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Mas.ciclismoは、2001年12月にCyclingnews.comと念書をかわし、News和訳の許可を得ています。
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■ 2007.12.02 (Sun)  モナコスタートの09ツール その3 : 佐藤琢磨「モナコは自転車のトレーニングに最適、なぜなら・・・」
今年のツールはロンドンスタートで珍しい光景で目を楽しませてもらったが、09年のモナコ・グランデパールも、地形の妙でなかなか楽しいかもしれない。モナコのF1サーキットを説明するメールをもらった。


車からコースを撮った写真(写真の並びはコースそのままではないようですが)
==> ココ
ここの上から4枚目と7枚目がスタート直後の上り、通称ボーリバージュです。
けっこう上りますよ、これ。

モナココースの観光 ==> ココ
写真は小さいですが、ボーリバージュの上りや、ミラボー、ローズヘアピンといった有名な場所の「高低差」はわかりやすいかも。

おまけ ==> ココ
佐藤琢磨がモナコを語ったコメントのほんの一部が書いてありました。(「海から直接1000m級の山につながっている急な地形なので、モナコは自転車のトレーニングに最適なんです」。)

市内の勾配のわかる写真がありました。==> ココ

モナコスタート、面白いコースになるといいですね。
(Gさんから)

写真は今年のツール。毎ステージ、開始前に、地元のちびっこライダーたちにスポットライトが当てられる。さらにからだが不自由な人には、見やすい特別席が用意され。ツールのこういう点は、さすがだな、と余裕と成熟度を感じる。

■ 2007.12.02 (Sun)  2008年ジロ ルート発表
12月の最初の土曜日となる1日、来年のジロのルートがRCSスポルトにより発表された。発表会の場所は今年もミラノ郊外のアルチンボルディ劇場。(Ref.昨年10/30のトクダネ)

先に発表があったとおり5月10日にシチリア島北西部のパレルモを出発し、6月1日のミラノで完結。全行程約3,423.8kmとなる。

一瞥してまず目を引くのは:

● 初日TTTで始まり、ITTで幕を閉じる > 最後は凱旋パレードではない

● 第16ステージには13.8kmの山岳TTがある

● 第18ステージがメンドリーシオ(スイス)からヴァレーゼまでの182kmのコース。来年と再来年の世界選の開催地を結ぶと言う洒落た演出

● スイスのほか、サンマリノ共和国もルートに入っている。

● 第14ステージAlpe di Pampeago (Val di Fiemme), 第15ステージPasso Fedaia (Marmolada) , 第19ステージMonte Poraフィニッシュあたりの山岳ステージに注目

CNのルート・リスト


終日のミラノ着のTTは(せっかくTTゴールなのに。)大聖堂前ではなく、例年の場所の様です。これはガッカリ!?

ご存知でしょうが、ジロのミラノ周回はツールのパリ周回より古く、ミラネーゼはこれを誇りにしていましが、80年のロンバルディアを最後にミラノ市はジロを締め出してしまい、(ツールとは対照的)アレからもうミラノ周回(ドゥオーモ)を見ることは出来ません。唯一の可能性は03年にやった、TTのみ、と言う訳です。
(H. Sugiyamaさんから・写真も)


イタリアのプローディ首相談話:
「2008年のジロこそ、まさにホンモノのジロといった感じ。北から南へ、シシリーから始まってイタリア中のほとんどすべての地域を網羅している。

自分はエミーリア・ロマーニャ地域で生まれ、そこで自転車競技に親しんだ。若い頃からずっと乗っているんだよ。多くの選手たちは北部や中央部出身なわけだが、シシリーでスタートというのは賢い選択だ。

このジロが、若い人たちに夢を持たせる大会となることを祈っている。子供たちには是非自転車を通じて感動してもらいたい。近頃では多くの人たちが35や40歳で自転車を始める。

若い選手をどんどんこのスポーツに送り込まなくてはいけないね。ジロがそれをなしえる原動力となることを期待する」

■ 2007.12.03 (Mon)  中国自転車事情・国事情
左は中国の自転車修理屋さん。

今年秋、カデル・エヴァンスが五輪テストレースで優勝した。そのあと話を聞いとき、噂されていた公害は気にならなかったと言っていた。その代わり、文化の違いに非常に戸惑ったと言っていた。さて、中国五輪はどんな大会になるのだろう。

中国四川に赴任中の人が、このほど北京を観光してきた。その人から届いた北京便りから:


自転車事情:

自転車は確かに多く、よって、街には修理屋をよく見かけました。修理屋といっても、店を構えるのではなく、露天でやってる、って感じです。正直に言えば、道具の管理も雑。素人が無理矢理治してるっていう感も感じました。見てると、道具を上手に工夫して使って…ではなく、力でごり押し…みたいな直し方…。おぃおぃ、壊れるじゃん、そんなことしたら…。

勿論、正規の店もあるんですよ。GIANTショップにも顔を出しましたが、(成都にも、北京にもあります)日本の自転車屋の様に、きちっと工具が並んでいるというわけではないようです。

最近、当地ではMTBもよく見るようになりました。それは、僕が気付かなかっただけかもしれません。最近増えた、ということもあるかもしれません。僕の大学でも、MTBに乗ってる奴がこのところ増えましたし、コフィディスのジャージを着てる奴も居ましたね。今度捕まえて話でもしたいと思ってます。

北京事情:

今回は、北京市内の「胡同(ふーとん)」を歩きました。胡同は、言ってみれば北京の「下町」で、取り壊されつつあるとも聞いていたのですが、景山公園の北側などには、まだまだ沢山の胡同が残されています。
歩いてて気付いたのですが、公衆のトイレが多いのです。
興味を持ってあとで調べたら、各家庭には、個別のトイレがあまり無いんだそうです。

北京市内の印象を言えば、非常に寒かった、ってことがまず第一です。
緯度的には、秋田県の北に位置するので当たり前といえば当たり前ですが、成都でぬくぬくした生活に慣れた私には、ちょっと北京の風は冷たかったですね。

西単などを歩いていたんですが、かなり外資系のものが増えましたね。(西単は、若者の町といったところ)吉野家の牛丼も何件も見ましたし。(牛丼好きなので、思わず食べました。2回も)あとは、女の子のファッションなどを見てると、やはり小奇麗になったというか、やや垢抜けた、そんな印象を持ちます。

マナー関係を言えば、良いとも言えず、悪いとも言えず、というところです。天安門の前などは、警備している警官が多い、と先ほど書きましたけども、確かに、ゴミなども落ちておらず、大変「綺麗」ではあります。ただ、一本横道にそれると、唾吐き捨ての人たちが多数居ました。また地下鉄で切符を買う際、割り込みも何件かされました。ゴミを道端に捨てる中学生などが居て、思わず私は怒っちゃいましたけど…。

地下鉄や街には、やたらと「文明○○」という文字が並んでいて、列に並ぼう、だのなんだの、っていうポスターが数多く掲げられています。
こういっては失礼ですが、確かに、成都よりかは、若干マナーは良いようには感じますが、日本のそれと比べると、閉口してしまいます。

トイレにも興味を持っていたんですけど、確かに、「綺麗」で「清潔」はあるんですが、「清潔感」はないです。使ってる人が雑で、すぐに汚くなるようです。
そこに、直に清掃の服務員がやってきて、ごしごしする、というように見えました。それで、綺麗さを保ってるのかなぁ、とも推測します。

北京には2〜3日しか居なかったので、見られたものは限られますけど、それでも、今の中国を少しでも感じられたのは、とてもよかったと思っています。

私見を言えば、オリンピックで盛り上がってるかというと、そうでもないような。
僕の住む四川では、「北京は遠いからね」というようなことを言う人が多く、あまり感触として感じられないようです。飛行機でも3時間、列車だと26時間かかる、遥か彼方の町ですからね。

このあたりの意識差は、北京在住のほかの方の意見も聞いてみると、全体像が見えてくるかもしれませんね。(Mさんから、写真も)


■ 2007.12.04 (Tue)  ミステリアスなSMSの主の話 * パリ〜ルーベには出場せずに引退か?ベッティーニ
先日フランスVelo Magazineが選出する年間最優秀選手の発表があった。ベストライダーに与えられる金賞はコンタドール(1ポイント差で2位カンチェッラーラ、2ポイント差で3位ベッティーニという僅差)の手に。ベストフランス人賞はMTBのアブサロン(4度目の受賞)。

このとき丁度1年前のVelo Magazineを友人に借りて読んでいた。去年の金賞受賞者はベッティーニ。初めて知ったことがいくつか。

体脂肪率:ベッティーニの体脂肪率は8.7%だそうだ(レース中はそれより低くなるものの)。もう少し低いと思っていた。

SMS :ベッティーニは、昨年ザルツブルクの世界選を制したとき、数々の大物から携帯電話のSMS(ショート・メッセージ・サービス)を受け取ったという。中にはこんな人からのSMSも: マルチェロ・リッピ(サッカー監督)、ズッケロ(ロックシンガー)、マックス・ビアッジ(モーターサイクル)、ジョルジョ・ナポレターノ(伊大統領)

で、SMSを真っ先にくれた人物名を聞いて驚いた。2番目にくれた人はバルトリ、3番目がオグレイディだったそうだ。この最初にSMSを送信した人物の名前は後日明かすとして、「なぜあの人が?」というのがリアクションだった。ちなみに自転車関係者だ。

パリ〜ルーベ:小柄なベッティーニはパリ〜ルーベにはまだ出たことがない。今年はチームと相談の上、出る可能性もゼロではないといっていたが、結局出ず。

「パリ〜ルーベは自転車競技ではない、別物だ」とみんなが言うので、引退前に一度は出てみたい、とは思っているそうだが、彼は来年いっぱいで引退を表明している。出場しないまま引退という可能性も。

99年からルフェーブルと二人三脚 : 97年MG – Technogymでデビュー、98年 Asicsで走ったベッティーニ。99年にマペイに移籍以降ずっとルフェーブル監督のもとで走っている。監督への恩義をしばしば口にしている。他チームからのいいオファーも保留にしてクイックステップからのオファーを待ったという。「監督への恩を仇で返すわけにはいかない」

投票者: この金賞 Velo d’Orはジャーナリストの投票によって選出されるけれど、日本からは「エスペランススタージュ」でもおなじみのジャーナリスト久保信人さんが投票していた。彼の去年の投票内容は順番に:ベッティーニ、カンチェ、シュレック、マキュウェン、ジルベール

自国びいきはあるか? : 国によっては自国のヒーローを投票するジャーナリストも。イタリアがベッティーニ、スペインがバルベルデを筆頭選手に推すのは納得ながら、オーストラリアの記者もマキュウェンを筆頭にしていた。

