で引退を表明

エリック・デッケルが’06年を限りに引退することを表明。

“最後の日というのはいつかやってくる。トップレベルのうちにレースから身を引きたい。来年はまだ、そのレベルでやっていけると思う。”

ワードパーフェクトなどを経て、96年ラババンク入りしたデッケル。00年ツールでのハット・トリックや、敢闘賞に値するアタッカーとして知られた。

オランダでは、若手のトマス・デッケルが台頭し、世代交代もスムーズにいく予感。

(photo: 05 Romandie .. 2人のデッケル。敢闘賞のグリーンジャージのエリックと楽しそうに歓談するトマス。)

■ 2005.06.03 (Fri)  Evening News
■ 潔白となったものの 走れない

ジロで唯一スタートが許されなかった元リバティのポルトガル人ヌノ・リベイロ。血液検査でヘマトクリット値が高かったためだが、このほど専門家の検査により、薬物によって上昇した値ではなかったという結論が出た。

よって、彼は即刻レースに出場することが許されることになった。。。ただし、リバティは即刻解雇処分になっており、まずはチームを探さなくてはならない。

チョーニ、エチェバリアやクーネゴのように、事前に体質的なものであることをUCIを通して実証していれば、ことなきを得たのだが、時 既に遅し。

■ 注目のドーフィネ・リベレの公式サイト

http://www.criterium.ledauphine.com/ (フランス語)

■ 2005.06.04 (Sat)  ランス・アームストロング ツール商戦を制する。。と、フィットネスクラブのデータ比較
lance6.jpg 412×466 51Kツールの前哨戦がドーフィネ・リベレは6日スタート。しかし、もうひとつの前哨戦は既に始まっている。さらに、この戦いはランスが圧倒的に勝利を収めている。その前哨戦とは、ツールをを目論んだスポンサー商戦合戦だ。

ランスが引退を発表し、7連覇がかかっている今、スポンサーの戦いが熱い。ディスカバリー・コミュニケーションズは4週間キャンペーンを打ち出した。6/26から7/1までプロモーションキャンペーンを開始し、同系列のケーブルTV OLNネットワークでは3週間レースの中継をする。

このキャンペーンのスポンサーには、名だたる企業が並ぶ。ノキアは、ラテンアメリカとヨーロッパネットワークでキャンペーンのスポンサーをする。OLNの中継のスポンサーとして、新たにIBM、コカコーラ、リーバイ・ストラウス(ジーンズのリーバイス)らが加わった。

また、コカコーラボトリングスのボトルウォーター『Dasani』はCMにランスを起用。世界第二位のフィットネスクラブ 24アワー・フィットネスもランスの新しいスポットをCMに流すらしい。

(小ネタにて続きを少々インプット済み)

---以上 読者情報で紹介頂いた広告業界専門サイトadage.comより。

ちなみに、ランスがCMに出ているという24アワー・フィットネスクラブに関連して、世界のフィットネスクラブランキングをチェックしてみた。(pdfファイルデータへ)

No.1のゴールズスポーツクラブは565店舗もあるという。また、コナミスポーツが147店舗で11位にランクインしている。

会員数ではコナミは5位、セントラルスポーツが7位。売上高ではコナミとセントラルがそれぞれ世界で4位と5位。日本のフィットネスブームが伺われるデータだ。とはいえこのデータは2000年のもの。最新版は、もっと日本の企業が台頭している可能性もある。

Photo: 04 Tour ランス、ラルプデュエズ山岳TTに向かう

■ 2005.06.05 (Sun)  ブラッドリー・マギーの日記から
mcgee5.jpg 411×583 196K5/31の続き。ツールを来月初旬にひかえ、気合いが入るマギーの日記 から抜粋。

「僕は常にプレッシャーのもとで楽しんできた。大きなレースの熱いバトルを好んできた。最大限のパフォーマンスを引き出すには、そういった(楽しむ)気持ちが不可欠だということも知っていた。

僕は肉体的に変貌を遂げた。脚・腹・背中には血管が浮き出て、体重が軽くなった。長い期間を走る上で、違ったスタイルで走れるような気がする。TTバイクで僕は今まで以上に低い姿勢になり、パワーが出ている。かつてのようにハンガーノックの問題を避けるため、食料補給の仕方もわかってきた。

精神的な面でも生まれ変わった。(ツールも)あと5週間にせまり、内側からポジティブな手ごたえが湧き出るてくる時だ。ネガティブな考えを置き去りにして、アクションを起こすように仕向けなくてはいけない。

友人、家族、サポーターたちのために、僕はミッションを果たすことを誓った − “挑戦あるのみ!”」

本人が言うように、今年のマギーは一目でわかるほど痩せている。太腿や顔が細くなっており、体型が変わった。これでプロローグ・短めのTTなどで力が落ちないのだろうか?と思ったりするが、今年のロマンディのショートTTではボテロについで2位だった。

トラック時代 がっちりしている頃の写真
オマケ:ジュニア時代のマギー。

ツールのキックオフは7月2日。今年はプロローグでなく、19kmのITTとなっている。マギーには、手頃な距離だ。

(photo: 05 Romandie ー お腹の血管が浮き出ているかどうかまではよくわからないが、あばら骨が浮き出ている。)

■ 2005.06.06 (Mon)  Morning News
■ プロツアー優勝回数順位

ドーフィネ開始前時点でのプロツアー優勝回数をチーム別に見てみると、まだ優勝していないチームは4つ:エウスカルテル、FDJ、ゲロルシュタイナー、ドミナヴァカンツェ

FDJはシーズン当初にジルベールなどが優勝をあげて、チームをもり立てたが、肝心のプロツアーのレースに限定すると、まだ優勝回数はゼロとなっている。

プロツアーいかんを問わず、今季なかなかレースで勝てなかったエウスカルテルも最近になってエレロでバスクのレースなどを勝って来た。しかしやはりプロツアーのカテゴリーとして登録されているレースにおける勝ち星はまだゼロ。

ちなみに、ブイグテレコムの1優勝は、カタルーニャで A・シャルトーが区間優勝した時のもの。

ファッサのみが2桁台の優勝回数と圧倒的。もちろん、ペタッキの貢献度は大きい。ジロ4勝、ロマンディ2勝などなど。

チーム
プロツアー優勝数
Fassa Bortolo
11
Liquigas-Bianchi
7
Team CSC
6
Rabobank
6
Quick-Step
6
Davitamon-Lotto
4
Iles Baleares
4
Phonak
4
Liberty Seguros
3
Discovery Channel
3
Colombia Selle Italia
3
Saunier Duval - Prodir
2
Crédit Agricole
2
Ceramica Panaria
2
Lampre-Caffita
2
T-Mobile
1
Cofidis
1
Bouygues Telecom
1


ただし、セッレイタリアとチェラミカはプロチームではないので、正式にはプロツアーのチームランキングにはカウントされない。

■ 顔中にマオリ族のタトゥーを施したデイヴィッド・クリンジャーがレース復帰

2月のトクダネで記事にしたデイヴィッド・クリンジャー。顔中にマオリ族のタトゥーをして、レース出場禁止になり、レーザーによる除去を試みていた。

どうやらレース出場が解禁となったようで、このほどUSAで行われたワコーヴィア・サイクリングシリーズの初日ランカスターのレースに出場。(wachoviaと書いてワコーヴィアと読む、と教えていただいたところ。)

Pezのサイトに、彼がランカスターに出場した時の写真が掲載されているという内容の読者情報を頂いた。URLはこちら : JUMP
レーザー除去は今も少しずつしているはずだが、まだ全体としてはタトゥーは取れていない。

■ 2005.06.06 (Mon)  ヘマトクリット検査で退団となったリバティーの2人の対照的な状況
nozal.jpg 283×373 33K■ イシドロ・ノサル退団

ドーフィネ開始前、ヘマトクリットの値が52.1%となってスタートを許されなかったノサル。自主的に退団を決意し、チームにその旨申し出た。“潔白が証明されるまで、チームから身を引く”と。

関係者も彼の意思を尊重。特にプロチームの規定では、こういった面の条項が厳しく設定されており、先のヌノ・リベイロの例を考えても、ノサルだけ特別扱いするのは難しい状況だった。

ただ、チームは今も困惑している。6/1にオビエドの病院で検査した時、ノサルのヘマトクリットは46%。正常だった。

ノサルはジュネーブからバレンシアに移動。今後血液検査などを行い、身の潔白を立証する、と述べている。
(photo: 04 Tour L'Alpe d'Huez TT)

■ ヌーノ・リベイロ、次のチームとほぼ合意

一方で、ジロのレース前検査でヘマトクリットの値が51を越してリバティーを解雇処分となったリベイロについては、対照的に朗報が入った。

その後の再検査で潔白が証明されたものの(ref: 6/3 トクダネ)、なかなかチームが見つからなかったが、このほどやっとバロボット(ポルトガルのコンチネンタルチーム)との契約にこぎ着ける目途がついた。

もともとリベイロは2000〜02年にこのチームに所属していた。2003〜04にはポルトガルのLAペコルに所属した後、05年にリバティ入りした。

バルボットチームはプロコンチネンタルチーム入りを願っており、リベイロの獲得で、ステップアップをはかる。

■ 2005.06.07 (Tue)  06年度 プロツアー申請したチームが判明
来年のプロツアーチームのライセンス申請が先日締め切りになったが、申請したチームが判明した。ファサボルトロが1年のみのライセンスしか取得していなかったため、原則その空きを埋めるため、1チームを選出もの。

ただ、既にライセンスを複数年取得しているチームについても、財政状況の再チェックが入る。最終的に06年度のプロチームを発表する前に、監査法人のアーンストアンドヤングが各チームの監査を行うことになっている。

この結果、財政状況が1年間で極端に逼迫したチームなどが見出されれば、ライセンス剥奪の可能性もなくはない。

プロチーム認定を目指しているのは、下記6チーム(スペイン、フランス各1チーム、イタリア4チーム):

バレンシアナ、AG2R、アクアエサポーネ、ナトゥリーノ、ファサボルトロ、セッレイタリア

ファッサの今年の大活躍ぶりを見れば、チームが来年度も再申請することは当然だろう。

06年度のプロチーム正式発表は、10月25日。

■ 2005.06.08 (Wed)  ランス、トレーニング中にウルリッヒとバッタリ遭遇
jan3.jpg 400×412 35K■ ランス:「ヤンは絶対ツールの表彰台、3つの場所のどこかに上るだろう」

