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小ネタ JUMP


今月のニュース:デイヴィッド・ミラー復帰準備、ケスデパーニュ新ジャージなど

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2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2006年01月 

■ 2006.01.01 (Sun)  サウニエルのルーベンス・ベルトリアーティから届いた年賀状
rubens.jpg 435×581 81Kあけましておめでとうございます。新年ということで、ルーベンス・ベルトリアーティの年賀状を公開中。

下記赤字部分をクリックすると、彼とフィアンセのクラウディアがピラミッドを挟んで立っている画像が出ます。ピラミッドのてっぺんをクリックすると、ガラクタが登場。しつこくクリックを続行すると、最後に、「2006年みなさんにとって良い年でありますように」といったメッセージが現われます。

ベルトリアーティ & クラウディアの年賀状を公開中 − JUMP

ルーベンスのレース中の写真を集めてDVDにまとめる活動に少し協力している関係で、この年賀状が手元に届いた。さらに時折、ベルトリアーティの近況も入ってくる。その中から一部ピックアップ:

■ レース中のルーベンスの癖

彼はプロトンで走る時、後方の左側を走るのが好きだそうだ。だからファンたちは、沿道で観戦する時、必ず道の左側で彼を待ち受ける。

■ ルーベンスはスイス・イタリアン

スイスのイタリア語圏出身のルーベンス。自宅はスイスだが、シーズン中は北イタリアのガルダ湖にクラウディアとともに住んでいる。

母国語はイタリア語だが、ドイツ語圏に住むスイス・ジャーマンの人と話す時は、彼はドイツ語を使う。しかし、イタリアチームで走っているせいもあり、彼のドイツ語はどんどん”下手になっている”とのこと。

スイスはフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の4地域に分けられるが、ドイツ語圏が一番広い。(スイスの言語分布図はここ)

さらに、彼女のクラウディアはドイツ語は話さないので、彼女をまじえてスイス・ジャーマンと話す時は、英語で話すそうだ。あー、スイス人ってややこしい。

ベルトリアーティといえば、02年ツール第1ステージ、ゴール手前で思い切りよく飛び出して、優勝。マキュエン、ツァベル、フレイレを打倒してイエロージャージを着用したのが記憶に残る。

左の写真は、TDRの時のルーベンスとクラウディア。クラウディアはツールにも来ていた。熱心にルーベンスのレースに同行している。

この写真を始め、ルーベンスのDVD作成用に写真を何枚か提供している。そのためルーベンスのオフィシャルサイトの写真集に、当方が彼からサインをもらっている写真や、撮影したルーベンスの写真が、実は何気に紛れていたりする。

■ 2006.01.02 (Mon)  2006年、イタリアのピサの町で最初に産声をあげたのは、昨年6月に亡くなった元サエコのガレッティの息子だった
gale.jpg 305×369 35K2006年1月1日。新しい生命が誕生した。
元旦のこの日、イタリアのピサの町中で最初に生まれた子供の名前は、マヌエル・ガレッティ。去年6月15日、ナランコのヒルクライムレース中に心臓発作で亡くなったアレッシオ・ガレッティの第二子だ。

ガレッティが亡くなった時、妊娠3ヶ月だった妻は、この日体重3950gの男の赤ちゃん(次男)を産んだ。ガレッティの長男マルクスは現在2歳。ガレッティ享年37歳だった。

亡くなった時に所属していたナトゥリーノチームのサイトに、このニュースと生前の彼の写真が掲げられている。記事は、“(残された)家族に幸あれ”、という言葉で締めくくられている。

ひとつの命の代わりに新しい命がやってきた。新しい年の幕開けとともに、、、自転車ニュースという範疇を越えてちょっと感慨深いニュースだ。

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関連ニュース(去年6月のトクダネ):

■ 2005.06.15 (Wed)  ジャパンカップで来日した 元サエコのガレッティ悲報

■ 2005.06.17 (Fri)  その時 コース上で選手たちは : 脈をとり、心臓マッサージを始め、看護婦をしている彼女に携帯から電話をかけて応急処置方法を尋ねた選手。。「でも、結局 何もしてやれなかった」


この時の様子を伝えた海外の記事には、レース中発作で自転車から倒れたガレッティをまのあたりにした周囲の選手たちの動揺ぶりが現われていた。

兵役で赤十字病院担当だった選手が脈を取ったり、看護婦の彼女にマウスツーマウスのやり方を聞いた選手もいた。とにかく、周囲のみんながなんとか命を助けようと必死になった。しかし、ガレッティの唇は、またたく間に紫になっていった。

(Photo: 01 JC 写真左がガレッティ)

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ネタソース:Special thanks to Sさん。(そのSさんのコメントから):

『それにしても、好きな選手がみんないなくなってしまう。パンターニはもちろん、ガレッティ、リカルド・オチョア、ホセ・マリア・ヒメネス。今年は不幸な出来事が起こらないことを祈るばかりです。』

さらに、『今でも彼のジャパンカップのときのあの陽気な姿が思い出され、亡くなったのが信じられない。でも"morto(亡くなった)"って字を見てやっぱり嘘じゃなかったんだなあと妙に実感がわいてきました。』とも。

■ 2006.01.03 (Tue)  マンセボ語録:「AG2Rからのオファーは断りがたいものだった。だって、年俸1億7千万以上だったんだ。」「移籍は転校と一緒」「チームドクターとマッサージャーとの別れが寂しい」
paco.jpg 640×480 269K年明けにEFE通信が配信したマンセボのインタビュー。マンセボ自身が認めたところによると、120万ユーロ以上の年俸でAG2Rと契約したという。120万ユーロは約1億7千万。それ以上ということで、推定年俸は1億8千万円とされている。

以下、彼のインタビューから、語録を拾ってみる。

● 「今年は変革の年。小学校を転校するのと同じ気分さ。とはいえ、(バレアレスの同僚)アリエタとナバスと一緒に“転校”できるからラッキーだけど。」

● 「移籍してよかったと思っている。長年同じチームに所属してきたから、これ以上続けるには、別のモチベーションが必要だった。後悔はない。

でも、マッサージャーのみんな、そしてヘスス・オヨス(バネスト時代からのチームドクター)がいなくなるのが寂しい。それから同僚のラストラス、チェンテ(ガルシア・アコスタ)、サンディオと別れるのも。とはいえ、僕らはずっと友人のままだ。」

● (移籍の理由について)「もしもオファーの金額に左右されなかったと言ったら嘘になる。AG2Rからのオファーは断りきれないものだった。」

(ウンスエ監督は、マンセボがAG2Rとバレアレスの双方と交渉している最中「金額の値を吊り上げてマンセボを引きとめようとしたが、これ以上は無理だ。現在のAG2Rのオファー金額以上は出せない。ギブアップするしかない」と言っていた。)

● 「AG2Rはいい選手がたくさんいるけど、グランツールで勝てるチームではなかった。だから、自分はこのチームでリーダーであると自覚できる。」

● 「アームストロングはツールだけに集中し、他の選手とは違う走りをしてきた。その彼が不在となり、レースは変わるだろう。優勝候補はバッソ。そして、ヴィノクロフ、ウルリッヒ、ライプハイマー、ラスムスン。みんなに勝機がある。」

(バルベルデの名前ははずした。このあと「バルベルデは?」と聞かれて、「彼も強い選手だ」と追加コメントはしたが、マンセボの負けん気を垣間見た感じ。)

● 「フランス語はまだ勉強する時間がないから、チームのチャウレアウやアスタルロサに通訳してもらっている。」

● 「ツールでは、最低でも表彰台を狙いたい。」

■ 2006.01.04 (Wed)  七転び八起きの自転車人生
grp0104080205.jpg 511×492 87K妻は五輪メダリスト、夫はディスカバリーのプロサイクリストでありながら、妻のトレーニング・コーチ。二人三脚のスポーツ人生は、まさに絵に描いたようなサクセス・ストーリーに見える。。。が、しかしその裏には幾多の挫折と不運があった。

その選手の名は、オーストラリア人のマシュー・ホワイト。コフィディスから今年ディスカバリーに移籍してきた。妻の名は、ジェーン・サヴィル。アテネ五輪20km競歩で銅メダルに輝いた。


--- 先日ひょんなことから、ホワイトの妻ジェーンが五輪メダリストであることを発見し、ホワイトと妻の二人三脚人生を調べてみた。なかなか興味深かったので、彼らの七転び八起き人生を簡単に綴ってみたい。

夫の挫折:1999年ツール出場目前でチームがツールから追放

1999年、マシューはヴィーニ・カルディローラに在籍していた。25歳の時、ツール出場のチャンスが巡ってきた。しかしツール開始2週間前になって、チームはツールの招待状を奪われた。スイスツアーの血液検査でセルゲイ・ゴンチャールが陽性判定となったのだった。

妻の挫折:2000年シドニー五輪。金メダル目前で失格

2000年シドニー五輪。妻のジェーンは、長距離競歩のオーストラリア代表となった。レースは快調。単独で飛び出し、優勝目前だった。

しかしゴール手前300m。。無常にも、彼女は失格を告げられた。規定のウォーキングフォームが崩れていたと判定された。金メダルが一瞬のうちに消えた。涙が止まらなかった。

妻と夫の挑戦

シドニー五輪で惜しくも失格となったジェーンを、マシューは支え続けた。競歩のトレーニングをする妻の後からバイクで伴走。アドバイスを与え続けた。

夫の挫折:2001年ツール開始3日前にメンバーからはずされる

マシューは2001年、USPに移籍する。そして、その年、ランスのツール3連覇を賭けて、ツール出場メンバーにめでたく選ばれた。ところが、ツール開始3日前、メンバーが変更になり、突如ホワイトははずされた。

夫の挫折:2004年ツール開始数時間前に鎖骨骨折!

彼のツールの呪いはまだ続く。04年、彼は晴れてコフィディスのツールメンバーに選ばれ、初のツールに挑む予定だった。初日プロローグ。コースをオグレイディと試走中、事故は起きた。

路上のケーブルコードに車輪を取られてクラッシュ。鎖骨骨折となり、一瞬にしてツール初出場の夢がついえた。プロローグ開始、わずか数時間前のことだった。

■2004年アテネ五輪に夫婦で出場決定

ジェーンは競歩のオーストラリア代表としてアテネ五輪メンバーとなり、マシューもロードの代表メンバーとなった。オーストラリア代表の中で、アベック出場は5組だった。

■ 妻の成功:アテネ五輪で銅メダル、二人三脚で勝ち取った勝利

五輪日程では、ロードの試合が先だった。彼はロードレースを走った後、すぐにオーストラリアに戻り、妻のコーチに早替わり。妻の競歩の練習を支えた。

そして、再び2人でアテネへ。ジェーンは20km競歩に出場した。マシューのサポートの甲斐あって、ジェーンは見事銅メダルに輝いた。

■ 夫はビリ。。。:2004年ヴエルタ

五輪メダリストになったジェーン。今度はヴエルタに出場する夫をせっせと応援にきた。2人は現在スペイン在住だ。ホワイトはヴエルタを完走したが、結果は総合順位で最下位だった。それでも、夫の完走に喜ぶジェーンの姿があった。

■ 遂に夫の晴れ舞台!!!:2005年トレーニング中クラッシュするも、31歳にしてツール初出場達成

マシューはコフィディスのツールメンバーに再度選ばれた。念願の初出場の数週間前、自宅のあるスペインでトレーニング中クラッシュ。鎖骨骨折した気がした。またしても悪夢の再来か、、、と思った。

しかし、ケガは軽傷で済んだ。そして、やった!ついに念願のツール初出場。31歳になっていた。

そして、今年ディスカバリーチームに移籍することになった。七転び八起きのライダー、マシュー・ホワイトの新しい1年が始まる。

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ちなみに、ジェーンのHPの写真ギャラリー には、バイクでジェーンのトレーニングをコーチするコフィディスのウエア姿のマシューがいる。

マシュー・ホワイト:1996-97年 ジャイアント、1998 アモーレエヴィータ、1999〜2000年 ヴィーニカルディローラ、2001〜2003年 USPS、2004〜2005年コフィディス、2006年ディスカバリー

(Photo:05ツール、ポーのヴィラージュでサイン攻めに合うホワイト)

■ 2006.01.05 (Thu)  CSC妻たちのサバイバルキャンプ・レポート その1
grp0105081345.jpg 294×441 56K元アレッシオの選手で現在CSCの助監督をしているスコット・サンダーランドの妻サビーヌがCSC妻たちのサバイバルキャンプのレポートを届けている。

リース監督は、革新的な監督として知られる。ある日、選手のパートナーたち宛てに招待状が届いた。パートナーたちもデンマークに集まって、互いの理解を深めよう、というのが趣旨らしかった。