● ベルギーやスイスは自国の英雄を筆頭にはいれず、公平さを印象づける。ベルギーのフランス語圏の新聞デルニエウールは、ベッティーニ、バルベルデ、ボーネン、カンチェ、ポッツァート とフランス語圏のベルギー人ジルベールを入れていないところがミソ。(ジルベールに投票した人が結構いた中)

● スイスのEurosportはベッティーニ、バルベルデ、カンチェッラーラの順。

● 突出して去年ひねくれ系の投票をしたのは英国のThe Times。1位ジルベール、2位ヒュースホーウト、3位 ボーネン、4位 カンチェッラーラ、5位 シュレック。世界選優勝のベッティーニやこの年活躍したバルベルデには投票せず。

兄の死:世界選優勝の1週間後に兄サウロが亡くなってベッティーニは気づいた。「世界で一番手に入れたいものを手に入れるのが一番重要だとそれまで思っていた。でも、運命が目をさまさせてくれた。そんなものはすべて無に等しいのだと。」

悲劇の後のロンバルディア:兄が亡くなった2週間ほど後に開催されたロンバルディアで優勝したが、実は兄の死後トレーニングをする気が起こらず、出場できるかわからなかった。そんなときブラマーティが力をくれた。「頭では対応できなくても、からだが自然に動くから、走ってみろよ」

● Velo d'Or受賞者リスト(今回、93年以来となるスペイン人の受賞)

1位 2位 3位
92 インドゥライン ロミンゲル キアプッチ
93 インドゥライン フォンドリエスト ロミンゲル
94 ロミンゲル インドゥライン ベルジン
95 Lジャラベール インドゥライン オラーノ
96 ムセーウ リース ツーレ
97 ウルリッヒ Lジャラベール パンターニ
98 パンターニ バルトリ アームストロング
99 アームストロング ウルリッヒ チミル
2000 アームストロング ツァベル ウルリッヒ
2001 アームストロング ツァベル Eデッケル
2002 チポッリーニ アームストロング ベッティーニ
2003 アームストロング ベッティーニ ヴィノクロフ
2004 アームストロング クーネゴ フレイレ
2005 ボーネン アームストロング ディルーカ
2006 ベッティーニ バルベルデ カンチェッラーラ
2007 コンタドール カンチェッラーラ ベッティーニ


■ 2007.12.04 (Tue)  ブラッドリー・マッギーのブートキャンプ
11/30付けの小ネタで書いたCSCの恒例のブートキャンプ。幾つか動画サイトをチェックしたものの、新加入のマッギーの姿が見当たらなかった。不参加かと思いきや、本人の日記が更新され、ブートキャンプ初体験の様子を書いていた。

>>>かなりの不安を抱きながら、このキャンプに突入した。実際直面したのは − 恐れ、、、いや、ありのままを話そう − ボクはビビりまくっていた!

以前のキャンプの様子は聞いていた。ほとんどのメンバーがサバイバルするということも聞いていた。だから自己トレーニングにも長距離の山歩きを入れてそれなりに備えていた。最高品質の装備品も買った。

旧友との再会あり、新しい友人との対面もあり。それでもボクはビビりまくっていた。<<<


気温はマイナス15度。その中をコンパス片手に見えない目的地目指してクロスカントリースキーで進んでいく。

>>> 一番の驚きは、キャンプを遂行するのが選手たち全員だけではなく、スタッフも含めて全員である点だ。メカニック、マッサー、オフィススタッフ、ドクター、そして、バスドライバーまで、みんなが参加し均等に混ざり合って5組に分かれて進むのだ。

このような状況では、とにかく速やかに習得すること、チームとして動くこと、マイナス思考を振り払うことが要求される。でなければ、恐ろしい落とし穴に陥り、安全が脅かされることになる。これは危険で恐ろしいチャレンジだ。結果として、チームワークという成果が期待通りに生み出される。<<<

bradleymcgee.com

今年9月にフランク・シュレックと話をしていて、このブートキャンプの話題になった。写真のロロ(マッギーも触れているCSCのバスドライバー)までもがドロップアウトしないというのは驚きだったのだが、話を聞いたところ、彼のようにいわゆるスポーツマンタイプでないスタッフは、周囲の余裕のある選手などがかなり手助けをするという。

とはいえ、このロロも含めてスタッフも最後までサバイバルするというのはやはりチームワークの賜物だ、とシュレックの弁。

■ 2007.12.05 (Wed)  プロツールチーム : UCIが18チームのライセンスを承認
アスタナはルクセンブルクチームとして登録 ● Tモバイルはハイロード ● ロットはサイレンス・ロットに名称変更

去年のプロツール20チームのうち、Unibetは締切日までに届出がなくライセンス撤回が決定し、またディスカバリーチャンネルが解散したためマイナス2チームで、残り18チームすべてのライセンスがUCIにより承認された。

Tモバイルは先に発表があったようにスポンサー変更に伴いハイロードに。プレディクトール・ロットはスポンサーが推すブランドネームの変更に伴いサイレンス・ロットに名称変更(Ref. 11/25小ネタ

アスタナは運営体制が変わったものの、カザフスタン自転車連盟と新マネージメントにより、旧チームにて確約した内容をきちんと遵守することが保証されたため(給与未払い問題へ対処することも確認され)、ライセンスが承認された。国籍はルクセンブルクの登録に。来年のジャージにカザフカラーは残るのか?

ちなみに友人のサイクリスト3人衆は、カザフスタンがらみのジャージを持っている。1人がアスタナのカザフスタンナショナルチャンプバージョン、1人が通常のアスタナジャージ、残りの一人がリバティセグロスのカザフスタンナショナルチャンプバージョン。(半年間の短命に終わったあのカシェチキンのジャージだ。後残るはTモバイルのカザフスタンチャンプジャージ=写真(ヴィノ&ベッシー)=かな?)

ただ朝練で3人全員が揃ったことはまだない。「何とか3人で朝錬したいす」と。
カザフジャージ3人衆が全員揃って都内の主要道路を疾走したら、目立つだろうね。

• Ag2r-La Mondiale (FRA)
• Astana (LUX)
• Bouygues Télécom (FRA)
• Caisse d’Epargne (FRA)
• Cofidis, le Crédit par Téléphone (FRA)
• Crédit Agricole (FRA)
• CSC (DEN)
• Euskaltel-Euskadi (ESP)
• Française des Jeux (FRA)
• Gerolsteiner (GER)
• High Road (ex-T-Mobile)
• Lampre (ITA)
• Liquigas (ITA)
• Milram (ITA)
• Quick Step (BEL)
• Rabobank (NED)
• Saunier Duval (ESP)
• Silence-Lotto (BEL)

■ 2007.12.05 (Wed)  ブエルタルート発表: 公式サイトには日本語で「あなたのVuelta」
08年ブエルタのルート発表があった。日程は8月30日から9月21日までの21ステージ、合計約3170km。

サイトも更新され、トップページにはスペイン語で「Tu Vuelta」(君のブエルタ)と書かれ、さらに各国語で「君の(あなたの)」と書かれている。「Tua」「Ta」「Your」「Deine」「Ton」などヨーロッパ諸国だけでなく・・・日本語でも「あなたの」。http://www.lavuelta.com/

ルートリスト を見ると、噂になっていたエル・アングリルの山頂ゴールは第13ステージ。第7、第8ステージのアンドラとプラデブレの山頂ゴールも超級だ。

初日はグラナダ発7kmのTTT。5日目にITT40km。その後山岳ステージのオンパレード。
最終日前日のTTは16kmと短いが、ナバセラダのゴールなので山岳TTらしい。

サマリ
平坦ステージ: 計10
山岳ステージ: 計8
TTT :1回(7km)、ITT:1回(40km)、山岳TT(16km):1回
山頂ゴール: 5回
超級山岳 : 3
1級山岳:13
2級山岳:9
3級山岳:15

■ 2007.12.06 (Thu)  カザフスタン自転車連盟が決断: ヴィノクロフは1年の出場停止処分に。UCIの反応やいかに?(オマケ: でもジダンには制裁は一切なし)
ツール開催中の今年7月21日血液ドーピングで陽性判定となったアレクサンドル・ヴィノクロフに対し、このほどカザフスタン自転車連盟が1年間の出場停止処分を科すことを決めた。

「弁護士及び本人から提出された書類には説得力がなかったため」と連盟の弁。

通常は2年間の停止処分となるところなので、これでUCIが異論を唱えなければ、最悪の事態は免れたことになる。来年7月までの処分となり、北京五輪出場は不可能ではない。

この1年という期間が長いのか短いのか、考え方次第であろうけれど、ツール出場を逃すということはヴィノクロフにとってはダメージではなかろうか。

最近“ジダンの話”を知ったばかりなので、少々思いは複雑。

“ジダンの話”は、1996年にマイヨジョーヌを3日間着用し、胃腸の故障でマイヨジョーヌのままリタイヤした悲劇のフランス人ステファン・ウーロが雑誌の中で語り、憤慨していた。彼は今、ASOの仕事に参画し、同時に若手の育成も行う。

彼が憤慨していたジダンの話とは以下の通り:

● シンガーのジョニー・ホリデーは、疲労回復のため2003年にスイスのクリニックへ赴き、血中酸素を増やす処置をしてもらった。やり方は、血液を一旦取り出し、再び注入して酸素を増やすというもの。

● つまりアスリートであればこれは血液ドーピングとなり失格になる。スイスのクリニックはこれの専門病院だった。

● ジョニーはこのクリニックをジネディーヌ・ジダンから紹介されたことを暴露した。当時ジダンは年に2回このクリニックに通っていた。

● しかしこのジョニーの暴露話はフランスのメディアによって握りつぶされた。ルモンドに至っては2002年の時点でそれを知りながら沈黙を守った。メディアに取り上げられたのは2006年になってから。しかもどれも論調としては無関心。

***
そこへいくと、自転車界の状況は半端じゃない。ラボに保管されていた昔の血液を探し出して、最新技術で調べなおし、その結果が漏洩される・・・といった事態まで起きている。

サッカー界と自転車界、スポーツとしての報道を考えるとサッカーのほうが断然熱心に取り上げられている。でもことドーピングという切り口になると、完全にこれが逆転する。

選手たちが、「自転車競技ばかりが・・・」と不満を口にする背景はこんなところにあるのだろう。

■ 2007.12.07 (Fri)  ヴィノクロフは本当に引退するのか?
昨日の件を受け(カザフスタン自転車連盟がヴィノクロフを1年間の出場停止処分とするという発表 − Ref.昨日のトクダネ)、直後にレキップのフィリップ・ルギャールの署名入り記事で、ヴィノクロフ引退という報道が駆け巡った。

