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小ネタ JUMP


今月のニュース:ランス・アームストロングがシェリル・クロウと破局、シェリルは乳がん告白、ロベルト・エラス、ヤン・ウルリッヒ、ジルベルト・シモーニ
Mas.ciclismoは、200112月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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2006年01月 02月 

■ 2006.02.01 (Wed)  浅田監督の新チームがスポンサー変更: チームYahoo Japan
asada.jpg 399×359 26K浅田監督がYahoo Japanをスポンサーにつけて、新チームを発進!

監督のチームは、現在チームVANG(CYCLE RACING TEAM VANG )でUCIアジアツアー・コンチネンタルチームとして登録されているが、Cyclestyleが伝えたところによるとこれは目下 仮称だという。
(関連記事:トクダネ01.14 (Sat)”浅田監督の新チームが UCI に登録”)

なんとこのほどYahoo Japanをスポンサーに迎えたという。3月にチームYahoo Japanとして正式発表を行い、その後 UCI登録名も変更予定らしい。

チームYahoo Japanの正式アナウンスは3/1の予定。場所はもちろん?ヤフー株式会社 が入っている六本木ヒルズ(多分森タワー?)

Source :Cyclestyleの総力記事へJUMP

これをよく読むと、マネージャーは白戸太朗!この体制で、ツール出場を本格的に目指すという。

さらに聞いた話だと、アンカー清水裕輔選手は選手を引退して、このチームのスタッフになるそうです。

ホリエモンのライブドアや楽天が自転車チームのスポンサーをすればいいのに、、そんな話をしていたら、まんざら遠くなかった。Yahooときたかぁ。びっくり、びっくり。
いずれにしても、ライブドアと交渉しなくてよかったね。

Special Thanks:Y-san

■ 2006.02.02 (Thu)  アルダグ“これが本当にサヨナラレース”
aldag.jpg 422×365 68K■ アルダグ、“さよならレース”にベルリンを選んだわけは、ベルリンにはすごく世話になってお礼をいいたいベルリン人がいるから。それは。。。エリック・ツァベル

去年までTモバイルで名アシストとして走ったロルフ・アルダグ(37歳)が1月26〜30日まで、ベルリンの6日間を走り、レース人生に幕を閉じた。今後はTモバイル幹部としてチームを支える。

ベルリンの6日間レースでは、アルダグはロベルト・バルトコと組んだ。バルトコは、00年シドニー五輪追い抜き個人・団体で金メダルを取った後、01年に鳴り物入りでラボバンクからテレコムに移籍。2年間在籍したが、その後また03−04年ラボバンクに戻ったあの人。

2人の最終結果は6位。1月早々に虫垂炎になり、さらにレースではクラッシュするなど、アルダグはツキに見放された。

「ロベルトに申し訳ない。僕のせいで彼は勝てなかった。トップフォームでいられず、観客の人たちにも申し訳ない。そして、自分自身 面目ない。勝てると過大評価していたようだ。虫垂炎切除手術のあと、たった3週間後にレースでトップコンディションで戦えるわけはないのだ。」

アルダグがこのレースを最後のレースに選んだのには訳がある。

「Sマルティネッロとともに優勝したことがあったから、さらに ここで通のファンにさよならを言うことができるから、そして、チームテレコムには、僕が世話になって心からお礼を言いたいベルリン人がいるから。それは、エリック・ツァベルだ。」

アルダグとツァベルの絆の深さを示すコメントだが、01年創設のテレコムチームにあって、2人は93年入団の いわば同期だ。10年以上もの間、2人で一緒に山・谷を超えてきた、そんな様子がこの言葉からうかがわれる。

写真は03ツール。ボルドーのステージ前、インタビューに答えるアルダグ

■ 2006.02.02 (Thu)  トリノ五輪聖火ランナー : サウニエルから一気に2人選出
rubens2.jpg 640×415 43K■ サウニエルのマネージャーのマウロ・ジャネッティと、ルーベンス・ベルトリアーティが聖火ランナーに

トリノオリンピック聖火は、今週1月31日、スイスに突入した。イタリアのコモ湖を通って、16:30 スイス最南端のキアッソ、そして、16:51 ルガーノの町へ。

このルガノの一帯はティチーノ地方と呼ばれ、サウニエルの2人のスイス人、マウロ・ジャネッティと、02年ツール イエロージャージゲッターのルーベンス・ベルトリアーティの2人の故郷。
この地方の栄えある聖火ランナーに、2人が選ばれた。

ジャネッティが走った様子は地元TVにも映った。左の写真はトーチを手にするルーベンス。Photo copyright はあいにく不明だが、スイス人の自転車ファンの友人が送ってくれた。

ルーベンスは、ベッティーニが聖火ランナーの時に着ていたのと同じ、オレンジの五輪ジャンパー姿。

地元スイスでも、ルーベンスたちが聖火ランナーを務めることは大々的に宣伝していなかったため、ティチーノ地方以外の人たちは、このニュースを事前には余り知らなかった模様。

上述の友人もTVを見て、後から知ったとか。知っていれば見に行ったのに、と嘆いていた。

ちなみにティチーノ地方はスイス気質が出ていて店のサービスは一流だが、一方でイタリア語圏なので、人々はイタリア人的陽気さを兼ね備える。風光明媚でバカンスにはぴったり。(=>ティチーノ地方紹介サイト

さてさて、オリンピック2月10日開始。時折NHKで流れる平原綾香の「誓い」が、今から気分を盛り上げる。

■ 2006.02.03 (Fri)  エウスカルテルからディスカバリーへ移籍したエゴイ・マルティネス
anton.jpg 461×467 89K■ 2つのチーム、一番違うところは? 「ディスカバリーにはスター選手がいっぱいいること!もう毎日がエキサイティング」

■ 15カ国のちゃんぽんチーム。目下 派閥はヒスパニック・イタリアンvsベルギー


今年エウスカルテルからディスカバリーへ移籍したエゴイ・マルティネス。ちょっと意外な移籍劇だった。全然スタイルの違う2つのチーム。さてさて、感想やいかに?

-----*-----
― エウスカルテルに比べて、どんな変化があった?

一番大きな違いは、メンバーのステータスだよ。

トレーニングを始めるだろ。そうすると、そこここにすごいスター選手がいるんだ。おっ、ジロの優勝者(サヴォルデッリ)!、おっとここにはパリ〜ルーベで2位の選手(ヒンカピー)!みたいにね。トレーニングしてても、平均水準が高いんだよ。


― チームでは、何語で喋るの?

いろんな言葉がちゃんぽんだね。全てしゃべる感じ。公用語は英語だけど、大きく2つのグループがはびこってる。ヒスパニック・イタリアンとベルギーだ。スペイン人とイタリア人同士はコミュニケートできるからね。ベルギー人も多いから、彼らは彼らの言葉でしゃべっているよ。

― 15カ国の混成チーム。いろいろな国籍が混じっているのは大変じゃない?

前とは大きな違いだね。エウスカルテルでは、みんな同じユーモアを解し、冗談が普通に通じた。でも、ここではジョークが通じなかったり。リズムをつかむのは結構時間がかかる。

-----*-----

ディスカバリーの言語分布=国籍一覧表はこちらJUMP − アメリカ人が3人しかいない!ベルギー、スペイン人より少ないのだ。

Note) エウスカルテルの選手は、スター選手に憧れるという実例(目撃)

左の写真のEUSの選手は去年TDRのイゴール・アントン(22歳)。クーネゴを見たら喜んで、声をかけて呼び止めた。

そして、「一緒に写真を撮りたいんだ」と申し入れ、写真を数枚スタッフに撮ってもらっていた。確かにマルティネスの言うとおり、エウスカルテルの選手は、同じプロチームでも、ローカル色が強く、世界的なチャンピオンはいない。


■ 2006.02.04 (Sat)  ハミルトン近況 :自転車はからだにはいいが、歯にはよくない。食いしばるから。
hamilton2.jpg 522×424 63K久々にハミルトンの近況が入ってきた。「サイクリングはからだと心にいい。でも、歯にはよくない」、と嘆いている。

ハミルトンはジロ02のクラッシュで肩を骨折しながら総合2位になった。あの時 歯を食いしばりすぎたせいで、歯がぼろぼろになった話を以前書いたが、あれを、今もひきずっているらしい。

11本の歯につめものをしたが、このほど総入れ替えが必要とのこと。「痛みに耐える気質のせいで、ツケが歯にきてしまっている」とハミルトン。

確かに彼はいつもケガと闘ってきた。コロラド大学時代、スキー選手だったが背中を痛めて自転車に転向した経緯がある。

02ジロは肩骨折しながら総合2位、03ツールは鎖骨骨折で総合4位、04ツールもケガで、この時はリタイヤした。今までずっと歯を食いしばってきたのだろう。

気になる調停の行方は、結果が分かり次第連絡するよ、といつものとおり律儀。「今日の日記更新は短くてごめん」と言いながら、画面いっぱいに日記を書いている。

* 写真は03ツール。鎖骨骨折しながら7/23バイヨンヌのステージで優勝し、ランスと喜びを分かち合う場面。(ホテルのTVの中継から。)

上記内容は久々に更新されたハミルトンの日記から(Feb 2005とあるのは2006の誤り)

■ 2006.02.04 (Sat)  速報: ランス・アームストロングがシェリル・クロウと破局をアナウンス
lance310.jpg 284×184 19K4日の昼に飛び込んできたニュース

つい先日まで仲むつまじかったよね?声明文へJUMP

写真は04年ツール。ラルプのTT前に熱く語らう2人。周囲の野次馬なんか目に入っていない。

■ 2006.02.05 (Sun)  フレチャ、今だから語る去年のヘント〜ウェヴェルヘム
grp0205092139.jpg 438×480 71K去年のヘント〜ウェヴェルヘム(ゲント〜ウェヴェルゲム=G-W)は後味悪かった。ニコ・マッタンが複数のオフィシャルカーを露骨に風除けにして加速。逃げていたフレチャにゴール手前で追いつき、追い越して優勝。レース主催者は今年降ろされたが、マッタンにお咎めなし。