ただ、屋外用の暖かいジャケットと長靴持参する必要があるらしいと分かった時、サビーヌは、なんか嫌な予感がした。たんなる会合だけじゃなさそうだ。もしかして。。

そもそも彼女はスポーツが得意なタイプではない。夫がスポーツマンだと、妻もそうだと思われがちだが、自分はスポーツはしない。自転車にだって乗らない。

さてさて、そんなスポーツ苦手の彼女を、一体何が待ち受けているのだろう。以下レポート抜粋:

■ グッチもヴィトンも投げ捨てて

選手たちのパートナーが一同に会した。みんな化粧なし。デザイナーの洋服を着るでもなく。グッチの靴やヴィトンのハンドバックもここには登場しない。ただ、30人ちょっとの女性たちが意欲的な顔つきで集まっている。

みんなそれぞれ、ボーイフレンドや夫たちをサポートし、チームの一員としてどんな風にやっているのかを理解したい、そう思っていた。


■ リース監督の意図

現地に到着して、みんなが集合した。リースは、選手のパートナーたちを前にこう述べた。

「選手やスタッフのパートナーたちも、CSCというチームがどういうチームであるかを理解するのは重要だと思う。」

「例えばトレーニングキャンプは、実に多くの情報を与えてくれる。レースでその情報はは生きてくる。トレーニングで一緒にやっていけば、コミュニケーションが良くなり、そうすればポテンシャルを最大限に引出すことにつながる。」

「サイクリングは大変なスポーツで、いいことばかりではない。貴方たちの夫は、トレーニングだのレースで家を長い間空けて、家族との貴重な時間を過ごせないことも多々ある。それは家族にとってきついことだろう。このスポーツがいかに犠牲を強いるもので、タフであるかはみんな知っている。」

「選手が家庭内でサポートされていてハッピーであれば、それはレースでのパフォーマンスにも反映する。だから、我々は家族の貢献やサポートというのを重要視している。今日、みなさんに集まって頂いた理由もそこにある。」

サビーナは今まで、13年間自転車選手の妻としてやってきたけれど、こんな言葉を耳にするのは初めてだった。妻たちは感謝され、歓迎されているという気分がした。過去、ほかのチームの監督から、全然逆の待遇を受けたこともしばしばだった。

21世紀の今でさえ、他のチームの監督は、こういう人ばかりではない。妻やガールフレンドを最大限遠ざけようとする監督だって実際いるのだ。

(続く)
Photo: 現役最後の年04年にツールに参戦したスコット・サンダーランド

■ 2006.01.06 (Fri)  プロトン最新情報
quaranta.jpg 640×480 94K イヴァン・クワランタ、来週序盤に契約予定

05年ドミナで走ったものの、チームミルラムとの契約に至らなかったスプリンターのクワランタ。チームがやっと見つかった。

「来週の月曜か火曜に、ステファノ・ジュリアーニがうちに来て、契約書にサインすることになっている。」とクワランタ。

ジュリアーニとは、チームユニヴァーサル・カッフェの監督だ。クワランタ31歳、プロツアーチームとの契約は叶わなかったが、意欲満々。

「走り続けるよう背中を押されたのは、よかった。妻カルメンも、僕がこのままキャリアを終えてしまうことに満足はしていなかった。今は走る気力も出てきた。いい形でキャリアを締めくくりたい。これからは、自分のため、僕を信じてくれた人たちのために走りたい。」

(Photo: TDR05.プロローグ出番直前。ヴィットーリ監督と打合せするクワランタ)


行く年来る年:2人のデッケル − デッケル来年はラボバンク助監督へ

昨日ラボバンのチームプレゼンテーションがあった。(様子はここJUMP)

(ライヴ画像が出ると聞いていたが、うまく機能しなかった。)その席で、若手のトーマス・デッケルが2007年まで契約延長したことが明かされた。さらに、ベテランのエリック・デッケルは、今季を最後に引退を決意。

その後、デッケルは、ヨープ・ズートメルクのあとを引きついで、助監督となる予定でいる。

チームはパリ〜ルーベを始め、春のクラシックを狙っていく。


バルベルデ、クーネゴ、ヴィノクロフが集合

3月1〜5日のブエルタ・ア・ムルシア。地元のバルベルデのほか、クーネゴやヴィノクロフらが出場予定。全643.2km。5ステージには、21.3kmのITTを含む。

■ 2006.01.07 (Sat)  コフィディスというチーム
grp0107085307.jpg 479×479 53K最近のCNのフランシス・ヴァン・ロンデルセル監督インタビューから。

■ 今季のコフィディスの特色について

新チームには、15人もの新しい選手が加入。タイラー・ファラーやクリス・サットンらをはじめ、ほとんどが若い選手、かなり若い選手というメンツ。さらに、ちょっと期待しているのが、ラボバンク・コンティネンタルから移籍したM・エライゼンとM・ハイブール。こうした若い力を育てて国際レベルにしていきたい。

■ コフィディスのリーダーは?ちょっと意外なような。。

リーダーとして頼りにしているのは、リック・ヴルブルッヘ。ベルギークラシックやショートステージレース向き。TTやプロローグを中心に期待ができる。特に、最初のプロツアーパリ〜ニースのプロローグで、その才能を遺憾なく発揮してほしい。

それからもちろん、ダヴィ・モンクティエやシルヴァン・シャバネルも。


■ ステュアート・オグレイディの離脱について

もともとイタリアチームに行くためにチームを出た(フェレッティ監督のチームに行くはずだった。)しかしそれが実現できず、彼は微妙な立場になったんだ。結局CSCに決まったが。貴重な人材だったから、残念ではある。

■ コフィディスの国際化

フランスチームにしては、とても国際的なチームだといえる。14人フランス人がいるものの、あとはその他9カ国の選手がチームにいる。とはいえ、少なくともチームのうち半分はフランス人にしたい。スポンサーがフランス企業である限り。

■ 今時のフランス人選手について

チームレベルは高いが、各選手のパフォーマンスレベルでは確かに存在感は薄い。まだ向上の余地ありだ。成長株が出現することを期待している。シャヴァネルなどは、ここ数年で実力をつけており、まだ成長が期待できる。

若手が自信を失っているのもフランス選手の弱いところ。肉体的資質はあるのだから、あとは野心やハングリー精神があれば。特にハングリー精神に欠けるのは、フランス人気質もあるのだろう。ジャラベール、ヴィランクが引退したあと、カリスマ性のある選手がいない。シャヴァネルあたりに期待したいところだ。

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( う〜ん、ここ数年、毎年シャヴァネルに期待せざるを得ないとは。フランス選手人材不足という印象が否めない。シャヴァネルやヴォクレーらは、今ひとつパンチ不足。さらにファンの受けが今ひとつ。

特に最近、この2人の傲慢な態度がよく目に付く、といったフランスのファンの愚痴を何度も聞かされた。ちやほやされれば、ある程度仕方ない話ではあるが。


AG2Rからケスデパーニュ・バレアレスに移籍したニコラ・ポータル(右の写真)は、ルックスもいいし、人当たりもソフト。フランスではファンの受けがいい。ポータルあたり、実力がもっとつけば、結構人気選手としてイケると思うけれど。

左の写真: 昨年のL-B-Lにてヴァン・ロンデルセル監督。ケータイ写真を撮って喜ぶお茶目な監督。

それよりも、監督の後ろでコフィディスの選手がエッチっぽい雑誌を持っているのが写っている。(拡大版:胸がポロリンとこぼれている女性が表紙になっている雑誌をバスの中の選手が持っている)。この選手が誰だったのか、チェックしそびれた。

■ 2006.01.08 (Sun)  CSC妻たちのサバイバルキャンプ・レポート その2: 一番のスポーティー・ウーマンは。。 そして、六本木でCSCのニュー・スポンサーに遭遇
リース監督の哲学は更に続いた。

「自転車競技を辞めた後のことを考え、人生において自転車競技以外のことことにも価値を見出すことを 選手たちに教えたいと思っている。こうした多様な価値観を重視しながら走るチームは、世界でも我々だけだろう。」


■ 脅しの言葉は、「爪が割れたらCSCが保険でカバーしてくれる?」


その1で紹介の通り、サンダーランドの妻はスポーツが苦手。ポール登りの競技をやらされることになり、すっかり辟易していた。リース監督がヘルメットの紐を結んでくれている間、彼女はリースにこんな言葉をかけた。

「もし登っている途中で爪が折れたら、CSCのチーム保険がカバーしてくれるんでしょ?マニュキュア代を貴方宛てに送付するわよ?」

笑いをこらえるリース。


現役時代のスコット・サンダーランド
04ツール。抜き打ち血液検査のあと。場所はホテルのバーの脇。朝7時に、突然検査があることを知らされたんだそうだ。


同じくスコット・サンダーランド
04ツール中、いつも余裕たっぷりで客観的にレースを分析していた。翌年幹部側になることも既に念頭にあったのか?


マルクス・リュンククヴィスト
彼の妻が、CSCの妻たちの中で、最もスポーティータイプだった。写真はツール04。新聞を読みながら血液検査の順番待ち。

さて、妻たちのサバイバルキャンプ、運動競技の結果やいかに:

● ヘビ・蜘蛛掴み

こうした生き物たちが全くだめ、という女性は、サンダーランドの妻のグループにはほとんどいなかった。特に彼女自身はオーストラリアの田舎育ち。こうした生き物を手づかみにするのは慣れていた。全く問題なし。

● ポール登り

リュンククヴィストとアルヴェセンのパートナーがトップまで楽々登った上に、てっぺんでは狭い足場に立って、そこから空中ブランコに飛び乗った。片やサンダーランドの妻は、リースにお尻を押してもらいながら、「ねえ、もういいでしょう」と途中でギブアップ。

● ブラインド・ドライビング・テスト

目隠しをしてジープを運転する試練。これもリュンククヴィストの妻カリーナがソツなくこなした。サンダーランドは同じ組だったので、このテストはカリーナに一任。自分は免れた。

他のチームでは退場者(?!)が出た。後部座席にいた女性軍団の一部が、ドライバーにてんでばらばらな指示を叫びまくり、騒ぎまくったのだ。目隠し状態の女性ドライバーは、これで切れそうになった。。。というわけで、後部座席のひんしゅく軍団に退場命令。



● 参加した女性たちにはCSCの新規スポンサーから時計のプレゼント。
● そして、偶然!六本木でこのスポンサー・グッズを発見したぞ


参加した女性たちには、デンマークのスカーゲン・ウォッチの5種類の腕時計が用意されていた。各自、好きなデザインを選んでいいということだった。こんなところにも、リース監督の気遣いが垣間見れる。

スカーゲンは、2006年から新規にCSCのスポンサーに加わった。

そして、めちゃくちゃ偶然なのだが、この記事の原稿を昨日午前中に書いた後、午後、六本木に繰り出したら、びっくり!このスカーゲンの直営店を偶然見つけてしまった。

スカーゲンの名前を聞いた直後だったので、歩いていたら突然目が吸い寄せられた。ギョギョ、これかぁ、スカーゲンてのは。。。場所は六本木ヒルズのウェストウォーク。

品揃えを見てみたところ、メイン・アイテムは、薄型のリスト・ウォッチだった。確かに店頭ロゴのところにはデンマークの国旗が描かれている。(写真)

■ 2006.01.09 (Mon)  2006 世界選手権特集
grp0109081905.jpg 583×590 106K● レベッリン:「今年こそイタリア代表として世界戦に出たい! 」
● 2006年 ロード世界選手権概要(場所:オーストリアのザルツブルグ)


■ イタリア代表の監督は、結局2006年もバッレリーニが続投。レベッリンどうする?

