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小ネタ JUMP

今月のNews:マヌエーレ・モーリ、ロベルト・エラス、フランク・シュレック、ジルベルト・シモーニ、トーマス・デッケル
RACE: 更新中
Mas.ciclismoは、200112月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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■ 2005.12.01 (Thu)  エラスのEPO陽性判定はひっくり返るかどうか その1
最初に、EPO・EPO検査を知らずしてEPOを語るべからず、というわけでEPOの定義から。

EPO=Erythropoietin=赤血球生成促進因子。EPOは赤血球の生成を促すタンパク性のホルモン。体内で作られるものと、人工的に遺伝子組み換えで作られるものの2通りある。

いずれにしても、赤血球増加=>酸素の運搬量の増加=>持久力アップにつながる。人工的に作られたEPOは、体内で生成されたEPOと区別するためr-EPO(rは組み換え=Recombinantを指す)と呼ばれる。


■ 人工EPOがタンパク質なら、EPO検査では、体内で生成されたタンパクを間違って測定するのでは?


『エラスの潔白を信じる気持ちがある一方、これだけバックアップ検査がされているので、検査結果は正しいのではないか、という思いもあり、揺れています。尿からのEPO検出の検査については、特に持久系アスリートの場合、誤って陽性と判断されるたんぱく質が自身で作られることがあるとか。現行の検査が絶対ではないだろうという思いもあります。』

上記は昨日届いたメールを引用させてもらった。確かに、CNでEPO検出技術の欠陥について扇動的な記事が出ていたせいもあり、このようにEPO検査をどこまで信じていいのかわからなくなるという意見もあるだろう。

肉体的負荷が極度にかかると、体内生成タンパクが増える、とCNには書かれていた。EPO検査では、その増加タンパクまで検出してしまい、間違った陽性反応が出る、というのだ。でも、あの記事には1つ落とし穴がある。

■ 基本的に体内生成タンパクEPOと人工摂取EPOの違いを区別できるからEPO検査が可能になった

まず、肉体的負荷が極度にかかろうが、かかるまいが、とにかくどのみち人間の体内にはEPOは存在している。

CNの記事をよく読んでみると、こんなことがわかる。EPOの検出技術が2000年以前に不可能だったのは、体内生成EPOと人工生成のr-EPOの区別ができなかったから。それが、2000年以降可能となって、EPO検査が成立した。

つまり、現在の技術では、EPOとr-EPOの区別は可能だから、理論上、いくら体内EPOが増産されても区別はできることになっている。

問題は、先日浮上したとおり、EPOを摂取していないトライアスリート3人が、摂取したと一旦認定されてしまったこと。彼らは肉体疲労からほんの少しタンパク増加を起こし、それで全体のタンパク量が上がって誤審された。

この3人の場合、体内生成EPOと人工EPOの区別がなぜできなかったのか?答えは、体内生成EPOのうち、hEPOと呼ばれるEPOは、人工EPOとほとんど相違がないせいだ。糖鎖以外は全く同一なのだ。

しかし、この次が重要なのだが、この問題を解決するために、従来の一次元式から二次元式方式に切り替えて再分析を行った。これにより、3人の最初の陽性判定は誤審であることが判明した。二次元にすれば、糖鎖の相違により人工EPOのみが検出可能となる。

一次検査を行ったラボの技術レベルが低かったから今回の誤審が起きたが、現在最も技術的に進んでいるパリ、バルセロナ、オスロの3研究所では、かなり精度は上がっている。特にこの夏に起きた誤審事件以来、二次元手法への取組みはますます広がっている。

しかしながら、別の意味でEPOの判定は難しい(一旦ここで切ります。)

■ 2005.12.02 (Fri)  エラスのEPO陽性判定はひっくり返るかどうか その2) と涙を浮かべたエラス
エラスの陽性を受けて、地元スペインのベハールでは、支援のデモ行進が行われる予定。暫定的にエラス自身も参加する予定ではいるが、スピーチをするかどうかは未定。で、昨日の続き。

■ でも別の意味でEPOの判定は難しい

CNが挙げているタンパク質の誤審問題は、前述の二次元技術の促進で、緩和されつつある。むしろ、この検査の判定が難しいのは、手法そのもの以外のところにあることがCNの記事から浮かび上がる。

1)解析数値: 一番の問題は、赤いリトマス紙が青くなったらアルカリ性、といった風に白黒(赤青?)はっきりしたものではない点。EPO検出の数値は%で検出されるのだ。一体何%なら陽性か、その線引きが難しい。

ただ、CNが書いているように、フランスのシャトネイ・マラブリ研究所のように閾値を85%まで引き上げている場合(85%以上の値を示さないとクロと断定しない場合)、実はEPOを摂取していてもシロという判定をしている場合もありうるという。この辺が難しいところだ。

つまりマラブリ研究所は、滅多にクロを出さない。しかし、エラスは黒になってしまった。(サンプルAのバックアップ検査はここで行われた。)さらに、ここのラボでは二次元手法を用いており、体内EPOと似通った人工EPOを別々に同定する検査手法が、ある程度確立している。エラスの判定が覆るのは、難しそうな感じもする。

2) サンプルの前処理 :実験屋なら試料(サンプル)のPre-treatmentはつきもの。この前処理方法が研究所によってばらつきがあり、それがデータのばらつきにつながっている。

この部分は、希釈・濃縮など、手順の中でも、完全に研究員のやり方に頼る部分だ。今後格研究所では、個人個人が知見を広げていくことが急務といえる。

3) データ解析:試験を行ったあとのデータ判断も一筋縄ではいかない。即ち、個人個人の差をデータ解析上、どこまで考慮すべきか。

現在、データを蓄積してソフトウエアでダブルチェックをかけるやり方も実現に向かっている。全ての個人の傾向も含めたデータベース化は困難だろうが、特定の年齢・性別・身体的傾向のグループに分けた形での差異の組み入れは必要だろう。

いずれにしてもこうした別の手法を取り入れながらバックアップ体制で解析していくことが望ましい。


■ EPOの検査方法

EPOの検査方法は、免疫電気泳動法を使用している。まず最初に電気泳動(電気で蛋白質を移動させること)で分離した後、メンブレン(膜)をゲルに吸着させ、ブロッティング=転写させ、EPO(この場合r-EPO)を検出させる方法をとっているとのこと。(電気泳動法は蛋白質の分離・同定に使用される手法。)

この方法は科学雑誌Natureに発表され、これで同じ蛋白質でも、ヒトEPOと人口EPOの判別が可能となり、EPO検出試験の飛躍的進化につながった。2000年シドニー五輪からこの手法が取り入れられた。

ちなみにCNに掲載されている参考文献には、日本人の論文も多数見受けられる。腎臓学会などで発表された医学用のEPO研究論文からスポーツ科学の論文など。

一方、EPOのサンプリングの方は血液サンプルから、現在では尿サンプルで行われるのが一般的となった。


■ 今後の課題

CNにも書かれている通り、Quantitative(量偏重主義)からQualitative(質偏重主義)への真の変革が望まれる。現状、いくら“質を重視している”といっても、まだまだ実際は、“量”に頼って結果が出ている。

わかりやすい例で言おう。コレステロール。今まで総コレステロールが量で論じられてきた。220以上は高い、とか。しかし近年、質への議論に変化しつつある。つまり、善玉が多いのか、悪玉が多いのか。

EPOもこれと同じこと。つまり、EPOが多いといっても、量より質が問題だ。それは体内生成分なのか、或いは外から摂取したもののなのか、という判定がカギとなる。

手法には未熟な部分はあるものの、CNによると、実際、EPOが79%検出された場合、これはかなり異常な値といえるそうだ。それでも、現状陰性判定を出す研究所が幾つかある。どこまでコンサバになるのか、今後の知見の累積が必要となる部分だ。

今まで不完全といわれてきたEPO検査だが、実際にカメンツィンはこの検査でEPOのトレースが見つかり、摂取を告白して引退している。

■ その時エラスはマドリッドのホテルで同僚たちと結果を待っていた

さて、肝心のエラスだが、発表があった当日、マドリッドのホテルに妻アナとケルメ時代からの親友で現在リバティーの同僚でもあるセラノとビシオソと共に閉じこもっていた。親友がいるということはどんなに心強いことだろう。

実はマドリッドの研究所では既に14時時点でエラス陽性が半ば決定していた。しかし、念には念を入れて、ローザンヌ、パリのラボにメールで結果を報告して、何か疑義が生じる可能性があるかどうか打診した。

結果としては、サンプルAの時よりも、さらに強い陽性反応が出ていたのだが、ヴエルタの王者の陽性ということで、ラボもかなり慎重となったようだ。

結果を聞いたエラス。涙で顔が濡れていた。エラスの陽性は自転車界全体に影響が及び得るという理由から、今回の検査は、全ての知見を使い尽くして慎重に進められたという経緯がある。それらを考えると、判定が覆る可能性には、余り期待できない気がする。

■ 2005.12.03 (Sat)  ■ シモーニインタビュー:「ベストクライマーは文句なくアームストロング。次にエラス、バッソ。。」しかし「イタリアにはクライマーの成長株はいない」とバッサリ。「じゃあ、ポスト・ランスのクライマーは?」 − 「それは俺様さ!」
simoni1.jpg 397×677 54K12/1の続き。サウニエルの初会合ストーリー第二弾。会合の際のシモーニインタビュー。シモーニ魂満載だ!

― 34歳の今(8月生まれで現在34歳)、プロとして思うことは?

シモーニ:「33歳のとき、プロ生活最後だろうなんて思っていたけど、その後、なんだまだやれることがあるじゃないか、そう思えた。」

― ジロを2度にわたって制したけど(01、03年)、あと何ができると思う?

「また勝ちに行く。これが僕のキャラなんだ。サウニエルで最大限やってみたい。ジロが最大の目標だけど、同時にチームが自分に欲していることにも目を向けたい。その後は、他の選手をアシストするためにツールかヴエルタを走るだろう。

― ウルリッヒ、それから多分マヨ、あとは陽性になったけどエラスらがジロを走りたいといっているけど、何故だろう?

「わからないよ。彼等に聞くがいい。目標を変えたいという理由か、他の大事なレースに利用するのか。とにかくマヨは過去2年間、ジロを走りたいといっていた。マヨがレースを走るのを期待している。(笑いながら)。」

― ガヴィア、モルティローロ、ゾンコラン、エル・アングリルの中で一番きついのは?

「エル・アングリルだね。ゾンコランは所詮きついところがあるのは1.5キロだけさ。アングリルはあの恐ろしいのが6kmも続く。なんたる苦しさか!モルティローロはきつくて長い、でもアグリルとは違う。アングリルの疲労度は生半可じゃない。ガヴィアはとても長いし歴史もある。でも、それほどきつくないね。」

― 世界で一番のクライマーは誰?

「(笑いながら躊躇なく)、アームストロングだよ。その次がエラス、そしてピュア・クライマーじゃないけどバッソだね。」

― でも、アームストロングもエラスもいませんね。となると誰が残りますか?(この質問はなんたることか。エラスを既に引退させてしまっている!聞き捨てならぬぞ。)

そしてパンターニもヒメネスも もういない。そう、残っているのは俺だけだ!= Ni Pantani, ni Jiménez. Quedo yo.(よくぞ言ったぞシモーニ!)コンタドールはセトマナ・カタラナで見て素質を感じた。

イタリア選手はどうかって?(かなり長い間考え込んだあと)、際立つ選手はいないね。まあ、セッラ(パナリアのエマヌエーレ・セッラのこと)がよくなってきているけど、まだ時間がかかるだろう。スペインではどんな選手が注目されているのかわからないけど。」

― ジロでの優勝がなつかしいですか?

「僕は今を生きている。過去は過ぎたんだ。思い出で生きていくわけにはいかない。ジロは2勝した。3勝か4勝はできると思う。勝てる可能性に賭けたい。」

― シーズン初レースは?