それによると、ヴィノクロフは身の潔白を晴らす闘いは続けるものの、自転車競技から引退するという。

現時点では記者会見の席で述べた話ではないので余り重視していなかったのだが、ここへきてロイター、AFPなどもこの引退説を引用しており、ある程度信憑性があると見ている様子でもある。

一方で連盟が下した処分期間が1年間のみだったということについて、やはりUCIは不満を漏らしている。
Photo: Dauphine06にて

■ 2007.12.08 (Sat)  ヴィノクロフの引退声明
このほど開かれた記者会見でヴィノクロフが自らの言葉で引退を表明した。

「競技生活に終止符を打つ(...)これは確固たる決断だ」
「自分の競技生活がこのような形で終わるのは悲しい。しかしボクは自分の尊厳を保ちたい。テスト結果をひっくり返し、自分はやっていないということを証明するつもりだ。」

カザフスタン自転車連盟のニコライ・プロスクリン氏は:
「弁護士及びヴィノクロフが提出した書類は説得力がなく、1年間の失格にすることを決定した。しかしながらヴィノクロフは、本人の気持ちがあれば北京五輪に出場することは可能だ」と語っている。

しかしヴィノクロフは会見でこう付け加えた。「このスポーツをこれ以上やりたいと思わない。ドアをバタンと締めて立ち去ることにした」

「自転車競技がほかのスポーツよりもダーティーだとは思わない。ほかの競技はどうだい?テニス、サッカー?彼らについては、触れないように緘口令が敷かれているんだ。」

「ボクは自転車競技はひとつのオーケストラだと思っている。非常に素晴らしい演奏者たちが揃っているが指揮者が最低だ。だからこのスポーツが混乱をきたしているんだ」

Photo: 05年6/23トクダネ”知っているようで意外に知らないヴィノクロフ”から AG2Rの前身であるカジノ時代のヴィノ

■ 2007.12.08 (Sat)  ヤエスメディアムック 『ロードバイクビギナーズ3 』は12月12日発売
発売のお知らせです。
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ヤエスメディアムック187『ロードバイクビギナーズ3 』
フィッティング編


藤下雅裕 著 12月12日(水)発売 定価1365円(税込) 
A4変形判・平とじ・188ページ
八重洲出版発行http://www.yaesu-net.co.jp

最適のライディングポジションを実現する自転車と体をフィットさせる極意を満載

●フレーム・部品・用品の種類&サイズ選びからクリートの位置決めまでを徹底ガイド

●ペダルの厚み、主要ハンドルバーの各部寸法など、フィッティング関連の数値データ、商品情報も充実

●自転車のサイズ選び、各部の寸法調整で100%の性能を引き出すためのガイドブック

フィッティング講習会を主催しているサイクルスポーツ』誌のレポーター藤下雅裕が全ノウハウを大公開

サイクルスポーツを発行している八重洲出版は、ヤエスメディアムックの名称で多くの自転車ムックを刊行しています。なかでも"ロードバイクビギナーズ"シリーズは、読者から高い評価をいただきベストセラーとなっています。

同シリーズの第3弾として、11月30日発売予定で『ロードバイクビギナーズ3 フィッティング編』を発売します。

2007年、ロードバイクは空前の売れ行きを示し、まさにブームといえる活況を呈しています。ご存じのように、ロードバイクは走行に関係ないものを排したシンプルな構造になっています。自転車や用品の各部寸法が乗る人の体格や走り方に合っているかが、その自転車が本来持っている性能を発揮させるキーポイントです。それがフィッティングという技術です。

定期的にフィッティングの講習会を開催している藤下雅裕(サイクルスポーツ誌レポーター)が、フィッティングのノウハウを大公開します。

●主な内容は、次のとおりです
 ・フィッティングマシンによる計測
 ・自転車と部品の寸法要素
 ・ロードバイクのタイプととサイズの選び方
 ・フィッティングの手順
 ・シューズ&ペダルのタイプ&サイズと選び方
 ・クリートのセッテゥング
 ・サドルとシートピラーのタイプ&サイズと選び方
 ・サドルのポジション調整
 ・ハンドルバーとハンドルステムのタイプ&サイズと選び方
 ・ハンドルバーのポジション調整
 ・最適ギヤクランクの選び方
 ・シューズやヘルメットとウエア&小物のサイズと選び方

そのほか、わかりにくい事象を詳しく解説した実用的な囲み記事を多数挿入します。
また、作業の解説は手順を追った写真を多用して、自分でできるようになっています。

■ 2007.12.09 (Sun)  全日本学生ロード・シリーズ第8戦・東京昭和記念公園クリテリウムラウンド第2日(12/9)
12:50〜 逆転劇のクリテリウム クラス1+2 / まずは本日の一枚


名物のイチョウの木はすっかり裸になり、黄色い絨毯となって地面を覆いつくした冬枯れの昭和記念公園。土・日曜の2日間にわたって標題クリテリウムが開催された。

レースはポイント制で争われ、最終回に突入する時点で東京大学の1年生 西薗良太選手が最多となる20ポイントを獲得していた。しかし最終ゴールでのポイントが効いてくるので油断はできない。

最後のゴールスプリント。ゴール際には遠目だと一瞬アスタナジャージかと見まごうターコイズブルーのチームジャージが並んだ。本レースに出場していない東大の自転車部の仲間たちだ。西薗選手の優勝を後押しすべく、声援を送っていた。

しかしスプリントを制したのは早稲田の十時正嗣選手。後ろを振り向きながらトップでゴール。

十時選手はこれで一気に15ポイントを追加。一方の西薗選手は歯を食いしばって必死で漕ぐも10ポイント以上がゲットできる2位・3位に食い込むことができずに5位となり、最後の獲得ポイントは7ポイントで合計27ポイント。十時選手に逆転を許し2位となった。

以下スタート〜中盤








ガッツポーズなしのゴールシーン。早稲田色(=小豆色)のジャージの十時選手がトップでゴール。

続く・・・

■ 2007.12.10 (Mon)  走り続ける人たち
高校生サイクリストから届いたEメール ● 自転車部がなくても一人で頑張る大学生との会話 ● 社会人になってもサイクリストという人から届いたEメール

高校生から大学生へ、大学生から社会人へ、そして社会人になっても・・・それぞれのフェーズを超えてもなお走る人たち。そのフェーズごとに、きっと自転車の意味合い・比重は多少変化しているのだろうけれど、それでもみんな走り続けている ・・・ てなわけで、この週末見聞きした光景。

● 大学生になっても自転車に打ち込むA君の話

全日本学生ロード・東京昭和記念公園クリテリウムを見に行こうと決めたのは2週間ほど前のことだったのだが、行こうと決めた数日後、偶然 本クリテリウムに出場します、というメールをある学生さんからもらった。

仮にA君とでも呼ぶことにしようか。このA君が初めてうちのサイト宛にメールをくれたのは3年ぐらい前じゃないかと思うのだが、当時彼はまだ高校生だった。

地に足をつけてやっていきたいといった内容のことが書かれていて、高校生なのにしっかりしているなぁ、と感心したのを覚えている。

その後今年になって彼から再び便りが届いた。大学合格連絡と、そしてその大学でも自転車部に所属して頑張っている由。

果たして昨日、A君は大活躍だった。高校生の時メールをくれたA君は、この人だったのか、、と少々感慨深い思いでレースを見ていた。かなりの有望株だ。このまま上を目指して頑張れ。

就活中だけど頑張るB君の話

で、同じく昭和記念公園で、3年生のB君と会話をした。彼は11:00から行われたクラス3のレースに出場したのだが、1周目で落車があり、彼自身落車はしなかったものの、その後ろを走っていたためメイン集団から千切れてしまった。

結局落車のとき後方を走っていた選手はみな最後まで残ることはできなかった。B君しかり。カットタイムは30秒。4周目でリタイヤとなった。

B君はほかの学生のように学校名が入ったジャージは着ていない。ファッサボルトロのジャージにUSPの上着、バイクはランプレ。彼の大学には自転車部はないそうだ。単独参加で、ほかの学校が少々羨ましい様子。

首都大学東京に至っては応援団やチアガールまで引き連れてきていた。

理系のB君は目下就活真っ只中。社会人になってもずっと走りたいというので、「じゃあシマノに入るとか?」と冗談を言ったら、「それはないですね」。化学系だった。化学だったらシマノは畑違いだな。

「社会人になったらきっと週末だけしか走れないんでしょうねぇ」とB君。でも私の友人たちは最大限走っている。たまに平日早起きして出社前に走る人もいるし、ツーキニストをやっている人もいる。

学生時代とはまた一味違ったかたちで、みんな自転車を満喫しているよ。

自転車店をオープンした長谷川嘉男さん

昭和記念公園から帰宅したら、メールが入っていた。メールの主は長谷川嘉男さん。大学〜社会人になっても走りつづけ、このほど念願の自転車店をオープンしたという。

長谷川さんがレースを始めたのは20年ほど前。これまでは自転車店に勤務をしながらレースを楽しんできたけれど、このほど独立して神奈川県川崎市の武蔵中原にCycle Cube(サイクルキューブ)という名前の自転車店を開いた。

20年間自転車に魅せられ続け、さらなる一歩を踏み出した長谷川さん。レースと自転車を楽しむ人たちが大勢集まるお店となりますよう。

お店のHP ==> http://www.cyclecube.com/

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Photos:
● 首都大学東京の応援団(レース前)
● クラス3表彰式
● クラス1・2表彰式
● 信州大学ジャージは信州の地図入り
● シロクマジャージ姿の人は審判の有資格者。記念公園のコースは公園の外周のような恰好なので人の出入りは少ない。それでも一般の人がコースに入ってしまう危険性はあり、こうしてコースのあちこちに、かなり密に係員の人たちが立っていた。お疲れ様でしたー。


■ 2007.12.11 (Tue)  目で見るジャージ変遷とゲロルシュタイナーの日本における今後のマーケティング戦略は??