フレチャはあの時比較的冷静にメディアに対応していた気がするが、実の本音はどうなのか?今年1月末、フレチャがあの時のことについて口を開いた。

■ あれほど侮辱されたのは 生まれて初めて

(マッタンのG-W優勝は妥当だと思うか?と聞かれ)

フレチャ:いいや。自分自身納得行かないし、あの日働いてくれたチームメートにとっても納得行くものではない。ラスト1km、2台の車とオートバイをあのまま放っておいたのは大きな間違いだった。

あの状況では、レース終了後に正しい判定をすべきだった。何百人もの観客があの一部始終を目のあたりにした。あれほど自分が侮辱されたと感じたのは、初めてだった。

■ 新チームラボバンク

(ラボバンクの印象を聞かれて)

フレチャ:自分でもびっくりしているほど、新しいチームにすぐに馴染むことが出来た。10日間のキャンプを通じて環境の良さを実感している。10年ぐらい一緒にいるような錯覚すら覚えるよ。

-----------
以下、フレチャのインタビューのそのほかのエッセンス:

■ 目標はフランドル一周とパリ〜ルーベ

■ レースデビューはチャレンジ・マヨルカ(本日開催)。そしてVバレンシア、ティレノ〜アドリアティコ、ミラノ〜サンレモ、GP Harelbeke、フレッシュワロン、そして春のクラシックに突入。

■ 一番思い出に残る戦歴は?との問いに:
「チューリッヒ選手権での優勝は貴重な勝ち星だったが、個人的にはパリ〜ルーベの3位が感激した。それからツールでのステージ優勝。」

■ 今年のツールでは誰が優勝すると思う?との問いに:
「ツールで僕の一押しは、ウルリッヒ。」

Photo: TDF05 スタート前の表情

■ 2006.02.06 (Mon)  ランプレ始動 :バイク:キャノンデール=>ウィリエール、シューズ:ディアドラ=>スペシャライズド、ホイール:マヴィック=>フルクラム
grp0206083050.jpg 493×471 78K
モンテカティーニのキャンプを先週いっぱいで終了したランプレ・フォンディタル。公式サイトに選手の集合写真が登場した。公式サイトのこの頁のLampre-Fondital team photographをクリック。

既にシクロクロスの中継で、新ジャージは登場していたとおり、今年は片側の肩のほうがピンクの柄になった。

先日ヒルクライムで自己ベストを更新したクーネゴだが、彼のトレーニング中のアップ写真も公開。(上記頁のCunego in action during trainingをクリック。)この写真を見た人からこんな便り。

バイクがウィリエールなのは良いのですが、シューズとソックスがスペシャライズドになってるのにがっかり。せっかくディアドラのバイクシューズ買ったのに・・・。

ホイールもマヴィックからフルクラムに変わって、アパレルはサンティーニでした。とりあえず今までよりジャージの入手は簡単になりそうです。』


ウィリエールのNewバイクの方にはまだ、カタカナの「ダミアーノ」シールは貼られていないが(去年の11/23のトクダネ)、そのうち登場するかもしれない?!

CNのサイトには、【ランプレはメタルシートの製造会社、フォンディタルは不明】となっている。

調べてみたら、Fonditalはアルミのラジエーター(海外のホテルとかに行くと、暖房用によく置いてあるあれ)の会社のようだ。ランプレとフォンディタルは、アルミつながりなのか?

土曜日のGPコスタ・デリ・エトルスキではベンナーティとナポリターノがそろってペタッキに敗戦。2位、3位に終わった。
ランプレには、クラシックにめっぽう強い名クラシック・ハンターはいないが、粒が揃っている印象。

Photo: TDR05 プロローグ前、コースを試走するクーネゴとクイックステップののマッズ・クリステンセン(デンマーク・今年バーロワールドに移籍)

■ 2006.02.06 (Mon)  各選手、ランスが去った後のツールを分析する
ランスが去った後(ポスト・ランス)のツールは一体どんな感じだろう?意外なことに、ウルリッヒも、バルベルデも「ランスがいなくなったから、ツールは収拾がつきにくくなる」、と分析している。

ヤン・ウルリッヒ:ツールは今年難しくなる

「ランスがいなくなって最初の年となる。優勝するには楽になったと言う人もいるが、逆にレースはもっと難しくなると思っている。

ランスのチームは、過去数年間、プロトンをコントロールしてきた。もはやそれをするチームがいなくなる。だからプロトンの動きがせわしなくなるはずだ。

一方で、ランスがいなくなったからといって、今まで以上にプレッシャーが大きくなることはないだろう。僕は過去ずっとプレッシャーと共存してきた。自然体で受け止めるだけ。」

(コメントは少し前のTモバイルHPより)

Photo: TDF05 レースに出発するウルリッヒを、ホテルのロビーで見送る

---*---
アレハンドロ・バルベルデ:危険な逃げを阻止してきたランスが不在

「個人的には、アームストロングがレースにいた方がよかった。彼のチームは全てをコントロールしてくれた。危険な逃げは発生し得なかった。

とはいえ、彼はいないのだから、このことをとやかく嘆いても無駄だ。1つ確実にいえることは、今年は、今までとは違ったツールになるということだ。」

自分自身については、「06年ツールで勝てなくても、07年、08年がある。長年自転車選手をやっているとはいえ、自分はまだ25歳。焦らず少しずつ上を目指せばいいと思う。」

(コメントはマルカ/アスより)

Photo: 05パリ〜ツールにて

---*---
イヴァン・バッソ:ルートを見る限りウルリッヒが優勝候補だ

「(ウルリッヒが優勝候補No.1と語った)ランスは正しいと思う。ツールの行程は僕に味方しない。プロファイル図の上では、ウルリッヒに分がある。

一方で、僕自身 過去2年間、たくさんのことを学び、経験を積んだ。自分に足りないものや、自分の強みにも気付いた。」

すでに報道のとおり、今現在、彼はジロとツールの両方を狙っている。

(コメントはProcyclingより)

Photo: 04TDF ラルプデュエズにて


■ 2006.02.07 (Tue)  選手の髪型に戦術あり!?
eki.jpg 229×379 30K● ウルリッヒがヘアスタイルをカールヘアにチェンジ ― これがエアロダイナミックに最適な髪型だ

● ディスカバリーはエキモフの髪型で対抗


CNのフィーチャー欄で時々掲載しているFat Cyclist Diary 。1/23付けのエントリーは、近年一のヒットという呼び声が高い。ちなみに、このFat Cyclist Diaryは、ジョークまみれなのでご注意を。

――――*
Tモバイルのチームプレゼンテーションで、ヤン・ウルリッヒの新しいヘアスタイルが公開された。(カールした長めのヘアスタイル)

マネージャーのクンマー氏談話

「この髪型は、ウルッリッヒに対する我々の重要な投資だ。彼のカールは科学的にデザインされている。山岳でアタックした時、風が当たるたびに 美しくなびくため、カールは緩めだ。

とはいえ、緩すぎもしない。TTのきついプレッシャーがあっても、崩れない程度に堅さはある。長さも適当。少し長めでカッコイイが、ヘルメットからはみ出てこっけいになるほどは長くない。

さらに、これらのカールはエアロダイナミックの見地からも、風洞テストで実証されたんだ。

願わくば、この髪型を去年のツール前に考え付けばよかった。」

一方で、ディスカバリーは素早くこれに反応した。

ブリュイネール監督の談話

「ウルリッヒの髪型の素晴らしさは認める。うちのチームからはヴィアチェスラフ・エキモフの新しい髪形でウルリッヒに対抗をすることにした。エキモフの髪型デザインは僕自身だ。

エキのヘアスタイルは、トップとサイドが短く、レース中邪魔にならない。一方で後ろ髪だけは、肩に届くぐらい、かなり長くしている。この髪型で、ウルリッヒと完全に互角となると確信している。」

ちなみに上記のFat cyclist Diary(1/23付け)の最後の目玉は、リーヴァイ・ライプハイマーのビフォー&アフター: JUMP

(Today's Photo Story : TDF03 ディスカバリー、ケルメ、FDJの選手たちは、翌日のゼッケンを受け取るために、21時頃宿のロビーにやってきた。その後ホテルの庭で三々五々くつろぎだした。)

今現在のエキモフの髪型は、前・横が短く 後ろが長い。

■ 2006.02.08 (Wed)  UCIレースカレンダーは1年中レース漬け。最大で、1日に13レース。
UCIのレースカレンダー上、1年間(正確にはシーズン中の10ヶ月)にどのぐらいレースがあるのだろう?なんとその数、約1500日!
1日に5レース近くもある計算になる。
レース数が一番多いのはフランス。

フルシーズン中は、カレンダーが、もうぎゅうぎゅう詰めだ。例えばシーズン真っ只中の5月26日を例にとろう。
なんと、13レースもあるぞ。

5月6〜28日:ジロ
21〜28日:FBD インシュアランスラス(アイルランド)
22〜28日:チュニジア・サイクリストインターナショナル(チュニジア)
22〜29日:アゼルバイジャン・ツアー(イラン)
23〜28日:ブエルタ・シクリスタ・ア・ナバラ(スペイン)
24〜28日:ボルタ アオ・アレンテホ・エン・ビシクレタ(ポルトガル)
24〜28日:バイエルン一周(ドイツ)
24〜28日:ベルギーツアー(ベルギー)
24〜28日:ボルタ・シクリスタ・インテルナシオナル・ド・パラナ(ブラジル)
25〜28日:フレッシュ・デュ・スュッド(ルクセンブルク)
25〜28日:ツール・ド・ジロンド(フランス)
26日:FOSタリンGP(エストニア)
26日:GP GP-Hydraulika Mikolasek (スロヴァキア)

02年、丁度この時期に英国出張があり、週末にどれかレースを見ようと思った。その時、とにかくいろいろあって、どれかいけそうだな、と思ったのを覚えている。

その頃はまだフランスの中規模レースミディ・リーブルが中止される前だったので、ミディリーブル、ベルギーツアー、バイエルンツアーあたりが観戦できるチョイスだった。最終的にはUKに近いベルギーツアーにしたのだった。
出張するなら特に5月末がお勧めだ?!

