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小ネタ JUMP


今月のニュース:ヤン・ウルリッヒ、ダニロ・ディルーカ、チームバンなど
Mas.ciclismoは、200112月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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■ 2006.03.01 (Wed)  浅田監督のプロチーム VANG 設立記者発表会
vang.jpg 727×635 135K予定通り3月1日、浅田監督率いるチームVANGの設立記者発表会が都内のホテルで行われた。

スポンサー候補に挙がっているYahooとの交渉はこの日までには終結せず。チームYahooのジャージでの発表会とはならなかったが、とにもかくにもチームVANGとして、華々しい船出となった。

特に浅田監督のスピーチには、なんとかここで流れを変えないといけない、という熱い想いが凝縮していた。

今までの体制に対する閉塞感、そして、そこから脱却しなくてはツールという世界の桧舞台で活躍できないんだ、という強い意志。

スマートな浅田監督に「野望」の文字は似合わないので別の言葉に置き換えるとすると、”秘めたる闘志”と言ったところだろうか。

ツールで走るだけでなく、ステージ優勝をも念頭に入れ、シャンゼリゼまで完走することを目標に掲げる。妥協を許さず、あくまでも上の上を目指していく。その精神が、今回の旗揚げにつながったことを強く感じた。

チームの骨子は3つ:
・ 選手たち自身が活躍できるチーム
・ 実業団という枠組みではなく、独立・自立したプロチーム
・ そして、ツールのためのチーム

タイムスケールは : 2006年VANG発足、07年UCIプロコン昇格、08年ヴエルタ参戦、09年ジロ参戦、2010年UCIプロチーム昇格&ツール参戦。

そのために挙げられた6つの戦略の中には、ほかの競技との連携も含まれる。例えばMTBやスピードスケートの選手の受け入れなどだ。

本日のゲストは高坂希太郎氏。目下「茄子 アンダルシアの夏」の続編を手がけているという。クレバーな浅田監督に太鼓判を押した。

さらに元文部大臣で衆議院銀議員の小杉隆氏。

同氏は、トライアスロンを走破するほどの、自転車愛好家。谷垣禎一財務大臣、参議院議員 橋本聖子氏らとともに、自転車活用推進議員連盟 を発足させた。

氏のスピーチを聞いていて、自転車と政治という一見アンマッチなく見合わせが実は最高のコンビネーションであることに気付く。

氏が掲げた自転車4K(「「健康にいい」「環境に優しい」「交通渋滞の緩和になる」「経済的に安い」)のうち、「環境」のテーマという切り口を考えると、地球温暖化という環境面での重要テーマが見えてくる。

この温暖化防止策の一環として自転車に焦点が当たれば、チームVANGの発展や、日本の自転車競技普及にもつながる。さらに道路整備、駐輪場の整備など、自転車を普及させるためには政治の力も重要となる。小杉氏は、そういう面にも配慮した政策を進めていく旨熱く語った。

頼もしい助っ人登場といったところだ。

さらに橋本聖子議員からの激励メッセージも読み上げられた。

さて、気になるチーム名の方だが、質疑応答の際、真っ先に質問が出た。事前に、チームYahooとして立ち上がると言う話が浮上していたため、その件について説明を求めるものだった。

これに関しては、チーム運営会社(株)萬の長弘昌氏より説明があった:

「本日のプレゼンを迎えるにあたり、Yahooとの契約は間に合わなかった。Yahooのユニフォームで会見の日を迎えることを期待したが、今の段階では引き続き検討中という状況である。

しかしながら、ほかのスポンサーが本プロジェクトへの関心が薄い中、Yahooは前向きに、熱意を持って協議に応じてくれている。近日中に進展がある場合もある。」とのこと。

なお、会場にはTBSのカメラや共同通信の記者らもおり、関心の高さをうかがわせた。共同通信社からは、晋一や浅田監督に質問が及んだ。その内容、浅田監督のプレゼン内容などは、別ページにて:記者発表詳細レポートへ

(参照:2/1付けトクダネ :チームYahoo Japan に関するNews”)

チームのWebサイトは:http://www.vang.jp/

写真など、詳細レポートは別ページを作成中。

■ 2006.03.02 (Thu)  気功術を自転車トレーニングに取り入れているスペイン選手
bru.jpg 275×207 20Kヴエルタのワイルドカードはバレンシアナとレラックスに決定し(今朝の小ネタ参照)、チーム・カイクの落胆振りは激しい。

特にチームの個性派ホン・ブルは、気功術をトレーニングに取り入れた選手として異彩を放っており、ヴエルタで是非見てみたかった選手だったのだが。

ホン・ブルがこのChi Kung式の気功術と出会ったのはプロ入り初年度の2000年(LA Pacolでプロ入り。)アレルギーがひどく、整体師の所に行ったところ、薦められた。

元々彼は農業工学と心理学を選考し、自然と精神的なものには興味があった。気功に興味を持って はや5年。彼は、ついに今年の冬、わざわざ中国にまで赴き、本場の気功術を学んできた。

ホン・ブルに手ほどきをしたのは以前体操選手で、現在気功の学校を開設しているChi Kung。

「 中国の風習や流儀を完全に理解できたとは思えないけど、とてもいい経験だった。旅行も少しできて、特に万里の長城は感激だった。また中国に戻りたい。

驚くなかれ、僕はChi Kungにじきじきに習ってきた。習うことは所作、気、呼吸などがメインだ。Chi Kungは自分の体を知りつくし、呼吸法でトレーニングをする。エネルギー(気)をコントロールすることを学んできた。

西洋でも鍼(ハリ)が導入されつつあるけど、これはエネルギー(気)が通らない部分を開放してやる、っていうのが理念なんだよ。Chi Kungは、鍼もやるんだ。自分に鍼をほどこしたり、気のトレーニングをしたり、経絡を押してマッサージをしたりする。」

「スポーツに気功術はすごく合う。これはリラックスであり、精神統一であり、肉体を100%維持するためのものだ。僕も自分の体の変化に気付いている。

正しい呼吸法を身につけて、体・器官・筋肉・腱、そして心全体に気を取り入れるのさ。」

彼は今も毎日2時間、気功に没頭している。


カイクはこれで来季続投がクエスチョン?レラックスも来季はハテナ

ところで、話はヴエルタに戻って、ワイルドカードが得られなかったカイクは、成績もレラックスより良かっただけにがっかりだ。

「選出者がえこひいきしている」と非難もしているが、やはりチームの歴史というエレメントが決定的だったようだ。カイクはまだプロチーム結成して2年しか経っていない。

今回ヴエルタでメディア露出ができず、カイクは来季スポンサー続投がクエスチョンになった。

さらにレラックスも、来季の続投については、結論を出していない。

Photo copyright@mikel.saiz/ AS Diario

■ 2006.03.02 (Thu)  チームフォナック2006年いっぱいで終了の続報 -- ISharesにスポンサーが務まるかテスト開始

BEFORE

AFTER
2006-01-21 の小ネタ(=フォナックのスポンサー契約は06年でとりあえず終了。後任には、投資系会社のISharesが目されているというNews)のフォローアップ。

遂に噂のISharesが動き出した。ツアー・オブ・カリでサブスポンサーとなり、今季は大半のレースでチームをサポートすることに。さらに、iSharesは6月まで、フォナックチームの舵取りを試験的に行う。

チーム運営をトライアルして、自転車競技を深く知ることで、07年本腰でスポンサーをやるかどうか判断することになる。

iSharesは、バークレイズ・グローバル・インベスターズが運用する上場投資信託のブランド。
ところで写真はフォナックのマネージャー、ルランゲ氏。05ツール最終日、彼の頭を見て唖然。剃りが入っていた(右)。帰国後CNを読んで、その意味が判明。

「伊達男ペレイロはツール直前、1cm髪を短く切りすぎて、ちょっと見栄えが悪くて気にしていた。それを見たルランゲが、ペレイロがツールで優勝したら、自分が今度は髪を剃ると誓った。幸か不幸か、ペレイロはポーのステージで優勝してしまった。」

■ 2006.03.03 (Fri)  ツールのワイルドカードはアグリテュベルとバレンシアナに決定
bufas.jpg 315×555 63K3月2日、パリでツールの参戦チーム発表がASOのジャンマリ・ルブランとクリスティアン・プルドムによって行われた。

うち20チームはプロチームと決まっており、残る2枠はアルリテュベル(フランス)とバレンシアナ(スペイン)に決定。今年は去年より1チーム多い22チームとなった。アルリテュベルはツール初出場となる。

ツールは1903年にスタート。戦争中のブランクがあるため、今年で93回大会となる。

アグリテュベルのツールリーダーは、ツールでステージ1勝しているフアン・ミゲル・メルカドと目されている。しかし、そのほかにも、ツール経験者が揃う。

例えば元CSCのマヌエル・カルベンテ。そのほかステファン・ベルジュ、クリストフ・アニョルトーや、99年ホワイトジャージ(新人賞)に輝いたブノワ・サルモン。この3人は偶然ながら、以前AG2Rに在籍したことがある。

一方バレンシアナは去年は例のマンサノ事件があり、(ヴエルタの最中チーム規律を破って解雇されたマンサノ元選手が、チームの薬物スキャンダルをぶちまけた)、ツールのワイルドカードからはずされた。

結果、去年はプロチーム20とAG2Rの合計21チームのみの出場だった。
バレンシアナのツールリーダーはルーベン・プラサと目されている。TTが得意でTTスペイン選手権で3位に入るほか、去年はレースで多くの優勝をさらった。

これで3大ツール全てのワイルドカードが出揃った。

ワイルドカード一覧>>

ジロ・デ・イタリア : セッレ・イタリア、チェラミカパナリア(Re.2/28付小ネタ)

ツール・ド・フランス : アグリテュベル、コムニダ・バレンシアナ(Re.3/3付小ネタ)

ヴエルタ・ア・エスパーニャ : コムニダ・バレンシアナ、レラックス(Re.3/2付小ネタ)

バレンシアナはヴエルタとツールの出場権を獲得し、念願叶った。

Photo: 祝チーム初出場!アグリティベルのミカエル・ブファス(パリ〜ツール05にて)

■ 2006.03.04 (Sat)  チームVANGがTBSの夕方のニュースに登場
3/1トクダネのチームVANG誕生ニュースで、「会場にはTBSのカメラや共同通信の記者らもおり、関心の高さをうかがわせた」と記載したが、そのTBS、ちゃんと放映してくれた。18:30からの「イブニングニュース」で、華々しく、且つ、なかなか たっぷりと。



帰宅してTVをつけ、別の部屋にいたら、突如、「自転車ロードレースは。。」というアナウンサーの声。慌ててTVのある部屋へダッシュ!!
すると画面いっぱいに、VANG設立のあの記者発表の様子が大写しに。「自転車ロードレース初のプロチームが誕生」と銘打って、チームVANGを宣伝。

これまでは仕事と競技を両立させてきたが、これからはプロとして自転車に打ち込むことになる、と。レースでの晋一選手の活躍などが映る。



さらに福島兄弟を軸にニュースは続く。晋一のコメント、兄弟の自宅でのコメント。自転車競技にのめりこんだきっかけは、「兄ちゃんの真似をして、ただの憧れで」と康司選手。そして、力強く、「是非自分たちの代で、ツール出場を果たしたい」と。