2005年マドリッドの世界戦では、ペタッキが有力視されながら、優勝できなかったイタリア勢。最強メンバーと言われながら、またもや敗退。ナショナルコーチのフランコ・バッレリーニは退任必至、と言われた。しかし、後任人事の決着つかず。結局バッレリーニが続投することになった。

そうなると、レベッリンは再びイタリア代表に選ばれないのでは?という憶測が広がる。バッレリーニは一人の強いリーダーを打ちたてて、他の選手はアシストに回す。複数リーダーは不要と考える傾向が強いため、レベッリンほどの選手が、イタリア代表に選ばれず、泣きをみた。

昨年、レベッリンは アルゼンチン国籍を取得してアルゼンチン代表として世界戦出場を目指したり、、、と画策した。しかし結局、国籍取得には至らず、出場は果たせなかった。


■ レベッリン:「もうアルゼンチン国籍は取得しない。イタリア代表になりたい!」

そして、このほど、バッレリーニ続投が決定してから、レベッリンが口を開いた。

「アッズーラチームの代表として、今年こそ世界戦に出場したい。もうアルゼンチン代表で出場しよう、などという考えは放棄した。バッレリーニと対話を再開する準備はできている。今度の世界戦のコースは僕向きなんだ。」

04年には1週間のうちにフレッシュ・ワロン、アムステルゴールド、L-B-L、と3タテで優勝したレベッリン。今年もクラシックに意欲を燃やす。ジロ出場については、これらのレースのあとで考える。出るとしても、ステージ優勝や、途中でマリアローザを着ることを目指す。総合は念頭にない。

05年はブリクシアツアーで1勝したのみ。今季挽回できるかレベッリン。シーズンデビューは2月。ポルトガルのアルガルベツアーとなる。


■ このコースなら、ヴィノクロフが有力

バッレリーニは、さっそくザルツブルグの06コースを下見した。アップダウンがあるコース。特に、海抜547mのElixhausenが曲者だ。上りの最初の500mは12%。(右のプロファイル参照)

22.2kmのサーキット中、アップダウンのある中盤9kmの部分で逃げが成功すれば、そのまま優勝というシナリオも濃厚。

「(イタリア選手ではないが、)スピードマンとして、長距離逃げられるヴィノクロフが有力」と語ったバッレリーニ。レベッリンの選出はあるのか?


■ 過去の世界戦優勝者

92年にブーニョが優勝して以来、これまでイタリアは02年にチポッリーニが優勝しただけ。スペインは、5勝もしている。フレイレの3勝が貢献している。

93年 L・アームストロング(米)
94年 L・ルブラン(仏)
95年 オラーノ(スペイン)
96年 ムセーウ(ベルギー)
97年 ブロシャール(仏)
98年 カメンツィン(スイス)
99年 フレイレ(スペイン)
00年 ヴァインスタインス
01年 フレイレ(スペイン)
02年 チポッリーニ(伊)
03年 アスタルロア(スペイン)
04年 フレイレ(スペイン)
05年 ボーネン(ベルギー)

■ ザルツブルグの世界戦06 公式サイト発信中

公式サイトはここ: http://www.salzburg-2006.com/en/

■ ザルツブルグの世界戦06 スケジュール

9月20日 エリート女子TT、U23TT
9月21日 エリート男子TT
9月23日 ロード女子、U23ロード
9月24日 ロード男子

(Photo: 05 TdRにて。ウォームアップ中のレベッリン。鼻に刺さっているのはメンソール)

■ 2006.01.10 (Tue)  ツールでインドゥラインをアシストした、唯一の現役選手
grp0110081653.jpg 574×524 117Kインドゥラインは1991〜95年にかけて、ツールで5勝した。しかし、彼も、アシストたちもみんな既に引退してしまった。ただひとりを除いては。。。

インドゥラインのアシストで、現在もまだ現役で走っているのはホセルイス・アリエタ、ただ一人。バレアレスからパコと一緒にAG2Rに移籍するバスク・ナバラ県の選手だ。

彼がAG2Rのジャージを着る姿は想像できない、と妻が語っているように、アリエタは93年のプロ入り以来、バネストから離れたことがない。34歳2児の父親にして、移籍初体験。


インドゥラインのアシストとして、唯一現役選手であることをどう思うか?

アリエタ:「その事実は、言われるまで気付かなかった。時があっという間に駆け抜けていって、そういうことを考える暇がなかったよ。」

プロ現役13年の秘訣は?

アリエタ:「モチベーションと志。特に最近になって、楽しく走れるようになったんだ。」

AG2R移籍の経緯について

アリエタ:「多くの人が、僕がお金で動いたと見ているようだけど、AG2Rとバレアレスの年俸の差というのは、ほとんどなかったんだ。監督のエウセビオやマンセボとはよく話し合った。

マンセボは、たった一人でAG2Rに移籍したくなかったんだ。僕の経験とコンディションを考えて、彼は僕と一緒ならうまくいくと思ったようだった。

話し合いは1週間ぐらい続いた。マンセボは僕がそばにいてほしいと願った。エウセビオも状況を少しわかってくれた。

後になって監督はちょっと後悔したみたいだったけど、いずれにしても移籍させてくれた。違うジャージを着るのは変な感じだね。ずっと同じチームで走ってきたからさ。顔なじみのチームメートからも離れるのも、少し違和感があるよ。」

チームバスを間違ってしまうのでは?

アリエタ:(笑い)「あり得る話だね。何気にバレアレスのバスの所に行って、いつもどおりコーヒーを飲んでたりして。。」

今年の目標

アリエタ:「オーストラリアのTDUが初レース。パリ〜ニース、パイス・バスコで特に頑張りたい。その後6月までは、カタルーニャ、ドーフィネに出場予定だ。でも全ての照準はツールさ。」

アシストの仕事は、いつも報われるものか?

アリエタ:「そうとは限らない。誰からもねぎらいの言葉といった報いがない時もある。真価の評価は、プロトン、同僚、監督たちに任せるしかない。」

(Photo:TdR04 サンディオ(左)とアリエタのバスク・ナバロ地方コンビ。)
ソース:バスク・ネット

■ 2006.01.11 (Wed)  ケスデパーニュの新ウエア。種類は2種類。生地はバイクのカーボン柄
■ ケスデパーニュ・バレアレスのNewジャージ :スペイン用とフランス用
■ さらに注意して見てください。上下のウエアの生地は、バイクのカーボンの柄です。



スペインレース用
写真のモデルはサンディオ。(あれ、サンディオ、2年間馴染んだ三つ編み切っちゃった!!)


フランスレース用
写真のモデルはAG2Rから移籍してきたニコラ・ポータル。2つの写真ともPhotocopyright@ケスデパーニュ

クイックステップ、ミルラムがチームプレゼンを行ったが(小ネタ)、このほどケスデパーニュの新ジャージも公開になった。上下黒主体でかなりイメチェン。ケスデパーニュのイメージであるリスのイラストは入らなかったが、リスをかたどったあの赤いロゴは入っている。

”ジャージは黒いカーボン色”。つまり、生地がバイクのカーボン模様使いになっている。サンディオの写真の拡大版で見るとわかる。

フランスレース用とスペインレース用のジャージは、全く同一でロゴが入れ替わるだけ、という説と、黒と赤の部分が逆転するという説の2説あった。しかし、結局同一柄でロゴの入れ替えということで落ち着いた。

ピナレロのバイクも、このジャージ同様のカラリングとなる。



ペタッキはやっぱりツールに出る。でもジロにも。さらに多分ヴエルタも。ツァベルはグリーンジャージを狙う。。

ミルラムのプレゼンでの注目は、ペタッキvsツァベルのレースシェア。この日明らかになったのは、ペタッキは「コースは嫌いだ」と言いつつもジロに出場するという点。

ツールにはツァベルと共に出場する。ツァベルはグリーンジャージを狙うという。「お互いプロだから問題ない」とツァベルは言うが、一体どうやって・・・?さらにペタッキは、ヴエルタ出場も一応暫定プログラムに入っている。再び3大ツール全てに出場する可能性もある。

■ 2006.01.11 (Wed)  ハミルトン最後のチャンス公聴会終了
grp0111224216.jpg 113×130 17KUSAアンチドーピングでヒアリングを行い、さらにその後スポーツ調停所で公聴会を行ったハミルトン。予告どおり先日10日にスポーツ調停所で2度目となる公聴会が開かれた。ハミルトンにとってこれが最後のチャンス。

ハミルトンは、”名誉のための戦い”であることを明らかにした。さらに、04年9月から2年間のレース出場停止処分を破棄することを求めた。

更に、今回の公聴会では、様々な関係者からも事情を聞いた。
04年9月以来、ハミルトンには血液ドーピングの疑いがかかっている。

結論が出るまでには、「数週間」と言われている。写真は04ツールの最終日。リタイヤしていたハミルトンが、シャンゼリゼに妻のヘイヴンとともに現われた。これが生ハミルトン目撃写真最後の一枚だ。

■ 2006.01.13 (Fri)  バルトリ:ライディング・フォームで魅せる
grp0113074537.jpg 420×480 77K『バルトリの話題が出ていましたね。私はバルトリの低いハンドルポジションでダンシングする姿に憧れた(MG-GBやasics時代)ものでした。

彼は先月?のイタリアの自転車雑誌(Bicisportだと思う)にペタッキと共に世界選を反省する(??)的な特集に載っていました。両者とも黒っぽいタイトな私服で、海岸線を歩く二人はモデルのようでした。“ベッティーニにしてやられた”二人としては、何となくウマが合うのでしょうか…』
(届いたメールから)


■ “ベッティーニにしてやられた”二人 :ペタッキとバルトリ

この意味がよくわからない人のために補足。

ベッティーニは、今でこそチームリーダーだったが、2000年当時はバルトリのスーパーアシストだった。しかし、2人の仲は2000年のプルエの世界戦で切り裂かれた。

バルトリはレース後、ベッティーニがイタリアチームとして、自分を充分サポートしなかったと非難。「事前にベッティーニは自分のスプリントをすることになっていたのに、命令に従わなかった」。

その当時のビチスポルト誌には、見開き写真で、レース後、2人が同じホテルの部屋で、超気まずそうに離れ離れで突っ立っている写真が載っていた。

バツが悪そうで、困った顔のベッティーニ。こめかみがピクピクして、怒り心頭のバルトリ。。。

ただ、あの時バルトリが優勝できなかったのは、彼自身の問題だ、それをアシストのせいにすべきでない、と指摘する声も一部であったが。(世界戦00の結果はこの欄の一番下に掲載。)

いずれにしても、というわけで、上記の“ベッティーニにしてやられた二人”というコメントにつながる。(ペタッキは去年の世界戦で、優勝できなかった。そして、あの時のベッティーニの動きも、少々不穏・意味不明だった。)


■ バルトリのライディング・フォームに憧れた人たち。。。

上記のコメントに「バルトリの低いハンドルポジションでダンシングする姿に憧れた。。」とあるが、それは彼だけではなさそうだ。バルトリのライディングフォームをすごいと思っている人は多いはず。

現に、本サイト内の「サロン・ド・カフェ」の人気投票でも、過去4人の人たちが好きな選手(チーム)にバルトリの名前を挙げている。

● ゴウ-ダマンさん
好きな選手 : バルトリ
理由 :ライディングフォームがかっこいい

● colnagist さん より
好きな選手 : バルトリ
理由 :文句なしにポジションがかっくいい!ひとりでCT−1乗ってるし...

● パーツマニアさん より
好きなチーム:マペイ
理由 :クラシックレースが好きだから。バルトリの前傾姿勢はすごいぞ

● かーボンさん より
好きな選手 :バルトリ
理由:何度でもアタックするから。


■ 上半身の筋力

あのフォームを見ると、バルトリの背筋力・腹筋力のすごさを感じる。

女子アマで表彰台によく乗るMさんと話したことがある。彼女いわく、「調子が落ちると上半身を鍛えるようにしている」とのこと。彼女が強いわけは、水泳で上半身がもともと強かったからだそうだ。

■ 2000年プルエの世界戦

順位おさらい:
優勝:R・ヴァインスタインス(LAT)
2位:Z・スプルッチ(POL)
3位:O・フレイレ(スペイン)
4位:M・バルトリ(伊)
5位:T・シュタインハウザー(独)
6位:N・エーベルゾルト(スイス)
7位:S・サンダーランド(豪)
8位:W・チャン・マカエ(米)
9位:P・ベッティーニ(伊)

(Photo:01年ツール・グルノーブルのTTにて)

■ 2006.01.14 (Sat)  浅田監督の新チームが UCI に登録
UCI のサイトに浅田監督の新チームがコンチネンタルチームとして登録されています。UCI 登録情報へ(JUMP)

チーム名は "CYCLE RACING TEAM VANG (VAN)" 、メンバーは福島兄弟を始め元アンカー主力選手で構成されている模様。
(Special Thanks to N・Cさん)

■ 2006.01.15 (Sun)  直前に鎖骨骨折。ロベルト・エラスのヒアリング終了
heras5.jpg 480×640 104K予定通り、1月13日にスペイン競技連盟委員会の公聴会に弁護士のブセダ氏を引き連れて現われたロベルト・エラス。委員会メンバーを前にして、反論内容を述べ、関連書類を提出。2年間の出場停止処分の撤回・軽減を求めた。

エラス側の反論論拠は、主にEPO検出手法・分析手法に対する不備をついたものとなっている と見られている。

エラスは、冬のトレーニング中、落車で鎖骨を骨折。このヒアリングの8日前のことだった。しかし、5日後にはローラーで既にトレーニングを再開したという。

■ 2006.01.15 (Sun)  ロベルト・エラスのヒアリング その2
heras2-b.jpg 515×452 100Kエラスのヒアリングは終わった。しかし、その抗弁の質は、エラスの真価を問うものになる。変な屁理屈をこねて嫌疑を抜け出ようとするのでなく、揺るがしようのない証拠を提出してほしい。。。

アス紙の論説委員ゴンサロ氏が、そんな内容の論説を出した。今回のエラスの報道を伝えるメディアは似たり寄ったりだが、そんな中、一味違う切り口で今回のことを述べている。以下抄訳:

『ロベルト・エラスは、スペイン自転車競技連盟の委員会に赴いた。彼の代理人を務めるのはブセダ弁護士。エラスの潔白について抗弁した。

4人の弁護士が同席して、ブセダ氏の抗弁を公聴した。しかし、これは裁判でもないし、この公聴会だけで決議に至るというものでもない。

ブセダ氏が弾劾するのは、エラスに対する深刻な処分内容だ。過去の彼の戦歴を傷つけ、選手生命を終わらせる可能性のある2年間の出場停止の処分の取消を求める。

しかし、ブセダ氏は、一体どんなことを申し立てるつもりか?