ランスは、ピレネーの下見をドーフィネの前にするのを断念したと聞いていたが、他のチームメートとは別に、6月に入って、ドーフィネ直前にクイック下見をしてきた模様。そして、そこでウルリッヒと鉢合わせ。

それは、ランスがブリュイネール監督とともにプラダデの山岳フィニッシュの下見をしに出かけるときのこと。突然、2人は鮮やかなピンクのグループを発見。

ランス:「Tモバイルの連中が4人いたよ。ウルリッヒ、セビーヤ、シュタインハウザーたちだった。なんて世間は狭いんだ。僕は“おい、あと4,5時間、俺が引いてやろうか?”なんて言いに行くことはしなかったよ。」

「代わりに僕らはチームカーで先を越して、連中の前方でトレーニングを開始したんだ。」

後にTモバイルの選手たちが走っているのを知っていたから、ランスはいつもより速く走ったという。後から追い越されたら格好悪いからだ。

「彼らが来ないか、追いつかれはしないか、かなり何度も振り返って確認したよ。」

「ウルリッヒたちは、僕がこの場所にいることは知っていたはず。というのも、ドイツ人のサイクリストがいっぱいこの場所にきていて、僕がいることをウルリッヒに喋っているに違いないからさ。

ウルリッヒが後で走っているのを知りながら走るのは、ミニゲームみたいだったよ。もし観客がいたら、すごく楽しめたと思う。」

さらに、今年ランスはウルリッヒが脅威だとしきりに語っており、この時も、こんな風に語った。

「ヤンは、例年よりもスケジュールを着々とこなしていると思う。インターネットで読んで知っている限りでは、彼は強そうだ。今年、ヤンを完全に表彰台から引きずり下ろすのは難しいだろう。」

また、仲良しのバッソについても、「バッソは今まで以上に危険。エラスはダークホースになるかもしれない。」と述べた。

また、ツール6連勝と7連勝の違いについて、こんな風に語った。

「6勝や5勝のときは、記録がかかっていた。周囲も記録樹立できるかどうか注目していたし、例えば“5勝クラブ(ツール5勝の記録を達成したメンバーのクラブ)に入れるか?”といった話題があった。7勝するということは、純粋に個人的な目標の領域に達している。」

(photo : 2000 TdF。この頃はデジカメでなく通常のカメラ、キャノンイオスKissを使用していた。それをスキャンしたもの。)

■ 2005.06.08 (Wed)  Evening News
来年ファッサボルトロはフィリップスになる?さらにパナソニックも資金提供?

スポンサーの噂は余りアテにはならないが、とりあえず現在3年間のプロチームライセンスを申請中のファッサボルトロに、新スポンサーの噂。フェレッティ監督は資金集めが上手い、と聞いているので、噂は本当かもしれない。

相手はビッグなオランダのフィリップス。既に3ヶ月ほど、フィリップスのヤン・ラース氏とジャンカルロ・フェレッティ監督の間で協議されていると。

さらにツールにスポンサーとしてジョインしてグッズを配布したりしている通信会社のオレンジやパナソニックもスポンサーとして関与する可能性があるという噂。

来年現在のファッサボルトロのプロチームライセンス申請元はシルバーチームという組織。この組織の資金面のパトロンどこであれ、シルバーチームがライセンスを獲得する可能性は濃厚。来年新生ファッサはペタッキ,オンガラート、サッキ、トザット、ヴェーロらを温存すると見られている。

このスポンサーの噂の真偽のほどは、早ければ来週にも判明するかもしれない。

一方で、ブルセギンはリクイガスからラブコールがあるという噂。レベッリンもゲロルとの契約が今年いっぱいなので、リクイガス移籍の噂が出ている。


ランスのツールでの戦歴をチェックしよう

ツールでは過去区間優勝21回のランス。不調だった2003年は1回しか区間優勝しなかったのがわかる。総合優勝とは別に今年は区間何勝いくか?

ランス、過去のツールステージ優勝の歴史
ステージ
内容
Place
1993
ステージ 8
ロードレース
Chalons-sur-Marne - Verdun
1995
ステージ 18
ロードレース
Montpon-Monesterol - Limoges
1999
プロローグ
TT
Le Puy du Fou
1999
ステージ 8
TT
Metz
1999
ステージ 9
ロードレース
Le Grand Bornand - Sestrières
1999
ステージ 19
TT
Futuroscope
2000
ステージ 19
TT
Fribourg-en-Brisgau - Mulhouse
2001
ステージ 10
ロードレース
Aix Les Bains - l'Alpe d'Huez
2001
ステージ 11
TT
Grenoble - Chamrousse
2001
ステージ 13
ロードレース
Foix - Saint Lary Soulan
2001
ステージ 18
TT
Montluçon - Saint Amand Montrond
2002
プロローグ
TT
Luxembourg - Luxembourg
2002
ステージ 11
ロードレース
Pau - La Mongie
2002
ステージ 12
ロードレース
Lannemezan - Plateau de Beille
2002
ステージ 19
TT
Régnié Durette - Mâcon
2003
ステージ 15
ロードレース
BAGNERES-DE-BIGORRE - LUZ-ARDIDEN
2004
ステージ 13
ロードレース
Lannemezan - Plateau de Beille
2004
ステージ 15
ロードレース
Valréas - Villard-de-Lans
2004
ステージ 16
TT
Le Bourg d'Oisans - Alpe d'Huez
2004
ステージ 17
ロードレース
Le Bourg d'Oisans - le Grand Bornand
2004
ステージ 19
TT
Besançon - Besançon


■ 2005.06.08 (Wed)  クーネゴがツールを棄権する可能性
ビールス性の感染病になり、20日にミラノ近くで精密検査を受けることになったクーネゴ。その結果次第ではツールを欠場することに。

■ 2005.06.09 (Thu)  クーネゴ ダウンの 続報
cunego7.jpg 403×570 61K昨日の続き。今朝のCNには、疑われる病名が出ていた。伝染性単核球症の疑いがあるという。

ウイルス感染による病気で、10〜20歳代に発症し、1〜3ヶ月ほどで元に戻ると言われているが、自転車選手で以前1年間休業した選手がいたので、無理をすると長引くようだ。去年イバン・マヨがツールをリタイヤした時の診断もこれだった。

原因は幼児期の感染や経口感染によるものらしいが、過労などで免疫力が低下すると誘発される。特に効果的な治療法はなく、安静あるのみ。

先に述べたとおりクーネゴは6/20のに精密検査を受けるので、その結果を待たないとまだ断定ではないはずだが、この病気の疑いがあるということは、下記の症状があるものと思われる:

発熱・咽頭痛・リンパ節の張れ・極度の疲労感

この病気はEBV(エプスタイン・バーウイルス)と呼ばれるウイルスによって引き起こされる。クーネゴはジロの時からこのビールス反応の所見が見られたという。

もし伝染性単核球症であるとすると、1ヶ月は休養を取る必要があり、そうなるとツール・ド・フランス出場は断念せざるを得ないことになる。

しかし、ランプレはチームの声明を出し、「精密検査の結果がでるまでは、クーネゴのレーススケジュールを変えるつもりはない」と言明した。

ジロ直前のロマンディで、飛ばしすぎたのかもしれない。コンタドールが優勝したロマンディ5/30日の山岳ステージでは、必死でリーダージャージを取りにいき、レース後にカフェの椅子になだれ込む彼の姿があった。(Photo)

肩で大きく息をして、チームスタッフの問いかけにも答えられなかった。前日勝負の山岳ステージで優勝し、2日連続での奮闘ぶりだった。おかげで彼はボテロからリーダージャージを奪うことができた。

あそこまで真剣勝負をしかけてくるとは、、、と、観客たちはその姿に感動した。しかし、あの時既に からだには疲労が蓄積していたのだろう。

ロマンディで27位だったサヴォルデッリは、完全にジロの調整という感じで、しゃかりにきになることなく、リラックスして走っていたのが対照的だった。

■ 2005.06.10 (Fri)  「Tモバイルの呪い」を検分した記事 その1
zabel2.jpg 640×480 60KEmail情報:「velonews.comに[T-Mobileの呪い]に関する面白いアナリスト・レポートが出ました。」 とのこと。確かに面白い。内容を下記に抜粋:

Tモバイルを去った後、ジロでサヴォルデッリが優勝し、テレコム幹部のクンマー氏は、苦々しいコメントを発表した。

「サヴォルデッリはテレコム在籍の2年間で僅か10レースにしか出なかった。でも、ケガの最中ずっと我々はサラリーを払ってきた。で、契約が切れた途端、我々からの新しいオファーに耳を傾けることもしなかった。」

このコメントには賛否両論。純粋に優勝を喜んでやればいいのに、という声も。一方で、彼の言葉にも一理ある、という声も。出て行った途端にジロで優勝。一杯食わされた、という気になるのが人間の心情。

そして記事ではその"一杯食わした"選手を羅列している。

1. サヴォルデッリ、移籍した途端にジロで優勝
2. ボテロもしかり。今年ロマンディで総合優勝、昨日ドーフィネTTで優勝。
3. ジューリックも在籍中ゼロ勝が、移籍した年にレースで再び勝ち始めた。
4. リヴィングストンは折角USPから移籍したものの、走る意欲を失ってやめていった(この辞め方は唐突だった。本人も、嫌気が差した、という理由で辞めていった。)
5. コップとシューマッハの2人もチームを変えてから、レースで勝てる資質があることに気付いた。
6. 鳴り物入りで入団したトラック出身のバルトコも、テレコムでの4年間ほとんど成績を上げることなくトラックに戻っていった。

それだけではない。記事ではこんな点も突いている。

7. ヴェーゼマンは、クラシックで勝てるということをチームにアピールし、アシストをつけてもらうまでに10年かかった。
8. 2003年ウルリッヒはテレコムを去って、弱小ビアンキチームを選んだ。ほとんど満足な準備もなくのぞんだツールでランスを大いに脅かした。97年以来の上出来なレースだった。

この後記事は、チーム不振の理由を分析している。それは後日”その2”に続くとして、1点だけ、この記事の結びの言葉が的を得ていたので下記に掲載。

「(Tモバイルは不振に喘いでいるものの)唯一この雰囲気に飲み込まれずに 淡々としている選手がいる。エリック・ツァベルだ。彼は動じない。そしてアレクサンドル・ヴィノクロフ。まあもっとも、こうした選手たちは、どんな環境にいったとしても、他に影響されることなく成功できる資質を持っているわけだが。」

そして、この記事を訳しているそばから、ヴィノクロフが現にドーフィネのモンヴァントゥーのステージを制してしまった!

