.... ツール・ド・フランス 2006 レポートNo.3
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毎年の事ながら、感動のフィナーレでした。 これから続くシーズン。そして来年。また熱いレースを楽しみたいと思います。』
今年は本当の”競り合い”が見られましたね。楽しいツールでした。みなさん、お疲れ様!
23 juillet, 2006 : 第20ステージ アントニー 〜 シャンゼリゼ 154.5km
● 最後はヒュースホーウトが優勝。彼は、レース前、マキュウェンに勝てると思っていた
● 初日と最終日を優勝で飾ったヒュースホーウト。「ブックエンド・ビクトリー(最初と最後を挟む優勝)」(CN)
● 心に残ったあの言葉
レース:
シャンゼリゼはもともとパレードレースだが、この日は例年になくスロースピードで進んだ。引退を決めたエキモフがアタックをするなど、後半になってやっと活気づいてきた。
ラストスプリント、マキュウェンはコーナーに突入する時にスピードを殺してしまったと振り返った。ヒュースホーウトはチームメートのS・イノーがうまく隙間を埋めてくれたおかげで、コーナーを曲がったところでマキュウェンについていった。
ラスト200mで先行したマキュウェンをヒュースホーウトが力でねじ伏せた。
ヒュースホーウト、マキュウェン、オグレイディ、ツァベルとそうそうたるスプリンターが1位から4位まで顔を連ねた。総合優勝のランディスと2位のペレイロの差は57秒、3位のクレーデンとの差は1分29秒。ツールで久しぶりに最後まで激しい競り合いを見ることができた。
特にトゥスイールのステージでクラックしたランディスが翌日果敢なアタックで不死鳥のように蘇ったあの場面は今年のレースに大きなドラマを呼び込んだ。大事な日にドロップして、その怒りをバネに翌日必死で行った、それしか選択肢がなかった、とランディスは振り返ったが、山あり谷ありのツール3週間をまさに象徴する出来事だった。
写真は初日に優勝した時のヒュースホーウト。最初にレポートに入れた写真(丁度シャンペンを開けたシーン)の続き。
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先日、以前に撮影したランディスの応援ファンの写真の中にランディスの母親の写真を見つけてびっくりしたが、確かに時々写真には思いがけないものが写っていたりすることがある。
例えばこんなものも。ストラスブールのチームプレゼンの写真。運河を船で渡る一群がいて、対岸の岸辺に押し寄せた人たちとともに写真を撮った。よく見ると日本人らしき人の影。。。 |
22 juillet, 2006 : 第19ステージ ルクルゾ - モンソーレミン ITT, 57 km● 勝負決まった。逆転でランディスが総合首位に。この日の優勝は再びゴンチャル
1位から3位までが30秒以内という近年まれに見る僅差のツール。最後は総合3位からランディスが逆転で総合トップに。ペレイロはロスを最小限にして総合2位。
ガン克服のアメリカ人ランスが7連覇を果たしたあとは、大腿骨頭壊死のアメリカ人ランディス。。。強い精神に強い肉体宿る。。。
自分は50kmでトップから2分ぐらい遅れをとるだろう、と言っていたペレイロ。確かにトップのゴンチャルから2分40秒遅れだったが、ランディスとのタイム差は1分29秒と最低限。ランディスに首位を譲ったが、総合2位に踏みとどまった。クレーデンはサストレを超えて総合3位。
● ランディス:「2日前の4時間のTT(=ひとりで山岳で勝負し、逃げ切った時のこと)をやったあとだったから、ちょっと不安もあった」
