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今月のNews:ランス・アームストロング、バックステットのアワーレコード、フラシスコ・マンセボ
Mas.ciclismoは、200112月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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■ 2005.10.01 (Sat)  ウンスエ監督の弟はバルサの元ゴールキーパー
unzue.jpg 399×293 29Kバレアレスのエウセビオ・ウンスエ監督の弟は、フアン・カルロス・ウンスエ。元バルサのゴールキーパーだった。最後は36歳でオサスナを引退している。

もう少し調べようと、ネットをチェックしていたら、あるサイトを見つけた。海外の浦和レッズの紹介サイト。なんと!フアン・カルロス・ウンスエの名前が浦和レッズ(Urawa Red Diamondではなく、Mitsubishi Urawa FCとして)のところにでていた。え?ウンスエ監督の弟が浦和レッズに所属していた???!

びっくりして、これはどういうことかとしばし悩んでしまった。そのサイトのHomeにいってやっと納得。どうやらこのサイト、サッカーゲームのサイトのようだ。

しかし、年俸金額まで出ているから、まことしやかで騙されそう。
ウンスエ弟が浦和レッズに??
浦和レッズの構成。。(その下にはラファエル・バルベルデなんていう紛らわしい名前もあったりする。)

ちなみにエウセビオも、15歳までサッカーをやっていた。19歳から27歳までは家業である飼料製造に携わった。

ウンスエ監督自身は、自転車選手として走り、6勝している。しかし、足の痛みで引退を余儀なくされた。しかし、先日新聞のインタビューで、こんな風に語っている。

「自分がどういう状況で引退したか、それについてはこれ以上詳しく言うつもりはない。この記事を自分のチームの選手たちが読む可能性があるからだ。」

辛い辞め方だったようなニュアンスだ。選手たちが読んだら、怖くなってしまうような内容なのか?その後彼は レガラチームに引き抜かれ、スタッフとして働いた。それが発展してレイノルズとなり、80年にプロチームとなった。

監督は、インドゥラインのジュニア時代を知っている。その頃インドゥラインは、プロ入りする頃よりも10数キロ太っていたという。しかし、才能はその頃から感じられたそうだ。83年、アマチュアチームもみていたウンスエ監督のもとでインドゥラインは走り始める。
(Photo:ウンスエ監督運転中 ツール05)

■ 2005.10.03 (Mon)  チューリッヒ選手権を見損なう
仕事でUKにきたのはいいが、期待したユーロスポーツがなく、Skyスポーツ2チャンネルは格闘技とオートバイ、がくっ。結局こちらではチューリッヒのチュの字も聞こえない。

チューリッヒでは、ベッティーニが制し、ディルーカ4位で初代プロツアーチャンピオンになったのはなんとか風の便りで?わかったが。。この時期パリ〜ブールジュもあるけど、そのときもイギリス滞在。きっとTV放送とかはまったく見られないだろう。パリ〜ツールの日に帰国する。

■ 2005.10.03 (Mon)  リバティーがボストンの町にやってきた!!
先日お伝えしたとおり、リバティが米国にあるリバティー本社を表敬訪問したあと、風洞実験施設のあるMIT(ボストン)にやってきた。なんと、ボストンでリバティーご一行と会えた人がいる。

「先日リバティーの選手がボストンに来ると言う記事が有ったので、自分がボストンに留学中と言う事と、このイベントがあったショップをもともと知っていたので行なわれたので行って来ました。」

というラッキーな留学生の人からお便り。あんな小さいバイクショップであんな豪華な顔ぶれがそろうとは!!ベロキあの笑顔!あんんなフレンドリーな雰囲気の中で選手たちと会える機会はめったない。

留学生のご当人は、ちゃんと全員のサイン入りTシャツをもらいベロキとも握手をしたそうだ。写真つき遭遇記はこちら;
http://hbotiboti.exblog.jp/1240038/

■ 2005.10.04 (Tue)  最後まで支えつづけた人が書いたマルコ・パンターニの本。ついに英訳本が発売
パンターニの本といっても、今までいろいろ話は聞いており、目新しい気がしなかった。そころが、概要を読んだら、知らないことだらけ。それもそのはず、書いたのは、彼のエージェントであり、最後まで彼を守りつづけたマヌエラ・ロンキという人。

ロンキは、パンターニを家に呼んで、彼がなくなる直前まで彼を守りつづけた。この本の概要は、昨日ヒースロー空港で購入したProcycling誌に特集として出ていた。その記事から判明した本の概要葉、ざっとこんな感じ。

● ロンキは、パンターニが心の病に冒されたあとも、彼を中心とする新チーム結成に奔走した。

● そのために、オンセかバネストを買収して、合併のような形で新チーム構想を練った。

● バネストのエチェバリマネージャーは、パンターニのチームと知るやいなや、交渉打ち切り。

● サイス監督からはさらにひどい仕打ちをうけた。彼女の話に乗らなかっただけでなく、彼女が交渉していた別のスポンサーを横取りする格好で、彼女抜きで、そのスポンサーと交渉をはじめてしまった。

● パンターニは、信頼していた友人から次々裏切られた。

● 幼少の友人がある日電話してきて、すごく喜んだパンターニ。しかし翌日、「パンターニ引退」の記事。その友人はジャーナリストだった。パンターニがジョークで言ったことをそのまま記事にされた。

● パンターニの両親が、彼の監視役で金を支払っていたミケーレは、ある日キューバにいってくれと両親から頼まれる。パンターニが、遊びにいったキューバで悲惨な状況になっていたのだ。しかし、ミケーレは、通常の手当ての支払い以外に、両親に高額な見返りをさらに求めた。これを聞いたパンターニは、あとで激怒する。

● ロンキは、パンターニの注意をそらすため、マドリッド在住のジョヴァンニ・ロンバルディにパンターニといっしょにマドリッドでトレーニングしてくれるよう依頼した。さらに、スペイン人のクラベロ選手にも声をかけた。

● パンターニは彼女の計画どおりマドリッドにいったが、そのあとさっさとキューバに行ってしまった。前回の訪問で恋人ができたのだ。

● キューバで、めちゃくちゃな配合をした不純物の多いコカインを買ったらしく、キューバから戻ったパンターニは、幻覚症状があらわれ始めた。

● パンターニがなくなる前の12月に強度の心臓発作で亡くなったヒメネスについて、ロンキは、「あのなくなり方からすると、多分ヒメネスもコカインの摂取過多による死亡だったのだろう」と語った。

● パンターニがパスポートに人生を振り返る内容のメモ書きを残したのは、この最後のキューバ滞在中だった。

● そのパスポートのメモ書きを葬儀で読み上げた人こそが、このロンキだった。

本のタイトルは「Man on the Run」。走っている男というより、駆け抜けていった男、みたいな感じだ。サブタイトルはthe life and death of Marco Pantani。和訳は、また未知谷さんあたりが考えている??!

その他、この本には新事実が続々出てくる。なかなか興味深い本だ。

■ 2005.10.05 (Wed)  ランスに脅迫状が来るようになったのは元USP、現コフィディスのセドリック・ヴァサーのせいだった話
01年、ランスとヴァサーの間に確執があり、ヴァサーはフランスのマスコミにランス批判をぶちまけた。そのせいで、事実上、彼はUSPを首になったも同然だった。

以来ランスのチームはフランス人選手の加入を拒否するようになった。この辺の話はトクダネでも当時随分記事にした。しかし、ランスが、「ボディガードを雇うようになったのはヴァサーのせいだ」、とまで言っていたのは今回初めて知った。

ヴァサーは01年のランスとの確執から1年経ってから、再びランス批判を展開した。「ツールはファンとの接点が大事。ボディガードを雇うのはあまりいいアイディアとはいえない」、と。

それに対しランスは、こう反撃した。

「ヴァサーがボディーガードのことで僕を非難するのはお門違いだ。皮肉にも、ボディガードを雇わなければならなくなった原因は彼にあるんだから。01年、彼がフランスのマスコミに、僕に対する敵対心をぶつけてから、僕に脅迫が届くようになった。

脅しの電話、Email、ファックスの類さ。事実、01年ツールの直前には、「プロローグで、ランスは完走できないだろう」といった脅迫文まできたのさ。」

つまり、01年、ヴァサーがフランスのマスコミにランス批判を展開したのが、フランスファン、マスコミのランス嫌いの一番の原因・発端だ、とランスは言っている。

【 01年のヴァサーとランスの確執おさらい 】
まず00年、鳴り物入りでヴァサーがUSPに移籍した。彼は英語も話すフランス人。フランス人の加入=ツールでのアシスト。本人もその理解でいた。問題は、翌年01年ツール。ヴァサーの故郷の地域ダンケルクがスタート(グランデパール)で、本人は、自分がツールメンバーになると100%信じていた。

ところが直前になって発表されたツール最終布陣に彼の名前はなかった。怒った彼は、ランスの悪口をマスコミに言いふらし、ランスのフランスでの評判を一気に下げた。彼が語った悪口は:

● 00年ツールの前、ランスはまたツールに勝ったら賞金を山分けする、と断言したのに、1年経った今でも分け前はない。

などなど。フランスのマスコミは、このニュースを大々的に取り上げた。単にヴァサーがヒーローの悪口を言ったからというだけでなく、地元出身のヴァサーが選ばれなかったのも理由のひとつだ。