■ 2006.03.05 (Sun)  2/24のリバティー特集第2弾。美術の授業と題してオンセのジャージ変遷
■ ツールで唯一チームジャージが着れなかったチーム オンセ

ツールのリーダージャージは黄色。だから、ツールでは紛らわしい真黄色のジャージは着用できない。オンセのジャージは黄色。そこで、ツールの時だけは、違う色のジャージをあつらえていた。

唯一例外は、TTの時とパレードの時。この時だけは、黄色いジャージでもOKだ。例えば、TTはひとりひとりスタートなので、誰が走っているか明白なのでOK。

90年代、オンセはツール用ジャージをピンク色にしていた。ところが、99年、突如真っ黒ジャージに。これはかなりの悪評だった。

右が99年の真っ黒ジャージ。悪評だったので、翌00年、左のとおり、黄色+白+黒になった。写真右奥はエチェバリア、左はオラーノ。



左は00年の黒+黄色いジャージのジャジャ。この年のツール、オンセは散々だった。

中央は01年。結局ツール用ジャージは昔の通りピンクに戻った。写真はイゴール・ガルデアノ。

右は02年。よく見ると黄色いジャージの上からピンクのジャケットを羽織っている。この日はTTだったので、選手は黄色で走った。レース後には、上からピンクのウエアを羽織って、ピンク+黄色のなかなか派手な色合いで会場を後にした。

02年パレードのオンセ。ピンクのツール用ジャージでなく、あえて通常の黄色いジャージを選んだ。2色のジャージを持参してツールにのぞむとは、余裕があるな、思った。まるでお色直しだ。

■ 2006.03.06 (Mon)  ボーネンが着ているクイックステップのラルカンシェル日本初上陸記録、あっけなく破られる
昨日小ネタで伝えた件(ボーネンが着ているアルカンシェルをいち早く2月27日に購入・ゲットした人のNews)、1夜にして記録が塗り替えられることになった。2月27日より前にラルカンシェルをゲットした人が名乗りをあげたのだ。その人とは、F.A.B.logさん http://fab.bblog.jp/ で、記録は2月24日。

    『小ネタの方で,Boonenのアルカンシェル初上陸のネタが載っていましたが,僕の方も2月の24日にUSPS便でアルカンシェル・ジャージが届きました... 3日ほど先着(-_-;;;
    ただ,ciclistorossoさんと違って,http://www.goride.com/というジャージの海外通販サイトで購入しましたので,QuickのWebサイトから購入したという純正感はないですね.

    www.goride.comは,珍しいジャージ,例えばムセウのQuickジャージ(袖と首にアルカンシェル入り!!)などが購入できるので重宝しています。たぶん偽者ではないと思うんですけどね...
    ちなみに,僕が購入したアルカンシェルジャージは,ヴェルマルクのタグが付いてヴェルマルクのビニール袋にきちんと入っていました。以前,東京の横尾双輪館さんでLottoのジャージ(ヴェルマルク製)を購入した時と同じだったので,偽者ではないと信じております。』

http://fab.bblog.jp/entry/276180/ 到着した日のBlog。到着時の課税に関する情報あり
http://fab.bblog.jp/entry/273963/ オーダーした日のBlog

■ 2006.03.07 (Tue)  ベルギー便り
grp0307083042.jpg 540×409 108K■ コルトレイク便り

先日開催されたヨハン・ムセウ記念の西フランダースレース。初日はクイックのキッキ、2日目はマキュエン、3日目はショコラーデのエックハウトが優勝した。初日のスタートはKortrijk(コルトレイク)。

かの三船選手や橋川選手が滞在された場所だ。このコルトレイクから生の自転車便りが届いた。http://blog.goo.ne.jp/byr10311/

自転車持参でコルトレイクに暫く滞在すしている人が、現地からベルギー便りを発信中。自転車のメッカ、という感のあるベルギー コルトレイクから届く自転車通信。目下のエントリーには下記の内容も:

● 元世界チャンプ、フレディ・マルテンスが、Roeselareという町の自転車博物館の館長をしている話。そしてその彼に面会した話。

● Oudenaardeという町にも自転車博物館があり、橋川選手のフランダースツアーには、しっかりここが組み込まれているという情報。

● コルトレイクでは、「ミフネを知ってるか?」とか「ハシカワを知っているか?」と地元の人に聞かれたり。。。


■ Kuurne-Bruxelles-Kuurneの正しい読み方は。。

上述の人から教わった。「さて、先に開催されたKuurne-Bruxelles-KuurneのKuurneは私もゆかりのある場所で、「キュルネ」と現地では発音します。ご参考までに。」とのこと。ふーむ、フレミッシュは難しい。。

■ ベルギーの熟年ライダー

2002年、出張が週末を挟んだので、ドーバーを飛んでベルギーに渡り、週末ツアー・オブ・ベルギーを観戦した。

その時に気付いたのは、

● スタイルをびしっと決めるのは日本人の得意技と思いきや、ベルギーのホビーレーサーたちも、劣らずびしっと決めていた。普段着でふらっと観戦するのではなく、ウエアからバイクまで決め手ロードレーサーで駆けつけていた。

● 但し、日本との違いは、プロチームジャージは比較的少なくて、クラブチームのジャージやオリジナルなものを着た人が圧倒的だった。(写真)

● レース観戦に来る人は、みんなバイクでレース会場に駆けつけていた。だから、観戦のための交通の便なんて、余り気にせず会場作りをしている。(電車で駆けつけたのは自分ぐらいだったのではないか?)

● 特にファン層が厚く、老若男女を問わず幅広いファンを見かけた。結構、熟年ライダーたちが幅を利かせていた。

そして、やっぱり自転車への熱い思いをひしひしと感じた。

■ 2006.03.07 (Tue)  イノー、モゼール、マルテンス、ヴァン・インプ、ベルノドー、ディディ夢の対談
hinaut2.jpg 848×471 116K今日はレトロ・ファン向きのテーマ。
ベルナール・イノー50歳の誕生日に、フランチェスコ・モゼール、フレディ・マルテンス、ルシアン・ヴァン・インプ、ベルノドー(現ブイグ監督)、ディディ(ディードリッヒ・トラウ)がお祝いに駆けつけ、豪華メンバーでの対談が実現した。

■ "疑惑のブレーキレバーの謎"が30年後の今、明かされる

フレディ・マルテンスといえば「疑惑のブレーキレバー」事件が有名らしい。73年バルセロナ世界戦で、ジモンディについでマルテンスが2位になったとき、彼はブレーキバーを握っていたという。つまり、勝ちに行かなかった。

その話は、「サイクルツーリングへのお誘い」のサイト に詳しい。

で、マルテンスがブレーキバーを握っていた謎については、諸説あるようだが、真実が、この対談で明らかになった。マルテンスは自分が勝つのではなく、メルクスを引いたのだが、ジモンディが勝ってしまった、というのが真実だったようだ。

しかし、メルクスは、マルテンスのせいでジモンディに勝てなかった(=マルテンスがちゃんと自分を引かなかった。わざとそうした)と根に持っている。でも、それは言いがかりだ、とマルテンスはきっぱり言い切った。

マルテンス:「ここではっきりさせたいんだけど、73年の世界戦で、僕はメルクスを打ち負かそうという気は全くなかった。メルクスはそうは思っていないようだが。」

モゼール:「バルセロナで君は負けた。スプリントでメルクスを引いたからだろ?みんな知ってるよ。もし自分のために走っていたら、君は30m差で優勝してた。」

ヴァン・インプ:「そうさ。でも、君はエディをスプリントで引くことを優先したんだ。」

マルテンス:「でも、エディは僕を非難したんだ。スプリントのリードアウトを開始したのが早すぎたって。でも、言っておくが、この時ばかりは、自己責任で彼は負けた。」


■ これだけ集まれば、やはり話題はエディ・メルクスの悪口(というか揶揄)??

ヴァン・インプ:「リック・ファンローイは、メルクスと同じチームでは やっていけなかった。2人とも、レースでは全て自分が勝ちたい、と思うたちだったからね。」

マルテンス:「ファンローイといえば、近頃バイクに再び乗り始めたらしいぜ。でも、コルナゴに乗っているらしい。メルクスはこれを嫌がってね。メルクスのバイクに乗って欲しいらしい。」

ヴァンインプ
「近頃僕はジタンに乗ってる。以前ファンが僕とエディと僕のバイクを一緒に写真に収めようとしたんだ。すると、エディが、“だめだめ。(ジタンの)バイクは写しちゃだめ”って言うのさ。
彼は選手時代と変ってない。ビジネスでも同じだ。全てが自分の思うとおりじゃないと嫌なんだ。だから、メルクス以外のバイクに乗っているのを見るのが嫌なのさ。」

モゼール:「去年(2004年)エディに会って、“明日、僕はフレディ(マルテンス)のパーティで彼に会うんだ。”と言ったら、まじまじ僕の顔を見て、“マルテンスは73年世界戦で、僕の優勝を阻止したんだ!”と言ってたよ。」

(73年の話を2004年になっても根に持つメルクス。本当に勝ちに拘っている。そういう選手、今では珍重モノだ。)

写真は左から ディディ、モゼール、マルテンス、イノー、ベルノドー、ヴァン・インプ。赤いYシャツのヴァン・インプ、なかなかダンディでかっこいい。
(対談出典 & Photo:Procycling 2005.1)

■ 2006.03.08 (Wed)  コフィディスのライダーたち VOL.2
1/21に第一弾をやったコフィディスの選手のプロファイル第二弾。

レオナルド・ベルタニョッリ

● 無人島に持っていく物:MTB

● 日常生活で嫌いなこと:飛行機。遅れるし、キャンセルは相次ぐし。いつ飛行機が到着するのか、決してわからない!(M.C.陰の声:アリタリアだからじゃない?)