ランディス: 「自信はあった。でも、リーダージャージがかかっているから、ペレイロも奮起するだろう、そうたやすいことではないだろう、と思っていた。ペレイロは実際素晴らしいTTをした。
僕には不安もあった。2日前、4時間のTTをやって、相当エネルギーを消費していたから。(山岳での1人の逃げを4時間のTTと称している。)OKであることを祈っていたけど、うまくいった。」
● 4位から3位へ逆転、クレーデンのクレバーな判断:
クレーデン:
『監督ピヴァに聞かれて、僕はこう言ったんだ。”最初の25kmまでは計測タイムを知らせないでくれって”。それをされたら僕はクレージーになると思ったからさ。彼が計測タイムを告げ始めた時には僕は既にサストレより1分30秒先行していた。
これが随分励みになった。そしてセルゲイの時間も、目標タイムとして教えてもらった。最後にはエヴァンスも視界に捕らえることができて、これでさらに背中を押された。おかげで今までで最高のTTができたよ。』
クレーデンは2000年パリ〜ニースで優勝したあとスランプが3年ほど続き、悩んだ時期もあったが、それが彼を精神的にも強くした。そして今年のツール、退去させられた親友ウルリッヒの分までケスラーとクレーデンが頑張った。
● 作成中。。。。。。。
● こんなメールもらいました PART III
クレーデンだって16ステージではアタックしていますし、表彰台を手に入れた19ステージの走りは見事だったと思います。
たしかに少々物足りない面はありますが、私はこれからもクレーデンを応援し、彼の活躍を期待していきたいと思っております。
さて、今年のツール、すごい競り合いで面白い。さらにドラマを演出してくれたのはランディス。クラックのあと、不死鳥のように蘇ったあのガッツ。TT終了後、順位はどう変っているだろう。
ペレイロのコメント:「これは人生最大のTTだ。全身全霊を傾けてやる」
ペレイロとランディスが肩を組んでいる写真を見ると、ライバルとはいえ、お互い修羅場を駆け抜けてきた者同士、同胞といった感情も多少あるのでは。
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1.ペレイロ 84時間33分4秒 2.サストレ +12秒 3.ランディス +30秒 4.クレーデン +2分29秒 5.エヴァンス +3分8秒 6.メンショフ +4分14秒 7.デッセル +4分24秒 8.モロー +5分45秒 9.スベルディア+8分16秒 10.ロジャース +12分13秒 | ![]() ペーテルス監督・前日優勝トザット・ルハノ |
先日TTは嫌い、とマイクに向かって語っていたスベルディア。 なんとかTTの得意なロジャースに対し、踏ん張って欲しいような。話し相手になってくれ、本当に見た目どおり、ごっついバスク人の中にあって、ほんわかしたいい人だったから。ロジャースも好きではあるけれど。
先にエントリーした第17ステージのレポートの最後にツール故障者リストを掲載した。その一番上に、故障者としてフレイレー頭痛、とコメントしたが、フレイレは今日のステージを待たずにツールを去ることに。親子水入らずで休養して、ヴエルタなり世界戦に備えて欲しい。
● こんなメールもらいました PART II
クレーデンが人気も成績もパッとしないのは、正に「何も自分から しない」からですよ(~_~;)
昨ステージでドロップアウトして8分の差が付いたリーダーが、自らの力で それを取り返す、なんて素晴らし過ぎません?ちょっと小説でも気恥ずかしい ストーリーですよ。 昨晩のランディスの「勇気」あるアタックは、サストレの「勇気」あるアタック も呼んで、物凄い活性化したレースでした!
