マザメ〜プラトードベイユ 197km : コンタドールが優勝で表彰台が見えてきた、ヴィノクロフは大きく後退した上に後半には再びクラッシュ
(右の写真は、今回バスクのビスカヤ県からきていた大応援団の人たちがツールのために作製したTシャツの背中部分。今回ツールに出る監督、メカニック、マッサー、選手全員の似顔絵が書かれている。似ていてびっくり。イサシの似顔絵もある。一番下の右から2番目。オドリオソラ監督上段2番目。技術主幹ガルデアノは上段3番目、マダリアガマネージャー4番目)【父の話】
もうひとつ、これはスタッフの人に聞いた話なのだが、イニャキ・イサシの父ヘススも自転車選手だった。2003年大病がもとで亡くなった。享年64歳。
ヘススは優勝経験はないが、ブエルタ・ア・アンダルシアで2位となり、ブエルタは1965年に42位。67、68年は途中棄権。2003年のヨディオGP(アラバの自転車レースでこの年はダビ・エレロが優勝)の直前に亡くなったため、レース前にはヘススの死を悼んで黙祷が捧げられた。
【バスクファンの話】
バスク七州はフランスの旧2州とスペインの4県バスク自治州3県(アラバ、ギプスコア、ビスカヤ)とナバラ州から成立している。ナバラ州は、インドゥラインの故郷パンプローナを擁するが、面積の割には人口は少ない。ヨン・ブルやサンディオはパンプローナ出身。 たしかオラーノもナバラ州出身。
今回ロンドンステージで出会ったバスクファンは、ほとんどが大都市ビルバオを擁するビスカヤ県出身で、ビルバオ近郊出身のランダルセだのカマニョだの、同じ県出身者のところに行っては声をかけていた。アラバからきている、というファンにはお目にかからなかった。
イサシがギプスコア、ビスカヤといったメジャーな県の出身者であれば、ファンの人数が多いというのはうなずけるけれど、実はアラバという劣勢な県出身だったとは驚きだった。
イサシの村レスパルディサのHP
イサシの村レスパルディサのHPその2
イサシの村レスパルディサを擁する市のHP
前日のTTでは予想を超えた大活躍ぶりたったので、つい期待してしまったが、ヴィノクロフ、やはり本調子からは程遠い状況であることが露呈した。序盤の上りで早々に失速したヴィノクロフは、トップのアルベルト・コンタドールから遅れること28分50秒でゴール。(写真は第8ステージのコンタドール)
序盤遅れたあと、後半にはさらに追い討ちをかける出来事が待っていた。ヴィノクロフ、再びクラッシュしてしまったのだ。応援に熱が入りすぎたファンのフラッグがアスタナのイワノフのホイールとからまったと伝えられている。
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レースのほうは前半イバン・マヨを擁するサウニエルが前を引き、マヨの区間優勝をうかがっている様が見てて取れる。しかしマヨは期待にそうことができず、このあと優勝候補を含むグループから脱落してしまうのだが。一方でヴィノクロフはジャージの前をはだけて必死でいくも、序盤の上りですでに脚が重そうだ。プロトンから脱落し、スピードに乗れない。
この日もエウスカルテルの若手チュルカが積極的に前に出る。JIグティエレス、Rペレス、クシンスキ、バレド、コロムらとともに序盤逃げを決めた。
この日は超級の山頂ゴール。やはり勝負はラスト15km。予想通り、レースが動いたのはラスト10kmを切ってから。 ラスト8.5kmでラスムッセンが仕掛けた。すっと食らい着いていけたのはコンタドールだけ。エヴァンスもなんとか食らいつこうとするが、ずるずると後退。
なんとかコロムだけがラスト10kmを切った地点でも生き延びたが、その逃げも敢え無くラスト4km程度の地点で潰され、ラスムッセンとコンタドールが抜き去った。
2人がコロムを抜き去った際、大きなフラッグを身体にまきつけたファンがひとりコースに出てフィーバーしているのが見えたが、ヴィノクロフがこの峠のひとつ手前で落車したのも、こういったコース上に出て旗を振り回しているファンが原因だったかもしれない。ヴィノクロフのケガは捻挫などで済んだということだが、明日の出走は取りやめになる可能性もある。
ラスムッセンとコンタドールの後方では、ソレル、サストレ、ライプハイマーらが必死に前を追い、サバイバルゲームとなった。山頂を上りきったあと、ラスムッセンとコンタドール2人のスプリント勝負が展開する。ラスムッセンが先頭をいくも、 山頂最後から2番目のカーブでコンタドールがラスムッセンを鮮やかに追い抜く。
最後はジャージの前をしめて、コンタドールが力強く胸を両手で打ったあと、片手で2回胸を叩き、ピストルを撃つかのように片手を鮮やかに空に向けて射抜いた。総合首位はラスムッセン変わらず。 リザルトCN
ツール区間初優勝のコンタドールは、チーム戦略どおりに動けたと満足気。