当時、流れとしては、ボスであるランスの悪口を言ったヴァサーが一方的に悪いという気がしていたが、今になってやや同情的な見方をすると、確かにもし合理的なアメリカチームにいなければ、彼は100%ツールに出ていたはずだ。

ツールは単に勝つためだけでなく、エスプリや洒落っ気も大事にする。英雄選手の家のそばを通るコースをわざと設定したりして、フランスらしいお祭り気分抜きでツールは語れない。だからグランデパールの地元の選手をツールからはずすということはある意味常識からはずれていたとも言える。事実ヴァサーはツール前調子がよかったのだから。

そして、ヴァサーは、「ランスはヨーロッパ的なレースを知らない」、とも述べている。ただ、彼はアメリカ人。お祭りのために自己犠牲するわけもなく、それはそれで、ヴァサーの誤算だったから自業自得といえなくもない。ツール常連選手でいながら、滅多ない地元のツールに出られなかったのは確かにかなり悔しかっただろうが。

■ 2005.10.06 (Thu)  ツァベルが思い出のパリ〜ツールを走る
TモバイルのHPに、ツァベル特集があった。今週日曜日のパリ〜ツールは、彼にとって特別なレースだという。というのもメジャーレースで彼が初めて優勝したのがこのレース。94年のことだ。そして、03年、彼は2度目の優勝も遂げた。今年はTモバイルのジャージで走る最後のパリ〜ツールとなる。

彼がプロ入りしたのは1993年のこと。24歳のとき。今までにあげた優勝数は191勝。6年連続ツールポイント賞のみならず、ミラノ〜サンレモを含め数々のレースで優勝してきた。

しかしそんな彼も、スプリントの力に爆発力がなくなってきた。
「10年前のように爆発的な選手ではなくなった。」と自分でも認めている。でも、ほかのスプリンターよりほんの少し山が得意で、ほんの少しスタミナがある。そして、優勝こそ手中から遠のいたが、表彰台には今年も何度も上がっている。

今週日曜のパリ〜ツール、ツァベルの出場が確定した。彼の闘志が楽しみだ。

■ 2005.10.06 (Thu)  ランスに歯向かって惨敗していった選手たち特集
昨日インプットした記事(ヴァサーがランス批判をしてUSPから追い出され、さらにランスに脅迫がくるようになった話)は、パンターニの記事同様、先日キオスクで買ったProcycling誌の特集記事に出ていた。その特集とは、「ランスに歯向かって惨敗していった選手たち特集」みたいな内容。いろんな選手があがっている。シメオーニももちろん。

ヴァサーの記事は、最後に事の顛末として、「(ランスに歯向かって)以来ヴァサーは ぱっとしない」という文で結ばれている。しかし最近のCNによると、彼はCOFからクイックステップに移籍が決まったという話。最後に一花咲かせるチャンスはまだある。

また、リヴィングストンも、その「歯向かった選手特集」の中に入っていた。ランスのアシストをしていたのに、USPをやめた後リンダマッカートニーが解散となり、よりによってウルリッヒのいるテレコムに移籍したのがランスの逆鱗に触れた、あの話。

その後2人は酒を酌み交わして再び付き合いを再開した話は以前掲載したが、リヴィングストンの後日談として、Procyglingによると、彼は今、TREKトラベルで働いているそうだ。ランスの引きがあった模様。また、トレーニングコンサルトもやっているという。

■ 2005.10.07 (Fri)  マンチェスター空港のTモバイル
Tmobile.jpg 320×240 12K今日はマンチェスターから空路ドイツフランクフルトへ移動。マンチェスター空港の通り抜け廊下にTモバイルの大弾幕を見つけた。そういえばヒースロー空港にもあったのを思い出した。

「家にメッセージを送るのは、たったの20ペンス」という宣伝。メッセージを送るといっても、電話で、という話だろう。Tモバイル、イギリスでも手堅く商売しているらしい。

マンチェスター空港からフランクフルトに到着して、ホテルに行く途中、車の運転手さんにウルリッヒのことを聞いた(若い感じの運転手さんだったから、知っているだろうと。)もちろん知っていて、ドイツでは彼は強い選手のわりにフレンドリーで人気がある、と言っていた。これまで聞いていたとおりだ。

■ 2005.10.08 (Sat)  ドイツでは一斉を風靡する(?)ゲロルシュタイナー
grp1008022628.jpg 320×240 17K
ドイツフランクフルト近郊の宿にチェックイン。冷蔵庫の脇にはミニバーの料金表.何気なく見ると、ゲロルシュタイナーの水の料金が3種類ほど書かれている。炭酸、炭酸抜き、アップルレモンとのこと。

冷蔵庫を開けたら案の定。ゲロルのミネラルウォーガーのボトルが4本入っていた。日本で見るボトルとは違う。スリムなやつだ。値段は250ml程度の容量で1本1.9ユーロ。260円ぐらいか。なんだ、日本で買うあの太っちょのボトルと変わらない値段。もっともホテルだから、高めのお値段なのだろう。スーパーだったらもっと安いはず。残念ながらスーパーまで確認にいく時間はないが。。

朝のビュッフェダイニング。こちらでも、ゲロルの水の大ボトルが置いてあって自由に飲めるようになっていた。ちょっとだけ味見をしてみる。日本で飲むあの種類よりも、炭酸がきつくない。甘味がほんのりあって、飲みやすかった。でも、朝から炭酸水をがぼがぼ飲む気はしないけど。

■ 2005.10.08 (Sat)  エラスの黄金バイクがTVに登場
grp1008085009.jpg 399×358 20Kドイツからフランスへ移動。宿に22時に到着。TVをつけた。いくつもャンネルの選択があって、いろいろつけていたら、スペインのTVEのニュースタイムだった。ちょうどスポーツコーナーでサッカーをやっていたのでそのままつけていたら、ラッキー、エラスのニュースが始まった!

エラスがヴエルタ最終日で使用したあの黄金バイクがアメリカのハリケーン、カトリーナの義捐金にまわされるというニュースだ。彼がブエルタで勝ったこと、黄金バイクに最終日乗ったことが紹介され、さらに黄金バイクの細部を紹介したのち、(エラス黄金サイン入りだ)、エラス生インタビュー。「こういうことに役立てられてうれしい。」

そして、PCでネットEbayのオークションの様子をのぞくエラスとサイス監督が写る。普段見られない光景。おもしろい。エラスが誇らしげに黄金バイクとともに写っている表情が印象的。

左は黄金バイクをもつエラスのニュース画面の写真

■ 2005.10.10 (Mon)  パリ〜ツール見てきました : スタート前のツァベルはひたすら静かな闘志を内に秘めていた
日曜午後の便で帰国だったので、最後の最後まで相当悩んだが、結局パリ〜ツールのスタート地点を見てきた。スタート地点はとても不便な場所で、帰りの飛行機に間に合うか心配で、行ってはきたものの、二度とこういうことはしたくないと思ったほど。

ツァベル優勝の知らせは、現地時間18時過ぎに、レースをゴールで見た日本人の人から携帯電話で知らせてもらった。ツァベル、最高の形で今年を締めくくった。

スタート前のツァベルは非常に静かだった。下馬評でライバルといわれたロビー・マキュエン、アラン・デイヴィスらは歓談したりしていたが、ツァベルは一切チームメートと言葉をかわすこともなく、時に一点をじっと見つめたまま。時に感慨に耽った様子。

今回スタート前の選手らの様子を見ていて、ツァベル、エキモフ、VDBが非常にそれぞれ全く違った意味で印象に残った。その話はまた後日。
パリ〜ツール、スタート前のツァベルの様子:


壇上に上がったツァベル。他のTモバイルの選手たちがじゃれあっているのとは対照的。うつむき加減で、寡黙だった。内に大きな闘志を秘めていたのだろう。

ツァベルの紹介が始まった。「ツールでグリーンジャージを6年連続着用」「Tモバイルのジャージはこのレースが最後」といった紹介を食い入るように聞き入る。

遂にツァベルの名前が呼ばれた。手を上げて観客の声援にこたえる。笑顔は一切ない。ひたすら静かな様子。右に見えるのはアシストとして活躍してきたアルダグ。

事前にレキップ紙は、「レースは、たまに一人で飛び出して逃げを成功させる選手もいるが、パリ〜ツールの常套的展開は、スプリントゴールである」と述べていた。今回はやはりそのとおり、スプリントだった。

また、同紙の事前優勝予想では、「1.マキュエン、2.ツァベル、3.デイヴィス」だった。

また、今回も選手紹介をするアナウンサーは、ツールと一緒。名物司会者だ。

■ 2005.10.11 (Tue)  エキモフ復帰にパリ〜ツールの会場が沸く
今年4月31日にケガをして、ツールが終わって暫くしてからやっと復帰できたビアチェスラフ・エキモフ。パリ〜ツールで元気な姿を見せていた。

そして、実に様々な人が、彼の復帰を祝うために、彼の元に駆け寄り、声を掛けていた。エキモフはやっぱりプロトンの中にあっては偉大な存在だなぁ、とつくづく思った次第。


パリ〜ツールの主催は、ツール同様ASO。だからジャン・マリ・ルブランも来ていた。ルブラン、エキモフを見て、それはそれは大喜び!フランス語で復帰を祝う言葉を述べていた。エキモフ、「フランス語は余りできないんだ」と語った通り、時たまルブランのしゃべった言葉を聞き返していた。それでもルブランは、お構いなしにフランス語を弾丸のように浴びせかける。


エキモフのこの嬉しそうな表情。多分、復帰後、初めて会う顔ぶれも会場には沢山いたのだろう。いろいろな人たちが代わる代わる彼の周りに集まって、声をかけていく。次々と、挨拶に追われていた。彼自身、走れる喜びをからだ中でかみしめていたようだ。スタート前、様々な選手の様子を見たけれど、中でもベテラン、キモフの存在感はピカ一だった。


各チームが、次々に壇上に上がってチーム紹介があった。エキモフの時はひときわ歓声。その後、壇上から降りる際、若手のウクライナ人、ビレカの肩に手をおいて、優しく声を掛けるエキモフ。当然ながら、2人はロシア語で会話していた。後輩選手にも気を配るエキモフの様子がとても微笑ましい。ちなみに拡大写真の3人目はチェチュことルビエラ!