● 日常生活で好きなこと:リラックスしながら徒歩でぶらぶら歩くこと。

● 好きなスポーツ:スキー

●今年の目標:クラシックでいい成績を残したい。特にL-B-Lとシーズン最初でいい走りをしたい。(写真はそのL-B-L '05の時のもの)

● 勝ちたいレース:グランツールで1勝
ニコラ・ロッシュ

● バイクを構成する中で好きな部分:ホイール

● 無人島に持っていく物:PSP(プレイステーション・ポータブル)

● 日常生活で嫌いなこと:バイクの洗車と皿洗い

● 近しい人からどう思われているか:浪費癖があって、アホだと思っているだろう。だって、僕は何も恐れないタチだから。

● 心に残る戦歴:アイルランドツアー2002.だって地元での勝利だったから。それからアイスバーグ2003。スタジエール時代も含め、プロとして初勝利だったから。
クリスティアン・モレーニ

● 好きなスポーツ:ラグビー

● バイクを構成する中で好きな部分:サドル

● 無人島に持っていく物:子供と彼女が写っている写真

● 日常生活で嫌いなこと:洋服をたたむこと。

● 心に残る戦歴:04年イタリア選手権優勝と99年ヴエルタステージ優勝。(その時3日間リーダージャージを着た)

● 一番勝ちたいレース:(再び)イタリア選手権。自分の国のナショナルジャージを1年間着られるから。

■ 2006.03.09 (Thu)  障害者サポートNGO団体職員から転身。30歳で掴んだ初勝利
来日経験のある選手が活躍してくれるのは嬉しい。03年、05年ジャパンカップで来日したランプレのフランシスコ・J・ビラ、こと”パチ・ビラ”が、パリ〜ニース第3ステージで優勝した。ラスト18.5kmでランディスとともにアタックを決めて、同タイムの1着になった。

ビラは30歳にして、これがプロ入り初勝利。ミラノ〜トリノで優勝したアスタルロアについで、バスク人のビッグレース優勝としては今年2人目だ。

パチは、今住んでいるオンダリビアの地元で人気選手。ファンクラブには100人の会員がいる。レース後インタビューではこう語った:

「まるでレースは3時間で終わり、といったような高速の展開で、なんてこった、と思った。」

「01年にプロデビューを果たしたバネスト時代を経て、ランプレにきてからはシモーニやクーネゴのために走ってきた。」

「まだ勝利がなかったので、今季はいろいろ試してみた。特に食事療法。これはかなり役立った。心理療法士からもアドバイスをもらった。まず自信を持つこと、が重要だと。」

パチは、昨年12月6日トクダネでクローズアップした選手:
● ”雪上トライアスロン世界選手権 (ランニング10km、バイク30km、スキー10km)で5位入賞”

● ”保健体育専攻で、プロ入り前の2年間、脳に障害のある人たちをサポートするNGO機関で職員として働いていた。”

● ”自分が幼少頃は、人口3000人の村で110人の子供が自転車クラブに加入していたが、交通渋滞や薬物問題のせいで、今では数十人になってしまった。”)


03年ジャパンカップの時の様子。「ランプレのリーダーは誰か?」という質問に、「バルベーロと自分」と答えたが、パチはラストの周回を目前にリタイヤしてしまった。代わりにバルベーロが見事に優勝。
ちなみに、左の写真の左端に飴をしゃぶっているクーネゴの姿。これだけ見ると、子供のような感じ。

バレアレス(当時)のオラチ(左の写真)、マンセボ(右の写真)たちと一緒にお茶をしていたパチ。やはりスペイン同士でかたまる傾向。
女性の名前をカタカナで書いて欲しいというリクエストがあった。彼女の名前なのか、とただしたところ、「妻」という返事。前年に結婚したということだった。週刊誌ネタが強いと自負していたが、彼が結婚したのは知らなかった。

■ 2006.03.10 (Fri)  ウルリッヒ、シーズンデビューがまだ決まらない
grp0310201416.jpg 253×110 38K7日のCNに 「Ullrich: Where? When? Why?」というNewsが出た。ウルリッヒ、今どこにいるのか?いつレースに出るのか?なぜ様子が入ってこないのか?

このほどなんとかCNやT-MOBのサイトでやっとウルリッヒの所在はわかったものの、ウルリッヒの様子は今もミステリー。幹部が「調子は上向き」と語ること自体、それまで調子が悪かったのか?と勘ぐりたくなる。

2月に南アフリカでのキャンプを終えた後、彼は現在イタリア トスカーナ州で集中トレーニング再開。チームディレクターのペフェナヘ氏と物理療法士のクローメ氏も同行中。

さらに、マネージャーのオーラフ・ルードヴィッヒもトスカーナを訪れ、ウルリッヒに面会予定。シーズンレーススケジュールを確定することになっている。つまり、今現在まだ彼の予定は決まっていない。今年はジロに出場すると言われているが、これも最終決定ではないだろう。

ルードヴィッヒ:「まずカラダ作りが大事だ。それを見極めてから決定する。」

ペフェナヘ氏:「ヤンにとってプランどおりにいっていて満足だ。徐々にトレーニング負荷は増している。時にヤンが熱心過ぎて、僕はそれを止めなければならないほど意欲的にやっている。

ヤンの状態は日に日によくなっている。最初のレースはまで決まっておらず、トレーニングの様子次第だ。」

ボーネン、ベッティーニは既に大全開。クーネゴ、バッソ、バルベルデもいい形でシーズンデビューを果たしている。ウルリッヒ、温存すればするほど、風邪疑惑・体重疑惑が後を絶たない。

■ トレーニングメニュー:3日連続 =>1日休養

また、ペフェナヘ氏は、南アフリカでのトレーニングの様子を語っている。3日インテンシブなトレーニングを行い、4日目は休息日。休息日は、軽く流す程度にリラックスして走行する。それを繰り返した。

しかしトレーニング日は、かなりきついメニューにしている。5〜6時間半は走りこむ。シーズン直前のトレーニングはもっぱらスタミナ作りに主眼が置かれた。

Photo: 04ツール、Pドベイユの山岳ステージ。ヤン同様、元東ドイツからきた応援団。彼らのウルリッヒへの思いはとても熱い。この年ウルリッヒは不調で、ファンは心底心配していた。

■ 2006.03.11 (Sat)  ほかにもあった疑惑のブレーキバー
■ 2000年世界戦 − 再び疑惑のブレーキバー

先日話題にしたフレディ・マルテンスの疑惑のブレーキレバー。このほかにも事件があったという。以下、到着メールから引用:

    【世界選手権での疑惑のブレーキレバーをで話題にされていましたが、これまた以前話題に出したM.バルトリにも、世界選手権での疑惑のブレーキ(シフト)レバー事件があります。

    ヴァインシュタインスが優勝した2000年のゴール画像です⇒ 写真へ

    この年、MAPEIはシマノを使用していましたが、バルトリはSTIレバーで“シフトダウン”操作をしています。

    イタリアの雑誌ではこれをアップで扱い、『ヤル気の無さ』、『敢闘精神の欠如』を叩いているようでした。まあ、特にヨーロッパでは国家の威信を背負ったスポーツの『戦場』で負けると、激しくバッシングするものですが。】
ということで写真を見ると、確かにレバー操作をしているバルトリ。結果は1位ヴァインスタインス、2位スプルッチ、3位フレイレ、4位バルトリ。ここで踏ん張っていれば表彰台には上れたはずのバルトリ。彼にとって1位以外は眼中にない、ということか?

そういえば、98年世界戦、3位になったバルトリは不満顔だった。(この時優勝はカメンツィン、2位ヴァンピーテヘム、4位アームストロング)

Photo : 02ベルギーツアーで見かけたヴァインスタインス。(ドモ在籍時代。)世界戦優勝者の印、虹色マークが袖のところについている。この時彼はポニーテールだった。
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■ 2001年世界戦 − ベッティーニがアシストからリーダーに変身した瞬間

そして翌年2001年の世界選手権では、バルトリはベッティーニと決別することになる。今までバルトリのアシストとして頑張ってきたベッティーニが、バルトリのアシストを拒否し、自分の走りをして2位に食い込んだ。(優勝はフレイレ。)バルトリは11位に沈んだ。

バルトリは激怒した。自分のアシストを放棄したベッティーニに怒り心頭だった。

この時ホテルで同じ部屋に宿泊していたバルトリとベッティーニ。雑誌ビチスポルトにはホテルの部屋の2人の表情を捉えた写真が掲載された。全身青筋を立てて怒りまくっているバルトリの脇で、ベッティーニがおろおろしている写真だ。

ベティーニも、今の王者の貫禄はまるでない。ただただ、大ボスの前で萎縮している格下選手といった様子だ。

でも、あのままベッティーニがバルトリのアシストでずっと甘んじていたら、今日のベッティーニはなかったかもしれない。あの瞬間、ベッティーニにとって、大きなステップアップの時だった。

Photo:2001年ツールにて。後ろがバルトリ、前にいるのがベッティーニ(左)、右がガルゼッリ。世界戦でバルトリとベッティーニが決別するのはこの数ヶ月後のこと。

■ 2006.03.12 (Sun)  タイラー・ハミルトンがレースシーンに還ってきた
hamilton5.jpg 640×480 112K3月5日、コロラド州ボルダーでクリテリウムが開催された。合計8回行われるStazioクリットシリーズのキックオフレースだ。このレースは、今回タイラー・ハミルトン基金(THF)との協賛という形で実現した。

そして、当然ながらハミルトン自身もレースに出場。結果は10位だったが、中盤アタックグループを追うために率先して引いた。

CNには3月6日付けでこのレースの様子が出ていたようだが、気がつかなかった。これは、北米在住の人からの情報。
    『アメリカ在住で、ローカルチームに所属し、ニューヨーク近郊でレースをしています。タイラーハミルトンがコロラド州でローカルレースに出場したようで、Cyclingnews にレースの記事が載っていました。』
CNの記事(レースレポート) / タイラーのレース中写真

優勝はプロコンチネンタルチームのヘルスネットの選手スコット・モニンジャー。2位はコンチネンタルチーム トヨタ・ユナイティッドのクリス・ボールドウィン。

ハミルトンは、今回THFチームからの出場となった。プロチームに所属したり、プロツアーを走ったりすることは今は出来ないが、こうした形でモチベーションを保とうという姿勢は崩していない。

カメンツィンやフィリップ・ゴーモンなど、スキャンダルを機に引退した選手は結構いる。30歳以上でこうした疑惑が浮上した時、周囲からの風当たりを覚悟で、走り続ける姿勢を貫くのは難しいことだろう。

アメリカのファンも、そんなタイラーに声援を送っている。THの公式HPに寄せられたファンからのメッセージ:

「タイラー、ボルダーのAtazioクリットで走っている君の写真を見たよ。すごかった。バニーと一緒に走る君の姿も、かっこよかった!!! 一生懸命トレーニングを続けてほしい。そうすれば、9月には並み居る選手どもをやっつけられるよ。安全第一に、気をつけて。アレックス」

Photo: 03ツール TTスタート地点にて

■ 2006.03.13 (Mon)  スチュアート・オグレイディのメディカルノート
■ 暴漢による頭蓋骨骨折を乗り越えたオグレイディ

オグレイディがティレノ〜アドリアティコ第2ステージの下りで路面の穴にすくわれて落車し、肋骨5本骨折+鎖骨骨折した(Ref:3/10付け小ネタ)。

大怪我にも関わらず、4週間で復帰を考えているという談話があり、様々なリアクションが出た。特にユーモラスで笑いを誘ったコメントは ↓:

4週間で復帰?私は鎖骨のチタンプレートを抜くまで7ヶ月かかったというのに。若いって事はすばらしいもんだ…」(「Serendipity」

でもどうやら、99年9月、トゥールーズで深夜暴漢に襲われて頭蓋骨骨折したあの時や、02年の肋骨11本骨折に比べれば、まだ状況はベターのようだ。

99年当時CAにいたオグレイディは、同じオーストラリア人のチームメートのヘンク・フォーゲルス(現ロット)とトゥールーズで同居していた。

お互いの彼女+デイヴィッド・ミラーとともに食事をした後、深夜3時、街中で彼らは襲われた。3人組の暴漢の目当てはオグレイディのゴールドのネックレスだった
ミラーはなんとか逃げたものの、フォーゲルスは殴られて意識を失い、オグレイディは暴漢の一人ともみ合ううちに、車のワイパーめがけてしたたか頭を打ちつけ、脳に傷を受け、頭蓋骨に小さな骨折2箇所のケガを負った。