サンプル保存状態の不備か?分析の立会人が偏っていた点か?分析所の手法の誤りを指摘するのか?本件に関する事前情報漏えいを弾劾するのか?いろいろと可能性がある。

自分としては、エラス側には、処分の決め手となったラボ側の証拠を真っ向から否定できるものを出して欲しい。不動の証拠を提示して欲しい、と願っている。

そういう抗弁内容であれば、エラスがEPOを摂取していないということについて、誰もが納得いくだろう。

もしも、エラスを救済するための弁明が、法規制の網目をかいくぐった内容だったり、重箱の隅をつつくだけの抗弁であれば、エラスを疑惑から解放することはできない。彼は薬物を摂取したと見なされる。

抗弁するという行為は、法により誰にでも与えられている権利である。しかし、時として確固たる証拠のない言い訳が目立ち、そうなるとスポーツ選手に対する不信感は返って増すばかりだ。

エラスは、過去の出来事について弁明し、自分の未来を防衛しようとしている。しかし、一体どうやって防衛線を張ろうとしているのだろうか?推移を見守りたい。』


ちなみに、エラス及び弁護士のブセダ氏は13日に行われたヒアリングに関して、一切ノーコメントを貫いている。

写真はTDR05 プロローグ前のウォームアップ。自由の女神は、エラスに微笑むのか?

■ 2006.01.16 (Mon)  昨今 自転車界のキーワードは「バイオメカニックス」。新しいようでいて、起源はソクラテス、アリストテレスに遡る。
ogu.jpg 448×381 76K本日付け小ネタの「エウスカルテル近況」で触れたバイオメカニックスについてサイド・インフォメーション。

● スポーツ生体力学ってなんだ?アリストテレスが開拓者らしい。。。

まず、『バイオメカニックスとは、行動する生体の運動の力学的な性質を、生体の解剖学、生理学、心理学等の特性を考慮して考察の対象とする研究分野である。』静岡大学のサイトの説明から

つまり生物の構造の特徴によって引出される運動能力・メカニズムを多角的に研究する学問がそれに該当する。解析対象は骨、皮膚、動脈からコラーゲン、タンパク質などの解析から分子レベルにまで及ぶ。

例えば、鳥のエアロダイナミックスの研究、虫の飛翔研究、魚の水中流体形の研究、なども範疇に入る。人間のバイオダイナミックス研究は、特に運動療法の分野で活用されている。

個々の生物の特徴がそれぞれの能力(飛ぶ、泳ぐ、這う etc)を決定し、さらに分子レベルにまで及ぶ個人差が、各個人の運動能力差を生む。

自転車選手・チームは、今やこのバイオダイナミックスを活発に活用し始めている。自分のカラダの特徴をよく知ろう=最大限のパフォーマンスを引出そうという信念が根底にある。

このバイオダイナミックスは、一見新しい科学のように思われるが、古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)にまで遡るという。

彼がまずこのバイオメカニックスの考えの端緒を切る。即ち、“世界を知るには人間の体の内部メカニズムを知ることである”、という最初の思想を打ち立てた。

その後、それを書き物で著したのが、BC384年生まれのアリストテレス。著書「De Motu Animalium」=意味は「On the Movement of Animals」が、現在のバイオメカニックスの原型となる。

アリストテレスは、マケドニア王の侍医の息子らしいので、興味がそちらに向いたのも納得だ。

著書の中でアリストテレスは、動物の体をメカニックシステムと見なした。更に、イメージする行動と、実際のパフォーマンスの間のギャップを生理学的に解き明かそうとした。


● 最近の自転車選手の流行:バイオメカニックスで自分のカラダを徹底的に知る

バイオメカニックスについては、04年、USPからコフィディスに移籍した時、マット・ホワイトが興味深いことを言っている。

『USP在籍時代は、トレックのバイクは棚卸品、つまり一般の市販品だったから、シートアングルなどのチョイスはなかった。でも、コフィディスに移籍してから、バイクはカスタムメードになった。これは逆に悩みをもたらした。

そこで、僕はオーストラリアのバイオメカニックスの第一人者ブライアン・マクレーンのもとに飛んだ。彼の手元には、過去10年にわたる僕の体に関する膨大なデータがある。それをもとに、ブライアンは苦もなく僕に最適なポジションをはじいてくれた。

でも、それゆえに、今後レースで不調になった時、ポジショニングが悪かったという言い訳は効かなくなる。不調イコール自分の肉体的弱さの露呈ということになってしまうのだ。』

ホワイトの所属チーム: ジャイアント=>アモーレエヴィータ=>ヴィーニカルディローラ=>USP=>コフィディス=>ディスカバリー

(Photo: 04ツール。休息日の午前中、ずっとバイクの調整にいそしむトンバックとオグレイディ右)

* バイオメカニックスに関して参照文献:「A Genealogy of Biomechanics」、「De motu animalium」、「Wikipedia」
* マット・ホワイトのコメントの出典:「Cycling Review RIDE 2004年Vol.1」

■ 2006.01.16 (Mon)  Tモバイル:「子供たちに教育を!」 ユニセフに協力して、南部アフリカに学校を設立。目標5000校
sinke.jpg 448×389 57KTモバイルが、ユニセフの慈善事業に協力して、南部アフリカに学校を設立するキャンペーンを開始。学校といっても自転車学校ではない。深刻な文盲率を緩和するための、教育の場の提供だ。

自転車チームが世界に対してできること。こういう形で実現するのはすごい。でも、余力がなければなかなかできない。Tモバイルの懐の深さを痛感する。

携帯電話会社TモバイルとTモバイルチームは、国連児童基金ユニセフとタイアップして、「アフリカに学校を」という慈善事業をスタートした。南部アフリカの子供たちに、今一番必要なもの=“教育”を供与しようというプログラム。

「アフリカに学校を」プログラムは、もともと・ノーベル平和賞を受賞した南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラ氏が提唱した。

現状では、南部アフリカの男の子の40%、女の子の43%が、小学校にも行っていない。特に地方で状況が芳しくない。貧困やAIDSがそれに拍車をかける。

実は、マンデラ氏の長男もAIDSで亡くなっていたことが最近になって公開されている。

エリアを”南部”アフリカに限ったのは、Tモバイルやヤンの冬季キャンプが例年南アフリカであることに起因するのではなかろうか。(後注:やはりそのようだ。)

スポンサーのTモバイルとチームは、今後長年にわたってこの活動をサポートするという。

対象となる南部アフリカ地域は、ルワンダ(最近、映画「ホテル・ルワンダ」で実際に起こった虐殺が扱われている)、ジンバブエ、アンゴラ、マラウィ、南アフリカ。現地では、1万ユーロあれば排水・水洗施設の整った学校ができるという。

Tモバイルは、UCIレースのうち、チーム選手があげた優勝1回につき3000ユーロずつ寄付していく。

Tモバイルの「アフリカに学校を」キャンペーンのキックオフは、マヨルカ島のチームプレゼンの時に行われた。その際、第一号の学校が、Tモバイルのマーケティング担当者からユニセフ担当者にプレゼントされた。

南部アフリカでは、学校に行けない子供たちが4千500万人いるという。これら6カ国に5000校の学校を設立することにより、子供たちに明るい未来を与えたい、それがユニセフの願い。

去年12月に、ケスラー、シンケヴィッツ(写真は04JCの時)、ウルリッヒが現地視察に加わっている。南アフリカのケープタウンで、AIDSに罹患した家族や孤児院を訪問した。(訪問時のスライドショー)

ウルリッヒも、それまでそういった問題を耳にはしていたものの、惨状を実際に目の当たりにすると、心を突き動かされる、と語っている。

献金活動は、1優勝あたり3000ユーロの寄付だけでなく、トレーニングの距離に応じた寄付金、オークション、献金の呼びかけなどなど、様々な形で行っていく。今年末までに、設立目標は20校だ。


■ 慈善事業と自転車競技

小ネタで入れたとおり、エウスカルテルが小児病棟を訪れて、クリスマスに自宅に帰れない子供たちを励ました。そのほか、バイクのオークションをチャリティー事業に寄付したりするケースも。

もっとも、チャリティーという意味では、その最先端をいくのがアームストロング基金だろう。ランスは基金だけでなく、Ride For The RosesやTour Of Hopeなどのチャリティーレースも開催している。

その他、多発性硬化症患者基金を設立したタイラー・ハミルトンは、基金を集めるために、サインを競売にかけたりしている。

ヤン・ウルリッヒが昨年の津波の被害者にポケットマネーを寄付したことも記憶に新しい。

CNの記事から
ユニセフのサイトのトップ頁にも
Tモバイルのサイトに載っている内容が一番詳しい

■ 2006.01.17 (Tue)  ツアー・ダウン・アンダーのチームプレゼンテーション
saunier.jpg 640×480 83Kツアー・ダウン・アンダー(TDU)は本日いよいよ開幕。レース模様はこちらに譲るとして、以下事前のプレゼンテーションの様子。

写真一覧はこちら:

こっちの写真は参加選手全員。去年優勝したルイス・レオン・サンチェス率いるリバティーが最前列。後ろにずらりとその他の選手たちが並んで壮観なり。

先日小ネタに入れた例のリバティーのNewジャージ。他に比べて一段と地味だけど、この↑写真をよく見ると、去年までのライトブルーの入ったジャージを着ているチームがやけに多い(ミルラム、AG2R、ブイグ、ナヴィゲーター)。となると、このジャージはレース中、地味だけど逆に目立ちそうだ。

その地味なリバティーのジャージ:JUMP

1/10に小ネタで触れたミルラムの前掛けは置いておいて、こちらダヴィタモン・ロットのチーム紹介が乱れているように見えるのは、単にひとり身長の高さを乱す選手がいるせい。:JUMP

ひとりずば抜けて背が高いのは、ヨハン・ヴァンスメレン。身長197cm。アクセル・メルクスもでかいけど、彼でさえ191cmだ。ヨハンの趣味は自転車とコーヒーを飲むこと。彼のHPには自宅のアドレスまで入っている。http://www.johanvansummeren.tk

ちなみにアクセル・メルクスは、今だにロットのイメージが強いけど、今年からフォナックへ移籍した。なんとなくあの緑のジャージ姿が想像できない。

いずれにしても、このTDUのチームプレゼンを見て、やけに豪華でびっくり。はっきり言って一部のプロツアーよりも盛大なプレゼンだ。

例えば、レース開始前の壇上で選手名点呼で終わったパリ〜ツール、予算がかなり寂しくてプレゼンなしのロマンディ。。とかね。

ポディウムガールたちの衣装にしても、シーズン開幕を告げるに相応しく、華やかさを演出している。ああ、レースシーズンが遂に始まったか、そんな思いを抱かせる。

---*
写真は、その地味なパリ〜ツールのプレゼン。レース直前のこと。

チームは横一列に並んで、自分の名前が呼ばれたら手を上げるだけ。ただ、サウニエルだけは、なにか仕掛けたくて、わざと紹介前に椅子にこしかけていた。そして点呼が始まるや否や、こんな風に颯爽と登場したのだった。

■ 2006.01.18 (Wed)  近頃あの人あの台詞
freire-b.jpg 468×431 74Kオスカル・フレイレ編

■ 「スポーツの世界では、全てのことがあっという間に忘れ去られてしまう」

― 去年は3ヶ月しか走れなかったのに、年間最多勝利スペイン人となりましたね?