この人も、誰だかわからないけど、エキモフには復帰後初めて再会したらしい。双方とも感激の表情だった。ASO主催のレースは、ツールのあとは9月にツール・ド・ラヴニールがあったが、ラヴニールはプロツアーではないので、ディスカバリーは出場していない。つまり、エキモフにとっては、ケガの後、初めて出場するASO主催のレースということになる。

そのエキモフ、結果は83位だったが、トップのツァベルと同タイムでゴールした。

■ 2005.10.12 (Wed)  ダニロ・ディルーカ 華を添える
パリ〜ツールではリタイヤし、今週末のジロ・ディ・ロンバルディも完走するか?といわれているディルーカ。いずれにしても、既に初代プロツアーチャンピオンは決定している。パリ〜ツールのスタート前は、いつもに増して 華やいだ様子だった。


今回エキモフは目をつぶっている写真が多かったが、ディルーカは、沢山撮っても写真の撮り損じが少ない気がした。どこから撮っても、いつ見ても、とにかくカッコイイ。


大勢の人だかりの中、知り合いのジャーナリストから声をかけられて、思わず微笑むディルーカ。エキモフも同様だったけど、やはり知っている人を見つけた時の表情が素っぽくていい。


この写真も、知り合いの人に声をかけられた時のもの。彼はこの日スタート前のひと時、ずっとサインや写真撮影に追われっぱなしだが、それも、ヒーロー冥利に尽きる。


今回ディルーカは、チームカーに閉じこもることもなく、堂々とメディアやファンの前に登場した。ファンのもてなし方を知っている。この姿なんて、モデルさんのようだ。



■ 2005.10.13 (Thu)  フランク・ヴァンデンブルックが帰ってきた
フランク・ヴァンデンブルックことVDBが、パリ〜ツールに出場していた。事前には、彼が出場するということは気付かなかった。出走前のチーム紹介で、彼の名前を紹介するアナウンスが聞こえて、あわててチーム紹介を見に行った。

彼を目のあたりで見たのは98年のヴエルタ。その時はもっとほがらかだった。今は世の中を敵にまわしているかのように、敵対心を浮かべた表情。2000年、パリ〜ニースをドタキャンした時から、突如、歯車がかみ合わなくなった気がする。

以来、様々なスキャンダルがつきまとった。2001年ランプレ時代には、トレーニングキャンプを無断欠席。以来、監督も選手も、誰も彼にコンタクトできなくなった。ファックスも電話も音信不通になり、一切連絡はとれず。そして7月、遂に彼は解雇処分となった。

02年は自宅家が家宅捜査にあい、禁止薬物が見つかった。「薬物は犬のために所持していた」という有名な台詞を残す。また、その後、2度目の妻に対し、銃発砲騒動などもあった。

こうした様々な出来事は、彼に全く影響を与えなかった、、というわけにはいかなかったようだ。ここ何年かの苦渋が顔に刻まれていた。98年のような晴れやかな表情はもう戻らないのだろうか?


彼は始終、こんな表情をしていた。あとで聞いた話だと、壇上で「フランク・ヴァンデンブルック選手です」と紹介されても、挨拶はせず。手も上げなかったという。


彼の来年のチームのうわさを聞いた。今も彼のことを買っているチーム(プロチーム)があるとのこと。ここ数年いいとこなしだけれど、来年こそ、再起なるか。


今回、パリ〜ツールに彼が出場したことに、周囲はびっくりした。来年のために出場したのではないか?と噂した。結果は、残念ながら途中リタイヤとなった。

■ 2005.10.14 (Fri)  フェレッティ監督が詐欺にあった可能性?ソニーエリクソンチーム白紙の噂
CNのNewsフラッシュ。但し、クエスチョンマークつき。フェレッティ監督のソニーエリクソンチーム設立の話が、実は実体のないものである可能性があるという。

チームと契約したオグレイディやマシュー・ホワイトの談話も入っているので、今のところ、このチームがなんらかの危機に直面していることは確かかもしれない。

ことの原因は、フェレッティ監督がチーム設立交渉をしていた相手が詐欺師まがいで、ソニーエリクソンの代理人でもなんでもない人物だったとせいだという。現在フェレッティ氏は、急遽エリクソンのHQのあるストックホルムに飛んで、関係者と緊急会議を持っている模様。

ソニーエリクソンチーム入り予定と伝えられるモレーニは大丈夫?


フェレッティ氏は新チームメンバーとして、他にクリスチャン・モレーニやコメッソとも契約していると伝えられている。
モレーニ(写真。今年のロマンディツアー時のもの)、来週のジャパンカップのメンバーとなっているが、この話が本当だとすると、来日は難しくなる可能性も?


フェレッティ監督のチームと契約成立済み・間近の選手は下記と噂されている

シモーニ、コメッソ、トンティ(全てLAM)、グストフ、シオウツォウ、ファッチ、ペティート、ニバーリ、ラーソン(全てFAS)、オグレイディ、ホワイト(共にCOF)、モレーニ(QSD)、ヴァローティ(DOM)、マトヴェイエフ(パナリア)、チェッリ(Bワールド)、ケサダ(バレンシアナ)以上16人。

そのほかスタッフなどもあわせ、50人ほどの運命がかかっている。協議がうまくいくことを祈りたい。

■ 2005.10.14 (Fri)  続報: ソニー・エリクソンはチームのスポンサーをする可能性を完全否定
grp1014221331.jpg 277×383 89Kフェレッティ監督、詐欺にあったのか、あるいはなんらか別の事情で立ち行かなくなったのか。

ソニーエリクソンがスポンサーをするということでチーム立ち上げに張り切っていたフェレッティ監督だが、このほどソニーエリクソンが声明を発表し、チームスポンサーの可能性を完全否定した。

「ソニーエリクソンが自転車チームの後援をするといった噂がヨーロッパ中を駆け巡っているが、我々はこの話が真実でないことをここに確認する。我々は、サイクリングチームのスポンサーをする意志は一切ない。」

やはり、フェレッティ監督が交渉していた相手は、ソニーエリクソンの本当の代理人ではなかったようで、この話は実体がなかったということが判明。

オグレイディなどは、先に、「監督を責める気はない。フェレッティのせいではないから。」と語っている。50人ほどの選手・スタッフたち、これからチーム探しをしなくてはいけない。

■ 2005.10.14 (Fri)  続々報: フェレッティ監督 ソニーエリクソンチーム設立の話 立ち消えの真相
フェレッティ監督とソニーエリクソンが6年契約に成功、といった大々的な見出しが出て、選手・スタッフと契約までして、何故ソニーエリクソンチームの話が立ち消えになったのか。

先に書いた通り、信頼できない代理人の架空話だった、という話と、更にソニーエリクソンのイタリア支社のみがOKし、親会社であるスウェーデンの本社の受諾なしに話が進んでしまった、という報道の2つが現在報じられているところ。

CN、そのほかイタリアのメディアが伝えた理由 (理由その1.)

フェレッティ監督が信頼した仲介者が、実は信頼おけない人物であった。実体のない話を持ちかけていた。この報道にびっくりした(寝耳に水だった)ソニー・イタリアが、フェレッティ監督とガゼッタとコンタクトを取り、この話が事実上なかったことが発覚した。

Velonewsが伝えた理由 (理由その2.)