ゲロルシュタイナー98

ゲロルシュタイナー99

ゲロルシュタイナー2000

ゲロルシュタイナー2001

ゲロルシュタイナー2002

ゲロルシュタイナー2003

ゲロルシュタイナー2004


ゲロルシュタイナーというと、初期の頃から随分ジャージのイメージが変わったチームという印象がある。TOJ参戦のときは赤x緑のジャージだったし、その後の紺のジャージもインパクトがあった。04年から今の色で落ち着いているけれど、これも来年で見納めか。

ところで私の場合、勤務先がメーカーではないので、仕事柄宣伝費を使うことは一切ない。なので宣伝効果に関する対費用効果のイメージが全然つかめない。

ゲロルシュタイナーはチームスポンサーをやったおかげで売り上げを伸ばすことはできたのだろうか?1個あたりの単価が安い製品なので、巨額の宣伝費は割りに合わないように思えて仕方ないんだけど。プレディクトールの場合は、母体がオメガファーマで薬品をいろいろ扱っているから一部門の底上げに利用しているのでいいとして。

ドイツ以外のヨーロッパ地域での知名度アップとしてはかなり貢献しただろうけれど、ネックは味??先日ゲロルシュタイナーの工場見学に行った人は、そこでシトロン、ピーチ、マンゴー、炭酸抜きウォーターなどを試飲したそうだ。でも、味はといえば、「”桃の天●水”以下でした」。「炭酸なしも、コントレックスに先を越されているのでビミョーだし」と。

これを聞いてミルラムのヨーグルトドリンクの味を思い出した。人工的な味で、とてもおいしいとは言えなかった。知名度をいくら上げても、こういった食品の売り上げって味の好みに左右されるんじゃないだろうか。

プレディクトールのような妊娠検査薬であれば、知名度がそのまま売り上げ増加に直結しそうだけれど。

Photocopyright@ www.gerolsteiner

■ 2007.12.12 (Wed)  堂々20ページ: 英国の雑誌に掲載されたNIPPO梅丹チーム・競輪界の記事
英国の雑誌Procycling誌Nov IssueにNIPPO梅丹チームを軸とする日本のロード・競輪界の記事が20ページにわたって掲載された。

中でも目を引いたのが、フランスで開催されるシャトールー・クラシックのレースディレクターであるジャンリュック・ペルネ氏の言葉:

NIPPO梅丹はレースオーガナイザーの間で人気が高いチーム。毎年チームの何人かが観客の注目の的になる。彼らは真の戦士なのです

“完璧なフランス語を話す(Procycling談)浅田監督”のインタビューもあり、

● チームの弱点は悪天候であると告白(調子がいいのは暑い日。寒い日と雨の日は調子が上がらない);
● 今季の表彰台は40回(1位から3位まで)
● 監督自身は15歳のときに日本で初めて(あるいはそれに近いほど初期の頃に)放送されたツールの中継を見て刺激された
● アグレッシブな選手をリクルートしているわけじゃなく、アグレッシブなタイプの選手たちが、このチームのフィロソフィーに共鳴して向こうからアプローチしてくる

記事では、宮沢選手が「チームの非公認シェフである」などとかかれていたり、康司選手がフランス人の女の子にサインをせがまれるシーンではこんなエピソードも。

康司選手: 君の名前は?
女の子:マリオンよ
康司選手: あー!君は去年もここに来ていただろう。
女の子: そうよ!その前の年もよ!その前の年も!!

そして記事は、「康司はイエンス・フォイクトの日本版だ。フランス人は彼のことをアジア版のジャッキー・デュランだとも言う。」

記事によると、ジャッキーは実際に浅田監督とも、福島兄弟とも一緒にレースで走ったことがあるという。ジャッキーの談話:

「康司と同じレースに出たときは、いつも僕らは一緒に逃げたものさ。」

ジャッキーはさらに続ける。「このチームはいつもアグレッシブさ。だから好きなんだ。僕もそんなところがあったから。余り自問自答することなく、いつもレースに出ては誰かがエスケープに加わったりスプリントでいい位置取りをしたりするんだ」

2010年に彼らはシャンゼリゼの地を踏むことができるのか?そんな質問をぶつけられたジャッキーは:

「無理なことはなかろう。もう少し国際化をして、経験ある選手をリクルートしなくちゃいけないが。でもそこからあとは、すべて予算次第さ。日本の自転車界には今ある種のエネルギーがある。

いつの日かビッグレースに立ち向かえるようないい選手も出始めている。9人今そろえるのは難しかろう。でも、2,3年すれば不可能とはいえない。そうすればプロトンもさらなる国際化が進む」

****
ちなみに、ちょっと気になるのは(日本人と日本語で書くべきところを日本語と誤記してしまった見出しは論外として)、次の記事の見出しの「Rising sons(上昇中の青年たち)」。

これはもちろん、Rising sun= 日本の陳腐な言い回し”日いづる国”のもじりなんだけど。日本の選手の記事が出ると、決まって海外のメディアではこういった古めかしい言い回しが使われる。そろそろこの紋切り型の表現は辞めませんか?

ここでひとつ新しい世代が頑張ってくれて、新しい風を送り込んでくれれば、やがていつまで経っても使い続けられる「日出る国の選手たち」から脱皮できるかも。

■ 2007.12.13 (Thu)  カデル・エヴァンス捨てネタ
エヴァンスのインタビューテープから、記事にしなかった捨てネタ:

今年ツールで3位となり、何か変化があったか?: 「メディアアテンション(メディアの注目度)は確実に、そしていい方向に変わった。尊敬を勝ち得た気がするし、熱意をもって周囲も認めてくれたと感じる。

マキュウェンについて: かなり個性が強い選手。なんであんなポジションについていくことができるんだ?とあきれる。驚異的なスプリンターだ。(マッギーについても聞いたが、反応ほとんどなし。同じオーストラリア人ながら、余り接点なさそう。自分はオーストラリア選手の中ではマックロイドと仲がいいとのこと。)

欧州で走るオーストラリア人ということで、自分のアイデンティティについて考えることがあるか?
高校のあとナショナルチームを経て、1年間AIS(登竜門のオーストラリアインスティテュートオブスポーツ)へ行ったあとは、スイスに移住し、自分自身いろいろな国のカルチャーが混ざっていると思う。

オーストラリア人だけど欧米的。友人にはホーナーみたいなアメリカ人。妻はイタリア人。スイスに住み、まさにごちゃまぜの人間だ(Mix Person)。適応力はあるほうだと思う。アクセントも強くないので、周囲もボクがオーストラリア人だということを忘れていることすらある。

ヨーロッパ人と飲みにいくと たまに自分の中のオーストラリア人的素顔が覗くこともあるらしいけどね。

小さい頃馬に蹴られて瀕死の重傷を負い、こん睡状態6日間を経験していると聞くが、その体験が今日に与えた影響は? :
多分潜在意識の中でその体験は生きていると思うけど、なにしろこん睡状態だったからそのときのことを覚えているわけじゃないし・・とにかく自分はラッキーだったと心底思う。

妻との出会い:互いの友人から紹介された。今年はツール、中国、トレーニング・・と忙しくて、余り一緒にいられなかったのが残念。彼女は今ではレースについてよく知っていて、レース会場では写真をとったりしている。

フランドルやシャンゼリゼにも来ていた。たまにレースに関してアドバイスを受けたりするよ。「なんであのときxxしなかったの?」みたいな質問もされたりね。彼女の家はカトリックファミリー。考え方はシンプルだけど、すごく強い価値観を持っている。

(友人の紹介で知り合ったということからお見合いの話になり)オーストラリアにも日本でいうところのお見合いシステムもあるよ。もっともこれは最終手段(last resort)だけどね。自分自身試したことがないからどういう仕組みかはよくわからないけど、広告はよく見るね。

アイドル :丁度インドゥラインがいたときにツールを見始めたからインドゥラインが好き。ダントツ強かった。

オーストラリアにおいて自転車競技の位置づけ:オーストラリアでは自転車は文化にはなっていない。トラックはまだ認知されているが、自分はMTB出身でトラックは未経験。

オーストラリアのプロツールチーム誕生の噂について:
チームのスポンサーは一部決まっている。今は詳しいことは言えないけど。まだ先、長い道のりだろうと思う。もしチームがプロツールに昇格したら、できればそこで走りたい。ただ、ツールで勝つのが目標だから、そこまで強いチームであることが条件だけど。

今後有望視されている若手オーストラリア人選手は?:ウォーカーとマックロイド。後者はクライマーだ。

あなたにとって自転車とは? : Beautiful Sportだね。
Photo:世界選にて

■ 2007.12.14 (Fri)  ツール2009のモナコスタートは15kmの個人TT
ref. 12/2のトクダネ
2009年のツールはモナコスタートとすでに報道されているが、このほど最初の2日間について、ASOから正式に発表があった。

2009年7月4日のグランデパール(ツール初日)はモナコをまわる15kmの個人TT。
翌日のステージもスタート地点はモナコとなる。

南仏、ことコートダジュールは暑さのせい及び、観光客でごったがえすせいもあり、余りツールのルートに取り入れられない。かつてコートダジュールの中でグランデパールを開催したのはニースのみだ。

グランデパールと限定しなければ、モナコはかつて5つの大会でツールを招聘したことがある。

1939年: 第12ステージ サンラファエル〜 モナコ(優勝モーリス・アルシャンボー)
同年第13ステージ モナコ〜モナコ(優勝ピエール・ガリェン)
1952年: 第12ステージ セストリエール〜モナコ(優勝ヤンオルテン − オランダ)
1953年: 第16ステージ マルセイユ〜モナコ (優勝ヴィム・ファンエストー オランダ)
1955年: 第9ステージ ブリアンソン〜モナコ(優勝 ラファエル・ジェミニアーニ)
1964年: 第9ステージ ブリアンソン〜モナコ(優勝 ジャック・アンクティル)

関連 − http://www.letour.fr/ (モナコのコースが見られるビデオあり)

■ 2007.12.16 (Sun)  F1のファンによるモナコツールコース解析

ツール公式ページの2009年モナコステージでのコースレイアウトを見ました。
第1ステージと第2ステージでモンテカルロのグランプリコースをほぼ走りきる、F1ファンにとってたまらない2日間になりそうです。

第1ステージ:
スタート地点はF1モナコGPのスタートライン付近で、1コーナーのサン・デボーテ(右カーブ)→ボー・リバージュ(上り坂のストレート)までがグランプリコースと重複。

その後一旦グランプリコースを離れますが、終盤残り1kmで復帰。フェアモント・モンテカルロ(旧モンテカルロ・グランドホテル)下のトンネルを通過し、多数のクルーザーが係留されているヨットハーバーを左手に見ながら、タバコ屋コーナー(左カーブ)を曲がり、プールサイド・シケイン付近でフィニッシュ。

第2ステージ:
プールサイド・シケインの先からスタートし、ラスカス(ヘアピン)→アントニー・ノゲ(最終コーナー)でターン、ホームストレート(アルベール1世通り)を通過。

その後第1ステージと同じサン・デボーテ→ボー・リバージュと進んだ後、第1ステージでは通らなかったカジノ・スクエア前を通過、さらにミラボー(下りながらの右コーナー)→ロウズ・ヘアピンを通り抜け、ポルティエを左折(F1ではここを右折してトンネルへ)してグランプリコースからさよなら。