「チャレンジ・マヨルカだよ。勝ちに行くか肩慣らしかはまだわからないけどね。でもステージのうちいくつかは真剣勝負でいく。その後はカリフォルニア行きさ。正確なプログラムは後になるけど、米国行きは決定だ。」

(Photo: 縮小版・拡大版ともに01年宇都宮にて。拡大版は撮影会の時の様子。Interview Source:バスク新聞。)

■ 2005.12.04 (Sun)  サウニエルの合宿は旧石器時代の洞窟の宝庫で + D・ミラーがサウニエル移籍決定後初めて独占インタビュー
pino.jpg 408×444 49K12/1の小ネタの続き。サウニエルの初会合ストーリー第三弾。

社会科で習ったアルタミラ洞窟は、スペインのカンタブリア地方に存在する。サンタンデールの町を擁するカンタブリアは特に洞窟の宝庫。ここがサウニエルの本拠地であり、先日来サウニエルの合宿が行われていた。

「旧石器時代芸術のシスティナ礼拝堂」とも称されるアルタミラは「アルタ(Alta上を)・ミラ(Mira見てごらん)」というスペイン語に相当。第一発見者が少女で、「上を見て」と父親に言ったとか、言わないとか。いずれにしても発見者が少女というのは事実らしい。

で、サウニエルの集合写真(鍾乳洞みたい、と称したあの洞窟)は、そんな洞窟の中でも最近公開となったエル・ソプラオ洞窟の内部で撮影された。ここの洞窟、実は地質学的に、かなり優れた洞窟らしい。古代ロマン溢れる場所だ。

先日Web上に出た全員の集合写真の写真はデッド・リンクとなっていたので、ピノッティのサイトに出ている写真を紹介:(JUMP)(洞窟+ピノッティ。去年ピノッティの結婚式の際に紹介したURLと同一。)

(Photo: ジャパンカップ来日時のピノッティ(2001年))

シモーニは躊躇したのかしなかったのか?

昨日のシモーニインタビューの記事に関し、知り合いからメールがきた。

Procyclingのサイトで例のバスク新聞が英訳されていて、それには、シモーニはベストクライマーの名前を挙げる時、【躊躇してからアームストロングと答えて、次にエラス。。。】となっていたという。

昨日の当方の記事には、「躊躇せず。。」と書いた。シモーニファンとして、重箱の隅の話だけど一応確認してほしいという依頼だった。

Procyclingのサイトを見たところ、確かに「the Italian had hesitation in picking Lance Armstrong. “Then Heras。。。」となっていたので、「躊躇して答えた」という内容。

ただ、バスク新聞原文では躊躇せず=「 sin dudarlo (without hesitating it)になっていたので、Procyclingの方で訳す時にhesitationの前に「no」を入れ忘れたのだと思われる。


■ 最新号のProcycling誌は、復帰目前のミラーの独占インタビュー

そこでついでにProcyclingの記事を見てみると、今月号はデイヴィッド・ミラーが堂々の表紙を飾った!!最新号紹介文

既に小ネタ 11/23付けで紹介済みの通り、彼のサウニエル移籍がやっと決定した。Procyclingの記事あらすじコーナーは以下の通り:

「増血剤EPOの使用を認めてから、世界選手権TTチャンピオンタイトルを剥奪され、一時的に自転車界から追放されたデイヴィッド・ミラーが、Procyclingの独占インタビューとともにスポットライトの当たるところに戻ることになった。

彼は率直に、過去の問題を語り、自転車から遠ざかっていた間、どうやって自分自身と折り合いをつけていったのかを語った。そして、6月にサウニエル・デュバルチームでプロのプロトン復帰をするにあたり、自らの目標を語った。」

■ 2005.12.04 (Sun)  ツール・ド・シロクマ レースレポート
グルメの橋川健選手といったらチョコレートとシロクマのパン。いつも「ここのパンはうまい、うまい」と世界中に宣言している。ここのパンは、以前一度だけおすそ分けを頂いたことがあるが、やさしい手作りのかおりがするパンだ。

そして、今年もこのパン工房シロクマ主宰のツール・ド・シロクマ レースが開催された。でも今年はちょっと違う。読売新聞に掲載されたそうだ。(うちは朝日なので知らなかった。)以下、届いたメールから:

『既にご存知かもしれませんが、秩父のパン工房シロクマと、このお店の名前を冠したツール・ド・シロクマの話題が、今朝の読売新聞(14版)38面に載っていました。殺伐とした話題が多い中、ほのぼのとしたいい話でした。

ツール・ド・シロクマの様子はここに載っています:レースレポートへ
読売新聞から取材が来たことも、書かれていました。以前、どこかのHPで、「あのシロクマのパン」という言葉があって、何のことやら分からなかったのですが、これで合点がいきました。こうやって少しづつ、底辺が広がって、自転車ロードレースが根付くことを願っています。』

そして、記事の内容をフルに教えてもらった。感動のストーリーだ。頂いた新聞のコピーはここには掲載できないが、読売新聞に写真を撮られている時の参加者の人たちの様子はレースレポートに掲載されていた。:ここ

さらにレースレポートのほか、パン工房シロクマさんのHPトップ頁 からシロクマさんの店長さんのブログにたどり着いた。

ブログには、新聞を読んだ人から、さっそくコメントが入っていた。

シロクマさんが体調不良でお休みした時、橋川さんの掲示板で心配する声が寄せられたことがあったりしたけど、白血病を経験された人だったことはこの記事で初めて知った。記事の中で、特に温かい気持ちになった部分を下記に一部要約:

店名のシロクマは、店主が色白でふっくらしていたことからついたが、病気で体重は20kgほど落ちた。復帰後1年ぐらい経ってから、自転車レース用のぴっちりしたウエアを着ている若者が頻繁に来店するようになった。

そんな折、サイクルスポーツの2000年11月号に、自分の店が紹介されていると人づてで聞いた。「ボクはクマサン・サブレに病みつき」といった橋川選手のコメントだった。食いしん坊の橋川選手は(とは新聞には書かれていないが、)トレーニング中、この「シロクマ」を目標に(目当てに?)ペダルを漕ぐようになっていた。店長は橋川選手がそういう人物だったとは知らなかった。

ある日思い切って声をかけてみる。話しているうちに、橋川選手の口から、シロクマのパンは世界一、という言葉が出てきた。それが励みになった。熱がある日でも、店を開けるようになった。自転車が店の前にくると胸が高まる。体調が急変する回数も減ったようだ。」

■ 2005.12.05 (Mon)  アマチュアの期待の星。プロ入りしてから大ブレーキ。失意のうちに引退したあの人は。。
blanco.jpg 297×397 33K90年代後半から2000年初めにかけて、周囲の期待を一心に集めたものの、プロ入りしてから期待の走りができず04年、ひっそりと引退していった選手がいる。

丁度新人の頃のマンセボやバルベルデがチームやファンの期待を一身に背負ったのと匹敵するほど、彼は期待されていた。いや、それ以上だったかもしれない。

彼の名は、サンティアゴ・ブランコ。90年後半当時、日本ではスペイン選手は今ほど知名度がなかったので、彼のことはそれほど知られていないが、スペイン国内では、期待の若手=ブランコといわれる時期があったほどだ。

バネストでデビューし、一旦ビタリシオに移籍して、またバネストに戻った。しかし成績はぱっとせず、03年、04年レラックスに移籍。その後引退した。


■ エラスと同郷の彼は、エラス支援のパレードがあった日、ダーツのスペイン選手権に出場していた。

12月3日土曜日、エラスを支援するデモンストレーションがベハールの町で行われ1000人以上の人が参加した。ブランコは、奇しくもエラスと同じベハール出身。しかしその日、彼はデモには加わらなかった。

ダーツのチームに入り、その日彼は丁度スペイン大会に出場していた。チーム名は「エル・デストロイ」。ブランコの活躍もあり、チームはいい成績を収めた。カテゴリー3で戦っていたが、来年からはカテゴリー2に昇格が決定した。

今彼は、プレッシャーから解放され、第二の人生でのびのびと過ごしている。


■ 彼がプロ入りしてダメだった理由は、ドーピングをしなかったから。。。

この記事はスペインの新聞アスのもの。新聞では、ブランコがプロになって開花しなかった理由として、彼はドーピングをしなかったから、といった内容をニュアンスとして暗示している。

ブランコは、生まれつきヘマトクリットが50スレスレの体質だった。だからプロ入りしてからドーピング検査の際、これが頭痛の種だった。

そこで、子供の時からヘマトクリットが高かったデータをUCIに提示して、万が一50を上回った時にでも特例として認めてもらうように準備していた。

実際は、その特例を使用しなくても、検査ではぎりぎり50以下にとどまっていた。

生来ヘマトクリットが高いということで、ブランコはヘマトクリットを薬物で故意に引き上げるドーピングを絶対に行うことはできなかった、と新聞記事は暗に指摘している。そして、それが彼が他の選手に抜かれた原因である、とほのめかしている。

刺激的な書き方が好きなアスらしい記事ともいえるが、特にフェスティナ事件のあった98年の頃は、この話はまんざら大嘘ではないかもしれない。

それが証拠に、こんなエピソードがある。04年マンサノ事件の時、セトマナ・カタラナレースを走っていたスペイン選手に、ある呼びかけが行われた。「マンサノの告白は嘘だ。選手はドーピングなどしていない、というアピールにみんなで署名をしよう」。

そして、スペイン選手らは、次々に「選手はドーピングなどしていない」という陳情書に署名をしていった。

しかし、その署名に応じなかった選手が2人だけいた。ペドロ・ディアス・ロバト(当時チームコスタ・デ・アルメリア)と、そしてもうひとりがサンティアゴ・ブランコだった。

彼は、プロとしていい成績を収められなかったことに対して、その理由を公言することはなかった。ただ一度だけ、ぽつりと口にしたことがある。
「僕がアマ時代に次々に負かしていった選手たちが、プロ入り後 どんどん良くなっていった。でも、僕はそうならなかった。。。」


(97年ツールを観戦した時、ツール解説本を買った。そして、「期待の選手」として登場していたブランコの記事を見つけた。これがブランコとの最初の出会いだった。

写真は02年ツール最終日。総合57位で、目立つことなく彼のツールは終わった。結局今年もだめだったな、と思いながらも思い切って「ブランコ」と声をかけてみた。生ブランコを見たのはこれが最後だった。)

■ 2005.12.06 (Tue)  雪上トライアスロン世界選手権 (ランニング10km、バイク30km、スキー10km)で5位入賞した人
vila.jpg 309×366 26K10月にジャパンカップで来日したランプレのパチ(フランシスコ)・J・ビラ。学校での専門は保健体育で、プロ入りする前の2年間、脳に障害のある人たちをサポートするNGOで働いていたという異色のライダー。

その彼の村では、かつて大多数の子供が自転車を習っていたが、急激に競技人口が減ってしまった。交通量の多さと過熱するドーピング報道が影響しているという。

― 選手になったきっかけについて

「家のそばに、バイクショップがあったんだ。6歳の時1台買ってもらって乗っていた。直後に地元の自転車クラブに入って本格的に乗り始めたんだ。僕の村ナバラ州ベラ・デ・ビダソアでは、当時110人の子供がクラブに所属していた。人口3000人の村で110人がちびっこライダーっていうのは大したもんだよね。」

― 今、そのクラブには何人ぐらいの子供がいるの?