フェレッティ監督とソニーエリクソンの契約話は、まだ不完全な状態だった。つまり、イタリアのソニーエリクソン自体はフェレッティ監督と合意に至ったものの、スウェーデン本社の合意は取り付けられていなかった。結局イタリアのソニーエリクソンは、親会社のトップレベルの同意を取り付けることに失敗した。

そして、この失敗の話は、今週木曜のジロ・デル・ピエモンテの最中、関係者ら一気に周囲に広まった。

■ 2005.10.15 (Sat)  ロードレースとともに40年、東京五輪ロードレースで銅メダルに輝いたTモバイル監督ホデフロート氏引退の件
grp1015220617.jpg 640×480 67Kパリ〜ツールを最後にTモバイルの監督の座を引退したベルギー ゲント出身のウォルター・ホデフロート氏。引退直後にはベルギーナショナルチームの監督のオファーを受けたがそれを断り、これで40年間携わってきた自転車ロードレース界と完全に別れを告げることになった。

ホデフロート氏は、東京五輪ロードの銅メダリスト。便利なことに、過去の五輪ロードレース表彰台選手名リストがある。五輪ロードメダリスト表 JUMP

これを見ると、88年には、Tモバイル幹部のオラフ・ルドヴィッヒがソウル五輪で金メダルを獲得しているのがわかる。また、表にはないが、やはり88年、ソウル五輪の男子100kmチームTTで、今後ホデフロート氏の後継者となるマリオ・クンマー氏も優勝している。2人とも東独出身だ。

さらに、東京五輪の時、ベルギーチームとして来日したホデフロートとメルクスのバイクの写真が入った日本のサイトもあったりする。JUMP

ホデフロートがプロ自転車選手に転向したのはちょうど今から40年前の1965年のこと。エディ・メルクスのプロ転向の1ヶ月後のことだった。クラシックで頭角を現し、69年パリ〜ルーベで優勝。ツールでもステージ優勝を遂げている。

79年に引退後、彼はすぐさま監督職に任命される。チームはIjsboerke。その後、 Caprisonne、 Kwantumというチームを経て、ベルギー女子ジュニアチームを指揮し、4年間ロットの監督を務めた。更に、Domexと Weinmannを経て、92年、テレコムの監督に就任。04年からはTモバイルチームマネージャー。

ツァベルはテレコム/Tモバイルで送った13年間のプロ生活全てを、ホデフロート監督とともにした。ツァベルにとっては、精神的な支えにもなったという。ホデフロート氏は、監督としての最後のレースを、ツァベル優勝という最高の形で締めくくった。

彼は引退に際して、「プロツアー化してから、チーム運営の負荷がかなり増した」と語った。現在62歳。体力的にきつかったようだ。後継者のクンマーもルドヴィッヒもともに40代。テレコムの象徴ツァベルとホデフロートが去り、チームは次世代に突入したかのようだ。

左の写真は 03年ツール。ホテルの庭で行われた記者会見の様子。


Photocopyright@Christian.lesuffleur ロマンディツアーで知り合いになったカメラマンとパリ〜ツールのスタート地点で再会した。彼はそのままゴールまで移動。ツァベルのゴールシーンを撮ったらしく、先日送ってきてくれた。

■ 2005.10.16 (Sun)  ブラッドリー・マギー行く先 決まらず。FDJとの契約は未締結。来年の活動は不確定
grp1016201312.jpg 413×306 28KFDJのブラッドリー・マギー、ここ数ヶ月沈黙を保っていたのには訳がある。チームと契約で揉めているという。来年の活動方針について、チームと合意できていない。理由は?

今年のツールでは総合優勝を狙うつもりで出場し、失敗。彼がFDJにおいて、グランツールで総合を狙うのか、ステージ優勝に的を絞るのか、チーム内での役割が不透明であるのが原因のひとつと言われる。トラックに再び戻るのでは?という噂まで浮上。

Web好きのマギーだが、夏の間、HPは一時閉鎖された。久々にエントリーされた10/4の日記には意味深なことが書かれていた。
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“ツールが終わってから、時はまたたく間に経った。そして、様々なことが起こった。黄金ジャージ(ヴエルタでのリーダージャージ)、ヴィノの祖国(カザフ)への訪問、そして、契約問題でおかしな紆余曲折。今も予断を許さない。(以上見出し部分)

やっとネット上に復帰。
チューリッヒ選手権では路面が堅くてやられたが、なんとか体調も回復しつつある。重たかった2005年のシーズンも、平静に戻りつつある。

病院に行ったものの、首の凝り以外はとくに異常もなく。これは、得体の知れないホテルの大きすぎる枕のせいだ。

(7/26に)最後にサイトを更新して以来、いろいろなことが起こった。沈黙を保っていたことを許して欲しい。

シーズン終わりを前に、2006年シーズンに向けた決定を、幾つか下すことになるだろう。そして、いつもの通りオーストラリアに旅立つ。(オーストラリアは今や夏。)僕の長い夏は終わらない。

そのうちレースに関する1年間の総括をしたいと思う。いいこと、悪いことなど諸々含めて。友人たち、また近いうちに。“


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2006年の決意とは?彼の契約問題はうまく進むのか?

(左の写真の通り、マギーはレース・スタート地点に行く際、後ろからくるオートバイに対し、自分が右折することをきちんと手で合図しながら右折していた。レース前、選手がぐちゃぐちゃに交錯したあの混乱の中、このようにきっちりと合図している姿に彼の生真面目さを感じた。)

Photo: ツールドロマンディ05

■ 2005.10.17 (Mon)  1ユーロから始まったロベルト・エラスの黄金バイクが落札決定。暫定価格は約350万円
10月7日にオークションが始まったロベルト・エラスの黄金バイク。応札締切日は本日17日午前3時で、このほど落札価格が決まった。金額は24,600ユーロ。本日付の東京三菱銀行の外国為替TTSレートできっかり換算すると、¥3,432,438円也。

1ユーロから始まって、最初の応札はエラス自身が出した。彼の提示額は10,000ユーロ。結局、10日間の応札件数は約40件。但し、まだチームからもスペインのマスコミからも正式な発表はない。つまり、落札者が、本当にオークションに応じるのかどうかは、未確認。よって、あくまでも暫定価格としておく。

収益金は、ハリケーン カトリーナの義捐金にまわされる。7日の日に、丁度パリの宿の衛星チャンネルでこのニュースを見て現地から1枚写真をアップしたが、今回はそれ以外の写真をアップ。


エラスのバイクがeBayのオークションにかけられたことを報じるTVEのスポーツニュース。eBayのサイトはここ。

エラス自身もeBayにアクセスした。そして、自らPCを操作して、ネット経由1万ユーロで応札第一号となった。

金色のシートピラーには、2000、2003、2004、2005と書かれている。エラスがヴエルタで優勝した年だ。


■ 2005.10.18 (Tue)  アンヘル・カセロの引退?の報道に際して浮上した幾つかのポイント
■ カセロ引退の噂の真相

今日になって、スペインではカセロ引退と、引退しない、という2つの見出しが躍っている。カセロ自身は選手生活を続けたいとあくまで主張。しかし、今年、出場した13レース中、ヴエルタを含め6レースを完走できず。

関係者のフラストレーションは募り、契約更新を承諾していない。抱えておくにはサラリーも高い。今季の彼の加入も、議員の強引な押しの結果だった、というしこりもベルダ監督の中にはあり、放出したいとしている。

■ コネでチーム活動続行?

「政治家のコネでケルメ入りし、引退後も政治家のコネで安泰」とスペインのメディアに書かれたカセロ(昨日の小ネタの続き)。ちょっと意地悪な書き方をされているが、多少事実に間違いない。バレンシア出身のカセロは、地元の議員の引きで、一旦ケルメ入りしかけて、ベルダ監督がそれを03年、強力に拒んだ経緯がある。

結局04年、バレンシア当局の関係者が、「地元出身の選手は地元チームに入るべきだ」、と押し切って、めでたくカセロはケルメ入り。しかし、この時ライセンスの問題で1年を棒に降り、05年やっどバレンシアナに復帰できた。

レースに出られなかった04年を振り返り、今年初めカセロは、「自分自身をトレーニングに向かわせるモチベーションがなかなか持てず、辛い時期だった」と語った。

そして、来季、チーム幹部は彼の放出を望んでいるというが、また政治家の影の力が動くかもしれない。カセロ復帰のシナリオは消えていないようだ。最初にカセロ引退の報道を流したメディアは、ベルダ監督寄りのソースらしい。

■ スペイン選手は日本では近年までわりと影が薄かった : ’99世界戦で優勝した時、フレイレはどこのチームに所属していたでしょう?

カセロというと、98年スペインチャンピオン。しかし、当時彼のことは、日本国内では余り知られていない気がする。98年、スペイン選手権では、ビタリシオがワン・ツー・スリーをとった。

2位はフアン・カルロス・ドミンゲス、3位はオスカル・フレイレ。そして翌年99年、フレイレは世界戦で優勝するが、その時彼がビタリシオチームに所属していたことを知っている人も少ない印象だ。

今でこそ騒がれているマンセボも、2000年 新人賞を獲得した時、わが国での注目度は今ひとつ。(Ref. 2000年ツールレポート :「ホワイトジャージ(新人賞)マンセボ。マンセボは、いつもふてくされた顔をしていた。初めて笑顔を見た。」)

90年代後半のカセロにしても、近年のマンセボにしても、国内の中規模ツアーでは活躍していたが、そもそもクラシックに出場しないため、イタリア選手などに比べて日本国内での知名度が低かった経緯がある。さらに、日本人選手・スタッフらがイタリアとの関係の方が深く、スペインで走っていたプロ選手が少ない(菊田さんなどいるにはいるが)ことも一因だろう。

■ ファッサボルトロは、第二のビタリシオ・セグロスかもしれない

アンヘル・カセロというと、ビタリシオチームの顔だった。ジュニア時代からバネストのエスポワールに所属。当時体重は80kg以上あった。ハビエル・ミンゲス監督についてビタリシオに移籍。しかし、ビタリシオは、もともと長期的にチームを支える意図はなかった。チームスポンサーをやって、名が売れれば、さっと手を引くと当初から決めていた。

カセロらの活躍もあり、ビタリシオは名前をアピール。そして、解散。ファッサも、知名度が上がっていいところで手を引く格好だ。企業もスポンサーをやるからには、ビジネスなのだ。