フレイレ:「年初は調子がよかったからね。でも、一体その事実をどれだけの人が覚えていることか?スポーツの世界では、全てのことがあっという間に忘れ去られてしまう。コンスタントに応援に応えないとダメなんだよ。僕は4月で消滅してしまった。

特に世界戦に出られなかったのは辛かった。いいチャンスだったのに。僕が出場していたら、レース展開も変っていたと思う。」

ちなみにフレイレは、今もまだ腰痛に苦しんでいる。手術したのは昨年6月。半年経ってもまだ完治していない。腰はビタリシオ時代から、彼の弱点だ。全体重を支える重要な部分だけに治りにくい、と本人の弁。


■ 「フレチャ加入でチーム内ライバルだって?そんなことはない。マペイの時は最悪だったけど。」

フレイレがマペイに籍していた時代、トクダネにフレイレのコメントを掲載したことがある。

「マペイでは、チームメートはみんなバルトリ、ザニーニといったイタリアンヒーローのアシストに回ってしまう。ゴールスプリントでチームメートは誰も僕のアシストをしてくれない。僕のアシストはチームではオリヨしかいなかった。彼がレースに出ていない時、僕を優勝させようとする同僚は誰ひとりいなかった。」

だから、彼がラボバンク移籍を決めた時、オリヨを同行させたかった。しかし、初年度はそれが叶わず。漸く去年それが叶ったという経緯がある。それを踏まえて、下記のフレイレのコメント:

― ラボバンクにフアン・アントニオ・フレチャが加入して、2人の間で優勝争いはどう対処するつもり?

フレイレ:「一番最悪だったのは、僕がマペイで走っていた時じゃない?(笑)あの時チームには、クラシックで勝てる可能性のある選手がごちゃまんといたからね。でもフレチャとなら、全く問題は無い。レースが自然に決着をつけるだろうから。

ボーヘルトとだって同じさ。彼はアムステルはL-B-Lで輝いている。今シーズンが最後となるデッケルとも同じレースで走ったけど、全く問題なかったね。」


■ 「2009年 33歳まで選手を続けるつもりだよ。だって、ケガが多くて、この8年間でたった300日しかレースに出場していないんだ。」

― 今年の世界戦のザルツブルグのコースは知ってる?

フレイレ:「マドリッドと似ているね。ただ距離が長いから、その分きついだろう。250kmを超えると、途端に距離の重みがずっしりくるものさ。

実はね、07年シュツットガルトのコース以外は、全ての世界戦のコースに馴染みがあるんだ。08年のヴェレーゼと09年のトレヴィーゾは、僕の家から近いんだよ。」

― え?2009年まで走るつもり?その時は、33歳でしょう?

フレイレ:「もちろんさ。だって、絶え間ないケガのせいで、8年間で300日程度しかレースに出場できていないんだ。もっとも、それまで走れるかどうかは、精神面にかかっていると思うけどね。」
source: AS Diario

Photo: TDF03 Pauのレストランにて

■ 2006.01.19 (Thu)  近頃あの人あの台詞
lance8.jpg 441×412 68Kアームストロング編

今更ランスのインタビューでもなかろう、、、と思っていたけど、引退したからこそ言える台詞、といった内容で意外に(?)目新しかった。

■ 「もしも癌になっていなかったら、ツールでは1度も優勝できなかっただろう」

「もしも病気を患わなかったら自分の人生やレースを再考することはしなかっただろう。そして、もしも癌になっていなかったら、ツールでは1度も勝てなかっただろう。」

「自分は魔法の力があるわけではないが、(病気の後は)魔法を信じたくなる何かが そこにあった。」

そして99年のEPO摂取疑惑については、

「もし世界を制覇すれば、常に疑問や疑惑はつきまとうものさ。」
(以上今日のアス誌から)


「癌撲滅という僕の新しいツール・ド・フランスが始まる。道のりは今まで以上に長くて、もっと厳しい。」

「癌と闘うこと、健康推進すること、これが僕の新しいツール・ド・フランスなんだ。」

「これが僕の新しいレース。道のりはもっと長くて、もっと厳しい。人々の健康を改善できれば、病気を乗り越えるための力を与えられれば、このレースで僕は上出来ということになる。」

(以上Pacelineのリンクから)
(Photo:TDF05 ポーのスタート地点)

■ 2006.01.20 (Fri)  平均年齢が一番若いチーム。FDJ創立10周年。
FDJのチームプレゼンテーションが19日に行われた。場所はパリのポルトマイヨそばにあるパヴィヨン・ダルモノンヴィル。式典などに使われる場所。

集合写真でマギー、ダクリューズらが両手を広げているわけ。。両手は「10」を示している。そう、今年FDJはチーム設立10周年なのだ。全部の写真を見るー JUMP。チームは今年も白基調のジャージ。
プレゼン紹介の前に、まず過去のジャージを振り返ると、余り目立った変化なし。



FDJ Year 2000
マンジャン(右)とマニアン。この年はグレーの色が目立つジャージだった。マンジャンは97年にFDJ移籍。その年から毎年ツールに出場・完走していた。大怪我に泣いた昨年を除いて。


FDJ Year 2001
この年、白い部分が増えたFDJのジャージ。写真は(流し目が得意の)ヴォゴンディ。チームはこの年Div2だった。当時選手数は18人。この時は、今に比べて地味な雰囲気だった。


FDJ Year 2002
ジャッキー・デュランはカストラマ 〜 Agrigelで走った後、カジノ 〜 ロットを経て00〜03年までFDJに在籍。果敢な逃げで注目を浴びる。翌年ランドバウに移籍して、同年引退した。


FDJ Year 2003
バネストが、前年IBANESTO.COMにチーム名を変えたように、この年からチーム名はFDJEUX.COM。期待のフィリップ・ジルベールが21歳で加入したのもこの年。写真は山で遅れるマギー。


FDJ Year 2004
チーム名はこの年もFDJEUX.COM。この年からジャージが真っ白に。背中のクローバーマークが目立つ。写真はアイゼル。オーストリアから知り合いが来ていて、レース前話し込んでいた。


FDJ Year 2005
監督が注目するルクヴィスト。ツール05にて。去年もジャージは上下真っ白。ツールでは新人賞の白ジャージと紛らわしい。昔のオンセみたいに、ツールの時だけピンク色のジャージにするとか?
---*

マディオ監督の口癖は、「若い選手に賭ける」ということだが、今年もFDJは一番若いプロチームとなった。平均年齢は26.3歳。そして、今年 監督が期待を寄せるのはチームのカルテット4人衆。

「今年4人の若い選手がリーダーだ。サンディ・カザール25歳、ブラッドリー・マギー28歳、ベルギー人のフィリップ・ジルベール23歳、スウェーデン人のトマス・ルクヴィスト21歳。

彼らはうちのチームで何年も走った選手たち。つまり、我々が育て上げた選手たちだ。蒔いた種を、今年は収穫する年となるだろう。特にルクヴィストとジルベールはグランツールで優勝するようなポテンシャルがある。今年開花してくれるだろう。

選手は全部で27人。うち14人がFDJでプロ入りした。」と述べ、FDJの若手選手育成の姿勢を強調する。

新加入は5人。CAからルブランシェ27歳、ジョリ26歳、ファッサからラーション26歳。そしてネオプロのパタション26歳、ラダグニョス 20歳。

一方で、クリストフ・マンジャン37歳とフレデリック・ゲドン34歳のベテラン組も健在。
ゲドンといえば、96年今中大介元選手と同じポルティにいた選手だ。まだ現役を続けている。

■ 2006.01.21 (Sat)  コフィディスも10周年。モンクティエは洗車嫌い
FDJに続きコフィディスもチームプレゼンが行われ、同じく10周年を祝った。(記念のケーキを前にポーズ)。 / サムネイル

チーム創設は1997年。シリル・ギマールがコフィディス創設に関わった。ギマールは元フランスチャンピオン。イノー、フィニヨン、ヴァンインプらを育てた監督として知られる。

現在コフィディス(電話一本でキャッシング、、、が売りの信販会社)の会長はフランソワ・ミグレンという人物。彼は、自転車競技の熱心な崇拝者。こういう人がチームを支えているから、チームは幾多の困難も乗り越えてきた。(2004年、ミラー、クランらの薬物騒動もそのひとつ。)

このミグレン氏は、プレゼンなどの会合の時、選手ひとりひとりに声をかけていく。例えば2年前、ホワイトがコフィディスに入団した際などは、彼のアシストとしての評判を評価し、「レースによっては、リーダーになって走ってほしい」とじかに声をかけたりしている。

チームスポンサーの会長が、全ての選手の特徴を把握し、各自に激励を送っていた姿に、ホワイトは感激・感心していた。そして、「ミグレン(Migraine)氏は、決して頭痛のタネなんかではない」と述べた。(Migraineとは偏頭痛の意味)。

マペイもそうだったが、トップが自転車競技に理解があると、比較的安定したチーム運営が可能になる。コフィディスもその例だろう。

さて、2006年メンバーも発表となり、各選手のプロフィールが公開されている。読んでいると、各自の個性が滲んでいて面白い。順次コフィディスの選手のプロフィール内容を紹介したい。まず第一弾は下記3人:

ダヴィ・モンクティエ

● 自分を洋服に例えるなら:Tシャツ

● バイクを構成する中で好きな部分:タイヤ

● 無人島に持っていく物:CDプレーヤー。音楽がめちゃくちゃ好きなんだ。

● 日常生活で好きなこと:インターネット接続(MSN)

● 日常生活で嫌いなこと:バイクの洗車

● 他人は自分をどう評価しているか?:秘めた力だと。

● 勝ちたいレース:ツールの山岳ステージ・山頂ゴール
ビンゲン・フェルナンデス

● バイクを構成する中で好きな部分:タイヤ

● 好きなスポーツ:陸上

● 無人島に持っていく物:(火をおこすための)ライター

● 日常生活で嫌いなこと:尊敬の欠落

● 今年の目標:2005年よりいい結果を残すこと

● 勝ちたいレース:パイス・バスコ。スペイン人だからね!

● ファンへのメッセージ:勝っている時も負けている時もそばにいてほしい。
シルヴァン・シャヴァネル

● バイクを構成する中で好きな部分:シートポスト

● 無人島に持っていく物:息子からのプレゼントと妻と息子の写真

● 日常生活で好きなこと:ガーデニングと日曜大工

● 日常生活で嫌いなこと:何もしないでいること!

● 今年の目標:レースで勝つこと。でもどのレースかは明かさない。それはサプライズに残して、自分のみに秘めておく。

● ファンへのメッセージ:僕の短所も受け入れて、ありのままの僕を応援してほしい。そして、応援するアスリートの批判はしないでほしい。

上記コメントはコフィディスのサイトから抜粋
写真は全て2005L-B-Lの時に撮影したもの。

■ 2006.01.22 (Sun)  「ここでアタックしなければ車で轢いてしまうぞ!!」と監督から怒鳴られてツールで優勝した人
hinaut.jpg 341×443 56K昨日少し触れたシリル・ギマール。コフィディス創設に尽力しただけでなく、過去、イノー、フィニヨン、ヴァン・インプを育てた。自転車関連の資料などによく名前が出てくる人物だが、一体何者か?