「勇気」って、在る意味「安定」の反対語みたいなところ、有るじゃないですか ?凄く、ランディスの衝撃的な走りが「勇気」について考える機会を与えてくれま した。そう言った意味でも彼には感謝しています。』
前日の様子では、もうランディスのツールは終わった、そんな雰囲気も周囲には漂っていた。しかしそれを跳ね除けて、彼が驚異の意地を見せてくれた。これで一気に総合優勝のゆくえが混沌としてきた。それにしてもランディスのガッツ!!北米の掲示板にはランディスを称えるスレッドがたち、148ものポスティングがあった。
ランディス:
「これで、自分がツールで優勝したがっている、ということが明らかになった。最終日まであと2日ある。TTに向けて、燃えている。今後、脚がどれだけ自分に残っているかはこれから答えがでる。」
「今日の逃げは、最初から決めていた。とにかくなるべく早いタイミングで抜け出したかった。昨日はがっくりだった。調子が出ないのはどうにもコントロールがきかない。でも今日考えた。少なくとも戦い続けることを頑張ってくれたチームメートたちに見せることができるんじゃないかって。とにかくアタックという選択肢しか僕にはなかった。」
「僕の集団からのアタックはみんな予期していないタイミングだったらしく、後方プロトンが意思統一をもって追ってくることはなかった。その後タイム差がついて、あとは最後までいくしかない、と思った。」
上記写真は03ツール。山岳ステージ終了後。中央はランスのボディガードのアーウィン、右がランディス。この時ランディスに対して、「貴方の顔、すごくよく見るんだけど、誰でしたっけ?」と面と向かって言ってしまった。この頃は、ランディスのことを余りしっかり認識していなかった。
一方で、ペレイロも踏ん張った。ランディスの独走を許すも、この日のタイム差を7分8秒と最低限にとどめた。ちなみに、ペレイロのことは昨年9月15日付けのトクダネで紹介している。(タイトル:プロトン一の"メトロセクシャル")
右の写真は昨年ロマンディの初日プロローグ を制し、リーダージャージを着た時のペレイロ。
レース:
序盤シンケヴィッツ、アルガン、タンキンク、リギ、ルムヴェル、ガラテら10人少々の逃げが決まった。後方ではランディスがプロトンから上りのタイミングで逃げを決めた。昨日クラックしたランディスということで油断があったのか、あるいはタイミングが早かったので、最後の上りまで脚をためたかったのか。
98km地点でランディスは前方逃げグループに追いつく。その後は次々に選手を振り落とす。ゴール地点モルズィーヌの手前の上りでは、有力選手が最後の猛追。サストレ、モロー、ボーヘルト、クーネゴ、クレーデン、エヴァンス、シュレックらがそれぞれMaxの力で最後の上りに挑む。
上りきったあと、最後は下りをクリアして
ランディスが区間優勝を手中に収めた。最後は怒ったような表情でこぶしを振り上げた。
公式に発表されたツール故障者リスト
頭痛: フレイレ、ヴェーニッヒ、ベントソ
胃腸のトラブル:バンデベルド、ヒュースホーウト、マルチャンテ、カルカーニ、マンジャン、メルカド(リタイヤ)
鼻血:ゴンチャル、ヴェークマン、ポストフーマ、フェドリゴ
落車による右足のケガ:デッセル
痛み:シャヴァネルとブラント(第16ステージ落車による)
呼吸器の問題:ヴロリッヒ
ヒザの痛み:ムゲーリ
肩の痛み:クニー

こんなメールもらいました。
『開幕直前のスキャンダルはあったものの、ふたを開ければ去年までの一種硬直?した展開とはうって変わって戦国時代の様相。いろいろな選手が日替わりで活躍していますが、頑張っているなあと思うのはモローとボーヘルト。
特にモローは切れてもまた這い上がってくる、去年までとは一味違うねばりを見せてくれています。 彼にとって、今は選手生活の最終コーナーあたりだと思うのですが、何か期するものがある、そんな走りです。』
確かにボーヘルト、モロー、フォイクトといった(自転車競技界の)熟年世代が頑張っている今日この頃ですねー。フォイクトはマスコミ相手にレース前、いつも熱弁ふるって熱いし、ボーヘルトはたかだかパワージェルを取るだけの行為でも、歯をむき出しにして怖い顔(?)になってるし。
そこへいくとモローはレース前、いいのか悪いのか気迫がないんですよね。いつもほがらかで感じいいし。でもややもすると、へらへらしているようにすら見えるぐらい。
でもひとたびレースを始めると、必死さが滲んでいて。このギャップがなんか不思議。。。とにかく熟年ライダーたち、頑張れ!