ケガの後遺症で、その後彼は● 視力がかすみ、● 記憶障害を起こし、● 右側の感覚を失うという症状を併発。

その後11月には復帰を目指していたが、焦点性発作を起こして緊急入院。脳にまだ血の塊が残っていた。世界戦を含め、シーズン後半全て棒に振ることになった。


■ その次は肋骨11本骨折

オグレイディはもともとトラック選手。92年バルセロナ大会チームパーシュートで銀メダル。96年アトランタのポイントレースとチームパーシュートで銅メダル。2000年シドニー五輪ではロードで77位、ポイントレースで個人10位。

そして、04年アテネ五輪では、グレーム・ブラウンとともにマディソン競技で金メダルに輝いた。アテネ五輪の公式サイトには、彼の紹介文が載っているが、そこにも暴漢に襲われたことや、彼の様々な病歴が載っている。
例えば、持病の心臓病。兆候は、レース中にも時々現われる。シドニー五輪の時も心拍数が240まで上がり、暫く動けなかった。確かツールでもそんな1場面があったかと思う。

そのほか2000年ツールの鎖骨骨折、02年左足の動脈手術、04年E3プリス・ヴランデーレンの最終スプリントで落車し、その時は肋骨を11本も骨折している。


オグレイディの伯父は、64年 自転車選手として東京五輪に出場。

オグレイディは自転車一家。父のブライアンはチャンピオン・サイクリスト。伯父は64年 自転車選手として東京五輪に出場し、メルクスらとともに走った。

彼のモットーは、「自分がやっただけ自分に返ってくる。一生懸命働け、結果はついていくる。」

アイドルは、ミック・ドゥーハン(オーストラリア出身の元オートバイレーサー。500ccクラスで5年連続チャンピオンに輝いた。)


Photos:
1)01年ツール。イエロージャージを6日間着用。
2)03年ツール。オーストラリアチャンピオンになった。
3)わが家のトイレギャラリーにあるCAのポスター。オグレイディ、世界選手権チャンピオンマークの虹色が袖についている。(95年、トラック世界戦チームパーシュートで世界タイトルを取った。)

■ 2006.03.14 (Tue)  今年最初のプロツアーランキング発表 : 06年からの新ルール情報
grp0314072018.jpg 467×448 62K● 区間優勝に1ポイントだけというルールが今年2月から改正に。ツールでは10ポイント、ジロ&ヴエルタは8ポイント、その他は3ポイントに

● まずは国別ランキングでスペイン圧巻のワケ : 合計117pts= ビラ 43pts +コロム 35pts + サンチェス 31pts + ルビエラ 5pts + ロドリゲス 3pts

パリ〜ニースが終了し、最初のプロツアーのポイントが発表になった。UCI公式サイト中の最新UCIランキングを見ると、従来のポイントの計算では数字が合わない。ルールブック(PDFファイル)が、今年の2月に改訂となっていた。

従来、3大ツール以外のステージ優勝は1ポイントしかつかなかったのだが、ステージ優勝3pts、2位2pts、3位1ptがつくことに。やはりステージ優勝を余りに過小評価したことへの反省だろう。

ツールでも、去年まではステージ優勝者には3点しかつかなかったが、これも改正となり、ステージ優勝10pts、2位 5pts、3位 3ptsと大幅に変更。

【 パリ〜ニース終わって最新プロツアーランキング ー 個人

1 F・ランディス (USA) 52 pts (優勝50pts + 第3ステージ2位で2pts)
2 パチ・ビラ (ESP) 43 pts (総合2位40pts + 第3ステージ優勝で3pts)
3 A・コロム (ESP) 35 (総合3位 35pts)

【 チームポイント 】(算出方法:各チームトップ3の選手の合計タイムを基に、タイムが少ないチーム順に20点、19点、18点。。。1点 がつく)

1 Lランプレ20 pts
2 ディスカバリー 19 pts
3 リバティ 18 pts

【 国別 】(算出方法:各国ごとにポイント獲得上位5人(Max.)の選手の合計ポイント)
1 スペイン 117 pts
2 USA 57 pts
3 ルクセンブルク25 pts

● スペイン117pts= 総合2位と第3ステージ優勝のビラ 43pts + 総合3位のコロム 35pts + 総合4位と第3ステージ3位のサンチェス 31pts + 総合9位ルビエラ 5pts + 第5ステージ優勝のロドリゲス 3pts

USA 57pts= 総合優勝と第3ステージ2位の ランディス52pts + プロローグ優勝のジューリック 3pts + 総合10位のホーナー 2pts

ルクセンブルク25 pts = 5位シュレック 25pts

ただし、スペイン選手、ティレノのほうでは精彩を欠いており、ティレノ終了後のポイントではオランダ、イタリア、USAあたりが国別順位を上げてくるだろう。

ランディスは06年度最初のプロツアーリーダーになったが、ティレノ〜アドリアティコが14日で終了するので、その結果次第でリーダージャージが死守できるかどうか。ティレノで総合優勝した選手が、一体ステージ3位以内に何度入ったかで、明暗が分かれる。

またポイントスケールも変更に。新しいポイントルールは06年度UCIポイント新ルール一覧表に一括別掲。

(Photo:昨年のリーダー ディルーカ at パリ〜ツール)

■ 2006.03.15 (Wed)  パリ〜ニースで区間優勝の秘訣は、栄養士と心理療法士
grp0315074508.jpg 503×517 62K■ 学位を取るために毎日10時間勉強しながらトレーニング。

■ 年に2週間は、是非 障害者施設を見学して、自分の目で障害者の厳しい状況を見てきて欲しい。自分たちの気楽な人生を戒めるためにも。障害者施設は、人生を学ぶための学校のようなもの。

■ 心理戦では、心理療法士のアドバイスが生きてくる


チェチュが大学に通いながらケルメで走り、遠征先に勉強道具一式を持っていった話を以前書いた。でも、チェチュに劣らぬ苦労人がいる。

3/9付トクダネで紹介したパチ・ビラ。先日パリ〜ニースで区間勝利を収めたばかりだ。彼は物理体育関係の専門学校で学位を取る為に、毎日10時間勉強しながらトレーニングをした。


■ 君はIVEF(バスク地方にある物理体育関係の専門学校)で学位を取ったのに、選任の栄養士をつけたり、心理療法士をつけたりしているんだね。他人に頼る必要はないのでは?

― 心理療法士はすごい助けになる。例えばパリ〜ニースでランディスと一緒に逃げた時、寒さや疲労がひどかったけど、これは彼も同じ状況だろうと冷静になれた。こういうシチュエーションで心理療法士のアドバイスが効いてくる。

ランプレは選手に心理療法士をつけてくれるけど、その人はイタリア在住なので、個人契約している。

それとは別にトレーナーも個人的に雇っている。以前契約していたアイエスタロンは、今はサッカーのリバプールにヘッドハンドされて忙しくなったから、新しいトレーナーを雇うことにした。

そのほか、栄養士をつけてからは、体重は67.5kgで変らないけど、筋肉が増えたし強くなった。

他人がスタンダードを定めてくれて、自分はそれに従うという方がやりやすい。自分でもプログラムを組むことはできるけど、他人にやってもらったほうが楽だね。


■ プロとして走りながら、どうやってIVEFを卒業したの?

― 規則正しい生活をしたのさ。当時の僕の時間割を教えようか。

6:40起床。10時まで勉強。10時から13時までトレーニング。クラスには14:30から21:30まで出席。22時から23時まで夕食と勉強、そして23時に就寝。平日毎日これを繰り返した。そして週末レースに出たんだ。


■ その後は、自転車競技と仕事も両立させた。

― ベラにある脳障害者施設で働いた。7時から10時まで働いて、トレーニング。午後の15時から18時まで再び仕事。そうやってお金を稼いでいた。


■ その時の経験が役立っている?

― すごくね。僕は障害者の家族同様いろんなことを学んだよ。みんなにも、ああいう施設に行ってみることを勧める。年に2週間ぐらいでも。そして、こういう世界を知って欲しい。

身体的な苦しみのせいで人生で力尽きてしまう人たちがいる。なのに僕らは気楽な生活を送っている。雨が降ればトレーニングは中止。寒けりゃ外出しない。そういうとき、障害者施設は人生の学校になるんだ。

時々僕ですら、当時障害者施設で働いていたことを忘れそうになる。そして、また あそこに戻らなくては、、、と思うんだ。

■ 2006.03.15 (Wed)  ベッティーニ:「ミラノ〜サンレモには出場する」と宣言
bet.jpg 337×324 47Kティレノ〜アドリアティコの落車によるケガで、今も痛みが残っていて3時間程度しかトレーニングができないベッティーニ。それでも昨日(14日)は、スプリントダッシュのメニューもこなしたという。

ベティーニ;
「今日はベターだ。日に日によくなっているのがわかる。でも、ペダリングの際、まだ仙椎骨のあたりや膝の痛みが執拗に残っている。

残念なことに、ミラノ〜サンレモはシーズンで最も長いレース。7時間近くもバイクに乗っていなくてはならない。レースの終盤、痛みで自制するといった事態が起こらなければいいのだが。。。」

とにもかくにも、まだ痛みが残る中、ベッティーニは、今週18日(土)のミラノ〜サンレモに出場する、と宣言した。スタートラインに本当に立ったら、喝采ものだ。

■ 2006.03.16 (Thu)  ”本人が知らない間に異質物質が体内に入った”と認められたのに、15ヶ月の出場停止処分となったケース
grp0316080032.jpg 496×597 79Kある日突然、わけのわからない物質が体内から検出された。しかもごく微量の5-10 ナノグラム。こんな微量では、なんらパフォーマンス増強にはならないはずなのだが、一体どこからそれが入ったのかわからない。

例えば偶然食品に混入していたといった正当な摂取ルートが証明できないかぎり、その選手はレースからしめだされる。

そんな理不尽な目にあっているのが、元ラボバンクのオーストラリア人、ロニー・サザーランド。去年のドイツツアーの検査で陽性となったが、にわかに先日来、随分不可解な件だと注目を集めるようになった。

というのも、このほど専門家による諮問委員がまとめた報告書によると、サザーランドはその物質を気付かぬうちに 何らかの形で摂取してしまったと思われる、という結論になっている。それでも謹慎処分は解けない。

検出されたのは、クロミフェンなる物質。禁止薬物リストに入ってはいるものの、直接的な筋力増強剤ではない。エストロゲンの生成を防ぐため、結果として体内のテストステロンが増えると言われている。

しかし検出されたのは、わずか5-10ナノグラム。明らかにパフォーマンスに影響を及ぼしたとは実証できない。しかし、今の制度では、選手がその物質の出所を証明できなくてはならない。結局彼は15ヶ月のレース出場停止処分を受けた。


■ スポーツ調停所に訴えたために処分期間が倍になってしまったホンドの場合

サザーランドは、スポーツ調停所にこの件を持ち込むことをためらっている。というのも、ダニロ・ホンド(解雇当時ゲロルシュタイナー所属)のケースがあるからだ。

もともとホンドは1年間のレース出場停止処分だったが、調停所に持ち込んだがために、逆に2年に延長されてしまった。ホンドの場合も増強剤として効果があるかどうかよくわからない薬物が体内に入ったとされていた。しかもかなり微量だった。

こういうよくわからないケースで、実際に2年間レース出場停止+さらに2年間プロツアーチームで走れない、という状態になったホンド。

サザーランドのケースは、ホンドのケースに似ている。このまま調停所に持ち込んで、いたずらに処分が長くなるのは避けたい。

まだ24歳。このまま謹慎処分期間があけるのを待てば、また来年年初からはプロとして走ることができる。これを空から降った災難と受け止めて、彼は前を見ることにした。

彼の場合、年齢的にいくらでも まだやり直しがきく。

元フェスティナのフロラン・ブラールも、晴れて今年プロチームに復帰することができた。02年、26歳の時に陽性反応でチームCAを解雇されたが、その後 マルルックス、ショコラーデ、アグリテュベルを転々とした後、今年ケスデパーニュに移籍できた。サザーランドは当時のブラールよりも2歳若い。

でももしこれが、30歳以上のベテランライダーの身に降りかかったら??