それ以降、カセロのチーム流浪の旅が始まった。その後フェルナンデス監督の引きで入ったフェスティナも解散。そして、コーストも給与問題で消滅。ケルメに加入する際には、ベルダ監督から高給とチームカラーとの不一致を理由になかなか合意できず。一度チーム選びを失敗すると、後まで尾を引くことがある。

Photo: 浴衣でご機嫌JC来日時の写真。この時チームはコーストだった。

■ 2005.10.19 (Wed)  前代未聞!ブリヂストンアンカーが英国の自転車雑誌を6ページ独占
PB232553.JPG 640×480 210K日本の自転車チームが、英国の名門誌 Cycle Sport誌の6ページを独占したという。すごい快挙といっていい。記者がブリヂストンアンカーのチームカーに同乗して書いたものだという。本格的オリジナル取材記事だ。

”昨晩届いたCycle Sport誌にBridgestone-Anchorの記事が6ページも載っていました。Tour of Britainに参戦したAnchorのチームカーに同乗して浅田監督にインタビューした内容が主ですが、この雑誌に取り上げられるだけでも画期的ではないでしょうか。

文章の出だしが「『我慢』は日本の大きな特徴の一つである」というのにはちょっと参りましたが、全体的にいい記事に仕上がっているように思いました。”

(上記、頂き物情報 − 御礼)

先週出張時、マンチェスター空港の雑誌コーナーに勇んで駆け込んだものの、既にCycle Sport誌は売り切れ。Procycling誌しかなくて、1冊で我慢した(例のパンターニの特集号。)残〜念!!BSの特集号、ニアミスで買えなかったわけか。BSの特集記事のおかげでCycle Sportは爆発的売れ行き+売り切れだった、と思って、納得することにしよう!

(Photo: 02バイクショーの浅田監督)

■ 2005.10.20 (Thu)  エラスの黄金バイク、入札者はリバティーのマノロ・サイス監督自身だった!バイクはスポンサーが経営する自転車博物館へ
なんとエラスの黄金バイクを約350万円で入札したのはサイス監督だったことが判明。バイクは、リバティーの第二スポンサーであるビュルト(またはウルト)の敷地内にある自転車博物館へ寄贈される。(場所はスペインのトレド。)

サイス監督、どうしてもこの自転車を手放したくなかった、という。但し、幾ら値段がつりあがっても買いたい、というわけではなく、28,000ユーロ以上に値がつりあがったら諦めるつもりだった。しかし、彼が締め切りの数日前に応札した価格24,600ユーロから上がることはなく、念願のバイクをゲット。

初めから買うつもりなら、随分手の混んだことをしたもんだ、とも思えるが、いずれにせよ、このバイクへの注目度は一気に増した。

この博物館は、クライマーで名高いフェドリコ・バアモンテス、元プロのラミロ・バスケス、サイス監督らの協力で実現。去年9月に開館した。

博物館設立に一番貢献したのは、地元トレド出身で、「トレドの鷹」という異名を持つバアモンテス。パーソナルバイク11台の他、59年にツールで優勝した時のバイクなどを提供。

また、チーム側からの提供は、ツーレ、ジャジャ、オラーノのバイクや、99年世界戦U-23 TTでJIグティエレスが優勝した時のバイクなど。

面白い展示品しては、自転車の前身となる1890年製造のベロシペード、(自転車の歴史のサイトに絵が掲載されている:JUMP)、大戦中英国で郵便配達に使用されたバイクなども。昔の写真、ジャージなどもおいてある。

このコレクションに、さらにエラスの黄金バイクが加わることになったというわけだ。

ビュルトはアセンブリー工具などを扱う会社で、自転車以外にも様々なスポーツを支援している。さらにU-23のビュルト・リバティーチームもサポート。

博物館はこのビュルトのトレド支社敷地内にあり、トレド市内から国道N-6を南下して30km少し行った所と思われる。写真は以前訪れたトレドの様子。荒涼とした土地、狭い町並み、ステレオタイプなスペインのイメージそのもの、という気がする。画家エル・グレコが拠点のひとつとした町でもある。
grp1020205614.jpg 523×105 25K

■ 2005.10.21 (Fri)  ジャパンカップ:ツールで鎖骨骨折のゴメス、傷跡を見せながら「もう大丈夫」
ジャパンカップ出場メンバーが来日。宇都宮に揃った。サウニエルのゴメス・マルチャンテ(ホセ・アンヘル・ゴメス・マルチャンテ。チーム内にアンヘル・ゴメスという別の選手もいてまぎらわしいので、マルチャンテと呼んでジャネッティ監督は区別している)は、ツールで鎖骨骨折したが、復活。もう影響はないという。シャツをめくって傷跡を見せてくれた。赤くなって、切ったあとが20cmほど浮き上がっている。

今回、サウニエルのエースはクインツィアートではないという。クインツィアートの談話:

「先週、風邪をひいて、実は不調なんだ。去年は3位だったジャパンカップだけど、今年、表彰台は難しいかもしれない。その代わり、モーリか好調だよ。サウニエルのジャパンカップ・リーダーは、彼とマルチャンテだ。」

彼はロンバルディには出ずに、ピエモンテに出場したという。サウニエルに移籍して、スペイン語が上達したかどうか聞いたところ、「イタリア語と英語で事足りてしまうので、思ったようには上達しなかったよ。」

来年、彼は噂どおりリクイガスに移籍するという。

今回、サウニエルのメンバーが面白い。ルーベンロバト、マルチャンテ、(ガラテの代わりに来日した)ドゥランあたりがかなりリラックスして楽しんでいる様子。


マルチャンテとM・アルジェーリ助監督。ドミナのヴィットーリオの従兄弟だそうだ.

クーネゴとシンケヴィッツのツーショット。クーネゴややお疲れ気味?

期待の若手ドュラン。(SDV)日本語の名前をゲットしてご機嫌な様子。

土曜から行くつもりだったが、急遽金曜会社に行ってから宇都宮入りした。シンケヴィッツはご機嫌。特にTモバイル騒動のしこりは、選手間には感じられず、彼が浮いているということもない。20日に誕生日だったシンケヴィッツ。誕生日おめでとう、といったら、たいそう喜んでいた。

■ 2005.10.22 (Sat)  ジャパンカップ:真剣に悩む選手たち − 電化製品は東京のほうが安いかなぁ?
今日は午前中雨が少々。午後はあがったが、気温は一気に下がった。選手らも心なしか早めにホテルに戻り、午後はスタバに入り浸っていた。選手らは時差ぼけ。マルチャンテらは、全然眠れず、3時になってやっと眠ったとぼやいている。

ところで、昨日から今日にかけてスペインの選手バラト、プラデラ、オラチから同じ質問を受けた。「東京とこっちじゃ、どっちが電化製品安い?」去年行ってみた郊外型店舗のケースについていえば、宇都宮も安い気がしたので、「バリエーションが東京は多いけど、価格は変わらないのでは?」
しかし、どうも実際は、こちらの方(今年新しく開店した店についていえば)高いようだ。

● マルチャンテのママは42歳

今日、ロビーのPCでマルチャンテに、自分のサイトを見せた。昨日のトクダネの写真だ。すると、今度はお返しに、彼が自分のサイトを見せてくれた。アドレスは、:
www.gomezmarchante.com

中をいろいろ紹介してくれて、家族の写真コーナーを見た。両親・父方の祖父母の写真。母親の写真を見たら、なんとなく母親というより、年が少し開いた姉、といえなくもなさそう。年齢を聞いたら、「42歳」とのこと。一体、彼は幾つの時の子供?と聞いたら、「ママが17歳の時の子供」だそうだ。

彼のサイト運営は伯父がやっているとのこと。その伯父さんの写真もあった。しかし、見ると”伯父さん”(普通、伯父さんというと、50歳ぐらいを想像しませんか?)、というイメージというより、従兄弟といったイメージ。やはり年齢は、30台前半だそうだ。



自分のサイトを見せてくれるマルチャンテ。(横にいるのはドゥラン。)昨日監督に花を捧げてキスしてふざけていた選手。マドリッドの郊外に住んでいる。



マンセボも元気な様子。普段着をきると、細いと実感する。来年はAG2Rへ移籍だけど、フランス語はどお?と聞いたら「まだ全然だめ。これから猛勉強しないと」と。



パブロ・ラストラス(バレアレス)。Emailを送っていたので誰に送ったのか聞いたら彼女とのこと。彼女はマンセボと同じ町(アビラ県)に住んでいるそうだ。

昨夜、一番PCを占拠していたのはバレアレスのプラデラ。夜40分くらいやっていた。何人にメールを送ったのか聞いたら「3通だけ」と。そのわりに長かった。「彼女に送ったの?」と聞いたら、「ううん違う。。。」という返事。あれ、まずいこと聞いたかな?

