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 過去ログ 〜2004.08

 レース情報 最新版へ


2004年09月 10月 11月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 

● 2005.04.01 (Fri)  3月29〜31日 KBCデ・パン3日間レース:総合はディスカバリーのデヴォルデル
■デヴォルデルが4秒差を最後にひっくり返して総合優勝

3/31に行われた第3、第4ステージでは2人のベテランが大活躍。スプリントの第3ステージはトム・ステルス、ITTの第4ステージはヴィアチェスラフ・エキモフ(ディスカバリー)が優勝。

そして、総合はディスカバリーのデヴォルデルがとった。去年のヒンカピーに続き、ブリュイネール監督は2連勝。彼は去年からクラシックなどで新進気鋭の注目選手ということだったが、初のビッグタイトルだ。

ランプレのバッランは、総合2位。3位はロットのニコ・マッタン。

第3ステージ終了時点でトップはバッランだった。デヴォルデルは4秒遅れの2位。最後のTTの展開次第ではバッランが優勝する可能性もあったが、デヴォルデルがTTでバッランに20秒差をつけ、逆転に成功。

ディスカバリーのL・ホストは総合6位に入り、ツールだけのチームから、クラシックも走れるチームという点をアピール。プロツアー移行にフィットしつつチームも変化している。

期待のトム・ボーネンは、第3ステージで落車。リタイヤとなった。しかしフランドルはOK。リーダーとして気合を入れてのぞむ。

● 2005.04.02 (Sat)  4月3日:通称RVV - ロンド・ヴァン・ヴランデレン/ツール・デ・フランドル(ベルギー)予告
過去の優勝者(下記)を見ると、つくづくこのレースだけは、滅多にまぐれがないんだな、と感じる。本当に強い者が勝つ、実力が問われるレース。

2004:S・ヴェーゼマン
2003:P・ヴァンピーテヘム
2002:A・ターフィ
2001:G・ボルトラーミ
2000:A・ターフィ
1999:P・ヴァンピーテヘム
1998:J・ムセウ
1997:R・ソレンセン
1996:M・バルトリ
1995:J・ムセウ
1994:G・ブーニョ
1993:J・ムセウ
1992:J・デュラン

ちなみに、ランス・アームストロングは、ジョージ・ヒンカピーのアシストとして出場。スタートリストはこちら。JUMP

石畳の感触を探る選手たちの写真はこちら:JUMP

● 2005.04.03 (Sun)  4月はプロツアーが目白押し
4月のプロツアーカレンダーは忙しい。下記は全てプロツアーになっている。選手のUCIランキングにかなり変動がありそうだ。

3日 : フランドル一周
4〜8日 : バスク一周 (S)
6日 : ヘント〜ウェヴェルヘム
10日 : パリ〜ルーベ
17日 : アムステル・ゴールド
20日 : フレッシュ・ワロン
24日 : リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ
26日〜5月1日 : ツール・ド・ロマンディ (S)

* (S)印はステージレース。あとは全てクラシック。

● 2005.04.03 (Sun)  4月3日:通称RVV - ロンド・ヴァン・ヴランデレン/ツール・デ・フランドル(ベルギー):ボーネン優勝
boonen2.jpg 640×480 57Kやはり、強い者が勝つ、これがフランドルだ、という印象でレースは幕を閉じた。優勝候補の誉れ高かった24歳のトム・ボーネンが単独ゴールで優勝。

レース前には「ボーネン、フランドルで優勝を夢見る」などと新聞の見出しになったほど騒がれたが、プレッシャーを跳ね除けての優勝だ。

前半ランプレのバッラン、SDVのサバヤらが逃げて目立っていたが、最後はロットのヴァンピーテヘム、QSTのボーネン、T-MOBのクリアらが抜け出した。

ラスト9kmでヴァンピーテヘムを出し抜いてボーネンが突然アタックをしかけた。6人の先頭グループから ひとりで先行することに成功。そのまましぶとい走りで独走でゴール。

最後は勝利を確信して感無量。ジャージのチャックを上まで上げるのを忘れた(襟のところが少し空いたまま両手で万歳ゴール。)