■ 2006.02.09 (Thu)  トム・ボーネン : トラックに挑戦 + 賞は幾つ目だ?ベルギー皇太子から直接功労賞授与の予定
wauters.jpg 463×428 46K好調トム・ボーネンは、2月9日 20時、ラボのマルク・ヴォーテルスとともにベルギーのハッセルトで行われる「ハッセルトの6日間レース」に出場する。種目は3000mパーシュート。

さらに、10日の午後には、ブリュッセルの市庁舎において、ベルギーのフィリップ皇太子じきじきにベルギー・スポーツ功労賞のトロフィーを手渡される。

(FYI : S.A.R. the Prince Philippe of Belgium=フィリップ皇太子。S.A.R はフランス語でSON ALTESSE ROYALEの略。英語の His Royal Highness=皇太子殿下に相当。)

その後12日からは、ルータ・デル・ソルことブエルタ・ア・アンダルシアに出場。
ボーネン、相変わらず、華々しい日々。

写真は、9日のトラックレースでボーネンと一緒に走るヴォーテルス。05ツール(7/20)の一こま。レースも後半。05ツールで一番距離が長いステージがやっと終わってご機嫌。手を振って愛想を振りまいて行った。
撮影場所は、ホテルの玄関先。ホテルの入り口のところで、ファンがソワソワ待ち構えているのがわかる(拡大版写真)。

■ 2006.02.09 (Thu)  スペイン自連がロベルト・エラスに 2年間の出場停止を決定
grp0209231606.jpg 133×186 28K速報 ■ スペイン自転車連盟はエラスに2年間のレース出場停止処分を決定

去年のヴエルタでEPO陽性と判定されたロベルト・エラス。1月中旬にヒアリングを行い、潔白を主張した。それを受け、ロイヤル・スペイン自転車連盟RFECは、エラスの処分につき検討を重ねてきた。

そして、このほど決定を下した。エラスは去年のヴエルタでEPO陽性となっていたが、彼の弁明は最終的に受け入れられず、2年間の出場停止となった。(本人が正式に通知を受け取ってから3〜4日後が処分の起算となる。)

■ 経緯

● 9月17日 ヴエルタ第20ステージ(38.9 kmのITT。ヴエルタ最終日前日)レース後にエラスはドーピングコントロールを受けた。

● 11月8日:上記の検査の結果が出て、エラスのEPO陽性が判明。しかし、当局は他の分析所の協力も得ながら慎重に内容を調べた。相手はヴエルタ優勝者。軽々しく判定が出せない。

● 11月27日:極秘扱いだった情報なのに、プレスが暴露した。あっという間にニュースは世界中を駆け巡った。

● 2006年1月13日:スペイン自連委員会の公聴会に弁護士のブセダ氏とともに出席。無実を主張した。

● 2月9日:エラスの2年間の処分が自連により決定したというニュースが公表になった。それを受け、エラスが会見(長くなるので、そのコメントはまた後日)。


■ メンショフ繰上げ優勝で、「やっぱり嬉しいや!」


これを受けて、暫定的に05ヴエルタ繰上げ優勝とされたラボバンクのメンショフが、正式にヴエルタ優勝者として記録に残ることになった。

当初メンショフは、こういったことで優勝しても後ろめたい、と言っていたが、今回は一転。喜びのコメント!

メンショフ:「繰上げ優勝を嬉しく思う。ヴエルタではずっと勝ちたいと思っていたから。もっとも、繰上げ優勝については、(エラスEPO陽性のニュースが出た)11月からわかっていたことだけど。ただ、あとは時間の問題だった。」


■ ただし、エラスは決定を不服として、調停による審議を請求できる

一応スペイン自連の決定は決着したが、あとはハミルトンのケースのように、スポーツ調停所にこの件を持ち込んで、2年間の処分の見直しをせまることが可能。調停所で潔白が証明されれば、スペイン自連が下した決定は覆ることになる。

1月、スペイン自連に対する弁明の際、エラスと弁護士は、サンプル分析手法の過ちを幾つか指摘して、検出結果の疑義を訴えていた。


■ 弁護士意向は、「調停所に持ち込む」

エラスは74年2月1日生まれの32歳。2年間の処分となると復帰は34歳となる。弁護士のブセダ氏は、このように語った:

「決定には驚きだった。我々の主張には自信があった。今決定を受け取ったばかりだからなんともいえない。これからエラスと合流して、内容をよく検討しなくてはいけない。しかし、調停所に訴えることになる。


■ スペイン選手はまだあと2人、決定待ちの選手がいる

一方、去年EUSに所属した2人ランダルセとアイトール・ゴンサレスがともに去年のレース中検査で陽性となっており、結論待ちとなっている。

■ その他のリアクション

リバティーのマネージャー、パブロ・アントンは、「処分は厳しすぎる」と嘆いている。「元フォナックのサンティアゴ・ペレスも以前同様の処分を受けたが、彼の場合は若かったからやりなおしがきく。しかしエラスは32歳。彼の選手生命を終わりにしうる決定だ。自分はエラスと頻繁にコンタクトしてきた。互いに希望を持っていたが、こうなって、非常に悲しい。」

写真はバスクのプラトードベイユの山岳ステージにて(04年)。EUS応援団が熱い中、エラスファンのおじさんは、このポロシャツを着て、孤軍奮闘ひっそりとエラスを応援していた。

■ 2006.02.09 (Thu)  2007年ツールはバッキンガムパレスを訪問
buck.jpg 437×195 37Kロイターの速報。07年ツールがロンドン開催というのは決定だが、ルートが暴露されつつある。首相官邸ダウニング10番そばのホワイトホールがスタート。フィニッシュはThe Mallの大通り。そうバッキンガム宮殿に続く道

この情報はロンドン市長のケン・リヴィングストンの談話から取られたということで、信頼性はありそうだ。07ツールは7月7日開始。初日プロローグは8km。ハイドパーク周辺も行程に含まれているようだ。

プロローグの次の日は、金融街ザ・シティ〜ケントへの200km。現在ロンドン在住のサラリーマンの方々、オフィスの窓から観戦できるかもしれません!カンタベリー大聖堂も登場するという話。

Photo: バッキンガム宮殿の衛兵交代を見に行ったときの観光写真

■ 2006.02.10 (Fri)  07ツール・ド・フランス in Londonが全貌を現す その2 : ロンドンにとって、ツールは安い投資だ

■ ロンドン市長:「F1誘致は117億円、ツールはたったの3億円。ツールの方がはるかに格安だ!!」F1Live.comから

日本のF1サイトにこんな情報が!

『ロンドン市長のケン・リビングストン氏は、ロンドンでF1を開催するのはまだ先のこと。ロンドンを世界にアピールするにはツール・ド・フランスのほうがはるかにベターな選択だ。

F1グランプリ開催費用は約1億ドル(約117億円)。ツール・ド・フランス誘致に必要な270万ドル(約3億1,000万円)。ツールは実に格安だ!』

■ ロンドンのルートおさらい。英国人ミラーが英国で勝利できる可能性

昨日のロイター公表の記事は正しかった。7/7の初日プロローグ(8km)は、ホワイトホールがグランデパールで、フィニッシュはバッキンガム宮殿のあるThe Mall通り。(プロローグのルートは上記の図のとおりCopyright @BBC)

デイヴィッド・ミラーに向いているというこのコース。英国人の彼が英国で勝利をあげられるかどうか。

2日目の第1ステージも、ロンドンからケント地方を目指し、フィニッシュは大聖堂のあるカンタベリーという 先の情報どおり。


■ イギリスのツールデビューは1974年!

初めてツールがイギリスを走ったのは1974年。場所はプリマス。そして、20年後の94年、再びイギリスの戻った。その時はサセックス州やハンプシャーを通ったが、首都ロンドンは2007年が初めてとなる。


■ ツール誘致の投資額は3億円。一方見込まれる収益は147億円!!

リヴィングストン市長は、「ツール誘致は、フランスと英国 両国の友情の証だ。」と語った。これは、2012年五輪誘致で英国がフランスを負かして開催地に決定したことを暗に意味しており、が互いに仲良く、、、といった意味合いがある。

そして、ツールの収益は、現在7千万ポンド(210円換算で147億円)を見込んでいる。たしかにツールは“安い投資”なのかもしれない。
(こちらにも特集記事Pezcycling)

Special Thanks to Messrs B and T

■ 2006.02.11 (Sat)  クイックステップがボーネンとベッティーニに1カラット以上のダイアモンド入りヘルメット支給
■ベッティーニ、ボーネンに1.18カラットのヘルメットが支給。その他の選手は1カラット==但しプロツアーで優勝すれば!