「数十人に減ってしまったようだ。僕が子供の頃は、自転車にすごく熱心に打ち込んだものだけど。もしこのまま自転車をやる子供たちが減ってしまったら、忌々しきことだね。どうにかしなくちゃ。」

― 自転車に打ち込む子供が減った理由について

「交通量の多さだね。例えば、僕が子供の頃はフランス国境近くの町イルンまで35キロの道のりを走っても、全然怖くなかった。でも、今では同じあのコースは、プロの僕ですら怖いから。それからドーピングの影響もあるね。不当にドーピングのことが取りざたされる傾向がある。」

― 他にやっているスポーツ

「ペロタ・バスカ(バスク地方伝統のスポーツ。スカッシュに似た感じ)、ハンドボール、そして雪上トライアスロン(ランニング10km、バイク30km、スキー10km)もやるよ。雪上トライアスロンの世界選手権では5位入賞したこともあるんだ。」
---

ちなみに彼は来日時、カタカナを教えて欲しいと言って来た。女性の名前をカタカナで書きたかったようだ。思わず、「えー、彼女の名前?」と聞いたら「妻(ムヘール)の名前だよ」という。

あれ、彼って確か独身じゃなかったっけ?「一体いつ結婚したの?」と慌てて(?)聞いた所、「去年結婚したんだ」とのこと。自転車界の芸能記者(?)を自称する自分だけど、このニュースはキャッチしていなかった。いかん、いかん、まだまだ修行が足りん。

芸能情報といえば、ラスムスンに赤ちゃんが生まれた。体重2950g、身長49cm。体重は比較的少ない。ラスムスンのように細身の赤ちゃんなのか?奥さんのカリサさんのラテンの血を引き継いだか、金髪碧眼のラスムスン似なのかは不明。

(写真:Japan Cup05にてパチ)

■ 2005.12.07 (Wed)  今年大活躍のシュレック「僕はTTには不利な体型。背が高くて体重が軽い:187cmで63kg」。リース監督の命令にびっくり:「シーズン中、スキーに行け!」
grp1207083020.jpg 213×294 18K今旬のルクセンブルク選手、CSCのフランク・シュレックのCNインタビューから、「へぇ〜」の部分を抜粋。

フランク・シュレック : 『ミラノ〜サンレモを走った後、ビヤンヌ(リース監督)は、僕に休息を命じ、ダウンヒルスキーでもするようにと言ったんだ。』

CN「シーズン真っ只中に、君はスキーに行ったのかい?」

フランク・シュレック : 『そうさ!驚きだったけど、ビヤンヌは自分のやっていること、選手がその局面において欲しているものが、なんたるかを熟知しているという気がする。ミラノ〜サンレモの直前、ビヤンヌは僕に言ったんだ。

“これまで君はジロの前に多くのレースに参加しすぎていた。ジロの前にいい状態でいることが必要だ。でも、全くからだを休めてしまうのはよくない。筋肉を失ってしまうから。一方で、心が休養を欲しているに違いない。スキーはできるかい?”とね。

彼は続けて、“ただし、骨折はだめだぞ。でもスキーに行くがいい。筋肉のためにもいいぞ。”と言われてね。

おもしろいことに、僕の彼女が丁度ミラノ〜サンレモの1日前からスキー休暇の予定だったんだ。だからミラノ〜サンレモを走って、トップグループでゴールして、そして彼女に合流した。

1週間に3回、朝7時には山のてっぺんに行って一緒にスキーをした。本当にいいトレーニングになったよ。家に帰ったら、これまでになくトップコンディションだったのさ。06年もまた同じことをしたいね。

もし実現したら、精神的にもいいし、モチベーションも湧くよ。僕は幸いにも(数日間休息したからといって)そんなにすぐに体重が増加する方じゃないから、これは僕にぴったりだ。』

----*
− さらに、シュレックがTTポジションの改良に向けた取り組みについて語っている部分から:

フランク・シュレック : 『ビヤンヌとともにポジションを改良中なんだ。でも、僕は確かに不利。背が高くて軽いから。(187cmで体重は63-64kg)。TTのスキルをアップさせるために頑張らないと。

ただ、イヴァン・バッソのTTの力が向上しているのを見ると − いや、バッソと自分を比較するのは嫌だけど − 僕もなんらかの進歩を達成することは可能じゃないかな、そう思うんだ。』

(続く)

■ 2005.12.07 (Wed)  マッサー中野喜文さんチーム決定のお知らせと ファッサの件
nakano.jpg 408×439 48Kファッサのマッサー中野喜文さんがDiaryで正式に来季きのチームを公表。リクイガスに決定とのこと。 JUMP

経緯、チームに関する詳細は↑に出ているので割愛するとして、今まで在籍したファッサについて少々。

■ ”ファッサが08年スポンサー返り咲き”という記事も、元関係者にはエールのように聞こえた

ファッサがチームが好調な時にスポンサーから手を引いて、チームをマネーゲームとしてしか見ていないのか、といったような印象もなくはないが、内部に在籍していた選手・スタッフの人たちからは、チームに対する恨み節は聞かれない。

むしろ、しっかりしたスポンサーだった、という印象をもって、みんなチームを離れていくようだ。スポンサーを05年いっぱいで終了することは関係者に前広に説明し、選手・スタッフの就職活動猶予は十分にあった。

よって、チームを引き継ぐスポンサーが現われなかったときにも、スタッフ・選手の間で動揺はなかった由。フェレッティ監督が詐欺に会うという事件さえなければ、みんな円満退社だったといえる。

先日、パオロ・ファッサ氏がまたスポンサーをやりたいと発言した件に先日触れたが、これについては、元のインタビューを伝えたガゼッタの論調は随分違っていたようだ。

「6年間のスポンサードは大成功だった」といった内容の記事で、「2008年から再び自転車レースを行なうと決めている」とコメントが出ていたらしい。以下、その場合、クーネゴが欲しい事、そしてまたフェレッティとやりたい点は確かにそう述べたとか。

ファッサの元関係者たちは、この発言を聞いて、むしろパオロファッサからの「またやろう、その時までがんばれ」というエールのように聞こえたそうだ。

いずれにしても、ファッサの従業員へのフォローはしっかりしていたという由。関係者たちは、ファッサというチームに感謝しながら、みんな(中にはまだ難渋している人もいるようだが)それぞれの新天地に漕ぎ出したとのことだ。

時に軍曹のような監督も、チームをとりまとめる上ではカリスマ性のあるすごい監督だったと聞く。みんな、ファッサでの経験をそれぞれ新しい世界で発揮していくことだろう。ご活躍とご健勝をお祈りしています!

■ 2005.12.08 (Thu)  フランク・シュレック Vol.2
schrec2.jpg 259×564 34K(シュレックのインタビュー続き)
■ 「リタイヤすると癖になるから踏ん張った」(そういえば、マギーも同じことを言っていた。)

シュレックは更に、去年のドイツツアーで体調を崩したという。

「最初の3日間は、苦しんでなんとかフィニッシュしていた。だから勝敗の上ではもう自分としてレースは終わりだった。でも、リタイヤしたくはなかった。だって、一生懸命トレーニングをしてレースにのぞんでいたから。

それに僕はレースを途中で放棄するような人間じゃない。とにかく、リタイヤするのは嫌なんだ。バイクを降りるのは歓談だ。癖になる可能性がある。」

■ 自転車家族。父はあのASOディレクターのジャン・マリ・ルブランと同じチームだった

CN:「父親のジョニーは60・70年代ルクセンブルクナショナルチームとビックチーム(オカーニャやツールの親分JMルブランとはチームメートだった)でプロとして走っていた。弟のアンディスカバリーもCSCで走っているよね」

FS:「そう、自転車は家族に染み付いているんだ。親父はツールを8回か9回走った(CN注:実際は8回で、1回はリタイヤ)。子供の頃からツールに没頭してた。兄のスティーブがレースを始めた時、僕はまだ小さかったから兄のアシスト役だったんだ。

でも、いつも思ってたんだ。兄貴のレースの仕方はスマートじゃないなぁ、ってね。だから、僕は自分の方が秀でていることを証明しようと頑張った。僕自身がレースに出始めたのは13歳の頃。」

CN:「長い目で見て、目標はなに?」

シュレック:「僕はワンデイレーサーじゃなくて、ステージレーサーだと思ってる。そっちの方が居心地がいいんだ。一端リズムを掴めば、回復力も結構いい。ジロとヴエルタを走ったけど、どっちのレースでも調子はよかった。」

CN:「夢は?」

シュレック:「誰だって、もちろんツールだろう。トップ10か5でフィニッシュできればすごいよね。来季、もし病気やケガもせず予定通りにいけば、ツールに初出場するだろう。もちろんバッソのアシスト役としてね。彼をアシストしてツールで勝たせられればいいな。

自分自身の野望を脇において彼のために尽くすことはいとわない。イヴァンは偉大なチームメートだし、素晴らしい人物でもある。来年ツールで走るという僕の目標を、彼は尊重してくれている。」

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01年、実はフェスティナでスタジエール(研修生)だったフランク・シュレック。翌年CSCのスタジエールとなり、今に至っている。弟のアンディは、5歳年下の20歳。ライバル心は互いにないという。むしろ互いの健闘を称えあっていると。

写真はTDRの時のもの。シュレックはイメージどおりほっそりしているが、思ったより背がとても高くてスラリとしていた。

■ 2005.12.08 (Thu)  元自転車選手が大阪にダイニングバーを新装開店
colnago.jpg 965×843 116Kコルナゴの甥のアレックスに背中を押されて、元自転車選手(最近では雑誌のインプレものなどの記事に登場している。また作家として直木賞も狙っている)あの人が、大阪(難波から電車で10分ほどの場所)にダイニングバーを新装開店する。その人の名は上阪卓郎。

彼の現役時代を知らなくとも、雑誌でおなじみのはず。あるいは自転車展でコルナゴのブースにふらっと入った折に、突如声をかけられたことがあるはず。(ここにも、そのパターンで出会った人間がひとり。)それでも知らない人は、ここをどうぞ。上阪卓郎Profile

店の名前は「タクリーノ」だそうです。あの、「ぼったくりーの」じゃないですから、お間違いなく。

以下、12月10日の開店にあたって(プレオープン12/9)、本人の弁:

『このたび会社(「コルナゴ」 の日本代理店(株)エヌビーエス)を辞めて、大阪西成でダイニングバーをすることになりました。店の名前は「タクリーノ」です。「ダイニングバー タクリーノ」です。よろしく。タクリーノ(TACURINO)っていうのは、イタリア語で「卓ちゃん」とか「たく坊」みたいな意味です。コルナゴの甥のアレックスと話をしている時に決めました。

「ダイニングバー タクリーノ」では、自転車をモチーフにした店内装飾で、レースのビデオを流したり、かっこええ自転車を展示したり(展示車募集中)、自転車好きがうだうだと造詣を深める溜まり場になればええなと思ってます。

またマニアの方だけでなく、少しだけ自転車に興味がある一般の方々のためのサイクルスポーツシーンへの案内所的な役割も担えたらなあと思ってます。

店のロケーションは僕が生まれ育った町、玉出という所で、難波から電車で10分くらいです。店のとなりには、西川きよしと、ヘレンと、坂田利夫が三人で住んでいた熱海荘ていうアパートもあります。まあ、いわゆる下町です。店の前にはチンチン電車が走っています。酔っ払って飛び出すとアントニオ・ガウディーみたいに轢かれて死んじゃいますので注意してください。

言わずと知れて、僕は自転車が好きです。特に走るのが好きです。目くるめく景色の変化の中で風を受けて自転車を走らせるその楽しさをもっと一般の人に伝えれればなあと思っています。

自転車って、そもそもは移動や運搬のための実用具ではなくって、走行感覚を楽しむ為の遊びの道具、つまりサーフィンやスケボーと同じようなものだったんだ!

ドイツなんかに行くと、夕方の食事前に老若男女がMTBにまたがって家族や恋人同士で健やかなライディングを楽しんでいる姿がたくさん見受けられます。日本でもそんなふうになればなあ。そうすりゃ自転車業界ももう少し儲かるだろうに。

というわけで店にやってくる一般のにーちゃんやねーちゃん、おっさんやおばはんに、酒を飲みながら自転車で走る楽しさを伝道したいと思ってます。

走ることばっかり肯定して、物質的なことを否定しているように聞こえたかもしれません。でもそんなことはありません。

もちろんメカいじりも高級自転車所有の喜びも、それは素敵な趣味です。事実、こんな僕も、時にサンツアーシュバーブのRメカを押入れから引っ張り出しては、その表面仕上げと嫌らしくないデザインの美しさに惚れ惚れと酒を飲むことがあります。めちゃめちゃ変態オタク的やなあと思うけれど、それもまた楽し。

というわけで、変態自転車オタクのみなさんも是非いらしてください。(って、変態ばっかり集まってきたらどうしよう〜)

厨房も充実させて、美味しい食事を食べていただけるようにしています。飲兵衛も、グルメも、走り屋も、変態自転車オタクも全員集合!