フランドル人が地元フランドルのビッグレースで優勝した。ボーネンはムセウの到来、と言われるわけがある。

2位は、猛チャージを見せたTモバイルのクリアがゴール。クリアに先を越されたヴァンピーテヘムは3位。ツァベルは同タイムで4位。

(写真は04年ツールのボーネン。ラルプの山岳TTにて。)

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プロファイル、コース(上り、石畳などの難所)情報:http://www.cyclingnews.com/road/2005/apr05/rvv05/?id=map

ライヴが日本時間18:00前からやっているけれど、、、まだ先は長いからなぁ。http://live.cyclingnews.com/

● 2005.04.04 (Mon)  4月3日:通称RVV - ロンド・ヴァン・ヴランデレン/ツール・デ・フランドル(ベルギー) 戦い終わって、選手たちのコメント
■ 優勝したボーネンのコメント

「クレージーだ!」フィニッシュ直後に叫んだボーネン。

「こういうシナリオを頭の中で描いていたんだ。ボスベルフのエドウィッヒ・ヴァン・ホーイドンクでアタックをしかけたいってね。でも、うまく行かなかった。ラスト9km地点は、飛び出すには最高の瞬間だった。」


■ 2位だったクリア(T-モバイル)のコメント

「ラストはとても難しかった。みんな疲れていた。多分僕が3人の中で(ボーネン、クリア、ヴァンピーテヘムの先頭グループ)最悪な状態だったと思う。ボスベルフで、僕は危うくノックダウンとなるところだった。

ト(ボーネン)が先に行った時、誰も反応できなかった。それでも2位でフィニッシュできてハッピーだよ。」

「チーム戦略がおかしかったということはない。僕らは互いにアシストしながら走った。ツァベルのために働くつもりだったが、ツァベルの状態が今ひとつよくなくて、僕は自分のチャンスを掴みに行かなくてはいけなくなったんだ。

でも、今日のようにボーネンが相手じゃ、(優勝は)無理だった。彼は本当に最優秀の選手だ。」


■ 3位だったヴァンピーテヘムのコメント:

「明らかに最強の選手が今日は勝った。アンドレアス・クリアはボスベルフで、ちょっと早く飛び出しすぎたと思う。頂上で彼はスローペースになった。そこへトムが反応して、僕はしがみついていった。

トムが再びアタックした時、僕はついていけず、鳥ははばたいてしまったんだ。僕は実際何もできなかった。ミュールでは、僕は全速力で行った。グループの人数を減らしたかったんだ。でも、てっぺんでスローダウンしてしまったから、それはうまくいかなかった。

そうこうしているうちにTモバイルの作戦で(ツァベルとクリア2人がトップグループに参加して)挟み撃ちに合ってしまった。

もっとももし今日のボーネンみたいに勝てれば、そんな事前のプランなんて不要だね。あれは素晴らしかった。」(CNより)


■ 28位だったアームストロングについて語るブリュイネール監督談話:

「ランスは今日レース・モードに入っていた。レース前はナーバスだったけど、調子のいいところを見せられたし、モチベーションもあがっていた。」

このあとランスとシェリルはUSAに戻り、TDG(ツール・ド・ジョージア)に向けてトレーニングを積む。そして、例の謎の記者会見は、いよいよ4/18。ヒンカピーらはそのままフランドル地方にとどまり、ヘント〜ウェヴェルヘムとパリ〜ルーベにのぞむ。

● 2005.04.05 (Tue)  4月4〜8日:ブエルタ・シクリスタ・アル・パイス・バスコ(スペイン)
■ 第1ステージ (133km) 速報

クーネゴにバルベルデが揃ったプロツアーのバスク一周。125km地点の第2カテゴリーの山岳は、レベッリン、オサ、クーネゴの順で通過。最後は、リクイガスがスプリント体制に入り、ディルーカがスプリントを制した。

● 2005.04.06 (Wed)  4月4〜8日:ブエルタ・シクリスタ・アル・パイス・バスコ(スペイン)
monc.jpg 474×414 35K■ 第2ステージ (166km): バスク人のアイトール・オサが首位に