昨日困っていたのはクインツィアート。カードで支払い手続きをして無線契約したのに、トラブルでつながらなくて、助けてくれと言われた。いろいろ操作したけど、パスワードが無効とのことで、結局うまくいかず。今日、結局20ドルぐらい新たに無線契約をして、今度はなんとかつながったようだ。彼もまめにEmailチェックをする選手のひとり。

■ 2005.10.23 (Sun)  ジャパンカップNEWS :不調のクーネゴが優勝、賞品は1位キャノン、2位オリンパス、3位ソニー!
レース前、不調を訴えていたというクーネゴ。一方土曜日夜は12時頃までホテルのロビーをうろついていたといわれるマンセボ。この2人の活躍はなしか、と思いきや、やはり強い人は強い、、、という印象。

● クーネゴは不調で、足の血行を良くする靴下を履いて出場

出走前、クーネゴは「調子が今ひとつ」ということで、足の血行を良くする膝まである靴下を履いて出場したそうだ。しかし蓋を開ければ、ラスト1周で飛び出したマンセボの逃げを潰し、見事優勝。ビッグな選手、ちょっとやそってでは崩れない。



クーネゴは、橋川選手子息の愛らしい様子に目を細めていた: 今年子供が生まれてパパになったクーネゴ。橋川選手の子息ジョー君が壇上に上がった途端、彼の視線は一瞬ジョー君に釘付けに。目を細めてジョー君を見つめる様子はパパの顔だった。


プラデラは写真オタク:レース前、自分の自転車を立てかけてカメラに収めたり、警官とともにポーズをとって、自分のカメラで写真を撮ってもらったり。さらには、レース中まで、ポケットから小型携帯を取り出して写真を撮っていた。いい思い出になったかな。


山岳頂上にて:左からシンケヴィッツ、マルコ・マルツァーノ、クーネゴ。山岳ポイント通過。これは6周回目あたりの写真。最後から2番目の上りまでは、日本人選手が飛び出して、プロトンが追う展開だった。シンケヴィッツは最後に千切れた。


● 表彰台の3人への賞品は小型電化製品。1位はキャノンのデジカメIXY、2位はオリンパスのデジカメ ミュー40、3位はSONYのメモリー搭載ウォークマン


戦い終わってその1:レース後のマンセボ。表彰式前。正面に座っているモレーニと笑顔で会話。なんともすがすがしい表情。写真には写っていないが、左隣には岩佐さん。バレアレスの滞在中のお世話をずっとしていた。お疲れさま。

戦い終わってその2:同左。2000年、ツール、クールシュベルのステージで、パコに初めて話しかけた。「新人賞のジャージ、パリまで死守できるといいね」、と。その時は、"ふくれっ面"のような顔で「ありがとう」といわれ、初印象は△だったけど。

戦い終わってその3:各賞受賞者には、記念品が授与された。1位はキャノンのデジカメIXY、2位はオリンパスのデジカメ ミュー40、3位はSONYのメモリー搭載ウォークマン。この賞品は大うけ。日本らしい賞品。みんな興味津々。

● コミッショナーから警告を食らったロバト


ロバトは古賀志林道上りに差し掛かって、しっかりチームカーに捕まって上っていた。真後ろのコミッショナーが警告を発していたが、それでも車にしがみつきたい素振りを見せていた。相当疲れていた様子。

前日お茶しているバレアレスの選手たちにプチ遭遇。プラデラというとオンセのイメージが強いが、04年にオンセから移籍してきた。その前はエウスカルテル。つまりバスク人。出身地はビルバオだそうだ。

山岳賞の選手たち。あの独特の前傾姿勢で闘志溢れる走り。最後まで健闘した橋川選手、毎年上位で健闘の地元廣瀬選手(市役所の人たちも大喜び!)、やっぱり期待通りに飛び出してくれた康司選手。

■ 2005.10.24 (Mon)  ジャパンカップ来日選手たちの ニッポン不思議発見
不思議の国ニッポンを垣間見た選手たち。来日中、こんな疑問・質問が投げかけられた。

● 質問(From ルーベン・ロバト SDV)「東京って、端から端まで何キロメートルなの?」

困った。誰も周囲に知っている人がいなかったので答えに窮した。都内から府中まで数十キロといった道路標識がぼんやり頭にあったので、エイヤで「60km」と答えた。都内千葉県との境目から八王子まで、ざっとそんなもんじゃないだろうか。

60km、と答えたら、すごくびっくりしていた。彼はマドリッド近郊の出身だということで、マドリッドは端から端までどのぐらいかと尋ねたら、20kmだそうだ。彼は、さっと「20km」と即答した。

多分、彼は自分がマドリッド近郊を走るので、20km、と即答できたのだろうし、東京を走る場合を想像して、こんな質問を投げかけてきたのかもしれない。都内をよく走る人なら、彼の突然の質問にも、きっと即答できただろう。

ちなみにロバトとマルチャンテはともにマドリレーニョ(マドリードっ子)。2人の家は5kmぐらいしか離れていないそうだ。


● 質問(From ホアン・オラチ IBA)「写真撮影の時のピース(Vサイン)の意味は?」

いやはや、「平和」とは言ってみたものの、余り意味をなさない気もする。「笑顔を」という意味だ、とも言ってみたが、今まで意味なぞ余り考えたことがない。写真のVサインって、そんなに他国の人の目には奇異に映るものなのか。


● 質問(From ホセ・アンヘル・ゴメス・マルチャンテ SDV)「日本人(女性)は、なぜ口に手をあてて笑うのか?」

欧米では口に手を当てて笑わない、という話はよく聞く。ただ、それがそんなに他国の人にはフシギに映るのか?それに何故といわれても、困る。「それが日本式(マネラ・ハポネサ)」と言ってお茶を濁す。

そのほか、先日の記事に書いたとおり、「秋葉原と宇都宮の電化製品の価格を比較してみてどっちが安いか?」といった質問は、ある意味、来日選手のFAQ(Frequently asked questions )だった。


● ニッポンとは無関係の質問番外編(From マルコ・マルツァーノ LAM)「僕が使用した電話代は一体いくら?」

ホテルの部屋からイタリアに電話をかけて、後で請求金額が気になったらしい。フロントの人に、自分が使用した電話代を聞いてくれ、と頼まれた。調べてもらったら、金額は110円だった。「約1ユーロ弱」と伝える。

ただし、前夜4分ぐらいイタリアに電話をしたという。それで110円ぽっちとはとても思えないのだが。。ルームNo.入りの請求書が出ていたので間違いないとは思うが、もしそれがなにかの間違いだったらまずい。その後彼がいい気になってバシバシ国際電話をかけたら責任重大?


「再びスペインチャンピオンになってください」、とマンセボに伝えてほしいと言われた。このコメントに「グラシアス」と喜ぶマンセボ。しかし今考えると、気を利かせて「スペインチャンプとツールチャンプに、、」と言い換えればよかった。


プラデラは写真オタク その2:やっぱりカメラ好きのよう。やたら乱写していた。これでレース中も写真を撮影していたというわけか。ところで、残念ながらこの写真は相方が撮影したもの。つまり、彼のカメラに映ったのは、私でなく相方の方。残念!


スペインの新聞で、「マンセボは電化製品をほとんど持っているから、日本でわざわざ買うことはないだろう。よほど面白いものがない限り」という記事があったけど、なるほどビデオカメラ持参で来日したようだ。本日の東京観光でもたくさん撮影しただろう。

■ 2005.10.25 (Tue)  英国の雑誌に6頁にわたって紹介されたブリヂストン・アンカーチームの記事。その内容は
asada.jpg 221×300 9K先日ブリヂストン・アンカーチームを6頁にわたって特集したUKのCycle Sport誌。先日、"頂き物情報"としてこの雑誌の記事を紹介したが、この雑誌を 定期購読している人がいた。その人の好意で、このほど記事のコピーをゲット。今後、何回かにわたって、記事の内容を全訳していくことにする。

まず、記事のタイトルは、「Land of the Riding Sons」(ランド・オブ・ザ・ライディング・サンズ= 走る若者達の国)。もちろんこれは、「Land of the Rising Sun ランド・オブ・ザ・ライジング・サン= 日出づる国」のもじり。

先日取り上げたばかりの話題だ。今だに日本を"日出づる国"と呼ぶ海外の人たち。古典的な発想だと思うが、タイトルにはエキゾティズム or オリエンタリズムがぷんぷんしていて、これに惹かれて記事を読む外国の読者も多いかもしれない。

多少、紋切り型ではあるものの、イケてるタイトルであるという印象。以下記事の内容。

【前文】 耐久力を要する競技への深い敬意、トラック競技が盛んな血統、、それらをもってすれば、日本はロードレース選手を育てるのに完璧な土壌があると思われる。

我々はツアー・オブ・ブリテンに出場中のブリヂストンアンカーチームに密着することにした。そして、プロツアー級の選手たちのレベルに対し、日本人選手たちがどの程度 接近しつつあるのかを見極めることにした。

【本文】 Gaman(我慢)は、日本人にとって最も重要な資質の1つである。ガマンをざっと訳すと、Endurance(耐久)といった意味になる。しかし、もっと厳密にいうと、勝つために、頑ななまでに自ら選んで辛苦・苦痛・不自由さに身を置くといった意味になる。

ガマンするからこそ、日本人は他のどの国よりもマラソン競技を好んで受け入れる。毎週日本のどこかでアマチュアスリートたちがマラソンのために設けられたコースを駆けている。

国内の高校では、10kmのマラソンレースが毎年開催され、参加が必須となっている。

(今日のところはここまで。次回はいよいよ浅田監督登場。)

■ 2005.10.26 (Wed)  ‘06ツールの行程(ルート)は今週27日にベールを脱ぐ
ツールのルート発表はいつも10月末の木曜日。今年も同様だ。27日現地時間12:30に発表となる。
来年は7月1日にストラスブールがグランデパール。そして23日にシャンゼリゼでゴールとなる。そのほか、そろそろモンヴァントーやオタカムが再登場するのでは、という町の噂。