(photo: メカニックと入念に打合せするマイペース・ツァベル。03ツール ホテルにて)

■ 2005.06.10 (Fri)  ランス: モンヴァントゥーを制することができなかったのは悔いが残る
lance8.jpg 330×261 28Kドーフィネの大一番、モンヴァントゥーを制したのはヴィノクロフ。アームストロングは、ヴィノに追いつくことができなかった、と漏らした。

「上りがきつかった。数年前にもモンヴァントゥーでチャンスを逃した。あの時勝っていれば、と後悔している。あの山は僕を嫌っている。とにかくがっかりした。多分あの山を克服するには、自分の体重が重すぎたのだろう。」

2000年のツールのモンヴァントゥー。パンターニとゴールを争って、パンターニに優勝を譲ったと論議をかもし出した。でも、あの時、真剣に狙うべきだったかもしれない、そう後悔しているように思える。

ランスはこれでモンヴァントゥーは制することなく現役リタイヤすることになった。

ツール・モンヴァントゥーのステージを制した選手の一覧表
選手 国籍
ステージ
内容
1958 チャーリー・ゴール ルクセンブルク
ステージ 18
TT
1965 レイモン・プリドール フランス
ステージ 14
ロードレース
1970 エディ・メルクス ベルギー
ステージ 14
ロードレース
1972 ベルナール・テヴェネ フランス
ステージ 11
ロードレース
1987 ジャン・フランソワ・ベルナール フランス
ステージ 18
TT
2000 マルコ・パンターニ イタリア
ステージ 12
ロードレース
2002 リシャール・ヴィランク フランス
ステージ 14
ロードレース


(photo : 04 Tour ピレネーステージ、左からアセベド、ルビエラ、アームストロング。右端にウルリッヒ)

■ 2005.06.11 (Sat)  「Tモバイルの呪い」を検分した記事 その2
gode.jpg 567×422 57K■ Velonews、 Tモバイル ホデフロート監督のサラリー・結果偏重主義を斬る

例の分析はこう続く。テレコムがここまで非人間的になって、効率のみを追い求めるようになってしまったのは、2002年ごろからだと。丁度あの時、ヘップナーとベルツの退団が話題になった。

2人はテレコムが成長を遂げる過程で立役者ともいえるべき選手だった。しかし、チームは彼らへの感謝の言葉もないまま、幹部としてチームに引き止めることもないまま、突如解雇を言い渡した。

あの時ベルツがはかなり憤慨していたのを思い出す。現在はゲロルシュタイナーの幹部として、その手腕を振るっているが。

ベルツ解雇の際は本当に突然だった。契約期限切れの数週間前に突然1本の電話で契約延長がないと告げられた。理由は素っ気無かった。“年を取りすぎているから”、と。

この頃から、ホデフロート監督率いるテレコムチームは、冷徹になっていった。リースやブリュイネールといった新しい世代の監督は、チームの和・モチベーション・チームとしての雰囲気作りを目標とした。

その1つ前の世代、例えばサイス監督あたりは、逆に父親のように親身に選手の世話をすることで信頼を勝ち取ってきた。しかし、テレコムは高い対価の換わりに結果を求める、という機械的なチーム経営へと変貌していった。

現在ウルリッヒのパーソナルマネージャーをしているペフェナフェ氏(もともとテレコム幹部)は、これではいけないとわかっていた。選手は機械ではない。ハートがなければチーム運営はできない。

ウルリッヒを引き連れてコーストへ移籍したものの、2人は1年でテレコムに舞い戻ってきた。しかし、ペフェナヘ氏はテレコムでは裏切り者とされ、ポストはなかった。今も個人的な立場でウルリッヒの指導にあたっている。

ペフェナヘ氏がチームカーに乗ってウルリッヒのあとを追いかけられるのは、ホデフロート監督が関与しないときだけ。ホデフロート氏と直接対話することはなく、新幹部のマリオ・クンマー氏を通じて対話があるのみだ。

しかし、ホデフロートは、彼流のやり方を崩す気はなさそうだ。以上 Velonews より。

(photo : 休息日、ホテルの庭でテレコムの会見が始まった。ツァベルの次にマイクの前に座ったのはホデフロート監督だった。)

■ 2005.06.12 (Sun)  脳の手術から丁度1年目の2005年6月11日、コンタドールは やはり病院にいた
grp0612093544.jpg 432×423 43K土曜日のドーフィネのステージで、右手中指を骨折したコンタドール。途中棄権せざるを得なかった。

ケガはスタート直後の1.5km地点で起こった。スピードメーターを調整しようとして、スポークの間に指が挟まった。サラベイティアはこれで指を切断している。(Ref. スポーツ新聞記事:サラベイティア「指が飛んでいくのが見えた」

それでも、ケガの方は、たいしたことはないといい、15針縫ったが「ツール出場には問題ない」と語った。

この日6月11日は、因縁の日だった。昨年の6月11日、彼は脳の血栓によりレース中に失神し、空洞切開手術を受けた。選手生命が絶たれる可能性もあった、非常に難しい手術だった。

そして、今年の6月11日、彼は再び病院にいた。

「でも、今年と去年では全然違う。去年は手術でツール出場が果たせなかった。でも、今回は数日休むだけで済むだろう。」

(04 Romandie 第4ステージで優勝したコンタドール。賞品は、額に入った自転車のイラストだった。)

■ 2005.06.13 (Mon)  ドーフィネ優勝のランダルセ のコメント続き
landa2.jpg 365×325 30K(レースNewsが長くなったので、ランダルセのコメントの続き:)

■ イヤホンで 最後の下りで(ボテロとの)タイム差に関して、何か聞いていましたか?

「最後の頂上でボテロに対し35秒失ったのを聞いて、そのあとはとにかく死に物狂いで行った。ゴールラインを割った時は、まだ自分が勝ったのかどうかわからなかった。その直後に買ったことを知って、すごく嬉しかった。」

■ 最後のステージでは、他のチームの力を借りたとろがありましたが、そのことについては?
(ライプハイマーは、千切れそうになるたびに ほかのチームの選手に引かれてなんとか食らいついていったランダルセについて、”ランダルセにはたくさん友達がいたのだろう”と皮肉をこめて語っていた。)

「レースではいつもそういうことはある。とはいえ、各人だれもが自分を守ろうとするわけで、それらの力に頼っていたとは思わない。自分ひとり取り残されるシーンも多々あった。毎日コンスタントに行った結果勝てたと思っている。」

■ ここで優勝できると思っていましたか?

「調子はとてもよかった。昨年、マヨのアシストをしながら、総合10位でフィニッシュしていたので、ステージ優勝は狙っていた。」

■ この勝利によって、なにか自分の中で変わったと思いますか?

「プロ選手の立場からいうと、チーム内の存在は増したと思う。でも、ツールではマヨのために全力を尽くす。

個人的には、家族とガールフレンド、そしてチームにこの優勝を捧げたい。今年、エウスカルテルの出来の悪さが話題になっている。この勝利で、こうした批判が消えると思う。」

(photo 04 Tour ランダルセ ホテルにて)

■ 2005.06.13 (Mon)  ぽっちゃりしたヴィランクはロットのジャージで政治家とツーリング:次期大統領有力候補、国土整備担当大臣、カンヌ市長らが隊列
grp0613194612.jpg 200×133 14KフランスではEU憲法条約の批准が拒否され、ジャン・ピエール・ラファラン首相が更迭された。国内ではアラン・ジュペ元首相より不人気だったから、当然の成り行きだろう。

後釜は、北米のイラク攻撃に真っ向から対立し、フランスで一躍ヒーローとなった元外相ドミニク・ドヴィルパン氏。

現在フランス2のニュースでは、ドヴィルパン新内閣のメンバー紹介をやっている。。。と、突然、TV画面にヴィランクが映った。一瞬 目を疑った。お腹が出ていて、顎が二重顎になっている。。。

シラク大統領を脅かす存在として、今や脚光を浴びているニコラ・サーコジー氏(報道関係統一表記:サルコジ)陣営が、EU憲法批准レファレンダムの前、気勢をあげるためにヴィランクを招き、一緒に自転車で汗を流したらしい。

走った距離は30km。その様子もTVに映し出されたが、ヴィランクはとても重そうだ。

その脇を走る国土整備担当大臣のクリスティアン・エストロズィ氏は、体型はスリムとはいえないものの、サイクリスト用のジャージ(写真左 緑・赤・黄ジャージ)とレーパン姿も様になっている。

実は彼、政治家としての経歴は変わっている。元モトGPチャンピオンで、その後ニースにオートバイショップを開店した異色の政治家だ。彼のスポーツ好きは政界では有名。

このツーリングの様子の写真がどこかにないか探したところ、サーコジー氏が属する政党 国民運動連合(UMP= Union pour un Mouvement Populaire) のサイトに出ていた。小さい写真なのが残念だが。。(写真左。Photo copyright: http://www.u-m-p.org

ヴィランクは写真中央ロットのジャージ。、サーコジー氏はグレーのトレーナーとレーパン姿で右から2番目。右から3番目がカンヌ市長。あとは護衛の人のようだ。

ヴィランクはクイックステップのブルーのジャージではなく、ロットのジャージなのが不思議だったが、ロット・ダヴィタモンとなった今、クイックステップの元サブスポンサーだったダヴィタモンとのつながりが 今も強いせいだろうか。

ただ、彼は昨年、建材関連メーカーの”クイックステップ”のCMに出ていたのだが。

いずれにしても、今年のツールではTVキャスターを務めるはずのヴィランク。それまでに、シェープアップが間に合うかどうか。

■ 2005.06.14 (Tue)  UCIポイント:効率のいいチーム、悪いチーム、一番効率がいいのはサウニエルドゥヴァル。たった2勝でチーム順位はファッサの次
mauro.jpg 223×294 17Kプロツアーでまだ優勝していないチームと全チームのUCIポイントなどを調べていて、面白いことに気がついた。ファッサは全てのレースで目下33勝。サウニエルは全てのレースひっくるめて2勝しかしていない。

なのに、UCIチームポイントはファッサが172点でUCIチームランキング5位、サウニエルは170点で6位!?