区間優勝:コフィディスのモンクティエ / 総合首位:バレアレスのアイトール・オサ

この日はカイクのブル選手がコフィディスのビンヘン・フェルナンデスや同じくカイクのアラナガらとともに50km地点でエスケープ。レースは速い展開で、平均時速も前半46km以上を記録。

3人は一時4分のリードを稼ぐが、後方プロトンからのアタックが激しくなってきた。一時はブルと後方から追いついた今年好調のムニョス(バレンシアナ)が2人で逃げる場面もあったが、クーネゴ、アルヴェセン、セビーヤらのグループに捕まった。

その後ラボバンクのヴェーニンク、カイクのリカルド・セラノがリードするが、後方からアタックとカウンターの繰り返しでコフィディスのモンクティエとバレアレスのアイトール・オサが抜け出て2人を追い出した。レベッリンらのグループがそれを追う。

ラスト500mで先頭の2人は吸収。レベッリン、アルガン、ディルーカ、クーネゴ、オサがいく。最後はモンクティエが上りのゴール地点でスプリントを決めた。区間優勝はモンクティエ。総合首位はアイトール・オサの手に。

(写真は02ツール。最終日のレースが終わり、彼女(奥さん)とホテルに向かうモンクティエ。この時、選手の連れの女性に、とてもグラマーな人が多かったという印象。クック、マンセボの彼女なども。)

● 2005.04.06 (Wed)  4月6日:ヘント〜ウェヴェルヘム(ベルギー) プロツアー
mattan.jpg 256×409 23K速報:ロットのニコ・マタンが優勝

FASのフレチャがかなりイケイケだったので、このまま勝つと思った。残念。最後ハトンビにタカをさらわれた感じだが、ニコ・マッタンの脚があそこまで残っていたこともすごい。フレチャとのギャップを追い上げて、最後はスプリントで負かした。

208kmのレースで、勝負を分けたのは、わずか最後の500m。

ラスト18km地点で逃げていたのはベンナーティ(LAM)、フレチャとカンチェッラーラ(FAS)、ポッツァート(クイック)、ヒュースホーウト(CA)、バックステット(LIQ)、マッタン(LOT)、クック(FDJ)。プロトンとの差は50秒ほど。

ラスト10kmほどでマッタンがアタック。バックステットらが追う。フレチャがグループから抜け出してマッタンにジョイン。ラスト3km、フレチャがさらにアタック。マッタンついていけない。

ラスト2km、フレチャがひとりでゴールを目指す。しかしマッタン、そこから脅威の追い上げ。ラスト500m、フレチャを出し抜いてゴール。フレチャは惜しくも優勝を逃した。

写真は02ツール。コフィディス時代のマッタン。この年彼はヘアスタイルにとても拘っいて、レース前にはトサカが立っていた。

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バスク一周の方はバルベルデが区間優勝したようだ。相変わらず安定感がある。

● 2005.04.08 (Fri)  4月4〜8日:ブエルタ・シクリスタ・アル・パイス・バスコ(スペイン)
■ 第3&第4ステージ:バルベルデ2連勝

スプリントで2連勝を果たしたアレハンドロ・バルベルデ。このバルク一周レースでは03、04年にも区間優勝しており、「僕はこのバスクの地で勝つのが恒例になっている。アマ時代にも、バスクで勝って来た。」と。

第3ステージはスプリンターのロンバルディアを負かし、第4ステージは好調のディルーカをねじ伏せた。

● 2005.04.08 (Fri)  4月4〜8日:ブエルタ・シクリスタ・アル・パイス・バスコ(スペイン)
■ 4月8日:ステージ5b :TTはコンタドールが優勝、総合はディルーカ
最終ステージの9.3kmのITT。コンタドール、ジューリック、レベッリン、ディルーカ、ペレイロの順となった。

それまで首位に立っていたアイトール・オサがこれで表彰台から転落。コンスタントな走りをしたディルーカが優勝に輝いた。2位はこれまたコンスタントだったレベッリン。3位はTTで優勝、午前中のショートステージで5位につけたコンタドールが、14位から一気に浮上。