■ 2005.10.26 (Wed)  PART II :ブリヂストン・アンカーチームの記事の内容は
801023222350f2.jpg 217×300 10K【続き】(日本人のガマンぶりを)よく表しているのが、スペクタクルな日本のTV産業だ。ほんの一例をあげると、例えばガマン大会番組では氷の風呂につかるシーンを映し出したりしている。ライバルたちより長く浸かることを競っているのだ。

エンドューロは、言うまでもなくプロ自転車選手にとって最も要求される資質のひとつ。なのに日本人が今だにロードレースを愛するに至らないのは驚きだ。日本は世界レベルのロード選手輩出国ではない。

確かに、中野浩一は76年〜85年までスプリントで世界タイトルを勝ち取った。さらにシマノは自転車技術で世界のリーダーだ。しかし、日本のロードでの実績は、安物のキモノのようにお粗末だ。

しかし、ブリヂストンアンカーの監督浅田は、これを変えようとしている。浅田はオールジャパンチームをツアー・オブ・ブリテンにエントリーさせた。1週間のステージレースの厳しさを体験させるため。そして、チームの選手がプロの選手としてやっていくに足るガマンを身につけているかどうかを確認するために。

浅田は若々しく、フレンドリーで楽観的な人物だ。観光客のようにギネスビールを一杯やるのが好きで、3ヶ国語を操りながら、忙しくしている。日本語からフランス語に器用にスイッチしながら、時に他のチームの監督と話すために英語を投げかける。

ある計画を持った日本人
日本は徐々にロードレースの国として台頭しつつある。そして、浅田には、チーム発展に野心的なプランがあった。

「僕の大きな夢は、ビッグなチームと肩を並べて争えるような日本チームとして、シャンゼリゼに到達することだ。」と語る。

ツアー・オブ・ブリテンで、彼のチームの選手たちはプロツアーの選手たちと競う、という稀な機会を与えられた。そう、このレースは、大事な布石だった。(続く)

写真はCycle SportのBSの記事2ページ目。

■ 2005.10.27 (Thu)  ツール2006 ルート発表
来年のツールが、ついにベールを脱いだ。JUMP

登場山岳は:ツールマレ、ラルプデュエズ、ガビリエ峠など。予告どおり、7/1 ストラスブールをスタート。その後ベルギー、ルクセンブルクを通過してフランスに戻る。

■ 発表になったツール2006の特徴:TTTはなし

フラットステージ:9
中級山岳ステージ:4
山岳ステージ:5
ITT:2(合計116km、今年はTTTはない)
山頂ゴール:3
休息日:2日

■ 2005.10.27 (Thu)  オグレイディCSC入り決定
今朝、CSCとオグレイディが接近中、という話は聞こえてきたが、正式にCSCが公表した。CSCにとっては、ビッグなスプリンター補強ということになる。

■ 2005.10.28 (Fri)  続報: ツール2006 ルート発表 − 初日7月1日はワールドカップ準々決勝なので。。 & ASOがランスを鼻であしらった話
このほど発表になった06ツールのルートは、来年のサッカーワールドカップ日程に配慮した。ツールの初日7月1日は、ワールドカップの準々決勝開催予定日。そこで、初日7kmのプロローグは、いつもより早い時間に開始・終了する。

通常日がとっぷり暮れてから終了するところを、16:30には終わるように設定した。サッカーWC準々決勝はその日の夜、ドイツで開催予定だ。

主催者は、ランスのEPO摂取疑惑に苦々しい思い。ランスがEPO摂取でツール7連覇を果たしたといった ほのめかし

また、今回のルート発表では、主催側のASOに16年の長きに渡り貢献したジャン・マリ・ルブランのお別れ会も兼ねた。今後は、元TVジャーナリストのクリスティアン・プロドムが後を引き継ぐ。

この日、会場に出席したジャーナリストたちを驚かせたのは、ツール主催者側からランスに対する畏敬の言葉が全くなかったこと。これは、通常、過去のヒーローを褒め称えるツールの雰囲気としては、かなり異例なこと。まして、ランスは7連覇という歴史的記録を残している。

ランスもそれを知ってか、セレモニーを欠席した。

ランスは、先にツールを走った15年間の思い出を語っていたが、ルブランは、それを完璧無視することを決めた。さらに、letourのHPの総括ページでは、ランスのEPO摂取疑惑の噂を根に持つような発言が出た。

「(昨年の)7月24日、ツールの長い長い歴史が幕を閉じた。そして、その1ヶ月後、その事実が発覚した。なんだ、そういうだったのか、と我々は悟った。」

つまり、ツールでランスが7連覇した後、彼の血液サンプルが不当な形で検査され、結果、EPOが検出されたと報じられたあの一件をほのめかしている。そして、「なんだ、そういうことだったのか」と。このように軋轢が明るみに出た中、ランスが今後ツールの会場に遊びに来ることはあるだろうか?

今年のコースへの反応

I・バッソ:

『この06コースを見る限り、明白なのは、TTでのパフォーマンスを更に向上させ、上りで速くいけるようにしなくてはいけない。主要なライバルはウルリッヒ。でも、ヴィノクロフ、クレーデン、バルベルデもあなどれない。それからクーネゴ。もし彼がツールを走るとすれば。

他にも、ライプハイマー、ランディス、ポポヴィッチ、サヴォルデッリなどは要ウォッチだ。こう考えると、来年は10人ほど警戒を要する選手がいることになる。でも、たった一人名前を挙げるとすると、ヤン・ウルリッヒだね。』

バッソは、先に、ジロには出ず、ひたすらツールを狙うと公言している。

M・ラスムスン:

『もちろん、僕ならもっと山岳ステージが増えてもイケるだろう!なんか比較的 容易なコースに思われる。もちろん、ツールでは易しいことなんてひとつもないわけなんだけど。ただ、山岳ステージに関していえば、06ツールは要求度が高くない。ステージ優勝や山岳ジャージ獲得という意味では、アルプスステージが、重要になるだろう。』

山岳の難易度が低いことに、ラスムスンは ちょっとがっかりしているようだ。

A・バルベルデ

『来年は、優勝候補がひしめきあうツールになるだろう。アームストロングが圧倒的にNo.1だった今までのツールとは全く違うと思う。ステージ優勝と、あとは最後の表彰台を狙って生きたい。

長いTTは、僕にはどちらかというと不利になる。バッソよりはいけると思うが、ウルリッヒのようなTTスペシャリストには水をあけられることになるだろう。とにかく、クーネゴ、バッソといった新しい世代の選手が台頭する時がきた。そして、願わくば自分もその仲間入りをしたいと思う。』

■ 2005.10.29 (Sat)  ジャパンカップの余韻: 選手たちの目撃情報
● 秋葉原でサウニエルに遭遇。コスプレ好きのモーリは女子高生フィギアをお買い上げ?!

先日24日、"もしかして選手がいるかも、、、" と、ちょこっと秋葉原の電気屋の免税コーナーを覗いてみたら、本当にクインツィアートとモーリに遭遇!というラッキーな人がいた。

「クインツィアート選手は秋葉原の町並みやゲームセンターの店頭の太鼓ゲームを、デジカメで撮影。

モーリ選手はあちこちの店をのぞいては、メイドさんのコスチュームでビラを配っている“メイドカフェ”(なんだかあやしい。)の女の子に「写真撮ってもいい?」なんて聞いてみたり(でも最終的に断られた。)

店頭のガチャガチャの機械を見て「これ知ってる?」と聞いたら大いに興味を示して結局、女子高生フィギアを購入、その場で組み立てて喜んでました。」

広い東京、いくら狙って行ったとはいえ、千載一遇のチャンスだ。

● Vサイン「ピース」が気に入った(?)オラチ

ピースのオラチとガルシア・アコスタ
R・ロバトまでVサイン。
22日土曜日、「ピースの意味はなに?」と聞いてきたオラチだが、なんとVサインをしていたという情報+証拠写真をもらった。

なんと、翌日の日曜日、さっそくピースを愛用しているではないか。

これはスペイン選手に広まったらしく、ルーベン・ロバトもピース。

Special thanks & photo copyright@A-san
(掲載了解済み)

● レア物写真
↓この写真、ただのシンケヴィッツの写真。でも、自分的には、ちょいレア物。トレードマークの(?)無愛想・仏頂面でない。

去年のJC、ロマンディ、ツール、今年のJCと、この1年でシンケヴィッツを4度のレースで見かけた。でも、いつも無愛想。(但し、JCの前夜祭ではご機嫌だったと聞くが。)

ツールでは相方が、「ジャパンカップ優勝おめでとう」と言ったのに(彼いわく、"言ってやったのに")、シンケヴィッツからは、「ヘン!」てな リアクションしかなかったという。

更にこんな目撃情報も。

「サインだけでももらえるかな?と行ってみましたが、シンケビッツ選手にはあっさり断られ。。」
「サインもらったはいいけど、セールスにしか興味がないらしく、完璧よそ見してサインされて、サインがぐちゃぐちゃだった」

Tモバイル幹部御中: 社員教育よろしく!





シンケヴィッツの左手の薬指に、、、

自称 “自転車ロードレース界の芸能レポーター”のこの私。しかし、このニュースは聞いていない。シンケヴィッツ、まさか結婚してた?