実は、よく見てみると サウニエルは、激しく効率のいい勝ち方をしている。

1) まず、UCIランキングで上位にいくには、プロツアーで勝たないといけない。いくら他のレースで勝ってもポイントはつかない。

2) 次に、いくら区間優勝をたくさんしても所詮1ポイントにしかならない。UCIポイントを沢山稼ぐには、プロツアー総合順位10位以内でないとだめ。(グランツールは20位以内)。

FDJは全レース12勝しているのに、プロツアー優勝は2勝のみ。しかも、区間優勝だから合計2ポイントしかつかない。そのほかのプロツアーでも、総合順位が余り上位に食い込めず、結果現在チームランキングは18位。

その点サウニエル。今季2勝のうち、2つともプロツアー(カタルーニャ第4ステージでピエーポリ、第5でクエスタ)での優勝。とはいえ、これだけなら、合計2ポイントにしかならない。

ただ、ポイントはここから。

サウニエルは、プロツアーのカタルーニャで、クエスタが総合2位で40ポイント獲得。さらにガラテがジロで総合5位で40ポイント獲得し、そのほかピエーポリ、サバヤらがプロツアー総合順位で上位に食い込んだ。

これが”全レース2勝でチームランキング6位”のワケだった。なんともエコノミカルなチームだ。(Photo: サウニエル監督 マウロ・ジャネッティ)

■ 2005.06.15 (Wed)  トラック1kmTT金メダリスト クリス・ホイと嘆願書
CHRISHOY2.jpg 418×545 50K英国のトラック選手、クリス・ホイは、アテネ五輪のトラック競技男子1キロタイムトライアルで金メダルを獲得した。しかもオリンピックレコードで。その彼が、今IOCの決定に抗議している。

北京五輪から、この男子1キロタイムトライアルと女子500mタイムトライアルが消えようとしているのだ。昨夜ホイの父親からきたメールには、こんなことが書かれていた。

「既にご承知のとおり、悲惨な状況となっています。UCIとIOCの判断により、トラック競技の1キロTTが北京五輪の種目から消えようとしているのです。

我々は、Webを通じて、この判断に対し、嘆願書を送っています。すでに、48時間で5000もの署名を集めました。ご協力よろしくお願いします。」

嘆願を送るサイトは下記:
http://www.petitiononline.com/1000k/petition.html

ホイのサイトは下記:
http://www.chrishoy.com/

日記には、こんな風に綴られている。

「1キロTTは、スプリントやパーシュートとともに、五輪では核となる競技です。五輪から1キロTTを抹消するなんて、陸上競技から陸上100mを抹消するようなもの。。。」

クリス・ホイの父親デイヴィッドは、現在息子のマネージャーを務めている。スポンサー集めなど、かなり精力的に息子をバックアップ。2001年、まだクリスが売り込み中の頃、うちのサイトにデイヴィッドからメールがきた。

どうやら、クリスの宣伝をしてほしいらしかった。ケイリンの国日本の自転車サイトということで、PRしたかったのだろう。

一緒に送られてきたのが左の写真。当時トクダネで、この写真を掲載して、ホイの簡単な紹介を行った。

しかしその後、クリスは 瞬く間にビッグになって、もうこんなサイトで宣伝する必要もなくなった。それにつれて、デイヴィッドからのメールも減った。しかし、折にふれ、こうしてアピールのメールがたまにきたりする。

■ 2005.06.15 (Wed)  ノサル 大逆転でリバティー復帰?
スペインには1週間に1度発行されるM2MILという新聞がある。これは、自転車専門紙で、アマチュアの細かい情報から、一流プロのニュースまで、かなりきめ細かに出ている。この新聞のスクープ記事から。

ノサルはヘマトクリットが規定の50を超えたものの、陽性だったわけではないことから、リバティーに復帰し、ツールにも出場する可能性があるという。彼はエラスのアシストとしては欠かせない人物。

さらに、人柄の良さで、チーム内の信頼はピカイチだった。普段から模範生で、チームドクターの言いつけにそむくようなことは彼に限ってあり得ない、というのが当初からのチームの見解でもあった。しかし、ノサルは、リベイロの前例があり、自分から身を引くことを決意した。

一方で同じ理由でチームを除籍となったリベイロの復帰はなし。彼は入団一年目で、まだ無理してまで再獲得するところまでは至らず。

しかし、サイス監督が面倒をみているLA-リバティというポルトガルのチームに入団が決定したそうだ。

いずれにしてもニュースは編集部のキンタナ氏の裏情報という形で、まだ完全に確認されたわけではない。また、スペインの優等生新聞マルカにはこのニュースは出ていないので、信憑性は40%としておこう。

■ 2005.06.15 (Wed)  ジャパンカップで来日した 元サエコのガレッティ悲報
gale3.jpg 325×391 108K■ 追加記事 その2:ガレッティ 01年ジャパカップの時の様子

ガレッティの突然の悲報に驚いた日本のファンも多いだろう。01年ジャパンカップで シモーニらとともに来日した。その時は、あいにくの雨模様もあり、モーリらとともに、レース早々でリタイヤ。

写真は、生で見た最後の姿。レース前日のもの。ビチーノ監督とともに(写真左)。この時は、元気な笑顔を見せていた。心から、ご冥福をお祈りします。

■ 翌日6/16追加記事

ガレッティの当時の状況に関する追加記事から(マルカ)。
ナランコのヒルクライム開始15km地点で、突如心配機能停止となった。走っていた場所が高速道路だったことから、ただちにその場で救急隊員らが蘇生措置が施したが、蘇生処置むなしく、その場で亡くなった。原因は心臓発作とされている。

死亡が確認されたあと、セントラル病院へ搬送された。一応、詳しい原因を特定するため、今後解剖を行うことが検討されている。

レース関係者によると、ガレッティは開始直後、鋭い胸の痛みをチームメートに訴えていた。

所属チーム、ナトゥリーノは、今週から始まるアストゥリアス一周の参加を断念し、イタリアに帰国することになった。ベッケーリ監督談話:「レースのことなど考えられる状態ではない。」

■ 第一報(新聞マルカ)

たった今、スビダ・デ・ナランコのレース中、イタリアのライダー、アレッシオ・ガレッティ(ナトゥリーノ)が亡くなったという一報が入った。レースは本日15日に開催され、ノチェンティーニ(アクア)が優勝したというニュースがほんの少し前に入ったばかり。

レース開始15km地点、マンサネダの上りでのできごと。記事によると、ガレッティはすぐに救急車でアストゥリアス地方オビエドのセントラルホスピタルに運ばれた。蘇生処置むなしく、死亡が確認された。

速報内容は以上で、当時の詳しい状況などは入っていない。

アレッシオ・ガレッティ(イタリア・ピサ出身、享年37歳)Photo 1 / Photo 2

2005 ナトゥリーノ -- 2004 ドミナ(6月、ドーピング時間にまつわる盗聴事件で重要参考人となり、シーズン途中で解雇。)
99-2003 サエコ -- 98 アモーレエヴィータ -- 97 ロスマリー -- 96 パナリア -- 94-95 ランプレ

■ 2005.06.16 (Thu)  タイラー・ハミルトンの日記が久しぶりに更新された
ハミルトンの日記によると、今も多大な支援を受けており、感激しているという。愛犬のアンカーとタンカーも元気。MTBにもよく乗っている。

例によってイタリアの信頼置けるアドバイザー、チェッコのもとを再び訪れ、フィットネスレベルのチェックをしてもらう予定。今回の日記は、きたる調停のヒアリングを前に、今後彼がどう戦うかをまとめた内容。

今回、ハミルトンは去年行われた血液検査の”精度”についてまっこうから争うつもりはない。その代わり、”結果をどう判断するか”という点で、争う構え。彼は、この検査方法の弱点をこう指摘する。

「現在の検査では、細胞1個1個を解析研究する学術分野および手法を用いている。これにより、異種血液が検出されるわけだが、問題はそのあと。異種血液が存在する理由は、他人の血液輸血しかありえない、とUCIは結論づけてしまっている。ここに論理の飛躍がある。」

つまり、異種血液が検出されても、イコール 血液輸血と決定づけるやり方がおかしい、というのだ。ノーマルな人間においても、こういう現象(キメラ現象)は起こりうるのだと。

彼は数多くの専門家と議論を交わした;世界中の主要大学・病院・血液バンク・研究所の専門家たちだ。そして、自然体で異種血液を保持していることがありうる、という意見を持つ専門家に出会った。

ただ、こういう現象があり得るという見解をしている学者たちも、その原因となると詳しいことはわからず、この分野の解明は一切なされていない。

なお、5月27日に調停申込みが受け付けられたが、通常20日の審査期間のところ、7月11日まで審査の延長が申し渡された。それによって、彼の本格的はヒアリングは当初予定よりも遅れて7月下旬ほどになる見込み。

■ 2005.06.17 (Fri)  Tモバイルが異例のプレスリリース:ツァベルはツールに出場しない
zabel3.jpg 640×480 270K6/17本日はツール実行委員に対して、出場メンバー暫定リスト(リザーブを含んだもの)を提出する日。Tモバイルの暫定リストには、ツァベルの名前はない。となると、ツァベルはずしに対する世論が過熱する可能性がある。

そこでチームは先手を打った。プレスリリースを行って、ツァベルをはずしたことを発表すると同時に、契約更新の際、引退後の手厚い処遇内容を含むオファーをすることを表明した。

■Tモバイルのアナウンス概要:

ツァベルは今年のツールには出場しない。

Tモバイルインターナショナル(株)は、トップスプリンターのツァベルの引退後の身の処し方について、責任を負うことを計画している。契約交渉は7/31のHEWクラシックスまでに完結する予定でいるが、Tモバイルがオファーしている契約にツァベルは満足している。

ボン出身のツァベルに対し、ボンを拠点とするチームTモバイルのスポンサー活動にも従事することをオファーしている。具体的なオファー内容は、関係者の調印が終了した後に公表される予定。

■12回目のツール出場を目指していたツァベルコメント

「もちろんがっかりしている。でも僕は十分なプロ意識を持っており、チーム幹部の決定を受け入れる。ツール出場メンバーを選ぶ上で、チームにとっては選択肢がいろいろあった。今までにしても、他の誰かが出ていたかもしれない、という状況だった。今回は、ついに僕の番がやってきた、ということさ。」

一方、幹部は、ツァベルのツール出場が、昨年末から既に検討事項であったことを明かした。自分たちにとっても、ツァベルにとっても、今回の選択は厳しいものだった。しかし、既にツァベルはツールにおいて大きな金字塔を打ち立てたと、チームは確信している。

目下ツール出場選手としてTモバイルがノミネートしているのは次の13人:

アルダグ、グエリーニ、イワノフ、ケスラー、クレーデン、ララ、ナルデッロ、シュミッツ、シュレック、セビーヤ、シュタインハウザー、ウルリッヒ、ヴィノクロフ

(Photo: 03 Tour ホテルの庭で会見にのぞむ)