さすがベルギー。世界有数のダイヤモンドの国だけのことはある。(ダイヤモンドの輸出はベルギーの輸出全体の 7% を占めているとか。)そして、さすがベルギーチーム。

ボーネンとベッティーニが1.18カラットのダイヤモンド入りヘルメットをチームから支給された。それぞれ、世界選手権とアテネ五輪のご褒美だ。これはヘルメットをチームに支給する LAZER の粋な?計らい。

ボーネンが1.18カラットのダイヤモンド入りヘルメットを公開するのは、明日。12日に開幕するルータ・デル・ソル(ブエルタ・ア・アンダルシア)で。ヘルメット一個のお値段7000ユーロ。100万円近い。

また、ベッティーニも同様に1.18カラットダイヤモンド入りのヘルメットを今後披露すると思われる。

さらに、他の選手もダイヤモンド入りヘルメットがもらえる可能性がある。ただし、プロツアーやツールで勝てば、、、の話。そうでなければもらえない。しかも、これらの選手(ボーネン、ベッティーニ以外)のダイヤの大きさは1カラットとなる。

こうしたダイヤ入りヘルメットを励みに、他の選手も発奮するか?そして、はてさて、パヴェ(石畳)のレースでボーネンはこのヘルメットをかぶるのかどうか?(かなりリスキーだから、かぶらないだろうね。)

そう、12日スタートのブエルタ・ア・アンダルシアはダイヤモンド入りヘルメットが見られるだけでなく、ペタッキvsボーネンが見られるのだ!


ダイヤモンド入りヘルメットがまず最初に授与されたのはボーネンとベッティーニ。
そのうち、最初にこのダイヤモンド入りのヘルメットを公開するのはボーネンとなる。(写真)

ベッティーニのヘルメットは、例によって黄金色にダイヤなのだろうか?

あとの選手たちは、プロツアーやツールでステージ・総合優勝をすればもらえるとのこと。
Photocopyright@Quick.Step

■ 2006.02.12 (Sun)  ハミルトンに対し、2年間の出場停止処分が確定した
hamilton3.jpg 489×396 91K● ハミルトンの潔白の訴えは却下。最終的に2年間のレース出場停止処分が確定。

● ただし、当初は、2005年4月18日(アメリカ調停協会AAAがドーピングであったと判定を下した日)から2年間の出場停止処分だったが、今回スポーツ調停所により、出場停止開始は04年9月23日からに訂正された。

● つまりハミルトンは今回主張が通らなかったものの、レース復帰はこれで7ヶ月早まった


04ヴエルタの血液検査で血液ドーピングという判定が出たタイラー・ハミルトン。潔白を主張して、スポーツ調停所に再審査を求めていた。しかし、このほど最終的に調停所の判断が下った。ハミルトンの潔白の主張は棄却。これで彼に対する処分が確定した。本年9月22日までの出場停止処分だ。


今回の経緯:
● 20049月11日:ハミルトンがヴエルタでステージ優勝。血液検査の対象者になった。

● その後、ローザンヌの分析書にサンプルが持ち込まれ、検査したところ血液輸血の形跡が見つかった。

● USアンチドーピング機構がこの件を審査。その後、アメリカ調停協会(AAA)にこのケースは持ち込まれた。

● 2005年4月18日:AAAの諮問機関は、ハミルトンが他人の血液を輸血した、と認めた。その結果、2年間の出場停止の処分がくだり、2004年9月11日を含む 彼のヴエルタでの成績は取消となった。

● 処分の開始はAAAの裁定が出た2005年4月18日から2年間という決定だった。

● その後ハミルトンはスポーツ調停所(CAS)にこの件を持ち込み、処分撤回を求めた。しかし、ハミルトンの輸血ドーピングは揺らぎないとして、このほどCASはハミルトンの主張を却下。これで2年間の出場停止が確定した。

しかし、CASは、ハミルトンの停止処分の開始は、先にAAAが定めた2005年4月18日からでなく、2004年9月23日からとした。

理由は、ハミルトンはAAAの決定が出る前から自主的にレースには出場しておらず、実質的に2004年9月23日からレースには出ていない。よって、2005年4月18日から2年間という処分は公平でないと判断した。


■ ハミルトンの声明(2/12 午後追加)

ここ1年半、個人的に打ちのめされるような経験をしてきたが、それをもとに僕はアンチ・ドーピング活動の枠組みの中で、改革目指して闘うつもりでいる。

USアンチドーピング協会のドーピング撲滅ミッションはもちろん支援している。ただ、現在のシステムでは、罪のないアスリートが検査にひっかかるしくみとなっており、変革が必要だ。

立証されず 結果もまちまちといった検査手法によって、選手が誤った検査の餌食になってはいけないし、ドーピング違反の罪を着せられてもならないと信じている。

僕は、アスリートの権利を守るために、組合を作る活動を支援し続ける。僕の目標は、他のアスリートが 誤った弾劾により、論外な罪を着せられたり、莫大な痛みを経験せずに済むようにさせることだ。


Today's Photo)生ハミルトンを初めてみた日。2000年ツール第16ステージのクールシュヴェルの山頂ゴール。まだUSP在籍時代。

ランスがパンターニ、ヒメネスを追って第2グループで到着。そのあと最初にきたUSPのアシストがハミルトンだった。かなり疲労困憊していた。

左から順に、エンリーコ・ザイナ(パンターニに少し似ているが違う)、ハミルトン、グエリーニ。


■ 2006.02.13 (Mon)  日本チーム、実は去年の賞金未払い問題でランカウィツアー最終日ボイコットを示唆していた
fuku.jpg 408×444 70K2月11日夜、日本チームは、ツアー・オブランカウィ最終ステージ(12日)に不出場の可能性を示唆した。去年の賞金47,725 マレーシア・リンギ(約1,500,000円)が未払いのままだ。これに抗議してのことだった。

最終日前夜、晋一選手は、「我々は長い間賞金支払を待った。レースを棄権するのは本意ではないが、何か解決の手立てを打たねばならない。」と語り、最終日ボイコットを示唆した。

ランカウィの05年度賞金未払い問題は、既に問題視されていたが、日本チームへの実害は公表されていなかった。 JUMP

これに対しレース開催者は、「この問題を認識していなかった」といい、13日月曜日までに支払うことを約束した。結局、日本チームはこの言質を取ったことから 結局最終日参戦を決意した。

しかし、実に皮肉なことに、12日最終日は大雨でレースはキャンセル。レースは流れ、総合順位は前日ものもが適用に。日本はそのままベスト・アジアンチーム賞を獲得した。

このあっけない幕切れに、福島康司選手は、「最終日ボイコットを示唆したのは他に選択の余地がなかったから。ことが約束どおりに解決することを望む。最終日キャンセルになったのは残念。走りたかった」と語った。

Photo: JC04 ブーランジェールのワルテル・ベネトと康司選手のツーショット。驚いたことにベネトの方から一緒に記念撮影してくれ、と康司選手に申し出ていた。

■ 2006.02.14 (Tue)  パンターニ2周忌
■ ホセ・マリア・ヒメネス:「次のツールでは、パンターニが 僕の最大のライバルになる」

今日はパンターニが亡くなって2年目にあたる。2003年12月6日に亡くなったヒメネスと、2004年2月14日に亡くなったパンターニ。ここに因縁の形跡。

ヒメネスは、生前こんなことを語っていた。

「今年、僕の目標はツール・ド・フランス。素晴らしいレースだから是非勝ちたい。最大のライバルはパンターニだ。
彼はなんといっても、最高のクライマーであることを見せ付けている。彼と共に、山岳で戦いを繰り広げたい。
パンターニと共に2人でトップスピードで競っていく、それはもう僕にとっては最高のことだ
。」

(スペインのサイト「アス」、2000年6月のヒメネス インタビューより。写真左がその記事。見出しには、「Pantani sera mi gran rival en el Tour= パンターニが僕のツールでの最大のライバルになるだろう。」の文字。)

そしてその言葉どおり、その年のツールで、ヒメネスはパンターニとともにクールシュヴェルの山を真っ先に駆け抜けていった(下右の写真。)
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パンターニ2周忌の行事は先の日曜日に、故郷チェゼーナティコそばのチェルヴィアで行われた。パンターニ写真展や、彼の親友など200人が参加したライドも開催された。ライドでは、途中彼の墓や実家に立ち寄った。

その後チェゼーナティコではミサが行われ、両親のほか、ブーニョ、コンティらも出席。父のフェルディナンドは、憤りの言葉と支援への感謝の言葉を口にした。パンターニに薬物を売り渡したディーラーの裁判は、まだ一部続いている。

写真左は、2000年6月のアスの記事を印刷したもの。99年5月にアスのサイトに出会い、以来3年間、毎日アスのWeb頁を印刷してスクラップしていた。

当時のアスのサイトは 今より嗜好が偏っていて、連日ヒメネスの記事ばかりだった。彼がいかにメディアティックだったかがしのばれる。今では、アスは個性がやや薄れ、もうスクラップはしていない。

右の写真は2000ツールのクールシュベルのステージで撮影。ヒメネスは、パンターニとともに2人でトップめがけて駆け抜けていった。言葉どおりに。

ランス・アームストロングはこの時点で離されてしまった。2人には追いつけなかった。

この後、2人はともにうつ病と闘うことになる。闘病中、マヨルカ島で一緒になり、合同トレーニングをする案も出た。その後、僅か2ヶ月違いで相次いで亡くなった。因縁めいたものを感じる。

■ 2006.02.14 (Tue)  昏睡状態4ヶ月の女性が大好きなシモーニの声で覚醒
simoni3.jpg 334×389 48K今日は、なんともStバレンタイン・デイに相応しい(?)愛のニュース。

交通事故がもとで昏睡状態に陥った女性がいた。家族の努力むなしく、彼女は4ヶ月間もの間、昏睡状態にあった。そこで、家族はある決意をする。それは、彼女が大好きだったアイドルの肉声テープを枕元で聞かせること。

そして、奇跡は本当に起こった。直後に彼女の意識が戻ったのだ。彼女が聞いたテープの声の持ち主はジルベルト・シモーニ。さらに、話はそこで終わらない。
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それは、2003年2月11日のことだった。

