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● 2004.10.10 (Sun)  10月10日:パリ〜ツール(フランス)
ツァベルが梯子から落下してアウト。ボーネンとペタッキが胃腸系の体調不良でやはりアウト。コースは<パンケーキのようにフラット>(TMOBサイトの喩え)なので、スプリンターに分がある。フレイレ、オグレイディ、キルシプー、クック。。更にクラシックハンターのレベッリン、ベッティーニ、アスタルロア、復帰したヴェセマンなどなど。スタートリストは下記:

http://www.cyclingnews.com/road/2004/worldcup04/paristours04/?id=startlist

● 2004.10.11 (Mon)  10月10日:パリ〜ツール(フランス)
dekker.jpg 408×324 32Kラボバンクのエリック・デッケルがゲロルシュタイナーのスプリンター、D・ホンドと、チームメートのO・フレイレを抑えて優勝。

昨年はスプリンターの戦いとなり、ツァベルがペタッキを抑えて優勝した。しかしこのレースは平坦な割りに、早めのアタックが成功してそのままアタッカーがゴールというシナリオを数々生んでいる。逆説的だが、平坦だからこそ、スプリンターのレースにさせまいとするアタッカーがレースを作っているといえる。02年ピール、01年ヴィランクら、近年ではむしろエスケープした選手に軍配が上がっているのだ。

この日 252kmのコースで、デッケルは220km以上をプロトンから飛び出して数人、あるいはソロで走りぬけた。彼が飛び出したのは25km地点。QSDのタンキンクとCSCのグセフとともに早いアタック。デッケルは、このまま逃げ切れると思ったのか?答えはYES。

01年にはヴィランクが僅か12km地点で飛び出してそのまま優勝した。ゴールした時、後続のフレイレたちとは僅か2秒差だった。

そして、デッケルは、ヴィランクがやったことを繰り返すことができると確信した。25km地点で飛び出し、そのまま数人を伴って走り続け、ラスト8km、最後のグセフを残して単独で行った。その時点で後のプロトンがひたひたと迫っているのがわかった。ここでグセフを振り落として先に行くことを決意する。更にプロトンを威嚇する意味もあった。

ゴール地点では後続のプロトンが近づいてくる音がしていた。宇都宮の世界選手権を髣髴とさせる。後続は追いつくのか、デッケルが逃げ切るのか!!!ゴール直前までどうなるかわからない展開だ。しかし、ぎりぎりの差で、デッケルが結局プロトンを負かした。プロトンとの距離はほんの僅か。実際後続とのタイム差はゼロだった。

では、何故デッケルは、単独逃げ切りが可能だと思ったのか。通常この手のコースでは、飛び出した選手を後続が必死で追い始めたらかなわない。真剣になったプロトンのスピードは70km/hほど出てしまう。ところがパリ〜ツールの開催はレースシーズンも終わりの10月。このレースでは、そこまでのスピードは実際には出ないものだ。他のレースと違ってプロトンのスピードはそこまで上がらない、デッケルにはそんな読みがあった。

怪我でここ2年は精彩を欠いたが、<今年4月地元のレースで感激の優勝(この部分は7月特大号別冊付録のデッケル紹介記事に書いたものですが)> 見事に復活。オランダチャンピオンに続き、ワールドカップのレースで優勝という栄光に浴した。

デッケル:「ワールドカップで優勝できるチャンスは滅多にない。2年間のケガを経て、僕の夢はカムバックすること、そしてビッグタイトルを取ることだった。オランダチャンピオンになったこと、オランダツアーでの優勝も素晴らしかった。でもこの優勝は格別だ。」

先日シャンペンをかけられた同僚のデッケルに、今度はフレイレがシャンペンをかける番だ。(下記URLの写真はスペインのAS 新聞。世界選手権で優勝したフレイレにラボバンクのチームメートが頭からシャンペンを浴びせている。左からデローイ、デッケル、ブロイキンク。手を叩いているのがデッケル)

http://www.as.com/recorte.php?id=LCO&xref=20041005dasdaimas_1&type=Ies

左の写真は今年のツール、マドレーヌ峠のステージで、プロトンから遅れて一番最後に来たデッケル。(私が見たポイントでは一番最後だったが、フィニッシュ時点ではラストから3番目。ぎりぎりタイムオーバーは免れていた。)ファンに背中を押されてやっとの思いで上っていた。

● 2004.10.17 (Sun)  10月16日:ジロディロンバルディア(イタリア)
この日はクーネゴが積極的にアタックを仕掛けていった。バッソも気合十分で勝ちに行ったがクーネゴの勢いを止めることはできなかった。

スタート地点はスイスのメンドリズィオ。ゴールはイタリアのコモ湖。距離は246km。10戦を戦うワールドカップの最後のレースだ。ワールドカップ総合は、レース前の時点でベッティーニ340、レベッリン327ポイント。レベッリンが優勝するか、ベッティーニを引き離してかなり上位でゴールすれば逆転だった。優勝者のポイントは70pts、2位は50ptsがつく。

この日積極的に行ったクーネゴは、まずラスト15km地点のシヴィーリオの下りで飛び出した。しかし最後の上りサン・フェルモデッラバッタリアで巻き返したバッソ、ボーヘルト、エヴァンスが逆襲。3人はクーネゴを置き去りにしてトップグループを形成。頂上ではクーネゴに10秒の差をつけた。

ラスト4km。クーネゴが必死で追いかける。カギは下りだった。ナルデッロとともに3人を捕らえ、そのまま5人がゴールを目指す。勝負があったのは最後のストレート。スプリント勝負に真っ向から挑んだクーネゴが 見事ゴールを陥れた。

クーネゴは、「上りではバッソが飛ばしたのでダメージを受けたが、なんとか踏ん張った。ジロの優勝もイタリア選手としては最大級の夢だったけど、ロンバルディーのようなワールドカップで勝つのも格別だ。」と述べていた。

3位に終わったバッソ:「今日勝ちたかった。残念だったけど、それでもTdFで3位、エミリエで優勝でき、今シーズンは収穫があった。今日もロンバルディアで暴れることができた。僕のハンデは、スプリントで強くないこと。スプリント負けしたレースが幾つかある。スプリント対策をしているところだから、こんなことは今後は二度と起きないだろう。」

レベッリンとベッティーニの順位は28、29位。上位24位までしかポイントが取れないから、最終的にワールドカップ総合はベッティーニがとった。

優勝:クーネゴ(SAE)、2位:Mボーヘルト(RAB)、3位:Iバッソ(CSC)

● 2004.10.31 (Sun)  10月29日(金)〜 10月31日(日) ツール・ド・チャイナ(中国)
http://shinichikoji.com/club_bbs/

福島康司選手が総合優勝、晋一選手が総合2位とポイント賞ですって。最後の第4ステージは兄弟手をつないでゴールしたとか。おめでとうございます。

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