■ 4月8日:ステージ5a :フォイクト2年連続

CSCのイェンス・フォイクトが2年連続でバスク一周のステージ5aを制した。この日は93kmのショートステージ。午後には9.3kmのTTがある。

2位はバレンシアナのブランコ、3位はリクイガスのディルーカ、4位はバレアレスのアイトール・オサ。

オサは総合首位をキープしつつも、ディルーカとの差は僅か1秒。オサはTTは強くないはず。午後のレースで全てが決まるぞ。

● 2005.04.10 (Sun)  4月10日: パリ〜ルーベ(フランス)
■ Race : 転機はフレチャの難所でのアタック。そしてボーネンが優勝

フレチャ、ミカエルセン、ヒンカピー、バックステット、ボーネンが最後の力を振り絞る。レースはあと残り15km程度。ラーブルの交差点のパヴェは、坂になっていて、2.1kmも続く。かなりきつい。 242.6 km地点で登場する難所のセクションだ。(CNの石畳の難易度表では5つ星)JUMP

フレチャは、スプリント勝負で分がないせいか、アタックを仕掛ける。このアタックでトップグループから2人が脱落。昨年の覇者バックステットがドロップアウト。ミカエルセンもついていけない。

スペインは過去P-Rで表彰台は2度しかない。ポブレトが58年2位、60年3位だけ。スペイン中が興奮の渦の中。フレチャ、ボーネン、ヒンカピーのトリオが行く。

ゴール ルーベのヴェロドロームに3人が入ってきた。ヒンカピーが前に出て最初に登場。ラスト250m、フレチャが飛び出す。しかしボーネンは落ち着いていた。そのままスプリントで難なくほかの2人を抑えて優勝。2位ヒンカピー、3位フレチャ。

ディスカバリーは順位がついたのはヒンカピー意外にホステが33位、エキモフが74


■ 優勝はボーネン:クラシックに強い証拠

優勝したボーネンの最近のクラシックのこれまでのクラシックでのスタッツ(統計)を見てみよう。

へットフォルク : 2位
K-B-K : 22位
ミラノ〜サンレモ : 8位
Dwars door Vlaanderen : 80位
E3 prize Harelbeke : 優勝
ツール・デ・フランドル : 優勝
G−ウェヴェルヘム : 26位
パリ〜ルーベ : 優勝

■ ターフィは罰金

先にお伝えしたとおりターフィはチームジャージをアレンジした特製ジャージで出場。これにより200SF の罰金となった。チームも500SFの罰金。

そのターフィ、前夜の感触は余り良くなかったというとおり42位でフィニッシュ。99年のP-R優勝は最高だったと述べた。最後のP-Rとなったが、今は様々な想いでいっぱいだ。

■ レース前情報:アンドレア・ターフィはパリ〜ルーベは最後だけど、まだ走る

サウニエルのターフィ、最後のパリ〜ルーベということで、この日のための特別ジャージで出場すると聞いている。デザインはこれ。JUMP

なお、パリ〜ルーベを彼が走るのは最後だが(過去表彰台は4回)、実際19日からのツアー・オブ・ジョージアなどのレースにまだ出るということを昨日の記者会見で発表している。つまり、彼の勇姿はまだ見られる。

● 2005.04.14 (Thu)  4月13〜17日:ブエルタ・ア・アラゴン(スペイン)
■ 第4ステージ :山岳TTはルーベン・プラサ、ウルリッヒは19位

第3ステージは再びペタッキで、注目の第4ステージ 山岳TT(11.2km)。ウルリッヒはトップから1分50秒遅れの19位に終わった。トップはバレンシアナのルーベン・プラサ。

CNのリザルト

第2ステージ : エフムキンがスプリントで優勝!

第2ステージはバーロワールドのウラジミル・エフムキンがコフィディスのルイス・ペレスを抑えてスプリントで優勝した。ペタッキはというと、上りのポイント、アルト・デ・モンレポスで遅れ、第1グループに入れなかった。

先頭グループは後続に14秒ほどの差をつけていた。この結果、リーダージャージはペタッキからエフムキンの手に。


第1ステージ : またもやペタッキ!