特に初日のTT、いきなり勾配のきついボー・リバージュがあるというのがミソですね。(idrisさんより)


・・・ となると、初日にF1の選手が特別ゲストで登場する、てな演出なんかありませんかねぇ。

■ 2007.12.17 (Mon)  次のクリテは2月11日@明治神宮外苑 -- 「オープンライド」/「マスターズ・クリテリウム」/「小中学生のタイム・トライアル」も同時開催
先日の昭和記念公園のクリテリウムはプロのレースとはまた違った面白さがあった。機材やウエアがしっかりそろえられていて完璧な体制でのぞむプロチームと違い、みんなTREKだのランプレ仕様だの自前のバイクで出場し、中には相当使い込んだものもあったり。自分自身がメカニックだったり、チーム体制が整わない大学の学生さんはプロツールチームのウエアでの出場だったり。

それでもそんなことはおかまいなく、みんなガッツで走っていた。プロレースよりも、己の力に頼る部分が多い気がして、素っぽいところに好感が持てた。

実際 下記情報だと、今春の神宮外苑のクリテでも、機材に関して完璧とはいえない状況の選手が散見されたということだ。

前輪に高いリム・後輪に低いリムのナゾ


今春の神宮の学生クリテリウムでの事。実は不思議な光景を目にしたのです。
その時のblogはこちら: http://fab.bblog.jp/entry/356823/

前輪に低いリムのホイール、後輪には高いリムのホイールを履くのは横風対策やTTで良く目にするのですが...
そのクリテリウムでは、逆に、前輪に高いリムで後輪に低いリムを履いた選手を何名か見ました。

今のところ、先輩かエースが、前輪(低)+後輪(高)を使っているので後輩は仕方なく、逆の組み合わせを使わざるを得ない...という理由が最有力なのですが...(f.a.b.さんより)


そこで、学生の人に辺の背景を聞いてみた。結論としては、これは戦術上意図的なものではなく、やむをえない理由で前後逆に使用しているケースだろうということだった。

例えば選手全員が豊富に機材を所有しているわけではないので、ノーマルホイールとディープホイールの双方を所有している部員から余っている方を借りたという可能性が考えられる。

あるいは部が所有するトラック用のディープホイールを使うというケースもあるようだ。通常のロードバイクは自前でも、トラック用機材は部でまかなっているところもあり、ロード用決戦ホイールを所有していない場合、後輪を練習用で前輪はコスミックという組み合わせでレースに出場するというケースもありうる。(教えてくださった方に改めてお礼)

とにかくそうした”機材面でのハンデはなんのその”的な爽快さがクリテリウムでは印象的だった。

2月11日神宮外苑のクリテ概要

さて、次は来年2月11日(月曜日・建国記念の日)に行われる明治神宮外苑のクリテリウム。既に参加者募集始まっている。

正式名は「2007年度全日本学生ロードレースシリーズ最終戦第二回明治神宮外苑学生自転車クリテリウム大会」(主催:日本学生自転車競技連盟)

今年の第一回大会は、東京都心部初のクリテリウムとして50余年ぶりに都心サーキットを走るロードレースとして行われた。

来年のレースの案内によると”日本学生自転車競技連盟創立70周年記念レースをベースとしながら、今回は「小中学生のタイム・トライアル」、30歳以上の男女JCF登録競技者が参加可能な「マスターズ・クリテリウム」、特に参加資格の制限がない「オープン・ライド」といった、大学生以外の参加者を受け入れる企画となっている”そうだ。

オープンライドには日本や世界を代表するような選手OBも参加予定で、大学生の部は前回通り実力クラス別で行われ、トップカテゴリーは各校3名の代表による学校対抗であるとの由。

さらに”このレースは2008年にオランダで開催される世界大学対抗選手権自転車競技大会の選考大会の一つとなる予定であり、また韓国からも大学生チームの参加が予定されているなど、前回より国際色も強まっている。”

場所は地下鉄銀座線「青山一丁目」「外苑前」地下鉄大江戸線「国立競技場」駅から徒歩アプローチにて観戦可能。スタート・フィニッシュ地点は聖徳記念絵画館前。雨天決行。

参加申込はJICF(日本学生自転車競技連盟)ホームページから。1月8日までに郵送する方式となっている:

http://www.remus.dti.ne.jp/~jicf/
で「カレンダー&要項&結果」を選択、当該大会をクリック。
協賛企業も募集中

■ 2007.12.18 (Tue)  昨日の続きとワインと
● 前か後ろかディープリム

まず、昨日の神宮外苑のクリテの話題で触れた件について:


前にDEEPリム、後ろにNormal Hightリムは、実は理にかなってるんですヨ
風によるハンドリングの影響を無視すれば、前に何もない前輪の整流効果がライダーの体、脚による乱流の後ろにある後輪の整流効果より高いと考えられます。
たしか、シマノかフルクラムは前が少し高い設計だったと記憶していますヨ。(昨日受領したメールから)


つまりエアロダイナミックを考慮すると前・後ろのどちらにディープリムを使うとより効果的かという話ですが、もしフロントかリアのどちらかという選択になった場合、フロントに抵抗の少ないものを持ってきた方がいいという指摘ですね。

例えば下記説明(ディープリムの話ではないけれど)を読んでも、要は「前はエアロダイナミック」「後ろは剛性」と述べているわけで、前の整流効果がやはり重視されているってことでしょうか?

airointernational.comから:
ざっと訳すと「フロントホイールは風をまともに受けるため、エアロダイナミックの観点からラジアル組み・後ろは体重の55%を支えることになるので剛性重視でクロス組みを使用・・」

It is essential to use radial lacing on the front wheel because the wheel is fully exposed to the wind and radial lacing reduces aerodynamic drag. For the rear wheel, which carries 55% of your weight, it is essential to have a strong wheel with comfort for the long haul. Consequently we use spokes two-crossed for more lateral strength and comfort on the rear.

● 自転車ラベルのチリ産ワイン


conosur(コノスル)ってご存知ですか?ラベルに自転車があしらってあります。(全部じゃないですが)
チリ産なのですが、値段の割りにしっかりとしたつくりで美味しいので、普段のテーブルワインとして楽しめるようですよ。(Cさん)


自転車を通じて日常の消費財に結びつくケースが結構あって、世の中にはいろいろと隠れた名品?があることを知らされる。ヌテッラしかり、ゲロルシュタイナー水しかり?

コノスルラベル写真・ほんとだ自転車が・・
参照サイト

写真は本文とは無関係ながら、先日自転車仲間と一緒に飲んだサテミリオン・シャトーフィジャック。今まで飲んだ中で一番おいしかった。

■ 2007.12.18 (Tue)  朝の続き・・
もひとつ追加でこんなメールも:

前輪か後輪かは置いておいて、皆さん『空力効果が高い』と言うと戦闘機や新幹線やF1を思い浮かべると思います。
つまり、先端が尖がった形状です。
が、実際には同じ前面投影面積であれば、前を尖らせるより、後ろを尖らせた方が効果が有るとかいう説を聞いたことがあります。

後流を整流する、F1のディフューザーやTTヘルメット等がその機能を狙っています。
整流しない限り後流はタービュランスとなり、物体を後ろへ引っ張るドラッグとして作用してしまうのです。

車に付いているスポイラーは、『スポイル』とそもそもマイナス方向の言葉です。
スポイラー自体が航空機で揚力を調整(減衰)して姿勢制御する動翼が発祥なので、そういうネーミングになったかと。
確かに車は『浮かばないように』空力付加物を装備していますので。

まあ、ディープリムをどっちに履くかとは全く関係有りませんね。
昔のTTバイクは前面投影面積を減らすため、前輪24inの細幅タイヤだったりしました。
ホイールではスポークの抵抗が大きいので、ハブのフランジ幅を狭めたり本数を減らしたりと、色々工夫していますね。(なまはげ74さん)


TTヘルメットは最適な形なわけですよね。あとはマイレージカーに出ているクルマの形(hil.co.jpの画像)潜水艦の海中部分(hobbyworld.asohima-bk画像)、前が尖っていない=衝撃部分の鼻が丸いイルカやくじらも・・・

でもコンコルド(画像)の鼻先は尖っているけどこれは一体どういうわけ?とツーレに聞いたところ、超音速は衝撃波が出るからロジックがまた違うといわれた。流体力学は一筋縄じゃいかない。難しい。少し前まで流体系ソフトの輸入にも関わっていたことは内緒。

こんなメールも:

まったく参考にならないでしょうが、私の最盛期は前がシマノ7701でちょっとディープ、後ろが剛性重視でキシリウムの時でした。

たまたまその時調子が良かったのか、ホイールの選択が良かったのか・・・。(Zona Sugiyamaさんから)


私信?:最近ではメカよりコスプレ重視でしょうか?

話は変わりますが・・・そういえばベッティーニが去年の世界選で優勝したときに真っ先にSMSを送ってきた人が誰だったか書くのを忘れてました。答えはマノロ・サイス元リバティセグロス監督でした。

OPで干されているさなか、一番先にベッティーニに祝福メッセージを送ったというのはどういうことか?自転車界への復帰をもくろみ、かつての交友関係を大事にする姿勢と自転車界にまだまだ思い入れがある姿を見た気がしましたが。

■ 2007.12.19 (Wed)  明治時代、日本は自転車先進国だったのに
● ツールドフランス第一回大会よりも5年早く日本では自転車レースが開催されていた
● 1901年(明治34年)の自転車レースは数万人もの観客数を集めた
● 帝国大学自転車部は今から120年前に設立された
● 1890年宮田工業が自転車の生産を開始


先日梅丹の記事が掲載されていたProcycling Nov Issueには唖然とする記事があった。明治時代、日本でも欧州に劣らぬ勢いで自転車・自転車競技が広がる気配を見せていたというのだ。

その記事はどうやらJCFやらのサイトからの情報をもとに作成されたらしかった。それらの情報を総合すると、明治時代、日本はロードレースをいち早く採り入れていた。今頃日本のレース界がヨーロッパ並みになっていた可能性すらあった。

第二次大戦後には大規模レースも開催された。ところが交通量の増加の煽りを受け、レースは衰退していった。。。というのだ。

明治時代のレース界 :
1886年には帝国大学で自転車会が創設され、1890年には宮田工業が自転車の生産を開始。

1898年には上野で自転車レースが開催され、1901年には観客数万人が観戦に訪れたという。ランキングに応じた競技も開始となった。自転車倶楽部も続々設立され、中には会員150人を抱える倶楽部もあった。ツールが開始となったのは1903年のことだ。当時は自転車が高級だったため、ブルジョアのスポーツという位置づけで、自転車乗りは倶楽部に所属すべきという風潮があったという。