彼は元自転車選手。60〜70年代に活躍した。アマ時代ロードチャンピオンになり、ツールでステージ優勝やヴエルタでポイント賞を獲得したりした。彼は当時ジタン・カンパニョーロチームのリーダーだった。

1976年、彼は引退して、28歳の若さでチームジタンの監督になった。監督になる条件はズバリ2つ。自由な采配を任せてくれることと、イノーをチームと契約させること。若いイノーの才能を見込んでいた。

ギマールを更に有名にしたのは1976年のツール。彼の使命はヴァン・インプを優勝させることだった。ラルプデュエズのステージで、ヴァン・インプはヨープ・ズートメルクに手を焼いていた。そしてアタックすることを拒んでいた。

監督車でレースを追っていたギマールがヴァン・インプに向かって叫ぶ。「ここでアタックしなければ、車で轢いてしまうぞ!」

それで目が覚めたヴァン・インプ。アグレッシブに走って見事ツールで優勝した。ギマールは、ヴァン・インプの弱点を見抜いていた。「子供のように危険なことに怯える性格」であると。「だから、彼の性格に反することをさせる必要があった。」

また、機が熟すまで選手を無理にビッグレースには出さないというモラトリアム的な考えをレースに取り入れたのも彼だった。例えばイノーのツールデビューを遅らせたのもその考えに基づく。

選手を勝たせる術を知っていた監督だと言われるゆえんでもある。

その個性の強さから、選手と対立もあった。イノーとも遂に決裂する。1978, 1979, 1981, 1982年ツールで優勝したイノーだが、83年は敢えなく途中リタイヤに。結局優勝は、アシストだったフィニヨンの手に。

これを機にイノーはラ・ヴィクレールに移籍。ギマールと袂を分かった。「ギマールとは議論してはならない。君はただ聞くだけだ。」とイノーは語っている。

ラ・ヴィクレールでは、スイス人監督コークリがイノーを再生した。瞑想やリラックスすることを教え、イノーは85年、再びツールチャンピオンとして復活したのだった。

一方、イノーが去った後、ギマールはフィニヨンをイノーの後継者とした。フィニヨンをチャンピオンにしたのはギマールの手腕だった。それだけに、2人の絆には深いものがある。

かつてオンセは強いチームスピリットを有するチームと言われた。Molteniは最も忠実なアシストを有するチームと言われた。そして、7イレブンはとても暖かい雰囲気のチームであると言われた。しかし、ジタンはそれら全ての美点を持ち合わせたチームであった、とも言われている。


● オマケ:チーム・ジタンの歴史:

1955年 チームジタン・ハチンソンとして設立。その後60年前半には、サブスポンサーが目まぐるしく変り、その後:
1965年:ジタン・フォード・フランス
1974年:ジタン・ソノロール
1975年:ジタン・カンパニョーロ
1978年:ルノー・ジタン・カンパニョーロ
1981年:ルノー・ジタン・エルフ

83年にジタンはスポンサーを終えるが、ルノー・エルフが存続し、その後システムU 〜 スーパーU 〜 カストラマらがその流れを引き継いだ。カストラマが幕を閉じた1995年、この血筋は完全に幕を閉じた。

ギマールはジタンがチームスポンサーを終えてからも暫く監督を続け、その間は、ずっとジタンのフレームを使い続けた。

Photo:05年ツールのベルナール・イノー(サンテティエンヌにて)
(上記参考資料:Cycle Sport Issue Feb 2000)

■ 2006.01.23 (Mon)  FDJ今季既に4勝?!
mourey.jpg 275×499 42KFDJが今季既に4勝をマークした。といっても、プロツアーはパリ〜ニースまでお預けなので、それ以外のレースでのこと。

昨年もFDJはシーズン開始早々に、わんさかいろいろなレースで優勝した。ところが、プロツアーが始まってから、ぷっつりとそれが途絶えた。合計の優勝数は多いのに、プロツアーの優勝数となると激減だった。

今年もその二の舞にならなければいいが。やはりプロツアーの戦歴が、データ・数字の上では最優先されるのだから。

---*---
FDJのゲドンがプロローグで1勝。更にFDJのフィンランド人ヴェイカネンが第1ステージで2位のゲドンに16秒差をつけて優勝してマイヨ・ジョーヌを着用。そして第2ステージはジュグーが優勝。結局ヴェイカネンは最終日まで首位をキープして総合優勝。

トントン拍子で、FDJはヴェイカネンの総合優勝と3ステージ優勝の合計4勝を手に入れた。こんなニュースがFDJのサイトに掲載されている。

え?どのレースで?実はレース名が書いていない。唯一のカギは、「ゲドンがリーブルヴィルのコースで、、」と書いてある。リーブルヴィル、、、個人的に 仕事でよく接触がある場所。西アフリカ ガボンの首都。これ、ツール・デュ・ガボンの戦歴ということだ。

FDJは、ツール・デュ・ガボンこと「Tropicale Amissa Bongo」(トロピカーレ・アミッサ・ボンゴ 1月12〜15日)に、マンジャン、ゲドン、ジェラール、ジュグー、ヴェイカネン、ドゥティルーを送り込んだことがCNの1/5付けNews に、書かれている。

以前トクダネで紹介したFrance3のサイトにも、暫く前からこのトロピカーレ・アミッサ・ボンゴに出場中のFDJの様子がビデオで登場。

「フレッド(ゲドン)とともに、アフリカのサイクリングがどんなものか見たいと思っている」などとマンジャンが語っている。レースの様子もアフリカチックだ。

Tropicale Amissa Bongoを検索にかけると、ガボンのサイトが出てきて、毎日レースを細かくフォローしているのがわかる。このURL の中にある記事で、Sportと振られているものが、主にこのレースのリザルトと写真。

これを見ると、14日のレースでは、アルドワズィエ(タイム差を伝えるスレート係り)を乗せたオートバイが転倒し、選手たちにケガを負わせたことまで書いてある。さらに、ドーピングコントロールでは、全員シロだったといったことも。


■ ガボンって。。

ついでに仕事のパートナーでもあるガボン共和国について、ちょっぴり触れてみることに。西アフリカ、象牙海岸、ガボン、セネガル(首都は例のダカール)、カメルーン、トーゴ、ベナンなどは元フランス植民地。

仕事の相手としては、ガボンが一番やりやすい。国が豊かだと、得てしてトラブルもなく、仕事はスムーズだ。(他の国で よくあるのが金銭トラブル。)

ガボンはなんでも石油で潤っているという話を聞く。首都リーブルヴィルLibrevilleは自由都市の意味。植民地時代に首都がガボンから、このリーブルヴィルというフランス名に変えられた。

その後独立しても、そのままフランスの名称リーブルヴィルを使用し続けている。
ジンバブエとは対照的だ。ジンバブエは英国の当地下に置かれて、イギリス領南ローデシアとなり、首都も英国名のソールスベリーに変更となった。

しかし独立後、英国名ローデシアはジンバブエとなり、首都も英国名を捨てて、ハラレになった。南ア同様アパルトヘイト問題があり、独立を機に、白人的なものを排除したかったのだろう。

フランスの報道では元植民地ということもあり、西アフリカのニュースがよく出てくる。現地の人はフランス語を話す。(フランス3のビデオでも、ゲドンとマンジャンが現地のライダーと話をしているシーン登場。)時差もない。

これらを考えると、アフリカでレースをするということは、フランス人にしてみれば、日本でレースをすることよりも身近だろうと思う。


■ フランシス・ムレイはシクロで惜しくも2位

そしてFDJのサイトNewsのもうひとつの話題は、フランシス・ムレイがシクロクロスワールドカップ第9戦でニース(Nys)についで2位になったこと。世界チャンピオンに次いで2位ということで、堂々の成績。

ムレイというと、彼の熱狂的な追っかけファン(男性)に遭遇したことがある。男性にモテる選手、、、らしい。(写真はTDR'05のムレイ)

■ 2006.01.24 (Tue)  Tモバイル早くもツール布陣を公表。シンケヴッツ、セビーヤは現在補欠
Tモバイルは、早くも今年7月1〜23日開催のツールに出場するメンバーを一部公表した。

リーダー ウルリッヒを核に、クレーデン、ウクライナのゴンチャール、イタリア人のマッツォレーニ、オーストラリア人のロジャースが、目下出場予定。

一方で、シンケヴィッツ、ケスラー、Sシュレック(全てドイツ人)、セビーヤ(スペイン)、イワノフ(ロシア)、グエリーニ、ベルヌッチ(共にイタリア)らは、候補者リストに入っているが、まだ出場は未定。

(続く)

■ 2006.01.24 (Tue)  デイヴィッド・ミラーが口を開いた : 「処分のあと、住む家すらなかった」「フランスチームには戻りたくなかった。彼らのメンタリティーがイヤ」「拘束中、チームは誰も助けてくれなかった」、そして、警察で白状したときの瞬間など。
grp0124204248.jpg 221×373 40K復帰は6月23日。先日のBBCのインタビューに続いてミラーが沈黙を破った。今度は核心に触れた内容だ。取調べで白状した瞬間、彼が叫んだことなど、生々しい状況も浮かび上がる。


● 2年間の処分期間中、選手として復帰を確信していましたか?それとも疑問もありましたか?

ミラー : 実際は、そこまで考える余裕がなかった。余りに打撃が大きくて、とにかく英国に戻って、生活を立て直すことにした。僕には住む家すらなかったんだ。

フランスの司法からは、僕のコフィディスとの契約はこうなると違法とまで見なされて、勝ち得たもの全てを失ったんだ。最初の半年は、すごく苦しかった。ロンドン近郊に行って、祖父の家に泊まった。

僕がなし得たたったひとつのこと。それはただアルコールを飲むことだけだった。めちゃくちゃ飲んだ。でも、僕はこうした罰に値すると思った。

(しかしその後、彼は親、友人らの助けで徐々に立ち直る。今住んでいるマンチェスターの大学で、薬物療法を受けた。)その後、マンチェスターでガールフレンドとともに暮らすようになったんだ。

最初の1年間はバイクに乗らなかった。トレーニングに戻れたのは、英国トラック競技の仲間のおかげさ。彼らと一緒に、マンチェスターのトラックでトレーニングをして、自分が自転車選手であることを自覚できたんだ。


● なぜサウニエルを選んだの?

ミラー : 去年、まだ打ちひしがれていた時、元選手のK・ガルシア経由でマチン(サウニエルのスペイン人監督)が接触してきたんだ。彼が僕の背中を押してくれた。そしてジャネッティ(マネージャー)も電話で、「もしもいつか復帰する気持ちがあるんだったら、いつでも僕に電話をしてくれ」と言ってくれた。

他のチームからもそのあと接触もあったけど、最初にコンタクトしてくれたのがサウニエルだったんだ。


● フランスチームへの復帰の門は閉ざされていた?

ミラー : フランスチームは僕に興味を示さなかった。僕自身も興味がない。彼らのメンタリティーが好きではない。彼らはチームというより企業体質だ。自転車に対する情熱がない。


● コフィディスの元チームメートとは連絡をとりあった?

ミラー : いいや。オーストラリア人のS・オグレイディとM・ホワイト、それからフランス人ではヴァサーとチームドクターとだけ。


● 貴方のイメージがクリーンになる日はくると思いますか?

ミラー : 一部の人にとっては、決して僕がクリーンになることはないだろう。でも、理解してくれる人たちには、成績で証明したい。僕が人生の第二幕において、クリーンな選手に戻れるということを。


● EPOを摂取したことを、どのように説明しますか?

ミラー : 人生には重要な選択の局面があって、時に人は誤った決断をくだすことがある、と。そして僕の場合、代償は余りに大きかった。僕は偽善者じゃないから認める。勝ったレースの中には、ドーピングで勝ったものが確かに幾つかあった。


● (復帰して)何を見せつけたいですか?

ミラー : 3つある。
1.外部の補助なしでも闘えるということ。
2.クリーンな選手の象徴として生まれ変わること。
3.僕の例が若者にいい意味で教訓となったこと。
薬なしでは勝てないといった愚かな考えをする人がいる。でも、若い世代に、そんなことはないということを教えたい。


● 薬物摂取をあっさり認めたのは、警察の圧力のせい?

ミラー : 尋問は2日続いた。警察のプレッシャーがなかったといえば嘘になる。でも、最終的には正しい決断をした。どのみちこうなる。
拘束されても、チームは誰も助けてくれなかった。異様な状況で、最後には、「もういいよ!EPOを使用したよ。もうフランスも自転車も、どうでもいい!」、そう叫んだ。
告白を終えて、自転車競技はもう永遠に終わりかも、そう思った。


● 6/23にレース解禁になりますが、ツール前にレースには出ますか?

ミラー : ツールのプロローグがデビューさ。この日のためにじっくりトレーニングをする。スペシャルバイクも手配中。難しいのはわかってる。でも、短い距離だから、勝つチャンスはある。

今の僕は前より強い。チームドクターのイニゴ・サン・ミランとともに、ツールにベストで望めるようにプランを立てている。3週間耐え抜くには不十分だろう。でも、プロローグを目指す。その後は、クラシカ・サンセバスティアン。

そして、ヴエルタでは、ステージ優勝を狙いたい。あとは世界選手権と後半のクラシック。世界戦では、TTとロードの両方を走りたい。中でも、世界戦TT優勝が目標だね。


● 貴方のドーピング事件から1年半がたちました。状況は一般的に改善されていますか?解決策は?

ミラー : データを持っていないけど、改善されたと思う。僕のケース以来、UCIは実行力を蓄えた。検査も改善された。解決策は残念ながら持ち合わせていないけど、若者と一緒になって新しい自転車競技を目指すことが必要だ。


● 多くの友人を失った?

ミラー : 真実の友人は失わなかった。


● 将来の目標は?

ミラー : 来年だね。07ツールがロンドンスタートだという噂がある。そして初日はプロローグという可能性も聞いている。これはすごいモチベーションだね。あとはミラノ〜サンレモ、L-B-L、パリ〜ニース、ツール、ヴエルタなど来年に目標を定めている。


● 選手に戻った、という気分?