■ 2005.06.17 (Fri)  その時 コース上で選手たちは : 脈をとり、心臓マッサージを始め、看護婦をしている彼女に携帯から電話をかけて応急処置方法を尋ねた選手。。「でも、結局 何もしてやれなかった」
grp0617205809.jpg 325×307 29K5時間に及ぶガレッティの解剖が終了した。所見はやはり心筋梗塞のようだが、詳細はこれからになる。

彼の遺体は土曜日にローマに到着する。家族は故郷ピサへの搬送を希望したが、週末に遺体を搬送することに対し、役所の許可が下りなかった。役所がフレキシブルでないのは古今東西同じことのようだ。

ガレッティが心臓発作を起こし、バイクから転倒した時、周囲にいた選手たちは敵味方関係なくかけつけた。路面にタイヤをとられて落車したわけでなく、明らかに病気が原因で転倒したのがわかった。

周囲の選手たちは、相当動揺したという。新聞に掲載された写真には、コース上、ガレッティの手首や首の大動脈を取って脈をとる選手の姿がある。

路面に横たわったガレッティの周囲には、選手らが集まった。みな、心配そうに覗き込んでいる。脈を取っている選手の顔は曇っている。

レースには救急車が3台ついていた。しかし、クライムレースのため、選手の間を縫って到着するのが遅れたといい、救急隊員が到着したのは、知らせを聞いてから15分後。しかし、それは全く装備のない搬送用のみの救急車だった。

装備の救急車が到着したのは40分ほどもあとだった。すでに遅かった。その間、選手たちみずから応急処置をしなければならなかった。

新聞の写真に写っていたスペイン選手2人が、40分間の出来事を語った。

---
リバス:「僕は兵役で赤十字が担当だった。だから、もっと悲惨な場面を目にしていた。でも、同業者である自転車選手の処置をするということには動揺があった。

なんとか自分にできることをしたいと思った。でも、ちょっとパニックになってしまった。どうしていいかよくわからず、ああしよう、とかこうしようという意見が出るんだけど、知ったかぶりは危険だった。

地面に横たわったガレッティは呼吸が思うようにできずにいた。最初に、誰かが舌が喉につかえないように処置しはじめた。そして、リンデスが手首を取って脈を取り始めた。でも、脈が取れる場所がよくわからなかった。

そこで、他の誰かが、大動脈のある首の部分で脈を探ろうとした(この場面の写真が新聞に掲載された。)その時、まだ脈はあった。しかし、相当もがき苦しんでいた。僕は彼の死期が近いと思った。唇が瞬く間に紫色になっていった。

リンデスと付近にいた憲兵の人が2人で心臓マッサージを始めた。僕らは救急車の到着を待った。でも、やっときた1台は、装備をしていない車であることが判明。単に搬送用の救急車だった。

とにかく搬送する状況ではなかった。すぐに応急処置をしなければ一刻を争うのがわかった。点滴などの装備をした救急車がやっと到着した時、もう手の施しようがなかった。彼らは間に合わなかった。早く到着していたら 助かったかどうかはわからない、でも。。。」

---
リンデスの証言:「水曜日は、人生で最悪の日だった。僕らは30人ぐらいで前方を走っていた。と、その時、ナトゥリーノの選手(ガレッティ)が、倒れた。僕らは彼のところに戻った。彼のチームメートが水をかけた。

とにかく窒息しないように、舌をだそうという考えが浮かんだ。僕は脈を取ったけど、よく場所がわからなかった。どうしていいかわからなかった。なにしろその場には、選手と女性憲兵ひとりしかいなかった。

とにかく心臓マッサージをしようと思った。誰かアシストしてほしいと思っていたところへ、憲兵がマウス・ツウ・マウスをしてくれた。

15分ぐらい経って、やっと救急車が駆けつけた。でも、搬送用で、一切必要な装備はなかった。僕は、携帯電話で恋人のパトリシアとコンタクトした。彼女はバルセロナの救急病棟で働いている。

そのせいもあって、僕自身、救急処置に関する知識が多少あった。でも、プロである彼女の意見を聞いたほうがいいと思ったんだ。その時、僕らは5回マッサージ+1回息の吹き入れをやっていた。でも彼女のアドバイスにより、15回マッサージ+2回息の吹き入れに変更した。

40分後、装備をした救急隊が到着した。でももう遅かった。彼が 事切れていたのがわかった。救急隊の到着がもっと早かったら、、、そういう疑念が頭から離れない。。。」

■ 2005.06.18 (Sat)  ブラッドリー・マギー、初めてツールで総合優勝を目指す
grp0618203501.jpg 398×514 191Kツール・ド・スイスの最初の山岳ステージで、マギーがウルリッヒに食らいついた。金曜の“レースNews”でこう書いた:

「意外だったのは、マギーがウルリッヒと同タイムでゴールしたこと。山岳ではいつも後退するのだが、総合3位に踏みとどまった。今年かなりからだを絞っているので、マギー、山岳も前よりいけるのではないか。一方で、ショートTTでは相変わらず安定感があり、パワーは温存している。」

今日18日、マギーの日記 がエントリーされた。やはり山岳での力を相当強化して、今年初めて、ツールで総合優勝を狙いに行くと書かれている。以下抜粋:

「今年は、初めて総合順位狙いでツールに乗り込む。だからツールドスイスは、そのための実践レースとして位置づけていた。とはいえここで優勝しようとしているわけではない。でも、TTで弾みをつけたかった。(ウルリッヒについで2位となり)それが実現して、あとは山岳で脚を試したい。

今年ほど山岳でハードなトレーニングを積んだ年はなかった。あとはどの程度やれるか見てみたい。今回山岳に焦点をあわせていたので、TTのトレーニングには余り力を入れなかった。それでもTTでいい走りができたので、とても満足している。

特に最終ステージのウルリッヒェンの最後の上りは、強烈だ。たった100kmの中に3つの超級ステージがひしめいている。(19日のステージ:プロファイルはこちら。)
トータルで換算すると4000mの標高を上ることになる。

このレースは面白くなるだろう。一部の選手はジロを終えたばかり。彼らその余韻を引っさげて走っている中、すっかりツールモードになっている選手が相まみえている。

ウルリッヒは、完全に(スイスで)優勝できる感じだ。しかし、それは単に彼がどう闘うかによるだろう。スイスでとことん戦うつもりか、或いはツールに余力を残すのか。今週、その答えがでる。

* 写真は02ツール マコンのITT。50km。先にスタートしたベネトーとサバヤを次々抜いていった。結果は15位。最終結果は109位。

例年ツールの総合順位は100位以上というイメージのあるマギー。03年は133位。04年は第1ステージの落車の末、第5ステージでリタイヤ。今年は一体どこまで総合順位をあげられるか。

■ 2005.06.19 (Sun)  ランス・アームストロング年収30億円 : 米経済誌「フォーブズ」 スポーツ界スター部門第3位!
ランス 「フォーブズ」 スポーツ界部門「スター」ランキングで第3位

ランス・アームストロング、米経済誌「フォーブズ」の著名人ランキング スポーツ界部門で「スター」ランキング(収入、知名度などを総合したランキング)第3位となった。ウッズ、オニール(バスケット)に続く。

このスター部門3位というのは、年収、Webヒット、雑誌露出度、TV露出度の総合点。

ランスのデータ

年収:約30億円(全有名人の中で41位)
Webヒット:100万件+α /日 (全有名人の中で39位。ベストワンはビル・クリントン)
雑誌:約2万記事(9位)
TV露出度:540回(8位 – シェリル・クロウのおかげだろう)

Yomiuri.comへ

ロジャースがTモバイルに移籍するニュースの続報

17日の小ネタの件、ロジャースがTモバイルに移籍するというニュースの事実関係が判明。

1.まだ両者は契約は正式にかわしていない。
2.ただし、両者は口頭ベースで大体合意している。

今月の金言?
マリオ・チポッリーニ:「僕は乱痴気騒ぎの中で死にたい。。。」

今月発売の「チクリスティ VOL.3」

正式な発売日は未確認ながら、もうじき発売。今回の表紙は --- コスプレなし。。

p.10: ランス、やはりバッソ、ウルリヒ、ヴィノクロフのことはかなり買っている。一方でクレーデンのことはバッサリ。
p.47: 最近よく表彰台に選手の子供が花を添えて、とても微笑ましい光景になるが、、、ザニーニの子供、ちょっと成長しすぎ?
p.78: ターフィのホテル、完成したら なかなかムードありそう。

■ 2005.06.20 (Mon)  ■ ツール目前にして ウルリッヒの日記から : イエロージャージでパリに戻りたい!
grp0620213623.jpg 290×353 119Kウルリッヒの日記はhttp://www.janullrich.de/ でドイツ語のみだと思っていたが、Tモバイルのサイト に英語で出ていた。少し前からこうなっていた模様。昨日のエントリーから。

「ツールドフランスを前にして、最後の手ごわい力試しがやっと終わった。去年優勝したスイスで、ディフェンディングチャンピオンとしてイエロージャージを守ることはできなかった。

でも、今回はそれが目的ではなかった。だから総合3位にも安住できる。7月には、パリでイエロージャージを着たい。そのために照準は合っていると思う。

今日(ラストステージ)は、あれ以上に頑張る必要はなかった。それにつけても、アイトール・ゴンサレスが今日はとてもインパクトのある走りをした。彼は優勝に値する。おめでとう。

同時にマイケル・ロジャースの落胆ぶりも、よくわかる。イエロージャージを実質的に最後の数キロで失うなんて。。。これはきついね。でも、まだ彼は若い。彼のニュースはこれからもどんどん聞くことになるだろう。

スイスで走ったこの1週間。総合的にみて、とても とてもハッピーだ。チームはものすごく頑張ってくれた。みんなに心からお礼を言う。みんなが食らいついて、僕をアシストして、必要に応じて援護してくれた。素晴らしい!