1909年には三越デパートにメッセンジャーが登場。そんな流行の流れを受けて、1926、27年、川室競がツールに参戦した。第一ステージでリタイヤだった。

1934年(昭和9年)には機械輸出の中で、自転車の輸出がトップを占めた。第一回競輪大会が国内で開催されたのは、たかだか1948年のこと。競輪よりもロードレースの方が一歩も二歩も、いや十歩もリードしていた、その当時は。。こんなイケイケの時代があったとは。悲しいかな、日本のロードレースはそのまま右肩上がりとはいかなかった。

===
*あとがき: 相次いで2人の方からメールで、「銀輪の覇者」を読むと戦前のロードレース人気のことがもっとよくわかる、衰退の原因は交通事情だけではないことも書かれている、などの情報頂いた。読まなくては。

年代 日本の自転車関連の動き 海外の自転車関連動向
. . 18世紀末:前後2つの車輪をつけたフレームにまたがり、足で地面を蹴って進む遊び道具としてこの頃自転車が発明されたと言わる。
. . 1813年:前輪の方向を変えるステアリングがついて実用性が高まる
19世紀中ごろ 日本にも自転車が輸入され始め、すぐに国産化が開始。 1885年:イギリス人J.K.スターレーが前後同じサイズの車輪のチェーンやギアを装備した自転車を考案し現代の自転車の原点となる
1886年、(明治19年) 帝国大学(後の東京大学)の教員たちが運動をする目的で「自転車会」を設立。日本人が作った最初の自転車クラブといわれる。 .
1890年(明治13年) 鉄砲鍛冶だった現在の宮田工業が自転車の生産を始める宮田自転車工場・明治末期の写真 .
1890年代 自転車商の双輪商会(東京京橋木挽町=現在の中央区銀座)が自転車界の草分けとして一時代を画した。1901(明34)年には、すでに全国各地に販売店網を広げていた。。当時軽井沢で自転車に興じる人々の写真 .
1892年 逓信省が電報配達時に使用するようになり、第一次世界大戦を機に量産化されるようになる。 1992年L-B-Lのアマ版開始
1893年(明治26年) 三菱財閥の岩崎氏らが参加して「日本輪友会」という本格的な自転車クラブを設立。 1994年 L-B-Lプロ版開始
1898年(明治31年)一説には1896年 (明治29年) 上野・不忍池で大日本双輪倶楽部が主催した日本人による初の自転車競走会が開催。当時、自転車はまだ高価だったため貴族や財閥がスポンサーとなって選手を育成。商社の宣伝用ジャージを着て走り、日当を受け取るというプロレーサーの誕生だ。明治30年代に上野不忍池畔で開催された自転車レースの写真 1896年:パリ〜ルーベが開始。1回アテネ大会からオリンピック競技に
明治30年代 この頃の自転車の値段は1台は150円〜250円。かけそばの値段が1銭8厘のときのことだ。その頃自転車に乗る女学生の写真 19世紀末:現在とほぼ同じ形(前後の車輪が同じ大きさで、後輪をチェーンによって動かして進むという現在とほぼ同じ形)となった
1900年(明治33年) 女性の自転車倶楽部「女子嗜輪会」が誕生 .
1901年(明治34年) この時点で自転車クラブの数は11。150名の会員を擁するものもあった。東京バ井シクル倶楽部なんてのもある1901年当時の各自転車倶楽部の情報へJUMP .
20世紀当初 この頃の長距離レースは、新聞社が拡販のために主催した。ツール、ジロなどヨーロッパの伝統レースとまったく同じだった。 1903年:ツール・ド・フランスが開始
1900年代初頭(明治後期頃) その頃の自転車クラブの写真。大衆娯楽が少ないせいで自転車レースは絶大な人気を博していた。実力に応じたランク別のレースが開催になる 1904年:第3回五輪セントルイス大会を境に自転車が競技種目からはずれる
1909年〜1910年(明治42〜43年) 商品の配達に自転車が利用され始め、三越にメッセンジャーボーが登場。白塗りの自転車にハイカラな服装だった。松屋も自転車隊を編成。 当時のメッセンジャーボーイの写真 1908年:五輪第4回ロンドン大会で自転車競技が種目に復活。
大正 大正末期〜昭和初期 メーカーお抱えのレーサーたちの写真 .
1926年 川室競がツールに出場。初日リタイヤ。 川室競情報 .
1927年 川室競がツールに出場。初日リタイヤ。 .
1934年(昭和9年) (財)日本自転車競技連盟の前身である日本サイクル競技連盟(後の日本アマチュア自転車競技連盟)設立 .
1934年(昭和9年) この年、機械輸出のトップを自転車が占めた .
1948年(昭和23年) 自転車振興に資するため、11月20日小倉競輪場で第1回の競輪競走が開催。 .
1976年 五輪で初めて日本人選手が入賞を果した(第21回モントリオール大会で長義和選手が男子スクラッチで6位) .
1984年 五輪第23回ロサンゼルス大会・男子スプリントで、坂本勉選手が銅メダル獲得。日本人初の自転車種目メダル 1984年:女子競技が五輪第23回ロサンゼルス大会からオリンピック競技になる
1995年 2団体あったものがプロ/アマ統合され(財)日本自転車競技連盟に 1996年:第26回アトランタ大会でマウンテンバイククロスカントリーが五輪新種目の仲間入り
1996年 今中大介選手がツールに初出場。 1996年:第26回アトランタ大会でマウンテンバイククロスカントリーが五輪新種目の仲間入り

参照> cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/history/senzen_history/meiji.htm
joc.or.jp/sports/cycling.html
st.rim.or.jp/~iwat/meiji-10/meiji-10.html

■ 2007.12.20 (Thu)  『サクリファイス』祝!3万部突破
今の時期、情報系TV番組をザッピングしているとチラホラと “今年結婚/離婚した芸能人特集”だのをやっていて、年の瀬を実感する。来週あたりには“07年のニュース年間トップ10”などという特集が目白押しになるのだろう。

書籍関連ではすでにこの“年間ベスト○○”というのが公表されている。中でひときわ目を引くのがロードレースを舞台に繰り広げられるミステリー小説『サクリファイス』( 近藤史恵著/新潮社)の躍進ぶり。

紀伊国屋年間ベスト(キノベス)1位、「このミス」7位、早川書房の「ミステリが読みたい!」5位と、年末の各種ランキングでも上位に入りを果たした。

初版にして堂々3万部を突破し、ロードレースファンのみならず一般の人たちにも広く読まれたことがうかがわれる。

これを機に、このたび『サクリファイス』を読んだ人たちから寄せられた読後感をひとつのページにまとめてみた。
>> TOPページから「サクリファイス読後感(Dec20)」をクリック

この1冊をきっかけに、ロードレースがじわりじわりと浸透して、再び明治時代に見たような活況を呈する日がきたら・・・などと楽しい想像をついしてしまう。

『サクリファイス』の著者・近藤史恵さんトリビア:

● これまで歌舞伎を題材にしたミステリなどを書いてきた
● ロードレースにハマったきっかけは、「欧州の景色が綺麗」という理由だった。数年前のこと
● シモーニが好き、らしい。(ディルーカもたぶん)
● (以前読者の人からも情報があったとおり)原稿はロードレースを知る人にチェックをしてもらったものの、すでに生原稿の段階で、かなりの完成度だったという
● ”近藤史恵さんのBLOG「むくいぬ屋仮宅」にはペットの話がよく出てきます”という情報あり > 自転車ロードレースの話もあるヨ
「近藤史恵普及協会」なるものがある

■ 2007.12.21 (Fri)  ゲロルシュタイナーから届いたクリスマスカードとミネラルウォーター市場調査??
ゲロルシュタイナーの工場見学に行った人の手元にゲロルシュタイナーからクリスマスカードが届いたという。律儀なチームだ。(フェルスターとショルツの帽子だけが何故かピンと立っている。トナカイ用ソリがアンティーク・・写真はT&Yさん提供)

ところでふと気づいたこと。そういえば会社のデスクにガス入り(炭酸)ミネラルウォーターを置いている人をほとんど見かけない。デスクの上にみんなそれぞれ好きなドリンクを置いるけれど、ペットボトル派の人は圧倒的に日本茶が多い。(ちなみに私はコーヒー派。スタバや社食で出しているホットコーヒーを買ってきたり、給湯室でモンカフェを入れることも・・)そもそもミネラルウォーターは意外に少数派だし、さらにガス入りは見渡す限りいない。ガス入りの消費割合ってどうなのだろう?

ネスレのサイトに出ている情報を見て「へえ」と思った。東ヨーロッパで消費されるミネラルウォーターのうち71%がガス入り、西ヨーロッパでは40%がガス入り、北米では4%、アジア・オセアニアでは僅か1%というデータ。やっぱりアジアでは断然ガス抜きだ。

さらに日本でもミネラルウォーターの消費量は増えてきた気がするけれど、やはり欧米に比べたら大したことない。サントリーのサイトによるとEU加盟国中もっとも消費量が多いスペインのひとりあたりの年間消費量は168.7リットル!日本は14.4リットル。桁違い。

なにはともあれ、Merry Christmas!