上述通り、珍しく仏頂面でなかったシンケヴィッツ。この機会に乗じて、二度とないであろうツーショット写真を撮影。ムム?今になってよく見ると、彼の左手に指輪。

ディスカバリーのベンハミン・ノバルのように、結婚してないけどファッションリングで指輪をしているだけなのか、実はクーネゴ同様結婚したりしてるのか、暫く要フォローである。。。?

■ 2005.10.30 (Sun)  日本人選手たち、西アフリカを走る
grp1030080017.jpg 337×472 55KASO主催のツールブルキナファソ。カメルーン、ベナン、トーゴなどの西アフリカを周るレース。このレースに日本人選手が出場するという話を聞いて、開催前からletourの公式サイトに行っていたが、なかなか情報がアップされず。土曜日にやっと見つけた。ダイハツ − ボンシャンスチームから6名。

事前にワクチン注射などをしたそうだ。ここのサイトからもリンクしている菅選手のHPから:

「最大の敵はマラリアの蚊であると思います 笑」

「8月の段階で運良く知り合いに参加を誘われ、ワクチンを打ちつつ日本の試合を走っていたので、なかなか日本での調子はいまいちでしたが、全てはこの試合を走るための準備でした。」

菅選手、トラック出身でリバティーのセルヒオ・エスコバル選手を日本の自宅に招待したこともある。その時の目撃証言:

(エスコバルは)レンコンのあんかけを大皿一杯食べていた。ワインも1人で1本あけた。大好物はマクドナルドとパンにぬるチョコレート(ヌテラ)。。。

目下ツール・ブルキナファソ出場中の日本人選手は以下のとおり、
071 - AKITSU Kenichi = 072 - FUKUHARA Dai = 073 - HIGUMA Yusuke = 074 - ISHIDA Shigenori = 075 - NARUTANI Konichi = 076 - SUGA Yosuke

(Photo: JC04にて)

■ 2005.10.30 (Sun)  ■ バックステットのアワーレコード(但しデルニー先導式)挑戦はギア選択失敗で
back.jpg 227×368 23K昨日、エンジン付き自転車(デルニー)をペースメーカーとして先導させる形式のアワーレコードに挑戦したリクイガスのバックステット。しかし、去年11月10日にオランダのアルクマールでマッテ・プロンクが叩いた66.114kmには及ばず。60kmも超えられなかった。結果は58.25km。

レース数日前になってギアを変更したのが痛かったかもしれない。当初予定は53x13。しかし、数日前に変更した。60x13に決めた。俊敏性よりも、重くしてパワーで攻めることにした、と言っていたが、これが裏目に出たとも考えられる。

ただ、走り出してから30分ほどで、記録達成が無理なことがわかったにも関わらず,彼は走りつづけた。これには拍手だ。以前アワーレコードに挑戦したオラーノは、レース直前で「だめだ」と断念した過去がある。床のコンディションなど、相当ナーバスになるものらしい。

バックステットは身長193cm、体重90kg。バイクはもちろん特注だ。。。といってもビアンキは、チームの全ての選手の自転車をオーダーメードにしているので、詳しくいうと、バックステット場合は、特注品の中でも特に苦労する特注品、ということらしい。

特筆すべきは、93〜96年の間、ボードマン、ロミンゲル、インドゥラインらが樹立してきたアワーレコードの記録は、一旦アワーレコードとして認定されたものの、後になって取り消しになり、全て参考記録になてしまったこと。

93年から96年までの挑戦では、バイクの技術的向上が 記録に影響を与えていると判断された。そのため、メルクスの時代の規定に則ったバイクでなければアワーレコードとして認めないという結論に至った。結果、それらの記録にはUCIベスト・ヒューマン・エフォートというタイトルが与えられたが、あくまでも参考記録という措置に。

ボードマンの場合、93、96年に一旦出したアワーレコードが、認められなくなり泣いた。しかし、これで逆に彼の闘志に火がついた。メルクス時代の規則を遵守したバイクを使用し、その後、見事2000年、UCI公認のアワーレコードを出したのだった。

(*CNの本日の報道では、「プロンクが去年アムステルダムで新記録を叩いた」、となっているが、あれはアムステルダムではなく、オランダのアルクマールだったと聞いている。アルクマールは、毎週金曜日チーズの競りを屋外でやっているのが名物な場所だ。水兵さんの格好をした仲買人たちが、秤に乗せたゴーダチーズなどを運んでいく様子は必見。)

(Photo: バックステット at 05パリ〜ツール)

■ 2005.10.31 (Mon)  ハリケーン「ウィルマ」のせいで、バレアレスの選手のハネムーンが台無し
grp1031203309.jpg 220×320 15K● トニ(アントニオ)・コロムのハネムーンは、一転してサバイバル旅行に: 部屋に3日間監禁状態、叩きつける暴風雨、水・食料なし。。。

(Photo: ハネムーンの写真を見せるコロムと妻イレーネ = Photocopyright: ALEJANDRO GONZALEZ )

バレアレスチームの選手でバレアレス諸島出身のコロムとマドリッドっ子のイレーネが挙式をあげたのは10月15日。翌日、旅行代理店に行ってパッケージ旅行の最終代金を支払った。ハネムーンの場所として選んだのは、メキシコ、カンクーンそばのリビエラ・マヤのリゾート地。

コロムの談話:「この時点で、ハリケーンがこの地域にくることは既に予告されていたらしいんだ。でも、旅行代理店「ソルツアー」の人は、なんにも言ってくれなかった。」

彼がハリケーン到来予告を知ったのは、飛行機の中だった!

「離陸するやいなや、僕らは添乗員に、“到着したらすぐにスペインに戻る飛行機を手配してほしい”、と依頼したんだ。でも、添乗員からは、“すでにパックで手配されているから、決められた日に帰らないとだめ”、と言われて。。。」

10月17日、カンクーン到着。翌18日、ハリケーン・ウィルマの影響が出始めた。

「僕らは3日間、ホテルの部屋に缶詰状態になった。水も、明かりも、電話も、食料もなしさ!最初の36時間だけは、サンドイッチ2個とリンゴが支給されたけど。後は途絶えてしまった。

僕らの部屋は1階で、暴風がドアにまともに吹きつけた。風除けの仕切りも全く役立たずさ。ドアの前に家具を立てかけて、暴風雨から守ろうとしたけど、それでも水が浸入してきた。」

ハリケーンは勢力を保ったまま3日間続いた。しかし、彼の災難はそれだけではなかった。

「食料と水を確保するために、僕らは思いきって部屋から出て、フロントに行くことにした。でも、ホテルの従業員は、“食料は一切ありません”、って言うんだ。暫くしてから、たまたま部屋に食料を確保している人がいて、その人から少し食べるものを分けてもらうことができたけど。。。

最悪だったのは、ハリケーンそのものじゃない。だって、こればかりは結局 防ぎようのない事故のようなものだから。それより、ホテルの従業員の態度だよ。だって、僕らのことを見てせせら笑っているんだ。そして、“食料はありません”って言いながら、僕らを騙していた。だって、実際、中には酔っ払っている人もいたからね。

食料を一部の従業員から購入することもできたんだけど、それがあきれ返るような値段をつけてね。ついに一人の客が、従業員の胸ぐらを掴んで、こう言った。“もし、この子供たちに食事を持ってこないなら、お前の頭を真っ二つに割ってやるぞ”。すると、20分後に、牛乳とシリアルを持ってきたよ。

他にもキレた宿泊客が何人もいた。4日経ってから、やっとスーパーで、食料の買出しができた。“ホテルの従業員ではない人”が、スーパーまで連れて行ってくれたんだ。でも、この時が一番怖かった。

というのも、屋根のタイルが剥がれて風に舞っていたし、町では略奪行為が横行していると聞いたから。10人のグループで買出しに行ったんだ。でも、幸運にもなんら問題は起こらなかったけど。

帰国したのは10月25日。パック旅行の旅程どおりの日さ。え?帰りは平穏無事だったかって?とんでもない!最後の最後、空港に行っても災難は続いたよ(遅延、イライラ、喧嘩)!」

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【カトリーナの影に隠れたハリケーンウィルマ データ】
メキシコのカンクーンは、ウィルマの被害が顕著に出た場所のひとつ。メキシコ上陸時はレベル4だったらしく、(カトリーナは一時レベル5だったと聞く)、すさまじい暴風雨に襲われた。

カンクーン市内当時カンクーン、リヴィエラ・マヤ方面に出かけていた観光客は5万人。うち、スペインからの旅行者は4千人と伝えられる。

では、あちこちでガラスが割れまくった。しかし、ウィルマの状況は日本には余り入ってこなかった。NHKなどのニュース画像は、カトリーナの時に比べ、量的にはかなり貧弱だった。これは、局の現地での機動力のせいだろう。

ニューオリーンズには、多くの取材班が入っていたが、カンクーンには、余り派遣されなかった気がする。いずれにせよ、画像がないのでインパクトが少なかったものの、ウィルマもハリケーンレベルでは、かなりのものだった。コロムは、本当に危ない場所に観光に行ってしまったようだ。

また、上述の従業員の態度の件だが、近年カンクーンあたりは観光客も多く、サービス業に従事するスタッフは、スレていると聞く。観光客が手玉に取られるといった話も時に聞くので要注意。

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