Photo: 04ツールのホンド。TT前。

■ 2006.03.17 (Fri)  パヴェ(石畳)攻略法
grp0317075809.jpg 640×480 99Kベルギー春のクラシックシーズンにまもなく突入する。3月下旬、皮切りレースはセミクラシックのDwars door Vlaanderen(3/21)とE3 Prijs Vlaanderen(3/25)。

春のクラシックレースは、選手、機材、スタッフ、全ての点で、とてもチャレンジングだ。

これほど、経験・コースに対する知識・判断力が必要となるレースもなかろう。


■ パヴェに対応する工夫: 路面状況アンチョコ ○、振動吸収のためMTB用サスペンションフォークの使用 ×、ジェル入りテープ ◎

選手たちは、パヴェ征服のために、様々な工夫をしている。例えば、手のひらにコース情報を書きとめたりしている。パヴェのセクションで、路面コンディションは道の左側がいいのか右側がいいのか、、、コースの習熟度が勝敗を分ける。

パヴェの振動のせいで、多くの選手たちはレース後、関節の痛みや、手首・肘の腱に炎症を訴える。

そのため、数年前、Tモバイルの選手の何人かは、MTBで使用するサスペンションフォークを使い始めた。これでショックアブソーブ効果が高くなると期待した。しかし、ある欠点のために、これは長くは続かなかった。

路面状態のいい場所では、ライドの質が落ちるのだ。さらに、バイクの重量はどうしても重くなってしまう。

その代わり、最近 選手たちが使っているのはジェル入りテープ。ハンドルバーにエキストラにテープを巻いて、地面からくる肘への振動を和らげようとしている。

タイヤも使用するものによって違いがある。ショックアブソーブのために、通常よりも厚いものを使用し、空気は通常より少し少なめにしておく。手首への負担軽減で、手首にテーピングする選手もいる。


■ ベルギークラシックはO-157との戦い

ベルギーのクラシックはレース戦術や機材技術のみではない。天候という不確定要因が勝負を左右することもある。

去年のベルギーは比較的天候が穏やかだったため、農家の人たちは、いつもより早めに肥料蒔きを行った。動物の排泄物から作られた肥やしだ。

ところが、デパンの3日間レースではひどい雨となり、以前 蒔いた肥やしがコース上にどっと流れてきた。選手らが高速でこの部分に差しかかった時、肥やしが四方八方に舞い上がった。

肥やしは選手の顔やボトルにも付着し、水分補給をするたびに、選手たちはO-157の細菌を飲み込んでいたという状況だった。12時間後、O-157による感染で、選手たちは嘔吐、下痢など腹の不調を次々訴えた。


■ 肥やしにノックダウン:ヴェーゼマン、地元の人の協力で?O-157にやられずに済むベルギー人

去年、シュテファン・ヴェーゼマンもそうだった。デパンのレースで、肥料からくるO-157にやられて、フランドルまでに完治せず。結果、フランドルは道半ばでリタイヤとなった。

一方で、ベルギーチームはこの点恵まれている。沿道の応援団たちが、好きな選手にじかにクリーンな水の入ったボトルを渡すから、肥料が付着した水を飲まずに済む。

今年のデパンは3月28〜30日。それまで寒い日が続くことを祈ろう。農家が肥料を早めにまかずに済むように。

(Tモバイルのドクター フォイクトの手帳から)
Photo: ツール01 ラルプデュエズにて。先頭から随分遅れたプロトンを引くヴェーゼマン

■ 2006.03.17 (Fri)  ダニロ・ホンド: 司法の場で勝訴
hondo2.jpg 469×480 94K■ スポーツ仲裁裁判所の2年間出場停止処分判定を不服として、スイス連邦州立裁判所に訴えていたホンド。司法が下した決定は : 一転して(暫定決定ながら)「処分撤回・即刻復帰可能」

昨日話していたばかり。ホンドは薬物疑惑で一旦1年間の停止処分が出たが、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に仲裁を依頼したところ、逆に出場停止期間が2年間に上乗せさせられた。(世界アンチドーピング機構WADAの勧告=差し金でこうなったらしい。)

これを不服として、彼は一般司法の力に訴えることを決意し、スイス連邦州立裁判所にこのケースを持ち込んだ。その結果、裁判所はCASの処分を撤回し、ホンド勝訴という暫定決定が下された。

スポーツ仲裁裁判所(CAS)は国際オリンピック委員会によって設立された。一般裁判所とは異なる。CASはあくまで仲裁判断をする場所。一般裁判所にそのケースが持ち込まれれば、通常、審理はCASの判断に影響されることはない。

昨日も書いたが、ホンドの場合、薬物といっても効果があるとは思えない微量であり、当初から陽性判定には疑問の声も多かった。

にもかかわらず、最終的にCASが下した判定は2年間の出場停止処分。来年3月31日まで復帰はできず、さらにプラス2年間はプロツアーチームで走ることはできないとされた。

これを不服として、ホンドは裁判所に訴えを起こし、その結果、このほど即刻レース出場可能という判断が出た。ただしこれは暫定決定であり、あと半年後に最終決定審理が行われ、その場で最終決定が下される。

ホンドはさっそく代理人で元選手のトニー・ロミンゲルとコンタクをとり、復帰後のシナリオ作りに取り掛かっている。

それにしてもこれは画期的なことだ。CASの判定が覆るとは前代未聞ではないか。ホンド側も喜びながらも驚いている。「僕はずっとトレーニングは欠かさず、体調を万全にしてきた。準備はできている。」

ホンドのHPにもこのことが報告されている(http://www.danilo-hondo.com/

となると今度はサザーランドどうするのか?彼は潔白を主張しながらも、CASに訴えることをやめた。ホンドのように1年の停止処分が2年になるのが怖いからだ。

しかし、例えそうなっても、ホンドのように最後は一般司法の手を使うことができる。これに背中を押されて行動を起こすかサザーランド?

Photo: ホンド。ラルプデゥエズのTTにて。

■ 2006.03.18 (Sat)  デニス・メンショフ、05年ヴエルタ優勝者として正式に黄金ジャージを獲得
menchov.jpg 209×205 12K昨年ヴエルタで2位だったラボバンクのデニス・メンショフが繰り上がりで05ヴエルタ優勝者となったことに伴い、3月23日、優勝者の証・黄金ジャージ(マイヨ・オロ)が正式にメンショフに授与されることになった。

2位、3位もそれぞれ繰り上がりで、サストレ(CSC)、マンセボ(AG2R)が受賞。彼らもそれぞれの記念品を正式に授与される。

これは、ロベルト・エラスの05ヴエルタ優勝が剥奪されたことに伴う措置。エラスはヴエルタの最中の血液検査でEPO陽性だったことが判明。その後1/13に公聴会が開かれ、結果、スペイン自連はエラスに対し2年間の出場停止処分を決定。ヴエルタの優勝も取消となった。

■ 2006.03.18 (Sat)  06 ジロ・ディタリア : セミタッパ廃止が決定
giro.jpg 306×390 28K今年のジロのルート発表の際、誰もが異議を唱えた。最終日5/28 は2つのスプリットステージから構成され、第21ステージA(カンツォ〜ギザッロ ITT 11km)、に続き第21ステージ B (レッコ〜ミラノ 116km)を行うと発表したからだ。(Ref. トクダネ11/13付「やはり最終日は2分割」)

ギザッロ博物館の開所祝いのために、無理やり午前中にギザッロまでのTTを入れたとされる。しかし、誰もが疲れている最終日に、こんなきついルートということで、選手たちから猛反発が出ていた。

そして、このほどやはりこのスプリットステージ制は廃止が決定。セミタッパ(=ハーフステージ)もギザッロまでのTTもなしで、通常のパレードレースになる。

ジロ主催者コメント:「選手たちと協議した結果、最終週にこういう行程を入れるのは負担となることがわかった。さらに、最終日午前中のTTの中継にも難があることがわかった。」

11月にジロのルート発表があり、すでに散々批判が出たのに、正式変更確認が今頃とは。ジロ主催者のプライドだろうか。

ジロ開幕まであと2ヶ月を切っている。もっとも トリノ五輪の例から見ても、イタリア人、ぎりぎりまでのんびりやっているようで、本番の組織力は大したもの。

Photo: ジロのトロフィー。上から順に優勝者の名前が刻まれている。05ジロの前だったので、最後の名前は2004 Cunegoと刻まれていた。05イタリア展にて。

■ 2006.03.19 (Sun)  タイラー・ハミルトン、チャリティー・クリテリウムからも締め出し
hamilton7.jpg 393×363 152KUCIが規則変更を決定し、ハミルトンを完全にレースシーンから抹殺することになった。彼は今後、チャリティー・クリテリウムにすら出場できなくなった。

3/12付トクダネ 「タイラー・ハミルトンがレースシーンに還ってきた」に記した通り、ハミルトンは Stazioシリーズのクリテ(開催地はコロラド)に出場し、10位になった。レースにはハミルトン基金が協賛した。

翌日のWebサイトに一斉にハミルトンのレース写真が出たのを見て、血相をかかえたのはUCI。慌ててアメリカ自連に連絡した。「なんで停止処分中のハミルトンがレースに出ているんだ??」

自連は答えた。「非公式レースだからです。」
UCIは怒った。「レースに謹慎処分中の選手がレースに出るというのはどういうことか?」

従来”UCIのプロライセンス”を取得している選手が UCI公式レース以外の非公式レースに出ることをUCIは了解していないが、今まで事実上 黙認していた。

しかし、今回は目下謹慎処分中のプロ選手(ハミルトン)がUCIが認めていないレースに出たということで、UCIは神経を尖らせた。そして、断固たる態度をとることに。

UCI、アクションは早い。さっそく規定を改正し、追加条項を入れた。
「自連が認めた特殊ケースを除き、UCIプロとして登録されている選手は、ナショナルレース、コンティネンタルレース、世界戦を含むUCI・連盟の公認レース以外のレースに出場してはならない。」

これに違反すれば100SF(スイスフラン)の罰金、さらに最悪1ヶ月の出場停止処分が科される。

今までUCIプロ選手が出場するということをタネに、多くの非公認チャリティーレースが賑わってきた。しかし、今後はそういう活動はできなくなる。

ハミルトン基金が支援しているStazioのクリテも、公認レースの形式をとっていない。そうすると参加料が増して、広く子供からお年寄りまで参加してもらおう、というレースの趣旨が損なわれるからだ。

Stazioクリット・シリーズは、今年5月までにわたり数回開催される。しかし、ハミルトンは、「今後このレースには出場しない」と申し伝えた。

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Photo: 鎖骨骨折しながら走っていた頃のハミルトン。(左)CSCチームランキングNo.1でライオンのぬいぐるみを各自渡された。(03ツール)