ダイニングバー タクリーノ

大阪市西成区玉出東2−5−6(チンチン電車沿い)
行き方
南海本線 岸里玉出駅南出口から東へ歩いて、チンチン電車道を右に3分。』

『追伸:タクリーノ、いよいよ10日オープニングです。でも、9日の夜から実は営業してます。32型のテレビをドンと入れました。みんなでツール観戦しながらワインを飲める店にします。オープニングの展示車はエヌビーエスさんから貸していただいた、エクストリーム−C マイヨポアルージュカラーです。展示車は定期的に変わる予定です。展示車募集です!またタクリーノではエントリーの方々の為の「無料サイクリング相談コーナー」も常時開設しております。』

このほかこちらの情報も:JUMP

(写真:コルナゴつながりというだけで、、あんまり意味ありません。右の写真はエルネスト・コルナゴ氏の幼少時代の写真。)

■ 2005.12.09 (Fri)  CSCのサバイバルキャンプの歴史。4年前はスウェーデンで雪の中特訓。今より過酷だったカナリア諸島での特訓。
calvente.jpg 397×508 57KCSCは去年からデンマークの軍隊キャンプを取り入れたが、それ以前からチームの特訓は恒例だった。例えばマッチ一本でお湯を沸かす訓練(?)とか。。。

2002年CSCでスタジエールとなり、4年間CSCに在籍したマヌエル・カルベンテ(スペイン)。来季からアグリテュベルへ移籍するため、プロ入り後、初めてこの冬の特訓から逃れることができた。本人はほっとしているらしい。彼の証言から。

「僕はCSCで4年間を過ごした。今年はやっと厳しい特訓から逃れられる。でも他の人たちは可哀想に。。。最初の年つまり02年はスウェーデンだった。2年目、3年目はカナリア諸島のランツァローテ、04年つまり4年目がデンマークで軍曹の指揮下での特訓。

スウェーデンの特訓は、雪の中行われた。オリエンテーションのテストや射撃テストもあった。そして、グループに1本だけマッチを渡されて、それで1リットルのお湯を沸かすのを競ったり!」

でも、ランツァローテでのサバイバル訓練が一番きつかったと語るカルベンテ。

「真夜中にみんな起こされて、浜辺に連れて行かれた。そしてそこには特訓が待っていた。暗闇の中、突如海にひとりひとり飛び込むように命じられた。水中には赤いランプが立っていて、そこを目指さなくてはいけなかった。バッソやグイーディは泳げなかったからもう大パニックさ。チームのメカニックも同様だった!!」

そして、今年は去年に引き続き、デンマークでの軍隊訓練。オグレイディ(元COF)やグストフ(元FAS)にとっては、このキャンプは初体験。今頃体中にあざをつくっているかもしれない。

CSCはキャンプで、何故ゆえにこんなに過酷なことをするのか?チームの哲学としてこんな考えがある。

“各人をよく知るには、相当なプレッシャーを与えることだ。限界に至った時に、各人の個性が浮かび上がる。そして、辛い状況に置かれた時、それぞれの選手に何が必要かが、わかるようになる。また、選手同士、協力することでゴールが達成できるのだ、ということも選手たちがよく理解できるようになる”。

(Photo: 05年TDR のマヌエル・カルベンテ)

■ 2005.12.09 (Fri)  3大ツール プロツアーと袂を分かつ <<続報>> : 改革は2段階。2006年は現状から余りはずれないが、2007年からは3大ツールへのプロチームの参加は、最低限ベスト14チームでOK。最大でワイルドカード出場は 8チーム
小ネタの速報の続き。

CNにもニュースが出た。やはりツール、ジロ、ヴエルタがプロツアーから離脱することが決定したことが載っている。

また、先に小ネタ述べたとおり、3大ツールと同系列の8つのレースがこれに加わり、合計11チームがこの体制でプロツアーと別の枠組みで走ることになる。

改革は2段階で行われる。初年度の来年は、とりあえず現状から大きく離反することはなさそう。20チームのプロチーム+2チームのワイルドカード出場が基本となる。但し、賞金制度の充実を図る。

しかし、2年目の2007年からは、刷新される方向だ。これらのレースは連携して、共通のポイント制度を確立してプロツアーとは別の独自の総合順位をつけるよう、現在検討中。

さらに、参加チームに異変が生じる。完全にプロツアーと別建てとして扱い、これまでのように20のプロチームの自動的参加権利はつかない。自動参加はミニマムでベスト14チーム。となると、最大で8チームがワイルドカードで出場できることになる。


【3大ツールがプロツアーから離脱した背景】

1. ワンデイレースの勝者と3大ツアーの勝者に対し、それぞれ同じポイントしかつかない。これは不公平。

2. プロチームでないチームがいくら3大ツアーで活躍しても、プロチームの資格がないというだけで、全くカウントされない。これは不公平。(例:バレンシアナのヴエルタでのチーム優勝の活躍や、パナリアのティレノアドリアティコ優勝も、参考順位扱いになってしまう。)

ヴエルタは、カイクなど、小粒でも光るチームを出場させたがっていたが、バレンシアナとレラックスを出場させたため、ワイルドカードはフルになってしまったという経緯もある。2007年からは、出場させたいチームを今までより自由に選ぶことができる可能性が出てくる。

今回の3大ツール組織委員の決定は、3大ツールのUCIプロツアー制度への不満が色濃く出る形となった。

■ 2005.12.10 (Sat)  元Tモバイル監督インタビュー: ツァベルはチーム内で孤立していた
kessler.jpg 425×459 28K先日引退したホデフロート監督は、歯にキヌ着せずに、Tモバイルチームの内側を淡々と語った。

その中で、かねてから言われていたとおり、クレーデンが公然とツァベルをチーム内でこき下ろしていたことが事実であったことを述べ、ケスラーなどは、ツァベルに全く敬意を表さなかったことなど赤裸々に語っている。

― ツァベルをツールのチームからはずす決断は辛かったのでは?

ホデフロート:「いいや。というのも、根底にウルリッヒのために全てを賭ける、という理念があったから。だから、ツァベルは自宅にいてくれたほうがよかった。チームスピリットは、彼がいては盛り上がらなかった。

クレーデンはツァベルをシーズン前半からひどくこきおろしていた。ケスラーだって、ツァベルに敬意を表すことはなかった。ツァベルの存在は、チーム内の雰囲気を考えて、好ましくなかったんだ。

もし出場していたら、総スカンを食らっていただろう。彼にもこのことは話した。これを彼に話すだけのために、長距離わざわざドライブして、ドイツ選手権出場中の彼に会いに行ったぐらいさ。

いいかい?スプリンターがチームにいるってことは、ある種の責任をチームにもたらすことになるんだよ。平坦ステージでは必死で前を追わなきゃいけない。他の監督が逃げ集団の形成を依頼してきたら、のらりくらりすることは許されない。エリックは、この決断を受け入れてくれたんだ。」


― まあ、彼はそれを受け入れはしたんだろうけど、でもチームを去るという決断を下しました。

ホデフロート: 「そうだ。ツァベルは今でも情熱を持っていて、誇りが高い。きっと来季、彼は何人かの選手たちに対して、リベンジする用意ができているはずさ。」


― ケスラーみたいな選手がツァベルを嫌っているというのは何故でしょうか?

ホデフロート:「ケスラーいわく、ツァベルは他の誰のためにも働いたことがない、というのさ。でもツァベルの行動はある意味理にかなっている。彼はスプリンターだ。もし勝つとなれば、他の選手はツァベルが勝つという目標を共有しなくてはいけない。」


― それにしても、ツァベルがチーム内でそこまで孤立するのは不思議ですけど。

ホデフロート:「多分それは、徐々にそうなってしまった。みんな違うレースプログラムで走っている。チームの中でも分裂するのさ。それを避けるには、チーム内の選手全員と常に交流を保つことが必要だ。でもそれは実際不可能。

僕はチームスタッフ会議の場で、今まで何度かこうした危険性について指摘してきた。でも、それで自分自身が行動を起こす余地はないと感じた。Tモバイルは、意見箱を設けた方がいいかもしれない。

みんなが時分のチーム内でのポジションについて質問したり、チームはこれをリスク管理のために使うこともできる。オラフ・ルドヴィッヒがこの仕事に向いているかどうか、時期にわかるだろう。先シーズン、彼はもっぱら傍観者だった。」

----*
そのほか、ヴィノクロフのアタックを潰したクレーデンの話なども出てくる。あんなにしっかりしているといわれるTモバイルでも、意外に個々をまとめる力が脆弱だったことに改めて驚いた。

チームの(元)監督が、ここまでフランクにチームの実情を語ることは余りない。このインタビューの紹介、続く。

(上記はDPのサイトから)
(Photo: 今年ツールに出場したケスラー。この黒い帽子がお気に入りで、いつも被っていた。ツァベル批判の担い手だったとは。)

■ 2005.12.11 (Sun)  元Tモバイル監督インタビュー VOL2 : 最高の身体能力を有している現代の選手は − ウルリッヒ・アームストロング・パンターニ・VDB、この4人だけ
grp1211110330.jpg 640×480 76K● ホデフロート引退のきっかけは、クレーデン。「クレーデンのツァベルに対する許しがたい行動に対し、自分は何も対処しなかった。それに気付いた時、ああ引退する時がきた、と自覚した。。」

今年、パリ〜ツールがホデフロート監督の最後のレースだった。そしてツァベルが勝った。ツァベルの優勝を祝うシャンパンをあけて、監督はそのまま去っていった。チーム選手たちが集まる11月のミーティングには顔を出すことなく。お別れ会は一切なしだ。

全く感傷的な気持ちはないという。選手現役を引退した時同様、肩の荷をどっと降ろした安堵感しかなかったという。さっさとこの場から消えて行きたい、それが監督の思いだったようだ。チームは不協和音が目立ち始め、監督はもううんざり、そんな気持を滲ませた。

― では、寂しいといった気持ちも全くないのですね?

ホデフロート:「微塵もないね。全てに疲れていた。自分自身、以前のような厳格さが失せつつあった。抜き差しならない問題についても、そのままやりすごすようになってしまった。例を挙げようか。

シーズン初めのことだ。アンドレアス・クレーデンは、ツァベルがツールメンバーに入ることについて、公然とメディアに向かって疑義を表明した。

数年前の僕だったら、クレーデンを放っておくことはなかった。あんな発言を公にしたことに対して、彼を激しく叱咤したことだろう。でも、僕はあの時何もしなかった。そして、あの時気付いた。ああ、自分は辞める時がきた、とね。」


● ウルリッヒは たぐい稀な素質の持ち主。あれほど恵まれた身体能力を有するのは、同世代ではあと3人しかいない。でも、彼ひとりに重圧をかけるのは間違っている

その他、今回の辞任の背景として、チーム運営哲学の違いも指摘したホデフロート。7〜8年前までは、ツールやクラシック中心に走るチームだった。

しかし今やウルリッヒやツールに全ての照準を合わせるチームになりつつある。ウルリッヒにどんどんプレッシャーを与えることになっている。ホデフロートは、そのやり方には反対だったという。

チーム運営に不協和音が出始めた理由は、テレコム時代のように絶対的君主(ユルゲン・キンダーファター氏)の存在がなくなり、4人のトップがそれぞれ運営に関わるようになったせいだった。

一方で、ウルリッヒの素質については、絶賛。鋼のボディと馬力を備え、肉体的ポテンシャルに恵まれた選手であると述べた。彼ほどの身体的恩恵を受けている選手は、同世代ではアームストロング、パンターニ、ヴァンデンブルックしかいない、ときっぱり。

とはいえ、素質を充分に引出せるかどうかという話になると、また別問題だという。ただ、それを引出すために、外野があれこれ口を出すのもまたどうかと思う、とも。現に、ホデフロートはこんなことを口にした。

― ウルリッヒは、他人のアドバイスに従うタイプの人ですか?
ホデフロート:「それについては話す気はない」

ホデフロートは、ウルリッヒのトレーニングに関し、ほとんど口出しをしていなかったようだ。というのも、ウルリッヒにはパーソナルトレーナーのペフェナヘ氏がついている。かつてペフェナヘとホデフロートは大の親友・同僚だった。前者がヤンとともにコーストに離反するまでは。

(続く)
(Photo:03年ツールにて。ホテルの庭でのドイツ人記者たちを前に会見するホデフロート)