33歳のローマ在住のキアーラ・ミリオーレは、大の自転車ファン。そして、大のシモーニファン。彼女は、その日、兄(或いは弟)とともにバイクに乗っていた。

と、突如暴走車が現われ、2人を巻き込んだ。兄は打撲死。キアーラの方は病院に運ばれたが、意識不明の重態だった。

家族は彼女のもとに毎日通い続け、彼女が目を開ける日を待ち続けた。しかし、4ヶ月間、彼女の意識は戻らなかった。

2月に意識不明になったキアーラは、その後5月〜6月に開催されたジロで、大好きなシモーニが優勝したことも知らずに眠り続けていた。家族は、その間キアーラのためにシモーニの優勝インタビューを録音した。

そして、ついに家族はこんなことを試すことを決意する。その録音テープをキアーラの枕元で流して聞かせるということ。。。そして奇跡は起こった。

ほどなく彼女は目を開け、「ベーボ」としゃべったのだった!!ベーボとは、彼女がシモーニのニックネームとして愛用していた愛称だった。

彼女はその後奇跡の回復を遂げた。しかし、今も松葉杖生活を強いられている。彼女の夢は、自分の「サルバトーレ=救世主」に一目でいいから会うことだった。家族は、その一部始終を手紙に書いて、シモーニに送る決意をした。

今年の2月11日。シモーニの故郷ジョーヴォでは、ファンクラブのフェスティバルが開催されることになっていた。そして、その場所に、キアーラが招待されることになった。

シモーニとキアーラ、ついに2人の対面の時がきた。2人は抱き合って感激の対面を果たした。シモーニは彼女にマリア・ローザを贈り、会場はファンの大歓声に包まれた。

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写真は、その奇跡の女性ではなく、シモーニの奥さんのアリアンナ&シモーニ。JC01、結婚直前の2人。場所は宇都宮の公衆トイレ前。スパゲティの店を探していたら迷子になり宇都宮の町を徘徊している最中、ばったり2人に出くわした。

記事はtuttibiciから

■ 2006.02.15 (Wed)  フシギのチーム:エウスカルテル 。。。 チーム中17人がプロ優勝経験ゼロ 。。最下位争いの予感??
flores.jpg 403×425 63Kバスク地方はスペインでも自転車が最も盛んな地域。ごちゃまんとプロ自転車選手を輩出している。だけど、スペインチームの中にあって、昨今 リバティー、ケスデパーニュ・バレアレスのような華麗な戦歴がない。

オサ兄弟、アスタルロア、サンディオ、ベロキ、クエスタ、ビンゲン・フェルナンデス、ダビ・エチャバリア、ホリヨ、チャウレアウ、ミケル・アスタルロア、、、彼らはみんなエウスカルテル以外のチームで走っている。

エウスカルテルの上昇気流は2000年前半だった。

2001年ダビ・エチェバリアがオンセからEUSに移籍し、それから一気にチームは盛り上がった。エチェバリアは、オンセではリーダーになれず、それが不満で飛び出した。

EUSに入ってからは、チームのリーダーとして奮闘。ツールのワイルドカードを勝ち得て、やがてトッププロチームへとのしあがった。

しかし、やがてエチェバリアの力も一時の勢いを失い、彼は再びサイス監督のもとに去っていった。さらに、2000年にEUS入りをしてから活躍した10勝ライダーイバン・マヨが精彩を欠き始めてから、チームはどっと下降線を辿った。

今現在チームメンバーのうち17人が、まだプロになってからレースで優勝していない。去年ドーフィネで優勝したランダルセは、薬物審査でまだひっかかったまま。

期待のサムエル・サンチェスも、昨年はヴエルタ1勝とモンジュイックのヒルクライムでやっと2勝あげた程度。

アイマル・スベルディアも2000年にビシクレタ・バスカで華麗に優勝して以来、ここ2年はスランプ。

イケル・フロレスも2000年にラヴニールで鮮烈な勝ち方をしたものの、あとはぱたっと勝ち星から見放され。

去年はドミナ・ヴァカンツェとプロツアー優勝数最下位を競った。しかし、今年のミルラム(旧ドミナ)はペタッキの加入もあり、昔のドミナとは違う。エウスカルテル、ひとり勝ちならぬ、ひとり負けとなるのか???

Photo: イケル・フロレス。ツール04にて。00年ラヴニールで優勝して以来、勝ち星ゼロ。兄のイゴールは、引退して普通の会社員をしているそうだ。

■ 2006.02.16 (Thu)  トム・ボーネンSpecial ― いよいよ今日はペタッキvsボーネン最終日
boonen.jpg 417×305 55K■ 「ペタッキは最速男だ。でも勝てない相手じゃない」
■ 「ペタッキに2敗を喫した敗因は。。」
■ 「僕の勝ちパターンは、最初の1週間は最悪。でもその次の大事なレースで勝つ!」
■ 「今年の最大の目標はミラノ〜サンレモ!まだ僕が優勝経験がない最大のクラシック。」
■ 「ラルカンシェルは再びゲットしたいけど、でも世界戦よりフランドル一周。だって僕はフラマン人」
■ 「今年のツールでは、最初はマイヨ・ジョーヌ、その次はマイヨ・ヴェールを着る。それが目標。」


最強のパヴェのレース(05フランドル&パリ〜ルーベ)と世界戦を制したトム・ボーネン。

現在進行中のブエルタ・ア・アンダルシアではペタッキに2日続けてスプリントで敗れた。さて今日は最終日。2人の最後の一騎打ちとなる。以下、アンダルシア地方滞在中のボーネンのホットなインタビュー。

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― 2005年以上の成績を出せるでしょうか?

「かなり難しいだろう。1年でフランドル、パリ〜ルーベ、世界戦の全てを制したというのは前例がない。それを再現するというのは簡単なことではない。でも、強いモチベーションはある。なるべくそれに近づくよう頑張りたい。」

― カタールでは6勝をあげましたね。(ドーハINT + TDカタール4ステージ + 総合:計6勝。)でもペタッキには2敗でした。

「彼は最速のスプリンターだからね。でも勝てない相手じゃない。2回のスプリントで、僕はほんの僅かなミスをした。ペタッキを前に、そのミスを取り戻すことができなかったんだ。今日セビリヤ(第5ステージ)でツキがあるかどうか試したい。

1週間、問題があって その後大事な優勝をもぎ取るのが僕のパターン。例えば、去年のヴエルタ。1勝もできなかったけど、その直後のマドリッドの世界戦で優勝したのさ。」

― ミラノ〜サンレモの優勝は考えてますか?

「勝ちたいね。ミラノ〜サンレモは、今年の最優先で最大の目標なんだ。ルーベとフランドルで勝ってから、僕がまだ勝った事のない最大のクラシックだからね。

このレースは素晴らしい。ライバルもその分多い。特にイタリア人選手たち。勝つのはたやすくはない。でも、チャンスはある。」

― それから?

「春のクラシック。僕が大好きなレースだ。特に大好きなフランドル一周での優勝を再現したい。」

― 世界戦よりもフランドル?

「もちろん、世界戦で勝つのはとても重要。だって、1年中ラルカンシェルを身にまとうことができるから。とはいえ僕はフラマン人。だからフランドル一周には特別な思いいれがあるからね。」

このレースは、僕らの土地で育ったサイクリスト全てが夢見るレースさ。だから世界戦よりフランドル一周で勝てるほうが喜びは大きい。」

― 去年はツール・ド・フランスでも2ステージ優勝しました。今年は?

「もちろん今年も狙う。少なくとも1ステージは勝ちたいね。そして最初の数日はマイヨ・ジョーヌを着たい。プロローグはそれほどきつくない。ボーナスポイントなどを稼げば、その後暫くはマイヨ・ジョーヌをキープできる可能性がある。そしてその後は、マイヨ・ヴェール(ポイント賞)が目標だ。」

― ジロとヴエルタは?

「ヴエルタかな、多分。去年ツールで落車して8月は走れなかった。ヴエルタは世界戦準備で走ってみて、調子がよくなった。それをまた繰り返したいね。

でも、もしツールを完走してその後8月のクラシックに出場して、さらにヴエルタ出場となると、ちょっとやり過ぎかもしれない。まだわからない。その時がきたら考える。」

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Photo: 04ツール最終日、ボーネン優勝のシーン。シャンゼリゼのビルの一室で観戦していたが、ゴールポイントはそこからでは見えず。屋外のこだまする音声を聞きながら、TVでボーネンの優勝を確認した。

(以上インタビューはアスから)

■ 2006.02.17 (Fri)  UCIが再び3大ツールに横槍
3大ツールの主催者が企画していた3大ツールカップ プロジェクトに、UCIが待ったをかけた。。。という昨夜のニュースは小ネタ の方に移動済み。

■ 2006.02.17 (Fri)  シンケヴィッツは雑誌Procyclingに日記を連載中。内容は、意外に偉く「まとも」
prpatric.jpg 442×637 127K英国の雑誌Procyclingにはドイツ語版がある。このドイツ語版は、英国版+αドイツオリジナル記事+ポストカードがついていて、英語版より分厚くてお買い得だ。

2004年秋、欧州旅行帰りの人が、スペインの新聞、Procycling英国バージョン、Procyclingドイツ語バージョンを送ってくれた。その時にProcyglingドイツ語版のほうが英語版よりも内容が多いことを知った。

そして今年1月末、宇都宮で毎年お目にかかっている人がドイツに行くというので、Procyclingのドイツ語版を試しに買うと面白いですよ、と言ってみた。

帰国早々、その人からメールをもらった。

「PROCYCLING誌、買いました。 最初はなかなか見つからなかったのですが、 28日にフランクフルト中央駅の本屋で山積みになっているのを見つけました。 その日が発売日だったのでしょうか。

表紙はフォイクト、めくると、見開きいっぱいにペタッキとツァベル。 内容は、
・フォイクトとラスムセンのインタビュー。
・ 何かのランキング(フィニョンとかバハモンテスとか出ていた)。」