写真は今年もツールでクレディリヨネの仕事をしている奥さん。奥さん、モローに群がるファンをしっかり監視していた。
3週間の間には、誰しも必ず好調・不調の波がある。しかし、ランディスの場合、その不調の波が、悪い時にきてしまった。ランディス自身、そう語る。トップのラスムスンから10分4秒差の23位でゴール。イエロージャージを守りきれず、総合では11位に交代。
ランディスの談話:
「明日はまた別の風が吹くだろう。でももうツール優勝は無理だ。8分の差を挽回するのは難しい。とはいえ、戦い続ける。」
「ペレイロの総合首位は嬉しい。彼はいい友人だ。ただ、彼がイエローを着ているのを見るのは悲しいが。」
「あとはビールを飲んで、暫く頭を空っぽにしたい」(続く)
レース:
この日のレースはがビリエ峠の上りから始まった。ラスムッセンは開始早々10km地点でS・カザールとともにエスケープ。なんと結局ひとりでこのままゴールまで行ってしまう。
レースは後半にいくに従いアタックが相次いだ。中でもライプハイマーが早いうちでアタック。メンショフ、サストレと時間が経つにつれて次々に飛び出していく。
しかしランディスは、からだが動かない。サングラスの奥の表情も厳しい。飛び出すことができない。ロジャース、ペレイロが飛び出す中、強豪から取り残され、実質的に最後の上りラスト12kmで敗北。
そんな中、ラスムッセンはひとりでゴールを目指す。後続の姿は見えない。ゴール手前、勝利を十分味わいながらラスムッセンが勝負の日に優勝し、山岳賞の赤玉ジャージを獲得した。
ルクセンブルク人のプロツアーチーム選手はシュレック兄弟、キルシェン、ヨアキムと4人いるが、ツールに今回出場しているのはただ一人。フランク・シュレックのみ。その彼がラルプで優勝を飾った。
シュレック:
「今朝、ルクセンブルクのジャーナリストが僕の夢を聞いてきた。僕は応えた。初出場のツール、ラルプデュエズのステージで勝つことさ、って答えたんだ。」
「2002年、僕はチームが見つからずに、目標も見失っていた。なんで自分は走っているのだろう、と思っていた。しかし、リースだけは僕に信頼を寄せ、チームに拾ってくれたんだ。感謝している。」
一方最終週にツールにくる、と以前から言われていたランスがASOのルブランへの恨み節を口にした。彼は今回事件が報道され、ウルリッヒらの追放が伝えられた際、ルブランに電話をかけた。
ランス・アームストロング:
「僕は生きている限り、ルブランとの会話を忘れないだろう。今年のツール開始前にルブランと交わしたあの会話を。すると、彼は電話を切ったんだ。すぐにかけなおす、とは言っていたが、電話は二度とこなかった。」
もっとも、スタート地点のランスは、笑顔でほがらかな表情を見せていた。 =>ツールを訪れたランスの写真へジャンプ
レース -----------
ラストの上りの手前で生き残ったのは、ヒンカピー、フォイクト、シュレック、クーネゴ、メルクス、ガルゼッリ、シャヴァネルら17人。
ラルプデュエズの上りが進むにつれ、次々とふるいにかけられていく。
クーネゴとともに 山頂間近でラルプデュエズの上りで逃げを決めていたシュレックは、ラスト2.3km、クーネゴを突き放した。クーネゴは11秒遅れの2位でゴール。
ランディスはガルゼッリ、クレーデンとともに1分10秒差でゴール。ランディスがオスカル・ペレイロからイエロージャージを奪った。ペレイロも2分49秒差の14位でゴール。総合タイムで僅かにランディスに及ばず。しかし、最後の最後までジャージを死守すべく頑張った。
そのほか総合上位を目指す選手としては、サストレが1分35秒差の9位でゴール、ライプハイマーは1分49秒遅れの10位、メンショフはやや遅れて2分21秒遅れの11位、ラスムセン同着の12位、ロジャース、エヴァンスはペレイロと同着のそれぞれ15位、16位。EUSはスベルディアが3分4秒遅れの20位。シモーニはホテルの冷蔵で体調が万全でないと伝えられたが、3分24秒遅れの23位でフィニッシュした。
今回ボーネンのツールではなかった。ポイント賞や区間優勝を狙ってツール入りしたボーネンだが、呼吸器の問題でリタイヤ。イエロージャージを着用はしたものの、1勝することなくツールを去った。 (続く)
写真はツール前記者会見。シュレックは中央。