■ 2005.12.11 (Sun)  ベッティーニ : バイクでトリノ五輪聖火リレー 【続報】
iwasaki.jpg 286×441 45K小ネタの情報の続き。ベッティーニが12/13に聖火リレーに加わるという話だが、12/13の聖火の正式ルート案内上、14:56〜15:10の時間枠で、【自転車によるトーチリレー】と確かに書かれていた。場所はチェチーナの区間だ。以下、“もらいもの”情報から:

『絶対に全身金ぴかのベッティーニが聖火ランナーを務めるに違いないと睨んで調べたのですが、公式サイトの【VIP torchbearers】に、彼の名前は見つかりませんでした。

で、【THE ROUTE】(PDFファイル)に詳細な聖火ルートが出てまして12月13日の14:56〜15:10の【By bicycle】部分が、ベッティーニの担当ではないかと思われます。・・・得意満面の顔が今から目に浮かびそうです。(笑)』

さて、ベッティーニ、一体どんなコスチュームで出現しますことか??
ちなみに、左の写真は、去年のアテネ五輪の聖火リレーの様子。岩崎恭子が走った六本木の区間。今年のトーチは、でかいマイクロフォンの形だ。今年のトーチ写真にJUMP

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続々情報 】上述五輪公式HPによると、トーチリレーの出場者は、基本的に各自地元付近の区間をを走るとのこと。ベッティーニが生まれたのは、確かに、今回聖火を運ぶとされているチェチーナ付近だ。(ベッティーニの公式HPより)現在はモナコ在住だそうだが。

ちなみに、彼の公式HPによると、平常時心拍数は32、シーズン中の体脂肪は6だとか。

■ 2005.12.12 (Mon)  本日は “そのものズバリ系”でいく“自転車選手の色付け” その2
予告だけして、なかなか着手できなかった自転車選手の色づけ第二弾が遂にベールを脱ぐ?!その前に、こんなのも見つけた:

「陽の照りながら雨の降る」(管理人さんは女性の方でした。) で見つけた ある意味 色づけ的コメント:
バッソ(美)、クネゴ(善)、マキュアン(野性)、ペタッキ(繊細)、ボーネン(可愛い)、ツァベル(カミングアウト)、ヴィノクロフ(闘志)、別府史之(同い年)
なるほどー。

でもって今回 masciclismo的“自転車選手の色付け”第二弾。といっても、今回は色づけというより、“そのものじゃん” 系特集。


Mの字
ティエリー・マリシャル
マリシャルのMの字じゃなくて、ひたいがMの字だったりなんかする。


猿人系
イケル・カマニョ
バスクの雰囲気を全面に漂わすマッチョ男、カマニョ。


野生児系
トーマス・デッケル
新進気鋭のデッケル。髪型がワイルドで、サングラスをしていても見つけやすいので便利。


南国系
ロニー・マルティアス
フランス海外県グアダループ出身。カリブに浮かぶ島だ。


ふにゃ1
コーエン・デコルト
チーズで有名なオランダのゴーダ(オランダ語読み“ハウダ”)出身。


ふにゃ2
クリストフ・ルムヴェル
“ふにゃ系”フランス人。ブルターニュ地方ラニオン出身。


天然パーマ1
イニゴ・ランダルセ
ふわふわ系天然パーマ。時々ぼさぼさ。これに無精ひげが加わると浪人風。


天然パーマ2
イバン・マヨ
顔がランダルセと似ている、という人もおるが、そうでしょうか。


天然パーマ3
ファビアン・イエーカー
髪の毛の密度が濃くて、かなりハードでしっかり系天然パーマ。
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次回は、いい男特集の予定。超独断と偏見で、“プロトンのルックスNo.1” も同時発表させて頂きます。(No.1は、マギーでもベルトランでもカセロでもなく、ここのサイトにしては珍しくイタリア人に決定。でもディルーカやチポッリーニじゃないよ。)

(Photos:主に今年のL-B-Lから。2枚TDR、1枚’04TDFを含む)

■ 2005.12.13 (Tue)  ヴエルタのルート発表は明日4日、スペインの2大スポーツ紙がヴエルタの事前ルート予想で激突
アス vs マルカ。ヴエルタのルート発表を明日に控えて、2大スポーツ紙が独自の予想を打ちたてて、激突中。

1日待てばちゃんとしたコンプリート版が出るものを、、、とは思いつつも、これをやらずにはおれないスポーツ紙の意地が面白い。そして、それをつぶさに追っかけている自分も野次馬丸出しだね。

2006ヴエルタのルートに関する予想の一部:
ポイントマルカ アス
山頂ゴール数 5 4
山頂ゴールの場所 コヴァティヤ、モレデロ、コベルトリア、カラールアルト、パンデラ コヴァティヤ、コベルトリア、カラールアルト、パンデラ
初日 プロローグ チームTT
ITT クエンカとリバス・バシアマドリ クエンカとリバス・バシアマドリ
スタート/ゴール マラガ/マドリッド マラガ/マドリッド

両紙が発表した06ヴエルタのルート説明によると、来年のヴエルタにアングリルなどは登場しないとしており、山岳の迫力は例年よりやや落ちるそうだ。で、クライマーよりも、バルベルデのようなオールラウンダーに分があるとしている。ツールにしか出ないつもりのバルベルデに追いすがるヴエルタ!

マルカとアス、どっちに軍配が上がるのか。初日にプロローグがくるのかTTTがくるのか、果たしてどちらだろう。

■ 2005.12.14 (Wed)  シクロクロスのチャンピオン、ダニエーレ・ポントーニがお別れレースに日本を選んだわけ + ポントーニが期待するのは辻浦選手 + 日本のシクロクロスの弱点 + ポントーニが日本に戻ってくる
先日信州、関西でシクロクロスのレースに出場したチャンピオン、ポントーニ。引退に際して日本を幕引きレースに選んだわけ、一番思い出深いレースなどを語った。(以前道頓堀+ポントーニの写真とともに予告した小ネタの続き。出典CN)

― 何故日本にきたのか

● アジアを訪れたいと思っていたし、チームメートのステファノ・カッピテッリがレースで日本を訪れて、楽しんできたと聞いていた。彼から、自分の目で日本を見て来いよと言われたんだ。

― 日本のシクロクロスの印象と期待する選手は?

● 日本のシクロクロスは(レベル的にも)いいし、今も進化しつつある。強い選手もいっぱいいる。(ナショナルチャンピオンの)辻浦(圭一 チームブリヂストン・アンカー)は楽しみな選手だ。

― 日本のシクロクロスの弱点について

● 欠けているのは技術的な領域。コーナーやテクニカルな場所でタイムロスが大きい。日本におけるレースという意味では、3つのレースにしか出場しなかったけど、最初のレースと最後のレースは非常によかった。でも、2番目のレースは、MTBのコースで、ちょっと悲惨だったな。なにはともあれ、あのレースの雰囲気と、アフターレースが気に入った。

― 日本の全体的な印象について

● 日本は期待以上によかった。物事がきちんとオーガナイズされていて、全てが予定通りに運ぶんだ。口にした食べ物も最高だったね。(注:焼肉に行ったという話)

― 将来の計画について

● 2008年トレヴィーゾで開催されるシクロクロスの世界選手権の運営を手伝うつもりだ。僕が着ているジャージのトレヴィジャーナというのは、このレースをプロモートしている会社なんだ。僕のレース生活は今年で最後。でも、日本にはまた来年戻ってくることを考えている。子供たちがシクロクロスの技術を身につけさせる手伝いができたらいいと思っている。

― 今までにあげた国際レースでの優勝数は215!その中で一番思い出に残るレースは?

● 97年ミュンヘンでの世界選手権だね。僕はめちゃくちゃサッカーファンなんだ。だからあの時、オリンピックスタジアムでフィニッシュしたのは最高だった。

■ 2005.12.14 (Wed)  速報: ヴエルタルート発表。いきなり初日はチームTTで開幕。アスの予想どおりだった
昨日のコース予想でアスが言っていたとおり、初日のっけから7.2kmのチームTTだった!

本日14日水曜日12:00。予告どおりヴエルタのルート発表が行われた。場所はマドリッドの見本市会場IFEMA。スペイン列車同時爆破テロの時に、遺体が次々と運ばれてきた場所だ。

発表によると、初日はいきなり7kmのチームTT。山頂ゴール数は5ステージで、これはマルカの予想に軍配。その5つとは、第5ステージコバティヤ、第7 モレデロ、第9コベルトリア、第16 カララルトの天体観測所、第18 パンデラ。

初日マラガ、最終日マドリッド、ITTはクエンカ。。。これは両者予測どおりだった。

ヴエルタ2006(8月26〜9月17日)

山頂ゴール:5ステージ
ITT:計61km
TTT;7km(初日)
超級山岳:4箇所
1級山岳:10箇所
2級山岳:4箇所
3級山岳:14箇所

全21ステージ
計:3129km
平坦:11ステージ
山岳ステージ:7ステージ (中級を含む)
ITT;2回
TTT;1回

今年は珍しく南部はマラガとコルドバに寄っただけで、さっと北西部に北上してしまう。時計周りになっている。地図はこちら

事前予想で一致していたとおり、コバドンガ、アングリル、ピレネーは今年はなし。カタルーニャ、バスクの方は一切カットとなっている。全ステージリストはこちら

■ 2005.12.15 (Thu)  ヴエルタ ルート発表 続報
photo copyright@EFE
ヴエルタのルート発表に集まった選手たち。

写真左から、フアン・カルロス・ドミンゲス、パコ・マンセボ、カルロス・サストレ、オスカル・ペレイロ、アレハンドロ・バルベルデ、デニス・メンショフ。エラスがいないのが際立っている。

バルベルデは、以前から掲載どおり、ヴエルタには出ない予定。今回も、彼自身ヴエルタには出ない予定である旨、はっきりと表明した。

選手、監督らのコメントが掲載されているが、選手らは、一様に「気に入っている」といったコメントが聞かれる中、サイス監督だけは「気に入らない!」と不満を表明している。

目下リバティチームのトップが決裂中で、ご機嫌斜めだ。リバティの持ち株会社アクティブ・ベイの会長マヌエル・ピニェラが昨日から辞意を表明している。

今までサイス、パブロ・アントン、ピニェラの3人がチームの株を有していたが、今後は前者2人の間で株式取得がシェアされることになる見込み。ピニェラの辞任背景には、サイス監督との間でチーム運営に関する意見の食い違いがある。

■ ヴエルタ06は、マンセボとサストレが有力!

サウニエルのマチン監督、ケスデパーニュ・バレアレス(来季からケスデパーニュが第一スポンサーとなり、目下この名称に変わっている。これが暫定的措置か正式名称かは不明。)のウンスエ監督、バレンシアナのベルダ監督の3人は、ある1つの意見で一致している。

「ヴエルタ06は、マンセボとサストレが有力だ!」

■ 2005.12.15 (Thu)  ヴエルタVOL.3 古代ロマンの町へ
よく見てみたら、来年のヴエルタ第10ステージ、ゴールはアルタミラの洞窟博物館だった。先日サウニエルがカンタブリア地方エル・ソプラオ洞窟でキャンプをやったとき、12/4のトクダネでついでにアルタミラの洞窟にも触れた。(名前の由来など。)虫の知らせだったのか?