去年の今頃より、僕はずっといい調子。状態は100%とはいえないまでも、僕の目標であるツール・ド・フランスでベストの状態に持っていくまでに、まだあと2週間ある。

グランデパールのフォロモンティーヌで、僕はトップコンディションでスタートするだろう。約束するよ。」

(photo: 01 Tour)

■ 2005.06.21 (Tue)  プロツアー Wrap-up
algeri.jpg 640×480 257Kサウニエルは、またまた効率のいい勝ち方をした。クリス・ホーナーがツール・ド・スイスで区間優勝。サウニエル今季3勝目もプロツアーでの勝利。

ドーフィネ開始前にはエウスカルテル、FDJ、ゲロルシュタイナー、ドミナヴァカンツエの4チームがまだプロツアーで勝ち星がなかった。

ドーフィネでEUSのランダルセが総合優勝・スイスでEUSアイトールが総合優勝、スイスでFDJが2勝(アイゼルとマギー)、アイントホーフェンのTTTでゲロルシュタイナーが優勝。あと残るはドミナのみ。

ドミナは、プロツアーでないレースを入れても全レース勝利数が1勝。ジロ・デル・トレンティノでゴンチャールが優勝したのみ。(左の写真はドミナのアルジェーリ監督)

ところで「プロツールが始まる前まではグランツールではリーダージャージを獲得で毎日1ポイントずつ与えられるとされていた気がするのですが、ジロのポイントには加算されていませんでしたね。いつの間にかなくなってしまった規則なのでしょうか?」という疑問が寄せられた。

確かに、以前はリーダージャージは毎日着るだけで1ポイントだったが、今年からそのルールは廃止。

以前の場合、ゴール前、区間優勝を別の下位の選手に譲ってリーダージャージをゲットする、といったかけひきもあった。しかし今後、リーダージャージを着るだけでは美味しくない。グランツール以外は区間2位ではポイントはつかないし、リーダージャージもポイントゼロ。

むしろチームはリーダージャージを死守する義務ができてしまい負荷が増す。

3月に確認したが、再度新ルールにおけるポイントを下記の通り確認。

総合順位>>
ツール:総合優勝100pts、以下 75, 70, 65, 60, 55… 15, 12, 9, 7, 5, 4, 3 ,2, 1 (総合20位は1pt)

ジロ&ヴエルタ:総合優勝85 pts, 以下 65, 50, 45, 40, 35, 30, 26, 22, 19, 16, 13, 11, 9, 7, 5, 4, 3 ,2, 1 (総合20位は1pt)

プロツアーのトップクラスのワンデイレースとプロツアーのステージレース: 総合優勝 50pts, 以下 40, 35, 30, 25, 20, 15, 10, 5, 1

上記以外のプロツアー ワンデイレース:総合優勝 40pts, 以下 30, 25, 20, 15, 11, 7, 5, 3, 1

世界選手権:優勝: 50pts、2位: 40pts、3位: 35pts

区間順位>>
3大ツール:区間優勝:3pts、区間2位:2pts、区間3位:1pt
それ以外のレース:すべて区間優勝者のみに1ポイントがつくだけ

■ 2005.06.21 (Tue)  ツァベルが明かした:「来季のチーム交渉、他のチームからもオファーをもらっている」 「ツールをTVで見るのは辛いかもしれない」
wife.jpg 326×388 119KモバイルのHPは、ツァベルがツール出場メンバーに選ばれなかったことを、ごく客観的にインタビューの形で伝えている。

― エリック、(メンバー発表から)数日が経って考える時間があったと思うけど、ツールメンバーから外すというチームの決定についてどう思っていますか?

エリック・ツァベル:「決定を最初に聞いたときと同じさ。がっかりしたけど、チームの幹部の決定だから受け入れる。僕はそういう点で十分プロだから。」

― 7月の間、何をするつもり?

ツァベル:「監督のマリオ・クンマーによると、オーストリアツアーかサクソニーツアーに出場する選択がある。両方出場するかもしれない。でも、ドイツ選手権が終わるまで、夏の予定は確定しないつもりだ。」

― 聞いていると、なんだか夏休みという感じではないですね。

ツァベル:「18年間夏休みなんてとったことがないよ。2005年も同様さ。僕の休暇は10月の後半なんだ。」

― 今度の日曜日、マンハイムで行われるドイツ選手権で再び始動ですね。

ツァベル:「ドイツ選手権はプロチームTモバイルにとっては実質的に義務のようなものさ。

― Tモバイルとの契約交渉の進捗具合は?

ツァベル:「交渉中さ。オラフ・ルドヴィッヒとTモバイルからオファーをもらった。でも、他のチームからもオファーをもらっている。」

― 決意するのはいつごろ?

ツァベル:「ツール終了後だね。7月31日のハンブルグのHEWクラシックスまでには決める。」

― 自分がツールに出場しないことは、どうやって知りました?そして、最初の反応は?

ツァベル:「公式発表の前日に知ったんだ。僕が今年のツールに選ばれるという保証は最後まで幹部からもらっていなかったから。実はこの件は、昨年9月から協議されてきたことなんだ。でもそれを気にかけたことはない。

僕はただ、ツールのチャンスが可能性としてある限り、それに備えてやってきただけ。もっとも、そのニュースを聞いた時は、深呼吸を一息いれなければならなかったけど。

とはいえ、エリック・ツァベルがいようがいまいが、7月2日から始まるツールの大フィーバーはここドイツで、かつてないほど高まっていることだろう。」

― 奥さんのコルデュラさんはなにか言っていましたか?
(写真がコルデュラさん。04Tourにて)


ツァベル:「コルデュラはここ10年僕につきあってツールに同行していた。びっくりしていたよ。家族にとっては新しい局面だからね。でも、そのうちしっくりくるだろう。

― ツールをTVで見ますか?

ツァベル:「そうしたいね。もしも見ているのが辛いようだったら、ほかの事をするよ。」

■ 2005.06.22 (Wed)  ノサルがリバティー・セグロスに復帰
nozal2.jpg 530×478 209K昨夜スペインのスポーツ紙、アスに報道されたノサル復帰のニュース。裏が取れなかったので一旦削除したが、大方事実に近いらしいので、再掲載。

ドーフィネの検査でヘマトクリットが52となり、チームから除籍処分を自ら希望したイシドロ・ノサル。その後の再検査で平常値となっていたことや、医師の判断から、チーム復帰の見込みとなった。

今週末のスペイン選手権に出場する予定だが、ツールのラインナップには入っていない。

現在リバティーはスペイン北部のカンタブリア地方でキャンプ中。ノサルはこのキャンプにも参加はしない。サイス監督もノサルも、カンタブリアは地元なので、本来的に、ノサルは参加するのが自然だが、ノサルの精神的ストレスを考慮しての処遇だという。

(Photo :03Tour)

■ 2005.06.22 (Wed)  相変わらずポーカーフェースのイバン・マヨ。調子はいいのか悪いのかミステリー
mayo3.jpg 279×371 72Kツールでも、ドーフィネやジロのような競り合いを見たいものだが、クーネゴが既にツール不出場となり(Ref:昨日の小ネタ通信)、残念。更にイバン・マヨがツール・ド・スイスで全く目立たず。マヨは一体 どうしたのか?

ビルバオで、このほどマヨに対する代表質問があったらしい。スペイン各紙が伝えたインタビュー内容は以下の通り。

― ツール・ド・スイス、どんな感触でした?

「長くてきつかった。上りが厳しく、TTは長かった。調子はいいと思う。あとは微調整するだけ。ツールまであと2週間、重要な山岳ステージまであと3週間あるし。」

― 今年は今の所静かですが、ツールに対して不安は?

「不安というのはいつだってある。絶対勝てるなんて思ったことはいとどもない。確かに今年は目立つ所がなく、その分プレッシャーもたくさんあった。まだ好調の波がきていない。勝ちたい気持ちはあるものの、ツールに全ての比重を置いてきた。」

― ツールで優勝候補をあげるとしたら?

「アームストロングだろう。過去6年間勝って来た。今年は最後だから、後味の悪い思いでレースを後にしたくないだろう。」

― ランダルセがドーフィネで勝ち、アイトールがスイスで勝って、これでチームも一安心ですね。

「今までプレッシャーを感じていたから、解放された感じだね。」

― 去年のツールでは最初の週に落車で出鼻をくじかれましたが、今年もそうした不運を恐れていますか?

「いいや。最初の一週間はツキの問題。最初の一週間は、かなりナーバスだから、これさえクリアすれば、次の週は落ち着きを取り戻す。それに、去年はツールの前までは調子がよかったものの、その後疲れが取れずに自滅した。後でヴィールス性の病気だと判明したのだが。(今年のジロでクーネゴが単核球症を患っていたように、マヨは昨年ツールで単核球症に罹患していた。)

― アームストロングと闘う最後のツールとなりますね。
「そのことは、余り意識していない。」

(photo : 04 Tour 単核球症を患って調子が出なかったマヨ。この翌日リタイヤを決意し、ツールを去っていった。かなり調子は悪かったようなのだが、カメラを向けたらこの笑顔。ゴロスペ監督いわく、「マヨは調子が悪くても一人で内省的に悩むタイプ。感情を余り外に表さない。」)

■ 2005.06.23 (Thu)  知っているようで意外に知らないヴィノクロフ
grp0623203409.jpg 508×355 194Kヴィノクロフ移籍の話題が持ち上がっている。実力がありながら、チームでNo.1リーダーになれぬままのヴィノクロフ。

実は、彼はテレコム入団前、「ツールで勝ちたかったら、よそのチームへ行け」と最初にテレコムのペフェナヘ氏から釘をさされていた。それを承知で入団した。

でも、ずっとアシストで終わるつもりはなかった。3年経てば自分がリーダーになれると思った。

彼にチャンスが回ってきたのは入団4年目の2003年。ウルリッヒがチームを去ってビアンキでツールに出場。ボテロとともにリーダーになった。ボテロが精彩を欠いたので、やっとチーム内トップの座を獲得。しかしそれは1年で終わった。

ウルリッヒがチームに戻り、やっと掴んだNo.1の座から一歩 また後退した。ヴィノはTモバイルで、とてもハッピーだ、と言ってはいるが、正直2006年は、確固たるリーダーとして走れる環境を模索したいのではないだろうか。

最近のTモバイルのHPでは、ウルリッヒが絶対的リーダーというより、チームとして是が非でもイエロージャージを狙うとしている。つまり、チームのリーダーはやや例年よりフレキシブルに”ウルリッヒか、或いはヴィノ”、という体制でやるように感じられる。

ところで、意外にその素顔について語られることの少ないヴィノクロフ。過去のアーカイブから掘り起こしてみた。

カジノ時代:1998〜99年 (以下、99年発行TDF公式雑誌「オフィシャルプログラム」から: 左の写真はその雑誌をデジカメで撮影したもの。Photo Copyright:ASO)

“彼の名前を述べてもまだピンとくる人は少ないだろう。アレクサンドル・ヴィノクロフ。25歳のカザフスタンの選手は、一流選手への道を驀進中。

99年ドーフィネ・リベレ。ヴィノクロフとアメリカ人のヴォータースとの一騎打ちになった。モンヴァントゥーのTTはヴォータースが制した。しかし、最後にヴィノクロフが逆転。(最後から2番目第6ステージで逆転した)強烈な印象を残して総合優勝した。