参照:ネスレ / サントリー


■ 2007.12.22 (Sat)  fumy + 栗村さん + サッシャ トークショー
Jスポーツ主催のイベント・激走!朝まで「ツール・ド・フランス」!2007in TOHOシネマズ開催中。

メニューの最初は3人のトークショー。顔ぶれは:

fumy ・・・ スキルシマノ沖縄の合宿から帰りたて。飲み会と釣り・・・じゃなくて走りこみに精を出した由。
+
栗村さん ・・・ 正式契約はこれからなるも、来季コーチ?監督?としてスキルシマノ入りを果たすことになった旨発表あり。Jスポーツ解説を優先というのが栗村さんの条件。
+
サッシャ ・・・ ドイツ語講座で「フスバル!」とか言ってボールを蹴っていた人だ。(でも途中であの番組は見なくなった。結局大学のときに学んだところまで進まぬうちに形容詞の語尾変化のところで挫折。)

終始リラックスムードで楽しめたので、落車(=Sleep Offすることの隠語)せずに済んだ。

アジア大会でカタールのレースを経験したfumyいわく、石油が1リットル6円だったというのに驚く。


* fumyいわく、レース翌日は走っておかないと疲れが抜けないものの、その次の日は完全オフにすることも;

* fumyはスーパーから近い場所というのが条件で住居を選定。現在家からスーパーは20歩。スーパーの買い物かごにはヘルシー系の野菜とアスリートっぽくないお菓子の2種類が混在しているため、レジの人に「この人は何者だ?」と怪しげに見られている。

* 栗村さんの場合、家を探すときはコインランドリーに近いことが条件だった。洗濯機は高いから買わない主義だった。(冷蔵庫に比べたら安いと思うんだけど);

* 湘南出身の選手は駄菓子好き・スピード狂

* パリ〜ルーベのときのエピソード・・・
などなど 多彩な話題が出て大きな拍手のうちに終了

私はこの辺で落車します。

■ 2007.12.22 (Sat)  ベルナール・イノーがやってくる> > 第二回明治神宮外苑学生自転車クリテリウム大会
あのベルナール・イノーが第二回明治神宮外苑学生自転車クリテリウム大会のオープン・ライド に参加する予定となった

ツールドフランスに5回優勝した経験のあるベルナール・イノーが、2008年2月11日(月曜日・建国記念の日)に開催される第二回明治神宮外苑学生自転車クリテリウム大会(*)に来場する運びとなった。「オープン・ライド」等に参加する予定だ。(以下コミュニケを一部再構成)

ベルナール・イノー氏参戦の経緯>>

イノー氏の来日を実現させた功労者は佐多保彦氏。同氏は、長崎・広島原爆60周年記念年である2005年夏8月から、フランスのブルゴーニュでイノー氏を冠に迎え、平和を銘打った自転車競走を開始した。以降毎夏イノー氏と二人三脚で当該大会を開催している。
佐多氏は、かねてからイノー氏に長崎・広島を一度お見せする機会を得たいと日本へ招待することを考え、時期を検討していた。

その佐多氏の関連企業は、日本学生自転車連盟創立70周年記念事業として2007年2月に第一回大会が開催された明治神宮外苑学生クリテリウムのスポンサー。

その縁で2008年2月の第二回明治神宮外苑学生クリテリウムへの参加をかねての来日を交渉していたところ、無償で友人として参加し、日本の自転車ファンを励ましたいと快諾を得た。2月10日から15日頃までご夫妻で来日される予定だ。

ベルナール・イノー氏略歴>>


1978,79,81,82,85の5回に亘りツールドフランスに優勝。ツールドフランスと並んで世界3大ステージレースとされるスペインの「ヴェルタ・エスパーニャ」優勝(1978,83)、イタリアの「ジロ・デ・イタリア」優勝(1980,82,85)と、全ての世界3大ステージレースで優勝経験を持ち、世界選手権でも1980年に優勝している、 自転車界のスーパースターの一人である。1986年に引退し、現在はツールドフランスの渉外担当などとして活躍している。

オープン・ライドに関する情報(一部再掲)>>

東京でベルナール・イノー氏と一緒に自転車に走れるという、自転車ロー ドレースファインにとってはまたと無いチャンス到来である。「オープンライド」は参加料5000円、申込期限2008年1月8 日。定員約100名。

(ご注意:万が一諸事情によりイノー氏が大会会場に来場されなくなった場合でも、 エントリー料の返金はされません)

参加申込はJICF(日本学生自転車競技連盟)ホームページから。1月8日までに郵送する方式となっている:
http://www.remus.dti.ne.jp/~jicf/
で「カレンダー&要項&結果」を選択、当該大会をクリック。協賛企業も募集中。

====
(*)2008年2月11日(月曜日・建国記念の日)に東京の明治神宮外苑で開催される「2007年度全日本学生ロードレースシリーズ最終戦第二回明治神宮外苑学生自転車クリテリウム大会」(主催:日本学生自転車競技連盟(会長:佐々木一也)、大会名誉会長:橋本聖子、特別協賛:株式会社日直商会、協賛:株式会社パールイズミ、佐多商会ほか)

Photo; 2007年ツール開幕直前OPスキャンダルで離脱選手が出ることになり、マスコミ対応に追われるイノー

■ 2007.12.24 (Mon)  中野さんのトークショー@パンダーニ
リクイガスのマッサー中野さんのトークショーに参加したという人から。当日は4時間にも及ぶ話が聞けたそうだ。イタリアに渡られてから早10年。濃密な年月を重ねてこられた人の話は、魅力的。

私の場合なんて、年月を経るに従って1年間がすごく希薄になっていく気がしなくもない。一番濃厚だった10年といえば生まれてから10年の間かな?転勤族ゆえ住んだ場所は九州から北海道まで。転校4回で通った小学校は5つ。あの時のようなバラエティーに富んだ日々を送ることはもうあるまい。


さて先日、パンダーニというお店(@四谷)にてリクイガスのマッサー中野さんのお話を聞くことが出来ました。

イタリアでの写真を用いながらのトークショー(?)でしたが、その中での1枚の画像、ヌテッラ(大)のボトルにスプーンを突っ込み、そのまま食すの?という画像もあり、その画像の選手はファッサボルトロ時代のバルトリとペタッキでした!僕も好きですが、さすがにそのままでは食べません・・・。

中野さんがヌテッラの話題で、この商品は「mas ciclismo」で多く取り上げられているという話をしたので、「そのサイトで僕が送ったヌテッラ画像を採用されました」って話したら、とても興味ありそうな反応をしてましたよ。残念ながらそれ以降は他の話題に移ってしまいました。。。

中野さんの話は沢山の話題(話した時間も4時間!)だったので、ここでは書ききれませんが、その中で面白かったのをいくつか。1つは、誰だっけ?腕に「キアラ」の刺青をしてる選手。あの「キアラ」のデザイン元は中野さんが何気に作ったものだとの事。

「キアラ」デザインはプロのデザイナーが50種ほど作ってあったようですが、最初に送った中野さんの「MSゴシックをjPEGに変換」させたものが採用されていたんだそうですよ。

その他、当日はいろんな選手のジャージ(ディルーカ、ペタッキ、カーサグランデ、フリーゴ、など)と入手にまつわる話も聞けてとても楽しかったですよ。(shibuさんより)
Photo; 今年のLBLにて

■ 2007.12.24 (Mon)  「ツール・ド・フランス、それは7月のクリスマス」 (セルジュ・ラジェ)
”Le Tour de France, c’est Noël en juillet” (Serge Laget)

「ツール・ド・フランス、それは7月のクリスマス」・・
などと洒落たことを言ったフランス人がいる。自転車の歴史を専門とするジャーナリスト・セルジュ・ラジェ氏。ツールを長年追いかけた人の言葉。ツールもクリスマスも、あのワクワク感がいい。
みなさんにとって楽しいクリスマスとなりますよう! Merry Christmas! (下記はミッドタウンの天の川etc)


2007.12.26 (Wed) 
今年ますます・・
選手・チームとファンの距離がますます狭まっている。みんなそれぞれのやり方で選手たち・チームを応援している。今年もらったメールを見てそう実感している。

■ 選手へプレゼントをみつくろった人

Team MIYATAの増田選手に贈るものを物色しに、デパ地下に行きました。そこで見つけたのが、Fortnum&Masonのチョコレート・スプレッドです。

ダークとヘーゼルナッツの2種類があり、どちらもイタリア製で、300g瓶入り。小さいのは無いそうです。ヘーゼルナッツは、色がnutellaに近いミルクチョコのような色でした。ダークは、ヘーゼルナッツが入っているものの、ダークチョコのような色でした。味は、増田選手にレポートしてもらいましょう。(笑)(From Hさん)


■ オンラインショッピングをしたら、予期せぬプレゼント(オマケ)が・・


ゲロルのオンラインショップで購入したものは、その後無事に届いたのですが、注文していない携帯アームホルダーまでついてきました。INNVOICEを再確認したら、これもちゃんと項目に入っていて、0.01ユーロとかいう値段をとりあえずつけてました。基本はおまけでタダだけど、システムの関係上、値段をつけないわけにはいかなかったのでしょう。



■ 選手の奥さんからもサインをもらった人


JC写真フォルダーの07JPNCUP2フォルダの下部にベルトリアーティ夫妻のサインを公開しています(笑)ジャパンカップのときに頂きました。奥さんは「サインなんか書いたことないわ」と日本語で言いながらも書いてくれました。感謝、感謝です。(from クゥさん)



■ プロトンが投げてたボトルにサインを

ジャパンカップにて(2番目の写真・Gさんより)


手作りのブロマイドにサインをもらった人


まずはランプレのフォルナッチャーリ。
フリーランでスタート地点にやってきた彼に「フォルナ〜っ」と声をかけると持っていたデジカメを見て「フォト?」と雨の中止まって笑顔でカメラ目線。おお、ランプレ公式サイトの写真は怖かったのに(笑)、ええ人やないの!

で、翌日ホテルで出待ちをした際に、サイン帳を出すと甚く喜んでくれましてね。彼の公式サイトから取った写真を張り付けていたもので。

おかげでランプレのキャップをプレゼントしてもらいました。写真を印刷したポストカード2枚とキャップに、サインもゲット。もしかして、日本で一番たくさんフォルナッチャーリのサインを持ってたりして?!(笑)

ちなみにレース後、彼のサイトのトップページを印刷したものにサインをもらっている方を見かけました。考えることは同じですね〜

■ 2007.12.27 (Thu)  「自転車」通勤手当が「自動車」通勤手当の8倍強支給されるツーキニストにやさしい職場はズバリここ(ただし、シマノではなく)
■ ドイツで放置自転車がありえないワケ ■ 「ペダル」と「血統書」は同じ語源

1) 自転車通勤手当

自転車通勤に通勤手当が支給される職場がある。金額は5km未満の場合月4000円、5km以上だと月8200円。一方で自動車通勤は5km未満の場合僅か1000円だ。そんなツーキニスト思いの職場は名古屋市役所だ。

自転車通勤手当の制度は2001年3月から開始になったそうだが、それ以来、自転車通勤が増え、自動車通勤が減ったという。なぜ名古屋市役所なのか?というと、国土交通省の「自転車利用環境整備モデル都市」のひとつに指定されているから

自転車通勤手当があることで知られるシマノでも、手当ては月額2,600円から5,000円までの範囲という(出典:Wiki)。つまり名古屋市役所の支給手当の方が厚い。

シマノの場合、距離ではなく自転車の種類によって金額に差をつけているようなのだが、具体的にどういうことなのかは不明。高級車とかそういう線引きなのか、あるいは自社ブランド製品の使用率が多いほど高いとか?

