.... ツールドフランス 2003 生中継 * − フォト&コメント
ツールドフランス 2003 総集編 (完結編) - 各ステージの優勝者について
拡大写真つき
第12ステージ /
第13ステージ /
第14ステージ /
第15ステージ /
休息日 /
第16ステージ /
第17ステージ /
第18ステージ /
第19ステージ /
第20ステージ /
総集編 1 USP ITT & Lance /
総集編 2 Other USP boys /
総集編 3 Other USP boys /
優勝者総まとめ(今はここ) /
総集編(全て拡大版つき)
| 7月23日:第16ステージ Pau - Bayonne 197.5キロ 写真は バニエールドビゴールにて。 |
優勝者 − タイラー・ハミルトン(CSC、32歳): 子供時代からの特技は「苦しむこと」。
ジロでも骨折しながら完走。食いしばった歯を11本治療。: 第1ステージで鎖骨を骨折しながら走り続け、見事総合4位になったハミルトン。骨折しながらグランツールを完走したのは、これが初めてではない。ジロ2002の第5ステージで、スプリントの最中に後輪のトラブルですごい勢いでクラッシュした。 ハンドルにしたたか肩をぶつけたが、すぐに立ち上がってレースを続行。その日9位でゴールした。しかしこの時、彼は左肩の小さい骨を骨折していたのが後で判明した。その2日後、雨の下りで、彼は再び落車。それでもジロで総合2位になった。 この怪我のせいで彼は夜、痛みに苦しみ歯を食いしばる日々が続いた。おかげでレース後に歯医者で11本、痛んだ歯を治療する羽目になった。 彼の今年のツール日記に、「歯を食いしばりすぎたから、また歯医者のお世話になりそう」と書かれていたのは、前年のジロの後の経験があったためだ。
苦しみに耐えることは、スキーで学んだ :
彼とランスの共通点は、「苦しむのが得意なこと」だ。ハミルトンは、苦しむことを子供の頃から学んでいた。彼はスキーヤーとして頭角を現していた。夜、凍えながら寒い中リフトに乗った時の苦しみが、今の彼のガッツの源につながっている。大学のスキー部で、華々しいスキーヤーのキャリアが彼を待っていた。 しかし、滑降中にマウンテンバイクに激突し、頚椎2本を骨折。リハビリに医師から自転車を薦められたのがきっかけでこの世界に入った。(面白いことに、スベルディアも怪我で床に伏せっていた時に、母親から薦められた自転車にはまったといういきさつがある。)
観客の声援は。。: 骨折をしながら走っていたとき、どんな風に観客から声援を受けた?という問いに、ハミルトンが答えた。「君はクレージーだぜ!」って言われたと。もっともこれは第12ステージでのインタビュー。 この後彼がパリまで行けそうという雰囲気になったから、この後は観客の声援も変わったことだろうけど。でも、前半のラルプデュエズのステージでは自分でも 果たして完走できるのかわからない中 走っていた。ただただ、途方もないアドレナリンを感じて勢いで走ったという。 また、特に登りでは、ダンシングは痛みが増してなるべくシッティングで行ったと。
レース展開サマリ: 42キロ地点。15人が抜け出す。先頭グループは徐々に減り、103キロ地点でハミルトンが飛び出す。110キロ地点のカテゴリー1級のバガルギー峠をトップで通過。 レッリ、テュルパンらがハミルトンを追ったが、結局彼らはゴール30キロ手前でプロトンにつかまる。しかし、ハミルトンは逃げ切った。2位争いはスプリントでツァベルに決まり。
|
| 7月24日:第17ステージ Dax - Bordeaux 181キロ 写真は、ポーのスタート地点。 |
優勝者 − セルヴァイス・クナーフェン(クイックステップ、32歳): 0kmからのアタック。