ミラー : というより人間に戻った気がする。間違いを犯した。そして、その代償は、たっぷり払った。

(出典:スペインの複数サイト混合。主にアスから。)

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97年コフィディスでプロ入りして、いきなりツール・ドラヴニールのプロローグを制したデイヴィッド・ミラー。彗星の如く現われて、ツールやヴエルタでステージ優勝。しかし、2年前のEPO購入・摂取事件でレース会場から姿を消した。

2年の出場停止処分は今年6/23に終了。レース復帰を果たす。本当は、当初処分は7月までだった。しかし、06ツール前に復帰ができるように、停止期間のスタート・終了を7月から6月に変更するよう交渉した。

薬物なしで勝てることを実証してみせる、とミラーは意気込んでいる。ツールで彼が誇らしげに走る姿が今から楽しみだ。
(Photo: 03 ツール)

■ 2006.01.25 (Wed)  シモーニ: サウニエルのチームプレゼンにて。今日も 負けん気炸裂!
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<<サウニエルのチームプレゼンで覗いたシモーニの素顔:Sum-up>>

■ ミルラム加入の口約束をしていたけど、「ペタッキにスプリントで敗れた」
■ ロンバルディアで怒りの走りを見せて2位に入ったのはサウニエルに加入するためだった
■ クーネゴとバルベルデだったら断然バルベルデ。クーネゴは僕にとっては、どおってことない。バッソもウルリッヒに比べたら劣る。クーネゴのせいで、僕は今サウニエルにいる。


-----*-----

● なぜ貴方ほどの人がイタリアチームで走らないのですか?

シモーニ :リクイガスにはジロで勝てるディルーカ、ランプレにはクーネゴがいた。僕はもともとはフェレッティ監督のチームのリーダーになるつもりだった。ところがプロジェクトは頓挫した。

実は、ミルラムに名称変更となったドミナヴァカンツェとも口約束をしてたんだ。ところが、そこにペタッキが現われて。彼は僕をスプリントで負かしたんだ=チームはスプリント力のある選手の方を選んだ。ペタッキは高い将来性を確約できる選手。彼が選ばれたのは理解できる。


● チームと契約もなく、きつい思いをしたのでは?

シモーニ :絶望的な気分だったよ。フェレッティはいつも真面目で、いいチームを作ってきた。そんな彼が欺かれたんだ。


● そして、サウニエルにたどり着いたんだね。

シモーニ :サウニエルは、チームフォーメーションをジロディ・ロンバルディアが終わってから固めるというニュースを知った。

だから、僕は怒ったようにこのレースを走った。そして2位になった。その後、マウロ・ジャネッティが電話をくれた。僕をチームに入れる意志を固めていたんだ。

そして2日後には契約した。チームには(助監督の)ピエトロ・アルジェーリもいる。これも大きかった。僕がジロで初優勝した時、僕の監督(ランプレ)だったんだ。彼とは親交が深かったからね。


● クーネゴとバルベルデ、2人のうち将来性があるのはどちら?

シモーニ :バルベルデに感銘を受ける。彼は信じられないぐらい一流だ。クーネゴは僕にとってはどおってことない。


● 貴方とクーネゴの関係は今はどうなの?

シモーニ :(暫く考えてから)余り良くなかった。我々はライバルだから。そのせいで、今僕はサウニエルにいるんだ。


● パンターニが亡くなって、今世界一のクライマーになったと思っていますか?

シモーニ :わからないな。でも、パンターニのことは正直羨ましく思っていた。ジュニアの頃は、僕らは似たスタイルのクライマーだった。でも、プロになってから、彼はクライマーとして僕より上を行った。確かに僕は彼を羨んでいた。でも、いつもいつも、とても大きな尊敬を持っていたことは間違いない。


● 今年のレーススケジュールについては?

シモーニ : 今年もまずはジロで再び優勝できると信じている。だって、去年サヴォルデッリには僅か28秒差だったんだ。そして、ヴエルタにも出る予定でいる。

ツールについてはまだ考えていない。もしツールに出るとしたら、ラルプデュエズを狙いたい。ただ、ジロと日程が近いから、ステージ狙い一本に絞る。

かつてデルガドやフィニヨンが活躍した時のツールとは、一線を画してしまった。今やツールはTTスペシャリストのものだ。今年の優勝候補はウルリッヒだろう。


● バッソは(ツールの優勝候補じゃないの)?

勝てるかもしれない。でも、彼はウルリッヒほどだとは思わない。それからヴィノクロフも候補の一角だ。


● 一番尊敬する選手は?

シモーニ :フランチェスコ・モゼールだね。彼は僕の伯父なんだ。彼に憧れてプロになったようなものだ。でもインドゥラインやデルガド、そして基本的にローラン・ジャラベールも。

調子がいい時、マッサージャーから、「ジャラベールの足みたいだ」って言われたことがある。ジャラベールみたいになりたいね。山だけじゃなく、どんなレースでも勝てる力がある選手になりたい。


出典:今日もメインにASから(+コンバイン)それにしても、相変わらずスペインのジャーナリストは結構聞き方が、単刀直入

(photo:個人的に好きな写真。03ツール ポーのスタート地点で見かけたシモーニ。ヴィランクと話す彼の笑顔が印象的だった。互いに接点は余りなさそうだけど、ヒーローという共通点が2人を結んでいる、そんな感じ。)

■ 2006.01.26 (Thu)  プロツアー制度の犠牲第一号が遂に出た。セトマナ・カタラナがプロツアー制度の影響で消滅!
conta4.jpg 360×562 64K【プロツアー制度の悲劇 一口解説】
プロツアー偏重主義により、コンチネンタルサーキットレースにトッププロ選手が集まらなくなった。==> レースのスポンサーが、レースの価値が下がったと判断。==> 出資を中止。==> スポンサー離れでレースは消滅


懸念が当たった。プロツアー制度導入による悲劇が起こった。由緒あるHCカテゴリーのコンチネンタルサーキットレースが、プロツアーの制度のせいで消滅することになった。

プロツアー制度では、プロツアーと、その他のコンチネンタルサーキット(カテゴリーHC,1-1,1-2,2-1,2-2)との差別化を徹底的に図った。

UCIプロチームは、プロツアーへの出場は必須だが、コンチネンタルサーキットに出場してもUCIポイントはつかない。

さらに、コンチネンタルサーキットのカテゴリーHC、1-1、2-1に出場するプロチームは、10チーム以下に制限されている。カテゴリー2-1、2-2に至ってはプロチームは出場不可。

==> だから、プロツアー以外のレースに、いい選手が集まりにくくなった。注目が減り、スポンサーが離れ、レース続行不能に。。。心配が現実になった。

廃止が決定になったのは、セトマナ・カタラナ。かつてメルクス、ズートメルク、クリケリオン、ロッシュ、デルガド、ジャジャなど有力選手が戦歴を残していった一流のレースだった。

セトマナ・カタラナの実行委員サバテ氏は こう嘆いた。

「プロツアー制度では、コンチネンタルサーキットに出場するトッププロチームの出場制限がある。さらに、プロツアーに出場することが念頭にあるせいで、トッププロチームが本レースに寄せる関心が減った。スペイン選手ですら、出場に魅力を感じなくなってきていた。

おかげで雪崩現象が起きた。スター選手が激減したことで、スポンサーも、このレースの価値が低くなったと判断した。そして出資の中止を決めた。

我々も、こういう状況では、レースに多くの出資を要求できなくなってきた。一方でレース資金は高騰している。これでは自転車競技は自滅だ!」


■ プロツアー制度開始前は、とても人気だったセトマナ・カタラナ

04年セトマナ・カタラナに出場したトップチームは12。05年は8チームだけ。プロツアーの影響が数字に表れている。=>データを詳しく見る JUMP


■ セトマナ・カタラナは、メルクス、ズートメルク、クリケリオン、ロッシュ、デルガド、ジャジャ、、、続々と有力選手が戦歴を残していった一流のレースだった

過去の優勝者(スタートは1963年。ホセ・ペレス・フランセスが優勝):

オカニャ(1969、73)、プリドール(71)、ズートメルク(74)、Eメルクス(75、76)、Fマルテンス(77)、クリケリオン(79)、Vベルダ(現バレンシアナ監督、85、87)、Sイエーツ(88)、Sロッシュ(91)、ツーレ(92、96)、デルガド(93)、ボーヘルト(98、01)、Lジャラベール(99、2000)、メルカド(02)、フリーゴ(03)、ホアキン・ロドリゲス(04)、コンタドール(05)


■ ブエルタ・ア・アラゴンも存続危機。運命の日は2月2日

同様に、アラゴン一周も今危機に瀕している。

「どうにか開催に向けて解決策を模索するために、2月2日、アラゴン市庁舎で会合を開く。しかし、今年レースを開催するのは、かなり厳しい状況だ。」アラゴン一周の実行組織CCイベリアの会長ロペスデルモラル氏が語った。

さらに、「我々のレースへの関心が減ったのは、トップチームの出場を制限しているプロツアー制度のせいだ」と続けた。
---*

■写真は、TDR05のアルベルト・コンタドール。セトマナ・カタラナ最後の勝者となってしまった。

Today’s Photo Story :
04年アストゥリア一周の最中に脳浮腫で倒れ、急死に一生を得たコンタドール。彼のことは当初からずっとフォローしていたので、奇跡の復活と活躍には目を見張っていた。

そして、ロマンディでは絶対に彼と話をしようと思った。
しかし、レース2日目、声をかけて写真だけは撮れたものの、後の言葉が出てこなかった。がくっ。

そして、漸くレース最終日、遂にプチ会話に成功。とはいえ、大した話はできなかったが、彼の両親が監督たちに宛てた心温まるお礼の手紙を読んだことだけはなんとか伝えた。

それだけで、なんかスイスまで来た甲斐があったかな、と思った。

写真は、やっとの思いで初めて彼とプチ会話した時(レース最終日)の記念の一枚。


■ 2006.01.27 (Fri)  エウスカルテルに新しい風 : 期待はプロトンの化学者ダビ・エレロ
tomas.jpg 477×571 84K昨日プレゼンが行われたエウスカルテル。バスクの楽器チャラパルタ の演奏など、バスク色の濃い内容だ。バスク知事も出席した。

今年ブレークが期待されるのは、去年チーム内選手では最多の4勝して、マヨの代わりに息を吐いたダビ・エレロ。

彼はバスク大学で化学を専攻した。バスク大学はリーガエスパニョーラのオサスナが提携している大学。ここの大学で オサスナはサッカー講座を設けている。

エレロは本の虫で、科学・物理・食事療法・バイオメカニックの本を読むのが大好き。そう、彼はデータ人間。

ランス同様、彼もSRMに取り憑かれている。(SRMとはマツナガさんのところのサンデーライドミーティングではありません。SRM=様々なデータ取りが可能なサイクルコンピュータの一種。Schoberer Rad Messtechnikの略。=Schoberer Bike Measurement :紹介記事へ

「SRMのデータをフォローすることで、自分のコンディションがよくわかる。例えば、調子のいいときは200ワットで脈拍数110なんだけど、同じ200ワットでも脈拍が140まで上がってしまうときもある。

閾値を知ることはとても重要だ。筋肉組織にダメージを与える乳酸が出ないギリギリのところでパワーを出すようにしなくてはいけない。SRMは僕にとって不可欠だ。」

エレロはSRMを2400ユーロ(約30万円)で買った。でも、無駄遣いだとは思わない。重要な投資だと思っている。

エレロはこんな選手:JUMP

ちなみに1981年生まれの黄金の三角形(美形)は、アントン・ルエンゴ、コルド・フェルナンデス、ダビ・ロペス。

さらに、今年はイゴール・ゴンサレス・デ・ガルデアノがマネージャー補佐に加わった。「EUSは、将来のある若手が多く所属するチームだ」、と今後の発展に期待している。マヨの不振が続く中、若手が早く成長することが期待されている。

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Today’s Photo Story :
エウスカルテルのメカニック、トマス。活躍が期待される選手サムエル・サンチェスは、新人の頃、このトマスの家に居候していた。

トマスとの出会いは04年ツール。宿がEUSと2日間一緒だった。その後、最後のTTの日に、彼が挨拶してきた。私は、サングラスに帽子姿だったので、よく見分けられたなぁ、とびっくりして、「よく覚えてたね」と言ったら、「記憶力はいいんだ。頭がでかいから。」と大笑いした。

帰国して名前を調べた。彼の名前はトマス・アメサガ。05年L-B-Lにも来ていて、「トマス!」と声をかけた。暫く考えて思い出したようだった。その後夏のツールでも再会。写真はこの時のもの。

メカニックとしてバイクに向かっている時は真剣だけど、それ以外は、いつ見ても笑顔がいっぱいな人。遠征が多くて、去年彼女と別れた。彼女できたかな?