2)ドイツでは放置自転車はありえない話

以前慶應義塾大学非常勤講師のエルファディンク・ズザンネ先生の講演を聞いたときのこと。「ドイツでは放置自転車はありえない、それより盗難のほうが問題」と述べていた。

理由は、ドイツでは安い自転車というのがなく、どんなに安くとも5万円はするからだ。日本の安いママチャリは放置自転車を生む元凶ではないか、と同氏の談話。

もうひとつ驚いた話は、ドイツでは自分がやるスポーツとして一番人気が高いのが自転車、2位が水泳、3位がサッカーであるとも。

3)「ペダル」と「血統書」は同じ語源

「銀輪の覇者」の作者斎藤純氏の著書に、「ペダリスト宣言!」というのがある。「ペダリスト」というのは氏がクリエートした言葉らしい。

Pedalの「Ped」というのはもともと「足」に関係するラテン語かギリシャ語だということは想像がつく。Pedestrian(歩行者)やcentipede(ムカデ=100+足)という単語からも自明なとおり。

でもその一方で、Pediatrics(小児科)、pedophilia (小児性愛)という単語は足とは無関係。何故だろう?と疑問に思い調べてみた。

ラテン語ではPedは「足」を表したが、ギリシャ語ではPed(Paed)は「子供」という意味に転じている。なので、あるときはPedという単語が足関係、あるときは子供関係なのだった。

また、etymonline.com に面白い情報を見つけた。Pedigreeペディグリー=血統はフランス語のpied de gru (鶴の足)の変形なのだという。フランス語の「Pied=足」も「Ped」からの派生語で、「Ped=足」がここでも生きている。

「鶴の足」が「血統書」という意味になった理由はというと、鶴の足が家計図に描かれるフォークのような分岐を連想させるからだそうだ。

ま、つまりペダリストもペダルもペディグリーもみな兄弟ってわけだ。

Photo:シュトゥットガルトで見つけたドイツ国鉄DBのレンタサイクル。こぎれいだった。ちなみにマーストリヒト中央駅の駐輪場には自転車がものすごい数ぐちゃぐちゃに留めてあったっけ。あれは一部 放置自転車ってわけじゃないのだろうか?

■ 2007.12.29 (Sat)  「銀輪の覇者」(斎藤純著・早川書房)読後感
2年前の約束をやっと果たすことができた。

それは2005年9月のこと。松岡美術館で見たヴラマンクの絵の説明書きに、「画家は元自転車選手で、賞金稼ぎで生計を立てていた」と書かれていた。美術館という芸術空間で、自転車選手だなんていう言葉を目にするとは思いもしなかった。

後日その話をDiaryに記したところ、私と同じように美術館に行き同じ発見をして同様に驚いた人からメールをもらった。

ヴラマンクの記事を読みました。偶然ですが私も最終日に展覧会に行っていて、ヴラマンクの説明を読んで引っかかっていたのですが...
探してみるとニューサイクリング誌の古い記事にありました。1978年6月号(NC163)に,加藤一氏の記事の中に、ブラマンクが1907年のパリ − ルーベを36位で走ったとの記述があります。
ちなみに加藤氏は画家であり自転車競技者でもあった方です。確か1990年の世界選手権を日本に招聘された立役者だったかと思います。
(05年9月7日のトクダネ「フォービズムの巨匠がパリ〜ルーベを走った話」)

さらにこんなメールももらった。
『ところで、ブラマンクの件。「銀輪の覇者」というロードレース小説にも出てくるんですよ。この小説、お薦めですよ。』

そこで9月7日のトクダネの最後に私は
『「銀輪の覇者」、いつかやはり何人かの読者の人に薦められてここで記事にしたあの本だ。すみません、まだ読んでいない。でもとにかく面白そうなので、絶対そのうち。。』
と記した。なのに従来のものぐさな性格が災いして、手をつけていなかった。

時は過ぎ、今年の11月。Procyclingという雑誌の記事に、「日本では明治〜戦前まで自転車ロードレースが活況を呈していた」と書かれて目からウロコだった。さっそくいろいろ自分で調べてトクダネのネタにした。ところが、すでにその辺の経緯は「銀輪の覇者」のプロットの中に盛り込まれていることを人から教わった。

「銀輪の覇者」が「読んでくれよー」と叫んでいた。折りよく私はインフルエンザ。初日は熱があったけど、まだ食欲もあり元気。(その後徐々に衰えていくのだが。) 一気に読んだ。

===
レースシーンになり、チーム門脇が結成されるくだり。まっさきに思ったのが、「なんか、スネに傷を持った人たちばかりだな〜、これは楽しみだゾっ」。(実際後半部分には、まさにこの「スネに傷を持った」という言い回しが登場していた。)

響木の過去を軸に、物語は現在と過去のはざまをシーソーゲーム。わざと混同しそうな過去のシーンを「今のシーン」の直後に置いてある場面もあるが、現在と過去の往来に不自然さはなく、というより自然に融合していて、読みづらさはまったく感じない。

紙芝居屋が出てきたり、走っているのが中山道だったりするけれど、古色蒼然といった感じもない。競技の根本が同じだし、それを応援する沿道の人々の「選手を心待ちにするキモチ」は今も変わらないせいか。

終章の前のところでレースは終わる。勝者と敗者はきれいに区切られない。違反を犯していたドイツチームの選手は弾劾されぬまま。響木の復讐も結実せぬまま骨抜きに。

そんなグレーっぽいところが妙に、ロードレースっぽいな。現代のレースにしたって、勝てそうな選手が勝ちにいかないことがある。先頭交代に加わらなかったからと勝ちを譲ったり、あるいは総合を狙うがゆえに区間を譲ったり。そもそもアシストがエースのために捨て身でレースを走ること自体、単純な順位争いの陸上競技なんかとは一線を画しているわけだし。

だからちょっとパラドックスっぽいのだけど、このうやむや感が私の中では爽快感だったりするのだ。

私が読んだのは単行本だが、最新の文庫では、エンディングにかなりの筆が加わったと聞く。終章以降の最後の終わり方が、うーんもう一声!と思っていただけに、どんな風に変わったのだろう?と興味が湧く。

プロットがしっかりしていて読み応えがあった。
えっ?冒頭のヴラマンクはどうしたかって?もちろんしっかり登場した。しかも2箇所に。さらにヴラマンクは佐伯祐三のみならず里見勝蔵という画家の師匠でもあった、なんていう豆知識まで提供してくれて。これは作者のサービス精神の表れか?

ヴラマンク、満を持しての登場!のシーンでは、「サクリファイス」でヌテッラに出会ったときに似た思いがした。ウワサに聞いていたあのヴラマンクがこんなところにいた、やっと会えた!
口元が思わず緩むような心地よさだった。

(左はJCFのロゴ。エコールドパリの画家 加藤一氏は このJCFのマークをデザインした人なのだそうだ。詳しくは05年9月8日のトクダネ)

■ 2007.12.30 (Sun)  どんな2008年になるのか 2選手の場合
■ カルヴァン・クラインのモデルから自国のプロ自転車選手第一号へ

今年アモーレエヴィータに入団したマリウス・ストイカ(写真)はルーマニア出身のプロ自転車選手第一号。入団直前までカルヴァン・クライン、ロメオジリ、ジャンニ・ヴェルサーチのモデルをしていたという異色の選手。(CNの記事へ)

ルーマニアが今までプロロード選手を輩出したことがないというのは少々意外だが、ルーマニアの自転車選手ってそういえば聞かない。

とはいえこの国、ツール出場選手数では日本の上を行く。1936年、4人のルーマニア人がツールに出場している。もっともこの4人はナショナルチーム所属。プロではなかった。日本からのツール出場は川室、今中両選手が合計3回出場したのみにとどまる。

ルーマニアは北をウクライナとモルドヴァに接している。先日話題に出たあのモルドヴァだ。東は黒海、南はブルガリア、セルビア、西はハンガリー。

ルーマニア10秒学習
国土面積約23.8万平方キロメートル(本州とほぼ同じ。)■■■
人口約2,150万人(2006年)
首都ブカレスト(人口約200万人)
今年のNews EU加盟
観光の目玉黒海沿岸の泥パック。アンチ・エイジングの国としてPR中

■ オリジナルフレーム製作を開始したローラン・ブロシャールは現役にこだわる

所属チームが決まらず引退もささやかれる中、現役に拘る姿勢を見せているローラン・ブロシャール(来年3月26日に40歳)。

そんな中、第二の人生に向けて準備した結果なのか、あるいはフレームに思い入れがあるのか、オリジナルのフレームを販売開始している。
ブロシャールのフレーム
ブロシャールバイク

そういえば、先日クリストフ・モローがインタビューで語っていた。「自転車選手として一番のフラストレーションは、機材を自分の思い通りに選べないことだ」

PhotoCopyright@Ciclicmo-onlie.it

■ 2007.12.31 (Mon)  ガン治療を終えてFDJに合流
昨日FDJのメンバーリストを見ながら、ジョリはどうしたかな、、、と丁度思っていた矢先、朗報を聞いた。ランスと同じ精巣ガンに罹患していることが判明し、今年6月から治療に専念していたFDJのセバスティアン・ジョリがトレーニングを開始した。

ガンを公表したその日に、ランスは彼にメールを送ったそうだ。何か自分にできることが言ってくれという内容だった。ジョリは丁寧に返事を返したが、英語を書く気力がなかったため、フランス語での返信となった。

当初ジョリはランスからメールをもらったことを伏せていた。自分にあるのは単に治りたいという気持ちだけ。病気をネタにショーのような演出をするのはいやだった。それに自分はフランス版ランス・アームストロングなんかではない。単なる平凡な1選手に過ぎない。ランスのように21歳で世界選を制した履歴があるわけでもなし。

さらに、ランスの病状とは異なり、生存率の話が出るような進行ガンではなく、化学療法も不要だった。だから「ツールで7連覇できるね!」などという冗談ともつかない心無い言葉にはなおさら苛立ちを覚えた。

入院中目にした病気の子供たちの光景は、ショッキングだった。なにかチャリティーのようなことを始めたいと思う。ランスの基金とも接触するかもしれない。

まだ術後観察(3ヶ月ごとの定期検査・半年後ごとの全項目検査)は必要だ。半年に一度は体重は1年前より6kg減った。でも、「精神的に強くなった」と語る。病気を知ったときは、軽い欝に陥った、とも告白している。

以前別ページで書いたことながら、命を脅かす可能性のある病気でないがしろにできない側面は、病気が精神面に与える影響だ。日本でも徐々に緩和ケアの概念が定着しつつあるものの、肉体の痛みとともに心神の苦痛に対する体制はまだまだのような気がする。

そもそも昨今インフォームドコンセントが徹底しつつあるのも良し悪だ。精神的にタフな患者ばかりではない。体力が弱っているときにひとりで衝撃を受け止められる人ばかりではない。

一方で緩和ケアとて一筋縄ではいかない。このケアは実際の治療を担当する外科や内科とは別の医療スタッフが扱うから、横の連携が不可欠となる。縦割りになりがちな病院組織の中で、病院の新しいあり方が求められている。ちなみに東大付属病院には緩和ケア診療部があるようだ。

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