■ 2005.12.16 (Fri)  ヴィノクロフがリバティチームキャンプ初参加!目下体重は5kg増加中。スペイン語は「90%聞き取れる。」「このチームでは、ツールでスプリンターのために働く必要がないから戦いやすい(って、ツァベルのことをほのめかしてる)」
grp1216073738.jpg 294×424 120Kリバティのチームニュースが届いた。チームに移籍したヴィノクロフのチームキャンプの様子だ。目下カンタブリアのプエンテ・ビエスゴでキャンプを行っているリバティ。毎日4時間のライドでトレーニング中。

キャンプ写真を見ると 、リバティのキャンプに他のチームの選手が数人参加しているかのように見える。

でもよくよく見ると、Tモバイルのウエア(カザフ色)のヴィノ、バレアレスのジャージのアイトール・オサ、そしてCAのウエアのカシェチキンだ。まだみんな元のチームのウエアで参加しているということ。

ヴィノは、既にツールまでの前半スケジュールは渡されているそうだ。以下、彼のインタビューから:

(チームの印象について):

最初の集まりは、いつでもチーム全体にとって大事なもの。ここで年間目標が決定するからね。チームには満足している。素晴らしいチームにきたと思うし、慣れるのは難しくないだろう。

(チームメートとのコミュニケーション、スペイン語について):

今はちょっと難しいけど、でも勉強している。喋るのはだめだけど、カレラが話す内容は90%は理解できるよ。数ヶ月で、スペイン語の問題は解消すると期待している。

(来年の目標について):

メインの目標はもちろんツール。今までと違うのは、ツール前のレースカレンダー。まず、今年はムルシアツアーでデビューする。そして、ミラノ〜サンレモ、セトマナ・カタラナ。

今年はパリ〜ニースにも、クラシックにも出場しない。やる気が出ている一方、(毎年のカレンダーとは違うことに)ストレスも感じている。TDジョージアやドーフィネにも参加すると思う。

(チーム選択が正しかったかどうか):

うん。このチームは、ツールで闘うという点において、逆にフランスのチームよりいいね。ツールでの経験も深い。リーダーのために最大限闘うスピリッツもある。チームはリーダーのために闘うということだけが目標なんだ。スプリンターのために働いたり、グリーンジャージ確保を考える必要もないんだ。このチームは若い選手も多く、ファイティング・スピリッツに溢れてるね。

(今の調子について):

体重が4〜5kg増えたけど、冬はいつもこうなんだ。6週間自転車から離れていると、いつもこうなんだ。休日はカザフに帰って、さらに2週間はモーリシャスで妻スヴェトラナ、子供たちイリーナ、ニコラ、キリルとともに過ごした。でも、既に4週間バイクでトレーニングしている。2千キロは走ったかな。1月にはいつもどおり、高地トレーニングも行う予定だ。

■ 2005.12.17 (Sat)  “自転車選手の色付け” その3 “美男子特集”― ややマイナー系で失敬。。。
自転車選手の色づけ第三弾。独断と偏見で綴る美男子特集。ちょっとマイナーな選手ですが、でも好みだから仕方ない。栄誉ある今年の“masciclismo的美男大賞”はリクイガスのジェローザに決定。謹んで、Loveを贈呈します。

ジェローザ、今年のツールで初めて見たけど、第一印象は、「正統派ハンサム、チェックチェック」という感じ。とはいえ彼のこと実はよく知りません。でもまあいいや、とにかく強引に大賞に決定。もし彼が来年もリクイガスで走るのだとしたら、中野さんにちょっぴりジェラシー??



プロトンのルックスNo.1(Photo 1):
マウロ・ジェローザ
ヴィーニカルディローラからリクイガスに移籍してきたジェローザ。彼を発見したのは、今年のツールの収穫??


プロトンのルックスNo.1(Photo 2):
マウロ・ジェローザ
183cm、69kg。すらりとした体型。肩幅あるけど腰が細い(拡大写真)。えくぼがこれまたチャーミング。


流し目王(おう):
ニコラ・ボゴンディ
元フランスチャンピオン。8年間FDJ在籍の後、今年CA。体型はややずんぐり系でも、コケティッシュでフランス人っぽい。


性格ラブリー:
ビンゲン・フェルナンデス
数年前、自転車サイトの掲示板によく英語で書き込みをしていたビンゲン。発言内容が大人。雰囲気も大人。


男も愛嬌:
マヌエーレ・モーリ
秋葉原で女子高生風コスプレを大いに気に入っていたという情報もあったが、とりあえずラブリー。


橋川健スペイン版:
アルベルト・コンタドール
説明不要の存在感ある眉毛。病気から復帰。九死に一生を得て、今年は大活躍。キラキラ輝いてた。


一緒にお茶したいNo.1:
ブラッドリー・マギー
勝手にして、、、という感じでしょうが。但しこれ2005版なので、来年は心変わりしている可能性大。


渋い男:
ローラン・ブロシャール
ヘアスタイルには賛否両論あるでしょうが、37歳でもフランスの自転車界をリードするベテランの渋みに一票。


お調子者系:
ダリオ・アンドリオット
ジェローザ同様ヴィーニからの移籍組。目だった成績もないので、どういう選手か不明。軽そうに見えるが、こう見えても33歳。
---------*---------*---------*---------

(お断り?):ボーネン、クーネゴ、ディルーカ、バッソもGood-lookingだけど、あちこちで既に語られているので、(+多少マイナー好みのあまのじゃくも加わって)敢えて料理せず。

(Photos:今年のTDR・TDF・L-B-Lから。)

■ 2005.12.18 (Sun)  ヤン・キルシプー:エストニアに自転車学校設立・ツール11回出場全てリタイヤ、でもこれが長寿の秘訣・ヒュースホーウトにスプリントを教えるためにCAに移籍
kir2.jpg 308×528 34Kエストニアのスプリンターとして名を馳せるキルシプーはプロ15年目。最初の13年は、ヴァンソン・ラヴニュー(元カジノ、現AG2R監督)のチームでずっと走っていた。

(今季からCAに移籍した経緯):

チームのトール・ヒュースホーウトにスプリントの経験を教えることが、第一の使命だった。自分自身の目標としては、もっと勝ち星をあげたかったけど、今季は残念な結果となった。

(15年もプロを続けているが、長く続けるコツは?と聞かれて):

単に自転車競技への愛着からさ。年を重ねるにつれ、どんどん自分の仕事が好きになっていく。他の人と違って、飽きることもない。この喜びが長続きの秘訣さ。

(自転車を始めたきっかけ):

父親がエストニアのナショナルチームのトレーナーだった。僕の兄はエストニアのジュニアチャンピオン。1年だけ、ケルメに在籍したこともあるんだ。

(ツールとキルシプーはずっと蜜月時代が続いている。93年から2005年の13年の間、彼は96年と04年以外は全てツールに出場。その間、区間優勝は4回。しかしながら、11回の出場中、まだ一度もツールを完走したことはない。これは心残りか?と聞かれて):

とんでもない!だってこれ(ツール途中リタイヤ)は、僕がレースをずっと続けられる第二の秘訣なんだよ。まあ、確かに完走していないのは寂しくはあるが。

(彼の成功のおかげで、エストニアの若者たちが自転車に目を向けるようになった。エストニアでの自転車への情熱に対して聞かれると):

かなり人気が出てきている。だから、エストニアに自転車学校を作ることができたんだ。これからは 国際的レベルにアップしていくはずさ。

(Photo: パリ〜ツール05。出走前のチームプレゼンにて。選手宣誓をしているみたいだが、これが彼流の挨拶らしい。)

■ 2005.12.19 (Mon)  自転車に関する名言
● 人生は自転車に乗っているのと同じ。バランスを保つには、動き続けなければならない − アルベルト・アインシュタイン

● 自転車は教会のようだ。多くの人が集うが、それを本当に理解する人はほとんどいない − ジム・バーラント(詩人)

● バイクに乗るという単純な喜びにまさるものは何もない − JFケネディ

● 自転車に乗りたい、バイクに乗りたい、自転車に乗りたい。乗って好きな所に行きたい(I want to ride my bicycle, I want to ride my bike. I want to ride my bicycle, I want to ride it where I like.) − フレディ・マーキュリー

● 自転車に乗ることは決して簡単にはならない。単に速くなるだけだ − グレッグ・レモン

■ 2005.12.20 (Tue)  地上波で年間106日 自転車レース中継が見られる国
belgium.jpg 640×480 86K他のヨーロッパの国々がサッカー中継に釘付けになっている一方で、自転車の方がサッカーよりも盛んな国がある。それはベルギー。その中でもフランドル地方では、年間106日も地上波のTV、つまり公共放送で自転車レースが見られるという。(05年実績)

3大ツール、世界戦、TDスイス、ドーフィネ、春のクラシック、そしてシクロクロスなどなど。。。ベルギーは、目下 公共放送のレース中継数で世界No.1。

トム・ボーネンはまたまた年間最優秀スポーツマン賞を荒稼ぎ。「ベルギーのダーリン」とか「トルネード・トム」とかいう書き方をするメディアも。

かつてベルギークラシックに出場した元USPのフランキー・アンドルーは、ベルギーファンの情熱に圧倒されたという。土砂降りの中、自分のサインを求めてきた12歳の少女、悪天候にも関わらず悪路のコースで選手を待つファン。

私が実際にL-B-Lで会った全選手のサイン集めのベルギー人のおじさん(写真) は、選手がどんなに遠くにいても、ヘルメット&サングラスをしていても、後姿でも、選手名を次から次に全部教えてくれた。

ちゃんとサインをせがむ前に、その選手の写真を探し出してからそれにサインをもらう。写真写りと実物がかなり違っていても、身近でしょっちゅう生身を見てるから、すぐに誰かがわかる。

選手名もわからず、とにかくサイン帳を差し出してしまう自分とはえらい違いだ。

つくづくベルギーの自転車熱・ファンは半端じゃない。(ただ、日本に比べてサインおたくの年齢層が高い。退職したようなおじさんが非常に多かった。)

ファクト・シート:
選手数:4000人
クラブ数:1500
レース数:年間3000レース
一番レースが盛んなエリア:アルデンヌ、フレミッシュアルデンヌ、沿岸地方
ベルギーで開催されるプロツアー:フランドル、ゲント・ウェヴェルゲム、フレッシュ・ワロン、L-B-L、ベネルクスツアー(ベルギー単独ではないが)
(source: T-mobile web site)

■ 2005.12.20 (Tue)  Tモバイル南アフリカのキャンプ地にヨーロッパからドーピングコントロールの検査官が来た。しかも週2回も。。
kessler2.jpg 215×262 22K先日土曜日の朝のこと。南アフリカでキャンプ中のマティアス・ケスラーは、例によってぐっすり眠っていた。キャンプ中とはいえ、土曜日は寝坊する日と決まっている。朝7時。ホテルのドアを叩く音。

誰かと思ったら、ドーピングコントロールの検査官だった。彼らは薬物検査を行うために、ヨーロッパからわざわざ南アフリカのキャンプ地に派遣されていたのだ。しかも、彼らがケスラーのもとを訪れるのはこれでこの週2度目のこと。

"彼らは与えられた仕事をしているだけ。責めるつもりはないさ。でも、わざわざ休みの日に、しかもこんな真冬の真っ只中に週2日もここにくる必要が本当にあるんだろうか?"。。とケスラー。

薬物検査は大変だと聞くが、冬のオフシーズンに南アフリカまで検査官がきて、土曜の朝7時に叩き起こすとは。想像以上に手厳しい。

さて、そのケスラーいわく、現地ではまだまだクリスマス気分が盛り上がらないそうだ。理由の一つは気温が高いため。暑いクリスマスというのは気分がでない。さらにクリスマスデコレーションも全然ないという。

ケスラーのトレーニンググループは今日が最終日。しかし彼は一番最後まで南アフリカに残り、23日の飛行機でニュールンベルグの自宅に帰る。それまでには3000kmを走りこんだことになる。

* ケスラーの南アフリカキャンプ日記から、写真は05ツール最終日

■ 2005.12.20 (Tue)  イゴール・アスタルロア、なかなかプロチーム入りできず。全ての元凶はコフィディス。。。!?
grp1220194722.jpg 162×195 33K世界戦チャンピオンジャージを着たアスタルロア。ずっと来季のチームが見つからず浪人中。このほど、なんとかチームとの契約にこぎつけるかもしれない。しかしプロチームでない。今年走ったバーロワールドだ。

アスタルロアは今年中盤、ランプレとの契約話が持ち上がった。ランプレの来季サブ・スポンサーと つながりがあったので、かなり有力かと思った。しかし空中分解。

次に11月27日、スペインのサイトがアスタルロア リクイガス入りとスクープした。しかし翌日、マネージャーのロベルト・アマディオがコメントした。

「確かにコンタクトはあった。しかし、実現しなかった。我々は既に28人の選手を獲得しており、厳しいシーズン乗り切るには、これでもう充分だと考えている。」

そうこうしているうちに12月になってしまった。アスタルロアほどの選手がまだチームが見つからない。一体彼はどこにいくのか?マスコミは彼のチーム移籍状況調査を始めた。

やはりランプレが臭いのでは?という話も浮上。しかし、ランプレの監督ボンテンピが「今の所、彼はうちのチームの選手ではない。もし去就が知りたかったら、彼のマネージャーに聞いたら?」ときっぱり否定。

そんな矢先、先週、アスタルロアがバーロワールドと交渉した情報をキャッチした。いよいよ、契約間近か?