で、その人からスキャンで読み込んだ記事が送られてきた。左は雑誌の巻末に登場するシンケヴィッツの日記。英語版にはないはずだ。内容はまた後日にするとして、極めて真面目な内容。ジャパンカップで、のらりくらりというか、すごく飄々としているあの雰囲気とは打って変って 生真面目な印象を受けた。

■ 2006.02.18 (Sat)  リバティーのマノロ・サイス監督。エラスの一件で、昨年12月、引退直前まで追い込まれていた
saiz.jpg 442×465 53Kエラスのスペイン自連での調停に結論が出て、ひとここちついたのか、リバティーのチームプレゼンが漸くマドリッドで行われた。その場で、彼はこんなことを打ち明けた。エラスの一件が大打撃で、引退直前まで追い込まれていたことを。

「12月には、自転車の仕事を去るつもりでいた。我々は“トレランス・ゼロ”の手本になれなかったからだ。(*)」


■ 監督続行を決意したのは、選手たちのメモ書きだった

「もし12月にチームキャンプがなかったら、自転車と決別していただろう。実はキャンプ中、選手たちにこんなことを言った。紙を用意して、そこに夢と目標を書け、と。

選手たちが書いたそのメモ書きを読んでいたら、選手たちの目標は、僕自身の目標と同じだと気付かされた。そして、このまま続投する力が沸いてきた。」


■ 和の論理を重視するリバティーで、他の選手とまじわらず自我を全面に出して走ってきたヴィノがどう溶け込むかが課題だった。


「ヴィノクロフは、ウルリッヒというリーダーを中心にしたチームに所属していたが、そんな中で、彼は今まで自我を貫き通して走ってきた。ほかの選手たちとは一切関係を持たずにやってきた。でも、うちのチームは集団の和の論理を重視する。

(だから心配するところはあったが)、幸い彼はうちのチームに溶け込んでくれた。ツールでは、全員が一致団結彼を支援するだろう。そして、プライベートな面でも、みんなが彼を支えるだろう。」


■ ヴィノはツールでは少しひけをとる。でも最高のチームが彼を支える

そして、そのツールでの優勝候補については、忌憚ない意見を述べた。

「第一候補はバッソとウルリッヒだ。ヴィノクロフは、バルベルデとともに、その次のグループに属する。ヴィノは、一騎打ちになったらウルリッヒ、バッソの3人の中では一番弱い。

しかし、彼には最高のチームがついている。なにかすごいことをやってくれるのではないかと思う。今年勝てなかったら、次の年に勝つのは難しくなるだろう。」


(*)トレランス・ゼロ:ヴエルタの組織委員が、今年のヴエルタに掲げた目標。さらにスポーツ諮問委員でもこれが最大の目標に掲げられた。薬物に対するトレランス(寛容度)一切なし、ということで、断固たる態度でのぞむ覚悟でいる。サイスポ2月号129ページの06ヴエルタコース発表記事の一番最後を参照。

Photo:昨年のサイス監督(中央)。「スペイン語をもっともっとこれからも勉強しなさい」と言われたのは丁度この時。

■ 2006.02.19 (Sun)  タイラー・ハミルトンに対して多くの人が持っている気持ちを代弁する
hamilton4.jpg 278×415 35K2003年、鎖骨骨折しながら歯を食いしばって走り続けたタイラー・ハミルトン。彼のことを応援・支援し、信じ続けたファンたちの中には、先のスポーツ調停所の最終判断を心の中で消化しきれない思いでいる人もいる。

CNやDPのサイトにも様々な声が掲載されているが、DPのサイトのアメリカ人たちは、科学的な証拠論理に終始している。ハミルトンという自転車選手が自分にとってどういう存在であったかといった話には関心がないようだ。

そんな中、CNの編集部に寄せられたスコットランド人からの手紙が目に付いた。多くの日本のハミルトンファンの声を代弁しているような気がした。

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編集部殿、

タイラー・ハミルトンが2004年中、五輪・ヴエルタを前にして血液ドーピングをして、そしてついに罪が確定したというのは、自分自身は今だに信じられない気持ちでいる。

僕がどうしても納得いかないのは、彼はあれほど警告を受けながら、ドーピングをし続けたのだろうか、ということだ。

タイラーはクリーンだった、と信じたい。でも、証拠の壁が今や彼の前に立ちはだかっている。タイラーが鎖骨骨折しながら2003年TDFで魅せたあの勇気を支持したかった。ほかの多くの人たちも同様だろう。でも、もうその望みも消えてしまった。

今晩僕は夜勤なのでじっくりCNの記事を読みながら、調停所の全レポートを自分の中で消化しようとしている。どうやら、ことは至ってシンプルらしい ;

タイラー・ハミルトンは血液ドーピングをしていた −− 彼に対する不利な証拠は もう抗し難いほどで、有罪宣告を受けたも同様だった。

委員会は、ハミルトンがあげた抗弁をいともたやすくこっぱ微塵にした。こうなると、自転車競技や世界ドーピング機構の規定に従い、彼は違反者ということになる。

彼はあらゆる可能な手段で反論し、もはやそのネタは尽きた。彼は現役選手として二度と自分の汚名を晴らすことはできないのだろう。プロトンに万が一復帰したとしても、(僕は彼の復帰を信じている)、彼が再び信頼されることはないのだろう。

CNに書かれたハミルトンの抗弁の詳細はみんな自分たちで読めばいいことだから、ここでそれについて言及するつもりはない。ただ、僕の希望はシンプルだ ;

「タイラー、君を信じたいと願い続けている僕のようなファンのために、そして君が自分の人生を賭けたスポーツのためにも、僕ら全員にどうか本当のことを言ってくれないか。」

Photo: TDF04 リタイヤした後、最終日パリに現われたタイラー・ハミルトン

■ 2006.02.20 (Mon)  Tモバイルは、クイックステップよりもチーム運営がしっかりしていてパーフェクト
sinke2.jpg 563×755 124K先日触れたシンケヴィッツのDiaryから。

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南アフリカのキャンプ中、僕らは1つのコンドミニアムで共同生活した。コミュニケーションはばっちりだった。雰囲気も最高で、感激した。あともう1ヶ月長く滞在したかったぐらいだ。

僕が今まで在籍したクイックステップとTモバイルの違いは、組織力の程度に尽きると思う。Tモバイルでは、AからZまで、全てがパーフェクトなんだ。

海外でプロ経験を積んでから、今ドイツに戻って成長できることを嬉しく思っている。これが逆だったら、少しきつかったと思う。

南アフリカでは、少し息抜きもあった。アメリカズカップに出場予定のヨット「ショショローザ号」にも乗った。(その時の写真はこれ。) じつは「ショショローザ号」はTモバイルのブランドのひとつT-Systemsがスポンサーをしているんだ。

こうした息抜きの時以外は、毎日5〜6時間走ってトレーングをした。ウルリッヒ、クレーデン、ケスラー、ヴェーゼマン、コルフ、ポラック、バウマン、ツィーグラーらが一緒だった。

僕はもう本物のTモバイルのメンバーになったと感じている。2006年は、僕にとってビッグチャンスだ。当然、いい走りをしたいと思う。

僕のプログラムは目下こんな具合だ。

2月はアルガルベ一周。そのあと、多分、クリテリウム・インターナショナル、バスク一周、アルデンヌのクラシック、アムステルゴールド、フレッシュワロン、L-B-L。そして、ハニンガーのレース。

少し休養したあとは、スイス一周、ドイツ選手権と続く。そして、大事な目標のレース、ツールドフランスがある。

今は体調も健康状態もいい。新しいシーズンが迎えられてハッピーだ。
チャオ・チャオ。
パトリック・シンケヴィッツ

Photo: ジャパンカップ04 優勝メダルをかけて飄々と歩いていくシンケヴィッツ。

■ 2006.02.21 (Tue)  ジャパンカップの落書きに見る選手たちの素顔
「11.28 (Mon)  プロトン一の。。。 プロトン一の『画家』をジャパンカップの時に発見した!続く」と書いたきり、今頃になってしまったが、絵が上手な選手は、サウニエルのルーベン・ロバト。

この犬の絵も、ルーベン・ロバトが描いた。イラストが大好きのようで、滞在中の宿の白板を通過するたびになにか書き込みしていた。また、マドリレーニョ(マドリっ子)の彼は、「ユベントス 0点 vs レアルマドリ 3点」なんていう書き込みもしていた。

この犬のイラストの周辺を見ると、宇都宮では密かに日本語のレッスンが展開されていたようだ。「おはよー」は「友人にいう言葉(FOR FRIENDS)」「おはよーございます」は「目上の人(OLD)に言う言葉」と白板に書き込まれている。(写真)


これは作者不明の落書き。マルコメ君みたいなイラスト。


数時間後、それに誰かが追加で、「<-- マルコ・マルツァーノ」と入れた。


マルツァーノはこの人。その後、イラストは残ったが、左の「マルツァーノ」のコメントは消された。自分で消したのかな?