昨日開幕したアラゴンツアー。プロツアーではないし、例年それほど注目されているレースではないが、今年はウルリッヒが出場して話題になっている。初日優勝はペタッキ。リバティーのアラン・デイヴィスとバレアレスのイサーク・ガルベスにスプリントで優った。ペタッキは初日リーダーに。

アラゴンツアーの過去の優勝者は下記の通りクライマーが多く、また優勝リピートが多い。ピエーポリは3勝している。昨年の覇者ガルゼッリはチーム(リクイガス)ごと出場していない。

2004 ステファノ・ガルゼッリ
2003 レオナルド・ピエーポリ
2002 レオナルド・ピエーポリ
2001 フアン・カルロス・ドミンゲス
2000 レオナルド・ピエーポリ
1999 Juフアン・カルロス・ドミンゲス
1998 アイトール・ガルメンディア
1997 アイトール・ガルメンディア
1996 メルチョール・マウリ
1995 フェルナンド・エスカルティン

● 2005.04.17 (Sun)  4月17日:アムステル・ゴールド(オランダ) 優勝はディルーカ
ディルーカ、今年乗っている。ボーヘルトはまたしても2位。悔しいだろう。なにしろ彼はこれでアムステル・ゴールド2位は4度目なのだ。99年、スプリントでアームストロングに辛勝して優勝したものの、2000年、02、03年は全て2位。そして今年も。

過去の1位〜3位までのリストへJUMP

今回ボーヘルトが勝てなかったわけは、ラボバンクに優勝候補がひしめきすぎたせいだろう、とも言われている。フレイレ、エリック・デッケル、若手のトマス・デッケル。

ボーヘルトがこの地元のレースで優勝するには、オランダチームを出て、ボーヘルトだけをリーダーとして立てられることが必要だ、とも論評では述べている。

おもしろいことに、今回優勝したディルーカは、'03アムステルのゴールスプリントでボーヘルトに敗れて3位になった経験がある。この時ヴィノクロフが単独ゴールし、後続はボーヘルト、ディルーカ、レベッリンだった。

歴史は繰り返す、というがボーヘルトの場合はそうなったが、ディルーカの場合は、歴史は繰り返さず、今回はボーヘルトをスプリントで負かす結果となった。

ディルーカは、03年のアムステルでボーヘルトがロングスプリントで挑んでくるのがわかっていた。実際ラスト300mでアクションを起こしたボーヘルト。ディルーカは、再びロングスプリントで対抗しなくてはいけない、と覚悟したという。

ディルーカ:「バスク一周でコンディションがいいのがわかっていたから、今日は勝つ自信があった。」(ディルーカは、バスク一周総合優勝)

ゴールスプリントの時の模様は、この写真がわかりやすい。JUMP
とにかく団子状態で、ラボバンクはラルカンシェルのフレイレとボーヘルト、どちらも勝ちに行っている。

先頭グループ10人ほどのうち、誰が勝ってもおかしくない状況だったが、フレイレは脱落した。左手にはリバティーのジャージを着た小柄なD・エチェバリアの姿が見える。

結果はディルーカ、ボーヘルト、チェレスティーノ、レベッリン、ペルディゲロ、シンケヴィッツ。

ディルーカ、次の目標は次の日曜日のL-B-L。ボーヘルト、再び嫌な予感。L-B-Lでは過去2度、2位となっている。

● 2005.04.20 (Wed)  4月20日:フレッシュ・ワロン(ベルギー) 速報版 :ディルーカが再び勝利
アムステル・ゴールドに続き、本日のフレッシュ・ワロンでもディルーカが勝利した。これで、もし24日のL-B-Lで優勝すれば、レベッリン同様3連続でベネルクスクラシックを制することになる。

この結果 ディルーカは、ボーネンを抜いてプロツアーランキング首位に躍り出た。

ディルーカは、聞く所によるとリエージュは大好きなレースだそうだ。勝つ気満々。

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