ドーフィネ優勝者として名前を連ねるのは、インドゥライン、レモン、イノー、メルクスなどなど。彼はその後継者となりうるか?ツールのプロトンではまだ地味な存在だが、きっと彼ならすぐに学んでいくに違いない。“


2003年:ウルリッヒがチームを去ってやっとめぐってきたチャンス(レキップ紙 03年7/17付けインタビュー記事より)

― ヤン・ウルリッヒが去って、やっと貴方は解放された、と巷では噂していますが。

「僕はテレコムにきた時点で、自分の役割は自覚していた。ルディ・ペフェナヘに言われたんだ。

“もしツールで勝ちたかったら、よそのチームに行くがいい”ってね。僕は、ヤンのために走ろう、と決意した。そして、3年経ったら僕の番がくると思っていた。

今、ヤンがチームを去って、チームは僕に信頼を寄せてくれている。僕の時が来るのを今まで待っていた。とはいえ、ヤンと僕は今でも友達同志さ。」


― カザフスタンの自転車界に風穴を開けましたね。

「今年ツールで区間優勝して、国の人は僕を誇りに思ってくれている。携帯におめでとうメッセージを25から30ほどもらった。カザフの首相も電話で祝福してくれた。“今この国で起こっていること(大騒ぎになっていること)を 君は想像もできないだろう”って。

キヴィレフがツールで総合4位になって(01年)以来、カザフスタンではツールの知名度はとても高くなった。ただ、彼が亡くなって、カザフの選手は僕独りになった。

もっとも、若い伸び盛りの連中が、これから世界のヒノキ舞台で頑張ってくれると信じている。」

ヴィノクロフ、ナショナルチャンピオンシップ出場のため、昨日カザフスタンに帰っていった。日曜日にフランスに戻ってくる。ツール前、少々負荷のかかる移動となった。

(拡大写真の頁の右端はベルトラン。「99TDFオフィシャルプログラム」の雑誌でヴィノクロフとベルトランのことを初めて知った。

ちなみに、ツール会場のブティックでは最近まで、「オフィシャルプログラム」が販売されており、出場する有力選手のことが丁寧に記されていた

雑誌は今も存在するものの、最近では出場選手が直前までかなり流動的になったせいで、残念ながら こうした選手の紹介記事はなくなってしまった。)


■ 2005.06.24 (Fri)  フランス選手権 TT速報: シルヴァン・シャヴァネルが優勝。モローは大崩れで17位
grp0624081557.jpg 284×322 102K今週はナショナルチャンピオンが目白押し。

先陣を切って行われたのがフランス選手権。昨日のTTで、シルヴァン・シャヴァネル(COF)が優勝。これでツールのTTでは、フランスチャンピオンジャージ姿が見られることになる。

シャヴァネルの結果:40.5.kmのコースで平均時速45,022 km/h。タイムは53分58秒。

2位はシャヴァネルの元同僚ディディエ・ルース(ブイグ 1分18秒)、3位、フレデリック・フィノ(FDJ 1分46秒遅れ)。

モローはシャヴァネルから4分4秒遅れの17位。レース前下馬評が高かっただけにこの結果は少々びっくりだ。また、同じく有力視されていたサンディ・カザールは落車で途中棄権。

写真は昨年、山岳TTのシャヴァネル。

■ 2005.06.24 (Fri)  ヴィノクロフ、Tモバイルの制止を振り切って選手権出場
fofo.jpg 245×365 110K昨日のトクダネの記事「ヴィノクロフ、ナショナルチャンピオンシップ出場のため、昨日カザフスタンに帰っていった。」に関連して、あれはチームの意志にそむいての決断だったことが判明。

ツールに専念する有力選手の中は、ナショナルチャンピオンシップ出場を断念する選手も多い。なのにヴィノクロフはカザフへと旅立っていった。

ホデフロート監督は、ツールの前の週であることから、ヴィノのカザフ行きに反対したが、彼はそれを押し切ってカザフに帰りRRのレースにのぞむ。

先日書いた通り、03ツールには首相から祝福メッセージまで受け取ったヴィノクロフは今やカザフの星。国に錦を飾りたいという想いが感じられる。

ヴィノクロフのほかに、カザフ選手権に出場するのは、ヤコヴレフ(Tモバイル)、ムラヴィエフ(CA)、フォフォノフ(COF)、イリンスキー(ドミナ)など。写真はフォフォノフ。休息日、一人でずっとサドルの調整をしていた。(彼もヴィノ同様、金髪系のカザフ人。)

■ カザフスタンの景気と”首相は元サイクリスト”

カザフスタンではヴィノクロフの成功もあり、年々自転車競技への関心が高まっている。カザフの経済はここ3年で1.5倍、来年までの4年間に2倍になると予想されている。自転車人気は、景気の上向きと比例している。

また、2003年、ヴィノクロフがツールで区間優勝し、表彰台を争う直前の6月、カザフの首相が交代した。ダニヤル・アフメトフ首相は、元サイクリスト。事実、彼はカザフ自転車連盟総裁を兼任している。

■ 2005.06.25 (Sat)  今年のナショナルチャンピオンシップITTはちょっといつもと違う
grp0625092114.jpg 424×380 166K昨日は、次々に各国の選手権 TTが行われた。結果を見ると、1998〜2000年にかけて世界選手権U-23ITTで上位に入った選手が今回上位に入っている。

若い頃に爆発的に成功して、その後プロ入りしてから名前が聞かれなくなる選手も多い中、あの世代は着実にトッププロに成長しているのがわかる。

まず、世界権U-23のロードITT 当時の成績を見てみる。

2000年 :1位 ペトロフ、2位 カンチェッラーラ、3位 Mロジャース
1999年 :1位JIグティエレス、2位 Mロジャース、3位ペトロフ
1998年 :1位 ヒュースホーウト、2位Fフィノ、3位Gオルテンツィ

そして、今回 -

* スイス世界選手権でカンチェッラーラが優勝
* スペイン選手権でJIグティエレスが優勝
* ノルウェー世界選手権でヒュースホーウト優勝
* フランス世界選手権で F・フィノが3位

上記の中で、オーストラリアのロジャースは、今年1月の自国世界選手権RR棄権・ITT不出場だった。ただし彼の場合、世界選手権 エリートITTを03、04年と制している。

ロシア人のペトロフの状況がよくわからないが、ロシアITTはCSCのグーセフが制した。

過去の世界選手権U-23 ITT表彰台の顔ぶれを見るならこちら:JUMP

上述選手のほか、02年ITT3位になったポルトガルのパウリーニョ(アテネ五輪RR 銀メダル)や、去年2位になったトマス・デッケルらの活躍は今後期待できそうだ。

世界選手権や各国世界選手権 U-23の結果をチェックして、今から注目する青田買い的見方も面白い。

(写真はCycle Sport誌Dec,2000号。U-23の表彰台。左からカンチェッラーラ、ペトロフ、ロジャース)

最後に、スペイン世界選手権でレース復帰したイシドロ・ノサルは20位に沈んだ。

■ 2005.06.25 (Sat)  ツール・ド・フランスがあのミヨーの世界一高い橋を通る(くぐる?)ぞ!
hashi.jpg 600×450 29K去年12/22付けトクダネに書いた下記のあてずっぽう記事が、どうやら実現しそうだ。

「今月14日、フランス南部ミヨーに世界で一番高い橋が完成した。橋脚含めて高さは343m。320mあたりと言われるエッフェル塔より高い。雲を下に見るその姿は壮観そのもの。ツールでプロトンがこの雲の上の橋を渡ったら、素晴らしいスペクタクルになりそうだ。」


今日になって、アルビ〜モンドの第18ステージで、 コース日程に「Viaduc de Millau (sous)」ミヨーの橋(下)と書かれているのを見つけた。但し、「sous」とあるので、橋の上でなく下をくぐるような感じに見受けられる。

やはり、雲の上を走るのは、なしなのだろうか?

ちなみに、この橋のことは、1/26付けトクダネでもしつこく書いていた。

「以前お伝えした世界一高いミヨーの橋(343m程度、エッフェル塔を上回る)。ツールがここを通ればいいね、なんて言っていたが、実現する可能性がゼロではなくなってきた。

7月21日のアルビ − モンドの第18ステージ。スタートとゴールの中間地点にミヨーがあることを発見。まだ当日のルートは発表になっていないので、ここを通るかどうかは不明。

しかも、距離的にいうと、ミヨーを通っていると、あの走行距離では収まらないかもしれない。いずれにしても 付近は通りそう。

プロトンがN88を通ると仮定するとセヴェラックルシャトーを通過するはず。そこからミヨーまでは37km。車なら目と鼻の先。観戦ついでにちょいと寄るっていうのもいいかもしれない。

日通のツール企画部担当者さん、いかがでしょう?<<第18ステージ観戦+ミヨーの橋見物!>>とか銘打てば、ツアー参加者増大間違いなし?」


日通のツアーの方たち、ミヨーの橋+プロトンを見物するのはなかなかいいかもしれない。

ただ、、、現地で観戦してもいい写真は撮れない可能性もある。世界一高い橋なわけだから、プロトンが下を通っても、近くで写真を撮ると橋げたしか写らない可能性もある。

TV的には空撮するなりしてスペクタクルな演出ができるだろうが、現地入りするカメラマンたちは、どのようにして撮影するのだろう。

いずれにしても、夏の突き抜ける空に浮かんだ橋とプロトンのコラボ、是非見てみたいものだ。

Photo Copyright :http://www.structurae.net/

■ 2005.06.26 (Sun)  ヴィノクロフ、カザフチャンプ + ウルリッヒ交際を認める
mura.jpg 169×196 39Kヴィノクロフ優勝!!!

チームの反対を押し切って出場しただけに、相当気合も入ったことだろう。ヴィノクロフ、見事カザフスタン選手権RRで優勝。

2位 アンドレイ・ミズロフ(今年チーム カペックの選手として来日し、TOJの富士山TTステージを制した選手: 写真

ちなみにミズロフは00〜01年テレコムで走っていた。01年テレコムカレンダーをわが家のトイレに飾っている関係で、毎日 彼の顔とは対面している。。?!

3位 カシェチキン、4位 ムラヴィエフ(2人ともCA)、5位フォフォノフ(COF)

ともかく、ヴィノクロフ、おめでとう!