MTB通勤.com のJCレポートにも、ロビーの白板に描かれた選手たちのユニークな落書きがネタになっている。ココ

■ 2006.02.22 (Wed)  ペタッキ:「ミラノ〜サンレモで2連勝したい。ツァベルが僕をアシストするだろう」
peta3.jpg 457×457 186K現在バレンシア一周に出場中のペタッキ。去年制覇したミラノ〜サンレモで再び優勝することに意欲満々だ。そして、レースではツァベルが自分のアシストをするだろう、と公言した。

また当初、ジロのコースはスプリンター向きでないため、出場したくないと言っていたが、20日付けCNに掲載されたとおり、3大ツール全てに出場する意欲が出てきたことを再確認した。

ペタッキ:
「今シーズンさいさきよく優勝できて、ジロ、ツール、ブエルタの3レースを今年走る意欲が沸いてきた。走るからには、それぞれのレースで最低1勝ずつはあげたい。

2月にエトルスキで1勝、ルータデルソルで2勝、合計3勝できたことで、既にいいコンディションまで持ってくることができたことを確信した。特にルータデルソルでは、世界チャンピオンのボーネンを破ることができた。

ミラノ〜サンレモでは、ツァベルが一緒に出場して、僕をアシストしてくれる予定だ。彼の力を得て、去年の優勝を再現したい。その後、4月の目標はフランドル一周とヘント〜ウェヴェルヘム。そして、ジロでのステージ優勝を考えたい。

ジロを完走するのはたやすいことではないだろう。なにしろあの骨の折れるような行程だ。ツールやブエルタにも同様のことが言える。でも、2003年の戦歴を是非繰り返したい。

(* 2003年、ペタッキは3大ツールに全てに出場して、全てでステージ優勝をあげた。それぞれ勝ち数は、ジロ=6勝・ツール=4勝・ブエルタ=5勝。)

3大ツール全てでステージ優勝をあげるというのは自身への挑戦となる。」

目下彼はジロで19勝をあげている。この記録も、もっともっと伸ばしたいところだ。

去年バレンシア一周で、ペタッキは3勝をあげた。今年の初日は3位発進だったが、このあとどこかで1勝すれば、更に彼の自信は膨らむだろう。

今回アシスト陣はイタリア勢オンガラート、サッキ、ヴェーロ、コルティノヴィスとドイツ勢シュレーダー、ベッケ、ムズィオル。万全のトレインで、バレンシアでも勝ちを狙いに行く。

Photo: TDR05で黄色いリーダージャージを着用したペタッキ。このあとリーダージャージはクーネゴの手に渡り、最終日逆転でボテロのものとなった。

(インタビューSource: EFE)

■ 2006.02.23 (Thu)  イゴール・アスタルロア: メルカトーネ時代、パンターニとは気が合った。だから彼の死は打撃だった。僕の夢は、あれで崩れた。
asta.jpg 162×195 33K故郷バスク地方のエルムアとフランスバスクのベルリッツ、イタリアのガルーダ湖を行き来しながらレースを続ける元世界チャンプのアスタルロア。結局今年もプロチーム入りできなかったが、彼の胸のうちやいかに?

■ コフィディスを去ってからツキに見放された

アスタルロア: 03年、世界戦で勝った後、運は味方してくれた。04地中海ツアーでは、2日目にベッティーニについで2位になって以来数日リーダージャージを着用した。

ティレノでは総合4位。ミラノ〜サンレモでは6位だったから、最高のスタートが切れたと思った。

でも、そのあとコフィディス問題が起こってランプレに急遽移籍した。以来、思ったように上位に食い込めなくなってしまった。

去年は手を骨折してスクリュー5個、プレート一個を右手に埋め込んだ。手が動かせない上に、プレートで腱を痛めてしまった。プレートをはずすためにまた手術をしたりして。おかげで走ることができなかった。

過去2年は苦渋に満ちた日々だったことは否定しない。夢が消え去ったのは確かだ。


■ パンターニとは気の合う仲間だったから、彼の死にはすごく考えさせられた

夢が消え去った理由のひとつはパンターニの死、さらに、バーロワールド入団の選択。

僕はパンターニと一緒に(メルカトーネで)走っていた。僕らはすごく気が合った。彼は選手としても友人としてもアイドルだったんだ。僕は彼のことはすごくよく知っていたし、彼の死で、人生についてすごく考えるようになった。


■ お金のためにバーロワールドに決めた。でもこの決意は周囲から批判された

バーロワールドと契約することについては、僕の周囲はみんな反対した。

契約した理由はお金さ。年俸は重要だ。僕はメルカトーネ、コフィディス、ランプレといういいチームを渡り歩いた。でも、プロツアーチームのなかで、バーロワールドのオファー金額を超えるチームは1つもなかった。

だって、自転車選手として稼げるのは、ほんの数年だ。まずプロにならなくてはいけない。そして最低金額で契約する。そして、やっといい契約にありつける。でもそれは、すごく短い期間だけさ。こういうことを言うと批判の声があがるけど、でもチームの選択は僕個人の問題だ。

でもやっぱり、現役を終えるまでにプロツアーを走りたい。8月頃には将来が展望できることを望んでいる。


■ エウスカルテルからも誘いの声がかかっている

実は昨日、マダリアガ(EUSのマネージャー)から電話があって、なにか今のチームに問題があったら門戸は開放しているよ、と言われた。EUSは僕のようなクラシックレーサーがいないからね。


■ NYシティマラソンに出場しようと思った。

冬のオフシーズンの間はイタリアの友人連中や家族とNYに行っていた。実はNYシティマラソンを走ろうと思っていたんだ。全く準備もせずに。結局やめたけどね。

先シーズン末、僕は疲れきっていた。肉体的にじゃなく、頭が疲れていた。だから最後のクラシックレースは、結局パスしてしまった。

(ディアリオバスコから)

■ 2006.02.24 (Fri)  まだまだ知らないリバティーがあるぞ
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久々に届いた「ロードレース・ファン投票」。昨年末に投票を再開して以来初めての1票は、リバティセグロスファンから。そこで、リバティセグロスチーム講座(?)開催を決定。まず1時間目は「歴史」。

リバティの前身オンセについて
リバティの前身はもちろん、オンセ(ONCE)。オンセは宝くじ販売を通じて視覚障害者を支援している非営利団体。具体的には視覚障害者を宝くじ販売員として雇用したり、収益金で車椅子を購入するなど。スペインに行くと、あちこちにオンセの宝くじスタンドがある。

● オンセとしてのチーム創設
1989年(1998年から2000年前半まではサブスポンサーにドイツ銀行がついて、オンセ・ドイチェバンクだった。)

● オンセからリバティへ
オンセが突如2003年いっぱいでスポンサーを降りることになり、サイス監督はスポンサー探しに東奔西走。様々な企業と交渉し、リバティ保険会社をスポンサーにつけることに成功。

リバティ保険会社(正式名称:リバティ・ミューチュアル・インシュアランス・カンパニー)は、ロゴの自由の女神からも明らかな通り、アメリカの保険会社。(本部はボストン。)サブスポンサーに途中から加わったウルト(ビュルト)はアセンブリー会社。

● エラスをUSPから略奪
同時に、既にUSPと契約をしていたロベルト・エラスを03年12月になってUSPから急遽引き抜いた。04年、サイス監督の秘蔵っ子のベロキが、ラ・ブーランジェールに移籍することになり、リーダー不在となったためだ。

● ベロキとの不協和音
ベロキは当初サイス監督にどこまでもついていく、と述べていたが、サイス監督のスポンサー探しが難航している間にStayerという新チーム結成計画に乗ってしまった。(03年11月のトクダネ)結局、チーム結成の話は眉唾もので、ベロキは行く先がなくなり、ブーランジェールへ。(しかし夏前に事実上解雇された。)

結果的に、その後サウニエルを経た後、ベロキは「世界一の監督(ベロキの弁)」のもとに戻ってきた。

● 歴代のスター選手
マリアノ・レハレッタ、アブラハム・オラーノ、ローラン・ジャラベール、アレックス・ツーレ、ヨセバ・ベロキ、ロベルト・エラス、アレクサンドル・ヴィノクロフ

● 改革のオンセその1:チームバスを始めて導入した。

● 改革のオンセその2
以前は絶大的なリーダーを一人決めたら、不調でもそのリーダーに固執する傾向があった。しかし、サイス監督は柔軟路線を確立。リーダーが不調ならすぐに調子のいい選手にリーダーをスイッチした。

● 改革のオンセその2
サイス監督はマドリッド大学の学生にシューズ開発を任せるなど、メーカーが提供するものをそのまま使うのではなく、自ら技術革新をも目指していった。またトレーニングメソッド確立など、斬新的な手法を次々と生み出した。

● サイス監督の歴史
1959年10月16日生まれ。出身地はカンタブリア地方のトレラベガ(フレイレと同郷)。

彼は元自転車選手ではない。INEF=Instituto Nacional de Educacion Fisica フィジカル・エデュケーション国立機関で学んだ。その後アマ・ジュニアのナショナルチーム選出担当に。

そしてオンセ設立とともに監督に就任。2004年までは自転車選手プロ協会会長もつとめた。

上記写真は、去年4月に撮ったサイス監督とエラス(左)、アテネ五輪メダリストのパウリーニョ(中央)、Dエチェバリア(右)。監督はとにかく、とことん選手と話して話して話しまくる。レースの後でも、納得いくまで選手と語り明かすのが主義。

レース前に選手たちと一番よく会話をしているのがサイス監督。ほかのチームの選手もよくサイス監督と話し込んでいたりする。放任主義のバレアレスのウンスエ監督や、EUSのゴロスペ監督とは対極にある。


■ 2006.02.25 (Sat)  ツアー・オブ・カリフォルニアは連日大活況
andrew.jpg 449×385 87K■ チーム・トヨタはバクシン中。チームの監督はあの人。

ツアーオブカリの会場に、UCIの会長が現われて、第一回目開催にしては上出来と、いい評価を与えたようだ。いいチームが出場しているだけでなく、いい選手が出場していることも高い評価につながっている。

もっとも、北米の選手の実力が高くなっているから、あれだけ盛り上がっているという感もある。

ところで、今現在本レースで2勝あげているアルゼンチンのフアン・ホセ・アエド。彼はトヨタ・ユナイティッドプロチームの選手だ。2月8日の小ネタで紹介したあのコンチネンタルチーム。以前のカテゴリーでいえば、Div3のチーム。

このチームの監督は、元USPの選手。引退後もメディアティックに活躍してきた人気者、フランキー・アンドルーだ。

2000年に引退したあとは、写真のようにマイクを持ってアウトドアライフネットワークのツールTV中継の仕事に参画したりしていた。

そして新たに今年から、彼は新チームトヨタ・ユナイティッドプロチームの幹部となった。

このチーム、シーン・タッカーという元自転車選手がチーム運営会社を作り、トヨタをスポンサーにつけて発進。アンドルーに監督となるよう説得した。チームジャージには、むろんトヨタの文字とロゴがついている:写真