■ 2006.03.20 (Mon)  フランスカップでコフィディスが3戦全勝
全14戦を闘って総合優勝を決めるフランスカップ。昨日 第3戦が終わって、コフィディスが目下全勝中。==>詳細

■ 2006.03.20 (Mon)  おめでとう!チームVangが初のポディウム(表彰台) !
asada2.jpg 225×323 73K昨日 3月19日、チームVangがフランスのツール(ロワール河流域)で開催された「ラ・ルート・トゥランジェル」に出場した。そして、特別賞に輝いた。

受賞したのは康司選手。ポイント賞とかいった類の賞ではないものの、当日朝に通過する町の要望で発表された特別賞だそうだ。

ところが、それを事前に知らされていなかったチームVang。浅田監督が賞金を代理で受け取りに行ったところ、いきなり特別賞の授与式になってしまった。つまり、、、チームVang 初のポディウムは康司選手のハズが、実際は浅田監督だった、、というわけ。

関係者やカメラマンからは笑いがこぼれた。

レースの方は新城(幸也)選手が堂々の17位。晋一選手が18位、、などなど。リザルトはここ
チームは20-26開催のツール・ド・ノルマンディーにのぞむ。

Photo: Bike show 03にて。浅田監督。

■ 2006.03.21 (Tue)  八重洲出版から 「イタリア自転車工房の旅」 発売中
muck.jpg 407×486 174Kイタリアには、こんなに多くの自転車工房があったのか、、と今更ながらに驚いた。このほど発売された「イタリア自転車工房の旅」に掲載されている工房の数は49。アルファベット順に壮観に並んでいる。それでも最近廃業に追い込まれ、掲載できなかった工房もあるそうだ。

サイスポに1990年後半から2000年前半まで、過去連載された工房シリーズの記事とこの本が 雰囲気を異にしているのは、写真の質と全体の構成のせいだろう。

49の工房を順に追いながら、イタリア旅行ができる格好になっている。さらに珠玉の自転車博物館・教会のカラー記事も。

ぺらぺらと工房巡りをしていると、イタリアの自転車文化はすごい、と舌を巻く。自転車とは、単なる走るマシンではなく、職人が手作りでカスタムメードする芸術作品だったことを再認識する。

工房のオーナーには、元自転車選手が多い。彼らの走ることへの拘りが生んだ工房には、魂が入っている。

たとえばフランチェスコ・モゼール。MTBには手を出さず、ロード一筋。工房はミュージアムを兼ね備え、アワーレコード達成マシンを飾り、自分で作っているワインのラベルには現役時代の勇姿。引退後の今も自転車とともに生きている。

以前使用していた作業場は親戚のジルベルト・シモーニに譲ったとか。シモーニもモゼール同様、引退後も自転車と関わりながら生きていくのだろう。

(* シモーニの妻アリアンナは、モゼールの姪にあたる。つまり、シモーニ夫妻にとって、モゼールは伯父。06/1/25付けトクダネに掲載したインタビューで、シモーニは尊敬する人にモゼールをあげている。)

Manufacture「製造する・作る」という単語は、もともとラテン語で”手で作る”という意味だ。【manu(手で)+fact(作る)】
今ではものづくりもオートメーション化が進んでしまった。しかし、こうした工房には、Manufacture 本来の意味がまだ失われずに生きている、と実感した。

サイスポの元編集長氏がまとめた情熱の一冊。以下紹介用テキストから:

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『サイクルスポーツ』の好評連載記事「イタリア自転車工房の旅」を1冊にまとめたヤエスメディアムック136『イタリアの自転車工房物語』が3月18日(土)に、八重洲出版から発売されました。

サイクルジャーナリスト砂田弓弦氏が、コルナゴ・デローザ・ピナレロ・ビアンキなどのメジャーブランドから個人工房まで49の自転車工房と、5つの自転車博物館&自転車の守り神を祭る教会を実際に訪問して取材。カラー写真とインタビューによる貴重な記録です。

各工房を所在地・起源・工法・製品・供給選手と多角的な面から紹介し、イタリア自転車ブランドのハンドブックとしても使えます。

A4判212ページ・税込み定価2520円 ISBN4-86144-038-6。

■ 2006.03.21 (Tue)  ホンドの停止処分を1年から2年に引き上げたCAS。今度は 一旦承認されたブイエの治療薬服用を禁止に。
grp0321212150.jpg 511×603 249Kスポーツ仲裁裁判所(CAS=Court of Arbitration for Sport )の裁定に泣いたのはダニロ・ホンドだけではなかった。(Ref. 3/17付けトクダネ)
再びまた、CASの厳しい裁定にさらされている選手がいる。

居眠り病を患っているフランク・ブイエ(ブイグテレコム)だ。彼は、治療薬を服用しないと走れない。しかし治療薬の成分が禁止薬物リストに入っている。(Ref. 2005/3/3 トクダネ)そんな彼に、CASは厳しい決定を突きつけた。

スポーツ仲裁裁判所(CAS)は、今まで選手たちにとって駆け込み寺のような場所、と捉えらるむきもあった。各国の自連が出した厳しい処分に対し、救済を求める場所だった。

ところが、ホンドのケースのように、当初、自連が出した1年の処分をCASが2年に引き上げるケースが出た。

さらに、今回のこのブイエの例。ブイエは2004年6月に、治療薬のせいでレース出場禁止となった。しかし2005年8月に世界アンチドーピング機構WADAは、「治療薬として摂取する分にはレース出場可」、とした。

ところが、UCIはそれを不服としてCASに提訴していた。このほどCASの判断が出て、UCIを支持する内容となった。「ブイエは治療を続ける限り、レースには出られない」。

WADAといえば、自転車選手を目の仇にしているディック・パウンド会長率いる組織。その世界アンチドーピング機構WADAがOKを出したのに、CASがノーと決定したのだ。

治療薬を摂取してもパフォーマンス向上にはつながらない、ということを証明するために、ブイエは既に何度もテストを行っている。今もまだテストは残っている。

しかしこれらのテストにより、よほど確固たる証明ができなければ、レース出場禁止という決定が下されることになった。CASは一般裁判所と違い控訴審制度がないので、一旦裁定が出てしまえば、それに従わざるを得ない。

WADAの判断とCAS/UCIの判断が真っ向から対立している今回のケース。

ホンドの時は、自連の判断、CASの判断、一般裁判所の判断、全てが異なった。自連が1年の停止処分を下し、CASが2年間出場停止と決定した。しかし目下スイス連邦裁判所は、ホンドが薬物を摂取したとは証明できない、としている。

スイス連邦裁判所の判断は、「ホンドの体内に入っていた量はごく微量で効果がない。水分補給ボトル経由で体内に入ったり、自家生成で体内で作り出された可能性を否定できない」というもの。

それぞれの機関が独自に動いている今の制度。その都度180度違う裁定に、選手たちは戸惑っていることだろう。

Photo: 02ツール マコンのTTにて。フランク・ブイエ。彼は04年4月にパリ〜カマンベールで優勝。しかしその直後、突如睡魔に襲われる居眠り病に罹患。治療薬を摂取せざるを得なくなった。以来彼はレースに出ることを訴え続けているが、その戦いは既に2年目を迎えた。

■ 2006.03.22 (Wed)  明日はメンショフに対しマイヨ・オロ授与、、、という時にエラスが「待った!」一般裁判所に提訴を決意。メンショフへのマイヨ・オロ贈呈は“無期限”延期に
heras6.jpg 640×480 321Kロベルト・エラスは、昨年ヴエルタでEPOを摂取したとして 今年2月に(王立)スペイン自転車連盟(RFEC=Real Federacion Espanol de Ciclismo)から、2年間の出場停止処分を受け、05ヴエルタ優勝タイトルを剥奪された。

3月23日は繰り上がりで05ヴエルタ総合2位だったデニス・メンショフに優勝の証マイヨ・オロ(黄金ジャージ)が渡されるはずだった。

ところがこのマイヨ・オロ授与式の2日前になって、エラス側がスペイン・バリャドリドの地方裁判所に提訴することを決定し、非公式ながらヴエルタ主催者のUnipublicに伝えてきた。(*注)

エラス側は、メンショフへのマイヨ・オロ授与の前に慌てて行動を起こしたのだろう。

さらに、先日ホンドがスポーツ仲裁裁判所CASに訴えたものの事は解決せず、一般司法の場で解決したため、エラスはCASには訴えず、スペインの地方裁判所を選んだのだろう。

今までは自連の判決に不服な場合、CASに持ち込むのが通例と思われていたが、あのホンドの一件で、今 自転車界では その潮流に変化の兆しが見られる。

いずれにせよ、これで明日のメンショフ、サストレ、マンセボへのメダル授与式は延期となった。Unipublicとしては、裁判の行方次第では、再び優勝順位に混乱が起こることを危惧したのだ。

Unipublicは、「延期の期限はSine Die=無期限」とわざわざコメントした。裁判という不確定要素のため、いつ決着がつくのか全くわからない、という苦悩が垣間見れる。

気になるエラスの勝算だが、ホンドのケースに比べて、勝算は低いと予想される。検査の結果次第では、ヴエルタの優勝者から優勝を剥奪することになるため、間違いは許されなかった。2回にわたる薬物検査は、通常の検査に比べ、相当慎重を期して行われている。

弁護側は、陽性判定に誤りがあったと指摘するために、判定検査の手順が正しく踏襲されなかった、という持論を展開することが予想される。

Unipublicは、メダル授与式のために すでにマドリッドのホテルにメンショフら3人を招集しており、3人には、今回の延期の処置に関して謝罪した。

関連ニュース:
● 06.02.09付トクダネ:「スペイン自連がロベルト・エラスに 2年間の出場停止を決定」
● 06.03.18 付トクダネ:「デニス・メンショフ、05年ヴエルタ優勝者として正式に黄金ジャージを獲得」

(*注:CNでは“suspended rider has commenced proceedings against the Spanish Cycling Federation in Valladolid ”と書かれているが、“これはバリャドリドにあるRFECに対して訴えを起こした”、と読むのではなく、“RFECに対し、バリャドリドで訴えを起こした”と解釈するのが正しいようだ。

理由:1.RFECはマドリッドに本部を置いている、2.ロイターでは、バリャドリドの裁判所に訴えを起こした(「Heras, ha iniciado las acciones legales en un tribunal de Valladolid.」)となっている。)


Photo; ツール03ガイヤックのTT

■ 2006.03.23 (Thu)  TTT チーム・タイム・トライアルの惨劇
TTT.jpg 812×615 418K3月21〜25日に開催中のセッティマーナ・チクリスティカ・インテルナチオナーレ(通称コッピ・バルタリ)。初日ステージ1bのチームTTで、スタートをミスした選手がいた。

ロットのカイゼンだ。以下同僚カデル・エヴァンスの証言から:

「我々はトップから12秒ダウンの5位。このタイムは悪くないけど、本当ならもっとよかったはず。チームの中でもTTが得意なオリヴィエ・カイゼンがスタートに間に合っていれば。。。