■ 2006.01.28 (Sat)  過去、様々なびっくりビフォー&アフターがあった。でも、この人の変身ぶりには驚く。肩より長い髪、あごひげ、、、最初見た時、判別不能だった。
grp0128230002.jpg 237×228 24K■ ビフォー&アフター:ヒッピーに変身した元テレコム選手

それは1/25付けのCNだった。チームヴィーゼンホフ・アクトのチームプレゼン。集合写真に小柄で髪が長い選手が写っており、女性が混じっていると勘違いした。単独写真を見たら、顎ひげがあり、完全にヒッピー風。

名前を見たら、なんとゲルハルト・トランプシュだった。2000〜2001年テレコムに在籍。そのあとマペイ、ゲロル、アックアと1年ごとに移籍し、昨年からゲルデマンがいたチームアクトに所属。

左の写真は02ツールのトランプシュ(マペイ)。この年のマペイは、MTB出身のミゲル・マルティネスもツールに出場しており、派手な選手が多かった。そんな中、トランプシュは一番地味な存在ながら、こつこつと総合63位で完走。

ところが変貌を遂げた今の彼はこんな感じ:肩より長い髪、顎鬚、、=> 写真

わが家のトイレには01年のテレコムチームポスターがある。トランプシュの顔を毎日見ている。それだけに、このヒッピー風の変貌振りが、にわかに信じがたい。

ボテロが“コロラドのロックンローラー風“(テレコムと同じ宿で 長髪気味のボテロを初めて目の前で見たときに、私が思わず発した言葉)になった時もびっくりしたけど、トランプシュの変身ぶりはそれ以上。

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■ 近頃あの人あの台詞 : セトマナ・カタラナが生き残れなかったのは、バルサじゃなかったから

セトマナ・カタラナの初代チャンピオン ホセ・ペレス・フランセスの一言:

『セトマナ・カタラナは消滅したのに、何故ボルタ・ア・カタルーニャは生き残ったのかって?バルサとエスパニョール(リーガエスパニョーラ)の違いと同じことさ。

この2つでは、メディアアテンションが段違いなんだ。ボルタ・ア・カタルーニャはバルサ、セトマナ・カタラナはエスパニョールだったってことさ。』

バルサもエスパニョールも、共にカタルーニャ地方のバルセロナに本拠地をおくサッカーチーム。だが、この2チームではメディアの注目度・人気度が全く違う。

メジャーなバルサがボルタ・ア・カタルーニャ、地味なエスパニョールがセトマナ・カタラナだったようだ。

■ 2006.01.29 (Sun)  生涯あげた優勝のうち、75%が山頂ゴールだった : ホセ・マリア・ヒメネス2周忌
jimenez.jpg 640×480 126K■ 1/29夜記事内容追加(ASから):
4mの記念碑が除幕。2年前、葬儀の時までチャバの死を信じられなかったマンセボも出席


2003年12月6日、マドリッドの病院で心臓発作で亡くなったホセ・マリア・ヒメネス。享年32歳。チャバの愛称で知られ、国民的アイドルだった。(経緯・葬儀の様子などはこちら:JUMP

彼の2周忌が、日程をずらして28日土曜日に行われた。今回はチャバの兄弟フアン・カルロス・ヒメネスが作製した4mもの記念碑が故郷エル・バラコの広場で公開された。記念碑の写真へ JUMP

記念碑を作成したフアン・カルロスのコメント:「僕はこの作品に全ての感情を詰め込み、涙を注いだ。これからこの彫刻を見た人が、僕の兄弟チャバのいい思い出をよみがえらせてくれたら嬉しい。そして、悪い思い出は忘れようじゃないか。」

今回2周忌の記念行事には、むろん義理の弟にあたるカルロス・サストレも出席した。ヒメネスに自転車を教えたのは、自転車学校を経営するビクトル・サストレ(カルロスの父)だった。そして、カルロスはヒメネスの姉ピエダと結婚している。

さらに今回参列した中には、パコ・マンセボ、フリオ・ヒメネス(結構前の偉大なサイクリスト)、パブロ・アントン(リバティーの元マネージャー)、ホセ・ミゲル・エチャバリ(元バネスト〜現ケスデパーニュのマネージャー)、フアン・カルロス・ドミンゲス(現Unibet。01年に1年間だけバネストに在籍していた)らの顔も。

ヒメネス同様バネストの申し子だったマンセボは、ヒメネスの葬儀に駆けつけた時、「ここに来るまで信じられなかった」と泣きじゃくっていた。あれから2年。

エル・バラコの街角をいく行列には、チャバを偲ぶ内容のプラカードも。

ヒメネスは、92年プロ入りする前からバネストのアマで走り、ヴエルタ98ではチームメートのオラーノと壮絶な総合争いを展開。最終的にオラーノをチームから追い出すことになった。(*)

派手にぱっと咲いて、ぱっと散っていった。生涯にあげた勝利は28勝。うち21勝が山頂ゴールだった。


(*)最終的に98ヴエルタでオラーノは優勝。ヒメネスは3位に終わった。しかし、オラーノの妻(警察官)が、夫をアシストしなかったヒメネスに憤慨。ウンスエ監督に抗議。結局妻が動いて、オラーノはオンセに移籍した。2人の確執は、オラーノが退く形で終結した。

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Today's Photo Story : 周囲の反対を押しきって闘牛に挑戦したチャバ。

とにかくこの頃、チャバはスペインのメディア注目度はNo.1だった。ツールでも、周囲を常に取材陣に囲まれていた。実際、当時のNo.1オラーノやエスカルティンらより人気者。

当時は新聞アスのWebサイトも今とは形式が違い、もっとアットホームな取材記事が多く、頻繁にヒメネスの同行取材記事が載っていた。

彼が冬の休暇中に狩りに行けば一緒にアスの記者がついていって狩りの様子を伝え、彼が闘牛に挑戦すれば、その内容が楽しく紹介される、といった風に。

ちなみに、チャバが地元で闘牛に挑戦した時、レースに支障があってはいけないということで、相当周囲から反対された。しかし彼はそれを押し切って大会に出場。相手は子牛だったが、大会後、「すっごく怖かった」とチャバは語っていた。

そういえば、その頃Jimenezの読み方が分からず、私は彼のことを「ヒメンゾー」と呼んでいた。(写真は、00ツール、トロワエのステージ。レース後、取材陣に囲まれる ありし日のチャバ。)


■ 2006.01.30 (Mon)  ビデオギャラリー Vol2
再びフランスTVのサイトに、1.フランスチームのプレゼンの様子、2.ボーネンの素顔、3.ディスカバリープレゼンがアップされた。

ビデオ 1: フランスチームがベールを脱ぐ
ビデオ 2: ボーネン!クイックステップで大きな野心
ビデオ 3: ディスカバリー新しい旅立ち

1.マンセボのフランス語、スペイン語ちゃんぽん生インタビュー、2.ボーネンのフランス語インタビュー、3・ランスのスピーチなどが見られる。ただ、わが家のPCのうち1台ではこのビデオが見られず。そういう場合のために、以下、簡単にビデオ内容サムアップ。

ビデオ1: フランスチームがベールを脱ぐ

『パコ・マンセボとクリストフ・モローの補強を行ったAG2R。でも補強は多すぎることはない。

(マンセボのインタビュー:フランス語スペイン語ちゃんぽん)「ヴエルタは僕(C'est moiとそばにいた人の助けを借りながら、たどたどしく)。他のレースは他の選手(がリーダーをとる、、と言いつつ、なんか言葉が通じてるのか少々不安げな表情。)」

フランスチームはプロツアー最大の5チームが登録されている。がしかし、成績の方が今ひとつ。

(CAの幹部ルジェ氏コメント:)「イメージ、ビジネス、お金、スポンサー諸々の面で今自転車競技は 過去最高のレベルに達している。選手らはよくトレーニングもしている。アルガンやシャヴァネルもよくやっている。但し、ベルナール・イノー(相当選手)がいない。」

ベルギーにはボーネン(のような強い選手)がいる。フランスも過去を取り戻すには、勝つことしかない。シャヴァネは、「最大限頑張る」と語り、ディディエ・ルースは「前より良くなるという実感がないのが現実だが、状況を上向きにするようサポートしたい」と語る。

海外選手のマギーやバルベルデらが目立つ中、フランス選手正念場だ。』

Photo: JC05 2位になり、満足げな表情でクーネゴと会話するマンセボ。
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ビデオ2:ボーネン!クイックステップで大きな野心

(これはボーネンの魅力が出ている、ボーネンファン必見のビデオ。ボーネンがフランス語で語る生インタビュー付き。)

『スプリントで輝き、歴史を刻む活躍をしたボーネン。マドリッドの05世界戦で世界チャンピオンになった。

(ボーネンのインタビュー:)「チャンピオンジャージをみんなが見て、それを着て、素晴らしい状況だ。」
今年のボーネンは、特に変らない。ただし、目標を除いては。

(ボーネンのインタビュー:)「ツールでマイヨ・ジョーヌを着ることが目標。7〜9日ぐらいだったら、マイヨ・ジョーヌを着れると思う。」

そして、ベッティーニも「ボーネンは一流の選手で全く問題なし」と語る。

また、02年USPでデビューした時からチームメートでボーネンを知るヴァサー(今年クイックに移籍)は、「USPでプロ入りしてから、ボーネンは進化を続けた。今では、ほぼNo.1のスプリンターだと言える。05年活躍し、06年はみんな当然ながら期待している。」

ボーネンは、カタールツアーに参戦するが、ラルカンシェルを着て参戦するのはこれが初めてとなる。』Photo:TDF04
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ビデオ3:ディスカバリー新しい旅立ち

『ランスは変らぬ様子で登場した。ただ、洋服をグレーの背広に変えての登場だ。サヴォルデッリを核とし、ポポヴィッチらも揃う。チームには新しい野心がある。

「ディスカバリーは、クラシックで信じられないような活躍をし、歴史的なクラシックレースでも優勝した。さらにジロでも昨年優勝した。だから僕が去ったからといって変わるものはない。唯一ツールだけだ。」とランス。

チームはランスが引退し、新しい目標を設定中。

さらに、続くインタビューでランスは語った。「ツールで有力なのは、紙の上ではウルリッヒ、バッソだろう。ただ、先週末、TVでTモバイのチームプレゼンを見た。ウルリッヒは、今までになくリラックスして、別人のようだった。一番の有力候補だ。」

再生ディスカバリー、結局ディスカバリーはディスカバリーだ。』

ちなみに、最初の集合の場面で、別府選手が右後ろに見える。

また、最後はベルトラン、続いてアセベドがランスと握手するシーン。Photo:TDF05

■ 2006.01.31 (Tue)  フランスでシーズン開幕!
grp0131210008.jpg 176×246 15K今日から南仏を舞台にシーズン開幕(JUMP)
モロー、ブロシャール、シャヴァネル、カザール、ヴォクレーなど有力フランス人選手が続々登場。

祝フランスレース開幕。。。ということで本日はフランス人選手近況。


■ 活躍期待のフランス人選手、25歳で引退も

02年ロマンディツアーで総合優勝し、将来を有望視されたジェローム・ピノー(写真)。04ジャパンカップではデジカメで遊ぶ姿が印象深いが、フランスでは 一時期、成長株選手として5本の指に入った。

ところが昨シーズンはいいところなし。モチベーションも下がり、引退も考えた。僅か25歳で。。

不振の原因については、自身の健康面の問題のみならず、精神的なものもあった。プロツアーチームの中には、まだ薬物を断ち切っていない奴らがいるのでは?そんな思いにとり付かれたことも。

しかし、頭を切り替えることにした。プロトンの中で、自分はクリーンな人間とまじわっていればいい。

「ゼロから再出発するつもり。目標は今までより低く設定すれば気が楽になる。ツールメンバーに選出されることを目指したい。そして、チームメートのアントニー・ジェランが世界戦で表彰台に上ったように(3位)、自分もひとつか2つ、どこかで輝きたい。」

ピノー、今年3月には娘が誕生する予定。(AFP)


■ 同じフランス人からの仕打ちが一番きつかった

USP時代、ツールメンバーに選ばれずにランスと反目して02年コフィディスに移籍。しかし、今度はチーム内の薬物容疑でマークされたセドリック・ヴァサー。今年クイックに移籍し、コフィディス内での立場は苦しかったと告白。

「外国人選手たちは、僕のことを疫病神みたいに見るようなことはしなかった。彼らはみんな僕を支持してくれた。

でも反対に、フランス人選手のうち数人のグループが監督側に立ち、僕のことをわざと変な目で見る奴がいた。すごく馬鹿げた行為だと思った。

でも、人生にはもっと大切にすべきものがある。そうした嫌な面ばかり見ていると、大事なものが見えなくなると思う。」

ちなみにヴァサー、一時はランス批判を堂々としていたが、今では冷静になったのか、すごいプロフェッショナルだと評価している。