そして、今日になってバーロワールドのクラウディオ・コルティ氏の談話が入ってきた。

「アスタルロアこそ、我々が求めている選手。こんな短い間で、これほど強いチームを作れるとは思えなかった。将来に向けて、素晴らしい手ごたえを掴んだ。」

ただし、アスタルロアを獲得した、とはっきり言っているわけではないので、バーロワールドの公式サイトに出るまでは注意が必要。なんせこういうのは水モノだ。ただ、アスタルロアと交渉中であることは間違いなさそう。

ところで、コルティ監督が「こんな短い間で」と言っているのはわけがある。彼は来年から新しく監督に就任する。先日伝えたとおり、南アフリカと英国の混合チームは空中分解。チームを刷新して、来季は新生バーロワールドとなる。

コルティは元U-23チャンピオン。サエコの幹部を経て、今年ランプレでマネージャーをしていた。

アスタルロアの人生設計が狂ったのは、04年コフィディスに移籍したせいだった。

コフィディスが、例の薬物騒動(ミラー、クランらが解雇になった)に巻き込まれて、春先、暫くチーム全員レース出場ストップにした。アスタルロアは春のクラシックを走るためにチーム入りしたのに予定が狂った。

そこで大慌てでランプレに4月になって移籍。しかし、このままコフィディスに残るべきだった。慌ててランプレ・カッフィータに移籍したため、買い叩かれた。年俸は前にランプレ・カッフィータから受けていたオファーより大幅ダウン。

コフィディスはといえば、じきにレースを再開した。

そして、運命に流されるアスタルロア、第二の悪運はランプレの合併問題だった。ランプレは、04シーズン終わってからサエコと合併することになった。ところが、アスタルロアは合併話が出る前にランプレと契約してしまった。

合併が決まった時、チーム契約を締結しなおす必要が出てきた。しかし、合併チームランプレ・カッフィータのオファーは、旧ランプレの金額より低かった。これに満足できなかったアスタルロア。

かなり粘った末、チームランプレ・カッフィータ入りを断念。去年の大晦日直前、どうにかバーロワールドに決定した。(去年の12/31付小ネタ参照)

ラルカンシェルを着てしまったから、少しプライドも出て、チームランプレ・カッフィータのオファーが飲めなかったのか。

こうして運命に翻弄されるアスタルロア!本当にバーロワールド以外に道はないのか?来年もまたプロチーム入りできないのか?

■ 2005.12.21 (Wed)  現在シーズンオフの故障者リスト


エンリーコ・ガスパロット
今年ロードでイタリアンジャージを見事獲得したガスパロット(LIQ) 23歳。選手に多い単球症で1月末ぐらいまで2ヶ月間ほど静養する。オフシーズンでよかったが、キャンプは欠席。

写真は今年のパリ〜ツールにて。キャンペンガールの隣で、華奢で小柄なガスパロット。(拡大版)


フレデリック・ベシー
先週モンペリエで行われたコフィディスのキャンプ中鎖骨骨折。モンペリエで手術を受けた。次回1月9〜19日のキャンプには出られる見込み。

彼はJCで来日経験あり。(カジノ時代。)フランス人カメラマンいわく鼻持ちならない選手が多い中「彼はすごく人柄のいい選手のひとり」。


アルベルト・コンタドール
ヘルニアで手術を受けた。リバティーはウナイ・オサも膝の手術を受けたところ。オサ兄弟はバレアレスから2人でリバティーへ移籍。マンセボのAG2R移籍に加え、生え抜きで堅実なオサ兄弟離脱もバレアレスにはパンチだった。

■ 2005.12.23 (Fri)  たとえライバルチームでも互いにたたえる気持ちがある、それが自転車レースかも
balda.jpg 424×427 57Kベテランライダー、元ファッサのファビオ・バルダート37歳。ようやくチームと契約したというニュースが入った。行き先はTENAX −Nobili Rubinetterieだそうだ。プロツアーを走るプロチームではない。

去年末で引退という話もあったが、今季ファッサと契約。しかしそのあと、来季のチームが未決定で、一部では遂に引退か、という声も聞かれた。

2年前のツールの時、ニームのホテルでアレッシオやコフィディスとホテルが同じだったことがある。コフィディスのスタッフとバルダート(当時アレッシオ在籍)と一緒にエレベーターに乗り合わせた時のこと。コフィディスのスタッフがバルダートに「ご苦労さん」と声をかけた。笑顔でこたえるバルダート。

ライバルチーム同士なんだけど、やはりお互いこの苦しいツールを頑張っているという意識があるのだろう。レースの外では、互いにたたえあう気持ちがあるようだ。

3週間炎天下で走り続けるということは本当に辛く厳しい。選手だけでなく、それをフォローしているスタッフの苦労も並大抵ではない。スタッフも選手も、互いに重労働であることがわかっている。それが例えライバルチームであっても、ある種同じ釜の飯的なところがある。

彼らの会話を聞いていて、それを実感した。さらにバルダートがベテランであったことも関係している。長い間一線で活躍して走っていることで、コフィディスのスタッフも敬意を払っている気がした。

次年度契約がなかなかできなかったバルダートだが、あと1年、プロコンチネンタルチームで頑張ってくれるようだ。こういう個性的なライダーは年々影を潜めつつある。それだけに彼の現役続行は頼もしい。

(UCI発表のTENAXのチームロースターに、今の所バルダートの名前は正式には掲載されていないので、この移籍話、一応まだ暫定的としておく)。

Photo: 03ツールアレッシオと同じ宿になったときのもの。(ピレネーにて。)アレッシオとはこの年、ピレネーとニームの2箇所で同宿だった。左はカウッキョーリ、右がバルダート。

■ 2005.12.23 (Fri)  ディスカバリーのブリュイネール監督:「ランスの後継者を探すことから始める」「ランスにはまだツールを走る脚が残っている」
bryu.jpg 464×465 90Kランス・アームストロング引退後、ディスカバリーは新しい目標を模索しているようだ。以下ブリュイネール監督インタビューから:

■ ランス並みの選手の再来はあるだろう

ブリュイネール監督 : 『新しい目標を探さなくてはいけない。ランスのような選手は今はいないが、まずは彼のような選手を探すことから始める。そうした選手が全く輩出しないということはあるまい。

ランスが引退表明をした時、僕は悲しくはなかった。むしろ満足だった。こんな素晴らしいレースをしてくれた彼に対して感謝の念でいっぱいだった。ここまでできたことに誇りを感じていないといったら嘘になる。』

■ 挑戦する必要のなかった7連覇目が一番楽だった

監督 : 『ランスは7度目のツール連覇を狙う必要は全くなかった。6連覇ですでに歴史的金字塔を打ち立てたのだから。そして、才能を、存分に見せ付けたのだから。でも、彼は挑戦した。7勝目が結果的には一番楽だった。

この年、ツール直前の彼はすごく強かった。事故や病気がなければ優勝は間違いなかった。ランスは非常に体系的なトレーニングをしていた。ドーフィネのあと、体力テストの結果は素晴らしかったんだ。』

■ この冬のキャンプでも、ランスは健在ぶりをアピール。まだツールを走れる。ビデオを分析しても、他の選手より秀でている

監督 : 『オースティンの今回のキャンプでは、彼は現役時代に劣らず熱心だったよ。選手のグループと一緒にトレーニングをしてね。

肉体的にはすごくよかった。まだ現役を続けて、ツールを1回か2回は走れるだろうと思ったよ。ただし、もちろん現役復活のシナリオはない。彼は止めると決めたのだから。とはいえ、やっぱりランスには、まだ少なくともツールを走る脚が残っていると感じた。

ツールのあと、収録したビデオで彼と他の選手を比較した。結果、彼だけひとり他の選手と違っているのが一目瞭然だった。』

■ アームストロングは次回のツールにくる

【。。と、監督は言っているが、個人的には本当だろうか?と懐疑的。ランスは引退セレモニーのあとに、“すぐフランスから逃げ出したい。もうツールのヴィラージュに現われることはない。ツールに行くとしたら、子供と一緒にピクニックテーブルを広げて沿道で観戦するぐらいだ”、と言っていた。

さらにその後、99年ツールのEPO摂取疑惑をレキップ紙に取りざたされた。そしてASOのツール06ルート発表では、ランスの業績が一切シカト。これでランスとツールは完全に断絶したという印象だ。

ただ、ランスはディスカバリーの株を個人的に取得しており、スポンサーの手前、最大のレースであるツールでスポンサーを接待することも必要、と監督は考えるのか??いずれにしても、ツール関係者と顔を合わせる場には来ないようだ。】

監督 : 『ランスは次回のツールには来るよ。ただし、スタートやゴール地点ではないけどね。チームにとって重要なスポンサーと一緒にフランスに滞在するだろう。我々と一緒にホテルに滞在する予定だ。

というのも彼の最大の望みは、チームの他の選手がツールで勝つのを見届けることなんだ。来年すぐに優勝というのはないだろう。しかし将来的にはね。』

Photo:02ツールでインタビューを受ける監督。この時はフランス語だった。彼はオンセで走っていたため、スペイン語もぺらぺら。現在スペイン人の奥さんとマドリッドで暮らしている。

■ 2005.12.24 (Sat)  最近の小見出し
欧米ではクリスマスシーズン真っ盛りのはずなのに、さらにシーズンオフなのに、何故か自転車ニュースは途切れない。
最近の[小ネタ通信]見出し一覧、手元用。

12/24
■ フォナックお前もか。。の軍隊トレーニング
■ プロトンの最年長選手がアマチュア初優勝した年に、まだ生まれていなかった選手


12/23
■ 山岳ジャージやロードレーサーが登場するTVドラマ
■ マヌエル・ベルトラン1月北米で
■ 排卵誘発剤を摂取して出場停止になった”男性”選手
■ コムニダ・バレンシアナ、またまた金銭トラブル
■ スキル・シマノのウエア登場


12/22
■ AG2R来年のジャージ
■ UCIコンチネンタルプロチーム発表


12/21
■ ランダルセ半年間もUCIの調査を受ける。99年、誤審があったため、今回UCIは相当慎重。天然成分か、あるいは人工成分か、テストステロンの微妙な判定
■ 喧々諤々のコモンウェルス大会。ロジャースは断念
■ アームストロングがオルベアに移籍


■ 2005.12.24 (Sat)  ウルリッヒみたいにはなりたくない」 。。ツァベルがウルリッヒを批判
leu.jpg 243×394 26Kツァベル、きっとおなかの中に溜まっていたことがいろいろあったのだろう。散々いろんなヒトからいろいろ言われたし。

● 「お給料をもらいすぎているにも関わらず、期待にそえない(ウルリッヒのような)選手にはなりたくない」
● 「ひどい成績なのにいつまで経っても自分は成功者だと勘違いする選手がいる」

などとツァベルが語った。

それにしてもドイツ自転車界、ちょっとぎくしゃくしてるぞ。火付け役はクレーデンだな。

---*
ツァベル: 「そりゃ、何億円も稼げるというのは、何百・千万円稼ぐのよりはいいさ。でも、高給を取ったがために、その対価を強いられるのは嫌だ。それでビール飲みすぎだの事故だの起こせば、多くの人がそういったトラブルを楽しがって見るようになる。」

これはウルリッヒがバーで起こした事件や車で器物損壊を起こした事件などを指している。

ツァベル:「毎年ひどい成績なのに、それでいながらそれでも成功していると勘違いする選手もいる。一方で、いつも2位か3位、たまに優勝だってするのに、いつもひどい成績だとしか見なされない選手もいる。」

ズバリ、ウルリッヒとツァベル自身のことだ。

■ ツァベルは今年のツール第三週目、毎日早朝 ツールのコースを密かに走っていた

今年出場できなかったツール・ド・フランス。その雪辱に彼は燃えた。

ツール第一週はオーストリア・ツアーに出場。第二週目はマヨルカでトレーニング。第三週はフランスへ。ドイツのTV局ARDのツールコメンテーターとして出演。フランスにはバイクも持参。そして、毎朝早朝、ツールのコース(の一部)を走っていた。