■ 目下2勝中のトップスプリンター、アエドはナショナルチャンピオン4回。南米トップスプリンターの息子


目下2勝中のフアン・ホセ・アエドはアルゼンチンきってのスプリンター。アルゼンチンでは4回ナショナルチャンピオンに輝いた。昨年は6勝している。父は南米でも有名なスプリンター、フアン・カルロス・アエドだ。

Photo: ツール03。アンドルーとヒンカピー。元チームメート同士。アンドルーはマイクを持っているが、下げたまま。目下仕事ではなく、プライベートの会話中。

■ 2006.02.26 (Sun)  乳ガン手術を受けたシェリル・クロウに、ランスが声明文
lancesheril.jpg 359×574 64K22日にシェリル・クロウ乳ガン手術を受けていたことが判明したが(昨日の小ネタに掲載)、彼女と今年になって別れたランス・アームストロングは、「衝撃を受けている」とショックを隠しきれない。さらに正式な声明文を出した。

「今回自分が深く愛している人までがこの病気に侵されることになって、またしても、僕はつくづく痛感した。この病気(ガン)がいかに蔓延しているか、ということを。

ランス・アームストロング基金(LAF)のスタッフたちは、シェリルに多大な賞賛・尊敬の念を持っている。彼女の寛大・熱心なLAFへの支援があったからこそ、何百万人ものガン生還者たちによるリヴストロング理念につながった。

シェリルは、ガン患者へいつも暖かい思いやりの心を持っていた。彼女が僕らの運動に向けてくれた決意とエネルギーのほんの一部でも、彼女の未来に力を与えることになれば。そうすれば、彼女の多大な精神力がガンを撃退することだろう。

彼女が完治する日を信じている。」


ランスはツアー・オブ・カリ第6ステージの前夜、翌日のスタート地点であるサンタバーバラに現われた。UCIのマックエイド会長と会食し、翌朝チームバスと監督車でレースに同行したが、表立った行動はなかった。

シェリルの手術の方だが、これまでのニュース内容から察するに、温存療法が行われ、リンパ節郭清(切除)はせずに済んだ模様。手術後暫くしてから5週間程度にわたって、補完的な治療として放射線治療を施すことになる。

ランスが睾丸のガンに侵されたときは、肺や脳にも転移しており、手術だけでなく、その後辛い抗がん剤による化学治療を受けたが、シェリルの場合、リンパ節転移が現段階で認められてはいないようなので、それは不要であると推測される。

コンサートツアーが3月、4月に予定されているが、予定変更の可能性も。

Photo: シェリル&ランス。去年の7月22日に撮影したもの。丁度半年前のもの。

■ 2006.02.27 (Mon)  ロビー・マキュエンと元旦に初ライドをした羨ましい日本人
robbie2.jpg 455×465 83K世界中で日本のケイリンがどういう発展形で展開しているのか、自分の確かめるべく世界中をバイクで駆け抜ける、そんなことを自分のミッションとしている日本人ケイリン選手がいる。自称ケイリン大使。

その人からファン投票が届いた。(Saslon de Cafeのページに投票内容アップ済み。)コメントのところには、「今年の元旦マキュエンと一緒に走ってきた」と書かれていた。紹介されたオーストラリアのサイトを見てみたところ、彼の紹介記事とともに、その時の写真が掲載されていた。記事はここ。マキュエンと元旦初ライドした時の写真はページの一番下。

ツーショット写真の中のマキュエン、いつもよりもなんか柔らかい微笑をしている。バイク仲間同士の気軽さか、すっかりくつろいだ表情だ。

さらに上述の記事によると、メッセンジャーの世界選手権が昨年行われたらしく、メッセンジャーから転じてケイリン選手になった人もいることが紹介されている。(工藤選手

ところで、マキュエンと一緒に走ったケイリン選手の名前は、冨田敏彦選手。去年六本木のHUBで実況中継をしていたツール・ド・フランス観戦で一緒にお酒を酌み交わした人もこの中には何人かいるかもしれない。

Photo: ツールをオーストラリアチャンピオンジャージで走った時のマキュエン

■ 2006.02.28 (Tue)  アームストロングの99年のドーピング検査結果流出事件。実はUCIがグルだった
lance7.jpg 512×384 139K昨夜の小ネタの続き:

05ツールが終わった8月のこと。99年ツールの薬物検査でランスから摂取したサンプルに、EPO成分が含まれていた、というスキャンダルをレキップ紙が書き立てた。

EPOは当時まだ禁止薬物指定を受けていなかったが、ランスはEPOは摂取したことはないと言っていたため、これが一種スキャンダルに発展した。

しかし、そもそも何故99年の彼(及びほかの数人の選手)のサンプル分析結果が流出したのか?これは非公開だったはずだ。

このほど調査の結果、UCIのメンバーがデータ流出にからんでいたことが判明した。事態がはっきりするまで、UCIのメディカル部門担当ドクター・ゾルゾーリが停職処分となった。

UCIはこのほど異例の声明を出した。以下概略:

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トリノ五輪の最中、世界ドーピング機構の会長ディック・パウンドがUCIのフェアブルッヘン会長に会った際、「ランス自身が署名した99ツールの薬物検査シートを、自分は15枚所持しているぞ」と述べた。

これはUCIが管理しているはずのものだった。UCIはすぐに調査開始。これまで、本事件は、レキップ紙の記者ルシオ氏がひとりでやったこととされ、さらに所持していた検査シートも1枚だけだと思われていた。

しかし、今回の調査で、1)レキップの記者ひとりがやったことではなく、2)UCIがぐるで、3)しかもデータは15枚流出していたことが判明。

で、この件ちょっと複雑なのが、このレキップ紙の記者は、実は調査前にランスとコンタクトをして、検査結果を入手することについてランスから同意は得ていた。

■ まずレキップ紙の記者は、ランスの薬物検査結果を調査する時、ランス自身の了解は取り付けていた。

■ というのも、レキップ紙の記者がランスに、「ガン闘病中、あなたがガン治療で禁止薬物を使用しなかったということを証明するためにデータにアクセスしたい」と言葉巧みにいったため、ランスもこれを了解した。まさかEPO検出を暴かれるとは思わなかった。

■ しかし、記者がアクセスできるデータは1つだけのはずだった。ところが彼は、15個のデータにアクセスして記事を書いた。

■ なぜ15のデータが流出したのか?UCIが調べたところ、このデータ流出にはUCI身内のメンバーが関わっていたことが判明。レキップの記者とグルだった。


UCIはこの事実は知らなかったとして、今までの事実誤認に謝罪するとともに、ランスに対する個別調査はまだ続行しており、その結果を待っていると述べている。

■ 2006.02.28 (Tue)  過去のダイアリストの中で一番傑作なエントリー
grp0228204722.jpg 373×410 48K昨今、いろいろな選手がレース日記をつけている。カリフォルニアでもライプハイマーが日記をつけていた。でも、やっぱり今までで一番面白かったのは2001年のナコール・ブルゴスのランカウィ日記。

とにかく視点が新鮮。異国の地で好奇心満々でレース入りした様子がイキイキした様子で描かれている。

それにしても、なぜ今ナコール・ブルゴスなのか?実は彼は99年からずーっとレラックス(最初の前身はフエンラブラダ)で走っている生粋のRelaxっ子。そして、本日新着のサロン・ド・カフェの人気投票で、「好きなチーム」に「リラックス」とあげた人が初登場した。

レラックス(スペイン国籍の会社なので、ここでは一応スペイン語読みにしときます)は、そのものずばり、マットレスの会社。コルチョン・レラックスのコルチョンは、スペイン語でマットレスの意味。

かつては、ディスカバリーのノバルや、ラボのフレチャも所属していた優良チームだ。

そんなわけで、2001年に紹介したナコール・ブルゴスのツール・ド・ランカウィ日記復刻版。

-------- ナコール・ブルゴスのランカウィ日記2001 --------

『僕のチーム、レラックス・フエンラブラダチームは今シーズン、マレーシアで始動した。そう、2月6日から18日のツアー・ランカウェイが初レース。僕はナコール・ブルゴス。この記事では家を離れてレースに出ている選手が、どんな生活を送っているのか、そんなことをおしゃべりしようと思う。

片道16時間
全ては1月29日に始まった。マドリッドを出発し、マレーシアの首都クアラルンプールを目指した。ロンドンで乗り換えて、16時間の長旅だった。2月18日まで、ここが僕らの新しい住みかとなる。

いや、16時間というよりは、実際はほとんど1日、23時間経っていた。というのもスペインとは7時間の時差があるから。こちらのほうが7時間進んでいるんだ。僕や仲間はアジアで戦うレースってどんなもんなんだか、好奇心を持ってここまで来た。

到着、そして食事
ランカウェイの島に到着した。蒸せ返る暑さと90%の湿度だった。バスでホテルに向かう。最初の驚き、それは運転席が左だったこと!ホテルは最高級のホテルだった。

夕食で階下に降りていった時、「どんなモノをここでは食べてるんだろ?」それが僕らの質問だった。でも答えはすぐにわかった。なんだスペインと同じようなものを食べているんじゃない。これで空腹にはならずに済みそう。。。続きを読む

そのほか、飛行機でフレチャと一緒にヒマラヤを見て大感激した様子、マペイのベッティーニが猿に噛まれた話、マペイのブラマーティがAG2Rの助監督にいたずらをした話、フレチャが遅刻して、レース開始時間を遅らせた話などなど、こぎみいいペースで登場する。

Photo: 元レラックスのベンハミン・ノバル。ブリュイネール監督の目にとまり、ディスカバリーにステップアップ。チェチュと同郷のアストゥリアス出身。

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