2001年パリ・ルーベの勝者: 2001年にパリ・ルーベで優勝し、それまで以上に期待されたが、以降大爆発することはなかったクナーフェン。しかし本人は、「僕は年間15勝とかできるようなライダーじゃない。でもコンスタントに走ることができる。」と冷静に語った。 チーム監督のルフェーヴル氏は、今年のツールの構成をヴィランク中心に組み立てたが、それでも機会さえあれば、アシストたちにもそれ相応の報いが行くように配慮した。クナーヴンがスピードマンで、単独でゴールを目指す資質があることを熟知し、この日はクナーヴンに花を持たせることを考えた。
クイックステップはイケイケ :
今回のツール、ヴィランクがモルジーヌで優勝。イエロージャージも着た。クナーヴンもステージ優勝した。更にヴィランクは山岳賞もものにした。クイックステップにとっては満足のツールだった。 このイケイケムードの延長上で、監督は考えた。ステージレースで勝てるメンバーを集めようと。ワンデイレース中心のチームから、もっと守備範囲を広げようと。その結果が、今回のデュフォー獲得とメルカドとの交渉につながった。 交渉はツールの最中から始まっていた。ツールの最中、ヴィランクとデュフォーは会う度に互いを激励。友情の深さが伝わっていた。デュフォー獲得には、ヴィランクの後押しがあったろう。(2004年からデュフォーはクイックステップで走る。)
180キロを逃げ切る: レース開始後1キロも満たないところでアタックがかかった。クナーヴンのほか、マンジャン、クラン、ガルシアアコスタ、パラ、ラタサ、フィノ、ファンボン、デフロート、コメッソ、ボッソーニ、ルッテンベルガーらが逃げた。 彼らは結局プロトンに捕まることはなかった。しかし、163キロ地点でクナーヴンがひとりで出た。クナーヴンはパリ・ルーベで優勝した時をイメージしながら走った。飛び出すのがちょっと早すぎたかもしれないが、とにかくスプリントでは勝ち目がなかった 。そして頭の中で計算した。「時速50キロで走れば、いけるだろう。もしもそれで僕を捕らえようとすると、後続の9人は、よほど息の合った先頭交代をしなくてはならないはずだ」、と。
オランダを思いながら走る : クナーヴンは区間優勝したあと、こう語った。「今回のステージはフラットで、まるで自分の故郷オランダを走っているかのようだった。」と。
|
| 7月26日:第19ステージ Pornic - Nantes 49km ITT 写真は、ガイヤックのITT。 |
優勝者 − デイヴィッド・ミラー(コフィディス、26歳): 最後の個人TTで遂に優勝。
プロローグのメカトラはトラウマだった: 初日のプロローグ。ゴール手前でチェーンが外れ、大幅にタイムロスしたミラー。結果、1000分の8秒差でFDJのブラドリー・マギーに敗れた。 メカトラさえなければ優勝していたのに。。このショックは、心の中に閉まっていたけど、実はツールの間中、彼の心をずっと支配し続けていた。実は内心随分苦しんでいた。 最初のITTは気管支炎の発作でうまく走れず :
第12ステージのITTでは、トップのウルリッヒから3分55秒遅れの7位。彼にしては不甲斐ない成績だった。でも、これには事情があった。実は気管支炎に陥った。最初の計測ポイントでトップだったものの、その後激しい咳の発作に見舞われた。発作はレース中3度起こり、途中咳で走れなくなった。
特にこの日は日中38度まで温度が上昇し、乾いた気候がミラーの気管支炎を増長させたのだろう。路面温度は61度だった。あえいだのはミラーだけでない。アームストロングもしかり。 ウォームアップでは大型扇風機を2台使用し、水をがぶがぶ飲んで、スポンジで水をかぶった。しかし、レース開始2キロ地点で、既に喉が渇いた。そして脱水症状。冷房の効いた自転車店でウォームアップしたウルリッヒに完敗し、アームストロングは1分36秒遅れという今まで経験したことない大敗を喫した。
ナントのITTで落車 : 第19ステージのITT。ITTはこれで最後だ。ラスト6キロで落車した。メカニックのニコラがチェーンをなおしてくれ、再び走り出した。これで20秒はロスした。でもパニックにはならなかった。でも、優勝は無理かもしれない、そう思った。ただ、前日から体調が元に戻っていたから、気力は充実していた。