かわいそうに。カイゼンはほかのメンバーから1分遅れてスタート。一人でタイムトライアルに挑まねばならなかったんだ。」

カイゼン、スタートに間に合わず1分遅れでスタートし、最後はトップから2分3秒遅れの185位に沈んだ。


■ 過去のTTTの悲劇 その1: 腹痛でトイレに行っている間に置いていかれたステファン・ロッシュ

91年ツール。スタート時間を4時22分と勘違いしていたチームトントン・タピ。実は4時12分だった。ほかのメンバーはコールの声に気付きスタート地点に立ったが、ロッシュは腹痛でトイレにいた。

彼がスタート地点についた時には全員で払っていた。すでにチームメートがスタートしてから8分が過ぎていた。慌てて追いかけるロッシュ。結果は14分遅れで大幅にタイムアウト。

87年ツール覇者のツールドフランスは、こうしてあえなく終わった。

なお、87年ロッシュは「トリプルクラウン」に輝いている。
トリプルクラウンとは、同年にジロ+ツール+世界戦を制すること。ほかには74年にエディ・メルクスが達成したのみ。

惜しかったのはベルナール・イノーとミゲル・インドゥライン。ジロとツールを制し、世界戦で2位という記録を残している。



■ 過去のTTTの悲劇 その2: 黒猫を轢いてショーン・イエーツが転倒。6人がドミノ

89年ジロのシチリアステージ。ゴール手前3km地点での出来事。7イレブンチームの目の前に一匹の黒猫が出現した。フロントにいたのはショーン・イエーツ(現ディスカバリー幹部)。

右にも左にもよけることができず、彼は目をつぶって なにごともないことを祈った。しかしそうはいかなかった。

猫の上にまともに乗り上げてしまい、彼は転倒。続けて6人が転倒した。チームカーで追いかけていた監督の目には、爆弾が爆発したかのような状況だったという。

前年ジロで優勝したチームのアンディ・ハンプステンは、このおかげでライバル達に2分以上差をつけられてしまった。ちなみに彼は引退後、バイク製造会社を立ち上げた。

ところで気になる黒猫の運命だが、、、イエーツがどうにか起き上がって辺りを見回した時には、、、猫の影も形も見当たらなかった。。。

Photo (Cycle Sport Feb00号): 94年チームワードパーフェクトのTTT。左から2番目はエキモフ。今と余り変っていない感じだ。彼はこの2年後ラボバンクの選手としてジャパンカップ(WC)に出場。8位に入った。

■ 2006.03.24 (Fri)  ■ 日本で初めて五輪の選考の件でスポーツ調停裁判所(CAS)に訴えた日本人アスリート
kabira.jpg 307×339 124K先日来よく話に出てくるスポーツ仲裁裁判所、CAS(*)。これは自転車競技に限定した仲裁機関ではないので、よく注意していると、様々なスポーツを通じてこのCASの話が聞こえてくる。

シドニー五輪の競泳日本代表選考から漏れた千葉すずは、これを不服として00年5月にCASに提訴した。五輪の選考をめぐって日本人がCASに提訴するのは彼女が初めてだそうだ。

結果的に千葉の訴えは退けられた。以下Masujima Stadiumのサイトから抜粋:

「(自分の)選考漏れは不当だった」とする千葉選手の訴えは却下された。ただし。。水連の選考基準については改善を求める裁定を下した。この仲裁審理は控訴審ではないためこれで終了し、千葉選手のシドニーオリンピックへの出場はならなかった。

なお、CASは日本水連に対し、今回の審理に際し千葉が負担した費用の1万スイスフラン(約65万円)を千葉に対して支払うことを命じた。」

千葉の訴えが認められなかった背景には、こういった問題は自国内で解決すべし、といったCASの姿勢が滲んでいる。

やはりCASはドーピング問題勃発を背景に生まれた機関だけに、なんでもかんでも全て仲裁する、というわけではない、とのことだ。


■ アテネ五輪マラソンで妨害された英雄デリマ選手もCASに提訴:「やっぱり金メダルが欲しい」

最近の例でいうと、アテネ五輪で沿道の男に妨害されたものの堂々銅メダルを獲得したブラジルのデリマ選手もCASに「(妨害されて優勝を逃したのだから)金メダルを自分にも授与してほしい」と提訴したという。

デリマ選手はレース後、「メダルの色は気にしない」と言っていて、ますます英雄度アップしたのだが、なぜ その後、CASに金メダルをねだったのか?

どうやらブラジル五輪委員も提訴に加わっていたらしい。となると、デリマ選手をそそのかして、自国に金メダルをもたらせようとしたのではないか?デリマ選手のあの素朴な様子を見ていると、どうしても、彼が強欲に金メダルをCASにせびったとは思えないのだが。

ちなみに、デリマ選手の訴えもCASにより退けられた。

(*)CAS=Court of Arbitration for Sport 。(フランス語式だと TAS=Tribunal Arbitral du Sport)

Photo:04シドニー五輪の時のトーチリレー。04/6/6 六本木の区間を走るジョン・カビラ氏。

■ 2006.03.25 (Sat)  ベルギーにジロスペシャル列車が登場
giro2.jpg 200×77 16K
今年のジロはベルギースタート。5月6日にスランの6.2kmのTTを皮切りに、5月9日までベルギーのワロン州を走る。

それにちなんで、ベルギー国鉄SNCBは、前三両がマリア・ローザに塗られたジロスペシャル号を走らせることになった。ジロのスポンサーであるRCSスポルトとSNCBの共同企画の賜物。

このマリア・ローザトレイン、きのうの朝、ブリュッセル・ミディ駅に入線し、あとは出番を待ち構えている。スペシャル列車の運行予定は3月27日〜6月28日。往復切符で8ユーロという特別価格を打ち出している模様 (詳細は現地で要確認。)

ジロの最中、列車に多くの観客を呼び込んで、ワロン州一帯の道路の混雑緩和を狙う意味もある。(Photocopyright@tuttobici)

■ 2006.03.26 (Sun)  選手会長というシゴト
voigt.jpg 459×476 174K■ 選手会長のフォイクトは独・仏・英語圏をカバー。副会長のチェチュはスペイン・南米をカバー

日本のプロ野球の現選手会 会長は、昨年古田敦也氏からヤクルトの宮本慎也内野手にバトンタッチされた。

プロロード競技の世界でも「選手会長」に似た存在がある。目下会長に当たる選手代表はイエンス・フォイクトが務め、副代表はチェチュことホセ・ルイス・ルビエラだ。

彼らは、選手の権利を擁護するプロサイクリスト協会(CPA= Cyclistes Professionels Associés)の代表として選手たちから選ばれた。協会会長を務めるのは、元サイクリストのフランチェスコ・モゼール。

フォイクトはドイツ語・フランス語・英語が堪能ということもあり、この3つの言語圏を担当。チェチュは、ヨーロッパ・南米のうち、スペイン語圏を担当している。

フォイクトが代表に選ばれたのは、語学が堪能な点だけでなく、経験もあり、また選手の権利に関して自分の意見を堂々と言うことができるという資質を買われた。


■ 選手会の目下のクレーム事項:“ティレノ〜アドリアティコのひどい運営を是正してくれ”

フォイクトたちが行っている活動は、ルール変更に関して意見することも含まれる。最近の例でいうと、ティレノ〜アドリアティコのレース運営改善を求めている。

路面コンディションが悪く、フォイクトも、選手たちからたくさんクレームのEメールをもらっているという。クレームを外部に向かって直接発信する選手も出てくるほどの状況らしい。

そのために、まずUCIやプロツアーの責任者に働きかけている。また、メディアに向けて状況を訴えることで、レース運営機関にプレッシャーを与えるといったこともしている。


■ オグレイディもベッティーニも、結局今年のティレノの路面状況の劣悪さの犠牲者だ

フォイクトは、「技術を持っているオグレイディやベッティーニもティレノ〜アドリアティコでひどいクラッシュに見舞われた。」として、彼らのクラッシュは、路面状態の悪さが原因だと述べている。

確かにオグレイディも、路面の穴にすくわれて落車していた。

目下フォイクトが所属するCSCでは、10人もの選手が故障しているという。うち、鎖骨骨折は4人もいる。レースの安全対策が急務だ。


■ プロツアーへの提言。27レースのうち、2レースは棄権できる権利を

また、フォイクトは次回のミーティングで、ある進言をする。目下、プロツアーチームは、27のプロツアーレース全てのレースへの参加義務がある。そのうち2レースは、参加しなくてもいいようにしたい。

チームによって興味のないレースもある。全てに出場義務があるというのはおかしいと主張している。

フォイクトは最近 肩の手術を2度行っており、自分自身の調子は今ひとつだが、これからしり上がりに良くなることを期待している。(ソース:Tmobileサイト)

Photo: 02ツール、イエロージャージのフォイクト

■ 2006.03.27 (Mon)  近頃あの人・あの語録
rene-b.jpg 307×402 106K■ クリテリウム・アンテルナショナルTT優勝の秘訣は。。。コースを丸暗記。「目をつぶっても走れるよ」
■ クリテリウム・アンテルナショナル2日目に いきなりサマータイム開始。。。で、「いつもより1時間早起きは辛い」
■ ベルギー警察による家宅捜査の“とばっちり”。「根も葉もないスキャンダルはトップページ、訂正記事は目立たないページにしか載らない!」
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■ ホセ・アルベルト・マルティネス(アグリテュベル)

マルティネスは、2002年エウスカルテル時代にクリテリウム・アンテルナショナルでステージ優勝したことがある。4年ぶりに今度は最終ステージTTで優勝した。

今回のTTのコースを紙にスケッチすることができるよ。コースはもうソラで覚えてるんだ。目をつぶっても走れるさ

中間タイムでベストタイムを叩いたとき、勝てると思った。まだその後に15人ほど選手が残っていたけど。」


■ レネ・ハーゼルバッハ(ゲロルシュタイナー)

ところでこのクリテリウム・アンテルナショナル、ある意味、選手たちには少々きつかった。

というのも、第1ステージが終わった翌日からサマータイムが開始になったのだ。第2ステージが開催される3月26日(日)午前1時から時計が1時間早まった。

この日のスタート時間は8:40、起床時間は7時。でも実質的に選手たちにとっては、スタート時間7:40、起床時間6時という感覚だ。

ハーゼルバッハ:「6時に起きなきゃいけないなんて、むちゃくちゃ気分悪い!」

(Photo: 04ツールで血みどろの落車 でリタイヤしたハーゼルバッハ。しかし最終日、元気な様子でパリに現われた。「あれ、元気?」と思わず声をかけた。)


■ アールト・フィアホーテン(スキル・シマノ)

E3プリス・ヴランデーレンで3位となったフィアホーテン。しかし、ベルギーで行われた警察による一斉家宅捜査のとばっちりを受けた。

実際にはブリュイダントやオムロープらの自宅が捜査されたのだが、フィアホーテンの家も捜査されたかのような記事が一部のメディアに掲載された。

2人とは、3年ほど前よく一緒にトレーニングをしていたため、話が歪曲されたらしい。

フィアホーテン:
根も葉もない自分の薬物疑惑の記事がトップページに掲載されたとしよう。でも、それを訂正する記事というのは、新聞の50面(目立たない最後の方のページ)にしか掲載されないんだよ!」