ツァベル:「ツールに出ていたTモバイルの同僚たちは、ボクが毎朝同じコースを走っていたことは知らない。そう、一旦ツールからアウトサイダーになってしまえば、出場している選手たちとは一切コンタクトはないんだ。

せっせと走りこんだりするより、毎朝自分のバイクを1時間ずつ眺めて、あとはツールのコースのことなんて忘れてしまう方がよかったのかもしれないけど。」

ツァベル「自分は35歳だけど、自分が年寄りだとは全く思っていない。DVDやi-Podに興味があるし、ケータイの着信音にも拘っている。でも、選手の生年月日を見て、1985年生まれだったりなんかすると、え??1985年だって?と思う。ボクが初めてスクーターに乗っていた頃、彼らはオムツをしてたのかよ!」

ちなみに、来年のプロチームプロトンの最年少と最年長の選手はこちら :(小ネタ12/24エントリー)

ツァベルは続けた。「もしもウルリッヒがボクにアドバイスを求めるようだったら、アドバイスもするさ。でも、彼がボクを頼ることは考えられない。」

■ Tモバイルを去るとき、一番つらかったのは、選手やスタッフとの別れではなかった。マッサーのローテンベルグ(愛称“オイレ”)との別れだった。

ツァベル: 「選手たちとは、時折顔をあわせるだろう。でも、オイレと会うことはもうない。マッサージをしてくれたのが彼であり、一番感情的になって去りがたかったのが彼なんだ。別れのシーンは涙色だった。彼が泣き始めて、そしてボクも泣いてしまった。」

* Photo: ツァベルが一番悲しかったのがこの写真のマッサー、オイレとの別れ。オイレは職人気質で一徹そうな雰囲気のマッサー。この彼とツァベルが泣いて別れるシーンを想像すると 結構ほろりとする。

我々は、今年のツール前半宿がTモバイルと3日間一緒だったせいもあり、最終日にオイレとばったり会った時、どちらともなく挨拶をかわしたのが記憶に残っている。


■ 2005.12.25 (Sun)  プロカメラマンはこう撮る
今年のパリ〜ツールのレース前チームプレゼンテーションで、G・ワトソンらプロカメラマンがロビー・マキュエンを撮影していた。壇のヘリのところで カブリツキで撮影していたのだが、そのうち一人が撮影した写真がWeb上に公開されていて、出来上がった写真を見たら 想像と違っていてびっくりした。

ズバリ、プロカメラマンが撮影した写真はこれ。==> プロの1枚(多分下の写真で左に写っているカメラマンが撮った写真。)

マキュエンが極端に左に寄って、彼の左は切れている。浮世絵の画風と共通するところもある。バックをうまく使ってすごくいい感じ。下から写して、彼が聳え立っている感じも出ている。なるほど、、の1枚。

とはいえ、ファインダー越しに選手をここまで大胆に枠の隅の方においやるレイアウトは、なかなか思いつかないものだ。


まず、これが当日のプロカメラマンの様子。右がグラハム・ワトソン。この日は知り合いから招待者カードをもらえたので、一般観客立ち入り禁止区域に入いることができた。


素人カメラマンはこう撮った その1
この時自分が撮った写真その1。マキュエンが笑った。珍しいと思い、シャッターを押す。この時カメラは横使い。人物を写すことしか念頭になく。


素人カメラマンはこう撮った その2
さらに、マキュエンの名前が呼ばれた。手を上げるマキュエン。シャッターを押す。まあ、こんなところが一般素人の写真撮影だと思う。

どうしてもメインになる人物を中央に据えて撮影してしまうがち。上述のCNのカメラマンのようなアングルは瞬間的にぱっと浮かばない。こういう場では、洒落たレイアウトまで考えながら撮影する余裕がなかなかないものだ。

■ 2005.12.26 (Mon)  プロ選手に聞きました。「自転車を始めたきっかけは?」 ― 前編

ロベルト・エラスの場合、父親とテニスの試合をして、負かしたら自転車を買ってもらう約束をした。そして見事父を負かして最初のバイクをゲット。またハミルトンのようにスキーでケガをして、リハビリに自転車を勧められた選手も結構いる。

今までに読んだ選手インタビューの中から、自転車を始めたきっかけについて語っているものを拾い、目を引いたものを下記にピックアップ:


オスカル・セビーヤの場合:TVでデルガドを見たのがきっかけ

「ペリコ(デルガド)をTVで見たのがきっかけさ。10歳の時だ。それから友人8〜10人で走り始めた。その頃僕は祖父の古いバイクで走っていた。鉄製で、めちゃくちゃ重くてね。

12歳でいいバイクを買ってもらってクラブチームに加入。レースに出始めた。そのクラブには、今では40人ほどの子供がいるよ。

もし選手になっていなかったら、車の修理工になっていたと思う。父も祖父も修理工なんだ。といってもオートバイの方だけど。いつも油のにおいにまみれて少年時代を送っていた。自分のバイクは、いつも自分で修理していたものさ。」


天才児アレハンドロ・バルベルデの場合: 父の影響。11〜14歳までレースで負けたことがなかった。


「走り始めたのは9歳の時。父親が34歳で自転車を始め、同じぐらいの年齢の人たちと走っていたのに影響された。さらに兄のフアン・フランシスコもアマで走っていたんだ。ただチームが空中分解して、アマでやめたけど。

両親・祖父は僕が選手になるのを全面的にバックアップしてくれた。」

そして、初めてのレースでは2位に入った。でもそれからは思い出せないぐらい優勝した。多分50勝ぐらい。11歳から14歳の間は、1度も負けなしだった。彼のあだ名は、「打倒不可能」。レースのスタート地点にバルベルデがいると、嫌がる選手もいたほどだ。

16歳にして、肺活量は7.4リットル。(一般成人男子で4リットル程度といわれる。)ちなみに全盛期のインドゥラインは8.1リットルだったから、16歳のアマチュア選手がこの数値というのは驚きだ。現在のバルベルデの肺活量は7.8リットル。

■ バネストのアマチュアチームでデビュー。でも、本拠地バスクに行くのがめんどくさくなって、地元のチームケルメに加入

数々のレースを制し、地元のチャンピオンとなったバルベルデ。バネストのアマチームに入った。レースで3勝したものの、彼には不満があった。

バネストの本拠地はバスク地方のパンプローナ。毎週末そこまで行くのが億劫になった。そこにオファーを出したのがケルメ。しかも、将来プロチームのケルメへの移籍条件付きだった。その後スペインアマチャンピオンなどを経て02年ケルメのプロチーム入り。そして23歳にして03ヴエルタ総合3位に輝く。

あとは来年、ツールで総合表彰台を狙っていく。あこがれのインドゥラインとジャジャが活躍したツールで自分も輝く、それが小さい頃からの夢なのだ。

■ 2005.12.26 (Mon)  EFE通信社が選んだ今年のスポーツマンオブザイヤー。1位はF1のフェルナンド・アロンソ。そして、2位は そのアロンソが尊敬するランス・アームストロング
grp1226205536.jpg 321×575 157Kスペインの通信社EFEが選んだ今年のスポーツマンオブザイヤーはF1史上最年少記録を次々に塗り替えていったフェルナンド・アロンソになった。以前紹介のとおり、そのアロンソは、大のランス・ファン。さらにチェチュと同郷で、チェチュのことも敬愛している。

アロンソが自転車を愛する選手だと知ったことから、このサイトにはフェルナンド・アロンソの専用頁も設けてある。Yahooで「フェルナンド・アロンソ」で検索をかけると、5番目に出てきたりなんかする。→ こちら

結果は:
1位 : フェルナンド・アロンソ (F1ドライバー スペイン)
2位 : ランス・アームストロング(自転車選手 USA)
3位 : ヴァレンティーノ・ロッシ(モトGPライダー イタリア)
4位 : ロジャー・フェデラー(テニスプレーヤー スイス)
5位 : ロナウジーニョ(サッカー選手 BRA)
5位 : マイケル・フェルプス(水泳選手 USA)
7位 : ロナウド(サッカー選手 BRA)
7位 : ジャスティン・ガトリン(陸上短距離選手 USA)
7位 : ケネニサ・ベケレ(陸上選手、主に長距離 エチオピア)

■ 2005.12.27 (Tue)  聖火ランナーベッティーニ
聖火ランナーの大役を務めたベッティーニ。大感激したようだ!聖火を持って走った素晴らしい5km。沿道の暖かい声援、ものすごい数の人たち。交通は麻痺状態。でも警官たちも この日ばかりは大喜び。

道中、アテネ五輪で獲得した金メダルのことが頭をよぎった。永遠に残る金メダルの記録。何ものにも替えがたい勲章だ。

五輪主催者側からは、聖火をバイクに固定するための道具をつけましょうかと言われたけど、それは断った。そして、聖火を自分自身 手に携えて走ったのだった。

(写真では見づらいが、予想どおり、彼が使用したのは やはり黄金バイクのようだ。)

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12/11のトクダネでお伝えした”ベッティーニ聖火ランナーになる”の続報。

彼がトーチリレーをしたのは13日のこと。翌日14日、ベッティーニの日記が更新されるだろうと待ち構えていたが、更新なし。その後すっかり失念していた。ふと思い出して行ってみたところ、16日のエントリーで日記が更新されていた。 彼のDiaryはこちら。

なお写真はダイレクト・リンク。Photo copyright@paolobettini.it

■ 2005.12.27 (Tue)  プロ選手に聞きました。「自転車を始めたきっかけは?」 ― 後編

■ アレッサンドロ・ペタッキの場合 : 少年時代のアイドルはインドゥライン。“僕みたいに背が高いのに、何故 彼は山を上れるんだろう?”

サロンニの大ファンの父親とTVを見ていたら、自転車選手になりたくてバイクを買った。10歳の時だ。レースに出始めたのは、それから2年後のことさ。

サロンニのあとファンになったのは、インドゥライン。僕みたいに背が高いのに、何故 あんなにすごい山を上れるんだろう、と信じられなかったよ。あの体格であそこまで強い選手は彼以外にはいないね。

イタリアの子供ならみなやるスポーツといったらサッカー。僕ももちろんやったよ。でも、陸上競技が得意でね。走るのも得意だったし、走り高跳びと走り幅跳びが得意だった。

スプリントについては、実は今でも恐怖心がある。TVで自分の姿を見ると、結構危険なこともやっている。でも、その瞬間は集中して、結構冷静にやっている自分がいるんだ。



■ ホアキン・ロドリゲス(サウニエル)の場合 : 父はナショナルチームの監督

ボクの父親マヌエルは70年代プロチームの監督をしていたんだ。チームはコルチョン。だから子供の頃からレースをよく見に行った。兄貴のアルベルトもカタルーニャのチームで走っていた。

父親は、僕にはアドバイスより小言ばっかり。いつも僕の欠点を探し出していた。でも、ヴエルタで山岳王になって、父親にはやっと自慢が出来たね。

サッカーが好きで、地元カタルーニャのバルサが死ぬほど好き。昔はストイチコフの大ファンで、今はロナウジーニョ。


■ ホセ・ミゲル・エリアス(レラックス)の場合 : 祖父から1000kmレースの特訓

「祖父が、その時代にしては秀でたサイクリストだったんだ。祖父にレースに連れて行ってもらったりした。トラックで3kmの追い抜きレースを走れるようにと、1000km走らされたこともある。」

エリアスは26歳にプロ入りの遅咲き選手。実は19〜23歳まで極度の貧血で走れない時期があった。

「僕の妻(今年の10月8日に結婚したばかり)がホビーレーサーで、僕のことを応援してくれた。それが支えになって、プロ選手になることができたんだ。」

■ 2005.12.28 (Wed)  年の瀬のSpotlight : 日本のヒーロー別府史之選手
別府選手のロマンディの時の動画公開中(ベルトランも一緒に写っている)。 =>ウォームアップ中の別府選手動画 JUMP
(ただし、自宅のもう片方のPCでは起動しなかったので、相性があるかも?6MBです。)