ウルリッヒ、シュタインハウザーの妹との交際を認めた

ウルリッヒの片腕トビアス・シュタインハウザー。02年までゲロルシュタイナーで走っていたが、03年、ウルリッヒに呼ばれてコースト入り。以来トレーニングキャンプも一緒、ツールには必ずアシストとして出ている。

そして、、、今日のドイツの新聞BILDによると、トビアスの妹で28歳のザラ・シュタインハウザーとウルリッヒが付き合っているという。ウルリッヒも前回とは違い、彼女は最高の女性だと堂々と語った。

但し、彼女はガビーとウルリッヒの破局の原因ではない。2人は数年来知っていたが、破局後に急接近した。

記事によると、ザラはブロンドで魅力的な女性。ウルリッヒも賛辞を惜しまない。スキーメーカーの営業部門で働いており、自立した女性だという。兄のレースにしばしば同行していた。

■ 2005.06.26 (Sun)  ドイツ選手権 : テレコムの記録途切れる!
ドイツ選手権RRを制したのはゲラルド・シオレックとかいう選手アクト・ズィヒャーハイトというチームの無名の選手。ツァベルは2位と伝えられたが、3位に訂正となった。ゲロルシュタイナーのRフェルスターが2位。

そして、なによりも、テレコムが毎年支配してきたナショナルチャンピオンシップの記録が途切れた

その続き、及びその他 各国選手権一覧はこちらのRace Newsにて一括掲載。

■ 2005.06.27 (Mon)  12年間、ドイツ選手権を飾ったテレコムの選手たち!! + CSCのシュレック兄弟で選手権優勝
kloden.jpg 640×480 273K12年間テレコムの華々しい歴史=ドイツ選手権を飾ってきた全選手を一挙公開

レースNewsでお伝えしたとおり、テレコムは12年間ドイツ選手権のタイトルを死守してきた。

テレコム通の情報筋によると、事前にチーム内で「今年はだれ」と決めておいて、全員でその選手を勝たせに行くのがお約束なんだそうで、おそらく今年はツァベルの 番だったと思われる。(まあ、こういう談合はありでしょう。)

それが18才のジュニア上がりにタイトルをさらわれたというのは、ツァベルの力の問題というよりも、T-Mobileの全結束力にひずみが生じたか?と少々不安材料だ。


1993 ベルント・グローネ
1994 イエンス・ヘップナー
1995 ウド・ベルツ (現ゲロルシュタイナー幹部)
1996 クリスティアン・ヘン (同上)
1997 ヤン・ウルリッヒ
1998 エリック・ツァベル
1999 ウド・ベルツ
2000 ロルフ・アルダグ
2001 ヤン・ウルリッヒ
2002 ダニロ・ホンド
2003 エリック・ツァベル
2004 アンドレアス・クレーデン

....(写真:ドイツチャンピオンジャージのクレーデン。去年ツールの最終TTにて。これでバッソを逆転し、総合2位に。)

Special thanks to K-san & Y-san!

CSCのシュレック兄弟、2人でルクセンブルク ナショナルチャンピオン

弟のアンディ(20歳)がTT、兄のフランク(25歳)がRRで優勝。兄弟揃って同じチームでチャンピオンジャージを獲得!それにしても2人は似ている。。。JUMP

■ 2005.06.28 (Tue)  リクイガスがジャパンカップに来る
grp0628074640.jpg 640×480 336Kリクイガスのサイト(英語もあり)がおしゃれで、一部ウケしている。選手の集合写真にしても、なんか自転車チームの集合写真というより、ジャニーズ集合写真系。

ところで、そんなリクイガスのレースカレンダー10月の欄に、なんと!「ジャパンカップ」と書かれている。

ディルーカ?チオーニ?ガルゼッリ?誰が来日するだろう。かなり楽しみであります。サイトはこちら(サウンド付きなので注意。イタリア語・英語・仏語の3ヶ国語。)

リクイガスは、イタリアチャンピオンを輩出した。RRでガスパロットが優勝。これで、プロ2勝目。レース通の人いわく、「ザネッティと同じ町出身で、誕生日がチポッリーニと同じ選手」という以外は、余り話題にならない選手だとか。

(Photo: スイスツアーのアンドリオット。拡大写真右はガルゼッリ。)

■ 2005.06.28 (Tue)  ツール・ド・フランス公式HPが遂に登場
今までのお知らせ版が 模様替えしてツール生中継用の本番サイト出来上がりました。今年はパワーアップで計測ポイント情報も。ライブストリーミングは今年もあるようだが、但し有料(宣伝は2004年の宣伝文がそのまま出ている。)

ただし、出走リストはまだなし。小ネタでお知らせしたCNのサイトにしか出ていない。
http://www.letour.fr

■ 2005.06.29 (Wed)  ツール・ド・フランス豆知識:オレンジの微笑みのワケ
orange.jpg 213×215 55K2003年現地生中継レポートでランスがオレンジを持って微笑んでいる様子をレポしたが(JUMP)、これにはワケがある。ツールでは、オレンジは○、レモンは×なのだ。

ツールでは、ジャーナリストが選んだ選手の賞として、オレンジ賞(Prix Orange)とレモン賞(Prix Citron)がある。

オレンジ賞とは:le coureur le plus sympa “最もフレンドリーな選手”に贈られる賞。つまり、ジャーナリストたちに最も協力的だった選手。過去、ジャジャなどが受賞している。

レモン賞とは:le coureur le moins sympa “最もフレンドリーでない選手” に贈られる賞。つまり、ジャーナリストたちに最も非協力的だった選手。

ボディーガードにがっちりガードされてジャーナリストをたやすく寄せ付けないランスは、当然のように01 、02年レモン賞を受賞している。

ところが、03年、初めてランスはオレンジ賞を受賞し、オレンジのバスケットを受け取った。そして、あの微笑となった。

左の写真はレポートに掲載した写真の次に写したもの。ヒンカピーにも、「オレンジ1個いかが?」とオファーしているシーン。


ただ、これには後日談もあり、翌年の04年は、ランス、再びレモン賞となった。洒落の賞とはいえ、”イエロージャージのランスはこれに むっとしていた”、とレキップ紙は伝えている。

03年のオレンジ賞は100周年記念のご祝儀だったのかもしれない。

CNには、オレンジ賞を初めて受賞して 満面の笑顔のランスの写真。今までの笑顔でNO.1の写真だろう。やはりジョークの賞とはいえ、こういうのは結構まじで嬉しい様子だ。
写真1 / 写真2


■ シンケヴィッツ獲得にTモバイル動く


ジャパンカップで昨年優勝したドイツ人のパトリック・シンケヴィッツ。Tモバイルが獲得に乗り出していると、ベルギーの新聞 'het Nieuwsblad'が伝えた。

但し、シンケヴィッツいわく:

「(クイックステップ監督の)パトリック・ルフェーヴルからのオファーの方がTモバイルからのオファーよりいいから、Tモバイルがこれ以上動かなければ、現状維持、クイックステップに残留だよ」とのこと。

■ 2005.06.29 (Wed)  Evening News
rumu.jpg 220×295 66KマキュエンはCSCと接近中

ダヴィタモン・ロットとの契約が今年いっぱいで切れるロビー・マキュエン。CSC移籍を念頭に交渉が始まったという噂。ただし、CSCは相変わらず台所事情が厳しく(ヤクシェがリバティーに行く時、"僕ひとりがCSCを去れば若手数人が雇えるから"と言い残していった。)、あとはその辺のネゴ次第という感もある。


ライモンダス・ルムシャスに逮捕状、拘束

先日リトアニアの選手権TTで優勝、RRで2位となったライモンダス・ルムシャスが拘束された。02年ツールのあと、妻が薬物を何十種類か所持していて拘束されたが、今回は薬物の輸入の疑いで、本人が拘束された。

彼は現在イタリア在住。フランスが発行したEUの逮捕状でイタリアの警察に拘束され、尋問を受け、フランスに身柄引き渡しが行われる可能性。

ルムシャスは、先のリトアニアチャンピオンシップTT優勝、RR2位だった。

昨年はポーランドのAction-Ati で走っていた。Photo: 02ツール、最後のTTのルムシャス

■ 2005.06.30 (Thu)  負けるなベロキ!
beloki2.jpg 321×434 142Kウラブルのベロキ・インタビューを読んだ。ツール03の時の怪我は、骨折だけでなく、神経・繊維組織をも破壊したという。怪我のひどさがしのばれる。特に彼のファンではないんだけど、、頑張って欲しいな、と思った。

「(ツール03での)落車は僕の人生を変た。でもツールは僕にとって、最後の切り札なんだ。」

サイス監督は、今年のツール、2枚看板でのぞむ。エラスとベロキ。第一リーダーのエラスの調子次第では、第二エースのベロキがエースになることもありうる。

落車後、ベロキの道のりは険しかった。しかし、ひとときたりとも自転車が頭から離れたことはなかった。以下、上述のインタビューから。


― ひどい落車から2年。今の心境は?

JB:「総合を狙うためにスタート地点に立つ。区間優勝を狙っても、なんにもならない。とにかくツールでは まぐれはありえない。初日から最終日まで、1日1日の順位の積み重ねを大事にしたい。」


― 今まで3回ツールでは表彰台に上りました。(3位が2回、2位が1回)どれが一番想いで深いですか?

JB:「もう遠い過去のことのように思える。最後に上ったのが2002年だからね。あれ以来、僕の人生には、いいことと悪いことが続けざまに起こった。

表彰台を分かち合った仲間を思い出すとアームストロング。彼は今でも頂点にいる。ルムシャスはもういない。

ウルリッヒとヴィノクロフも同様に頑張っている。いずれにしても、当時の顔ぶれの多くが、今でも頑張っているということだね。」


― 初日TT(19km)で、選手が早くもふるいにかけられるでしょうか?

「距離が長いからね。アームストロング、ウルリッヒ、バッソ、ロジャースあたりは、クライマーよりも1分半はここで稼げるだろう。ショートプロローグで8秒失うのとはワケが違う。

20kmのTTだと、1kmあたり少なくとも3秒ずつ差がつくとして、1分の違いが生じてくる。」


― 怪我の後遺症は?

JB:「競技に影響を与えたのは事実だ。それまで集団で走っていたのが、それができなくなったり、走行中にリズムを替えようとすると、体が抵抗したりした。いろいろ改善のために、ハンドルを短くしたりもした。

からだにスクリュー5個とプレート1枚入れて走っていた。筋肉にもダメージがあった。筋肉組織が破壊されたので、修復のための治療をしたり。組織に加えて神経にもダメージがあった。これらは後でツケとして僕に襲い掛かったよ。

でも今は精神的にも回復した。今は気合十分だよ。僕はこのまま9月にもレースでトップコンディションでいられるとは思えない