走り終えたミラーは、とりあえず暫定トップに立った。しかし、プロローグのことがあっただけに、彼はまた悪夢が繰り返すのではないかと恐れた。チームカーの中で、TV画面が見れなかった。「再度失望するのは耐えられない」と。とにかくいても立ってもいられず、トイレに行ったり水をガバ飲みして、気を紛らわせていた。 そう、アームストロングが走り終えるまで、優勝は確信できなかった。 コフィディスの車中にはCSCのハミルトンもいた。友人のミラーとともに、自分の成績を待っていた。コフィディスの監督が、妻からの報告を携帯電話で受けた。 「本当か?」そう言って、監督はミラーと抱き合った。そう、ミラーのステージ優勝が告げられたのだった。
|
| 7月25日:第18ステージ Bordeaux - Saint-Maixent-l'Ecole 写真は、優勝当日ボルドーを スタートした直後のラストラス。 この僅か4時間余り後に 彼は見事優勝する。 |
優勝者 − パブロ・ラストラス(バネスト、27歳): ダクルーズ、ナルデッロとのゴールスプリントを制して優勝
鍵は食糧補給と母の後押しだった: ゴールの時、そして、ステージ優勝後の表彰台で指を
高く天に突き上げた。万感迫る気迫があった。丁度4ヶ月前に癌で母が急逝した。余りにあっけなくて、茫然自失の日々を送った後のツール出場だった。 このステージでは飛び出したものの、疲れてもうくたくただっ
た。もう無理かと思った。でも、食糧補給と補水をしたら少し元気になっ
た。ゴール手前50メートル。スプリント勝負になった。ラストで、母が
背中を押してくれた、そんな気がした。
区間優勝を狙ったわけ : 第11ステージで優勝した同僚
のフレチャが、ラストラスに区間優勝を狙うことを薦めた。「なんてったって
100周年記念のツールだぜ。優勝を上げておけば、名前が歴史に残る」と。
平均時速49.938キロ:ところで、今回の記録平均時速
49.938キロはツール史上2番目に最速となった。今まで2番目だった記録、現USP
監督ブリュイネール氏があげた49.417キロを上回った。 このおかげで、ゴール予
定時刻よりも40分も速くプロトンがゴールしてしまった。最速記録は99年にチッポリーニがマークした時速50.355。
4大ツールを制覇したラストラスは、全てが苦手なオールラウ
ンダー:
スペインでは、3大ツールに加えて、ポルトガルツアーも重要
視されており、ラストラスは、これら全ての4大ツールで勝っているのだ。
2001、2002年のツールドポルトガルのTTでステージ優勝、2001年ジロ第11ステー
ジ優勝、2002年ヴエルタの第9、11ステージ優勝、そしてツール2003の第18ス
テージ。彼は一体何のスペシャリストなのか問われて、こう答えた。 「難しい質
問だけど、オールラウンダーかな。」と。理由がとても面白い。「だって僕は全
てにおいて下手くそだから。上り下りもだめ、スプリント系もだめ。オールラウ
ンドにどれも苦手な選手なんだ。」と。
怪我の日々: 97年鎖骨骨折、98年右の半月板を手術。98年肩の骨折、99年大腿骨骨折、2000年左の半月板手術年、2001年脊骨骨折に肋骨骨折、その2ヵ月後に再び半月板の手術と、怪我に泣いた日々もあった。
レース展開サマリ: 61キロ地点でラストラスを含む16人が飛び出した。ラスト7キロ、ゴールスプリントで勝ち目がないカニャダがアタック。 ラストラス、ダクルーズ、ナルデッロよりも50mのリードを保つ。ラスト250m、カニャダが捕まった。ダクルーズ有利と思われたが、ラスト2mでラストラスが前へ躍り出た。カニャダは4位。悔しいけど、同国人のラストラスが優勝したのが、せめてもの救いだ、と述べた。
|
(上記情報・データは、期間中のレキップ紙より。)