■ 2006.03.28 (Tue)  CN論争
bileka.jpg 352×477 130K今、CNに寄せられたアメリカ人読者からの手紙が論争・反響を巻き起こしている。
    『ディスカバリーチームは以前は素晴らしかった。でも、もう応援する気にはなれない。彼らは引退したランスのために雇われた残党たち。

    なんで唯一のアメリカのプロツアーチームが、ポポヴィッチだの、パオロだのという(アメリカ人でない)名前を勝たせるために闘っているのか、そしてそれを僕らがどうして応援しなきゃいけないんだ。

    これはアメリカのチームだ。なのに3人のアメリカ人しかいない。ディスカバリーでジョージやトムといったアメリカ人選手が勝てなけりゃ、僕らは名前をまともに発音できないような選手を応援するはめになる。

    だからツールでは、僕はディスカバリー以外のチームのアメリカ人を応援するだろう。』
これに対し、多くの反論レターがきて、うち10通が後日CNに掲載された。

ディスカバリーはアメリカのチームだと思うことが間違い。ディスカバリーはマルチ・ナショナルな市場を求めている、そんな内容や、自転車競技は国際的なスポーツであるべきだ、といった内容など。

さらに、こんな内容のレターも。
    『僕はアメリカ人以外の選手も応援している。とりわけエキ、ポポ、サヴォルデッリ、アセベド、チェチュらは 僕のお気に入りの選手だ。

    僕がアメリカ人だから、アメリカ人しか応援できない、なんてわけはない。事実僕は こんな選手たちも応援している:

    ● 決して諦めないカザフ人(a never say die Kazakh)
    ● スポーツマンシップのイタリア人(an Italian cricket)
    ● 小さいコロンビア人のクライマー(a tiny Columbian climber -- アルディラのことだろう)
    ● 大言を吐くオーストラリア人スプリンター(a big-mouth Aussie sprinter -- といえば。。)
    ● 巨漢のスウェーデン人(a big Swede)
    ● スタイリッシュなイタリア人(stylin' Italian one)。。。

    さらに僕はオンセ、マペイ、ロット、ランドバウのジャージを堂々と着ている。ルド頑張れ!(*)』
(*:引退した元ランドバウのルド・ディールクセンスのこと。)

Photo: ディスカバリーのウクライナ人ヴォロディミール・ビレカ。

■ 2006.03.29 (Wed)  ダニロ・ホンド: 4月1日からのレース復帰をUCIが正式に承認
grp0329075256.jpg 469×480 94K先にスイス連邦裁判所で勝訴したダニロ・ホンド。CASが下した2年間のレース出場停止処分が無効とされた。

当初法廷での決定は仮決定という内容だったが、あとは手続き上の問題だけ、ということもあり、この決定が覆されることはない由。これを受けてUCIは公式にアナウンスを出し、ホンドは4/1からレースに復帰できることになった。以下コミュニケ内容:


【CASが決定した2年間のレース出場停止処分を棄却したスイス連邦裁判所の決定を受け、ダニロ・ホンドは来たる4月1日よりレースを再開できるものとする。

ホンドはムルシア一周でカルフェドン陽性となり、当初、スイスの自転車連盟より05年4月1日〜06年3月31日までの1年間の出場停止処分となっていた。(注:その後CASにより2年間の出場停止となった。)

従って、4月1日より、ホンドはUCIカレンダーのレース全てに出場可能となる。】


この内容を見ると、ホンドに対する処分が完全に撤廃されたというより、CASの2年間の処分が撤回され、その前に出たスイス自連(ホンドは目下スイス在住)の1年間の出場停止処分を有効という判断で、4/1から復帰となったように読める。

(本ニュースはまだCNなどには出ておらずTottobiciのニュースのみをもとに書いたものなので、今後、微妙な決定のニュアンスなど、さらにほかのニュースなどでも後で確認した方がいいと思われる。)

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関連ニュース(トクダネ3/17付け)■ スポーツ仲裁裁判所の2年間出場停止処分判定を不服として、スイス連邦州立裁判所に訴えていたホンド。司法が下した決定は : 一転して(暫定決定ながら)「処分撤回・即刻復帰可能」

■ 2006.03.29 (Wed)  ウルリッヒが今シーズン初参加予定レースをキャンセル
grp0329200725.jpg 367×391 44K4月4−7日開催予定のシルクイ・シクリスト・サルトに出場する、と断言していたウルリッヒ。しかし、右ひざに再び違和感を覚えてフライブルクの病院に行った結果、炎症が認められ、レース出場を見合わせることになった。

ウルリッヒが最初に膝の違和感を覚えたのは3月初旬のこと。炎症と診断され、暫くトレーニングの負荷を減らした。結果、痛みが取れたため、高らかにサルトに出場することを公言していた。

そして、再び集中トレーニングを開始。ところが、これで膝が再び炎症した。

「炎症が完治するまで、注意するつもりだ。その後、トレーニング負荷を徐々に上げていく。初レースを楽しみにしていたのだが。。」

今度こそ完治させるため、フライブルクの医療スタッフが、ウルリッヒのトレーニングメニューを準備している。

ちなみに、現在の彼の膝のトラブルは、02年の故障・手術の後遺症ではないとのこと。

チームはシュミッツが足の骨折、バウマンが腓骨・脛骨骨折、クレーデンが肩の脱臼をするなど、故障者続出。今シーズン最初で、プロトンがナーバスになっており、落車・ケガが多いとこぼす選手もいる。

ウルリッヒのシーズンデビューは、お預け。改訂版レーススケジュールを考えるのはは、膝の状況を見ながら、ということになった。

■ 2006.03.30 (Thu)  カザフの英雄ヴィノクロフ
vino.jpg 362×471 170K■ 「狩りに行きたい」と一言言えば、国家の軍部がヘリコプターを用意
■ 志は 浅田監督と全く同じ
■ 軍では大尉に昇格
■ 「マンセボは自分からアタックを仕掛けないのに、いつもそばにぴたっとついている」

ヴィノクロフの新着インタビューを掲載する前に、まずインタビュー内容把握のための下地として、ヴィノクロフとカザフスタン国家・政府関係者とのつながり説明:

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2000年シドニー五輪ロードレースでウルリッヒについで2位となり、銀メダルを獲得したアレクサンドル・ヴィノクロフ。五輪での優勝で、彼は国から家具付きアパートと車を支給された。

さらに軍隊内での地位も大尉に昇格。毎年トレーニングを数日受けることが条件だが。軍から月給も支給され、年金も保証されている。

カザフスタンの首相ダニヤル・アフメトフ氏は元自転車選手。今でもバイクに乗っている。そんなわけで、ヴィノクロフと首相は、羊や馬のステーキといったご馳走を前に、“カザフスタンの強豪チーム結成プラン”を語り合う仲だ。

ヴィノクロフのカザフスタン内での優遇は、家や車だけでない。駐車料金も永年無料。狩りに行きたいと申し出れば、軍部がヘリコプターを出してくれる。

しかし彼がこうして今日あるのも、13歳で入団したスポーツアカデミーでのスパルタ教育と厳しいトレーニングの経験があってこそ。ちなみに、パリ〜ニースで以前亡くなったアンドレイ・キヴィレフとヴィノは、このアカデミーのクラスメートだった。


------ 以下 最新ヴィノクロフインタビュー(出典アス)から

● リバティについて

「6年間もドイツのチームにいた後だから、違いを感じる。リバティは若い選手が多く、雰囲気もいい。一方で、真面目なチームでもある。」


● プロツアーチーム昇格を目指すのは、浅田監督だけではなかった。カザフスタンも、あと2〜3年以内にプロツアーチーム昇格が目標。

「カザフには、すでにコンチネンタルチームがあるし、さらにヨーロッパチームで走る優秀なプロが何人もいる。2〜3年でプロツアーチーム昇格目指している。

これは真面目な話だ。シドニー五輪で僕が銀メダルを獲得したことをきっかけに、自転車がすごいブームになっている。政府も、支援のために奔走してくれているんだ

実際、僕が自転車ブームの火付け役になったというわけだ。僕は今ヨーロッパにおけるカザフスタンの代表だ。」


● ツール優勝は射程圏内

「念頭には、まずツールのことがある。ツールでのリーダー役には慣れている。優勝は可能だと思うし、だからこそ今年の冬はきついトレーニングをこなしてきた。」

● 目下の弱点

「山岳での力を強化する必要がある。TTでは、いいところに食い込めるのが分かっている。でも、上りでほかの選手に抜きんでていなくてはだめだ。ライバルはバッソとウルリッヒ。2人とも同じぐらいの強豪だ。」

● バルベルデとマンセボについて

「バルベルデは将来ツールで勝てるポテンシャルがある。ただ、今は経験不足。マンセボは、経験がある一方、自分からはアタックしない。でもいつも先頭の方にいるんだ。TTが弱いのが問題。」

(Photo: 05ツール)

■ 2006.03.31 (Fri)  プロツアーが目白押し。。4月のレース・レビュー
vino2.jpg 283×405 119K4月はおいしいレースがぎゅうぎゅう詰め。30日間でプロツアーレースは8種類。さらに女子ワールドカップレースもあれば、北米No.1のツール・ド・ジョージアも開催される(4/18-23)。

その皮切りとなるのは4/2のフランドル一周。さらに4/5 ヘント〜ウェヴェルヘム、4/9にはパリ〜ルーベ。16日アムステル・ゴールド、19日フレッシュ・ワロン、23日L-B-L、25-30日はステージレース、ツール・ド・ロマンディと続く。

特にヘント〜ウェヴェルヘムとフレッシュ・ワロンの2つは週末ではなく、水曜日、週の真っ只中の開催だ。

2005年、トム・ボーネンはこの4月のタフなワンデイレースを最も上手く乗り切れる選手として名乗りを上げた。E3プリース・ヴラアデレンに続き、フランドル一周、パリ〜ルーベで勝利した。

その後ツールでの区間優勝、世界戦制覇へと続く道のりの始まりだった。2006年は、さらにその力を増強したかのように見えるボーネン。既にパリ〜ニースやカタール一周で区間優勝を遂げている。

そのほか期待できそうなのは、CSCのファビアン・カンチェッラーラ、ラボバンクのフアン・アントニオ・フレチャ、ディスカバリーのヒンカピーといったところか。

リクイガスは膝の故障でバックステットを欠く。ダニロ・ディルーカが今年もチームを引っ張るだろうが、小柄な彼に、4月前半のパヴェのステージはタフだろう。L-B-Lやアムステルといった後半のレースの方が向いている。

これら4月後半のレースは上りのバリエーションからいって、ディルーカやレベッリン、フレイレといった選手に適している。

そのレベッリン、04年に爆発したものの(L-B-L、フレッシュ、アムステルを連続制覇)、05年には精彩を欠いた。

いつもどこかが痛いオスカル・フレイレは、腰痛の合間を縫って、おいしいところで力を出すことが多い。

去年はシーズン前半にディルーカがプロツアーポイントで独走し、そのままホワイトジャージをキープ。初代プロツアーチャンピオンに輝いた。今年はディフェンディングチャンピオンだ。その白ジャージ、今現在はランディスが手中に収めている。

4月は、一目瞭然のサイクリング・ファン月間。レベルの高いレースが30日間に凝縮されている。そして、今週末、いよいよその熱い30日間の火蓋が、切って落とされる。

(CNのレースレビュー の概略+α)
Photo: 去年のL-B-Lにて ヴィノクロフ

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